滋賀夕刊新聞社は滋賀県長浜を中心に政治、経済、文化の情報をお届けする新聞です。



2013年09月26日

プロ野球の野村、星野監督

 プロ野球、パ・リーグの今年の優勝は、ほぼ楽天に決まった。田中投手の22連勝が、かつての西鉄の稲尾投手の記録を破った。明るい話題は田中投手だけではない。チーム結成以来、例年のBクラスがウソのように、今年の星野楽天は投打がかみあった。巨匠野村監督時代のチーム強化が星野氏によって開花した。
 星野仙一監督は、かつて阪神タイガースを優勝させた実績を持つ。監督は、会社で言えば専務取締役かもしれない。社長は顔だけで、実戦のすべての指揮は専務の腕次第といえよう。
 プロ野球の話になると、よきにつけ、悪しきにつけ話題の豊富なのが楽天の前監督・野村克也氏であろう。彼の抜群の実績は、ヤクルト、阪神時代を経て、楽天に集約されるが、その指揮官の緻密な采配は、彼の頭脳の中にある敵陣戦力のデータによる。投手であれ、野手であれ、個々の選手の実績を几帳面に集約し、それを試合に生かす。つまり、投手と打者とのかけひきについて、流れや方向を予知して適切なる指導やサインを送るのが野球兵法家としての野村氏の監督時代の真骨頂である。
 現役時代の野村氏のスーパーマン的活躍はホームランの量産記録や3割打者の好打者ぶりが今も語り草であるが、それは、現在の巨人の阿部捕手を思わせる。捕手というポジションは、毎試合、9回まで戦い抜く、チーム切っての重労働である。しかも、連日、投手を助けて、休むひまがない。頭の中の敵陣のデータを呼び起こしながら、その都度、投手をリードし、サインを送り続けねばならぬ。しかも打者としての責任も全うしなければレギュラーを確保するわけにはゆかぬ。野村氏は生涯現役捕手として、この難しくも厳しいポストを維持してきた。現役を終わるころは、監督と捕手の二足のわらじも履いた。その点、今の巨人の阿部捕手も立派である。四番打者として、ホームラン、打率とも他チームの四番以上の大黒柱的活躍を見せている。
 ぼくは、今年の楽天の優勝は、則本投手のような破天荒の活躍と田中投手の球界最高の手腕が背景にあると思うが、個々の選手の長所をうまく引き出した星野監督の指導力を評価したい。
 田中投手で思うことは、阪神の藤波、ヤクルトの小川、巨人の菅野などの新戦力のめざましい活躍ぶりである。投手は技巧というけれど、技巧の前に、球威が大事。球威とはスピードであり、重みであろう。球威が打者を抑えるには、コンロロール次第である。コントロールは、おもうところへ、思う球が投げられることで、これが崩れると、四球を連発したり、狙われて長打を喫する。だから好投手の前提は球速プラス、コントロールであろう。今も伝説のように球史に栄光を放つのが、阪神時代の江夏投手である。彼はオールスター戦で、3回、9人の打者を全部三振に打ち取ったが、この大業はコントロールが抜群だったからこそ完成した。これも阪神のかつての選手で、村山とともに全盛期を演出した小山投手を思う。彼は現役時代、無四球試合の記録を残すなど、機械のように正確に、捕手の要求するところに投球した。
 中日がいい選手を持ちながら、今ひとつ浮かばないのは、かつての落合時代を知るファンには淋しいが、阪神の和田もいまいちである。【押谷盛利】

