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2014年10月30日

健康長寿と天プラ医者

 読者は近藤誠というえらい医師をご存じだろうか。ぼくは何回も時評で取り上げたが、先生の著書は広く知られており、雑誌などで、その論説に触れた人も多いはず。
 慶応医大講師時代の2012年、「医者に殺されない47の心得」を著し、菊池寛賞を受けている。「患者よ、がんと闘うな」、「がん放置療法のすすめ」など著書多数。
 その近藤医師が定年で慶大医学部講師を退き、新しく「近藤誠がん研究所」を設立し「文芸春秋」11月号に必読すべき健康長寿の秘訣を書いている。
 「健康診断が私たちを不幸にする」が主見出しで、副見出しに「健康長寿(を願うなれば)医者も薬も信じるな」。「血圧を下げれば死亡率が上がる。脳ドックは無効で有害だ」。
 この論文は400字詰原稿用紙35枚もの大作だが、このうち、ぼくの注目を引いたのは「医者の質は低下している」の項目だった。
 「健診とその後の医療介入には人の健康を損ない、寿命を短くする影響が確実であり、プラス面は何一つ見出せない。最新鋭器を用いた脳ドックもその一つで、欧米では無効、有害と見なされ行われていない。
 なぜ、日本では無効、有害な健診と医療介入が蔓延しているのか。人々と医療界の双方に原因がある。
 人々は早期発見、早期治療神話に染まり、手放しに医者を信じ込む」。
 いま一つ、医療界の問題として①天プラ医者②製薬会社の介入③厚労省の思惑④日本の人口構造がある、と著者の追及は鋭い。
 氏の説明によると、天プラ医者は、白衣を着て立派に見えるが、知識や能力が足らず、安価な天丼のエビのように中身が貧弱とある。以下、天プラ医者について大要を次のように説く。
 天プラ医者は長い戦争で従軍軍医が不足したので、短い養成機関で、大量の軍医を養成し、戦後、彼らに医師免許を与えたので、未熟な医師が溢れた。その後、国民皆保険制度ができると人々は医療機関に殺到し、田舎にビルが建つと医院か、病院という空前の医療ブームを現出した。
 70年代になって1県1医大構想による医学生の急増があり、数千万円で裏口入学できるような新設私立医大が乱立した。
 天プラ医者の典型的な診療方法はクスリ漬け。ウイルスに抗生物質は効かないのに、カゼにも大量の処方をし、薬剤耐性菌の蔓延を招いた。
 インフルエンザ治療薬のタミフルも実際には無意味、有害という研究があるのに世界生産量の8割が日本に流入した。処方されるクスリの数の多いことも特徴で、欧米には5種類以上のクスリが処方されたら医療外の行為である、との格言がある。クスリ同士が互いに効果を強めあい、作用や副作用が数倍、数十倍になることがある、にも拘わらず、日本では、開業医でも大病院でも患者1人に5種類以上が処方されることがザラで、10種類以上も珍しくない。クスリを多数飲んでいる多くの患者には、体調不良になってボケたり、フラフラして転倒して寝たきりになる人が限りなくいる。
 天プラ医者は検査大好き、ろくに診療もしないでCTにかける。問診や視触診で診断する自信がないため、画像所見に頼る。
 以下、②製薬会社③厚労省④日本の人口構造についても詳しく問題点を指摘しているが、項を改めて言及する。【押谷盛利】

