滋賀夕刊新聞社は滋賀県長浜を中心に政治、経済、文化の情報をお届けする新聞です。



2012年06月30日

政局転換を望む世論調査

 政局は小沢新党で揺れているが、国民は小沢はもちろん、民主党そのものも眼中にない。
 民主党は解体して政界再編の道を選べば生き残れるかもしれないが、現状ではそれも不可能である。この党は輿石幹事長が牛耳っているように、労組関係の出身者やそれの応援によって当選している議員、旧社会党や社民党のつながりのある議員、旧さきがけ系、旧自民党系、旧新進党系と様々なグループの混戦部隊であるから、まとまりが悪く、今回のような百家争鳴がお家芸である。
 そんなふうだから政党の背骨ともいうべき党の綱領もできず、将来の政治目標がない。言わば出たとこ勝負のその日暮らし。権力を握って、それにあぐらをかき、公務員や官僚の立場に立ち、外交的には親中国、親北朝鮮。国防上は裸のまんま。教育では、反日教育の教科書に寛大であり、君が代や国旗に対する礼を失するやり方である。
 百家争鳴だから、何か事を決しようにも、なかなか決まらない。こんな政党が政権を持つ限り日本の発展も日本人の幸せも期待する方がどだい無理である。
 読売が27日、28日に実施した世論調査の結果は、今の政局に手厳しいし、とくに民主党と小沢新党には冷ややかである。
 29日付の同紙の報道によれば、野田内閣の支持率はなんと31%、支持しないが59%。
 いま、どの政党を支持しますかの問いで、多い方から順番にあげれば、民主党18%、自民党17%、公明党4%、みんなの党3%、共産党2%、社民党1%、他の幾つかの党は0%、支持政党なしが実に52%。
 今回の消費税引き上げ法案の可決を評価するが45%、評価しないが48%。
 小沢元代表らが結成を視野に入れている新党に期待するは16%、期待しないは79%。
 今後どのような政権ができるのが望ましいか。民主党中心の政権5%、自民党中心の政権10%、民主党と自民党の大連立政権22%、政界再編成による新しい枠組みの政権51%。
 次の衆議院選挙の比例代表選挙では、どの政党に投票しようと思いますか。自民党20%、民主党13%、みんなの党5%、公明党4%、共産党3%、社民党1%、他の小政党0%、決めていない38%、答えない15%。
 橋下大阪市長が代表を務める大阪維新の会の国政進出を期待するが56%、期待しないが36%。東京都の石原新党に期待するが45%、期待しないが44%。
 以上で判る通り、国民の眼は、とっくに民主党を離れており、本来はその揺り戻しで自民党への期待が高まるはずだが、これもパッとしない。国民は、それらよりも第3極の進出を期待する。
 この世論は他の新聞社の調査ともほぼ似ており、国民がいま何を思っているか、興味を呼ぶが、この際大事なのは、人気投票のようなものはすでに結論が出ており、「閉塞感打破」「新風を吹き込め」「画期的な政権樹立」へ国民の眼が政策に注がねばならぬことで、文字通り平成維新を国民が勝ち取らねばならないことである。皮肉にも小沢騒動は国民の政治意識の向上と勉強に一役買ったといえるのではないか。【押谷盛利】

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2012年06月29日

行政サービスの値段(見聞録)

 県民の納めた税金がどのように使われ、そして日ごろ受けている行政サービスにどれくらいの税金が投入されているのだろうか。我々は納税の対価として受け取るサービスのコストを知っておく必要がある。
 そんな県民の思いを察知してか、滋賀県は県の実施する行政サービスのコストを「値札」として表示する取り組みを3年前から実施している。
 この27日には、今年度の100事業について値札が発表されたので、紹介したい。
 県内の小学5年生が学習船「うみのこ」で1泊2日の湖上体験を楽しむフローティングスクールは総額3億5833万円。今年度1万6860人の利用を見込むから、参加者1人当たりのコストは2万1253円。
 びわ湖ホールが青少年向けに実施するオペラ公演の負担金は1919万円。観客1384人を見込んでおり、1人当たり1万3869円のコスト。
 一般会計の4分の1を占める教育分野のうち、県立高校の運営費は320億8215万円。生徒数は3万1440人だから、生徒1人当たりのコストは102万0425円となる。
 びわこ放送を利用した広報番組「県政週刊プラスワン」は年間66回放送し、事業費は5015万円。1回当たり75万9924円となっている。
 除雪、消雪関連事業にも値札が付いた。長浜土木事務所木之本支所管内に限定すると、除雪機による除雪・凍結防止剤の散布などは1億2581万円。除雪区間は約175㌔で、1㍍当たり719円となる。
 同じく同管内での消雪(融雪)装置の維持管理コストは1億5488万円。消雪区間は約39㌔で、1㍍当たり3990円。
 除雪に比べ消雪装置が5倍以上の高コストとなっていることが分かる。消雪装置の設置を求める声は豪雪のたびに聞くが、その必要性もさることながら、導入・維持には費用対効果の面からも慎重な分析が必要となろう。
 なお、県は今回の値札事業にも値札を付けた。総事業費は275万円で、うち260万円が人件費だった。行政コストを県民に分かりやすく紹介する趣旨は面白いが、たった100件のリストを作成するのにこれだけの費用がかかることに違和感を覚える。担当者によると、県職員の給与は時給換算で3800円余りになるため、どうしても人件費がかさむそうだ。
 行政サービスの値札は県のホームページで公開している。ちなみにホームページへのアクセス1件当たりのコストは0・5円。県職員の手を煩わせないから、安価。

