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2014年06月26日

湖北の水と魚類の格差

 「目には青葉山ほととぎす初鰹」。これは有名な素堂の俳句である。青葉の茂るころ、遠州灘を越え、伊豆半島を回遊するころが、鰹のあぶらの乗ってくる一番うまい旬だという。初鰹は走りの好きな江戸っ子の見栄であり、ぜいたくだった。
 6月は青葉の季節であり、青葉が象徴するように、生物が萌え、躍動する季節である。
 食べもので言えば、湖国では鮎と岩魚が最高である。鮎は香りがよいから香魚というが、一年の寿命であるから年魚ともいう。長浜の湖辺は古くからの鮎の産地で、鮎漁は種類が多く、つくだ煮に加工して全国へ流れる。
 尾上港に水揚げされる鮎は口ばしが朱色をしているので「紅鮎」という。なぜ、尾上の鮎の口が紅色なのか、この不思議を説くカギは地勢と水による。
 琵琶湖は一つの大きな水がめであるから、北の水も南の水も同じだと思いがちだが、なかなかどうして、水質は全く違う。水に甘い辛いがあるかどうかは、水中の魚類や生物に聞くしかないが、素人でも分かるのは、堅い水、やわらかい水である。戦後は農業排水や工場汚水で、湖の水質は変化したが、本来的には湖の水は山から流れてくる川の水の影響を受ける。
 今年のように雪が少ないと、山が貯える水の量が枯れるから、いきおい川の水も枯れる。川が枯れると、山の中で長年月培われてきた自然のエキスが湖へ流れなくなる。したがって、湖の水質は硬質となる。
 琵琶湖の水を考えるとき、余呉川、丹生川、高時川、塩津川、大浦川、知内川、姉川、天野川のそそぐ湖北と中部、南部の川から流れる水の質が違う。どう違うかといえば、水源をかかえる山の領域の広さと森林の違いである。
 長浜市の面積は琵琶湖の面積と同じといわれるが、その広大な面積の大部分は山間地である。山間地は木が生えており、葉が年ごとに枯れて新しい葉が再生する。その広大な面積に何万年来、積み重ねてきた山の枯れ木、枯れ葉、山に関わるもろもろの動植物の骨や肉が土の中で化学反応を起こし、水にこくというのか、あまみ、からみ、一口で言い得ぬ微妙な水質を培う。
 だから、同じ湖北の水でも、伊香地方や東浅井方面の水の流れる琵琶湖の水は、南部の水と明らかに差があり、湖の生物に影響を与える。
 例えば、同じ鮒でも湖南の鮒は身や骨が固いが、長浜の南浜や尾上の鮒は柔らかい。これは鮒寿司にすれば一番よく分かる。季節の変化と地元の生りものや生き物の肉質を考えると興味がつきないが、大きな目で見れば、これは人間の健康や寿命とも関わる。そういう意味では、この6月の青葉の季節、自然の美しい呼吸に触れて、自然に感謝し、自然を思うこともすばらしい生き方ではなかろうか。【押谷盛利】

