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2015年09月29日

民主主義と平和安全法制

 9月23日付、産経新聞に、評論家の曽野綾子さんが民主主義について分かり易い説明をしている。
 「最近の若者の中には、民主主義というのは全員の意見が一致することだ、と思っている人がいる。民主主義は51%の人が賛成したら、49%は泣くことになのだというと、びっくりしたような顔をする。ユダヤの知恵の中に、100%の人が賛成したら、その意見には危険が潜むと見て使わない、という知恵がある」。
 「100%が賛成するようなことの背後には、どこか麻薬的と言っていい思想統一があるか、何らかの陰の力が強力に影響しているからだ、とみるらしい」。
 「一部の日本人のように、武装しなければ平和が続くと思うのは全く甘い考え方で、敵はいつでも、どこにでもいて、おそらく国会の審議にかけていたら手遅れになるほどの速さと意外さで、隙があれば侵入してきて、民族の自主権を脅かすだろう」。
 「民主主義の支持者は、49%の泣く人たちが、次回の選挙で、その答えを出すことに信をおく」。
 ぼくの記憶では、戦時中、政府が思想統一を強行しようとしたいわくがある。いわゆる翼賛選挙で、政党を解消して国会の意志を一本化しようとする策謀だった。このため、翼賛選挙の本部を結成し、衆議院の立候補者を本部が推せんすることにした。これに反発する民主主義派が翼賛選挙で推せんを拒否し、いわゆる非推せんで選挙にのぞんだ。推せん派を勝たせるため、官憲あげて、非推せん派を弾圧した経緯がある。この選挙で非推せん派のリーダーだった、東方会の中野正剛は弾圧の手が宮家に及ぶことを苦慮して自殺したほどである。悪夢というべき翼賛選挙のもたらした国論統一の弊害は太平洋戦争突入、敗戦の国難をもたらした。
 野党や一部のマスメディアが、今回の安保法制に関し、みんなが賛成しなければ、と反対運動を連日繰り広げたが、このように「みんな」を口実にする反対運動は思想の統一を前提にしており、極めて危険というべきだった。この人たちは、平和安全法制を「戦争だ」「徴兵だ」と、とんでもないスローガンを押し立てて国民を煽ったが、国民は戸締まり用心のこの法制に信頼を置いた。
 日本の周辺の平和環境が危険視されるなか、真に国家、国民を思う政治なれば、集団的自衛権も平和安全法制も「守り」の柱であることを知らねばならぬ。守りなくして平和はない。【押谷盛利】

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2015年09月24日

国会デモの不思議な光景

 安保法案成立前夜の17日夜の国会議事堂前の広場は反対の籏を立てたデモが渦巻いた。
 テレビがそのデモを鮮明に映していたが、ぼくはそれを見て「おや、これは労働組合のパフォーマンスではないか」と、あらためて画面に目をこらした。
 多くのデモ隊が、われこそは、とばかり旗や幟を掲げていたが、驚いたことに、それらはまさしく労組の幟を鮮明にして、どこの組合から参加しているのか、後日の勤務評定を思わせる忠勤ぶりであった。
 分かりやすく言えば、東京の労組総本部から全国の組合支部や各都道府県の連合団体に「東京の国会デモに参加せよ」の指令が出たものと思われる。
 各労組には、組合から報酬を得ている専従書記や役員がいて、彼らにとってみれば国会前のデモに参加するのも仕事の一つである。
 このような、からくりが偶然のテレビニュースで明らかになったため、「なんだ、あれは、まるで組合の運動会みたいではないか」と白眼視した国民も多かったはず。
 デモは民主主義の側面を持ち、団体や住民が行政に、あるいは事業者に抗議したり、意見を公開したりするが、それは合法的に許されている場合で、もし暴力化すれば警察の取り締まり対象となる。デモがどんなに大人数で何日にわたろうとも、秩序が保たれていれば取り締まりは発動されない。
 デモに参加した人は組合の専従職員だけではなく、学生団体などにも多いと思われるが、彼らは安保法案の中身を知っているのだろうか。民主党や社会主義政党の宣伝に乗じられて、真実を知ることなく「戦争反対」「徴兵反対」をやっているが、今の日本を取り巻く安全保障環境はここ半世紀で大きく変化していることを認識しているのであろうか。
 毎日、ニュースで明らかなように尖閣諸島付近の日本の領海に中国の艦艇や調査船が侵略し、日本の中止要求を無視して、海底調査などを繰り返しているではないか。
 ぼくは安保法案を戸締まり用心法だと思っている。ぼくの子供のころは家に鍵をかけることをしなかった。それが戦後、人の往来や車の出入りが多くなって、「戸締まり用心」の声が全戸に普及した。泥棒に入られぬための施錠である。
 今回の安保法制は、国際環境の変化に応えるための、国家の独立、平和、国民の幸せを守るための法制であり、それは戦を未然に防ぐための法整備であることを知らねばならぬ。
 こころみに、中国ではデモは拘束されるし、銃殺される。今回の国会デモ隊は、中国びいきが多いが、どこの国の代弁者なのか、日本を思ってのデモとはとうてい信じられない。国民は冷静に判断するにちがいない。【押谷盛利】

