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2015年04月30日

自分史とわが町の箕浦君

 ぼくの友人の元滋賀銀行支店長・箕浦良治君の華麗な一代記を紹介する。
 彼は現在、病気がちだが、絵は描くは、書は達筆、短歌も上手、俳句もベテラン、何をやっても一流という器用さに、ただただあきれ感心している。
 もう15年も前の平成11年、彼は自分史の歌集「わが町」を出版した。自分史ではあるが、掲載されている短歌を詠むと、長浜や滋賀の歴史が鮮やかに浮かんでいて、今読み返すと地中から宝物を発掘した思いである。
 このなかに、特筆すべき秀歌が幾つも出てくるが、彼は朝日・滋賀短歌欄の特選常連であり、選者の伊藤雪雄氏(故人・元好日社編集代表人)の高い評価を得ており、県下の歌人として最右翼の実績を誇る。
 そのなかに、歴史を思わせる次の短歌に魅せられる。
 「飲みなれし茶わんと古き算盤が鞄にありてあすは赴任日」。
 あすは赴任とあるから転勤であることが判るが、面白いのは、自分の持ち歩くカバンの中に大切なものを入れておくという内容で、一昔前の銀行員の必携品がユーモラスに語られている。
 特選歌であり、選者の伊藤雪雄氏は「県内への転勤は手軽であった。しかし、ソロバンと茶わんは分身であり、電卓はなかった」と記している。
 茶わんは長年飲みなれたものに愛着があり、転勤しても離せないのかもしれない。
 もう一つの必携品にソロバンをあげている。ソロバンをカバンに入れて転勤してゆく姿は50年以上も前の銀行マンをほうふつさせる。電子計算機がまだ出回っていなかったころの話で、ケータイやスマホは夢の夢だった。
 昭和61年6月の作品で、選者は「赴任する前夜のことの表出で、渋い味を持つ。この茶わんもソロバンもこの人の分身のようになっていて、現代的感覚からずれたおもしろみのある一首である」と褒めている。
 「薬飲み胆石溶かして居り なまこ食べ溶けぬものかと思いて眠る」。
 これは胆石に困っているときの歌。
 「カラオケにいまだなじめずすべなくて夜の集いの片隅にいる」。
 カラオケの初期のころの話であろう。
 「日の丸にアイロンかけし老いし母老人の日を旗日と言うなり」。
 一昔前のお年寄りの律儀さがなつかしく、旗日という言葉は素敵だが、今は消えてしまった。
 昨、29日は「昭和の日」で旗日だが、もとは昭和天皇の誕生日だった。昭和を思うよすがとしたいが、多くの国民は休日くらいにしか感じていないし、国旗を掲げる家もない。
 箕浦君の元気なころの楽しい歌を最後にあげる。
 「何事もなく父の日の過ぎてゆき『越の寒梅』飲みにゆくかな」。
 ぼくが、いま、友人の自分史を持ち出したのは、人それぞれに生きてきた人生があり、それを後進の人の血や肉にして、世の中の進歩発展を願うからであり、日記でよし、俳句・短歌でよし、絵でよし、詩でよし、人生の楽しい足跡を学びたいからである。【押谷盛利】

