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2014年09月30日

日本の教育の危機と反日

 戦後の日本人は、麻薬を服まされたようにフヌケになっていると、ぼくは思っているが、このことにどれほどの国民が気がついているだろうか。
 今の日本人がフヌケになっているのは、元をただせば戦後生まれのいわゆる団塊世代が元祖である。この世代は昭和25年を軸に前後3年間くらいに生まれた多出生の世代であるが、なぜ、この世代をフヌケの元祖というのか。
 それは、この世代が受けた偏向教育によるもので、団塊世代がその後の日本をワヤにし、日本人をフヌケにしたのは、彼ら自身の発意ではなく、いわば彼らもまた麻薬による被害者なのである。
 ぼくは日本人をフヌケにしたのは麻薬のせいと言ったが、この場合の麻薬は比喩であって、大麻など幻覚症状を起こすものを指しているのではなく、麻薬の如く恐ろしい影響を日本人の魂に与えた戦後教育の荒廃をいう。
 戦後教育は、一口でいえば「反日」であり、教師も教科書も教育委員会すべてが悪夢のように日本をおとしめてきた。日本人は粗野だ。日本人は野蛮だ。民主主義を知らずに、いまなお軍国主義の粕を食ったり、ベールをつけている。いつ牙をむいて、戦前のような狼日本を復活させるかしれない。
 こういう前提に立って、教育の場を「反日道場」としてきた。教育を反日道場化した遠因は連合国の占領政策によるが、直接的に反日指導をしてきたのは教育界であり、東大をはじめ有名大学の学長や教授らが「平和」と「差別」をキーワードに教育界の左翼イデオロギー化を策してきた。
 戦後講和条約を結んで、日本の戦後経営に並々ならぬ努力をした吉田茂首相(当時)に対して、東大の学長ら有名教授が、日本の政治の右系化のシンボルとして吉田叩きをやった。
 吉田はこれに対して「曲学阿世」のともがらとして痛烈にパンチを与えた。
 曲学とは、学問の真実をゆがめること。阿世とは世論におもねること。
 教育界の大御所に対する痛烈なパンチであるが、当時のマスコミは、あたかも国民世論を煽るが如く、吉田叩きに熱中した。吉田叩きなら、なんでもあれ、ハカマと白足袋、救急車まがいのノーストップの通行、くゆらすパイプ。
 これと同じ流儀で80年もあとの今、安倍叩きが続いている。一貫して流れている思想は、戦後教育界を毒してきた「反日」である。
 大学の下請けともいわれる小、中、高の教師までがまるで曲学阿世の実践者の如く、日本の教育をワヤにしてきた。その総本山が日教組であり、その反日性はますます巧妙に陰湿を帯びている。
 日教組は、日本の義務教育を推進する教職員の労働組合で、戦後一貫して文部省(現文科省)の官僚とわたりあって、教育行政のゆがめを促進し、地方においては、都道府県の教育委員会を組合に協力させ、小中学校においては校長の権威を潰すのを使命として、校長叩きを戦術化してきた。
 その方針は、今日の中国や韓国が日本を敵視するやり方そっくりで、中心を流れる思想は社会主義革命路線で、そのために「平和」と「差別」を2枚看板に他の労働組合や左翼政党と連携して、慰安婦問題での日本叩き、靖国反対、日米安保条約反対、自衛隊反対、憲法改正反対、スパイ防止法反対など政治的色彩が強い。
 9月28日の産経報道に詳しいが、大分県教職員組合は、平成22、24年度に小、中の教職員対象の海外研修に、北朝鮮を訪問している。ミサイル発射や、拉致問題を抱えている北をなぜ、海外研修の適地に選んだのか。しかも行き先は、反日宣伝の記念館や金日成、金正日ら支配者の銅像めぐりなど、いわば北朝鮮崇拝の洗脳に役立たせる研修である。日本の教育がいかに反日か、将来が案じられるではないか。【押谷盛利】

