滋賀夕刊新聞社は滋賀県長浜を中心に政治、経済、文化の情報をお届けする新聞です。



2014年05月31日

維新の会の分党と橋下

 日本維新の会が、29日、分党を決定した。石原慎太郎率いる旧太陽党系と橋下徹率いる旧維新系の分裂であり、日本の政界に暴風的波紋を呼んでいる。
 分かりやすくいえば橋下派に石原派が三行半を渡したことになるが、普通の離縁と違って、両首脳は互いに相手を尊敬し、称賛しあっている点で、いわゆる愛が冷めたというのではない。
 ならば、なぜ離縁するのか。石原は国家のため、と大風呂敷を広げるが、それは煎じ詰めれば、自主憲法へのこだわりであった。いわば政治生命をかけての政治戦略論であり、それがぬきさしならぬ破局に立ち至った。つまりは「結いの党」との合流という時限爆弾を抱えているからだった。
 「結いの党」は「みんなの党」の渡辺個人商店から独立したが、その政治的目標は健全なる保守民主主義による政界再編成だった。
 これは、維新の橋下戦略と全く同じで、橋下は結いの代表・江田憲司、民主党の元代表・前原誠司らと水面下で協議を重ねてきた。弱小政党でも大義に生きるか、再編による野党第一党に挑戦するか、ぎりぎりの時点で、石原は遂に分党を決断した。自主憲法の看板をはずせという結いの主張に反発したものだった。
 いずれにしても来年の地方統一選を前に、それぞれが候補の調整を進めねばならぬ転機でもあり、進むも退くも両雄の決断にかかっていた。自主憲法といっても、結局は憲法を変えることであり、党を割ってまで、なぜ石原が言葉にこだわるのか。
 ぼくにはそれが分からない。やはり老人特有の意固地なのか。軟着陸する柔軟性に欠けているのか。
 政治家個々にはすべて特有の見識があり、政策面でもニュアンスの違いはある。それをある程度の大枠で囲んで一体的運営を進めるのが政党である。民主主義は多数決原理でもあり、自説以外は妥協せずでは、政界再編成は進まない。
 ぼくは地位やメンツにこだわらず、ひたすら日本の政治の改革を念じて進んできた橋下徹共同代表を高く評価する。21世紀を展望するとき、彼こそが安倍総理に続く日本の確かなリーダーではなかろうか、と信じている(敬称略)。【押谷盛利】

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2014年05月29日

衣替えと風俗の今と昔

 夏、冬の季節に応じて衣服を着替えることを衣替えという。平安時代から続く日本のお固い風習だが、夏ものにするか、冬ものにするか、今は銘々が好き勝手に選ぶようになり、季節の変わり目には百貨店や洋装店が流行の宣伝をして、間接的に衣替えを推進する。
 しかし、今でも役所や学校では6月1日と10月1日には制服を替える。
 平安時代は陰暦4月1日と10月1日を衣替えとしたが、江戸幕府では、このほかに5月5日、9月9日に着替える定めがあった。
 幕府が身につける衣服のことまでくちばしを入れるのは、だらしのない風俗で社会の秩序が乱れたり、行政の規律がゆるむことを警戒したためである。
 そうは言っても庶民感覚として、夏は薄ものや、肌の露出で涼をとることに工夫した。古川柳に「夕涼みよくぞ男に生まれけり」という。男同士が、半裸の格好で床机に掛け、将棋をさしたりするのを得意がる図である。
 今は、若い女性の方が「よくぞ女に生まれけり」で、ショートパンツで肌をさらして街中を闊歩する。すらりとした長い脚が男どもに、これ見よがしの示威となる。脚線美もさることながら肩と胸は限界いっぱいにさらしているから、変な男がいらいらするかもしれない。
 男の風俗では古来、「ふんどし」が重きをなす。男が夏、浴衣を着るとき「へこ帯」を締める。「へこ」はふんどしのことだが、鹿児島地方では、へこ(兵児)は15歳以上、25歳以下の青年をいう。
 九州では男女13歳前後に行う成年式を「へこ祝い」という。漢字で書けば褌祝い。別名、ふんどし祝い、たふさぎ祝い。この儀式によって、男も女も大人の仲間入りをし、男はふんどしを、女は腰巻きを初めて着ける。帯についていえば、兵児が用いたところから男子または子供用のしごき帯を「へこ帯」というようになった。
 「たふさぎ」とは、けったいな呼称だが、大辞泉には肌につけて陰部を覆うもの。下はかま、とうさぎ、と説明している。
 話を元に戻すが、6月1日が衣替えの日とあっても日本人の多くは、その昔ながらの風習を守ることはない。それは文化の進展で日常生活から季節感が消えてしまったからである。
 暖房が行き届くから、冬でも薄着する。夏の暑さには早くからクーラーが稼働する。うっかり薄着しようものなら風邪を引きかねない。老人は旅行のさいには余分に一枚羽織るとか、膝当てを用意せねばならぬ。こういう変な時代だから、飲食店へゆくと、膝かけが用意されている。着るものも季節感なし。食べるものも季節感なし。味気なき世となった。【押谷盛利】

