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      <title>滋賀　長浜　新聞　滋賀夕刊</title>
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      <description>滋賀夕刊新聞社は、滋賀県長浜市を中心に滋賀県北部「湖北地域」のあらゆる出来事をお届けします。</description>
      <language>ja</language>
      <copyright>Copyright 2008</copyright>
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         <title>幼児と高齢者への虐待</title>
         <description>　仏教で末法の世を末世（まっせ）という。
　釈迦入滅後の仏法の衰えた世。転じて道義のすたれた世の中をいう。
　道義のすたれた人心の荒廃した世の中といえば地獄を思う。
　地獄は死後の苦界と思われがちだが、昔から「地獄極楽この世にあり」といわれるように生きているこの世で地獄の苦しみに泣く人が多い。
　仏教では、この世で悪いことをしたものが死後、エンマ大王の裁きによって鬼に刑罰を加えられ、八熱地獄、九寒地獄などの苦しみを受けるところと解釈されている。
　キリスト教では、神の教えに背いたもの、罪を犯して悔い改めない魂が陥って永遠の苦を受け、救われないという世界。
　イスラム教では、不信仰者や不正を行ったものが永劫の罪を受けるところ（大辞泉）。
◇わざわざ地獄を持ち出して、今の世の末世を憂うのは、われながら身の周辺の鬼畜にまさる犯罪や悲劇に怖気（おじけ）立っているからである。
　蟻（あり）１匹、虫けら一つでも殺せないのが人間である。仕事がら、生きものの命を絶たねばならぬ人は、念仏を称えながら、あるいはその霊を供養するほどである。
　毎日、至るところで起きている殺人事件。「人間よ、そなたは、ほんとに人間なのか」と疑いを持たねばならぬほど、鬼畜生まがいの悲惨な犯罪が続発している。
　その犯罪の中でも信じられぬのが「子殺し」「親殺し」である。
◇先日、長浜駅で「子どもの虐待はやめましょう」とのチラシを配っていたボランティアの団体があった。
　まるで「交通違反はやめましょう」と訴える安全週間の行事のようで、「なんと落ちるところまで落ちたもんだ」と情けない思いをしたことである。
　親は、わが子のためには、身を犠牲にしてもその生命を守るものである。食べたいものでもまず、一番に子のことを思う。「寝ていてもうちわの動く親心」、これが親さまである。遠く離れていても「今ごろはどうしているだろうか」と心配するのが親の慈悲心である。
　ああ、それなのに、虐待防止のキャンペーンをしなければ、とはまさに末世である。その虐待の頂点が「子殺し」である。
◇そうかと思うと、逆に「親殺し」のニュースも珍しくない。苦労して愛一筋に育てた子に殺される親の不運は思うだに身のけがよだつではないか。
　このところ、日本の社会問題の特徴は、高齢化と老後の健康であり、介護問題を含めて高齢者の人権や幸せへの関心が高まっている。
　年々の老人福祉月間を笑うがごとく、家庭内での高齢者虐待が増えている。
　６日、発表の厚生労働省の調査によると、２００７年度の高齢者への虐待件数は家庭内で１万３２７３件（前年度比６％増）。介護施設内で62件（同15％増）。いずれの場合も被害者の８割が女性だった。家庭内虐待は４割が息子によるものだった。
　家庭内の被害者は77％が女性で、その40％が80歳代であった。認知症が４割あり、加害者は息子（41％）、夫（16％）、娘（15％）の順。
　虐待は暴力など身体的なもの（64％）、暴言など心理的なもの（38％）、介護放棄（28％）財産を奪うなど経済的虐待（26％）。
　施設内での虐待は加害者の84％が介護職員であった。
　虐待による死亡は27件、うち13件が介護者による殺人、７件が介護放棄による死亡。４件が心中だった。
◇弱きものは乳幼児、高齢病床者。いずれにしても物の溢れ、快適環境を追う現代社会が、はらからである弱者を虐待したり、殺したりする、この末世をどう救ったらよいのであろうか。【押谷盛利】</description>
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         <category>時評</category>
         <pubDate>Thu, 09 Oct 2008 14:56:09 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>大物歌手５人と暴力団</title>
         <description>　10月９日付「週刊新潮」に極めつけの特大見出しで、大物「暴力団組長」の誕生日コンペとパーティーに「細川たかし」「小林旭」「角川博」「松原のぶえ」のショッキングな記事が出ていた。
　その解説記事は次の通り。
　「芸能界と暴力団。両者は今でも地下茎で密接に結びついている。それを如実に物語るイベントだった。さる大物・暴力団組長の誕生日を祝う盛大なゴルフコンペ＆パーティー。参加したのは細川たかし、小林旭など錚々たる大物芸能人」。
◇この記事によると、ゴルフコンペは９月16日、富士山の絶景を真正面に望む静岡県のゴルフ場で行われた。
　主役は山口組系暴力団Ａ組長。その誕生日を祝うイベントで、彼は裏社会ではその名の轟く大物組長。
　「豊富な資金力を背景にのし上がってきた経済ヤクザで、武闘派として恐れられており、多方面で隠然たる力を持っている。この日のコンペには、Ａ組の若頭など幹部組員だけでなく、他の暴力団のトップや幹部も大勢参加した」と暴力団関係者の談話も載せている。
　コンペには、細川たかし、小林旭、角川博、松原のぶえ、中条きよしらのほか、元グラビアアイドルの須之内美帆子やセクシータレントの益子梨恵らも揃っていた。
◇ゴルフのあとパーティーがあり、会費はコンペ代を含めて５万円。
　15日の夜は前夜祭があり、Ａ組長の小・中同級会に小林、角川、松原の３人が出て歌を披露した。
　翌16日の歌謡ショーは、角川博と松原のぶえが司会役、新人歌手の一曲のあと、角川、松原が数曲、その後、細川たかしが「北酒場」「兄弟仁義」ほか２曲を熱唱。小林旭が大トリで、３、４曲のあと「熱き心に」を披露した。
　これだけの豪華メンバーを一堂に会させる大胆極まりない大暴力団パーティーを世間はどう見るのか。さきに施行された暴力団対策法なんか遠くかすんでしまっているではないか。
　編集子は警察関係者の厳しい批判を次のように掲載している。
　「こうしたパーティーを暴力団が催すのは資金集めの意味もあり、一種の興業。会費のほかに組長の誕生日祝い金を包む者もいる。だから参加する芸能人は客寄せパンダ。暴力団の資金集めの看板として利用されているのと一緒です」。
