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2012年10月30日

人はスマートになれる?(見聞録)

 今、巷に「スマート」という言葉があふれている。日本語で言う「スマート」は、体型や物の形がすらりとして格好が良く、服装や着こなしが洗練されていることを指すが、英語では「賢い」「利口な」「機知に富んだ」などを意味する。
 「スマートフォン」は携帯電話の一種で、常時インターネットに接続していてパソコンに似た機能を持つ。液晶画面にタッチして操作するのが特徴だ。電話を意味する「フォン」と付くが、通話は数多くの機能の一つに過ぎない。これ1台で、インターネット、カメラ、音楽プレーヤー、テレビ、地図、住所録やスケジュール管理など何でもできる。
 小生も最近、諸事情によりスマートフォンへの買い替えを余儀なくされたが、使ってみるとなるほど便利で、これ1台あれば取材もできてしまう。
 「スマート家電」はインターネットと接続したり、スマートフォンと連動したりする家電製品を指し、他の家電とネットワークを組むことで、自動的にエネルギー消費を最適化する機能も持つ。
 「スマートハウス」は断熱工法を用いた住宅に、太陽光発電システムや燃料電池、エネルギー管理システムなどを装備したものを指す。ガスや電気といったエネルギーを極限まで効率的に生かし、エネルギー問題が注目される最近、各ハウスメーカーが開発に力を注いでいる。
 これら「スマート」な商品や技術は、すべてはインターネットなどの高度通信技術のたまものだ。我々の生活を便利に快適にしてくれるが、そのスマートな電話やら家電やら住宅やらを使う側の人間はスマートになれるのだろうか。
 コラムニストの天野祐吉さんは31日付朝日新聞で「消費を促す新しい手口でなく、人びとの暮らしのあり方や生活意識をスマートに変えていくものではなければ困る」「利口な商品やサービスが人びとを何も考えない愚かな消費者にするだけでは困るのだ」と指摘している。
 なるほどその通りで、多機能で便利ゆえに、人間が胡坐をかきはしまいか。例えばスマートフォン。いつでもどこでも難しい言葉の意味をインターネットで確認できるし、道に迷えば地図を表示できる。計算が必要なら電卓にもなる。その機能に甘えていると自分自身で何かを覚えたり、計算したり、という能力が衰え、スマートフォンがなければ、何もできない「空っぽ」な人間が出来上がるのではないか。
 そういう心配をするのは小生が思考の古いアナログ人間だからなのかもしれない。、少なくとも小生よりは利口なスマートフォンを、使いこなすにはまだまだ時間がかかりそう。

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石原新党と橋下維新論

 大阪市長・橋下徹代表の日本維新に対するマスメディアの悪口は、新聞、雑誌、テレビなどの報道姿勢の不信につながるのではないか、とぼくは確信している。そのことについて話を分かりやすく「マッチポンプ」の例で説明した。
 橋下でなければ夜も日も明けないように、持ち上げたのもマスメディア。そして手のひらを返すように、橋下はアカンと宣伝するのもマスメディア。
 正直な国民は空いた口が塞がらない思いで、きょとんとかたずをのんでいる。橋下人気をかき立てすぎて、ひょっとすると次の総選挙で第一党になるやもしれん。それほどでなくとも政権与党の一角に位置する勢力を得るだろう。こりゃ、大変だ。そんな事態になったら、みんな冷や飯だと、騒ぎ出したのが、ほかならぬ、民、自両大政党と共産や社民の左派政党であり、その背後にあるのは官僚の総本山の財務省と財界、そして公務員組合である。
 野田民主党内閣が自民党の協力で、消費税増税と社会保障の一体改革法をパスしたのは、裏面でその企画、演出を策定した財務省の底力による。
 去る21日、彦根市内で、みんなの党の江田幹事長が講演したが、その中で、この間の事情を実に分かりやすく説いた。
 今回の増税・福祉の一体改革は財務省の執心によるが、新聞各社も東京新聞を除いてはみんな賛成した。いまの政治体制を持続してゆくにはこれしかない。この増税のおこぼれで既成政党も財界も恩恵を受け、財務官僚の日本支配はゆるがない。多くの新聞も甘い汁を吸っているのかもしれない。ただ一紙、東京新聞は反対論を掲げたが、去る日、国税局の税務調査が入った、と意味深長な内輪ばなしを披露した。
 今回、石原慎太郎東京都知事が急遽辞任した。国家のため老骨を捧げる。いまの日本をダメにしている官僚支配を打破せねばならぬ、と、すさまじい辞任宣言で、石原新党の樹立を約束した。
 早速ながらマスメディアの評論がおもしろい。「いうだけ言うが、立ち枯れになるのではないか」、「第3極というが、政策の違いがあるから大阪維新と協調できるか」、「みんなの党とはうまくゆくまい」。
 日本の石原であり、政界への発信力のある石原であるからマスコミもそれ相当の話題性を提供したが、その集約ともいうべき石原批判は田中真紀子文科相の一語につきる。
 「暴走老人」なにができるか。実に卑劣な役人天国発想の老齢者侮辱である。
 石原都知事のこれまでの実績と高い見識は日本人の誇りですらあり、その発言は日本及び日本人のあるべき姿である。西に橋下維新あり、東に石原新党あり。そして、この第3極にみんなの党も加わる形成である。これを予想しての新聞、テレビなどのマッチポンプだった。
 財務省に火がつけば天下の一大事とばかり、ホースで水をぶっかけているが、賢明な国民は迷わされはすまい(敬称略)。【押谷盛利】

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2012年10月29日

補選の結果と第3極(見聞録)

 野田政権発足後初の国政選挙となった衆院鹿児島3区補欠選挙(28日)は、自民党元職で公明党推薦の宮路和明氏(71)=7万0694票=が国民新党新人で民主党が推薦した野間健氏(54)=6万5025票=らを破って7回目の当選を果たした。
 選挙は国民新党の松下忠洋前金融・郵政民営化担当相の死去に伴うもの。
 宮路氏は厚生労働副大臣を務めるなど元々知名度が高いうえ、自民は安倍晋三総裁、石破茂幹事長、小泉進次郎青年局長らを次々と送り込んだ。
 一方、敗れた野間氏は松下氏の秘書でこの選挙を「弔い合戦」と位置づけ、民主も安住淳幹事長代行や細野豪志政調会長ら有権者受けの良い執行部が選挙区入りした。
 総力戦の結果は自民が約5000票差で勝利を収めたが、与党に逆風が吹く中での辛勝は、有権者が自民の復活をさほど期待していない、と言えよう。
 投票率も56・60%で前回の衆院選の72・95%を大きく下回った。民主でもない自民でもない第3極の不在が有権者の投票意欲を削いだのではないか、と推測する。
 さて、その第3極。都知事を唐突に辞任した石原慎太郎氏は「立ち上がれ日本」を土台に新党の結成を打ち出し、橋下徹大阪市長率いる「日本維新の会」、渡辺善美氏の「みんなの党」との連携を模索している。
 この第3極連合が国民の期待を一心に担う改革政党として国政の場でどれほどの影響力を持つことになるのか。今、国民は、復興予算の流用に代表される政官癒着、国民無視のやりたい放題の今の政治を変えて欲しいと願い、第3極連合はその受け皿となる。しかし、憲法、国防、原発、外交、脱官僚などそれぞれの政策を第3極政党がどう刷り合わせるのか。安易な連携は「野合」とも見下されかねない。 
 さて、昨日の衆院補選の推移を民主、自民の与野党が血眼になって追う中、沖縄県尖閣諸島では中国当局の船が日本領海を侵犯した。尖閣諸島を中国の領土と主張しながら公然と侵犯する侵略的行為は、実は今年10回目となる。
 覇権主義をエスカレートさせ、周辺国と摩擦を生み出す不穏当な中国に対し、日本はどう臨むべきなのか。自民党そして民主党政権は何かにつけて及び腰だったが、毅然と対応できる政党が今の日本に求められる。

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2012年10月26日

エネルギー革命について(見聞録)

