滋賀夕刊新聞社は滋賀県長浜を中心に政治、経済、文化の情報をお届けする新聞です。



2013年04月30日

5月の薫風と安倍人気

 いよいよ5月。風薫る好季。寒暖の激しかった4月からやっと解放された思いで5月の連休を楽しむ人も多いだろう。
 お隣りの中国ではトリ・インフルが蔓延して、とんだ迷惑をしているのが鶏。中国旅行からとんでもない土産を持ち帰ることのないよう防疫体制に万全を期してほしいが、何もかもお上まかせではなく、国民の一人一人が自らの健康保持に責任を持たねばなるまい。
 4月の不順な天候で風邪を引いた人もあるし、空からの黄砂や毒性偏西風、それに花粉症と、不快感の要因にこと欠かないが、5月の薫風で、そうしたマイナス気分を一掃したいものだ。
 おりから、各地で鯉のぼりの華麗な競争が話題になっている。少子高齢化現象で、男児の出生が少ないのか、どの集落でも鯉のぼりをあげている家を見かけないが、その代わり、地域代表の格好で、河川を左右に100も200も多いところでは高月町の雨森地域のように450匹も泳がせているところもある。
 鯉のぼりが青空に勢いよく泳いでいる姿は明日の健康な飛躍を象徴しているようで、眺めているだけで気分がさわやかになる。
 5月の季節は新緑がまぶしいばかりで、周辺の山々はあっという間に装束を変えてしまった。
 みどり、黄みどり、深みどり、それにところどころ白い花もみられ、紫いろの匂うような風景に出くわすこともある。
 山歩きは山菜摘みの楽しさもさることながら、山の霊気というか、山の呼吸が人の心を洗い清めてくれるようなすがすがしい気分になるのがたまらない。
 さて、政界に目を転じよう。このところ、安倍晋三首相の精力的な活躍ぶりが目を引く。北朝鮮の物騒な脅しや中国の軍事的な尖閣諸島示威など、不安と不快情報の続くなか、29日、モスクワで開かれた安倍—プーチン会談は世界をかけめぐる国際的朗報だった。
 安倍さん、よくやるね、と、そのタフな政治行動に惜しみなく拍手を送りたい。
 アベノミクスか、何だか分からないが、いまのところ円安、株高で日本経済は息を吹き返した感じで、山口県の参議員補選も自民が圧勝した。安倍人気は民主党の影を消すほどだが、この快調ぶりは夏の参院選までは続くとみられ、それまでは株は「買い」だとささやかれている。
 ロシアという大国を前にして、対等の首脳会談を成功させた安倍さんの実力はこれで本物であることが証明された。短命内閣続きで、とかく対外的に信用の薄かった日本政府にまともに会談のテーブルを設営したプーチン大統領の腹のうちを称えたい。
 平和条約、領土問題などへの解決を目指す今後の地ならしこそ注目されよう。【押谷盛利】

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2013年04月26日

産経の独自憲法案(見聞録)

 憲法改正の発議要件を定めた96条の改正をめぐり、政党間での攻防が本格化している。改憲派は憲法改正発議のハードルを現行の「3分の2以上」の賛成から、「過半数」へと下げることを目指す。反対派は国家権力を縛る憲法の役割を危うくするものと抵抗している。
 96条改正を推進する自民、維新、みんなは今夏の参院選で改正発議に必要な3分の2以上の議席の確保を目指す。一方、民主は共産、生活、社民などと超党派の議員連盟を結成し、改正阻止の声を上げるが、民主は改正推進派も抱えており、一枚岩ではない。勢いは改憲派にある。
 今夏の参院選は96条の改正が最大の争点となり、改憲派が3分の2以上の議席を確保すれば、96条改正発議→国民投票→改正が想定される。96条が改正された暁には、現行憲法の建て直しが順次、進められることだろう。
 現行憲法を維持するのか、改正するのか、とても大きな選択を迫られるのが参院選であり、日本の将来を大きく左右する、過去に例のない重大な国政選挙となる。
 きょう26日の産経新聞は同紙が独自にまとめた憲法草案「国民の憲法」を大特集し、「独立自存の道義国家」を打ち出している。
 「独立自存」とは、他の力に頼ることなく自らの力で生存を確保することを指し、現行の日本国憲法の前文にある「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」との文言に対する決別と言えよう。中国の軍拡、北朝鮮のミサイル、国際テロが日本の領土と国民の安全を脅かしている現実を見れば、「平和を愛する諸国民の公正と信義」に日本の安全と生存を託すことなどできないからだ。
 憲法草案で興味深いのは「国民の権利および義務」。基本的人権を尊重するあまり、義務を軽視して自由や権利を偏重し、公共心や規範意識を喪失させている現代社会への歯止めとして、「基本的人権の制限」をうたい、「権利は義務を伴う」「自由および権利の行使については国の安全、公共の利益または公の秩序の維持のため、法律により制限することができる」としている。
 また、国防については「国の独立と安全を守り、国民を保護するとともに、国際平和に寄与するため、軍を保持する」とし、有事に備え国防のための軍を保持することを明確化している。
 この2点は改憲反対派が特に敏感に反応する条文であろう。
 同紙は草案と現行憲法を比較し、改正のポイントなどを解説している。今の憲法が100点満点ではないことに気付かされるし、何より現行憲法の文言が日本語として成り立っていない意味不明さが際立っている。
 草案は産経新聞のホームページでも確認できる。

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2013年04月25日

長野と滋賀の長寿の秘密

 厚生労働省の統計によれば、平成23年の日本人の平均寿命は男性79・44歳、女性85・90歳。老人王国と呼ぶにふさわしい。都道府県別の調査では滋賀県は男性が2位、女性は13位。
 男女とも長野県がトップであることを考えると、諏訪湖、琵琶湖、周りに海のないことなど共通している点が面白い。
 今年はシベリアの風がことさら厳しく感じられたが、これは三寒四温のジグザグが激しいための感覚的麻痺というべきで、冬季全体の寒さからいえばむしろ暖冬といってもいいのではないか。
 その証拠に今年は雪が少なかったし、霜の朝や凍る日も珍しかった。ぼく自身の経験でいえば真冬の分厚いコートを着ることはなかったし、耳まですっぽり埋める深い帽子で散歩することもなかった。
 風のいたずらというべきか、今年は長野県の諏訪湖では凍り付いた日がしばしばあったという。
 凍結した湖の氷が急激な温度低下で膨張して亀裂し、長い帯状の隆起を生じる現象を「御神渡り」という。神さまが通った跡とされ、こうした厳しい冷えが今年の諏訪湖を襲ったという。
 気象や立地条件が似ている長野と滋賀で、長寿者が高い比率を占めしているのは偶然かもしれないが、考えさせる。
 ただ両県で伝統的に違うのは、長野は作家や詩人が多く輩出する文化県、滋賀は近江商人こそ有名だが、文化人としては遅れをとっている。
 滋賀は京、大阪に近いから上方文化の影響を受けやすく、上方の経済を視野に物流など金もうけが得手だったのかもしれない。
 その点、長野は江戸の文化圏に入り、レベルの高い風流人の出入りが多かった。今は交通が至便になり、新鮮な海の魚介は海に面しない滋賀でも長野でも他府県と遜色なく口にすることができるが、昔はそうはゆかなかった。そこで生まれた食文化が両県の男女の長寿に関係していると思うのはうがち過ぎだろうか。
 たとえば、漬け物は冬用の貴重な保存食だが、有名で全国に親しまれているのに長野の「野沢菜漬け」がある。野菜ではないが滋賀には「鮒寿司」がある。
 このほか干物や塩乾物には両県とも伝統的な食材としての工夫がみられる。
 長浜祭りは曳山で有名だが、古来、そのご馳走は「焼き鯖そうめん」として、今もレストランやホテルのメニューに記されている。
 これは、交流困難な時代の食文化で、鮮度の関係で生鯖を使うことができず、現地で火を入れたものを食材にした先人の苦労の伝統食である。
 こんなふうに考えると、何が人生に幸いするのか、何が健康に役立つのか。人生は不可解な部分もあるがその分、楽しさを膨らますこともできる。
 4月も後半、間もなく風かおる5月となるが、ストーブの恋しい夜寒でもあり、伊達の薄着で風邪を引かぬよう、くれぐれも気温に敏感で肌を守ろう。【押谷盛利】

