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2013年12月26日

外国からのニュースと日本

 新聞やテレビを見ぬ日は一日とてないが、外国ニュースと日本の国内ニュースを比べると、日本に生まれ、日本に生きていることの幸せをつくづく思う。
 日本のテレビを見ると、たわいもないアホ番組やお笑いもの、歌番組が主流だが、コマーシャルは、食べもの、くすり、遊びが手を換え品を換えて登場する。
 とにかく、おいしいものをじゃんじゃん食べなさい、体がおかしくなったらクスリを飲みなさい、ヒマがあったら遊びなさい、旅行しなさいという宣伝である。
 どこへ行っても食べものに不自由しないし、病気になっても、ならなくとも兎にかく、クスリに漬かるよう習慣づけられている。生活全般に新製品の開発。買いなされ、使いなされの一大消費時代に突入した。国民は王侯貴族なみの贅沢をほしいままにしている。
 そんな結構なこの国。政治は安倍内閣の政策が効果を見せて、円安、株高を招来し、自民・公明の与党の安定ぶりに比べ、野党は、いらいらして、国民の信をつなごうとしているが、それぞれの思惑が互いの足の引っ張り合いとなり、現状が続く限り、自民独走の天下泰平が続く。
 眼を国際ニュースに転ずれば、恐ろしいこと、悲しいこと、物騒なことの連続である。
 お隣りの北朝鮮は、ナンバー2の大物が瞬時にして消されるや、次は韓国をねらって実力による政治介入が懸念される。日本叩きしか能のない韓国大統領は鉄道労組のストライキで人気を落としている矢先き、スーダンでの国連平和活動で、韓国軍が日本から銃弾を無料で提供されたと判り、人気はさらに急降下した。中国は辺境地域の政治不信による暴動暴発は続き、宗教弾圧による焼身自殺など年中行事のような不安定さだが、共産党は取材や報道を禁じているから内部のことは闇である。空気汚染は、子供のぜんそくなど最悪の被害を与えるが、政府は知らぬ顔で、ひたすら軍備拡張と、東支那海、南支那海をわがものとする軍国主義を進め、アメリカや日本とのトラブルを避けようともしない。内部では党官僚の汚職が続き、権力争いが深化している。
 アジアでは、タイの首都・バンコクが連日、何万人ものデモで荒れている。来年2月の総選挙をボイコットする反政府デモが国内の治安を悪化させ、その影響は計り知れない。アフリカでは、南スーダンの民族紛争が収拾のつかぬ状況。15日夜の武力衝突では500人が死亡した。日本の陸上自衛隊もPKO(国連平和維持活動)で派遣されているが、国連施設には住民4万人が避難した。治安の悪さから、国連軍の引き揚げが話題になるほどである。
 中東のシリア、中央アフリカ、ソマリア内戦、エジプトの軍事クーデター後の混乱、イエメンを拠点とする国際テロ組織アルカイダの活動、その他トルコ、ギリシアの財政破綻問題、イランの核開発防止など国際紛争のタネは尽きない。それぞれの国の悲劇的様相は悲しみ以外の何ものでもないが、それやこれやと思うとき、日本の平和のありがたさを感謝せねばバチが当たる。
 日本のマスコミの多くは、安倍叩きに終始し、今回の秘密保護法にしつこく反対しているが、スパイ防止は米英独伊、どこでも日本以上に厳しく制定されており、中国やロシアでは、法以前に監視、逮捕、処刑が行われており、いずれの国も、自国の防衛、外交上の秘密を守ることに力を入れている。
 国家の危機に関する情報が他国へもれて、そのために国が失う被害は、国の独立、国民の生命に関わることでもある。国民は、自らの賢明な判断でマスコミに迷わされてはならぬ。【押谷盛利】

