滋賀夕刊新聞社は滋賀県長浜を中心に政治、経済、文化の情報をお届けする新聞です。



2014年04月24日

大臣病患者と安倍内閣

 政治家は、きれいなことをいうが、心は必ずしもきれいとは言えない。
 「土建屋殺すに刃物はいらない。雨が10日も降ればいい」という戯れ歌があったが、これに似た歌い方をすれば「政治家殺すに刃物はいらない。役職ポストを干せばよい」ということになる。
 いま、自民党内にちょっとした「反安倍」のきな臭い動きがある。不可解なのは、反安倍の震源地が現職の政治家でなく、元、派バツのリーダーや元幹事長などかつて活躍した大物OBたちであることだ。
 いま、なぜ、自民党内にうさん臭い安倍批判が陰でささやかれているのか。それは、党内で、当選5回以上の衆議院議員のうち、大臣未経験者が多いことによる。腸の中が満杯して便秘が続くと放屁するように、大臣病患者という菌はガス抜きをしないと発酵するからである。
 大臣を将棋の駒のように好き勝手に動かしたのは、吉田茂と田中角栄だった。一人はワンマン、一人は今太閤と呼ばれたが、なぜ、それほど政治家を動かす力があったのか。その秘密はなにか。
 答えは単純である。カネ、票、ポスト(大臣、党役員)の3点セットである。
 政治家は寝ても覚めても選挙が頭から離れない。現職なれば先生として赤いジュウタンを踏み、官僚どもが最敬礼し、業界がバックアップする。しかし、落選すれば、ただの人間である。派バツのボスは、派バツという村を仕切って、選挙の票つくりや金の面倒を見、内閣づくりや改造では、首相に談判して自派から少しでも大臣や有力役職を採用させようとする。その派バツを手際よく操作して、波穏やかに航海するのが強力リーダーで、吉田や角栄はその最たる大物だった。
 大臣を多くつくるには総理・総裁の任期中に、数多く内閣を改造し、短期でよいから待機組のガス抜きを図る。こういう政治は利権を生むし、族議員と呼ぶ各省庁との因縁議員のシステムを構築する。族議員は親分の意向をくみつつ、派バツへの集金力の強化に力走する。こんなやり方では政治が腐敗し、国民の信を失うとして、大胆に改めたのが小泉内閣の小泉純一郎氏だった。彼の蛮勇によって、さしもの派バツが弱体化した。
 これと全く同じやり方をしているのが今の安倍さんである。第2次安倍内閣は12年12月に発足したが、以来一度も内閣改造はしていない。従って、大臣待機組は各派バツ内にうろうろしている。しかし、彼らが表向きに動けば、この夏予想される改造内閣で干される心配がある。だからこれに代わって、古いかつての実力者が、裏でこそこそ動いて、少しでも大幅な人事で、新任大臣を多く採用させようとのあがきである。
 こういう古い型の政治家に振り回されることのないよう、安倍さんの信念と決意、行動力を期待したい。【押谷盛利】