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2013年04月24日

憲法改正議論について(見聞録)

 国際テロや中国の軍拡、北朝鮮の核開発を念頭に、17日のコラムで「憲法9条の改正こそ急務ではないか」と提起したところ、「長浜市の一老人」さんから、これに反対するはがきを頂いた。「自衛のための戦力はすでに保持されていますし、集団的自衛権を禁止しているからこそ平和外交が成立していると思っています」との、もっともな指摘だった。
 憲法改正や集団的自衛権に対して国民はどう考えているのか。読売新聞社が実施した世論調査(3月30、31日)では、「憲法を改正する方がよい」と答えた人は51%となった。「改正しない方がよい」は31%だった。集団的自衛権については「憲法を改正して使えるようにする」が28%、「憲法の解釈を変更して使えるようにする」が27%で、集団的自衛権容認が半数を超えた。また、憲法改正の発議要件を定めた96条については、「改正すべきだ」と「改正する必要はない」がともに42%で並んだ。
 目下の憲法改正議論を2つに分けて考えたい。
 1つ目は憲法改正発議のハードルを下げるための96条の改正だ。現状では改憲のためには衆院・参院の3分の2以上の賛成が条件となっているが、改憲派はこれを2分の1に下げる方針だ。弾力的な改憲を目指す措置だが、憲法は国家のルールを厳格に定め、時の権力が暴走するのを抑止するために存在する。それを時の権力が簡単に変えられる仕組みにすることに対しては熟慮が必要だろう。
 最終的には国民投票による過半数の賛成が必要とはいえ、過去の小泉郵政選挙、民主党の政権交代選挙が示すようにメディアも大衆も風に乗せられやすいことを考えると、憲法改正のハードルを下げることは危険かもしれない。他の先進国で2分の1という低いハードルを持つ国は果たしてあるのだろうか。
 2つ目の改正議論の標的は戦力の不保持、交戦権の否認をうたう憲法9条だろう。1項は「日本国民は正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」。2項は「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」。
 たったこれだけの条文でしか示されていないため、政治家や学者、評論家は国際環境がきな臭くなるたびにアレコレ議論し独自解釈がいくつも生まれる。いったい、この条文で何が許されて、何が許されないのか、正解が無い状態だ。
 国家のルールを定めた憲法にいろんな解釈があること、まして国家の独立・主権の礎たる国防に関係の深い条文がこのありさまでは。一度きれいに整理する必要があるのではないか、と考える。
 そのうえで、集団的自衛権の賛否を問えばよい。ただし、欧米の私的戦争に巻き込まれる可能性を徹底的に排除する必要がある。
 一方で、「平和憲法」をうたった9条改正は周辺国に与えるインパクトは良くも悪くも大きい。仮に自衛軍や集団的自衛権を「公認」したところで、覇権主義の中国共産党や北朝鮮の将軍様への抑止力となるか、それとも火に油となるかは、未知数だ。
 憲法改正の是非はいずれ国民に問われる。「一老人」さんのように、当事者意識を持って勉強したい。

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2013年04月23日

延命処置と自然死を語る

 日本人の医療費の70%以上は、いわゆる老齢者医療で、なかでも75歳以上の後期高齢者が多く占める。
 65歳以上の老人の全人口に占める割合は20年前は20%だったが今は30%を超えるようになった。
 山村へ行くとその比率が40%〜50%になって限界集落と呼ぶようになり、村の運営や維持ができなくなり、空き家と空き地が増え、人間の体でいえば、ぼろぼろになる。
 そういう状況の進むなか、少子化はますます進む。国家や市町の運営によほどの覚悟と前向きの指向で立ち向かわなければ、国は破算する。
 中井仁一、近藤誠の両医師はそれを心配しながら、医療改革の必要性を説く。
 それが「どうせ死ぬならがんがいい」とか、「大往生したけりゃ医療とかかわるな」、「がん放置療法のすすめ」などの著作となっている。
 両医師は病院勤務時代の若いころを思い出して、延命処置はやらざるを得ないから徹底的にやった。点滴は死ぬまでやるし、最後は強心剤とか、心臓マッサージをやって肋骨が折れるとか、日本人の死について触れている。
 家族としては辛くとも本人が死ぬべきときにはきちんと死なせてあげるのが本当の愛情で、虫の息の状態を引き延ばすのは問題であると指摘し、胃ろうに言及している。
 おなかに穴を開けて胃にチューブを差し込み、養分や水分を送り込む。フランスには「自分の口で食べられなくなったら医者の仕事は終わり。あとは牧師の仕事」という言葉があるらしいが、無理やりに押し込むのは一種の拷問だという。
 両医師は「救急車に乗らない、呼ばない」とリビングウィルに書いている。近藤医師は「そのへんで倒れてもほっとくように。そばによるな」と書いている。外で倒れたら病院に運びこまれるから。
 延命処置については、前もって家族にいっておけば、病院でいろいろ取り付けられた器具をはずしてもらえるかもしれぬ。「野垂れ死に」や「孤独死」は死に方では理想的といえる。医療者や家族の誰も邪魔しないから自然死できる。
 それでも問題はある。SOSを発信していれば応えねばならぬし、死後、早く発見してもらわないと、周りが迷惑する。
 これらは両医師の見解だが、だれもが必ず迎えねばならぬ死であるから、老人は常にそのことを考えて、準備し、家族や周りの者にその意志を伝えておくことが望まれる。
 近藤医師は「今は長寿社会というけれど長命地獄、医療地獄だ。医療を受けたあげくボケて、それでも薬を飲めば治ると信じて、また別のを飲んだり、日本人の一生に使う医療費の2割が死ぬ直前に使われる」。
 中村医師「それで香典医療といわれる。親がいざというときになって大あわてで延命に走らないように、親が余命6カ月といわれたら何をしてやりたいか、書き出して実行すること」。
 近藤医師「昔、家庭で亡くなった人の自然死は大部分が、がんです。多かったのは胃がん、あと女性は子宮がん。この二つはどっちもラクに死ねる。痛みがないから。それから病院に行かない老衰死。そのなかにもがんがいっぱいいたはず」。(参照「どうせ死ぬならがんがいい」宝島社出版)。【押谷盛利】

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2013年04月22日

市民の足元を照らす市政を(見聞録)

 彦根市長選は21日投開票が行われ、元県議で福祉施設所長の大久保貴氏(49)が1万6903票を獲得し初当選を果たした。現職で4選を目指した獅山向洋氏(72)は9600票、新人で国会議員元秘書の有村国知氏(38)は9412票だった。
 目立った争点こそなかったが、問われたのは現市政の継続か刷新かだった。しかし、その答えは4年前の市長選ですでに出ていた。
 当時、3選を果たした獅山氏の得票数は9675票に過ぎず、今回の得票とそう変わらない。ただ、4年前は獅山氏の他にも4人が立候補したため、市政刷新を願う票が分散し、結果として獅山氏が漁夫の利を占めた。実に75%が「死票」となった。
 そして、この4年間の獅山市政が市民の支持を得られなかったことは選挙結果が冷静に示している。
 一方、初当選を果たした大久保氏だが、獅山市政への批判票が集結したに過ぎず、大久保氏に熱烈的支持があったわけではない。市民からは「選挙の時だけ出てくる名前」と揶揄する声を聞いた。
 有村氏は立候補表明が遅く、知名度不足と準備不足だったが、若さと国会議員秘書経験の期待から現職に並ぶ得票で善戦した。
 今回の選挙戦で彦根市民にとって不幸だったのは、出自批判のビラが出回ったことだった。獅山氏はビラで、有村氏のことを桜田門外の変に参加した脱藩浪士一族の末えいだとして批判し、選挙の出陣式でも「直弼公に代わって戦う」と大見得を切った。彦根市民はこれに呆れていたが、全国ニュースでこれを知った人は「彦根市民は桜田門外の変に未だに遺恨を持っているのか」と、誤解したことだろう。
 さて、大久保氏が取り組むべき重要課題は何だろうか。まずは彦根市立病院の医師不足の解消であろう。特に10万都市の中核病院でありながら、産科医がたった1人しかいないという現状は、彦根で結婚し、子どもを産み、育てようという若者世代にとって不安材料でしかない。市のトップをはじめ市幹部は、長浜市や東近江市の病院に通う妊婦さんの気持ちを推し量るべきだろう。
 高齢化対策も急務だ。介護の必要な高齢者を施設だけで受け入れるのは限界にきており、地域で地域のお年寄りの医療や介護をサポートし、見守り、看取る、「地域包括ケア」の仕組みづくりが欠かせない。お手本は隣の米原市にある。
 さらに、少子化による人口減少社会の到来は目の前にある。2040年の彦根市の人口は今よりも1万人ほど減る見込みだ。人口の減少したまちをイメージし、再開発やインフラ整備の取捨選択を十分に検討せねばならない。
 彦根城の世界遺産登録よりも、切実な課題は山積している。市民生活を直視し、市民の足元を照らす市政運営が「福祉通」の大久保氏に求められている。

