滋賀夕刊新聞社は滋賀県長浜を中心に政治、経済、文化の情報をお届けする新聞です。



2015年10月31日

大地の恵みと人間の生命

 人間は、横着にも自分の力で大きくなり、世の中に立っていると考えるが、実は親や肉親はもちろん、学校での友人、社会での仲間、それ以外に自然の恩恵を受けている。
 例えば、1万年前の縄文時代から海でとれた貝類を食べてきた。貝類や魚だけでなく昆布など海の藻を食べてきた。鹿やいのしし、きつねやたぬきも食べた。当然ながらその毛皮を肌につけることを学んだ。
 一番大きなのは大地の恵みであろう。大地の育ててくれた草の葉は後に野菜と呼ばれて人間の食生活にきってもきれぬ大役を持つ。
 大地はありがたいことに、人間の使い残した食糧をすべて、土の中で発酵し、地を肥沃にする。土のおかげを感謝すべきだが、その土は太陽の光と、ときに大地をうるおす雨のお陰で生き生きと呼吸している。太陽と土のお陰で、人は今も生きながらえている。
 人は「ありがとう」と感謝の祈りをささげるが、近年はそんなこと当たり前、とせせら笑う人がいる。感謝の心をなくした人は、日本に生まれていることさえ忘れている。かわいそうな人というべきである。【押谷盛利】

| | トラックバック ( 0 )

2015年10月29日

ぼくの今の心境は仙人か

 ぼくの今の心境は、世欲離れの仙人へのあこがれである。なぜ、そんな、けったいな心境になるのか。やはり、これは年齢から生命力の衰微による。
 人間は、例外はあるが、多くの場合、卒寿を迎えれば、とたんにがくんと力が薄れる。あたかも、ろうそくの灯が時間とともに消えてゆくような天のさい配である。
 ぼくは、例外があるといったが、白寿になっても、なお仕事を続けている偉大な先輩がいることは承知している。しかし、多くは寝たきりか、介護施設に入っているか、老人ホームに入っている。もちろん、介護保険の受給者でもあるが、不幸な人は痴呆がひどく家族から離れて暮らす宿命となる。これは、卒寿を越えたら生命力の弱さからくる自然現象で、さからうわけにはゆかない。
 ぼくはとっくに卒寿を越えたが例外の一人か、今もこうして時評を書いている。時評を書くといっても、自分の頭に浮かんだ、よもやま話を綴っているだけで、特別のとりえはないが、読者から「読んでいる」と励ましの声を聞くから、それを肥やしに精魂を込めているにすぎない。
 時評を書いているときは、精神を集中しているが、他の時間は放心状態というか、ぼけに近い空白の脳である。なにしろ、耳は遠くなるし、目はうとくなるわ、ものは聞いたはたから忘れてゆく。生きているあかしか、食欲はあるが、これも目に見えて細ってゆく。水を飲めと奨められるが、なかなかのどを通らない。
 もう、この世に用なしの体であるが、神さまが仕残していることがあるだろうと、時評の応援をして下さる。それがありがたい。【押谷盛利】

| | トラックバック ( 0 )

2015年10月27日

あえて薬漬けのぼくがいう

 「一凡人」と、名を伏した方から手紙を頂いた。この方は遍人らしく、これまでにも何度か投書があった。紙上に掲載する際は匿名は可だから、本名を明らかにして欲しいといっても応じることがなかった。良い文章でも、本人と確認できぬ場合、怪文書扱いになっても仕方がない。怪文書を紙上に出すわけにはゆかぬから、不掲載になることが多かった。
 ただ、今回の便りは、本人が重い病気で、その苦しさを訴えておられる感じがした。本人が誰だか分からない人に、ぼくの本心を述べるのは不本意なことだが、病んでおられるとあれば「お大事に」というほかはない。
 世の中には、大きなケガや難しい病気で入院されている不幸な人がいる。
 ぼくは、時評の読者には元気もりもりと思われているかもしれないが、どうして、どうして、毎日3食、クスリを手放したことがない。クスリ漬けは、ぼくは反対なのだが、これを飲まないと病気が進行して、いのちが危ういかもしれないので、不本意ながら必死の覚悟でクスリの厄介になっている。
 これは神さまが、よぼよぼで生かす値打ちがないが、この世の業として、いましばらく、時評に励め、とのお言葉と理解している。
 大正生まれの僕が見渡せば、右を向いても左を向いても誰も知る人はなく、浦島太郎ではないが、この世から離れている心境である。いずれこの世を去るであろうが、それまでに健康長寿の私見だけは言い残しておきたい。【押谷盛利】

| | トラックバック ( 0 )