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2012年06月28日

増税反対の本音は選挙

 全く偶然であるが、27日の「梶句会」で「建て前に本音もちらり麦の秋」(大江ひさ)という句が注目を浴びた。どこが偶然なのか。前日の26日行われた衆議院本会議の消費税増税議決をめぐる民主党の造反騒ぎが胸にあるからである。
 この俳句は1週間以上も前に送られたものであるから、26日の衆議院での採決など知るよしもない。
 この俳句の作者が、混迷の政局を半ばあきれ顔に詠んだのかもしれないが、それはぼくの深読みかもしれない。作者は政局を憂えて句にしたのではなく、一農民の麦の収穫を喜ぶ表情をとらえたのかもしれない。
 しかし、句会がたまたま26日の国会の翌日だったので「本音もちらり」の部分が造反議員が胸のうちをうっかりあかしたように思われて思わずにたりとさせられた。
 建て前というのは表向きの考えで、いい子ぶったもの言いが建て前である。建て前に対する対照的言葉は本音である。人間は長い歴史のなかで、うかつに本音を出してそれが原因で不利を招いたり、身を滅すことの体験を学んだ。言わば、人間は対人関係に苦労し、うまく世渡りして成功する秘訣に、本音と建て前を使い分けてきた。ずるいといえばずるい話で、相手のいうことを疑ってかからねばならないほど、人間不信の世を形成してしまった。
 さて、変な詮索をやめて、この俳句自体を表現通り素直に解釈してみよう。結句「麦の秋」から、黄色、もしくは焦げ茶に染まってが成熟している広大な収穫期の麦畑を想起したい。
 今はないが、昔は役人が収穫前の田や畑を検見して、その出来栄えで、収穫予想を立て、それを基準に課税した。普通の人間界なら、自分の苦労や研究の成果を少しでも吹聴したくて、実際の予想より10%や20%多めに言いたいところだが、うっかり本音を言って、厳しく課税されると困るから、逆に予想より少なめに報告する。建て前は自己保身のためだから軽いウソが隠されている。そういう建て前、本音の微妙な交渉は商人の取引では普通だが、近年の国際間の外交のなかでも、本音を隠しての建て前が大手を振って歩く。
 この句、麦畑で、農民と農事組合の役員との会話ととらえれば面白い。「なかなか見事な出来ですな。随分苦心されたでしょうね」。「いやいや、あきまへん。肥料も少し足りまへんでしたし…」と、謙遜するのが農民の建て前だが、話のなかで「種選びが大事ですなあ」とか、前年秋の播種前の耕作の技術的な話をさらりとこぼす。自慢話ではないが、他の人の畑より立派な収穫予想につい無意識に鼻を高くすることがある。それが本音である。
 米の収穫でもそうである。米作農家は、耕作、苗、施肥、水管理などに人知れず苦心し、収穫を少しでも上げようと努力する。それは互いの根性と競争意欲をはぐくむ。どうしたら多収穫が可能なのか、それぞれ研究するが、お家流というか、わが家の秘伝ともいうべき手のうちはなかなかあかさない。だれが聞いてもおかしくない。もっともな説をあたりさわりもなく話す。それが建て前である。
 再び俳句の本音に戻ろう。「なぜ反対しましたか」「マニフェストに書いていない増税だから反対した」これが建て前である。本音は選挙が怖いからである。「選挙区では増税が言えません」と、いうことで、結局、次の選挙を意識しての我欲優先といえる。国会議員の腹の黒さは一筋縄では見極めにくいが、どこまでが建て前、どこに本音があるのか、水の中のウナギをつかむほどにそれを知るのは難しい。
 しかし、言わず語らず、彼らの本音を国民は知っている。選挙が怖いから、解散は任期一杯こらえて欲しい。そうはいうものの、何かのはずみで解散されたらたまらないから、そのときの「おまじない」に「増税反対」の実績をつくろう、という猿芝居。民主党は最早、政党の体をなさず、こんな党に政党交付金なる国民の税はつかってほしくない。【押谷盛利】