 「エネルギー革命」の著者で知られる東工大特命教授の柏木孝夫氏が25日、びわ湖環境ビジネスメッセの記念シンポジウムで講演し、将来のエネルギー展望を語った。
 福島第一原発事故に伴って原発一辺倒のエネルギー政策からの転換が求められていることから、その代替策として、省エネ・節電、再生可能エネルギーの普及など4点を挙げた。
 省エネ・節電については二つのポイントを取り上げた。一つは断熱効果の向上。暑いときには太陽熱を通さず、寒いときには取り入れる「波長選択型ガラス」の導入や、二重ガラスの内側に太陽光発電パネルを取り付ける方法などを紹介した。
 もう一つは電気使用量のピークカット。これは単に節電するのではなく、電気使用量が1日の中で最も多い午後1時から4時の時間帯で、いかに企業や家庭で電力消費を抑えるか、という考え方。発電所、企業、家庭の電力使用量をコンピューターで一元管理し、自動的に不必要な場所の電源のオン・オフを切り替えることで、電力使用量をコントロール。ピーク時の電力使用を控えた事業者や家庭には金銭的メリットを付与することで、ピーク時の電力を売買する市場も生まれると指摘した。
 再生可能エネルギーについては、今年7月にスタートした全量固定価格買取制度を「劇薬」と表現した。この制度は企業などが太陽光発電などで発電した電力を高値で20年間買い取るもので、この制度の導入を機に、通信会社のソフトバンクをはじめ、各地で異業種の企業がソーラー発電事業に乗り出している。柏木氏は太陽光発電事業を「ぼろ儲け」「こんな潤沢な商売はない」と指摘したうえで、外資も次々と乗り出してくることが想定されることから、地元の中小企業が手を取り合って太陽光発電事業に取り組み、地域でカネを回す必要性を訴えた。
 他方、この制度の課題も指摘した。電力会社が企業から買い取る費用は国民の電気代に上乗せされる。企業が太陽光発電を設置して売電すればするほど電気代が上がる仕組みだ。企業のぼろ儲けのツケを国民が負担する構図となり、政府による慎重な制度運用が求められる。
 しかし、その民主党政府の動きは緩慢で、柏木氏は未だに原発の安全基準を確定しないことに「民主党は何も決められず、大臣製造マシーンになっている」と皮肉った。特に柏木氏は原発政策については政治の責任で決めるべきだと訴えている。
 福島第一原発事故に伴う福島の甚大な被害を念頭に、原発を減らす「縮原発」は不可避としたが、エネルギーの安定供給のためには原発を完全に無くすのではなく、選択肢の一つとして残すべきと持論を披露した。農業国ならまだしも産業国では現時点では原発に頼らざるを得ないとの認識だった。

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2012年10月25日

マスメディアへの不信

 マッチポンプについて読者と考えたい。マッチで火をつけて、火が大きくなり出したら水をぶっかけて消しにかかる。これがマッチポンプであり、人間の悲しき業といえぬこともないが、信用のできない人間界を風刺しているともいえる。
 いま僕が問題にしているのは、新聞、雑誌、テレビなど、いわゆるマスメディアのマッチポンプなのである。
 具体的にいえば、明けても暮れても「橋下」「橋下」と囃し立てて、今にも橋下が天下を握りそうな紙面や画面を流してきたのはほかならぬマスメディアだった。昨年11月、橋下がほとんどの既成政党を敵に回して、大阪市長選に圧勝したときが、橋下人気の頂点だった。
 この人気は橋下の個性と実力と府知事時代の実績によるが、それに輪をかけるように橋下株を陰に陽に持ち上げたのがマスメディアだった。このような新聞、雑誌、テレビの積極的な橋下報道が国民の間に橋下への親近感と期待感を増幅させた。これがぼくのいう「マッチ」である。
 ところが、今年に入るや、マスメディアの態度が、がらりと変わった。あの手この手で橋下の悪口を書き立て、「橋下人気は峠を過ぎた」「橋下は嫌われ始めた」「橋下ではダメだ」といった報道が随所に見られるようになった。なかでも朝日のように、読者の声欄にまで、毎日毎日といっていいほど橋下叩きを載せるようになった。そして、その橋下叩きが歴然と効果を現して、最近の世論調査ではかつての2ケタの支持率が1ケタに下がり、橋下人気の下降気味を印象づけるようになった。この橋下叩きが、マッチポンプでいう火消しの「ポンプ」なのである。
 分かりやすくいえば、よい、よいと囃し立てたのもメディア。アカン、アカンと叩き立てたのもメディア。当の橋下は大阪府知事から大阪市長、日本維新の会代表と短期間ながら一歩ずつ階段を上り、今では敵も味方もいずれは総理の器と考えている声が大きい。
 その橋下叩き、火消しのホースの最たるものが、過般の週刊朝日の低劣な差別記事だった。その記事は本文にも表紙にもでかでかと、これ以上、人をおとしめる言葉はないと思われるほど侮辱めいたものである。
 「ハシシタ 奴の本性」。表紙に、こんな激しい見出しをつけながら、その上に本物の橋下市長の顔を看板のように大きく印刷しているのだ。悪ふざけというより、穴を掘って、そこへ人間を叩き入れるようなむごさである。
 ハシシタとは何をイメージするか。橋の下のホームレスかルンペン。それとも木っ端野郎とさげすんでいるのか。奴はやっこ、と読むがこれもひどい。大辞泉によると奴は、下僕、しもべ。江戸時代、武家の中間、槍や挟み箱などを持って行列の供先をつとめた。江戸初期の男伊達など。いずれにしても見下げた表現である。
 去る9月16日のサンデー毎日の「維新と安倍はニッポンを滅ぼす」もこれまた強烈なホースの水である。
 なぜ今年に入って、マスメディアが反維新、反橋下に切り換えたのか。火をつけておいて水をかけるマスコミの悪ふざけというか、気変わりに面食らうのは国民である。
 ここにきて、識者はそのからくりに留意し、マスコミの急激な変貌の背景を追求しなくてはなるまい。それは日本のため、日本人のためになるのか、どうか。今の日本の政治は中央も地方もこれでよいのか。根本的な維新の大改革が必要なのではないか。この観点から報道界そのものの検証が必要なのではないか。
 今回はヒントを示したが次号で、これに言及したい(敬称略)。【押谷盛利】

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2012年10月24日

銃社会アメリカの不幸(見聞録)

 1992年10月17日夜8時半、米ルイジアナ州に留学していた服部剛丈君(16)=当時=が友人とハロウィンパーティーに出かけたところ、訪問宅を間違えたことから、男に銃で撃たれて亡くなった。
 男は服部君を強盗と勘違いして銃を向けて「フリーズ」(動くな)と呼びかけたが服部君には通じず、近づいたところを2・5㍍の至近距離から胸を撃たれた。銃はクマを倒せる威力を持つマグナムだった。
 その後の刑事裁判では、男に無罪が言い渡された。他人の土地に無断で侵入した者への発砲は正当防衛にあたるとの見解だ。
 「規律ある民兵は、自由な国家の安全にとって必要であるから、人民が武器を保有し、また携帯する権利は、これを侵してはならない」。
 アメリカの憲法はこのように国民の武装権を認めている。アメリカは市民が銃を手に取って戦いイギリスからの独立を勝ち取った歴史があり、「自分の身は自分で守る」との精神が息づいている。
 引き金を引くだけで人を殺せる道具が家庭にあり、一定年齢に達すれば犯罪歴でもない限り誰でも銃を購入できる。その銃の存在が不幸な事件を量産しているのは間違いない。小生も海外で射撃場を訪れたことがあるが、銃を撃ったときの反動を今も覚えている。あれを人に向けるなんて恐ろしいことだが、銃社会ではそのような感覚が麻痺してしまうのだろう。
 銃規制団体「ブレイディ・キャンペーン」によると、アメリカで銃に撃たれる人は年間約9万7820人で、死者は3万1593人に上る。内訳は殺人被害者1万2179人、自殺1万8223人、警察の職務による殺害326人、意図しない事故273人だ。
 銃による死亡率はアフリカや中南米などが高いが、先進国の中ではアメリカが突出して高い。しかし、銃の所持は国民の権利として厳しく規制されることはない。
 そして、今年もハロウィンの時期となったが、ペンシルベニア州では仮装してパーティーに参加していた少女(8)が、親族の男性に散弾銃で撃たれた。黒い服に黒い帽子を着けていた少女を、どういう訳か男性がスカンクと間違えて発砲。少女は首と背中、腕に銃弾を受け重体という。銃がなければこんな不幸な事件が起きなかったのは語るまでも無い。
 さて、服部君を撃った男だが、刑事裁判後に行われた民事裁判では、銃マニアで犬や猫を射殺したことがあり、事件当日は酒を飲んでいたことが判明し、「正当防衛ではない」として損害賠償の支払いを命じる判決が出ている。
 「銃が人を殺すのではない、人が人を殺すのだ」とは銃の普及を目指す全米ライフル協会の詭弁だが、銃の存在が人を狂わせ、不幸な事件を引き起こしている。