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2014年10月28日

日韓議員連盟の腰抜け

 日韓議員連盟(額賀福志郎会長)は、25日ソウルで、韓国側の韓日議員連盟との合同総会を開いたが、韓国側の主張を丸呑みして、さながら日本のフヌケ外交に一役買った形だった。
 26日の産経によれば、来年の日韓国交正常化50年に向け両国関係を早急に修復することで合意したと共同声明に明記した。日韓改善には早くから安倍首相が心を砕き、機会あるごとに韓国の朴大統領に会談を求めたが、大統領は慰安婦問題や歴史認識について、顔を洗って出直してこい、といわんばかりの高飛車で、韓国の反日世論をかき立てるばかりである。
 日韓議員連盟の日本代表の額賀氏は自民党の総裁候補の一人でもあり、自民党派バツの竹下派の流れを継承する有力政治家だが、伝統的というべきか、中国や韓国に甘い。甘いというより腰抜け外交の線が濃い。
 今回の日韓議員の合同総会では、日本側には、慰安婦の強制連行を認めた河野談話について、各界から見直し論が台頭するなか、何らの反発もなく、河野談話の継承を確認した。
 そればかりか、ご丁寧にも村山談話までも継承するとし、元慰安婦の名誉回復に努めるとの文言も韓国側の要請で文書化した。
 また、互いの歴史教科書を翻訳し、参考書として活用することを検討するとした。
 日本側のお人好しというか、アホーというのか。反日一点張りの韓国が日本の教科書の翻訳書など活用すると本気で信じているのだろうか。逆に韓国教科書の日本導入への地ならしをしているようで、あいた口がふさがらない。そればかりか、ヘイトスピーチの問題についても防止策の下駄をあずけられた。
 この額賀議員団の最大の腰抜けは、いま、日本ばかりか、国際的にすら批判の対象とされている産経新聞の前ソウル支局長の起訴と渡航禁止の反民主主義的暴挙に対して、何一つ日本側の主張を伝えていないことである。言論の自由を奪い、人権を無視する韓国側になぜ、堂々と起訴の不当を主張しなかったのか。
 まるで、韓国政府のご用聞き団体になり下がった感じで、わざわざ韓国まで出掛けて、韓国の反日世論に迎合した感じである。かつて、日本の自民党からは田中派の金丸信氏(竹下派の親分)が北朝鮮への友好訪朝団で北へ入り、金日成将軍と会って、日本に不利な協約を結んだ。
 行政権のない金丸訪朝団の勇み足は国民の怒りを買ったが、彼の家からは北からもらった金の延べ棒(5億円)が発覚した。
 日本を売る議員外交の不面目は、鳩山内閣のときの小沢一郎幹事長にも見られた。400名を超す訪中団を率いて、北京参りをし、先方のえらいさんに握手をしてもらって、ひざまずかせた。
 一事が万事、こんなていたらくでは、日本叩きのやむときがない。【押谷盛利】

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2014年10月23日

3大臣の靖国参拝と朝日

 「女性3閣僚が靖国参拝」「内外の批判避けられない」。
 これは19日付の共産党機関紙「赤旗」の1面トップ記事の見出しである。
 本文の真中に3閣僚の高市早苗総務相、山谷えり子国家公安委員長、有村治子女性活躍担当相の写真を添え、3大臣の一人一人の談話を載せている。
 その記事の横に「侵略美化に身をおくもの」として山下書記局長の抗議のコメントを併載している。
 同じく19日の朝日3面にも、「閣僚3人が靖国参拝」「有村氏、高市氏、山谷氏」の3段見出しで、大きく報じている。あまりにもよく似た報道なので、しっかりと読んでみた。
 3大臣の談話は両紙とも似たもので、有村氏は「戦地に赴き命を捧げられた方々にどのように向き合うか、追悼するかは国民が決める話。他国に参拝せよとか、参拝するなと言われる話ではない」(朝日)。
 高市氏は「尊崇の念をもって感謝の誠を捧げる行為は自由に自らの心に従って行うものであり、外交関係になるような性質のものではない」(朝日)。
 山谷氏「平和な国づくりを誓った」(赤旗)。
 赤旗は「靖国神社は過去の侵略戦争を正当化する役割を担う」ときめつけ、前日に安倍首相、衆参両院議長、塩崎厚労相が「真榊(まさかき)」を奉納と書き、安倍首相や女性3閣僚は日本の侵略戦争を美化し、肯定し改憲を目指す「日本会議」の中心的メンバーで、アジアなど国際社会に挑戦する亡国政治と訴えている。
 朝日は記事の後段で、中国外務省が18日午後、在北京日本大使館に抗議の申し入れをしたと報じ、中国国営の新華社通信の記事「3閣僚は日本の保守派の女性政治屋の代表格」を紹介している。
 共産党の赤旗と朝日が期せずして、同列の嫌みと反対の心をこめて3大臣の靖国参拝を取り上げたが、ぼくが、おやっと一瞬驚いたのは朝日のトーンが従前と比べて自己主張を抑えている点である。
 これは慰安婦報道の間違いや福島原発事故の誤報で、読者に詫びた朝日が、新しく脱皮を試みる一里塚として、この靖国記事に自己主張を抑えたふしが感じられる。
 新聞は裏付けを明確にし、客観的に事実を報道すべきと、各界から強く批判されただけに、朝日が靖国をどんなスタンスで、どう報道するか、極めて関心が高かった。
 そうした眼で19日の朝日の靖国報道を見る限り、国民の批判の声に応えている感じがした。ただし、3段の大々的見出しで、3大臣の靖国参拝を強調したところは、心の底では靖国批判であり、衣の下の鎧ともいえる。
 本文を見る限り、これまでの如き主観は避け、「3大臣の参拝は、安倍首相が11月に北京であるアジア太平洋経済協力会議(APEC)での日中首脳会談実現に意欲を示す中での参拝だが、政権は、影響は限定的と見て3人の参拝を容認した」、「首相は靖国の秋季例大祭に供え物(真榊)を奉納したが大祭中の参拝は見送る方針で、中国などへの配慮を見せている」、「公明党幹部は、一般閣僚が参拝するのは許容範囲だと見る」、「外務省関係者も参拝した顔ぶれは向こうにとって想定の範囲内と述べた」。
 これまでの朝日なら、全く赤旗そっくりの牙を向いての靖国叩きであるはず。そのせいか、どうか、皇后陛下の傘寿の祝記事でも他紙なみに紙面工夫しているのが目についた。【押谷盛利】

