滋賀夕刊新聞社は滋賀県長浜を中心に政治、経済、文化の情報をお届けする新聞です。



2013年02月28日

汚染物質から身を守れ

 ぼくが今、ペンを執っているのは「文明病」から脱却するための正義の剣である。
 だれが何を言おうと、いま、公平に見る限り、日本人は身心を病んでおり、それが個人からさらに国家の危機を招いている。
 日常、マスメディアの報じる諸々の悲劇や事件、いまわしい社会問題など、そのすべてが「病み深き」日本人の宿業とさえ言い得る点に、警鐘を打ち、健康で、まともな日本人に立ち返ることがぼくの悲願である。
 健康で快適な生活の方へチェンジするキーポイントは「自然に還れ」のひと言だ、と、ぼくはいうが、それはつきつめれば「生活習慣」の切り換えである。
 日本人の心や体がおかしくなったのは戦後このかた経済大国へ行進し続けた文明と技術の発展に伴う副産物現象といってよい。
 ぼくはそれをあえて文明病というが、いま、ひそかにその文明病を告発する動きが高まりつつあるのは歓迎すべきことである。
 その一つに内科医の堀田忠弘氏が「体と心から毒を消す技術」というびっくりするような本を出版している。これの詳細については近く書くが、現場の医師が健康で一生いられる秘策を訴えているのだから十分傾聴すべきである。
 堀田医師は、ガン、うつ、不妊症、アトピー、花粉症、アルツハイマー…。多くの病の原因は食品添加物や残留農薬、放射性物質の蓄積によるとし、毒にさらされ、弱り切った私たちを救う、体と心の免疫力アップにどんな対処をすべきかを訴えており、20年以上の研究の成果をまとめたところが注目される。
 いまから半世紀も前の話だが、世界に知られる水銀汚染による「水俣病」は昭和31年(1956)熊本県で確認された。化学工業会社のチッソが海に流した工場排液により、魚から人へと汚染が広がり、公害病の恐ろしさが「ミナマタ」として世界に知られるようになり、いまもその後遺症への救済は完了していない。
 石油コンビナートの四日市で発生した「ぜんそく性」呼吸器障害、川崎や尼崎、名古屋で起きた自動車の排ガス公害病なども多くの被害者が告発した。
 このような原因明確な公害以外に、いまの日本人は100人が100人、みんな汚染食品を摂取し続け、すべての生活分野において限りなく自然から遠ざかってしまった。
 食品工業という名が存在するように、食料品の工業化が添加物と残留農薬から切っても切れない関係をつくってしまった。食料品に四季がなくなり、外国産の汚染濃度の濃いものが形を変えて市場に出回るようになった。
 そうした食品世界の汚染に正比例して日常生活に暗い関係を持つのが「クスリ漬け」社会化であり、毒を口に入れながら、別の毒で被害の手当をしたり、被害を防ぐという悪循環を繰り返している。
 体を動かすこと、手や足を使うことを「貧しき」ことのように錯覚して、クスリにおぼれ、美食にふける肥満型人間を幼児時代からつくってしまった。このような現代生活への痛烈な反省と批判から、自然回帰への生活習慣の切り換えが可能になってゆく。
 高齢を生きながら寝たきりになる不幸をなくする道がありながら、それに気づかないか、気づいても実行しない国民の多いのが悲しい。【押谷盛利】

| | トラックバック ( 0 )

2013年02月27日

川島氏、獅山氏の当落歴(見聞録)

 前回のコラムで書いたように長浜市長選まで、あと1年となった。長浜の市長選で欠かせない人物は、前市長の川島信也氏だった。当落を繰り返しながらも常に「川島派」と呼ばれる熱烈な支持者に支えられ、その気さくな人柄が多くのファンをつくってきた。良く言えばリーダーシップ、悪く言えば独善的手法で市政を運営し、その功績は市立長浜病院の移転改築、湖北1市6町合併の成就、小学校での英語教育導入などが、小生にとって印象深い。
 国鉄ニューヨーク事務所に勤めた国際肌の持ち主で、市長引退後に続けているインターネットのブログでも経済や外交など国際的な話題が豊富だ。この2月には自衛隊機で硫黄島へ赴き、遺骨収集に従事するなど、相変わらずの行動派。
 長浜市長選ではここ20年、川島氏が出ない市長選はなかった。
 国鉄引退後の1983年、37歳で衆院選滋賀全区(定数5)に自民党から立候補するも敗れ、以降2回(86年、90年)も敗れた。91年、国政選挙に見切りをつけ、長浜市長選で初当選し、4年後の落選をはさんで99年に返り咲く。その4年後にまた敗れ、そして2006年、長浜市とびわ町、浅井町が合併して誕生した新市で再度、返り咲きを果たした。3年前、1市6町の合併をまとめた直後の市長選で藤井勇治氏に敗れ、この世界から足を洗うことを決めた。
 落・落・落・当・落・当・落・当・落—。3勝6敗の負け越しながら、落ちても落ちても、次を目指すバイタリティーに、今のチルドレン政治家には見られないタフさがにじむ。
 実は彦根市長の獅山向洋氏も当落が激しい。検事、弁護士を経て1979年、39歳で市議選に初当選。81年、85年の市長選では現職の井伊直愛氏に挑戦したが敗北。3回目の89年で、10選を目指した井伊氏を破った。
 しかし、再選を目指した93年の選挙で、中島一氏に敗れ、返り咲きを目指した97年は惨敗。いったん政治の世界から遠ざかったと思いきや、彦根市と犬上郡の市町合併の議論が活発化した2003年、合併協議に異論を唱え市議選で当選。05年に市長選を制し、09年も再選を果たした。
 当・落・落・当・落・落・当・当・当—。5勝4敗で勝ち越している。そして2カ月後には川島氏を超す通算10回目の選挙に挑むことになる。
 対立候補とみられる元県議・大久保貴氏も今度で市長選4回目の挑戦となり、こちらもタフだ。もう1人の有村国知氏は国会議員の秘書経験のある38歳。若さと中央政治にかかわった経歴が売り。選挙は初めてだが、川島、獅山両氏が選挙に初挑戦したのも30代だった。

| | トラックバック ( 0 )

2013年02月26日

生活習慣を切り換えよ

 明日の日本を心配する、と声高に叫んでも笑って相手にしない人がいる。しかし、ほんと、笑い話ではない。
 ある日、突然、車が歩道へ乗り上げたり、コンビニへ突っ込んだりする。いじめによる子供の自殺、わけのわからぬインフルエンザ。山に雪があるのに花粉症、冷蔵庫完備の新鮮な食料品時代にもかかわらず、食中毒やお腹の変調。若い母親の子殺し、銃の乱射、スカート内の隠し撮り、紳士づらした肩書男の覗きやエッチ、運動部の暴力、国民総くすり漬け。
 人口の都市集中、農山村の荒廃、少子高齢化、独身貴族にセックスレス。
 いちいち挙げたらきりがないが、ひと口に言えば末期現象である。限りなく病む社会は、限りなく墓場を掘る灰色の大集団だ。これらのマイナス現象の要因は何か、それが反省であり、前向きな人の憂いである。だから明日の日本に無関心で、いまの幸せ感に埋没している人は、ある日、ある瞬間、あわてたり、泣き叫んだり、不幸を呪ったりすることになる。
 国がその安全のために自衛力を持つように、われわれ国民は、末期への転落を防ぐため自らを守らねばならぬ。国民一人一人が自らを守る努力をすれば国の末期現象に歯止めをかけることができるし、国民も健康で快適な生活ができる。その健康で快適な生活へ方向をチェンジするキーポイントは、反自然からの脱却である。
 分かりやすくいえば、「自然に還れ」のひと言である。すべての不幸、すべての苦しみや嘆きの因は無自覚ながら、ここ半世紀の高文明、反自然の集積による産物である。
 指導者はそれに警鐘を鳴らさないから、道はますますぬかるみ、食べ物も水も空気もおかしくなる。
 法律で国全体を自然回帰にすることは不可能であるが、自覚した国民それぞれが身を守らねばならぬ。その自覚の促進剤として、ぼくはこの時評を書き続けている。これを読んで問題意識に目覚めた人は、まず先進者として、家族や友人、周りの人に意識改革の輪を広げて欲しい。
 その改革の鍵は極めて平凡であり、実践は平易である。なにごとも「自然に還れ」、これである。文明へブレーキをかけ、クスリと化学物質を体内に取り入れない生活習慣の切り換えである。【押谷盛利】