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2013年12月24日

天皇陛下と各紙の違い

 天皇陛下は23日、80歳の誕生日をお迎えになり、傘寿となられた。陛下は昨年2月、心臓の冠動脈バイパスの手術を受けられたが、順調に回復されており、来年は皇后さまが80歳に、そして結婚55年というめでたい年を迎えられる。
 国民統合の象徴であり、国民のあこがれでもある天皇がお元気で皇后さまともに国事行為にご活躍頂いていることは国民としてとても嬉しいことであり、おめでたいことである。
 宮内庁の記録によると歴代天皇の長寿一位は124代の昭和天皇で87歳、二位は108代の後水尾天皇84歳、三位は57代の陽成天皇80歳、同じく三位が125代天皇陛下で80歳、五位が112代霊元天皇78歳。
 天皇陛下は、23日、皇居で記者会見をされたが、ご様子は各新聞が詳報している。
 これによると、陛下がこれまで最も印象に残っているものに、「先の戦争」をあげられ、前途に様々な夢を持って生きてきた多くの人々が若くして命を失ったことへの痛ましい思いを述べられた。
 そして、戦後の復興について、「戦争で荒廃した国土を立て直すために人々が払った努力に深い感謝の気持ちを抱いている」、と語られた。
 また、皇后さまとの結婚について、「私が大切にしたいと思うものを共に大切に思ってくれる伴侶を得ました」、と振り返られ、「皇后が常に寄り添ってくれたことに安らぎを覚え、これまで天皇の役割を果たそうと努力できたことは幸せだった」と、深い愛情を皇后さまに示された。
 さらに、現在の日本の状況について、東日本大震災を例に、人と人との絆を大切にし、復興に向かって努力する人々が育っており、わが国の向上と発展に尽くしている人々に日々感謝の気持ちを持って過ごせることを幸せに思っています、と親しみを込めて国民に語られた。
 ぼくは天皇陛下や皇室の記事について、いつも思うことだが、新聞によって敬語を使う記事と使わない記事が目立つ。いやしくも日本の象徴であり、国民あこがれの天皇陛下の動静について、しもじもの国民同様の扱いは極めて非礼であり、国民に不快な思いをさせるのではないかと憂慮する。
 あらためて23日の各新聞をご覧なれば分かるが、読者の読んでおられる新聞が何新聞か知り得ないが、読者一人一人に訴えたい。いま、貴方の読んでいる新聞はどんな言葉づかいで天皇陛下の記者会見を報じているか、注意してもらいたい。
 ぼくの場合、A紙は「天皇は23日、記者会見した」。「『若くして命を失ったことを思うと痛ましい限りです』と述べた」。「振り返った」、「話した」といった具合で、敬語なし。
 これと対象的なS紙は「誕生日を迎えられた」。「戦後の復興に努力した人々に感謝の気持ちを示された」。「心情も吐露された」。「皇后さまへの謝意を示された」。一読して分かるように敬語で文章を閉じている。
 ぼくは日本語の誇らしいところは敬語にあり、これによって秩序が得られ、礼儀の徳が養われると思っている。天皇陛下や皇室への敬語を不必要とする思想は共産主義に通じるものであり、権威を認めず、子が親に対する孝の気持ちまでなくする遠謀を感じるのである。