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2014年10月21日

半殺しと猫またぎの話

 「ご先祖へ半殺しというおはぎかな」。これは長浜梶句会の赤尾ふじさんの俳句である。
 びっくりするのは「半殺し」という物騒な言葉である。半殺しは死ぬくらいひどいめにあわせることだが、この句の場合おはぎを指す。
 ご先祖へ供えるおはぎのことだから、秋の彼岸の句である。
 普通は「ぼた餅」というが、秋だから「おはぎ」とは風流な日本人好みの呼び名である。
 どちらも同じもので、もち米と米とを半々か、4分6分にして、これを盆の中か、釜の中で押し潰して、即席の餅の感覚で、あんや黄な粉をまぶすが、あっさりしておいしい。
 モチ米を蒸して、臼の中で杵で搗くのが餅だが、材料も半々、搗くのも潰す程度だから、半殺しというが、萩のやさしさと半殺しの恐さがミックスして愉快な食べものとなった。
 ついでながら、ぼた餅は不美人の顔にたとえられる、太った顔で、餅のようにすべすべしていないからだが、たで食う虫も好き好きというように、歌手やタレントにテレビなどで活躍している人がいる。
 ペット時代の昨今だが、老い猫は「猫股」になるという俗信がある。とことん老いぼれた猫は尾が二股に分かれ、化けて人を害するというもの。
 徒然草89段に「奥山に猫またいふものありて、人を食らふ」とある。山でなくともこのあたりでもでるといううわさがある、と次のような笑い話を書いている。
 ある夜、歌会を終わって一人で家に帰る法師が小川のはたで猫またに食われそうになった。急に足もとへ寄ってきて、飛びつくやいなや、首のあたりを食いつこうとする。失神して防ぐ力もなく、腰を抜かして、小川へ転げこんで「助けてくれ、猫まただ」と叫んだので、家々から松明を灯して走り寄ってみると、顔見知りの僧である。どうしたのやと、抱き起こせば、歌会の帰りで、危ういところを助かったと家に帰った。猫またならぬ飼い犬が主の帰りを喜んで飛びついたまでだが、暗闇で法師は見分けがつかなかった、というお笑い劇。
 猫に悪いが「ねこばば」という言葉がある。悪いことを隠して素知らぬ顔をすること。猫にとっては濡れ衣(身に覚えの無い)だが、漢字で「猫糞」と書く。猫が糞をしたあと砂をかけて隠すところから、悪いことを隠して素知らぬ顔をすること。拾った財布を猫ばばする、などという。
 猫またの一字違いに「猫またぎ」がある。魚の好きな猫でさえ見向きもせずにまたいでゆく。つまり味の良くない魚。【押谷盛利】

