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ねはん会と甘酒の思い出

 3月15日は涅槃会だった。陰暦では2月15日、略して「ねはん」ともいう。
 ねはんとは、煩悩の火を消して、知恵の完成した悟りの境地、仏教で理想とする仏の悟りの境地、一切の悩みや束縛から脱した円満安楽の境地。このほか釈迦の死をいう。
 ねはんえ(涅槃会)は釈迦入滅の日(陰暦2月15日)に行う法要。ねはん図は、釈迦が沙羅双樹の下で入滅する情景を描いた図で、釈迦が頭を北、顔を西、右脇を下にして臥し、周りに諸菩薩や仏弟子、鬼、畜類などが集まって悲嘆にくれているさまを描いている(大辞林)。
 ぼくは、ねはんというと、とたんに小学生時代に思いが返る。「明日は、ねはんやデ、早う帰りや」、母から聞く「ねはん」は何の意味か知らないが、この日は、山奥にある大吉寺で、お経があがり、参詣人に甘酒がふるまわれる。
 子どもたちは、お経や説教には全くの無関心で、ただ、甘酒が頂ける、とその楽しさで前日から胸をわくわくさせていた。
 ぼくの村の野瀬だけでなく、一番遠い高山あたりからも子どもは大吉寺へ雪道を急いだ。
 そのころは今と違って雪が多く、3月10日は、まだ雪が残っていた。雪道をすべったり、転んだりして、山道を登ったが、寺へ着くころは仏事が終わって、甘酒がふるまわれ始めていた。その甘酒のおいしさ、ふうふうと湯気を吹きながら、お代わりをして満足したが、帰り道のことは全く記憶にない。
 お釈迦さんにあやかって、煩悩を払い、解脱したのか、どうかはともかく、あの甘酒の味は死ぬまで忘れないだろう。そのころ、ねはん図のことで、叔父の言った話がこれまた記憶に鮮明である。
 「エンマさんが、悪い男の舌を釘抜きで引き抜いているだろう。ウソをつく人間は、死んでから、ああして、エンマさんにひどい罰を受けるんや、そやから、ウソをついてはあかんのや」。
 この叔父は大工だった。今と違って、履きものは靴ではなく、下駄や草履であった。下駄の歯入れも仕事の一つで、どの家もちびった下駄を持参して、歯を入れてもらった。180戸ほどの村だったが、大工が3、指物屋が2、左官屋2、桶屋2、ブリキ屋が1軒あった。ついでながら店の数も多かった。魚屋1、菓子屋2、よろづや3、反物屋1、クスリ屋1、酒屋2、醤油屋2、酢屋1、宿屋1、散髪屋2、自転車屋2、料理屋2、うどん屋1。このうち残っているのは2軒から3軒。末端消費者のニーズはどこで足りているのだろうか。増えているのは老人ばかりで、子どもはほとんどいない。猿だけが大きな顔してうろつく。
 浮き世というが、憂き世でもある。 【押谷盛利】

2013年03月16日 16:21 |


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