滋賀夕刊新聞社は滋賀県長浜を中心に政治、経済、文化の情報をお届けする新聞です。



2012年11月30日

総選挙、何を問う?(見聞録)

 総選挙が迫ってきた。土壇場で嘉田由紀子知事が「日本未来の党」を結成し、小沢一郎氏、亀井静香氏らが合流するなど、ぎりぎりまで離合集散が続いた。野田佳彦首相による突然の解散に、選挙への覚悟、準備のない立候補予定者が慌てふためいている。
 来週火曜日12月4日、日本の将来を占う総選挙の幕が切って降ろされる。
 争点は何になるのか。2005年は「郵政民営化」を旗印に、自民党派閥政治からの脱却による政治改革だった。2009年も政権交代による政治改革だった。それぞれの選挙を経て国政を担った自民党、民主党が国民の期待に応える政治を行えたかというと「否」だった。自民はその責任を問われ野に下った。
 そして今度は政権交代による改革を訴えた民主党の3年3カ月の政治が問われる。ただし、この答えは火を見るよりも明らかで、各世論調査の結果からも、国民がすでに愛想を尽かしていることがうかがえる。有権者は熱しやすく、冷めやすく、そして非情だ。
 民主党政治の総括が第1の争点として、次に問われるべきは何か。嘉田知事が指摘するように原発政策なのか。各党の政権公約を眺めると、自民党がこれまでの原発政策を評価したうえで3年以内に方針を決めると説明しているほかは、どの党も「脱原発」「卒原発」を掲げ、大きな差異はない。
 もし、原発政策を問い、そこに差異を見つけて政党を選択するのであれば、実行力であろう。「脱原発」「卒原発」とスローガンを掲げ、有権者に訴えることは誰にでもできる。
 その政党に実行力と、実行する気概が備わっているのか、集票目的の「言いっ放し」なのか、「公約」と「口約」の違いを見極める必要がある。政党をかたちづくっている人物の顔を並べるとそれを見極められるのではないか。
 今度の選挙で本当に問われるべきは、やはり郵政選挙、政権交代選挙でも掲げられた「改革」への姿勢。もちろん不退転の決意で改革を持続させる実行力を備えていることが最低条件だ。地方を顧みない中央集権、税金を食い物にする利益誘導政治、行き詰まった旧弊・旧制度—。改革すべき課題は山積しているが、どの党が手をつけられるのか、見定めたい。
 さて、2区では4選を目指す民主の田島一成氏に、自民元職の上野賢一郎氏が1区から鞍替えして挑む。そこにみんなの新人・世一良幸氏、共産新人・中川睦子氏が食い込む構図となる。全国的に台風の目となっている石原慎太郎氏と橋下徹氏の日本維新の会、日本未来の党の立候補者はなく、事実上、組織力のある民・自の一騎打ちか、無党派層へ吹く「第3極」への風しだいでは、みんなを交えた三つ巴になりそうな気配だ。政治改革を誰に、どの党に託すのか、決めるのは有権者の1票。

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2012年11月29日

嘉田知事と黒幕の存在

 「百日の説法、屁一つ」という。高僧がどんなによい説教をしても最後に放ったおならで、座がしらけてしまって、わやになった、という教訓。もう一つ、よく似た言葉がある。「晩節を汚す」。この二つをいま話題の嘉田滋賀県知事に差し上げたい。
 嘉田新党の話が出始めたのは11月も終わり近く、26日だった。それが27日、28日の2日間で、結党宣言になり、早くも名前を「未来」とし、そのマークも披露された。木枯らしのような、あっという間のニュースだが、これには仕掛けがあった。
 政界通は、表は嘉田由紀子、裏は小沢一郎(国民の生活代表)となぞ解きをしている。みんなの党の渡辺喜美代表は裏にひそむ巨大な黒子の操り人形にならねば、と評している。
 ものごとが一夜漬けで出来るほど、政界は単純ではないが、仕掛けが大きいほど揺れは大きい。
 滋賀県の知事の名前を聞いても、全国でとっさに答えられる人は少ない。現に、われわれだって、知っているのは、お隣りの山田啓二京都府知事、大阪の松井一郎府知事(日本維新幹事長)、大村秀章愛知県知事くらいではないか。少し前なら、東京の石原慎太郎もその一人。
 全国的には無名に近い滋賀県知事が一夜のうちに全国へ電波を流し続けたのは、目にも止まらぬ天狗の仕業だろうか。今度の嘉田新党は、この指止まれであっという間に70人とも80人とも参加するという。だんだん、震源地や仕掛け人、黒子が明らかになるが、参加の80%は小沢党。その次が「減税日本・反TPP・脱原発」の亀井静香(前・国民新代表)、山田正彦(民主党元農相)、減税の河村たかし代表(名古屋市長)ら。このほかに「みどりの風」が3人入るが、これは今度の選挙に未来の名を借り、当選すれば元のみどりに返るという。
 離合集散、わけわからずの、これこそ正真正銘の野合そのもの。ここに至って、すっきりしてきたのは、沈没寸前の小沢丸を窮地から救う地下の黒いマグマである。
 小沢一郎という政治家は、金権で天下を取り、それゆえに失脚した恩師の田中角栄とそっくりの道を歩んでおり、角栄は黒い霧で自民党を離れたあとは、後ろから糸を引いて、事実上、党を支配する闇将軍と呼ばれた。いまの小沢は自由党を潰して民主党へ入ったときは一兵卒としてがんばる、といった。そして実際は民主党の事実上の支配者となり、政権奪取後の初代幹事長として鳩山首相を意のままに動かした。
 いま、小沢の「国民の生活が第一」は子分を数多く抱えているが、人気がパッとせず、このままでは、みんなおだぶつではないかと不安と恐れにかられている。なんとか、脱出するチャンスはないか。救出作戦の知恵ものたちが、嘉田丸という救急車を動かした。今度も小沢一郎はいう。「役員にはならない。一兵卒で奉仕する」。
 ぼくはいつもいう「信なき政治は立たず」。政治を食いものにし、カネもうけと権力のために、と疑われる政治家は、なんぼいい話をしても、なんぼ力(金)が強くても、国民は信用しない。「信」とは政見、信条以前の出発点の前提である(敬称略)。【押谷盛利】

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2012年11月28日

嘉田新党とびわこ宣言(見聞録)

 総選挙公示まで1週間となったきのう27日、嘉田由紀子知事が「卒原発」を掲げる新党「日本未来の党」を立ち上げた。
 背景には3・11後初の総選挙において、原発政策が語られないことへの危機感がある。「この指止まれ方式」で共闘者を募るのはいいが、小沢一郎氏の「国民の生活が第一」が解党、合流を宣言するなど、嘉田知事を隠れ蓑にした有象無象の集合体となりはしまいかと、滋賀県民は心配している。
 新党結成を詳報した京都新聞(28日付け)は嘉田新党について、「日本維新の会と一線を画し、政策本位の結集で活路を見いだせるのか。それとも衆院選での生き残りを懸けた救命ボートに終わるのか」と指摘した。
 さて、全国紙の論調はというと、脱原発を訴える朝日新聞のコラム「天声人語」(28日付け)は「福島の事故を受けた初の国政選挙で、原子力の未来がとことん論議されないのはおかしい。かなりの国民が原発からの卒業を望んでいる。しかし、このまま票が分散しては、思いが政治に伝わらない」と、総選挙に「卒原発」の選択肢が増えたことを歓迎している。そのうえで「小沢一郎、亀井静香、河村たかしの各氏ら、ひと癖ある政治家が呼応し始めた。誰の仕掛けか、生臭くもある」と、誰もが抱いている疑問点を取り上げた。
 原発推進の産経新聞(28日付け)のコラム「主張」は「『卒原発』は嘉田氏の持論で、原子力発電を卒業するという意味だ。しかし、原発に代わりうる安定的な電源を見いだせない以上、原発に背を向ける政策は極めて無責任といわざるを得ない」と真っ向から批判。ただし、これは嘉田新党に限定せず、原発反対勢力全般への批判と受け止められる。小沢氏らの合流を「衆院選で劣勢が予測されるから新党に飛びつくのなら、党運営は早晩行き詰まる。『野合』批判は免れない」と指摘する点は、朝日や京都新聞とも一致している。
 さて、嘉田新党で急浮上した「卒原発」。これは国策として原発に頼らない代替エネルギーの導入を推進し、将来的に原発ゼロを目指す考え。脱原発とそう差異はない。
 これらの姿勢を「センチメンタリズム」と批判する向きもあるが、3・11の教訓は、人類が地球上で生かされていることへの「気付き」だったはずだった。
 嘉田知事が発表した「びわこ宣言」は「福島の事故は、放射性物質を大気や水中に広げることで地球を汚した。この重い責任を感じることなく、経済性だけで原子力政策を推進することは、国家としての品格を失い、地球倫理上も許されないことである」と訴えている。近畿の水がめを守る滋賀県民としても重く受け止めたい宣言だ。

