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      <title>滋賀　長浜　新聞　滋賀夕刊</title>
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      <description>滋賀夕刊新聞社は、滋賀県長浜市を中心に滋賀県北部「湖北地域」のあらゆる出来事をお届けします。</description>
      <language>ja</language>
      <copyright>Copyright 2012</copyright>
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         <title>味噌つき豆とおやつの話</title>
         <description>　読者は有り難い。普段は何の反応もない、と思っていると、さにあらず。めいめいが気に入った時評は切り抜きして残してくれているし、遠く神戸や大阪方面の知人にそれを送って感動を共感してくれている方もある。
　ぼくの時評を必ず読んでくれている歌人のＮさんは、自分一人が楽しんでいてはもったいない、と、これをコピーして、仲間の歌会に持参して歌仲間に一枚ずつプレゼントしてくれている。
　涙が出るほど嬉しいが、そういう裏話を聞くにつけ、一言半句もおろそかにせず、正月の年賀状の誓いのように「入魂」一筋、真剣勝負の心境でペンを持つ。
　このほど一通の手紙を読者から頂いた。封を開くと、出てきたのは手紙ではなく、今から11年前の２００１年（平成13年）11月29日付の滋賀夕刊の時評だった。それに付け足したように、味噌豆に使ったと思われる大豆の煮たものを糸で通して、干しあげたものが数珠のように一巻き入れてあった。
　時評のテーマは「山から冬が降りる」。
　ぼくは、なぜ、この時評が送られてきたのか。始めはその意図が分からず、しばらく、糸につながっている干し大豆を眺めていた。その瞬間、これは味噌豆だと分かり、あわてて、その送られてきた時評を読んだ。
　11年も前のことだから、どんなことを書いたのか、直感で思い出すことができなかったが、しばらく読むうちに、季節の移りと自然の変化、家庭における親の生活や子と孫のふれあい、自然の恩恵のなかでの子どもの学習などの大切さを訴えたもので、読者のＡさんが、わざわざ残していたものをコピーして送ってくださった好意が身にしみた。
　実は、その時評のなかで、正月の餅つき、自然薯のとろろ汁、味噌つきなどの楽しさが取り上げられており、今のインスタント汁や市販の手抜き食品を批判している内容に共感しつつ、飽食の今の世に警鐘を発せられたのではなかろうか。ぼくはそう感じて、数珠つなぎに一個ずつ糸に通した干し大豆を手にして、子どものころのわが家の味噌搗きを思い出した。
　味噌搗きは一家あげての冬の年中行事で、事前に大豆をこってり煮上げねばならぬ。それを味噌豆と呼ぶが、子どもたちは煮上げた柔らかい豆を針糸で一個ずつ通して、一連30個か40個ぐらいで何連も干しておく。後日、干し上げたものを「おやつ」代わりに食べるわけで、今の子がパンや菓子を食べるような感覚である。
　素朴な親子のふれあいは家の手伝いや食事ごしらえ、祭や運動会、村の行事など、いろんな形で体験的学習となるが、それがしつけであり、人間形成の源泉でもある。
　Ａさんから頂いた11年前の時評のコピー、たまたま立春前日だったから、旧正月を前に「がんばれ盛利」との一喝であると感謝する次第。【押谷盛利】</description>
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         <category>時評</category>
         <pubDate>Mon, 06 Feb 2012 14:37:23 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>除雪と配達、読者の声（見聞録）</title>
         <description>　１月31日からの寒波で日本列島は近年まれにみる大雪に襲われた。
　湖北地域では北陸自動車道が閉鎖され、ＪＲ北陸本線が運休。幹線道路は雪で動けなくなったトラックなどで、大渋滞と立ち往生。どこに移動するにも時間がかかった。
　除雪中の死者やけが人も出て、車のガレージが雪の重みでつぶれているのを見た。
　高島市では積雪２・７㍍のマキノ町などで集落が孤立。県が「五六豪雪」以来、31年ぶりに自衛隊に災害派遣を要請するほどの深刻さだった。
　さて、その高島市長は、派遣要請が自衛隊に伝わるまで３時間もかかったとして、要請権限を県から市町に移譲すべきと訴えている。市長が２日午後２時40分に派遣を要請するよう県知事と県防災危機管理監に電話をかけたが連絡をとれなかった。結局、午後５時前になって知事と電話がつながり、同５時40分、県知事が自衛隊に派遣要請を行った。
　この大雪の中、県と市の連絡がスムーズに取れなかったことは課題だった。
　滋賀夕刊には読者から除雪の苦情や指摘を頂いた。
　「お年寄りばかりで除雪できない。市にお願いしたら（除雪対象）地域外と言われた。同じように税金を払っているのに…」というもの。市によると除雪車はフル稼働状態で、とても市全域をカバーすることはできないという。さらに、大雪に加えて極度の低温に見舞われ、踏み固められた雪がカチカチに凍り、特定の除雪車でないと除雪できないという特殊事情も重なった。
　これだけの大雪になると自治体も手が回らない。近所の力を結集し、肉親、血縁者の協力を頼むしかないということか…。
　さらに国道の除雪の遅さを指摘する電話もあった。「県は大津市を中心に考えているのではないか。いっそ県庁を彦根市にあたりにもってきたら、雪の大変さが分かるのに」というもの。
