滋賀夕刊新聞社は滋賀県長浜を中心に政治、経済、文化の情報をお届けする新聞です。



琵琶湖の滋賀と近未来

 29日、京都へ出かけたが、桜が満開だった。逢坂山を越えれば急に景色の変わるのは意外な驚きであった。比叡山の西、京都は桜の花盛り。東の滋賀はつぼみふくらむ感じ。
 名古屋の友からの電話では、あちらも満開。伊吹山を越えれば春。山の西の湖東、湖北は寒々として、まだコートがはなせない。
 世界地図で見ると、日本は小さな島国であることが分かる。その小さい列島の中でさえ、北部、中部、南部、それぞれに気象の温度差があり、山の幸、野の幸、海の幸にも違いがみられる。府県単位で比較しても不思議なほど個性の違いを見ることができる。
 先ずは言葉、方言、なまり。単純な挨拶や父母への呼びかけ語でも滋賀と京都、滋賀と岐阜の差は歴然である。山一つ隔てただけで、農産物、その他の産業に違いがあり、なんとなく歴史とか伝統、自然条件の重みを感じる。
 滋賀県は琵琶湖の占める存在感が大きい。
 往古は湖上交通が国家権力の支配に大きく関わってきた。徒歩と馬による交通が船による早さに勝てる道理がない。信長は湖上をおさえるため安土に城を構築したが、秀吉は朝鮮出兵に際し、琵琶湖の舟や水夫をも動員した。平安期は堅田の漁師に湖上の管理権を委ね、通行税が叡山や御所の経費に役立った。清盛は日本海と琵琶湖をつなぐ運河に思いを致したが、これは北海道、敦賀、塩津、大津を結ぶ海上ルートによる物流とその支配権の盤石をねらっての先見の明といえる。彼の志は政権のもろさで実を結ばなかったが、その発想はすごい。
 物流といえば、滋賀県は湖を持ちながら海に面しないから海外はもちろん他府県との交流にハンデを負った。逆にそのハンデが知恵を呼んで、近江商人の出現につながった。
 湖が京都と接しているため、都である京都の文化的影響を受けただけでなく、日本の東部、北部、東北、北海道の物産は必ず湖上交通により都に運ばれた。その交流、物流の知恵のイロハを近江商人は知悉した。全国に進出した近江商人の最大の宝庫は北海道だった。北海道の巨大な海産物はすべて船で運ばれたが、最大のルートは敦賀から近江、京都、大阪だった。このルートを先取りした近江商人は現地で物資を調達し、これを近畿関西圏へ移出するなど商業活動を通じて現在の商社風に資本を膨らませた。
 ありがたきかな、淡海であるがその閉鎖性と保守性が今の日本の方向に合わなくなってきた。新しい滋賀を、新しい都市を誰が造ってゆくのか。未来は若ものに期待される。【押谷盛利】

2013年03月30日 17:23 |


過去の時評


しが彦根新聞
滋賀夕刊電子版
滋賀夕刊宅配版
滋賀夕刊デジタルトライアル
“新聞広告の資料請求、ご案内はこちらから"
 
長浜市
長浜市議会