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2014年05月27日

あお臭い、きな臭いの話

 過日、老化の前ぶれとしての「しんきくさい」について書いた。
 しんきくさいは、辛気くさいと書くが、決してにおいのことではない。面倒くさい、おっくうになった、辛抱する気がなくなった、続けるのが嫌になった…などのニュアンスを持つ言葉で、老化による根気のなさが「しんきくさい」につながる。
 「あほ臭い、馬鹿臭い」も臭いをいうのではなく、あほらしい、バカらしい、という気分の表現である。
 年寄りは身ぎれいし、身につけるものはこざっぱりしたものを、といわれる。年寄りを「じじくさい」というが、これは「じじむさい」ともいう。どろくさい、あかぬけていない、年寄りめく…といった意味で、臭覚とは無縁ではないが、一般には臭いよりも外見に比重が置かれる。したがって、理容、ひげそり、服などの気配りが老人のおしゃれにつながる。
 そうは言っても老人特有の体臭を無視することはできない。特に男性は老化すると、独特の老人臭を放つから、心がけのよい人は香水を用いる。
 ところで「くさい」には本ものの臭いをいう言葉もある。
 日本人は感覚が繊細だから、「におい」でも漢字で書く場合、いいにおい、いやなにおいを使い分ける。いいにおいは「匂い」「匂う」と書き、いやなにおいは「臭い」「臭う」と書く。
 「あお臭い」は16歳くらいのにきび男の体臭、これから転じて未熟者の意味。青二才とも。なまぐさいは生臭いで、魚の独特の臭い。赤ちゃんくさいは、おっぱいのにおい。
 このごろ、中国の領土野心が見え見えで、日本のみならず、南支那海で、ベトナムやフィリピンなどとトラブルを起こしている。ことにベトナムの領海侵略で、この国の反中デモの激しさが外国ニュースに際立っている。
 日本の尖閣諸島近辺の中国の艦船や航空機の動きも日本人の心を刺激しているが、このような国際緊張をはらむ事件などを称して「きな臭い」という。硝煙の臭い、紙や布の焦げる臭いをいうが、北朝鮮軍の韓国に対する砲撃なども「きな臭い」の常習犯であろう。
 日本には昔からユーモラスな言葉づかいがあり、「臭いものには蓋をしろ」という。仲良し仲間で、ある日、別の共通の友人の悪口に花を咲かせた。別れるとき「ここだけの話よ」と、念を押すがいつの間にか話がひろがっていることがある。臭い話に蓋が出来なかった、というよりも他人の悪口を喜ぶ卑しさが人間にはあるらしい。
 だから、昔の人は「三猿」といって、見ざる、聞かざる、言わざるの図を人生の鑑とした。両手で目をふさぐ、両手で耳をふさぐ、両手で口をふさぐの三様の絵のことである。【押谷盛利】