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2013年04月20日

医療は命を担保のバクチ

 患者と医師、治療と死は、だれもが考える重大な問題だが、医師側からの医師否定、薬否定は極めて珍しい。「どうせ死ぬなら、がんがいい」の著者・近藤誠、中村仁一医師らの発言は医師としての経験や研究の集大成としての見識であり、医学を超えた人間学の領域かもしれないし、哲学的、宗教的雰囲気をも感じさせる。
 この本は、ぎょっとするタイトルだが、医師と国民に目を覚まさせる不退転のメッセージとしてぼくは素直に受け入れる。
 近藤医師は「抗がん剤を無制限に投与し続ければ人は必ず死ぬ。抗がん剤の多くは公式に劇薬に認定され、その障害は海外では毒性と呼ばれている。臓器や組織の障害は、あるレベルを超えると心不全、肺不全、肝不全、敗血症などの形をとって患者の命を奪う。抗がん剤に限らず、患者の錯覚を利用して、お金を支払ってもらっているというのは一般的には詐欺という。医師の師も詐欺師の師に通じるところあり」、と本音をズバリ。
 中村医師は「医療、教育、宗教は恫喝産業だと思う。命がどうの、将来がどうのこうの、って言われたらみんな不安になる。その点、医者は恫喝のしかたがうまい。つぼを心得ている。インフォームドコンセントがどうのっていうが、結局、医者が自分のやりたい方へ誘導するわけ。自分のすすめる治療のいいことしか言わなくてマイナス面は隠すか、小出しにする。だからどうにでもなる。相手は素人だから」。
 近藤医師「医者はヤクザよりタチが悪い。ヤクザは素人を殺すことはしないし、素人衆に指を詰めさせることもない。ドロボーだって普通は金を取るだけだけど、医者の場合は患者を脅迫して、金を払ってもらっている上に、体を不自由にしたり、死なせたりするから、ほんとタチが悪い」。
 中村医師「医療っていうのは、命を担保にした博打です。どっちへ転ぶかは医者にも分からない」。
 近藤医師「医療は恫喝産業でもあるし、不安産業でもある。不安をあおってファンを増やす」。
 中村医師「不安をかき立てたら患者は来ます。治療しなかったらこうなります、と不安がらせるし、脅す。検診でも人間ドックでも、10項目も受けたら、どっか悪いと言われる。それに加えてさらにいろいろ、見つかるわけだから、年取ったらなおさらどっか悪いのが普通で、正常なんてあり得ない。だから検診や人間ドックを受けるほど病人は増える。医者は患者を思考停止させた方が繁栄するから治療のいい面ばっかり言ってマイナス面は隠して洗脳する。検診でなにか見つかった患者が、様子を見ます、というと、そんなことをして手遅れになったらどうすると脅す」。
 近藤医師「私は患者に、検診で見つかったがんは忘れなさい、という。ストレスになるから検査を受けたところから今までのことはすっぱり忘れなさい、と。それから70超えたら医者いらず。ほんとは60超えたらって、言いたいところなんだ」。
 中村医師「繁殖を終えたら検診なんて受けない方がいい。手遅れの幸せを満喫するために」。
 近藤医師「みんな老化だから仕方がない、と言われたくなくて、病気だからこうしたらいい、と言ってほしいのだ。歳を取ったら、腰が痛い、肩が痛い、足が痛いというのは当たり前」。
 中村医師「やっぱり病院はホイホイと行くところじゃない。みんなどんな病気で来ているか分からないんだから。軽い病気で行って、重い病気をおみやげにもらって帰ることって、十分あるから、本来いのちがけで行くところなんです」(つづく)。【押谷盛利】

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2013年04月19日

投資も言葉も前向きに(見聞録)

 安倍内閣主導の積極的な金融緩和、財政投資が投資家に歓迎され、株価はぐんぐん上昇している。今月5日には4年8カ月ぶりに日経平均株価が1万3000円を突破した。
 株価の上昇、下降は株を買いたい人と売りたい人のバランスで決まる。買いたい人が増えると株価が上がり、売りたい人が増えると下がる。需要と供給のバランスで価格が決まる市場原理の鉄則だ。
 では株の売買について投資家は何を判断材料としているのだろうか。一つは新聞やテレビなどのニュースから対象企業の業績を分析する。もう一つは政府の政策や海外の景気動向。さらに、もう一つは実際の株価の動き。
 以上の情報をひっくるめて、対象企業の株価が上がりそうな気配なら買い注文が多く入るし、逆の場合は売り注文が多くなる。結局、株価が上がりそうか、下がりそうか、そういう投資家の「気持ち」が株式市場、ひいては経済を支配している。よって実態経済とかけ離れたバブルが発生もするし、リーマンショックのような投資意欲の減退が世界経済の低迷を引き起こす。
 今の株価上昇も投資家が「株が上がりそうだ」と前向きな気持ちになっているからに他ならない。
 「気持ち」という不確かな人間心理が世界経済を動かしている現実に危なっかしさを感じるが、株売買だけでなく、日常生活の何事にも気持ちは「前向き」でありたいと考える。
 そんな今、気持ちが前向きになれる「ネガポ辞典」が売れているそうだ。「ネガティブ」(否定的)な言葉を「ポジティブ」(肯定的)に言い換える便利な辞典で、例えば「八方美人」というやや批判的な言葉を「フレンドリー」「愛想がいい」「気配り上手」と表現するようにと、解説している。
 他にも▽「愛想が悪い」は「媚を売らない」「他人に流されない」に▽「存在感がない」は「まわりにとけ込める」「縁の下の力持ち」に▽「流行に疎い」は「伝統を大事にする」「ゆったりしている」—という具合。
 この言い換え辞典、札幌市内の女子大生が考案し、インターネット上で発表。あまりの人気ぶりに昨秋、書籍化し、今も増刷を繰り替えしている。
 「不景気、不景気」と嘆いたところで、投資や消費意欲は向上しない。ネガポ辞典に「不景気」の言い換えは載っていないが、「次なる飛躍への準備期間」「大切な時期」などと言い換えれば、前向きになれる?

