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      <title>滋賀　長浜　新聞　滋賀夕刊</title>
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      <description>滋賀夕刊新聞社は、滋賀県長浜市を中心に滋賀県北部「湖北地域」のあらゆる出来事をお届けします。</description>
      <language>ja</language>
      <copyright>Copyright 2012</copyright>
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         <title>人間の余生と生活の質</title>
         <description>　蕗の薹は食えるが、薹の立った人間は食えない。食えない、というのは役立たずという意味である。
　60歳定年を決めたのは、この年齢をとう立ちの時期と見立てたからであるが、人間は十人十色、若年寄りもいれば、老青年もいる。
　とうが立って役立たずでは家族も困るし、国のためにももったいない。第一、自分自身がかわいそうである。
　今は長寿社会だから60歳のとう立ちは早すぎるので、70歳くらいに伸ばしてもよさそうであるが、それは一人一人の生き方次第であり、親の遺伝子にもよるだろう。
　人間のとうの立つ時期は一人一人違うが、だれもが長寿を願うこそすれ、とうの立つ立たぬはあまり考えていないようである。だが、長寿で、健康で社会に役立つ人は尊い。
　動物の世界はとうが立ったら世代交代し、ボスといえども淋しく消えてゆく。植物の世界はタネを残して一代目は亡びてゆく。
　人間は万物の霊長だから高齢になっても役立つ限り世間は現役として待遇し、尊敬する。役立たなくなった後は家族が面倒を見たり、国や社会が保護してゆく。地域社会は共存共栄の伝統が支配し、「おば捨て山」思想もあって、「明日はわが身」と、人生を肯定的に諦めた。
　現代は福祉社会であるから、弱者への法のいたわりはきめこまかである。
　ぼくの友人は毎週デイサービスの恩恵を受けているが、知人も多く、楽しく通っている、と語っている。なかには半分痴呆がかった人もいれば、全くの痴呆状態の人もあるらしいが、家庭で介護できない人は施設に頼らざるを得ないし、老化がひどくなると自分で自分の意志表示ができない。
　人間は百人が百人、必ず老化するし、自分のことを自分で出来なくなる。その悲しむべき現実を一日延ばしに延ばしてゆくのが余生への覚悟である。
　言葉を換えれば、とうの立つ日を一日延ばしに先送りする努力である。どんな努力をするのか、その努力の一つが老人会活動であり、趣味の世界である。個人の場合、日々の生活のありようすべてが余命との真剣勝負である。
　そういうことは考えるだけでも面倒くさい、と好きなよう、したいように生きる人もあるが、つまづいてベソをかくことのないよう、やはり知恵を働かせるにこしたことはない。
　クスリがただであるからといっても、それを飲む生活よりも飲まないで暮らせる方が生活の質が高いのである。つまり、心身の健康がとう立ちを遅らせる秘訣である。政府は口ではあからさまに言わないが、消費税を上げるのは老人社会に対応するためだと本心から思っているのだ。それでよいのか。【押谷盛利】</description>
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         <category>時評</category>
         <pubDate>Wed, 16 May 2012 16:38:13 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>中欧・バルトの旅（見聞録）</title>
         <description>　ゴールデンウイークを利用してヨーロッパへ出かけた。オランダ経由でポーランドへ入り、鉄道、バス、フェリーを乗り継いで、バルト３国（エストニア、ラトビア、リトアニア）を通って、フィンランドまで移動した。ちょうどバルト海沿いに中欧を北上するコースだ。
　いずれの国もＥＵ（ヨーロッパ連合）に所属し、国境審査を廃止する「シェンゲン協定」を結んでいるため、経由地オランダ・アムステルダムでの入国審査以降は、国境で何の手続きをすることもなく、各国を自由に移動できた。
　最初に訪れたポーランドは中欧に位置し、ドイツ、ロシアなど７カ国と国境を接する。北にはバルト海を臨む。
　中世はポーランド王国として大国を形成したが、18世紀以降は国土を隣国に分割されるなど苦難の道を歩んだ。第１次世界大戦後の１９１８年に独立を果たすが、第２次世界大戦でナチス・ドイツとソ連の侵略を受けて、国土が分割された。終戦後、主権を取り戻したものの、ソ連の影響下による共産主義政権の支配で、東側陣営に組み込まれた。
　今は民主主義を謳歌し、ＥＵに加盟しているが、共通通貨ユーロは導入せず、独自通貨ズオティを守っている。このため、物価はＥＵ諸国に比べて安く、ワルシャワ駅前の高級ホテルが１泊６０００円。観光客向けのレストランで名物のスモークサーモン、ポークカツ、ビール２杯で２０００円を切った。
　ポーランドの首都ワルシャワは、第２次世界大戦でナチス・ドイツに徹底的に破壊された。しかし、旧市街地エリアには往時の町並みが復活し、世界中からの観光客で溢れている。国家と国民が力を合わせ、古き良き日の景観を取り戻そうと、「レンガのヒビに至るまで」と形容されるほど、緻密、忠実に復元した。今は「ワルシャワ歴史地区」として世界遺産にも登録され、市民の誇りとなっている。
　広場にはレストランやカフェのテーブルが並べられ、真夏を思わせる太陽の下、観光客がランチやおしゃべりを楽しんでいた。
　一方、ワルシャワ駅前には共産主義政権の遺物だろうか、高層の文化科学宮殿が建ち、景観とのミスマッチから市民に嫌われているとか。
　さて、同国出身者で最も有名な１人はフレデリック・フランソワ・ショパンだろう。貴族の家庭に生まれた彼は幼少からピアノを学び、わずか７歳で「ポロネーズト短調」を作曲、出版した。20歳でポーランドを去り、活躍の舞台をフランス・パリに移した。その後、ポーランドに戻ることはなかったが、ワルシャワには彼の偉業をたたえるため、17世紀の宮殿を改修した博物館があり、自筆の楽譜、手紙、スケッチ、ピアノなどを展示している。最新のデジタル技術を駆使した近未来的な博物館で、ショパンファンならずとも必見。</description>