　確かに県の動きは鈍いとしか言いようがない。２日午後３時になって「交通を緊急に確保するため迅速かつ適切な除雪活動を実施する」として道路雪害対策本部を設置した。この時すでに国道８号線や21号線では立ち往生の車列が出来ていた。そして、きのう３日午後５時になって「天候が回復し、降雪の見込みがなく、道路交通も確保されている」として通常の除雪対策本部に移行した。２日に立ち上げた雪害対策本部はいったい何だったのか、大津目線で湖北地域を統括するのは勘弁して欲しいものだ。
　配達について苦情も頂いた。一部地域で２日付けの滋賀夕刊が届かず、３日付けの夕刊配達も遅れたことから、「夕刊が届かないのはどういうことか」と電話が鳴った。
　こういう道路事情のため新聞配達に苦慮したが、近年まれにみる大雪の中で地域情報を知りたいという読者の要望に即座に応えられないのは、新聞発行人として反省すべき点だった。</description>
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         <category>見聞録</category>
         <pubDate>Sat, 04 Feb 2012 16:12:02 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>雪国の今昔と芭蕉の句</title>
         <description>　「をりをりに伊吹を見てや冬籠」
　これは俳聖・松尾芭蕉の俳句である。
　長浜八幡宮の境内にこの句碑があるが、俳句に興味のない人は関心がないかもしれぬ。
　冬籠は冬ごもりと読む。深い雪に閉ざされて、雪除け以外にすることがなく、仕方なく家に籠もることをいう。
　家に籠もって何をするのか。男は縄ないや藁仕事。女は縫いものなど、日頃は多忙でかまっていられぬ衣服の修復などに精を出した。
　「をりをりに」は文語表現で、口語調。現代風では「おりおりに」。ときどきは、といった軽い調子は豪雪への「うらみ節」ではなく、はれた日の伊吹山を眺めて、「やれやれ、この雪もこれで少しは溶けるであろう」。あるいは「ああ、ありがたや、今日は畑へ出かけて大根でも掘りましょう」。といった淡い希望が裏打ちされている。
　雪国の人の雪をのろう声ではなく、雪を肯定し、雪と生活を共にする心境、言わば、先祖以来の大自然の掟に頭を垂れ、白魔というよりも、天の恵みとして半ば諦めの心境がこの一句に集約されている。
　これはどこにもある雪国風景で、この句の場合、芭蕉が弟子の家に招かれて句会を催したさい、たまたまの豪雪の体験を詠んだもので、近江の方から見た伊吹なのか、岐阜の方から見ての伊吹山かが、しばしば問題とされるが、豪雪の本場は関ヶ原方面、つまりは美濃の垂井や大垣方面の冬籠りと解釈する方が自然ではないか、と、ぼくは鑑賞するが、長浜八幡宮の境内の句碑を重く見る人は、これは湖北地方から眺めた伊吹山に違いない、と意地を張るだろう。
　ものの見方は、ひいき筋の主観に左右されることが多いが、文学はそういうところに屁理屈をこねるのではなく、作品がどんな環境で、どんな風景、どんな人心を表現しているのか、といった点が評価されるべきである。この句の場合、長浜で詠んでも、大垣で詠んでも、そんなことはどちらでもよい。大事なのは「冬籠」という運命的は環境と、信仰の如く崇められている伊吹山なのである。
　同様に京都方面の人は比叡山を眺めては季節を問わず、ある種の感慨に打たれるのである。それは比叡山と京都の歴史の関わりであり、比叡山の尊宗される仏教のメッカ性によるものである。
　あるいは和歌山、奈良方面の人が大峯山や吉野山に特別な思いやあこがれを抱くのも同様である。
　問題は今と違って、除雪の近代化のない、そして暮らしそのものが農に根ざす江戸期という時代の大雪と住民の姿の文学的短詩形表現の価値である。
　今日、このごろの北陸や湖北の大雪と晴れた日の伊吹を思うとき、昔日のわれわれの祖先の生き姿が想像され、今の世に生きる幸せをかみしめる思いである。【押谷盛利】</description>
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         <category>時評</category>
         <pubDate>Fri, 03 Feb 2012 15:53:58 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>雪かきに追われて（見聞録）</title>
         <description>　１日夜から降った雪は勢いを衰えさせることなく降り続き、２日朝は驚く程の積雪量となっていた。
　おそらくほとんどの市民が早朝から雪かきに追われたことだろう。通勤時間には道路が混雑し、定刻通りに出社、登校できなかった市民も少なくなかっただろう。
　小生もアパート駐車場から車を出すのに１時間弱、事務所に到着してから駐車場確保のため、さらなる雪かきに追われた。今、このコラムを書く手に握力が入らない。
　近年まれに見るこの大雪を機に、豪雪への心構え、マナーを考えたい。
　積雪の際はいつもより早起きし、近所同士で力を合わせて除雪に汗を流すのがマナーだろう。お年寄り世帯の除雪にも助け合い精神を発揮したい。
　道路への雪出しをよく見かけるが、これはＮＧのようだ。道路法、道路交通法で直接的な言及はないが、交通に支障をおよぼす恐れのある行為について「何人も、交通の妨害となるような方法で物件をみだりに道路に置いてはならない」と禁じている。
　これらの法律を根拠にして、道路への雪出しを条例で明確に禁じている自治体もあり、マナー違反というより、ルール違反となるようだ。
　除雪で注意したいのは、排水溝などに雪を捨てる行為。まれに雪が詰まって一帯が床下浸水に見舞われることもある。