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2013年09月24日

古里への思いと墓参り

 ふるさとは遠くにありて思うもの、と室井犀星は詠ったが、年齢のせいか、ぼくの古里は、浦島太郎の心境である。
 23日の秋分の日は、ご無沙汰勝ちのご先祖に会うため墓参りに帰郷したが、会う人は知らぬ人ばかりで、村のたたずまいも過疎のわびしさを深めて悲しげである。
 減ってゆく住宅と畑、年寄りばかりで、子どもを見かけないが、この現実を前に、氏神や墓域を守り、道や川を管理する現役世代のご苦労に「ありがとう」「すまないね」と心の中で手を合わす思いである。
 村を北から南へ貫流する草野川は、高山地区の山から鳥越峠を通じて美濃からの水も注ぐはずだし、金糞山の伏流水も流れているのだが、雪不足のせいか、荒れ放題のずさんな山の管理によるものか清流でありながら水の流れは少ない。今年は台風のせいで、中部地域でも水が切れることはないが、例年は、下流で水が枯渇した。
 草野川の上流部を上草野村、下流部を下草野村と呼ぶ。近年急速に人口が減り、来年度には、上草野小学校を廃止し、下草野小学校と統合することになった。
 上草野小学校の生徒は現在50名と聞いて、胸の中をかきむしられるような暗い気持ちになるのはぼくだけではあるまい。ぼくの子供時代をさかのぼると、とても信じられない子沢山の村だった。
 ぼくは昭和13年(1938)に6年生を卒業したが、同級生は男子で47名、女子もそれくらいだったと思う。全校生徒1年から6年で、500名くらいは在籍したと記憶しているが、それが半世紀経った今、わずか50名。まさに10分の1である。
 淋しい話であるが、これは1つの具体的な話ながら、これと同じ傾向で、子どもの減っているのが湖北地方の一般である。そして、目立つのが高齢化社会である。
 ぼくは墓参の折、我が家の墓だけなく、大事な親戚のお墓へも供華や焼香を欠かさないが、ときどき思うことは、墓参するものがいなくなったら…という不安である。このごろは、墓の不要論が出たり、散骨や樹木葬がマスコミに登場するが、その背景には、少子化がある。就職などで、遠くに住む人もあれば、結婚して遠い夫の住所で、古里との縁が薄くなる人もある。昔は古里へ帰れば、親類が家族なみに迎えてくれたし、友人、知己に囲まれ、文字通り、心の癒しと休息につながった。ふるさとは、まさしく母のふところであった。いま、その母のふところが決壊してしまった。啄木ではないが、遠くからなつかしむ母の面影かもしれない。
 立派な墓があっても、子孫が絶えたり、何かの事情で、墓参りするものがいなくなると草は生い茂り、墓も荒れてゆく。寺の管理であれ、村による管理であり、参詣人のない捨て墓は、放ってゆくわけにもゆかぬ。それを無縁仏として、一カ所に集め、合同供養するのが大方であるが、そういう事態をご先祖が予測しただろうか。これは少子化のいま、全国民共通の課題であろう。【押谷盛利】

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2013年09月21日

もの書きの不安と幸せ

 人生という旅は長いようであるが、案外短い。満足して大往生するかといえば、必ずしもそうはゆかぬ。
 「まあ、まあ、ですな」、「可でもなければ不可でもない」などと悟ったようでわからないことをいう。本当に幸せだ、と言い切り、極楽往生を確信して、この世にさよならできればいうことなし。そういう生涯でありたい、と願わぬ人はいない。
 ぼくの友人たちの話を聞くと、時間の経つのが早いという。一日があっという間に過ぎ、したいことの3分の1もできぬまま一年が終わる、とこぼす。それは、やることが多いからではなく、やる能力が衰えたからだ、とぼくは思っている。
 残念といおうか、人はみんな自分の衰えを正直に認めない。むしろ年功という化物にごまかされて、老いは経験豊かな人生の師である、かの如く自惚れる。脳の働きも、肉体の動きも、どんどん劣化してゆくのに、それを正直に認めようとせず、痩せ我慢して、突っ張るところに悲劇が始まる。
 ぼくは、幸か不幸か、物書きを運命づけられているようで、原稿用紙に文章を書くのが3度の食事並みのような生活を続けている。嫌でないから投げ出す気にはならないが、自分の能力不足で、表現に行き詰まったり、納得のゆかぬ文章になると、淋しく、そして悲しくなる。
 文章の専門家、たとえば作家は、一つの構想をあたためると、それを長編や中編にすべく、資料を探索したり、各地を回って取材したりする。その準備に時間をかけるが、新聞人の仕事は毎日、毎日が勝負であるから、充分な取材時間の確保が困難である。
 その困難さを乗り越えて、読者の眼を引きつけるような文章を書かねばならないから、ことは容易じゃない。ときには手品師やサーカスの踊り子のような秘技をつくさねばならぬ。読者の眼は冷静であり、厳しいから、ミスがあったり、不審な点があれば、たちまち揚げ足をとられるし、ゆめゆめ、いい加減な記事や文章を書くわけにはゆかぬ。
 ぼくの孫がスポーツ新聞の記者をしているが、彼によると、スポーツ紙の読者は1990年をピークに今は半減しているという。それゆえに、販売、営業収益ともに下降し未来に明るさがないという。
 これは今の大手新聞にも言い得ることで、読者の活字離れが急増している。テレビのほか、インターネット、スマホなどその強敵がますます威力を発揮しているが、うれしいことに滋賀夕刊のように地域に密着しているローカル紙は、3度の食事の漬け物や味噌汁のように、それなくしては物足りない、と読者は増え続けている。
 過日も地福寺のAさんが、近くの些細な動きを知りたいので、是非入れてほしいと、わざわざ新聞社へ出向いてくれた。責任の重さをひしひしと感じつつ、筆一本で、多くの読者と対話できる身の幸せを感謝するばかりである。【押谷盛利】