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2014年10月18日

自然と不自然死の問題

 芭蕉の「おくのほそ道」の序章に「月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人なり」の有名な一句がある。
 百代の過客は、永遠に行きかう旅人を意味する。これの出典は李白の「浮生夢の如し(人生は夢の如きもの)」による。
 「夫れ天地は万物の逆旅にして、光陰は百代の過客なり、而して浮生は夢の如し、歓を為すこと幾何ぞ」。
 天地は永遠の存在で、万物はこれを仮の宿として、はかなく生滅するようなものである。逆旅は旅館。人生は夢のように、はかなくあっという間に消えてゆく。歓楽を尽くして好き勝手に幸せを求めても、あと、どれほどの時間があろうか。急げや急げという教訓である。
 孟子の言葉に「天に順う者は存し、天に逆らう者は亡ぶ」とある。今に至る真理というべきで、自然に反する生き方は自らを亡ぼすことになる。
 いま、日本の食品業界で、中国産離れが急速に進んでいる。環境汚染がひどく、濃い化学物質や農薬などのほか、空気も水も汚れに汚れているから、そこで生産される農産物や二次加工の食品は人間の生命にとって極めて危険である。
 そればかりか、捨てた材料を再使用したり廃品をごまかすなど、心配の種がありすぎて、日本の企業がこれまでのように輸入に頼ることをしなくなった。
 自然に帰るのは、食品だけではない。われわれ自身の生活のありようも反省しなければ医療費を増やすばかりか、医者とクスリ漬けの不健康に苦しまねばならぬ。眼にタヌキのような化粧を施したり、クスリで生理を調整したり、妊娠を避けるのも反自然である。体外受精や試験管ベビーも人間の自然に対する冒涜である。
 先日、長浜で95歳で亡くなったおばあさんがあった。随分の長寿だったと感心していたが、後に聞いたところ、15年も前から病気になり、施設に入って寝たきりの生活だったという。
 こういう高齢の病人と介護は国の重荷でもあるが、考えねばならぬのは回復の見込みのない病人の末期である。寿命が生きているのにいつまでも生命を延ばすことの可否で、いわゆる安楽死の問題である。
 介護する人の不足や家族との人間関係の稀薄などあちこち最終段階での苦しみを互いに経験する。
 吉田兼好の徒然草に、死は必ずしも前方からやってくるとは限らないと警告している。
 10月は小春日和で、梅もつぼみを持つ。木の葉が落ちるのは、まず落ちて、芽が出てくるのではなく、木の内部から芽ばえ始める力にたえられず落ちるのだ。人間の生・老・病・死の四苦は四季の推移より一段と早い。四季には春夏秋冬の順序があるが、死の時期は順序がない。前からだけでなく、背後からも迫る。まだまだと思っていても思いもかけずやってくるのが死である、として平常の覚悟を訴えている(啓林館刊「徒然草」・今野達著参照)。【押谷盛利】

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2014年10月16日

香港市民のデモと民主化

 香港が学生たちの大規模なデモと路上占拠で大揺れしている。行政長官の選挙に当たり、民主化を叫ぶ側の立候補を認めないことへの反発で、学生たちだけでなく多くの市民がだれでも立候補できる本来の正しい選挙を望んでいる。
 いわば、香港の民主化を願う全市民の声ともいうべき学生デモだから、参加者も多い。勢いも強く、市民の背後からの声援もプラスした。
 読売の11日付報道によれば、10月4日の夜の抗議集会には10万人以上が参加した。デモは大学生から、中、高校生まで広範だが、政府が学生側との正式対話を中止したことから、様相は長期化の構えを見せ、その間、政府の雇った暴力団によるデモ崩しが傷口をさらに悪化させている。
 しかし、長期の路上占拠などで、香港の商業活動や観光、交通業などへの経済的影響が深刻化し、これまで好意的だった市民から怒りや困惑の声があがっている。これら香港デモの最近の情報として15日付の産経は「民主化に3つの壁」の見出しで、①一般市民からの反発②旅行業者ら賠償請求③親中派が暴力団動員、について詳述している。
 この中に香港の人々の心の中の微妙な空気が垣間見られる。小中学校の休校や通行への影響に業を煮やした付近住民が14日、88歳の代表者を先頭に「民主化は分かるが生活環境を取り戻したい」と学生に懇願した、と伝えている。
 同紙の報道によれば、中国共産党は、デモ支持を口実に全土の知識人を逮捕、拘束し始めた。
 インターネットで香港市民の抗議活動を支持したことを理由に知識人らを次々と拘束し、14日までに50人を連行した。改革派とされる著名な作家ら約10人の著書も発売禁止にした。警察が本人や家族に見せた拘束状には具体的な容疑の記入がない。国内だけでなく、14日までに米国在住の歴史学者、中国の経済学者、香港の評論家ら約10人について、全著書を出版、販売しないように各地の出版、書店に通達を出した、
 人権蹂躙どころか、言論、出版の自由を奪う暴挙だが、一枚岩の共産党独裁が、発展する情報化社会の中で大きく揺れ始めていることが分かる。その大揺れの一端が香港デモである。かつての天安門広場における民主化デモ弾圧のように、軍出動の無差別銃撃の惨事の起こらぬことを祈るのみである。【押谷盛利】

