滋賀夕刊新聞社は滋賀県長浜を中心に政治、経済、文化の情報をお届けする新聞です。



2014年02月27日

慶雲館の盆梅を称える

 「石に酔ひ香りに酔ひて梅館」。
 「身の芯を貫く梅の木霊かな」。
 これは慶雲館を鑑賞した最近のぼくの俳句である。慶雲館の盆梅展は長浜の春の観光の先ぶれであるが、いつ見ても心の洗われる清澄さと、春を忘れぬ古木の生命力に感嘆する。
 近年、各地で盆梅展が開かれるようになったが、長浜の盆梅展は、この方面の草分けであるだけでなく、会場の舞台が「慶雲館」の名が示すように、歴史と伝統を基盤とする別荘風の高貴な御殿と巨石や名松を巧みに配した庭園美で構成されている点が特筆されよう。
 明治天皇が京都から東京へ還行されるとき、長浜出身の近江商人・浅見又蔵が天皇の行在所として、長浜港の近くに御殿を建て、当時の長浜町に寄贈した。いまも慶雲館の2階には、明治天皇が皇后とともに休息をとられた一段高い別室が当時の面影を残している。
 天皇の御傍に仕えた伊藤博文総理が、この御殿に足を運び、名づけたのが「慶雲館」の由来である。実にめでたい名称で、以来、長浜が管理保存し、市民に広く開放され、多方面に活用されてきた。庭園に配されている巨石は見るものの眼を圧倒するが、枯山水風の空間の広い日本庭園は御殿の縁から遠く琵琶湖に通じる雄大な設計によるもので、年間を通じ市民の心を癒やし続けている。
 盆梅は盆栽仕立ての梅ということで、正確には鉢の梅というべきかもしれない。200〜400年の不死ともいうべき老梅が、信楽焼などの鉢の中におさまり、枯れ枯れとなって、皮だけで燦然と花を咲かせている姿に感動しないものはない。しかも、その高さが天井につかえるほどである。樹木は朽ちてくると、普通は年輪が見えかくれするが、百年、200年以上の古木ともなれば、幹全体が枯れ朽ちて、内部が洞となっている。あまりにも洞が深すぎて、まるで五臓を取り捨てた感じである。言わば、皮一枚で生きており、その皮に命が流れているわけだ。
 梅は古来、めでたいものの象徴とされるが、それは皮一枚に痩せこけても歯をくいしばり、生き続け、咲き続けることへの称賛とあこがれであろう。しかも、その花は白梅、紅梅いずれも淡々として、すがすがしい。汚れのない清浄さが人を魅きつけるし、そのたたずまいが古武士の風格を思わせて、まさに日本人の心にぴったりである。畳の大広間で春を誘う慶雲館の盆梅こそ世界に誇るべき文化遺産かもしれない。【押谷盛利】