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2012年10月23日

マッチポンプと橋下市長

 「マッチポンプ」という嫌な言葉がある。マッチは火を起こす道具で、ぼくの子供のころは「すりを」といった。尾っぽのところを磨ると火が出るからで、いまのライターの前身である。ライターは、ガスによる発火だからカッコいいが、マッチは磨った瞬間に発火して、小さな材木が燃えるので、その日本的情緒が愛される。以上で分かるとおり、マッチ・ポンプのマッチは火をイメージしている。一方、ポンプは消防ポンプが代弁するように、水をぶっかけて火を消す道具である。
 放火犯が逮捕されるとき、容疑者が状況捜査で、自ら火をつけて、騒ぎが大きくなったから、周りの者と同調してバケツで水を運んで消しまくる、という異常人格者が話題となることがある。
 22日付の大新聞に「なぜ橋下徹は大メディアからこんなに嫌われるのか」という見出しの週刊現代(11月3日号、22日発売)の広告が出ていた。
 この週刊誌の表紙の真中に、でんと2分の1ぐらいのスペースで目を引くタイトル。なぜか、さきごろ話題になった週刊朝日のあとなでをするかのように、赤色で「やはり出自の問題なのか」と意識的なアピールの副見出しが気になる。
 ぼくは早速、読んでみたが、週刊朝日が謝罪し、連載を打ち切った記事「ハシシタ 奴の本性」から一部を抜き書きして、読むに耐えないひどい内容を再録している。
 週刊現代はおもしろ、おかしく日本維新の会をめぐる政界の裏話などに触れているが、まぎれもなく、実態は橋下叩きである。
 そのなかで気になる文言が一つ。「総理候補とも目される公党の代表者である以上、その人格と識見の手がかりとなる生い立ちなどの情報を報道することはメディアの使命の一つである」、と断じ、あたかも、さきの週刊朝日の記事を肯定するかのような雰囲気をかもしていることである。
 週刊朝日の記事は、同社ばかりではなく、親会社の朝日新聞まで謝罪している内容だが、一部とは言え、その内容を再録しつつ、こうした情報を肯定するかのように、念を押して橋下が憎まれるのは「やっぱり出自の問題なのか」と、とんでもない方向へ読者を誘い込む巧妙な悪だくみをかんじさせる。
 さて問題を原点に戻す。ぼくは、週刊現代の11月3日号を見たとき、反射的に「マッチポンプ」なる言葉を思いだした。同じく週刊現代は9月15日号で、橋下を取り上げているが、この号は逆に「やっぱりこの国には橋下しかいない」と、これまた表紙の半分を使って橋下株を大きく推奨。副見出しに「衆院議員を半分に」「参院廃止」「政党交付金カット」とその重要政見を載せている。ついでながら9月16日号のサンデー毎日は表紙いっぱいに、「維新と安倍はニッポンを滅ぼす!」と極めて物騒な見出しをつけている。
 少しさかのぼれば「SAPIO」の5月9日号が興味をそそる。表紙中央に半分くらいのスペースで「橋下首相なら日本をこう変える」と題し、その下に▽日教組支配を潰す▽憲法を改正する▽中国にNOと言う▽年金破綻を止める▽歴史教育を正す▽公務員の特権を奪う、の副見出しで本文中の記事を集約している。
 新聞の報道姿勢も昨年の大阪市長当選前後と今年に入ってからの対橋下記事が陽から陰に変化している。メディアは火をつけて燃えすぎたので、今はホースで消しにかかっている。これについては次回に触れる(敬称略)。【押谷盛利】

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2012年10月22日

守りたい、伝統の魚食(見聞録)

 キッチンのコンロに、もはや魚焼きグリルは不要なのか。21日、システムキッチンのショールームを訪れたところ、魚焼きグリルの無いコンロが展示されていた。スタッフによると若い世代で需要があるといい、日本人の魚離れがここまできたのか、と寂しくなった。
 水産庁によると、魚介類の国民1人当たりの摂取量は減少が続き、2006年には肉類の摂取量を下回った。特に未成年の世代で魚より肉を好む傾向が強く、大日本水産会の調査によると、子どもの魚離れの理由として「骨があるから」「食べるのが面倒」「食べるのに時間がかかる」「においが嫌い」などが挙がった。
 食べる課程、特に骨があるのを煩わしく感じているようで、味に対する否定的意見は限定的だ。週末のたび、長浜市内の回転寿司店に子連れの家族が行列を作っていることを考えても、魚食を嫌っているのではなさそうだ。
 子どもの魚離れの起因は家庭環境によると推測される。共働きなどでキッチンに立つ時間が減り、調理が面倒などという理由で魚料理が敬遠される。手軽さを求める結果、魚より調理しやすい肉を食卓に並べ、子ども達が魚の食べ方を知らないまま成長する。そもそも「骨があるから」という理由で魚を敬遠するのは、家庭で魚の食べ方を教わっていないのが原因でないのか。
 海に囲まれる日本は古来、漁業によって食生活が支えられてきた。しかし、今は安価で調理しやすい輸入サケの人気などで魚類の自給率は6割にとどまり、島国なのに「地産地消」という構造が失われつつある。骨を嫌うあまりにサケやマグロなど大型魚や、海外で骨抜き加工された切り身ばかりが人気を集めているわけだ。
 魚離れが日本の食文化、水産業の課題となる中、低カロリーで栄養があるとして見直す動きもある。魚は良質のタンパク質を多く含む一方で、カロリーが低く、魚の脂に含まれるDHA(ドコサヘキサエン酸)やEPA(エイコサペンタエン酸)といった脂肪酸は健康増進機能があるとして注目されている。
 水産庁も「水産物は日本人の健康的な食生活を支える重要な食料」と位置づけ、若い世代や子育て世代への浸透を課題としている。日本人の伝統食である魚を、食育と健康の観点から見つめ直したいものである。

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2012年10月20日

朝日新聞も橋下氏に謝罪

 朝日新聞の子会社である週刊朝日が、日本維新の会代表の橋下徹大阪市長に「不適切な記事を書いた、として深くおわびする」の謝罪コメントを発表したことが日本の言論界にセンセーションを巻き起こしている。
 朝日新聞の橋下叩きは異常で偏向的だと思われていたが、ここに来て、各メディアの一斉報道を通じて、朝日の信用が天下に下落した。19日付の各新聞は、橋下市長の怒りの記者会見と不当な記事を書いた週刊朝日が橋下氏に謝罪したことを大きく報道したが、当の朝日新聞も社会面の2段記事「朝日新聞出版がおわび」「週刊朝日の橋下市長連載で」の見出しでおわびのコメントを全文で載せ、最後に次号の週刊朝日でおわびを掲載すると書いている。
 週刊朝日の河畠大四編集長のコメントは次の通り。
 「記事中で、同和地区を特定するような表現など、不適切な記述が複数ありました。橋下徹・大阪市長をはじめ、多くのみなさまに御迷惑をおかけしたことを深くおわびします。私どもは差別を是認したり、助長したりする意図は毛頭ありませんが、不適切な記述をしたことについて、深刻に受けとめています」。
 これに対し、橋下氏は18日の定例記者会見で「僕の人格を否定する根拠として、育てられた記憶もない実父、被差別部落の話を徹底的に調査するという考え方を問題視している」と憤慨。親会社の朝日新聞社について、「トンネル会社をつくって、なんでもかんでもやる不法団体と一緒だ」と批判し、同社の取材を拒否する方針を示した。
 問題になったのは週刊朝日が10月26日号(16日発売)に初回掲載した緊急連載「ハシシタ 奴の本性」と題する記事。ノンフィクション作家の佐野眞一氏と同誌取材班が担当し、本性をあぶり出すため、彼(橋下氏)の血脈をたどる、と書いている。
 これについて橋下氏は「記事は生まれてからの努力を全否定している。権力チェックは報道機関しかできず、言論の自由は最大限保障されるべきだが、一線を越えている。血脈主義、民族浄化主義につながるきわめて危険な思想だ」と批判した。
 会見の席上、橋下氏は朝日の記者に対し、記事の目的に関する公式見解を求めたが、別会社であり編集に関与していないと答えた。橋下氏は「朝日新聞は人権を大切にしようといってきた言論機関、株主としてどういう姿勢で臨んでいくのか」とただし、「会見の場で週刊朝日の編集者や筆者と議論したい」と要望した(19日付産経参照)。
 読売は19日付で大きく報道。このなかで、週刊朝日の謝罪について連載を執筆した作家・佐野眞一氏に取材を申し入れたがコメントは取れなかった、と報じている。
 なお、橋下氏は当初、朝日と同社系列の朝日放送の取材拒否を表明していたが、朝日放送については朝日新聞出版との資本関係や役員を確認したところ同一視すべきでないとして取材拒否の方針を撤回した。
 週刊朝日は19日、この連載を打ち切ることを表明。また、親会社の朝日新聞社は同日、謝罪声明を出した。【押谷盛利】

