滋賀夕刊新聞社は滋賀県長浜を中心に政治、経済、文化の情報をお届けする新聞です。



2013年03月30日

琵琶湖の滋賀と近未来

 29日、京都へ出かけたが、桜が満開だった。逢坂山を越えれば急に景色の変わるのは意外な驚きであった。比叡山の西、京都は桜の花盛り。東の滋賀はつぼみふくらむ感じ。
 名古屋の友からの電話では、あちらも満開。伊吹山を越えれば春。山の西の湖東、湖北は寒々として、まだコートがはなせない。
 世界地図で見ると、日本は小さな島国であることが分かる。その小さい列島の中でさえ、北部、中部、南部、それぞれに気象の温度差があり、山の幸、野の幸、海の幸にも違いがみられる。府県単位で比較しても不思議なほど個性の違いを見ることができる。
 先ずは言葉、方言、なまり。単純な挨拶や父母への呼びかけ語でも滋賀と京都、滋賀と岐阜の差は歴然である。山一つ隔てただけで、農産物、その他の産業に違いがあり、なんとなく歴史とか伝統、自然条件の重みを感じる。
 滋賀県は琵琶湖の占める存在感が大きい。
 往古は湖上交通が国家権力の支配に大きく関わってきた。徒歩と馬による交通が船による早さに勝てる道理がない。信長は湖上をおさえるため安土に城を構築したが、秀吉は朝鮮出兵に際し、琵琶湖の舟や水夫をも動員した。平安期は堅田の漁師に湖上の管理権を委ね、通行税が叡山や御所の経費に役立った。清盛は日本海と琵琶湖をつなぐ運河に思いを致したが、これは北海道、敦賀、塩津、大津を結ぶ海上ルートによる物流とその支配権の盤石をねらっての先見の明といえる。彼の志は政権のもろさで実を結ばなかったが、その発想はすごい。
 物流といえば、滋賀県は湖を持ちながら海に面しないから海外はもちろん他府県との交流にハンデを負った。逆にそのハンデが知恵を呼んで、近江商人の出現につながった。
 湖が京都と接しているため、都である京都の文化的影響を受けただけでなく、日本の東部、北部、東北、北海道の物産は必ず湖上交通により都に運ばれた。その交流、物流の知恵のイロハを近江商人は知悉した。全国に進出した近江商人の最大の宝庫は北海道だった。北海道の巨大な海産物はすべて船で運ばれたが、最大のルートは敦賀から近江、京都、大阪だった。このルートを先取りした近江商人は現地で物資を調達し、これを近畿関西圏へ移出するなど商業活動を通じて現在の商社風に資本を膨らませた。
 ありがたきかな、淡海であるがその閉鎖性と保守性が今の日本の方向に合わなくなってきた。新しい滋賀を、新しい都市を誰が造ってゆくのか。未来は若ものに期待される。【押谷盛利】

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2013年03月29日

人口減少社会への覚悟を(見聞録)

 厚生労働省の国立社会保障・人口問題研究所が27日発表した人口推計。2040年の日本は、全ての都道府県で人口が減少し、全国民の3割超が65歳以上になる。
 青森県や岩手県は人口が30%も減少する深刻さだ。滋賀の場合は2010年の人口は141万1000人だが、40年には130万9000人となり、7・3%減少の見込みだ。ただし、この数値は現在も人口が増加している湖南地域の恩恵があってこそで、湖北地域に限定すれば7・3%の減少では済まないだろう。
 長浜市の推計によると35年の人口は11万1986人を見込み、今月1日現在の12万3563人と比較して9・4%減少する。しかし、ここ3年間で長浜市の人口が2873人も減少していることを考えると、9・4%は楽観的な数値かも知れない。
 さて、政府や経済界は人口減少で国力が衰えると指摘し、少子化対策を訴えている。しかし、日本の人口密度は世界21番目で、他の先進国に比べ高い。ゆえに人口減少が絶対悪とは言い切れず、むしろ戦前・戦中・戦後の「産めよ増やせよ」の大方針と、2度のベビーブームが過剰だったのではないか、という見方もできる。
 問題なのは、少子化と高齢化が同時に急速に進んでいることだろう。生産人口、消費人口の急減は経済を停滞させ税収を減らす。一方で、飛躍的に増える高齢者福祉を支えてゆかねばならない。今のままの社会構造では政府や自治体の財政がひっ迫し、現役世代の負担増は避けられない。
 しかし、政府も自治体もこの問題をどこまで深刻に認識しているのか。リニアや北陸新幹線の整備、九州、北海道の高速道路などのインフラ計画を見る限り、これから加速度的に人口が減る深刻さを理解しているようには思えないのだが。ソフト事業は人口減少に比例しサービス量も減るが、インフラの維持管理は減ることはなく増える一方である。現役世代1人当たりの負担が増すことは明白だ。
 少子化は一朝一夕に解決する問題ではない。ならば、人口減少を前提にした国づくりにシフトしなければならない。そう考えると公共工事たっぷりのアベノミクスは目先の経済だけで、20年後、30年後の日本の姿を見据えているとはとても思えない。
 仮に大判振る舞いの投資をするのであれば、対GDP1%前後で低迷している子育て支援に集中させるべきであろう。ますます進む女性の社会的活躍と出生率の向上を両立させるには、女性が結婚、出産しても働き続けることができる環境整備が不可欠である。今でさえまかなえていない保育需要に応えるような施策が求められる。お手本はヨーロッパの国々にある。
 地方自治体も無策ではいられない。人口減少を傍観していれば、長浜や米原などの地方の小規模市は衰退する。今でも湖北出身の若者は都会で就職し、故郷に戻ってくるのは限られている。若者が帰りたい、住みたい、家庭を持って子どもを育てたい、と思える自治体にしてゆく必要がある。そのためには子育て環境や教育の充実、文化やスポーツの振興に目を向ける必要がある。
 20年後、30年後を見据えた長浜市、米原市のプロデュース。人口減少の生々しいデータが公表された今、未来から目を背けず、想像力を働かせて覚悟と準備が必要をするときだ。

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2013年03月28日

役所仕事と政治家の野合

 民主化されたとは言え、日本はまだまだ役所天国である。役所仕事の放漫さがいつの間にか借金王国を形成し、役所の予算はまるで借金返済のために接ぎ木細工している感じである。
 公務員制度の改革は言うべくして成し難しと、書いたが、それは改革を進めようとする政治に対し官僚が束になって反撃するからである。政治家は任期4年で、必ずしも再選されないが、官僚は定年まで身分が保障されており、長い歴史と伝統の中で培われてきた保身術や政治家懐柔術など、手練手管の才能を持つ。
 役所の会計年度はその年の4月1日から始まって翌年の3月31日に終わる。このため、毎年、2月、3月になると、どこの県も市もいっせいにあちこちの道路改修や、忘れていた事業が再開される。
 昔は道路がよくなるときは陛下が御幸になるからだと言われたが、これは御幸をお待ちする地元の皇室尊崇の現れとみられたが、実際は御幸を口実に道路予算を分捕ったのである。
 役人というのは、鵜の目鷹の目で、金の使い方を捜す癖があり、たとえ、予算を可決しておいても用地交渉が難渋したりし、事業の推進に当たっての環境整備が遅れている場合、執行ができないときがある。その年度内に執行ができねば次年度へ繰り越せばよいわけだが、これでは次年度の新規予算に食い込むから、どこの役所もその年度の予算は、なりふり構わず消化しようとする。
 したがって、道路と確定した予算が橋や川の修復に回ったり、教育に使うはずのものが福祉へ回ったり、直前流用をやってのける。もちろん事前に議会の承認やときには執行後に議会の同意を得るなど綱渡りをするが、それらの事業が地元と関わるため、ほとんどの場合、議会はOKする。
 無駄をなくすること、予算の本質、建て前を崩さないという大前提はこうして崩れてゆくが、これが赤字会計になる借金行政のからくりである。本当は首長の執行権と議会のチェック権が互いに牽制して地方自治の健全化がもたらされる。
 両者に必要なのは財政の健全化と住民負担の軽減である。負担の軽減は税金を少しでも安くすることだが、いまの地方自治体は、首長も議会もそんな殊勝なことに心が及ばない。
 なにはさておき、次の選挙に勝たねばならぬ。借金があろうと、無駄使いと言われようと、次から次へ仕事を考え、これにカネを投じることに使命感を覚えるのである。
 したがって、需要のある、なしに関わらず、毎年の予算は100%、前例踏襲なのである。だから、しなくてもよい事業やストップすべき事業でも前年に予算をつけているから、新年度もこれに習うという発想である。
 この辺の、役所仕事のあり方と予算編成についての根本的改革が本来の公務員制度の改革である。これをやらないと、いずれ借金でパンクして国民が泣くことになる。
 金融恐慌は遠い世界のことではない。【押谷盛利】