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2013年09月19日

初老から元老、玉老、天老へ

 総務省の調査によると、9月15日現在、日本の高齢者65歳以上の人は総人口の25・0%を占めることがわかった。
 総人口の4人に1人が高齢者というわけだから、医療費にしろ、介護など社会福祉の点で、国も国民も大きな重石を背負うことになる。
 滋賀県の場合、高齢化率は22・1%で、国より少し低いが、それでも過疎地を含む湖西、湖北は国レベルで、高島の29・9%を最高に、米原26・4%、長浜24・7%の高さである。
 県の統計では、今から約40年前の昭和50年は9・3%で、65歳以上の人は10人に1人だった。それが今は4人に1人という驚くべき高齢化時代を迎えた。
 それと共に、ショックな情報は厚生労働省の調査による介護保険利用者の認知症である。これによると、65歳以上の介護保険利用者のうち、約8割が認知症の判定を受けていた。介護の必要度(7段階)別では、軽度な「要支援1」の高齢者では約43%、「要支援2」では約54%で、半数程度だが、より介護が必要な「要介護1」の高齢者は約89%が認知症、最も重い「要介護5」では約97%が認知症だった。介護保険制度とその利用は、福祉国家にとっては、重要な柱であるが、利用者の約80%が認知症とあれば、何ともいいようのない暗い思いをさせられるし、われわれの周囲には、その予備軍がわんさとたむろしていると覚悟しなくてはならぬ。
 ぼくがいつもいうように、健康長寿であればめでたいことだが、なんぼ長寿してもベッド生活や施設、病院で介護を受けていては不幸である。
 ぼくは高齢者を一括りして、老人という呼称はやめた方がいいと思う。ぼくの若いころ、15歳になると、村の青年団に入るのが習わしだった。最初の1年は「前髪」といった。会の使役の先頭に立って働いた。兵隊でいう初年兵である。2年目は「元服」といって一段格が上がる。
 平会員を続けているうちに25歳になると「元老」と呼ばれるようになり、威張っていた。
 別に威張らなくてもいいが、年寄りもこのやり方をまねて、60歳代を初老、70歳代を中老、80歳代を元老、90歳代を玉老、100歳以上を天老と呼んではどうだろうか。
 これは、ぼくの思いつきだが、初老から中老までは、調子よく上がれるが、それからは少し荷が重く、しんどい。だが、長寿社会の平均寿命は80歳代だから、この層は元老として尊敬したい。90歳代の玉老は、宝石をイメージするからルビーやダイヤではないが、輝く。それに玉露は日本茶のうちでも最高の品質をいう。
 100歳以上を天老としたのは、天は神さまに通じる言葉で、人間界を卓越した神格さをこう呼ぶ。
 こういう呼称はあくまでも健康を願ってのことで、健康に対する自覚が心理作用を発揮して病魔につけ入る隙を与えないのが、ぼくの発想である。【押谷盛利】