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2015年04月28日

若ものへの餞別、今は昔

 ぼくは子供のころ、「銭もうけと死に病」という言葉を耳がタコになるほど聞かされた。おぼろげに、死に病とかねもうけは苦しいものと悟ったが、貧乏人の子供にはなかなか手の込んだ人生訓といえる。死に病の苦しさは身内の死で実感できたが、かねもうけの苦しさはいわく言い難しで、手に手をとって教えたり諭せるものではない。
 戦前の日本は国をあげての貧乏といっていいくらいひどいものだった。ことに農村、漁村、山村はどの家も借金持ちの家が多かった。
 借金があるのは、収入より支出が多いからで、産めよ殖やせの多産時代は国策というよりも産児制限の知識がなかった。だから、子が小学校を卒業するや、さっさと家をあとに働きにやらされた。働きに出るわが子に親は何といったか。
 「ぜにもうけは死に病と同じくらい苦しいから、決して決してカネは使うてはならぬ」。
 カネもうけは金を貯めることだから使わぬことが第一歩、欲しいものを食べたり、買ったりすれば、金は減るから、金を減らさぬ分別は親方や会社からもらった給金は貯金すること。
 戦争中、「ぜいたくは敵だ」と政府は広報したが、そのころの庶民はぜいたくどころか、血みどろになって働いて、そして、飲まず食わずの人以下の苦の娑婆を味わった。しらみや、のみの話は以前にも書いたが、石鹸で体を洗うこともなく、すっぱいようなシャツやズボンを着て、朝は暗いうちから、夜は日が暮れるまで働いた。
 夏は明けても暮れても、おかずは「どぼ漬け」。冬は大根ばかり。
 それでも祭、盆、正月、親戚の祝や法事にはご馳走したり、カネのかかることがあるから多くは組合で借金する。親族や近所のつきあい、神社、仏閣の費用、税金などの支出もあって「カネ、カネ、カネ。カネのないのは首のないよりおとる」というわけで、こいつはやっぱり死に病と同じだ、と悟ったか、悟らなかったはともかく、メチャクチャに働いたのが戦前の田舎の暮らしだった。
 ぼくが小学校を出て都会へ就職するとき、祖母は説教するでなく、ねだるではなく「必ずカキドメを送るやんで」。ぼくはカキドメが何を指すのか知るよしもなく、後に「カキドメ」が「書留」であることを知った。つまり、家へ送金するとき、書留郵便が慣行だった。
 カキドメは郵便の安全、確実を保証するものだが、祖母の言葉のカキドメは「カネ送れ」の信号みたいなものだった。
 ぼくは祖母にかわいがられたが、その存命中、カキドメどころか、あめ玉一つも買ってやることをしなかった。それを思うと身のうずくほど苦しいが、こらえてやと手をあわせながら、そのうち、別の苦しみ、「死に病」を迎えることになる。
 長生きすることは波乱万丈で、喜びと悲しみ、怒りと笑いをつむいだり、縫いたりするから、まさに人生航路そのものである。この時評は若い人への餞別である。【押谷盛利】

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2015年04月23日

10年、20年後の高齢化日本

 「ぼけ封じのクスリはありますか」。薬局で「はい、あります。これを朝晩、服用して下さい。ぼけになりません」といえば、インチキと言われるに決まっている。クスリでぼけにならなかったり、クスリでぼけがなおったりしたら、そのクスリの開発はノーベル賞ものであろう。
 今後10年経ったら老人人口の5人に1人が認知症になっていると統計上の物騒な話を聞く。これからの10年、20年後の日本を思うとき、不安や心配が山ほどあるが、そのうちの最も大きな不安は「ぼけ老人」、「認知症」の劇的増加である。
 なぜ、日本の最大の不安か。少子高齢化がぐんぐん進むから、一家のなかで、老人が認知症になっても面倒を見る人がいなくなる。一家というと、家族を連想するが、いまの日本は昔風の家族による家庭は存在しない。老人の大部分は夫婦2人きりか、どちらかが欠けて独り暮らしが圧倒的である。10年、20年後は高齢者ばかりが目立ち、多くは老人施設や社会福祉の世話になる。そしてその多くが認知症とあれば、だれが介護するのか、そのおカネはどこから出るのか。
 そのころは、人口が東京や大阪に集中するから、地方は人が住まなくなり、空き家ばかりが目立つようになる。治安の心配もあるが、村が消えてゆくのが一大事である。
 村がなくなると道路や河川が維持管理できなくなる。なくなった村に顔を出すのは猿やいのしし、熊、鹿などのけものである。当然のことながら、山は捨て山となり、山を世話する人がいなくなる。役所につぶれてゆく村を復興する力はないし、政府が面倒を見ようとしても日本中の一大事だから、見切れるものではない。
 それでも平穏なときは命からがら長寿へ向かうが、地上のことは、いつ何が起こるや知れない。伝えられるような東南海大地震が起きれば、想像するだけで肌に粟をおぼえる。
 せめて、老人たちよ、クスリはないかもしれんが、ぼけにならぬよう生活を反省したい。ぼけにならぬことは一昔前の軍人ではないが「お国のためのご奉公」である。
 がん封じ、血圧、糖尿封じも大事だが、これらは医薬に任せて、ぼけ封じだけは自らの心がけと社会の連帯で進めるしかない。それは決して他人ごとではなく、あすのあなたの幸せのためである。【押谷盛利】