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2015年09月19日

学力の低さと教師の無能

 滋賀県の小・中学校の学力レベルが、全国でも最低にランクされていると聞き、おだやかならぬのは県民感情である。県民である以上、一木一草に至るまで県民の誇りとしたいのであるが、学力調査は文科省が実施した全国調査だから恥ずかしながら認めぬわけにはゆかぬ。
 生徒や児童の学力が全国の都道府県と比べて劣るというのは、滋賀県の教育水準の低さを物語っており、それは、そのまま学校の先生方の質に関わっている。率直に言えば、先生が先生だから、生徒も生徒。つまり、ろくでもない先生に教えてもらうと、子供らの出来もパッとしなくなる。
 小学校の先生は、それぞれの府県の教育委員会が応募者の中から選定するが、滋賀県の先生の出身はどこが多いだろうか。県の先生は県内から採用するのが人情だろうが、それでは、先生になる近道は、と考えれば、そのからくりは戦前も戦後も同じペースである。今は、滋賀大の教育学部が先生の登竜門だが、戦前は「滋賀師範」という専門学校が一切を仕切っていた。
 滋賀師範学校に入学するのは、1部は旧制中学校から、2部は各小学校の高等科卒だった。
 滋賀師範を卒業すれば、ほとんどが県内の小学校に教師として採用された。情実もからんで、地域の教師はすべて地域にすんでおり、自宅から学校に通うのが普通だった。
 学校間が学力を競い、教師が存在感を発揮するような環境ではなく、年々歳々、同じ調子で入学生を迎え、卒業生を送った。
 戦後、経済の復旧しないころ、旧制中の卒業生は就職に苦労した。そのころ流行した言葉に「デモシカ先生」があった。どこへもゆくところがないから「先生でもしようか」、「先生しか道がない」という捨てセリフだが、デモシカ先生が採用されたのは、当時、先生級の若い人材が戦争で帰らなくなった事情も背景にあった。ぼくも東京の大学にいたころ、町田市で代用教員を志望したこともあり、一時は先生不足の時代があった。
 県の教員の学力レベルが全国と比べて、高いか、低いかは、自ら判断されようが、就職に際しての競争力の激しい県か、安易な県かで出発点が分かれる。デモシカ先生の延長が今日に及んでいるとしたら、これは致命的である。
 この際、大胆に教師の採用枠を変革し全国からよい教師を呼び込むことである。そのためには待遇、住宅、その他を変革せねばならぬし、県教委の現在の採用状況を刷新する必要がある。
 ついでにいうが、よい教師とは本人の頭がよいだけでなく、本人が子供のために身命を投げ打って努力する熱意であろう。【押谷盛利】