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         <category>見聞録</category>
         <pubDate>Tue, 15 May 2012 16:19:42 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>蕗の薹と人間のとう</title>
         <description>　「雪の上に膝ついて得し蕗の薹」という稲垣陶石の俳句がある。梶俳句のぼくの仲間は「三日見ぬ間の蕗の薹」と詠んで、その成長の早さに感嘆した。
　まだ、雪の残っている庭に蕗の薹を見た喜びは「春到来」の感激でもある。しかし、感激して迎えられた蕗の薹もとうが立てばかえりみるものはない。
　いま、どこの畑にも葱坊主が鮮やかである。葱は食卓に欠かせないが、とうが立てば食べられない。葱坊主は、とうが立った証であり、とうが熟成すれば種ができる。大根や蕪は春になると、とうが立ち、花が咲く。食用には向かないが、種をとるには花を咲かさねばならぬ。
　蕗の薹や野菜のとう、葱坊主からふと、人間について考えてみた。人間にも薹があるのだろうか。
　60歳定年制は、60歳という年齢を「とう」に見立てたのかもしれない。普通の職場が60歳で、とうが立つと考えるならば政治家も60歳でとうが立つのだろうか。さにあらず、この世界は化け物の棲息するところで、60歳は鼻垂れ小僧、70、80歳代が大きな面してのさばっている。70、80歳代が大きな顔する政界という化け物の世界は、地盤、カバン、看板という古い時代の慣性によって熟成した、という意味では旧体制の遺物といえるのではないか。議会の会議に出なくとも、選挙区へ顔を見せなくとも「３ばん」の威力で当選できるというのは確かに不合理であり、いま各地で、その旧体制が葬られようとしている。
　ぼくは最近、所要があって、長浜市役所へ藤井勇治市長を訪問した。市長室は３階にあるので、足の弱いものは途中で、ひと休み、ふた休みしなければならない。市の職員のような働き盛りのものには適当な足の運動で、１日に何回上がり下りしても苦にはならないが、70歳以上にもなれば、ことに足や腰に自信のないものは、若い人のようにさっさと上がることは困難であろう。その話をしながら、「市長は、いま、やっと還暦だから平気でしょう」というと、笑いながら「私は１日に５回も10回も上がり下りしていますよ。中休みなんか、するひまがありません」と元気そのもの。
　階段の上り下りばかりでなく、会議や出張、各種の催しや式典、会合などを、ときには休日も犠牲にして、こなさねばならぬ首長の激職は「とう」の立ったものには到底不可能な領域である。
　しかし、と、ぼくはここで、人間の能力や寿命を考える。政治家の多忙さでいえば、東京都の石原慎太郎知事の上をゆくものは少ない。彼は今年80歳だが、大東京の行政を仕切る以外に政界刷新だの、尖閣諸島買収だのと、超Ａ級の政治的発信を続け、最近までは芥川賞の選考委員までこなしてきた。とうが立つどころか、かくしゃくとして壮者をしのぐ勢いである。
　石原さんには失礼だが、彼の場合は例外であり、多くの政治家にはとうの立っている人が多い。そういう古い体質の政治家にノーといえる橋下大阪維新の会の人気は半端じゃない。政治の根本ばかりではなく、とうの立った政治家では明るい将来がひらけぬという政治哲学が国民の共感を呼ぶ。
【押谷盛利】</description>
         <link>http://www.shigayukan.com/2012/05/post_1335.html</link>
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         <category>時評</category>
         <pubDate>Mon, 14 May 2012 16:08:05 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>あいさつと人のうわさ</title>
         <description>　挨拶は、人と人との潤滑油だが、これがなかなかできない。ひところ、小学校で「あいさつ」運動が流行したことがあったが、時が経つと忘れ去られて元のもくあみになる。
　日本人は社交下手なのか、知らない人には声をかけたがらない。記念式か、何かの祝いごとで懇親のパーティーが催されるとき、両隣りが知らない人の場合、沈黙したまま箸を手にする人が多い。
　気を利かした人が隣りの人へ、ビールを注ぎながら話しかけて、それがきっかけで、周りの緊張がやわらぐことは、しばしば経験するが、こんな場合、話の糸口に名刺を差し出す人もある。
　名刺は便利なもので、一枚の小さな印刷物に過ぎないが、そのなかに、その人の大事な情報が集約されている。
　どこの席でも気軽に、かつ積極的に名刺を配る人は議員や首長に多いが、これは選ばれる、という職業意識から常に目の前の人を票（お客）に見立てるからである。
　あの人は気さくな方で、私にまで挨拶をしてくださった、と喜ぶ人がいるから、その一枚の効果は計り知れない。
　昔は、大阪人の挨拶は「もうかってますか」だったが、このごろはどんなふうな言い回しをするのだろうか。
　年配の人は、知人や友人に久しぶりに会うと「やや、珍しい、どないしている。元気でやってるか」というのが平均的挨拶であろう。なかには探求心旺盛というか、「ご主人はお元気ですか」、「息子さんはどこの大学へ」、「お嬢さんがいらしたんですね。もう結婚されましたか」、と深追いする。「ほっといて」と思いつつも、適当に答える人もあるが、なかには相手が聞きもしないのに、こちらから、ああだ、こうだ、と自分の家庭や仕事の自慢話をする人もいる。
　平均して、挨拶の場がおしゃべりの社交場になるのは女性が多い。身近な情報で時間稼ぎを喜ぶというのは、はしたないと言えば、はしたないし、ひまを持て余しているのかもしれない。
　それにつけても老人の挨拶は淋しい。必ず登場する話題は体の調子、それにクスリ。悲しいのは自分たちだけの情報伝達だけでなく、お互いの共通の友人とか、学校の同窓生などの消息を話題にすることである。