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2015年04月21日

日本の株価と世界金融

 「株(式)は上がる」。「株を買えば儲かる」。これは昔から株屋のいうセリフである。株で儲けた人もあるが、大損をして命を縮めた人もある。
 「株はまだ上がりますか」の素人の問いに、「株価は株に聞きなさい」という笑い話がある。
 30年程前、株価が大暴落した時がある。いわゆるバブルの崩壊で土地もだだ下がりした。金融機関から資金を借りて商品や相場に欲呆けの夢を託したものは大きな傷を残して敗残の苦い道を歩んだ。
 バブル全盛期は、金を張れば儲かる、と株屋や不動産屋ははやし立てた。自己資本のないものは、株や土地を担保に融資するから…と銀行の後押しもあって、いつの間にやら借金をして投資することが金づくりの基本のような錯覚を起こさせた。
 目下、日本の株価は2万円を突破するのでは、とはやされたが、ここにきて足踏みしている。
 上がるのも早いが、引き足の早いのが株の特徴で、所詮は株屋と銀行のお祭りになる。けれども、バブルの行き過ぎは担保物件の下落により、株屋や銀行もやけどをする。
 株式を買うのは、本来はその株を発行している上場会社に出資することを意味し、企業から配当金を受け取る制度だが、額面より高価な買いものであれば、利殖の効果はない。
 そこで売り買いによる相場取引が経済の活況に大役をになうわけだが、これで知る通り、株式の売買は相場の取引という一種のトバク性を持つことになる。
 世界的な金融資本が、意図的に株価を操作することはあり得ることで、そうした黒い動きに鈍感な一般投資家は株屋のもたらす情報で、売り買いするわけで、言葉は悪いがバクチ的要素が多い。株価の流れで経営権を奪われる創業者やその系譜もあるわけで、風船に似てふくらませたあげく、パンクするケースもあり、事業というのは一筋縄ではゆかない。
 安倍首相のいうアベノミクスで、デフレ脱却、物価上昇は一つ違えば消費の低迷を誘い、日本株の暴落の因になりかねない。
 高齢化と少子化の日本を世界の金融資本はどう評価するか。中国が世界の金融の主導権を握る画策を具体化しつつある現在、国民の眼は「脚下照顧」、美酒に酔うなかれ。【押谷盛利】

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2015年04月18日

ああ、なさけなや文化人

 人間は物質文明が豊かになり、ぜいたくな生活をするようになれば心がすさむのであろうか。1日8時間労働、土曜休日、年休制、男性の産休。職場における温度調整。なにからなにまで働くものの環境改善にストップはない。
 運動をしなかったら汗をかくこともない。結構なご時勢と思うに、心のすさびは文明と反比例するのだろうか。人が幸せそうだからぶち壊してやりたい、なんんとなくだれかを殺したい、だれでもよい、などという物騒な輩が警察沙汰となる。
 エッチな事件を除くと、犯人はほとんどが無職とある。無職とは働いていないことだが、悪さをする男が働かなくて食ってゆける社会とは一体どうなっているのだろうかと、にわかに信じられぬ。
 エッチな犯罪についてはアホらしくて、恥ずかしくて、これが21世紀のやまとおのこか、とそれこそ頭から水をぶっかけて魂に清浄の気を吹き込んでやりたい。
 国民総エッチもいいとこで、役所のえらいさん、学校の校長、裁判官、警察官、会社の幹部、それぞれの部門で、国民の師表たるべき人が、女性のスカート下を隠し撮りしたり、未成年の女性の裸体写真で問題を起こすなど「おひま」で体力が有り余っているのであろうか。
 それかあらぬか、エッチの代わりに神社やお寺の柱などに油をぶっかける変な犯罪が流行している。信仰の対象とされている仏閣への挑戦で、これこそ正真正銘の罰当たりだ。罰当たりを神仏の前で平気で演じるところは、この世の平和体制の壊し屋と呼ぶべきだろう。信仰心どころか、多くの同胞の心のふるさとへ小便をぶっかける狂気の沙汰である。文化財を傷つけて何の取りえがあるというのか。
 考えてみれば、文明社会をはしゃぐいま、日本国民は自分の穴に閉じこもって、他人さまのことに関心をなくしてしまったのだろうか。
 例えば、公徳心であるが、こんな言葉を知っているだろうか。言葉は知らなくとも実践すれば文化人と思うけど、一般には「公けの物」は役所が管理する、いたみや汚れは役所の仕事、といわんばかりに公けの物を踏んだり、蹴ったりの世相である。家の前の道に雑草が生えたり、落葉があっても、われ関せず、汗をかくのは損。困っている人がいても見て見ぬふり、ああ、なさけなや、なさけなや。【押谷盛利】