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2012年11月27日

呉越同舟と野合の政治

 「呉越同舟」という言葉がある。古代中国の春秋時代に仲の悪い呉の国と越の国があった。両国は天下を争って、しばしば戦ったから仲の悪い間柄を呉越の仲といった。その仲の悪い呉と越が同じ舟に乗ることを「号越同舟」というが、この場合は国ではなく、仲の悪い2人の人間を指す。
 いま、日本は衆議院の解散により12月4日公示の総選挙に向けて、政党も立候補希望者も大騒ぎしている。天下国家のため命を捨てる覚悟、と、その志は尊いが、なかには私利私欲、自己の一身の栄達、手近な就職口ぐらいに思っている人もあるにちがいない。
 志の違う人が一緒の舟に乗るとは、政策、政見の違う党が選挙目当てに合同することをいう。このごろ問題になるのは自、公、民の3党以外の野党の合併・合同について、「野合」という批判だ。政権獲得という目的のため、と開き直るのはそれなりの理由なしとしない。
 呉越互いに反目しあいながらも共通の目的や利害に対して協力しあうのが、国家・国民のための政治ではないか、という理屈はそれなりの説得力はある。
 民主党から出て行く政治家が滅茶増えているのは歴史的な珍事というべきだが、新婚一年目で離婚する者があるように、任期あと一年もない議員が、これまでの党に愛想をつかして出て行くのを裏切り呼ばりして悪しざまにいうのは、ふられた側の未練というより他はない。魅力がなく、愛が冷めれば熱烈恋愛も氷のように冷えて、はい、さようなら、となる。民主党から続々とさきの小沢一郎氏一派以来、有名、無名、チルドレンらが離党してゆくのは、民主党に魅力がないからだ。逆にいえば、自分の体質や政党と一致しないからで、嫌なら嫌で、その理由の根拠、離党の理屈を明確にすれば、それはそれなりの出処進退で、批判する人、肯定する人、国民の対応はさまざまである。
 一番卑しいのは、私利私欲を胸に秘めた保身の行動であろう。野合とは正式の手続きをとらずに夫婦になることをいう。したがって、2つの党がそれぞれの党の総意で合同を決めれば、これが正式の手続きであろう。意見の違う者同士が一緒の党で行動するのを野合というなら、自民も民主もみんな野合である。TPP一つを取り上げても党内には賛成、反対が渦を巻いている。原子力発電についても同様である。
 問題は国民受けする公約や選挙用の広報ではない。1にも2にも確固たる政見と誠実な実行力である。財政の立て直し一つをいっても、公務員改革もあればルール違反の無駄づかいの防止、福祉や年金制度の見直し、国債発行の是非など、各論に入ると意見は千差万別する。その意見が船頭多くして、舟、山へ登る、の愚になっては過去の政治の再現である。一年ごとにくるくる代わる総理は世界の笑いものだが、かつての自民も今の民主も呉越同舟、野合のなせるわざで、党を統轄し、党首とこれを補佐する政治家が不在だったことを証明している。国民は「あやまちを繰り返してはならない」と、冷静な眼で事態を眺めている。
 信なき政治は立たず。これがすべての前提である。【押谷盛利】

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2012年11月26日

暗黒の金曜日(見聞録)

 ミルク無しのコーヒーを「ブラック」と呼ぶが、これは「黒」を意味することに由来する。だが、英語に限らず日本語でも「ブラック」は「黒」という意味だけでなく「正体不明の」「不正の」「暗黒の」など負の意味で用いられることも多い。
 例えば「ブラック・マンデー」は1987年10月19日の月曜に発生したニューヨーク発の世界的株価大暴落を指す。世界恐慌の引き金となった1929年の「ブラック・サーズデー」(暗黒の木曜日)を上回る株価の下落率で世界的大不況を招いた。この影響で日経平均株価は14・9%マイナスの2万1910円に落ち込んだ。ただし、1万円を割り込んでいる現在と比べると、あきれるほど高い。
 「ブラック・セプテンバー」(黒い9月)といえば、ミュンヘンオリンピック(1972年)の開催中にイスラエルの選手や監督9人を殺害したパレスチナ武装組織の名称。イスラエル諜報機関からメンバーの多くが暗殺の報復を受け、最後はパレスチナ解放機構との関係性が明るみになり、解体に追い込まれた。
 このほか、「ブラックリスト」「ブッラク企業」など、「ブラック」の付く言葉というのは、どこかマイナスのイメージがある。
 そして今、米国ではクリスマス商戦のまっただ中だが、そのスタートを切る日を「ブラック・フライデー」という。直訳すれば「暗黒の金曜日」となる。
 米国では11月の第4木曜日が「感謝祭」にあたり、その翌日の金曜日をクリスマス商戦の開始日とする習慣がある。日本のテレビや新聞でも、大勢の買い物客が店舗になだれ込み奪い合うように商品を物色する様子が報じられ、アメリカ国民の旺盛な物欲に驚いた読者も多いことだろう。
 ブラック・フライデーをクリスマス商戦の開始日と位置づけているのは小売業界の紳士協定にすぎない。これまでは午前0時に開店する業者もいたが、今年は小売最大手のウォルマートなどがフライングして前日夜からスタートさせた。感謝祭の夜は家族だんらんで過ごすのが米国スタイルだが、それをもぶち壊す小売業者の販売戦略に、景気低迷にあえぐ米国企業の焦りを感じる。
 さて、このブラック・フライデーの「ブラック」の意味をどう受け止めるのか。街や通りがごった返して混雑を招くとのマイナス面ととらえるのか、それとも小売業者の経営がクリスマス商戦で一気に黒字化するというプラス面なのか。
 真相はどうやら両方の側面を持つようだが、クリスマス商戦は米国のGDPの7割を占める個人消費の行方を占う重要な時期だけに、世界中の政治、経済関係者が注目している。