　除雪車の運行に支障を来たすような路上駐車はご法度だ。渋滞を引き起こす原因にもなり迷惑極まる。また、車を走らせる際はいつ何時大渋滞に巻き込まれるか分からない。ガソリンの残量に余裕を持ちたい。
　一昔前に比べると、除雪車が走り、道路には融雪装置がついていて雪の苦労は減っている。それでもこれだけ積もると、市民が団結して汗を流すしかない。
　小生も、そろそろ筆を置き、またスコップを持つとしよう。</description>
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         <category>見聞録</category>
         <pubDate>Thu, 02 Feb 2012 16:26:15 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>嘉田知事の発信力批判</title>
         <description>　いまの世は１００年に一度の激動の最中にあるといえる。
　情報通信網の王座を占めるＮＴＴドコモがパンクするほどケータイの利用者と利用率が急増したという事実はまさに激動の現代を象徴している。
　改革をスローガンに若さと行動力で日本の新しいリーダーとして期待されている橋下徹大阪市長は大阪府知事一期弱で、昨秋、市長に当選したばかりであるにも拘わらず、府知事時代の実績といい、市長就任後の区長の公募や教育改革、市職員の規律、国旗掲揚など、次から次へと市民の声に応え、まるで10年を１年のごとく超スピードでこなしている。政治に経験のなかった彼が大阪維新を立ち上げるや、たちまちその精神は全国に伝播した。
　日本の政治の閉塞感に風穴を入れるべき彼の卓見と情熱は、彼を一介の地方政治家から国家のリーダーに迎え入れようとする土壌となり、まさに激動の世そのものである。
　このような激しい変化の世にあっては、政治も経済もリーダーがそれにふさわしく、若さと行動力を持たねばならぬ。ひるがえって、わが滋賀県の現状と展望を考えてみたい。
　嘉田知事は、大阪維新の橋下流を批判して、彼は劇薬、こちらは漢方とたとえた。改革があまりにも急で激しいものだから、分かりやすく劇薬説を用いたが、激動期であるからこそ、決断、実行力が問われるのであって、烏合の衆で、議論ばかりしていては日が暮れ、時代に取り残されてしまう。嘉田知事は、橋下氏の旋風にたじろに、その風圧に恐れをなしているのではないか。
　地方の時代が叫ばれてからすでに４半期が過ぎているが、これまで、地方が中央を動かしたことがあったか。部分的には河村名古屋市長の住民減税、嘉田知事のびわこ空港、新幹線栗東新駅ストップなど評価されるが、目下の橋下氏の中央政界へ及ぼすなだれ現象には比すべくもない。
　橋下氏の発信力の強さは大阪という西日本を代表する経済力を背景とする地勢と、これに基づく政治力学によるものだが、橋下氏の主張する道州制こそ、オール関西の取るべき喫緊の政策といえるのではないか。
　嘉田知事は、１００年を１年で走るスピード感あるこの時期こそ、将来の滋賀がどうあるべきか。虚心に考察し、積極的に橋下氏らと協力し、道州制の実現に全国へ発信することを望みたい。
　滋賀県は京阪神の水がめ、琵琶湖を持つプラス面を有効なカードとして、地勢的には名古屋、岐阜、福井、金沢の玄関口でもあり、大阪州構想のなかで、西日本でのあるべき姿を展望し、実現化してゆくべきではないか。【押谷盛利】</description>
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         <category>時評</category>
         <pubDate>Wed, 01 Feb 2012 16:07:50 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>高齢化率４割への覚悟（見聞録）</title>
         <description>　50年後の日本は人口が３分の２に減り、高齢者が４割を占める—。厚生労働省が30日に発表した人口推計は、少子高齢化社会の行く末を具体的数字で示したショッキングなものだった。
　２０６０年の人口は８６７４万人。２０１０年の１億２８０６万人から約４２００万人が減る。これは滋賀県の40倍にあたる人口が消滅することを意味する。
　65歳以上の割合は39・９％にまで上昇し、果たして経済や国民生活が成り立つのだろうかと、漠然とした不安に襲われる。
　加速度的に増える高齢者の年金、医療を支える社会保障制度の維持のため、今、政府は消費税増税を叫び、２０１４年度に８％、２０１５年度に10％への引き上げを計画している。
　しかし、である。財務省の試算では、例え増税を行っても、今の財政構造のままでは、とてもではないが増加し続ける歳出を賄うことはできない。
　増税や経済成長で税収増を見込んでも、それ以上に年金、医療などの社会保障費が膨らむためだ。
　例えば消費税を10％に引き上げる２０１５年度の歳出は１０１兆４０００億円と見込まれるが、税収はたった52兆８０００億円しかない。特別会計の余ったお金を繰り入れても、45兆円も足りない。不足分はすべて新規国債という借金で賄うことになるが、この新規国債の発行額は現状とたいして変わらない。増税したところで借金漬けの財政は続く。
　政府の掲げる今の消費税増税は、今後の超高齢化社会の前では「焼け石に水」に過ぎない訳だ。
　それでも消費税増税に取り組むべきなのか。冷静に考えるべき点だろう。
　何より増税の前に、財政構造をゼロから組み直す必要があろう。高速道路、空港、ダムなどの大型公共工事は、国の財政的見地から分析して、どの程度、実施すべきなのか。公務員や国会議員の定数は多すぎないか。税金の無駄遣いの温床となっている天下り解消の道筋は。子ども手当などのバラマキ政策は妥当なのか。国民の「甘え」や「堕落」を誘発する社会保障制度になってはいまいか。