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2014年02月25日

長浜市長選のよもやま話

 23日、投開票の長浜市長選は、いろんな意味で面白かったが、同時に収穫も多く、市民の政治的成長にプラスする側面を評価したい。
 結果は予想通り、現職の藤井勇治氏(63)の圧勝だった。一期ごとに城主の交替をしていたこれまでの川島—反川島の流れを断ち切った意義は大きい。
 藤井軍は鉄壁の陣で、蟻の這い寄る隙もないほどだった。現職の実績と誠実な人柄が人気につながり、継続は力なりを市民が確信した。
 敗れはしたが、挑戦した石井幸子氏(50)は1万票を超えて面目を施した。
 関東から乗りこんできたが、縁もゆかりもない長浜で、それこそ暗夜に小船の冒険だった。50歳で、これだけの冒険をするのだから、日本維新の会の公認の目は節穴ではなかった。本人の努力もさることながら日本維新の会の看板の重みが証明された。
 今度の市長選、受かるに決まっているのに、多額の市費を使って、財政上もったいないこと、と無投票を思う人がいたが、これは間違いである。
 選挙は民主主義の肥やしで、これによって、首長や議員は身をただし、精進する。有権者は政治への目を訓練し、手近なものとして関心を深める。
 かつて、戦争中の昭和17年、翼賛政治会の名のもと、政府に都合の良い候補者を推薦する制度を設けた。非推薦で出た候補者に対しては、警察の干渉、言論抑圧などで、公正であるべき選挙を台無しにした。東条内閣の暴走の始まりだが、これが大東亜戦争の悪夢に直結した。
 国会は東条内閣に迎合する推せん議員が圧倒的で、批判的な良心派議員は弾圧され、その声はマスコミからも消されてゆく。
 知事にしろ、市長にしろ、権力の座にあるものは、たとえ優れた人でも、これに癒着する側近や利権にからむ誘惑などがありがちだから、任期が切れれば、選挙による洗礼を受けるのが常道である。したがって、どんな場合でも無投票は排さなくてはならぬ。選挙で審査されるから公約が重みを増し、平素の足跡が問われるのだ。
 今回の市長選は、ある意味ではお祭りだった。当分、衆院議員選がないため、これにあやかって足腰の準備体操をしているのではないか。
 まあ、天下泰平なこと、と日本の平和ぼけを、とんだ田舎の劇場で見ることになった。靖国護持で、遺族会の会長、元自民党の幹事長が応援に来るかと思いきや、内外多忙な外務大臣が応援に。維新の側では、有名な減税党の名古屋市長が来援した。衆院選の滋賀2区からは現職の自民党議員が地元意識で張りついたが、これに敗れた民主党の前議員が、これまた組織を動かし現職応援に汗をかいた。
 長浜の県会議員は、自も民も現職。特筆すべきは共産党も現職支持。
 ぼくは、長浜市民はえらいと思う。この選挙の投票率46・28%は実に立派であった。【押谷盛利】

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2014年02月20日

「なぜ」の疑問と癒着の構造

 ぼくは読者に質問し、健康について、どう思っているか、知りたいと思う。
 みなさんはテレビを熱心に見、新聞にも目を通しているから承知だと思うが、やたらと多いのが、料理、病気、クスリ、健康食品の宣伝ではないか。その反面、どういうライフスタイル、食生活をすれば健康になるのか、という情報についてはほとんど沈黙したままである。
 例えば、ぼくがしばしば取り上げているマクロビオティックなどは完全無視の状態である。15年程前には琉球大学の比嘉照夫教授の開発された有用微生物「EM」が環境改善や農薬と化学肥料追放に世界的発信をされたが、これもマスメディアから黙殺された。
 環境をよくし、食生活の改善を通じて国民の健康を推進するのは政府の使命だが、歴代政権はこういう前向きな情報には冷淡だった。環境汚染の警告では世界のトップといわれたレイチェル・カーソンの「沈黙の春」やシーア・コルボーンの「奪われし未来」は幅広く世界で読まれているが、日本では国もマスコミも大々的に取り上げたり、推奨していない。
 なぜだろうか。ぼくは、いま、1970年代、アメリカの食生活に革命的影響をもたらしたジョージ・マクガバン上院議員のまとめた「マクガバン報告」が、権力やマスメディアによってゆがめられたり、おとしめられている、と反発している世界最高の栄養学研究博士・コリン・キャンベル教授の「葬られたマクガバン報告」なる本を読んでいる。
 この本のなかに、ぼくが疑問視している「なぜ?」の鍵が明らかにされている。
 キャンベル教授は、この本の中で、食生活の改善による健康情報が、政界、医学界、食品、医薬品業界が犯した「情報黙殺」の大罪について書いている。
 食生活の改善について、なぜ実践者が少ないのか、なぜ医師や栄養士が教えないのか、なぜ大マスコミが報道しないのか。
 この疑問について、著者は「癒着という病巣は人間関係が相手なだけに、がんや心臓病よりも根深い問題に思う。人々が冒されている病気は、食生活を変えることによってみるみる改善されるが、政界、医学界、食品界、医薬品業界の癒着構造は一朝一夕に変えられるものではなく、利権という牙城を取り囲む城壁は、とてつもなく強大で、したたかな組織によって守られている」と真相をえぐっている。
 そして、キャンベル教授は、この本が日本で翻訳されるに当たり、次のように呼びかけている。「日本の現状も豊かさが招く病気が蔓延し、その裏では、癒着の構造を支える者たちがうごめき、情報隠しをするのではないか」と。【押谷盛利】