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2015年04月16日

日本の農業危機を考える

 機械化農業といわれて久しいが、米の生産が過剰なため、米作りにブレーキをかけるよう生産調整をするという日本農業の危機。機械化貧乏を象徴するように、百姓は10㌶(10町)以下では引き合わないとされている。
 日本は神代の時代から豊葦原の国だから国土の繁栄と国民生活は「稲作」無視では語れないが、その稲作に赤信号が点っている。
 稲作用の田んぼは土地改良が進み、水運の心配も無くなったが、肝心の作り手がないので、遊び田、不耕作地が増えている。
 財産としての田んぼの値打ちもだだ下がりで、都市部を離れれば、離れるほど遊休地となってゆく。
 日本の歴史をさかのぼれば、米の生産が民生の安定に直結し、いわゆる凶作、飢饉の年は暴動が起こったり、一揆が荒れたり、政治が不安定なばかりでなく、多くの餓死者が出ている。
 いまは、米の消費を奨める声が上がっても国民は踊らない。何を食ってるんかと疑問に思うが、パン食、麺食、蕎麦、トウモロコシなど雑穀類のほか輸入食品が、米の消費を圧迫する。
 ぼくの子供のころはうまい米が食いたくても、貧しくて、屑米や払い下げ米、南京米に走る家が珍しくなかった。屑米は、検査に合格しない米、払い下げ米は、飢饉に備えて政府が何年か備蓄していたのを格安で払い下げる超古米のことをいう。南京米は東南アジアや中国産のねばりのない質の落ちる米のこと。いずれも値の安いのがとりえで、貧乏人がお得意。
 長い伝統の食習慣で、日本人は戦争に負けるまではパンを主食にすることはなかった。
 アメリカ占領軍は、自国の小麦生産農家の繁栄策から「米を減らしてパンを食え」の食習慣の切り換えを促した。このため、戦後の食糧不足をうまく利用して、学校給食にパン、飲みものに脱脂乳を持ちかけた。
 戦後の米不足はウソのような語りぐさで、都市の住民は、タンスの中から着物を持ち出しては、農家と米を交換した。
 米はもちろんのこと、さつまいもも貴重な主食で、昭和30年ごろまでは「お百姓ならお嫁にやろう」といった農村ブームが起こった。
 昭和になってからの農民の不幸は、昭和4年(1929年)の世界大恐慌による米価の下落だった。
 1俵(60㌔)10円台を推移していたのが昭和5、6年には一挙に半額の6円台になり、東北地方では娘を都会へ売る悲劇が社会問題となった。
 静かに今の飽食の世を反省してみたい。地球に万一の不安はないか。人間の罪科が地球を死に体にする心配はないか。気象の激変にも考えねばならぬ。何はともあれ、日本の農業は守らねばならぬ。【押谷盛利】