　「Ａさんは施設に入っている」、「Ｂさんは痴呆で訪ねてもだれがだれだか分からない」、「Ｃさんは風邪が元で正月過ぎに亡くなった」などの話から、お互いの肩こり、血圧、歩行困難、家庭内の不満などが登場するから、その会話中は幸せ感に浸かっているのかもしれない。
　「はしたない」などと顔をしかめる人もあるが、たまに会った知人や友人と、あけっ広げて、自分をさらし、他人の噂をしながら、束の間のやすらぎを感じるのも終末近い人生のおまけかもしれない。
　ともあれ「どうしている？」と聞くのは、深い意味があるのではなく、単なる社交的儀礼なので、「おかげさまで」、「まあまあです」で、パイプが通じるからおもしろい。【押谷盛利】</description>
         <link>http://www.shigayukan.com/2012/05/post_1334.html</link>
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         <category>時評</category>
         <pubDate>Fri, 11 May 2012 15:52:29 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>ラシュカレ・トイバ（見聞録）</title>
         <description>　長浜出身の国際ジャーナリスト山田敏弘氏（37）執筆のノンフィクション「モンスター」は、１５００日に及ぶ取材を通して、パキスタンを拠点に置くテロ組織「ラシュカレ・トイバ」の脅威に警鐘を鳴らしている。
　プロローグ、同氏がパキスタンの情報機関工作員に「ウサマが本当に死んだなら、世界は平和になる？」と尋ねたところ「何も変わらないさ」と返ってきた。
　２００１年９月11日、アメリカのワールド・トレード・センターにハイジャックした飛行機で体当たりするという凄惨なテロを実行した「アルカイダ」は、復讐に燃える米軍の掃討で弱体化し、その指導者ウサマ・ビンラディンも昨年５月に米軍に殺害された。
　同書ではアルカイダの弱体化、ビンラディンの殺害で世界がテロの脅威から解放され平和になるのかと問い、結論を「否」としている。新たな脅威ラシュカレ・トイバに注目しているからだ。
　ラシュカレ・トイバはパキスタンの情報機関の支援の下で、反インド、反欧米のテロを繰り返しているとされる。
　その名を世界に響かせたのは２００８年にインド最大の都市ムンバイで実行した同時多発テロ。テロ犯10人が駅や高級ホテル、レストラン、病院などを銃や手榴弾で襲い、インド人、外国人合わせ１７４人を殺害した。
　同氏はそのテロ現場の訪ね、関係者にインタビューし、テロの真相とその背景、そして実行組織ラシュカレ・トイバの実像に迫っている。
　ラシュカレ・トイバは資金力、軍事力、組織力ともにアルカイダを超える力を身につけているという。そして仕事やカネがなく、社会的に居場所をなくした若者を洗脳し、殺人マシンに仕立て上げている。
　ムンバイのテロで唯一、逮捕された犯人（他９人は死亡）は仕事にあぶれ、カネに困り、強盗するための武器を得るため、ラシュカレ・トイバに参加した。テロ訓練を受け、反イスラム勢力へのジハード（聖戦）の戦士として養成された。２カ月と１週間の訓練後、故郷の村に一時帰宅すると、「誰からも尊敬される存在になっていた」という。強盗を計画するほど落ちぶれていた若者がだ。ただ、崇高な使命感を秘めていた訳ではない。殺人マシンとして養成され、神が殉教を迎え入れると洗脳されただけだ。
　ラシュカレ・トイバはパキスタンとインドが領有権を主張するカシミール地域での紛争が生み出した数多のテロ組織のひとつだが、組織を巨大化させた今、その矛先はインドだけでなく、ユダヤ国家のイスラエルをはじめ、反イスラム的な国へと拡大しつつあるという。
　自身の思想・信条を汲み入れない者には血を見せる。その思考回路を持つテロ首謀者こそ捕らえなければならないが、現実は洗脳された若者が市民を巻き込んで死んでゆくだけだ。テロ撲滅の困難さが同書から読み取れる。
　なお、パキスタンではテロの実態を取材するジャーナリストが相次いで殺害されている。過去２年連続でジャーナリストの死者が世界で最も多い国だった。
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         <link>http://www.shigayukan.com/2012/05/post_1333.html</link>
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         <category>見聞録</category>
         <pubDate>Thu, 10 May 2012 15:45:09 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>小沢一郎氏は過去の人</title>
         <description>　民主党は８日、小沢一郎元代表の党員資格停止処分を解除した。
　小沢氏は政治資金規正法違反で起訴されたが、このほど無罪判決が出た。しかし、国民は白と思っていないし、新聞など報道陣の評価も厳しい。
　彼の無罪判決後、野党の自民、公明両党は国会で、彼を喚問し、証言を求めることを決めている。自民党の石原幹事長は、判決文を読めば99％クロである。小沢氏が潔白を主張するなら国会で堂々と証言すべきである、むね語っている。
　９日付、産経は社説で、小沢氏処分解除に関し「民主党に公党の資格なし」と論評している。そのなかで、彼が昨年２月に処分されたことは、彼の元秘書３人の逮捕、有罪や、小沢氏が国会で説明責任を果たさなかったことも理由にあげられていた、と論じている。
　野田内閣を揺さぶり続けている小沢氏だが、子分どもは早くも９月に予定されている党代表選に親分をかつぎ上げる雲行きすら見せている。
　民主党は国民にウソをついて、政権をとったのだから、国民の支持は消えたし、小沢問題を抱える不明朗な動きは、かつての自民党の派バツ争い以上の醜さを示し、泥船の中の権力争いそのものであり、瓦解は必然であろう。
　大阪維新の会の橋下大阪市長の橋下語録に「民主党が言ったことが実現しなければ、ことあるごとにウソつき、ウソつき、とメッセージを発する」と述べている。
　週刊文春の５月17日号は「野田首相よ、今こそ小沢を大往生させよ」と生々しい記事を発信している。