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2014年02月18日

このままでは病気は蔓延

 健康と長寿は、すべての人の共通願望であるが、悲しいことに、これからさきざき、人は長寿するが、その中身はクスリを飲み飲み、憂かぬ日日の半病人の人生を送る公算が大きい。
 詳細な健康論は他日に譲るが、今回は日日の暮らしの在り方について考える。
 人間は神の子である、自然の子であると、考えるゆえに、自然に反する生活は、健康にマイナス作用をもたらすことを知らねばならない。睡眠時間を少なくしたり、暴飲暴食したり、添加物の多い加工食品に依存したり、悪い環境の中で生活するなどは反自然であり、夏の野菜を冬に食べるのも反自然である。
 東洋には昔から陰陽の法則がある。冬が陰で夏が陽。男が陽で、女が陰。
 西洋では古代ギリシア時代から環境と食事を重視した生活方法としてマクロビオス(英語ではマクロビオティックス)なる健康長寿論が存在した。
 日本では、1950年代から60年にかけて桜沢如一氏がマクロビオティックの普及で欧米で活躍したが、彼を後継して米国在籍の久司道夫氏がさらなるマクロビオティック理論の展開と正しい食事法で多くの著書を刊行し、世界各国でリーダー的役割を果たしている。
 久司氏は、変わりゆく環境と食習慣に目を向け、人間の肉体的、精神的退化と社会的混乱が現代社会に急速に広がりつつあることを警告し、生活の切り換えを全世界に訴えている。氏は研究により、現在の心臓病、癌、その他の慢性病の蔓延が、精製、大量生産、化学処理、人工化学など高度な加工処理を受けた食物と深く関わっていることをつきとめ、その抜本的改革を食事法に取り入れた。
 氏は、このまま何の策も講じなければ、たとえ核戦争を避けたとしても、21世紀なかごろまでに破局が訪れると予言。それまでに心臓病、がん、糖尿病、関節炎、性病、性障害、生殖能力障害、アレルギー、その他の多くの病気が蔓延し、
精神分裂症、うつ病などの精神障害も日日の生活の中でみられるようになり、家庭内でも一般社会でも口論や暴力沙汰の犯罪が増えるだろう、と予測する。
 このため、人類の幸せのために何が必要か、次の7点をあげている。
 ①農薬や化学肥料を用いない本物の食物。
 ②古来の食習慣と栄養に関する現代の知識をもりこんだ適正な食事。
 ③自然環境を回復し、化学農薬と近代産業がもたらした害を取り除く。
 ④教育、文化、意識の改革をはかり、友愛で人々が結びつくように「世界は一つの家族である」という意識を高める。
 ⑤核軍備をやめさせ、国家間の紛争を平和的に解決する。
 ⑥自然の秩序を理解し、全人類の利益のため医学やテクノロジーなどの精神学を統合する。
 ⑦宇宙の原理があらゆる哲学、宗教、文化、経済、政治制度、芸術、科学の基礎となっていることを悟り、これを生活に応用し、個人の発展、家族の健康と幸福、社会の安定、世界平和を実現する(日貿出版・久司道夫著「マクロビオティック食事法」参照)。