◇ところで、この週刊新潮記事は早速、年末のＮＨＫ紅白歌合戦の出場取り消しに発展する可能性が不可避となった。８日付、朝日は「組長とゴルフ」報道、５歌手出演見合わせ、の２段記事で、ＮＨＫが細川、小林、松原、角川、中条の５歌手について、番組への出演を見合わせる方針を決めていたことを明らかにした。
　当然、紅白歌合戦の出場は難しく、ＮＨＫは、細川出演の11月23日放送分の「のど自慢」と、細川、小林、角川出演の12月13日放送分の「ＢＳ日本のうた」は代役を立てる。５人の出演する番組は、再放送や既に収録済みの場合も放送をとりやめる。
◇ぼくは、週刊新潮の記事を高く評価し、言論人の一人として敬意を払うが、同時にＮＨＫの過敏な反応に拍手したい。問題は、見合わせの期間だが、朝日の記事では短くとも数カ月と見られるとあるが、それでは余りにも寛大すぎるのではないか。最低１カ年くらいは謹慎させるべきであろう。
　去る昭和61年、歌謡曲の大御所・北島三郎が暴力団の新年会に出席したことが発覚し、ＮＨＫの紅白歌合戦を辞退したことがあるが、国をあげて麻薬追放や暴力事犯一掃に懸命の今日、芸能界の大物歌手が裏社会と関係し、その組織の拡大発展に協力することは許されざることである。
　ＮＨＫだけでなく、民放各局も断固として出演禁止に踏み切るべきであろう。【押谷盛利】</description>
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         <category>時評</category>
         <pubDate>Wed, 08 Oct 2008 16:24:35 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>車より旅行の時代（見聞録）</title>
         <description>　振袖に身を包んだ華やかな女性による長浜の大園遊会は、秋の湖北の風物詩としてすっかり定着し、今年も今月18日に開かれる。成人式でしか、振袖を着る機会がなかった若い女性は、年に１度の和服のオシャレを心待ちしているのではなかろうか。今年の参加者は県内を中心に東は栃木、西は兵庫まで１１００人以上の申し込みがあった。
　市街地の散策で、新しいお店を発見したり、旧友と再会するのも楽しいだろう。豪華景品の当たる大抽選会も魅力の一つ。会場では当選者が発表されるたびに、歓声とため息が混じり合う。
　景品は地元の65の企業、団体が、浜縮緬など和装関係をはじめ、海外旅行やホテル宿泊券など計１６０点を提供。今年は50万円分の旅行券が２人に当たることから、参加女性の目の色も変わりそう。
◇それにしても、これだけの景品を提供する長浜の企業のキップの良さに感心する。それは、夏の花火大会にも通じる。
　以前、彦根で記者をしていた頃、彦根の花火大会で企業の協賛金や市民の寄付が思うように集まらず困っているとの話を聞いた。
　長浜と彦根の花火大会は、県から交互に補助金（今年は９００万円）をもらっている。補助金のある年は盛大に打ち上げられるが、無い年は市が補助金を上乗せしたり、企業、市民の協賛金に頼ることになる。
　県の補助金が出なくても、長浜の場合は、企業や市民の協賛金で事業費の３分の２をカバーし、１万発の打ち上げを維持している。
　一方、彦根は今夏の花火大会で、従来の１万発から５０００発へと規模を半減させてしまった。協賛金が思うように集まらなかったためだ。
◇さて、園遊会の目玉賞品の自動車が、今年から無くなり、旅行券に切り替わったのは６日付けの滋賀夕刊で報じたとおりだが、せっかく善意で提供している協賛団体も、すぐに転売されてしまうのでは、後味が悪る過ぎるし、すでに車を持っていたり、駐車場が無かったり、では、当選した女性も、嬉しさ半分。
　旅行券に切り替えたのは、良策であろうが、自動車よりも旅行を喜ぶというのは、いかにもモノに満たされた現代っ子らしい。</description>
         <link>http://www.shigayukan.com/2008/10/post_427.html</link>
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         <category>時評</category>
         <pubDate>Tue, 07 Oct 2008 15:58:42 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>山から見た家と汁団子</title>
         <description>　過ぎたひと昔前を振り返ると、子供の心には天使が宿っている、と、つくづく思う。
　大人のような、うらみつらみ、偽善偽装、威張り、遠慮、かけひき、損得計算など全くない世界を生きていたように思う。論語に「思無邪（思いよこしま無し）」というぼくの好きな言葉があるが、子供はまこと、邪心無しである。
　子供のころ、知り合いのお婆さんが、大人たちの会話の中で、「子供は罪がない」と、しばしば言っていたが、それが「思無邪」の論語の心だろうと、このごろ考えるようになった。
◇金持ちと貧乏人の違いが際立って、それを格差社会、と、このごろ言うようだが、昔は格差がなかったか。冗談じゃない。昔の格差は今のような生ぬるいものではない。しかし、昔の人は、格差けしからぬ、などと言わなかった。貧乏は家が背負っているものであり、今の代の責任ではない。口惜しかったら反発して、金を儲ければよいではないか、と諦めの反面、それを反面教師にお金持ちの仲間になろうと歯を食いしばった。
　人の２倍、３倍働いて、着るものも食べるものも始末して、一途に金を貯め、田を１枚、２枚増やすものもあれば、農繁期を終えれば都会へ出て12時間もそれ以上も働いて仕送りする若者もいた。
◇同級生や先輩には金持ちの子も貧乏人の子もいたが、だれ一人、金持ち顔、貧乏顔をするものはなかった。けんかすれば腕力の強い者が弱いものを泣かすことはあったが、今のように教室で暴れるものや、ワル仲間が集団で先生を困らせるようなこともなかった。
　成績では優れたもの、そうでないもの、わざわざ通信簿で比べなくとも、だれがよく出来るのか、自分はクラスのどのくらいなのか、得意、不得意は、など、みんな自覚していた。
◇ぼくの家の前が小高い堂山だった。何人かの友達とその山へ遊びにゆくのが日課のような春の日のこと、ぼくらは山の頂上から、山の麓の自分の村を一望して、どこがぼくの家、かしこが甲の家、その３軒南が乙の家、といった調子に２００軒近い家々を眺めながら、家の大きさや棟数の多い少ないで、金持ちの品定めをした記憶が鮮明である。
　信用金庫（組合）のＡさんの家は大きくて、蔵があり、他に書院や作業小屋があり、屋敷に花園もある。村会議員のＢさんの家は瓦葺き２階の本屋と蔵のほか、納屋、隠居がある。
　ぼくの家は萱葺きの平屋以外は何の建物もない。甲の家は萱葺きだが、ぼくの家より小さい。Ｃの家も萱葺きだが、蔵があるなどと話しながら、家々の様子を眺めるのが何ともいえぬ楽しみで、早く卒業して社会人になったら、大きな家を建てなアカン。それには、しっかり勉強して、都会へ出て、お金儲けせにゃいかん、と自分の心に言い聞かせるのだ。
