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2013年01月31日

五輪の強化合宿でも暴力

 大津市の中学生のいじめによる自殺、大阪の桜宮高校生の体罰による自殺をきっかけに、スポーツ界の体罰問題がニュースの中心となっている。
 いまや、いじめと暴力は日本国中を駆けめぐっている。遂に来るべきところまで来たというのか。オリンピックの強化合宿でさえ、監督の暴力が火の手を上げた。30日付の毎日によると、ロンドン五輪の柔道に出場した日本代表を含む国内女子トップ選手15人が五輪に向けた強化合宿などで園田隆二監督やコーチによる暴力やパワーハラスメントがあったと昨年末、日本オリンピック委員会に告発したことが分かった。告発文のなかでは、練習での平手や竹刀での殴打、暴言、けがをしている選手への試合出場の強要などを訴え、全柔連に指導体制の刷新を求めている。
 暴力は法で禁止されているのに、学校やスポーツ界では選手を鍛える、試合に勝つ、などを名目に体罰が当然のように行われていることが毎日のように明るみに出ているが、この体質は根が深く、このさい、橋下大阪市長ではないが、徹底的に点検し、根本的な刷新をやらねば尊い生命の犠牲者は後を絶たない。
 暴力で生徒が傷つくことがあっても、学校が伏せて、包んでいることが多いから、これまでは表面化しなかったが、桜宮高校生の自殺を契機に国家的大問題に発展したが、これも元をただせば橋下市長の桜宮高校に対する体育科の入試中止が引き金だった。
 そこまでしなくてもいいという「まあ、まあ」式の穏便さを日本人は得意芸とするが、そのゆるふんが病根を深くし、病魔を蔓延させてきた。教育委員会も学校も、教師も体育系やスポーツ関係クラブの生徒、家庭、すべてが暴力の体質を追及して、根絶することに意識の切り換えをしなくてはならぬ。
 暴力が公然と行われてきたのは、かつての日本の軍隊だった。陸、海軍共通の蛮行というべきだが、当時の軍隊内では鉄拳制裁といって、新兵に暴力を加えるのを上官は見て見ぬふりをした。
 軍隊においても鉄拳制裁は禁じられていたが、多くは班ごとの内部指導における班長や古年兵によるしごきであった。殴る、蹴るはもちろん、スリッパや靴を口にくわえさせたり、長時間起立させたり、生死をともにする戦友の情というものは皆無だった。
 制裁を加える例は、「根性をただす」とか「入れかえる」、「陛下のために鍛える」などと勝手なことを言いつつ、行為そのものに酔っている感じで、戦争に参加した長寿者は大部分が経験したはずである。
 これは一種の申し送りのようなもので、殴られ役が一年経つと、古兵になり、新しい兵隊が入隊する。そこで、前年に殴られてきた二年兵が、今度は殴る番になって、新兵を殴るという悪循環だった。
 スポーツ界の教師や指導者は、選手やメンバーの実力向上を目指しての体罰というが、体罰を受けて喜ぶものは一人もいない。人格を無視した野蛮な鞭で、人間の不幸を形成し、結果的には身心の障害や故障の原因、人間不信、クラブからの離脱などマイナス要因ばかりである。【押谷盛利】

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2013年01月30日

政府の新年度予算、評価しますか?(見聞録)

 政府は29日、2013年度当初予算案を閣議決定した。一般会計の総額は92兆6150億円で、当初予算案としては過去最大規模。自民政権誕生後に組まれた12年度の補正予算案とあわせた総額は102兆3000億円にのぼる。
 来年に迫る消費税増税のため、財政再建よりも景気対策を優先させた結果、天井知らずの財政出動となった。30日の大手新聞の社説でも「先進国で最悪の財政状況を深刻に受け止めねばならない」(読売)と指摘するなど、財政悪化と公共工事中心の経済対策を懸念している。
 朝日は「正常にはほど遠い」と、安倍首相の予算編成を真っ向批判。43兆円の国債発行額は小泉政権が掲げていた「30兆円枠」を大きく上回ると問題視し、名目経済成長率を2・7%としていることも「高すぎる」と指摘。「経済成長による税収増と歳出削減、さらなる増税をどう組み合わせるのか、具体策が問われている」と締めくくっている。
 毎日も「財政健全化を重視した予算編成だとは言えない」と指摘する。生活保護の支給基準の引き下げ、公共事業の伸びから、「質より量、人よりコンクリートとならないか」と心配し、「野党には国会論戦を通じ、安倍政権の財政再建方針を厳しく問いただしてもらいたい」と注文をつけている。
 同じく日経も「公共事業頼みの景気対策と借金依存の財政運営である」と手厳しい。「民主党政権の目玉だった農家の戸別所得補償や高校無償化はわずかな削減にとどめ、制度自体の見直しを先送りした」と述べ、これらを「ばらまき」と批判してきた自民の姿勢を問題視する。伝統的な公共事業、不要不急の事業が紛れ込んでいることに、「いつまでもカンフル剤を打ち続ける余裕はない」として、「社会保障分野でも高齢者に給付の抑制と応分の負担を求める改革を急ぐ必要がある」と、「聖域」での歳出カットを提案しているのが日経の出色。
 中日は生活保護の引き下げを「困窮者の最後の安全網である『生活扶助』に切り込んだ」と批判し、「削られるべきは公共事業や、11年ぶりに増額の防衛費ではなかったか」と指摘している。
 一方、読売は「積極財政で景気のテコ入れを狙った予算である」とし、予算規模については来年4月の消費税率引き上げのための「環境整備」として理解を示す。防衛費の増額を「沖縄・尖閣諸島をはじめ、日本の領土と領海を守る意志を明確にした」と評価した。
 産経も「補正予算に続く積極的な『一手』である」と分析し、名目2・7%成長を想定したことに「政府のデフレ脱却への決意表明でもある」としている。さらに、厳しい財政事情の中で防衛費を400億円増額したことを「十分とはいえないにせよ、沖縄県・尖閣諸島への領空・領海侵犯を繰り返す中国に対する安倍政権の基本姿勢を示すことはがきたのではないか」としている。
 さて、読者の皆さんの思いは、どの新聞社に近いだろうか。