2015年10月22日

外来文化と日本人の器用さ

 日本の文化は、おおまかに言えば外国の影響を受けている。日本人は器用だから、外来文化をうまく日本流に溶けこませている。文化といえば形にあらわすため文字化を迫られる。
 縄文時代は、日本には文字がなかった。文字が日本に入ってきたのは、弥生時代からで、それも3000年〜5000年前の遠い話である。
 初めて、日本へ入ってきた文字は漢字である。その漢字が実に気の遠くなるような長い歴史を持つ。漢字は漢民族の間に発生、発達してきた文字で、次第に周辺諸国に伝わり、日本では平安期に、これに基づく仮名文字が生まれた。漢字の歴史は紀元前十数世紀にさかのぼるとされているが、日本では漢字の音読みを日本語に同化させている。
 奈良時代の日本最古の歴史書、古事記は漢字表現だが、それは本来の日本語を漢字の音を借りているにすぎず、漢字もどきの日本文といえる。
 いずれにしても、古代の日本人は、カナがないので表記上、苦労した。
 これは、いまも同じで、たとえば、「ジャガイモ」はもともと「ジャガタライモ」と呼んだが、インドネシアの首都に由来する。オランダはここを支配して東南アジアの植民地化に力を入れ、それで、ぼくの子供のころはジャガイモを「オランダ」と呼んだ。ぼくの故郷では、トウモロコシのことを「トウキビ」、または「こうらい」といった。こうらいは朝鮮半島の高麗によるもの。
 キセルは、カンボジア語だが、タバコを吸うパイプだから煙管と訳したが、あまりにもパッとしないので、そのままいまもキセルが日本化した。タバコは南アメリカ原産で、桃山時代に日本に入ってきたが、日本人の好みにあったのか、名前もそのまま現代に伝わっている。カボチャがカンボジアから入ったのは知られているが、名前もそのままだから、日本人の口にあったのだろう。
 いまは横文字が溢れているが、これをどう訳すのか。楽しみである。【押谷盛利】

| | トラックバック ( 0 )

2015年10月20日

一億総活躍と安倍総理

 少子高齢化の波を諦めるわけにはゆかない、と安倍首相は、昨年9月の地方創生担当大臣の設置に続き、一億総活躍担当大臣という花火を打ち上げ、この内閣の大きな柱に位置づけた。
 ぼくは花火と言ったけれど、悪意があって安倍さんの政策に茶茶を入れるわけではない。まあ、この壮大な政策は、これが実ってこそ安倍さんの3本の矢が国民のところにじわっと潤いをもたらすといえよう。
 安倍内閣の3本の矢によって、円高が止まり、株価が上昇し始めた。大企業は安倍さんの経済重視の政策に最も敏感に反応した。それもそのはずで、株価の上昇だけでなく、売り上げが増え、製造業の活性化を見た。
 問題は東京一極集中の状況をどう地方へ分散してゆくか。東京だけが繁栄して、安倍内閣の3本の矢の恩恵が地方へ波及しなければ、国全体の経済の活性化がとんざしかねない。
 安倍さんは、賢明にもそこに新しい政策を打ち出した。少子高齢化よ、さようなら、の発信であるが、地方には早くも「東京から定年退職組を迎え入れよというのか」と、いい反応をみせてない。
 東京から、離れるとなると、どこが人気があるのか。調査によると、地方の中都市好みが多いとか。
 やはり、文化に恵まれ、生活物資が手に入れ易く、教育水準もまずますの都市で、これを大まかに見ると名古屋、大阪圏が人気を呼ぶ。
 それを裏書きするかの如く、国土交通省の全国調査によると、名古屋、大阪圏の地価上昇率が高い。
 安倍内閣経済政策の効果は、このように地価の価格上昇率にも見られる。地方への活性化が具体化すれば、国民の地方への関心は高まるであろうし、地方での工場建設や固定資産税免除などの優遇が、これらの政策に追い風となろう。
 こうして、一億総活躍社会が軌道に乗れば、今後の課題は地方の分権であろう。そのゆくところは、「おおさか維新」の政策である、おおさか副首都論であろう。東京一極集中の反対が国民の総意である以上、副首都構想を軸に、広く関西に地すべりを起こすべく、産業、文化、観光に華々しい効果を上げるにちがいない。
 安倍さんの一億総活躍社会は、ここにきて、少子高齢化に戸惑う地方へ歓迎すべき贈り物となるだろう。
 願わくは、地方創生の喜びの鐘が全国に鳴り響いてほしいものだ。
 わが滋賀も琵琶湖を生かし、新幹線を活用し、世界から国際観光と爆買いの絶好のチャンスとして安倍内閣の一億総活躍社会の豊かな実りを期待したい。【押谷盛利】

| | トラックバック ( 0 )