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2012年06月27日

政権公約の薄っぺらさ(見聞録)

 民主党は3年前、「国民の生活が第一」と訴えて自民党から政権を奪い取った。当時の「マニフェスト」(政権公約)が手元にある。鳩山由紀夫代表(当時)の顔が大きくプリントされ、「政権交代」の大見出し。
 大きく7つのテーマで公約を紹介し、一つ目の「無駄遣いの一掃」には、税金の無駄遣いと天下りの根絶、議員の世襲と企業団体献金の禁止、衆院定数80削減、国家公務員人件費2割削減などを掲げた。
 しかし、現実は無駄遣いの象徴としていた「八ツ場ダム」の建設続行を打ち出し、新名神の「抜本的見直し区間」とされていた工事凍結区間も着工へと舵を切った。「コンクリートから人へ」のスローガンはいつの間にか消し飛んでいた。
 議員の世襲と企業団体献金の禁止が法制化された記憶もない。小沢一郎元代表の「政治とカネ」裁判はグレーのまま秋に控訴審が始まる。
 国家公務員の人件費削減、衆院定数の削減もまだ実現していない。
 二つ目は中学卒業までの子どもに月額2万6000円を支給する「子ども手当」や公立高校授業料無償化などだった。子ども手当は財源不足で半額となったうえ、年少扶養控除を廃止したから恩恵は知れていた。高校授業料無償化は、元々進学率の高い高校で授業料を無料にしたところで、何の効果があったというのか。両政策は単なるバラマキであり、そのツケは借金として子どもたちに残る。
 三つ目は年金制度の一元化、後期高齢者医療制度の廃止だったが、いずれも有識者らでつくる「社会保障制度改革国民会議」の議論に委ね、放置している。
 四つ目には高速道路の無料化やガソリン暫定税率の廃止などを掲げていたが、無料化は一部の過疎地域で試験的に実施したに過ぎず、「ガソリン値下げ隊」はどこか遠い話となった。
 残りのテーマの雇用・経済、消費者・人権、外交の3つの解説は省くが、3年前の総選挙で列挙されたマニフェストの達成度は読者も知る通りだ。
 国民との約束を放置し、公約にない増税に政治生命を掛ける野田首相と民主党。マニフェスト巻末の「変わるのは、あなたの生活です」との大見出しは、消費税増税法案が衆院を通過した今、笑えないジョークとなっている。
 少子高齢化で毎年1兆円も増え続ける社会保障費の財源が必要だという主張は理解できる。しかし、バラマキを放置し、歳出削減にも取り組まないままの増税は、穴の空いたバケツに水を汲む行為だ。国民の負担は湯水のごとく消える。

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2012年06月26日

国益を損なう民主党外交

 日本のマスコミは連日のように民主党のお家騒動をおもしろ、おかしく報道し続けている。国民の信頼を失った民主党政権に最早期待するものはなにもない。
 野田内閣は一刻も早く退陣すべきであり、新しい政治は衆院解散による民意に委ねるべきである。
 いまの政局を眺めると野田民主党と谷垣自民党のなれあいで、両党の大連合政権樹立が戦略化されている。なんのことはない、両党とも国家の危機や安全、教育問題などにからきし関心がなく、あるのはひたむきな権力指向だけである。国の経営に関する死にもの狂いの赤心はなく、大臣や役職、ポストに目がくらみ、政権のとりでの中で利権や名誉欲、支配欲を充たそうとする猿知恵だけである。
 現在のつまらぬ政局の混迷は、国民の閉塞感をつのらせ、国民の期待は民主党からも自民党からも離れてしまった。
 橋下大阪市長の次期衆院選をねらう大阪維新塾への期待は想像以上だが、これは、民主党、自民党への「ノー」という怒濤の如き国民のサインである。
 マスコミは、真に国民の幸せと国家の繁栄を願うなら、この国民の声に反応し、事態の真実を解明する必要があるし、日本の国益について、国民と国家にスタンスを置いた報道やキャンペーンを展開すべきである。
 中国の覇権主義は日本の主権と安全を危うくさせるが、それは日本のみならず、東南アジア諸国への脅威にもなっている。石原東京都知事の尖閣諸島買収問題は、12億円を超える国民の募金が明らかに示すように、政府は直ちに国家の予算でこれを買収すべきにも拘わらず、いまだにほおかむりして中国に遠慮しているではないか。
 中国だけではない。民主党政権は韓国の理不尽な「慰安婦問題」についても国としての明確な主張や外交的措置を欠いて、日本の信用をおとしめている。
 韓国の日本に対する慰安婦問題は真実を超えて、ごり押しに日本への賠償請求に発展している。この国の常軌を超える運動は日韓関係の不幸な火種になろうとしているが、政府はなんらの手も講じていない。
 1965年の日韓基本条約締結と国交正常化に伴い、日本が韓国に無償提供3億ドル、有償2億ドルの支援で、両国・国民間の財産請求権を最終的に解決しているにも拘わらず、韓国ではことあるごとに政治問題化している。
 これについては「正論」7月号で自民党の参議院議員・山谷えり子氏が目からうろこのようなアメリカでの実話を紹介しており、日本は政局騒ぎどころではない。ソウルの日本大使館前に韓国の運動団体が慰安婦像を建てたことは両国の友好上、遺憾なことだが、これに歩を合わすかの如く、韓国政権は元慰安婦への賠償請求権の協議を日本側に提起している。
 ところで、山谷議員が有志議員団とアメリカへ渡ったのはとんでもない異変がアメリカ・ニュージャージー州パリセイズパーク市の公立図書館に起きているからである。それは「日本帝国政府の軍によって拉致された20万人以上の女性と少女」などと記された慰安婦の碑が設置されており、同議員らは市長に撤去を要請したが、話し合いはもの別れになった。碑は2年前に設置されたが、こんな重要な問題を民主党内閣は国民に伏せていた。【押谷盛利】