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2015年09月17日

県の教育レベルは最低

 文科省が実施した全国学力調査で滋賀県は小学生が全国最下位、中学生が39位に位置していた。小学生と中学生の成績を総合すれば全国ワースト2位という不名誉な結果である。
 この恥ずかしい本県の教育レベルについて、特に県知事や県教育長らの反省や成績向上の今後の方針について何一つ聞くべき言葉を聞いていないのが残念である。
 お隣りの福井県は上位にランクする優秀な成績だが、雪の多い富山、新潟でも優秀な成績を誇っているのを滋賀県の幹部や教育関係者はどう思っているのであろうか。平成40年には1億人を割る、というのが国の人口動態であるが、世間に滋賀県の教育は悪い、滋賀県の子供の学力は劣ると知られたら、どんな反応を呼ぶだろうか。
 試みに、A社の部、課長、幹部級が滋賀県にあるA社の社宅へ居住するよう発令されても素直に家族全員が滋賀県へ移住するだろうか。おそらくは、会社の幹部社員である者が単独に転勤してくるだけで、家族は元の他府県の住居に留まっているのではないか。
 京阪神や名古屋の中間に位置する便利のよい本県でありながら、あえて、社員の単独勤務が解消しないのは教育貧困県に対する抵抗であろう。政府は地方創生を国家の柱として推進しているが、その中身に分け入れば、人口減少に拍車をかけているのが県教育界の怠慢である。
 ワースト2位という低い成績の本県は、別の政策で、人口増を考えても、親たちが県で暮らし、県内の小中学校に通わせることに抵抗すれば、基本的には子供が滋賀県から遊離することになる。
 事実、それを裏書するように、湖北、湖南、湖東、湖西の進学者は本県を越えて京都、大阪の高校へ進む。県の教育関係者はこの情けない実態にどう対処するつもりなのか。滋賀県にいれば教育レベルは全国下位だなんて不名誉な話に、奮起することもないのか。
 こんな状況に目をつむっていれば、他府県から県に入る子がないばかりか、県内の子もゆかりを求めて形式だけ住居を他府県へ移すことになるだろう。
 県の産業、経済発展をいう知事はその前提として、どのように教育界の立ち直しをするのか、県民の一人として関心を払わざるを得ない。【押谷盛利】

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2015年09月15日

湖北の河川は大丈夫?

 鬼怒川の決壊、氾濫は空前絶後の記録的な爪跡を残した。刻々と伝わるテレビの情報に国民の眼は釘付けにされた。
 雨水は川に流れて下流へ、という常識を破って、土手に溢れ、土手を破って町全体を泥海状にした。土手を破った川の水は、それこそ怒濤の勢いで、平野部の田畑や人家を襲い、家も車も流してしまった。
 備えあれば憂いなしというがひるがえって、わが住む滋賀の北部は大丈夫だろうか。
 今回の鬼怒川決壊をしおに、北から大浦川、塩津川、余呉川、姉川、草野川、天の川の現状を確認して、万一の大降雨があれば、どんな危険にさらされるか、お役所ごとと言わず、地域や住民の覚醒が促される。
 それぞれの川は蛇行しているが、その曲がり部の護岸は完全かどうか。増水する水の勢いに絶え得る高さと強度を再検討する必要がありはしないか。
 とくに昨今の心配は土砂が土砂を運び、川底を浅くしている点であろう。
 浚渫がなおざりにされているから川床が全体に高くなっており、その分、水の流れの障害となっている。
 公平に見て、一番心配なのは高時川の下流部と虎姫地域の低地と排水河川の満杯であろう。
 高時川は難波付近で田川と合流するが、虎姫地域からの増水に耐えるゆとりがない。錦織付近が満水となれば水は逆流して、田川からの水を押し返す危険が強い。
 錦織から湖に注ぐ河川が狭小で上流からの水を吐ききれないから、田川の水は糞詰まりの結果、逆に虎姫地域の低地に溢れることになる。
 河川の改修が不十分であれば、低地の虎姫は、豪雨のたびに浸水の危機にさらされる。
 田畑や家屋の冠水は、低地のかさあげをしなくてはならないが、個人の負担には限界があり、政府のすすめている地方創生の事業枠を確保することが手近な道ではないか。
 このほか心配なのは、米原市飯付近の天の川の決壊であろう。天の川が増水すれば、旧国道のカーブ付近を越えることが過去にもしばしばあった。
 1時間、延べ50〜60㍉の豪雨が続けば、天の川の濁流はあちこちで氾濫する危険がある。どこで堤防が切れるか、満水するか。とくに伊吹山の麓が心配である。万一、土砂崩れで道が埋もれ川がダム化すれば、上流地域は孤立して交流が遮断され、陸の孤島化を招きかねない。【押谷盛利】