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2014年06月24日

核開発の奇妙な舞台うら

 今から60年も前の古い話だから、70歳以上の人でないと分からないかもしれないが、とても大事な話なので後日のために伝えておく。
 1954年(昭和29)3月、太平洋中西部、マーシャル諸島北西部のビキニ環礁でアメリカの水爆実験が行われた。このとき、焼津のマグロ漁船「第5福竜丸」が死の灰をかぶり、乗組員23人が急性の放射線障害にかかった。付近で操業していた他の漁船も被災し、陸揚げされたマグロは毎日、放射能が測定され、次々と廃棄処分された。
 この事件をきっかけに広島、長崎の原子爆弾をのろう声と核開発反対を叫ぶ声が国民運動化して高まり、翌55年8月の第一回原水爆禁止世界大会の開催を経て9月19日「原水爆禁止日本協議会(略称・日本原水協)」が結成された。
 以来、核戦争阻止、核兵器禁止、廃絶、被爆者援護などをスローガンに国民的な運動を展開し、署名運動のほか、毎年広島や長崎で大会が開かれた。
 ところが、この原水協運動の高まるなか、共産党系と右派社会党や無党派系との間に運動方針の鋭い対立が生じ、1963年の長崎大会は中止となり、組織は分裂した。原水協から離脱した無党派層や右派社会党系は新しく「原水禁(原水爆禁止国民会議)」を結成した。65年2月のことである。
 その分裂の原因は何か。これは、米ソを背景にした東西対立(冷戦)による。共産党系や左派は「平和の敵アメリカ帝国主義打倒」、「平和を守るソ連社会主義の核兵器、核実験支持」、「軍事基地反対」、「安保反対」を運動の根本方針とした。
 これに対し原水禁の幅広い層は「いかなる国の核実験にも反対しなければ平和運動ではない」と主張し、以来両組織は別々の大会を開いた。
 アメリカの核は悪いが、ソ連のはよい、とした運動の矛盾は国際間の核開発にも不自然な差別を残している。
 1968年、核保有国の米、ロ、英、仏、中以外に核保有国が増えることを防止する条約、「核不拡散条約」が結ばれた。締約国は190カ国で、インド、パキスタン、イスラエルなどは未加盟。北朝鮮は始め加盟していたが、2002年に脱退した。
 しかし、インド、パキスタン、イスラエルなどは核保有国であり、95年5月、インド、パキスタンは核実験を実施している。核不拡散は5大強国が素直に手を結ぶのであればよいが、自由国の核はダメだ、北朝鮮には目をつむろう、などと、思いがばらばらではそのうちに崩れるかもしれない。
 日本も加盟国であり、原子力発電の技術は世界一流といわれるが、平和と戦争への利用は紙一重である。このため、いまの日本の左翼は、なにがなんでもアメリカの軍事同盟に反対し、安保反対を念仏のように叫ぶ。ロシアや中国の世界制覇に協力しょうとするのであろうか。安倍叩きもその一環である。スパイ防止反対、集団的自衛権反対…などの思想的背景に拍手するのは中国、ロシアである。【押谷盛利】

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2014年06月21日

天皇陛下の報道と敬語

 18日の夜、11時ごろのNHKテレビのニュース番組で、女性アナウンサーが桂宮さまの墓所へ天皇、皇后両陛下が参拝されたことを伝えた。
 その後段で、「両陛下は17日の本葬、斂葬の儀には参列しなかった」と言ったので、ぼくはびっくりして耳を疑った。NHKともあろうものが、両陛下に対して敬語を使わず「参列しなかった」とは何たる言いぐさ。
 ぼくは、かねてより日本のメディアの中に皇室関係報道に敬語を使わないことに疑義を感じ、しばしば問題にしたが、今回の件で、念のため、18日の両陛下の参拝について、19日付の朝日と読売はどう報じているか比べてみた。
 朝日は、社会面37ページに写真付1段「桂宮さま墓所」「両陛下が参拝」の見出しで、16行の記事。本文は「両陛下は豊島園墓所を訪れ、桂宮さまの墓所を参拝した。皇室のしきたりで、17日の本葬、斂葬の儀には参列していなかった」。「桂宮さまの両親である三笠宮ご夫妻に近づき、お悔やみを伝えていた」。
 読売は見出しと写真の2段記事。23行。「両陛下は18日、参拝された」。「喪主代理を務める三笠宮家の彬子さまが両陛下を出迎えられた」。「両陛下は拝礼された」。「墓所を出る際には桂宮さまの父三笠宮さま(98)同妃百合子さま(91)に声をかけ気遣われた」。
 両記事を比較すれば、朝日は敬語を使わないし、読売は使っている。
 天皇陛下は国民の憧れの象徴であり、国民みんなが親しみと尊敬の念をいだいており、他国の外交使節団長や元首に対しては日本国の元首としてお会いになっている。
 日本の国と国民のうるわしき伝統は昨日や今日に始まったものではなく、とおく、古事記の神代や万葉集にも記されている通り、皇室と国民の一体的連帯感は世界史の上でも極めて珍しい。国民が敬意を表すのは当たり前で、皇室報道に敬語を使うのはマスメディアの礼儀でもある。
 日本は戦後の誤った教育で、日本の伝統やうるわしい国民性にケチをつけたがる傾向が流行し、その影響で、日常用語にも不適切な言葉遣いが目立つようになった。
 言葉は「ことだま(言霊)」ともいわれ、単なる意志の伝達用語ではない。親しき仲にも礼儀あり、といわれる通り、言葉遣いが人間関係の基本であり、明るい社会、助けあいの社会、平和な社会はお互いの言葉づかいからはぐくまれる。
 いまから2年前、ぼくのところへ読者N氏から敬語を使うのは理解できないという投書がきたことがある。
 「目上に対し敬語を使うのは理解できるが、なぜ、皇族だからといって敬語を使うのか。同じ人間ではないか。人間はみな平等ではないか。皇族は生まれながらにして特別なのでしょうか。それはとても平等とは言えない。私は逆に皇族に対して異常なまでの敬いをされる報道に不愉快な思いをしている」。
 人それぞれ。日本は言論や表現の自由があるからありがたいが、やさしい言葉、丁寧な言葉、愛語には未来がある。憎しみや怒り、侮辱の言葉は地獄に通じる、と、これはぼくの見解である。【押谷盛利】