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2014年10月14日

韓国大統領にもの申す

 韓国国家権力は自ら自由と民主主義を否定するのか。世界の良心と記者クラブが、いっせいに韓国の暴走を指摘している。
 ことの起こりは、産経新聞の前ソウル支局長が日本のインターネットに載せた朴大統領批判の記事に怒って出国を禁止し、名誉毀損として起訴したことによる。
 新聞は昔から無冠の帝王といわれ、いかなる暴力、金力、政治的圧力にも屈せず国民と国家のため健全な情報を伝えるのが任務であり、だからこそ公器と呼ばれる。
 新聞報道の批判記事はたとえ、悪口めいても真実でなければ国民からソッポを向けられ、新聞自身の自殺行為となる。産経の支局長が日本に送ったコラムは、韓国の有力新聞に載った記事を土台にしたもので、要約すれば4月の旅客船・セウォル号沈没事故の当日、朴大統領は男性と会っていた、という「うわさ」がある、と報じたもの。
 朴大統領が身に覚えのないうわさであれば、事実のアリバイを告げ、報道紙に抗議すればすむことである。
 公権力の力は、かつて日本の後鳥羽上皇が、朕の思うようにならないのは賀茂川の水と叡山の山法師である、と言ったように、オールマイティと言われる。
 しかし、文明国で、民主国家はそうした絶対的権力に対して、制度上、国会や司法がにらみをきかし、追放することも可能であり、そうした緊迫事に関係なく、常日ごろから第3の権力といわれるマスコミ、特に新聞が目を光らせ、その行動は毎日克明に報道される。
 日本の新聞は朝日に代表されるように、最初から悪意ありと思われるほど安倍叩きを行っている。アメリカのオバマ大統領もマスコミに叩かれぬ日はないくらいである。フランス、イタリア、イギリスなど優れた民主主義国家でも宰相や大統領は常に厳しい批判にさらされる。いちいち批判した新聞を告訴したり、起訴に追い込むようなケースは皆無に等しい。悪口もいわれるが、その発言や行動を大きく報道し、政策の推進に一役買っている。
 気に入らないからといって、足止めしたり、起訴したり、有罪に追い込むようなやり方はすべて民主国家ではあり得ないことである。
 新聞記者ばかりでなく、国民一般や学者でも気に入らねば逮捕したり、投獄したり、殺したりするのは共産国家だけである。その見本を世界は、スターリン時代のソ連や、今の中国、北朝鮮でいやというほど見せつけられた。
 いま、はからずも自由陣営と思われる韓国が、報道や取材の自由、通行の自由を否定する暴挙に走った。
 期せずして、世界の新聞や記者クラブは、韓国の暴走を指摘し、民主主義の危機として抗議や憂慮の声を発信している。日本政府も外交を通じて憂慮を通告し、国内の大新聞はいっせいに言論の自由、報道の自由を守れと、韓国を厳しく批判している。
 日本記者クラブ、日本新聞労働組合も抗議声明を出した。東京とソウル発の韓国の言論封殺は国際的な民主主義の危機として世界に大きく広がりつつある。
 何を血走っているのか、朴大統領よ。あなたは、敵と味方を見違っているのではないか。あなたは北朝鮮と連動して、日本叩きに生命を投げ出しているが、北と仲よくなり、北の支配の下、南北一体が実現すれば、どうなるのか。国民が総奴隷化するのは、北の実態を見れば見え見えである。
 あなたや、あなたの政府は、マスコミ、労働界、教育界、すべてに北の魔手が伸び、反日さえ叫べば、北はほくほく顔であることを知っているのだろうか。今、朝鮮半島の共産化という大戦略が着々と進んでいることを知らねばならぬ。【押谷盛利】