| | トラックバック ( 0 )

2013年02月25日

長浜市長選まで1年(見聞録)

 嘉田由紀子知事が塾長を務める「未来政治塾」2期目の塾生が集まらず、募集期限を1カ月ほど延長した。通学200人、ネット受講生500人を募集したが、締め切りの今月20日までに約半数にとどまった。
 「さまざまな地域や職種、背景を持つ人たちが政治や行政を学び、選挙の仕組みを知ることで、政治の世界への新規参入を促す場としたい。いわば政治シロウトが政界に飛び出すための仕掛け」と、未来塾は設立趣旨を説明している。だが、大阪市の橋下徹市長の維新塾の二番煎じとも受け取られる。
 その塾の応募者が定員の半数しかなかったことに、塾関係者は「政治塾ブームは去った」としているが、嘉田知事の求心力低下と見ることもできる。
 嘉田知事は昨年の総選挙直前に「びわこ宣言」を高らかに掲げ「日本未来の党」を結党したが、選挙後には小沢一郎氏の「生活の党」の一派に追い出された。選挙の「顔」として使われただけで、その効果がイマイチと知るや、切り捨てられたわけだ。小沢氏に乗せられた嘉田知事への県民の評価は記すまでもない。
 国政への色気を見せた嘉田知事に対しては今夏の参院選立候補説が流れているが、23日、記者団に対して「そういう考えはない。知事としての任期を全うする」と否定した。
 さて、嘉田知事の参院選立候補の噂が流れた昨年末以来、今夏はトリプル選挙になるのではないか、との見方があった。というのも、嘉田知事の国政挑戦に伴う県知事選候補に藤井勇治長浜市長の名前が浮上したからだ。
 昨年末、嘉田知事が後任として「国政経験のある首長がふさわしい」と語った、という噂が流れた。結局、噂の域を出なかった。仮に嘉田知事、藤井市長がそれぞれ立候補するとなれば、今夏は参院選、知事選、長浜市長選のトリプル選挙となるわけだ。
 長浜市長の任期満了はあと1年に迫り、地元では藤井市長への対立候補擁立の話が聞こえて来ないわけではないが、まだ表面化する動きはない。
 そんな中、先週、市内の選挙好きの読者からの電話。「黒壁の新社長は経歴が一流で年も若い。見た目もいい。市長選に出たら強いで」と言う。「今は大阪に住んでいるし、長浜に来るのは週に1回ぐらい。彼が住みたいと思える長浜市になれば、将来、その可能性もあるのでは」と返答した。
 長浜市内では20年以上、川島信也前市長と対立候補による事実上の一騎打ちが続いてきた。川島前市長が政治の道から退き、川島派と反川島派の戦いに終止符が打たれた今、次の市長選はこれまでにない構図となりそうだ。これから1年、目が離せない。

| | トラックバック ( 0 )

2013年02月22日

長浜家の家計事情(見聞録)

 長浜市の新年度予算案が発表された。一般会計の総額は532億円。企業の業績悪化や市民の給与所得の低下で市民税が低下する中で、公共施設建設などに積極的に予算を計上した。
 一般会計の規模を1万分の1に圧縮し、一般家庭に置き換えてみると、長浜市の財政構造がいくらか分かりやすい。
 2013年度の総収入は532万円。しかし、実際の給料(市税)は168万円しかなく、会社の業績悪化で前年より4万円減ってしまう。
 出費は、食費(人件費)が74万円、医療費や保育園代(扶助費)が101万円。光熱費や保険代、その他の生活費(物件費・補助費)は合わせて137万円。苦しい家計の中、親族への仕送り(繰出金)も欠かせず58万円を見込んでいる。また、今年は家の大改修や庭の修繕など(建設事業費)に66万円ほどかかる見込み。さらにローン返済も元本を減らすため例年より多めの89万円を予定している。
 給料だけではとてもやりくりできず、親から129万円の仕送り(地方交付税)、公的支援(国庫支出金)の59万円が頼り。それでも赤字なので、定期預金(基金)から37万円を下ろし、新たに64万円のローン(市債)を組んだ。ローンの残高は毎年わずかながらも減らせているが、まだ524万円残っている。
 今年は最終的に25万円の黒字となる見込み。定期預金を家計の足しにすることを考えると実質は赤字だ。
 頭の痛い問題もある。実は結婚(1市6町合併)以降、親からの仕送りを手厚く受けているが、2年後から徐々に減らされる。8年後には今より54万円も減らされる見込みで、それまでに家計を切り詰める工夫を考えたいところ。
 実家では昨年から食費を節約し始め(国家公務員の退職手当引き下げ)、我が家でも3月末から減らすことに。家族からブーイングが起きないとも限らない—。
 長浜市の財政事情を大まかに家計で表現するとこんな感じになる。気がかりなのは扶助費の多さだ。一般会計の実に2割を占めている。少子高齢化に伴う子育て支援や医療費助成、生活保護などで今後も増え続け、市の財政を圧迫することは間違いない。
 一般会計のほかにも国民健康保険特別会計(116億円)、介護保険特別会計(98億円)など、我々が保険料を納めている各種会計でも今後、負担が増えそうだ。
 我々が納める税金や保険料が効果的に使われることを願いたいところだが、目を国政に転じれば「アベノミクス」なる不要不急の財政出動が一部の大企業、各省庁及び取り巻きのファミリー企業、団体を喜ばせている。大盤振る舞いの財政出動に見合うだけの効果が我々庶民にまで届くのか、大いに疑問に持つ。

| | トラックバック ( 0 )

