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官兵衛、賤ヶ岳合戦に参戦

新発見の古文書が裏付け、城郭史にも一石
 信長、秀吉、家康という戦国時代の三傑に従い、50以上の戦で無敗を誇った軍師・黒田官兵衛が賤ヶ岳合戦に参加していたことが、新発見の古文書から明らかになった。
 古文書は羽柴秀吉が合戦を前に前線の武将に指示した文書で、長浜城歴史博物館が京都の古美術商から購入し分析を進めていた。官兵衛の参戦を裏付けているほか、当時の砦の配置などがうかがえ、博物館では「一級史料」と力説している。
 賤ヶ岳合戦(1583年4月20、21日)は秀吉が柴田勝家と信長後の主導権を争った戦いで、天下統一への足がかりとなった。
 古文書は、余呉湖周辺で両軍が砦を築いて対峙する同年3月30日、秀吉が最前線で指揮をとる羽柴秀長に今後の戦略を指示したもの。前線の砦の周囲にある兵士の野営用の小屋を破壊し、後方から送る軍勢に備えるよう指令を出しており、官兵衛も小屋の取り壊しを手伝うよう記されていた。
 官兵衛の参戦は「黒田家譜」(1688年)でしか確認が取れておらず、古文書の発見で確実となった。
 また、古文書に記された秀吉の「花押」がかすれており、博物館は「非常に慌しい中で記されたとみられ、合戦現場における緊張感と、秀吉の心の高揚を伝えている」と説明している。
 戦国史研究の第一人者、小和田哲男・静岡大名誉教授は「これまで江戸時代の軍記物でしか知られていなかった賤ヶ岳の合戦における砦の存在が、裏付けられたことは大きな発見。特に官兵衛の参戦が確実となった点は来年の大河ドラマ放映に向けて大いに話題となるだろう」とコメント。滋賀県立大の中井均教授(城郭史研究)も「砦の外部に小屋が造られ兵士が野営していたことは想定されていたが、証明する古文書が出現したことは驚きだ。城郭史研究に一石を投じるもの」としている。
 11日から博物館で公開する。
 官兵衛は姫路城主の嫡男として生まれ、織田信長の将来性をいち早く見抜いて臣下となり、秀吉のもとで軍師として活躍。秀吉の天下統一後、「次の天下を狙う男」と警戒されていることを知り、44歳で隠居。「如水」と名乗り、家督を長男に譲ったが、関ヶ原の戦いでは家康の東軍についた。
 2014年のNHK大河ドラマに取り上げられ、V6の岡田准一さんが官兵衛を演じる。


2013年05月10日 15:33 |


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