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2012年11月22日

なにか、うまみがあるのか

 前東京都知事の石原慎太郎氏は、太陽党を解体して、日本維新の会の代表になったとき、「明治以来の中央集権的な官僚による統治機構をぶち破らねば日本は沈没する」と声明した。
 これは、日本維新の事実上のリーダーである橋下徹大阪市長の早くからの政見でもあり、国の統治機構を根本からつくり直すための地方分権、その前提の道州制の実現を主張している
 大正12年9月1日の関東大震災の後、革命家の大杉栄が愛人の伊藤野枝と共に憲兵の甘粕大尉に虐殺されたが、その大杉の95年も前の発言が当時の新聞の記事になっている。「自分は社会改善のため全力を傾注する考えだ。中央の権力を今少し自治体に移し、現在よりも強大な団体を作り、以て人民の生活を容易ならしめんと考える」と語っている(弦書房刊・「伊藤野枝と代準介(矢野寛治著)」参照)。
 これは今日の道州制論議とそっくりの先進的発信で、中央の権力とは今の日本の官僚主導の政治機構を指しており、これを今少し自治団体に移すというのは地方分権を頭においた道州制の展望であろう。
 これでも分かる通り、日本の統治機構は明治以来140年、連綿として官僚国家を形成してきた。明治時代は「お役人さんならお嫁にやろう」の言葉通り、官員(国家公務員)が国民の憧れだった。官員の中の高級役人が官僚であり、一般の職員は公務員労働組合に結束して、一方が政治支配なら地方は行政の実務と、自らの地位の確保と保全を使命観としてきた。
 官僚国家は役人天国と同義語と思えばよく、明治大正時代は中央政府の意中の人物が府県の知事になり、政変のたびに知事は異動した。
 中央政府と地方の府県知事が一体となって日本の政治を支配してきたが、その底に流れているのは役人の絶対王国感であり、難しい字句の法律用語を駆使し、国民をして「寄らしむべし、知らしむべしからず」の政治を貫いてきた。国民には情報を知らさず、とにかく政府の方針についてこい、という高圧的思想で、本質的には江戸期の幕藩体制と同じで、府県知事は代官のようなものだった。その名残りが今も続き、予算その他、地方の要求は、知事、市長、県議、市議らが東京参りして財務省に陳情する。国民は事業や政策で、要求があれば「請願」という制度で、「お願いします」とこれまたぺこぺこと東京参りをする。
 行政の文書は何回読んでも分からぬ程、難しい言葉と変な役所用語で統一され、その通訳代わりに行政書士などが登場する。役人は役所機構をふくらませ、複雑にし、役にも立たぬ外廓団体をわんさとつくり、これを天下り用の定年対策にする。役人にとって、一番望ましくないのは強力政権、強力大臣であり、したがって、一年で交代するような短期内閣がお望みであり、大臣はなんにも知らないから官僚の言うままに判こをつく。
 こういう組織や機構、方法で、国の政治をするのが明治時代からの伝統であり、政府の実権は財務省(旧大蔵)が握り、地方への支配体制は旧内務省が握っている。
 こんなやり方では、役人と財界の思うままの政治になり、今回問題となった東北の復興予算がとんでもない他の個所に使われるようなデタラメが通る。このような古い明治以来のさむらい型、代官政治を根本から改革しようとするのが日本維新だが、なんだかんだとマスコミは叩く。実はマスコミも今の官僚体制による古い政治システムの恩恵を受けているのだろうか。
 維新の会の大阪府政や大阪市政における短期間のうちの矢つぎ早やの改革は住民ばかりではなく、日本の心ある人が拍手し期待しているが、それを悪しざまに言う集団があるのは、維新のやろうとする改革が嫌なのであろう。今のような体制の仕組みにうまみがあるからなのだろうか。【押谷盛利】

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2012年11月21日

守るべき遺産とは(見聞録)

 前回のコラムで、エジプトの宗教指導者が世界遺産に登録されているピラミッドやスフィンクスをイスラム教に反する偶像崇拝として、破壊すべきと公言していることを紹介したが、遺跡や景観、自然など人類が共有すべき普遍的価値を持つそれらを「世界遺産」として守り、後世に伝えようとのきっかけは、50年前のエジプトにあった。
 1960年、エジプト政府がナイル川流域にアスワン・ハイ・ダムを建設し始めたが、ダムとなって沈む地域には古代エジプト文明の「ヌビア遺跡」があった。ユネスコが水没から遺跡を救う世界的キャンペーンを行った結果、60カ国が支援に乗り出し、遺跡内の「アブ・シンベル神殿」を移築することになった。
 この神殿は岩山を掘って造られ、大きさは幅38㍍、高さ33㍍、奥行き63㍍あり、神殿の入り口には高さ20㍍の像がそびえる。移築工事では岩石を慎重に分割して切り分け、60㍍上方の岩場にパズルを組み立てるように復元した。
 このアブ・シンベル神殿の保護をきっかけに、遺跡や歴史的建築物を無差別開発から守ろうという機運が高まり、「世界遺産」が誕生した。
 しかし、これら普遍的価値を人類すべてが共有しているわけではなく、国や地域、宗教などのバックグラウンドがそれを許さないこともある。イスラム原理主義者が偶像崇拝を許さないように。
 今、アフガニスタンでは歴史的遺産に破壊の危機が迫っている。タリバン政権時代には偶像崇拝の対象としてバーミヤンの石仏が爆弾で破壊されたが、今度は訳が違う。政府が率先して破壊を計画し、中国企業が実行に移そうとしている。
 首都カブールから約50㌔の位置にある4世紀の仏教都市「メス・アイナク遺跡」には、住居や寺院、小屋などが良好な保存状態で残り、発掘に参加しているイタリア人考古学者も「ポンペイより重要な遺跡。規模も、もっと大きい」とその歴史的価値を絶賛している。
 しかし、その地中には莫大な銅鉱石が眠り、政府はその採掘権を30年契約で中国企業に売り払った。国際社会が「待った」の声を上げたことで、2013年末までは遺跡の発掘調査が認められているが、その後は破壊され、この4世紀の街並みは記録として残るだけとなる。
 政府は鉱山開発で約260億〜285億円の収入が見込め、何千人という雇用を創出できると説明し、歴史遺産の保護よりも経済発展を優先させている。先進国が発展途上中に犯した愚を繰り返すつもりだ。
 振り返れば日本も貴重な文化財を破壊してきた悲しい歴史がある。明治新政府の神仏分離令にともなう「廃仏毀釈」がそれだ。地域によっては寺院や塔、仏像などが徹底的に破壊された。その野蛮さはバーミヤン遺跡を破壊したタリバンと何ら変わりはなかった。
 では、今の日本人はその愚から卒業したのか。文化財だけでなく、歴史的建造物や景観、伝統文化、そして自然を大切に守り続けているのか。

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2012年11月20日

総選挙の争点と既成権力

 衆院選の解散・総選挙は、国民が政治にものをいい、政治のあり姿にイエス・ノーをいう最大の政治的儀式である。
 したがって世論を啓発し、リードすべきマスメディアの責任は重くて大きいが、正直言って、ぼくは、今のマスメディアの報道ぶりや報道姿勢はその重みに逆行し、悪ふざけしていると思い、極めて不快感を持つ一人だ。
 どこが悪ふざけなのか。一口に言えば、メディアのあるべき国家・社会・国民の師表ともいうべき任務を放棄して、まるで、お祭りか、なにかのイベントを囃し立てているようで、今日の日本の危機や今後の日本の政治をいかに切り開いてゆくかの前向きの姿勢がなく、おもしろ、おかしく、どうかすると茶化しているような姿勢、もしくはかつて批判した金権体質の再現にくみするがごとき言論の展開すらみられるのである。
 マスコミは、政党の乱立を叩くだけで、その乱立の原因や過程についての分析は避けるが、ならば旧態依然たる民主、自民、公明の既成政党に今後の日本を托せよというのか。
 また、総選挙の争点として消費増税、原発、東北震災の復興、TPPなどを掲げるが、その前にもっと根本的なものが存在するのではないか。
 日本の現在のマスコミの不見識というか、遅れというか、サボタージュというか、今回の総選挙の最大の問題点にあえて目をつむり、既成政党の枠組のなかで、選挙まつりを奏でているのだ。
 戦後の政治と総選挙のなかで、今回の選挙ほど意義深い歴史的なものはない。それは、日本の統治機構を根本的に改革することを目指す日本維新を中心とする第3極の登場とそれへの期待感が波打っている姿をみれば、一目瞭然である。日本維新の新代表・石原慎太郎氏は、明治以来支配してきた官僚政治を潰さねば日本は沈む、と明言している。同じことは代表代行の橋下徹大阪市長も主張し、地方主権と道州制を説く。
 ちなみに、今回の消費税増税は財務省官僚の脚本で、野田首相の突発解散もまた財務省官僚のリーダーシップによるものと言われている。なぜ、急遽解散したのか。盛り上がる第3極の日本維新などの準備不足の隙をつくのが最高の戦術ととらえたのである。いわば旧内務官僚、大蔵官僚の伝統を継ぐ官邸と財務省の官僚指導の戦術であり、旧体制、つまり自・公・民政治の延長を目的としている。
 その官僚主導の旧体制をバックアップしているのが、財界であり、その構図はこれまで指弾されてきた官僚と政治と業界の癒着そのものである。
 この官・業の癒着を切るべく、かつて、渡辺喜美氏(現・みんなの党代表)が行革担当大臣として安倍政権で活躍したとき、自民党内の反対で挫折したことがある。渡辺氏は自民党で行革は不可能として脱党したのはそう古い話ではない。
 明治以来140年続いている官僚支配の日本の統治機構は背景の業界を強味として、政治家と政党を操ってきたが、今回の解散を契機にこの旧体制に楔が打たれようとしている。
 果たせるかな、ここに至って必死に旧体制を温存しようとする力がマスメディアまでに滲透している。おかげを頂いているから、その恩恵にそむくことが出来ないとするなら、それ自体の自殺行為である。
 第3極の台頭を抑え込むための先導的役割を果たしているのか、と思えるような論調の報道姿勢を見せている新聞やテレビがあるが、それを見事に喝破するが如き維新の毅然たる8策を見るがよい。曰く「団体や財界から寄付は受けない」。徳川250年の封建政治を破ったのが、明治維新。平成の維新は140年続いた官僚政治を破り、中央集権から地方主権を叫ぶ。
 これが今回の選挙の争点だ。【押谷盛利】