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2015年09月10日

どんぐりとご飯の話

 歌誌「好日」の創始者・米田雄郎の戦前の作品に「樫の実、南無阿弥陀仏と六つならべ、私のてのひらのうへに」、という珍しい短歌がある。短歌新聞社発行の「米田雄郎全歌集」206ページに出ているが雄郎は寺院の僧であるからどんぐりの実を拾ってもわれわれとは感性が違う。彼は6つ拾ったが、それを「南無阿弥陀仏」と詠んでてのひらの上に押しいただいたという。
 どんぐりといえば、一茶の「どんぐりの寝ん寝んころりころりかな」が有名だが、われわれには「どんぐりの背くらべ」が、なじみがある。どれもこれも似たり寄ったりというたとえに用いる。「どんぐりころころ どんぶりこお池にはまって さあ大変」と子供のころに歌ったが、雄郎は「どんぐり」と言わず、「樫の実」と表現した。
 樫は「ブナ科」の常緑高木で、日本では主に中部地方から南に生育する。その果実を「どんぐり」といい、デンプンを大量に含む。材質は堅くて弾力性があり、建築材や農機具材、炭として利用する。
 雄郎は、どんぐりから「南無阿弥陀仏」の六文字の名号を称えて、てのひらに6個並べたが庶民はお念仏を日常どう生かしているだろうか。
 ぼくの子供のころは、母や祖母が御飯は一粒でも大切にしなくてはもったいない、とうるさかった。御飯は「お米」を炊いたもので、お米には仏さんが宿っている、と教えた。釜や、ひつの飯がなくなっても、飯粒や飯の粕などがふちにへばりついていることが多い。そのひっついている飯の屑が半ば糊状になっているものにお茶をまぜて、洗い落とすのを「おとし」といった。ていねいにしゃもじで洗うようにして、鍋や釜、おひつに付いている飯あかを洗いとった。み仏の宿っている御飯を一粒どころか、へばりついている糊状までも食べつくした。
 飯ばなれの昨今、ウソのような話だが、日本人と飯とは古来、深い関係があり、仮りにも、お客さんを接待するとき、冷や飯を出すことをしなかった。普段は麦飯を食べても、客人を迎えたときは白米を炊いた。食事を差し上げるのが客人接待の常識だった。
 飯を敬語にして「ごはん」と呼ぶのも、お米に仏さんが宿っているという原始的信仰であろう。
 それを思うと、現代っ子は「おこめ」のご恩をすっかり忘れてパンに埋没してしまった。小麦類が輸入されなくなれば、日本人の生活はアウトになりかねない。いまこそお念仏をあげて、お米の御飯を頂きましょう。【押谷盛利】

