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「活気に満ちた小都市」

物資集中し、人々行き交う。古代塩津港
 西浅井町塩津浜の塩津港遺跡が、琵琶湖岸を埋め立て桟橋や水路、護岸などを整備した大規模なもので、日本を代表する港町として繁栄していたことが明らかになった。県文化財保護協会が9日発表した。
 琵琶湖最北端にある塩津港は、古来、日本海側の物資を京都に運ぶための琵琶湖水運の拠点として整備され、万葉集にも詠まれている。平成24年から実施している国道8号線塩津バイパス整備に関する調査で、平安から鎌倉時代にかけての港跡が見つかり、その後も調査が続いていた。
 埋め立ては12世紀前半から始まり、船が着岸するための高さ1㍍程の垂直護岸、幅1・2㍍の桟橋、幅2㍍の水路、石を張り込んだ傾斜護岸などが整備された。いずれも琵琶湖に向かって27㍍以上埋め立てて造られていた。拡張や嵩上げは約60年間で7回以上にわたって行われた。
 埋め立てにあたっては杭に小枝を絡ませた「シガラミ」、杭を隙間なく打った「高密度杭列」、薄板を斜めに重ねた「菱垣」などの工法を用いて護岸し、内部に岩や土砂を入れて陸化した。


出土品続々と…、文具・工具・装身具など
 遺構からは、琵琶湖の代表的な船「丸子船」の先祖にあたる板造り構造の船の模型や、馬の運搬の記述が残る荷札木簡をはじめ、輸送品の管理に欠かせない文具として、石製としては最古級の「硯」(12世紀)や「物差し」が出土している。
 加工木片、鍛冶屋のごみである鉄滓、ヤットコ、ハサミ、紡錘車などの工具、朱漆の入った漆皿なども出土しており、材木屋、船大工、鍛冶屋、漆絵付け屋、機織り屋、細工師などあらゆる業種が塩津港に密集していたことを物語っている。また、港で働く人々の姿を想像できる装身具として、整髪用具の「笄」、かんざしを飾ったと推測される直径1・36㌢のブルーのガラス玉、男性が身に付けた腰刀なども出土している。
 県文化財保護協会は「港の空間を広げる造成工事、その工事が頻繁に行われた様子は、塩津港の重要性と活況を伝えている。出土した遺物からは、単なる積み替え港ではなく、物資が集中し、様々な人々が行き交う活気に満ちた港空間だったと想像でき、古代の塩津はまさしく小都市の様子を呈していた」と分析している。
 なお、遺跡は琵琶湖の水位上昇によって水没したため遺構が荒されることなく、貴重な出土品が今に残った。今後は陸側の発掘調査も行い、重要な資料の検出が期待されている。
 遺構写真・出土遺物の一般公開は、11日から17日まで県立安土城考古博物館、18日から8月31日まで県埋蔵文化財センター(草津市)で。


2015年07月10日 17:52 |


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