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2013年01月29日

しゅんの食べ物と人間

 「娘十八、番茶も出花」という。学校では習わないが、先祖の残してくれた生活の知恵である。
 女性の一番美しい、若々しい華やぎの年齢は十八歳、番茶はお客に出すものではないが、それでも入れ立ての一番茶は香りも味もよい。
 分かりやすく例示しているが、要するに旬の大切さを強調した言葉である。食べ物を例にとっても旬外れのものは味もよくないし、栄養価も落ちる。
 今は人間の食欲のいやしさを利用して、抑制栽培や促成栽培の野菜類が出回っているが、その時期、その時期のものが一番いいということ。
 したがって、冬の胡瓜やトマトはまずくて、体にぴったりということはない。魚で言えば今は鰤やカニが一番うまい時期だが、4月以降になると旬外れで味ががくんと落ちる。淡水魚介の鮒、しじみは寒鮒、寒しじみといって今が最高の時期。
 季節外れの花を返り花というが、桜は春が旬で動かない。冬に咲くのを冬桜といい、俳句では返り花ともいうが、咲いているのが珍しいだけで、花の優美さや咲き盛る勢いは旬の桜に比ぶべくもない。
 人間にも旬がある。昔の人はしゅんの境目に年齢を当てた。隠居制度がそれで、息子に戸主を譲って、現役から退く慣行である。たいていは60歳の還暦を期して隠居したが、平均寿命の短かった江戸、明治のころは40歳、50歳代での隠居も珍しくはなかった。それだけに若い働き盛りへの期待が大きかった。
 2月から3月にかけて、まだら雪の中から蕗の薹が顔を出すが、あれは蕗の花のつぼみであり、しばらくすると花を咲かせる。蕗だけでなく、秋野菜も早春から春に入るととうが立って花を咲かせる。とうが立つのはしゅんの変わりめで、新旧交替の天の声である。
 元横綱・大鵬の死が大々的に報道されたのは、あまりにも象徴的な国技のスターだったからで、双葉山の69連勝こそ破れなかったが、それ以外の全勝記録や横綱在位最長、優勝回数など前人未到の足跡はホームラン王・世界の王選手と比肩されるスポーツ界の英雄だった。
 それでも年齢からくる肉体の弱体化、運動神経の鈍化には勝てなかった。ファンの期待を悲しませつつ、時期がくれば引退しなくてはならなくなる。
 大相撲初場所の話題は高見盛の引退だった。力の乗った時期には小結まで昇進した元・学生横綱で、ファンの眼に焼きついて、今も人気の覚めないのは、独特の立ち会いポーズだった。胸を激しく叩き、顔を叩き、顔を真赤にして炎のような気合いで立ち上がった。しかし、体の故障や年齢からくる体力、気力の衰えで、幕内から、十両へ、そして今場所の負け越しで、幕下に落ちることに。負けん気の高見盛が泣く泣く現役を退くことになったが、これがいわゆる「旬」である。【押谷盛利】

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2013年01月28日

駆け込み退職、滋賀はゼロ(見聞録)

 3月末まで職責をまっとうすれば退職金が減らされるとして、自治体職員や教職員、警察官の駆け込み退職が全国で相次いでいる。退職金引き下げの条例が施行される前に辞めれば、退職金が多くもらえるからだ。
 共同通信社が47都道府県を調査したところ、1〜3月に退職金引き下げを決めている19都府県のうち、8県で駆け込み退職が明らかになった。職種別では一般行政職員54人、警察官・警察職員が232人、教員・学校職員が177人という。都道府県別では埼玉153人、愛知142人、兵庫90人、佐賀52人、徳島17人などとなっている。中には卒業生を受け持つ担任が職務を放り出したケースもある。30年、40年と勤め上げた仕事の総仕上げの時期に、カネを理由に職責を放棄する姿は、とても子どもに見せられる姿ではない。
 この事態に教育委員会では臨時教員の確保などの対処に追われ、下村博文文部科学相は「最後まで職責を全うしていただきたい」と苦言を呈した。
 駆け込み退職に追い込んだカネとはいったいどれほどの額なのか。例えば、愛知県教委の示すモデルケースの場合、条例施行前の2月末で退職すると、退職金は2820万円。しかし、3月末まで働くと2670万円に減る。3月分の給与50万円を差し引いても、2月末で退職した方が100万円多くもらえる計算だ。
 では、滋賀県はどうか。滋賀県は1月1日に退職手当引き下げ条例を施行したが、駆け込み退職はゼロ。人事課では「年度途中で辞めることを想定していない。我々は年度単位で仕事をしており、途中で辞めると職場に迷惑をかけるし、学校なら生徒や保護者にも迷惑になる」とし、「30年、40年勤め上げ、最後まで職責をまっとうしたいと思うのが一般的な考えではないか」と指摘する。なお、滋賀県の場合も、3月末まで勤め上げるより、駆け込み退職した方が40、50万円程、多くもらえるという。
 駆け込み退職問題の元凶は、最後まで働けば損をする仕組み、ようは年度途中での条例施行にあることは間違いない。年度単位で区切って退職金を減額すれば、このような問題が発生することはなかったのではないか。
 そもそも退職金減額は、官民格差解消のために施行された。その趣旨を踏まえると、駆け込み退職など倫理上、許される行為ではないのだが、一部の自治体ではそういう体質、雰囲気が蔓延しているようだ。

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2013年01月25日

実名非公表の賛否(見聞録)

 アルジェリアのガスプラントで発生したイスラム武装勢力による人質事件は、日本人10人が死亡する最悪の結果となった。国境を越えて人の行き来が盛んになった今の時代、テロ事件が遠い国の出来事ではないことを印象づけた。
 新聞やテレビでは犠牲者がどういう人物だったのか、どのような思いで遠いアフリカへ赴いたのか、親族や同僚、友人らのコメントを交えて紹介している。
 今後も取材が進む中で、犠牲者がどのような状況で被害に遭い、今後も起こりうる同様のテロ事件から国際企業がどのように自衛するのか、多くの課題が問われることになるだろう。
 さて、犠牲になった10人は、プラント建設大手「日揮」の社員だが、同社は事件発生当初から行方不明者・犠牲者の氏名を非公表とする姿勢を貫いてきた。家族や遺族の意向を反映した判断で、政府もこれに同調した。しかし、新聞やテレビは実名報道の有効性を説き、独自取材をもとに報道を行っている。政府も犠牲者の帰国をもって、発表する方針に切り替えた。
 なぜ、遺族や親族が実名の非公表を望むのか。日揮の担当者が「犠牲者の遺族、関係者に相当数の取材が行われている。これ以上のストレスやプレッシャーをかけたくない」と説明する通りだろう。実名を公表すれば、犠牲者宅や親族宅に記者が押し寄せ、故人を静かに悼むこともできない。たびたび問題になる集団過熱取材「メディア・スクラム」が起こることが目に見えているからだ。
 長浜市内でも過去に発生した大事件で、大手新聞の社会部記者がタクシーやハイヤーで乗り込み、静かな住宅街が騒がしくなったのを覚えている。
 一方、実名の公表を求める声も強い。「報道を通じて被害者や遺族の声が公になることが大切」「被害者がどういう人で、現地でどんな役割をしてきたかを明らかにすることが、テロの全容を解明するうえで必要」との声がある。大局的視点では、匿名発表を見過ごしていると、やがて意図的な隠ぺいに発展する恐れがあるという主張だ。これは8年前に個人情報保護法が施行されて以来、行政が同法を盾に情報を出さないことが増えたからだ。
 そういう大義名分は理解できるが、現実には過熱取材の果てに、さらに心を痛める遺族が存在している。報道・表現の自由、国民の知る権利に応える使命感と、被害者や遺族感情とをどう天秤にかけるのか。
 実名非公表を支持する声が多いのは、それだけメディアへの不信が蓄積している証左だ。記者は取材対象者との信義、信頼関係を前提に取材を行うべきなのに、過熱する報道競争がそれをないがしろにしている。