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2014年05月22日

蚊を打ちて蚊に逃げられる

 「蚊を打ちて蚊に逃げらるる齢かな」。
 これはぼくの俳句であるが、野球でいえばコントロールも球速もない惨めな投手のようなものである。若いときは必打必中だったが、加齢とともに体力、気力、瞬発力、運動神経、すべてが鈍くなる。
 野球ファンなら米大リーグ・ヤンキースのイチロー選手を知らぬものはないが、攻・走・守、3拍子揃った名選手はアメリカで数々の記録を塗りかえたが、いまはかつての勢いがなくなり、常時出場の機会もなく、代打で出ることが多い。ヒットが出ないから打率も低い。天才的な彼の運動神経も賞味期限には勝てない。
 コメディアンの萩本欽一さんは3月の明治座公演を最後に引退宣言をした。コント55号時代、坂上二郎さんとのコンビで舞台を跳び蹴りして笑いの一時期をつくった人気もの。
 しかし齢には勝てない。いま、彼は73歳だが、すぐ息切れがして体が動かなくなった、と告白している。彼によれば三木のり平さんも70歳を超えて舞台を下りた。ファンは、座っているだけでおかしいのだから、舞台やってよ、と言うが「動かなきゃおかしいわけないだろう」「できないんだよ」と、むきになっていたという。
 思った通りに体が動かなくなるのが老化であるが、人間はだれでも自尊心が強いから、「まだまだやれる」、「まだまだ若いもんには負けへん」、と気の強いことをいう。そう言いながら、けつまずいたり、こけたり、しくじったりする。自分で老化を確認するには「根気」のなさが一つの基準かもしれない。
 本を読んだり、ものをつくったりしているうちに、いらいらしてきてしんきくさくなることがある。しんきは辛気と書く。面倒であること、いらいらすること、気が重くなること。要するに持続力がなくなるのだ。体力、気力、視力、聴力、持続力…。何もかもが鈍化する。これが弱くなると、責任のある仕事やポストを続けられない。
 ぼくの歌友の佐賀市で開業医をしているS氏から最近連絡を頂いた。4年前から、難治性の網膜症になって、視力が徐々に低下し、今では電子カルテの入力が困難になり、一年前から診療をやめた、とあった。目下、教育関係の仕事などのかたわら、趣味の短歌で多忙らしいが、医師が診療をやめる淋しさは、他人では分からない。
 目や手、足に直接影響するほどひどい鈍化では困るが、しんきくさい程度では、ノルマを抑えたり、休みを多くとるしかないが、大事なことは、無自覚であってもおとろえはだんだん進むことであり、そのおとろえをいかに先送りするかである。無理をしてはいけないが諦めて、引き籠もっては秋の日没のようにつるべ落としの早さで弱ってゆく。
 つけるクスリは歩くことから。【押谷盛利】

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2014年05月20日

不思議な縁と足腰の弱り

 過日の時評で、がんと死について考察し、「どうせ死ぬならがんがいい」という本を紹介した。中村仁一、近藤誠両医師による共著で、この2人の名医に対しては全国にファンが多い。
 このほど、長浜市宮前町の舎那院・吉田龍恵住職から両医師に関わる手紙を頂いた。
 吉田氏は旧長商や滋賀大教授の経歴など、かねてから尊敬する知識人で、文学にも長けておられる。驚いたことに氏は10年以上も前から中村仁一、近藤誠両医師との絆があり、その指導を受けられていることだった。
 書面によると、今でも中村仁一先生の京都での講演会には欠かさず出席されている。10年以上も前の話だが、吉田氏が前立腺がんにかかられた。市立長浜病院、日赤長浜病院で手術を言い渡されたが、吉田氏はいずれも断られた。「命が危ういぞ」と両医院の担当医からひどく叱られた。
 当時、このことを近藤誠医師に報告したところ、「貴方の決断は妥当です」との返事をもらわれた。吉田氏は、ぼくの時評から10年も前の闘病苦を思い出されたが、「何と不思議なことか、今、この通り元気です。全く運です。…この世は」と喜びと感謝の一文をお寄せ頂いた。
 「がんは放っておくと増殖、転移し、痛みにのたうち回って死に至る…というイメージは医療界のでっちあげ、がん死のお迎えは最高。ただし治療しなければ」。これは中村医師の言葉。
 「がんの9割に抗がん剤は効かない。患者よ、がんと闘うな」これは近藤医師の著書の名前。
 さて、このごろ、お寺へ詣っても、料亭へ上がっても、みな椅子が用意されている。畳の上だから座るものと決めこんでいるのは遠い昔のことで、今は畳の上をスリッパで歩いたり、畳の上に机と椅子が用意されている。
 「こうしないと、お客さんにご不便をかけます」というのだが、これは、客の足腰が弱くなり、畳の上に座ったり、立ったりするのが出来なくなったことによる。生活の文化といえば格好良いが、足腰の弱りは将来の引き籠もり、痴呆の前触れを誘発する危険があり、歓迎すべき徴候ではない。
 例えば、いまはトイレに行くもみな洋式だから腰かけられる。
 昔は便器にかがみ込んだから、終わって立ち上がるのは特別困難なことではなかった。いまは、和式トイレは少ないから、足腰を踏んばる習慣は失せた。
 これも足腰の弱くなる原因の一つで、生活全般を見ると、何から何まで弱くなっているのは文化生活のせいと思われる。それでもみな長寿する。ただし、病みながら、苦しみながら、くすり漬けになりながら。【押谷盛利】