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2014年02月15日

ストレスを無くする方法

 身心の健康を保持するために、自然の法則に従い、1日24時間を3分割する生活の秩序について触れたが、それはストレス解消の生活の知恵でもある。つまり、1日の時間割りを正しく守り、時間が足りないという愚痴や時間に追われるいらいらから身を守る生き方である。
 時間の配分を正しく実践すれば、時間はたっぷりあるはずだから、ごく常識的なストレス解消について述べる。昔はストレスの溜まった神経のいらいらは今のように精神症としてまともに対処しなかった。一般的には神経衰弱と呼び、どちらかといえば、金持ちの坊ちゃん育ちが病むぜいたく病くらいに思っていた。
 朝早くから夜遅くまで仕事に追われて、借金こそあれ、お金にゆとりのない一般大衆は家族そろって働きづめの暮らしだった。
 農家が夜から夜へ、雨の日も働くのは普通だが、子供たちも学校半分、家の手伝い半分だった。義務教育の小学6年生を終えるころ、学年で、1、2位を争う優秀な子が進学できず、先生が家庭訪問して、「惜しいから、進学させてあげて」と呼びかけても「うちは、一日も早く、あの子に働いてもらわねばならんのや」。これが普通で、男子も女子も口減らしのため、工場や商店、機織に就職した。生きてゆくことが命がけであるから、いらいらするような余裕などありようがない。それは、例えば、今のホームレスを思えばよい。彼らは冬の寒さも夏の暑さも歯を食いしばって、生き抜くわけで、ゴミ箱をあさったり、もの乞いをしたり、神経を病んだり、ストレスを感じるような呑気な時間はない。
 生活に真向かい、仕事に真向かい、目的を持って、ひたむきに走っている人間にとっては、休息や癒やしの時間は大切だが、ストレスなどを感じるゆとりはない。ストレスは言わばぜいたく病でもある。
 そういえば、心当たりの人が多いと思うが、事件を起こしたり、人を傷つけたり、殺したりして逮捕される多くが、無職、あるいは住所不定と新聞に出ている。定年退職後の人や老齢者ならともかく、若いものや壮年層が無職というのは不可解で、ならば、どうして生活できるのか不思議なくらいである。人間は24時間、3分の1の法則で、働くことが宿命づけられているので、その3分の1の時間(8時間)が、まるまる空いていれば、ろくな考えしか浮かばないし、暇多くして、不善をなすことになりがちである。
 要するに生活の乱れが、時間の乱れとなり、心の不安がいらいらやストレスを招きやすい。もっと、はっきりいえば、心の緊張を欠くから心をわずらうのである。
 さて、仕事や家事、ボランティア、学業、研究、創作などに心をこめ、緊張している人は、時にその緊張をほぐし、生身の身心の疲れを癒やさねばならぬ。
 この点については、スロースロー、ゆっくり、ゆっくりの生活テクニックを推奨する。
 大事なのは、食事であるから、よく噛んで、時間たっぷりの食生活を習慣づける。ご飯もおかずも40回は噛むこと。次は入浴であるが、これは一日の疲れを癒やす絶好のチャンスであるから、カラスの行水は絶対にダメ。湯船にゆっくり、体を沈め、放心状態にして、その間、手や足をマッサージする。熱い湯はダメで、長く入るために、湯の中では臍までとする。ぼくは毎日、湯の中に30分入ることを義務づけている。安眠の秘訣であり、新陳代謝の側面を持つ。3番目に大事なのは毎朝の散歩。4番目は、勤め人以外は時計を持たぬこと。自由で伸び伸び生きる人間が時計に拘束されるのは、刑務所の囚人のような生き方である。テレビやケータイに振り回されるのは愚の骨頂である。【押谷盛利】