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2014年06月19日

戦争に結びつける暴論

 左翼がかった新聞やテレビを見ると「集団的自衛権の行使」を戦争だと言ったり、ひどいのは徴兵制につながる、と、とんでもないデマを飛ばして、国民を迷わせる。
 国連憲章第51条は、集団的自衛権はすべての国が保有し、行使できる、とされている。
 6月17日の産経「正論」欄に防衛大学名誉教授・佐瀬昌盛氏が「集団的自衛権行使は戦争に非ず」と説いている。有益で、時宣を得た評論だと思うので以下その主旨や発言を紹介する。
 このほど、作家の大江健三郎氏らが中心の「九条の会」が発足10年の集会を開いた。大江氏は集団的自衛権行使に触れ、「戦争の準備をすれば戦争に近づいていく」と語った。
 5月15日、第2次「安保法制懇(安全保障の法的整備の再構築に関する懇談会)が安倍首相に報告書を出した。翌日付の朝日は「集団的自衛権 戦争に必要最小限はない」の社説を書き、中見出しに「自衛権の行使=戦争」と書いた。
 両者が「戦争」を連呼するのは2種の解釈がある。①無知から出た用語間違い②策略による用語選択。
 ①だと見ては失礼だろう。だとすれば、②になる。両者は不適切な用語を意図的に反復使用し、聞き手、読み手を自分の思う方向へ誘導しようとしている。そういう行動を煽動と呼ぶ。煽動派にはメガホンと国会周辺という舞台装置は不可欠らしい。
 この佐瀬評論を読んで、ぼくは1960年当時の社会党の反政府闘争のスローガンを思い出した。
 「青年よ銃を持つな」。なんと唐突で砂を噛むような言葉であろうか。どこから思いついたのか。こんな煽動に国民は迷うことなく、終局に社会党は解党した。
 煽動、宣伝は共産党や左翼のおはこで、現に18日の共産党機関紙「赤旗」は一面トップ記事に「憲法破壊の暴挙打ち破ろう」の横組み大見出し。さながらアジ演説もどきの呼びかけ、その下に、縦6段の見出しが大きい。
 「戦争反対、閣議決定やめよ」。「6/17大集会5000人の熱気」とある。
 同紙はさらに2面で志位委員長のあいさつを紹介しているが、その見出しは「米国の戦争のために日本の若者の血を流す—軍国主義復活への暴挙にノーを」。
 さらに3面はほとんど全頁を割いて集団的自衛権反対の記事で埋めている。その反対キャンペーンは4面もすべて占め、13ページの近畿版も同様の反対記事、最終の15ページも5段記事で「9条壊すな」、「安倍政権ノー」。
 共産党や左翼メディア、作家などは面白いことにアメリカに対しては不倶戴天の敵の如く憎しみをこめて悪しざまにいうが、逆にロシアや中国、北朝鮮、韓国には友好的である。中国や韓国の指導者や報道が首相の靖国参詣を反対すると、鬼の首でもとったように、彼らに迎合する発言をし、新聞やテレビに話題化する。
 人権をあれほど叫ぶ日本の左翼言論人たちは、中国の人権侵害に抗議することもなければ、その実態を国民に訴えることもしない。
 1945年、日本が戦争に負けてポツダム宣言を受諾したとき、ソ連は日ソ中立条約を破って、日本に宣戦し、当時の満州で国際法違反の蛮行の限りを尽くした。満州での民間人の死亡者は17万6000人にのぼり、さらに日本の将兵は57万5000人がソ連に拉致され、約6万人が虐待と栄養不足で死んでいる。まだ、その遺骨すら還っていない。ソ連はいまロシアになっているが、共産圏で親しいはずの日本共産党が当時のソ連の蛮行に抗議し、国民的集会を開いたことは聞かないし、日本の左翼のメディアや作家言論人が、ロシアや中国を批判したニュースも聞いていない。
 それどころか、あらゆる機会を利用して、日本の政府や日本の過去を悪しざまにののしるだけである。悲しむべし、哀れむべし。【押谷盛利】