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2012年06月25日

命の大切さ教えたい(見聞録)

 22日付け滋賀夕刊に掲載された投書「命の大切さ教えて」に対し、複数の読者から電話を頂いた。
 投書は6月9日午後8時半ごろ、花火をしていた男児4人が猫を見つけ、追いかけ回したうえ、猫が車にひかれたのを見て喜んだという内容だった。
 この投書に対し、読者は「大変ショックを受けた。子どもは時に残酷なことをしますが、自分のやったことの重大性をわからないこともある。酷いことは酷いと教えて欲しい」「猫を飼っているわけではないが、背筋が凍る思いになった。家庭や学校で命の大切さを訴えて欲しい」などと語り、ある読者は「午後8時半に子ども達だけで花火で遊んでいること自体が問題ではないか」とも指摘していた。
 「神戸の少年の事件も猫を殺すところから始まりました」と、猫を死に追いやった行為を神戸連続児童殺傷事件(酒鬼薔薇事件)とリンクさせる読者もいた。
 子ども達に命の大切さをどのように教えるのか。これは家庭でも学校でも難しいテーマではないか。
 子どもは成長過程で多くの生き物に興味を持ち、生き物に触れることで命の存在に気付くのではないか。幼児のころ、きれいな蝶を捕まえても強く握って潰してしまったり、飼っている虫にエサを与えなかったりと、無知ゆえに小動物を死に至らしめることもある。
 また、虫を棒でつついたり、追いかけ回したりと、生き物への興味から生まれる行動が、大人から見ると時に残酷に見えることもある。
 小生も子どもの頃からクワガタ、ザリガニ、ブラックバスなどを飼い、どれだけ死なせてきたか。「カエルは水中にどれくらい潜っていられるのだろうか」と十数匹のカエルを籠に入れ、長時間、水の中に沈めて全滅させてしまった時の衝撃と罪悪感は今も鮮明に残っている。
 子どもはそういう行動を通して生き物の生態や命について理解を深めるのではないか。「今の子ども達は生き物に触れる機会が減っているから、命の大切さが分からない」との指摘もあるが、結局のところは家庭環境に尽きる。
 猫を追い回した挙句に死に至らしめた子ども達の本心を知ることはできない。その夜、布団の中で自分のしたことの重大さに気付き、後悔し、罪悪感にさいなまれたかもしれない。
 投書の主は「子ども達が少しでも優しい心の持てる人間に成長することを切に願います」と締めくくったが、その役目は家庭、学校、そして地域の大人達が果たすべきだ。特に、家庭や学校で改めて命の大切さを説いて欲しい。