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2013年01月24日

体罰と暴力を一掃せよ

 大阪市立桜宮高の体罰問題が日本の教育界に衝撃を与えている。体罰といえば聞こえはいいが、こらえきれずに生徒が自殺するほどだから暴力といっても差しつかえない。
 バスケットボール部主将の男子生徒が顧問の暴行を受けて自殺したのは昨年12月23日だった。生徒はその前日、「今日も30発〜40発殴られた」と母親に訴えている。
 この問題で生徒の父親は顧問を暴行罪で告訴し、大阪府警に受理された。
 橋下大阪市長は事件後、すぐ自殺した生徒の家を訪れ、詫びを入れると同時に学校側の暴力を糾弾し、新学期の体育系2科の生徒募集と入試を取りやめることを宣言した。
 前途有為な少年の命を何とみるか。生徒を自殺に追い込んだ顧問の暴力行為に対する怒りと行政者として市民の幸せを守る立場からの痛切な反省と抜本的対策への決意である。
 体育科の入試に関する新年度の募集中止は、そこまでしなくともとか、関係のない少年たちにかわいそうではないか、とその影響をマイナス面で批判する声も強い。橋下市長は、言うことを聞かねば予算の執行を停止するとまで言い切って同校の暴力的潜在意識の根本的刷新を求めた。
 ぼくは橋下市長に賛成である。顧問の在任期間は原則最長10年とされているが、問題の顧問はこれを遥かに超えて18年の長きに及んでいる。学校の中でも、生徒の間でも暴力のあったのはだれもが知っている事実だったが、すべて表へ出さず包み込んでしまった。これが学校の秘密主義的伝統であり、教育界全体の抱えている「かばいあい」と「村根性」の結束である。
 橋下市長の的確とも言うべき英断は桜宮高の教員の総入れ替えである。人事は教育委員会の専権事項であるが、予算の執行権者である市長の見識を無視することは難しく、当然ながら改革に添いつつも旧来の伝統を守ろうとする学校と市教委はゆるやかな改革で燃える火を消そうとするだろう。
 橋下市長はもともと教育委員会制度に批判的であり、それは、形は民主主義的だが、実態は日教組(教職員組合)の影響下にあり、これと妥協しつつ、教育行政が執行されているのが全国的傾向である。
 したがって、今回の桜宮高の暴力事件を契機に徹底的改革を進めようとする橋下市長の方針には、日教組の強い反対があり、生徒や父兄のなかにはそれに踊らされて、橋下改革を牽制する向きもあるが、それではもとのもくあみになると、ぼくは思う。鉄は熱いうちに打て。【押谷盛利】

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2013年01月23日

湖上交通・遊覧の歴史(見聞録)

 長浜鉄道スクエアで開催中の「びわ湖観光ポスター展」は、湖上交通・遊覧の歴史がうかがえる興味深い展示だ。明治から昭和にかけて、どのような変遷を遂げたのか、「琵琶湖汽船100年史」がより詳しいので紹介したい。
 琵琶湖に蒸気船が初めて登場したのは明治元年。建造にあたったのは加賀藩の支藩、大聖寺藩だった。幕末、京都御所警備にあたっていた大聖寺藩は兵員輸送に琵琶湖の和船を利用していたが、風波の影響で遅延することがたびたびあった。そこで蒸気船を運航する計画を立て、長崎で鉄工職人や船工を雇い入れて大津で建造にあたった。初の蒸気船「一番丸」はわずか14馬力、速度4ノットだったが、大津と海津(旧マキノ町の一集落)を結ぶ航路は評判を集め、すぐに「二番丸」も建造、運航となった。
 しかし、琵琶湖沿岸の各港や和船業者は大繁盛する蒸気船の運航に反発し、水中に網を張って航行を邪魔したり、船に放火するなど悪質な妨害行為を繰り返した。ただ、2、3年もすると汽船の便利さが認識され、各港は競うよう寄港を要請。また、汽船建造の気運も高まり、明治4年には米原町の宮川庄三郎が彦根藩の援助を得て金亀丸を建造し米原—大津で運航。翌年には長浜の尾板六郎も長浜—大津を結ぶ湖龍丸を運航した。
 大正3年に竹生島への定期運航を始めると京阪神地域から遊覧客が訪れ、湖上観光の幕開けを告げる。大正11年には遊覧に特化した「みどり丸」が進水した。定員1000人の「壮麗優美」な造りで、処女運航には英国皇太子殿下を招いた。以来、遊覧客が殺到したという。湖上遊覧が庶民のあこがれのレジャーとなる一方で、湖上輸送は鉄道に需要を奪われ、汽船各社が知恵をしぼって営業した。
 県内でのスキーブームを生んだ「スキー船」は昭和5年に運航が始まった。深夜0時に大津港を出発し、午前4時に海津着。連絡バスでスキー場に着く頃に夜が明ける。「貸切バスなどがまったく無かった時代のこと、若い男女が公然と同室できると思えば、ロマンチックなスキー行であった」と振り返っている。
 昭和23年、戦後の物不足の時代には「デパート船」が登場した。京都高島屋と汽船会社がタイアップし、船に洋品や雑貨、呉服、玩具、食料品を満載して各港を回った。「地元での大歓迎を受けて各商品は飛ぶように売れた」と記録している。
 昭和26年には「玻璃丸」と呼ばれる豪華遊覧船が進水。「たそがれ・ショウボート」のタイトルで遊覧が宣伝され、船内では淡島千景、美空ひばり、雪村いずみら有名スターのコンサートが開かれた。この年の乗客数は100万人を超えたという。
 しかし、その後はレジャーの多様化に伴って客を減らし、昭和53年には年間乗客数38万人となった。このため、なりふりかまわない営業もあった。昭和51年に登場した「キャバレー船」だ。夜の集客を狙ったものだったが、「ホステスのお酌は最初の1回だけ。後はお話しの相手をするだけ」というシステムが不評だったのか、1年限りの営業で終わった。
 以上、100年史からのエピソードはポスター展でも紹介されている。長浜盆梅展とセットで訪れたい企画展である。

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2013年01月22日

大金持ちとボンクラの話

 2月2日発売の「週刊現代」の広告に「お金持ちの子供には、なぜボンクラが多いのか」という記事を目玉の一つに使っている。
 ボンクラは盆暗と書く。もともとはバクチ用語で、下手なバクチ打ちをこういった。盆はサイコロを回す盆のことで、バクチをイメージする。バクチに弱いこと、下手なことを「暗い」というのは「明るい」の反対用語。人を評して歴史に明るい、とか経済に明るい、などというが、暗いはその逆で、能力のないこと。
 これが語源で、一般的に頭の冴えない、能力の落ちる人のことを軽蔑して「ぼんくら」という。
 よく似た言い回しに「ぼんやり」がある。ぼっーとしているひとをいう。「うすのろ」などともいう。
 昔は「貧乏人の子沢山」といった。今は子育ての環境が悪いからとか、おカネがかかるから少子化になっている、とバカな役人どもがいうが、ならば昔の貧乏人は何から何までが最低の生活だったから子供は生まれないことになるが、事実は全くの逆で、その日暮らしで、三度の食事もままならぬ極貧の夫婦の間でも5人や10人の子をもうけている。
 子供たちは、姉が妹を、妹が赤ちゃんの世話をし、男兄弟は小さいころから親を助けて、田や畑で働いた。学校へもろくろく行かず、本どころか、靴や服も上の子のお古を使った。貧乏ながら正直に一生懸命働いた両親の背中を見て育った子供たちは「大きくなったら働いて、父母を喜ばせよう」と心から誓いあった。
 その幼少のころの苦海の体験が尊いクスリとなって子供たちは社会へ出て、自立するや、身をつつしんで、ひたむきにそれぞれの職に励んだ。
 金持ちの子は、苦労知らずに、好き放題に生きてきたから、「なにくそ」というがんばりの心がなく、おだやかで、お人好し。成長してもカネが必要な時は親にいえば、なんとでもなる、と世渡りを楽観的に軽く見る性格になっている。難しい言葉でいえば、切磋琢磨をしなくなる。努力に努力を重ね、友人同士が励みあい、助け合い、競争し合って、自分を磨くことをしないから、うらぶれた生活、パッとしない人生を送ることになる。これが「売り家を唐様で書く三代目」なのだ。
 よく似た言葉に「総領の甚六」がある。長男は最初の子だから大事に甘やかされる。弟や妹は長男を大切にするようにしつけられる。だから長男はおおらかで、お人好しだが、競争心やすばやさがなく、多少けいべつ気味で、おバカさんくらいに用いた。だから、昔の人は「かわいい子には旅をさせよ」といい。社会へ出て苦労することの大切さを「他人の飯には棘がある」と説いた。
 しかし、血統は大事にし、家系を重んじる伝統があるから「カエルの子はカエル」「腐っても鯛は鯛」といった。このほか「瓜の蔓に茄子は生らず」ともいった。
 貧乏で、学校の給食費も払えない家の子が、大きくなって、どえらい出世することがある。「鳶が鷹を生む」というが、遺伝子もあれば、親の心がけ、環境、本人の努力、誠実さなど、決して偶然の成功ではない。【押谷盛利】