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2014年04月22日

国民をフヌケにする危険

 19日の時評で、憂うべき高校教育を取り上げ、「きんぬき」について書いた。
 日本と日本人の将来について極めて重要な意味を持つので、さらにつっこんで述べる。
 天皇を国民のあこがれとする自由と民主主義の日本の政治体制を変えねば、と考え、行動する左翼社会主義陣営は、あらゆる術策をめぐらして、反体制組織の構築を進める。
 その一つが日教組や高教組による教育現場での体制反対である。分かりやすくいえば校長の権限を組合側が奪い、校長をデクノボーにするやり方である。
 文科省—府県教委—校長の縦の関係をぶち切り、学校という教育現場で、組合指導または、その影響下による教師が、体制反対の教育をする。
 例えば、卒業式に「君が代」を歌ったり、国旗を掲げることに反対する。「仰げば尊し」の先生を称える戦前の歌を歌わせない。
 体制反対を公然と口に出すことはしないが、新聞やテレビのなかには、そういう思想で報道や編集する偏向マスコミがある。
 左翼側で、今の政治体制を苦々しく思って、できるだけ国民の関心を反政府にしようとする野心が露骨すぎることを国民の多くは知り始めた。日本の自由、民主主義政治を苦々しく思っている左翼系のマスメディアは、ニュース報道の上で露骨な反日色を出すから、その正体はすぐばれる。
 例えば、なんでもかんでもの安倍叩きがある。デフレをストップさせ、株価に勢いを持たせ、日本の経済に明るい兆しをもたらしているアベノミクスにけちをつけ始めたばかりか、慰安婦問題、その他の外交、防衛政策で、国家、国民の立場に立つことなく、日本悪し、安倍悪しの報道に熱心なのである。
 これらの反体制的マスコミの一つの共通点は皇室報道である。天皇は日本国民の統合とあこがれの象徴である、と規定しているのは、ほかならぬ日本の憲法である。彼らは二口目には憲法を守れ、改憲反対とうそぶくが、ならば、なぜ、天皇や皇室の報道に敬語を使わないのか。国民のあこがれである天皇陛下や皇室、皇族方の報道には決して、敬語を使わない。これについては、何回も触れていることだが、「天皇が出発した」。「…と発言した」。「言葉をかけた」—、といった調子で、呼び捨て同様の扱いである。
 この点は産経や読売は尊敬の心をこめて、敬語を使い、報道記事にも国民の敬愛のシンボルであることが明らかに出て、皇室への親近感が明るい。他の大新聞と比較すればその違いが余りにも明瞭である。国際ニュースを眺めても、中国や韓国の反日宣伝を自ら買って出ているかのように、日本の政治を悪くいいたがるのが、左翼系反体制新聞であり、彼らは、日本のマスコミでありながら、中、韓と歩調を合わせるが如く、靖国叩きに余念がない。
 安倍さんのいうように国のため命を捧げた方々の慰霊や戦を二度としてはならぬ不戦の誓いをするのは国家、国民のリーダーとしての政治家の役割である、と思うのは国民のほとんどの共通感情である。
 反体制を叫び、日本を悪く言い、安倍内閣を潰そうと宣伝したり、デモをしても、日本は自由の国だから制約したり、逮捕することはない。
 しかし、国民がしっかり関心をもって眺めていなければ、あらゆる国民生活の中で、きんぬき、分かりやすくいえば、国民を骨抜きにする、フヌケにすることを恐れるのだ。それはあらゆる形で国家の法律や産業、経済の中にまで滲透してくる。その危険や不安についても折りにふれていく。【押谷盛利】

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2014年04月19日

けしからぬ「きんぬき」の話

 ひどい話が新聞をにぎわせている。学校教育のなかでの「きんぬき」の話である。「きん」とは金にあらず、こうがん、きんたまのことである。
 分かりやすくいえば、日本人から日本人の魂を奪うことだが、少し説明を必要とする。いま、新聞が取り上げている教育界の問題は、公立高校の人事における法律違反である。
 教育基準法によれば、高校内の人事権は校長に属する、と規定しているが、新聞報道によれば、大阪府を筆頭に各府県の高校の多くで、校長の権限を無視して教員が選挙管理委員会をつくり、選挙によって役員ポストなどを決めている。教員側が選挙で決めた人事を、校長がそのまま丸呑みして発令しているという話。なぜ、これが「きん抜き」なのか。さらに思考を深めてゆこう。
 日本の左翼(共産主義、社会主義ら)は「体制変革」をよく口にする。彼らが敵のようにいう体制とは、戦後、吉田内閣以来続いてきた自由民主主義の政治体制である。この政治体制に反対し、改革を唱えるのは、共産党や社民党による左翼社会主義政権の誕生にほかならぬ。
 体制とは、分かりやすくいえば、過去から伝わり、いま、存在する平穏な秩序ということである。
 例えば、国に天皇を仰ぎ、民主主義のルールによる選挙で国会が成立し、総理が選ばれる。一家に戸主があって、先祖を祀り、家族が戸主を中心に家の繁栄を図る。企業が社長を先頭に、社長を中心に企業努力し発展を図る。
 これらすべてがいまの日本の世の体制である。この体制が邪魔するから、日本の社会主義化や社会主義政権が育たない、というのが左翼の考えで、この考え方によって、1歩前進2歩前進で、体制改革の露払いをしょうとするのが左翼の戦略である。
 その一つが校長の権限剥奪である。校長は教育委員会につながり、教育委員会は文科省の方針で教育行政を進める。文科省は政府を構成していて、現政治体制の維持、秩序保持の立場にあるから、この縦の関係をぶち切るには、教育の末端現場で、校長の権限を奪い、教師側の思うような人事をやるのが体制変革の一里塚である。
 と、ここまで書くと、多くの人は、教員組合、日教組を思い浮かべるにちがいない。実は、高校の教師の組合、高校教員組合(高教組)は、多くの官公庁組合のなかでも最も尖鋭的な組合であり、言葉を変えれば、最も左翼的な組合なのだ。そういう組合の教師が、生徒にどんな教育をするのか。
 過日、東京の高校で、学期末試験に、毎日新聞の反靖国と思われる記事を持ち出して、感想を書けという問題が出た。反靖国のこの新聞記事を読めば、おのずと安倍総理の靖国参拝好ましからずの気分になるはず。これは高校側が試験の機会を利用して反体制を実践している図だが、これこそが「きんぬき」の正体であり、けしからぬ話である。【押谷盛利】

