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長浜市民の新たな誇り(投書)

 なでしこジャパンがワールドカップで優勝し、東日本大震災で沈む日本国民に勇気と希望を与え、その快挙を知らぬ人はいないだろう。
 しかし、長浜出身で日本の名誉を背負い世界と闘った英雄を知る人は少ない。
 7月のアメリカンフットボール世界選手権オーストラリア大会に日本代表として長浜西中出身の2人が出場した。
 1人は脇坂康生選手(42)。日本代表の主将を務めたこともある最年長選手。もう1人は東野稔選手(36)。大学時代から日本一のクオーターバックと呼ばれながらも、ケガに悩まされた。初めての日本代表選出。
 日本代表は世界選手権で銅メダルに輝き、脇坂選手はフランス戦でMVPを獲得した。東野選手もタッチダウンを決めるなど、大活躍だった。
 長浜西中出身の2人が日本代表に選ばれたのは偶然ではない。長浜の地がアメフトを長年育んだ土壌であったことを忘れてはならない。
 昭和25年、長浜四中(現南中)にタッチフットボール部が創部されたことから、長浜のアメフトの歴史が始まる。指導者の熱心な指導、選手達の意欲ある練習の結果、翌26年、関西ジュニア大会で優勝。これが大きな反響を呼び、市内や近隣中学でタッチフット部が創部されてゆく。タッチフットの隆盛により、甲子園ボウルの前座試合に関西中学校選手権が開催され、選手関係者に大きな目標となった。これにより湖北の高校でアメフトが数多く誕生することになる。
 特筆すべきは、この地域のみが、このような普及が成功したことである。他地域は私立大学を中心とした一貫教育により、下部(高校部・中学部)へ波及するしかできなかった。
 しかし、長浜を中心とした湖北地域は、中学から高校へと底辺から波及し、地域で育まれて発展していった。
 アメフトは、選手の個々の能力はもちろんのこと、情報収集、分析、作戦等々、後方支援が重要である。つまりチームの総合力の戦いである。
 昭和26年、初めて甲子園ボウルで中学の試合が開催された時、長浜南中の選手達は芝生の滑り止めのため、わらじ履きで試合に挑み、スパイクを履いた関西学院中等部に見事勝利した。
 有る者に妬み嫉まず、無いことに悲観せず卑下することなく、高い目標を掲げ、足らざるものを認識し、創意工夫と自らを鍛錬し技を磨くことで補う。「わらじの精神」が脈々と引き継がれている。これが長浜のアメフトの特長である。その顕著な例が、虎姫高校アメフト部である。毎年春に開催される関西選手権41年の歴史の中で18回の出場と、5度の準優勝を遂げている。
 長浜の地で育まれ日本代表として闘った2人の功績を多くの市民に周知することで、長浜市民の新たな誇りが芽生え、また少年達に夢と希望を与えられる。次世代の長浜出身の日本代表を誕生させることも夢ではない。(長浜市 51歳)


2011年08月18日 16:33 |


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