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2013年04月18日

死ぬなら「がん」がいいの本

 ぼくは今、「どうせ死ぬなら、がんがいい」という面白いタイトルの本を読んでいる。腹を抱えて笑う箇所もあり、一部を紹介する。
 宝島社の発行。著者は、元・高雄病院長、現在、老人ホームの診療長で中村仁一医師。もう一人は「患者よ、がんと闘うな」で有名な近藤誠医師で、慶応大学医学部放射線科講師。
 中村医師は市民グループ「自分の死を考える集い」の主宰。著書「大往生したけりゃ医療とかかわるな」は50万部のベストセラー。
 近藤医師は乳がんの乳房温存療法の日本の先駆者。「がん放置療法のすすめ」が文芸春秋から出ている。
 近藤医師は、「治療で苦しんでもメリットがあればいいが、例えば乳がんはリンパ節をとっても生存率があがらないことが1985年までに証明されている。なのに日本では今もリンパ節を切り取っている。米国では早期前立腺がんの患者367人を、いっっさい治療しないで15年観察した結果、なにもしないで様子を見るという放置治療が最良という結果が出ている。スウェーデンでも同様に10年観察した結論も同じだった。日本では相変わらず前立腺がんの多くは見付け次第切り取られている、と述べている。
 また、日本人のがんの9割を占める固形がんは抗がん剤で治ることはないし、延命効果さえ証明されたデータが見当たらない、と説いている。固形がんは近藤氏によると、胃がん、肺がん、肝臓がん、大腸がん、乳がんのようなかたまりを作るがんで、これらは抗がん剤が効かない。抗がん剤で治るのは全体の1割。60歳を過ぎると治らないから抗がん剤を使っても無意味である、と言い切っている。
 中村医師は「病院は不安だから行く。同じように腹をこわしても、のんきな人は、あれ食ったせいだな、しばらく様子を見よう、と病院に行くことはない。ところが心配性の人は、ちょっと痛むと大変な病気かもしれない、と医者に行く。昨日、何を食べた…、そういえばあれのせいかも、って安心して、ついでに検査もして帰ってくる。すると早期がんが見つかったりする」という。
 中村氏は今年73歳だが、健康のことでは何もやっていないという。賞味期限が切れてるのに今さらそんなことと、打ち消している。
 不整脈は今もあり、40代の時にはものすごい不整脈で、早鐘のように脈打ったかと思うと心臓が2秒半くらい怠け、胸がつまって夜中に飛び起きた。しかし医療の限界も不確実性も身に染みていたし、薬を飲んで上っ面だけ帳尻を合わせるのはイヤだから聖書や仏教の本を読みあさっているうちに、思い通りにならないものを思い通りにしようとするから苦しい、との考えに出会った。それでラクになったという。
 血圧はいま200を超え、夜中によく呼び出されるし、人の声がときどき遠くに聞こえたり、景色が揺れたり、ほかにもあちこち具合が悪くなっているから、この体で長生きしたら大変だと悟りきっている。近藤氏も検診は受けないし、自分の血圧も知らない、薬も飲まない、という。氏は、健康な人が特に避けるべきは放射線検査だという。放射線は細胞の中のDNAを必ず傷つける。放射線を浴びた量によって1歩になるか100歩になるか、違いはあるが発がんに向かって確実に歩を進めると忠告する。
 中村氏は子どものころの強制予防接種は別として、点滴や整脈注射など直接、体の中に異物を入れられたことはない、と言い切っている(以下次回に続く)。【押谷盛利】

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2013年04月17日

きな臭い世界への備え(見聞録)

 1897年に始まったボストンマラソンは、オリンピックに次いで古い歴史を持つスポーツ大会。多くの日本アスリートが出場し、瀬古利彦氏は2回優勝している。世界の強豪選手も名を連ねるが、一般市民にも開放されており、日本からもツアーで参加できる。
 きのう16日、ボストンマラソンのゴール付近で発生し、3人が死亡した爆破テロは、米国で起きたものとしては2001年の同時多発テロ以来、最大規模の惨事となった。
 対テロ戦を掲げる米国はアフガニスタンやイラクに侵攻したが、両国ではテロの連鎖が止まることはない。国家間の戦争なら無敵の戦力を誇るアメリカでも、犯行対象を選ばない無差別テロとの戦いには苦戦している。
 今回の爆破テロはイスラム教原理主義者などの反米組織によるものか、それとも米国内の不満勢力か、気が狂った愉快犯なのか、捜査当局の発表が待たれるところだ。いずれにせよ世界的スポーツ会場を標的とすることで世界の注目を集めたい卑劣漢の仕業である。
 そういえば、北朝鮮も「無慈悲な核攻撃で報復する」「あとはボタンを押すだけ」とミサイル発射をちらつかせているが、世界の注目を集めたい、という意味では若き将軍様の思考回路はテロ犯とそう変わりない。
 日本は北朝鮮のミサイルの標的になっているだけではない。アルジェリアでは日本人10人がテロ犯に殺害されたし、領土拡大に野心的な中国の軍事的脅威も差し迫っている。
 中国が16日発表した防衛白書では沖縄県の尖閣諸島の国有化に対して日本を名指しで批判し、「中国軍は中国の主権と安全、領土を脅かす行動に即応し、断固として防止する」と宣言。特に海洋管理の強化を掲げ、尖閣諸島や、東南アジア諸国と領有権を争う南シナ海での活動強化をうたっている。人民解放軍当局者は記者会見で「戦争には反対するが、国家の核心的利益は絶対に犠牲にしない」と主張するなど、対外強硬姿勢をますます先鋭化させている。
 邦人を巻き込む海外での無差別テロ、隣国による領土侵犯という現実を目の前にして、今、60年前に制定された憲法の改正が議論されている。
 憲法を不可侵のものと神聖視し、「憲法9条を守れ」と念仏のように唱えたところで、北の若き将軍様が核開発を放棄することも、中国が尖閣諸島を諦めることもない。日本が独立した主権国家として国民と国土を守るために、戦力の不保持と集団的自衛権の禁止をうたう第9条の改正こそ急務ではないか。
 目下、憲法改正のハードルを下げるため、憲法96条の改正が議論され、夏の参院選の争点となりそうだ。今の日本に憲法改正は必要なのか否か、我々も予習する必要がある。

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2013年04月16日

松の新芽を称える

 松の新芽が萌え立つように鮮やかになってきた。松の芯のすくすくと天を差す姿は少年期から青年期へ伸びてゆく人間を想像して楽しくなる。
 俳句の季語でこれを「若緑」、「若松」、「初緑」、「緑立つ」、「松の緑」、「松の芯」という。いずれも晩春の季語である。
 松は年中、あおあおと緑を変えることがないから、不老長寿のシンボルとして日本人に愛されてきた。
 紅葉の季節になっても葉が散ったり、色の変わらないのを験が良いとして、門前や庭に松を植えるのが日本人好みの伝統である。
 俳句の世界では、松を称えて、秋の季語に「色変えぬ松」といった。
 松のみどりは、お家繁昌の象徴であり、枝を四方に伸ばしたり、竜のかたちに横這いさせるなど松と人間の係わり合いは深い。
 したがって、人の名前にも松は取り入れられる。松五郎、松太郎、松平、松市、力松。有名人では女流日本画の大家・上村松園がある。京都生まれで、竹内栖鳳などに師事し、昭和23年、女性で初の文化勲章を受けている。代表作では「序の舞」が広く知られ、切手にもなっている。
 正月に門松を立てる風習も松にあやかってのお家繁昌への祈り心といっていい。松は色変えぬ緑に関心が注がれるが、やはり植物であるから花も咲くし、実もなる。
 松の花は春の季語だが、多くは見過ごされ、珍重されるのは実である。秋の季語で「新松子」、「青松毬」、一般には「松ぼっくり」、「松笠」、「松ふぐり」などの愛称を持つ。松ふぐりはその姿が男性の玉キンに似ているところからの命名でユーモラスなのがよい。
 ぼくの子どものころは、晩秋になると、松山へ出かけて松ぼっくりをカマスに一杯拾った。燃料に使い、火持ちがよくて喜ばれた。薪や柴を焚くための火種用には落ちた古い松の葉を利用した。村ではこれを松葉かきといい、山家の子どもの放課後の仕事だった。
 松といえば、昔から詩人は松に吹く風に心を止めた。松の梢に吹く風を「松籟」といい、風流人は、これを「松涛」と称した。涛は海の波のこと。松の梢を渡る風の音を波音にたとえたもので、その命名の感覚に感服する。
 ぼくが少年時代、尼崎でアルバイトしていたころ、なじみのウドン屋の名が松涛庵だった。珍しい名前で、今に忘れないが、なぜ、この名にしたのか、それを聞かなかったのは、ぼくの不勉強のせいだった。【押谷盛利】

