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2017年11月17日

2人の英雄

 アフリカ南部に位置するジンバブエのムガベ大統領が軍のクーデターによって自宅軟禁状態に置かれている。背景には93歳のムガベ大統領の後継者をめぐる問題があるとされる。後継者は大統領のグレース夫人と側近のムナンガグワ氏の2人が有力候補となっていたが、ムナンガグワ氏が先週、副大統領を解任されたことで、同氏に近い国軍がクーデターを主導したとされる。
 目下、国軍が大統領に辞任を求めているが、40年近くにわたって独裁政権を維持してきたムガベ大統領が応じる気配はないそうだ。
 ジンバブエは第1次大戦後にイギリスの植民地「南ローデシア」となり、第2次大戦後は白人至上主義の「ローデシア共和国」として独立した。ムガベ大統領は白人政権による人種差別政策に対抗する黒人闘争を主導し、1980年の総選挙で大勝。ジンバブエ共和国の初代首相を経て大統領に就任後は、権力の集中、政敵の弾圧で独裁政権を築いた。
 経済政策については白人農場の強制収用など経済の根幹を支えてきた白人を排除する過激な政策を打ち出したことで大混乱に陥った。100兆ジンバブエドル札を発行するほどのハイパーインフレに見舞われた金融政策の失敗は有名。「暴君」「独裁者」として、その国際的評価は著しく低いが、「孔子平和賞」に選ばれるなど一部の国には評価されている。
 時期を同じくして、南アフリカ共和国でアパルトヘイトと戦った人物にネルソン・マンデラ氏がいる。反逆罪で27年間もの獄中生活を余儀なくされたが、総選挙で大統領に就任した後は、アパルトヘイト政策の下で対立することとなった民族や宗教の融和・協調に心を砕いた。人種差別との決別、国民の融和を進めるため、青、赤、黄、緑、白、黒の原色に彩られた新国旗を制定したのが象徴的だった。マンデラ氏は権力にしがみつくことなく、たった5年で大統領を引退し、4年前に亡くなった際にはその追悼式に各国の大統領や皇族が参列。日本からも皇太子が出席された。もちろんノーベル平和賞など国際的にも評価されている。
 白人政権による差別政策と戦った黒人の英雄がなぜにこうも違う道を歩むことになったのだろうか。

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2017年11月15日

酵母の発見に乾杯

 世界最古のワイン醸造の痕跡がジョージア(旧グルジア)の遺跡で発掘された。国際研究チームが遺跡から出土した約8000年前の陶器の壺を科学分析した結果、明らかになったものだ。これまでは約7000年前のイランが最古の発見例だったが、研究員は「もっぱらワイン生産を目的としてユーラシア産の野生ブドウを栽培化した最古の事例だと確信している」と述べている。
 日本では縄文時代の遺跡から果実酒を造ったとみられる痕跡が発見されており、それが最古だと考えられている。また、スサノオがヤマタノオロチを退治する際、「八塩折之酒」で酔わせたエピソードが古事記に登場する。
 今回のジョージアでの発見からも、人類とお酒の長い付き合いをうかがい知れるが、人類がお酒を「嗜好品」として楽しんでいたと勘違いしてはいけないようだ。
 今春、「発酵文化人類学」(発行・木楽舎)を上梓した発酵デザイナー・小倉ヒラク氏は、同書の中で発酵と文明の関係を紐解いている。その一例として、「キリストの血」とも呼ばれるワインを紹介している。ワインはブドウ果汁を発酵させて造るが、元々は嗜好品ではなく、砂漠を生き抜くための安全な飲料として飲まれていたそうだ。根を深く張り地中から水を吸い上げるブドウの木を「天然のポンプ」として、その水分を凝縮させたブドウ果汁を発酵させて腐敗菌の侵入を防ぎ、保存性を高めたわけだ。中東の地で生まれたワインの製法は、西へと落ち延びたキリスト教徒がヨーロッパに持ち込んだ。
 不思議なもので、大豆は麹菌により味噌になり、ブドウはイースト菌(酵母菌)によってワインに、そして牛乳は乳酸菌でヨーグルトへと変化する。小倉氏は有用微生物による発酵によって貴重だった食材の保存性と携帯性を高めた結果、民族が大規模に移動することも可能になったと指摘している。
 さて、あす16日はフランス産ワインの新酒「ボージョレ・ヌーボー」の解禁日だ。フランス南部ブルゴーニュ地方のボージョレ地区で、その年に収穫されたガメイ種と呼ばれるブドウから作る新酒で、「ヌーボー」はフランス語で「新しい」を意味する。この地方では秋の収穫祭で捧げられたと言われている。
 解禁日は毎年11月第3木曜の午前0時と決まっている。日本は時差の関係で、本場のフランスよりも8時間早く楽しむことができる。人類による酵母の発見と発酵技術の活用、そして大地の恵みに感謝して「サンテ!(乾杯)」と、グラスを掲げたい。