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2012年11月19日

憎しみと報復の果ては…(見聞録)

 1948年のイスラエルの建国以来、中東戦争を経て幾度と無く続く、ユダヤ教徒とイスラム教徒との対立。終わり無き報復の連鎖は、住宅街に爆弾やロケット弾を降らせ、軍人も民間人も、大人も子どもも、男も女も、区別されることなく殺されている。
 今、イスラエルとパレスチナ自治区ガザの間の紛争が再び大規模化の気配を見せている。ガザ地区を支配するイスラム原理主義組織ハマスによるイスラエル国内への無差別ロケット弾攻撃に対抗して、イスラエル軍は空爆や海上からの艦艇砲撃で報復。近く、イスラエル軍はガザ地区への地上作戦に乗り出すとみられる。
 ガザ地区は3度の中東戦争で住む場所を奪われたパレスチナ難民とその子孫が暮らし、約150万人が長浜市の面積の7割弱、360平方㌔㍍にひしめく。地区内には8カ所の難民キャンプがあり、世界最高の人口密度と言われる。地区は壁に囲まれ、空や海はイスラエルの支配下に置かれている。電気、ガス、水道などのライフランもイスラエルの管理下で、生殺与奪権を敵に握られている形だ。失業率は7割、8割にのぼり、国際支援がなければ立ち行かない状態。住民のイスラエルに対する憎悪は記すまでもなく、テロを含めた武装闘争路線をとるハマスが支持を集める要因ともなっている。
 さて、たび重なるイスラエルとパレスチナの衝突は、エジプトなど周辺国の仲介で沈静化してきた経緯がある。しかし、そのエジプトは2011年の革命で独裁者ムバラクが権力の座から引きずり下ろされ、後の選挙でイスラム原理主義組織のムスリム同胞団の影響力が高まった。
 最近ではエジプトのイスラム教指導者が、世界遺産で同国の貴重な観光資源となっているピラミッドとスフィンクスを破壊すべきとテレビ番組で公言し、世界を驚かせた。イスラム教では偶像崇拝を禁じており、指導者は「崇拝されている、あるいは崇拝されている疑いのある偶像、地球上で1人でも崇拝者がいる偶像は、破壊する必要がある」と繰り返した。この指導者はフガニスタン・タリバン政権によるバーミヤンの大仏破壊に加わったとも公言している。
 また、中東のイスラム教国などで組織するアラブ連盟(22カ国・機構)が今回のイスラエルの攻撃を「侵略」と非難し、近く代表団をガザ入りさせるなど、過去に例がないほどガザ支援に積極的だ。2011年の中東で発生した数々の革命で、イスラム教回帰の気運が高まったことが遠因だ。
 今回のイスラエルとハマスの衝突に対し、エジプトや連盟が果たして仲介役となりうるのか。ハマス寄りであればあるほど、孤立したイスラエルが暴発しかねず、双方の衝突の泥沼化に加え、イラン、シリア、レバノンなどの反イスラエル勢を巻き込んでの第4次中東戦争への引き金ともなりうる。
 中東の混乱が世界にどういう影響を与えるのかは記すまでもないが、宗教や領土をめぐる対立が戦争に発展すれば、軍人だけでなく、家族や隣人が殺されるという現実は、イスラエルとガザが世界に教えている。
 日本はこの60年余り、戦争のない平和を謳歌しているからこそ、世界の戦争の現実を見つめたい。

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2012年11月17日

既成政治か維新政治か

 衆議院は16日遂に解散した。政権党の民主党にとっては通夜のような浮かぬ解散だったが、それでもみんなと歩調を合わせてバンザイを絶唱した。
 これで、代議士先生からただの人となったわけだが、再び赤いジュータンを踏める人と口惜し涙に暮れる人の格差は大きい。
 正直言って、この解散は遅すぎ。なぜ、ぼくが遅いというのか。
 解散とは民意を国民に聞く、大事な、民主主義の儀式なのだ。解散の必要が叫ばれたのは、3年前に国民が期待した民主党とその後の民主党政権との違いがひどすぎたからで、言わば国民にウソをついてできた政権をいまも支持するのか、どうかを知ることが政治の要諦である。
 ウソをついて奪った政権はウソがばれるや国民の不信と反発を買う。信なき政治は立たず、とぼくはことあるごとに言ってきた。
 日本の政治は国会議員が国民の声を代表して国民の代わりに執行するシステムだから、国会の議決による政府が国民の信を失っては、国民本位の政治をすることができない。国民の不信感を募らせて、権力欲だけで、私利私欲の政党と見られては、円滑な国政は破綻する。破綻しては遅いから、早いうちに国民に信を問い、国民の期待する政党に政権を委ねるというのが、民主主義のイロハである。
 国政は民主党の3カ年の政治で、ガタガタになり、その政権が一日続けば一日日本は不幸になる。そんな状況が日増しに強くなっていたから、解散を望むのは時の声、天の声でもあった。
 さて、いよいよ、12月4日公示、16日総選挙。師走の多忙な時期、日本国中選挙の真っ直中、景気の刺激どころか、忘年会や歳末売り出し、イベントなどにマイナス効果になるのではないか、とその遅れが非難されているくらいである。
 今回の総選挙の最大の特徴は戦後初の日本の政治の根底に触れる大戦であることだ。
 これまでの既成政党は、過去の政治様式、政治伝統、政治制度を追認のまま、小手先の改革、改良を争ったが、今回は「日本維新」の出現によって、政治のあり姿を根本的に変革するというテーマが選択肢に登場したことである。
 これは、石原慎太郎前東京都知事の訴えた官僚国家打破と維新の会・代表の橋下徹大阪市長のいう地方主権政治の合体であり、国民の盛り上がる声が既成の政党への手厳しい批判となるからである。
 これをマスメディアは、既成政党対第3極の争いとうが、ぼくは旧勢力対新勢力の戦であるといいたい。
 いま最も関心と興味を呼ぶのは、石原新党の太陽の党と橋下新党の日本維新の合体である。それは、明治維新の前夜の長州と薩摩の木戸孝充と西郷隆盛の両巨頭の協議と相似している。
 国家国民のため小異を捨てて大局に生きようとする愛国の至情というべきで、石原は面子を捨てて橋下の軍門に屈した。橋下は相手の腹の大きさに呑まれて、石原を合併後の総大将、党首に据え、自らは副代表にへり下った。
 東西の新勢力の合併の意味は大きい。日本の明日の命運はその双肩にかかっている。「維新」が勝つか、負けるか。【押谷盛利】

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2012年11月16日

土曜授業の復活(見聞録)