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2014年05月17日

家電産業の推移と家庭

 東京の秋葉原といえば、戦後この方、家庭電化製品のメッカとして、国内どころか、外国人旅行者からもあこがれの街として知られていた。
 ラジオを組み立てる部品はもちろん、電気関係の製品や部品など何でも揃うし、客の中には全国のメーカーの技術者が多かった。
 しかし、平成時代のパソコンブームによって、かつての家電の街がさま変わりをするようになり、その小売店や卸売店が姿を消すようになった。時代の変遷というか、文化や技術の革新が世相の激変をもたらした。
 ぼくはパソコンに弱いし、ケータイもスマホも持たないが、これは自慢ではなく、恥ずかしいことだが、使う能力がないのである。歌会や句会などでは仲間が苦もなく電子辞書をひくが、ぼくには高嶺の花で、いまもって、昔ながらの辞書をめくっている。
 大分、昔の話になるが、ぼくが子どものころ昭和9年だった。村の小さな旅館を会場にして、蓄音機やレコード、音楽機器などの展示販売会があった。
 ラジオが一般に普及していなかったころである。展示会は、長浜の家森天照堂(家森信雄社長)主催で、ぼくは友人と一緒にもの珍しく最新式の音響器具とレコードに触れたが、一銭で駄菓子を買う貧乏人の小せがれだから音楽機器のような世界は猫に小判のようなものだった。
 ぼくは、昭和13年、小学校を出て京都へ丁稚奉公に出たり、大阪の石鹸工場で働いていたころ、盆、正月に帰郷するのが楽しみだった。
 再び、大阪へ帰るときは、父が必ず職場の人の土産にと、長浜の「堅ぼうろ」を持たせてくれた。
 そのころ、ぼくの親戚の息子が電機好きで、自分で部品を買ってラジオを組み立てて売っていた。えらいもんや、とぼくはそれを見ながら感心していたが、ラジオどころか、ぼくの家では電球1個で、夜の食卓も居間のくつろぎもすべて間に合わせていた。
 勉強は机代わりに畳の上で、早寝早起きがきまりだった。小学校を卒業するころは自転車で長浜へ行ったが、それまでは親父の荷車の先曳きで、長浜まで歩いた。荷車は柴や炭を積んで、道中で売った。夏中さんが楽しみで、朝早く出て、日が暮れるころ帰ったが、往復24㌔以上はあるが疲れて、倒れることはなかった。
 戦後、何が一番変わったかというと、生活の家電化である。掃除機、洗濯機、冷蔵庫、冷暖房、テレビ、台所と風呂。東京の秋葉原が日本で脚光を浴びたのは、東京オリンピックの前だが、今度迎える2020年五輪の後には、果たして、何が脚光を浴びるのか。世の中がどう変わってゆくのか。歴史に学び、悔いのない人生への設計を狂わせてはならない。【押谷盛利】