　また、65歳以上を「高齢者」とする政策も改めなければならない。少なくとも60代は現役世代として社会を支える側にならなければ、労働人口の減少を賄えきれないのではないか。医療費の増大に歯止めをかけるには、おのおのが健康に気を配ることが大切だろう。
　50年後の長寿大国に向け、国民が幸せを分かち合える国づくりが求められている今、我々国民がこの問題に無関心で他人事ならば、何も変えられない。</description>
         <link>http://www.shigayukan.com/2012/01/post_1259.html</link>
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         <category>見聞録</category>
         <pubDate>Tue, 31 Jan 2012 15:57:10 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>橋下維新と石原新党論</title>
         <description>　国民の政治に対する不満や閉塞感が橋下大阪市長の維新の会への期待につながっている、と書いたが、橋下氏は明日の日本のシンボルとも思われるので声援とともに言うべきことは言っておかねばならぬ。
　橋下氏の維新の会は次の解散・総選挙に３００名を公認し２００名を当選させる、と意気込んでいるが、愛知県の大村知事、河村名古屋市長、松山維新の会、東京都の石原知事らの動き次第では強力な第一党に躍進する可能性を秘めている。
　橋下大阪市長は、もはや大阪の橋下ではなく維新を待望する全国民の星である。
　彼は明治維新をさきがけて、凶刃に倒れた坂本龍馬の故事に見習い、国政への政治公約ともいうべき「船中八策」の起案に取りかかった。
　船中八策は龍馬が船中に筆を採り、維新後の新政権のあるべき姿、民主主義政治に根ざす新しい日本の目標などを８項目に集約したもので、薩長同盟の成功による世論の趨勢を背景に藩主の山内容堂に進言して徳川慶喜の大政奉還に漕ぎつけた経緯がある。
　いま、橋下氏の心を占めているのは、天下の諸制度を改革一新して真の国民のための政府、国家のための新秩序を建設しようとする愛国の熱意であり、幕末の坂本龍馬が鑑であろう。
　橋下氏の動きには一足早く、みんなの党の渡辺喜美代表らが賛意を表しているし、中央政界は政界再編成がらみで揺れ始めた。橋下氏に触発されたごとく、石原新党が３月に結成されるという。国民新党の亀井代表や保守回帰をねらう平沼「たちあがれ日本」代表などの連携によるもので、橋下氏や名古屋市長の河村らも含めた政界再編成をうたっているが、ぼくはこの動きには反対である。
　石原知事はともかく、亀井、平沼氏はこれまでの実績から自分の組織に危機感を持ち、国民の目からもすでに過去の政治家とみられ、新しい日本を拓くにはふさわしくない。
　政治の世界には義理人情があるかもしれないが、坂本龍馬の境地でいえば、国家・国民のために命を捧げることはあっても大切な政局の動向に義理や人情は御法度である。
　賢明な橋下氏や河村氏は、そうした古狸めいた政治家に踊らされることはまずあるまいと思うが、数さえ揃えばよしとして、この石原新党に同調すれば、国民の信は一挙に醒めるであろう。
　石原氏は、毅然として、亀井、平沼氏らとの合同を避け、さらには自民党を飛び出して「改革」だけを寝言のように叫んでいる幾つかの小政党に目もくれず、自民、民主の純粋な若手の先頭に立って、彼らの盟主ともいうべき救国新党を結成するか、もしくは大阪維新、みんなの党、減税名古屋などとの統一新党こそ、目指すべきではないか。【押谷盛利】</description>
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         <category>時評</category>
         <pubDate>Mon, 30 Jan 2012 15:44:03 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>日本人よフヌケになるな</title>
         <description>　日本のリーダーとして、最もふさわしい人はだれか、の設問に「橋下徹大阪市長」と答えた人がずば抜けて多かった、という産経の世論調査を紹介したが、これは中央、地方を問わず日本の政治の閉塞感に対する国民の声だとぼくは思っている。
　政治の閉塞感とは、分かり易くいえばどんなものか。例えば、政治とカネの問題で国民から強い不信感を持たれている民主党の小沢一郎元代表が、いまだに政治の裏表でマスコミの話題となっていることがあげられる。当の本人は元秘書の衆議院議員が起訴、有罪の判決を受けているにも拘わらず、党内で１００人を超す子分どもをつかって民主党を遠隔操作しているが、それをまともな政治と国民は認めるだろうか。彼は民主党から「党籍離脱」の処分を受けているので、民主党への影響力は本来ゼロであるべきだが、事実は全く逆である。
　こんなバカなことがあり得るのか、と反発するのが国民の常識であるが、その常識が永田町では通じない。そういう中央政治の実態と国民の思いとの違いが国民の閉塞感の原因といえよう。
　あるいは選挙を有利に展開するために出来もしない財政改革や国民の喜ぶ甘い予算を約束しながら、そのマニフェストを忘れて消費税の増税を力説するなど野田首相のあり方なども国民の政治に対する閉塞感をあおる原因となっている。