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2015年09月08日

晴れと褻と強飯の話

 日本人は礼儀の正しい民族で、晴れの舞台と陰の日常を区別した。
 け(褻)にも晴れにも、という言葉があるが、晴れ着に対して、「け」は普段着のこと。「け」にも晴れにも別に衣裳とてなく、という着たきり雀の貧乏人もあるが、多くは、普段着のほかに晴れ着を持つ。
 晴れの日は、例えば婚礼、何かの受賞に当たり、昔ならかみしも、今はモーニングを着用する。
 晴れの日の反対は、「け」で普段の湿っぽさをいうが、葬式なども「け」に相当する。
 昔の人は律儀で、例えば氏神の祭礼があれば、赤飯を蒸して隣り村の親戚に届ける。
 先日、ある席で、赤飯をなぜ「おこわ」というのか、話題になった。おこわは「お強」と書き、昔は赤飯と言わずに「こわめし」とか「おこわ」といった。漢字で書けば「強飯」「お強」。
 こわいは「強い」と書くが、こわごわしているさまをいう。「強飯」は「こわいいい」ともいう。うるち米(餅米)をこしきに入れて幾度も水を掛けて蒸したもので、晴れの舞台(祭)や婚礼、その他めでたいときに箱に詰めて近所や親族に配る。普通はめでたさを表すため、小豆を入れた。
 しかし、法事など不祝儀用にこわ飯を配ることも珍しくなかった。こんな場合、小豆を加えずに、もち米だけの白いこわ飯を蒸した。これを「白蒸し」といった。このように、「晴れ」と、「け」を明確に区分したところに昔の人の「けじめ」の正直さをうかがうことができる。
 このごろは、祭りでも人を招待することはなく、かといって、「おはぎ」や「おこわ」を贈るでなし、何ということなく味気ない世となった。
 「け」のなかで、最も淋しいのは人の死であるが、これがまた葬礼離れも甚だしく、葬送に喪に服するどころか、あっけらかんとして、葬儀社に万事人任せしておしまいである。死者のかたわらに籠もりつつ、死者と生者の名残りの時間に夜を明かす遺族は少なくなった。当然ながら、葬礼であるから、家族、親族の役割分担もあるはずであり、何よりも輿のかき手が重視されるが、それもこれも遠い昔の物語りとなった。墓場を「さんまい=三昧」といったが、その意味も消え去ってしまった。
 あらためて、「晴れ」と「け」の日本人の心のゆかしさを訴えたい。【押谷盛利】

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2015年09月05日

骨の弱い現代人と整骨院

 このごろ街を走っていると、やたら眼につくのが整骨とか整体院の看板である。
 整骨院は柔道の大家が柔道で鍛えた技術を生かして開業している施設で、あちこちに乱立していることは、骨折や腰痛の患者が多いことを物語る。
 ぼくは旧東浅井郡浅井町の山家出の田舎ものだが、子供のころは、整骨院はどこにもなかった。たまに山から滑り落ちたり、木の枝から落ちて腰を痛める人もいた。
 ぼくの祖母は坂から落ちて骨折したが、メリケン粉をどろどろにして、それを湿布代わりにして自力で治癒した。タチの悪い骨折は、専門の整骨医に頼むしかないが、村にはその治療院がなかった。こうした場合、ほとんどの人が、彦根の沼波へかつぎ込まれた。
 沼波と書いて「のなみ」と読むが、そこには骨折やねんざ治療の大家がいた。近郊近在、遠くは伊香、東浅井からも骨折や腰痛などの患者は「のなみの先生」と、すぐ反応するほど人気抜群の杉本先生だった。
 現在、整骨院や整形外科は長浜保健所管内(長浜、米原両市)で67院が開業している。これは何という変化だろう。
 今の人間は、毎日、栄養たっぷりのご馳走を食べ、家のきりもりはすべて電化製品任せだから、さぞかし骨や腰は大丈夫だろうとおもいきや、全くその逆で、骨はぼろぼろの軟弱で腰には力がない。
 なせだろうか。今の人間は腰を使って仕事をすることなく、日常生活や作業の中で、全身をこまめに動かすことをしない。食べものは、ご馳走ばかりだが、それらはほとんどが加工食品で、いわゆる添加物漬けである。
 昔の人は、飯とみそ汁、どぼ漬け、その土地でとれる野菜や果物、すべて無農薬の完全有機栽培で肥料も桶肥で、金肥(肥料工場製)を使うことはなかった。なんのことはない。徹底した粗食と働きづめで、横になるのは寝るときと昼寝のときだけだった。
 いまさら昔の生活に戻ることは不可能だが、自然食品、無農薬、無添加食品を意識的に摂り、体を存分に動かすことで、自分の健康をおしすすめたいものである。【押谷盛利】