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2014年10月09日

野球の子規と牛飼の歌人

 人の世の生涯は浮き沈みがあり、自分の意志とかけ離れた波に翻弄されることもある。
 人生をたとえて「憂き世」というが、これには辛いことの連続という意味がある。
 しかし「浮き世」という言葉もある。これは浮いたり、沈んだりする人生のことで、人間の意志を超えた運命に作用されるともうけとられる。
 9月19日は、俳句、短歌の革新の父といわれた正岡子規(1867〜1902年)の「子規忌」、「糸瓜忌」、「獺祭忌」である。彼の文学における功績を回顧し、彼の高弟ともいうべき、「アララギ派」短歌の創始者・伊藤左千夫に言及し、人生の不可解、不思議についてふれてみる。
 子規は愛媛県の松山中学を経て東大に入ったが、学生時代から芭蕉や蕪村の俳句、さらに古く万葉集を研究して、官僚コースをいとも簡単に捨てて東大を退学した。彼の名を一躍天下に知らしめたのは、東大時代に野球にあこがれ、そのころベースボールと呼んでいたのを彼が「野球」と翻訳した。野球好きの彼が35歳で若死にしたのは明治35年だった。晩年の彼は病気に苦しんだが、死の1年前くらいからはほとんど寝たきりの生活だった。それでも、弟子たちへの指導や数々の文学作品を発表した。
 彼が文学界の異端児と大騒ぎされたのは、31歳で、雑誌「日本」に連載した「歌よみに与ふる書」による。この中で彼は大胆にも古今集を否定し、万葉集を高く評価した。これをきっかけに「根岸短歌会」を創立して短歌の革新の火ぶたを切った。
 短歌の弟子は長塚節、伊藤左千夫ら。俳句の弟子は高浜虚子、河東碧梧桐、内藤鳴雪、夏目漱石ら、そうそうたるメンバーが名をつらねた。
 短歌の高弟・伊藤左千夫(1864〜1913年)は子規の没後、歌誌「馬酔木」を創刊。09年、これに代わって「アララギ」を創刊し、作歌とともに歌論や小説を書き、斎藤茂吉や多くの歌人を育成した。
 左千夫は千葉県出身で初めは政治家を志して上京したが、眼病のため帰郷。その後、21歳で再び上京し、数年間牛乳店に奉公し、25歳で独立し、牛乳の生産販売業を起こし、成功した。
 彼は初め、旧派の歌会に属していたが、子規の歌論に感動し、その門下生となった。そのころの左千夫の有名な牛飼いの歌が、当時の新しい短歌の行方を暗示して歴史的な証言となった。「牛飼が歌を詠む時に世の中のあたらしき歌大いに起る」がこれである。
 牛飼いという職業をバカにした風潮があったのかも知れないが、その牛飼いの左千夫の満々とした闘魂と子規の指導が短歌界に新しい風を吹き起こしたのである。
 しかも左千夫から斎藤茂吉、中村憲吉、土屋文明、前田夕暮と、その流れが大正、昭和へと続き、今日の日本の短歌界の全盛期につながった。
 俳句は子規の弟子・虚子(1874〜1959年)がホトトギス派の隆盛を招き、日本俳界の保守的殿堂を築き上げた。虚子もまた、松山の出身で、俳句も小説にも手腕を発揮した。【押谷盛利】