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2014年06月17日

ある不可解な日本こぼち

 しっかりした日本に建て直そう、とがんばっている安倍首相への期待は大きく、国民の支持率は高い。しかし一方で、左翼系の新聞や作家、言論人の安倍叩きの波は高いうねりを見せている。
 昨年の秋、国会を通った秘密保護法は「スパイ防止法」だが、スパイ活動によって国益の損なわれることに無関心の国はどこにもない。外交や防衛などは申すに及ばず、産業上の機密だって同様である。それを表現の自由侵害や戦争への足がかり、などケチをつけたのはつい半年前の話である。
 今は、その左翼系マスメディアや言論人がこぞって集団的自衛権行使の憲法解釈見直しの反対論をあおっている。ことは日本の自立と防衛、国民の安全に関する重要な問題であるだけに、占領軍が指導した非武装・中立など半世紀前のたわごとから、脱却しなければならぬ。
 日本の憲法を平和憲法と自慢しているが、これは戦後、占領軍によって強制されたもので、その前文を見れば、いかにいい加減なもので、現実の日本といまの国際情勢にそぐわないものであるかが分かる。
 憲法の前文には平和に関し次のような、まやかしが日本国民の目をくらませている。「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」。
 この前文に基づき、第9条は戦争放棄、武力行使の禁止、陸海空軍は保持しない、国の交戦権は認めない、と規定した。
 ぼくは前文や第9条を占領軍に支配された「たわごと」と理解しているが、今の国際情勢で、「諸国民の公正と信義」にわが国の平和と安全を委ねるなどとは寝言もいい加減にしろと言わねばならぬ。
 現にわが国の領海や領空を平気で侵犯する国があり、東シナ海ばかりでなく、南シナ海まで治安の乱れが深刻である。憲法は「諸国民」というけれども、いまの日本や東アジアで心配なのは、他国の独裁的権力や政府、軍であり、こうした独裁国家は自国民の民主主義を抑え、政府批判の人民を逮捕したり、むごい人種差別を行っているではないか。もちろん日本の憲法の保障する自由や人権は認められていない。
 日本の左翼は戦後も今も一貫してアホーの一つ覚えのように人権と平和を叫ぶ。1960年(昭35)いわゆる安保闘争が国会を取り巻いた。安保が何かを知るや知らずや全国から学生が狩り出されたが、指導したのは左翼政党や組合、学生組織(全学連)だった。
 その5年後の65年にベトナムの南北紛争に関し、アメリカ側を攻撃する「ベ平連(ベトナムに平和を!市民連合)」が結成され、小田実氏らが先導してしばしばデモを組織した。
 そのころは、どこの市町村や府県議会でも、平和宣言や人権宣言などが議決された。社会党の如きは「青年よ銃を持つな」とピント外れの宣伝をした。
 いま、ぼくは、外務省出身で、外務省情報調査局長、駐サウジアラビア大使などを歴任した岡崎久彦著「百年の遺産、日本の近代外交史」を読んでいるが、同氏の歴史の証言は目下、読売紙上に連載している。
 この本の中で、米ソ対立時代の日本は「共産側にとって日米同盟と日本の軍事力の弱体化は至上命題。いざというとき、日本を破りやすくしておく共産側の戦略で、日本の平和主義に訴える。そして日本の進歩的文化人、左翼、マスコミがこれを支持し、日本に好意的な米国人の言動を敵視する」と書き、こうした冷戦自体の共産側の戦略、そして、無意識にそれに迎合した左翼の言論、教育が日本の外交に与えた損失は計り知れない、と喝破している。
 現在の「安倍叩き」の本質と全く類似している点を注目したい。【押谷盛利】