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2012年06月22日

国益を無視する野田内閣

 野田内閣と民主党政権は国益の上から一日も早く退陣させねばならぬ。
 民主党に日本の政治を委せたら親中国、親北朝鮮の路線を突き進み、国家の独立や安全を危うくするのがみえみえであり、わかりやすく言えば中国の属国となる。中国の属国になれば、どんな政治が行われるか。政府を批判しただけで、逮捕され、家族までが看視される。言論の自由もデモの自由もなく、人権は否定される。
 中国は軍事力を傘に、日本の領空や領海をおびやかす姿勢を高めつつあるが、これに手を貸しているのが、民主党の政権である。
 小沢一郎元代表が鳩山元首相の幹事長時代、自分の子分の国会議員などを中心とする400名からの訪中団を組織し、それぞれに先方の支配者から握手の御慈悲を戴かせたことは忘れられない国辱的事件だった。
 その中国に派遣されている日本の大使は経済界の出身者だが、この男、中国に媚びるつもりか、日本を悪しざまに言って問題となっているが、野田首相はクビにすることもしない。尖閣諸島を東京都知事が買収することを進めているが、本来は、国が買い取るべきものである。ところが、在中日本大使は、こういう動きを牽制して、「中国との友好を傷つける」と、外国のメディアに声明しているのだ。お前は日本人なのか、中国に買われているのか、と怒るのが大方の国民であるが、民主党政権は「注意」でほおかむりしている。
 中国の日本攻略には奥の、奥の手が潜んでいるが、これまた民主党政権はだらしがないというのか、あなたまかせの無手勝流である。新潟や名古屋を始め、日本の各地に中国が土地を買い込んでおり、領事館用地なども不必要な広大さで、なぜ日本の土地を買いあさるのか。疑念が先立つが、日本政府はこれに規制をかけるあんばいでもない。
 民主党は永住外国人に選挙権を与えるべく早くから爪を磨いているが、日本に一番多いのは中国人と朝鮮人である。これらの外国人が選挙権を行使すれば、議員や首長に、その友好関係者が当選する可能性がある。軍事力による日本への影響のほか、日本在住の外国人が内部から日本の政治に関わることになる。
 こういう売国的内閣や党は、日本人を若いうちから洗脳させねばと、中学や高校の歴史、地理の教科書を通じて反日思想を吹き込んでゆく。反国家教科書がまかり通る今日の日本の教育的危機は末恐ろしいが、日本の最大野党の自民党はこれらの不安をただし、一日も早く野田民主党政権を倒さねばならぬのに、むしろ逆にその延命に手を貸しているではないか。
 怒らぬ国民がいればフヌケか、先方の心酔者であろう。【押谷盛利】

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2012年06月21日

文化振興と補助金のバランス(見聞録)

 大阪府と大阪市は二重行政解消へ改革方針を決定した。地下鉄やバスの民営化、民間委託、不採算路線の廃止・見直し、水企業団と市水道局の統合、ごみ処理の民営化、府立大と市立大の統合、府営住宅の市への移管、文化施設の府市一体運営などを盛り込んでいる。
 これにより職員1万人を非公務員化し、組織をスリム化する。経費も年間200億円削減できる。
 府市統合本部による二重行政の解消は無駄の削減と肥大化した行政組織のダイエットにつながるが、橋下改革では行政組織のみならず、聖域とされてきた文化団体への補助金削減にも踏み込んでいる。
 大阪市は20日、大阪フィルハーモニー交響楽団の補助金を10%削減する方針を固めた。補助金頼みだった同楽団に3年を目途に自立に転換させる。当初は25%削減も検討されたが、自立には一定の期間が必要とした。
 大阪フィルは、クラシックを通じた地域での音楽文化の普及・発展などをめざすが行政がどこまで支援するのか。財政難の自治体には頭の痛い課題だろう。
 大阪府が主導して1988年に設立した大阪センチュリー交響楽団は毎年約4億円の補助金を府から受けていたが、橋下改革で全額カットされ、現在は日本センチュリー交響楽団に改名し、民営化した。
 一方、毎年の長浜公演がチケット完売の人気となっている関西フィルハーモニー管弦楽団は行政の補助金に頼らず、自力で企業スポンサーを集め、コンサートを成功させている。指揮台に提供スポンサーの名前を記して公演するなど、自主運営の関西フィルがいかに出資者を意識しているかが、うかがえる。
 関西フィルの公演スタイルのひとつに観客出資というユニークな取り組みがある。コンサートの開催資金をチケット販売のみで調達する手法で、1口何千円という出資を幅広く募り、特定金額に達すればコンサートを開くというもの。目標を達成できなければ返金する。
 伸び悩む景気の下、企業からの大口支援が難しくなる昨今、一般の小口出資を積み上げてコンサート開催資金を獲得しようという妙案だ。出資者は曲目をリクエストできるなどの特典もあり、クラシック音楽の裾野を広げる取り組みとして興味深い。
 関西フィルの取り組みには橋下市長も「観客出資コンサート。こういう制度には何らかの支援をやるべきではないか」と記者会見で述べている。
 「伝統文化だ、芸術性が高いんだ、といって補助してもらうのが当たり前という考え、客の方から来るのが当たり前という姿勢はいかん」として、「客を集める努力は文化にも求められる」と指摘していた。
 関西フィルの藤岡幸夫・首席指揮者が先日、長浜市役所を訪れ、市長と面談したのもトップセールスの一環だろう。同氏は常々「クラシック音楽への敷居を低くしたい」と語っている。
 長浜公演では演奏の間にトークを交えて曲目を紹介したり、来場者が参加できるコーナーを設けたりと、普段クラシック音楽を聴かない人にも楽しんでもらえるように工夫している。
 行政の補助金に頼らず、その文化・芸術の裾野を広げようというその姿勢を応援したい。