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2014年09月25日

日本語の乱れと教育問題

 25日の全国紙に、敬語に関する世論調査の結果が出ている。8割以上の人が敬語は必要だと思う、と嬉しい回答をしている。日本語の美しさは敬語にある、と、これはぼくの早くからの主張だが、言葉が美しくやさしいのは心が美しくやさしいからである。
 近年日本語の乱れを指摘する声が高いが、これは一つにはテレビのお笑い番組のふざけ言葉の多発乱用による。今ひとつの大きな原因は、ケータイ電話やスマホの影響である。さらに言えば手紙を書く習慣が消えてしまったことによる。
 年に一度の年賀状は、相手と日本語の書き言葉で挨拶をするチャンスだが、判を押したように「賀正」か、「謹賀新年」、「明けましておめでとうございます」。それも本人の手書きではなく、印刷である。
 こういう結果、日本人は普段から、人とものを言うことが少なく、たまたま遇えば「お茶しようか」くらいで、それも話半分で、いつもスマホが仲に割って入る。
 家の中でも、家族や夫婦の会話が減ってしまった。テレビに首ったけのもの、そのテレビも若ものと親世代では番組がちがうし、大人でも、野球やスポーツ番組ファンと歌番組、劇映画、お笑いもの、それぞれに思惑があって、別々の世界に沈潜する。
 書き言葉にしろ、話し言葉にしろ、常に使っておれば、おのずから洗練されてもゆくし自己反省もし、他人とのコミュニケーションがまるく穏やかになる。
 ぼくは常に指摘するのだが、日本の大新聞のうちには、天皇陛下や皇族に関する記事の中に、敬語を使わないのがあり、けしからぬ、といつも怒りを覚えるのだが、読者からの反応が鈍いのか、ちっとも改まらない。例えば朝日、毎日、中日、京都などだが、これらの皇室関係の記事を読むと、天皇は日本人の心のあこがれであるという憲法の地位をどう考えているのか。これらの新聞は、天皇に敬語を使わないだけでなく、中国や韓国の尻馬に乗って、靖国叩きには異常なほど熱心なのである。彼らの祖国は、中国か朝鮮かと疑いたくなるが、その点、信頼できるのは読売と産経である。
 日本は戦後、敗戦ショックで、精神面での自虐思想、劣等意識にわざわいされてきたが、これは教育における偏向思想の影響による。とくに、教職員団体・日教組の反権力闘争の罪は大きい。彼らは、民主化は権力を無力化することと想定し、ことごとく文部省(現文科省)の方針に反対し、府県にあっては教育委員会に影響力を強め、学校単位の支部においては「反校長」闘争を組織し、校長の権限を組合側が取り上げる作戦を展開してきた。
 こうした反権力闘争には敬語が邪魔になるから、学校では敬語を使わぬようにし、それが子供にまで滲透するという恐ろしい結果をもたらした。子供が敬語を使わぬようになれば、先生、親、友達に対して、みんな同列の言葉づかいになる。敬語を使えば行いもこれに伴って、相手に敬意、親しみを寄せ、それが社会の潤滑油の働きをする。
 共産主義国家は、子が親を摘発したり、反革命思想だといって、妻が夫を地区の上級機関に訴えたりすることが普通であり、こうした国では敬語が革命の邪魔になるわけである。
 日本の教育界を牛耳る日教組が敬語に冷淡であり、常に反権力闘争にあけくれては、近未来の社会主義革命の地ならしをしているようなものである。彼らが道徳教育に反対するのはそうした遠大な戦略があるからだ。
 日本の政府や政治家は、世界の自由国家と共産国家の運命と現段階の自由の大切さを念頭に「教育改革」に勇気を振るわねばならない。【押谷盛利】