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2014年05月15日

がんと医療と死の考察

 14日の朝日・社会面に「年間のがん患者、初の80万人突破」という記事が出ていた。
 国立がんセンターの統計による2010年の推計値で、35年前の約4倍という。生涯でがんにかかる確率は男性が60%、女性45%と試算。がんで多いのは、男性が①胃がん②肺がん③大腸がん。女性は①乳がん②大腸がん③胃がん。
 がんは恐いと身ぶるいするが、ぼくが今、読んでいる本は「どうせ死ぬならがんがいい」という型破りの本である。著者の診察や治療体験に基づく研究や信念による啓蒙的内容が説得力を持つ。
 この本の著者は「大往生したけりゃ医療とかかわるな」の中村仁一医師、いま一人は「患者よ、がんと闘うな」「がん放置療法のすすめ」の著者・近藤誠慶大医学部講師。
 中村医師は京大医学部出身で、元・高雄病院長、現在福祉法人老人ホーム同和園の診療所長、市民グループ「自分の死を考える集い」の主宰。
 近藤医師は慶大医学部卒、現在同大医学部放射線科講師、乳がんの乳房温存療法で有名。
 この本は、がんにおびえている人に勇気を与えてくれるし、がんに対する正しい知識が得られ、がん患者への福音となっている。
 例えば、がんは痛むのではない。治療で痛む。がんの9割に抗がん剤は無意味。胃がんも肝臓がんも放置すればラクに死ねる。がんの集団検診をやめたら、がん死が減った、など、耳を疑うような内容が分かりやすく説かれている。
 「週刊新潮」の編集長だった江国滋氏は、平成9年2月、食道がんの告知を受け厳しい闘病生活にも拘わらず6カ月後の8月に62歳で死亡した。死後に句集「癌め」と闘病日記の「おい、癌め酌みかはさうぜ秋の風」が上椊された。
 「いのちひとつ、手術四回風は死す」。
 「激痛は激痛として五月晴れ」。
 「もううんざり菜種梅雨にも闘病にも」。
 これらの俳句は痛みに苦しむ絶叫と思われるが、もし「どうせ死ぬならがんがいい」を知っていたら、楽な往生をしていたかもしれない。
 この本には、手術して抗がん剤をやったりすると、すぐ死ぬ。ほっとけばもっと長生きできたのに、と、俳優の児玉清さんや芸能レポーター・梨元勝さん、テレビ司会者の逸見政孝さんらの死について語っている。
 児玉さんと梨元さんは、がんとわかって3カ月くらいで死んだが、少し前まで元気に活躍していたのに、あんなに早く、普通ありえないこと。2人とも抗がん剤治療を始めてすぐ亡くなった。
 逸見さんは、手術したら半年くらいで再発した。スキルス胃がんだった。それで、あの、世の中を騒がせた内臓の全摘手術が行われて、3カ月で、がんが見つかってから10カ月くらいで亡くなった。あの程度のスキルス胃がんで10カ月で死んだ人なんて、ぼくの患者にはひとりもいませんよ、と近藤医師は語っている。
 この本の中では注目すべきは、「病院に寄りつかない人は確実に長生きする」と語っていることだ。つまり病院に寄りつかない人の方が、クスリや治療で命を縮めなくてすむから長生きする、ことになる。
 老人ホームの所長の中村医師の「がん放置患者に痛みなし」の言葉は千金の重みがあり、ぼくは貴重な本を両医師に感謝しつつ何回も読んでいる(宝島社発行「どうせ死ぬならがんがいい」参照)。【押谷盛利】