2015年10月17日

「9条は憲法違反」の主張

 10日付、産経新聞産経抄に、びっくり仰天の記事が出ている。「憲法9条自体、憲法違反だと思っている」。これはアメリカのカリフォルニア州弁護士のケント・ギルバートさんが民放テレビの討論番組で指摘した言葉である。
 ギルバートさんは、「憲法は本来、権力者に義務を課すことで専制を防ぐものだ。権力者の義務には、他国の侵略を防ぐ国防が含まれる。国防義務を果たす上で9条が障害であれば、9条こそ憲法違反である」と主張する。
 同産経抄に、徳島文理大学大学院の八幡和郎教授は、新著「誤解だらけの平和国家・日本」の中で、「憲法学者がなんでも憲法違反にしたがるのは職業的利益のためです」「彼らはいろいろ難癖をつけて憲法違反といわないと、商売にならない人たち」と語っている。
 八幡教授は大津市出身の学者で、かつて大津市長選に出たことあるが、大津の有権者はこんな人材を生かし切れなかった。滋賀県は井の中の蛙か、全国レベルの優秀な人材を育てることができない。皮肉にも琵琶湖の小鮎が全国に放流されて人気を博しているではないか。
 それにしてもギルバードさんのいう権力者の義務とは痛快である。
 9条が国防の障害であれば9条こそ憲法違反である。なんとも大胆な主張というべきではないか。残念なのは、これがアメリカの弁護士の指摘で、日本にはこういう発想をする学者や評論家がいないのだろうか。
 ぼくは、「憲法へ憲法へ」と草木もなびく叫びによる世論の偏向に「もの言えば口びる寒し」と国民は沈黙しているのではないかと思う。それこそ言論の自由と民主主義の危機ではないか、深く考えたいことである(10日、産経抄参照)。【押谷盛利】

| | トラックバック ( 0 )

2015年10月15日

百田尚樹氏の「大放言」

 作家の百田尚樹氏の新著「大放言」は実に面白い読みものである。
 氏は、かねてから歯に衣を着せず、正直に、大胆に、世間やメディアをびっくりさせる演説などで、今や日本でも唯一の言論自由作家である。
 その百田氏が「九条信者を前線に送り出せ」と、とんでもないことをしゃべったと、新聞に叩かれたことがあった。真相について、百田氏は「恐ろしいまでの曲解である」と新聞報道を批判している。氏のツイートの原文は次のとおりだった。
 「すごくいいことを思いついた!もし他国が日本に攻めてきたら、九条教の信者を前線に送り出す。そして他国の軍隊の前に立ち、『こっちには九条があるぞ、立ち去れ』と叫んでもらう。もし、九条の威力が本物なら、そこで戦争は終わる。世界は奇跡を目の当たりにして、人類の歴史は変わる」。
 氏は同書で「賢明な読者ならおわかりのように、これは皮肉である」と指摘し、次のように解説している。
 「憲法九条を何が何でも守りぬくと主張している人たちは、『九条があったからこそ、日本の平和が何十年も守られた』と言う。彼らに言わせれば、日本が戦争から免れたのは九条のおかげらしい」。
 「もし彼らが主張するように、本当に九条の威力によって日本が守られていたとするなら、実際に戦争が起こったときに、彼らに頑張って戦争を食い止めてもらおうではないかという皮肉である。戦争が起これば、九条信奉者を前線で殺してしまえという意図はどこにもない」。
 憲法九条さえ唱えていれば、外国の軍隊などに攻められることはないという信者へのあてこすり発言だが、メディアは「九条信者を前線に送り出せ」と、百田氏の真意を曲げて報道した。
 九条の信者は「私たちの息子を戦場に送り込んでいいのか」と言うが、「私たちの娘が他国の軍人たちに強姦されていいのか」という発想もしてもらいたい、とも訴える百田氏。その言論には大きく賛意を表するものである(新潮新書参照)。【押谷盛利】

| | トラックバック ( 0 )