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2014年09月20日

ほんものの漬物と粗食を

 漬物が好きになる、と年代が分かるという。それを証明するかのように若い人は漬物を喜ばない。
 食べものと年代との関わりは想像以上に大きいが、案外無頓着なようである。それはいつでも、どこでも、ありとあらゆる種類の食べ物が市販されているからだ。
 いまは、3世代はいうに及ばす、2世代同居も珍しいが、かつては親の世代と子の世代が同居しながら別々に食事をしたり、ときには食事の献立の対立がもとで、若いものが家を出てゆくこともあった。
 今は、健康と栄養が国の政策かと思われるほどメディアが露払いをして、医療界も教育界も食品栄養を強調する。
 戦後の団塊世代の記憶を呼び起こせば、今はご馳走の食べすぎ、栄養のとりすぎといわれるかもしれない。
 それにも拘わらず、食の驕りというべきか、贅沢と呼ぶべきか、糖尿食だの、血圧食だの、故障だらけの人間に、これを食べればよい、飲めばいいと、栄養学のうんちくを傾けて調理や調理技術を宣伝する。乗せられている国民は疑いもせずに美食に走る。そのあげく、みんなクスリ漬けの医者ファンとなる。
 ぼくは役立たずの老骨だが、医者とクスリに縁のない健康を感謝している。ぼくの体力と健康の土台は子供のころにできている、と確信している。
 もし、ぼくの子供時代の日日の食事内容を今の栄養士が判定したら文句なしにマイナス点をつけるであろう。それでは栄養がとれていないではないか、病気になって死んでしまうぞ、と今なら親がどなられるかもしれない。
 これは前にも書いたが、夏のおかずは朝、昼、晩、必ず「どぼ漬け」だった。正確には糠漬け、糠味噌漬け。胡瓜、茄子を糠床に漬ける新鮮な自家製漬け物だが、浅漬けは一晩漬けて翌日食べる。
 ぼくの父は3日どころか、5日か1週間くらい漬けた酸っぱいのを好んだ。主食は米だったが、副食物は、これに「ししとう」の焼いたのや夏野菜の煮付け、ときにはそれの酢のもの。肉類や海の魚類は食べることはなかった。ときに小鮎を食べたが豊漁で値が下がったときだった。天ぷらは油がなかったし、揚げる料理法も知らなかった。肉や海の魚はうまくてもおカネがないので買うことはない。ときどきのご馳走は、おから(豆腐の粕)か、せんぎり。春は山のわらび、ぜんまい。竹薮がないから竹の子も食べない。豆腐はお客用で普段は食べない。
 ぼくの子供のころはキャベツや玉葱、トマトなどを作ることもなく、当然食べることはない。畑でとれる大根、蕪、菜っ葉類、にんじん、ごぼう、藷類を程よく保管し、材料にしたが、調味料は醤油か味噌、酢。畑がないので、山を開墾して母が秋野菜を作ったが、面積をとる蔓野菜のカボチャ、スイカ類は作らなかった。家に鶏を飼っていたので、たまには玉子を食べたが、売ってカネに替えたのか、親が食膳で食べたことを知らない。それでもぼくはクラスで2番か3番の身長で、6年生のときは東浅井郡の運動会で、高跳びで優勝したことがある。
 この歳になって、夏の食事で一番欲しいのは糠漬けであるが、残念乍ら家で漬けることもなく、市販のものはごまかし漬けで、本物ではない。四季の漬けものでは京都のものが多いが、みんな甘みがあって口に合わない。
 ほんもののすぐき、それに信州の野沢菜漬け、この辺の店では、フタバヤの白菜漬けが最高だが、夏場は切れる。
 栄養などにこだわるのは宣伝に踊らされるバカで、ごちそうを避けて粗食するのが健康に一番である。【押谷盛利】