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2017年11月13日

きずな貯金

 現在、日本の死者数は年間約130万人だが、団塊世代の高齢化の進展に伴って、2030年以降には年間160万人にのぼると推計されている。いわゆる「多死社会」の到来に、人生の最期をどこでどのように過ごすのかを考えたい。
 内閣府の調査によると、昭和20年代には8割にのぼっていた自宅での看取りは、現在は13%へと激減している。8割近くが病院で最期を迎えている。意識調査では回答者の55%が自宅で最期を迎えたいと回答し、病院などの医療機関を希望するのは28%に過ぎない。ただし、この数値は「家族に迷惑をかけたくない」との回答者の思いが作用しているとみられ、仮に在宅医療の環境が整った条件下であれば9割が住み慣れた自宅で最期を迎えたいと願っているとの指摘もある。
 ただし、在宅医療は簡単でない。昭和初期のように3世代も4世代も家族が一緒に住んでいた時代と異なる。核家族化が進み、子ども、孫が遠方に住んでいることも珍しくない。介護保険制度や各種医療制度が整備されているとはいえ、自宅で介護・医療を続けるには支援者の育成が欠かせない。
 地域で亡くなる半数が在宅の看取りという永源寺。地域唯一の診療所で所長を務める花戸貴司さんは「在宅医療は医師一人ではできない。地域の支えが一番の力になる」と指摘している。
 医師や介護ヘルパーなどの専門職が提供する「地域包括ケア」だけでは、在宅医療は完結しない。独り暮らしの患者なら散歩に連れ出したり、話したりする相手も必要だし、認知症で徘徊癖があるなら近所の見守りも欠かせない。専門職だけではカバーできない「隙間」を埋めるのは誰か。花戸さんは「本当に必要なのは『ご近助』」だと訴えている。
 田舎の人付き合いを嫌って、子が新興住宅地に居を構えるのは日本の地方で見られる光景だが、花戸さんは田舎の人付き合いを「きずな貯金」として推奨している。田舎に住み続けると確かに煩わしくも思える付き合いがある。しかし、歳をとって体が不自由になったときに支えになってくれるのは、日ごろの付き合いがある近所の住民だ。花戸さんは「きずな貯金」を貯め、高齢になって体が不自由になれば、貯金を活用して生活をやりくりする。そんな理想を提唱している。
 もちろん、都市部でも趣味サークルの繋がりだったり、近所の仲間だったり、「互助」につながるようなコミュニティーを形成してゆけば、たとえ、独り暮らしになっても最期を自宅で過ごすことは可能だろう。
 住み慣れた自宅でお迎えを待つ理想。多死社会が迫るからこそ、尊厳ある最期について考えてはどうだろうか。