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2013年12月21日

5千万円と3億円の違い

 「5千万吹き飛ぶ知事の師走かな」。
 「五輪の椅子飛んだ師走の特別ショー」。
 これは、ぼくの俳句である。文化人でもある猪瀬さんにはなむけとして贈る。
 「はなむけ」は、餞と書く。横文字流行の今、これはまた「骨とう屋」から持ち出したような珍しい言葉。若い人は知らないが、日本人の最も素敵な社会生活の慣習として、古ダンスから出してみた。
 「はなむけ」は、語源は「馬の鼻向け」。旅立ちや門出を祝って、別れていく人に金品や詩歌などを贈ることやその贈りものをいう。はなむけは消えかかっているが「餞別」はまだ残っている。
 孫が大学に合格して東京へ移住する。それを祝うのが「はなむけ」であり、必ずしもおかねに限らない。洋服を新調してやるのも「はなむけ」である。
 はなむけはともかく恥ずかしい話題を残して退陣した猪瀬氏の場合は、5000万円の大金、かつて田中金脈で、政権を追われた田中角栄氏は大々金3億円をロッキード社から受け取った。航空機メーカーのセールスに一役買ったのがばれたからだが、角栄氏は3億円、猪瀬氏は5千万円。この額の違いは、片や総理、片や都知事の器の重みによる。
 いずれにしても、政界は災害と同じく忘れたころに汚職や利権のスキャンダルが目立つ。
 かつては、日本の政界を大荒れしたリクルート事件があった。リクルート社から未公開株を安く買い入れて、多数のリベート状の利益を得た間接的な政治献金だった。
 先例が山ほどもある政治家のスキャンダルだが、後を絶たないのは、ミダほど光るゴールドの魔性かもしれない。
 それにしても平和で、自由で、民主主義のよいお国である。お隣りの北朝鮮では、親戚でナンバー2の大物が一瞬のうちに逮捕されるや、あっという間に死刑にされた。中国では権力闘争に敗れれば、あっという間に地方の長官や重要なポストを奪われ、大罪のレッテルを貼られて、政界から消えてゆく。ロシアでは、大統領を批判して影響力のあった記者が英国滞在中に消されていた。
 権力の力は絶大だが、その権力の政界で欲の取り合いが火を噴き、ナンバー1が陰で操作してナンバー2を抹殺する。そこには人権もなければ、人を裁く公正な手続きもない。
 日本やアメリカ、西ヨーロッパ諸国は、指導者も国民も法律の上で生活や財産、思想、表現の自由が保障されているが、共産主義や社会主義の国ではそうはゆかぬ。シリアやアフリカの一部の国のように信仰や政治思潮の違いから内乱の続くところもあり、寒空に飢えて死を待つ難民が何万、何十万人も伝えられるが、それやこれやを思うとき、日本に生まれ、生きている幸せを痛切に思う。
 いかに、いまの日本人が豊かで幸せか。その一端は、いま問題の「オレオレ詐欺」以来の手を換え、品を換えてのサギ事件である。医療費の戻しがある、もうかる株だから、権利を買うとよい、会社のカネを使い込んで首になるかもしれない、などと欲や情に訴えて、時には息子、ときには警察の顔をして、年寄りから大金を払わせたりするケースだが、なんと何10億円もの被害が全国で記録されている。やすやすと引っかかるのもひどい話だが、そのうまい手口に乗せられてカネを振り込んだり、渡す気前よさ。それも何十万円、何百万円だから、なんだかんだといいつつも日本人はお金持ちなのか、と目を白黒させるばかりである。
 おカネのことはあるにこしたことはないが、なくて困るのは命のことである。たった一つの尊い命。餃子の王将の社長の悲劇は裏に反社会的組織の存在が疑われているが、マスコミも「反社会的組織」なんて、わけの分からぬ表現をやめて、暴力団、その他、分かりやすい表現をして、国民の自らを守る意識を高めることが大切である。【押谷盛利】

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2013年12月19日

一年は短いか長いか

 年の瀬は狂ったように忙しくなる。いまに始まったことではなく、師走という言葉自体の音感が寒さを連れて走ってくるようである。
 人間は泣くにしろ、笑うにしろ、結局は時のまにまに流されてゆく。流されてゆくことに抵抗することなく忘年会で区切りをつけたがる。忘年会とは、うまく言ったもので、真の意味は嫌なことや悲しいことは忘れようというので、嬉しかったことや楽しかったことも忘れるというのではない。
 それにしても、1年365日、長いといえば長いが、人によってはあっと過ぎてゆく短さである。長いと感じるか、短いと感じるかは、人それぞれの日常の暮らし方による。目的をもって、何かに集中し、途中経過を点検しながら、さらなる発展へ惜しみなく精魂をこめる生き方であれば、一日はあっという間に消える。一カ月も一年も同様ペースで、ただただ時間の足らぬのを惜しむ。
 仕事のやりくりや事業の好転を計算しながら安定と発展をねらう業者にとっては、開発の研究もあれば先進国の視察、同業者との競争もあって、心は緊張のまま年末を迎える。
 小説家や音楽家は売れなくてはならぬが、世間は甘くないから目的と経済がうまくかみあうとは限らない。売れなくとも書き、あるいは歌いながら、貧しさに耐えて、明日へ希望を湧かせねばならぬ。
 生活につながらなくとも趣味の世界で自らを鞭打って日日にいそしんでいる人もあるだろう。良い作品を仕上げよう、納得のいく作品を結果として残そう、と人知れず苦労している人もあるにちがいない。
 いずれにしても、時間に追われながら、意識的に何かにぶつかっている人はうらやましい。それは生気に満ちた人間らしい充実した人生に挑戦しているからだ。「醉生夢死」という言葉がある。酒に酔っているのか、夢を見ているのか、つかみどころにない生活をしていれば一年は長いかもしれぬが、そういういい加減な人生は緊張感がなく病気にかかりやすい。自転車ではないが、ペダルを常時踏みこんでいれば倒れることはない。
 忙しくて、たまには体を解放してやりたいと思う人があるだろうが、ぜいたくな悩みである。多忙さから自らを解放したく思うほどの人は世間から信頼されているともいえるし、働け、働けと天が応援してくれているのかも。
 夜を日に継いでがんばっていれば、病んで寝ている暇もない。疲れつつ、日日を癒やしながら前方の明るい基地を目指す永遠の行進曲こそ天の与えたまうた人間愛かもしれない。
 泣いても人生、笑っても人生、くたばって自分を痛めても人生、どうせなら、あすはいい日になるだろう、あすは嬉しいことがあるかもしれない、少なくとも今日よりは上向くかも、と陽気に日を送りたい。
 それにしても思うことは子供も大人も体に自信のないものが多く、忙しいのは病院と薬局だけとは悲しいことである。なにがなんでも「クスリ」にしがみつくのでなく、なぜ、自分の体が具合が悪いのか自己反省して、自分の力を強くすることを考えたい。寒いといって、暖かい部屋に籠もってばかりいず、外へ出てウォーキングするなり、食事のとり方を工夫するなり、健康な人からの秘訣を聞いたり、タバコをやめるなり、とにかく元気元気の日暮らしを。【押谷盛利】