2013年02月21日

人口問題と2大本能

 「子育ての環境が悪いから子を産まない」、「所得が少ないから結婚しない」、「保育所が少ないから」、「教育費が高いから」—だから少子化になる。これらを少子化の原因のように言う政治家や役人、評論家に「アホ言うな」と、ぼくは反発する。
 平成の今の世になるまでは、日本には「貧乏人の子沢山」という言葉が決して不自然ではなかった。戦争中の「生めよ、殖やせよ」の国策以前に、江戸期も明治、大正期も子どもはたくさん生まれた。ただし、文化や医療の遅れで、早産児や、虚弱児の死亡率が高かった。
 今、世界で人口の多いのは中国、印度、アフリカであるが、いずれも文化的、経済的に低開発。もしくは開発途上国家である。決して豊かとは言えない。それでも人口政策で抑えねばならないほど自然発生的に人口は殖えてゆく。
 子を産むことは文明や貧富とは全く関係ない。むしろ豊かになって、育児や教育環境がよくなれば若いものは子を産まなくなる。なぜか、子育てそのものに関心が向かないからである。子をもうけ、育てるという生物の本能の稀薄化。ありていに言えば本能の鈍化である。
 神さまはすべての生物に、そのものの存命と、その種族の繁栄を願って、食と性の2大本能を与えたまうた。食べなければ人は死ぬ。男女がセックスレスでは人は生まれず、人口は減る。こう考えると、食文化もセックスレスも明日はもちろん、今日といえども日本にとっては存亡の危機といえるのではないか。
 男女が恋い、愛しあうのは今も昔も不変の感情で、おもむくところ子を宿し育てる。これは古事記を持ち出すまでもなく、東西を問わず、みんな同じである。
 軍事的野望を持つ国家は、戦をするための若ものの必要性から子宝を説くが、それでなくとも産業者としての生産人口の上から順送りの若もの態勢が望まれる。
 日本の政治家は、「今」を無難に乗り切れば、という自己本位の営利栄達を考えるから、税収がなくて歳出予算に困るとなれば、国債という借金政策に手を染めるが、この借金は30年、50年、さらに長期的に次世代のものが償還してゆくことになる。その次世代に若ものが少なく、老人社会になってゆけば、その時点での国家の運営はどうなるのか。国の台所は安全なのか、危機を迎える。
 それは子どもにも分かる単純な話で、社会福祉や教育費、医療費、年金などで、出費はぐんぐん増高してゆくのに、肝心の税収はぐんぐん少なくなってゆく。それは人口が減って、働き盛りの若ものが少なく、老人が増えてゆくからである。
 それでも借金は約束通り返さねばならぬ、と、なれば、もろもろの掛け金や税金を増やさねばならぬ。30年、50年後を考えれば、個人の場合、家の建て替えや修復の時期を迎える。国の場合は、道路、鉄道、港湾、下水道、上水道の錆落としや、改良、再構築の時期と重なる。いわゆる社会資本の必然的増加である。
 ぜいたく三昧のこれまでの生活をどう切り替えるのか。しかし、とことんへばってしまってからは、カンフル注射も効かない。だから今が問題、大問題なのである。【押谷盛利】

| | トラックバック ( 0 )

2013年02月20日

「9歳の壁」は家庭しだい(見聞録)

 先日、長浜市教育センターの研究員から聞いた「9歳の壁」という言葉は初耳だったが、教育界では一般的に知られた現象のようだ。
 「9歳の壁」は小学3・4年生ごろに学力の個人差が拡大することを指し、教員へのアンケートでも9割近くが「9歳の壁」の存在を感じている。算数の学力調査でも3・4年生で平均点が下がり、児童へのアンケートでも難問にぶつかった際には「自分で頑張る」より、「先生・友達に聞く」との回答が増えている。
 この時期、算数では時刻や時間、少数の加減や乗算、億・兆の単位、割合など、頭の中でイメージしながら向き合う問題を習うようになる。足し算、引き算のような簡単な計算でもなく、九九のような暗記でもなく、児童にとって「壁」と受け止められるわけだ。
 ちょうどこの頃、子ども達は心身の転換期を迎える。9歳ごろまでは、子ども達は自分を中心に社会を見つめている。ところが、この頃から他者の存在を意識し始めるのだという。これが抽象的な問題が増えてくる算数の成績に顕著に現れてくるのだそうだ。
 この「9歳の壁」は、東京教育大学付属聾学校長の萩原浅五郎氏が指摘した。聾学校の子ども達が小学校低学年までは健聴児と同じように発達するが、中学年から高学年へと進むにつれ、学習が具体的なものから抽象的な内容に変化するにつれ、乗り越えられない壁につきあたることが多い、というものだった。
 「壁」と表現すればプラスイメージを抱かないが、子どもの心身の大転換期と前向きに受け止めるのが良い。大転換期をうまく乗り越え、飛躍するにはどうすれば良いのか。
 それは、これまでの「直接体験」が大切になってくるのだそうだ。直接体験というのは、外で友達と遊び、虫を捕まえたり、ケンカしたり、自身が肉体で経験することを指す。文部科学省の調査でも、乳幼児期から頭や体を動かし、特に五感を存分に使うことが身体機能、脳の成長にとっても重要であることが判明している。逆に、成長期に十分に体を動かさないことは運動能力だけでなく心身の発達全体に影響が及ぶという。
 しかし、現代の子ども達は少子化や、子どもを狙う犯罪の増加で、大半が自宅や友達の家で遊び、さらには友達と一緒でもゲームなどで1人遊びしている。体を使った体験が不足しているのだ。
 「9歳の壁」に限らず、子どもが大人へと成長し、社会人として活躍するまでには、多くの壁に出会う。その壁を前に時には挫折しながらも前へ前へと進まねばならないが、子ども達にその壁を乗り越えさせるためにも、今、家庭での子育てのあり方が問われている。

| | トラックバック ( 0 )

2013年02月19日

悪魔と病毒を深化させる

 若ものにセックスレスが多いという毎日紙の記事を紹介したが、看過できないので、不本意ながらペンをとった。
 世の中、良きに悪しきに変化してゆくが、性は本来オープンにすべきものではない。それがいつの間にか、興味本位のカネもうけの対象となり、映画、演劇、文学、芸術の分野で、人前にさらされるようになった。
 どこまでが、わいせつか、どうか、法の取り締まりの基準もあいまいになった。つまるところは表現の自由という憲法にゆきつくところだが、これは何もわが国に限ったことではない。100年も200年も前のフランスでさえ、女性の裸体図が官憲の追及を受けた、江戸時代から明治時代にかけては娘の結婚に際し、母親がそっと春画をタンスにしのばせたというから、性は夫婦生活の最大の関心事だった。
 だが、これは固く丸秘で、闇から闇へ、個から個へ伝達されて、広く商業ベースに乗せるべきものではなかった。
 戦後売春法の規定で、性の売り買いが禁じられたが、これが逆に性産業なる反社会的恥部を闇に潜らせた。それが桃色産業を情報の波に乗せたり、裏社会の醸成に手を貸した。いま堂々と店頭に売られている週刊誌のなかにはどう考えてもわいせつに問われる内容のものが多いが、フリーフリーの天下泰平である。
 ぼくがセックスレスを取り上げたのは、そのことの異常さが国益に反し、国の人口を減らしてゆくからである。しかもこれは、タブーとすべき性の一面だけでなく、広く深く、われわれ日本人の運命と幸せに関わるからである。
 ぼくが小学生のころ、先生から人間の2大本能としての食と性について教えられた。食は自己保存、性は種族繁栄のための神さまからの贈りものである。残念ながら近代文明は科学と技術を過信して、神の与えた本能ともいうべき食と性を弄んだり、反自然の限りを重ね始めた。
 これについては、暮らし方、食生活、クスリ漬けなどを警告して、ぼくはしばしば本欄でも取り上げたが、いまの日本の社会不安や犯罪の傾向、医療費の巨額化、少子化などすべては互いにリンクする反自然の膿である。
 この膿が日本人を不幸にし、日本の将来を危うくするのだが、政府も政治家も学者もマスメディアも触れようとはしない。この膿の被害が如何にひどいものであるかは、皮肉にも日日の新聞の広告欄が証明している。
 それは将来的には墓穴を掘る商業主義だが、簡単にいえば、反自然の生活で平穏さを悪くした社会や個人の健康を、再び反自然の手法でただしたり、治療したりして、悪魔と病毒の根を深化させてゆく。以下次号の時評で具体的に論及する。【押谷盛利】

| | トラックバック ( 0 )