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2013年03月27日

ギャンブル禁止条例(見聞録)

 生活保護や児童扶養手当をパチンコなどのギャンブルに浪費することを禁じた兵庫県小野市の条例が話題となっている。
 この条例の骨格となる条文は「給付された金銭を、パチンコ、競輪、競馬その他の遊技、遊興、賭博等に費消し、その後の生活の維持、安定向上を図ることができなくなるような事態を招いてはならないのであって、常にその能力に応じて勤労に励み(中略)、日常生活の維持、安定向上に努めなければならない」とある。
 まっとうな主張だが、別の条文の「金銭をパチンコ、競輪、競馬その他の遊技、遊興、賭博等に費消してしまい、その後の生活の維持、安定向上を図ることに支障が生じる状況を常習的に引き起こしていると認めるときは、速やかに市にその情報を提供するもの」と、市民の責務を取り上げた部分が、「監視社会につながりかねない」「プライバシーは保護されなければならない」と人権団体などから反発が出ることとなった。
 蓬莱務市長は「生活保護に対する無関心を改め、意識改革を図りたい」と訴えている。
 受給者が200万人を超える生活保護制度は「健康で文化的な最低限度の生活」を保障し、自立を助長することを目的としている。これは憲法で保障された「すべて国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」に由来する。
 ギャンブルが「健康的で文化的な」生活に当てはまるのかは、別の議論として、労働の末に納めた税金を原資とする生活保護給付金が、受給者の自立に使われずギャンブルに浪費されているとすれば、納税者の1人として、心情的に歓迎できるものではない。
 さて、小野市ではこの条例のほか、全国に先駆けて5年前に「いじめ等防止条例」を施行し、空き家対策に市民や自治会、行政などが一体となって取り組む「空き家等の適正管理に関する条例」を今年1月から施行している。
 生活保護などの社会保障費の拡大、学校でのいじめ問題、空き家対策などは、全国に共通する課題である。前例を大切にする役所にとって、全国の自治体の先陣を切って新しい条例を制定するのは冒険的行為だが、蓬莱市長は民間企業の経理課長や企画室長、人事部門統括部長などを歴任した、根っからの企業人。「言われてからやるのではなく、言われる前にやる」がモットーだそうだ。

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2013年03月26日

役所の人事異動と税金

 3月も下旬になると、県や市の人事異動の記事が出る。
 そして、面白いのは、伝統というのか、いつも警察人事が先行する。さらに面白いのは、人事異動のしんがりである。これは、教育関係の先生の異動である。
 この3つ、いずれも県や市が給料を払っている公務員である。名前だけ仰々しく新聞に発表しているわけだが、一般の県民、市民にとっては知らない人の名前で大事なスペースを埋めているから迷惑な話だが、考えてみればこんなところにも、お役所優先の古い慣習が生きている。
 県庁でも市役所でも、恐らく国家公務員でもそうだろうが、とかく役所機構は複雑で、屋上屋を重ねたような身内万能の組織になっている。
 組織がやたらと複雑化し、理事だの、局長だの、いわゆる、えらいさんの肩書きが普遍化し、実質の仕事体制を推進する部長、課長級のポストも覚えきれないほど多い。
 さらにその下には室長だの、係長、主幹などなどあって、一体全体、これらの人が毎日、どんな事務をしているのか。そんなに役所仕事は多忙なのか、と、つい疑いが先立つ。
 なんで、そんなことを気にするのかといえば、みんな、県民、市民の税金で抱えているからだ。役所の人件費や無駄づかいが減れば、それだけ予算が縮小し、住民の負担が軽くなるからだ。
 役所というのは、公務員の集合体であり、職員が組織を動かしているから、首長がよほどの頭脳と統治力、政策力を持たない限り、巨大な流れとなって、役所型行政が延々と続く。
 その役所型の伝統は機構を拡大し、複雑化し、事務の縦割りを深めている。
 多くはアイディアを中央政府から受け、ときには中央からの指示、指導により、新政策なるものに関わるが、右へ習え式の予算分捕りと消化が運命づけられる。
 中央政治で、公務員改革が論ぜられるが、これは人員減らしや天下り規制だけが問題ではない。
 公務員の執行する役所機構の見直しとその近代的合理化が叫ばれているのであり、はっきりいえば、底辺(視野)の広い富士山の形を変えるようなもので、人間がポストと機構に安住して歴史的伝統を死守する以上、これの改革は言うべくして難しい。これの出来るのは、おそらく日本維新の橋下大阪市長くらいではなかろうか。【押谷盛利】

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2013年03月25日

教育再生は大学入試から(見聞録)

 自民党の教育再生実行本部は国際社会で活躍できる人材育成など教育改革について▽英語教育の抜本的改革▽理数教育の刷新▽情報通信技術教育の推進—を「教育再生3本の矢」として、その具体案を練っている。
 英語教育については、検定試験「TOEFL(トイフル)」で一定以上の点数を取ることを大学の受験、卒業の条件とすることを盛り込んでいる。
 理数教育については、文系を含むすべての大学入試に理数科目を義務付ける。現行の文系の大学入試は私立を中心に国語・英語・社会の3科目程度となっているが、文系の入試に理数科目を加えることで、中学、高校での理数授業が増え、それらに関心を持つ生徒が増えると期待する。あわせて、理数科目に重点を置く「スーパー・サイエンス・ハイスクール」(SSH)の生徒を倍増させる。
 情報通信技術教育の推進については、すべての小・中・高校生に情報端末(タブレット型PC)を配る。
 以上の3つの方針が自民党の教育再生方針だ。
 中学、高校の6年間、英語を学んでも、ほとんどの生徒が英語で会話できない現状を考えると、今の英語教育に問題なしとは言えないだろう。トイフルで英語でのコミュニケーション能力の有無を大学の受験、卒業の条件とすれば「大卒なのに英語がまったくできない」という、他国では考えられないような状態がいくらか緩和できるのではないか。
 文系入試に理数科目を導入するのも賛成だ。吸収力のある若いうちに幅広い知見・知識に触れることは欠かせない。大学受験の突破だけを目標に、中学、高校時代から、特定の教科に絞り込んだ勉強をするのは、もったいない。数学や理科の基礎的知識は社会に出ても必要であり、その基礎力を問われないまま受験できる今の入試制度は、高等教育機関として妥当なのか疑問に感じていた。
 タブレット型PCを児童・生徒の全員に配布するのは賛否があろうが、財政負担に対する教育上の効果を見定める必要がある。特に、情操面での効果を慎重に見極めたい。
 今の時代、子ども達は小学校から塾に通い、家計に余裕があれば私立に通学する。各家庭がそれほど教育に熱心になっているにもかかわらず、なぜ「教育再生」が必要なのか。
 根源は、入学生を確保したいがために受験生に迎合した大学入試と、たいした勉強をしなくても安易に単位を取得できる大学卒業のあり方にあるのではないか。
 小学、中学、高校生の多くが大学入試を目標に勉強しているのならば、まずは大学を変えなければならない。今後、具現化する「三本の矢」が、どこまで大学教育に切り込むのか、そこに教育再生の本気度が読み取れるのではないか。