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2012年06月20日

化け物による政治ロス

 魑魅魍魎がうろうろしている、と今の国会を風刺したが、それは茶化しているのではなく、怒りをこめてのぼくの批判である。ちみ・もうりょうは化け物のことで、妖怪変化と思えばよい。化け物に国の政治を託してよい結果が出るはずがない。民主党がダメなのは、大方の国民の認めるところだが、不可解なのは、そのダメな民主党に手を貸して野田内閣を延命させている自民党である。
 野党呆けしているのか、谷垣総裁も石原幹事長も国民の声に耳を塞いで、増税、増税と、野田内閣を後押ししている。
 民主党はダメだ、と国民からそっぽを向かれているのは、3年前の2009年衆院選での大ウソにつきる。マニフェストという新しい言葉を流行させてあれもする、これもする、あれもタダ、これもタダ、と、甘い公約を餌にまんまと国民をだました。
 おさまらないのは国民である。その後の世論調査で見る通り、民主党への期待は反感になり、支持率は20%を割る始末。しかも、できの悪い第1期の鳩山元首相は防衛や外交などで、みそをつけ、対米関係に大きな負を残して退陣。第2期の菅氏は、昨年の3・11東北災害と原発事故でリーダーたる的確な指導性もなく、いまだに被災地から非難されている。
 自民党の短命内閣を批判し続けた民主党が、厚顔にも自民党同様、毎年総理を換えて、目下の野田総理はこれという実績もなく、ひたすら消費税増税に政治生命をかけるという。かけるなら、かけるがいいが、「はい、そうですか」と国民が許すはずがない。消費税アップと社会保障一体改革というもっともらしい法律を自民、公明の協力で通す段取りだが、肝心の民主党内は騒然として、けんけんがくがく、決まりそうで決まらない。
 「解散」のおどしで、何とか衆院突破を考えているが、雲行きは暗い。反対派が決起して、新党をつくる機運もあるし、自民党内にも反執行部の動きが目立ち始めた。
 自民党は民主党が大ペケなので、その分切り返しがきいて、次は自民党の時代になると、うぬぼれているがそうはならない。どいつもこいつも同じ穴のむじなだと、国民は冷静に眺めている。
 税金を上げるは、健康保険料は上げるは、高齢者の負担も上げるは、そして、ほんのいいこぶって、低所得者に、消費税の分をお金で返すという、下の下の政策を考えた。ばらまきがいかにばかげているか、はこれまでの自民党政権のやった商品券交付の失敗が明らかである。
 いま、自民党、民主党の幹部は「解散」を守護神のように称えているが、彼らの本音は解散回避なのだ。いま解散を望むのは国民だが、それによって天下を握るのは、自民党でも民主党でもない。両党への不信が、逆に第3極の政治進出を期待する。国民の声は第3極へ、草木もなびく勢いである。だから解散はしない。両党幹部の腹の中は大連立で、当座の危機を防ぐ漫画である。
 化け物の世界だから何が出るやら分からないが、政治の足踏みで、肝心な外交や防衛、教育問題が空屋になっているのが問題だ。【押谷盛利】

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「無買週間」のススメ

 改めて、家の中を見渡せば、タオルや食器などの贈答品、使わなくなった健康器具、大量のポケットティッシュなど、「本当に必要なの?」と思える不用品があふれているのではないだろうか。
 そういう物あふれの生活を見直すため、「断捨離」なる言葉が脚光を浴びているのは、過去に小欄で紹介した。「断」は入ってくる物を断つ。「捨」は無用の物を思い切って捨てる。「離」は物への執着から離れる、ことを指す。堅苦しい哲学的な概念ととらえず、家庭内の整理整頓術と思えばよいだろう。ただ、貧乏性にとっては「捨」が難しい。「いつか使うのでは」と、残してしまう。それが物あふれの元凶だと分かっていても…。
 ならば、「入ってくる物」を断つことから始めたい。それを後押ししてくれる企画が16日の朝日新聞の別刷り「be」で紹介されている。1週間、何も買わずに過ごす「無買週間」に挑戦するというもの。
 無買週間のお手本は毎年11月の最終週末に世界各地で展開される「無買日」に由来する。カナダのアーティストらが消費至上主義的なライフスタイルを見直すために提唱したのが始まり。大量生産—大量消費—大量廃棄という地球に優しくない現代生活に一石を投じる運動だ。
 では、1週間まったく何も買わずに過ごすことが可能なのだろうか。最も心配するのが食事の準備だが、買いだめは本末転倒なのでNG。家にある食材だけで1週間の食事を準備する。不可能そうに思えるが、米があれば主食はまかなえる。うどん、そば、そうめん、パスタなどの乾麺もあるだろうし、小麦でパンも作れる。
 問題はおかずだ。2、3日は冷蔵庫の在庫整理となるだろう。ただ、日を重ねるごとに食材が少なくなる。朝日新聞beでも「ちくわ、乾燥わかめ、さけ缶などという難易度の高い組み合わせ」が出てくると指摘している。
 そこで家人の知恵と工夫が求められる。アイデアを駆使して余った食材でオリジナル料理に挑戦することになる。幸い、インターネットの世界では、あらゆる食材を使ったレシピを紹介している。
 無買週間を終えたころには、冷蔵庫やキッチン周りがすっきりとしていることだろう。
 食事以外では、例えば近所の量販店でティッシュペーパーの特売をやっていても、家に余っているであろうポケットティッシュを使う。子どもが新しいおもちゃが欲しいと言えば、手作りする。学校の工作でペットボトルが必要ならば、近所をあたってみる。
 必要なモノが発生した場合、単に「買う」という行動で解決するのではなく、何かで代用できないか、近所で融通し合えないか、と知恵を凝らして工夫する機会となる。
 まずは1日、2日と短期間からの無買週間にチャレンジしてはどうだろうか。財布にも地球にも優しいし、「お金が使えない」という条件が新たな発見や知恵を生み出し、日常生活のアクセントになるかもしれない。