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2014年10月07日

地方振興と集中豪雨対策

 8月下旬のゲリラ豪雨で広島市の土砂崩れ災害、9月下旬は御嶽山の噴火災害、10月初めは18号台風で静岡、横浜、関東の風水害。
 「災害と背中合わせの日和かな」。
 各地の災害発生で、日本の国土は雨に弱い、とつくづく思うが、自然に対する開発のアンバランスが災害を一層多発させている、と感じるのは、ぼくの思い過ごしであろうか。
 これは何も日本に限ることではなく、いま、国際的に問題視されている地球の温暖化と海面の上昇、化石燃料の際限なき開発と費消による大気汚染など近代文明の自己矛盾というよりほかはない。
 日本のように国土の70%を山林地域とし、しかも国土を海に囲まれていれば、南方からの温風、北からの寒風によって、年中降雨や降雪にさらされる。
 広島も今回の横浜の山崩れも都市計画による住宅開発と無縁ではない。
 山林の管理放棄による荒廃は、雨期の保水力低下を招き、集中豪雨があれば山肌を削り土砂崩壊の惨事を起こしやすく、しかもその危険は国内各所に指摘されている。要警戒の黄信号が発せられても、その地域の住民は万一の被害が、いつか、何処かで発する、とは承知していても、己が地域が犠牲になることは考えない。
 いまの日本の山林地帯は、豪雨が長く続けば必ず、山自身が傷つくことは宿命とも思われるし、一時期、国策として進めた落葉樹に代わる杉などの植林化が伝統的な山林の自然の生命を人工によって破壊したとも言えよう。
 しかも山林地帯に続く山裾の平野部は都市化の波が広がり、田畑の減少による出水時の湛水能力を奪ってしまった。都市化は住宅化を促進し、道路、河川、住宅、施設の改造、構築によるコンクリート化が河川の洪水を招き、それがそのまま地域の冠水、水害に直結する。
 いま、国家として一番心配されるのは、東京や大阪、名古屋、横浜、神戸などの大都市の水害である。
 東京の如きは地下鉄が網の目のように通っており、高層建築が立ち並び、豪雨による溢水は下水をパンクさせ、路上を河川化するから交通が遮断されるだけでなく、人家が浸水する。人口と建物が集中する近代都市の自然災害に対するお手上げ現象は、今回の18号台風でも証明された。
 この恐怖は、他の大都市でも同様であり、集中豪雨が続けば、いずこも例外ではない。
 治山治水の大々的な国費投入を促進するとともに、大都市における住宅開発を大胆に規制することが望ましい。
 いま、地方にとっては、空き家が課題となっているが、この際、地方重視を打ち出した安倍政権なるがゆえに、敢えて勧告するが、空き家対策の一環として、緑化と治水の目的から支援と同時に、家屋や施設などへの再開発を規制する政策を推進してもらいたい。
 町の中に点在する空き家跡をすべて、緑地化すれば、どれだけ地域の空気を美しくし、降雨時の洪水効果に役立つか。
 新しい視野から地方の再生に頭脳を切り換えるべきではないか。【押谷盛利】