　大阪市の職員組合の脱線など市民感覚と離れた組合役員の勤務ぶりなどが不祥事として表面化したことや、あるいは日本一の生活保護受給者の多いことなど報道されるだびに大阪市民は不愉快な思いをしてきた。だれが市長をやっても良くならない、と半ばあきれ、諦めていた市民が橋下市長の出現でにわかに輝き出した。橋下氏の当選はこれまでの大阪市民の閉塞感を打ち破った革命的事件といっていい。
　政治の閉塞感は人間の肉体でいえば便秘のようなものだ。食事をとりながら、出すべき粕が腸内に滞留すれば気分はよくないし、健康の障害にもなる。悪質な腸閉塞は命に関わる重症ですらある。
　知事や市町長ら地方の首長にしても、会社、団体のトップにしてもその人物の動きや考え方が新鮮味を欠き、鈍くなるとその組織や裾野は閉塞感を問われる。当然ながら向上や発展は期し得られない。
　国民の現在の閉塞感は政治上の問題だけではない。
　例えば、テレビは日本人を遊ばせてくれるよい娯楽だが、このごろは質が落ちてアホな番組が多すぎる。特にひどいのは食べ物に関する番組だ。日本人はみんな飢えているのかと、思うほど「うまい、うまい」の卑しい不作法のオンパレードである。その他、一方通行で「あてがい番組」を見せつけられているが、これによるいらいら現象も一種の閉塞感である。日本人よ、フヌケになるな。
【押谷盛利】</description>
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         <category>時評</category>
         <pubDate>Fri, 27 Jan 2012 13:56:28 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>雪で発揮、ボランティア精神（見聞録）</title>
         <description>　「ようやく」だろう。湖北地域は25日夜から本格的に降雪し、今朝は一面、銀世界となった。
　待ちわびたように除雪車が走り、スコップを手に雪かきに勤しむ市民の姿に、湖北の冬を見た。
　雪かきをする身にとって雪が降らないのにこしたことはないが、近畿の水がめである琵琶湖を潤し、春からの農業に向けた水資源の確保のためにも、降らないのは困る。
　小生は配達員宅にその日の滋賀夕刊を届けるため、毎日、東浅井地域へ車を走らせているが、それぞれの地域の結束力やパワーが除雪の進み具合に代弁されていると感じる。
　県道や国道など大きな道は自治体の除雪車や融雪装置が機能するとして、集落や団地内の生活道路の除雪のでき具合に、地域力の差が見て取れる。
　若者世帯が多いにもかかわらず自宅前さえ除雪が出来ていない新興住宅地。「結い」の力を発揮し、子ども達の通学路をきれいに空ける農村の集落—。
　昨冬は大雪に見舞われ、山間部の過疎化地域では生活機能がマヒする程の深刻な状況に陥った。このため、長浜市社会福祉協議会が除雪ボランティアを募り、木之本や余呉に派遣した。
　今冬、派遣が必要なほど雪が降るのかは知るすべを持たないが、大雪に見舞われてからボランティアを募集していては心もとない。
　今後の大雪を想定して、東北、北陸地方の自治体や社会福祉協議会が取り組むように、除雪ボランティアの登録制度を設けてはどうだろうか。
　富山市では２００６年にボランティア登録制度を設け、この冬は４５０人余りが登録している。登録の８割以上が社会貢献の一環と受け止める企業だというが、学生も増えている。新潟市では高校生がボランティア隊を組織し、通学路の除雪に取り組んでいる。
　合併で面積も人口も増えた長浜市。山村部など過疎化の進む地域の除雪を市民ボランティアが担う仕組づくりが欲しいところだ。
　家でごろごろして、テレビやケータイ、インターネットで時間を持て余しているならば、除雪で汗を流したほうがよほど得るものがあろう。
　小紙も除雪に困って手助けを求める集落と、ボランティア希望者を結ぶため、どういう役割を果たせるのか考えたい。</description>
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         <category>見聞録</category>
         <pubDate>Thu, 26 Jan 2012 19:45:01 +0900</pubDate>
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         <title>日本のリーダー橋下徹論</title>
         <description>　産経新聞社とフジネットワークがこのほど実施した世論調査によると、日本のリーダーとして最もふさわしい人は今の国会議員の中には一人もいないことになる。
　国民の政治不信がいかに深刻であるかをあらためて知らされた。この世論調査は政党の支持率、野田政権の支持率、消費税その他各般に分かれているが、ここでは日本のリーダーについて考えたい。
　設問では与野党のなかの実力者や国会議員ではないが影響力のある大物政治家の名前をあげて、だれがリーダーとして最もふさわしいと思うかを問うている。以下名前の上げられた政治家（数字は％）。
　枝野幸男４・９、岡田克也８・３、小沢一郎４・４、菅直人０・３、仙石由人０・５、野田佳彦３・６、鳩山由紀夫０・２、前原誠司６・２、安倍晋三４・２、石原伸晃３・１、石破茂５・８、谷垣禎一１・０、渡辺喜美３・２、舛添要一１・９、石原慎太郎９・６、橋下徹21・４、このなかにいない18・５。
　現職総理の３・６％もみじめな姿だが、野党第１党の自民党総裁が１・０％とは恥を天下にさらしたようなものだ。東京都の石原慎太郎知事がナンバー２の９・６％は、老齢ながらも日本人のあこがれの側面を見せて頼もしい。
　この調査で彗星の如く輝いたのは橋下徹大阪市長の21・４％である。他を寄せつけず、圧倒的な信頼と期待で最もふさわしいリーダーに名指しされている。