 学校週5日制は終わりを迎えるのだろうか。東京都内の多くの学校が土曜授業を行う中、大阪市もあす17日から5小学校で土曜授業を試行する。来年度には全小中学校429校で本格実施を目指す。
 土曜授業は1990年代から段階的に廃止され、2002年に完全週5日制となった。当時、文科省はその意義を「学校、家庭、地域社会の役割を明確にし、それぞれが協力して豊かな社会体験や自然体験などの様々な活動の機会を子どもたちに提供し、自ら学び自ら考える力や豊かな人間性などの『生きる力』をはぐくむ」としていたが、地域や家庭の教育力が高まっているようには思えない。長浜市内では「土曜学び座」と銘打った体験学習が公民館単位で行われているが、参加する小学生は限られている。
 週5日制は授業時間の縮減をセットに「ゆとり教育」の象徴として扱われ、今の20代が「ゆとり世代」などと揶揄されることになった。学力向上の観点から、週5日制の見直しが国でも議論されたが、今のところ見直される気配はない。
 そこで東京都教育委が2010年、小中学校の土曜授業をスタートさせた。都教委によると今年度、年6回以上の土曜授業を実施する学校は小中学校の4割以上にのぼり、2010年に比べ4倍に増加している。埼玉や福岡など一部の自治体にも広がりを見せている。
 そして、あす17日からの大阪市教委である。東京も大阪も石原慎太郎都知事(当時)、橋下徹市長という豪腕の首長がいてこそ、実現したのだろう。
 長浜市教委は土曜授業を検討していないが、各学校の裁量に任せ、一部の学校が土曜に授業参観を行ったりしている。もちろん月曜を振替休日にすることなく。
 そもそも、週5日制は教育上の建前もさることながら、教員の労働問題が背景にある。もともと学校教育は週6日制だったが、労働問題に敏感な欧米先進国が日本に公務員の週40時間労働と完全週休2日制の実施を迫ったわけだ。
 もし、土曜授業を正式に再開するとなれば教員の労働問題が浮上するが、東京都や大阪市を先進事例とし、夏季休業期間中に教員の休暇をとるなど柔軟な対応を求めるしかないだろう。
 週5日制が日本の子ども達の教育にどういう功罪をもたらしたのか、文科省の総括を知りたいところだが、一度、滋賀県教委や各市町教委も5日制のプラス面、マイナス面を洗い出し、場合によっては土曜授業の復活を検討してはどうだろうか。

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2012年11月15日

老婦人の嘆きと今後の村

 電気も電話も自転車もなかった昔の百姓。100年前の昭和の初めは靴も下駄も洋服もなかった、といえば、ウソッ、と端から信じない人もあるだろう。
 しかし、鉄道は通っていたし、都会では電話もあり、洋服姿で人力車や馬車に乗る人もあった。
 明治以降、身分社会はなくなったとはいえ、金持ちと貧乏人の格差はひどかった。所得税のかからぬ貧乏人は選挙権も与えられていなかった。貧乏人の子は、小学校へもやらせてもらえなかった。女性はもちろん、一人前の男でも手紙が書けずに、他人に代筆を頼むことも珍しくなかった。
 こんな嘘のような話をなぜ書くかといえば、日本人の多くは、このような祖先のご苦労、血と汗の歴史の上に立っている、ということを知って欲しいからだ。
 最近80歳を超えた女性から農村の嫁の苦しい体験話の便りを頂いた。
 湖北で生まれ、湖北に嫁いだAさんは「私は古い人間ですが、一人で生きられれば、独身をいいことと思うし、失敗したらやり直す離婚も悪いこととは思いません」と前書きして、農家の主婦の大変な人生について訴えている。
 上の学校へも行けず、無学のまま、ただ働くだけの一生だった。両親や祖父母の法事を長い間、毎年勤め、その大変さは一カ月がかり。
 先ず、広い家、屋敷の掃除。他所からと在所から多くの身内や親族を招くので、落ち度のないよう墓や仏壇の掃除、仏具みがき、おけそくつき。当日のご馳走づくり、客人の泊まりの用意。たくさんの膳、茶碗類の準備。その他、冠婚葬祭はすべてどの家でも自宅が会場なので、主婦の犠牲はひと通りではない。こんな嫁の苦労を男性は知らない。
 そんなころを思うと、今は何とよき時代。葬式は葬儀会館、法事の料理は家でならパック。外ですることもあり。おめでたなども家ですることがなくなり、子供は幼いころから保育園、幼稚園。若いものは共働き。休みはあちこちのイベント回り。
 私どもは膝や腰の痛みを我慢して、ただ明けても暮れても働くばかり。家の奴隷とは言いたくありませんが、百姓の嫁の辛さ厳しさは娘や孫にさせたくはありません…。
 以上のような内容の手紙だが、いま、田舎から若いものが出て行くのは、そうした家庭事情も含めて、農山村の古い伝統や習慣も一因となっているのかも知れない。
 ぼくが、先に書いた城のような大きな立派な家が老人の2人住まいであったり、あるいは空き家になったり、集落に子どもの姿を見なくなり、淋しい話になってゆくが、この傾向にどう対処してゆけばよいのか。読者の意見を聞かせてほしい。【押谷盛利】

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2012年11月14日

政治の変革は国民しだい(見聞録)

 解散総選挙はいつ行われるのか?年内解散の意向を示す野田佳彦首相に対し、身内の民主党議員からは猛反発が起きている。橋下徹大阪市長の日本維新の会や石原慎太郎前都知事がきのう13日結成した太陽の党などは準備不足が否めず、年内の解散・総選挙は、自民党を利するだけとの見方もある。
 いずれにせよ、遅くとも任期満了の来夏までには総選挙が行われ、我々国民は日本の政治をどの政党に託すのか、重大な選択を迫られる。少子化による国力の衰退、高齢者人口の増加に伴う福祉費の肥大化、世界経済の停滞と円高で苦境に立つ日本産業、拡大する中国の覇権主義、震災復興予算の流用に見られる無秩序で放漫な財政運営、エネルギー政策の行方など、日本の政治の課題は山積みだ。いずれも20年、30年後を見据えた戦略的な手を打たなければならないが、今の政治は党利党略の駆け引きと場当たり的対応が目に余る。
 さて、来る総選挙では国民は何を基準に政党を選択すればよいのか。国民との約束をうたったマニフェストが何の役にも立たないことは、民主党が証明してくれた。
 例えば、先のアメリカ大統領選挙は、政策というよりイデオロギーの対決だった。貧富の格差拡大の一因になっている「市場主義」をどう扱うのかという点だった。バラク・オバマは規制強化で国の関与を増やし、ミット・ロムニーは規制緩和と自由主義路線を訴えた。政府の市場への影響力を高めるのか、低めるのか、「大きな政府」のオバマと、「小さな政府」のロムニーの二者択一だった。
 では、日本の総選挙はどうか。政党のおおまかな選択肢は民主、自民、公明、共産などの既存政党と、維新、みんな、太陽の第3極陣営に分けられるが、あえてイデオロギーを設けるとすれば、既存の政治システムを継承するのか、第3極による大胆な政治改革に挑むのか、という点に尽きる。前者はこれまで通りの政治が続くし、後者の場合は今の政治と決別し、良くも悪くも変革を望むものだ。
 もちろん、各政党の政策を一つ一つ吟味するのも一つの手法だが、どの政党が今の日本が抱える諸課題に切り込み、将来の日本に責任を持てるのか、国民に大局的見地が求められる選挙となる。
 ただし、問題なのは日本国民にどこまで当事者意識があるかだ。これは海外のマスコミ関係者も指摘するところだが、日本人は政治を政治家のものと認識し、政治が国民のためにあるとの当事者意識が欠けている。選挙の投票率の低さがそれを物語っているが、国民が投票行動で民意を示さない限り、この国は変われないし、国民が政治への関心を高めなければ、党利党略に明け暮れる無責任な政治が続く。

