滋賀夕刊新聞社は滋賀県長浜を中心に政治、経済、文化の情報をお届けする新聞です。



2013年10月31日

猛暑の夏と厳冬、昔と今

 けものや鳥たちに比べると人間は文化人面しているけれど自然には弱い。炎暑が続くと大騒ぎし、それがしずまって気温が下がると、今度は冷えるだの、寒いだのと暖房生活に切り換える。
 秋の季語に「小鳥来る」とあるが、小鳥に限らず、鴨や鶴も寒くなると日本へ渡ってくる。逆につばめは南へ帰って行く。カラスや雀のように寒暖に関係なく日本に棲息するものもいる。熊や猪や鹿、キツネ、タヌキはどうか、冬用の毛皮を新調することもなく、暖房具を持つわけではないが、先祖伝来の知恵と生活習慣で冬を迎える。
 われわれ人間の先祖も似たようなもので、冬は木の葉や枯れた草をふとん代わりにして、寒ければ木を燃やしたりして暖をとった。木炭などはずっと後の発明であった。
 昔と今を比べたとて、いまさら燃料を節約せよだの、電気を使うな、などはナンセンスであり、今は文明の最先端で、人智が自然の厳しさに対応してゆく。対応しきれない場合は、地震や台風で経験するように、山河が流出したり、人家が壊れ、死傷者が出る。
 どこまで人間の知恵と技術が進むかは未知数だが、巨大な台風の目を砕いたり、方向を変えることなどは考えられない。
 小泉元首相が、自民党の方針を逆手にとって原発ノーのキャンペーンで時の人となっているが、原発のゴミ(燃えかす)の処理ができないまま、発電を続けるのは人類と地球への背徳だと考えるのは、さもありなん、とだれもが考えるが、そうかといって、原発に代わる電力開発をしない限り、電力なしの産業も生活もあり得ない。
 明治以来、すでに1世紀半を経過したが、この150年間のわれわれの先祖の生活を振り返るのもたまにはよい。
 暑いときは団扇が生命であり、家の中は戸をすべて開けて風通しをよくした。夏は畳を取り払って板の間とした。
 氷をつくる技術はなく、氷屋もなかった。山家では冬の雪をとじこめて春、夏に備えたが、途中で消えることが多かった。扇風機は大正の終わりから。
 冬の暖房は、榾を焚くのは上等で、多くは炭を利用したが、炭が買えぬものは、柴を焚いた後の消し炭を利用した。暖房のストーブは昭和に入ってからで、それも都会人が先行し、地方では戦後の30年ごろまではストーブなしだった。寝室では「せんべいふとん」で、着ているものは木綿のでんち、ちゃんちゃんこ。電気代がもったいないから、昭和の初めは1戸に1灯だった。子どもが電気の下で勉強していると、電気代がかさむから早く寝ろと、どやされた。
 寒い居間に火鉢が一個、でんと坐っていた。寝床ではコタツを入れていたが、戸の隙間から雪が入り込むこともあった。それでも家族だれも風邪を引くことはなかった。振り返れば、涙の出るほど、今は有り難い生活である。親父、おふくろ、すまんなと言いながら、ぜいたくしている昨今である。【押谷盛利】