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2014年09月18日

百歳を生きた波乱万丈

 一休さんは室町時代の高貴な禅僧だが、寺を持たず好き勝手な世渡りをして自らを狂雲子と号した。森という盲目の美人を側女として、戒律で禁じられている女犯肉食の破戒増だった。形式的な仏教を批判し人間味溢れる生きざまに世間はもとより子供たちの人気ものだった。その一休さんが面白いことを言っている。
 「人は穴から出て穴に入る」。
 これを現代風に言えば、「人は病院から出て病院へ入る」。
 穴から出るというのは女性の器から生まれるというもの。穴に入るというのは墓穴のことで、火葬のないころは、昭和になってからも土葬のところが珍しくなかった。
 死者が出ると、隣家が助けあって棺を入れる穴を掘った。これが穴掘りで葬儀の際の大事な一役だった。
 いまは、お産が迫ると、妊婦は例外なく病院で産むことになる。出てきたときは赤ちゃんを抱いている。
 お陀仏の迫る病篤のころはこれまた例外なく病院のご厄介になる。
 「ご臨終です」の医師の一声で、あっという間に霊安室へ移される。ここではもう人間扱い御無用となる。引っ越しの荷物のように葬儀社のお迎えがあれば、そのままところてん式に「さよなら」の告別式。
 昔は夜半の煙となりにけりだった。いまは昼の日中でもゴミ焼却並みに灰となる。
 老人月間で、100歳を超す長寿者が全国で5万人とか大層な太平の世となったが、カメラのとらえた映像で見る限り終末期の人生はバンザイと称賛されるには程遠いわびしさが漂っていた。
 女性が圧倒的に多いが、生まれた明治から大正、昭和にかけての激動期を思えば、感無量どころではない。
 恐らくほとんどの人は家で生まれたにちがいなく、経験豊かな姑の世話か産婆の手で産湯が使われたことだろう。小学校へ行けたのは幸せ組で、なかには幼いころから他家の子守りにやらされた人もあった。
 子供のころは電気の恩恵もラジオも石鹸も知ることなく、一口で言えば野蛮な一時期を経験したはずだ。もちろん、都会の大金持の息子や娘は幼稚園に通ったり、家政婦つきで、自家用車や馬車を利用したり、洋行したハイカラ族もあったはずだが、幸か不幸か、貧乏人の子は長生きし、上流の子はその逆である。
 自然を友として、雨嵐の中でたくましく生きた貧乏人の子は義務教育のみで、進学どころではなかったが、眼に見るもの耳に聞こえるもの、社会のすべてを教師として、ぐんぐん自らの中身を充実していった。
 この人たち、明治の生き残りの宝のような人々に、その貴重な体験談や終末期に残しておきたい秘話や人生の修羅場の明暗を聞きたいが、残念乍らテレビで紹介される方々には、望むべくもなく、願わくは呆けの悪化しないことと快食快便であろう。
 「新走父よ安かれ黄泉の旅」。
 これは父を思うぼくの俳句である。新走は新酒のことで、昔は秋に一番米で酒を造った。その新酒を父の霊前にお供えして、あの世の父の旅の安全を祈りつつ、そのお相伴を頂いた、という意味で理解してもらえればありがたい。【押谷盛利】