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2015年04月14日

曳山祭とユネスコ登録へ

 さくらと共に長浜の春を飾る曳山祭はいよいよ15日、本日を迎える。
 今年の曳山祭は出番山の関係者ばかりでなく、市当局、観光協会、市民団体などがユネスコ(国連教育科学文化機関)の登録を目指して燃え上がっている。
 この23日は長浜西中の修学旅行生184名が東京・新宿西口の広場で曳山のしゃぎりを披露し、全国へアピールする。西中では毎年修学旅行で関東を訪れるが、今年は22日から24日の3日間の日程のうち真ん中の23日をしゃぎりの演奏に当てる。
 曳山祭は長浜八幡宮の例祭における奉納狂言が目玉で、江戸期以後、長浜の町衆の誇り高い敬神と12曳山を舞台とする子供歌舞伎のかれんな演技が伝統となり、飛騨の高山、京都の祇園祭とともに日本3大山車祭に連なっている。
 曳山は楼閣風の建造で、朱塗、黒塗の柱梁には名工の彫刻を配し、垂れ幕には江戸時代に転入した中国製の貴重な織物が使われ、特にオランダ船でもらたされたゴブラン織の見送り幕は世界遺産ともいうべきで、そのうち2枚は昭和24年に国宝に指定されている。
 曳山祭は4月13、14、15、16日の4日間、数万人の観光客で賑わうが、江戸期以降、戦前は秋に行われた。曳山博物館の調べによると、江戸時代は9月15日、明治以降は10月15日、戦後のしばらくは10月に執行された。長浜商工会議所が昭和28年2月1日発行した「商工名鑑」に江口夜詩作詞の「長浜市民歌」が出ている。
 この市民歌は①春②夏③秋④冬の4季節の長浜を紹介している。この中の秋の部に曳山祭が次のようにテーマとなっている。
 ③千里一日黄金の波に秋の長浜稔る街
 祭り囃子に更けゆく宵は
 誇る12の宝山
 ああ麗し都 長浜長浜。
 秋の稲穂の黄金豊かな長浜の町に12の曳山が更けゆく夜をしゃぎりで誇る—という景気のよい歌詞である。
 ついで乍ら、①は花(さくら)の街・長浜、②は水の街・長浜、④は雪の街・長浜の構成。
 八幡宮は延久元年、源義家の創立によるが、元亀元年、兵火消失したのを秀吉が長浜在城のころ、社領を与え、社殿を復興したと言われる。
 曳山は秀吉在城のころ、長男出生の喜びを機に黄金若干を町へ寄付したのを基金に氏子が創建したと伝えられており、各山組は祭礼とともに曳山の維持管理に多大の出費を続け、山きちといわれるほど曳山を愛し命をかけた。
 ユネスコの無形文化遺産登録実現へ長浜市民のさらなる盛り上がりを期待する。同時に、地方創生を推進する安倍内閣の政策につながることでもあり、県、市当局や県選出、国会議員の力強い支援が望まれる。【押谷盛利】

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2015年04月09日

国会の赤い恋とトラ事件

 国会議員にあるまじきとして、近畿比例区の上西小百合衆議員が維新の党を除名された。体調不良にもかかわらず、居酒屋やショーパブに行き、翌日の衆議院本会議を欠席したためだ。また、欠席後には男性秘書と不倫旅行していたのではとの疑惑が週刊誌で報じられた(本人は否定)。
 地上に男と女がいる限り、いつの世にも男女間のもつれやスキャンダルが絶えない。私人は雑草の中でそれなりの小花を咲かせるが、政治家や俳優、有名人はマスコミの餌食となって大々的に騒がれる。
 つい先ごろは、故・中川昭一元農水大臣の夫人が夜の路上でキスシーンをキャッチされ話題となった。夫人は中川氏の急死のあとの選挙で、身代わり当選したが、議員活動に支障がない限り下ネタ騒ぎにうつつをぬかすほどヒマ人はいない。
 酒を飲んでの醜態だが国会史上、最も有名なのはすでに忘れられている泉山三六という超大物を思い出したい。山形出身の豪農の息子で、後、資産家・泉山家の養子となる。一高—東大—三井銀行重役を経て、1947年、戦後の総選挙で自由党から初当選、48年10月、当選1回の無名の新人ながら第2次吉田内閣で大蔵大臣に。ここまでは順調だったが、その年の12月の衆議院予算委に泥酔状態で出席して問題となる。
 さらに酔った勢いで、女性議員に抱きついてキスを迫る。抵抗されるや、あごにかみつくなど不祥事が問題となり、大臣は棒に振るわ、議員も辞職した。これを機に国会は酒気帯び登院を禁止する国会決議を可決した。大トラ大臣で日本津々浦々に知られたせいか、1950年の参議院選挙で全国区から立候補して、得票7位で当選。次回も当選して2期12年を務めた。
 国会の男女の色恋でハッピーエンドに終わったのは、いまの太陽の党主の園田博之元官房副長官の父・元外相の園田直(当時の民主党)と松谷天光光(元労農党)の赤い恋だった。保守の園田と革新の松谷が燃えたあげく、2人の間に赤ちゃんを宿していることも分かり、当時の女性議員から、ため息と拍手で結婚へと進んだ。園田直は中曽根元総理と並ぶ河野一郎の青年将校で、後、大平首相の片腕となって政界の重鎮となった。
 恥ずかしながら、男女のスキャンダルでは、わが滋賀のホープ・宇野宗佑が芸者との三つ指問題で短期総理の話題を残した。
 日本は昔から女性差別の風習があり、女犯なる言葉すら仏教界でまかり通っていた。僧が不淫戒を破り、女性と関係することをいうが、これによって、比叡山や高野山は女人禁制の霊地とされた。いまは昔の話しだが、僧は結婚すべからずの伝統を破って、肉食妻帯されたのは浄土真宗開山の親鸞上人だった。【押谷盛利】