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2013年09月17日

台風と滋賀県政の課題

 「台風一過」というが、17日の朝は、前日の大型台風がまるでウソのように雲一つないさわやかな秋空だった。青い天空から零れくる光りは、かそかな冷気をおび、これまでの熱気のかけらもみられない快適さである。
 ささやかな、わが庭であるが、芙蓉は何事もなかったかのように、ふくらかに白い笑顔を見せているし、別の木の酔芙蓉は、目の覚めるようなピンクの花がいとしい。
 花といえば、朝顔が青空にバンザイをして可憐である。花の青さが、空に吸いこまれるようで、いっせいに空差す咲きっぷりは見飽きることがない。
 柿の木と木槿の枝に巣を張っている黄金蜘蛛は静かに日を浴びている。前の日の風で網が破れはしなかったか、と気になったが、何食わぬ顔で親子が耳を澄ませている。繕いの必要がないほど巣が荒れていないところを見ると、このあたりの風の道は穏やかだったのかもしれない。
 いずれにしても庭の草木は、みんなすくすくと、「元気、元気」と合唱しており、やれやれ、人間も草木も、虫たちさえも地獄の底から蘇生したようで、まずはめでたしと、合掌せねばなるまい。
 18号台風は、近畿、東海、北陸、関東、東北と荒れ狂い、わが滋賀は、福井、京都と共に大雨特別警報下に入り、刻々伝わる被害状況に、敬老の日の16日は暗い雨籠もりの1日だった。おかげさまといっては、被災地に申し訳ないが、雨風がおさまった夜は月が美しく、星が瞬いていた。虫の声もいつもの通りだった。
 あちこちで大きな被害が出て、死者、負傷者、家屋倒壊、鉄道、道路の破損、冠水、田畑の流れ、交通遮断、空の欠航など、その爪跡の修復は容易ではないが、犠牲者には心から哀悼し、被害の隣人たちの立ち上がりと、その支援に力を尽くしたい。
 日本人の美徳は、隣人への同情と助け合いの心である。「今日は他人の身、明日はわが身」。
 人間の幸、不幸、運、不運は、何人も事前にキャッチすることはできず、大海に浮かぶ船が風で倒れる場合もあれば沈没することもあり、大きな眼で見れば人間の生死そのものも、紙の裏表のようなものである。
 おりしも3日前に成功した宇宙開発のロケットの打ち上げニュース。日本の科学の集大成の喜びだが、台風情報にかき消されて、影が薄くなった。人智と大自然の力の差をまざまざと見せつけられた思いだが、宇宙征服など傲慢な夢を見るのもよいが、まずは足元の安全に国をあげての総点検が望まれる。
 滋賀県は、水害対策に条例をつくって、河川付近の低地での住宅建設を制限する、といったレベルの施策が問題化しているが、それよりも何よりも、当面の喫緊事は、堤防決壊の不安要因の除去やその危険水域の安全対策である。堤防が切れてから、騒いでもあとの祭り。鉄は熱いうちに打て。今回の出水で各河川ともその抱えている弱点は明らかになったはずである。その弱点を公開し、一つは行政で改善し、いま一つは地元の自覚を促す努力である。治水対策は、山林対策でもあり、用水対策でもある。近江大橋の無料化などのバカな施策よりは、その使用料を、琵琶湖を含む治水対策に当てるのが県民本位の知恵というべきである。【押谷盛利】

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2013年09月12日

俗欲と独善力と渡辺淳一

 作家の渡辺淳一さんが、お年寄りに、元気で長生きしてほしいとの願いから聞きなれない言葉を発信している。
 一つは「俗欲」。今一つは「独善力」。
 渡辺さんは医学博士で、もともとは整形外科のお医者さんだが、小説を書くのが好きで、副業が本業となり、医者から恋愛小説の花形に転身した。1970年、「光と影」で直木賞に輝いたほか、吉川英治文学賞、菊池寛賞も受賞し、今では当代屈指の人気作家だが、80歳には思えぬ若々しさとタフな活躍ぶりがファンを魅了する。
 渡辺さんが「俗欲」を言ったのは、後輩の作家たちへの愛の呼びかけだった。
 俗欲という言葉は辞書にはないから渡辺さんの造語であろう。造語であっても、なんとなく言葉自体の醸す雰囲気が感じられるから、これは渡辺さんの特技かも知れない。
 俗欲の俗は、俗人の俗である。俗人は名利にとらわれる人。風流を解さない教養の低い人と、辞書にあるが、要するに俗っぽい人であろう。世の中を俗世とか、俗世間というが、分かりやすく言えば娑婆であろう。欲と見栄の凡夫世界が俗世そのものである。
 その俗世の醜い部分を卒業したような偽紳士面をすることなく、俗っぽい欲に貪欲になれというのが渡辺氏の恋愛作家らしい豪傑さかもしれぬ。
 具体的にはどんな欲なのか。おカネをもうけたい、大きな立派な家に住みたい、美人(美男)と恋愛したい、ご馳走を食べたい、海外旅行したい、など、いずれもありふれた世俗の欲であるが、その世俗の欲に超然として紳士面をするなかれ、これが氏の俗欲肯定論である。
 独善力は、お釈迦さんの天上天下唯我独尊が言葉の背景にあるが、これも渡辺氏の造語であろう。
 要するに右顧左べんしたり、人の気嫌や思いを気にせず、おれが大将だ、おれの考えが全てで、おれのすることが正しいと自分に言いきかせ、独善的な気分で日々を送れと奨めるわけだが、この独善によるファイトと生きる力が健康と長寿を引き出すのだ、という氏の独特の毒説。
 昔からよく聞く言葉に「嫌われもの、世にはばかる」という。嫌われることをしたり、言う人は世界からうとんぜられるが、幅をきかし長生きする、のたとえである。
 年寄りは、だれに気兼ねすることもなく、好き三昧にわが道を行け、そのがんこさが健康で、長生きする秘訣だ、と、これは、傘寿の渡辺さんが自らに言い聞かせ、実践している人生訓である。【押谷盛利】