◇ある、冬の日、友達の家で、家族が、うまそうに汁団子を食う様子に出くわした。友達の家では、しょっちゅう汁団子をするらしく、ぼくはそれを見て、母に「ぼくんとこも汁団子して」とねだったことである。
　何日か経って、母の手料理の汁団子を食ったときの印象は今も笑いが止まらない。それは決してうまいといったたぐいのものではない。要するに、米飯の代用食で、汁の中へ小麦粉（メリケン粉）のこねたのを団子状に入れて、里芋や大根などをあしらっての雑煮のようなものだった。米の飯、麦の飯が高いので、メリケン粉に格下げして食ったにすぎず、言わば貧しさの象徴食である。友の家は収入の割に子供が多かったので、米飯が贅沢だったに違いない。汁団子のことは以来、だれにも話さず、ぼくの家ではそれきりで、ぼくも２度とそれを食べたいと思うことはなかった。【押谷盛利】</description>
         <link>http://www.shigayukan.com/2008/10/post_426.html</link>
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         <category>時評</category>
         <pubDate>Mon, 06 Oct 2008 15:51:23 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>少年の記憶は今も虹色</title>
         <description>　ぼくが小学校へ通ったころは昭和の一けた時代だが、いま思い出すと夢のようでもあり、虹色に輝いていたようでもあった。
　子供のころの思い出を「灰色」だったという人があればその人はきっと不幸だったのかもしれない。
　ぼくは虹色だったと回想する子供のころについて、小学生の同級生たちと語ることがあるが、同級生たちもぼくと同様、楽しい思い出は共有していても灰色のような感じはだれも持っていなかった。
◇いま振り返ると昭和一けた時代の日本は国際的にどんな水準にあったのか。ぼくらが育った東浅井郡の山間部の山家（やまが）の暮らしはどんなんだったか。歴史的に、客観的に見れば、文化的に開けていない、貧しい暮らしが庶民一般だった。
　お金持ちの家でも、生活に困ることのない人たちでも、いまのように贅沢することはなかった。爪に火を灯して暮らす、というきりつめた生活だった。
　ぼくの家は、金持ちではないが、借金で首が回らぬとか、小学校６年卒で就職せねばならぬほどの貧乏でもなかった。
　まあ、中くらいか中より少し下の暮らしだったのではないか。そのころは、今、よく言われるような格差はあったのか、なかったのか。
　農家は自作農（自分の所有する田畑を経営する農家）よりも小作農（地主から土地を借りて耕作する農家）の方が多かった。地主は年貢（地代）が入るので直接農業をしなくとも生活に不自由はしなかった。格差がないといえばウソになる。地主や金持ちは特に大きな顔をするわけではないが、中間層や貧しい人は何かにつけて立てる。立てるとは意味深長だが、尊敬する気分も少しはあるが、遠慮気味で交際する。村の役は、頭さえあれば貧しくとも出来るはずだが、金持ちがきり回す。役は無報酬で、今日でいう本当のボランティアであるから、貧しい者に役が回ったら生活が破綻する。
　だから、「区長さん」と敬称して、道で出会ってもこちらから声をかけて挨拶する。
◇けれど、いま、新聞などで目にする格差社会といった感じはだれも持っていないし、みんな平等、同権で、山の入会権にも差別はない。
　もちろん、子供の世界には貧乏、金持ちはない。ぼくが１年生に入ったとき、男組と女組に分かれ、洋服を着ていたのは男も女も組に２人か３人だった。あとはみんな着物だった。
　遠足は春の楽しみだが、持参した弁当は大方は「きつねずし」だった。巻き寿司はクラスに２人くらいはあったかもしれぬが、巻き寿司そのものを食ったことがないから、あっちが上でこっちが下、などと思ったことは一度もない。なかには握り飯の中に梅干の子がいたかもしれぬが、別に何とも感じなかった。
　そのころは水筒がなかったから、川か池のきれいな水を飲んだのかもしれないが、記憶にない。
　あるのは珍しいところへ来て、桜の花を眺めたり、友だち同士が騒いだり、遊んだりの楽しかった思い出だけだった。
◇５年生の春、村の駐在所に「井上」という巡査が転任してきた。
　たまたま、その次男の登がぼくらと同級生だったので、ぼくら数人は彼の家へ遊びに出かけ、ものの２日も経たぬうちに仲よしになり、クラスでもたちまちみんなに溶けこんでしまった。
　そのころのぼくらの感覚の中には貧乏、金持ちといった格差的なものは何一つなかった。
　祭りや盆踊り、野芝居、おこない、放生会（ほうじょうえ）、ねはんなどの行事のほか川開き（鮎解禁）や魚釣り、川遊び、山菜採り、ベース（野球）、ケンパなどで遊び呆けていた。【押谷盛利】</description>
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         <category>時評</category>
         <pubDate>Sat, 04 Oct 2008 17:32:25 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>農村の原風景を訪ね（見聞録）</title>
         <description>　先週末、草津、有馬と並ぶ日本三大薬湯のひとつ、松之山温泉を訪ねた。
　長浜市平方町のペン画家・小野信吾さん（82）夫妻と、小野さんの友人の写真愛好家というメンバーに、運転手役として参加。
　新潟県の山中にある松之山温泉までは、北陸自動車道を利用して５時間ほどの距離。
　我々が訪れたのは温泉街から少し離れた高台に立つ明治39年創業の宿。建物はレトロな雰囲気が味わい深く、庶民的な気安さがある。創業当初から守り続けてきた木造の浴室が自慢で、洗い場も板張り。四角い木の浴槽が２つ並んでいる。
　松之山温泉は古くから湯治に利用されており、１２００万年前の海水が地中に閉じ込められたという源泉は塩分を帯び、とてもしょっぱい。
◇新潟の山奥ということもあり、非常に肌寒く、宿では我々の到着に合わせてストーブを出してくれていた。女将によると、この地域は豪雪地帯で、冬場の積雪は４㍍前後に、水墨画のような白と黒の世界になるという。積雪が６㍍を超えた年もあり、これほどの豪雪地に人が暮らすのは全国でも珍しいとか。
　高台にあるということで、早朝、遠くに雲海が広がっているのが見えた。
◇今回の旅行の目的は、温泉ではなく、茅葺き集落が田んぼを囲むように立ち並ぶ「環状集落」を訪れること。
　小野さんは全国の茅葺き集落や古い町並みのスケッチをライフワークとしており、この旅行では、新潟県柏崎市から少し東へ入った高柳町の「荻の島かやぶきの里」という集落を目指した。
　ここは、農林水産省などが主催する「美しい日本のむら景観コンテスト」で大臣賞を受賞したこともある集落で、20戸余りの茅葺きの家が大切な田んぼを守るかのように、たたずんでいる。