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2013年03月22日

独裁者はアメリカの敵か(見聞録)

 イラク戦争からもう10年が経過した。大量破壊兵器を保有しながら、自国の意に反する国家に大量破壊兵器の保持を許さないアメリカが「イラクが大量破壊兵器を保有している」と嘘をついて、一方的に仕掛けた戦争だった。
 結局、大量破壊兵器は見つからず、戦争の大義名分は「サダム・フセインの圧制からイラク国民を解放する」「テロリスト支援国家を民主国家に変える」など、アメリカにとって何の緊急性もない理由となった。結局は世界の警察を自称するアメリカのフセインに対する私的制裁にすぎながったのではないか。
 フセインを亡き者にした後は、アメリカの監視の下、選挙で国の代表を決めて民主国家(親米)の誕生—というシナリオは夢物語に終わり、終わらないのはイスラム教シーア派とスンニ派の主導権争い、国際テロ組織による無差別テロの応酬。独裁者の恐怖政治からの解放が、イラク社会をより不安定化させたわけだ。
 米兵4500人が犠牲になり、戦費は200兆円にのぼっている。10年を迎え、アメリカではイラク戦争の評価が国内を二分しているが、客観的に分析すれば、中東の反米感情を高め、国内の深刻な財政問題を抱えたというマイナス面が強調されるだろう。
 さて、アメリカの標的になった独裁国家イラクだが、ほかに独裁国家としてイメージするのは、どんな国があるのだろうか?
 日本でポピュラーな独裁国家は北朝鮮(金正恩将軍)、イラン(ハメネイ最高指導者、アフマディネジャド大統領)、リビア(カダフィ)、ベネズエラ(チャベス)、キューバ(カストロ)などだろう。いずれの国も独裁者がアメリカを口汚く罵っているイメージが強い。アメリカもこれらの国を「悪の枢軸」と呼んだりして毛嫌いしている。ただ、カダフィは革命に倒れ、チャベスは病死した。
 他にも独裁国家がある。クエート、オマーン、バーレーン、サウジアラビアなどの中東産油国は王族による独裁が現在も続いているし、革命に倒れたエジプトのムバラクも独裁者だった。
 だが、これら産油国やエジプトに対し、アメリカが民主化を要求することはない。それは親米国家だからだ。我々日本人もこれら産油国やエジプトに対して独裁国家というイメージを持たない。知らず知らずに親米か反米か、という色眼鏡で見ているのだろうか。
 イラク戦争に参加した有志国はアメリカの私的制裁に加担させられたわけだ。日本は戦後復興活動という後方支援で済んだが、イラク戦争の反省を材料として、国際社会でのスタンスを見極める必要があるのではないか。

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2013年03月21日

殺人事件と右脳教育論

 だれでもよいから殺したかった、と刃物で人を追いかけたり、実際に傷つけたり、殺したりする物騒な事件がよく起きる。
 たいていは、若い男の仕業だが、ほとんど動機が分からない。「むかむかしていて」、「面白くなくて」、「殺せと、神さまから命ぜられて…」などと、わけの分からぬことをほざくところをみると普通でないことが分かる。まさしく異常だが、こうした異常人格者が周辺にうろうろしていると思えば、地震ではないが何とも不安な世の中である。
 あるときは正常、別のときは異常。いつも普通で、なぜそんなことが起きたのか信じられない、という例もある。精神障害であれば警察で逮捕されても裁判で無罪になる。障害が明らかであれば治療するだろうし、入院もするが、普段が正常であれば人は疑うことをしない。今日のもろもろの不可解で物騒な事件を思うとき、潜在的精神病の人がうろうろしているのではないか、と心配が先立つ。
 人を刺すのは極端な一例だが、女性の前で局部を見せたり、電車の中でタッチしたり、スカートの中を隠し撮りするなどの破廉恥な行為も正常な精神とは言えない。
 安倍内閣が道徳教育の必要性を具体化するようだが、それも大事ではあるが、なぜこうも心の病気が広く深く社会を毒するようになったのか、その辺の考察と対策こそ急務なのではないか。
 いつおかしくなるか分からないものが免許証を持って車を運転しているわけだから、交通事故の危険を100%抱えているようなものである。
 ぼくは常に日本人のクスリ漬け生活に警鐘を鳴らしているが、これは肉体だけでなく心の健康にも言い得るわけで、日日の生活のありようの根本的改革が求められる。
 分かりやすく言えば、家庭教育、学校教育、社会教育につきるが、これらは教科書で教えるような左脳教育を指すのではない。むしろ感覚的、感応的右脳教育といっていいのではないか。
 いまの最大の心配は幼児期のありようである。親は保育園や幼稚園へ入れれば100%責任を逃れ、安心しているようだが、それが間違いの元である。子は親の背を見て育つ。家庭こそ、育ちゆく子、無から出発する子の最適、最良の心の学習場である。
 家庭で神仏に合掌する宗教的情緒、家族でおしゃべりし、食事を楽しむ社会的開眼、人と接触するためのエチケットなど、いわるゆる人間としての第一歩を感覚的、経験的に身につけるのである。なかでも大事なのは宗教的情操であり、これは生涯のバックボーンにもなり得るからである。
 学齢期になれば義務教育は当然ながら、それ以後も多くは進学する。日本のこれまでの教育は知識偏重の詰め込みに重点をおき、こころを豊かにする右脳教育を無視してきた。音楽、図画、工芸、スポーツ、趣味、自然とのふれあいなどによる情操の豊かな人間づくりを忘れている。
 社会人になってからは職場という閉鎖社会に籠もって、地域でのふれあい活動をしなくなり、生活の孤立化が進む。
 以上が生活の文明病とあいまって心の健康障害の原因となるのではないか、とぼくは思う。【押谷盛利】