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2013年09月10日

食事と健康に対する提言

 9月が敬老月間だから特に言及するわけではないが、お年寄りはもちろん、若い人たちも自分の健康は自分で守るという原点に立ち返ることを訴えたい。
 病気をすれば医者とくすりがあるではないかと、ひとごとのようにいう人がいるが、私たちはそれぞれが主体性を持ち、医療界、食品界、健康産業の宣伝に乗せられて、結果的に自分の体をぼろぼろにする愚を避けねばならぬ。
 人は本来、自分の体内に自然治癒力を持つといわれるが、その自然治癒力を発動させるには、肉体自身がまともでなくてはならぬ。
 今の日本人の体は公平な目で判断してまともか。
 製薬会社や健康食品産業がほくそ笑んでいる姿は決してまともではなく。極言すれば半病人であり、くすり漬けの生活を後悔しようとしない。
 ぼくは、いま、グスコー出版の「葬られた第2のマクガバン報告」という本を読んでいるが、これはアメリカの栄養学分野の世界的権威のキャンベルという学者の健康と栄養に関するこれまでの研究のうちで最高峰とされる名著である。
 訳はアメリカで活躍中の自然健康、治癒学博士の松田麻美子さんによる。
 この本は、要約すれば、食べものが健康を支配するの一点で、1976年、アメリカに革命的医療提言をしたジョージ・マクガバン上院議員が発表した「マクガバン報告」と、1982年の全米科学アカデミーの報告書「食物・栄養とガン」について、国民の立場に立っての食事改善が詳しく、具体的に説かれている。
 マクガバン報告は、心臓病の予防改善効果のために脂肪の多い動物性食品の摂取を減らし、果物や野菜の摂取をすすめるもので、心臓病と食べものという食事指針が大反響を呼ぶ。
 1982年に発表された「食物・栄養とガン」は1977年の「マクガバン報告」によく似た内容で、主に果物と野菜、それに全粒穀物を摂取し、総脂肪摂取量を減らすことを奨めている。
 ここで著者がその研究で確信をもって訴えているヘルシーなライフスタイルの恩恵について紹介しておく。
 食習慣を変えるだけで、次のような大きなプラスが得られる。
 ▽長生きできる▽見た目も雰囲気も若くなる▽エネルギーレベルが高くなる▽やせることができる▽血中のコレステロール値を下げられる▽心臓病を予防し、回復させる▽前立腺ガン、乳がんほかのガンのリスクを減らす▽晩年に視力を失わないようにすることができる▽糖尿病を予防したり、治すことができる▽薬剤の必要性を大幅に軽減できる▽骨を強く保つことができる▽ED(男性の性機能障害の一種)を避けることができる▽脳卒中を避けることができる▽腎臓結石を避けることができる▽赤ちゃんがI型糖尿病にならないようにすることができる▽便秘を軽くする▽血圧を下げる▽アルツハイマー病を避けることができる▽関節炎を克服することができる…。
 また、食べものの摂取について第1原則として栄養の正しい定義とホールフード(未精製・未加工の食べ物)の価値について次のように述べている。
 栄養とは食べ物の中に含まれている無数の物質の複合作用を意味する。
 ホールフードは、その中に含まれる栄養素の寄せ集めよりもずっと素晴らしい効果がある。要するに一番大事なことは未精製で、未加工の食べ物ということ。
 今のわれわれは、みな精製したものばかりで、ほとんどが加工食品である。そして、サプリメント(栄養補助食品)は長期間にわたる健康をもらたしてはくれないし、予期せぬ副作用を引き起こす可能性もある、と指摘する(葬られた第2のマクガバン報告(下)・グスコー出版、参照)。【押谷盛利】