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2014年02月13日

1日3分割の自然回帰

 幸せの戸の鍵を開けよ、と説いたが、要するに健康な体で長寿するためのイロハを実践せよ、との奨めである。
 ぼくは前々回、いらいらは病気のもと、ストレスが体に悪いと書いたが、それに対する処方箋を述べておく。
 人間は生きている以上、眼、鼻、口、耳、皮膚の五感、さらに心を含めて六感を働かせるから全くストレスなしの生活はあり得ない。適当なストレスと、それをほぐす賢明さがあれば、人は幸せに意義深い人生を全うできるし、必然的に健康に恵まれる。
 人間は万物の霊長であるから、もともと人類の発展と他の生物との調和を宿命づけられている。
 明確に言えば、人間も他の動植物、生物もすべては神の創作によるもので、判りやすく言えば自然の子である。自然の子である以上、自然の法則を大切にし、天地創造の神の意志に抗ってはならぬ。今の日本人が必要以上にストレスの禍を受けているのは、生活のすべてにおいて、反自然の横暴を繰り返しているからである。
 生活の自然の法則は1日24時間を3均等に使う知恵というべきで、24時間を3均等すれば、8時間である。3等分は、①睡眠、②労働(知的、肉体的作業)、③生活に分類する。
 生活は、食事、入浴、排泄、運動、趣味、娯楽、旅行、交際などを含む。
 現代人は、神の示された3分の1の法則を無視して、睡眠をいい加減にし、仕事も手抜きし、生活時間の中ですら大切な部分を略したり、素通りして、興味本位のテレビやゲーム、ケータイなどに時間を消費する。
 この結果、食事の時間や自己の精神的充実への時間が犠牲にされる。生活の中で一番大事なのは食事であるが、にも拘わらず、朝食抜きや、外食、加工食品などで、時間を減らすばかりでなく、栄養や健康上のマイナス部分を溜めてゆく。
 定年や老齢化によって、若もののような労働時間は無くなるが、その代わり、その8時間を自己の体力の保持、健康のため、それぞれの工夫による軽作業やボランティア、歩行、写経、読書、創作、さらに言えば昼寝も老人にとっては広い意味での作業である。
 若ものや専業主婦らは、好きな遊びごとやテレビ、パソコンなどに他の時間をすべて割愛するから、1日、3分の1の法則を乱すことになる。
 その結果、本来の課題やその日、その日のすべき時間がなくなり、あれをしよう、これは明日にのばそうと自らストレスの渦の中へ落ちこんでしまう。
 つまり、生活の時間割りにゆとりがなくなるから、満足の1日を送るのではなく、何か失いものや落としものをした感覚で、いらいらをつのらせるのである。それに加えて、家族間のふれあい、親類、友人仲間とのコミュニケーション不足なども作用して、落ちつかぬ日日、追われる日日、創造の一日ではなく、できあいの即製品の内容の乏しい一日を送るのである。
 「自然に帰れ」。平凡だが、原点に返って生活を精神的にゆとりあるものに切り換えて行こう。【押谷盛利】

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2014年02月06日

幸せの戸の鍵を開ける

 いらいらは病気のもと、と書いたが、要するにストレスが体に悪いのである。
 なぜ、ストレスが溜るのか。自分の生活を振り返り反省するところがあれば、それこそ生活習慣病への自衛であり、健康への重要な条件の一つをパスすることでもある。時間に追われ、多忙さを生きている、というのが多くの人の言いわけだが、実をいえば、仕事の上でも、日常生活の上でも、昔と比べれば、今は時間がたっぷりあるはずである。
 手や足を使わずになにごとも素早く、簡単に処理できる機械や道具ができたからである。早い話が、お勝手やお風呂の昔と今を比べるとよい。
 栓をひねれば、指を押せば、水は出るし、火が点く。フロ炊きにつききりになるわけでなく、自動的に「お湯がわいた」と知らせるし、電子機器は、時間をセットすれば、煮る、焼く、温めるが自由自在である。洗濯板は過去の遺物で、今は洗濯機が洗い、すすぎ、そして乾燥までしてくれる。通勤は車、バス、電車。どこからでも、どこへでも、いつでも自在に電話は通じるし、どんな情報でもパソコンが教えてくれるし、厖大な辞書をポケットに入れることも可能だし、ソロバンも不要となった。
 こういう文明の合理的生活を推進してきたのがいわゆる省力産業である。つまり労働を省くための産業であり、電気器具などはその典型である。
 こうして、現代人は科学と技術の進歩のお陰で、昔の人が卒倒しそうなぜいたくとお大尽暮らしを手にしたが、さて、それが、精神生活に、その人の幸せにどうつながったか、これが問題なのである。確かに人は長寿社会という、うまい実をならすことに成功した。それは不思議でもなんでもない。朝から晩までの働きづめの重労働から解放されたし、肉体は疲労するどころか、いつもいたわられており、毎日、栄養たっぷりの食事をして、万一、調子が悪ければ、クスリはあらゆるものが開発されており、医院や病院も手近にある。何よりも病気にならぬための予防医学が行きわたり、生活のすべてにわたって衛生設備、衛生思想が普及した。
 昔なら、あの世行きの重病人が、今は地獄の一丁目で食い止められる。事実上は死んでいると思われる人でも医術によって生かされる。極端にいえば死ぬるべき生命を生かすのであり、死にたくとも死なさないのである。
 これが今日の長寿社会の現実である。その結果、平均寿命は世界一の水準を守り、国の医療費はうなぎ上りに高騰し、結果として、病人だらけのクスリ漬け社会となった。うまいものを食いながら、苦いクスリを飲み、ゴルフだ、温泉だ、旅行だと遊ぶ反面、体にメスを入れたり、車椅子生活になったり、あげくの果てには痴呆症になったりする。楽して、いいことをして、うまいものを食い、好きなことをして、幸せをつかんだはずが、どっこいその逆の生活に泣くことになる。
 痛い、眠れない、食べてもうまくない、通じが思うようにならぬ、胸がどきどきする、肩がこる、歩行が困難になる、息が苦しいなどなど。クスリを飲むと、副作用が出る、こっちを抑えると、あっちがむくってくる。
 科学と技術、医療の進歩が期待したわれわれの人生は、片手に宝石を持ちながら、片手に地獄行きの切符を持っているようなものである。こんな不具合な話はない、おかしいではないか、そこに気付けば幸せの戸の鍵をあけることになる。
 国民が頭を切り換えて心から幸せの鍵をあけることを期待する。それのお手伝いにぼくが役立たねばと自負するから、おいおいぼくのメニューをお目にかける。【押谷盛利】