　他方、「週刊新潮」は同日付で、特大記事「民主党空中分解、解散０％の永田町竜巻」とこれまた厳しい。
　ぼくが昭和50年に県会に出馬する前、長浜市民会館で、評論家・藤原弘達氏を招いて決起集会を開いたことがある。当時、藤原氏はテレビの時事評論で、茶の間の人気ものだったし、その愛国の毒説は政治家に対する清涼剤でもあった。このころは、田中角栄元首相の金脈事件で、同氏の逮捕など政界が荒れ、政治浄化が叫ばれていた。
　ぼくを支援すべく演壇に立った藤原氏は、田中元首相を厳しく論難し、最後は「越後へ帰って肥たごでもかつぎなさい」と会場を笑わせた。肥たごは「田桶」の音変化だろうか、人糞を桶に入れて、農家は肥料として田畑に使った。
　ぼくは小沢問題について、何回となく取り上げたが、今の段階では、彼の歩んできた道が王道であったか、邪道であったかは歴史が審判する。彼が今後も政界に重きを置くことについて国民の多くは疑問視、もしくは反対するだろう。彼の抱えている「政治とカネ」の疑惑はあまりにも深刻であり、前時代的であり、財政赤字で苦しむ国の会計などを考え、政界一新、平成維新を期待する国民は、藤原弘達流に言えば、「岩手へ帰って肥たごでもかつぎなさい」となるのではないか。
【押谷盛利】</description>
         <link>http://www.shigayukan.com/2012/05/post_1332.html</link>
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         <category>時評</category>
         <pubDate>Wed, 09 May 2012 17:09:46 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>自然の厳しさに畏怖を（見聞録）</title>
         <description>　長野県白馬村の北アルプス・白馬岳で北九州市の男性６人が遺体で発見された。ゴールデンウイークにもたらされた悲劇のひとつだった。
　中高年の医師ら６人のパーティーの不幸は、山小屋から白馬岳山荘へ向かった４日に発生した。標高は３０００㍍近く。朝の出発時は青空の見える好天だったが、天気予報では午後から崩れる気配だった。同じコースの他のパーティーは中止したり、ルートを変更していた。
　５月初旬の北アルプスは雪に包まれ、天候が悪化すれば吹雪の厳しさを見せることは、この地の登山者には周知のことであり、余裕のある計画と充分な装備が求められる。
　白馬村の山岳遭難防止対策協会のメンバーが７日、遺留品を回収したところ、春・夏山用の羽毛ジャケット、冬山用ズボン、保温機能付きの登山用下着、手袋、簡易コンロなどがあった。また、簡易テントも携行しており、装備が特別に不足していた訳ではなかった。
　しかし、６人は発見時、雨具やＴシャツなどの薄着だった。専門家は急激な気温変化による低体温症で判断能力が鈍り、吹雪になって着替える余裕もなかったのではと推測している。
　装備を生かせないままの事故死に山岳天候の厳しさを思い知らされる。
　事故の遠因は、遠路、北九州市から訪れたことにあるのではないかと、小生は推測する。山頂を目の前に登頂を断念するのは悔しい。まして九州という遠方からの登山では、なおさらではなかったのか。他のパーティーのように登頂を断念する勇気が、鈍ったのかもしれない。
　３年前の７月、北海道の大雪山系で登山客が亡くなる事故が発生した。ガイドに連れられたツアーで荒天の中、登山を強行した。余りの悪天候に参加者の体力が奪われ、テントを張って救助を待つも、一行18人のうち10人が低体温症で死亡した。装備やガイドだけでは御し得ない自然の厳しさを見せ付けた事故だったが、ツアーという決められた行程をこなすための強行軍が招いた人災でもあった。
　ＧＷは竜巻、落雷の被害もあった。自然の前では人間は無力であるという謙虚さが常に必要なことを認識させられる。これからの季節、山へ、海へ、川へ、と自然に身を投げ出す機会が増えるが、驕りを捨て自然の恐ろしさを畏怖する心を養いたい。</description>
         <link>http://www.shigayukan.com/2012/05/post_1331.html</link>
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         <category>見聞録</category>
         <pubDate>Tue, 08 May 2012 16:57:23 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>橋下大阪市長と小沢論</title>
         <description>　このところ、新聞を読んでいても、テレビを見ても話題の主として登場しているのが平成維新の会長・橋下徹大阪市長と元民主党代表の小沢一郎衆議院議員である。
　両者とも世論を動かす点においては超Ａ級の政治家だが、国民の視点で言えば両者には天地の隔たりがある。
　小沢氏は田中角栄直系の実力者で、１９９３年、自民党を出て以来、幾つかの政党をつくり、かつ潰し、現在は民主党にありながら、カネと政治の疑惑から党活動を停止させられている。
　政治資金規正法違反の裁判では、このほど無罪判決を受けたが、全くの白さというよりも「疑わしきは罰せず」の灰色である。
　彼は野田内閣を潰すために党内に温存する彼の子分１００名を動かして、政権を揺さぶり続けている。その、揺さぶり戦術に、消費税反対を主張するが、彼は本来消費税増税派であるから、その言動のぶれは政局仕掛人のお家流といえるもので、国民の多くは横を向いている。
　無罪判決だからといって、信用している国民はいない。金権政治体質を持つ彼は、これまでしばしば国会で、国民の前に政治とカネの疑惑に関し、説明すべきであると言われ続けてきたが、断固として口を閉ざしてきた。
　国民は証拠不十分で無罪になったからといって、その政治的、道義的責任を白だとは思っていない。彼の元秘書はすでに有罪判決を受けており、不動産屋と思われるほどに多くの土地を持ち、建設業界との癒着や政党助成金に関する疑惑など底知れぬ暗部が国民の不信をかっている。
　かてて加えて、彼はこの５月満70歳を迎えた。世論調査は約70％のものが彼の政治行動を評価していない。評論家の屋山太郎氏は、無罪を花道に引退せよ、とすすめている。もはや、彼は国政にプラスするどころか、政治を暗く汚す意味で国民に陰から「ノー」をつきつけられている、というべきである。