2013年02月18日

選挙は水物か、因果応報か(見聞録)

 きのう17日投開票された米原市と東近江市の市長選はいずれも現職が敗れ、新しい市長が誕生した。
 米原市は元職の平尾道雄氏が泉峰一氏を185票の僅差で破り、4年ぶりの返り咲き。
 東近江市は長浜警察署長の経験もある小椋正清氏が西沢久夫氏を6500票余り突き放しての圧勝だった。
 両市長選挙とも現職が敗れたという点では一緒だったが、選挙態勢は大きく違った。
 東近江市長選の場合は小椋氏が市議の大半と、国会議員、県議からの支援、自民、日本維新の会、公明、みんなの党の推薦を受けるなど、組織力で西沢氏を圧倒していた。一方の西沢氏は市政運営を巡って市議会と対立し、前回全面支援を受けた民主党も機能せず、負けるべくして負けた。
 米原市長選では泉氏が市議の大半の支持を受け、地元選出県議2人も全面支援。出陣式では国会議員や近隣市長も激励に駆けつけ、平尾氏を圧倒する組織力を見せ付けた。「これで負けたら議員は切腹ものやな」と、選挙戦を楽観する支持者もいた。
 一方の平尾氏は市議の支援はたった2人で、組織力に頼らない典型的な草の根選挙戦だった。個人演説会の反応は良く、終盤の追い込みに力があった。
 17日夜の開票。泉陣営では再選を疑わず、事務所には近隣自治体の市長や議員らが祝福のために待機していた。が、平尾氏の当選確実の情報が伝わるとそっと事務所を後にした。
 票を全部あけるまで結果が分からないから「選挙は水物」と呼ばれる。流れる水のように定まらず、不確かな要因があるからだ。
 しかし、万事、因果応報ではないだろうか。なぜ、万全の組織力を誇る泉氏が敗れたのか。4町合併から8年が経過しても、目玉事業の米原駅前の再開発は進まず、合併の最大の目的であるはずの「行政のリストラ」は、市役所の分庁方式に代弁されるように非効率で、市民からは行政改革が進んでいるようには見えない。そういった市民の不満が平尾氏を市長に返り咲かせたのではないだろうか。泉氏を応援した国会議員、県議、市議は米原市民の思いに寄り添えていなかったと言えるし、加えて市議補選で地盤も組織もない36歳の松崎淳氏が当選したことは、市民に新風を求める気運があったことを裏付けている。
 さて、1月の高島市長選を含め、今年に入ってから県内の3つの首長選挙で現職が敗れている。次の注目は4月の彦根市長選。目下、4選を目指す現職の獅山向洋氏に対し、元国会議員秘書の有村国知氏、元県議の大久保貴氏が挑戦する構図だ。4年前は5候補入り乱れた結果、現職が逃げ切ったが、今度はどうなるか。「水物」ゆえに蓋を開けるまで分からないが、当落は因果応報でしかない。

| | トラックバック ( 0 )

2013年02月16日

老人社会と青年救援隊

 湖城会という川柳の会が長浜にある。会員の小倉敏子さんの句に「年明けてまたまたもらういらん数」というのがある。いらん数というのは年齢のことを指す。子供のころは「もう幾つ寝るとお正月」と、その日の来るのを心待ちしたが、老齢化が進めば進むほど年はとりたくない、と思うようになる。
 しかし、これは天の法則だから、「Aさんは年をとり、Bさんはとらない」というわけには参らぬ。人間ばかりではない。樹木には樹齢があり、年輪で100年もんか、200年もんかが判別できる。
 古くて威張っているのは「骨董」くらいで、多くのものは壊れたり、腐ったり、役立たなくなる。建物や機械は役立たなくなれば修復したり、更新したり、安全と効率のため手を加えるが、人間の古いのはどうにもならぬ。古くなって役立たずだからと、ゴミ扱いにするバカもいるが、人間は万物の霊長だから、たとえ老化がひどくとも捨てたり殺したりすることはない。
 家族制度の崩壊から、年寄りを粗末にする不心得ものもいるが、これに代わって、国や地方自治体が面倒を見る制度があり、これからの課題はこの方面の社会福祉をいかに充実するかであろう。
 それにしても人口の都市集中化と地方の過疎化の生存環境の格差が問題である。田舎がよい、というのは水や空気、緑の面からの生活環境を自慢しての言葉だが、そんなによいのなら、日本の若ものは地方を捨てることなく田舎に残って、地方の発展に力を入れてほしいと願うのだが、現実にはそうはならない。どんどん田舎は人口が減り、若ものと子供がいなくて年寄りばかりが住むようになった。今年は雪が少なくて助かったが、年寄りばかりの集落では道をあけるにも屋根の雪を除けるのも命がけである。少し無理をすれば腰を痛めて病院通いを余儀なくされる。
 老人社会の幸せのために「青年救援隊」のような助けあいの機関が必要かもしれぬ。これの組織づくりには国の助成も必要だが、地方の負担、その集落自らの掛金も必要であろう。このような制度が確立すれば新しい雇用も創出されるし、隊員の中からは、その集落に骨を埋めるようとする新しい風が吹くかもしれぬ。
 若い隊員によって、山林が守られるし、漁業が復興するかもしれない。隊員の活躍が刺激剤となって、若い村人のUターン現象が起きれば申し分なしである。
 それにしてもである。大事なのは、村に残る老人たちの健康である。救援隊が所期の目的を達するにも老人の健康が不可欠である。年をとっても世間から「ありがとう」といわれるくらいにがんばろう。【押谷盛利】

| | トラックバック ( 0 )

2013年02月15日

市議会委員会傍聴記(見聞録)

 長浜市議会の総務教育常任委員会を傍聴した。一般的な地方議会では、委員会は年4回の定例会期間中にしか開かれないが、長浜市議会では1年前から毎月第3木曜日に産業建設、健康福祉、総務教育の3常任委員会を開催。市政課題の報告を受けたり、問題点を追及したりしている。
 この日の委員会のテーマは多岐にわたったが、体罰、原子力防災、新庁舎建設の3点を紹介したい。
 体罰について、押谷與茂嗣議員や落合武士議員らは「体罰すべてがいけないのか」「体罰禁止によって子どもたちが増長しないようにして欲しい」「手に負えない子ども、暴れる子どもをどう指導するのか」などと質問。伊吹文明衆院議長(元文科相)の体罰容認発言も話題にのぼった。
 伊吹氏は9日の自民党岐阜県連の政治塾で「体罰を全く否定しちゃって、教育なんてできない」と語り、体罰が問題化するのは「何のために体罰を加えるのかという原点がしっかりしていないから。愛情を持って加えているのか判然としない人が多すぎる」と持論を展開。「要は人間を磨くということ」などと述べていた。
 北川貢造教育長ら市教委側は「体罰は学校教育法で禁じられている。子どもを厳しく育てることは必要だが、それには言葉と毅然とした態度が大切」と説き、伊吹氏の発言については「私達の教育論にまったく当てはまらない。教育現場に体罰は無縁だ」ときっぱり。
 福井県内の原発事故を想定した防災計画については、コンクリート退避の指示が出た際、避難対象者全員を指定の施設に収容できるだけのキャパシティ(容量)がないことが明らかになった。市側は「完璧なコンクリート退避は、キャパ的にも対応できない」と述べ、市民を東近江、甲賀、草津の3市に避難させることで県が検討していると説明した。
 現在、建設工事が進んでいる新庁舎については、藤井繁議員や東野司議員が「東日本大震災の教訓を生かした構造になっているのか」と問いただした。新庁舎は制震構造で建設しているが、両議員は免震構造など最先端の防災機能を取り入れるべきと訴えた。市の担当者は耐震グレードを通常の1・5倍に補強するなどの強化策を取っていると理解を求めた。議員らは安倍内閣下で防災関連のハード事業にも手厚い予算措置を見込み、うまく活用するよう提案した。
 3・11後の最先端の防災対策を求める市議と、対処しているとする市側。互いの主張が平行したまま、工事は進んでいる。