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2012年11月13日

昔の日本人はえらかった

 日本人は、どえらい民族である、と、ときどき感心する。
 貧乏のどん底にあっても礼節を忘れず、人のものに手をつけず、神仏や祖先を大切にし、仕事に励んで、人生を前向きに生きてきた。昔の日本人は貧乏だったというが、昔というのは日本が戦争に負けた昭和20年(1945)以前の日本である。
 貴族、武士、百姓の身分社会の江戸期以前はもちろんのこと、明治維新後の近代国家になっても戦前までの日本人の生活は貧困そのものだった。今と比べると、王侯貴族と奴隷の違いほどの格差で、一口でいえば想像もできない野蛮な生活だった。
 貧乏は自慢することではなく、恥ずかしいことだが、ぼくが感心するのは、そんな貧しい野蛮な日本人が世界の文明国から称賛されるような優れた文化を生み、文化財を残し、規律ある誇らしき統一国家を維持発展させてきたことであり、その歴史と伝統が今に及んでいることである。
 このごろの分譲地や新開地を見れば分かるが、最近の文化住宅はカラフルで、格好良く、あらゆる点で住環境満点の設計である。なかには築25年の耐用年数などとひやかす向きもあるが、一歩目を転じて農村地域の伝統住宅を見るがよい。
 敷地600平方㍍、建坪200〜300平方㍍もある堂々たる城のような母屋と白壁の土蔵がそびえ立っている。集落を見渡すと、どの家も規模、格式を競うごとく高い屋根瓦がひしめいている。その集落にはたいてい寺が1カ寺か2カ寺、多いところは3カ寺もあり、いずれも本堂は突出して大きく高く、大屋根の反りはさながら城か御殿のようで、本堂内部の天井、内陣、その他の彫刻、塗り、金飾りなどの結構な美はそれ自体が一つの典型的な美術の集積である。長い年月で、焼けたところもあろうが、多くは築200年以上の歴史を持つ名刹である。
 貧乏のどん底にありながら、昔の百姓は高い年貢をお上に支払い、営々とした営みのなかで、自分の豪壮な住宅を建設したばかりか、今のカネで何10億円とも知れぬ立派な寺院を門徒総ぐるみで建設、維持してきた。
 そればかりでなく、氏神を建て、祭事を執行し、村の中の川や道を普請してきた。百姓といっても反当収入は今のように生産性が高くないし、水不足やあるいは洪水、病害中などで、凶作に泣くこともあったろう。薪炭、養蚕以外の他に産業らしいものもなく、食うや食わずの人間以下の最低の暮らしを強いられながら村への出金や寺院の建設費の償還など骨身を削っての暮らしだったにちがいない。
 もちろん、生きている以上、家族の病気もあれば、隣りや親類間の慶弔などの交際費もバカにならないはず。収入の貧しさに比べて支出の多さは、いやが応でも借金生活を余儀なくされているはず。
 それなのに、昔の人はドロボーすることなく、詐欺することなく、ひたすらこつこつと正直に夜を日についで働き続けた。その厳しい暮らしの中にあって、祭りやその他の安息の日にくつろぎ、趣味の踊りや芝居、書画、俳諧などの文化生活にも力を入れてきた。
 電気のない時代、自転車のない時代、靴のない時代、医者のいない時代のことである。それは決して遠い昔のことではない。昭和の初めの農村ではそれが普通の暮らしだった。もちろん、学校へゆけない子もあった。そんなことを考えると父母や祖父母のご苦労に涙があふれてくるではないか。【押谷盛利】

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2012年11月12日

親同士のお見合い(見聞録)

 「素直で穏やか」「(タバコは)吸わない」「(最終学歴は)大学卒」「(続柄は)長男」—。中高年の男女が、男性51人、女性34人のデータをまとめた名簿に目を落としながら、活発にテーブルを回って息子・娘のお見合い相手を探している。「良縁親の会」(京都市)が9日、北ビワコホテルグラツィエで開いた交歓会は予想以上の熱気に満ちていた。
 良縁親の会は2005年から親同士がお見合い相手を探す交歓会を全国で開き、これまでに約1万人が参加。結婚しても一切の報告義務や成婚料などの追加費用はなく、あくまでお見合い相手を探す場を提供しているだけだ。
 さて、この日の交歓会。出席者は母親が多いが、父親や夫婦の姿も目立つ。30、40代の子どもを持つ親が中心だが、中には50歳を超える子をかかえる親もいた。
 交歓会を前に名前や詳細な住所など個人を特定できる情報を伏せた名簿が出席者に渡されており、各家庭で親子がアタックする異性を吟味済み。当日は娘の親、息子の親の順番に、目星をつけた相手の親に写真入りの身上書や連絡先の交換を持ちかける。
 行列ができ用意した身上書が足りずに急きょコピーをとる親もいれば、引き合いがない親もいて、プロフィールだけで早くも出会いの格差が生まれていた。
 30代後半の息子を持つ母親は「今まで異性と付き合ったことがない。でなければ、親がこんなに苦労することはない」と語り、公務員の息子の母親は「公務員が人気というが、今の部署は仕事が忙しくて、女性との出会いもない」と話す。
 20代後半の息子の母親は「息子は独身の同僚と遊び、彼女を作る気配がない。今から動き出さないと結婚できないのでは」と早くも危機感を募らせている。また、何度も交歓会に参加している40代の娘の母親は「跡取りを希望しているので、なかなかご縁に出会えない。娘は活発でいい子なのですが」とため息をつく。
 主催者は「身上書は履歴書にすぎない。実際に会って話をすることで魅力が分かる」と語るが、プロフィールや写真だけで判断し、お見合いに進まないケースもある。
 交歓会を見学して印象に残ったのは、相手の親に何度も頭を下げながら、息子・娘をアピールし、身上書の交換を請う姿だった。取材中、小生に対しても「独身の友達はいない?」「誰か知り合いにお見合いできる人はいない?」と声をかけその必死さが伝わってくる。「出会いがない」と開き直っている子どもに見せたい姿だった。
 結婚相手を自力で探せない独身男女は、今も昔も変わらないが、昔は近所の世話焼きおばさんや親族の紹介でお見合いし、結婚へこぎ着けた。背景には「結婚しない」という選択肢が社会的に認められていなかった。特に男性は「結婚できて一人前」という見方があった。
 今は、「結婚しない」という選択肢が公然化し、独身でいることに世間の風当たりは強くはない。
 晩婚化、未婚化が少子化を誘発し、日本の将来の国力を衰退させることは明らかで、識者も指摘するところである。
 しかし、問題は当事者がどう考えているかだ。独身のまま一生を送るのか、結婚して家庭を持つのか。将来を具体的にイメージしないまま、今の生活を刹那的に謳歌しているとしたら、親の苦労も台無しだ。

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2012年11月09日

いつもらえるの?診断書(見聞録)

 病院の診察というのは待たされるのが相場となっている。たとえ予約を取っていても、時間どおりに診てもらえる可能性は低い。患者の状況によって診察時間が長引いたりすることもあるからだ。特に地方の総合病院では医師不足も手伝って、待たされることが多い。
 厚生労働省の「受療行動調査」(2011年)によると患者の4人に1人が診察待ち時間に不満を抱いており、いかにして待ち時間を解消するかが病院の課題となっている。
 先日、市内の男性から電話を頂いた。B型肝炎の患者で、国への損害賠償請求訴訟に必要な「医療照会書」(診断書)を市立長浜病院に頼んだが、1カ月以上が経過しても発行してもらえず、「こんな対応でいいのか」との不満の声。
 病院事務局長に確認を取ったところ、9月24日に男性から医療照会書の請求を受け、「おおむね2週間」で発行できるとしていたが、男性の主治医が週1回の非常勤だったため、照会書の作成が遅れたという。10月24日、「1カ月も経てばできているだろう」と病院を訪れた男性は照会書ができていないことに不満を覚え、事務職員に抗議。そのやり取りの中で、職員はあろうことか照会書の請求をキャンセルしてしまった。結局、男性は照会書を発行してもらえず、現在、別の病院でもらうことを検討している。
 事務局長は「医師不足の中、先生方は大変多忙で、なかなか照会書を書いて頂けなかった」と説明し、照会書のキャンセルについては「患者さんの意思を確認しないまま、職員がキャンセルと判断してしまった」と落ち度を認めている。
 職員が何をどう勘違いして一方的に照会書をキャンセルしたのか、「意思の疎通がうまく図れなかった」と事務局長は説明するが、果たして職員がこの照会書の重要性を認識していたのか疑問だし、何より「おおむね2週間」としながら1カ月も待たせ、電話の一本もないというのは不親切ではなかろうか。
 市立長浜病院の医師、看護師の多忙さは今さら記すまでもなく、大変なご苦労とは十分に承知している。診断書や照会書の作成が遅れるのは物理的に止むを得ないかもしれない。ただ、待たされる患者を思うとき、何らかの善後策を練る必要があるのではないか。
 湖北地域の住民とって大切な財産である市立長浜病院に評判を落として欲しくないがゆえの一筆啓上、件の如し。