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2013年10月29日

もの言えばくちびる寒し

 「もの言えば唇寒し秋の風」という。戦争中の日本では、うっかり「戦争は負ける」とか、政府や軍部批判などをやれば特高警察が来て逮捕した。皇室の悪口などが聞こえてくれば不敬罪でブタ箱ゆきであった。
 そういう時代には言論の自由はなかった。だから、学校でも職場でもうっかりものが言えない。そういう社会を諷刺して、「もの言えば唇寒し秋の風」の言葉ができた、と一般に思われているが、事実はそうではなく、これは、まぎれもなく、俳句の神様、松尾芭蕉の句である。芭蕉はこの句とともに座右の銘として次の教訓を残している。
 「人の短を言うことなかれ、己が長をとくことなかれ」。つまり自慢したり、人をそしったりしたあとの、なんとなくむなしい気持ちを「くちびる寒し秋の風」と詠んだ。
 いまの日本は完全な自由・民主主義の国だから、言論ばかりか、何もかも自由で有りがたい。そのありがたさを忘れて常軌を逸するバカがあるくらいである。その点、気の毒なのは中国や北朝鮮のように自由の無い共産独裁国の人民である。
 中国では、最近、民間新聞が党と企業の癒着を報じたところ、記者が逮捕された。新聞社は連日、記者を釈放せよ、と大々的に報じたが、最後に新聞社は詫びを入れて一件落着した。記者が企業と地方の党を陥れるため、金をもらってウソの記事を書いたというので逆にその新聞社が槍玉に上がった。
 どこからもらったのか、すべては闇の中だが、中国ではこれまでも政権批判や党の腐敗を暴露した地方紙があったが、結局、最後は弾圧されて、新聞社が逆に政府をほめる記事を書いたり、編集長がクビになったりするケースが多い。
 中国のマスコミが正しい報道をしていることを世界は信じていない。この国の海外向けニュースは、ほとんど新華社通信といって政府直営の報道機関で、いわば新聞、テレビの総本山である。
 去る10月20日の「産経」に北京発・共同による中国記者の洗脳ぶりが紹介された。
 中国共産党が全国の新聞やテレビの記者25万人を対象に大規模な研修をやった、という内容で、尖閣諸島や歴史認識をからめて日本政府を批判し、領土をめぐる問題で、譲歩する主張などを伝えないよう指示していることを明らかにした。
 この研修は政府が来年1月に予定している統一の記者免許更新試験に向けて実施した。研修の講師団は日本批判のほか、米国にもほこ先を向け、南シナ海で領有権を争うフィリピンやベトナムも批判した。
 次は10月21日付の読売「編集手帳」の記事だが、中国では、インターネット監視要員が約200万人いるという。法の範囲内で人権改善を目指す活動家が次々に摘発されており、格差や腐敗に憤る人々の集団抗議行動が年間10万件を上回り、草木の芽を摘むかのように自由や人権にからむ言動を抑圧している、と記している。
 日本の新聞、テレビはあちらの統制された情報を無批判に国民に知らせるが、有害な毒素をばらまく危険があり、国民はゆめゆめこのことを忘れてはならぬ。【押谷盛利】

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2013年10月24日

怒りで涙の流れるおもい

 正直、律儀、親切というのは日本人の世界に誇る道徳だが、このごろは、それがあやしくなってきた。
 おカネが最高で、それを手にするためには人をだまし、法を曲げ、暴力団と結んだり…。不愉快な事件が多すぎる。
 日本有数の大手金融機関・みずほ銀行が暴力団と分かっていながら数年も前から融資していた。前の頭取時代からの話で取締役会でも議論されていたらしいが、うやむやのうちに今日に至っているのは、黒と知りながら離れられぬ因縁があったとしか考えられない。真相究明が待たれるところである。
 お堅いことで有名なはずの公務員の職務規律違反や不正使い込みも目に余る。
 もう何年も前の話だが、防衛関係の予算で、兵器納入の業者にインチキ請求書を出させて、過分の支払いをしていたことがばれたことがある。
 財務省出身のOBが財務省の税金官僚とつるんで、内部情報を出させ、企業の税金ごまかしに一役買っていたことは、ごく最近のニュースである。
 なかのことは、なかのものがよく知っている。そのなかのものの先輩(OB)が後輩とつるんで税金操作でOBの顔を立てていたというのでは、昔風にいえば、獅子身中の虫であり、例えは悪いが「いかさま博打(ばくち)」のたぐいである。企業の税金を有利にし、インチキによる礼金や見返りを分け合って共存共栄を計るなんていう構図は考えてみれば、さもありなんということ。
 長く税務署の職員をしていると、退職お礼の古いお上意識の伝統で、税務署客分扱いの「税理士」の資格が与えられる。この肩書きを利用して民間で開業するのだが、そこはそれ、昔の先輩、後輩、いわば同業者意識で、血は水より濃いのア・ウンの呼吸が奏功する。
 こんな特権をいつから制度化したのか、明治この方、官僚の総本山は大蔵省(今は財務省)だから、大蔵さまさまで、特権が付与された。政治家が叫ぶ国家公務員制度の改革なども、このような特権への見直しが含まれるが、恐れ多くて歯が立たないのが真相である。
 けしからんのは食品行政であろう。
 ぼくは早くから、食品汚染の恐ろしさを強調している。変な化学物質によるインチキ食品で国民の生命や健康が傷つけられる心配である。
 産地のごまかしなどゆるされるべきでないが、日本の食料輸入は、中国の毒ギョウザ事件を筆頭に心配のタネは尽きない。中国産のウナギが静岡で焼いたというので、静岡産になったケースは、茶、貝、エビなど、どこまでがウソか、ホントか、国民には皆目分からない。
 ドロドロの川や、一寸先が闇といわれるPM2・5の汚染空気にさらされた食品が日本人のおなかに入るのかと思えば生きる心地もしないが、現状はまさにフリーマーケット並みである。
 ひどい話があるもので、日本有数の阪急阪神ホテル経営のレストランで、メニューと違ういかさま食材が本物のメニュー通りの顔をして長年まかり通っていたという話。
 このようなうさんくさい話は、阪急阪神のみの疑惑ではなかろう。菓子用の等外の米を「こしひかり」のような上質米として納入した業者もあった。養殖のものを天然もの、冷凍食品を新鮮食品とし、それを承知でほんものの顔と値段で商いしている飲食業者も多いはず。ほかのことなら少々の不満でも値が安かったら目をつむることもあるだろうが、こと、食品については、生命や健康に関わるだけに怒りが爆発する。監督・指導の役所は厚労省や経産省だが、業界に甘いというのか、国民はカネのなる木として利用される。ぼくは書き乍ら涙の流れる思いである。【押谷盛利】