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2013年12月17日

文珍とヤンマーの名前

 生まれた子が新聞の戸籍欄で紹介されるが、このごろは男児か女児か分からない名や、どう読むのか、珍妙といった方がいいような名前もあり、この子たちが将来、大人になったとき困りはしないか、と案じるほどの名に出くわす。
 昔から「名は体を表す」といって、人や物の名は苦心してつけた。
 読売に有名人の生い立ちや生涯を連載する企画記事があり、最近際立って面白く読んだのに、落語家の文珍さんの名前の由来がある。大学のオチケン(落語研究会)時代から好きだったこの道、桂三枝さん(現文枝)の口利きで、その師匠・桂小文枝に弟子入りした。
 落語家には芸名が必要で、師匠は「小文枝の弟子やから、しんぶんしはどうや」。「軽いですね」。「そんなら『はん枝』は」。「半分死んでいるようで」。
 結局「はん枝(半紙)がダメなら文鎮か、鎮の字は重たいから、珍がええ。ぶんちんと。『ん』が二つもあるから運がつくでぇ」ということで「桂文珍」となった、と自己紹介している。
 今は故人だが、テレビにも出て有名な漫才家に「みやこ蝶々」と「南都雄二」の2人組がいた。雄二氏が蝶々に弟子入りしたとき、「なんという名にしようか」と迷ったとき、蝶々が手を叩いて、それそれ、「なんという字」でいこう。「南都雄二」はこうして生まれた。
 明治の小説家で、初めて言文一致の文章を書いたのが、二葉亭四迷(ふたばてい・しめい、1864〜1909年)。彼は東京の外国語学校で、ロシア語を学び、外交官を志したが、好きな文学に惹かれて、翻訳や小説に生活を忘れ、父親から激しい怒りを買い、「くたばってしまえ」といわれた。それをそのまま「ふたばってしまえー二葉亭四迷」のペンネームにした。「浮雲」は彼の代表作品。
 ヤンマーディーゼルの名は世界的に知られているが、初代・山岡孫吉が石油エンジンを初めて作ったのは大正10年(1921)ごろで、会社名は「山岡発電機工作所」。最初の商標は「トンボ印」だった。トンボがたくさん飛ぶ年は豊作だという村人の声で、新聞広告の「トンボ印」は大反響を呼んだ。しかし、静岡の醤油機械屋のかくはん機の商標がトンボ印だったところから商標侵害問題が起きた。
 当時のカネで450円で、商標の買い取り話をつけたとき、江波菊次郎という社員が、「買う必要なし、トンボより大きいヤンマにしたらどうか」と言い出した。これだと商標の侵害にもならぬし、ヤンマは山岡の山にも似ているし、少し言いやすく「ヤンマー」に、といういきさつで、この名が後には社名にまでなった。【押谷盛利】