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2013年04月12日

いよいよ開幕、曳山まつり(見聞録)

 長浜曳山まつりはあす13日未明の「起し太鼓」で開幕する。この日は子ども歌舞伎を長浜八幡宮に奉納する順番を決める「籤取り式」があり、夕方には「十三日番」と呼ばれる地元での初めての歌舞伎公演がある。
 14日は午前中の歌舞伎公演の後、「登り山」と「役者夕渡り」が見どころになろう。そして15日にいよいよ本日を迎える。
 子ども歌舞伎の演目(曳山まつりでは「外題」と呼ぶ)は、萬歳樓が「壷坂霊験記」、翁山が「一谷嫩軍記」、孔雀山が「義経千本桜道行初音の旅」、常磐山が「源平布引滝実盛物語」。萬歳樓は夫婦愛を描いた世話物を上演し、他の3組は源平合戦や源氏再興、義経の都落ちなどを背景にした源平ものとなっている。定番の演目ではあるものの、時代背景や登場人物の関係などを予習しておかないと、当日の舞台だけでは理解しにくい場面もある。
 先週から今週にかけて各山組の稽古場を取材し、子ども達の稽古風景を写真におさめたが、いつもながら子ども達の演技力に脱帽させられる。子ども達には理解しがたいであろう忠義、人情、夫婦愛を表現しなければならない。振付師の先生も、歌舞伎独特の言い回しや所作を春休みだけでモノにする子ども達の吸収力を不思議がっていた。
 その子ども達の無限とも思える吸収力はまつりが始まっても衰えることはない。
 13日の「十三日番」での初公演以来、回を重ねるごとに演技に磨きがかかる。本日朝の長浜八幡宮での奉納演技は大勢の参拝客に見守られるためか、やや緊張しがちだが、奉納後に2回行われる大手門通りでの公演ではリラックスし、夕刻のお旅所での公演は提灯に明かりが灯るせいか、なんとなく艶っぽい。
 今年は本日が月曜日となるため、観賞が難しい市民も多いことだろう。このため、13日、14日に行われる地元での公演を見に行くのも楽しいし、14日の登り山では胴幕、見送り幕で着飾った絢爛豪華な曳山を目にすることができる。同日午後7時からの「役者夕渡り」では化粧した役者装束の子どもが長浜八幡宮から地元の山組まで練り歩く。沿道から子ども役者を見ることができ、運がよければ目の前で見得を切ってくれる。本日以外のまつりを楽しむのも一興かもしれない。

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2013年04月11日

桜の花よもやま話(時評)

 風は寒いが、陽気は春たけなわの感じで、列島は桜前線が足早に北上してゆく。
 京都から南や西は散り桜で、間もなく葉桜となるだろう。彦根、長浜、木之本、海津大崎などの桜はほぼ満開、今週末がピークとなるだろう。
 日本人と桜は、歴史的にはいつごろから、こんなに深い関係になったのだろうか。万葉集や古今集などに一番よく登場するのは梅であり、桜はその後塵に甘んじている。
 江戸時代の著名な国学者・本居宣長(1730〜1801)が、「敷島の大和心を人問はば 朝日に匂ふ山桜花」と歌ったように、その、薄くてあっさりした軽やかさが尊ばれた。日本の古典で有名な「源氏物語」は平安時代の公家社会を背景にした日本の小説の元祖だが、その後、平家物語などの軍記物語のほか多くの物語文学が輩出した。それらのなかの一つに、庶民に親しまれてきた「御伽草子」がある。室町時代から江戸期の初めに書かれた、とされているが、これを読むとその時代の風俗や花、上流社会の暮らしぶりなどが参考になる。
 新潮社の「御伽草子集」の「浄瑠璃十二段草紙」には源義経を主人公にした美女との恋物語など興味を呼ぶが、そのなかに出てくる鳥や花の名が参考になる。
 例えば「弥生なかばのころには、楊と梅、桃と李の花が咲き乱れる」とある。あるいは「遊糸繚乱」ともある。遊糸はかげろうのこと。鳥の名では、をしどり、かもめ、かいつぶり、雁、鴨水鳥。花の名では、紅梅、白梅、八重桜、白玉椿、岩つつじ、牡丹、しゃくやく、かきつばた、ききょう、刈萱、をみなへし、紫苑、りんどう、われもかう、白菊、黄菊などが登場している。
 日本庭園に植えてあるのは、唐松、富士松、五葉の松、子の日松などとある。
 さて、明治この方、さくらが日本を象徴するように、河川、公園、名所、旧跡にその苗木が植えられ、桜守による行き届いた管理の成果がいま見事に開花した。
 どこまで行っても桜の名所とばかりである。桜のトンネルで、人生の春を満喫し、花の下でご馳走を楽しむ。いつごろから言い出したのか、いろはかるたにある「花より団子」とは言い得て妙である。
 昔の花見は団子がつきものだったのかもしれない。それが、ぜいたくになって、花見弁当や花の下での「すきやき」となった。いずれにしても花を口実に遊山三昧が目的なのだ。それは平常は仕事に追われ、寝る間も惜しんで働く日本人だから、せめて、正月やお盆のほかは、祭や花見、紅葉狩りで心身を癒やそう、という切ない願望といえる。
 満開は最高だが、散り始めもよし。花吹雪もよし。葉ざくらもよし。縁あって花をしみじみ観賞できる人は幸せというべきであろう。【押谷盛利】

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2013年04月10日

裸参り、まつり到来告げる(見聞録)

 長浜曳山まつりは、いよいよ今週土曜日の13日に開幕する。子ども歌舞伎を奉納する今年の出番山は萬歳樓、翁山、孔雀山、常磐山の4山。それぞれの外題を簡単に紹介すると—。
 萬歳樓の「壷坂霊験記」は盲目の亭主と貞淑の妻の夫婦愛を描いた世話物。一人二役の早着替えに注目のほか、ところどころに「お笑いネタ」を施しているのが愉快。
 翁山の「一谷嫩軍記熊谷陣屋」は源平もの。義経からの密命で院の血を引く平家の若武者を救うため、身代りとして実子に手をかける源氏方の武将を描く。歌舞伎定番の涙を誘う物語。
 孔雀山の「義経千本桜道行初音の旅」は源義経の都落ちが背景になっている。恋人の静御前が従者(実は狐の子)を連れて、義経が隠れる桜満開に吉野山を訪れる。狐の子が追っ手を鮮やかに翻弄するシーンが楽しい。
 常磐山の「源平布引滝実盛物語」は平治の乱の後、源氏再興のため、源氏のシンボルである「白旗」を平家方から守る物語。振付、太夫、三味線の3役すべてを地元の人材が担当しているのが注目される。
 小生はすべての稽古場にお邪魔させてもらった。歌舞伎の稽古は春休みを中心とする2、3週間だけなのに、子ども達は歌舞伎独特の言い回しや所作、踊りを身に付け、その不思議なまでの吸収力に毎年のように驚かされる。それと同時に、裏方としてまつりを支える若衆の献身に頭が下がる。
 きのう9日夜から出番山の若衆が長浜八幡宮へ詣でる「裸参り」が始まった。まつりの成功、役者の健康、籤取り式での一番山当選を八幡宮に祈願する行事で、12日まで4夜連続で行われる。
 若衆らが各山組の詰め所から八幡宮まで、弓張り提灯を手に、「ヨイサ、ヨイサ」の掛け声勇ましく練り歩く。新聞やテレビでは八幡宮の井戸に身を沈めて手を合わせるシーンが取り上げられるが、あれは本殿へのお参りを前に、身を清めている場面。若衆が手を合わせているので「裸参り」のイメージとしっくり合うシーンではある。
 さて、裸参りの目的である本殿へのお参りでは、赤鉢巻の籤取人を中心に若衆らが二拝二拍手一拝で気を鎮め、「役者の健康」「まつりの成功」「一番山当選」などと口々に声を張り上げる。「○○にいい嫁さん」と、プライベートな「お願い」も飛び出すこともある。
 若衆はまつりに向けて、子ども役者の世話、道具の準備、資金集めなど、もろもろの裏方に徹している。子どもが主役の神事とはいえ、若衆あって成り立っている。裸参りはそんな裏方に徹している若衆が唯一、「主役」になれる行事であり、その熱気から若衆のまつりにかける思いが伝わってくる。
 「ヨイサ、ヨイサ」の勇ましい掛け声が、まつりの到来を告げる。