　言わば用なき政治家、薹のたった政治家、たそがれ期の政治家といっていい。
　彼に比べたら大阪市長の橋下氏は、40歳代の働き盛り、知恵盛りで、改革を叫び実践する行動派政治家としての本領は過去１期・大阪府知事時代の活躍があまりにも鮮明である。
　彼は就任以来、膨大な府の赤字を克服するため、行政改革を職員の給与、退職金減額のほか、自身の給与や退職金も率先して大幅にカットした。
　無駄な建物や施設の廃止や補助金の削減、さらには組合との激突をも避けず、教育改革や職員のモラル向上に厳しい姿勢でのぞんだ。
　君が代や国旗に関する遵法精神の条例化など、その鮮やかな切り口は、昨秋、大阪市長になっても変わることなく、今や彼の政治公約ともいうべき「船中八策」は明治維新前夜の坂本龍馬を思わせ、国民の関心と支持は高まるばかりである。
　国会を目指すための大阪維新塾には３０００名からの志願者があり、彼の政策である大阪都、道州制、憲法改正、教育改革、地方分権など国民の世論調査では60％もの支持を得ている。
　まさに昇り龍そのものであり、英雄待望の国民の心の星となっている。【押谷盛利】</description>
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         <category>時評</category>
         <pubDate>Mon, 07 May 2012 16:47:45 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>主権回復60周年記念日</title>
         <description>　世論調査による民主党・野田政権の支持率は20％台に落ち込み、危険水域に達しているが、上昇の気配が見られないからそのうち野垂れ死にするかもしれない。民主党内閣では内政ばかりでなく、対外政策や国防など国家の威信に関わるマイナス面も多く、国家・国民のためには一日も早く退陣するのが望ましく、それがいやなら衆院を解散して信を国民に問うべきであろう。
　いまのマスメディアは、一部を除き、日本の真の独立にふさわしい60年前のサンフランシスコ平和条約締結の記念日について鈍感であるが、これは民主党内閣の方針に追随しているのかもしれない。
　去る４月28日は、60年前の１９５２年（Ｓ25）に、連合国側と日本が平和条約を結び、ＧＨＱ（連合国総司令部）の占領下から解放された、言わば独立記念日にあたる。
　政府主催の記念行事は実施されていないが、自民党は党本部で、国民集会を開き、昨年８月に国会提出した「主権回復記念日」の祝日法改正案の国会議決を決議した。
　主権回復60周年に伴い、日本の外交的立場や国際正義観を内外にアピールするためにも首相談話を出すべきだったが、それもしなかった。多くマスメディアは、60周年の意義や、日本の今後のあり方などについて国民に訴えることもしなかった。
　自民党が昨年８月に提出した記念日による祝日法改正法案は民主党の反対で棚ざらしのままとなっているが、これはサンフランシスコ条約締結に、旧社会党が「全面講和」を主張して、反対したからで、今の民主党内には旧社会党の思想や伝統を引きずっている勢力の存在が明らかである。
　自民党本部の国民集会で「たちあがれ日本」の園田博之幹事長は「自民党は間もなく政権を奪還するはずだ。今度こそ自主憲法を制定できるように」と、エールをおくっている。主権回復記念日を設ける意義については、自民党きっての政策通、かつ論客の衆院議員（弁護士）の稲田朋美氏は「主権回復記念日を祝うということは、安倍晋三元首相が掲げた戦後レジームからの脱却を今一度わが党の旗にすることであり、その中核に据えるべきは東京裁判史観からの決別である」と説いている。稲田氏は、自民党が政権奪還した暁には首相として堂々と靖国神社に参拝し、村山談話や河野談話を撤回することを国民に約束し、東京裁判の不当性を教科書にも記載すべきである、と主張している。
　さて、５月３日は憲法記念日である。占領軍から押しつけられたアメリカ製憲法にいつまでもしばられていては、国際的に自立する日本にはほど遠い。国家の元首、国防、集団的自衛権などについて、改正する必要があり、という国民世論は高まりつつある。そうした角度から国民は祖国と祖国の将来を見据える見識と覚悟が求められる。【押谷盛利】</description>
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         <category>時評</category>
         <pubDate>Wed, 02 May 2012 18:40:45 +0900</pubDate>
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            <item>
         <title>北欧インテリアの魅力（見聞録）</title>
         <description>　手ごろな値段で北欧家具を購入できることから欧米や日本で人気を集めている家具専門店「ＩＫＥＡ（イケア）」。日本国内では神戸や大阪など７店舗を構え、先月11日にオープンした福岡では、開店初日は入店に２時間待ちというから、テーマパーク並みの混雑ぶりだった。
　そんなＩＫＥＡが今度はテレビ内蔵の家具を商品化した。テレビ裏のごちゃごちゃとした配線を家具と一体化することで隠し、ブルーレイとＤＶＤ、サラウンド機能も付く。この商品、６月から、ストックホルム、ミラノ、パリなどで販売され、今秋にはヨーロッパ全体で売り出される。日本での登場は来年以降になるそうだ。
　ソニーやパナソニックをはじめ、国内家電メーカーが薄型テレビ市場で大赤字を計上し、戦略転換を余儀なくされている今、テレビまでを家具の一部として商品化するアイデアに、ＩＫＥＡの勢いを感じる。最近ではアメリカで家具付きの一戸建ての販売を始めたことでも話題を集めた。
　ＩＫＥＡはスウェーデン発祥の企業だが、他にもフィンランドのブランド「マリメッコ」などが比較的手に入れやすい価格帯のインテリアや雑貨を揃えて世界で人気を集めている。北欧の家具やインテリアは、なぜこうも世界で愛されるのか。
　そこには地理的条件や生活スタイルにヒントがあるようだ。