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2013年10月22日

スパイ防止法と左翼新聞

 秘密保護法案が新聞を賑わせている。中国や韓国・北朝鮮に甘い左翼系マスコミはここぞとばかり、知る権利を守れと反対キャンペーンに熱心だが、この法案、秘密保護なんていう名前がよくない。政府も党も国民に分かりやすく「スパイ防止法」とすればいい。
 自由国だって共産国家だって、世界のどの国も国家機密というものがあり、スパイによって国の利益が損なわれないよう法制化されている。
 報道の自由や取材の自由は、民主主義国家の根幹をなすもので、そういう知る権利を国民から奪うのではなく、日本の外交や防衛上、あるいは産業上、外国に洩れては困る情報がスパイによって流出するのを防ぐことがこの法律の目的で、むしろ今まで無防備できたのが間違っている。
 日本叩きの一部メディアは、なぜか、中国や朝鮮に頭が上がらず、すべてあちらの立場を主体に報じる傾向があるが、スパイ防止法ができて一番困るのは、中国や朝鮮半島であろう。
 なぜなれば、スパイ防止法がないため、日本の軍備や外交、政治の核心、産業、経済の企画などはすべてフリーで、これらの国へ伝わってゆく。日本には工作員やスパイも派遣しているだろうし、これに呼応する日本人のスパイ活動もおおっぴらである。
 いわば鍵をかけずに国際社会で安眠しようとするのだから、どだい矛盾した話である。
 ついでながらいうが、日本のメディアは言論の自由をいうが、日本は米、英、フランスなどとともに言論の自由では世界最高の水準である。
 日本の新聞社(通信社を含む)は中国に支局を持ち、先方の情報を日本へ送るが、自由に取材し、自由に報道をしているのだろうか。
 例えば、中国の農村では村の役人や党の幹部の大きな不正があったとして何万人もの人がデモしたり、役所を取り囲んでも、たいていは記事にしない。後日、その被害の一部や逮捕された人数を伝えるが、それは現地での生の取材ではなく、共産党の機関紙によるオウム返しが多い。
 中国の奥地で、漢民族以外の住民が政府を批判したり、政府の圧政に抗議して焼身自殺しても、その現況を正しく報ずることもなく、先方の共産党や政府の発表をそのままうのみにし、日本へ送る。その記事はほとんどが、人民が悪いとされ、人民が拘束されたと書き、デモなどの人権や理由などは書かない。そういうことが分かっていても、日本のマスメディアは、いかにも中国が言論の自由国家であり、自分たちが何の制限もなく取材しているらしく、日本の読者をごまかす。
 これは他日に譲るが、日本の記者は定年退職するまで、その社で身分が保証されるが、中国では日本の車の免許証のように記者の免許証があり、その更新で思想点検し、中国政府を批判する記事を書いた記者は免許証を取り上げられるのだ。仮にも日本に理解をよせる記事を書けば、免許取り上げ、即刻クビとなる運命だから、中国発の通信や北京発の記事なんかにどれほどの真実味があるのか、都合のいいことだけを報じて、都合の悪い恥部は隠し続けるのである。【押谷盛利】