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2015年04月07日

大根さまの名誉のために

 冬のご馳走で喜ばれるのは、「おでん」である。おでんは関東の名物だったらしく、大阪では「関東煮」といった。
 今はコンビニでおでんを売る時代だが、飲み屋でおでんの人気の種類を聞くとトップが大根だという。
 大根のどこがいいのか、その秘密は大根に聞くしかない。芝居で下手な役者を大根役者というが、大根の名誉のためこの汚名をそそぎたい。
 ぼくの故郷では毎年1月初めに「おこない(神事)」があり、前年の暮れにはその前奏行事とも思われる「御膳供」がある。夜の12時ごろ、松明を先頭に当番組が鉦太鼓、笛の合奏でにぎにぎしく山の中の氏神様へ詣でる。
 「御膳供」の目的は「おこない」が首尾良く行われるようにという願いのほかに、無事越年して、よいお正月を迎えられますように、との祈りであろうと思う。
 御膳供は文字の通り、御膳(食事)をお供えする儀式であるが、面白いのは、そのお供への3つの内容である。
 当番の代表が三方を高々と上げて、真白な直径5㌢もあるかと思われる木製の箸で、先ず最初に「芋でござる」と大音声をあげながら芋をつまみ上げて神前に供える。周りの当番氏子はその声に続いて「芋でござる」と叫ぶが深夜の山にこだまして荘重というか、杉の枝からばたばたと雪しずりする。
 第2番目が大根である。代表が「大根でござる」と大声をあげると、すかざす、一同が「大根でござる」と唱和する。寒いので、酒も入っているが、みな、寒さ封じにこれ以上出ない大声を出す。3番目が「ゴンボ(ごぼう)でござる」。
 神さまの最も喜ばれるのが、芋、大根、ごぼう。これで大根の名誉が幾分証明されるが、ぼくが思うのは、大根の食用としての多彩さと便利さである。
 大根は種を播いて新芽の出たときは「すぐり菜」「間引き菜」として秋の食卓を飾る。収穫期は11月、12月だが、その使途は無限に近い、干し大根は沢庵用、夜の食膳をにぎわすのは「ふろふき大根」。毎朝のみそ汁、かす汁にも大根、刺身のけんや、おろしにも大根。煮ても焼いても大根さまだが、干せば千切り、漬ければ即席。沢庵にすれば1年、2年、いつでも食える。塩気を抜いて煮つければ「ぜいたく煮」なる天下一品。
 これほど重宝な畑の大根さまを下手な役者にたとえるなんぞ、失礼、無礼、もってのほかぞ。【押谷盛利】