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2014年10月04日

「仰げば尊し」と親孝行否定

 日本人の心をフヌケにしたのは戦後教育の弊であり、今もそれが改められていないのが腹立たしいし、それに気づいていない国民の心が悲しい。戦後教育のリーダーは教員の組織・日教組であるが、この団体は、他の国家公務員や地方公務員の労組、あるいは国鉄(今のJR)、全逓(郵政)、電電(NTT)などの組合と共に、官公労組の全盛期を招来し、政府与党の政策に影響を与えた。
 官公労を先導した日教組は日本の社会主義化の大目標を秘めつつ、その戦略として、日本叩き、日本おとしめを際限なく繰り広げ、今に及んでいる。
 小学校の卒業式、昔は「仰げば尊しわが師の恩」を合唱したが、教員は教育労働者であり、恩師などではない、と歌わないことにした。君が代を歌い、国旗を掲げるべきだが、それは古き日本を讃美するものと反対し、法律で、国歌、国の旗と定められた今でも反対する教員がいる。
 子は親に孝養せよ、という道徳教育は否定する。なぜか、革命のためには子が親を告発するときもあり、親子の情を教えることは革命の心を鈍くさせる、というのが日教組の本山の思想である。同様に国語における敬語表現を差別につながるとして否定した。
 義務教育の小、中学校は校長が人事を管理し、教職員を指導統轄する、と法律で決められているが、これを骨抜きにするため反校長の闘争を組織し、多くの校長は名目のみで、学校の運営や人事権は組合が握っている。つまり組合の方針、利益優先の教育人事と学校管理を握っているわけで、教育現場が日教組に占拠されているこの事実を直視し、教育の正常化を断行することが今の政府の喫緊事であろう。
 ところが、日教組は他の野党やマスコミにうまく取り入って、政治的偏向に走り、靖国反対、自衛隊反対、日米安保、スパイ防止法、集団的自衛権行使反対などを掲げ、あたかも韓国や中国を代弁するが如く反日を叫ぶ。そして、その行動の原点は、革命のための地ならしで、このため、平和や人権をキーカードに広く国民各層を組織化する。例えば、ジェンダーフリーがその一つである。男と女を差別してはならぬ、というふれこみで、男が男らしさ、女が女らしさを失うことによって本来の恋愛感情までが消えてしまった。その結果、晩婚化、独身願望、少子化につながってゆく。
 日本人の誇りや伝統、歴史を木っ端微塵に打ち砕いて、共産革命へと志すもろもろの集団、組織の中で、その精神的支柱をなすのは教育現場を握っている日教組であり、教育改革こそ政府も与党も健全なる野党も一致して推進しなくてはならぬ大命題である。【押谷盛利】

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2014年10月02日

煮ても焼いても食えぬ

 「暖簾に腕押し」という。力を入れて押しても少しも手応えのないことをいう。相手の態度がいいかげんで、張り合いのないこと。
 拉致問題の解決に光が差し始めた、と一時は、北朝鮮との交渉が外交路線に乗った感じだったが、無残なるかな「なぶられ損」の感が深い。
 両国で、拉致問題の調査対策協議会を開く。8月の終わりか、9月の初めには確かな在北日本人の調査が発表される、との先方の調子のよい言い分に、結構ケッコウと渡航制限や、送金の枠を緩和するなど甘い顔を見せたお人好しの日本外交には早くから「脇が甘い」の声があった。
 「始めは処女の如く後は脱兎の如し」という。始めは小娘のようにやさしく弱々しくふるまい、あとは逃げる兎のようにすばやく行動する、たとえだ。
 これまでの北朝鮮の対応はどこまでが真実か、ウソか全く見当がつかない。
 日本の経済封鎖や旅行制限、北の船舶寄港禁止、日本からの送金制限などで苦しまぎれに拉致問題解決へのカードを切ったが、会議の始めのまじめさはウソのように、日が経つにつれて、8月か、9月に調査の資料を渡すなどとは言っていない、まだ、話す段階にはなっていない、などとしらを切っている。拉致被害者の家族や正式に拉致被害者に登録されていなくとも多くの日本人が拉致されているのは国内の状況調査で明々白々である。
 拉致問題で、北が日本に譲り、両国に温かい風が吹けばお家の一大事とやきもきしているのが、お隣りの韓国と中国だろう。だから食糧がなければ送って進ぜよう、医薬品がなければ、日常品がなければ、と甘い声で支援しているのかもしれない。
 横田めぐみさんのご両親の姿をテレビで見る限り痛々しい。だんだん年老いてゆくが、ひたすら娘を待つ親の慈悲心を神さまが支えて下さっているのか、あちこちの大会などに顔を出し、先年には国連までも出かけられていた。
 拉致被害者ばかりではなく、先方には、日本から引きあげた日本人妻も年老いて、帰国を願望しているはずだ。その他、たくみな工作員のワナにかかって、北に住む不幸な人もあるだろう。
 北の国は一党独裁、金王様の絶対支配国だから、国内の日本人がどんな暮らしをしているか、どこにいるか、何もかもお見通しである。帰す気が本気なら調査だの、何だのともったいつけることなく、帰せばいいと思うのだが、先方は、北を祖国と信じさせる洗脳教育に余念がないから、日本が思うほど真剣味はない。ちびりと出しては、たんまり取ろうとする悪知恵にはまれば、はまるほど先方の思うつぼである。
 「煮ても焼いても食えぬ」お方ではある。【押谷盛利】

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