2015年10月13日

反日グループと反安倍

 日本人でありながら、安倍総理のことを、くそみそにこぼって、中国を喜ばせている反日のグループがいる。
 安倍さんは、国民代表の国会議員の中から選出された日本の総理である。
 安倍さんこぼちに熱心な野党はとことん安倍きらいならば、次の解散、総選挙で自民党を負かし、自分たちの気に入った総理をつくればよい。しかし、解散、総選挙があっても野党が勝つ保障はない。
 民主主義のルールで、野党が勝たねば政権交代はない。
 これは極めて分かりやすい話で、野党は一部の偏向メディアの応援もあって威勢良く反安倍を宣伝するが、彼らは、世論の背景に国民が存在することを考えないのであろうか。
 反安倍の全国キャンペーンの中身は、全労連傘下の組合専従書記だったことは、すでに触れた。
 国会前の広場を反安倍の集会に利用している図は、国民が不快感をもって見ていた可能性が強い。
 安保法案は戸締まり法で、ドロボーに入られぬための措置である。そんな単純な分かりやすい話を砕くため、戦争反対とか、徴兵反対をわめいていたが、わめく連中は、なんでもよいから「反安倍」につながればよいと考える。
 ところで日本の反安倍集団は、中国にとっての勿怪の幸い「反日」集団である。反日は中国共産党の国策であるが、不思議なことに、日本在住の反安倍グループや、偏向メディアは、なぜ、中国の露骨な反日政策に「それはないでしょう」と、声をかけることをしないのか。日本にいる中国びいきは、政界、財界、労組関係に数多くいるはずであり、なぜか、先方を訪ねては優遇されているが、全然日本の国益について意見をのべることはない。
 「はい、ごもっとも」と、中国のえらいさんにこびっているだけである。
 こういう人は、親中派というが、ぼくに言わせれば「売国派」である。
 先方は中国共産党の独裁国だから、「ノー」といって日本の国益を議論するものがいなくては、むかし、昔の遣隋使、遣唐使のようなもので、ひれ伏して、お墨付きを頂いて帰ってくるにすぎない。いま先方では、スパイ狩りをやって、外国人を捕らえているが、物騒な話というほかはない。【押谷盛利】

| | トラックバック ( 0 )

2015年10月08日

検査漬けの病院と薬漬け

 先日、10人ばかりの女性の集いで、面白い話を聞いた。いつものメンバーのA子さんが、このところ塞ぎ込んで、それに輪をかけるようにクスリを取っかえ引っかえ服んで、クスリ負けしたのか、ひどい鬱病で、いまは入院しているという。
 その話をきっかけに、「病院へ行くと病人になってしまう」とあちこちから声が上がった。病院は病人を治すところではなく、病人をつくるところだ、というとんでもない話に花が咲いた。
 医薬分業は、病院は処方箋は出すが、くすりは薬局が出す、というシステムだが、聞こえはよいが、実際は医薬分業ではなく、医薬協業である。両者がもちつもたれつの助け合いをしているのである。
 人は、わざわざ病院へ行くほどでないから、薬局に相談して自分の力で、調子の悪さを克服したいと考える。ところが医薬協業だから薬局は「取りあえず検査してもらいなさい。検査結果によって治療法やクスリが処方される」という。
 それを真に受けて、ひとたび病院へゆけば診断どころか、先ずは検査とばかり、採血、検尿、放射線など検査漬けで、疲れ果てる。
 いまの若い人は、昔の人を遅れていると軽蔑するが、どうして、どうして、昔の人の方が、よほど頭が新鮮でものごとの本質を理解して踏み外しがない。
 例えば、昔は「医者、坊、南瓜」といった。医者も坊さんもかぼちゃもひねた方が味があり、値打ちがある、という。
 ひねた医者とは、年季が入り、長く患者に接し、治療効果をあげた実績が山ほどある。その貴重な体験は今の病人治療に最も効果的なデータを残している。
 古老の医師は経験豊かで、患者が病室へ入るなり、その顔色を見て、どこを病んでいるのか分かり、問診は部分部分の調子を聞いているようだが、聴診器を胸に当てているようでも耳に聞こえる体内の音を心で分析して音の質や変化で、内臓か、貧血か、脳の故障かを考える。医師は自分の診断にクスリがどんな反応をするか試みる。
 「あら探し」というか、体内を検査漬けで、探し続ければ、どんな人間でも、2カ所、3カ所はボロがでる。そのボロ探しの検査を受ける身の哀れさよ。【押谷盛利】

| | トラックバック ( 0 )