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2013年10月19日

日本を売る大新聞のバカ

 日本人でありながら、日本をこきおろすバカがいる。日本のいいところを見ずに、日本を悪しざまにいう人の心が知りたい。
 内乱が起きて国が割れたり、他民族の侵略で国民が奴隷化したこともない。
 神話時代このかた、天皇を中心に国は繁栄し続けた。貴族政治や武家政治の時代もあったが、すべては天皇に帰一した。
 こんな素敵な歴史と伝統の国に生まれて何を不満とするのか、何をのろうとするのか。日本が、いやでいやで腹が立つなら、さっさと日本から出ていって中国へでもアメリカへでも国替えしたらよかろうに。
 むしろ外国人の方が、日本はすばらしい国だと帰化しているではないか。日本を敵視する中国からも韓国からも学者や評論家など有名な人が日本に帰化して活躍しているのは衆知の事実だ。
 日本人でありながら、日本の企業人でありながら、ことごとく日本を悪しざまにいうのは左翼の政治家や評論家ばかりではない。
 一番ひどいのは国民に情報を伝える言論機関。すなわち、新聞、テレビなどのマスメディアである。新聞は産経と読売を除くほとんどの大新聞はまるで口を合わせたように、ことあるごとに日本叩きをやる。日本嫌いの中国や韓国が日本叩きをやるのは先方の勝手だが、これに調子を合わせるがごとく、日本のマスコミが日本叩きをするのだから、これは日本の政治や国民の心に大きな弊害をもたらす。
 とくにひどいのは朝日であるが、この新聞は日本を代表する超一流の新聞であり、国際的にも認められているはずだが、その内容を丁寧に深く、長く眺めていると、これは日本を内部から潰す意図で編集しているのかと疑わしくなる。
 例えば、朝日は天皇や皇室に関する記事は余程のことでないと取り上げない。仮に取り上げても、敬語を一切使わない。天皇は日本の元首であり、憲法には国民の憧れ、国民統合の象徴と規定している。
 日本人は道徳心や礼儀の心が厚いと外国人も褒めるが、その根本は父祖を敬い先輩、仲間、後輩と協力しあい、よりよき家族、社会をつくることにある。父祖の大元は天皇であり、天皇中心の民主主義国家体制が日本人の誇りである。したがって、日本人はみんな天皇を尊敬し、天皇とともに喜びも悲しみも同じくする。
 当然ながら、天皇や皇室に関する記事は敬語を用いるべきであるが、朝日は断固として敬語を使わない。「天皇が出発した」、「語った」、「帰った」といった調子である。こんな記事にならされると、日本人は伝統美である敬語の使い方を忘れてしまうかもしれない。
 「今日は先生がお休みである」、「校長先生が東京へ出張された」などと生徒がいうのは目上の人へ敬意をこめているからだ。他社へ電話して「社長さんいらっしゃいますか」と尋ねるのも敬語であり、「はい、おります」と答えるのは身内だから敬語を使わないのだ。こんな日本人の床しい言葉づかいを大新聞が潰してしまうのは、何の目的からか。上下関係を差別としてなくする考え方か。こういう考え方は共産主義や共産国家共通の思想で、恐るべき革命思想が根底にある。
 国が亡んでもいい、天皇や皇室がなくなってもいい。その時こそ人民主権の社会主義国家元年の時だと、うそぶく心がみえみえである。だから、朝日や他の左翼がらみの新聞は北朝鮮や中国、韓国の悪口は言わないし、これらの国が悪宣伝する日本叩きには、「よっしゃ、それそれ」と手を叩いて、悪口の中継ぎ役をやらかすのだ。
 靖国神社参詣だってそうだ。首相や大臣が何もいっていない先に、「靖国詣りはやめた方がいいのでは」、「中国や韓国がカッカするにちがいない」。両国がカッカする前から日本のマスコミが首相の参詣をやめるよう、キャンペーンを繰り返す。日本の新聞なのか、北や中国、韓国の新聞なのか、読者こそいい迷惑である。
 中国や韓国は、首相がお参りせずに、榊をお供えしただけでもカッカしているではないか。何をしても、箸の上げ下げでも安倍さんのすることにケチをつけるのが韓国、中国であり、それを批判せずに、先方の代弁者となって安倍叩きする日本の多くのマスコミの罪は大きい。「君たちは日本人か」。【押谷盛利】