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2013年12月12日

不器用の一心と宮大工

 器用貧乏という言葉がある。器用で要領よく、なにごともてきぱきと早く作ったり処理する人があり、そういう人を歓迎したり、育てたりするのをよしとする風潮がある。器用な人は、スタートは群を抜いて目立つが、ゴールでは影が薄くなるのではないか。これに反して、不器用でもまじめで、真実な人は歩みが遅くとも人の信頼によってゴールでは成功するのでは、と説く人がいる。
 現代の名工に選出されている宮大工の棟梁・小川三夫さんは、有名な法隆寺大工の棟梁だった西岡常一氏に弟子入りして、今はその後継者でもあり、日本の社寺建築の大御所として知られている。
 道友社の雑誌「すきっと」22号に、小川さんは宮大工建築の粋について語っているが、ものづくり日本の将来を考えることで、実に適切な助言である、と思い披露する。
 小川さんは、30歳で独立し、師の西岡氏とともに、法隆寺、薬師寺の古技法の伝承を目的に昭和52年「鵤工舎」を設立した。築1300年に耐える法隆寺建築の伝統技法を習得し、次世代へつなぐための画期的弟子育成塾。その方法は弟子と一緒に住み、一緒の飯を食い、一緒に働き、夜は研ぎものをする生活。
 小川さんは、西岡棟梁に弟子入りした当時(21)、師匠からこう言われた。
 「一年間はラジオもテレビもいらん。新聞を読まなくともいい。大工の本も何も読む必要はない。ただひたすら刃物を研げ」。
 棟梁から作業や道具の使い方を教えてもらったことはない。後にも先にも一回だけ「これと同じようなカンナ屑を削れるようにしろ」と、自分で削ったカンナ屑を1枚くれた。向こうが透けて見えるような均一で見事なカンナ屑だった。技術以前に、まず刃物を研げるように。それを窓に貼って毎晩刃物研ぎに精出した。弟子が実力をつけるためには、先走って教えないことが大事。教えるのは親切なようで結局身につかない。現在、作業所が栃木県と奈良県にあり、30人ほどの弟子がいるが、5、6年前は年に300人ほど入会希望者が来た。いまは少なくなって年に50人くらいだが、その中から毎年3〜4人採用している。新入りの弟子は、最初は何もできない。できるのは飯炊きと掃除くらい。それが仕事。飯を作らせると、その子の段取りや思いやりが分かる。掃除をさせると、その子の掃除に向かう姿勢、性格が分かる。職人というのは、動きながら次のことを考えて作業を進めるから、その訓練には掃除が一番。
 入会希望者の中には親が、「うちの子は手先が器用だから」と連れてくることがあるが、宮大工には器用はむしろ損。物覚えが早くて、なんでもほかの者より早い人はいるが、そういう人は何をさせても一通りはできるが、ずば抜けたものがない。万能なものは一心が固まらないせいか、傑出するには足りないものがある。そして器用に溺れやすい。ある段階までは速いスピードで行くから仕事を甘くみてしまう。
 器用な人は耐えることが不得意で、自分でできると思っているから器用にその方法を見つけ、ここでいいという線を読んでしまう。だから耐えて耐えてもっと深いところまでゆきにくい。大事なのは「不器用の一心」。
 西岡棟梁の言葉「不器用の一心に勝る名人はいない」。【押谷盛利】