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2014年09月16日

白米信仰と農民の貧窮

 実り豊かな稲穂を見ると、日本の美称「豊葦原の瑞穂の国」を頭に浮かべる。葦が生い茂り、稲が豊かに実り、栄える国、という意味。
 日本は古く奈良期のころから、陰暦2月4日に新年祭を行い、五穀豊穣を神に祈った。としごいの祭とも呼び、今も各氏神の年中行事となっている。
 五穀とは、米、麦、粟、稗、黍をいうが、これらは古くからのわれわれの先祖の食生活を思わせる。
 五穀は主食の要であるから早春にはその豊作を祈願し、秋の実りについては、収穫感謝の神嘗祭や伊勢神宮への報告、新嘗祭が行われる。
 神嘗祭は陰暦9月17日だったが、いまは10月17日。新嘗祭は11月23日で、勤労感謝の日。
 豊葦原の瑞穂の国とは言え、日本の農民は必ずしも満ち足りた生活をしてきたわけではない。5世紀前半、今から1600年程前の仁徳天皇にまつわる「かまどの煙」の話は有名である。あるとき、天皇が高台に上って、都の姿を眺めたところ、食事前なのに民のかまどから煙が上がっていないのに驚いた。これは不作や貧乏のため民がその日の食事すらできない証拠だ、とのお心で、向う3年間を免税とされた。3年後再び高楼に上ってみれば民のかまどから煙が上がっており、減税効果が出たという逸話。
 仁徳時代より300年後の和銅5年(712)、続日本紀にそのころの民の貧窮ぶりが書かれている。
 和銅5年春、天皇が詔を発せられた。「諸国から集めた使役の民が任を解かれて国へ帰る道中、食べものがなく、飢えに苦しみ、道ばたに倒れ、溝に落ちて死ぬ人多く大変な困りようである。それぞれの県知事らは積極的に救いの手を差しのべよ。もし死者が出れば埋葬し、その名を本籍に知らせなさい」。
 日本の農民は税(年貢)と生活の板ばさみの中で悲痛な白米思想が生まれた。米を作っても米はお上へ納税し、自分たちの食べるのは麦、ひえ、粟、きび、そばなどのいわゆる雑穀である。白い米は食べたくとも食べられず、せめて末期の病人に米のお粥でも、というのが一般だった。
 その白米への悲願が明治以降も農民の心を支配した。仏事で人を招いたり、大切な客を迎えるときは必ず白米を炊いたが、普段は麦を入れたりして嵩を増やした。
 あこがれの白米が生活の生き甲斐になって今日に至ったわけだが、考えれば白米信仰は農民の貧窮の歴史の証言でもある。【押谷盛利】

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2014年09月11日

玄米、新米、工場生産食品

 黄金色の田んぼの稲穂を見ると、なぜか心がにぎやかになる。台風にもゲリラ雨にも耐えて、ふさふさと実り豊かに秋をかなでている。
 早稲はすでに収穫が始まり、早くも新米の味が話題となる。古米から新米、年々歳々、倦むことのない日本人の生命の源泉である。
 新米を喜ぶ日本人が、入社間もない社員や技術職の見習いを見下げて新米と呼ぶのが腑に落ちなかった。
 あるとき、辞書を見て、一人前に程遠い人を新米と呼ぶのは発音の誤用で、本来は新前と呼んだ。前は茶道の「お点前」、自己負担の「自前」、能力自慢の「腕前」や「板前」などがあり、新前は、まだ仕事に慣れない新人のこと。いつのころからそれを茶化して「前」を「米」といったのかも。そして、米ならざる新米が堂々と認知された。
 先日、ある会合で、米の話が出た。ぼくが「玄米はうまいぜ」というと、みな、きょとんとして、しばらく玄米が話題になった。固いとか、胃にもたれる、などの話が出たが、一つは炊飯の仕方による。12時間くらい水に浸したあと、圧力釜で炊く。やわらかくて、もちもちとし、噛めば噛むほど甘くなって咽喉に呑み込むのが惜しい。
 白米を常食している人はその感覚で早食いすれば、胃にもたれるかもしれない。言わば質的に食い過ぎになるわけ。白米を2膳の人は、玄米なら1膳でよい。
 ぼくの場合、椀いっぱいだと食べ過ぎるから、半分か、3分の2くらい、少なめにしていい加減である。
 食の安全と健康を指導するマクロビオティック理論は、食事は完全穀類を50%から60%食べよという。
 完全穀類は玄米のほか精白しない完全な麦、キビ、トウモロコシ、ソバなどをいう。残りの40%のうち25%を野菜、10%を豆類、海藻、5%をスープ類。
 食べ物は生命の根源であるから、新鮮で良質な自然食品を選ぶことが大切だが、これが難しい。
 自然食品は、人工的な物質を含んでいないもので、全く加工されていないか、最小限の自然な加工だけのものをいう。人工肥料、合成肥料、除草剤、殺虫剤など農薬を用いず栽培されたものを有機栽培というが、消費者は食品を買うとき質の高い自然食品を選ぶのが家族みんなの幸せに通じる。
 化学的、工業的に大量生産された食品は食べないようにするか、ほんのわずかしか食べないのがよい。インスタント食品、冷凍食品、精製穀物(白米など)、着色された食品、その他添加物、防腐剤、安定剤、乳化剤などを使った食品は敬遠することが望ましい。【押谷盛利】