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2014年06月12日

石田サロンを全国規模へ

 去る7日、石田町で、お年寄りを主体の「石田サロン」の発会式が行われた。藤井市長も出席され、新しい地域福祉のあり方として注目された。
 ぼくは講師として招かれたので、石田サロンは全国のモデルケースとして一時代を策するのではないかと熱いエールを贈った。
 話の冒頭、ぼくは自作の俳句を披露して会場いっぱいの出席者に呼びかけた。
 「村衆の先祖返りや梅雨サロン」。当日即席の俳句だが、意味を解釈すれば、サロンは新しいものではなく、名前こそサロンとは言わないが、似たような催しは、戦前はいつでも、どこでも行われ、集落の親善、共同奉仕、村人の福祉、助け合いなど一体的な美風だった。サロンは、社交的な集いや、その場所をいう今風の言葉だが、ぼくが俳句で先祖返りと表したのは、戦前の日本では石田サロンではないが、集落や個人が主体で毎月何回か、人々が寄り合い、会食したり、余興を楽しんだり、奉仕活動したり、村全体がサロンのように活性化していた。
 そういう戦前の村のしきたりや風習を今の世に蘇らせるから「村衆の先祖返り」とぼくは踏んだ。考えてみれば、今の世は村(町)なかの銘々が孤立して実に索漠たる社会になってしまった。
 索漠は、大辞泉によれば「心を満たすものがなく、もの寂しく感じるさま、荒涼として気の滅入るさま」とある。
 ぼくの知っているまだ60歳にもならない独居の女性が死後1週間ほどして自宅で発見された。数年前に夫と死別したこの女性、常に引き籠もりがちだったが、姿が見えないというので、近所が不審に思い、親類と立ち会いで警察が家の戸を開けて調べたところ、女性は浴室で死亡していた。
 新聞やテレビの報道で心を痛めるのは、認知症の老人が家を出て、行方が分からなくなったケースである。
 厚生労働省の統計によると、いま日本の65歳以上の老人は3200万人だという。そのうち400万人は認知症、そのほか、入口にいる予備軍が400万人、つまり、老人人口の4人に1人が認知症だという暗い話だが、こういう深刻な社会情勢を考えれば考えるほど、老人福祉のあり方に画期的な対策を講じねばならない。
 医療も福祉も、これまでのように、政府まかせ、市町まかせ、お役所まかせで乗り切れるものでない。
 老人自身が、集落自身が、自らの生活と幸せのため、お互いの助け合いによる、強い連帯感の共同社会を構築しなくてはならない。
 石田サロンは、年寄りも若ものも、体が不自由なものもみんなが参加し、足の不自由な人は世話人が車で送り迎えをしてくれる。
 有益な話を聞いたり、踊りや手品、カラオケなどで笑ったり、くつろいだり、仲間が持ち寄りの手料理で食事を楽しんだりする。当分、月に1回だが、2回、3回にも増やすことができるし、何よりも大事なのは家に引き籠もることのないように隣近所が声をかけあうことであり、将来的には健康教室、病院からの出張回診、旅行などにも広げることができる。
 戦前はサロンとは言わなかったが、祭り、おこない、報恩講、お取り越し、還暦祝い、法事、死後の7日、7日の忌中法要その他、冠婚葬祭にまつわる隣近所、親類衆の集いは子どもも含めて村全体が懇親の場であり、食事を共にした。
 また、働き手は村の道普請、山道の改修、河川の手入れなどにも汗をかいだ。
 今こそ日本中の町や村がサロン化して、郷土の一体感を深め、助け合い、励まし合って、明るい地域社会を建設せねばならない。認知症の克服も含めて。【押谷盛利】