　国の政治が行き詰まり、舵取り役が無能の場合は国家の危機であり、国民の不幸である。そうした国家国民の危機に際しては古今の世界史が語るように「英雄待望論」が出る。左右の独裁政権や市民革命が起きて、ときには果てしない国内争乱にもなる。
　リーダーが国家、国民のために命を投げ出すほどの誠実さと愛国心を持ち、秀れた感性で力強く号令し政策を進めなければ、政局は烏合の衆で、議論ばかりしながら、利権集団に陥る危険性がある。橋下氏に大阪市長を委ねた大阪市民は、同氏が大阪府知事としての一期におけるさまざまな改革とスピーディーな行動力を評価したからである。
　橋下氏のいう大阪都構想こそ二重行政の弊を打破するもので、上下水道、医療、地下鉄、教育、福祉各般における能率化と低コストにつながる。それはそのまま行政経費を減らしながら住民の減税や産業界の振興を展望してゆく。
　東京と比肩する大阪都が国際的に日本を代表する位置を占めれば、それは全関西と中国、四国方面を含む関西連合の地盤隆起に作用するであろうし、英知を集めての新鮮な改革が国家の繁栄を呼び起こす因子ともなるだろう。
　橋下氏の改革は行政職員の定数減や給与削減に止まらず、地方公務員の規律そのものの見直しにまで及んでいる。例えば議場や目のつくところに国旗を掲揚し、これに敬礼すること、卒業式などの儀式における君が代斉唱と起立などの条例化は、国民の国家に忠実なる原点に関わるもので、中央、地方を通じ、組合に魂を抜かれているこれまでの癒着を断つ心意気が全国から期待されていることを知らねばならぬ。
　大阪から日本を変える。その第一歩は次の総選挙における維新の会の国会進出であろう。国民の待望する英雄、新リーダーに輝きあれ。【押谷盛利】</description>
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         <category>時評</category>
         <pubDate>Wed, 25 Jan 2012 15:44:23 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>古代ローマの大衆浴場（見聞録）</title>
         <description>　国民主権の民主主義国家の宿命なのか、政治家は国民の支持や人気を集めるため、ムチを隠してアメを使う。
　最近の例では民主党が自民党政権を追い落とした２００９年の総選挙。「政権交代で無駄を省きます」と宣伝し、「子ども手当」「高速道路無料化」「農業所得補償」などを訴えた。
　国民の支持を取り付け、政権交代を果たしたが、人気取りのために富をばら撒いたのは現代政治だけでない。古代ローマでは、皇帝が民衆の不満を抑え、人気を集めるためにパンを配り、闘技場で決闘などの見世物を開催した。
　支配下に置く周辺属国から富を搾取し、ローマに運び入れ、市民にばらまいたわけだ。ローマ市民は喰うに困らず、闘技場という娯楽も与えられ、堕落していった。民衆の堕落と衆愚政治の代名詞として「パンとサーカス」と言われるゆえんだ。
　ここで書きたいのはそんな衆愚政治についてではなく、古代ローマで民衆の心をつかんだのは何もパンや闘技場だけではない、ということ。地中海沿岸に残る数々の遺跡に見られるように、公衆浴場もまた民衆の人気取りの道具だった。
　その公衆浴場を描いた漫画「テルマエ・ロマエ」が人気を集め、今年映画化されることになった。衆愚の古代ローマにおける公衆浴場というテーマが気になり、先日、読んでみた。
　主人公の浴場設計技師が現代日本にタイムスリップし、民衆の心をつかむ公衆浴場のヒントを得る物語。フィクションなのだが、古代ローマの支配者層が民衆受けと、自身の見栄、欲のために浴場整備を行う点が、今の人気取り政治と重なった。
　この漫画では浴場をローマ市民の憩いの場として描き、現代日本に通じるのが面白い。しかし、不思議なのが、今のローマにはこういった公衆浴場は残っていないし、そういう文化も継承されていない。なのに、ユーラシア大陸の東の果ての日本に古代ローマ人が愛した公衆浴場文化が生きている。そこを結んだのがこの漫画の面白さであり、日本の浴場や温泉文化の奥深さを世界に誇りたくなる。
　なお、「テルマエ」はラテン語で浴場、「ロマエ」はローマを意味する。
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         <category>見聞録</category>
         <pubDate>Tue, 24 Jan 2012 16:01:57 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>自民党は出直すがよい</title>
         <description>　注目の大津市長選は無名の新人・越直美氏（36）が現職で３選を目指した目片信氏（70）を破り初当選した。
　越氏は無名とは言え、大津市出身であり、膳所高から北海道大学へ進み、弁護士になった。米国のハーバード大学で学ぶなど国際感覚も十分であり、大津市民の求めていた本格的政治家の素質十分である。
　全国最年少の女性市長として、早くも脚光を浴び、知事の嘉田由紀子氏と２人３脚で新しい滋賀が発信されるであろうことを思うと痛快である。
　越氏の勝利は早くからささやかれていた。自民と公明は変な仲よしぶりを見せて早くから国会議員の経験もある現職の目片氏を推薦した。出発時点において、大津市民の感覚と大きくずれていた。
　いま、全国的に大きなうねりとなって政治改革を求めているのは中央、地方を通じての政治の閉塞感である。
　国民はいらいらして、政治不信に陥っているが、この国民の閉息感は旧来の流れを断ち切って、自由にして、新鮮、大胆な政策転換を求めているのであり、従来路線の改良や延長を否定している。その政治路線の革命的転換で国民の拍手喝采を浴びているのが橋下徹大阪市長率いる維新の会である。