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2013年03月19日

幼児期の知識欲と晩学

 赤ん坊は1歳くらいになるとだんだん母乳から離れるようになる。歩き始めると周囲の動きやものごとに興味を持ち、「あれなに、これなに」と盛んに質問する。
 知識欲といっていいのか、眼に触れるもの、耳で聞く話、なんでも納得しなくてはおさまらぬ時期がある。
 人間はこうして、幼児のころから知識を貯え、知恵を磨いていくのだが、考えれば死ぬまで脳味噌を濃くすることを運命づけられているのかもしれない。
 ゼロから出発した知識の容れ物だから、その人の遺伝子や環境、努力が成長後の人生に大きく関わっている。小学校を出ただけでも大卒以上の知能で社会的貢献した人もあるが、人はその気になれば自分の周辺のすべての動きや、あらゆる情報を教養資産として脳の倉庫に収録することができよう。
 3月は卒業期であり、就職して社会へ出る季節でもある。高校生の諸君はさらに大学へ進むものも多い。就職しようと進学しようと、平凡ながら吸収力と生命力の強い若さを自らに課して教養を深め高めることを期待したい。
 ぼくは過日、ラジオの深夜番組のトーキングの、アナウンサーとアシスタントのやりとりで、聞き馴れぬ言葉に出くわし、一瞬、わが耳を疑った。
 話は、寿命と健康をテーマにしていたが、昔は50歳か、60歳で隠居し、今のような長寿社会ではなかった。60歳ともなると、還暦といって大層な年寄りに思われた。ましてやそれ以上に生きることは大変なことだった。だから、70歳を古稀といった。
 ここまでの話はすらすらと頭に入ったが、ここからがあやしくなってきた。アナウンサーが「古稀を過ぎるとさらに長寿して「カサ寿」になるんだ」、と、語り始めたから、あれっ、カサ寿って聞いたことがないと一瞬自分の脳味噌の棚に疑問詞を投げかけてみた。そこで、ぼくは「カサ寿」は傘寿の言い間違いかと合点したが、いや、ぼくの記憶間違いで、カサ寿が正しいのかも知れない。
 ぼくは帰宅して辞書を引いたが、カサ寿は出てこない。サン寿を探せば、「傘の略字が八十と読めるところから、数え年80歳のこと、その祝い」、と説明していた。
 やれやれと思ったが。テレビでもアナウンサーの原稿の読み間違いに気づくことがある。
 この点、昔の人はいいことを言った。「聞くは一時の恥、聞かぬは末代の恥」。知ったかぶりして聞かずにいると、どこかで恥をかくという教えだから、これから進学する者や就職する人へのよい贈りものといえる。
 ただし、世の中には、「聞く耳持たない」人もいるから、こういう人には問答無用がよい。
 われわれの勉強には能力と時間の限界があり、知能のフル回転や記憶力の強さは若さと正比例するから、晩学といっても40歳までが勝負である。若ものの前途には限りない夢がある。【押谷盛利】

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2013年03月18日

異国で活躍するランドセル(見聞録)

 あす19日は小学校の卒業式。6年間お世話になった学び舎に別れを告げ、4月から中学校へ通う。義務教育の行き届いた日本では当たり前のことだが、国によっては教育制度の不備、家庭の経済的事情、宗教による制約など様々な理由で教育を受けられない子ども達がいる。
 世界規模では子どもの10人に1人が学校に通えていない。アフリカやアジアなどの途上国の中には小学校の就学率が5割を切るような国もある。先進国の支援で教育環境は徐々に整いつつあるが、教科書やノート、文房具を同級生と使いまわしたり、校舎がないため野外で授業したりと、冷暖房のある日本の教育現場と比べようもない。
 イスラム原理主義の色濃いアフガニスタンでは、これまで子ども達を労働力と見なし、教育を受けさせる慣習があまり無かった。このため15歳以上の識字率は3〜4割程度に留まっている。特に女性は宗教的理由を背景に、学校はおろか勉強することさえ許されていなかった。
 目下、各国の支援を受けて、教育環境の整備が進められ、子どもが学校へ通う気運が生まれつつある。その教育気運の高まりに、日本のランドセルが一役買っている。
 発展途上国の女性と子どもの支援活動に取り組むNGOジョイセフが行っている「想い出のランドセルギフト」だ。日本で使い終えたランドセルをアフガニスタンに贈り、現地の子ども達に使ってもらう活動。
 これまでにアフガニスタン(一部はモンゴル)に贈ったランドセルは11万5000個を超えた。校舎も机も無い子ども達がランドセルを日本からの「宝物」として大事に使っている。また、子ども達がランドセルを背負う通学風景が見られるようになったことで学校で勉強するという行為が周知され、特に女の子が学校へ行くきっかけづくりに大きく役立っている。
 さて、各家庭では小学校卒業後のランドセルをどう扱っているのだろうか。思い出として残しておくのか、ゴミとして廃棄するのか。もし、廃棄するのであれば、アフガニスタンでの再登板を検討してはどうだろうか。
 贈り方は、海外輸送費1800円を銀行振込やクレジットカードで支払ったうえ、ランドセルを箱に詰め、未使用のノートや鉛筆、クレヨンなどがあれば同梱し、指定の住所に届ける。受付は4月15日まで。詳細はジョイセフのホームページへ。問い合わせは℡03(3268)5875へ。

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2013年03月16日

ねはん会と甘酒の思い出

 3月15日は涅槃会だった。陰暦では2月15日、略して「ねはん」ともいう。
 ねはんとは、煩悩の火を消して、知恵の完成した悟りの境地、仏教で理想とする仏の悟りの境地、一切の悩みや束縛から脱した円満安楽の境地。このほか釈迦の死をいう。
 ねはんえ(涅槃会)は釈迦入滅の日(陰暦2月15日)に行う法要。ねはん図は、釈迦が沙羅双樹の下で入滅する情景を描いた図で、釈迦が頭を北、顔を西、右脇を下にして臥し、周りに諸菩薩や仏弟子、鬼、畜類などが集まって悲嘆にくれているさまを描いている(大辞林)。
 ぼくは、ねはんというと、とたんに小学生時代に思いが返る。「明日は、ねはんやデ、早う帰りや」、母から聞く「ねはん」は何の意味か知らないが、この日は、山奥にある大吉寺で、お経があがり、参詣人に甘酒がふるまわれる。
 子どもたちは、お経や説教には全くの無関心で、ただ、甘酒が頂ける、とその楽しさで前日から胸をわくわくさせていた。
 ぼくの村の野瀬だけでなく、一番遠い高山あたりからも子どもは大吉寺へ雪道を急いだ。
 そのころは今と違って雪が多く、3月10日は、まだ雪が残っていた。雪道をすべったり、転んだりして、山道を登ったが、寺へ着くころは仏事が終わって、甘酒がふるまわれ始めていた。その甘酒のおいしさ、ふうふうと湯気を吹きながら、お代わりをして満足したが、帰り道のことは全く記憶にない。
 お釈迦さんにあやかって、煩悩を払い、解脱したのか、どうかはともかく、あの甘酒の味は死ぬまで忘れないだろう。そのころ、ねはん図のことで、叔父の言った話がこれまた記憶に鮮明である。
 「エンマさんが、悪い男の舌を釘抜きで引き抜いているだろう。ウソをつく人間は、死んでから、ああして、エンマさんにひどい罰を受けるんや、そやから、ウソをついてはあかんのや」。
 この叔父は大工だった。今と違って、履きものは靴ではなく、下駄や草履であった。下駄の歯入れも仕事の一つで、どの家もちびった下駄を持参して、歯を入れてもらった。180戸ほどの村だったが、大工が3、指物屋が2、左官屋2、桶屋2、ブリキ屋が1軒あった。ついでながら店の数も多かった。魚屋1、菓子屋2、よろづや3、反物屋1、クスリ屋1、酒屋2、醤油屋2、酢屋1、宿屋1、散髪屋2、自転車屋2、料理屋2、うどん屋1。このうち残っているのは2軒から3軒。末端消費者のニーズはどこで足りているのだろうか。増えているのは老人ばかりで、子どもはほとんどいない。猿だけが大きな顔してうろつく。
 浮き世というが、憂き世でもある。 【押谷盛利】

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2013年03月15日

人事案件のさばき方(見聞録)