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2014年04月17日

老人の鈍さとつける薬

 「蠅が手を足をするよと一茶いう おれの手足は年ごと鈍る」。
 これはぼくの最近作の短歌である。
 強がりをいっても年齢からくる体力の衰えは防ぎようがない。旅行したいが、足腰が弱くなったから行けない、畑を作りたいが、体がおともしないから諦めた…などという高齢者の嘆きを聞くことが多い。
 「鉄は熱いうちに打て」は、人生、身心の最高潮のとき全力疾走せよという教訓でもある。
 逆を言えば、活力のある若いうちの働きがその人の人生を左右することになる。心で思うことを体がすぐ反応するのが若さであり、心で思うことに体が反応しないか、反応が鈍くなるのが老化であり、心がけ次第で老化を遅らせることはできるが、老化を防ぎきることはできない。
 手足ばかりでなく、万事に鈍くなるのは悲しいことだが、避けて通れない以上、鈍くなる速度にブレーキをかけるしか方法がない。そんなことを考えると、長寿社会をめでたしと素直に喜べない。あいかわらず、オレオレ詐欺以来、「医療費が返ってくる」とか、「安い社債で大もうけできる」とか、「会員券を買うと10倍、20倍になって返ってくる」なんていう欲呆けに乗じる詐欺が続いている。
 被害者はみんな高齢者である。ほんまもんか、いんちきか、判断できない。真偽の判断はできないが、脳の片隅に欲呆けを刺激するところがあるから厄介である。「儲かりますよ」、「安いから今買っておくと大化けしますよ」、「あとで買い戻してあげますよ」などと、うまい儲け口を誘って、相手の欲呆け心を刺激する。はまったが最後、岩魚が生き餌に飛びついたように、条件反射で餌を放さない。
 欲呆けの餌を与えれば、必ず食う、という計算を心理学的に考究した詐欺師の腕はアホらしいほど単純で「ご用」すれすれの犯罪手口だが、成功例の多いのが悲しい。
 老人の脳のひらめきや判断力の鈍さによるものだが、落とし穴が欲の皮とは笑い話にもならない。
 それにしても驚きは高齢者の「お金持ち」である。欲とは言え、手元に持っている何百万円のカネを渡したり、送金したりする豪華さである。
 「常識」という判断力や新聞、テレビでの被害実話や警告、警察や役所による広報で、繰り返し注意されているのに、耳を貸さない。言うべき言葉を知らないが、実際は思考力の鈍りよりは痴呆状況ではなかろうか。
 線が切れたり繋がったり、冬の天気のように時雨たり、晴れたり、まともな時と、異常な時がジグザグしているから始末が悪い。食べる本能は確と働くから体は鈍くなっても表向きは人並みに映る。痴呆になっていても、それを否定する自尊心が邪魔する。実は自尊心そのものが鈍っているのである。
 つけるクスリが開発されればノーベル賞ものであり、製薬会社は世界一の大富豪となるだろう。【押谷盛利】