　維新の会は橋下氏の若さと卓越した政治行動力で、大阪府政と市政の大改革を進めているが、その政策の明快さと実現へのスピード感が関西どころか全国各地へ信頼と夢を拡大させている。
　大津市民が越氏に寄せる期待感は橋下大阪市長へ寄せる国民の声と均質のものである。
　にも拘わらず、自民と公明は次の解散選挙における滋賀１区の互いの党内事情を反映させながら無難な目片候補への道をとった。ここに旧態依然の古い政治流儀を知ることができ、大阪旋風が国の政治を改革するという今日、政治家としては峠を越えている70歳の現職を市民に奨めた。
　たまたま大津市長選の行われた22日は、中央で自民党の全国大会が開かれた。谷垣総裁は、民主党の不手際や公約破りを追及して、掛け声勇ましく、解散総選挙を訴えたが、犬の遠吠えの如く、パンチが欠けていた。
　客観的に国民が大いなる政治改革を求めているにも拘わらず、この党の現実の対応は、大津市長選と同様に国民の声に耳を傾けることなく、スピーディーにことを運ぶ若さと行動力に欠けている。
　いわば党運営は半世紀前の古風な派バツバランスの上に立っているだけで、国民の心に根ざす政策本位の大衆性を持たないことが致命的である。
　いま、国民は民主党政権に大いなる不満を持っているが、だからといって、柱時計の振り子のようにその国民の不満が自民党への期待感として表へ出てこない。
　これは何を意味するか。自民党は謙虚に反省すべきで、本当をいえば、解散を本気でいうならば、今日の自民党のていたらくの責任を反省して、党役員は頭を丸めて総辞職するべきであった。新しい役員に希望を託し、国民の前に生まれ変わる決意を、死に物狂いの国難打開の道筋を説明すべきだった。
　これがない限り、民主党がいかにヘボ将棋をやろうとそれに代わる自民党政権への道は遠い。【押谷盛利】</description>
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         <category>時評</category>
         <pubDate>Mon, 23 Jan 2012 15:52:20 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>鉄道唱歌にみる湖北（見聞録）</title>
         <description>　きのう20日、長浜鉄道スクエアで始まった長浜駅開業１３０周年記念展。全長36㍍のパネルには新橋から神戸までの開業当初の駅舎の写真をずらりと並べている。その取材中、目に止まったのが鉄道唱歌だった。
　鉄道唱歌は鉄道の駅と風物を歌いこんだもので、第１集の「東海道編」は明治33年に出され、その後、山陽・九州、東北・北関東、信越・北陸、関西なども順次、発表された。
　20世紀初頭の唱歌のため今では知る人は少なく、相当の年配の方でないと知りはしないだろう、と鉄道スクエアのスタッフは説明してくれた。
　さて、その鉄道唱歌を調べてみると、上野—直江津（上越市）—米原の信越・北陸線で湖北地域をいくつか歌っている。
　北から順番に紹介すると、「疋田柳瀬中ノ郷　すぎゆく窓に仰ぎみる　山は近江の賤ヶ岳　七本鎗の名も高し」に続き、「豊太閤の名をとめし　轡の森は木之本の　地蔵と共に人ぞしる　汽車の進みよ待てしばし」とある。
　ここにある「轡の森」は、木ノ本駅を降りて地蔵坂を上ると右手にある。イヌザクラの古木があり、秀吉が木之本に駆けつけた際、馬が疲れて死んだのを哀れんで、この地に埋葬し、愛用の鞭を墓標として刺しておいたところ芽を出し、今の大木になったと伝わる。「轡の森」の名の由来は、北国街道の牛馬市の名残りと言われている。
　木ノ本の次に歌われているのが長浜駅。「縮緬産地の長浜に　いでて見渡す琵琶の海　大津にかよう小蒸気は　煙ふきたて人をまつ」。
　「小蒸気」は蒸気船のことで、長浜港は大津への湖上輸送の拠点となっていた。
　次は終点の米原。「駅夫の声におどろけば　眠はさめて米原に　つきたる汽車の速かさ　みかえる伊吹雲ふかし」。
　米原駅に到着後の北陸線最後の歌は「おもえば汽車のできてより　狭くなりたる国の内　いでし上野の道かえて　いざやかえらん新橋に」。海外文化がどっと流入してきた明治期、鉄道の敷設で「日本が狭くなった」と感じた日本人が多かったのだろう。
　今や鉄道は電化、高速化され、新幹線は東京—大阪間をわずか２時間半で結んでしまう。さらに、近い将来に開通するリニア線は１時間余りに短縮する。
　速さと時間短縮を至上とする今の鉄道に比べ、戦前の汽車は単なる移動手段ではなく、車窓からの眺めや各駅の名物を楽しむ憧れの乗り物であったに違いない。鉄道唱歌からは汽車に揺られ、まだ見ぬ地に思いを馳せる魅力がある。
　なお、この鉄道唱歌、現在、鉄道スクエアで流しているので、興味のある方は足を運んではどうだろうか。</description>
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         <category>見聞録</category>
         <pubDate>Sat, 21 Jan 2012 15:08:00 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>国家国民の危機と政治</title>
         <description>　政治家は、いとも簡単に政局を論じ、国家国民の危機、などとほざくが、本当の危機はどんなものか。自分の命を投げるほどの使命感を持っているか、どうか、極めてあやしい。彼らの関心は次の選挙であり、然るべきポストについて、利権にあやかりたい、などというおぞましい私欲が見え見えである。