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2014年02月04日

いらいらは病気の原因

 健康長寿と裏腹に、病人王国、クスリ漬け社会がわびしい。病人だらけといえるほどだが、そうかといって、のたうち回って苦しんだり、仕事を休んだりすることもない。
 なぜ、病人だらけなのか。子供も含めて、みんながクスリを飲んでおり、クスリでなくともクスリのように健康食品をありがたがっているからである。
 日本人の多くは何ごとも自分の頭で考えることをしない。原因、結果を科学的、論理的に追求することをせず、有名人や学者の声、あるいは新聞、雑誌、テレビ等の広告に無条件に反応して、健康でいえば当座の不安を解消しようとする。
 おなかが悪ければ、それなりに原因があるはず。前日に大酒をくらったり、無茶食いをすれば、胃が痛んだり、下痢するのはよくあることだ。
 多くは医者にかかる前に、自分なりの健康法をあれこれやっているが、そのヒントはほとんど新聞、雑誌、テレビの宣伝による。
 肩こりにしても、頭痛にしても、血圧にしても、ある日、急に自覚する場合があるが、たいていは辛抱できる範囲でじわじわと症状が顕著となる。これを今の世は「生活習慣病」というが、これはカッコのいい呼称で、はっきり言えば、自分のからだを自分で壊す「反知性生活」からくる自己破綻である。つまりは、文明を過信して、生身の人間の生きざまを自分でぶち壊している生き方の報いである。
 病気は自覚する、しない、医師の診断による、よらないに限らず、自分の肉体を傷つける生活を続けていれば、いつかは破綻する。強い者は破綻が遅れて出てくるし、弱いものは早く訪れる。
 人間は大事に使えば、八十歳、九十歳まで生きられるように神さまがつくって下されており、今日のように、世の中が豊かになり、衛生や医学が進めば本来なれば、病人は減り、クスリも必要なくなるはずだが、そうならないところが、現代人の罪なところである。自業自得といえば、その通りで、生活を通じて、日日、年々、親から頂いた健康な体を傷つけ続けて、クスリ漬けの病人だらけの機構に組み込まれてゆくのである。
 きょうは、健康回復のための一つの条件を参考にお届けする。それはストレス解消である。
 今の日本人は、忙しい、忙しいと、時計に振り回されている。時計に振り回されること自体がストレスの種を呑み込んでいるようなものである。
 なぜ、時計を気にするほど忙しいのか。実は決して忙しいことはないのだが、パソコンやゲーム、ケータイ、スマートフォン、テレビに漬かっているから、肝心の自分の仕事や家事、学習、趣味がおろそかになり、それが逆効果していらいらが先立つのである。
 いらいらは不定愁訴の入口であり、これの連続、365日が、頑健であるべき体を内部から壊すのである。どうしたら防げるか。それを考えよう。【押谷盛利】