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2014年04月10日

祭さまざま、湖北の歴史

 春は待ち遠しかったが、桜の開花で一気に人の心を和ませる。冬籠もりから覚めた木の芽の緑が鮮やかで、水仙、沈丁花、雪柳、連翹、みもざ、こぶしが春を奏で始めたら、負けじとばかり桜が急に踊り出した。浮き浮きした人の心に添うように、新入学、新入社、選抜野球、それにプロ野球。
 話題はつきぬが、長浜人にとっては何といっても期待の高まるのが長浜祭である。曳山祭りとも呼ばれ、山車の舞台で演じる子供歌舞伎が圧巻である。
 それぞれの出番山の町ではすでに稽古が本番なみに進み、練習の成果を見届ける線香番の儀式や祭りの安全と子供役者の無事を祈る裸参りも9日から始まった。祭りは鐘や太鼓、笛などで囃すから風に乗って近隣にまで楽しい気分を舞い上げる。
 花と祭りが季を同じくするのが長浜祭の伝統だが、今年は花に酔い、祭りに酔いの二段構成で長かった冬の鬱屈から解放されることだろう。
 日本は神の国だから、長浜に限らず春から秋にかけて、日本国中、祭り行事の絶えることはない。何と言っても有名なのは日本3大祭りの東京神田祭、大阪天神祭、京都の祇園祭であろう。京都ではこのほか、5月15日の葵祭、10月22日の時代祭が知られる。
 お隣りの米原市では、10月の連休に長浜と似た曳山祭が行われるが、この地で全国版として有名なのは5月3日の筑摩祭である。鍋祭、鍋冠祭ともいう。
 薄緑の狩衣・緋袴の平安朝風俗の少女らが紙製の鍋や釜をかぶって筑摩神社へお練りをする。里の女が契りを交わした男の数だけ鍋釜を頭に乗せて参詣させられたという故事に始まる奇祭。
 祭は政で、日本は古くは祭政一致の国だったから、神社の祭神と地名などを研究すると、見えない歴史がぼんやり浮かんでくる。そういう意味では、神社の祭に参詣し、むかしむかしのこの地域の産業や政治、発展の様子を想像し、古里意識に目覚めることは大変すばらしいことである。
 例えば、長浜を考えるとき、昔は坂田の一部だった。坂田の中心として早くから栄えていたのが、東上坂、西上坂、垣籠町の集落で、この地を伊吹山から姉川が琵琶湖へ流れている。この3地域は垣籠古墳など幾つもの古墳群があって5世紀ごろから発展していた。日本書紀には「坂田君」が登場するし、「上阪神社」があり、祭神は上阪神とあるから土地の神。坂田一族か、その祖神を祀ったとされる。
 ところが、それよりずっと南に、旧近江町顔戸に山津照神社があり、ここにも息長古墳がある。息長一族を葬った墓とされ、息長氏は継体天皇とゆかりがあり、天皇家に后妃を入れ、当時の政権につながった、という歴史がある。大昔の近江のなかでは坂田と息長族がたくましく支配し、その力は琵琶湖、つるが、日本海、淀川、大阪と広域圏での先進国だったというから後の世のわれわれも奮起するがよい。【押谷盛利】

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2014年04月08日

党首辞任とみんなの党

 「天網恢々疎にして漏らさず」。老子の有名な言葉で、天の網は広くて一見粗いようであるが、悪人を網の目から漏らすことはない。悪事を行えば必ず捕らえられ、天罰をこうむる(大辞泉)。
 「議員勝者の金の声、諸行不浄の響きあり」は過日の時評で触れた。むかしの政治家は「井戸塀議員」と呼ばれた。政治家を辞めたとたん、財産は、すっからかんで、借金ばかり、残っているのは古くからの井戸と土塀だけという逸話から生まれた。
 今太閤とマスコミがはしゃいだ田中角栄はカネの生る木を何本も作り、子分を族議員にして各省庁ににらみをきかした。子分はカネと票でくくられ、田中派の数の威力に歴代首相は最敬礼した。貸し与えられた権力は角さんの一吹きでタンポポの穂のように消えていった。
 おカネと政治の嫌な話を受けついだのは生活の党の代表、元民主党幹事長の小沢一郎氏だが、偶然にもその小沢氏が新生党時代に、自民党からの離党を条件に首相就任をけしかけたのが、いま話題のみんなの党の渡辺喜美代表の父・渡辺美智雄だった。
 親父のどこを見習ったかしれないが、議会にも出ず、党の会合も欠席し、記者会見もしなかったみんなの党の渡辺代表が遂に7日夕、代表を辞任した。その記者会見で、化粧品会社の会長から合計8億円を借りた問題のすべての責任は自分にあると陳謝し、「借り入れた8億円のうちまだ返していない5億5000万円はきょう(7日)吉田会長の銀行口座に振り込んだ」。報道により、世間、支持者、国会議員、地方議員などに迷惑をかけたことをおわびする、と述べた。その上で、借り入れは法的には問題ない、と負け惜しみをいっているが、見苦しさがますます墓穴を大きく深くする。化粧品会社の会長に残っているメールが新聞に出たが、これには12年の衆議院選直前に供託金のカネがいるからと要請し、送られた5億円に対し、その10日後、供託金の支払いを終えた、と報告し、追加借り入れをほのめかす文面にもなっていた。
 渡辺氏は選挙費用への充当を否定しているが、明らかに矛盾する。
 選挙費用に使いながら選挙運動の収支報告書に記載しなかった場合、公職選挙法違反に問われることにもなり、また党の候補者に供託金として配った場合は各候補者が報告書に記載する義務があり、これへの法律違反も考えられるが、渡辺氏はこれらの問題に答えることをせず、借りたカネは個人で使ったといい切る以上はその使途を明らかにせねば世間も政界の常識も通らない。ところが、7日の記者会見で3億円の大半は妻の口座にあったという。開いた口がふさがらない。
 さて、第2弾、党首が火の粉を浴びて退陣した後のみんなの党の将来である。極めて悲観的で、うすもやから暗雲となる可能性が強い。主柱の本柱がおかしくなったのだから暗中模索の低空飛行はいつ墜落するやも計り知れぬ。【押谷盛利】