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2013年01月21日

財政難、どこ吹く風(見聞録)

 虎御前山教育キャンプ場が今年10月末で廃止されることが決まった。キャンプ場は1969年に県が整備し、地元自治体が運営してきた。
 高山キャンプ場(高山町)、大見いこいの広場(木之本町大見)など近隣に新しいキャンプ場が誕生したことや、施設が老朽化していることが主な理由だ。旧虎姫町や長浜市は移管の打診を受けたが、受け入れる余力はない。
 このキャンプ場は教育施設という特殊事情のため料金が抑制され、宿泊室は大人1泊800円という安さ。ゆえに年間収入は100万円程にしかならず、1人分の人件費さえ賄えない状態だ。
 キャンプ場の廃止は財政難に苦しむ県の公共施設のリストラの一環で、過去には長浜文芸会館を長浜市に移管させたし、一昨年には奥びわスポーツの森プールを閉鎖した。
 税収が豊富にあった時代に、将来の財政負担を想像することなく公共施設を建設してきたツケを支払う時代に入っているわけだが、湖北地域旧1市12町を見渡しても役場やホールの運営が自治体財政上の負担となっている。長浜市は旧町役場を支所として活用し、老朽化している場合は近隣のホールに機能を移すなどしている。新たな施設整備は最低限に留めたい。
 財政に余裕がないのは国も同じだが、こちらは税収が40兆円しかないのに毎年の支出は80兆円、90兆円という無茶苦茶な運営を続けている。今やGDPの2倍という1000兆円にまで借金が膨らみ、先進国最悪の水準だ。今後も高齢化に伴う社会保障費の拡大が予想されるというのに、今の自民党政権は「国土強靭化計画」なる高度経済成長期を思わせる公共工事中心の計画を立て、財政出動の大判振る舞い。
 先週、閣議決定した13兆円の補正を含めると2012年度の予算規模は100兆円を超えてしまった。規律を無視した借金漬けの破綻財政そのものだ。
 補正予算の中身も景気回復のカンフル剤とばかり、公共工事の目白押し。国内メディアを見ている限りは表立った批判は少ないが、海外のエコノミストはその効果に懐疑的だ。過去に幾度も財政出動しながらも、日本の経済成長率が高まるようなことがなかったからだ。カンフル剤は麻薬のようなものであり、何度も打っていると効果が薄くなり、それ自体に頼るような産業構造ができあがってしまう。
 また、今回の大型補正は日本政府に財政を立て直す覚悟があるのかという点を国際社会から問われ、国債の信用度が低下しかねない。
 これでは消費税10%では、とても足りない。

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2013年01月19日

生活を支配するクスリ

 不摂生で病気になったり、横着で事故を起こすのは不運といえば不運だが、身から出た錆ともいえる。
 長寿社会の実現で、百まで生きられるようになったが、しかし、寝たきりになったり、介護を受けるようでは不幸である。健康寿命であればこそ生き甲斐がある、というもの。
 ぼくは健康寿命のためには、自然に返れ、何ごともほどほどと、えらそうなことをいっているが、健康は自分や家族の幸せだけではなく、社会や国のためにお役にたつのだから、こういう声は広げてゆきたい。
 今は科学と技術のおかげで、土や太陽の恵みがなくとも野菜がとれたり、石油から繊維を作ったり、いつでも、何処でも何でも手に入るし、指先の操作一つで、通信、情報、買い物、家事、何から何までらくちん社会である。
 ということは、自然から離れての文化生活の花盛りを生きているのである。
 昔ならとっくに「ご臨終です」と医者のいう危篤の病人でも生かされるのである。生命を持つものは生きることが自然なので、技術によって生かされるのは自然ではない。
 ぼくのいう「自然に返れ」は、かいつまんでいえば、「クスリに頼るな、クスリを使うな」の一語につきる。
 クスリというと、一般の人は、医者や薬局の出す病人用のものを頭に浮かべるが、そればかりではない。米や野菜、果物づくり、海産物(養殖)、その他調味料、あらゆる加工食品、飲みものにもクスリは使われる。
 病人のクスリと区別するために化学薬品といわれているが、実態は同じである。食品の場合は、ごまかして、添加物といっている。だから、クスリを使うな、といえば、生活するな、死ねということになる。
 われわれの生活のすべてにクスリが支配しているのだから、考えてみれば怖い話で、夜もおちおち眠れない。
 先頃の時評で、歌人の若山牧水が毎日一升酒を飲んで若死したことを書いた。遺体がアルコール漬けみたいな効果で、なかなか腐らなかった、という話は、実感が伴う。われわれの体も分析すれば、数えきれぬクスリが渦巻いているにちがいない。そういう体内におけるクスリの融合や互いの化学反応で、O157やノロウイルスや、その他もろもろの病気が出たり、広がったり、沈化したりする。
 大自然の神さまは、自然のまま、自然のなかに存在するものの恵みや反発を受けながら自然と調和して生きてゆけるよう設計して下さっているのだが、人間は科学を盲信してクスリと技術で、自然を征服しようとするが横着もほどほどにするがよい。
 風邪を引いても、お腹を悪くしても、熱を出してもいつの間にか治っていることが多いが、これは神さまからの頂いている自然治癒力のたまものである。しかしクスリ漬けになった体は自然治癒力を壊すから、こじれにこじれて、より強いクスリに頼ることになる。
 この話はきりがないが、考えねばならぬことは、少しでも化学薬品の汚染の少ない食品や物質を生活に取り入れることである。
 同じ農産物でも中国産と日本産の違い、鶏肉やその他の肉類も生産地が大事であり、飼料を吟味しなければならぬ。卵でも同様。肌着や靴下でも化繊ものより、木綿や絹がよい。住宅でも鉄より木がよい。何事もすべて、ほどほどを越えれば反自然で、身を損なうと考えるがよい。【押谷盛利】

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2013年01月18日

諸国民に公正と信義あるか(見聞録)