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2014年02月01日

天皇暗殺計画と三菱爆破

 日本のマスメディアの多くは、スパイ防止法可決の前後、狂ったように反対キャンペーンを続け、言論の自由がなくなる、ある日突然逮捕される、とか、いつもの手口で安倍政権を悪しざまに報道している。
 彼らマスメディアは日本の、自由で、おおらかで、人権を尊重する国のありがたさを知って知らぬふりをしているのか、いまの報道状況はNHKを含めて日本を内部から潰そうとする左翼集団のかたまりかと心配される。
 お隣の中国では、政府批判や指導者の悪事を暴露しただけでも逮捕されるし、自由な言論、自由な裁判を訴える学者も同様である。宗教的弾圧も人民から焼身自殺の抗議の出るほどである。北朝鮮に至っては政権ナンバー2の要人が突然逮捕されるや日をおかず銃殺されており、身内であろうと、だれであろうと、この人物に関わりあるものはみな殺しにされている暗闇社会である。
 韓国にも自由や人権が危機的状況にある。親日家で韓国の狂信的な反日ぶりに警告を発している韓国出身の大学教授が、身内の結婚式にソウルまで出かけたが、ビザを取り消され、空港から入国を禁止された。法の正常さを欠く反日政権は北にはやさしく、この国がいつのまにか北の共産政権に飲み込まれのではないか、と心配する声が高まっているほどである。
 それやこれやを思いつつ、僕は読者に、国民に、日本と言う国は何とありがたい自由な国であることか、この国に生まれ、生きていることに、どれだけ感謝してもしきれないのではないか、とある大事件を例に挙げて訴えたい。
 1974年(昭和49)8月14日、最左翼の「東アジア反日武装戦線」が略称「狼」の名で、東京と埼玉をまたぐ東北線の荒川鉄橋上で、天皇陛下の特別列車を爆破し、車中の天皇を殺害する計画を実行に移した。
 この日、天皇陛下は政府主催の戦没者慰霊式(狼は敗戦記念集会と呼ぶ)への出席のため、静養先の那須から帰京される予定だった。しかし、狼は決行前夜に第3者に見られたとして、土壇場で取り止めた。
 その翌日、韓国の光復節記念会場で、朴正煕大統領が狙撃され、大統領は無事だったが、陸英修夫人が死亡した。狙撃犯は在日朝鮮人の文世光だった。日本の天皇暗殺を計った「狼」は直ちに文世光に連帯すべく、反日闘争として、同年8月30日、三菱重工本社玄関前で爆破事件を起し、8名の死者と百数十名の負傷者を出した。
 狼のリーダーは大道寺将司。75年に逮捕され、87年3月死刑が確定した。裁判中、日本赤軍が起したクアラルンプール事件ならびにダッカ日航機ハイジャック事件によって「狼」のメンバーだった佐々木規夫や将司の妻・あや子ほか、極左メンバーが超法規的措置で出国した。
 大道寺は死刑判決後、現在(2014)に至るまで東京拘置所に収監されているが、すでに40年の歳月が経過している。なぜ、死刑執行が伸びているのか。さきに超法規的措置で出獄し、海外において日本赤軍に合流した仲間の消息が不明であり、彼らの裁判が終了していないためとされるが、実に寛大な処置である。
 その大道寺は獄中で本を出版したり、俳句集を出しているが、その全句集「棺一基」が2012年に太田出版から出され、版を重ねている。
 ぼくの言いたいのは、こういう極端な反日主義者も日本には存在し、何らの迫害もなく自由に暮らせ、日本のマスメディアの反日偏向報道も自由であるということ。
 大道寺の俳句については後日、論評する。【押谷盛利】

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