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2014年06月10日

集団的自衛権と公明党

 安倍内閣は、外交、内政ともに着々と成果をあげ、国際的には日本の信用と地位を高め、国内的には経済の安定、教育や農政の改革、国土防衛上、これまでの政府のなし得なかった実績を上げつつある。
 しかし、一部を除き、マスメディアの多くは、安倍叩きのお先棒をかつぎ、安倍内閣の人気を落とすべく紙面をミスリードしている。
 これは看過できぬ姿であるが、日本の政治家、経済人、文化人のなかに、日本を悪じざまにおとしめ、隣国の中国や韓国に塩を送る変な勢力がうごめいていることを証明している。
 日本の政治の野党第一党は、民主党であるが、マスコミのミスリードによる安倍叩きが国民の心に根ざすものなれば、世論調査で、民主党人気は飛躍するはずだが、現実は逆で、民主党への期待感は薄い。
 6月2日の産経紙上で、政治評論家でジャーナリストの櫻井よし子氏が、痛烈に公明党を批判したが、公明党は今、国民のため何を考えているのか、国民の関心の高いところである。朝日は、10日の天声人語で、集団的自衛権をめぐり、自民党と公明党の与党協議に触れている。このなかで、安倍政権は、昨年暮れの特定秘密保護法にせよ、どさくさ指向が目立つ、と叩き、公明党は、踏まれても自民党についてゆくのか「下駄の雪」と皮肉っている。文意は明らかに「反対せよ」とのそそのかしである。
 ところで、公明党に対する櫻井批判であるが、これこそ朝日が声を大にして取り上げるべきではないか。以下、カッコ内は6月2日付、産経紙上の公明党批判の櫻井論文の一部である。
 「アジア安保会議(5月30日)で、ASEANも米国もインドも、およそすべての国が中国の侵略を続ける意図を、軍事力の生み出す意味を共有した。一方、その全てに目をつぶり、集団的自衛行使容認への反対論が横行するのが日本である。とりわけ連立与党、公明党は理解しがたい。創価学会広報室が表明した反対論と公明党の主張はそっくりである。公明党は学会の指示で動いているのか。であれば公明党が大事にする憲法の、政教分離規定に抵触するのではないか。第20条は国の宗教への介入も、宗教の政治への介入も禁じている。政党としての健全性を証するためにも納得のいく説明が必要であろう」。
 5月30日のアジア安全保障会議では、米国のへーゲル国防長官の言葉が印象に残っている。「中国の力による一方的な現状変更を見て見ぬふりはしない」。
 この会議で、わが安倍首相は基調講演をして、加盟各国から歓迎された。安倍首相は東シナ海、南シナ海の緊張を背景に、積極的平和主義、地域の海洋安全保障に貢献してゆくことを約束した。
 集団的自衛権をめぐっては、自民党の中でも反安倍の実力者や実力OBの反対論が沙汰されているが、日本の防衛を日米安保に依存する日本のあるべき姿を直視するがよい。アメリカに守ってもらうが、こちらは軍事的支援は一切しない、といった身勝手流が許されるはずがない。
 さきの特定機密法案の審査の際の反対運動もマスコミのミスリードで難航したが、あれは分かりやすくいえば「スパイ防止法」である。日本はスパイ天国といわれるが、これでは防衛も産業も安心できない。戸締まりしない国は攻められるだけである。【押谷盛利】