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2014年09月09日

宇宙の神秘、中秋の名月

 「待宵や狐の影か野良猫か」。
 これは月をたたえたぼくの俳句である。名月を控えた前の夜の月で、小望月とも呼ぶ。
 炎暑と豪雨に荒れた8月だったが、さすがに天の神さまは正直である。9月の声を聞くや朝夕はクーラーを忘れる涼しさ。芙蓉の花がまぶしげだが、夕暮れにはこおろぎが秋を知らせる。
 今年の9月はまこと名月に恵まれた。7日の夜、晴れ渡った空に、こうこうと照る月はまさに待宵そのもので、名月を迎える宇宙の前夜祭というべきか。夜の10時ごろだろうか。あまりのすがすがしさと妙なる白光に見惚れて茫然と立ち尽くして手を合わせた。
 ぼくが夜の会合を終えて家に帰るや、庭隅を生垣へ走るけものの影を見た。ほんの一瞬のことで、狐かな、それとも野良猫かな…、ぼくの迷いはどちらでもよいが、野良より狐の方が月にふさわしい。あまりの素敵な月あかりに狐も感動してしばらく拝んでいたのかもしれない。
 ぼくの気配に、あわてて姿を隠したのだろう。狐も幸せ、ぼくも幸せ。ぼくは家へ入ってもその感動が余韻して、二階の窓からあくことなく月を仰いだ。待宵をこれほど深く感じたのは、ぼくの長い人生で始めてであった。どうか、明日(8日)の満月は雲や雨にさえぎられることなく輝いてほしい、と念願したことだが、神さまからのご褒美か、8日の夜は前夜にまさる素敵な名月に恵まれた。
 中秋の名月とはまこと言い得て妙。良夜、良宵ともいう。
 一年中のうち最も澄んだ美しさで、夜風や虫の音までが良夜をたたえる。心ゆたかな人は、穂すすきを挿し、月見団子や新芋、枝豆などを供えた。
 この夜の月の光で針に糸を通すと裁縫が上達するとか、この夜、絞った糸瓜の汁は肌を美しくする、などの俗信もあり、自然を崇拝する日本人の伝統は今に生きている。
 「まだ旅のよそほひ解かず小望月」(松本雨生)。
 「名月や杉に更けたる東大寺」(夏目漱石)。
 「すらすらと昇りて望の月ぞ照る」(日野草城)。
 前田夕暮の短歌に「空はるかに、いつか夜あけた。木の花しろじろ咲きみちてゐた」がある。これは、名月の夜明けのしみじみと静かな早朝の庭の芙蓉の花を歌ったのかもしれない。定形前の自由律短歌のころの作品だが、名月を詠まずに明け初めた大宇宙の神々しいひろがりに白い花を添えた美的感覚の秀歌である、とこれはぼくの鑑賞である。【押谷盛利】