 2期目のスタートを切った米原市の平尾道雄市長が市議会で出鼻をくじかれた。14日の本会議で教育委員の選任2件が否決された。
 2月の市長選では市議19人(当時欠員1人)のうち14人が泉峰一・前市長を応援していたことから、平尾市長は野党が多数を占める市議会に対し、難しい舵取りを迫られることが予想されていたが、さっそく人事案で洗礼を受けた。
 人事案は、泉前市長の退任に同調して辞職した教育長(教育長は教育委員から選ばれる)と、今月24日に任期満了を迎える教育委員長の後任として、元学校長の73歳と67歳の男性2人を新しい教育委員に迎えるものだった。
 しかし、市議会で多数派を占める前市長派議員14人は、教育の継続性(教育委員長の再任)を求め、さらに、委員候補の高齢による体調不安などを理由に賛成しなかった。
 米原市の教育委員の定数は5人だが、このままでは教育長、教育委員長不在となってしまう。平尾市長は「教育行政の空白と停滞を避けるためにも早急に対応していきたい」と話しており、今後の動向が注目される。
 地方自治体の議会で人事案が否決されるのは異例で、首長の提案を議会が委員会で審議することもないまま、本会議で同意・追認するのが慣例となっている。
 人事案が否決されれば本人も不名誉であり、通常は事前に議会サイドに打診し、感触を確かめて提案する。
 ただ、シャンシャンで終わらないこともあり、過去の長浜市では人事案が市長選の「論功行賞」だとして議員から厳しい追及を受けたり、歴史認識に関する発言が問題化して人事案を引っ込めたこともあった。
 今回の米原市議会の否決は、市議会が首長の追認機関ではないことを証明したが、前市長派14人が揃って反対した点を見ると、市長選のしこりと、市長と議会の意思疎通の不足が原因と判断されよう。
 さて、現在開会中の滋賀県議会にも近く教育委員の人事案が提案される見込みで、県議会は14日、文教・警察常任委員会に付託することを決めた。自民党県議団から「これまでは追認する形だったが、議論する機会があってもいい」との提案を受けたため。
 地方議会もこれを見習い、人事案を追認するだけでなく、委員会で審議しても良いのではないか。

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2013年03月14日

旦那の暴力に泣く女性

 世の中、乱れに乱れて、悲しい事件や腹立たしい事件が次から次へと新聞沙汰になる。
 なかには頭がおかしいのでは、と思われるケースもあるが、多くは好奇心や欲や発作で他人を傷つけたり、自分の運命を狂わせている。道徳を持ち出すまでもなく、人の道を人間らしく生きればいいのだが、どういうわけか良心によるコントロールがきかなくなっている。
 食べ物や環境によって健康を損なうように、心もまた汚染されて、社会に迷惑をかけたり、自分自身を破滅させる。
 子どもの虐待などについても、外から注意深く眺めて、事前に手当てを講じれば、というが、他人さまの家の秘密をのぞくこともできないし、どんな家でも鍵をかけて、外部との接触を断っているから民生委員でもなかなか実態を探るのが難しい。
 老々介護の2人きりといがこれから増える一方だが、買い物もできず、炊事もできず、一人が倒れたら連れ添いも倒れるということがあり、死後何カ月かして発見されるという不幸なことも時に報道される。
 ぼくは最近、旦那のいじめにあって泣いている女性から投書を頂いた。随分ひどい内容だが、夫婦の家庭内のことだから、しかるべき処方箋のありようがない。いやな旦那なら、ハイさようならをかませばいいが、親もあれば子もあり、口でいうほど簡単ではない。
 この女性はたどたどしい文字で、結婚以来の苦労を綴っているが、目下の不幸は旦那の浮気による家庭不和で、夫の暴力のひどさを訴えている。
 前日に料理用の魚、肉などを冷蔵庫に入れておき、翌日、子どもの弁当用に冷蔵庫を開けるとなくなっている。おそらく女性の家へ持っていったのだろう。女性は夜中にカギを開けて裏口から入っている。女性のことをいうと、夫は、家の中で暴れる。卓袱台をひっくり返したり、床を傷つけたり、物を壊したりする。
 彼女は子どもや孫の縁にさしつかえては困るので、じっと我慢して、辛抱は宝と思って耐えている、という。
 辛抱は宝と思い、耐えてはいるものの、怒りや無念の晴らし場がなくて投書してきたものと思われる。こういうブレーキのきく人は問題を起こさないが、夫の手荒な暴れにかっとなって、冷静さを失うと、恐ろしい危機を呼びかねない。
 新聞の人生相談などにもよく似たことが出ているが、女性は強くなったとはいえ、日本ではまだまだ「弱きもの、汝の名は女」。
 それにしても、短い人生、縁あって結ばれ、子をもうけ、巣づくりしているのだから、互いに譲りあい、愛しあい、仲良く長寿を全うしてほしいものである。【押谷盛利】

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2013年03月13日

PM2.5、危険は屋内に(見聞録)

 微小粒子状物質「PM2・5」が、大気汚染の深刻な中国から飛来し、国内自治体では危険濃度を観測した際に注意報を出すなど、対策に追われている。
 ところが、日本で大気汚染が深刻なのは屋外ではなく、どうやら禁煙措置のない飲食店など屋内のようだ。
 医師らで組織する日本禁煙学会は2月、たばこの煙も「PM2・5」であり、危険性が高いという見解を発表した。例えば、自由にたばこを吸える居酒屋は、北京の大気汚染が最悪な状態と変わらないのだという。
 大気汚染の濃度は1立方㍍の空気に含まれる物質の重さ(マイクロ㌘)で表される。PM2・5は直径2・5マイクロ㍍以下の微小粒子を指し、工場や車などから排出されるススなどがある。もちろん、タバコの煙にも含まれ、フィルターを通さずに周囲に広がる副流煙に多い。これら微小粒子を多く吸い込むと、ぜんそくや肺がん、心臓病などのリスクが高まる。
 PM2・5の日本国内の環境基準値は1日平均35マイクロ㌘以下とされているが、学会の発表では驚くべきデータが並ぶ。自由喫煙の居酒屋568マイクロ㌘、居酒屋の禁煙席336マイクロ㌘、パチンコ店148マイクロ㌘、喫煙家庭46・5マイクロ㌘。
 北京では濃度が400マイクロ㌘、500マイクロ㌘を記録した際、6段階の指標のうち最悪の「深刻な汚染」と発表し、市民に外出を控えるよう呼びかけたが、学会の発表する数値からは居酒屋の空気汚染の深刻さがうかがえる。「飲食サービス業における受動喫煙問題こそ、一刻も早く解決しなければならない日本の空気汚染問題」と訴える学会の主張に、うなずきたくなる。
 日本癌学会など18学会でつくる学術グループの調査でも、喫煙可能な喫茶店での測定結果は平均371マイクロ㌘、別のカフェの喫煙席も200〜700マイクロ㌘を観測している。
 中国の大気汚染に怖い怖いとマスクをしながら、飲食店で喫煙者の副流煙を吸わされては笑えない話だ。
 中国の大気汚染に大騒ぎするのを機に、国内での屋内喫煙のあり方を議論する機会としてもよいのではなかろうか。