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2013年09月07日

敬老月間と社会の変遷

 滋賀夕刊の「おくやみ」欄を見ると、80歳代、90歳代の高齢者の多いのに驚く。
 高齢化社会の到来だから驚くに足らぬといえばそれまでだが、そういう世の中の動きをつかむのが商売人の勘なのか、このところ葬儀社が増えた。
 需要と供給の経済原則で、死者が多くなれば葬儀社の出番が多くなるのは当たり前の話である。
 葬儀社の多くなったのは老人の死が増高の傾向にあるのも一つの原因だが、今一つの大きな流れは、在宅葬儀が減って業者葬が多くなったからである。
 近代の便利で快適な文化生活は伝統的文化の破壊が醸し出すのかもしれない。包丁一つ取り上げても、今は文化包丁とか言って、砥石で磨ぐことをしない。お勝手という炊事場は、さま変わりして、ガス、電気、冷凍冷蔵庫、電子レンジの時代だが、これの活用にスーパーやコンビニが食生活の設計、供給を開発する。
 人間の生命と健康に一番直結する食品とその調理にできるだけ手を使わないというのが流行で、これはますますその傾向を強めるから、日本人が先祖代々継承してきた家庭料理は根底から崩れ、忘れ去られてゆく。何しろ、面倒なことは一切避けるのが省力料理で、極端にいえば、店で買う「できあがり品」や「加工食品」を家で加熱したり、解凍したり、すればそれでよい。家の周りは草を引くのが面倒だから除草剤を撒く。
 結婚には仲人や結納が付きものだったが、これも面倒だから止め。結納の儀に親戚を招待することもないし、親や先祖の年忌など仏事にも親族を招待するのがわずらわしくなり、簡単にお寺でお経をあげてもらったり、親類への供養は料理屋でといった調子で、家と家との伝統的交際の場が希薄になってゆく。
 農村の伝統的文化が崩れつつあるのは、若ものの離村が大きな原因だが、その農村の精神文化の中核となっているのは、氏神であるが、村の高齢化と若ものの減少で、これの維持管理、祭礼など村人の頭を痛めるところ。
 山や川を管理し、村を共同の生活空間として守ってきた人々は何年か後の村の姿を想像すると淋しい思いが先立つ。
 9月は敬老月間で、お年寄りを大切にする催しなどがあるが、年寄りも甘えることなく、まずは自分の健康を大事にしながら、よき伝統、次の世代に申し送りたい思いや記録を残してほしいと思う。【押谷盛利】

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2013年09月05日

台風日本の心配と滋賀

 人間は勝手なもので、台風情報が流れると北へ逸れよ、東へ逸れよ、と、その進路について、自分の住む地域を外れてくれるよう心で願う。
 大雨でもそうである。そういう願いが、天に通じるわけではないが、滋賀県は幸運にも大きな災害から逃れている。
 滋賀県で、ぼくの記憶している最大の災害は1959年(S34)9月26日の伊勢湾台風である。
 和歌山県の潮岬付近に上陸し、近畿を北東へ名古屋、富山湾から三陸沖へ抜けた。死者、行方不明5101名という大被害をもたらした。伊勢湾沿岸の高潮による被害も大きかった。今から54年前のことである。
 湖北では姉川や天野川も堤防が決壊し、田んぼの冠水や住宅の床下浸水などのほか道路の損壊がひどかった。長浜の市街地を通る旧国道8号線は地下水が膨れ上がり、道路が飴のようにやわらかくなって通れなくなった。米川の下流部では床上浸水もあり、旧市内の知善川や高田町付近は床下浸水した。
 その前に経験した大きな災害は室戸台風だった。これは1934年(S9)9月21日のことで、来年で満80周年になる。記憶している人は極めて少ない。京阪神を襲った超大型で、大阪では小学校が倒壊した。京都では鴨川がはん濫し、河原町通りを舟が通った。全国の死者、行方不明は3036名に達した。ぼくの家の近くの樹齢150年程の巨大な杉が中央から無残に折れたのが恐ろしかった。屋根の瓦がびゅんびゅんと飛んで生きた心地がしなかった。
 台風は古くは野分といった。大きな風で野の草木が分かれたところから命名されたというが、語感というのは妙なもので、野分からは恐ろしいイメージが湧かない。それに比べると台風は聞いた瞬間にぞっとする。
 ぼくの子どものころは台風と言わずに大風とか暴風と呼んだが、9月に入ると気になるのが風だった。考えてみれば、日本は周囲が海だから、年中、どこからでも風が吹きすさぶ。多くは偏西風か南風だが、冬はシベリアからの風が厳しい。周囲が海の日本だけに、全国の海岸線は、みんな漁師町で、魚漁で生計を立てているから風が生命線のような働きをした。
 風を予測せずに出漁したり、予測の判断を誤るようなことがあれば船の損失どころか、漁師の生命にかかわる。従って、風に関する言い伝えや四季を通じての風の傾向を熟知していた。太陽や月、雲の動きのなかで、風を予知する能力は、漁師独特の感性ともいえよう。
 それは農民にもいえることで、雨と日照りは農作物には関係が深く、作業をしたり、干し物をするにも雨や風は気がかりの種である。したがって種を播くにも稲刈りをするにも雲の動き、つまりは太陽、月、雲に関心を持ち、鳥や虫の鳴き声にすら敏感になる。
 炎熱がしずまり、熱中症の心配から解放されて、風がひんやりすると、「秋」を感じるが、しばらくは、いつどう変わるか、風と雨の前線の動きや南方で発生する台風の芽から目が離せない。【押谷盛利】