| | トラックバック ( 0 )

2013年02月14日

日本家族計画協会の調査

 あほらしやの鐘が鳴る。もの余りと平和ぼけで日本の若ものは生きる力を失ったのではないか。
 少子化の一因ともいうべき日本人のセックスレスを憂う声が出ている。
 13日付毎日の「くらしなび」欄の小川節子記者によるセックスレス情報が注目される。
 これによると、セックスレスの夫婦は全体の41%、16歳から19歳の若い世代の47%がセックスに無関心だったり、嫌悪感を抱いている。
 社団法人・日本家族計画協会が行った調査(昨年9月)によると、全国の16〜49歳の男女で、婚姻関係にある男女でのセックスレスは41%で、04年調査より10%増えた。働き盛りの35〜39歳は47%で最多だった。理由は仕事疲れ、出産後なんとなく、面倒くさいがトップ3をしめる。
 セックスに「関心がない」と、「嫌悪している」の合計は男性18%、女性は46%。この傾向は若ものほど強く、16〜19歳では男性30%、女性60%、20〜24歳では男性25%、女性は32%だが、40代では55%と高くなっている。
 ちなみに日本性科学会の定義では1カ月以上、性的接触がなく、長期化が予想される状態をセックスレスという。
 この毎日の記事は、今一つ、日本家族計画協会が昨年11月から12月にかけて行った20〜69歳の男女のマスターベーション調査に触れている。これによると過去1年間、マスターベーションを行ったのは男性全体で86%、女性71%。既婚者で男性82%、女性67%。週1回以上は男性65%、女性36%。セックスレスが進む一方で、マスターベーションで性的満足を得る男女の多いことが実記された。
 こんな恥ずかしいことが家族計画協会でなされるということ自体噴飯ものだが、こういう調査結果の異常さは、毎日バカバカしいニュースとなる女性のスカート内隠し撮りや下着ドロ、ストーカー行為と無関係ではない。
 さらには今の世の晩婚や独身化傾向とも重なっている。これについては別の日に人間の生活と本能をテーマに所信をのべるが、なぜ、本能ともいうべきセックスへの関心が薄れてゆくのか、関心はあっても意志と行為が一致しないのか。
 民族の消長、運命にも関わるから社会問題として考えたい。【押谷盛利】

| | トラックバック ( 0 )

2013年02月13日

核保有、NPTの是非(見聞録)

 北朝鮮の3代目将軍様、金正恩は先代を踏襲して、12日、核実験を行った。日本やアメリカだけでなく、保護者の中国も反対する中での強行に、国際社会が北朝鮮の暴走を止める有効な手立てを持たないことを露呈した。
 核兵器だけではない。イスラム過激派によるテロが続くアフリカ東部ソマリアでは、北朝鮮製武器が国連の調査で発見された。リビアから持ち込まれたとみられる。北朝鮮はミサイルや弾薬などの輸出国家でもあり、イランやリビアなど独裁的国家に売りつけて外貨を稼いでいる。
 一方で毎年、餓死者を出し、国際社会に食糧支援を請う貧困国でもある。産経新聞によると、金正恩体制に入ってからすでに数万人の餓死者が出ており、人肉食が横行するほどの飢餓に見舞われた地域もある。平壌住民や軍隊への配給を優先して、農村から「コメを根こそぎ奪う」取り立てが原因で、悪代官も真っ青の悪行ぶりだ。
 国民の生命よりも兵器の開発・製造に執心する歪んだ将軍様は、アメリカを射程圏内に置く核ミサイルを保有することで、軍事大国の仲間に入り、独裁体制を国際社会に認めさせようという魂胆。韓国の太陽政策、中国の庇護を受けて、とんとん拍子で進んできた。
 さて、北朝鮮の核兵器保有について、少し斜めから考えたい。なぜ、北朝鮮が核を保有してはいけないのだろうか。
 核兵器保有国として挙げられるのは、まずアメリカ、ロシア、イギリス、フランス、中国の5カ国。これらはNPT(核拡散防止条約)で国際的に核兵器の保有が認められている。
 このほか、インド、パキスタンが保有している。インドとパキスタンはカシミール地方めぐる紛争があり、インドが核兵器を開発したのに対抗してパキスタンも開発した。両国はNPTについて、5カ国のみに特権を認める不平等条約であるとして、批准していない。
 このほか、イスラエルも核保有をしていると見られるが、公式には肯定も否定もせず、NPTも批准していない。イスラム国家に囲まれた地勢的要因からの政治テクニックだ。
 これらとは別にベルギー、イタリア、オランダ、ドイツの4カ国はNATOの核共有協定に基づいてアメリカの核兵器を配備している。
 軍事、経済大国だけが核兵器を保有し、他国の追随を許さないことに、北朝鮮の将軍様は「アメリカが持っていて、なぜ我が国はダメなのか」と反発する。
 核兵器をどの国も自由に保有できれば世界の軍事バランスは崩壊し、万一、テロリストの手に渡った場合、結果は明らかだ。これ以上、保有国を増やさない仕組みがNPTであり、世界190カ国が賛同し、保有国の理論による平和維持を支持している。北朝鮮の核保有を国際社会が認めないのは、北朝鮮の理論による平和維持など、危なっかしいからだ。ゆえに「アメリカだけずるい」と将軍様が主張しようと、国際社会が北朝鮮に賛意を示すことなどあり得ない。
 ただし、核の危険性を認識しながら、保有国が核兵器の廃棄・縮小に取り組まないようではNPTに説得力はない。
 そもそも、北朝鮮の核保有と同じくらい、好戦的な中国の核保有も危なっかしいと考える。日本国内ではアメリカへの反核運動を聞いても、中国へのそれを聞くことがないのも不思議だ。

| | トラックバック ( 0 )