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2013年03月12日

県選出の4衆院議員

 昨年(平成24)12月16日の総選挙で、自民党は大躍進し、滋賀県でも小選挙区4議席、いずれも自民党が完勝した。あれからまだ3カ月しか経っていないが、忘れっぽいのは人の常というべきか、当選した4人の名を覚えている人はどれくらいあるだろうか。なかには投票したその人の名さえ思い出せない健忘症もあるだろ。
 参考のため改めて、滋賀から出た4人の衆議院議員を紹介しておく。
 1区=大岡敏孝、2区=上野賢一郎、3区=武村展英、4区=武藤貴也。
 この4人の選挙民に訴えたキャッチフレーズがそれぞれの個性を現して面白い。
 滋賀県遺族会の1月15日発行の「遺族の友」241号に、その4人の公約の集約化した誓いや抱負が出ている。以下はいずれも当時のそれぞれの選挙パンフレットによる。
 1区=大岡敏孝「謙虚に実直に、皆さまの思いを実現します」。
 2区=上野賢一郎「私は妥協しない。自信と誇りの持てる日本へ」。
 3区=武村展英「平和の安定なくして、経済の復活、暮らしの安心はありません」。
 4区=武藤貴也「創ろう未来の誇れる日本」。
 この4人のいざ出陣の決意をこうして箇条書きに並べると、それぞれの個性も浮かび上がるし、あたまに何が去来しているのか、未知数ながら将来の活躍度の判断資料にもなるだろう。
 短かい言葉の呼びかけで、抱負、識見、人柄を印象づけるのがキャッチフレーズやポスターの効果であるから、それぞれに苦心の跡は見受けられるが、共通して言えるのは抽象的で、ふんわかとしすぎて、分かりにくいことである。分かったような分からない、いわば消化不良になりがちなキャッチフレーズである。
 1区の大岡の場合、皆さまの思いを実現する、とは大衆にこびるだけで、「私は当選したらこうしたい」との自分の主張が聞きたい。
 2区の上野は「妥協しない」というが、何に妥協しないのか、その辺りが分からない。「自信と誇りの日本へ」は国民に共感を呼ぶ軸足といえよう。
 3区の武村は「平和の安定」は分かりにくい。「経済と暮らし」は政治の課題だが、いつでも、どこでも、だれもがいうテーマ。
 4区の武藤は青年会か学生の「雄弁大会」のスローガンだ。叫びの裏に悲壮感がみられる。
 国民(県民)を代表して立法の府に活躍する立場なのだから、日ごろから心に温めている政治信条や決意を明確にして欲しい。
 「国家のためなら命も惜しまない」、「地方分権と道州制」「クスリ漬けの日本追放」「誇れる歴史と教育」「健康長寿の国策推進」。
 まだまだ、国民の望む声は多彩だが、少なくとも「おれは国会議員だ。これこれの課題はおれの政治的良心だ」と堂々と宣言する勇気と覇気を示してもらいたかった。
 選挙民も出しっ放しでは無責任だ、葬式や祭り、運動会には出なくてよいから、ときには政治報告会を開き、中央の情報を伝え、同時に地方の声に耳を傾けることを望む(敬称略)。【押谷盛利】

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2013年03月11日

原発運転から半世紀(見聞録)

 きょう11日で東日本大震災から丸2年を迎えた。戦後最悪の自然災害は死者1万6000人にのぼり、いまだ約2700人が行方不明のまま、捜索活動が続いている。
 そして31万5000人が避難生活を余儀なくされている。これは前年3月に比べ2万9000人減少しているに過ぎない。復興住宅の建設の遅れ、原発事故の影響などが大きな原因だ。
 巨大津波の直撃を受けた福島第一原発は全電源を消失し、爆発を起した。放射性物質を撒き散らし、「安全神話」が絵空事だったことを露呈させた。2年経過した今も、廃炉に向けた道筋をはっきり示すことができていない。
 4基の原発のうち、3基で燃料が溶け落ち、4基内には使用済み核燃料が残る。原子炉建屋やタービン建屋内には1日400㌧もの地下水が流入し、汚染水を生み続けている。敷地内の汚染水の置き場も残り少なく、放射性セシウムなどを除去した処理水を海に廃棄することも検討されているという。
 汚染水の処理という慢性的な課題と並行して、30年、40年とも言われる廃炉作業を進めなければならない。しかし、原子炉内は放射線量が高いため人が容易に近づくことはできず、被害の実態が分からない部分もある。内部の状況を把握するだけで何年もかかりそうだ。半世紀経っても処理が終わっていない可能性もある。
 旧ソ連のチェルノブイリ原発は事故後、コンクリートの「石棺」で覆われ、27年を経過した今も施設の解体のメドが立っていない。
 原発事故が起こるまで、我々は原発の危険性をうすうす認識しながらも、エネルギーを無尽蔵に生み出す「打出の小槌」と、その恩恵に浴してきた。
 1963年、東海村の動力試験炉で初めて発電が行われたのが、日本で最初の原子力発電だった。あれから半世紀、資源の乏しい日本の経済成長を支えてきた。
 しかし、半世紀を経過しても、使用済み核燃料の廃棄場所は決まらず、青森県の中間貯蔵施設や各原発敷地内にプールされたままだ。原発の安全性を議論する以前の問題であり、廃棄場所が決まらないまま、発電を続けていること自体、異常なことだ。▽使用済み核燃料の最終廃棄場所▽福島原発の解体・撤去▽汚染地域の解消—。これらの解決策が見い出せてこそ、原発推進の是非が問われるべきと考える。
 自然災害の前では人間は無力であり、原発を安全にコントールする術を持たず、そして後始末する術も持たない。敦賀と隣接する湖北地域にとって、福島原発事故は今も、対岸の火事ではない。

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2013年03月08日

電子版のこころみ(見聞録)

 朝日、読売、毎日、産経などの全国紙は、新聞離れで購読部数が徐々に減っている。インターネットでの情報発信・収集が当たり前になり、多くの新聞社がホームページで自社ニュースを無料掲載している。全国ニュースならパソコンやスマートフォンがあれば事足りる時代となり、特にデジタル環境で育った若者にはニュースを紙で読む必然性はなくなっているのかもしれない。
 アメリカではインターネットメディアの台頭で新聞の廃刊が相次ぎ、名門週刊誌「ニューズウィーク」が紙媒体を止めてデジタル配信に完全移行するなど、紙媒体には向かい風が吹いている。
 さて、小紙滋賀夕刊でも電子版を模索し、目下、モニターを対象に試験配信している。読者はまだ少ないが、年齢層は10代の若者から70代以上と幅広い。「写真がカラーなのが新鮮」「どこでも手軽に読める」との反応が嬉しい。
 電子版に対し紙媒体に比肩するほどの部数を期待しているわけではなく、零細企業ゆえに配達網を整備しきれず、小紙を届けたくても届けられない地域の読者を第一義に考えて試行した。しかし、日常的に紙媒体を読んでいる読者からの引き合いも多い。モニターは随時、募集しているので、興味のある方は「滋賀夕刊」で検索を。
 他方、インターネットを介することで、「新聞社から読者宅へ」という一方通行から解放され、読者からの感想や意見を紙面に取り入れる双方向の新聞作りにもチャレンジできるのでは、と考えている。
 その試験として、4月から県内の小売店で始まるレジ袋の有料配布について、賛否や意見を問うアンケートをモニターの皆さんに送付した。すぐに返答があり、興味深い回答も出ている。来週早々には記事で紹介できそうだが、こういった形で地域の話題や課題を、読者の意見を交えて紹介するコーナーを設けたい。
 インターネットの普及による紙メディアの衰退は10年以上前から言われているが、小紙は地域のニュース、話題を伝え続けなければならない。それがコミュニティの維持につながる、と信じているから。