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2014年05月13日

青葉若葉の大自然讃歌

 五月も半ば。連休が終わると急に風景が夏らしくなる。
 さくらは葉ざくらになって、そのあと各戸の庭に「はなみずき」が華麗に彩を競っていたが、もう萎み始めた。これからしばらくは「つつじ」の季節である。にぎやかなのは「ひらとつつじ」だが、垣根などにぎっしりと花をつける「さつき」も好ましい。
 連休中、旅行したり、あちこちのイベントに顔を出したり、買い物をする人も多かっただろうが、ぼくは逆に家に籠もって好きな本などを読んだり、歌を作ったり、俳句をひねったり、テレビでプロ野球を見たり、なんとも締まらない平々凡々が続いた。
 なんで、連休を楽しまないんだ、といぶかる人もいるだろうが、車の洪水で身動き出来なくなったり、人の渦で身心が疲れるのが嫌だから家に籠もる仕儀となる。家に籠もると、つい、家の周りや近辺を歩いて、自然のみどりや花に命の洗濯をする。
 ぼくの近くには農業用の人工河川があり、土手沿いに桜並木が春夏秋冬、心を癒やしてくれる。
 さくらは花の準備が2月ごろから目立ち始めて、ぽおっと薄いピンク色の「もや」のような感じをただよわせる。ピンクがだんだん濃くなると「つぼみ」がふくらんでくる。つぼみのふくらみとピンクの変化を見ながら歩むのが何ともいえず楽しいのは、それが冬との決別の予兆であるからだ。まだまだ余寒もあるし、再び寒に戻るのと思われる日もあるが、しばらくのジグザグを三寒四温とも言うが、確実に温度は上がるし、花は開く。
 さくらの咲き初めとその後の最盛期の激しい息づかいを見ると、春を迎える喜びと春を抱く勢いが感じられて、毎朝の散歩が心を浮き浮きさせる。
 ぼくの長年の経験的勘でいえば、今年のさくらの寿命は長かった。咲き始めから散るまで半月ほどを楽しませてくれた。
 このごろは「つつじ」の季節で、どの家にも咲かせているが、いまぼくが心を奪われているのは、米原の免許センター前を西へ、米原小学校グラウンド沿いのフェンスの土手に咲いているひらとつつじである。
 100㍍ほどの豪華なつつじ道である。直径2㍍か、3㍍のこんもりとした花の森のようで、見事というか、ぼくは歩きながら、何回も途中で足を止め、「あっ、素敵」、「よくぞ咲いてくれたね」「ありがとう」と心でいいながら、この道を歩む。当分この楽しみは続くが、こんな素晴らしい出会いが毎日の散歩で味わえることの幸せを感謝するばかりである。
 車を運転していては、到底味わうことのできぬ季節の最高の贈り物である。
 まあ、それにしても周りの水田の急激な変化、いつの間にやら早苗が植えられ、水の豊かな植田となっている。ところによっては、麦のみどりが、あっという間の驚きで、すでに穂が出揃っている。木々のみどりの鮮やかさ、山のみどりのみずみずしい濃淡。もう眺めているだけで、寿命が延びるような錯覚に酔い痴れる。何とも嬉しい季節ではある。【押谷盛利】

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2014年05月08日

がんを予防するために

 連休中に2人の有名人の死を知った。1人は作家の渡辺淳一さんで80歳だった。「失楽園」では日本国中を沸かし、愛欲作家としては、当代ナンバー1の売れっ子作家だった。
 同じく有名人では歌手の神戸一郎さんで、古いファンには忘れ得ぬ名曲が幾つもある。享年75歳は若すぎる。2人とも死因は前立腺がんだった。偶然とは言え、このがんめ、男野郎につきものなので、ひるむことなく、前向きで考えたい。
 男性は50歳を超えると、目立ちはしないが前立腺が肥大化してくると言われる。加齢とともに尿の出がうまくいかなくなったり、頻尿、あるいは尿漏れ、夜中に何回もトイレに行くなど、お互いに口にこそ出さないが、男性に共通しがちな悩みである。
 ぼくは今、がん研究の世界的学者・西岡一(にしおか・はじめ)医博の「生命への警鐘」を読んでいるが、大きな感銘を受けているので、内容を一部紹介する。
 西岡博士は京大医学部出身で、米国のテキサス大研究員を経て同志社大教授。環境毒性研究所所長、生化学専攻、放射線や化学物質の発がん性や遺伝毒性が専門。特に食品添加物、農薬、化粧品などの毒性研究の大家で、かつて、国際シンポジウム「環境変異原・発がん物質からの防衛」の委員長を務めており、説得力のある有益な著書として奨める。
 博士は、健康を思う人は食べ物に関心を持ちなさい、と、食の心得10カ条をあげている。現代は加工食品時代だが、これは、食品添加物という化学物質に頼った虚構の上に成り立っており、それが分かると、しぜんに加工食品を避けるようになり、食品添加物の体への摂取量がひとりでに少なくなる。
 そこであげているのが、次の10種の添加物で発がん性などの毒性が知られている。最近の食品行政は、発がん性が見いだされても禁止しなくなったから、自己防衛が必要と指摘。
 ①OPP(米国などから輸入されるかんきつ類の防カビ剤)。
 ②BHA(バターや食用油脂の酸化防止剤)。
 ③臭素酸カリウム(パンやかまぼこなど、魚肉のねり製品の品質改良剤)。
 ④過酸化水素(ゆでめんやかまぼこの殺菌剤、漂白剤)。
 ⑤亜硝酸ナトリウム(ハム、ソーセージの発色剤)。
 ⑥タール色素類(あらゆる食品の合成着色料)
 ⑦サッカリン(合成甘味料)。
 ⑧ソルビン酸(防腐剤)。
 ⑨プロピレングリコール(生めん類、ぎょうざの皮、イカやタコの燻製などの品質改良剤)。
 ⑩デヒドロ酢酸(チーズやバターなどの防腐剤)。
 以上のほか食べ物について、気をつけることを列挙している。
 イ、新発売の食品に飛びつかない。
 ロ、表示を見る習慣を。
 ハ、旬のものを食べる。
 ニ、いつでも野菜を食べる。
 ホ、好き嫌いをしない。
 ヘ、時間をかけてよく噛む。
 ト、自然の恵みに感謝。
▽がん予防。がんは多くの場合、環境に分布する発がん物質が原因であるから、そういう発がん物質を体の中に入れないように。しかし、乳幼児までが、がんにかかることがある。これは、母親の妊娠中に原因が疑われ、妊娠中は食品添加物に支えられた加工食品に頼る食生活は止めること。無農薬の野菜や果物を求める。化粧品の中にも発がん疑惑物質が見つけられているから、妊娠中の化粧は少なめに。なるべく、自然に近い生活、先祖代々安心してきた食生活を振り返る。
 放射線は好ましくないから、繰り返して、被曝するとがんの原因となる(参照・生命への警鐘=クレス生活科学部発行)。【押谷盛利】