2013年02月12日

建国記念日と民族の誇り

 2月11日は建国記念日だったが、新聞もテレビもほとんど触れていない。日本のメディアは触れたくないのかも知れない。詳しいことを何一つ知らされていない日本人はとにもかくにも休日というだけで1日を過ごしたことだろう。
 学校がお休み、会社も休み、ただそれだけだから国旗を出す家もないし、建国記念日を祝うこともしない。
 建国記念日は人間でいえば誕生日である。人間が誕生日を大切にするのは、この世に生を受けた喜びを確認し希望を新たにして前進しようとするからで、同様に国の誕生日を祝うのは国家・国民の使命であり、大いなる誇りでもある。
 建国記念日がなぜ2月11日なのか。それは神話の世界であるが、日本書紀によるもので、神武天皇即位・建国の日が2月11日だった。この日を紀元節として国民祝日に制定したのは明治5年で、戦後の昭和23年に廃止されたが、同41年、建国記念日として復活した。神武天皇即位の年とされている西暦紀元前660年を元年と定めて皇紀と呼んだ。
 科学的根拠がないではないか、と反対するものもいるが、なにしろ西暦紀元前の2000年以上も前のことだから、そのころ文字のないこともあって神話が伝説化したのは古代日本人の叡智であり、誇りともいうべき美意識でもある。
 日本の歴史書で最も古いのが奈良期のころ712年に完成した古事記で、これに次ぐのが720年の日本書紀。いずれも神話の世界であるが、国民の当時の文化、ものの考え方、信仰、国家国民の夢などを想像することができ、今に至るまで国民の誇る世界史的名著であるということができ、これらの古代史的建国のいわれなどをけなすのはマルクス流の左翼社会主義の影響であろうが、日本のマスメディアがこれらの声に耳を傾けて、日本の伝統文化や歴史に冷淡なのは中国や北朝鮮びいきと似て、内憂外患の一要因でもある。
 古代人は日本民族を神人として把握し、何々の命と称し、男子を日子、女子を日女といった。民族全体を天孫民族、国の名を「大和」「ひのもと(日本)」と称した。
 日本の天皇及び日本国民の祖とされる天照大神は「豊葦原の千五百秋の瑞穂の国はこれわが子孫の王たるべき地なり」と神勅された。
 日本の憲法が天皇を国民のあこがれ、国民統合の象徴を規定しているのは実に2000年を超える日本民族の歴史と伝統を確認しているのであって、これは信仰の世界であり、日本文化の出発点といえるのではないか。【押谷盛利】

| | トラックバック ( 0 )

2013年02月08日

体罰撲滅へ意識改革を(見聞録)

 県教委がきのう7日に発表した体罰実態調査の結果では、全33校で教職員ら44人による体罰が明らかになった。部活動中の指導が行き過ぎて手を上げたケースが目立つ。
 教育基本法で明確に禁じられているにもかかわらず、行き過ぎた指導が体罰に発展することが、決して珍しいことではないことがうかがえる。
 一般市民は体罰についてどう考えているのだろうか?毎日新聞が行った世論調査では「一切認めるべきでない」との回答が53%と半数を超えたが、「一定の範囲で認めてもよい」との容認派も42%を占めた。男性に限れば「認めてもよい」が54%で、「認めるべきでない」の43%を上回った。また、20代、30代でも「認めてもよい」が、「認めるべきでない」を上回った。
 法律で禁じられていながら、回答者の4割が体罰を容認する結果を読者の皆さんはどう受け止めるだろうか。「指導者と生徒間に信頼関係があれば」との条件付きや、「愛のムチ」として受け入れるべきとの主張もあるだろう。小生は中学時代の部活動で顧問の先生から頬を叩かれたりしていたが、それはルーズな練習に対しての「戒め」と受け止め、当時は暴力とは思わなかった。
 さて、長浜市教育委員会は長浜南中学校の部活動で顧問の男性教諭が覇気の無い生徒を叩いたり、蹴ったりする行為があったとして8日、会見で発表した。顧問は「生徒のためになるから」「生徒には自分の本当の思いは伝わっているはず」と生徒を奮起させるため手を上げた、という。
 会見で北川貢造教育長は体罰の是非について「たとえ子どもを伸ばしたいと思っていても肉体的苦痛を与えるのは邪道だ」「教育論的に苦痛を通じて教えるものは何も無い。それは幻想であり、思いあがりだ。技術が無い証拠だ」と切り捨てた。
 一方、「先生は熱心に指導して下さった」「これが体罰というのなら先生は何もできない。夏休みも勉強を教えてもらっている。こんな熱血先生は他にはいない。何もなかったことにしてほしい」「先生についていったから今の自分があると子どもは言っている」と顧問を擁護する発言が保護者会で相次いだことも明らかにした。生徒への聴き取り調査でも「(叩かれた)あの時に目が覚めた」と顧問を信頼している様子だったという。
 生徒、保護者から信頼を集める教諭の体罰に、北川教育長は「教員も過ちを犯すことがある。それを生徒に伝えることも必要」と語った。
 県教委や市教委の調査で明らかになった学校での体罰。これが氷山の一角ではないことを願いたいが、体罰容認派が42%を占めることを考えると、体罰撲滅には教育現場だけでなく、我々も意識改革を図る必要がある。

| | トラックバック ( 0 )

2013年02月07日

けったいな団体・反天連

 ぼくは田舎ものだから知らなかったが、東京や沖縄には「反天連」という極左団体があるという。正確に書くと「反天皇制運動連絡会」というらしい。
 かつて日本共産党は「天皇制反対」を看板にしていたが、これでは国民に信用されないとして、いまの志位委員長になってからこの看板を取り外した。
 天皇は国民統合の象徴であると憲法に規定されているが、そうした法上の形式以前に日本の歴史のなかに国民の絶対的尊崇の中心、日本国民の親としての伝統が流れており、日本人としての存在感、幸福感、プライドが世界に類を見ない文化を形成している。
 その文化を発展させるべき使命を帯びているのが政治家であり、教育家、マスメディアであると、ぼくは思うのだが、現実は必ずしもそうではない。むしろ日本をぶっ壊そう、日本の歴史や伝統くそくらえの思想や行動に走るものがあるから世は剣呑といわねばならぬ。
 ぼくは前から時評でもたびたび触れることだが、天皇や皇室に関する新聞記事で、多くの新聞が敬語を使わぬ非礼である。
 敬語は天皇に限らず、国民一般の間の言葉や手紙でも知られる通り、日本には古来から厳然と敬語が存在した。
 他家を訪問したとき「お父さんはおいでですか」「いらっしゃいますか」と来意を告げるがこれが敬語である。ところが日本のメディアの多くは「天皇が出発した」「…とのべた」、などと書き、決して「出発された」「のべられた」とは書かない。
 皇学館大学の本間一誠非常勤講師は、雑誌「正論」3月号に「NHK殿、一筆啓誅」なる一文を寄せている。このなかに、昨年12月23日の天皇79歳の御誕生日について、大事なことを教えている。この日の「ニュース7」はこの慶事に一言半句も触れず、一般参賀の様子も報じなかった。本来ならトップに持って来るべきニュースである。出てきたのは何とオスプレイ反対の沖縄のサウンドデモなる面妖な行進風景だった。わざわざ12月23日の天皇誕生日にやるのだからオスプレイ反対だけが目的ではないだろう。
 沖縄からの情報によれば「反天連」が関わっていたという。この団体は同日、東京でも「戦後国家(象徴天皇制)の正体」というテーマで集会を開いており、プログの案内には「戦後の象徴天皇制国家はアメリカ仕掛けであり、今年の天皇誕生日に天皇の戦争・戦後責任を問うあつまりはこのテーマである」と書いている。その前の11月17日には、この「反天連」が東京で「天皇の沖縄訪問反対」の集会を開いている。
 「ニュース7」は天皇誕生日を一切報じないで、こういう性格の団体とリンクしているサウンドデモを報じたことを指摘しつつ、この日の夜、沖縄で行われた「天長節奉祝パレード」はNHKも民放も報道しなかった、と書いている。
 本間氏の正論を広く国民に伝えねばならぬ。【押谷盛利】

| | トラックバック ( 0 )