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2013年03月07日

渡辺、鳩山氏の出処進退

 政治家や高級官僚は人の上に立つ人だから、常にその出処進退が問われる。
 表舞台に出て高位高官、陽の当たる地位につくことが出処。その逆に退いて民間人となること、公人から私人になることが進退。
 国家公務員の天下りが問題となったのは7年前の第一次安倍内閣時代だったが、いまの「みんなの党」の渡辺喜美代表は当時、公務員改革の担当大臣として、特に天下りの温床ともいうべき政府系外郭団体や特殊法人の整理と官僚の天下り禁止に全力を尽くした。
 ところが当時の官僚やこれと結ぶ自民党保守派の抵抗にあって実を結ばなかった。業を煮やした渡辺大臣は「これでは100年経っても結果が出せない。新しい政治勢力をつくって、国民とともに改革しよう」と、自民党を脱党し、惜しげもなく大臣を棒に振った。
 ゼロから出発した渡辺氏の出処進退の鮮やかさが国民の共感を呼んで、いまのみんなの党は第3極の一端をねらう有力な政党になった。
 彼に比べると哀れにも野垂れ死に同様の結末を思わせるのが民主党の初政権を握った鳩山由紀夫元首相であろう。
 自民党を出て、さきがけ、そして民主党を結成し、遂に総理となる順風満帆の出処だったが、その後がケチのつき始めで、最後は踏んだり蹴ったりだった。昨秋の選挙には党の公認ももらえず、子分は離れ、思いを国会に残したまま立候補すら出来なかった。
 そして、今回、降って湧いたように民主党を離党した。本人は時の人のように話題を投じた格好だが、軽蔑と嘲笑の声で、一顧だにされなかった。出処の華やかさに比べ進退のみじめさは、お通夜のような暗さが漂う。偶然か、不肖の子を残して母堂が亡くなられた。
 鳩山政権時代、一カ月1700万円もの小遣いを毎月、母親にもらいながら無届けによる脱税疑惑が追及された。脱税王なる不名誉な言葉すら流行し、以来小沢一郎氏との二人三脚の歩みが国民の反発を招き、結局鳩山御曹司、空しく消えゆく運命。
 しかし、この男、日本ではうだつが上がらぬと観念したのか、今年早々に中国へ飛んだ。北京で中国の外相らと会談し、事もあろうに、尖閣問題で、領土問題は存在しない、という日本政府の公式見解を否定した。
 また会談の翌日、南京大虐殺紀念館を訪ね、石碑の前で合掌して謝罪した。いわば謝罪外交というべきで、中国側は大歓迎の大喜び。各新聞が写真入りで大きく報道した。
 しなびた古大根が中国に出かけて、先方で脚光を浴びた形だが、民主党に泥を塗り、国民の信頼に屁をかましたこの御仁。心あらば靖国の英霊へ追悼のお参りをするがよい。母堂の莫大な遺産を東北の原発被害地の救済に寄付するがよい。せめてもの好進退となるだろう。【押谷盛利】

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2013年03月06日

過剰サービス考(見聞録)

 1日付け小紙に載った投書は、ごみ収集日程表と確認用シールの配布を、市販のカレンダーの1〜12月に合わせて欲しいという要望だった。確かに、市役所の事業年度に沿った日程表だと4月から翌年3月という区切りになり、市販のカレンダーや手帳とミスマッチだ。
 しかし、その投書に対して意見が寄せられた。簡単に紹介すると「そもそも確認用のシールなど過剰サービスではないか」という指摘だった。シールがあれば便利だが、無くてもカレンダーにペンで記入するなどで事足りる。
 市からの配布物については、先週に開かれた長浜市議会と連合自治会長の意見交換会でも話題になった。市が自治会を通して配布している各種の「お知らせ」のうち、ごみ減量を呼びかけるパンフレットこそ「ごみ」という指摘だった。
 2月下旬から各家庭に配布された「保存版・家庭でできるごみ減量」(4ページ)と題したパンフレットを指していると推測される。「良かれ」と思って市が作成したパンフレットも、市民から無用と思われれば過剰サービスでしかない。
 目を転じれば、スーパーやコンビニでのレジ袋の無料配布、タクシーのドアの自動開閉、各種イベントでの景品プレゼントなど、当たり前と思って享受しているサービスも、改めて考えてみると「過剰」なのかも知れない。
 何が必要で、何が不必要なのか。サービスの背景には必ずコストが発生していることを忘れてはならないが、そう考えると、アベノミクスなる大盤振る舞いの各種事業も採算を度外視した企業、国民への過剰サービスではないのだろうか。
 日本は出産、子育て、就学、就業、老後まで手厚い行政サービスが施され、道路や橋、公共施設などのインフラも十分すぎるくらいに整備されているが、それらに見合った対価(税金)を払わず、子や孫の世代にまで借金を残して、行政サービスの恩恵に浴している。にもかかわらず、さらなる行政サービスを求める声は止め処ないのは何故か。知足の心に欠けるからか。

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2013年03月05日

橋下市長の見識と行動力

 「論語」先進14に、「過ぎたるは、なお、及ばざるが如し」とある。やり過ぎたらやり足りぬと同じだ、という教え。孔子は2500年も前の中国・春秋時代の学者であり、政治指導者でもあるが、そんな大昔の学者の教えが今も生きているのが素晴らしい。
 このごろ問題の体罰は愛の鞭、と、肯定するものもいるが、暴力そのものは教育基本法で禁止されている。体育系の学校はもちろんのこと、普通の中学校や高校でも体育関係の部活動では監督やコーチが体罰を加えるのが黙認されていた。そのゆきすぎから被害者の生徒が自殺して社会問題となった。
 愛の鞭か、何かは知らぬが、殴ったり、蹴ったりして、生徒を傷つけ、死に追いやるほど暴力を働いたとあれば動機はともかく、そのゆきすぎは非難されるし、懲戒の対象となって当然である。
 運動部の暴力は監督、コーチのみならず、上級生から下級生に行われることもあり、校内の秩序に関する学校側、とくに校長の責任が問われる。これは、いじめも同じで、大津の中学生の自殺事件の記憶は新しい。全国的に波紋を呼んだいじめ事件で、校長の辞職や教育委員会の責任が追及されたが、教育の目的である人格形成に学校側が無関心だったことを証明した。学校だけでなく、教育委員会の指導の無能や怠慢でもある。
 学校内の暴力やいじめに対して、大津市が一年以上も経ってから結論を出すという、もたもたぶりに比べ、大阪市は体育系高校生の自殺事件の直後、橋下徹市長の陣頭指揮で、問題の本質を糾明し、これを文科省の今日的課題にまで押し広げて、暴行監督を追放し、校長の責任追及に教育委員会を指導した。
 地方分権時代のリーダーの見識と手腕の大切さをまざまざと見せつけた。
 過ぎたるは及ばざるが如しの教訓は、目下上げ潮の安部内閣にも言い得ることだ。日銀の重い腰を上げさせて、じゃんじゃんと景気のよい金融緩和の大方針は、予算の大判振る舞い、国債発行、増税につながるが、それが経済の活性化と国民所得の向上、労働市場の開拓につながればいいが、一部特定の土建繁栄策になって、資材不足、労力不足、事業費追加、となり、インフレ、デフレのアンバランス社会が出現すれば、取り返しのつかぬ不況世相を招きかねない。
 物価が上がれば国民は買い控えするし、買い控えがムード化すると企業の減産あるいは縮小、倒産もあり得ることで、ギリシア、イタリア、スペインの財政破綻を他山の石としなくてはならぬ。突っ走るだけでブレーキをかけ忘れたら車だって衝突するではないか。【押谷盛利】

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2013年03月04日

中国大気汚染、湖北へも(見聞録)