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2014年04月05日

さくらの花と今年の暖冬

 花に嵐というが、4日の空を吹き荒れた風は春一番か、春疾風(はやて)か。5分咲き前後の湖北地方の桜はあわてふためいたことだろう。
 彦根のお堀端の桜は満開を迎えるが、桜の悲鳴もさることながら、花を楽しんでいた人やその花見客をねらった商売人の思惑にも誤算が入りはしないか。せいぜいお日柄よきように祈るばかりである。
 それにしても今年の桜は早かった。冬の寒さが長かったせいか、当初は4月半ば以降の開花を予想したが、番狂わせというのか、あっという間の駆け足桜前線だった。
 ところで、桜の早さを驚いているのはわれわれ人間どもで、桜自身は予定通りの季節感覚で、咲くべくして咲き始めたのである。
 詳しくいえば、今年の冬は例年と比べて圧倒的に暖冬だった。その証拠に、雪が少なかったではないか。伊吹山は湖北の雪判断の目印だが、全山雪すっぽりの日は少なく、5合目以下は地肌丸出しの日が多かった。3月に入るや頂上を除いて、雪のない日が多くなった。平地を振り返っても納得するが、霜の降りる日が少なく、水が凍るようなことはほとんどなかった。
 それなのに、人間どもは寒い寒いとばかり、暖房の温度を高くしたり、品質の良いシャツや服で保温に万全を期してきた。室内での暖房生活に漬かりきっていたので、正確な冬の寒さに鈍感になってしまったが、綿密に寒暖計で外気を測定していれば、今年の冬は暖かかった、というのが土や木や草などの自然の声といえるのではないか。
 この現象は地球温暖化とも関係するが、人間の知恵による文化生活やその充足のための産業発達が地球の自然現象をゆがめてきた罪は大きい。
 山も川も海も大地もみんな汚してしまったが、なおこれからも汚し続けることが予測される。地球汚しの犯人である人間どももまた天の裁きを受けて、片手に花、片手に薬の矛盾した生活を余儀なくされた。
 元へ返せ、きれいな水を、きれいな土と空気を、と国連も先進国も叫ぶが、さきざきの見通しは真っ暗闇である。
 せめてもの抵抗は、われわれ自身が自らの生活の中で、自然に返れを、ささいなところから実践することである。みどりや花を大切にすること。化学物質の汚染食品を遠ざける。農薬、除草剤を避ける。手足をよく動かし、乗りものをできるだけ避ける。クスリ漬けを克服しよう。【押谷盛利】