　国家の危機とは国家存亡の危機であり、かいつまんでいえば、国土の保全と独立がゆらぐことであり、国民の生活や安全がおびやかされることを意味する。
　こうした意味を踏まえて、今の国際社会における日本と、日本が抱えている諸問題を考えれば、確かに今は国家の存亡を憂うべき危機にあるといえよう。
　目を国外に転ずれば、ＥＵのギリシアに発したヨーロッパの金融危機は、ＥＵの崩壊を招きかねない不安を醸しており、その不安はドイツ、フランスのような指導的金融安定国家にすらしのびよりつつある。
　日本の円高がどう改変されるか。このまま欧州の金融危機が続けば、円高不安は高まることこそあれ、解消する見通しは立たない。当然ながら輸出不振や国内企業の海外転出が進み、国内の雇用や製造業界への深刻なパンチは避けられない。
　他方外交方面を考えれば、尖閣諸島周辺で起きた中国の威圧は沖縄海域にも及び、日本叩きの高姿勢は国辱すら感じるが、これまでの民主党総理はまるで従属国家のような遠慮ぶりで言うべきことすら言い得ない体たらくである。
　民主党を陰で支配するといわれる小沢一郎元代表は数百名の中国訪問団を組織し、１００名を超える子分の国会議員を彼の国の支配者に握手させて、それを次の選挙に活用しようとしたが、まさに奴隷のような惨めな醜態である。
　聖徳太子が遣隋使を通じて「日出づる国の天子、日没する国の国王へ申し上げる。恙なきや」としたためた対等外交の故事を思えば悲しくて涙が出るではないか。
　国内問題である靖国神社についても先方からつべこべいわれるわけはないのに、歴代総理や大臣は、参拝しないのが正しいかのような卑屈さで終止した。
　朝鮮半島はどうか。北朝鮮は日本人を拉致しながら、今なお拉致被害者を解放しないばかりか、この問題は解決ずみだと、うそぶている。
　国家が国民の安全を守るためにどう外交を転回するか。現状はむしろ、北朝鮮にしてもロシアの占拠している北方領土にしても「あなた任せ」のことなかれ外交で、国家の権威はさらさら見られない。菅内閣のごときは辞任のどさくさまぎれに、国内の朝鮮学校に対する補助金凍結を解除してしまったではないか。
　国政より、むしろ地方の政治家が頼りになるではないか。例えば、東京都の石原慎太郎知事は朝鮮学校への補助金を平成24年度に計上しないことを決めた。これが国民の声である。反日教育をすすめ、金王朝を神様の如く帰依する北の教育機関に国費を投じる滑稽さは世界の物笑いでしかない。かく考えれば、国家の危機は政治家と政府自身の責任であるが、彼らにはそのような使命感がない。
【押谷盛利】</description>
         <link>http://www.shigayukan.com/2012/01/post_1251.html</link>
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         <category>時評</category>
         <pubDate>Fri, 20 Jan 2012 15:02:46 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>エネルギーの安全保障（見聞録）</title>
         <description>　イランの核開発疑惑をめぐり、欧米とイランの対立が先鋭化している。欧米による経済制裁の強化に対抗し、イランは中東の石油供給ルート「ホルムズ海峡」を封鎖すると鼻息が荒い。
　世界有数の供給ルートであるホルムズ海峡が万一、封鎖されれば、世界経済の混乱は必至。オイルショックの再来となろう。日本に輸入される石油の８割もここを通っており、封鎖の打撃は計り知れない。
　封鎖に対して、欧米が武力攻撃に踏み切る可能性は限りなく高く、それ以前にイスラエルが先制攻撃する可能性もある。すでにイスラエルの特殊部隊と見られる仕業でイランの核開発者が殺害されている。
　ゆえに、専門家はイランが封鎖という暴挙に踏み切ることはないとみるが、経済制裁の強化は国を破綻させかねない。かといってせっかくの核開発を放棄するとも考えられない。
　さて、欧米による経済制裁に対し、日本はやや距離を置いてきた。というのも日本が輸入する石油の１割をイラン産が占めているからだ。
　しかし、政府は欧米の制裁に追従し輸入量を計画的に削減する方針を打ち出した。アメリカがイランと取引を続ける日本に対し金融機関への制裁をチラつかせたからだ。
　福島第一原発事故を受け、原発を再稼動できない日本は、火力発電のフル稼働で震災後の急場をしのいでいる。イラン産石油の輸入削減は、脱「原発依存」に走り出しつつある日本にとって頭の痛い問題だ。
　中東戦争におけるオイルショックのように、常に不安定な地勢にある中東は、ひとたび紛争が起これば、石油価格の高騰を引き起こす。
　そういうリスクを避けるため、日本はオイルショック後、エネルギーの自給自足をうたって原発を推進してきた経緯がある。
　日本は今、放射能汚染というリスクから国土を守るための脱「原発依存」に舵を切ったばかり。小生が危惧するのはイラン発の「オイルショック」を機に原発推進の亡霊が復活し、なし崩し的に原発の再稼動や新設に走り出さないか、という点だ。
　今やエネルギーの安全保障は「原発か石油か」という二者択一であってはならない。太陽光や水力、風力など自然の恵みを活用する新技術にこそ光を当てるべきなのだから。
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         <category>見聞録</category>
         <pubDate>Thu, 19 Jan 2012 14:23:18 +0900</pubDate>
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