 中国の大気汚染は対岸の火事ではない。汚染物質が風に乗って日本に降り注ぎ、滋賀県内でも環境基準値を超える日が出ている。
 話題の微小粒子状物質PM2・5は、今年1月13日に近江八幡、東近江、草津の3カ所で1日平均値が環境基準値の35(マイクロ㌘)を超えた。長浜では今年1月13日に24・6、31日に20・2、2月1日に24・4、3月2日に20・9など、環境基準値内ではあるものの高い数値を記録している。数値がさらに高くなるようであれば、マスクの着用や屋外活動の自粛など自衛が求められる。自治体の中には数値が高い日に市民への注意を呼びかけるなど、対策を取り始めたところもある。
 PM2・5は直径2・5マイクロ㍍(マイクロは100万分の1)以下の小さな粒子を指す。工場の排ガスなどに含まれるすすが主成分で、吸い込めば、ぜんそくや心疾患などのリスクを高めるとされる。
 北京での深刻な大気汚染がニュース番組などで注目されたことから、日本への影響が最近になって取り上げられているが、今に始まった問題ではなく、中国が高度経済成長にひた走る2000年以降、継続しているようだ。昨年の長浜の観測結果を見ていても、4月、5月に何度か基準値を上回る数値が確認されている。
 日本でも高度経済成長期、大気汚染が深刻化し「四日市ぜんそく」などの公害を体験したゆえ、今の中国の汚染も高度経済成長の副産物ととらえることができる。ただ、気がかりなのは、当局が数値を過小発表しているのではないか、規制サイドの役人が賄賂の見返りに汚染を垂れ流す企業を野放しにしているのではないか、といった中国の社会構造のゆがみが、汚染問題を放置するのではないかという懸念である。
 それを証明するように、北京大学と環境NGOが大気汚染の実態を調査したところ、PM2・5の数値が最大で当局発表の3倍に達していたことが分かった。
 経済成長を優先し、環境保護対策を先送りしてきた中国政府が今になって、石油・石炭業界、自動車業界に排ガス規制を強いることが果たして、できるのだろうか。残念ながら我々が自衛策を取る必要があるのかもしれない。

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2013年03月02日

死なないハエと食品汚染

 ぼくが「クスリ漬け」を批判するのは、クスリは使えば使うほど効かなくなるからだ。効かなければ一回の服用量を増やしたり、飲む回数を増やすことになり、体内を一層クスリ漬けにする。
 病菌を抑えたり、手術後の感染を防ぐなど、医療に革命的進化をもたらした抗生物質だが、細菌の本性というか、長い年月のうちに、抗生物質に負けず生き延びる菌が出始めた。これを耐性というが、その最も激しい、最も分かりやすい例を一つ紹介する。
 これは「文春」2月号に発表している評論家・立花隆氏の論文である。
 昭和40年(1965)、東京湾の埋立地でゴミ騒動が起きた。名前は夢の島だが、ゴミの島と呼ばれるこの埋立地に一日9000㌧(2㌧車で4500台)のゴミが毎日運ばれてきた。そうこうするうちに対岸の江東区にハエが押し寄せ、払っても、払っても人の顔にたかった。
 どの家の天井もハエで真っ黒。夜はハエを追い払うのに疲れ果て眠れない人が続出。殺虫剤をいくらまいてもハエは死滅しなかった。ハエが薬剤耐性を獲得して致死量の2000倍に増やしてもきかなかった。
 結局大量の重油をかけて巨大なゴミの山(高さ20㍍、長さ270㍍)を燃やすことで切り抜けた。
 3月8日付の「週刊朝日」は「危ない輸入食品472品目」のタイトルで、中国、米国、ベトナムなど52カ国から日本へ輸入される食品の薬害汚染を告発している。
 中国製冷凍ギョーザ中毒事件で、5年前大きなショックを受けた日本だが、輸入食品の農薬や食品添加物の違反はまだまだ続いている。そこで、同誌はどんなものに注意が必要か、「危ない食品」の最新情報をレポートしている。
 厚労省によると、近年の輸入食品の届け出件数は2009年度=182万件(千以下略)、10年度=200万件、11年度=209万件。20年前に比べると届け出件数は約3倍、総重量は1000万㌧近く増えている。
 輸入食品の残留農薬や食品添加物の食品衛生法違反については、農民連食品分析センターが目を光らせるが、11年3月の東日本大震災後、検査依頼の8割を放射能検査が占めるようになり、輸入食品の違反問題が解消されていない。
 同誌は厚労省のデータをもとに12年2月から13年1月の違反事例を調べた。
 総違反事件数は1053件。ワーストは中国の227件、次いで米国150、ベトナム118、タイ94、インド65。昨年はドイツで中国からの輸入イチゴで1万1000人超が下痢や発熱で、ノロウイルスが疑われた。今年には、ケンタッキーフライドチキンを展開する中国事業部が、鶏に過剰な成長促進剤や抗生物質を投与したとして謝罪。2月には遼陽市でカモ肉に基準の約2000倍の亜硝酸塩や発がん性のある添加物を加え、牛肉や羊肉と偽って販売していたとして、中国当局が生産工場の関係者を逮捕した。
 05年に中国産うなぎから検出された合成抗菌剤「マラカイトグリーン」は日、米、欧州のほか当の中国でも食品への使用を禁止されているが、その後も違反が相次ぎ、昨年6月にも中国産蒲焼うなぎから、検出された。
 また菓子類や油脂から防腐剤、冷凍コハダや健康食品からは発がん性が疑われ、日本では40年前に使用禁止の人工調味料「サイクラミン酸」が検出されている。またアサリや天然の魚から除草剤使用を疑われる薬品が検出され不思議がられる例もあり、農薬の多用が水環境を汚染しているのでは、ともいわれている。
 輸入食品は検査されるが、すべてを安全基準に照らして黒白つけるわけではないから、法のスキ、人間のスキを狙って、山のように外国の食品が入ってくるのだから、安全第一の日本の農業、海産物に目を開き、一人一人が自己防衛しなくてはならぬ。【押谷盛利】

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2013年03月01日

長浜市街地を歩いて…(見聞録)

 日常の取材に加え、ときどき新聞配達や読者拡張に歩く。先日は宮前や神前、元浜町など旧市街地の路地をウロウロしたが、過疎化・空洞化の傾向が気になった。
 長年、誰も住んでいないのだろうか、屋根が崩れかけた古い民家、チラシが溢れたポスト、ジャングルのように木や雑草が繁る庭。子どもの声が響き、家族の語らいがあったであろう民家が、廃屋同様に人の気配を押し殺すようにたたずんでいた。
 高齢化率が50%を超す「限界集落」なる言葉から連想するのは田舎の農村や山村の姿だが、長浜の旧市街地も他人事ではない。少子化と核家族化による人口流出が直接の原因だが、長浜曳山祭を支える物心両面の負担や旧市街地特有の近所付き合いを敬遠する向きも指摘されている。
 民家の所有者としては誰かに住んでもらいたいところだが、「得体の知れない人に貸してご近所さんに迷惑をかけては申し訳ない」と、不動産市場にも出てこない。人が住まない民家は傷みが早い。
 市街地にいかにして人を呼び込み、定住してもらうのか。長浜市が抱える深刻な課題ではないだろうか。「中心市街地活性化」を掲げ、税金を投入し続けた結果、シャッター街の商店街は年間200万人が訪れる「観光地市街地」となった。だが、「観光市街地」を一歩出れば、市民が思い描く活性化は進んでいないことが分かる。2008年度調査によると中心市街地活性化の対象エリア内で208軒の空き家が確認され、今も増え続けている。
 長浜市は活性化施策に対する税金投入のあり方を見直す必要がありそうだ。目下、中心市街地への移住や町家改修を助成する制度を設け、新年度は町家を改修したモデルハウスを整備し若者にPRする施策を用意している。
 今、東京や大阪では都心回帰、地方都市では駅前回帰の動きがある。生活に必要なものが徒歩圏内に揃う「コンパクトシティ」が見直されているわけだ。長浜市街地の場合も八百屋、魚屋、米屋、酒屋があり、食品の買い出しには困らない。お洒落なレストランやバーがあり、駅前にはスーパー。学校や医院も徒歩圏内。新たな定住者を招き入れるポテンシャルは決して低くない。また、近所付き合いの希薄な環境で育った都市部の住民は、互いの顔が見えるコンパクトな生活空間を求め、それは町家生活への憧れとも関係している。
 若者の定住が進んでこそ、市街地活性化だろう。

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