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2013年04月09日

政治と新聞と言論達意

 滋賀夕刊のコラムの一つに「言論達意」があり、丹部記者が執筆している。言論達意の4文字は、30年程前に、ぼくが考えたスローガンで、若い記者に記事を書く上での心構えとして編集室に張り出したものである。
 「言論」は、読んで字の如く、発言したり、ものを書くことを意味する。
 言論の自由は民主主義の基本であり、政治はもちろん、公私いずれの場合も公序良俗に反しない限り、どんな言論も許される。
 「達意」の意は心であり、達は達成すること。要するに、言論は、語る人、書く人の心が、はっきりと相手側に伝わらなくてはならない、ということ。
 政治家の演説は何を言っているのか、何がいいたいのか、明瞭でなければならない、とするのも言論達意の問題である。
 ぼくが若い記者諸君に示した意味は「記事は分かりやすく明瞭に、読者に伝わらねばならない」という、言わば記者の原稿書きのイロハを4文字に圧縮したまでである。
 言論は議会での演説、新聞や雑誌の記事、テレビの討論やニュースなどを思い浮かべるが、聞いていて、前段や後段に力が入り過ぎて、肝心かなめの本論がぼやけていたり、複雑すぎて理解に困ることがある。時間の経過に反して、内容が明瞭にストレートに伝わらない場合は、聞く側がいらいらしたり、ときには居眠りすることにもなる。
 新聞記事の場合も同様である。だらだらと長い文章で、内容が貧しければ、読者は読みづらいし、読む努力を放棄するかもしれない。簡潔にして要領よくというが、そこがくせもので、記者にすれば苦労して取材したのだから豊富な取材内容をあれも、これもと詰め込みたいわけだから矛盾する。
 詰め込みたいもろもろを削り、省略して引き締まった文章にすれば読みやすいし、興味が湧く。記者に限らず、すべての広報活動や、会社などの宣伝活動、役所や団体の資料PRなども、書く側の心や意図、ねらいが、相手側にぴんぴんと気持ちよく伝わらねば効果はない。
 文章の本職は作家であるが、古来、名文として歴史に残るのは「達意」が鮮やかである。小説などは取り上げたテーマや内容にもよるが、文章にリズム感があり、緩急自在、主人公、脇役の言動や状況の描写などのほか、骨格の構成がゆるぎなく、読者を吸い込ませる文章力はただごとではない。
 日本人は、長い封建時代の影響を受けて、「もの言えばくちびる寒し」の警戒感と消極性が言論文化の開花を遅らせてきたが、今もその傾向は残っており、何かの発言をする場合、賛否をはっきり言わなかったり、何を言いたいのか、しどろもどろでお茶を濁すものが多い。
 会合などでも、当局や執行部批判が陰にこもって表に伝わらず、仮りに発言しても悪者扱いされるのを恐れて、ああでもない、こうでもないと、時間を無駄にする。会議や討論のあり方の未熟さは民主主義の未熟さにも通じるのではないか。【押谷盛利】

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2013年04月08日

GW旅行、過去最多(見聞録)

 ゴールデンウイーク(GW)のスタートまで3週間を切った。今年はカレンダーの都合上、前半の3連休(4月27〜29日)と後半の4連休(5月3〜6日)に分断される。平日の3日間を休めば10連休となるが…、読者の皆さんは予定を立てられただろうか。
 4月25日から5月5日の航空会社の予約状況、アンケート調査などから旅行傾向を推計したJTBによると、GWに1泊以上の旅行を計画しているのは2279万6000人で、過去最多になる見通し。
 国内旅行は前年比1%増の2223万人で、NHK大河ドラマ「八重の桜」の舞台になっている福島県の会津地方など東北方面、LCCの沖縄線の便数増加、新石垣空港の開港により沖縄方面などが人気を集め、東京スカイツリーや、開業30周年を迎える東京ディズニーリゾートなどを目当てに関東へ行く人も増える。
 海外旅行は前年比5・0%減の56万6000人で、長い休みが取りにくいことと、円安が原因と見られる。
 行き先の一番人気は韓国で11万4000人。竹島問題や仏像盗難問題などによる日韓関係の悪化からか前年に比べ10・9%減った。二番人気は中国の7万8000人。こちらも国際関係の悪化、PM2・5の大気汚染などで18・8%の減少となっている。
 台湾、タイ、シンガポール、ハワイなどは伸びを見せている。
 GW中の宿泊、交通、食事など旅行による消費額は9245億円にのぼるという。国内の旅費平均は3万5900円で前年比2・9%増、海外は22万3400円で同6・4%増。アベノミクス効果による明るい景況感に後押しされているのか、国内、海外ともに支出を増やす傾向にあるという。
 アンケートによると、旅行目的は①帰省、離れた家族と過ごす25・7%②家族と楽しく過ごす12・3%③温泉10・7%—など。一方、旅行に行かない理由は①混雑するから34・3%②家でゆっくりしたい19・2%③仕事などで休暇が取れない19・2%—などとなっている。
 注目したいのは旅行に行かない理由の1位となっている混雑問題。これが緩和されれば、国内旅行が大幅に増え、旅行支出が1兆円程増えるという試算を過去に観光庁が発表している。同庁が実施したアンケートでGW中に旅行に行かなかった人の3割が、混雑が解消されれば「宿泊旅行に行く」、旅行に行った人の4割近くが「もっと行く」と回答している。
 この効果を狙って民主党政権時代、春と秋に5連休を設定し、全国を5ブロックに分けて連休の時期を一週間ずつずらす案が検討されたが、その後の進展の話は聞かない。▽違う地域の家族や友人と休みが合わない▽祝日の意義が薄れる▽取引先との関係で休みが取れない—など反対意見が相次いだからだ。
 切っても切れないGWと混雑。それでも庶民の旅行熱は高い。

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2013年04月06日

墓と氏神と日本の歴史

 葬式無用、墓も要らない、という変な話が出回っているが、そんな話がどこから出たのか。まともに議論するのはバカげているが、こういう人は、さらに進んで「日本は要らない」というかもしれない。
 「おれたちは地球人だから国境にこだわるのはバカげている」という発想になりかねない。
 葬式も墓もいらないというのは、歴史や伝統の否定でもある。
 日本には伊勢神宮があり、国の「御親」として、代々の天皇以下、国民があげて尊崇しているが、これは宗教ではなく、国の根源、民族の根源、われわれ自身の親さまに対する甘えであり、あこがれである。
 日本はどこへ行っても、その土地、その土地に氏神が祀られている。氏神はその土地の守り神である。祭神は大昔の私たちのルーツであり、その霊を祀っているのが氏神という神社である。
 ありていにいえば、墓所でもある。墓のことを「奥津城」というが、外界から遮られた奥まった所。神の宮居。神道では神霊を祭ってあるところ、と大辞泉は説明している。
 織田信長は覇権の過程で比叡山、その他の寺院を焼き討ちしたが、神社だけは手が出なかった。それは国のルーツ、自身のルーツの霊域(神域)だからだ。
 根源的には墓も神社も一つであり、戦死者を祀っている靖国神社も見方を変えれば墓所である。出征兵士が、戦闘中、互いに「靖国で会おう」と別れの言葉を交わしたのは、国家を守る鬼神としての覚悟の表白であり、それは軍国主義的愛国心などという無礼なるものではなく、身を滅して大義に生きる、という壮絶な祖国愛の叫びである。それは、万葉集に出てくる防人の思想と同じく、崇高なる国土と天皇への献身的愛の発露といえる。
 国があって、われわれは存在する。国と国民は一体不離の関係にあるという思想で貫かれているのが日本の歴史であり、伝統である。この出発点を否定する人は、墓も否定するし、葬式も不要と叫ぶが、これは亡国の思想であり、共産国家の指導者は歓迎するだろう。
 葬式や墓の否定は家の否定でもあり、本来的には無宗教の宣言でもある。
 宗教的情操があるからこそ、人は死を安んじて受け入れ、過去と未来の接点としての自分の存在を自覚し、家庭の幸せ、地域社会、国家への献身に意識的生き甲斐を覚えるのだ。
 われわれは自分の力、生命力で生きている、と錯覚しがちだが、個人の力などというものは、蚊の鳴き声にもひとしく、弱くて哀れな存在である。見えない神仏のお陰を24時間頂いており、国家、社会の手厚い保護を受けており、日常生活のすべてにおいて、あらゆる人々の絆と大自然の恩恵を受けているのだ。それへの報恩はただただ「感謝」と合掌の祈りである。
 死を大事にする人は葬儀も墓も大事にする。【押谷盛利】