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2014年05月01日

人間生活とコンクリート

 ぼくは、日本人の健康について、自然に還れと訴えてきた。実は、肉体の健康ばかりでなく、われわれの住む大地そのものも病んでおり、造園技師で、環境再生医の矢野智徳さん(57)は全国をかけめぐって、日本の土地の衰弱とその回復について訴えている。
 矢野さんは、このほど東近江市の徳昌寺(後藤雅明住職)で、土地と植物の健康について研修講座を開いたが、全国から集まった受講生に多大な反響を呼んでいる。
 矢野さんは、環境は、地下深い表層地質とその上部に堆積してできた土壌、この2つによって作られた地形に加えて、大地の上に生息する動物、人間による影響が基本となり、これに加えて、水、空気、自転、重力、引力など宇宙エネルギーが関わりあって成り立つと説明。具体的に建物と土地、緑の関係について言えば、昔の建物は石や平板など自然なすき間をもつ材料で仕切られ、土壌の中を空気と水が無理なく動けたが、現代はコンクリートやブロックで仕切るため大地の水と空気の入れ換えが滞り、植物の根も呼吸する力が弱まった。
 さらに土の中の空気と水がよどむことで、有機ガスが停滞し、病菌類が増える結果、植物が不健康な状態になる。
 国土の開発と土木工事の近代化は、そのまま国土のコンクリート化につながるが、これによる環境破壊は、雨季の洪水、山崩れ、市街地の浸水などに現れている。
 コンクリート化によって、地下の水や空気が滞留するから新鮮さを失い、植物は直接的被害を受けるが、人間は飲料水のほか農薬用水においてもマイナス面を強いられる。
 近年は高層建築のほか道路や鉄道の立体化のため、地下のコンクリート化は人目にはつきにくいが、地下では水の流れを阻止したり、滞留させたり、地震などの災害面でもマイナス要因となる。
 土地と地下水の不健康が植物に影響すれば、人間の食生活に欠かせない農産物の不健康につながってゆく。当然ながら、不健康な食品を食べる以上、人間が病気とクスリから離れられなくなる。
 土地が病んでいる、と同時進行形で、人間の体が病んでいる。人間の体はコンクリート化するわけではないが、日日の空気や水の汚染、それに化学的加工食品を摂取するため、その血液が汚れてゆく。植物と大地のためコンクリート化対策を講ずるように、人間も生活のあり方を考え、切り換えねばならぬ。
 そのために、今、何をすべきか、何から始めるべきか。先ずは、自然に還れ、である。家庭生活のすべての分野で自然に還れ。100%が困難であれば30%、50%と、目標を設ける。暖冷房然り、食生活然り、クスリを遠ざける生活。身体を動かす工夫、乗りものを少なく、歩く習慣。添加物食品を避ける。玄米と野菜。甘党から脱皮。肉食の抑制。ストレス解消。
 何からでもよい、どこからでもよい。一歩前進、二歩前進。【押谷盛利】

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