　北欧と呼ばれる地域はノルウェー、スウェーデン、フィンランド、デンマークなどを指すが、高緯度のため、夏場は「白夜」と呼ばれるように深夜まで明るい。今の時期でも日の入りが午後９時をまわる地域もある。
　逆に冬は夜が長く、寒さも厳しい。そんな長く厳しい冬の期間は、どうしても家の中で過ごす時間が長くなる。このため、家具やインテリアなど室内を飾るものに対して技術が培われ、シンプルでありながらも、素材を生かし、温かみのあるデザインを生み出したそうだ。
　もうひとつは家具の材料となる木材。北欧の天然木は木が固く締まり、耐久性が抜群という。高緯度の地で育つ木は、日照時間の少なさから成長が遅く、木の幹の詰まるからだという。逆に温かい地域、例えば熱帯にあるような木々は成長が早い分、もろい。
　家の中で過ごしがちな生活スタイルと、厳冬に鍛えられた丈夫な木材が、北欧の家具、インテリア文化を生み出した訳だ。
　日本人にとって北欧はなじみの薄い場所で、足を運ぶ機会はなかなかないが、日本国内の家具店や雑貨店を見るにつけ、北欧から学ぶべきものは多いと感じる。</description>
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         <category>見聞録</category>
         <pubDate>Tue, 01 May 2012 18:19:10 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>高校再編成の小田原評定</title>
         <description>　県教育委員会が進めようとしている県立高校の再編計画について、長浜市議会は白紙撤回の意見書を議決、県議会は一年先延ばしを提案したが、さて、この話、24年度に終着駅へ着くのか。
　さきに長浜市議会の会派・プロジェクト21（北田康隆代表）が独自の再編案を決めたところ、他の会派から批判されたことがあったが、いたずらに反対論を展開して問題をこじらせたり、時の流れに目をくもらせるのは見識の市議会の姿とは思えない。
　長浜市は「長浜の未来を拓く教育検討委員会」というもっともらしい組織を立ち上げ、去る16日、第５回目の会議を開いたが、実りのある提言ができるのか、ぼくは疑問を持っている。
　県教委は１年延期をして今年度に再編計画を策定することにしているが、長浜の検討委員会は、住民の意見を吸い上げるための「地域審議会」の設置を提言することにした。外部からは、問題の先延ばし戦術が見え隠れする。会のなかには「再編」そのものに反対する強硬派がいるから時間をかけてもまとまらないのではないか。ぼくはふと「小田原評定」という言葉を思い出した。
　天正18年（１５９０）、豊臣秀吉が北条氏の本城、小田原城を包囲して、北条氏政、氏直を滅したが、この戦で、北条方が、和を結ぶか、抗戦するか、会議を開いたが、意見が続出して集約ができず全軍の惨めな敗戦に至った。
　この故事から、会議が長引き、容易に結論の出ないのを小田原評定というようになった。
　県教委が高校再編を持ち出したのは、湖南と湖北に代表される人口の増減と、これに伴う生徒数、さらには高校卒業後の進路などを勘案して、高校の適正学級数、教育内容の見直しなど、言わばこれまでの高校教育の歴史を踏まえ、新しい時代にふさわしい学校現場への改革を志したのであろう。
　さきにあげた「未来を拓く検討委」は「50年後を考えた人材教育」とか「優秀な子どもたちを地元で育て、郷土愛を育むべき」などと、だれもが文句のつけようのない標語のようなものを並べている。
　優秀な子は一流大学を出て、ほとんどが中央や大都市で活躍している。50年後どころか、10年後すら見えにくい不透明な現代である。いま、子を持つ親は、大部分が一流大学、一流職場へと願っており、そのために幼児教育に力を入れ、早くから学習塾に通わせる。
　高校には大学などを目標とする進学校と、卒業後すぐ就職を目的とする実業科高校に大別できるが、結果はともかく、大方は進学を望んでおり、実業科コースの生徒でも卒業後、進学するものもある。
　進学コースを選ぶ以上、何人も有名大学を志すが、そこには激烈な学力試験が立ちはだかっている。受験地獄がこれである。
　ぼくは、いま、４月15日付「サンデー毎日」を見て、複雑な思いにかられている。このなかに、全国２１９０高校、91大学の合格者数を掲載している。いずれも、この春の合格者である。東大に２０２名の合格者を出した開成（東京）は別格としても、各都道府県別高校に見る東大、京大の合格数は極めて関心が高く興味をそそられる。ひいきめに見てもわが滋賀県は影が薄い。なんとか、伝統校の強みを発揮しているのは膳所高のみで、彦根東や虎姫高の実績は過去の栄光から比べるとかなりな落差である。ましてや、長浜北は消えゆくばかりで、長浜高に至っては取り上げられてもいない。
　合格者の高校別数字は次回に示すが、東大でいえば、膳所８、彦根東１、守山１、他は０。京大の場合は膳所48、彦根東11、守山９、虎姫３、近江兄弟社１、光泉１、比叡山１。【押谷盛利】</description>
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         <category>時評</category>
         <pubDate>Fri, 27 Apr 2012 18:05:37 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>国論を２分する原発政策（見聞録）</title>
         <description>　５月５日は国民の祝日「こどもの日」だが、今年は大きな節目の日となりそうだ。というのも、同日深夜、北海道電力の泊原発３号機が定期検査のため運転を停止し、国内で44年ぶりに原発ゼロとなるからだ。
　今、注目されているのは大飯原発の再稼動問題。日本の原発政策の分水嶺となりうる問題に、全国紙の社説も再稼動推進と脱原発に分かれている。
　再稼動推進の論調は電力不足による経済への影響を危惧し、脱原発の論調は安全性の担保と、今夏を原発無稼動で乗り切った際の夢を語る。以下、各紙の社説を紹介する—。
　朝日は脱原発の旗色を鮮明にしている。４月24日の社説では同社の世論調査の結果、「再稼働に反対が近畿２府４県では５割を超えた。夏に電力不足で節電や計画停電になってもいい、という人が電力消費地の近畿で８割近くにのぼる」と紹介。そのうえで、政府の再稼動ありきの姿勢では再稼動は暗礁に乗り上げ、「失われた信頼を夏までに回復するのはむずかしいのが現実だ」と訴え、「原発なき夏」へ節電に備えることが「賢明な道」としている。