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米粒ひとつを大切に(見聞録)

 米粒ひとつも残さず大切に食べるのが日本人の美徳であり、自然の恵みや農家への感謝の気持ちであると、小さい頃から親に教えられたが、今の日本は有り余る食品が捨てられる、もったいない社会となっている。
 農林水産省の試算によると年間1900万㌧の食品廃棄物が発生し、食べられるのに捨てられる「食品ロス」が500〜900万㌧に上るという。日本の食糧自給率(カロリーベース)は40%にとどまり、世界では10億人近くが食糧難による栄養不足に瀕しているのに、である。
 家庭では作り過ぎて食べ残したり、冷蔵庫の中で賞味期限が過ぎていたり、飲食店では過剰な仕入れと客の食べ残しが、食品廃棄の主な理由だ。
 家庭でも飲食店でも食材管理と料理の工夫で食品廃棄を減らすことができるが、実は食材が手元に届くまでに多くのロスが発生している。
 生産、卸、販売のプロセスに「3分の1ルール」と呼ばれる流通業界の慣例がある。製造日から賞味期限までを3分割して、最初の3分の1までを納品期限、次の3分の1までを販売期限とし、いずれかの期限を過ぎた時点で商品を返品、廃棄する。鮮度を追求する過程で生まれた悪弊と言えるだろう。
 例えば、賞味期限が6カ月の食品の場合、製造2カ月以内に、メーカー、卸業者から小売業者に納品しなければならず、期限を過ぎればメーカーなどに返品される。また、納品期限内に店頭に並んでも、賞味期限まで2カ月となる「販売期限」を過ぎると返品、割引販売の対象となる。
 返品や売れ残った商品は、例え賞味期限内であってもその多くが廃棄される。
 この行き過ぎた鮮度競争に対し、近年は消費者やメーカーサイドから「もったいない」との声が上がり、農林水産省も業界に対して改善を求めている。
 そこで、大手メーカーやスーパーで組織する「製・配・販連携協議会」がこのほどルール緩和の方針を固めたという。いつから、どのように緩和するのかはこれからの協議となるが、行き過ぎた鮮度競争を改めることで、食品ロスが減ることは喜ばしいことだ。
 鮮度追求と流通競争の果てに、自然と農家への感謝を忘れ、食品を平気で廃棄する風潮が生まれたのは、作る者と食べる者との距離が遠のいたことがひとつの原因であろう。
 収穫の秋を機に、米粒ひとつの精神を、まずは家庭で見直したい。

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2012年10月19日

「当たり前」の反対は?(見聞録)

 「当たり前」の反対の言葉は何だと思いますか—。
 「オール1の落ちこぼれ、教師になる」(角川書店)などの著者で知られるエッセイスト・宮本延春さん(43)が17日、長浜西中学校で講演し、生徒や保護者にこう質問した。
 講演会は同校PTAが主催し、宮本さんが自身の苦難の生い立ちを、ユーモアを交えた語り口調で紹介した。
 小学生の頃から勉強が苦手でいじめにも遭っていた宮本さんは、「九九」や「分数」もできず、中学でもらった成績表は9教科オール1。「前からバカだと思っていたが、とどめを刺された。金メダル級の落ちこぼれだった」と振り返った。父について「チンピラみたいだった」と語り、余りにも勉強できないことを咎められて、教科書とランドセルを庭に捨てられ灯油をかけて燃やされるなど、家庭環境は悲惨だった。
 中学卒業後は高校に進学せずに見習い大工として働いた。しかし、16歳で優しかった母を、18歳で父をそれぞれ病気で失い、頼る親族もいない天涯孤独の身に。カネがなくタンポポやアリを食べ、雨が風呂と洗濯のチャンスだったと極貧生活を紹介した。
 23歳でアインシュタイン特集のビデオを見たのをきっかけに物理学に興味を持ち、「一生懸命努力をすれば結果や、気付くことがある。何もしなかったら後悔だけが残る」と大学での物理学の専攻を夢見て、勉強を再開。小3のドリルから始め、24歳で定時制高校に入学。3年後、名古屋大物理学部に入学できた。その後、縁があって教師の道へ進んだ。
 講演会では以上のような道のりを紹介したうえで、親が子のために食事を作り、洗濯をし、学校に行かせてくれるのは「当たり前」ではないと力説。「人が誰かのために何かをすることに『当たり前』はない。『当たり前』の反対、特別なことであり、『有り難いこと』です」と持論を披露し、感謝の気持ち「ありがとう」を日ごろから口にするよう訴えた。
 さらに「『夢を持て』と言われるがそう簡単には見つからない。夢が無いということは自分の視野の中に無いということ。視野を広げると何か見つかるかも知れず、そのためには出会いが大切」と呼びかけた。
 勉強のコツについては「勉強が得意な人と苦手な人の勉強方法は違う。まずはいろんな勉強方法を試し、自分に合った正しい方法を見つけて欲しい。正しい方法で一定量勉強すれば、学力は絶対に伸びる」とアドバイスし、保護者に「『勉強しろ』と言われて、やる気が出る子どもはいない。皆さんも子どもの頃はそうだったはず」と語った。
 最後は「元気な子どもがしおれるのは大人が原因。子どもは10年後、20年後の姿を大人に見ている。大人は明るく、子ども以上に生活を楽しんでいる姿を見せて欲しい」と締めくくった。

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2012年10月18日

暴力団の仲介で総理に

 野田民主党政権の改造で9月に登用されたばかりの田中慶秋法相の去就が注目されている。
 この問題については15日付の時評で取り上げたが、30年前の暴力団幹部との交際が発覚し、野党や世論から厳しい批判の目にさらされている。法の番人でもある法務大臣が、過去のこととは言え、暴力団との交際を認めたのであるから、公正な見地や法の正義に照らしても大臣の辞任は避けられまい。ところが任命権者の野田首相は首を切る気配もないし、本人も辞任を否定している。
 国会が休会のため、野党が鳴りを沈めているのをいいことに横着をきめこんでいるが、不思議にもマスコミの追及が鈍い。暴力団、裏社会の反国家、反国民について、どの程度の認識があるのか。あらためて、民主党の不見識、横暴を追及する。
 忘れっぽい人でも、少し政治に関心のある人は、かつて、中曽根康弘総理が辞任する寸前、自民党の次期総裁に竹下登が有力になり、彼の総理、総裁が決定的となっていたとき、東京都下で、暴力団の竹下攻撃が猛烈な勢いで吹き荒れた。それはマイクの音量を上げて、世にいう「竹下ほめ殺し」の宣伝だった。
 竹下は悪いから総理にしてはいかん、というのではなく、「竹下はえらいもんや、金もうけがうまい男や」と、褒めて、くさすやり方で、聞く国民に金権体質であることを思わせる内容を毎日毎日、大型の街宣車でうなり続けた。
 そこで、自民党の副総裁金丸信とその寵愛を受けていた小沢一郎がひそかに料亭で暴力団側と交渉した。ほめ殺しの暴力団よりもさらに上位の大手暴力団の総裁が仲に入って、手打ちののような納め方をした。
 どれほどの条件で、交渉がまとまったのか知るよしもないが、その会談をしおに、ほめ殺しのいやがらせはぷっつりと消えた。そして、竹下は自民党総裁になり、国会で総理に選ばれた。
 世間では暴力団の関与で総理が決まった、と不信と批判の声が上がったが、野党から追及の声も出ず、マスコミもいつの間にか沈黙した。
 ぼくは当時も書いたが、日本の総理を決めるのに暴力団が介在した、という不名誉な話は許せない。これでは民主主義政治を冒涜するものではないか、と批判した。ほめ殺しの街宣車のマイクが高音ならば、騒音防止の法律で取り締まることができるし、名誉毀損ならば、それで告発、あるいは、宣伝行為を中止させる法的措置もあるはずだが、まんまと、その手に乗るとは自民党の実力者や総理候補が国政の場で裏社会の存在と権威を認めたことになり、日本の政治史の上に一大汚点を印したことになる。
 これでは、いくら暴力追放の法律や政策を並べても相手側になめられるだけで、さらに恐ろしいのは、そうした暴力と通じる有力な政治家がいるという疑惑である。こう考えれば、捜査現場で、高度な警察情報がどう流されているかの心配もあるわけで、現に福岡県では、警察の徹底した暴力対策に対して、それに協力している民間人や行政関係者らが暴力団のあがきとみられる発砲事件で犠牲者が後を絶たず、警察庁あげて、その取り締まりに当たっているではないか。
 今回の法相の問題もこのままほおかむりで通すなら、裏社会からはほめられるかもしれないが、日本の治安や国民の安全への大きな脅威となるにちがいない。(敬称略)【押谷盛利】