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2013年12月10日

12月8日の戦争と天皇

 今から72年前の1941年(昭和16年)12月8日、日本は米、英、オランダなどとの太平洋戦争に突入した。
 バカげた話であるが、日本はそのころ、中国に侵攻し、にっちもさっちもゆかぬ泥沼状況下にあった。支那事変、日中戦争と呼ぶが、1937年(昭和12年)に上海上陸から始まった。
 日本の軍部はまるで狂ったように軍拡と戦争への道をひた走った。その間、近衛文麿のような米英親善派の政治家もいたが、困難な国政のなか、一歩譲り、二歩譲って結局戦争遂行の軍部に御されて退陣した。
 日本は中国との泥沼戦争から和平にどう舵を切るか政治の最大の眼目だったが、中国が降伏しないのは後ろから応援している米英がいるからだ、と支援ルートを断つべく仏領インドシナ(今のベトナム)に侵攻した。
 これによって、米、英、蘭から石油を断たれることになり、取り返しのきかぬ、ぬかるみ道、破滅への墓穴を掘り始めた。
 いま、各資料から、日本の歩んだ危険な道のりを総括するレポートや著書、新聞記事が数多く出版されているが、読めば読むほど軍部の独善と世間知らずにあいた口がふさがらない。
 軍部に引っぱられてゆく暗い政治であったが、その間、終始戦争を避けて、平和路線に徹するべき、と仰せられた昭和天皇のお姿だけが燦然と光っているのを忘れてはならぬ。
 戦争路線を、手を換え、品を換えて進めてきた軍部は天皇を迎えての御前会議を何回も開き、最終的に1941年(昭和16年)9月6日、戦争政策を決定する。その前日の5日、天皇に呼ばれた杉山元参謀総長(陸軍)は戦争の見通しを質問されて立ち往生した。みかねた海軍の永野修身軍会部総長は「手術(戦争)をすれば非常な危険があるが、助かる望みもないではない」と助け船を出した。永野自身は7月末の天皇への報告で「勝てるかどうか分からない」と無責任な発言をしていた。
 強引に戦争方針を決めた9月6日の御前会議だったが、昭和天皇は突然明治天皇の御製(お歌)を読みあげられた。
 「四方の海 みなはらからと思ふ世に など波風の立ちさわぐらむ」(この項、12月7日付読売・日米開戦の下、参照)
 真珠湾攻撃による太平洋戦争は、最初はハワイの米海軍に大きな打撃を与えたが、以後は米軍の海軍、空軍、それに情報力、物量、総合的軍事力の圧倒的強みに押されっぱなしだった。
 ミッドウェー海戦では立ち上がれないほどの敗北を喫し、山本連合艦隊司令長官の戦死がそれを象徴した。ガタルカナル、グアム、ラバウル、比島、硫黄島、マレーシア、ビルマ戦線などで食糧、兵器、弾薬もなく死の行進が続いた。引き際を知らない日本陸軍は沖縄を決戦地としたが、海軍最大の戦艦大和は敵前で沈没し、飛行機も軍艦も弾丸もない軍は、竹槍で日本を守れと婦女子を肉弾にした。
 戦争への道程で支那事変を長期化させ、日支和平の芽をつぶし、日本を対ソ戦略から対米英仏蘭の南進戦略に転換させ、大東亜戦争を引き起こさせた張本人はスターリンの国際共産主義であり、日本国内の共産主義スパイ尾崎秀実(元朝日記者)だった、とは、後の首相、岸信介の話(正論10月号、岡部伸著・日本を赤化寸前に追い込んだ敗戦革命工作、参照)。【押谷盛利】