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2013年10月17日

週刊朝日のセクハラ事件

 「週刊朝日」と「朝日新聞」が、国民の疑惑と批判の対象になっている。
 ことあるごとに「知る権利」を主張する朝日が、自社のお家騒動で大問題になっている事件を隠し続け、その一部が週刊誌に明るみにされて、国民の怒りが爆発しそうである。
 10月9日の毎日新聞と産経新聞に、「朝日新聞出版は8日、同社が発行する週刊朝日の小境郁也編集長(53)に重大な就業規則違反があったとして編集長を解任したと発表した。朝日新聞社は同日、懲戒解雇処分とした」、との記事が出た。
 これだけなら、社内のなにか内部事情だろう、と見過ごしがちだが、朝日新聞出版は、上司の監督責任を問い、9日付けで青木康晋社長を役員報酬減額、尾木和晴雑誌本部長を減給処分し、後任編集長に朝日東京本社・長友佐波子写真担当部長を当てた。どう考えてもお家騒動だが、国民には何があったのか、さっぱり分からぬから、これは事件の内容を表に出したくない重大な何かが隠されているに違いない、と不信感を持つのは当然である。
 世間には「手前みそ」という品のよくない意味の言葉がある。自分で作った味噌を自慢することだが、何事も自分に都合のいいように解釈し、自分本位の考え方を手前みそという。
 世間ではもう一つ、いやしみをこめて「ほおかむり」という言葉を使う。寒い風や不潔な風に頬を守るため手ぬぐいを頭にかぶることだが、これもいやなことや不利なことを隠したりする意味で使われる。
 今回の朝日の内部のごてごてで、朝日の「手前みそ」と「ほおかむり」をかんじるのだが、たまたま、16日付けの産経に評論家で高名な曽野綾子さんが週刊朝日の編集長の更迭に関して、「新聞は処分を伏せるな」と明快な一文を寄せている。曽野さんは9日付けの毎日を読んで、朝日の人事関係の不祥事を知ったが、多分これは社にとってはなかなかの大事件なのだろうけれど、この編集長が一体どういうことをしたのか、全く分からない。強盗か、痴情殺人か、詐欺行為か、酔っぱらい運転か、皆目見当がつかない。肝心の規則違反の内容については書かれていないのだから、これは非常におかしい、と訴えている。
 曽野さんの疑問は、ぼくも同感だし、国民もみんなそう思っているにちがいないが、その疑問の一部が解けたのは、週刊誌による報道で、事件の内容はセクハラとパワハラらしい、と曽野さんは語り、なぜ隠すのか、こうした体質が新聞人の勇気のないところ、彼らがもっとも嫌う隠蔽体質だと追及している。
 手記のなかで、曽野さんは、大手新聞を痛烈に批判している。「戦後30、40年間の長い年月、産経を除く主要な新聞社のほとんどは、親中国・親北朝鮮であった。この2国は理想の国で、その批判は全く許されなかった。私が署名記事で書いてもボツにされた、と。
 曽野さんは、週刊誌の名や事件の内容を詳しく書いていないが、取り上げたのは「週刊文春」(9日発売・17日号)である。そのなかに、小境編集長が行った社会人としてのあるまじき行為について触れているが、問題の核心的部分は人事とセクハラ、パワハラである。
 「週刊朝日」の発行する朝日新聞出版の採用試験の面接に来た女性が選考からもれたが、面接官だった小境氏が後でその女性に接触し自分と交際すれば採用することを持ちかけ、非正規雇用で採用した、というもの。これと似たのが今年発覚した、共同通信の人事部長が採用試験に来た女子大生をホテルに連れ込んで関係を迫ったトラブル。職権乱用の破廉恥な不祥事として同社の人事部長も懲戒免職になっている。
 朝日は「ほおかむり」を国民に詫び、真相を説明するがよい。【押谷盛利】

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2013年10月10日

ストーカーの殺人と警察

 東京の三鷹市で、高校3年の女性(18)が元の交際相手の男(21)に刺されて殺された。8日午後5時ごろの事件だが、その日の午前、女性は「男につきまとわれて困っている」と三鷹警察署に相談していた。
 このごろ、あちこちでよくあるストーカー行為による被害だが、相談を受けながら警察の対応が鈍いため、女性やその家族が殺される事件が目立つ。
 警察は暴力を働いたとか、器物を損壊したとか、脅迫したとか、刑事事件の対象にならない限り腰を上げないのかもしれないが、男女間の痴情沙汰は、理性を失うことが多いので、犯罪防止と人命尊重の上からも被害者救助や保護対策に大胆な改革をする必要がある。
 これには警察法の一部を改正する必要があるかもしれぬが、ストーカー行為による女性の被害は、表にしたくない事情もあるため、泣き寝入りなどで、闇に包まれるケースもあるはず。被害者が警察へ相談するのは、どうにもならず、思案の上の思案の結果で、よくよく困っているからである。従って、警察は相談のあったその時点で、犯罪が急迫している、と判断して、迷うことなく、相談人を保護することを考えねばならず、同時にストーカー行為をエスカレートする相手を犯罪防止の立場から監視したり、説諭する必要がある。
 殺人事件などで、注目されるストーカーは男性ばかりのようだが、複雑なのが男女の恋愛問題だから女性ストーカーによる男性の被害も絶無とはいえまい。
 いずれにしても今の世相の安直さは、恋愛にしろ、結婚にしろ、浮いたかヒョウタン同然で、危ういばかりである。命がけで惚れるとか、愛するというのは古い昭和人間のことと思っているのか。遊び半分の恋愛ごっこでやけどしたり、人生を棒に振るバカが多い。
 振られた男が性懲りもなく、女を追い回し、元へ返そうとするのは、みっともないというより、男の恥さらしである。
 昔から「覆水盆に返らず」という。一度別れた夫婦の仲はもとどおりにはならないという教えだが、今のストーカーは、夫婦どころか、恋愛遊びのたぐいである。
 簡単に仲良くなり、肉体関係に走り、何かの不満やこじれで、一方がさよならすれば、それを根に持ち、よりを戻すべく相手の嫌がる行為に走る。
 最近の事件は、すべて被害者は女性であるが、判断力も生活力もない、自己本位の男野郎の多いのが気になる。簡単に暴力に走ったり、嫌がらせをするのは男が弱い証拠である。こんな男に限って、女性を食いものにして、肉体だけでなく、カネまでまき上げる。
 バカを見ないよう、世渡りは冷静に。踏み外しのないようそれぞれが気をつけることだが、職場や地域、グループにおいても、お互いに相談しあい、助け合って、事故のない、安全な、心ゆたかな暮らしを望みたい。【押谷盛利】