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2012年10月17日

永田町と霞ヶ関の無神経(見聞録)

 「脱官僚」「政治主導」「税金の無駄遣いをなくす」と息巻いて自民党から政権を奪取した民主党の迷走は語るまでもないが、今問題となっている東日本大震災の復興予算の流用は、もはや国会のチェック機能が失われていることを証明しているようである。
 反捕鯨団体対策、刑務所での職業訓練、官庁舎の耐震対策、青少年交流、工場整備補助金など挙げればきりがないが、国民の感覚からすれば、おおよそ復興目的とは思えない事業に流用されている。復興予算19兆円のうち2兆円が目的外使用だとNHKが特集を組んだことで予算流用が大々的に取り上げられることになったが、その調査報道がなければ、白日の下にさらされることはなかっただろう。
 それでも各省庁は開き直っている。例えば、刑務所内への小型建設重機の購入や過激派監視事業を盛り込んでいる法務省。小型建設重機については職業訓練中の受刑者の約7割が出所後、被災地での就労を希望していると正当性を主張し、過激派対策については被災地での勧誘活動を監視するためと説明している。そして、いずれも「合理性がある」とのこと。
 全国津々浦々の企業に「国内立地推進事業費補助金」として、すでに2950億円を支出した経済産業省の枝野幸男大臣は「日本経済の活力を維持するため、サプライチェーン(供給網)の観点から、直接でない産業振興でも一定の範囲内で行う」とし、「被災地の復興に資する」と述べている。
 以上のように官僚及びその代弁者である大臣からは復興予算の流用という「悪乗り」を反省する声は聞こえてこない。
 ただ、国民の批判を受けて、政府は2012年度の予算の一部を執行停止する方針を固め、国民の財布を預かる財務省は2013年の予算編成で各省庁から要求のあった復興予算4兆5000億円の圧縮に向け、1兆1000億円程度が被災地と直接関係のない要求とみて削減を目指す。
 政府自身はお得意の「事業仕分け」で復興予算を検証する方針だそうだが、わざわざそんなお題目を掲げなくとも、全国会議員が手分けして予算と支出を徹底的に調査すれば良いではないか。政権運営と選挙への駆け引きだけが仕事ではないだろうに。
 向こう25年間、国民に増税を押し付けながら、屁理屈をつけての予算流用。そして動きの鈍い国会議員。霞ヶ関と永田町の神経は余りにも国民と乖離している。

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2012年10月16日

法務大臣と暴力団関係

 野田民主党内閣は、ひいき筋がどんなに援護しても支えきれないほどぼろぼろに劣化してきた。
 もはや国家のためにも国民のためにも一日も早く解散総選挙を断行して、国民の心に添う新しい政治を期待するしかない。
 3年前、天下を取った民主党は鳴り物入りのマニフェストで国民に夢を持たせたが、そのことごとくが嘘と、はったりで、3代目の現政権に至っては、離党者が相次ぎ、衆議院の過半数があやしくなってきた。自民党をだまし続けて解散を引き伸ばしてきたが、それは一にも二にも解散が怖いからで、この内閣がまがりなりにも持ち続けているのは、解散を恐れる所属議員の足下を見ているからで、今や八方塞がりの野田首相は、頭から小便を引っかけられても、内閣にどんな不具合が発生しようと、なりふりかまわず政権にしがみつく。あからさまに言えば来年の8月末まで衆議院の任期は法が守っているからである。
 それにしてもひどい話である。法と裁判と警察権力の最高のポストである法務大臣が組幹部との交際を認めながらも辞任することなく、あっちで謝罪、こっちで謝罪。逃げと謝罪で、肝心の大臣の仕事は空き家にカビが生えている感じ。
 問題の田中慶秋法相は9月の改造内閣で登用されたばかりで、民主党内閣になっての3年間、7人目の大臣。3年は36カ月だから7人で割ると一人5カ月くらいの短命大臣だが、おまけにこのポストは拉致被害者救済担当大臣を兼ねている。名前だけの大臣で実態が夜明けの行灯のようにぼやけている。
 暴力団、いわゆる闇社会が社会の平穏と国民の利益にいかに反しているかは、暴力規制の幾つかの法律や各都道府県の条例に見られるとおりである。これに対する規制や取り締まりは国民を守る正義である。その法の元締めの担当大臣がこともあろうに、暴力団の宴席に出て演説したり、暴力団関係者の仲人を務めるなど報じられた。しかも自身が務める政党支部が在日外国人経営の会社から献金を受けていることも発覚している。
 国会を開くと追及されるので、野田首相は黙したまま、首にすることもなく、本人ものほほんと息をしている。
 こんな不義、不道徳、政治の汚れを、黙認して時の経つのを待っている野田民主党の自浄力のなさはあきれかえるばかりだが、こんな反社会的政権が続く限り、国民の信は返らないし、政治不信による閉塞感は内外の危機を一層深化させるばかりである。【押谷盛利】

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2012年10月15日

iPS移植の大誤報(見聞録)

 東大病院の特任研究員・森口尚史氏がiPS細胞から心筋細胞を作り、心臓病患者への移植を成功させた—。今月11日朝刊の読売新聞は「世界初」の偉業をスクープとして伝えた。山中伸弥京大教授がノーベル医学生理学賞を受賞し、この分野での技術進歩が注目される中での「朗報」だった。産経ほか、共同通信から配信を受けた中日や京都などが後追い報道した。
 しかし、森口氏が研究を行ったとするハーバード大学が事実を否定し、論文の共同執筆者とされる人物も否定。結局、移植のニュースは事実無根の森口氏の嘘だった。裏づけ取材でその嘘を見破れなかったことが、誤報を引き起こした。
 このニュースは当の森口氏が売り込んだ。読売のほか、日経、朝日、毎日に情報提供があり、森口氏本人に取材したが「患者の年齢や手術の実施時期など、具体的な部分になると説明があいまい」(朝日)だったことから、記事にしなかった。
 さて、スクープを狙う場合は他紙にその情報を知られてはならないから取材手法は隠密になるし、裏づけ調査で信憑性を高めたくても、公式・正式ルートでの取材は情報が外に漏れる可能性があるから難しい。スクープにはそういう危うい側面もある。「特ダネと大誤報は紙一重」(産経)と呼ばれるゆえんだ。
 一方、スクープが一度、報じられると、もはや隠し立てすることなく取材が行えるから、正式ルートで広く情報が得られる。そういう意味では後追い報道で誤報を拡散させた産経や共同通信は、読売以上にお粗末だったと言えるのではないか。
 過去にも大きな誤報記事があった。印象に残っているのは沖縄の世界最大級のさんご礁に「K・Y」の落書きがされたという朝日新聞のスクープ(1989年)。後に、朝日のカメラマンが自らさんご礁を傷つけて写真を撮っていたことが明るみになった。スクープ欲しさに血迷った自作自演の悪行で、誤報というより捏造。
 中国の江沢民前国家主席が死去したという産経新聞のスクープ(2011年)は記憶に新しい。韓国紙や香港テレビで死亡説が流される中、産経は号外まで発行したが、中国政府は死去を否定していた。情報統制に厳しい中国にとって要人の死亡は国家機密にあたるため中国政府の発表を鵜呑みにはできず、スクープから3カ月後、江沢民氏が公の場に姿を現したことで、「誤報」が決定した。
 今回のような大誤報に限らず、電話番号や名前、住所、写真などを誤って掲載することは、正確な情報を伝える新聞社として絶対避けねばならない。小紙としても誤報は決して人ごとではなく、猛省しなければならない点も少なくない。特にインターネット上に不正確な情報があふれ、情報の信憑性が問われる昨今だからこそ、新聞人として正確な情報提供に努めたい。

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2012年10月12日

官兵衛の大河ドラマ化(見聞録)