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2013年12月07日

湖北の農業行政の怠慢

 長浜市は5日、今後10年間の農業施策ともいうべき「農業活性化」プランを初めて策定した、と発表したが、アホかいな、とそれこそ机上の空論として、そのバカさかげんを笑いたい。
 いま、日本の農業は大揺れしている。貿易の自由化による関税問題、いわゆるTPPの行方は、これまでの甘え構造の日本農業に生か死かの審判をおろしかねない。
 農地が余って耕作放棄地が異状に増えつつある現状を正視するならば、今後10年などという雲をつかむような話そのものが時代遅れである。
 日本の農政はともかく、滋賀の農政、湖北の農業に対する行政の指導力は蚊の涙ほどにも足りない貧しさである。大部分は国の方針を丸呑みしているだけで、新鮮味もなければ消費者を背景にした立地の条件整備すら事欠くありさまである。
 人材育成、持続的農業、農地の有効活用など絵に描いた餅なら幾つでもあげられるが、そんな暇つぶしの議論に職員の頭脳や調査費などの予算をつかうのは無駄もいいとこである。
 その上、発表したプランは1次(生産)、2次(加工)、3次(販売)に加えて、6次産業化とか、景観作物、獣害対策、新規農家の参入などを揚げているが、6次産業とは一体何を指すのか、こけおどしのような文言を挿入したり、景観作物など暇人のなぐさみのようなことを羅列しているが、要するに農業に力を入れている、という時間潰しのお遊びである。
 長浜市の例をとるなれば、ここ20年農業の活性化と発展に対する独自の施策で誇るべき何があるのか。
 湖北地方にも大型農業化が進み、個々の業者やグループは、独自の経営で新機軸を出したり、地元産のブランド化を図ったり、流通上にも見るべきものがあるが、それらは行政の指導に先行した農業者自らの努力と研鑽によるものである。農業の振興発展といっても生産規模、生産条件があり、湖北で牧畜や養豚、養鶏が困難なのもその一つであるが、農地の集約化を好まない3反百姓、自家米農家の存在とも関わっている。
 生きてゆく農業は時代を先取りしなければならぬが、この点に関しては、湖北の農業行政は無能に等しい。ここ20年、農業の課題は生産性とともに安全、安心の作物づくりといえる。農薬や除草剤を排する指導や援助などもしていないし、消費者に対する食生活の安全と健康についての有効な発信もできていない。むしろ、こうした民間ベースの動きを抑えたり、無視する傾向さえある。
 農業者にとっては、農協は大きな精神的、物質的よりどころであったが、いまでは厄介な重荷とされている。全国レベルでは、農協廃止論さえ出ているが、それは農協の官僚化や系統組織による頭張り(リベート稼ぎ)によるもので、農協自らの体質改善をおろそかにした自己矛盾であろう。
 かつて行政は「こしひかり」を奨めたり、ぶどうの産地化に成功した例があるが、無農薬農業や化学肥料抜きの有機農薬、あるいは直播き稲作などへどれだけの関心と指導、助成をしてきたか、全くゼロではないか。
 このごろの刈田を見ると、2番苗が成長して、穂を結んでいる。「ひつじ穂」ともいうが、あの「ひつじ穂」を利用する方法だってあるはず、やり方によれば反収3俵くらいは可能かもしれない。いわゆる地球温暖化に伴う二毛作だが、研究によっては、農業の所得上昇にもつながるが、同様の研究は大豆の量産化と、これを原料とする味噌の特産などを考えていいし、過疎化の湖北を安全農業のメッカ化とするのも課題であろう。
 10年などといっているうちに日が暮れる。【押谷盛利】

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2013年12月05日

NHKの偏向報道とスパイ

 12月2日の産経新聞に評論家の櫻井よし子氏がNHKの偏向報道を厳しく批判しているが同感である。
 氏は歴史問題に関する報道だけでなく、いま、問題の特定秘密保護法案に関してもNHKの報道は偏っている、と具体的に取り上げている。
 例えば「ニュースウォッチ9」の11月26日の報道ぶり。
 この日、特定秘密保護法案が衆議院を通過したが、番組の冒頭における論調は反対一色。国会前で、拡声器で反対派の人々の大音声、衆院の特別委員会で委員長案に詰めよる民主党議員の映像を見せつつ、安倍首相以下自民党の特命副幹事長らの意見に、「強行採決は委員会運営の失敗」、「数の横暴」などのコメントを対比させながら報じた。後半部分では、日本ペンクラブの浅田次郎会長、福島の公聴会に出た馬場浪江町長の批判を紹介し解説したが、その間約12分、NHKは法案の内容も必要論も賛成論も伝えず、結局反対論ばかりを放送した。
 なぜ、日本がいま特定秘密保護法案に取り組み、安全保障体制を整備する必要があるのか、日本を除く諸外国の機密保護の法律に比べて日本の法案はどこが問題か、何が不足か、こうした論点の説明はしない。NHKは中身の濃い議論をせよ、というが、中身のないのはNHKの方ではないか。
 反対一色とでも言うべきNHKの報道は反対論者、賛成論者双方にとっても正しい問題把握を妨げるもので、無意味かつ有害である、と決めつけている。
 櫻井氏は「増大する中国の軍事的脅威の前で、政府は国家安全保障会議をつくり、国家安全保障戦略と新たな防犯大綱を定めつつあり、国家として当然の責務だ。そうした制度を整備して日米同盟緊密化を確固たるものにするのが国益だとし、国の安全保障に関わる情報の適切な秘匿はそのために欠かせないし、まともな国は情報の収集秘匿、公開においてきちんと体制を整備している」、と論じているが、実に傾聴すべきで、同様な偏向報道は「朝日」についてもいえるのではないか。
 月刊誌「正論」10月号に、太平洋戦争末期に、ソ連とつながる日本のスパイによって、日本が共産主義革命の危機にさらされたことを報じている。
 筆者は産経編集委員・岡部伸氏であるが、驚くべきことに、対日戦争を準備中のソ連に対して、戦争終結の仲介を依頼している日本政府のまぬけぶりが生き写しである。
 詳しくは他日に譲るが、太平洋戦争開戦前の1941年(昭16)10月、ソ連のスパイとして、ゾルゲと尾崎秀実(元朝日記者)が逮捕された。彼らの目標は「コミンテルン(国際共産党)の最終目標である全世界での共産主義革命の遂行」といい、「最も重要な支柱であるソ連を日本帝国主義から守ることだ」と述べている。
 今も日本には、日本を売るスパイがうようよしているのではないか。【押谷盛利】