2013年02月06日

暴力、体罰と隠蔽(見聞録)

 「監督の責任という形をもって今回の問題解決が図れることは私達の真意ではありません」。全日本柔道連盟の女子日本代表選手15人の訴えは、暴力指導を行っていた園田隆二監督の辞任だけで幕引きを図ろうとした全柔連の意思とは裏腹に、理事の吉村和郎氏やコーチの徳野和彦氏の辞任へと発展した。
 4日に発表された選手の声明文では「指導の名の下に、または指導とは程遠い形で、園田前監督によって行われた暴力行為やハラスメントにより、私たちは心身ともに深く傷つきました。人として誇りを汚されたことに対し、ある者は涙し、ある者は疲れ果て、またチームメートが苦しむ姿を見せつけられることで、監督の存在におびえながら試合や練習をする自分の存在に気づきました」とある。
 暴力だけではない。昨年5月、ロンドン五輪の代表を発表する際には、候補選手をひとつの部屋に集め、生中継のテレビカメラの前で、吉村氏が選手の名前を読み上げた。代表に選ばれた選手、落選した選手がそれぞれアップになってテレビに映し出され、声明文では「互いにライバルとして切磋琢磨し励まし合ってきた選手相互間の敬意と尊厳をあえて踏みにじるような連盟役員や強化体制陣の方針にも、失望し強く憤りを感じました」としている。
 そもそもの問題点は、全柔連が選手の悲痛な叫びに耳を傾けることなく封殺したことにある。組織の体面を守ることを念頭に置いた全柔連の隠蔽体質が問題視された。
 さて、隠蔽体質といえば、大津市のいじめ自殺事件で、学校や教育委員会も指弾された。また、目下、全国の教育委員会が実施している体罰の緊急調査でも、実態が把握できるのか、心配する向きがある。
 愛知県教委の調査では30高校で教職員52人による体罰があったことが判明した。昨年4月、生徒が鼓膜をけがするケースもあったが、学校側が県教委に報告したのは、今回の緊急調査を受けてだった。学校は生徒側から事実を伏せるような要望があったと釈明しているが、隠蔽とのそしりは免れない。
 さて、滋賀県教育委員会でも1月末を締め切り期限として、各市町教委や県立高校などからの報告を受けた。現在、事実確認と集計作業に追われており、「今週中には発表したい」としている。学校名などについては「校名を出すことによる子どもへの影響がある」と慎重な姿勢。
 小紙にも、ある学校の部活動で暴力的な指導が行われたとの保護者からの指摘があった。保護者は「学校側が隠さずに教育委員会に報告し、教育委員会も真剣に調査しているだろうか、不安だ」と気をもんでいた。

| | トラックバック ( 0 )

2013年02月05日

一無二少三多のご利益

 4日付の滋賀夕刊「見聞録」コラムに登場した「一無二少三多」は気に入った。健康長寿のためのスローガンで、発信元は日本生活習慣病予防協会。
 政府からなにがしかの補助や助成をもらっているから何か国のためお役に立たねばと考えての妙案。発信元ではあるが、別におカネがいるわけでなく、お互いが生活の場で実践すればよいので、実践すれば、逆に医療費が助かるからその分貯金ができるかもしれない。
 復習になるかもしれないが、一無二少三多をリズムよく朗らかに解説すれば次のようになる。
 一にタバコをやめること。二に少食、酒少し。三に運動、睡眠たっぷり。
 厚生省がいうから、生活習慣病予防協会がいうから実践するという他動的なものではなく、ひとりひとりの国民が自らの幸せのために実践すべきことで、何もこれにこだわることなく、自分流の健康目標を実践すればよいことである。
 ぼくだったら一無はクスリ、二少は甘み、三多は歩け、風呂ゆるり、睡眠たっぷりと勧めたい。
 昔はアホの大食いといったが、それは、栄養分を摂ることの少ない「みそ汁」「つけもの」「茶漬け」の素食だったから、飯だけはたらふく食って当座のエネルギーとした。だから「ひだる腹ではいくさは出来ぬ」の裏返しで大食いが普通だった。ただし「腹の筋が張れば頭の筋が減る」といって、脳の活性化を危ぶむ声も出た。
 だれのための健康か。だれのためでもない、あなた自身の健康だ。病むのは本人であり、愛しているからといって代わりに病むわけにはゆかぬ。痛いめにあうのも辛いのも苦しいのもすべては本人自身への関わりである。
 ぼくがいつもいうように、今の世はラクチン社会であり、もの余りであり、腹一杯の飽食と、うまいもん食いのぜいたく社会である。
 一無二少三多はその内容に個人的濃淡はあろうが、おおまかに言えば実践の効果は大きいが、やり抜く人は少ない。大方はクスリまかせで、生活のありようは「無関心」。予兆や故障が現実化すると慌てたり、悩んだり、悲観するが、所詮は欲の世界の悲哀である。
 人間は寿命の尽きるまでは調子よく細胞が動くように神さまの力で自動措置が組み込まれているから本来は70代、80代まで、いな90になっても医薬の心配はないように設計されているが、文明というぜいたくな病いに侵され出してから狂い始めた。欲をコントロールする知恵も神さまはつけておいて下さったが、横着な人間は文明をうぬぼれて、コントロールする安全弁を壊してしまった。
 大酒して胃をダメにしたり、美食で糖尿を育てたり、たらふく食っての運動不足で肥満と高血圧、中風招きに泣くことになる。
 国民医療費36兆円を節約せよ、などと野暮な話をするのではなく、あなた自身が幸せに、あなたの家族、あなたの恋人、あなたの関わるすべての人や職場に明るい灯がいつも灯っているための自制であり、健康法であり、そのためにこそ一、二、三と祈りをこめて実践しよう。好き放題をコントロールしよう。【押谷盛利】

| | トラックバック ( 0 )

2013年02月04日

2月は生活習慣病予防月間(見聞録)

 「一無二少三多」という耳慣れない言葉を見た。「いちむ・にしょう・さんた」と読むそうだ。「一無」は「無煙」、つまり禁煙を意味し、「二少」は「少食」と「少酒」、つまり食事は腹八分目でお酒は控え目にということ。「三多」は「多動」「多休」「多接」をまとめた意味で、たくさん運動し、休養・睡眠を十分にとり、多くの人に接して話をし、多くの物に触れることを指すという。
 これは日本生活習慣病予防協会が提唱するスローガン。生活習慣病は、脳卒中、高血圧、糖尿病、心臓病、肥満などを指し、字の如く不健康な生活習慣が原因で起こる病気だ。そこで協会では冒頭のスローガンを掲げて健康生活のススメを説いているのだが、何とも覚えにくい。
 他方、同協会が「少食」「腹八分目」をテーマに募った標語は面白い。約8500作品の応募の中から1月28日に入賞作品が発表された。
 最優秀賞は「少食で、延びる寿命、減る脂肪」だった。優秀賞は「食べ過ぎが、上げる血圧、血糖値」「バランスの、とれた少食、いきいき長寿」「覚えよう、からだが喜ぶ、食事量」など。
 このほか、「人生は、食べ方ひとつで、変えられる」「ご馳走も、過ぎれば毒に、はや変わり」「大食いを、自慢するバカ、褒めるバカ」「目で一分、香りで一分、腹八分」「我肥満、家族は不満、先不安…」「まだ食べる?明日は医者か、棺桶か」など、思わずうなずきたくなる秀作が揃っている。
 2月は同協会が掲げる生活習慣病予防月間。標語に見習い、今一度、自らの生活スタイルを見つめ直したいものだ。
 日本国民の医療費は年間36兆円にのぼり、国の財政を圧迫するだけでなく、我々が支払っている保険料に跳ね返ってきている。医療費の増加を食い止めるには医療制度の改革はもちろん、国民一人一人が健康維持に気を使う必要がある。
 あれだけ、巷に健康情報や健康食品があふれているのに、なぜ不健康な日本人が減らないのか。好きなだけ飲み食いし、タバコを吸い、運動もしない—。そんな生活を続ければ病院暮しは遠くないし、医療費でこの国が押しつぶされる。