　昭和初期には１００戸ほどだったが、今は過疎化で40戸ほどに減っている。それでも、半分が茅葺き屋根を守り続けている。
　収穫を控えた稲穂と畦（あぜ）に咲くコスモスが風に揺られ、日本の農村の原風景を彷彿させる。ただ、牧歌的な雰囲気を楽しめるのも、あと少し。ここも、あの宿一帯もすぐに雪に埋もれてしまうことだろう。
◇それにしても、小野さんのバイタリティには驚かされる。旅行の日程を決めてから１週間も経たないうちに、目的地と宿を探し、道程をチェック。インターネット、カーナビを駆使して、何から何まで手配した。小欄は小野さんの指示通りにハンドルを握るだけだった。いくつになっても探究心を持ち続けるその姿が、今回の旅で、最も印象に残った。</description>
         <link>http://www.shigayukan.com/2008/10/post_424.html</link>
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         <category>時評</category>
         <pubDate>Fri, 03 Oct 2008 14:42:18 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>被害がなければ安全か</title>
         <description>　このごろ、腑（ふ）に落ちないことが多いので、読者からも痛烈な政治批判や役所批判の声が寄せられています。
　ぼくは腹が立つと、すぐまくし立てる性格なのですが、これは私憤ではなく公憤です。インチキ商品のまかり通る世の中は、大量生産、大量消費をいいことにいわゆる商業道徳がかすんでしまったからですが、インチキにもよりけりで、いやしくも人命や健康に関する限り、毅然とした行政指導や監督が望まれる。
　ところが最近問題になっている汚染された工業用コメや、中国からの輸入牛乳加工品、さきの毒ギョーザ事件、インチキウナギなどに対する政府当局の対処は、国民の健康を思っているのか、業者の健康を思っているのか、まことに歯がゆいばかりである。
　例えば、牛乳は水を割って、その薄めた部分を有害な化学物質を添加することによって偽装しているわけだが、これを原料に粉ミルクにして中国では死者まで出る騒ぎである。
　この原料牛乳を使って中国の工場で加工した乳製品が菓子の原料として日本に持ち込まれたり、なかには製品化して日本に入っているケースもある。
　マレーシア、シンガポール、その他国民保健に鋭敏な国は、すぐさま輸入禁止の処置をしているが、日本はマスコミが騒ぐだけで、なんら積極的な安全策をとらない。
◇毒ギョーザでも同様で、当初から中国の工場もしくは中国内の流通過程で混入されたにも拘わらず、日本の外務省は日中双方で調査をするという。先方主導の無責任流に乗ってしまった。
　そのあげく、中国では、毒ギョーザで、あちこち被害が出ているが、それにも拘わらず、この問題の究明に極めて消極的である。
◇今度の工業用加工米は、汚染されていたり、カビが生えていたりして、食品には全く不向きであるのに全国的規模で大量に出回った。
　ただに近い超安値で農水産省から買い入れた業者が「安くて、儲かる」ことを吹聴して、あちこち酒造業界、菓子業界等に売りつけていたものだが、買った業者は「知らずに買った」と被害者顔をしているが、「安さ」の魅力で買ったのではないか。加工すればわからない、と安易に思いついたのではないか。そういう疑問が国民には残る。
　もう一つ合点の出来ぬことがある。役所はいつの場合も「被害は出ていない」と御の字のようにいう。被害が出ていないから「安全」だというのか。
　人を傷つけるため、ごく微量の毒性化学薬品を使う不届者がいないとは限らない。しかし、被害が出ないからといって、その不届者が許されるはずがない。
　被害が出る、出ないの問題ではない。毒性物質を含む商品を売りつけること自体が許されぬ行為であある。今回の毒性コメについていえば政府から買い入れて、流通させた業者は食品法違反で即刻逮捕して徹底的に流通ルートや売買価格、加工商品の販路などを調べ、国民のためにその情報を詳しく知らせるべきである。
　ぼくの知人も名の上がった問題の焼酎を持っているが、どう処理しようかと相談を受けた。製造元へ連絡して引き取ってもらったら、とぼくはアドバイスしたが、「変なものが混じっている」「食用に使ってはダメなコメが原料になっている」と分かればだれだって、そんな焼酎を飲みはしない。
　それなのに、政府の行政指導は甘くて甘くて、蜂蜜のようだ。98回検査しようと２００回検査しようと、「検査に行くから」と前もって知らせておいて、黒の結果が出るはずがない。明らかに業者と役所が癒着しているとしか思えない。これらは氷山の一角である。ことほど左様に役所は信用が置けぬ、と同時に国民代表の政治家もどっちを向いているの？と問わねばならぬ。
　役所も政治家も国民の方に目を向けるようにしなければならぬ。それが改革である。【押谷盛利】</description>
         <link>http://www.shigayukan.com/2008/10/post_419.html</link>
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         <category>時評</category>
         <pubDate>Thu, 02 Oct 2008 15:38:30 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>大臣を棒に振った発言</title>
         <description>　中山成彬国土交通相が自らの問題発言で28日辞任した。
　日本の古き、よき伝統を誇りとする国粋型政治家のようだが、東大出の大蔵省出身だから頭脳は明晰であり、政策にも明るく、出身派バツの町村派の事務総長として押しと力があった。
　問題発言のうち、「ごね得」と「日本は単一民族」については取り消して陳謝したが、日教組批判については自説を取り消すどころかさらに一歩進めて、堂々と日教組退治を宣言した。
　言葉は意志や思想を伝える便利な手段であるが、人によりけりで能弁なものもあれば寡黙な人もある。
　古来「芸は身を助ける」というが、「口は身を助ける」とは言わない。それどころか、「口はわざわいのもと」という。
　「沈黙は金、雄弁は銀」の西洋の諺にもあるとおり、口上手、能弁は失敗や落とし穴に落ちる心配があるようだ。
◇口は千里を走るというが、これは人の噂の伝わる速さのすごさを分かり易く解説したもので、今も昔も口コミの威力はすさまじい。いい方向、プラスの面での広がりはありがたいが、逆の場合は取引を壊したり、政治や企業の命に関わるケースもある。
　だから「口封じ」だの、口止めなどの嫌な言葉や、それを逆手に暴（あば）きの恐喝犯罪も生じる。
◇政治家は口で訴えるのが身上だから口下手や口の重いのは不利であるが、頭がよくて口が滑りすぎて、結果「悪し」の場合もあるから難しい。