　読売は23日付けで「長年原子力政策を進めてきた自民党が、政府に全ての責任を押しつけ、他人事のような態度を取るのは理解しがたい。原発の再稼働に向け、政府を積極的に側面支援すべきではないか」と、大飯原発再稼動へ自民党の尻を叩いている。「太陽光や風力など、再生可能エネルギーの拡大を期待したいが、確かな展望があるわけではない」と述べ、谷垣総裁に「現実的なエネルギー政策の策定に指導力を発揮してもらいたい」と注文を付けた。
　民主党に対しては「無責任な『脱原発』路線と決別するのが筋」と訴えている。
　読売と論調を同じくするのが産経。25日付けで「昨年のような過酷な節電が繰り返されれば、産業界は立ち枯れの危機に直面する」と訴え、「原発の再稼働を含めて安定的な電力供給体制を早期に築くことを最優先すべきだ」と、原発の再稼働を呼びかけている。
　産経は20日付けでも、大飯原発再稼動に８項目の条件を出した大阪市の橋下市長に対し「国や関電に高いハードルを課す内容だ」と指摘し、「大阪市長として、まず果たさねばならないのは市民や市内にある企業、工場などに電力不足という不安を与えないよう努力することではないか」と批判している。
　産経の主張と正反対に、橋下市長の提言を「もっともなものだ」と賛同しているのは毎日。25日付けで「政府や自治体には原発のない夏に備えたリスク対策を求めたい」とし、「経済に与える影響は慎重に評価しなければいけないが（中略）この夏を乗り切ることができれば、脱原発社会の実現に向け、私たちは大きな自信を得ることになる」と締めくくった。
　読売、産経は原発推進、朝日、毎日は脱原発。日経には触れなかったが記すまでもなく推進である。国論を２分する原発再稼動問題、読者の皆さんはどう考える？</description>
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         <category>見聞録</category>
         <pubDate>Thu, 26 Apr 2012 17:54:00 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>政治塾と二番煎じの話</title>
         <description>　橋下大阪市長の政治力と発信力が超Ａ級のため中央はもちろん、地方に与える影響は地響きを感じさせるほど大きい。
　大阪維新の会の政治塾が３０００人近い人気で政界に衝撃を与えるや、遅れてならじと、これを見習う政治塾が発足した。後発組には悪いが、はっきり言って二番煎じである。一度煎じたものをもう一度煎じることをいい、お客さんを迎えて二番煎じのお茶を出せば失礼に当たる。二番煎じは、前にあったことの模倣で新味のないものとされている。
　大阪の向こうを張りたがるのが中京で、愛知県の大村知事と、名古屋市の河村市長もそれぞれ、この機を逸せずと自分流の政治塾を立ち上げた。滋賀県の嘉田知事も同様、嘉田塾を発足させた。
　大村塾も河村塾も、中央政界へ殴り込みをかける気概を見せているから、それは大阪維新と気脈を通じる改革の炎と受けとることができる。しかし、滋賀県の嘉田塾はそれほどの大志はない。女性知事にふさわしく、大津の越女性市長らと携えて、地方自治への積極的参加型の政治学校的様相が濃い。
　大阪維新の活躍があまりに脚光を浴びているので、なにか手を打たねば世間の風から疎まれてゆくのでは、というジェラシーやあせりが開塾を誘ったきらいがある。だから思いつきの公民教育のおさらいで、天下国家を憂う救国の政治家を育てる夢にはほど遠い。
　嘉田塾の根本的弱みは思想性がないことである。分かりやすく言えば、この政治塾のやろうとしている政治哲学がないことだ。それは現代と将来を見据えた確たるスタンスがないということである。
　大阪維新の場合、橋下市長のこれまでの発信や実績で知る通り、船中八策を示しており、それは、古いしがらみ、古い体質、体制を根本的に変えてゆくという発想であり、憲法、法治体制、教育、文化、税制、社会福祉に至るまで徹底しており、その言動が拍手で迎えられ、信頼されていることが全国レベルの世論調査で明らかである。
　脱原発一つ取り上げても、関西電力の大株主としての大阪市を念頭に株主総会での提言や理事の人事に原子力発電の権威者である維新の会の仲間の学者を送ることを高言している。
　大阪市の行政にとかく癒着してきた職員組合との絶縁を実行したり、各種団体への財政支援の見直しを実践するなど、府政で示した赤字財政の克服など他府県の思いもよらない大胆な政策をつぎつぎ断行した。区長の公募や教育委員会のあり方、学校教育の現場のあり方、学力テストに至るまで維新アイデアは精力的だ。
　これは改革なくして明るい未来はないとする信念からだが、その改革の当面の目標は大阪都の実現とその後に出てくる道州制である。これをやるには中央政局を左右する国会進出が不可欠であるという前提があり、その喫緊の大作業が維新塾の立ち上げだった。目的が明々白々であり、それゆえに各政党への衝撃的影響が超Ａ級となったのである。
　維新の橋下代表は東京の石原知事との盟約のもと次なる政局の要となっており、その一挙手一投足は最早や全国区であり、マスコミの報道は全国紙の１面、２面の政治面と最終頁の社会面。まさにこの国の総理級である。【押谷盛利】</description>
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         <category>時評</category>
         <pubDate>Wed, 25 Apr 2012 17:46:50 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>傍観者ではいられない（見聞録）</title>
         <description>　大飯原発再稼動をめぐり、経済産業省の牧野聖修副大臣が23日、滋賀県庁を訪れ、嘉田由紀子知事に再稼動への理解を求めた。これに対し、近畿１４５０万人の水がめ琵琶湖を守る嘉田知事は慎重姿勢を崩さなかった。
　これに先立って嘉田知事は17日、京都府知事とともに脱原発に向けた工程表の作成など、再稼動の条件となる提言を政府に突きつけている。