 NHKは10日、2014年の大河ドラマのタイトルを「軍師官兵衛」、主演をV6の岡田准一さん(31)とすることを発表した。
 主人公の黒田官兵衛は姫路城主の嫡男として生まれ、22歳で家督を継いだ。織田信長の将来性をいち早く見抜いて臣下となり、羽柴秀吉のもとで軍師として活躍した。本能寺の変では秀吉に「天下取りの好機」と進言し、「中国大返し」を実現させるなど、秀吉の天下取りをサポートした智将として知られる。秀吉の天下統一後は、「次の天下を狙う男」と警戒されていることを知り、44歳で隠居。「如水」と名乗り、家督を長男に譲ったが、関ヶ原の戦いでは家康の東軍につき、活躍した。
 信長、秀吉、家康という戦国時代の三傑に従い、50以上の戦で無敗を誇った官兵衛の映像化は、NHK大河ドラマの王道であろう。
 大河ドラマの誘致を目指し、「播磨の黒田武士顕彰会」「NHK大河ドラマ『黒田官兵衛』を誘致する会」などを組織してきた地元姫路では喜びの声に溢れている。ただ、国宝・姫路城は大改修の真っ最中で、ドラマの放送が終了する頃に完成予定という。タイミングとしては微妙だが、姫路観光をアピールする良い機会となる。
 さて、この官兵衛、長浜に浅からぬ縁がある。黒田家は鎌倉末期から南北朝時代にかけ、京極氏信の孫・宗清が伊香郡黒田村(木之本町黒田)に住み、荘園の領主として「黒田判官」と称したのが始まりと伝わる。室町末期に北近江の地を追われ、播磨に移り住むことになったが、地元・木之本町黒田では黒田家発祥の地として、官兵衛にあやかった「黒田如水柿」を特産品化している。
 また、官兵衛自身は姫路生まれだが、信長の臣下として賤ヶ岳の合戦に参加しているし、長男・長政は幼少の頃、人質として長浜城に預けられていた。
 大河ドラマの決定を受け、長浜市ではさっそく市役所本庁玄関に「智将黒田官兵衛 黒田家発祥の地びわ湖・長浜」の幟を立ててアピールしている。ドラマに長浜が登場するのかは不明だが、市としては黒田家発祥の地を売り文句に、観光キャンペーンを行いたい考えだ。
 山内一豊と千代、浅井三姉妹と続いて、黒田官兵衛のドラマ化に、あらためて湖北地域の歴史話題の豊富さを認識する。目下、国友村出身の鉄砲鍛冶で発明家の国友一貫斎を主人公にした小説「夢をまことに」(山本兼一)が京都新聞で連載されており、こちらの映像化も期待したい。
 歴史以外でも「偉大なる、しゅららぼん」(万城目学)、「湖猫、波を奔る」(弟子吉治郎)、「青春ぱんだバンド」(瀧上耕)など、琵琶湖や湖北地域をテーマにしたフィクションも話題を集めている。湖北地域に住む者として一読し、映像化誘致への後押しとしたい。

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2012年10月11日

マスコミは信頼できるか

 10日付の本紙「見聞録」は、「国会議員は何してる?」と、東日本大震災の復興予算の流用について、国民の怒りを代弁している。
 被災地支援のための予算が被災地以外に使われていることを問題にしたのは8月の週刊ポストだが、以来、9月のNHKの報道以外にマスコミの徹底した追及を国民は知らない。復興予算は2年間で18兆円を予算化しているが、被災地の復興以外に流用されているとあれば、これは徹底的糾明すべきであるが、なぜかマスコミは静かである。
 ぼくも初めて知ったのだが、反捕鯨団体の対策に23億円、アジア太平洋・北米地域との青少年交流に72億円とか。消費税は3党合意で決めたが、少子高齢化社会を念頭に社会保障の目的税として決めたにも拘わらず、抜け道をつくって何処にでも使える便法を編み出した。
 全く油断も隙もない国民だましだが、これについてもマスコミは知らぬ顔である。
 マスコミのいい加減さは、目下の橋下維新叩きでもあきれるが、先般の自民総裁選でもひどかった。朝日は選挙前から「安倍叩き」に執念を燃やし、「安倍ではダメだ」の風を吹き込んだ。もともと安倍さんが総理を辞めた経緯は病気にもよるが、一部の自民党内と手を組んだマスコミによっての袋叩きによる。
 安倍さんを無能のように書き立てたが、在任中、安倍さんのやった画期的な業績は評価をしていない。安倍さんは、むしばまれている日本の教育を再生させねばと教育基本法の改正による教育改革を断行したが、その流れが今の橋下維新の教育改革につながる。
 また、安倍さんは憲法改正を重視し、国会議員の3分の2以上が賛成し、国民投票で過半数を得れば改正できる点を重視し、国民投票法を成立させた。また、海の治安と資源を守るための海洋基本法を成立させたが、マスコミはこれらについても評価していない。
 今度の野田内閣の改造で北朝鮮の拉致被害者救済で最も信頼されていた担当大臣の松原仁氏が更迭されてしまった。本人も残念がっているが、民主党政権3年間で、拉致担当大臣は今回の改造で7人目。しかもみんな法相との兼任。どこまで、やる気があるのか、日本人の生命の安全について政権の取り組みがいかに無関心であるか、一目瞭然だが、これまたマスコミは追及しない。
 松原さんが首になったのは野田内閣が北朝鮮に甘く、北朝鮮に対する制裁解除を考えており、松原氏がこれに反対していることに加え、民主党が閣議決定した人権救済法案についても反対していたからである。
 この閣議決定は松原氏の海外出張の留守をねらったものだが、この法律が通ったらどうなるか。日本人は、差別だ、なんだと発言や執筆をおびやかされ、逆に人権地獄で暗い世相になりかねない。
 言論、出版の自由の侵害の恐れもあり、警察権力と同じように、人権委員なる特別職がある日、国民を家宅捜索し、犯罪者扱いにする心配すらあるが、これについてもマスコミの批判は産経以外は極めて低調であり、今の野田民主党政権は日本を潰し、国家の経済をわやにし、国民生活を暗く破綻させることが心配だ。そういう冷めた意識、賢明な批判精神に立ってテレビや新聞を見なくてはならない。【押谷盛利】

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2012年10月10日

予算流用、議員は何してる?(見聞録)

 国会議員は何をしているのだろうか。党利党略の政権維持・政権奪取の画策ばかりが仕事ではないはずなのに—と、ため息をつくこのごろ、東日本大震災の復興予算が関係のない事業に流用されていることが明らかになり、国民の怒りを買っている。
 復興予算の流用については、9月のNHKの報道番組で2兆円が被災地支援以外に使われていると問題提起していた。NHKに先駆け、週刊ポストは8月にこの問題を取り上げている。
 復興予算はこの2年間で約500事業18兆円が設定されたが、被災地とは直接関係のない多くの事業に支出されている。
 例えば「国内立地推進事業補助金」。震災で産業の空洞化が加速するおそれがあるとして、生産拠点・研究開発拠点の整備を支援するもの。経済産業省の書類によると、623社に3001億円を支出する。しかし、支援を受ける企業は北海道から鹿児島まで全国に散らばり、滋賀県でも湖北地域の1社を含め6社が補助金の採択を受けている。
 このほか、日本原子力研究開発機構が進める核融合炉の研究費用42億円、反捕鯨団体対策23億円、アジア太平洋・北米地域との青少年交流72億円などがある。
 霞ヶ関の官僚は、それぞれの事業にあれこれと屁理屈をつけて、復興支援だと説明している。
 核融合炉は被災した青森、茨城両県に研究開発拠点を建設する。反捕鯨団体対策は、調査捕鯨が妨げられると鯨肉が手に入らず、被災した宮城県石巻市周辺の缶詰工場などの復興が滞るという。青少年交流事業は41の国と地域の青少年に被災地を視察してもらい、「日本再生に関する外国の理解増進を目的」とすると説明している。
 いずれの事業も本来の目的は復興支援ではない。ただ、「復興支援」のエッセンスを少し加えるだけで、不思議にも予算が付くという霞ヶ関のマジックだ。
 もう忘れたかもしれないが、被災地復興を名目に、政府は所得税を2013年から25年間、2・1%分を上乗せし、個人住民税は14年から10年間、年間1000円を引き上げる。国民に負担を強いての復興予算がこれ以上流用されないためにも国民は怒りの声を上げなければならないし、国会議員の皆さんは党利党略に明け暮れる前に、国の支出をチェックするという本来の仕事をこなしてもらいたい。
 この際、予算流用の話題をもうひとつ。少子高齢化社会への財源として消費税が2015年に10%へと引き上げられる。「社会保障目的税」と使途を限定しているが、もちろん抜け道を作ってある。
 「消費増税法案付則18条2項」。これは民主、自民、公明3党の修正合意で盛り込まれた文言で、消費増税について「税制の抜本的な改革の実施等により、財政による機動的対応が可能となる」としたうえで、「成長戦略並びに事前防災及び減災等に資する分野に資金を重点的に配分することなど、我が国経済の成長等に向けた施策を検討する」としている。
 この文言で、霞ヶ関の官僚にとって消費税は何にでも使える打出の小槌となった。
 官僚と国会議員の悪乗りを止められるのはどの政党だ?