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2015年09月03日

民主党に対する大きな疑惑

 安保法案が近く成立する見通しだが、ここにきて、思いあたるのは、「戦争法案」ときめつけて、反対の先頭に立っている民主党の真意である。
 民主党に国家の独立や国民の人権を守る愛国の心があるのだろうか。
 今から2年前の2013年の初め、中国人民解放軍の総参謀部が日本を想定し、「戦争の準備をせよ」、という物騒な指示を出し、日本との戦争を想定した特集番組を放送していたことが当時の1月15日付産経に報道されている。
 安保法案は、日本の安全、平和を守るための自衛の法律であると、安倍首相が口をすっぱくして説明しても、理解しようとせず、一方的に戦争法案ときめつけて、国民を扇動している。
 民主党に日本を愛する心があるのだろうか。中国の軍部が日本を想定し、戦争の準備をせよと指令している現実をどう理解しているのであろうか。
 ぼくは、かつての菅直人民主党総理の経歴や彼の総理時代、彼が重用した国家公安委員長・岡崎トミ子氏の反日活動を知るゆえに、民主党の反対運動は、日本のためでなく、中国や韓国を利するためではないか、と警告しておく。
 菅直人氏は、新人議員時代、在日韓国人政治犯釈放の要望書に署名したが、この中に北朝鮮による日本人拉致の実行犯である辛光洙を始めとする北朝鮮のスパイ容疑者10名が含まれており、この行為は明らかに反日そのものである。彼は2002年5月6日に南京大虐殺記念館を訪問し、小泉純一郎首相が同時期に靖国神社に詣でたことについて強い反対を表明した。
 菅内閣のとき、国家公安委員長に就任した岡崎トミ子参院議員(当時)は、通常国会の会期中の平成15年2月、ソウルの日本大使館前で韓国の慰安婦問題支援団体主催の反日デモに参加した。このデモに日本の国会議員が加わったのは初めてだった。この年、岡崎氏は北朝鮮籍の男性と韓国籍のパチンコ経営者から寄付を受け、外国人からの寄付禁止令に反したが、こんな国会議員が国家公安委員長で大丈夫なのかの疑念があった。また1999年8月9日の国旗及び国歌に関する法律に反対した。
 菅内閣時代、官房長官の仙谷由人氏は参議院予算委員会で自衛隊を「暴力装置」と表現し、大騒ぎとなった。こんな感覚の政治家が国家を背負うことなどおよそナンセンスであろう。こういうあからさまな反日思想が民主党内を取り仕切っていることを忘れてはならぬ。【押谷盛利】

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2015年09月01日

9月1日と子供の自殺

 子供の自殺が最も多い日が9月1日だそうだ。内閣府の2015年版「自殺対策白書」によれば、1972年〜2013年の42年間の18歳以下の自殺者を日付別に整理すると9月1日が131人で最も多く、次が4月11日の99人、同月8日の95人、9月2日94人、8月31日の92人と続いている。この数字から判断すれば、長期休暇の後に多発していることが判明した。文科省は、各都道府県教委に対し、児童や生徒の細やかな変化に注意を払うなど自殺の予防に努めるよう通知した。
 運悪く悪党にかどわされたり、殺されたりするケースはあっても、子供や生徒が自らの自由意志で死を選ぶなどとはとても信じられない。
 いまの子は将来への夢がないのか。困難に打ち勝って宝を掘り起こすという人生に対するファイトがないのか。
 いつの時代にも少年や少女には夢がある。上級校へ進学するのもその一つ。あるいは趣味を志して文化施設や文化環境へ進むものもあるはず。受験競争は厳しいが、それを突破する日ごろの訓練が自ずとファイトをかきたてる。音楽コースへ進むのも自由、社会福祉の仕事に熱意を持つのも若さゆえである。
 人それぞれ、家庭で母や父の愛に浴し、その庇護が余りにも大きいため、学校へ行くころは物怖じしたり、クラスの仲間と溶け合うことをしないこともあるだろう。
 子供の日日の気持ちは必ず表情に出るものであり、仲間たちや先生が気を使って元気じるしで登校することを支え合いたい。
 それにしても尊い人生。不思議のご縁を頂いてこの世に生まれたことを神仏に感謝する習慣が家庭のしつけでもある。自殺願望の子供たちは家庭の愛にも恵まれず捨て育てで大きくなったのであろうか。民生委員が存在し、児童相談員制度もあるこの国に自殺敢行の日がなくならないとは、何とも腹立たしいことで、将来の日本の行く末が案じられる。地獄極楽、エン魔の話など、いまの子には教えないのか。死後の世界はどうなっているのだろうか。霊は、魂は宇宙に漂うのであろうか。自殺した霊は浮かばれずにあの世で苦しむのであろうか。

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