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2013年09月03日

柿にほおずりする朝顔

 久しぶりの慈雨に庭の草木が蘇った。木槿は終わりかけたが、その代わり芙蓉が勢いよく咲き始めた。のうぜんかずらが赤くただれるように咲き続けているが、この蔓性の花は葛に似て生命力が抜群である。きっかけがあれば、どこへでも手を延ばす。
 どんな猛暑でもへこたれないのが夾竹桃で、ぼくの書斎の窓越しに咲いているのは濃いピンクだが、7月ごろから咲き続け、いまなお、さんさんと青空に歌っている。咲く期間の長いのと花の優しさが魅力でぼくの大好きな花である。放っておくと、次から次へと新芽が出て、木もぐんぐんと背伸びして、さながら庭の看板娘というところ。
 朝起きて、一番の楽しみは、家の入り口に咲く朝顔の花の数である。見事な藍色の花が、日照りが続こうと、猛暑であろうと頓着なく咲き続けて、これまた朝の気分を爽快にさせる。
 江戸時代の俳人・加賀千代女は「朝顔に釣瓶とられて貰い水」という有名な句を残したが、朝顔の初々しい、かれんな花を眺めていると目をそらすのが惜しいほど人をひきつける。これも蔓性だが、とにかく上へ上へと伸びるのが真骨頂で、釣瓶に巻きついて、なお、空を指すその若々しいたくましさには頭が下がる。
 「つるべ」といっても、今は、知らない人が多いが、深い井戸の底の水を汲みあげる仕掛けで、近所の数軒が共同で管理している場合が多い。
 水は桶で汲みあげられ、滑車の綱を手繰るとするすると手元まで引きよせることが出来、バケツに流したあと、井の上へ戻すと、他方の綱の先にある桶と均衡して停止する。そんな動きのあるつるべに夜中のうちに巻きついて花を咲かすという神技に近い朝顔。水を汲みにきた人は、これでは使うわけにもゆかず、他家へもらい水を乞うことになる。
 ぼくの家の朝顔はその横の柿の木によじ上って、柿の実や葉に蔓を這わせて、花をつける。多い日は1本で30くらい、少ない日でも15くらいはつけるので、それ眺めながら、数をかぞえるのが何とも楽しい。
 ぼくは俳句をつくりつつ、これをどんなふうに5・7・5に詠めば、と「柿襖」を頭に浮かべたが、これでは、干し柿の「柿襖」になるのでまずい。
 「柿の実にほおずり優し牽牛花」
 牽牛花は朝顔の漢名。ついでながら、朝顔は槿花、しののめぐさともいい、むくげ(木槿)や、かげろうの別名。
 「槿花一朝の夢」というはかなさをたとえた言葉があるが、この槿花はむくげのことで、朝咲いて午後は萎むところから、人生の教訓として、使うようになった。朝顔も朝の一刻の命で、昼は萎む。
 「朝顔の紺のかなたの月日かな(石田波郷)」。
 「朝顔の紺のむかうの遠伊吹(近藤一鴻)」。【押谷盛利】

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