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2012年06月19日

日本の領土、どう守る?(見聞録)

 中国の有人宇宙船が18日、地上から約343㌔の軌道上で、無人宇宙実験室とドッキングした。長期滞在可能な宇宙ステーションの建設へ、歩みを着実に進めている。
 中国の宇宙開発は、最先端の米国に比べ20年遅れているとされるが、その開発技術は軍事にも転用でき、脅威論の増幅は免れない。
 さて、16日に開かれた滋賀県防衛協会長浜支部総会での甲斐田幸輝一等陸佐の講演は、中国の脅威と日本の国防を考えるうえで非常に有為であり、防衛協会の会員しか聴講できなかったのが残念でならない。
 中華思想を背景とする中国の覇権主義で、将来の日本の主権と安全に危機感を抱いた。
 太平洋を米国と分かち合い、西半分の支配を目指す中国。しかし、中国からの視点で太平洋を眺めると、日本列島が巨大な障害物としてゆく手を阻んでいる。
 日本列島と台湾の間の約1200㌔が太平洋へ抜け出るルートとなるが、尖閣諸島や沖縄など、日本の南西諸島が大いに邪魔している。
 いかに日本の南西諸島を切り崩すかが、中国の海洋覇権には欠かせないテーマだ。
 海洋覇権への第一歩である尖閣諸島の実効支配へ向けたシナリオは▽領有権主張・領海法制定(第1段階)▽海洋調査(第2段階)▽巡視・調査船活動強化、海軍艦艇・戦闘機による監視活動(第3段階)▽武力衝突(第4段階)▽半永久構築物の建設(第5段階)—からなる。フィリピンから南沙諸島を奪ったシナリオと同じで、現在は第3段階に入っているとされる。
 尖閣諸島の次は、沖縄を含む南西諸島の実効支配へ向け、新たなシナリオがスタートする。そして南西諸島を支配下に置けば、日本と中東を結ぶ「シーレーン」は中国の意のままとなる。日本の生殺与奪権を握るのと同義だ。
 では、日本は中国の海洋覇権にどのように対処すべきなのか。南西諸島の防衛力強化と日米同盟の深化は不可欠だ。そして日本政府の毅然たる対応が求められる。
 しかし、現実はどうか。尖閣諸島への自衛隊の常駐どころか、日本人の上陸さえ許可せず、無人島として放置したままだ。自民党政権時代から中国の顔色をうかがい、何の手も打たなかった。この無策が中国の行為をエスカレートさせた。石原慎太郎東京都知事が尖閣諸島の購入を訴えたのが、唯一の光だろう。
 ただ、日本が尖閣諸島の守備へと行動を移すとき、中国からの締め付けを覚悟する必要がある。中国国内の日本人を人質に取ったり、レアメタルなどの輸出を制限したりと、露骨に報復することは2年前の中国漁船衝突事件でも明らかだ。
 そういう中国の報復に立ち向かう策と覚悟が今の日本政府と国民にあるのかが一番の課題だろう。
 歴史も国際法も「独自解釈」を押し通す、したたかでやっかいなこの国に、政府と国民はどう向き合うのか。道を誤れば、10年後には尖閣諸島に五星紅旗が立つ悪夢を見るかもしれない。
 消費税や年金問題よりも国家の行く末を危ぶむ深刻な課題であろう。