 16日、アルジェリアで発生したイスラム武装勢力によるガス田襲撃と人質拘束事件は、現地からの情報が錯綜し、日本人の安否を含め、正確な実態は不明なままだ。犯行グループは人質解放の条件として、隣国マリでフランス軍が行っているイスラム武装勢力への攻撃中止を求めているが、アルジェリア政府がテロリストと交渉しない姿勢で、17日、国軍が人質救出作戦を敢行した。その結果、犯人グループと人質が数十人規模で死亡したとされる。
 イスラム武装勢力が外国人を拉致し、政治犯の釈放などを要求する事件は中央アジアや中東、北アフリカなどで散発しているが、国際社会がその要求を呑むことはない。
 日本人がイスラム武装勢力に拉致され、殺害される被害がこれまでも数件発生しており、今後も現地の政府や警察の支配が及ばない地域では、誘拐、拉致、拘束事件が起こりうる。それら国際的テロリストの犯罪に対して、日本はどう対処すべきなのか。
 日本には苦い経験がある。1977年、日本赤軍によりバングラデシュで日航機がハイジャックされたダッカ事件だ。政府はハイジャック犯の要求に従って、超法規的措置として服役囚の釈放と約16億円の支払いに応じた。日本政府がテロリストの要求に従ったことに賛否はあるが、時の政府には他に取る手段なかった。
 しかし、同年に起きたドイツ機のハイジャック事件では、西ドイツ政府がハイジャック機の着陸したソマリアに特殊部隊を送り、人質を全員救出。テロに屈しない姿勢が、国際社会の賞賛を浴びた。
 日本とドイツの差は何だったのか。安倍晋三首相は文藝春秋の1月号で憲法改正にあると指摘している。日本国憲法の前文に「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」とある。この前文は日本を取り巻く国際社会が平和を愛し、公正と信義があることを前提としている。しかし、戦後はダッカ事件に限らず、今回のような日本人拉致事件が発生し、極東では北朝鮮や中国の傍若無人ぶりが目に余る。もはや憲法の前文が時代に即しておらず、日本国、日本人の安全を他国の信頼に委ねてはいられない、との指摘だ。
 日本と同じ敗戦国のドイツも武力放棄を憲法化していたが、国際情勢の変化に合わせて憲法を改正し、他国に特殊部隊を送り込めた。国際テロに対する対応力、抑止力を保持しているわけだ。
 戦後60年以上、国内では憲法改正がタブー視されてきた。安倍首相が再び政権の座についた今こそ、憲法改正議論を前に進めるべきではなかろうか。

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2013年01月17日

健康長寿と一升酒の話

 健康の秘訣は、と問われれば、ぼくは「自然に返れ」とつねに言う。そして、つけ加えることは「なにごともほどほど」。
 世の中には饅頭を30個食べる甘党や一升酒を飲む左党もいるが、こういう無茶で長寿を全うすることはできぬ。
 尻から煙の出るほどタバコを吸う人もいるが、ほめられた話ではない。なんでも、ふんだんに頂ける今の世のぜいたくは涙の出るほど有り難いが、好き勝手にし放題していると自ら痛い目にあうことになる。
 ぼくも人並みに酒を重宝するが、ほどほどを念頭にコントロールを心がけている。次の2首の短歌は最近のぼくの作品だが、面映ゆながらお目にかける。
 「すまないな、と親父に独りごと言ひて今夜も好きな酒を頂く」
 「こんなにも好きなご馳走、好きな酒、おやぢご免よ今日も頂く」。
 親父は今のぼくより、ずっと、ずっと酒好きだったが、収支のバランスの上で好きに任せて飲むわけにはゆかなかった。毎月1日と15日、2合トックリに小買いし、それを神様にお供えして、夕食に飲んでいた。いわゆる「お神酒」のおさがりである。
 正月は年頭の挨拶回りで親類などを歩くから、午後は酔っ払って寝てしまった。神事(おこない)とか、おめでた、その他、何かの酒席で飲む場合は割り勘負けすることはない。
 おカネゆえに好きな酒が好きなように飲めない親父のことは、ぼくの記憶の悲しさの最たるものである。だから、ぼくは酒を飲むと、必ず親父のことが目に浮かぶ。
 すまないな、と、親父に声をかけないと口に入らないのである。
 2首目の歌は、こんなにぜいたくしてもいいのかな、という後ろめたさである。一カ月に鰯が一度食べられるかどうか。すき焼きは年に2回、天ぷらなどはなかったし、お客がなければ豆腐料理はなし、真冬にしじみ汁が1回。油揚は「キツネ寿し」で遠足の時のご馳走。フナの子作りなど親父の食った姿を見たことがない。
 世の中の変化だ、国民所得の増高だ、生産性の向上だ、などというが、物流時代の今の世のもの余り社会は戦前派の価値観と天地の差があって、うろうろするばかりである。
 「もったいない」と、つい口に出し、これでよいのか、とブレーキを踏みこむことになる。
 酒の話になるが、若山牧水は「白玉の歯にしみとほる秋の夜の酒はしづかに飲むべかりけり」という有名な歌を残したが、彼は毎日1升飲んだという。そのせいか、43歳で亡くなった。酒の飲み過ぎで、亡くなった後も遺体がなかなか腐らず、アルコール漬けみたいなものだった。それを証明する主治医の手記が残っているという。
 よく似た人もいるもので、ぼくの句友のAさんの義父も毎日1升飲んだ。面倒だから月2回、1斗5升ずつ買ったという。寿命があったのか、83歳まで生きたが、晩年の3年は寝たきりだった。
【押谷盛利】

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2013年01月16日

戦争あおるメディア(見聞録)

 きのう15日の産経新聞の1面トップ記事は「中国『戦争準備せよ』対日想定 緊張感あおる」「解放軍指示」の見出し。中国軍を指揮する総参謀部が全軍に対し戦争の準備を指示していたという内容。
 中国のテレビや新聞は連日のように日本との戦争を想定した番組や記事で、国民をあおっているという。それも、戦争の是非ではなく、主戦論を前提に対日戦を小規模にとどめるか、全面戦争に突入するのか、という点に論点が移っているというから物騒な話だ。もっとも、言論の自由が許されない同国ゆえに、それらの論調は官製(党指導)による日本けん制と分析することもできる。
 昨年9月11日の沖縄県・尖閣諸島の国有化以来、日本の領海、領空を侵犯し続ける中国側は一切、譲歩を見せておらず、今後も尖閣諸島を巡るきな臭さは強まるばかり。
 覇権主義を目指す中国の経済的、軍事的躍進が日本の脅威になっていることは言うまでもないが、東南アジア海域での中国の侵略行為を見る限り、手をこまねいていれば尖閣諸島に五星紅旗が立つのは時間の問題。
 このため、日本国内では中国侵略に対する備えを求める声が強くなっている。政府は尖閣諸島の警戒監視を強化するため、航空自衛隊の戦闘機部隊を沖縄本島から西の先島諸島に配備する検討に入った。中国機が尖閣周辺の日本領空に接近した際、より対応しやすくなるためだ。今回の補正予算案に調査費用が盛り込まれたが、果たして中国側へのけん制となるか。
 先週、米原で講演した元自衛隊航空幕僚長の田母神敏雄さんは「国際政治の本質は富と資源の分捕り合戦」と指摘し、「軍事力は戦争をしないための防御力。中国に負けない軍備にすることで、中国の侵略を防ぎ、平和が維持できる」と軍備増強を訴えたが、憲法9条改正などクリアしなければならない課題は多い。
 さて、冒頭の中国軍総参謀部による「戦争準備」の指示は、軍事力が日本の自衛隊より優位に立ったと自認し、「高飛車」になっているためなのだろうか。
 現に、中国メディアの特集では局地戦では一時的に不利になるかもしれないが、全面戦争では勝利すると信じて疑っていない。一方、日本国内の保守派、右派雑誌なんかも日中戦のデモンストレーションを特集し、日本の勝利を疑っていない。
 今は、一部の雑誌やテレビに限られるが、これが国民の間にまで浸透し、主戦論がはばかることなく議論されれば、悪夢の再来となろう。ややもすれば、インターネット上や保守系メディアは強硬論をあおりがちだが、戦争で失うものの大きさを、忘れてはならない。