2015年10月03日

おおさか維新と副首都論

 「おおさか維新の会」が24日結党することになった。中心となる指導者・橋下徹大阪市長は1日の記者会見で、声高らかに大阪副首都構想を掲げた。
 「おおさか維新」の名称は、この国を地方分権の国に変えるという大きな目的にふさわしい。党名に地域名を入れたことは、堂々たる「副首都」実現への宣言であり、東京への一極集に待ったをかけた。そのすがすがしい愛国の至情に国民の多くは共感するのではないか。
 ぼくは、大阪副首都構想は大賛成である。少なくとも大阪に接する近畿の府県は、その実現に協力し、自らの課題として、率先して「おおさか維新」を支援すべきである。
 大阪を副首都とする構想は、内外の激変する関東と東京の将来を考えればむしろ遅すぎるくらいの発想であり、これまでの掛け声だけの地方分権を身近な課題として政策の中核にしたことは、まさに「おおさか維新」の面目躍如である。
 もし、東京が再び関東大震災のような災害にあえば、どんな影響をもたらすであろうか。
 空陸の交通は遮断し、国際的に東京の機能は麻痺する。東京へ集中していた企業、学園、文化は一時的に声を失うであろうし、その影響はそのまま地方の萎縮につながる。
 東京の安全性が保証されているわけでなく、いつ、いかなる状況で、東京が閉塞したり、環境に重大な変化があるかは予測できない。
 しかし、厳然と副首都が大阪にあれば、首都機能は危機にとって代わることは可能である。
 大阪副首都は、地方分権の目玉であり、国家的見地からもその実現は早いほどよい。
 「おおさか維新」は、松野頼久代表の「現維新」を偽物となったと批判しているが、全くその通りで、政策が根本的に違うはずの民主党との合流を推進しているのは裏切りも甚だしい。おおさか維新に流れる本物の政治家とともに次なる解散には全国の「本物の維新」が一致結束して国政参加への道を切り開くであろう。
 おおさか維新がんばれ、その勝利を祈る。【押谷盛利】

| | トラックバック ( 0 )

2015年10月01日

危険な橋を渡った旧日本

 満蒙開拓という美名のもとに国論を一つにしょうとする政府や軍部の画策については、すでに触れた。思想や世論を偏った方向で一本化すること自体、民主主義の否定につながる。そういう意味では戦争中の1935年時代は暗黒時代といってもいい。要するに戦争へ戦争へ、草木もなびく社会思潮が形成されていった。
 これは満蒙(満州・蒙古)への進出を国の方針にしょうとする軍部や右翼、大地主、官僚の黙約の成果だった。この限りにおいては、国民は充分な、公正な情報を閉ざされ、マスメディアまでが軍部や右翼を支持するような危険な空気を醸成した。
 こうした言論統制が政党の解消、そしてその絶対的権力が日本を支配することになった。
 言論統制は、新聞、雑誌、演劇、映画、音楽にまで及び、極端なのは漫才や寄席、小説、俳句にも及び、真に自由主義、民主主義を守ろうしする人は、沈黙を守るしかなかった。
 「ものを言えば口びる寒し秋の風」という俳句が当時の暗い社会を反映させた。この思想統制は、例えば、文学の場合「文学報国会」の名の下に権力派の拠りどころとなった。
 戦後の日本は占領軍のマッカーサー司令官により、右翼や軍部を追放し、民主主義への道を開いた。
 当時の進駐軍(占領軍)は日本の民主主義を12歳と軽蔑した。占領軍は民主主義を推進するため、大胆な公職追放令を出し、占領軍の眼にパスしないものは、選挙に出ることもできなかった。占領軍は、連合国の総意として、日本を永遠に3流、4流国にしておくため、戦争放棄、軍備無用、なぐられればなぐられ損の憲法を押しつけた。
 警察予備隊が自衛隊に変貌していったのは、国際平和環境の変化によるもので、占領軍は当時、今のような国際情勢の複雑さを予測し得なかった。
 自由と民主主義の2つの大きな柱は、国民の幸福のとりでとなった。いま、一部の偏向マスコミや野党はデモを支持し、国会審議を暴力で否定、政治から民主主義を潰そうとしている。危険千萬というべきである。【押谷盛利】

| | トラックバック ( 0 )


しが彦根新聞
滋賀夕刊電子版
滋賀夕刊宅配版
滋賀夕刊デジタルトライアル
“新聞広告の資料請求、ご案内はこちらから"
 
長浜市
長浜市議会