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2017年11月10日

アンネの日記70年

 ドイツ鉄道が12月に導入する新型特急列車の名前の候補に「アンネ・フランク」を挙げたところ、「無神経だ」との抗議が寄せられ、再考を迫られている。
 名前は利用客から公募し、人物名25人を候補として公表。アインシュタインやベートーベン、トーマス・マンなどと並んでアンネの名前があった。アンネは同国で公共施設の名称などに利用されているが、アンネ自身がナチス・ドイツ時代に鉄道で強制収容所へ送られており、批判が出るのは避けられない。ドイツ鉄道はかつて強制収容所への移送を担ったドイツ帝国鉄道を前身としており、「アンネの記憶を維持しようという歴史的な責任から決めた」と説明しているが、再検討を余儀なくされたのは当然だろう。
 ユダヤ系ドイツ人のアンネの家族は、反ユダヤ主義を掲げるナチスから逃れるため、ドイツからオランダ・アムステルダムへと亡命。しかし、第二次世界大戦でナチスに占領されたオランダでもユダヤ人狩りが始まり、一家は隠れ家での潜伏生活を余儀なくされた。約2年間に及んだ隠れ家での生活はナチス親衛隊(SS)の捜索によって終わりを迎え、一家全員が強制収容所に送られた。アンネは収容所の過酷で不衛生な生活に耐えられず、チフスを患って15歳で命を落とした。
 アンネは500万人ともされるホロコーストの、名も無き犠牲者の1人だったはずだが、隠れ家で書いた手記が「アンネの日記」として出版されたことで、世界で誰もが知る少女となった。
 アンネは物音一つ立てられない潜伏生活の中、学校の出来事や友人の話、隠れ家での生活、ユダヤ人の迫害や戦争、平和への思いなどを綴った。
 「私は理想を捨てません。どんなことがあっても、人は本当に素晴らしい心を持っていると今でも信じているから。私たちの人生は一人一人違うけれど、皆同じ。私たちは皆、幸せになることを目的に生きています」「苦しいことについて、私は何も考えない。美しいことがまだ残っているんだから」—。
 日記が出版されてから今年で70年。少女が絶望的な境遇の中でも希望の火を灯し続け、平和を願ったこの日記は世界各国で出版され、忘れてはならない負の記憶を今に伝えている。

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2017年11月08日

後妻業という仕事

 69歳の「小夜子」が結婚相談所を通じて知り合った高齢男性と、結婚と死別を繰り返し、遺産を手中に収める小説「後妻業」。大竹しのぶさん主演で「後妻業の女」として映画化され、注目を集めた。後妻になって遺産をかすめとることを「仕事」である「業」と形容する視点は新鮮だが、色仕掛けで資産家の高齢者を食い物にする女の存在はフィクションではない。
 小説の著者・黒川博行さんは結婚相談所などの取材を通して「資産狙いの再婚は間違いなくある」と断言している。黒川さん自身、この小説を書くきっかけとなったのが知人の姉妹からの相談による。姉妹の父は妻との死別後、91歳で結婚相談所に登録。そこで知り合った78歳の女性と交際することになるが、間もなくして死亡した。すると、女性は公正証書遺言をたてに遺産の独り占めを遺族に主張。姉妹が慌てて確認すると1億円もの預金通帳や有価証券が入った金庫は空っぽに。後の調査で、その女性の周辺では過去10年で4人の元夫が死亡していたことが判明したという。
 きのう7日、京都地裁に死刑判決を言い渡された筧千佐子被告(70)は「後妻業の女」そのものだろう。結婚相談所を介して知り合った高齢男性と交際し、青酸カリを飲ませて毒殺を繰り返していた。同時並行で複数の男性と交際し、「いつまでも変わらぬ愛を貫きます」などとメールで囁き、全財産を筧被告に譲るとの公正証書遺言が作成された後は、「用なし」と言わんばかりに殺害していた。
 黒川氏の小説をなぞるような筧被告の犯行に、「後妻業」という言葉が広く知れ渡ることとなったが、黒川氏は結婚相談所に登録する高齢男性に対し「なんぼでもひっかかります。女がその気になれば入れ食い状態」と雑誌のインタビューで指摘していた。
 人生の最期を寂しい1人ではなく、誰かしらのパートナーと一緒に歩みたいとの思いは否定できない。ゆえに、高齢者を対象にした結婚相談・お見合いサービスも盛んだ。殺されるのは論外として、人生の最期を一緒に過ごし、心に潤いを与えてくれるというのなら、たとえカネ目当てと分かっていても当事者は幸せかもしれない。どうせ、あの世におカネを持っては行けないのだから。