　大臣を追われた中山氏の場合も「なかなかいいことを言うじゃないか。言えんことを言うじゃないか」と評価する人もある。しかし、マスコミが一斉に集中砲火を浴びせたように引責辞任の結果を招いたのは発言の立場による。彼が一介の政治家として話すのは言論の自由で、もしそれで被害を受けたとか名誉を傷つけられたとしたら、被害者が訴えて白黒をつければよい話で、政治家の場合、一番手っ取り早い白黒は選挙の審判である。
　かつて、リクルート事件で追及された政治家が選挙で当選してきたら「みそぎをすませた」として以前同様に大きな顔で赤いジュウタンを闊歩した。
◇「日本は単一民族」と言って、お目玉を食らったわけだが、多くの日本人は彼だけでなく、今なお単一民族と思っている。
　沖縄の人は列島の日本人を「ヤマトンチュウ」といって、沖縄人と違うようにいうが、単一民族の発言で怒ることをしない。怒るのは江戸期以来のいじめや搾取、人権侵害に泣いた歴史を持つアイヌ民族である。アイヌ文化を守る国会決議がその反省を証明している。
　中山氏がそんなことを知らないはずがない。しかし彼はアイヌを含めて、民族というよりは「日本人」を意識しての単一民族の発言をしたのであろう。
◇「ごね得」も世間にはよくある話で、徹底的に反対して、それでおさまるならば、始めに協力したものはバカを見るではないか。
　また成田空港だけでなく、土地買収に長い年月をかければ、年月の経過で、土地価格が変動する場合、どう対処するのか。
　そういう問題をはらみつつ、公共事業の土地買収は常に難航するがごね得がまかり通る政治に国民の信はない。
　成田空港の場合、反対派は１坪地主闘争を展開したが、あれは反対陣営の戦術だった。ものごとをぶち壊す一つの合法的戦術であるとしても、あれが許されれば新幹線も高速道路も建設は不可能である。
◇日教組批判は中山氏の専売特許ではない。日教組の行きすぎは早くから国民のひんしゅくを買っていたことでもあり、中山発言を勇気あるものとして称賛する人がたくさんある。
　それでも大臣が首になるのは、発言者が大臣であり、日本の国政に直接つながるからである。ただの政治家の発言で国会議員を辞めさせることはできない。その発言を追及して辞めさせるかどうかは一にかかって次の選挙にかかっている。
　近く解散の選挙で、もし中山氏が当選すれば、選挙民は彼の発言を許し、少なくともペケとは断じないことになる。肩書きの重さで大臣を辞めたが、議員を辞めたわけではない。日教組の功罪については後世の史家が語るであろうが、後世を待つまでもなく、日本人としてその間違いや行きすぎは十分指摘しておく必要がある。それについては他日論じたい。【押谷盛利】</description>
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         <category>時評</category>
         <pubDate>Wed, 01 Oct 2008 15:32:34 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>断酒に励む人々（見聞録）</title>
         <description>　先週末の28日、大津市の県立体育館でアルコール依存症の患者や家族で組織する「全日本断酒連盟」の全国大会があった。全国から３７００人余りが参加し、難病に苦しむ「酒害者」の多さを物語っていた。
　改めてアルコール依存症について考えてみたい。
◇同連盟では、国内にアルコール依存症の患者が82万人いると推定している。しかし、加盟している会員はたった１万人で、その他の多くが依存症であることさえ気付かず、酒を煽り続けている。
　ビールや日本酒、ワイン、焼酎などアルコール飲料を日常的に過剰摂取したあげく、依存症に陥るが、そのきっかけは様々。
　毎日の晩酌の量が徐々に増えた結果だったり、家族の死や別離の悲しみから、仕事の失敗を忘れるため、過去の辛い体験を紛らわせるため、様々な理由で過度の飲酒に走り、いつしか依存症に。
　以前は「アル中」と卑下され、本人の意思が弱いとされてきたが、最近は精神疾患の一つと認知されている。
◇依存症に陥れば、飲酒をコントロールできなくなり、「今日は飲まないでおこう」「ビール１杯だけで」と思っても、気付けば酩酊するほど飲酒してしまう。
　その結果、内臓や精神に障害をもたらすだけでなく、性格が攻撃的、自己中心的になり、家族へ迷惑をかけたり、事件や事故を引き起こし、社会的信頼も失う。また、トラブルを後悔しても、それを忘れるため再び飲酒を続ける。 
　そして、最もやっかいなのが、例え治療により10年、20年と「断酒」を成功させても、たった一口飲んだだけで、たちまち、コントロールを失い、以前の酒乱に戻ってしまうこと。
　依存症から決別するには一生、酒を飲まない生活を余儀なくされ、家族や仲間の献身的な支えが不可欠となる。
◇断酒連盟は、そういった「酒害」に苦しむ患者やその家族で組織する自助グループで、ほぼ毎日開く例会で悲惨な体験談や克服への歩みなどを話し、それを聞くことによって、過去を反省し、「明日も断酒に励もう」と誓い合う。
　以前、例会に参加して、その悲惨な体験談を聞いたことがある。アルコール漬けで仕事にならず、職場をクビになり、家では暴力の嵐。常識的な話も通じず、家庭崩壊は当たり前。自殺を考えた患者や家族は少なくなかった。
◇アルコール依存症との戦いは、本人が依存症を認めることから始まる。
　▽酒を減らさなければならないと感じる▽周囲に飲酒について批判される▽飲酒に罪悪感を感じることがある▽朝から飲んだり、迎え酒をする―。以上に当てはまる人は、依存症の可能性あり。
　長浜保健所（℡65・６６６０）や長浜市健康推進課（℡65・７７７９）では随時、相談を受け付けている。</description>
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         <category>時評</category>
         <pubDate>Tue, 30 Sep 2008 16:02:29 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>さわやかな小泉退場</title>
         <description>　元総理・小泉純一郎さんの退（ひ）きぎわは秋風に似て爽やかそのものである。
　神奈川の選挙区での講演で、総理在職中は全霊全魂、すべてを集中して国政に尽くしてきたと振り返り、辞めた時点で議員を辞めたい心境であったと報告している。しかし任期途中でもあるので、次の解散まで頑張ることにしたという。
　分かりやすく言えば燃えつきたことになる。燃えかすが、うろうろと現役にしがみついていれば政治の進化にブレーキをかけるだけで、国民に申しわけないという彼らしい信念の発露であり、政治家としての美学といえるかもしれない。
◇小泉さんは、さきの郵政民営化選挙で、自民党の総理経験者である中曽根、宮沢の両長老を年齢制限の枠によりあえて公認を外した。その結果、両氏は国会から身を退くことになったが、「老害」とささやかれる長老支配に穴を開ける意味で国民から歓迎された。