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2012年11月08日

女性は弱し、されど母は強し

 作家の雨宮かりんさんが、7日付毎日の「異論反論」で、男女格差に触れている。そのなかに、10月24日、スイスのシンクタンク「世界経済フォーラム」の発表した日本の男女格差のひどさを紹介している。
 調査対象135カ国中、日本は101位で、先進諸国の中で最低の評価という。議員や企業幹部に女性が少なく、教育レベルの高さにも拘わらず労働市場でうまく活用されていないことなどがその理由。
 女性蔑視の風俗や習慣など日本の男社会については6日付の時評でも取り上げたが、その末尾に「日本の繁栄の陰には女性の献身的犠牲があった」と書いた。
 ぼくは子供のころから「女は弱し、されど母は強し」と聞かされてきた。その弱い女が戦後「靴下と女は強くなった」と言われるようになったのは、選挙権もさることながら男女共学、男女同権などの世相の変化によるものだが、政府が一貫して女性の社会進出を囃しつつも、国際的に見れば恥ずかしい程その地位は低い。
 しかし、日新月歩というか、日本の女性は「やまとなでしこ」のゆかしさを秘めつつも男性優位の社会にくさびを打ちつつある。
 問題は日本社会に風土化してきた女性差別の根本治療の処方箋である。この恥ずかしい風土は歴史的負の遺産であるから、法律や制度で旦夕に変えられるものではない。
 男女格差をなくするためには習慣やこれまでの社会常識の変革が伴わねばならぬが、先ず一番の要は女性の就職と所得の向上である。貧困の解消といってもいいが、これまでは、女性は結婚して親を安心させるのを孝の始まりの如く考えられてきた。それは男性の持つ財産や所得によって、家事をきりもりし、子育てするのが幸せな女性のあり方とされてきた。
 いまは未婚の女性も多くなったし、女性の自立指向が強くなった。それに伴うのは所得である。一人前以上に暮らせる物質的豊かさが必須条件だが、まだまだ、日本では賃金の男女格差がなくならない。他方では、男性自身の稼ぎの低さも手伝って共稼ぎ家庭が多くなったが、補助的収入の側面もあって、欧米のような割り切った個人主義的家庭にほど遠い。
 最近は先祖供養、結婚、葬儀、仏事、墓参、親類つきあいなど、かつての家族制度時代の風習や伝統が徐々に改廃されているが、それでも古くからの村々の習慣は村の維持管理とも関連し、竹を割ったように現代風に切り換えることは難しい。そこに内在する家の嫁としての位置が目に見えない形でまぼろしの如く、女性自身の独立を阻む要因となり、知らず知らずの女性差別につながってゆく。
 また少子高齢化社会は、ますます女性の負担を重くする。
 真の女性解放は、社会福祉制度の根本的見直しと充実した対策によらねばならぬが、もし女性が結婚を拒み、子育てを否定するような社会がくれば、日本の前途は暗闇であるが、そうした心配は早や現実のものとなってきた。【押谷盛利】

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2012年11月07日

なぜ減った?外遊び(見聞録)

 6日付滋賀夕刊で紹介した「賤ヶ岳冒険遊び場の会」。子ども達の外遊びを応援する団体は、全国で次々と設立されている。
 「もしも、今の子どもたちが十分に遊べていないとするならば、25年後、50年後の日本は健やかで安心して暮らせる社会となっているでしょうか。今の子どもたちが大人になったときに、安心して社会の牽引役を託することができるでしょうか」—。これは日本冒険遊び場づくり協会の提言の一文だ。
 同協会は元気のない子どもの増加、自信を失い孤立した親の増加を問題視し、子どもを外で遊ばせることで「自ら育つ力」を引き出し、地域で元気な子どもを育てようと訴えている。
 さて、今の子ども達はどれほど外で遊ばないのだろうか。厚生労働省が5年ごとに行っている全国家庭児童調査では、子どものインドア傾向を浮き彫りにしている。
 小学5年生から18歳未満を対象に実施した2009年の調査によると、普段の遊び場は「友達の家」(63・9%)、「自宅」(48・5%)、「公園」(31・8%)、「商店街やデパート」(25・5%)、「ゲームセンター」(19・5%)、「本屋やCD・DVD店」(19・4%)という順番だった(以上は複数回答)。
 また、1日にテレビやDVDを見る時間は1〜2時間が28・8%、2〜3時間が26・0%、3時間以上が25・8%で、テレビ漬けの子どもが少なくない。
 テレビゲームやパソコンに費やす時間は半数が1時間未満だが、1〜2時間が21・9%、2〜3時間が11・9%で、3時間以上も8・7%いる。
 これだけではない。携帯電話の使用は1〜2時間が9・8%、2時間以上が16・7%を占める。
 人生の中で最も心身が成長するこの大切な時期に、テレビやゲーム、携帯電話とにらめっこばかりしていて、健康に育つのだろうか、と心配させられる数値だ。
 今の子ども達がインドア派なのはゲームやパソコン以外にも原因があるとされる。親である子育て世代は30代が主流だが、彼ら彼女らはオイルショック前後に生まれた。日本が高度経済成長を謳歌する中、両親の共働きで「カギっ子」なる言葉が登場した頃だった。そのため、外で遊ぶ機会が少なかったうえ、ファミコンブームで室内で遊ぶことが増えた。そんな外遊びの経験が少ない彼ら彼女らが今、子を持つ親となり、子どもの外遊びをリードできていないという側面もある。
 他にも少子化による友達の減少、塾通い、未成年を狙った犯罪など、子どもを取り巻く環境の悪化もある。そこで外遊びを応援する「冒険遊び場」に期待が寄せられているわけだ。
 都心は遊べる場所が限られ、インドア傾向になるのは止むを得ない。しかし、湖北地域は自然に恵まれ、子どもが遊びを通して生きる力を学ぶ空間があちこちにある。これを生かさないのはもったいない。
 なお、冒険遊び場の魅力は「ながはま冒険あそび場」のホームページ(http://ja-jp.facebook.com/nagahama.asobiba)で確認できる。

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2012年11月06日

女性蔑視の風俗、習慣と日本

 5日付の見聞録にインドやパキスタン、アフリカなどの女性たちの不幸な生活習慣が紹介されている。
 未婚の女性のケータイ禁止、親の決めた男との結婚を拒めば殺される。15歳の少女が男性との交際をとがめられ、両親に酸をかけられ死亡。女子に欧米の教育を受けさせない。幼い女性の割礼など、欧米や日本など普通の国では考えられぬ宗教的、社会的、歴史的女性差別がおぞましい。
 昔の中国や朝鮮では後宮(日本の江戸期の大奥)に仕える男性役人の性機能を奪う宦官制度があった。分かりやすくいえばキン抜きである。
 日本は神道と仏教の穏やかな宗教下にあり、また論語などによる人間の歩むべき倫理が教えられて、ことさら女性の人権を傷つけることはなかった。
 それでも明治になるまでは女性の地位は低かった。教育を受けることや結婚の自由はあったが、貧困のため家庭の犠牲となって娘が売られることもあった。女性が選挙権を与えられて一人前に政治発言できるようになったのは敗戦による戦後民主主義のおかげである。
 大正末期の普選(普通選挙法)の改正で、所得に関係なく貧乏人にも選挙権を与えられたが、それも男性のみであった。明治までは男性の絶対的優位社会で、たとえば、妻が浮気すれば、夫は殺しても罪にはならなかった。女性蔑視のことわざもある。「女子と小人は養い難し」、「メンドリが歌えば家亡ぶ」、「女三界に家なし」、「女房と畳は新しいほどよい」、「女賢しくて牛売り損なう」、「女と牛馬は叩いて使え」などがこれである。
 しかし、日本の歴史を回顧すると、天照大神や神功皇后の治績に知られるように、創生期の日本を支配する実力派賢女ともいうべき政治・軍事のリーダーが光る。大化の改新のあとの奈良時代の女帝で光るのは聖武天皇の皇女・孝謙天皇で、後に重祚して、称徳天皇となり、道鏡との熱烈恋愛は有名。
 女権で卓越しているのは頼朝没後、北条幕府を開いた北条政子であろう。北条時政の娘で、伊豆の流人であった源頼朝と、父の反対を押し切って結婚。頼朝の死後、その子・頼家、実朝を廃して、幕府の実権を握り、事実上の北条幕府を実現した。
 室町幕府の時代には銀閣寺創建の足利義政の妻・日野富子が圧巻である。ダンナの遊行を尻目に幕府を仕切り、散財のあげく、息子の相続争いで、応仁の乱を興すなど、ただのしろものではない。
 女傑でいえば、秀吉の恋女房・淀君を落とせない。三成を重用して、家康と戦い、大阪城を枕に秀頼とともに消えたが、その妹・江は秀忠の嫁となり、浅井の血を皇室にまで及ぼした。
 こうした歴史的背景を見る限り、日本は決して男性独善の身分社会ではなかった。ただし、日本の繁栄の陰には女性の献身的犠牲があった。【押谷盛利】