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2013年01月15日

嘉田ピエロと県民不信

 サーカスなどの狂言回しをつとめる道化役者をピエロという。紅を入れた白塗りの顔、長いだぶだぶの袖、とんがった帽子。姿も動きも笑いを振る舞う役者のことだが、転じて、人前でこっけいな振る舞いをする人、笑いものになるだけの人をもいう。
 選挙が済んで、何もかも終わったいま、再び、嘉田滋賀県知事が新聞やテレビ、週刊誌を賑わせている。
 真底ピエロだったと告白したような記者会見もあって、県民の名誉から言えば、やっぱり県民の顔に泥を塗った愚行というべきである。
 総選挙機運あわただしい昨年11月27日に、新党立ち上げの唐突な記者会見。3日後の新党宣言。第3極最大の頭数を並べた「日本未来の党」は、結党後、40日を経て哀れにも解党した。
 生まれるのも簡単、散るのも簡単。嘉田さんは真冬の夢に風邪をこじらせたが、煎じぐすりに追憶の舞台裏を明らかにした。
 事実上の組織とカネをあっけなく小沢一郎派に渡して、無条件撤退したのは、結局はカネだった。小沢氏とその一派を切って、「未来の党」を存続する腹だったが、「新党の持つ8億円」の立替金をつきつられて、へたへたと腰が砕けた。
 日本の政治に関与する政党が2日や3日の夢で、手品の如く結成されること自体不可思議千万というべきで、山師か、手品師か、政界の古ダヌキの舌の上でころころと転ろがされて一巻のお遊び劇を上演した児戯にもひとしい嘉田劇は「えいアホ売った」だけではすまされない。嘉田の名がつく限り「知事」というポストがついて回り、えいアホ売ったは、県民への侮辱的言葉でもある。
 新党をつくる前夜、嘉田氏は小沢氏と3回出会っている。「あなたが党首になってくれれば、100人は必ず当選する」「カネも組織も責任もみんなこっち持ち」「私は陰の人、決して表へ出ないから、嘉田流で全国を回ってくれればよい」。歯の浮くような口舌にころりと参ったところは女心の浅はかさというよりも欲から出た身の錆である。
 県知事としての一国の大将の重みと面白さを知った彼女は、さらなる一大飛躍で国政を左右できる第3極新党の党首という餌にあっけなく食いついた。
 今回の新党事件は政界では珍しい詐欺事件というべきだが、民間の詐欺事件は刑法に問われ、被疑者は逮捕されるが、政界の詐欺事件は、国家を思い、国政を思っての政党擁立話がテーマだから、被害者も救済されないし、加害者もほおかむりしているだけである。
 国会議員現有61席の新党は選挙の結果、負けの負けの大負けで現有9人に埋没した。詐欺のつけが正当に審判されたが、県民の新党への比例投票は8万を超えた。この8万という尊い票を詐欺の代償にした嘉田氏の責任は重い。
 かく膳立てられ、かく進行し、かく終末する。これは識者は分かっていた。しかし、分からない国民も多いから「詐欺師」と「その被害者」の一蓮托生の罪はどう精算すべきか。
 信なき政治は立たず。県民は嘉田氏を信じなくなった。さて…。【押谷盛利】

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2013年01月11日

成人の日を前に(見聞録)

 今月14日の「成人の日」を前に、新成人の皆さんに抱負や決意などを語ってもらい、2、3面で紹介している。将来、恩師のような教員になりたいと目標を語ったり、海外での研鑽を誓ったり、両親や友人に感謝の言葉を捧げたりと、それぞれが立派なメッセージを届けている。
 成人とはどういう意味なのだろうか。一般的には人として「一人前」になることをイメージするが、20歳で独立できているのは少数派で、多くが学生だったり、アルバイトの身分だったりで、住む場所や学費、生活費などを親の支援に頼っているのが現実ではないだろうか。
 しかし、法律上は様々な権利が生まれる。最も大切なのが選挙権。地域の首長選、議員選から、国の将来を左右する国政選挙まで1票を投じることができる。ただし、被選挙権は25歳(参議院議員と都道府県知事は30歳)からで、もう少しの辛抱。父母の同意がなくとも婚姻でき、自身の意思だけでローンなどの契約を行えるようになる。飲酒、喫煙が解禁となり、競輪や競馬、競艇、オートレースなどの投票券も購入できるようになる。それら権利を得られると同時に社会的責任が求められる。国民年金制度への加入義務はもちろん、少年法の適用が除外され、犯罪行為で警察のやっかいになれば、新聞やテレビで実名報道される。
 最近は18歳を成人とすべきという意見も目立つ。そのきっかけの一つは、2007年の安倍内閣下で成立した憲法改正のための国民投票法。同法で投票権者を18歳以上と定めたことにある。このほか、凶悪犯罪を起こした18歳や19歳が少年法で保護されることに対し、厳罰化を求める視点から、成人年齢の引き下げ議論もある。
 他国はどうだろうか。イギリスやイタリア、オーストラリアなど多くの国が18歳を成人年齢とし、韓国が19歳。日本と同じ20歳としているのは台湾、タイ、ニュージーランドなど少数派だ。21歳はエジプト、アラブ首長国連邦、アルゼンチンなど。アメリカは州ごとに異なるが、選挙権は18歳からで統一されている。
 今年の新成人は1992年に始まった学校週休2日制や、ゆとり教育を受けてきた世代で、長引く経済不況による就職難にもさらされている。高度経済成長やバブルとは無縁だった。
 インターネット調査会社「マクロミル」のアンケートによると、新成人の76%が日本の政治に「期待できない」「どちらかといえば期待できない」と回答。その理由として、次々と代わる総理大臣、政党の乱立、公約の不実現などを挙げている。そんな状況下だから、自分の未来について「明るい」と回答したのは51%に過ぎず、前回調査より14ポイントも下降した。この国と自身の将来に不安を抱えていることがうかがえる。
 さて、成人式のルーツは昭和22年に埼玉県蕨町(現・蕨市)で行われた「青年祭」といわれる。敗戦後の暗いムードを打ち破り、次代を担う若者に明るい希望を持たせ、励ますために、青年団が企画したのが始まりだった。
 当時の開催要項によると、青年祭は3日間にわたって行われ、式典には新成人のほか、名誉職、父兄、一般町民が出席し、町長や知事のあいさつ、新成人による誓いの言葉などがあった。このほか、おでんやお汁粉の屋台が出て、甘酒が振る舞われたり、音楽や寸劇、漫才などの芸能大会が開かれたりと、町挙げての賑々しいイベントで、新成人を励ましたようだ。
 今の成人式は新成人が旧友との再会を喜ぶ同窓会のような雰囲気となっているが、成人式の原点に立ち返り、将来に不安を抱く若者を応援し、奮起を促す契機となればと願う。

