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大阪金甌小卒業生10人、来浜

「第2の母校」で神照疎開の思い出語る
 太平洋戦争末期の昭和19年から20年にかけて神照地域で過ごした疎開経験者が1日、「第2の母校」である神照小学校を訪問。6年生に戦時中の出来事を語り、平和の尊さを訴えた。
 疎開していたのは大阪金甌国民学校の3〜6年生で、神照寺(新庄寺町)、金法寺(神照町)、一燈園(十里町)の3カ所で共同生活を送った。
 神照国民学校の卒業生で、当時、疎開児童と交流していた下之郷町の高田總吾さん(84)が戦後70年を機に、疎開経験者との交流を図ろうと、疎開先の寺に残された記録などを手がかりに、大阪へ手紙を送るなどして準備を進めてきた。
 この日は疎開経験者10人が神照小や神照寺を訪れ、往時を懐かしんだ。神照小6年生との交流会では「イナゴを味噌汁に入れて食べました。83歳まで元気でいられるのは、あのイナゴの素晴らしいタンパク源のおかげ」「地域の方にお風呂を頂き、帰る時にはサツマイモや枝豆をふかしたのを持たせてくれた」「一番の楽しみは家からの小包でした。待ちきれなくて郵便局の本局まで取りに行った」などと当時の様子を説明した。
 「集団疎開の話を聞いたとき、修学旅行のような気持ちだった」と振り返る女性は、母親が乳飲み子を背負って大阪からこっそり会いに来たことを紹介した。
 「姉川でアユをすくい、カエル泳ぎも覚えた」と笑顔で語る別の女性は「楽しいことばっかり記憶に残り、苦しいことは忘れた」と語ったが、兄2人をフィリンピンとサイパンで亡くしたことを明かし、「大阪の家は丸焼けで何も残らなかった」「あのような思いを皆さんに味わっていただきたくない」と平和を訴えていた。
 高田さんは「今、こうして80歳を過ぎても生きていることを喜ばねばならない。310万人の犠牲の上に築かれている今の平成の世、戦没者を追悼し、若い人たちに激動の時代のことを伝えるのは我々の責務」と話していた。


2015年07月02日 16:57 |


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