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2014年09月06日

日本人のやさしい伝統

 安倍改造内閣の評判は上々吉。先ずはおめでたい。
 昔は役所のことを「お上」、そこに働く人を「お役人」。明治時代は「官員さん」といった。大学出は学士さん。「学士さんならお嫁にやろう」。学士さんが喜ばれたのは官員になれるからで、日本の役人天国は明治以来の伝統である。
 役人をお役人と敬称したように、今の自治会長は区長さんと呼ばれた。威張るわけではないが、住民が感謝の気持ちを持つのは、そのポストがボランティアみを帯びていたからである。
 いまの議員は「先生」と呼ばれていいカッコしているが、月給取りの側面を持つから昔の先生とは月とスッポン。昔の先生は名誉職だから歳費はあるが月給はなかった。
 日本人はおおらかで、やさしく、親切である、というのが国際評価であるが、この国民性は列島の風土と関係が深い。国土の70%が山林地で、神代の昔からたえず、風水害にさらされてきた。田や畑を流され、家を壊されてきた。いきおい住民が助け合い、そこに遠い親類より近い近所の美風がかもされてきた。
 その美風を助長してきたのが日本人の言葉のやさしさと、相手を尊敬する言葉づかいである。
 二人称単数は「きみ」「あなた」であるが、「きみさん」「あんたさん」「あんさん」「お前さん」と必ずさんをつけた。
 道を歩いていて、仕事をしている人を見れば「おきばりやす」。日暮れごろ、まだ働いている人を見かけたら「おしまいやす」と声をかける。買い物をすれば、店のものも「おおきに」、買った客も「おおきに」。
 おおきには、大いに有難う、という意で、言葉の終わりには口癖のように「おおきに」が出る。
 昔は「ととさま」「かかさま」、親への口答えは許されなかった。親に威厳があったが、その代わり親は子のために食うものも食わなかった。
 戦後の民主主義は、古いものはなんでもアカンと吐き捨てたが、日本の伝統美である長幼の序などは世をまるくする潤滑油である。校長をアホ扱いにして団交(団体交渉)する結果、校長はびびって職員の指導や統制という本来の仕事ができなくなった。
 つまりは、組織のえらいさんの権威をぶち壊して「みな、平等」の世を考える。敬語は日本の伝統美であるが、これを潰さなければ日本の民主革命はないとする左翼バネがはびこって、片や日教組、片や左翼系マスコミが、こともあろうに天皇陛下や皇室に敬語を使わなくなった。
 憲法には、天皇は国民統合の象徴であり、あこがれと定めている。それなのに、天皇や皇族方の動静には敬語を使わず、われわれしもじも同様に「出発した」「着いた」「挨拶した」「ひざをついて話した」などと言ったり、書いたりする。
 その心の底は、民主主義どころか、それこそあこがれの共産革命への奉仕である。こういう変な動きが、さまざまな形で、中国や韓国とも通じ、反日宣伝に一役も二役も買うのである。【押谷盛利】

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2014年09月04日

せち辛き世と終活の話

 人の世は今も昔もせち辛い。生きているこの娑婆ばかりか、あの世までも難儀なことにせち辛い。
 就活や婚活には明日があり、いきおいがあるが、終活は淋しく悲しい。
 長寿社会のいま、終活は一つの産業化して、それを論じる学者もあれば、それをメシの種にする企業の戦略も脚光を浴びている。
 「死ねば墓場」は昔の常識だが、今は、墓の無用論どころか、葬式無用の声まである。遺骨は散骨で海へ。あるいは樹木の根っこに。とどのつまりは、散り散りに散って土に還る木の葉なみだという。
 これではお寺はもたないし、仏壇屋、ろうそく、線香屋は店を閉めなければならぬ。お彼岸といえば、休日を思うだけで、お墓参りでご先祖に会うという発想がない。
 終活の先生は、相続や遺言、延命施術、断捨離、葬儀などを説くが、いつのことか分からぬ終末期に備えろとは、いやはやせち辛いことである。
 大事なことは一にも二にも健康に生きることで、そのために先輩の健康法をまねて、あとは運を天に任すこと。
 しかし、「生」というこの素敵な命を頂いた身であるから、最後まで世のため、人のためという前向きな心で、動ける内は動かねばならない。
 ぼくの短歌の先輩で、92歳で、歌集「由布山しぐれ」を著した工藤忠士さんは出版後、間もなく他界したが、人生の終わりをたかだかとラッパを吹きながら、さよならした姿がぼくの心にこびりついている。
 この歌集は、全編、反俗反骨の精神につらぬかれ、軽妙なユーモラスが人生の達人を思わせ、終活の一つのサンプルとして、ぼくの心に奥深く宿っている。
 工藤氏の短歌の師は浅利良道氏だが、師の詠みし「今日の日と君は別るるに何いそぐ時雨にもぬれよ由布山しぐれ」がある。この短歌から工藤さんは最後の歌集名を「由布山しぐれ」と名づけた。
 この歌集の中身は、悲喜こもごもの人生が凝縮され、ことに先立たれた妻を思う作品の中に終活の尊いヒントを感じることができる。
 「みまかりし妻の財布に残る銭 病みてより遣いきれざりし銭」
 「この世にて妻の一分たてていし 妻よ黄泉でも一分たてよ」
 2日の時評「安倍さんに贈るいい話」の中で、イタリアのレンツィ首相の人気公約「廃車処分」いわゆる老害について書いたが、人間は学があり、実績があり、地位があっても、それらを無にする「老い」が必ずやってくる。
 人にシャッポを外させず、自らの手でシャッポを脱ぐ。それが終活の始まりである。【押谷盛利】