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2014年06月07日

安倍人気と安倍叩きを分析

 ベルギーで開かれていた先進7カ国の首脳会議・G7サミットは5日閉会した。
 この会議の成果は、先進7カ国が、世界の平和と秩序を守るため、ロシアや中国の動きに毅然とした態度を確認したことだった。ウクライナの自主独立を支援するオバマ米大統領の積極性も好感を呼んだが、わが安倍首相の精力的、積極的な外交活動が高く評価されている。
 安倍首相は各国の首脳とも意見を調整し、会議ではウクライナやアジアでの自由など国際法順守の重要性を強調した。
 首脳会議は、①ウクライナ大統領選の成功を歓迎②ウクライナの主権と領土を侵害するロシアへの非難③東シナ海と南シナ海での航行、飛行の自由。法の支配の重要性(中国を念頭に)④北朝鮮の核ミサイル開発非難、拉致問題など人権侵害の解消などが重要ポイントとして合意された。
 G7サミットは、さらに世界経済戦略に向け、11月に主要20か国首脳会議を開くが、これに関し、安倍首相は、アベノミクスのさらなる政策のほか、巨大な自由貿易圏作りについて、日米が実質合意したTPP(環太平洋経済連携協定)に言及し、保護主義との戦いで、リーダーシップを発揮すると強調した。
 さらに首相は、公的年金の運用改革、医療、農業の改革、女性の指導的地位の上昇などにも触れ、世界経済の成長に一役買うべく決意を語った。
 外交面での安倍首相の活躍は世界でも注目され、東南アジア各国はもちろん、今回のG7サミットでも日本の国際的地位の向上に大きく貢献したが、残念乍ら日本の国政上の重要問題は与党の調整に時間を食って、防衛上の緊急課題が先送りされるか、空振り三振に終わる可能性さえ出ている。
 その1つが、今、公明党との間で、交渉している集団的自衛権行使の問題である。
 いま、世界の平和の心配のタネは中国の大国主義であり、とくに東南アジアでは、日本、ベトナム、フィリピン、インドなどが中国の力の戦略に頭を痛めており、日本はアメリカとの軍事同盟に依存しながら守ってもらっても、アメリカへの手伝いはできぬとあっては、真の意味での独立と防衛が可能なのか、問われている。
 もはや、集団的自衛権の行使は、野党の民主党の中にさえ認めるべきとの声もあり、維新やみんなの党も賛成の立場にある。
 ところが、安倍政権の与党である公明党が反対の姿勢を崩さず、しかも、その背景にあるのが、支持母体の創価学会であり、学会の反対声明が内外に波紋を呼んでいる。自民党は、ここにきて、なぜか、党内の実力者やOBの実力者までが首相の足を引っ張っているのが不可解である。
 このことは、6月2日の産経論談で、ジャーナリスト・政治評論家の櫻井よしこ氏も指摘しているが、見逃すことのできぬ獅子身中の虫でもある。氏の指摘によると、自民党の現職総務会長・野田聖子氏は左翼系雑誌「世界」に安倍非難を展開している。OBでは、元自民党幹事長の加藤紘一氏が、共産党の機関誌「赤旗」の5月8日号に、集団的自衛権反対を説いている。
 集団的自衛権の行使容認は対中抑止力にも関わってくるし、アジア各国の日本への信頼度にも影響する。
 安倍首相の政治力を砕いて、中国のご機嫌をとる分子が存在することに国民は目覚めなければならぬ。【押谷盛利】

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2014年06月05日

日本人と天安門事件

 6月4日は、天安門事件から25年になるが、この事件の意味と恐怖について、日本人はどれくらいに関心を持っているだろうか。
 中国共産党とその支配下の軍隊が、北京の天安門広場における学生らのデモを武力で鎮圧した事件で、死者は数百人とも数千人ともいわれているが、党と政府は一切を闇に封じているから、真相は後世の歴史をまたねばならぬ。
 しかし、民主化を求める数万の学生デモに対し、銃砲で皆殺しにする弾圧は許されるはずがなく、アメリカ、香港、日本、その他で抗議運動や犠牲者の追悼活動が続いている。
 アメリカでは、超党派の下院議員13人がワシントン市長に書簡を送り、中国大使館前の道路の名称をノーベル平和賞受賞者で、服役中の中国の民主活動家・劉暁波(リュウ・シャオボー)氏にちなんだ名称に変えるように提案。市長は中味を検討していると回答。天安門事件から25年となる4日前に送付したもので、「基本的人権や民主化を求める中国の人たちに希望を与えるのが道路名称変更の理由」(4日読売)。
 中国共産党と習近平政権は、この事件への批判が国内ばかりか、世界に広がるのを恐れて、国内の人権活動家を拘束し、外国の新聞記者の取材や報道を禁止している。
 読売報道によれば4月下旬から約1カ月間で、70人以上の民主・人権活動家が拘束されている。なぜ、中国共産党や政府は真相がバレるのを恐れているのか。外国通信で世界へ情報の流れるのをなぜ拒むのか。そこに、暴力的共産革命の縮図を見ることができるし、日本国民はもちろん、世界の人々が、人権侵害、言論弾圧、宗教圧迫、少数民族差別などからくる国内不安と対外膨張主義による国際秩序の破壊、平和への危機を感得せねばなるまい。
 実は韓国大統領の反日言動も、自国の政府の維持に目がくらみ、反日を叫ぶことで、国民の政府批判をごまかす公算が強い。中国の南支那海や東支那海での横着な振る舞いも同様で、国民の政治不信の声を対外関心にふり向ける魂胆が濃厚である。
 天安門事件は、国民の民主化を望む声を学生が代弁して立ち上がったものだが、今も中国では、年間20万人以上の人々が全土あちこちで、市、町、村の共産党権力に向かって抗議集会やデモを繰り返しており、中央政府はひたすら弾圧するのみである。
 その最も典型的なる抗議や反共活動はチベットやウイグル族の間で頻発しており、党や政府は国民の苦しみを武力で抑えこむほか、空気、水、食糧などの汚染による環境悪化にフタをして、国防軍事力強化にひた走っている姿を直視しなければならぬ。
 日本の政治家よ。日本のマスコミよ。平和で豊かな日本のさらなる繁栄を願って、いまこそ安倍首相のリーダーシップを支持し、防衛に外交にあやまちを犯してはならぬ。
 日本叩きをやめぬ国内の親中、親韓派にも警戒しなければならぬ。【押谷盛利】