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2014年04月03日

予知できぬ死と備え

 人間はカネがあろうと地位があろうと学識があろうと百人が百人いつかは死ぬ。その「いつか」が判らぬから不安でもあるが、逆に横着をきめ込むことになる。
 いまは、長寿社会だから例外はあるとしても多くの人は平均寿命そこそこ80歳代から90歳以上を生きる。そうした統計的数字を過信して「まだまだおれは」と油断していると、すってんころり、と、どんでん返しをくらうことになるから、人間は、ときには己れを振り返り、つつしみを忘れてはなるまい。
 自分の死期を予測できぬのはだれも同じだが、その点哀れなのは死刑囚である。死刑の判決が出れば、いつかは執行される。その日がいつかは分からぬが、必ず近いうちに、と不安がつきまとうから寝ても覚めても心が落ちつかぬ。
 上申書を出したり、再審の手続きをとったり、あらゆる知恵をふりしぼって、無罪や減刑を弁護士に委ねるが、そういう獄中闘争で、何十年も生き延びる人もあるが、自由を奪われた籠の鳥であるから人間としての価値ある人生とは程遠い。
 自分の罪悪を反省して、死刑執行を当然と思う者でもいざ執行の知らせを受けて独房から連れ出されるときは、わめいたり、絶叫したり、狂ったようになるものもいる。
 最高裁による最終の死刑判決が出ても法務大臣の判子がなければ執行できないから、歴代の法務大臣は、判子をつくのをいやがる。法律と裁判による儀式であっても、その大臣の判子によって、生と死を分断されるから、結果として、人の命をあやめることになる。
 それがかなわんというのだから、こんな場合は無期懲役のようなものだ。死刑囚が初め、自白しても後に徹底して無実を訴えると、なかなか執行はしにくいようで、帝銀事件の平沢のように90歳すぎて牢死するまで、拘束されつづける例もある。
 そういう地獄の世界を考えれば、平穏無事に働くことができ、家族愛のなかで、そして、友人、知己と人生を楽しく生きられる人は幸せである。
 幸せといったが、人はみな幸せに生きられるように憲法に保障されており、その生き方が普通なのである。したがって、財産や職業、環境の違いがあっても人は無理に殺されることなく寿命いっぱいを生きられる。ただし、いつお迎えがあるかも知れないから、そのときあわてることないよう、元気なうちに、万一に備える準備はしておいた方がよい。その準備は健康法にも役立つし、家族や関わりのある人々にとっても重大な意味をもつ。
 例えば、財産の処理など生臭い話ではなく、無駄な延命施術を拒むことなど、自分自身の人格の尊厳とも関わるからである。そればかりではない。準備段階を意識すれば仕事や生き甲斐上の目下の取り組みや、今後の計画の推進にぬかりなく対処できるからである。【押谷盛利】

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2014年04月01日

議員勝者の金の声と不浄

 8億円の政治とカネで、みんなの党の渡辺喜美代表の顔色は冴えない。災害ではないが、忘れたころに「お騒がせ」の起きるのが政界の宿命なのか。
 カネで利権をせしめれば賄賂となるが、大相撲の谷町のように、ひいき力士に入れ揚げるファン心理もある。渡辺代表が化粧品会社の社長にもらった2回目の5億円は、本人は借りたというが、世間の常識では与えたことになる。政界用語では献金というが、この世界ではパーティー券ならいざ知らず、億単位の巨額献金にタニマチを想うものはない。
 借りたというのに、借用証明も入れず、利息も払わないのだから変な話ではある。
 変な話は政治にはつきものと見え、3月29日付読売「編集手帳」のパロディーには思わず笑ってしまった。以前に同社の発行したパロディー集「宝石筥」に出ている一編で、選挙を勝ち抜く政治家を諷刺して、限りなく悲しく腹立たしい。
 平家物語の清盛と平家没落を想わせる冒頭の一句。
 巻1の最初の書き出しは余りにも有名である。
 「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり 沙羅双樹の花の色 盛者必衰のことわりをあらわす おごれる人も久しからず ただ春の夜の夢のごとし たけき者も遂にはほろびぬ ひとえに風の前の塵に同じ」。
 パロディーが急所を衝いた抱腹絶倒の名句は最初の2行である。
 「議員勝者の金の声 所業不浄の響きあり」。
 もらったご本人は政治資金ではなく「私用」の小遣い銭として借りた、とご託宣。政治家はカネ食い虫なのか、カネが幅をきかすのが政治なのか。この辺をはっきりとしなければ、中国のワイロ政治の如く国民から信頼されなくなる。
 もともと日本は政治を「政」とした。まつりは祭りで、神仏や祖先をまつること。身を清め、供物を捧げ、祈願感謝の儀式を行った。
 まつりごとをするのを「まつりごつ」といい、漢字で「政つ」と書く。ここに祭政一致の日本の政治の原点があり、祝詞に「祓いたまえ、清めたまえ」の言葉があるように、身ぎれいにして祭りごと(政)にかかわった。
 この際、何億円もの大きな団扇をつかって、国会議事堂の悪たれどもを払うべし。
 それにしてもカネの力は弥陀ほど光る。
 中国の習近平国家主席がフランスへ出向いて大もてという。オランド仏大統領は26日夜の豪華な夕食会に続き、27日にはベルサイユ宮殿で歓迎コンサートを開いた。8頭だての馬車に乗り大統領と一緒に歓迎式に臨んだ。この背景にはフランスの航空機製造の大手が中国に旅客機70機を販売する商談が成立している。このほか、自動車メーカーの出資などを含め、なんと日本円で総額2兆5000億万円也。
 EU(欧州連合)の諸国もこのところ中国へ禁じられていた武器輸出をはじめた。これもおカネゆえ。【押谷盛利】

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