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2015年04月04日

一休、良寛の人気の秘密

 一休さんこと、一休宗純(1394〜1481)という禅僧の坊さんは型破りの生活で、自らを「狂雲子」と名乗ったが、形式仏教の堕落を批判し、その奇行をを通じて、子供らに人気があった。
 後小松天皇の皇子ともいわれたが、盲目の女性・森女を側女として、戒律で禁じられている女犯肉食を行い、風体を構わず町を歩いたり、子供と遊んだりした。その一休が面白い人生観を歌って後の世を戒めている。
 「世の中の 娘が嫁と花咲いて 嬶としぼんで 婆と散りゆく」。
 娘は結婚すれば嫁となり、子を産めば嬶と呼ばれ、やがて、しわくちゃの婆となって散ってゆく、という人生哀歌だが、だれもこの逆に生きることはないし、男性も呼び名が違うだけで、最後は爺となって死んでゆく。
 人間、だれもが死を恐れ、余生幾日といわれても最後まで抵抗し、延命しようとする。往生際が悪いと言えばそれまでだが、死生観に悟りのない凡夫の悲しさである。
 一休の真似は凡人ではできないが、彼より350年も後に生きた江戸後期の僧・良寛の生き方は一休の再現だった。
 天衣無縫の性格で、彼もまた子供に人気があった。新潟県の有力な名主の家に生まれたが、出家して故郷を離れ、幾つかの草庵を転々とし、仏教を説いたり、歌を作ったりした。
 生涯、寺を持たず、各地を托鉢して回り、農民と酒をくみ、書や歌を自由に楽しむ無欲で一生を貫いた。
 一休ではないが、いずれ爺、婆となってこの世を去るわれわれだが、このごろ思うことは元気で百歳を超える超高齢者の生き方である。
 長寿の秘訣は何ですか、と尋ねられて、共通している答えは①くよくよしない②好きなものを腹八分③旬のもの、その土地でとれた野菜や果物④若いときから体を動かす⑤神仏や祖先、社会のご恩に感謝。
 多くの人は思い当たるところがあるかもしれないが、食べ物一つを例にあげてもこのごろは無茶苦茶である。便利さや栄養にばかり走って、さながら加工食品業の協力会員並みである。食べることも大事だが、心の持ち方も同様である。ろくでもないテレビに夜更かしを重ねて、眠れない、耳鳴りがする、腰が痛いと愚痴の多い日暮らしとなる。
 そんなヒマがあれば、いつお迎えが来ても大丈夫という心の解脱、信仰心こそ望まれる。【押谷盛利】

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2015年04月02日

県議選に贈る苦い言葉

 県議選が3日から始まる。候補者はボランティア気取りの殊勝な口をきくが、わりかし高い給料のほか、政治活動費も出ているから本気で市民の声に耳を傾けてもらいたい。
 ボランティアといえば、一般には奉仕、無償の労働と解釈されるが、日本では献身、無私、さらには普請という言葉もあった。今も道普請、川普請といって、村人が無償で道や川を修復改良する自治の精神が残っている。ボランティアは、本来は志願者のことで、自主的に社会事業などに参加し、無償の奉仕活動をする人をいう。
 ぼくの頭の中には、ボランティアの元祖としてナイチンゲールがインプットされている。日本でも馴染み深く、看護婦(師)の草分けとして、その崇高な精神が看護学校の象徴とされている。
 ナイチンゲールは、イタリア生まれの英国の看護婦で1910年、90歳で亡くなった。1853年、ロシアとトルコ、イギリス、フランスなど連合軍とのクリミア戦争が起きた。当時、ロンドンの婦人病院の院長だった彼女は38人の修道女・看護婦を連れて敵味方なく献身の看護をした。手当てを受けた傷病兵は1万人を超えた。帰国後は模範的な看護学校を設立して看護の改善と衛生思想の普及に尽くした。
 日本では江戸後期の農政家・二宮尊徳(金次郎)がボランティアの元祖かもしれない。関東各地で荒れ地の開拓や自力更生につとめ、農村の救済に尽くした。
 明治維新の功労者・西郷隆盛は「敬天人を愛す」の信条で、「金もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬという者は厄介なものだが、こういうものでなかったら国のため、世間のお役には立てない」と喝破した。まさにボランティア精神の権化であった。
 県会議員や市会議員はボランティアどころか、立派な報酬を受けているが、心の中で一貫して流れて欲しいのは県民、市民に奉仕する無私の公共心である。目先の選挙にとらわれて、真実に目をつぶったり、いうべきことを言わなかったりしてはペケである。
 例えば、長浜北の統合高校の名前でも、湖北の県議諸氏はAともBとも発言せず、洞が峠をきめこんだ。
 堂々と信念を吐き、行動してこそ、頼り甲斐のある議員である。役所へ顔を向けて権力へいい顔をするのか。
 県・市民に目を向けて、その声に応えるなり、市民の先頭に立って国を思い、県・市を思う情熱と勇気を期待するから敢えて苦いことを書いたまでである。【押谷盛利】

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