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2014年06月03日

北朝鮮の拉致調査の疑問

 北朝鮮政府が日本人の拉致被害者の全面調査を約束したというので、このところ、日本の世論は歓迎半分、疑心半分で、成りゆきの好転回を期待している。
 日本には昔から「煮ても焼いても食えぬ」というたとえがある。
 どうにもならぬ、手に負えぬ、というしろもので、食べものから出た言葉だが、それがそのまま人間関係、交際関係に援用される。
 さしあたり、拉致問題の経過や北朝鮮のこれまでの対応や言動は「煮ても焼いても食えぬ」ことばかりで、国そのものの信用はゼロである。
 2002年、9月17日、当時の小泉純一郎首相が北朝鮮を訪問したとき、北の将軍さま金正日総書記は、日本人13人を拉致したと認め詫びた。実行者は特殊機関のもので、関係者は処罰した。そして、13人のうち8人は死亡したとして「死亡診断書」を提出したが、これは捏造であることが分かった。死亡したとされる遺骨は日本の科学検査で本人のものでないことが証明された。このとき生存者とされる5人が帰国したが、その後は「拉致問題は終わった」、「拉致者はいない」と頑強に交渉を拒否し続けてきた。
 政府のこれまでのあらゆる情報を総合すると、日本人の拉致被害者は数十人から100人に及ぶだろうと推測され、日本国ばかりでなく、ヨーロッパの観光旅行者の中からさえ被害者が出ている。
 日本の拉致被害者で、最も多くマスコミに出ているのは横田めぐみさんと有本恵子さんであるが、2人の両親は国会陳情ばかりでなく、アメリカにまで足を運び、国際世論に訴えてその帰国を願っているが、これまでは、なしのつぶてである。
 今回、北が日朝局長会談の末、拉致の全面調査を約束したことは画期的進展ではあるが、相手が煮ても焼いても食えぬお国柄だけに、どこまでを信じてよいのか、マユにつばをしっかりつけねばならぬ。
 有本さんの父・明弘さん(85)は31日、神戸市のロータリークラブ主催の講演会で、決意あふれる信念を吐露した。その要旨は「政府は向こうのペースに乗せられないでほしい。再調査で横田めぐみさんや恵子の生存を認めなければ、外交関係は白紙に戻すべきだ」(6月1日読売)。
 なぜ、北が方針を変えて、全面調査を行うとしたのか。このことは、これまで「すべて終わった。拉致者はいない」と拒否し続けてきたことが、すべてウソであることを認めたことになるが、そもそも調査そのものがナンセンスである。
 北は金正日、金正恩を絶対神とする独裁国家であり、日本人については拉致者であれ、かつての祖国帰還運動で、北へ渡った日本人妻であれ、あるいは工作用員として訓練されている日本人などよど号事件の関係者を含め、あらゆる日本人の消息、住所すべてをその管理下においているはずだ。したがって、今回、全面調査の名を借りた北の魂胆は、拉致に重点をおかずに、一般の日本人を対象にする可能性が大きい。その一般のなかには、先方で仕込まれた対日本のスパイも混じっている可能性が強い。生命と引き換えに北の思想を叩きこみ、金将軍への忠誠心を植えつけ、鉄の如く洗脳されているものもあるはずである。
 日本政府のお人好しで、この国の誠意を見ないうちに、渡航や物資の支援に踏みきったり、在日朝鮮人連盟の建物の処分などに甘みを見せることになるのでは、と心配の上にも心配がつきまとう。目の離せない刻下の大事である。【押谷盛利】

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