| | トラックバック ( 0 )

2013年02月02日

日本を売る土下座外交

 中国に土下座外交した大物政治家2人を挙げよ。テレビのクイズではないが、あなたはだれとだれを指名しますか。
 今から3年半前なら、ときの政権与党・民主党の幹事長小沢一郎氏の名が真っ先に浮かぶが、今に焦点を絞れば鳩ポッポこと、元首相の鳩山由紀夫氏とこれも元首相の村山富市氏であろう。
 尖閣諸島周辺の日本の領海を侵犯する中国漁船や海洋監視船は、憲法で丸裸にされた日本を嘲笑するごとく威圧的だが、これはアジアを征服しょうとする中国共産党とその政府の戦略である。
 牙を剥く中国の指導者に親中派として「やめなさい」と忠告するのではなく、ペコペコと尾を振って、そのご機嫌をうかがう売国的態度は許されない。
 中国は「お越し下さい」と鳩山氏を招待した。その反響に気をよくして、今度は社会党の元委員長で、さきがけや自民党と組んで総理になった村山氏を招いた。「日本は尖閣問題で、中国を悪しざまにいうが、そんな反中ばかりが国民世論ではない。中国に深い理解をよせ、仲良くしようとする大物政治家がいるんだよ」と内外に宣伝する中国外交の得意技である。相手の術中にはまって、のこのこと土下座外交したこの2人は日本人の愛国心とプライドを逆撫でしたと非難されよう。
 この2人に紙一重の差で土下座しているのが公明党の山口那津男代表であろう。
 率先して中国を表敬訪問したが、先方の最高幹部・習総書記に会えず、一時、ギクシャクした。その体面に花を添えるごとく2人の会談はセットされたが、山口氏は尖閣問題に触れることはなかった。
 3年半前、民主党が政権を奪って鼻息の荒かったころ、ときの幹事長だった小沢氏は事実上の党の支配者として政府ににらみをきかせた。彼は自分の子分どもやその影響下にある財界人ら400名の大訪中団を組織して中国参りを果たした。彼は当時の中国の最高指導者・胡錦濤氏にひとり、ひとりを紹介し、写真撮影や握手の演出をして、民主党と政府あげて、中国への土下座外交を内外にアピールした。
 彼らは今、そのことをどう反省しているだろうか。首都北京はメチャクチャな公害で、空が見えず、危なくて車も通れない。立ちこめる煙やガスで昼でも見通しがきかず、学校や職場が閉鎖される深刻さ、有害物資が立ちこめるのでマスクなしでは歩けないし、子供を外で遊ばせない。
 この国の農業の化学薬品の汚染や水と空気と土壌汚染は人間の生息限界を越えるばかり。ワイロと金もうけの地方幹部に対するうらみや不信を週刊誌が書くと記者や編集者がやり玉にあげられ、政府や党の方針を丸写しに報道する命令が出る。
 その中国に躍らされて、中国賛美の訪問外交する卑しい人間を国民は忘れてはなるまい。【押谷盛利】

| | トラックバック ( 0 )

2013年02月01日

大津自殺事件の報告書(見聞録)

 大津市で2011年10月、いじめを受けていた中学2年の男子生徒が飛び降り自殺した事件は、きのう1月31日に提出された第三者調査委員会の報告書で、いじめが自殺の直接的要因と断定された。
 この事件を振り返ると—。生徒の自殺直後、市教委が全校生徒859人を対象にアンケート調査を行ったところ、生徒がいじめや暴力を受けていたとする回答が、伝聞も含めて計227件あった。自殺の練習を強要したり、「死ね」というメールを送っていたりと、いじめと自殺を関連づける回答もあったが、市教委は詳しい調査を行わず公表もしなかった。そして「いじめと自殺の因果関係は不明」とし、幕引きをはかっていた。自殺した生徒の遺族が、市や加害生徒を相手に訴訟を起こしたことを機に、真相が次々と明らかになり、学校と市教委の隠蔽体質が浮き彫りに。世論の批判を受け、大津市が委員会の設置を決めた—。
 報告書では、自殺の原因を家庭問題と示唆した市教委の対応を「組織防衛」と批判し、「自殺前、いじめは認識していなかった」と強調していた学校側に対しては「いじめではないかという教員は複数いた」と指摘した。「学校が早々といじめと自死の因果関係を不明と結論づけたことは大いに疑問」としている。
 報告書では新聞やテレビなどのマスメディアに対する批判や苦言も目立つ。報道合戦を「異常でセンセーショナル」とし、根拠の乏しい情報や無関係な他人の写真が流れたことを問題視している。「生徒に金銭をちらつかせて情報を得ようとしたマスコミもあった」などとも報告している。
 また、読売新聞が昨年12月に「自殺といじめ因果関係明示へ」と題する記事を掲載したことで、「調査に重大な支障が生じ、事実究明が困難になった」と指摘。委員会が「報道は事実と異なる」と抗議したが、記事の撤回は拒否され、さらに他のマスコミが委員会の抗議を報じず読売新聞の報道を追認するような態度をとったことに、各マスコミへの失望を記している。
 「学校や教育委員会、加害した子どもを無軌道な憤りで追い詰めることは将来のいじめ抑止にはつながらない」と報道のあり方に問題提起している。
 さて、報告書で気になったのは生徒の自殺を「自死」と表現している点だ。新聞などでは「自殺」と表現しているが、「殺」という言葉は非道徳的・反社会的意味合いで受け止められる。このため「人生の選択」としての意思的な死を指す言葉として、近年「自死」なる造語が用いられつつある。
 「暗いいじめのトンネル」を抜けようと、マンションからの飛び降りを選択した生徒。絶望的な「人生の選択」を中学生に迫るような教育現場は、果たして大津市だけなのか。文科省によると2011年度に自殺した小・中・高校生約200人のうち、いじめが理由とされているのは4人にとどまる。
 大津市の第三者委員会の調査手法をモデルケースに、全国でいじめの実態解明を進めることが、「自死」を選択した生徒への償いとなるのではないか。

| | トラックバック ( 0 )


しが彦根新聞
滋賀夕刊電子版
滋賀夕刊宅配版
滋賀夕刊デジタルトライアル
“新聞広告の資料請求、ご案内はこちらから"
 
長浜市
長浜市議会