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2014年09月02日

安倍さんに贈るいい話

 安倍内閣の改造人事がかまびすしい。入閣候補があれこれと浮上しているが、内閣改造の要は自民党の幹事長人事であろう。現在の石破幹事長は続投を希望しているが、今年秋か来年中の衆議院解散を考えれば安倍首相と一体感のある人が有力であり、彼を野に放つより、大臣として顔を立て、挙党体制の布陣を考えているらしい。
 それにしても安倍さんはお人好しなのか。それとも人事で人の心をわくわくさせたいのか。腹のうちが見えかくれして報道される。
 小泉純一郎さんが首相になって自民党の派バツの弊害が影をひそめたが、いま安倍さんになってから元に戻りつつあるのは頂けない。
 国政ニュースから感じられることは、鳴りをひそめた派バツが内閣改造を前に息を吹き返していることである。
 今度の改造人事で注目されるのは、女性の登用であろう。女性の地位の向上は政界だけではなく、各界においても望まれるところだが、安倍さんはどきもを抜くが如く思い切ったことをするだろうか。
 開けてびっくり玉手箱というように、すべては安倍さんの腹の中だから、軽々しく論評すべきではないが、いま名前の出ている人が、もし具現化すればどえらい騒ぎになるだろう。
 話題の人は、小渕優子元少子化相。小渕恵三元首相の次女で、衆院当選5回、美女で40歳という年齢は、一躍、時代の看板となるだろう。彼女の所属する額賀派内には、重鎮で今も影響力のある元・参院の青木自民党会長が、時期尚早と、ブレーキをかけているらしいが、選対委員長をかねる強力な幹事長だけに、党内は賛否がうずまく。それに小渕優子氏は中国に顔が広く、旧田中角栄派の影響か、中国寄りのうさんくさい話も伝わる。
 ところで、文藝春秋9月号に、ぜひ、安倍さんに読んで欲しいエッセイが出ている。
 イタリア在住の女性作家・塩野七生さんの「女たちへ」。中身は、イタリアのレンツィ首相のことで、彼の内閣では大臣の半数が女。総じて若くて、美人で、しかも子持ち。そのほとんどが大臣や副大臣の経験がなく、首相のレンツィ氏も大臣どころか、国会議員の経験もなく、前歴はフィレンツェの市長だった。
 レンツィ首相の人気の秘密は大胆な人事の公約。市長時代からのスローガン「廃車処分」の続行である。
 廃車処分とは「世代交代」。政界の大物だった人でも故障が多発するようになった今は修理ぐらいではもう役に立たないので、廃車処分場行きというわけ。つまり事実上の引退勧告である。
 日本語に直せば「老害処分」。イタリアでは内閣に限らず、他の公職にも広がっているという。
 学ぶべきは、レンツィ首相の新感覚。【押谷盛利】

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