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2012年10月09日

役人天国と短命大臣

 ぼくはさきに、日本は役人天国、役人支配の政治である、と書いた。そして、役人は一般的には公務員だが、これは高級役人の官僚と一般職の組合によって成り立つとも書いた。
 したがって公務員改革を含む行財政改革は歴代内閣と各政党が国民にこびるように口にはするが決して進まない。それは高級官僚にとっても一般役人にとってもマイナス部分が多いからである。だから天下りや政府助成の特殊法人などの整理を含む行政改革は官僚と組合の抵抗にあって進まない。
 日本の総理や大臣は世界近代国家のなかで突出して短命であることが笑いものになっているが、それは戦後の吉田内閣以来、今日の野田内閣に至るまでの悪しき日本の伝統である。
 日本の歴代首相のうち比較的寿命の長かったのは、吉田茂、佐藤栄作、中曽根康弘、小泉純一郎の4人で、他は長くて2年、多くは1年、ひどいのは半年以下のものもある。
 前記4人は首相自身の寿命は長くても内閣を構成する大臣はたいてい1年で交替させられている。
 なぜ、首相や大臣が短命なのか。これはぼくが主張するように日本の政治や行政を仕切っているのが役人だからである。
 役人天国だから議員が力を持ち政治を牛耳っては困るのである。なぜか、役人が好き勝手にやろうとしても政治家が力をつければチェックもするし、反対もする。それどころか、政治主導で役人がコントロールされる。それを嫌うから明治以来、この国は役人支配の強大な伝統が温存し続けてきた。
 国民の皆さん、よく考えて下さい。どんな頭のいい、有能な議員といえども大臣1年くらいの間でなにができますか。どんな理想や政見が実現できますか。おそらくたいていは所管の役所内の組織や人間関係を知るだけで1年くらいは過ぎるのではないか。
 こうした短期の新米大臣ほど役人にとっては都合がいい。なにもかも御前講義して、国会答弁も官僚の作文を鵜呑みにすればよいのである。こう考えれば、内閣は強力で、大臣は長命で全力投球する改革こそ急務である。
 吉田、佐藤、中曽根、小泉の4元首相は歴史に残る名宰相だったが、それでもその内閣を構成する大臣は1年ぽっきりの短命が多かった。首相の長期寿命のからくりは1年ごとの改造内閣による。これを発案したのは吉田茂で、彼は大臣を餌に所属政党を支配した。つまり、人事によって、人間の名誉欲、選挙地盤に影響を与えようとするからみんなが尾を振りポストや利権に目がくらむ。その弱点につけこんで、大臣を粗製乱造し、自らは長期政権に君臨する。
 こういうバカげたからくりだから、派バツの親分は子分を大臣にするのにうつつをぬかし、できるだけ、みんなの腹をふくらませるため、大臣は1年ぽっきりでなくてはならぬ。
 そこで派バツから送られた大臣は1年そこそこで何をするのか。政策や議会答弁は官僚が作ってくれる。大臣の仕事は利権である。陳情を受けたり、予算の分捕り、許認可、その他、業界でにらみをきかせ、派バツの裏金つくりに一役買う。
 こういう役人支配の古い政治を改革するのが国民の願いであり、その願望の中心となって期待されているのが日本維新の橋下代表である。【押谷盛利】

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2012年10月06日

夢の天国か地獄の沙汰か

 ぼくは古い人間だから多くのことを経験しながら「参った、参った」と降参したり、あきれたり、ときには腹の立つことがある。
 ぼくがあきれることの一つは人間の死に対する変化である。
 ぼくが子供のころ聞いた大人たちの教訓が今も鮮明である。これは、バクチ打ちとか反社会的生活に落ちてゆく人や、身を破滅させるようなデタラメな生活をしている人の反面教師として耳にした言葉である。
 「あんな、ろくでもないことをしでかす奴は畳の上では死ねない」。
 畳の上で死ぬのは病気の場合で、ねんごろな治療や家族の介護を受けて自宅で大往生することを指す。これに対して畳の上で死ねないのは、いわゆる横死を意味する。殺されたり、事故死したり、刑務所で亡くなることなどを想定する。
 ところがである。戦後、世の中は文化的、経済的に進むうちに、医療界も一変した。統計によると病人のうち90%は病院で死に、残り10%くらいが自宅で死ぬ。昔人間があれほど願望した畳の上の死をやめて、病院という畳ならざるベッドの上で死んでゆく。
 今から20年程前の1993年、青木新門さんの「納棺夫日記」が出て、これが大評判を生んだ。田舎もんのぼくらは、葬儀屋はあっても湯かん屋が業として存在することを知らなかった。葬儀屋も田舎での歴史は浅い。今から30年程までは大部分が自宅葬だった。葬儀は親族を中心に隣近所が協力して営まれた。湯かんは家族や主な親族の務めだった。
 近代文化というのか、経済成長というのか、昔人間のどん臭い野蛮野郎が眺める今の世は万事楽ちんの天国である。楽ちん社会は手抜き社会であり、生活も通信、交通も医療も社会福祉もなべて電化、機械化、クスリ漬け、手や足や脳みそを使わないやり方である。時計ですら秒針を見るのが面倒くさいからデジタル化した。
 医者は問診など面倒はやめて、精巧な機器を使って検査と写真がクスリと治療を指示する。老人は年齢と共に弱ってゆくが、家で養生することはなく、デイサービスや老人施設を利用する。お金のある人は周囲に気兼ねすることのないよう有料の高級な老人ホームへ入る。葬式は家でしないから親類が来ることもない。通夜か当日、葬儀センターへ来て、ハイさようなら。
 初七日、7回の忌中法要は面倒だから寺まかせ。永代経をはずんでおけば、年回など関知せず、何もかもお寺まかせで、親の命日なんかとっくに忘れ、法事なんかも眼中になし。
 世の中、これからまだまだ進む。結婚は面倒臭い。赤ん坊は育てるのがかなわんから産まないことにする。独身女性は独身貴族、ダンナがなくとも産むのは自由。
 何もかも面倒いから噛むのもいや、赤ちゃんに還って、スープよろしく、食事は飲料。車の運転はロボットまかせ。進歩って、おとぎの国か、はたまた地獄か。【押谷盛利】

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2012年10月05日

生命の神秘に挑む科学(見聞録)

 今朝の朝刊トップ記事は、いずれもマウスの人工多能性幹細胞(iPS細胞)から卵子を作り出して子どもを誕生させることに、京大の研究グループが世界で初めて成功したことを伝えている。昨年にはiPS細胞から作った精子での受精、出産に成功していることから、人工的に作り出した精子と卵子によって子どもを作ることが理論上可能になる。
 生殖細胞である精子や卵子の構造は、他の細胞に比べて複雑なため人工的に作成するのは難しかったという。そういう意味でも今回の成功は画期的なもので、不妊症の原因解明や治療に繋がることも期待されている。一方で、生命誕生の神秘の領域が科学によってさらに侵されることになり、倫理上の問題も浮上する。国の指針では人工的に作った人間の卵子や精子を受精させてはならないことになっているが、科学の進歩を追求する人間の好奇心がいずれその一線を超えるのは想像に難くない。科学の歴史を紐解いても、つねに神秘の領域を侵して進歩を続けてきた。
 今、生命神秘に対する科学の侵犯として問題になっているケースに、胎児のダウン症診断がある。妊婦の血液を採取して検査するだけで染色体異常がほぼ確実に分かり、ダウン症の場合は99%もの精度で判明するという。
 ダウン症と診断されれば中絶を希望する可能性があり、「命の選別」に繋がりかねないとの批判の声もある。採血という手軽さから検査する妊婦が増えて中絶が相次げば、ダウン症の人の「生きる権利」にも関わる。非常に繊細な問題といえよう。
 生命の誕生をどう考えるのか。小生は奇跡の自然現象であり、神聖で不可侵の領域だと信じている。しかし、科学はそれらの奇跡的で不可侵な領域について、必然性や法則を見つけだすものだと考える。
 男女が夫婦となり愛情を交わす果てに子どもが誕生するのは、自然の摂理に則った必然的現象である。
 しかし、男女がいつ、どのようにして出会い、愛を育んで結婚し、そしてどのタイミングで子どもが誕生するのかは、これは必然性ではなく、偶然の奇跡であろう。この奇跡を科学が解き明かすことができれば、未婚・少子化問題が解消されるが、今は夢物語。
 いずれにせよ、科学はいずれ人工的に人間を作り出す奇跡を可能とするだろう。ただ、その技術をどのように規制しコントロールするのかが、人間の生命の神秘性を守る最後の砦となるだろう。