　提言は▽エネルギー供給対策や安全対策について、政治的見解ではなく、中立的な第三者機関による専門的な判断を▽福島原発事故のデータ、電力需給資料の完全な情報公開▽福島原発事故の原因追及と、大飯原発の再稼動の問題点の説明▽事故調査が終わらない段階で大飯原発を再稼働させる緊急性の証明▽脱原発の実現に向けた工程表の提示と使用済み核燃料の処理体制の確立▽オフサイトセンターやＳＰＥＥＤＩなどのシステム整備▽原発事故被害者救済—の７項目からなる。
　裏を返せば、原発事故から１年が経過しても、これだけの課題が残っているということ。
　ポイントは、脱原発の道筋の提示と、徹底した情報公開に尽きる。今の民主党政府が経済産業省や電力会社の影響力をかわし、これを達成できるのか。
　他方、23日に開かれた政府の需給検証委員会。今夏、全原発が稼動しないまま２０１０年並の猛暑となった場合、関西電力は７月に19・３％の電力不足に陥るとの見通しを示したが、委員からは「どんぶり勘定」「（節電や発電の）手段が数多くあるのに、きちんと検討されていない」などの批判が出て、再度、電力の需給を精査することになった。電力会社への不信感がきわまった感がある。
　政府は今、大飯原発を再稼動できなければ計画停電もありうると指摘している。しかし、関電は昨夏と昨冬の２回、電力不足に陥ると試算したが、いずれも停電を回避できた。国民の間では「原発がなくとも…」との期待がくすぶり、政府の指摘を「脅し」と見る向きもある。
　一方、企業からは「生産活動に影響が出る」と原発再稼動を望む声が強い。昨年は採算を度外視して節電や自家発電に協力した企業も少なくない。
　脱原発への試金石ともなる大飯原発の再稼動問題。急速な脱原発が国民生活と経済にどのような影響を与えるのか。今、日本は重い選択を迫られているが、企業も国民もこの問題に傍観者ではいられない。</description>
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         <category>見聞録</category>
         <pubDate>Tue, 24 Apr 2012 16:47:24 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>登校の列に車突っ込む</title>
         <description>　北海道の私設動物園で、従業員の女性２人がヒグマに殺された、という珍しい事件があったが、その前には、ペットの蛇に噛まれて飼い主が殺されたというニュースがあった。この蛇は５㍍という大蛇だったらしいが、動物園では、動物による事故は忘れたころに起きている。
　４月に入ってからの暗いニュースは、なぜか型破りの悲劇が多い。なかでも花の京都で起きた暴走事件は、死者７人、負傷者12人というケタ外れの大事故だった。この事件は、運転手が死んでいるから、原因の追究は困難であるが、本人がかねてから「てんかん病」だったというから事件当日、急に病状が出たのではないか、と推測されている。
　人が殺されたり、突然の災害で急死する場合、これを横死というが、昔の人はそういうことが念頭にあるので「死なば畳の上」と、畳の上での病死、それも長寿して、家族の介護のもと安らかに息を引き取ることを願った。
　横死は不慮の死というよりも非業の死の意味が強いから、あまりいい言葉ではない。だが、蛇に殺されたり、熊に殺されたり、というのは非業の死というよりはほかない。
　非業とは、仏教語で、前世の業因によらないこと、前世の善因を受けないことの意味だが、一般には運に恵まれないみじめな死を非業の死という。
　たまたま、京都での暴走事故は、交通安全月間中だったので、あらためて病人の運転や運転免許のあり方などが問われる。
　てんかん病の人が運転免許を持ち、運転していると知れば、いつどこで何が起こるや、その事故が通行人や他の車にどんな危険を及ぼすかを考えれば鳥肌立つ思いである。免許取得の際、本人が隠していれば分からぬことになるが、診察し、治療している医師は、こんな場合、行政や社会にどんな責任を持つのか、あらためて、事故皆無のための反省点から法の整備その他を進める必要があるのではないか。これに似た病気では、心臓発作などの急患発生であるが、ショックが大きく異状であれば運転中に即死することもあり得るわけで。こうした病状の人や現に通院している人は、自分の生命を大切にすることは勿論だが、もしものとき、社会や他人に与える影響を考えて、自重することが望まれるし、医療関係者の指導も徹底すべきであろう。
　神経質に考えると、走る凶器の真ん中を生きている現代人は、物騒で夜もおちおち、昼もおちおち安らかに生きていられない。
　一番新しいニュースでは、23日朝、京都の亀岡市内で登校の列に車が突っ込み、子ども３人が意識不明の重体、７人が重軽傷。突っ込んだのは無免許の少年だった。
　さらに前日の22日の未明に起きた山口県の三井化学工場でのプラント爆発では、火災が発生し、15時間後の午後５時過ぎ鎮火した。この事故で社員１人が死亡し、11人が重軽傷を負ったほか周辺民家で４００軒が窓ガラスの破損、11人がケガをしている。
　三井に限らず、化学工場は危険な化学物資を取り扱っており、安全操業には十二分の管理体制が敷かれているはずだが、長期操業における金属疲労や、人間の点検ミスの偶発も皆無ではないから安全の確認はしすぎることはない。
　この日は、東京でバスの運転手が乗客とのトラブルで胸を刺されてケガをしている。京都では住宅団地の４階でレンジの爆発で一室が全焼し、住人の男性が手足や顔にやけどを負って病院に運ばれている。誰もが、災害に遭うと前もって知っているわけではないし、10人が10人「私は大丈夫」と安心している。安心しているからこそ生活できるのであって、毎日が心配の連続なら、ストレスがたまって寝込んでしまうかもしれない。
　かえすがえすも、身を振り返り家事に車の運転に、事故を起こさぬよう巻き込まれぬよう細心の注意を払うこと。【押谷盛利】</description>
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         <category>時評</category>
         <pubDate>Mon, 23 Apr 2012 16:35:33 +0900</pubDate>
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