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2013年01月10日

恥ずべき性犯罪について

 中年の、肩書きのある男が、電車の中で、女性にいたずらしようとして騒がれたり、エスカレーターの下から女子高生のスカートの中を映したり、来る日も来る日もエッチな話題のつきないこの国である。
 ときどき、逮捕されるイヤなニュースに下着ドロがある。他人の下着を盗んで、どうしようとするのだろうか。下着と聞くだけでも不潔な感じがするのだが、それを飽きることなく集めて、多いのは何百枚にもなる、という。よほどのことがない限り、被害者は警察沙汰にしないが、こういう変態的な犯罪は、どう解釈し、対策を立てればよいのか。
 痴漢にしても下着ドロにしても性異常であるが、恐ろしいのは、彼らのねらう弱者が少女や幼女であり、精神形成期の大事なときに、身心上における侮辱的、非人格的被害へのトラウマである。生涯の傷となって、被害者の人生を地獄へ落とすことになる。
 このほど、大阪府警が発表した街頭犯罪の全国ワースト1の記録は、関西の中心である大阪府だけに、われわれの関心度も高い。大阪府では、子供や女性が被害者となる性犯罪は一日、100件近くも発生している、という。
 大阪で平成23年に発生した強制わいせつ事件では、被害者の17%が小学生。18歳未満に広げると42%。低年齢層が圧倒的に多い。
 大阪府では、性犯罪はクセになる傾向があり、刑務所を出てからも再び犯す恐れがあるとして、更正プログラム制度を作り、昨年、子供への性犯罪前歴者に、居住地などの届け出を義務づけた「府市子どもを性犯罪から守る条例」を定めた。全国初のケースだが、可能なあらゆる選択を講じて、性犯罪をなくする社会的キャンペーンが必要であろう。
 性犯罪は、被害者に生涯にわたる残酷な記憶を強いるだけでなく、しばしば被害者の生命を奪う場合もあり、階段などでの隠しカメラ事件などもっと厳しい法的制裁が考慮されるべきであろう。
 それにしても、このような恥ずべき犯罪が後を絶たないのは、なにが因果なのか。平成23年の強制わいせつ認知件数は大阪府が1251件で、東京より300件以上も多いが、このような都市型犯罪は地方へ拡散する傾向にあり、子供を持つ親、夜、帰宅の遅れる女性会社員などへの不安をかき立てる。
 家庭、学校における適切な情報公開や、被害時のとるべき対応などを啓発すると共に、犯罪を減らす環境浄化を提唱したい。
 その第1は要所要所に防犯カメラを設置すること。通勤、通学、駅周辺の道路は防犯灯を必ずつけて、明るい街にする。第2は、学校の行き帰りに、一人でなく、友達など複数で歩くこと。路上で、変な人に気付いたら、たとえ、実被害がなくても、そうした情報を学校、勤務先、警察(交番)へ知らせること。第3は地域の住民の協力による常時防犯体制である。もの売りや、配達人などを装って、家庭内に大人がいるか、いないか。性犯罪だけでなく、空き巣ねらいの被害も地方小都市の盲点であるから地域住民の連携や見知らぬ人への警戒心を高める訓練を考えねばならぬ。
 いずれにしても、性犯罪に限らず、万事、物騒な世の中、めいめいが心の鍵をしっかり締めねばならぬ。【押谷盛利】

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2013年01月09日

旧自民流の経済対策の是非(見聞録)

 きょう9日から豊国神社で十日戎が始まった。あす10日には福娘や恵比須さんの宝恵駕籠行列が賑々しく行われる。
 十日戎に庶民が祈願するのは商売繁盛、景気回復、家内円満、健康長寿など人それぞれだが、誰もがこの1年間の仕事や生活の安全、安定を願う。境内には企業や市民が寄進した提灯が飾られ、長浜十日戎を主催する恵比須宮奉賛会の吉田豊会長によると、提灯の数によって、市民の景気への思いが伝わってくるという。不景気で自社だけでは手の打ちようがない場合は「神頼み」の意味合いで提灯の寄進が増えるという。今年は昨年に比べ寄進が増えたが、これは前述の理由ではなく、政権交代による景気回復に期待を寄せる市民の「頑張ろう」との意気込みと受け止められるという。
 十日戎に思いを託す景気回復だが、安倍内閣は国民の期待に添える結果を残せるのだろうか。
 「アベノミクス」なる造語が登場するほど、経済界は期待を寄せている。あさってにも正式に打ち出す緊急経済対策は20兆円規模となるそうだ。
 しかし、その中身はというと旧態依然の公共事業ばかりで、今の経済構造、社会の実情に合っているのかは、疑問符が付く。今年度の補正予算案の規模は13・1兆円(国や自治体などが支出する総額)となるが、うち5・3兆円が公共事業だ。「防災」「減災」を名目に道路の改修・整備などを盛り込み、高速道路の整備も前倒しで進める。
 国や自治体の財政悪化に伴う公共事業の減少で全国の建設業者やその下請けは厳しい経営環境にさらされており、アベノミクスを大歓迎している。
 先日、市内の建設業社長に話をうかがった際、「建設業者は地域の経済や雇用を下支えし、除雪や災害復旧を担っている。もちろん費用対効果に疑問符が付くような公共事業は止めるべきだが、地域に果たしている役割を認識してもらい、国や自治体に育ててもらう必要もある」などと説明していた。
 確かに、地域経済の下支えとして公共事業の果たす役割は小さくはないであろう。地方であればあるほど、公共事業への期待感が強いのはうなずける。
 危惧するのは、大盤振る舞いのカンフル剤を打つだけの財政的余力がこの国にあるのか、という点だ。そもそも国の借金は1000兆円になり、GDPの2倍にのぼる借金は先進国の中で最悪の水準だ。税収は40兆円そこそこなのに毎年の予算規模は90兆円。国債を発行しながらのデタラメな財政運営がまかり通ってきた。
 財政出動で雇用が生まれ、景気が上向けば、それが税収として跳ね返ってくる—というのが理想論だが、小渕内閣の34兆円、森内閣の11兆円、小泉内閣の14・8兆円、麻生内閣の56・8兆円、鳩山内閣の24・4兆円、菅内閣の21・1兆円と、これだけ投資しても税収は横ばいか右下がりだ。
 カンフル剤の効果が限定的であることは、すでに証明されている。必要なのはカンフル剤ではなく、中長期的な成長戦略を立て、その分野に公共投資を集中させることではないか。
 公共工事べったりの経済政策では、自民党は古いままだとのそしりは免れないし、放漫財政のツケを支払うのは国民であることを忘れてはならない。