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2013年04月05日

電王戦と2045年問題(見聞録)

 目下、コンピューター将棋ソフトとプロ棋士による5対5の対抗戦「第2回将棋電王戦」が行われている。第1局はプロ側が勝利したが、先月30日の第2局は佐藤慎一四段がコンピューターソフト「Ponanza」に敗れた。
 コンピューターが男性プロに勝利するのは初めてのこと。日本将棋連盟長浜支部の日比野静也支部長は「対局ではコンピューターが即座に駒を打ったり、長考したりしていた。コンピューターというより人工知能だ」と指摘している。
 チェスは1997年に当時の世界チャンピオンが敗れているが、将棋は取った駒を再使用できるなど選択肢が幅広いため、構想や大局観、経験を持つ人間の棋力が圧倒的に勝っていた。しかし、コンピューターの驚くべき進歩スピードを考えれば、遅かれ早かれ、人間の思考能力を凌駕するのは必然で、2010年ごろからコンピューターが人間に勝ち始めた。佐藤四段を破った同ソフトは1秒間に3000万〜4000万局面を読むように設定されていた。さらにストレスやプレッシャー、焦りを感じることもなく、黙々と「0」と「1」の電気信号をやり取りし、最善の手を打つ。
 コンピューターの進化はとめどない。いつでも、どこでも、あらゆる情報をやり取りできるスマホ、世界中の商品を取り寄せられるネット・ショッピングなど、20年前には思いもしなかった。
 ある説では、2045年頃にはコンピューターの処理能力が全人類の能力をはるかに上回り、人類史上のかつてない大きな転換期を迎えるという。この説は「2045年問題」と指摘され、いくつかのシナリオが予測されている。
 人類とコンピューターが敵対するシナリオは「ターミネーター」や「マトリックス」といった映画に見られるように、人工知能を持つコンピューターの自我覚醒による。
 共存シナリオではコンピューターは人間の能力を拡張してくれる。例えば人間の脳にマイクロチップ状のコンピューターを埋め込むことで、記憶力が無限になり、思考するだけでインターネット網に接続し、あらゆる情報をやり取り出来る。
 また、敵対でも共存でもなく、コンピューターの進化が人間の仕事を奪い、失業者を生むかもしれない。企業の事務処理や自動車の運転、裁判所の判決、株取引など、すべてをコンピューターがこなし、企業の経営判断もコンピューターが行う。人類の活躍の場は複雑な肉体労働現場だけとなるかもしれない。
 例えば新聞社では、記者は取材先でビデオカメラを回すだけで、後はコンピューターが映像と音声から勝手に文章を組み立て、不足するデータをインターネット網で補完し、記事に仕上げる。ニュース性の大小を判断し文字数や見出しを調整し、レイアウトを組んで、各家庭に送信—という具合。記者はコンピューターのお手伝いにすぎず、記者とは呼べない。
 2045年問題を一笑に付す学者も少なくないが、加速度的に進化するコンピューターがどのような未来社会を招くのか。そして音楽や絵画といった人間的感性まで収得してしまうのか、見てみたい。

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2013年04月04日

葬式仏教と死者の覚悟

 1日の見聞録に「葬式は要らない」という本が売れているとか。葬儀を行わない、僧侶を呼ばない、戒名をつけない、墓を持たない、という、お寺離れの世相に触れている。
 つい、腹が立って、バカヤローと言いたくなるではないか。
 このごろはペットブームで、飼い主の愛情はひととおりではない。犬の散歩に寒いからと、合羽を着せたり、猫に暖房したり。ペットの死に、お経を上げたり、納骨堂での永代経など人間並みの弔いをするご時世を思うと、人間の死を何と考えるのかと、涙が出る。
 葬儀をしないとか、墓を持たない、とかを手柄顔でいう人は無神論の者か、宗教心のかけらもない人だろう。
 人は木の股から生まれたわけでなし、生みの親、育ての親さまを大切にし、その死をねんごろに弔うのは人の道というよりも、しなくてはならない本能ともいえる。
 死はこの世からの永遠の別れであり、肉親、親族はもちろんのこと、縁ある人々が思いをこめてその旅立ちの幸せを祈るのが道理であり、その儀式が葬儀である。
 葬式無用論は「お寺離れ」によるのかもしれないが、葬式は何も仏式に限らない。神式もあれば、無宗教もある。全体的に見て仏式が多いから、葬儀だけでなく、仏事一切において、寺院に対する風当たりが強い。その点は寺院側の経営方針や宗教活動、ありていに言えば門信徒の信頼関係と、門信徒自身の信仰に関わってくる。
 寺院にとって「葬式仏教」といわれるのは恥ずべきことで、それぞれの宗派の開祖、開山には思いもかけぬ宗教危機といえるのではないか。
 元をただせば、おかねの問題である。信仰の指導者であるべき僧侶が、資本主義のなかで、一般門信徒なみの物質社会を生きることになり、寺院の経営と私生活の維持にカネが要る。したがって、葬儀や仏事法要などは収入の手段となった。手段化した以上、より多くの収入を得るため、葬式や仏事にA級、B級などの格差を設けるようになった。信仰とは別の次元で葬式が金もうけの手段になったから、寺院への不信が台頭した。
 葬式に巨額の金が必要だというのは、寺側よりもむしろ、今、行われている葬儀社一任による。通夜も湯灌も葬式も、野辺送りも一切合切「引き受け申し候」の請負業が普遍化したことによる。
 いうなれば、楽して死者を送るやり方だから、その分、おかねがかかる。電車や徒歩で帰るのと、タクシーで帰るのとの違いである。
 カネのかかる葬儀を少しでも安上がりでと考えるのは分かるが、昔風の人間は、常に死を考えて生きている。葬式代は貯金しておくとか、保険に入る。
 死人に口はないが、延命施術を拒むリビング・ウィル(生前意志)と同じで、自分の葬儀や墓に対して、希望を言い残しておくのも一つのやすらぎであろう。【押谷盛利】

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2013年04月03日

中小企業経済の行方(見聞録)