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2013年10月08日

手紙と日本語の面白さ

 今はケータイやEメールぼけで、手紙を書く人が少ない。手紙は日本語をよくし、四季の感覚や文字を熟知するのに極めて効果的な通信だが、政府の役人や政治家の頭は腐っているのか、切手や葉書にまで消費税を増税するという。
 手紙といえば、ペンで書くものと思いがちだが、ペンのなかったころは筆で書いた、今も筆とペンを合わせたような筆ペンが出回っている。われわれの使う日常語には筆を用いた言葉が案外多い。
 筆が立つは文章を書くのが上手ということ。筆が回るともいう。筆を入れるは文章や習字などの添削のことで、朱を入れるともいう。筆を擱くは文章を書き終える。または書くのをやめる。この場合、筆を折る、筆を絶つともいう。筆を下ろすは、新しい筆を初めて使う場合にいうが、男性が初めて童貞を破るときも筆おろしという。
 書き上げた文章に後で手を加えるのが「筆を加える」。執筆するのは「筆をとる」。書いている途中に、止めるのが「筆を投げる」。
 「手書きあれども文(ふみ)書きなし」というように、文字を上手に書く人は多いが、文章の巧みな人は少ない。大新聞の記事は一流記者が書くが、それでも読んでいて、何をいっているのか、呑みこめぬ文章やすらすらと腹に入ってゆかぬ記事に出くわすことがある。
 ぼくは万年筆で1行10字を原則に執筆するが、何しろ、早く書くことが習性となっているので、ミミズが這っているような雑な書き方をするので、編集者を困らせる。癖は困ったもので、友人や歌仲間に出す手紙が半分は読めない、と言われる。およそは判読を期待するのだが、それでも出来るだけ丁寧にと書いているつもりなのである。われながら赤面の悪筆である。
 それにしても若いときに覚えた手は宝である。難しい言葉や漢字がおぼろげながらもでてくる。「六十の手習い」とか、「手は六十まで上がる」というが、確かに筆跡にしても文章表現にしても習えばそれだけの効果は上がる。ただし、若いときのようにはゆかぬから、夜道に日暮れなしで、辛抱強く練習に励むしかない。
 「手がよい」とか「手筋がよい」とか、書道で目の肥えた人は書きっぷりを見ただけで弟子の上手下手が判るらしいが、「手」ほど日本人の言葉のなかに多用されているものは他にない。
 このごろ新聞を読むたびに、女性に触れたりして警察沙汰になるケースの多いのに驚く。「手を出して火傷する」わけだが、これは野郎のアホーぶりだけでなく、よけいな事に手を出して返って失敗すること、いらぬ世話をやいてひどい目にあうこともいう。
 「手を出す」は暴力を振るうだけでなく、関わる、女性と関係する、人の物を盗む、などにも用いる。
 昔の大奥などでは、「お手つき」という殿さまの房事が後継争いに影響したが、「手をつける」は目下の女性と関係を結ぶこと。このほか公金や他人の金を着服する。使い込むなどの意もある。事業を広めたり、あちこちに支店を出すなど上昇気運に乗るときは「手を延ばす」、「手を広げる」。
 人に世話をかける、手数をかけるは「手をわずらわす」。
 「手が早い」は物事の処理がてきぱきと敏速であることだが、すぐに女性に手を出す、または。すぐになぐるなど暴力を振るうこと。「手を出したら負け」主張の正否よりも手を出した方がご用となる。現行犯の場合はもちろんだが、背後に不法な事情がひそんでいれば警察が「手を入れる」。【押谷盛利】