　今期限りで国会議員を辞めると宣言した彼の心中には、両先輩引退の経緯が去来したことであろう。
　政治家の出処進退の鮮やかさの要を自らの実践によってアピールしたといえるが、この一事を見ても彼が並々ならぬ政治家であることを証明した。
◇小泉さんは激しい政治家であった。彼の激しさは信念によるものであるが、同時に政治家は所信を発信して、国民とともに政策を遂行せねばならぬ、という民主的政治を貫いたといえる。彼は総理就任以前から、ずっと郵政民営化を叫び続けてきたが、その考えの根底にあったのは、「民で出来るものは官から民へ」の発想であった。
　このことは、歴代内閣の空念仏だった公務員改革の実践と不離一体にあり、さらに言えば官僚国家からの脱皮であった。
　彼が声を大にして叫び、かつ国民から支持されたのは、そういう意味での改革であり、彼が自民党改革に命をかけたのも同じである。
◇彼が燃えつきたと思われるのは郵政改革への歴史的選挙と、改革への切り込みであろう。改革は国民の圧倒的支持を得ながら、行政の端々では官僚の根強い抵抗にあった。第２の改革である道路公団の民営と分轄においても随所で抵抗されたが、その抵抗は法案成立過程の与党の非協力もしくはサボタージュに現れた。小泉改革を内部から崩すのは実は与党の保守体質であった。
　保守体質は古き自民党への郷愁であり、具体的には派バツと族議員政治への復活であった。小泉改革は国民の支持を得ながら党内では陰湿な抵抗にあった。その党内保守派の力がいかに大きいかは、安倍、福田両内閣を通じての派バツの復活と改革潰しの諸政策に現れていた。党内保守派は小泉時代は裏にこもって抵抗したが、小泉以後の自民党では公然と小泉批判が出るようになった。このような内在する抵抗勢力と戦いながら所信を遂行した小泉氏の手腕と力量は並の政治家の及ぶところではない。
　その最大の歴史的事件は平成17年８月の郵政改革解散と、９月総選挙の大勝利だった。命がけの選挙で80名を超す小泉チルドレンを生み、自民の大躍進を招いた。彼の眼には国民があった。今なお国民に人気のあるゆえんである。【押谷盛利】</description>
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         <category>時評</category>
         <pubDate>Mon, 29 Sep 2008 15:35:20 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>市民会館の閉鎖に思う（見聞録）</title>
         <description>　長年、湖北地域の文化活動拠点として愛され続けてきた長浜市民会館が今月末をもって閉鎖される。
　市民会館は昭和40年に開館。鉄筋コンクリート造６階建てで、約１０００人収容の大ホールをはじめ、食堂、集会堂、資料室、会議室、和室、結婚式場などを備え、総工費２億６４６４万円は当時としては大事業だった。
◇長浜市が昭和42年に発行した「長浜市二十五年史」に、開館までの経緯が紹介されている。
　それによると、戦後、長らく、市民会館の建設は市民の願いで、昭和26年には、市内の文化団体、婦人団体が市庁舎の西側に「市民舘」を整備して欲しい旨の請願を出し、当時の市議会は「趣旨採択」した。その後も、自治会や各種団体から早期建設を望む声が高まり、最初の請願採択から13年後の昭和39年に、ようやく着工となった。
　建設地は当初、市役所付近の予定だったが、地盤が脆弱だったり、最先端の会館を建てるには用地が手狭だったこともあり、計画地を変更。当時、新市街地形成事業として、田園を切り開いて国道８号線バイパスの整備が進んでいた宮司町に白羽の矢が立った。
◇さて、最初の請願が出てから、着工までに13年もの月日を要したが、その背景には、長浜市の財政破たんがあった。
　戦後、長浜市では駅前道路の拡張、市庁舎の建築、小中学校校舎の新築、保育所や消防署の建設など、大きな財政支出の伴う事業を一挙に実施していた。このため、あっけなく財政破たんし、昭和31年３月、国から「財政再建団体」の指定を受けるという深刻な事態に。
　市議会の定数を30人から24人に減らし、10課１局あった行政機構も７課１局に縮小。人員も52人を整理した。36年度に指定解除されるまで、財政再建に追われ、市民会館どころではなかった訳だ。
◇財政再建が終わってようやく、市民会館の整備構想が具現化した。
　建設にあたっては、市民と市当局が一体となって建設協力会を設立。浄財を募ったところ、市内外から４８４７万円が集まったと記録に残っている。これは総工費の２割にあたり、当時の市民の熱意と期待の高さがうかがえる。
◇長年、市民に文化、芸術、娯楽を提供してくれた市民会館はあと４日で閉鎖を迎えるが、感謝の念はどこへやら、何のセレモニーも行われないという。悲しいことだ。</description>
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         <category>時評</category>
         <pubDate>Fri, 26 Sep 2008 17:00:22 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>格差と平等を考える</title>
         <description>　このごろ、広く用いられる言葉に「格差」がある。多くは悪い意味に使用されている。日本人は付和雷同性が強いから、だれかが音頭をとると、すぐそれになびき易い。格差もそうである。格差をなくそう、といえば、いかにももっともらしい響きを持つので、だれかれなしに「格差反対」「格差是正」などと叫ぶ。
◇ものごとを、しっかり眺め、真実を把握するがよい。格差が槍玉に上がるほど悪いものなのか。ひるがえって、わが身、わが環境、さらには日本国土へ目を向けて考えてみるがよい。この世は格差だらけであり、格差のない個人、団体、国家はあり得るはずがない。
　いとも簡単に格差打破を念仏のように称える人がいるが、格差の反対は平等である。公平は政治上も社会生活上も大切な規範であるが、平等はそれ自体ナンセンスである。社会主義の目標は「平等」であるが、理屈で平等を説くことはできても、実践で平等が具現されるはずがない。例えば、崩壊前のソ連は、世界の共産党国家の総本山であり、マルクス・レーニン主義の元祖国家として、共産主義の教科書を国家建設に当ててきたが、その中の重要項目である格差廃止、平等の理想は実現したか。事実は逆で、共産党独裁の政治の中で、共産党官僚が特権的地位を握り、学者であれ、農民であれ、能力のあるものが抜てきされ、優遇されてきた。なるほど賃金などは一律平等の部分もあったが、この平等は、悪平等のそしりをまぬがれず、能力のあるものが力を出し切らず、もしくは出し惜しみして生産性や品質向上の妨げになった。
　その弊を除去する目的で、生産、科学、スポーツその他の面で顕著に活躍したものに勲章その他の栄誉制度を設けた。