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2012年10月04日

日本を支配する役人天国

 日本は官僚国家であり、政治は実質的に官僚に支配されている、とよく聞く。
 官僚とは超エリート群だが、ぼくは、こういう仕訳方は正しくないと思う。正しくは、日本は役人天国であり、役人が政治と行政を支配している、というべきだ、と思っている。
 役人は官僚と組合によって構成される。高級役人は官僚と呼ばれるが、一般の役人は国家公務員であり、公務員労組を形成している。
 自民党時代は、官僚が政策を発案し、政治を動かしたが、民主党になってからは組合が発言力を強化し、その頂点にあるのが日教組出身の輿石幹事長である。
 ぼくは早くから行財政改革の重要性を指摘し、とくに公務員改革については給与是正、天下り禁止、業界との癒着切りなどを力説しつつも、これらの改革は絵に描いた餅で到底実現しないだろうとも考えていた。
 なぜか、公務員改革は官僚だけでなく、地方公務員を含めてすべての役人に共通するマイナス部分があるからだ。自分たちのマイナスになる改革だから、官僚も組合もともどもに反対するのは火を見るより明らかである。
 ぼくがいつもいうように、日本の政治は明治維新で消えたはずの幕藩体制が今も尾を引き、府県が藩であり、東京の中央政府も府県の地方行政も昔でいうさむらい(武士)式の役人が仕切ってきた。役人は今も昔も袖の下に弱く、利権に強く結びつき、これが政治家をコントロールし、政策をゆがめる。
 いま、日本維新の会をはじめ、有識者が地方主権を叫び、道州制を主張するのは、明治以来の役人天国、役人政治の弊を根本的に変えねば、とする愛国の精神による。
 役人は、高級であろうと、並みであろうと、下層部にいようとも一つの共通した役人根性を持つ。それは、新しい変化を好まず、これまでの実績偏重主義であり、前例踏襲、おらが組織の安全と防衛の縦割り社会であることだ。
 今一つの特徴は、国民に命令し、君臨する支配根性である。このために、些細なことまで、法律、条例、規約で、がんじがらめの役所統制を国民に強いる。法律やその他の規制文章は難解で一般に近づきがたいが、これは寄らしむべし、知らしむべからずの旧藩時代の名残りである。
 第3の特徴は、国民を支配するために、役所機構を複雑にし、組織の人員を増やす習性を持つ。これが各省庁の縄張り意識で、それぞれが理屈をつけて事業を多くし、予算のぶんどり合戦を暗躍する。ここにきて、財務省(旧大蔵省)の特権化と政治の支配化が確立してきた。
 この古き、悪しき幕藩体制を根底から打破するのが橋下徹代表の日本維新の目標だが、不可解にもこれに水をぶっかけているのが、大手などのマスコミである。彼らは、あれほどこぼってきた自民党や民主党体制に郷愁を感じているのだろうか。古い幕藩体制の中で甘い汁をすすってきたのか。改革のないよどんだ水の中で生きるのが身についているのか。なぜ、改革の火の手に水をぶっかけるのか、おりにふれ、それらに触れて、国民とともに新しい政治の実現を希求しよう。【押谷盛利】

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2012年10月03日

子へ伝えたい食文化(見聞録)

 満月は年に12〜13回あるが、9月から10月にかけての満月は「中秋の名月」として、季節の風物詩となっている。大気の澄んだ秋空で輝くように光る月は別格だからだ。
 中秋の名月の際には「月見団子」を食べる習慣があるが、これは秋の収穫物を月に供えて自然の恵みに感謝する風習の名残りだとされる。当初は収穫物のイモを供えたが、いつの頃からか団子が主流になった。
 今年の中秋の名月は9月30日だった。台風17号の影響で一部地域でしか見られなかったが、月見団子を用意した家庭はどれほどあるのだろうか。いや、月見団子に限らず、季節の行事や節目の食を楽しんでいる家庭はどれほどあるのだろうか。
 正月にはお節料理と雑煮、土用の丑にはウナギなど、季節の節目や伝統行事の際に食す料理を「行事食」と呼ぶそうだ。その季節に応じた旬の食材を取り入れたものが多いが、飽食化が原因だろうか、そういった食文化に触れる機会が減っている。
 滋賀短大の研究者が中心になって県内在住者にアンケート調査したところによると、正月の雑煮、土用の丑のウナギ、お月見の団子、大晦日の年越しそばは、10〜20代の子世代、40〜50代の親世代、60代以上の高齢世代のいずれも9割以上が「食べたことがある」と回答した。
 一方、節分のイワシ、ひな祭りの白酒、おせち料理の「なます」などは子世代になるほど「食べたことがない」と回答している。小生も節分に福豆や恵方巻きを食べた経験はあるが、イワシはない。ひな祭りの白酒を飲んだことがなければ、「なます」という食べ物もよく知らない。
 この他、行事食を紹介すると▽七草がゆ(1月7日)▽おしるこ(1月11日の鏡開き)▽福豆・恵方巻き(2月3日の節分)▽ちらし寿司・白酒・菱餅・ひなあられ(3月3日の桃の節句)▽ぼた餅(3月20日の春分)▽柏餅・ちまき(5月5日の端午の節句)▽栗ごはん・菊酒(9月9日の重陽の節句)▽おはぎ(9月22日の秋分)▽千歳飴(11月15日の七五三)▽かぼちゃ(12月21日の冬至)などがあるが、読者の皆さんはどうされているだろうか。
 地域や家庭によって受け継がれる行事食は異なるが、飽食の時代だからこそ、あえて守り、次代に引き継ぎたいものだ。

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2012年10月02日

脱官僚の八幡氏と維新

 橋下徹大阪市長率いる日本維新の会が明日の日本政局にどんな影響をもたらすのか。
 その大胆な維新八策とうなぎ上りの人気にたちくらみするマスコミだが、今から14年も前に、滋賀県出身のエリート官僚が自ら脱藩と称して霞ヶ関の通産省を退官し、「さらば霞ヶ関」なる一書を出版した。
 その著書に流れる思想は、まさしく、橋下維新流の斬新、かつ画期的なもので、非常に興味を呼ぶので一部紹介する。
 著者の八幡和郞氏は1951年、大津市生まれ。1975年東大法学部を卒業して同年通産省に入省。フランス国立行政学院留学、パリ・ジェトロ勤務、国土庁長官官房参事官、通産省大臣官房情報管理課長など歴任。テレビや著作活動を経て、1997年退官。
 著者は「あとがき」の中で、行政改革にふれ、省庁再編に関して霞ヶ関は古い論理での省庁エゴと族議員総動員によって、せっかくの自己改革の機会を逸したと指摘し、行革が口先ばかりで、実現しない今日の状況を予言している。
 本文、第8章のなかで、「何が地方主権国家への道を阻むのか」と現在に当てはまる重大問題を提起している。八幡氏は「地方分権ではなく地方主権でなければならぬ」と明言している。それは「地方分権」は、いまの日本の政治行政システムの大枠と是認した上で、国が持っている権限を少しだけ地方に譲ってほしいというニュアンスがあるからだ、と説明。いまの日本の国家というものは、東京人の東京人による東京人のためのものと考え、こうしたシステムを地方の連合体として日本という国があるというくらいのつもりで根本から組み直すことが絶対に必要だと主張する。
 江戸幕府は大名たちと同じように独自の領地をもつ「江戸藩」であると同時に中央政府でもあったが、現代の永田町・霞ヶ関もこの体質を引き継ぎ、中央政府として、より色濃く東京政府、ないしは関東政府として機能をもち、しかもそこで権力をもつ人のほとんどは出身がどこであれ、東京を永住の地と考えている東京人であり、これは東京幕府体制と呼ぶべきだという。
 八幡氏は「東京集中は日本を滅ぼす」という本も出している。また、彼は道州制を主張している。ただ彼の道州制は、現代の都道府県はそのままにして、というのだが、それは全国に3000市町村が存在した当時の状況によるもので、現在市町合併が急速に進み、約1000市町になっているので、ぼくは、府県は廃止すべきだと思っている。
 とにかく、八幡氏は道州制はぜひ実現するべきであり、それによって地方主権への道を開くと主張。しかし、それだけでは東京幕府体制の打倒はできないとし、関西の力の源泉の多くは全国センターとして、あるいは西日本センターとしての、いわば首都機能の一部を分担していることにあり、それを失いつつあるのが関西の没落であり、それを回復維持するのが関西復権であると喝破している。
 このほか官僚論や日本の大臣の無能など傾聴すべき話題が多いが、このような優れた脱藩官僚を生かし切れない滋賀県の後進性と指導層のレベルの低さが不甲斐ない。【押谷盛利】

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