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2013年10月05日

消費増税を甘くみるな

 来年度から実施する消費税の増税が丁と出るか、半と出るか、不透明である、と書いたが、日本の国民であれば、だれもがうまくいくことを願っている。
 日本丸が日本人の幸せを満載して安全に航行することは国民の願いであり、政治家や政府の最大の眼目である。
 大まかにいって、国の台所は税金と、その不足分を借金(国債)で運用するわけだが、借金は利息をつけて返さねばならぬから税金でまかなえればそれが最高であり、望ましいが、経済の伸びや国民所得の伸びが低迷すれば、税収には限界があり、借金政策にウエイトが置かれる。国債は次世代の国民が返してゆくことになるから、国債の発行高が多くなればなるほど、次世代の国民の首を締めることになる。
 そうならないため、安倍内閣は国債を抑えて増税方針を実施することにした。政府は増税路線の準備段階として金融の大幅緩和とともに、物価上昇政策を打ち出した。
 分かりやすくいえば、これまでのデフレ経済をインフレ経済へ転換する手法である。
 政府はやみくもに物価上昇政策を実施しているが、インフレを呼び声から形あるものにするため結果を出さねばならぬ。このため政府や日銀は官製値上げを画策し指導する。
 官製値上げとは、お上の指示や、からくりで、不応なく値上げするやり方で、手っ取り早いのが公共料金の値上げ。基本的には電力、石油、ガソリン、公共投資(道路、河川、ダム、港湾、空港)の設計単価、政府や地方自治体の管理部門の使用料の値上げ、その他、水道、ガスの値上げなどが連鎖反応する。
 問題は、国や公共ベースの値上げに追従する民間ベースの値上げの見通しである。
 率直にいって、民間企業、ことに中小、零細企業は厳しい生存競争の中で青息吐息を余儀なくされており、下手に値上げすれば、消費者から総スカンを食って、企業の経営を暗転させる。企業は必死の思いで、贅肉を削り、赤字転落を避けるため努力している最中だから、他社との競争上からも安易な値上げは不可能である。
 国家経済を内部から支えているのが、国民の消費と需要である。その点で、最も分かりやすいのは、消費税の増税が、国民消費にプラスのインパクトとなるか、マイナスのインパクトとなるかである。
 気の早い国民は来年4月からの消費税8%を見込んで、早くも自動車を乗り換えるというのもあるらしいが、むしろ、これは例外であろう。サイフの固い消費者は、覚悟して、買い物の切り詰めに一思案も二思案もするだろう。それでなくとも、今の日本人は断捨離思潮で無駄買いストップの考えが強いから、消費税を一つのきっかけに生活の簡略化に新しいアイデアを出すかも知れない。もし国民が消費に冷たく反応すれば、物価は上がるどころか、横這い、もしくは下落し、政府の思惑とは逆にデフレが滲透するかもしれない。
 国民のサイフが案外固いのでは、と予測するのは、年金への不信、国民健康保険料や介護保険料のアップなどのおびえと、高齢化入りを目前にした現役組の生活防犯への知恵かもしれない。
 政府は税金収入も大事だが、刻下の急務は歳出のブレーキ、無駄な不急費用のカットや行政そのものの構造的見直しと改革であろう。【押谷盛利】

