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蒸気機関車のごとく

国鉄41年、今も元気にボランティア
 米原市杉澤、藤田慶一さん(88)は蒸気機関車の元機関士。辛かった現役時代の思い出を糧に、ボランティア活動に励んでいる。
 藤田さんは戦争の真っ只中だった昭和19年、春照小学校高等科を修了。国鉄に入り、名古屋鉄道局に配属されたが、一人前の機関士になるためには険しい道のりが待ち構えていた。
 機関助士見習いでは罐にショベルで石炭を投げ入れる過酷な投炭作業の訓練があった。機関車を稼動するには約3・3平方㍍の罐の中で均等に燃えるよう、10カ所に石炭を投げ分けなくてはならない。
 訓練は7分半の間、片手で1㌔の石炭を300回、投入。5分の休憩後、また同じ作業を繰り返す。
 また、大きなスコップで2㌔の石炭を150回、連続投入する訓練もあった。一面、均等に投げ分ければならず、うまくいかなかった場合は先輩からの往復ビンタが待っていた。訓練が終了すると、「くたくた」で心身とも疲れ果てた。
 当時、最年少、15歳9カ月の若さで機関助士となった。機関助士は助手席で石炭を投入しながら、信号機の確認をする。米原機関区の藤田さんはD51やD52で大阪、吹田から名古屋、浜松まで客車や貨物列車に乗務した。
 トラックが無かった時代、陸送はすべて鉄道で、貨車なら50〜60両、客車なら2600人が乗車していた。近江長岡から関ヶ原へは長い上り坂が続き、馬力をアップさせるため、石炭を多く投入しなくてはいけない。猛暑の中の投炭は過酷で、息つく暇も無かった。
 28歳で機関士に昇格。SLに加え、導入された電気機関車の運転も覚えなくてはならなかった。運行で細心の注意を払うのが「空転」。一気に加速すると、車輪が空回りし、線路を傷める。機関士は「火炎弁」と呼ぶアクセルとブレーキの「単弁」を巧みに操り、スムーズな発進を心がけた。しかし、車両のクセや乗客数、積載量によって、調整が微妙に異なる。藤田さんは長年の勘と磨かれた腕で快適な運行をこなした。
 昭和60年、41年間の勤務を経て、国鉄を退職。現在は得技のパソコンを生かし、伊吹山文化資料館や安全パトロールなどのボランティア活動に励んでいる。
 長生きの秘訣は好き嫌いなく、何でも食べること。ボケないように毎日、パズルや計算問題などをしており、「石炭を扱っていたせいか、同僚の多くは肺の病に伏したが、私は蒸気機関車のように元気」と語っていた。


2017年09月13日 15:31 |


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