 アベノミクスに対する期待感は株価上昇となって市場を賑わし、90円台を維持している円安と合わせて、日本経済の浮上を印象付けている。
 株高は資産拡大↓投資や消費の増大↓企業の業績回復↓賃金上昇↓個人消費の拡大という効果を生み、円安は輸出企業の業績回復↓賃金上昇↓個人消費拡大という流れが想定される。
 春闘では自動車メーカー7社やメガバンク3行が増額・満額回答するなど、明るいニュースが相次いだ。
 しかし、この期待先行の景気回復が低迷する日本経済へのカンフル剤となりえるのだろうか。
 日本経済を分かりやすく示すデータがある。厚生労働省がきのう2日に発表した「毎月勤労統計調査」によると、2012年冬のボーナスを支給した事業所は71・1%。事業所の3割がボーナスを支給しなかった。しかも平均支給額は前年比1・5%減の36万5687円で過去最低を更新した。
 この統計データは常用労働者(5人以上)の事業所を対象とし、中小企業の実態が反映された数値となっている。新聞やテレビで報じられる大手企業のボーナス金額と大きくかけ離れていることが分かる。
 これが昨冬の日本経済の実態だ。そして、今の大企業の明るい材料が末端の中小企業に波及する前に、難題が待ち受けている。
 一つは円安。原材料の輸入コストの上昇で収益構造が悪化し、電気やガソリンの値上げもランニングコストに深刻な打撃となる。もう一つは消費税。1年後には税率が8%に引き上げられる。
 また、中小企業が金融機関への借金返済を先延ばしできる「金融円滑化法」が3月末で期限切れとなった。2008年の金融危機対策として民主党政権が打ち出した奇策だったが、今後、制度を利用した30〜40万社のうち2割弱にあたる5〜6万社に倒産のリスクがあると試算されている。
 中小企業を取り巻く環境の厳しさは今後ますます加速する。長浜市内でも最近、ある企業が倒産し、「明日はわが身か」と危機感を募らせる事業所も少なくない。
 株価も消費も、それらを動かすのはつまるところ、人の心「マインド」だ。投資したい、モノを買いたい、と国民の多くがそう思い、実行することで、実態経済が上昇する。
 しかし、これからの人口減少社会では消費者が減るうえ、モノに恵まれて育った環境にある昭和後半から平成生まれの若者は、それ以前の世代に比べ物欲が小さい。必要最低限のモノしか持たないという合理的思考がある。
 消費人口が減る日本の外に飛び出して活路を見出そうというのがTPP交渉への参加だが、そういった大企業の視点に立つばかりではなく、人口減少社会に対して、どのような国家運営をするのか、そこを掘り下げる必要がある。
 日本経済の建て直しのためには、日本の将来を背負う若者に今、何が必要なのか、そこを突き詰めるべきではないか。非正規雇用で若者を貧しくして、企業が内部留保を溜め込むような構造が、消費マインドを低下させているのではないか。

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2013年04月02日

若いリーダーと期待感

 市内のある店で買い物をしたところ、店員の30代くらいと思われる女性から声をかけられた。
 「時評、楽しみに読ませていただいています」。
 ぼくは、びっくりして「ありがとうございます」と愛想笑いをしたが、彼女はすかさず、「うちには大学生もいますが、彼も時評ファンですよ」とこれまた嬉しいことを言ってくれた。
 ぼくは多くの読者を想定して、できるだけ、話題を豊かに、と心がけるけれど、年齢が年齢だけに、どうしても文章や用語が固く古風になってしまう。学校で習ったもろもろの記憶や思い出も戦前色が多くなりがちとなる。固くなりがちな脳みそをやわらげるため、新しい傾向の本を読んだり、現代を意識しながら、旅をしたり、催しに参加したりするが、なかなか若い人の趣味と合わないし、若もの特有の文化が腹に入らない。
 その反面、骨董的人間だから古い滋賀県、古い湖北の記憶が鮮明である。
 孫ほどの青年の名刺を見て、「ああ、あなたはK社の初代社長のお孫さんですか。ぼくは、あなたのおじいさんにもお父さんにも親しくして頂き、お世話になりました」とつい親しげに、親子、孫3代にわたる不思議な縁にびっくりすることがある。
 したがって、ぼくの書く時評の中には、古い記憶の断片として、戦前の湖や山、川、集落などが登場するし、それぞれの地域の人や物、流れなどを書くことがある。それらが、どう読者の反応を呼ぶのか、さだかではないが、「あのときの時評はよかった」とか、「祖母が一番先に読むのが時評です」などと聞くと、ひょっとしたら、ぼくの時評はお年寄り向きかもしれない。
 しかし、それでは、ぼくの心意とかけ離れてしまう。ぼくが健康について書くのは、若い人が体を大事にして世のために役立ってほしいと考えるからであり、医療費を少しでも減らして、行政の財政に貢献してほしいと思うからだ。
 あるいは、歴史や伝統を大切にしてほしい。神仏を尊崇し、親孝行を、とも書くのは、ぼくの親不孝時代の後悔でもあるが、家族中心の温かい平穏な人生や、そういう人々による地域社会の明るさや助け合いを思うからであり、若い人に大いに読んでもらうよう意識しているのが本意である。
 ぼくは時評のなかで、しばしば政治問題や選挙についても書くが、これは国政や地方政治に関心を深めてほしいと願うからだが、一つは、今の若い人たちに政治行動への参加を期待するからである。
 ぼくは、老人は尊敬すべき、と考えるが、第一線での政治活動や社会的行動は若い人に任せて、その応援をするのが望ましいと考える。年寄りは理屈はこねるが、知能の働きも鈍く、身体的行動力も鈍い。世界の大勢や世の中の今を見つめ、把握し、近代的感覚で対応し、処理する能力に欠ける。ましてや陣頭に立って組織をリードし、局面の展開や、新開発、治政の効果をあげることは難しい。
 若ものの発想、研究心、叡智、行動力に期待するのは、ぼくだけではない。
 自民党の小泉進次郎氏や日本維新の会の橋下徹氏に国民的人気が高揚している現実はこれからの日本、これからの地方は新しいリーダーによって建て直してほしいという願望の現れである。その点、読者に若いファンがあるという、ぼくの時評の責任の大きさに胸が引き締まる。【押谷盛利】

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2013年04月01日

葬式仏教への警鐘(見聞録)

 雑誌「上方芸能」発行人で元立命館大学教授の木津川計氏が29日、長浜バイオ大で講演した。葬儀の変化を分析したのが興味深い。
 2010年のベストセラー「葬式は、要らない」(島田裕巳著・幻冬舎)を取り上げ、日本の葬儀費用の高さを指摘。イギリス12万円、韓国37万円、アメリカ44万円に対し、日本は231万円にのぼり、その高額負担を軽減する仕組みとして「香典」が機能していると、説明した。
 しかし、香典を受け取らない葬儀が10年前から急速に増えた。ゆえに香典を受け取る場合はわざわざ告知する必要があるそうだ。氏が例に示したのが2009年の中川昭一元財務大臣(54)の告別式。新聞広告の案内に「香典・供花等は固くお断りします」と記すことが多い中、「御厚志につきましては、謹んで拝受させていただきます」と書かれていたと、当時の新聞記事を紹介した。
 また、近親者のみで行う「家族葬」や、通夜や葬儀を行わず火葬場で別れを告げる「直葬」が急増し、「今では直葬が4割くらいになっているのでは」と指摘していた。戒名についても「祖父母の戒名を覚えていますか」「誰も覚えてもいない戒名をなぜ付けなければならないのか」と語った。
 2010年1月22日「天声人語」(朝日新聞)によると、都内では年間2万基の墓が新たに必要だが、供給はその3割に留まる。墓の確保がままならず、自ずと、散骨が増えることになる。
 葬儀を行わない、僧侶を呼ばない、戒名を付けない、墓を持たない—。この変化の背景には経済的課題や墓地確保の問題、価値観・文化観の変化、地域コミュニティの希薄化などが挙げられるが、木津川氏は総じて「お寺離れ」と指摘する。
 この指摘は葬儀や法事など死者を「生業」とする僧職に対する警鐘と受け取れる。氏は国家や貴族のために利用されていた仏教が鎌倉時代、法然、親鸞らによって民衆の側に立ったことを振り返り、「お寺が民衆のために、生きている側に加担してこそ、存続できる」とし、「死者のためのお寺」からの脱却を訴えた。
 「このままでは日本の仏教はなくなる。町からお寺がなくなり、観光寺しか残らない」と指摘したが、ここ湖北地域でも無住の寺が増えつつある実態を考えると、都市部はさらに深刻だろう。「葬式仏教」と揶揄される今日の実態を仏教界がどう受け止めているのか、そこが問われるべき課題かもしれない。

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