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2013年10月03日

消費税と国民のかまえ

 「苛斂誅求」という言葉がある。かれんは、税金などを厳しく取り立てること。ちゅうきゅうは情け容赦もなく税金を取り立てること。
 昔も今も税金によって国は成り立ち、税金によって、国の政治が乱れる。
 かれん・ちゅうきゅうで、民の不満が暴発すれば代官が襲われたり、政権が転覆することもある。国という組織の中で、人間として安全に、平和に、そして国の保護のもと、幸せな生活を保障される以上、国の経費のなにがしかを負担するのは国民の義務である。
 納税者は個人もあれば法人もあり、外国人も例外ではない。所得税のように、所得によって税がきめられるのは分かりやすく、これを直接税という。税務署の査定に合点がゆかねば異議を申し立てて減額する道もある。
 これに対して、いま問題になっている消費税は個人の所得やふところは問題にしない。分かりやすく言えば買い物をすれば、金持ちであれ、貧乏人であれ、その買い物額の何%かが消費税として課税される。今は5%だが、来年4月からは8%、さらにその次の10%が段取りされている。
 これを間接税というが、酒の税金やたばこの税もこれと同じで、貧富に関係なく、税金が含まれている。自動車税も同じである。
 酒飲みは青息吐息の生活をしていても金持ち以上に酒税をたくさん払っている勘定になる。生活保護を受けている人でもタバコを吸えばその分の税金を払うことになる。これが間接税の長所でもあり、短所でもある。
 本来、税金は所得のある人ほど多く払うのが公平だが、消費税や酒税などは、買ったものが平等に負担する。だから為政者にとっては、消費税など間接税は都合がよい。高い、安いのごてごてを聞くことはなく、とにかく物を買ったら、その中に自動的に税金がかかっている仕組みである。
 国家財政の歳入の中で、間接税の比率が高ければ高いほど政府のサイフのありようは都合がいい。何しろ、税金を上げるのは難中の難事であり、お目当ての法人税(会社・団体など)などで大金持ちの機嫌をとりやすい。
 政治家はずるいから、所得税や法人税などを上げると、とたんに国民(高額所得者や組合)から反発されるので、直談判を避けて、ふところでの「ぬれの手に粟」の消費税をねらう。
 今回の消費税増税は民主党の野田政権時代、労組を背景にした執行部と、大金持ちを背景にした自民党が、福祉を餌にして計画した政策だが、問題はその思惑どおりにことが運ぶかどうかである。
 思惑通りに運べばバンザイだが、そうなる保証はない。思惑とは、市場にカネが回り、株高、円安が続き、消費が盛んになり、月給が上がり企業が活気づき、貿易が振るい。国民所得が上昇することである。
 丁とでるか、半とでるか、経済は風の如く動くし、国民の心もとらえどころがない。【押谷盛利】

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2013年10月01日

古里をおもう歌と犀星

 読者からありがたい指摘を受けて、有名詩人の作品を勉強させて頂くことができた。
 9月24日の時評で「ふるさとは遠くにありておもうもの」という詩を啄木の作としたのは、ぼくのミステイクだった。
 「それはないでしょう。室生犀星の詩ではないか」と読者から教えられ、あらためてぼくの無学を恥じいるばかりである。
 今回は訂正しつつ、あらためて、室生犀星の詩をお目にかける。
ふるさとは遠きにありて思うもの
そして悲しくうたふもの
よしや
うらぶれて異土の乞食となるとても
帰るところにあるまじや
ひとり都のゆふぐれに
ふるさとおもひ涙ぐむ
そのこころもて
遠きみやこにかへらばや
遠きみやこにかへらばや(小景異情)。
 室生犀星は金沢の出身で、市内の犀川の近くで生まれており、筆名はその川の名からとったと思われる。
 古里を思う詩では、明治の作家・島崎藤村の「小諸なる古城のほとり」が有名である。
小諸なる古城のほとり
雲白く遊子悲しむ
緑なすはこべは萌えず
若草もしくによしなし
しろがねのふすまの岡辺
日に溶けて淡雪流る(以下略)。
 藤村は長野県の千曲川の近くの庄屋の家柄で生まれ、9歳で兄に連れられ東京に出て高等教育を受けた。
 古里の歌で、最も多く愛唱されたのは西条八十作詞、霧島昇のレコードであろう。今もカラオケで唄う人もあるだろうが、詩の(1)は次の通り。
 【誰か故郷を想わざる】
花摘む野辺に日は落ちて
みんなで肩を組みながら
唄をうたった帰り道
をさななじみのあの友この友
ああ誰か故郷を想わざる。
 昭和15年(1940)、コロンビアから発売され、召集された兵隊たちに人気が出て、戦後の今も唄われている。
 古里を思い、秋を唄う詩では佐藤春夫の「秋刀魚の歌」がなつかしい。
 【秋刀魚の歌】
あはれ
秋風よ
こころあらば伝えてよ
男ありて
今日の夕餉にひとり
さんまを食ひて
思いにふけると
さんま、さんま
そが上に青き蜜柑の酸をしたたらせて
さんまを食うはその男がふる里のならひなり(以下略)。
 春夫の古里は和歌山県新宮市。
 古里の歌で哀しいのは、昭和60年(1985)、70歳で死んだ放浪歌人・山崎方代の短歌だろう。
 「ふるさとの右左口郷は骨壺の底にゆられて吾が帰る村」
 方代は山梨県の甲府の山間部出身。貧乏の一生を酒と短歌で貫き、無頼派の歌人として独身で、好き気ままに生きて多くの歌集を出した。【押谷盛利】

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