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尼寺「陽徳院」はここ?

浅井氏ゆかり、小谷丁野町が石碑建立
 浅井氏の歴史を調べている「三盛亀甲郷土史研究会」(脇坂淳市会長)はこのほど、場所が特定されていなかった浅井氏ゆかりの尼寺「陽徳院」の跡地を突き止め、地元、小谷丁野町自治会(脇坂鉄央会長)が地域の歴史を後世に伝えるため、石碑を建立した。
 同会によると陽徳院は鎌倉時代から戦国時代の末期まで、丁野村に実在した尼寺。「竹生島文書」や「徳勝寺受戒帳」などから、浅井三姉妹が小谷城の落城後、かくまわれた実宰院と同様、代々、浅井氏に関わる女性が出家し、入室していたとされるが、丁野村のどこにあったのかは分かっていなかった。
 集落の西側にはかつて、「西山」と呼ばれる山があり、その一角に明治41年まで八幡神社が存在した。日本電気硝子工場の建設に伴い、掘削された山土は工場造成用に使われ、跡地には住宅や寮が建設された。
 現在の日本電気硝子丁野独身寮の一角には寺社ゆかりの小字名が残っている。寺院があった当時は神仏習合の時代で、寺院が神社に隣接されていた可能性が高く、同会ではここに陽源院が存在した、と推測している。
 陽徳院が存在したことを示す石碑は御影石製で25㌢四方の高さ約1㍍。上部に解説板を埋め込んでいる。長浜城歴史博物館の太田浩司さんは「陽徳院は浅井氏一族の寺院であることは間違いない」とし、同会相談役の香水敏夫さんは「史料などから、この場所が寺院跡地といえる。丁野や浅井氏の新事実が明らかになった」と語っている。
 集落内にはこれまで「浅井家産湯の池跡」「若狭屋敷(徳勝寺)跡」「初期小谷城大手道」「北国脇往還」の石碑4基が建立されている。


2013年12月26日 17:49 |


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