◇中国は共産大国であり、日本における親中派のものは、さも悪しきものの如く「格差社会」と日本をきめつけるが、その中国に格差はないのか。貧しい農民や労働者が不平たらたら生活していても、それを訴えるデモや反政府闘争は許されない。人民は党の役人の命ずるままに屈しなければならぬ。それでも、この国には億万長者がわんさと生まれ、自国産の米を食わずに、日本の「こしひかり」など高級米を食べており、何千万円ものデラックス外車を乗り回している階層がある。日本では想像もできぬ格差社会である。
◇人間は同じ親の子として生まれても、兄弟姉妹決して平等ではない。体つき、知能、心のありよう、いわゆる後天的なものを除いても、すべてそれぞれの持ち味があり、決して平等、均一ではない。
　学校へゆけばクラス全員成績が違う。いい成績のものが、人格が上で、人間が上位というわけではなく、成績は決められた規格の中での学力の一つのめやすである。高校、大学へ進んで、さらに知徳を磨くが、それぞれの段階で、知的テスト、試験のあるのは、競争社会の必然である。その進学の課程で、能力に応じた研鑽や就職のコースをとるのは本人の自由で「できるもの」と「できないもの」の格差が生じるのは人間界である以上避けては通れない。
　お金にしたってそうである。金持ちの息子が必ずしも金持ちになるとは限らないし、貧乏人の子が生涯貧乏で送るとも限らない。貧しくて、小学校へもろくに行けなかった松下幸之助さんは世界の松下の社長になった。
　人間社会は、米に一等、三等と等級をつけるように、人間に等級をつけることはしないが、本人の努力によって、優位な人生を送るか日影の道を歩むか、千差万別である。さらに言えば金や物質、地位に恵まれることが幸福の条件とは限らない。方丈記の著者・鴨長明のように一丈四方の庵で、山の中に暮らしても幸せを見出す生活ができるのであり、心が卑しく、貧しければ、いかに外見を飾っても幸せとはいえない。【押谷盛利】</description>
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         <category>時評</category>
         <pubDate>Thu, 25 Sep 2008 15:07:12 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>麻生内閣と国民の関心</title>
         <description>　福田後継内閣が24日発足する。22日、自民党総裁に選出された麻生太郎氏が第92代首相となる。
　この内閣と自民党政治が続くか、もしくは三日天下となるかは、一にも二にも引き続き展開される衆議院選挙の結果による。
　麻生という顔で、失点挽回を図る自民党に今こそ政権奪回の好期と勢いこむ小沢民主党がどれだけ国民の支持を得るか。
　これは、自民対民主の政局の問題というよりも国民の政治に対する民度を計るバロメーターとしても歴史的な選挙といえる。
◇ぼくは、早くから、自民党総裁選について言及したことがある。その結果によって、自民党の国会議員、党員の頭のよさが分かる、と書いた。さて、結果は出たが、残念ながら賢明な選択をしたとは思えない。
　今度の総裁選は、次の衆議院選の前哨戦だから、その戦いにのぞむ顔が衆議院選のムードに関わるからこそ、その総裁選を注目したのだが、自民党は麻生に圧倒的支持を表明した。
　その舞台、演出、出演者の状況から、ぼくは茶番劇と評したが、一言に集約するなら、古い自民党に里帰りした。ただそれだけである。新味はなにもない。
　まだ新総理が決まっていない段階で、早くも閣僚の顔ぶれが出ている。いわゆる新聞辞令だが、その陰に実力者の顔が見え隠れするし、政治の秩序を乱す二重権力構想が目に浮かぶ。
◇自民党の新総裁と麻生内閣による解散を一番喜ぶのは民主党など野党ではないだろうか。つまり、政策と党の方向を競う点において、最も戦い易い布陣といえるからである。
　もし、総裁選で、小池百合子氏が当選していたら、民主党は苦しい戦いを余儀なくされるに違いない。
　まず、小池氏は日本初の女性総理という顔で、国際的にもトップニュースで扱われるだろう。彼女はアラビア語、英語に堪能な国際派政治家として、日本の政治のレベルを飛躍させるであろう。何よりも彼女は、いま日本人が切に望んでいる公務員改革と特殊法人の改廃にメスを入れるに違いない。それらは、他の４候補の叫ばない「永田町を潰す」の官僚政治打破の決意である。彼女は自ら小泉路線を継承すると改革ののろしを高く掲げた。いま国民の望んでいる声は国民の目線に応える改革である。
　さらに、マスコミは取り上げなかったが、さきの防衛省汚職に関し、防衛大臣新任早々、彼女は防衛省に君臨する守屋次官を更迭すべく対立した。このとき、自民党の多くは守屋の肩を持って、小池氏を「ゆきすぎ」と批判した。結果はどうだったか、守屋をめぐる不愉快な防衛汚職が次ぎ次ぎ明るみに出たではないか。
　彼女の政治家的実践力は、小泉内閣時代の環境大臣としての実績でも証明されている。
　この顔を陣頭に立てて衆議院選にのぞめば、退潮の自民に起死回生のカンフル注射になると思ったが、自民党は地方も中央も選択を誤った。
◇自民党はその古い体質を自ら脱皮することをしなければ、国民の信をつなぐことはできない。いまも世論調査で、国民支持・人気第一の政治家が小泉純一郎氏であることを思えば、国民の改革への熱い心が分かるはず。
　残念乍ら麻生総裁と麻生内閣は時計の針を20年、30年逆回転させた。郵政民営化に反対した政治家を党の重要ポストや閣僚に登用した。官僚主導の政治と短期大臣によって、日本の運命が先細りすることのないよう、国民はあらためて、自民党の再生に注文する必要がある。【押谷盛利】</description>
         <link>http://www.shigayukan.com/2008/09/post_417.html</link>
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         <category>時評</category>
         <pubDate>Wed, 24 Sep 2008 15:19:15 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>麻生総裁と事大主義</title>
         <description>　自民党総裁選を茶番劇と見る識者があった。福田路線を継ぐ脚本があらかじめ用意され、その筋書き通りにことが運び、何も知らぬ陣笠国会議員や党員はあれよあれよという間にその茶番劇の入場券を買った。平成20年９月21日と翌９月22日を歴史的な日として記憶しておこう。
　９月21日は自民党から政権を奪うべく小沢一郎氏が民主党代表に再選された日で、政治生命をかけて近づく総選挙を戦う、と宣言した。
　22日は受けて立つ自民党総裁選で、麻生太郎氏が選ばれた。
　福田内閣は始めは処女のごとく、終わりは脱兎の如しで、見るべき実績もないまま追われるように退陣し、改造１カ月内閣の醜態をさらして１年で幕を閉じた。安倍内閣に続く短期内閣だが、トカゲの尻尾切りよろしく、自民党は再び福田路線を継承する。安倍内閣以降日本の政治を支配した自民党権力の古い体質があまりにも見え見えであるが、こっけいなのは、自民党の多くが、国民に眼を向けないで、党内権力とこれまでの政治的伝統に目を奪われている矛盾である。