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2012年11月05日

「当たり前」でない自由(見聞録)

 今や多くの現代人の必須アイテムとなっている携帯電話。もし、使用を禁じられたら、さぞ困ることだろう。
 インド西部ラジャスタン州の村で先月末、未婚女性の携帯電話の使用が禁じられたと、インド最大の通信社「PTI通信」が伝えた。カーストの違う男女が駆け落ちしたのをきっかけに、「女性がみだりに男性と連絡を取るのは良くない」との村の自治組織の判断だという。女性だけに携帯電話の使用を禁じる点が男尊女卑のインドらしい。
 カーストは職業を基にした身分制度で、地域によってはカーストの異なる男女の結婚は許されず、女性は親の決めた相手と結婚する習慣が根強く残っている。親の決めた相手との結婚を拒んだ場合は、一家の名誉を守るため女性を殺してしまうこともある。
 これは「名誉殺人」と呼ばれ、女性の生きる権利さえ無視した恐ろしい風習だ。パキスタン北東部カシミール地方では15歳の少女が男性との交際をとがめられ、両親に酸をかけられて死亡する事件も最近伝えられている。
 イスラム教原理主義者の間でも女性蔑視の風潮が根強い。アフガニスタンでは、インターネット上に女子教育の必要性などを主張していたマララ・ユスフザイさん(15)が先月、タリバン勢力に銃撃を受けた。タリバン勢力は学校に通う女子を襲撃すると公言し、国際社会から非難を浴びている。
 また、パキスタンでは大学生を乗せたワゴン車が武装グループに襲われ、女子学生2人が顔に酸をかけられて重傷を負った。これもパキスタン・タリバン運動の犯行だ。武装勢力は「この地域の女子が欧米の教育を受けることは絶対に許さない」「大学へ行こうとする女子を見つけたら同じように処分し、人前に顔を見せられないようにする」と、CNNの取材に答えている。
 これら女性蔑視の風習は宗教だけでなく、国や地域性によるところも大きい。例えば、厳格なイスラム教国のサウジアラビアの女性は全身を黒い布をすっぽり覆うことを義務付けられ、自動車の運転は禁じられている。一方、同じイスラム教徒の国でもトルコの女性はファッションを自由に楽しみ、社会進出も目覚しい。政治の重要ポストにも女性が進出している。もっとも同国のイスラム原理主義者は女性の社会進出を反イスラム的と見る。
 他にもアフリカでは女子の割礼など、我々の価値観と大きくかけ離れた習慣が残り、女性の立場は弱いままだ。
 もちろん日本は教育、結婚、就職、そして服装と、あらゆる自由が保障され、これを当たり前と認識しているが、世界には不自由な国がたくさんあることを知っておきたい。

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2012年11月02日

2012年のヒット商品(見聞録)

 ①東京スカイツリー②LINE③LCC④マルちゃん正麺⑤フィットカットカーブ。これは月刊情報誌「日経トレンディ」が1日発表した2012年のヒット商品のランキングだが、皆さんはいくつ知っているだろうか。
 1位の「東京スカイツリー」は5月に開業。高さ634㍍は鉄塔としては世界1だが、建造物としてはブルジュ・ハリーファ(アラブ首長国連邦・ドバイ)の828㍍に次ぐ世界第2位。新名所の完成にともなって周辺の「スカイツリータウン」にはオープンから約4カ月で2100万人が訪れたというから驚きだ。関西発のツアーも人気で、東京観光はスカイツリーのおかげでバブルとなっている。
 2位の「LINE」はインターネットを利用し無料で通話やメール、チャット(文字によるおしゃべり)ができるスマートフォンの機能。通話料がかからないというのが魅力で、若者を中心に利用が広まっている。
 3位の「LCC」は「ローコスト・キャリア」の頭文字で、格安航空会社を指す。ピーチ、ジェットスター、エアアジアなどが国内で運航を開始し、先週木曜(10月28日)には関西国際空港にLCC専用のターミナルも登場した。
 4位の「マルちゃん正麺」(東洋水産)は今人気のインスタントラーメン。打ち立ての生麺のようなコシのある食感が特徴で、「サッポロ一番」(サンヨー食品)、「チキンラーメン」(日清食品)などの人気ブランドが強いインスタントラーメン市場に食い込んだ。
 5位のフィットカットカーブは切れ味の軽さが特徴の家庭用ハサミ。刃が緩やかなカーブを描いていることで、切断に最適な刃の開き角度30度を常に保っている。刃の根元で切ろうが、刃先で切ろうが力の入れ具合、切れ味が変わらない優れものだ。
 以上が今年のヒット商品の紹介だが、この中で最も注目されるのはフィットカットカーブではないだろうか。古代ギリシャ時代から存在したとされるハサミは、てこの原理を応用して物を切断する身近な文房具だが、単純な構造ゆえに劇的な変化や進化を遂げなかった。しかし、この新しいハサミは流体力学を取り入れて刃をカーブさせることで「切れ味3倍」を実現。牛乳パックや厚紙などの切断に苦労していた主婦から支持を集めること間違いなしであり、今後のハサミの主流となりえるだろう。

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2012年11月01日

「うつ」について考える

 ぼくは、つねづね、病める日本人について、警告し、ぼく流の持論を展開してきたが、日本人の健康に対する不安はますますひどくなっているような気がする。
 便利で豊かな生活をしながら、精神的、肉体的にどこか欠陥を持つ、いわゆるクスリ漬けの生活をしている人が余りに多いのはなぜか。きょうは、このごろ社会問題化している「うつ病」について考えたい。
 うつは「鬱」と書くが難しい字でうっとうしい、憂鬱なる言葉に代表されるように、決して明るい、爽やかな感じではない。暗い、消極的、しめっぽい語感の漂うのが鬱(うつ)である。
 夜眠れない、夜中にトイレに起きて、その後の寝付きが悪い。仕事に集中できない。いつもいらいらと不安感にさいなまれる。なにか口にものを入れなくては淋しい。人から言われたことが気になって、それがいつまでも尾を引く。くしゃくしゃと落ちつかぬことが多い。自分が世間から孤立しているように思われて暗い気分になる。とかく引きこもりがちで、外へ出かけるより、家の中でテレビで過ごす時間が多い。パソコンやケータイにはまっていると、そこだけに生き甲斐を感じるようになる。何をしても面白くないし、積極的に何かに向かう気が起こらぬ。
 こんなふうな人が多くなったが、これらは「うつ」か、その予備軍であろう。生活レベルはどうか、と考えると、みんな中流以上か、そこそこの暮らしぶりで、戦前のような貧しい暮らしの人はいない。「うつ」もしくは、これに近い症状を持つ人は、精神的に健康でない証拠だが、その精神性は肉体の健康と不離一体感であり、医師からクスリをいくら提供されても肉体を健康にしなければ快癒しない。いわば霊肉一体の健康法を考えねばならない。
 いま、いわれている日本人の鬱病は、実は「ぜいたく病」なのである。どういうことか、というとお金はある、ものはある、時間はある。なにもかも充足しているのに、それで、なんで心を病むのか。
 実は、無いものが一つあるのだ。それは「貧しさ」といってもいい。「腹減り」といってもいい。「緊張感」といってもいい。これらが無いから、ぜいたく病とぼくが名づけるゆえんである。腹がペコペコに減っていれば、何を食ってもうまい。貧しければ、ちょっとした人の親切にも感動するし、着るもの、食うもの、自然のすべてに「有り難い」と感謝の心が湧き、「がんばろう」とする前向きの心が芽生える。
 いまは、何もかも充実し、便利で、肉体をこき使うことがないから、日々の生活に緊張感がない。
 動物たちは、その日、その日を生きるため食べものを求めて必死の生活をしている。敵から身を守ることも考える。生きるための緊張感の連続であるから、眠れぬなどのぜいたくは許されぬ。自殺は人間だけで、他の動物は自分で自分の命を絶つことはしない。
 いまの人間は汗を流すこと、肉体を疲労させることをしない。ろくでもないテレビを見て精神的不安になったり、夜更かしをするわ、いつもおなかは満腹。そして食べ物は汚染の加工食品。これでは体も心も病むしかない。【押谷盛利】

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