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2013年01月08日

暗いニュースの世相を切る

 世の中の進化と生活文化の向上で、ありがたいことと神仏に合掌しているが、その反面、これでよいのか、と、いまの世相の乱れに暗い気分になる。
 年の瀬から新年に入ってのニュースはどちらかといえば暗すぎる。
 トンネル内の交通事故、あちこちの冬山の遭難、わけの分からぬ殺人事件、プラットホームで知らぬ子をつき落とそうとした狂人、社会的地位のある人の痴漢騒ぎ、夜道の女性を襲う変態、日本全土を心配させるノロウイルス食中毒事件、それも50人から1000人規模の大型化、山で発見される白骨、いつ死んだか分からぬ孤独死。
 婚活、就活だけがやけに話題になり、雇用不安や不況の中を株価のみが突っ走って…。
 税金が上がるというのに、企業が不振だというのに、国債をじゃんじゃん発行してインフレを誘うという。インフレをあぶるのは、政府の情報であるが、それに悪乗りしているは新聞などのマスメディアである。
 一体、なにを思っているのか。さきざきの経済戦略の見通しの上に立ってのインフレ歓迎論なのか。バカも休み休みに言うがよい。
 いま、政府は地方公務員も国家公務員並みに月給を下げるという。大部分の中小企業の労働者は公務員より遥かに安い月給だが、政府サイドの賃下げムードは地方へ普及すること必至である。片方で所得は減るは、他方で物価が上がれば国民の暮らしはどうなるか、質が低下するのは目に見えるし、収入が減れば買い物を控えるしかないのではないか。その買い物の価格がデフレで安いのならともかく、インフレで高くするという。
 安月給でも物価が安ければ食ってゆけるが、それが逆になったら、弱者は悲鳴をあげるし、社会福祉は細く薄くなりかねない。
 アメリカでも銃を乱発射して多くの子どもを殺す事件が激発し、銃社会の規制が問題化しているが、日本でも狂っているとしか考えられない変な人が多くなり、そう人で暗い犯罪が続発する。
 結構な、ぜいたくな、栄養たっぷりの食事に恵まれながら、国内は病人だらけで、多くはクスリ漬けである、こんな状況がめでたいといえるのか。生きるスタンス、ものに処する発想の転換、生活の自己革命をしなかったら、この国の前途に光は灯らない。【押谷盛利】

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2013年01月07日

文学界の明るい話題(見聞録)

 2013年、新年を迎え、はや1週間。小紙1月1日号では「巳年の声」コーナーで、年男・年女の抱負や決意を紹介しましたが、読者の皆さんも新年を迎えるにあたって誓いや決意を立てたことでしょう。小生も今年1年、読者に「元気」を注入できるような話題を提供し続けたい、と誓った次第です。
 さて、新進作家の登竜門である芥川賞に、平成生まれの若者と、後期高齢の女性がノミネートされ、話題となっている。昨年デビューしたばかりの黒田夏子さん(75)、そして京大医学部2回生の高尾長良さん(20)の2人で、今月16日の選考会で受賞の可否が決まる。
 黒田さんが芥川賞に輝けば史上最年長となるそうだ。候補に挙がった年齢としても過去最高とみられるという。1937年、東京生まれで、早稲田大教育学部国語国文科卒業。教員、事務員、校正者などを経て、昨年「abさんご」で早稲田文学新人賞を受賞し、デビューしたばかりだ。10年に1作のペースで長編の創作を続けているという。
 黒田さんの作品が候補に挙がったことを多くの新聞が「受賞なら史上最年長」と早くも写真入りで取り上げている。本人は「この年齢なので、ためらいの方が大きくて…」と候補に挙がったことを驚き、「これまで日の目を見なかった作品を本にできたら」と控えめのコメント。
 「最年長」というポイントがニュース価値となっているが、いくつになっても何かに打ち込み、挑戦する心を失わない黒田さんの生き方が、凡人には真似できないながらも、憧れのような、共感のような、そういう気持ちを抱かせる。
 一方の高尾さんは、受賞が決まれば平成生まれで初となり、2004年の綿矢りささん(当時19歳)に次ぐ史上2番目の若さとなる。1992年年東京生まれで、昨年「肉骨茶」で新潮新人賞を受賞している。同日発表された直木賞候補にも「何者」を執筆した朝井リョウさん(23)が名を連ね、受賞すれば同賞の男性最年少となる。若者の飛躍に期待を寄せる頼もしい話題である。
 新年早々、若者にも、高齢者にも、今年1年の奮起を促すような文学界のニュース。芥川賞、直木賞は別次元として、読者の皆さんは今年1年、何にチャレンジしますか?

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2013年01月05日

極める覚悟と文楽の話

 新年おめでとうございます。
 正月に雪を見ると思い出すのが「降る雪や明治は遠くなりにけり」という中村草田男の俳句である。
 昭和初期の作品であるが、彼は明治生まれだったから明治への愛着が強かったと思われる。
 草田男流でいえば、「降る雪や昭和は遠くなりにけり」で、今年は昭和88年になる。八開きの縁のいい年回りで、米寿にあたる。一茶は「めでたさも中くらいなりおらが春」と詠んだが、いまの日本人はほとんどが中流以上の生活をしているから「めでたさも中の上なりおらが春」かもしれぬ。
 「酒もすき餅もすきなり今朝の春」=虚子。
 「元旦や爺と婆とが子宝湯」=後藤綾子。
 「小正月そそのかされて酔ひにけり」=中村苑子。
 「女正月一升あけて泣きにけり」=高村游子。
 飲むだけでは能がない。せっかくの年初だから気分を引き締め駄馬に鞭を打とう。
 文楽人形遣いの三世・桐竹勘十郎さんが雑誌「すきっと」20号に「極める」のテーマで、貴重な一文を草している。
 朗々たる太夫の語り、三味線の重厚な響き、そして物語を紡ぐ人形たち、江戸時代初期に誕生した人形浄瑠璃は文楽の名で親しまれ、海外公演でも人気を誘う。
 太夫、三味線、人形の三つを三業と呼ぶが、三つの要素が息を合わせることが大事。人形遣いは人形の首と右手を動かす「主遣い」、左手を動かす「左遣い」、そして「足遣い」の三人で一つの人形を動かす。主遣いは顔を出して人形を遣うので目立ってはならず、決して自分の感情を表情に出してはいけない。
 人形は太夫の語りと三味線に合わせて芝居をしているように見えるが、誰かが誰かの調子に合わせているのではない。太夫は「舞台を見るな」といわれる。舞台を見て人形の動きに合わせてはいけない。また「三味線につくな」ともいわれる。三味線が太夫に合わせてもいけないし、舞台の人形に合わせてもいけない。
 人形は、主遣い、左遣い、足遣いの三人が息を合わせねばならないが、人形の動きは太夫と三味線に合わせてはいけない。
 文楽の舞台は「生き物」で、三業(三者)の芸が舞台の上で思いっきりぶつかり合い、三つがビシッと一体になったときは舞台の上で、鳥肌が立つ。それを何度か経験すると、もうこの仕事はやめらません。その瞬間を追い求めて毎日やっています。
 まさに「芸の極み」の至言と言うべきである。われわれは、それぞれ仕事を持つが、仕事に惚れ、工夫し、研究し、その極みに達するような努力をしているだろうか。仕事はもちろんのこと、趣味の世界においても極みに徹する努力こそ望まれるのであり、それが生き甲斐であり、生命の燃焼であろう。
 新しい年が日本の繁栄とみなさんの幸せの年でありますように祈りつつ。【押谷盛利】

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