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2013年12月03日

長寿社会の厳しい現実

 2日付、滋賀夕刊のお悔やみ欄に、長浜、米原市で7人の死亡が伝えられている。7人のうち、一人は75歳、いま一人は81歳。この2人を除けば、なんとあとの5人は89歳以上で、最高が96歳。長寿社会の一端がそこに顔をのぞかせている。
 毎年のことながら、11月下旬から12月初旬にかけては「喪中につき年末年始のご挨拶をご遠慮申し上げる」むねの葉書を受ける。 
 ぼくの戴いた喪中遠慮の葉書は全部が80歳以上の喪中だった。80歳以上といっても前半は少なく、ほとんどが90歳以上だった。
 歌友の中西時夫氏89歳、豊国商事の前社長・大西一男氏89歳。光風会所属の画家で親しくさせて頂いた田中浩二氏は90歳。歌誌「八雁」の歌友・萩原克則氏の母堂は91歳。好日社の歌友・岡田喜美子氏の母堂は98歳。同じく好日の元編集委員・古橋照子氏も89歳。古里の高山の先輩・草野武助氏(故人)夫人は98歳。市内八条町の持専寺住職・笠原俊海氏の母堂は99歳。
 高石市在住の歌友・角谷喜代子氏の父は100歳、母は98歳で、1月と2月に2人続けて亡くなっている。
 親戚の元朝日記者の蔵内八郎氏の80歳、知人の横田緑氏(小野寺)の母堂84歳が若い方である。
 なんという長寿社会かと目を白黒させていたら、県議会のOB会から一年の報告書が届いた。
 これによると今年の退会者は6名、会員数59名とある。退会は全部死亡によるもので、一番の若死が旧浅井町の元町長・角川誠氏(長浜)の77歳。その上が81歳の石田幸雄氏(高島)。あとは84歳の種村直道氏(甲賀、元・県自動車協会長)。他は90歳以上で、彦根の宮下勉氏は90歳、大津の山田耕三郎氏(元市長、参院議員)95歳、近江八幡市の岡本秀康氏(元宮司)は98歳。
 長寿はめでたいとされているが、健康である限りという条件がつきまとう。認知症になるのも不幸だが、寝たきりの生活もみじめである。病苦の自分も哀れであるが、看病する家族も大変である。最近は看病が家庭崩壊をもたらすというので、各種の福祉施設が脚光を浴びている。
 ぼくの知っている某社社長の母堂は数年の自宅介護を経て目下、介護専門の老人ホームに入所しているが、95歳という年齢からくる肉体の赤ちゃん化は家族介護の限界を超える。
 願わくば畳の上で死にたい、我が家で家族に手をとられつつ往生したい、とだれもが願うが、そうならないのが現状の厳しさである。
 かくなるうえは、長寿者にひらき直って健康第一の生活を期するよりほかはない。あらゆるすべてに最優先して健康第一の生活を実践する。あれもいい、これもいいと、長寿への健康情報は新聞にテレビにわんさと毎日もたらされる。問題はそれを実践するかしないかである。実践して賢く生きよ。自分も幸せ。人にも幸せを念じつつ。【押谷盛利】

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