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2017年11月06日

深秋の満月

 十五夜は一般的に「中秋の名月」である旧暦8月15日を指すが、そもそもは旧暦の毎月15日の満月の夜を意味する。大気が冷え込み、澄みわたるこれからの季節の月夜は「中秋の名月」よりも輝いて見えると、個人的に評価している。
 十五夜の名前は、新月から数えて15日目に満月となって見えることに由来する。新月は太陽—月—地球の順に直線状に並んだ状態を指し、夜、地球から月が見えることはない。一方、十五夜は太陽—地球—月の順に直線状に並ぶので、太陽の光を浴びた月が丸く輝くことになる。
 なぜ15日間で満月になるのかというと、月は地球の周りを27日間で公転(一周)している。そこに地球の公転が加わると、おおよそ29日の周期で月が満ち欠けを繰り返す。ということは、この周期の半分の14・5日で新月が満月になる計算となるからだ。しかし、月の公転軌道はきれいな円形ではなく、すこしつぶれた楕円形のため、新月から満月までにかかる日数は最短で13・9日、最長で15・6日となるそうだ。ゆえに「十五夜」が満月になるとは限らないケースもある。
 さて、この11月4日は月齢15・3日の満月だった。秋の深まりを感じさせる澄んだ大気が月光を静かに届けてくれた。
 この季節の満月はとてもくっきりとしているから、望遠鏡がなくともデジタルカメラで簡単に撮影できるのが面白い。撮影した画像を拡大すれば、「コペルニクスクレーター」「チコクレーター」のほか、巨大隕石の衝突によって形成されたとされる「晴れの海」「雨の海」も観察できる。手軽に宇宙の魅力に触れられるのも、これからの季節の満月の楽しみ方かもしれない。
 この週末は連日、満月を撮影したが、日に日に月が顔を出すのが遅くなり、東の空を眺めながら、寒さとの我慢比べとなった。十五夜の次の夜は「十六夜」。「いざよい」と呼び、前日より50分ほど遅れて月が顔を出す。「いざよい」を動詞にすると「いざよう(猶予う)」となる。「進もうとしてもなかなか進めない」「躊躇する」「ためらう」などの意味となる。ためらうように月が顔を出すから「いざよい」と呼ばれるようになったようだ。ちなみに、十七夜は立って待つ「立待月」、十八夜は座って待つ「居待月」「座待月」、十九夜は寝転んで待つ「臥待月」「寝待月」などと呼ぶ。満月の時期を過ぎても、月が出るのを今か今かと待ち続けた先人の感性、自然賛歌の日本人独特のこだわりに脱帽である。

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2017年11月01日

「誠信交隣」を現代に

 高月町雨森ゆかりの儒学者で、対馬藩で「外交官」として活躍した雨森芳洲の関連資料を含む「朝鮮通信使の記録」がユネスコの「世界の記憶」に登録された。
 朝鮮通信使は秀吉の朝鮮出兵によって悪化した両国の関係を回復させるため、江戸幕府の要請に応じて200年間で12回、朝鮮から日本へ派遣された。対馬などを経由した後、大阪から江戸まで陸路を往復。鎖国により海外情報が乏しかった日本にとって、通信使の往来は異文化に触れる数少ない機会で、道中、各地で大歓迎された。
 ユネスコには日韓の市民団体が共同で申請したが、その過程では意見の対立もあったという。日本側は朝鮮との平和・友好に奔走し通信使の来日を実現させた対馬藩の初代藩主・宗義智の肖像画の登録を目指したが、韓国側は義智が朝鮮出兵に加わった人物だとして、拒絶。結局、日本側が取り下げることで、日韓の共同申請にこぎ着けたそうだ。日本側はその際、芳洲の「誠信交隣」に立ち返り、「相手を理解し、違いを尊重すべし」との精神を実践。侵略者の資料を共同申請しては国民の理解を得られないとの韓国側の事情に理解を示した。
 さて、今回の「世界の記憶」で日韓政府が火花を散らしたのが「従軍慰安婦」の登録申請だった。結局、先送りされたことで、日本政府は胸を撫で下ろしたが、韓国政府は「遺憾の意」を表明。同国メディアは日本政府の「妨害」があったとして批判している。
 2015年、中国が申請した「南京大虐殺文書」が登録され、中国政府の一方的な歴史観が「世界の記憶」として記録されることになった。これを受け、日本政府はユネスコの審査の密室性と欠陥を指摘し続けてきた。今回はその指摘が奏功して、当事者間で意見の食い違う「従軍慰安婦」の登録が見送られることとなった。
 ユネスコの、特に「世界の記憶」の政治利用は今に始まったわけではないが、国家や国民の対立感情を煽るような登録に、いったいどれほどの価値があるというのだろうか。
 隣国でありながら、過去の歴史の認識をめぐる対立が絶えない日韓。今、こうして両国の市民団体の共同申請により実現した「世界の記憶」登録を機に、改めて「誠信交隣」が紡いだ朝鮮通信使の歴史に注目し、隣国との友好を深められればと願う。

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