◇ぼくは麻生氏の圧勝を通じて、ふと「事大主義」なる言葉を連想した。事大主義とは自分の信念を持たず、支配的な勢力や風潮に迎合して自己保身を図ろうとする態度や考え方をいう。日本人は多少の軽蔑の意味をこめてこの考え方を「長いものには巻かれよ」という。その意味は、勢力、権力あるものには逆らわない方が得である。
　今回の自民党総裁選で、森元首相が、麻生応援の陣頭に立ったが、彼は自分の派バツの集会で、「勝ち馬に乗らねば、新しい内閣、執行部で冷や飯を食うぞ」と脅しのような発言をして、同じ派バツから小池百合子氏を応援している人らを牽制した。この森発言がいわゆる事大主義である。
◇事大主義の元祖は日本では小早川秀秋（１５８２―１６０２）といわれる。豊臣秀吉の妻ねねの兄、木下家定の子で、始め秀吉の養子となり、後に小早川隆景の養嗣子となった。秀吉の死後、関ヶ原の戦いで、石田三成方の西軍の重鎮だったが、戦局を見て東軍に寝返りした。その功で家康は備前、備中、美作の50万石大名に列した。
◇事大主義の親類言葉にオポチュニスト、風見鶏（かざみどり）がある。風見鶏というと、年配者は元首相・中曽根康弘氏を思い出すはず。政界や言論界で、彼のニックネームとされていたが、必ずしも彼のためには名誉あるニックネームではない。
　風見鶏は本来は風向計なのだが、これをもじって定見を持たず周囲の状況を模様眺めしてから都合のよい側ばかりにつく人のことをいう。
　彼が田中角栄氏に取り入ったことは有名で、その結果、総理になったが、政界通の言論人はその内閣を田中曽根内閣と阿諛（あゆ）した。
　オポチュニストは日和見主義者、御都合主義者と訳し、その考えがオポチュニズムであり、定見を持たず、大勢に追随して立場を変えることをいう。
◇ぼくが今回の自民党総裁選で、事大主義を感じたのは「寄らば大樹の陰」、「長いものには巻かれよ」の古い日本人の体質をまざまざと感じたからである。
　自民党の国会議員や自民党員は、自民党政権、自民党権力は永久不滅と思っているのかもしれないが、そういう驕りが墓穴を掘る。
　なるほど、いまの衆議院勢力では、麻生新総裁は直ちに総理に指名されるが、それは３日天下で終わる可能性なしとしない。近く行われる解散、総選挙でもし民主党や野党が過半数をとれば小沢内閣になるからである。【押谷盛利】</description>
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         <category>時評</category>
         <pubDate>Mon, 22 Sep 2008 18:05:26 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>農相の辞任と国民感情</title>
         <description>　太田誠一農水相が19日辞任したが遅すぎる。福田首相は彼の傲慢とも思える発言に対し、いち早く首を切るべきだった。
　なぜなれば、彼の発言は、中国ギョーザをかばい、今回の汚染米問題でも業者の肩を持って、消費者である国民を虫けらのように思っているからだ。
　こんな男が大臣として、たとえ３日でも政府の中枢にいたことは我慢のならないことで、実は、こういう大臣の考え方がこれまでの日本の政治では当たり前であった。
　その当たり前の官僚独善の政治を根本的に刷新し、改革するのがこれからの課題で、その端緒が今回の自民党総裁選であるが、それが案外分かっていない。
　これについては総裁選の結果を見て、鋭く分析するが、あらかじめ予言しておくが、その結果によっては、自民党の国会議員、党員はアホか、もしくは、反国民か、明らかになるだろう。
◇さて、問題の太田農水相放言だが、我慢して今日まで騒ぎ立てなかった国民のお人好しも余り感心したことではない。
　太田農水相は８月の内閣改造で新任した直後、中国の毒ギョーザによる世間の騒ぎに言及し「日本は安全なんだけど、消費者、国民がやかましいから徹底していく」とうそぶいた。毒入りのギョーザがなぜ安全なのか。毒入り饅頭を食べても被害が出なければ安全なのか。これを聞いただけで、この男は政治家失格だ、とぼくは思った。
　いま、中国で大問題になっているのが大手乳業メーカー３社の牛乳やヨーグルトから化学物質メラミンが検出されたことで、すでに死亡者もあり被害が続出している。
　日本へ輸入されていないか、大いなる関心事だが、日本の農水相のような信用のおけないやり方なら、こっそりと入っているかもしれぬ。毒性は毒性なのに、被害が出ていないから安全だとはよくもぬかしたものだ。
◇太田発言は中国ギョーザに関して「国民がやかましいから」とバカをほざいたが、20日のニュースを見るがよい。長野市で19日、和菓子屋の職人２人が中国製のあんをなめたところ、吐き気と手足のしびれで病院に運ばれている。食品の安全について、国民が関心を持ち、やかましくいうのは当然ではないか。本来は消費庁なんて役所や大臣をつくるのではなく、食品を担当する農水省や通産省、厚労省などが厳しく行政すれば足りることだ。それを野放図にしているのが、これまでの行政ではないか。例えば、化学物質の入っている米、カビの生えている米などは、上陸した時点で、輸出先へ送り返すべきではなかったか。
◇太田大臣は、汚染米が大問題となっている矢先、「人体に影響がないことは自信をもって申し上げられる。だからあんまりじたばた騒いではいけない」ともいった。
　就任後２カ月も経っていないのに、なぜそんな開き直りのようなことがいえるのか。まるで、新聞やテレビの騒ぐのを茶化しているような発言である。
　こういう発言を聞くと、つくづく日本の官僚や警察の既往の問題処理の考え方にあきれるのだが、深く触れる前に簡単に説明しておく。
◇警察は被害者が「ストーカーに追われている」、「暴言を吐いて、恐ろしい人から借金の取り立てを迫られている」、「家の中で息子が荒れて殺されるかもしれない」などと、相談に来ても、実際に被害が形に表れないまでは動こうとはしない。詐欺事件が事前に防止の手を打てば被害が少なくてすむ場合でも明らかに被害が出ない限り捜査はしない。
　食品汚染もそうである。毒性物質の混入が明らかであるにも拘わらず、被害が出なかったら、「白」だ「安全だ」とする考えは一体、だれの方を見て仕事をしているのか。国民の方に目を向けるのが国民から選ばれた政治家であり、国民に奉仕する国家公務員ではないか。被害が出てからでは遅いのである。それが分からぬ政治をどこで改めるのか。【押谷盛利】</description>
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         <category>時評</category>
         <pubDate>Sat, 20 Sep 2008 15:37:36 +0900</pubDate>
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