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2012年06月18日

魑魅魍魎の政界に直言

 戦後、自民党総裁になり、5次にわたって内閣を組織した吉田茂は、白足袋、和服、ステッキ、葉巻き、毒舌など非常に個性の強い政治家だった。大臣の粗製乱造は子分を掌握する彼の政権支配の戦術だった。
 新聞記者を煙にまいたが、ユーモアがあって、憎めないところが、マンガの材料になった。
 麻生元首相は吉田茂の孫だが、国会演説などから漢字の読み違えを指摘されて、意地悪く国語力の無能と叩かれたが、吉田茂はその点、風格が違った。彼は新聞記者に「愛読書は何か」と問われるや、平然と水戸黄門や遠山金さんの登場する捕物帖など講談本を上げた。
 有名なのは国会をあざ笑って、猿にたとえた。本会議での野次や与野党の談合などを見て、猿の世界の縮図と見立てたところは一つの見識である。
 交差点をサイレンを鳴らしてノーストップで車を走らせたことも話題になったが、寸時を惜しむ国政の大御所なれば、安全のためにも許されるべき行為といえる。
 国会で意地悪い野党の質問に逆上して「バカヤロウ」とあびせたのが、問題となり、国会解散に発展した。いわゆるバカヤロウ解散で、彼は負け、吉田自由党から鳩山(一郎)民主党に政権が移る。
 今の民主党の鳩山由紀夫元首相は一郎の孫だが、出来の悪い点では戦後最低とランクされている。
 それはともかくとして、吉田の偉大さは弟子を育てたことである。所得倍増論で、成長期の日本を活気づけた池田勇人、戦後最も長く政権を担当した沖縄返還の佐藤栄作両首相は彼の弟子の優等生だった。
 このような過去の大物政治家の足蹟を思いつつ、目下の中央政権を見渡すと、皮肉にも、中途半端な、民主、自民両党の出来の悪さばかりが目につく。
 ぼくは猿説をとらずに、魑魅魍魎がうろうろしている、ときめつけたい。「ちみ」とは物の怪のことで、化け物。「もうりょう」もいろいろんな化け物。様々な妖怪変化のうろうろしているのが、今の民主、自民の両党の実態である。
 消費税の増税をめぐる両党の話し合いのちんぷんかんぷんと言い、国民への耳障りを気にしての「消費増税一体改革案」なる絵といい、みなまゆつばものである。
 自民の谷垣総裁は「解散」の約束を手中にと、野田総理にすり寄っているが、総理の足元は蜂の巣をつついたように、増税反対ののろしがひろがっている。
 ちみもうりょうだらけだから、つかみようがないが、一党の党首である総理の声が鼻歌か寝言のように軽んじられては公党の面目がさらさらない。
 野田の首を切る、のと同じような傍若無人ぶりが赤じゅうたんを闊歩しているが、不思議なことに、自民党とのパイプが太くなるにつれて、民主党の野田政権は息を吹き返しつつあることだ。
 敵が味方で、味方が敵という、この不思議な方程式は、ちみもうりょうどもだから解けるが、国民にはいっさい分からない。その分からないところに潜入して、この国の国会のだらしなさを国民に訴えたい。【押谷盛利】

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2012年06月15日

健康法は本よりも実践

 健康に関する本は山程あるが、それは、需要があるからで、需要があると言うことは、自分が病んでいるか、身内に病人がいるからである。
 健康で長寿したい、のは人間共通の願望だが、医者にかかり、クスリを服用すれば大丈夫と考えるのは大間違いで、医薬は大事だが、根本的なことは病気にならない、病気を克服するための生活改良である。
 生活への反省や工夫を忘れて、いざというときは病院へ走ればよいと考えるのは本末転倒であり、そういう横着な人は健康にご縁がない。一番大切なことは、われわれは神さまから自然治癒力を頂いているという自覚であり、その自然治癒力をいかに強化するかにかかっている。
 自然治癒力を強化するには、日常生活において、できるだけ反自然を避けることである。
 住む家、着るもの、食べるもの、道具類、歩行など、あらゆるものを考えるとき、文明と反比例して、われわれはますます反自然の生活を深くしていることに気がつくはず。従って、どこからでもよい、何から始めてもよいから、反自然を少しでも少なくする努力をする。
 家は木造、土壁、畳、障子が最高だが、困難なれば通風だけでも意識的に改良したい。衣料品は綿、絹、麻など天然繊維に限る。
 家庭には省力用の電化製品が溢れているが、できるだけ、手や足をこまめに使う習慣をつけるよう心がける。楽をするのが反自然である。
 車社会だからといって、すべての足を車に委ねるのは反自然。バスや電車を利用すればその分、足や腰を自然強化する。エレベーター、エスカレーターは利用しない。
 生きることの基本は食事であり、食生活は自然への回帰を心がけること。主食は米、それも玄米か3分搗き。日本古来からの発酵調味料である味噌、醤油、酢を使っての野菜中心の献立。豆類、海藻類、魚類は少々。肉食や砂糖、乳製品は遠ざけ、果物も少なめ、飲みものは日本茶、それも番茶が一番。
 食べ物は野菜を始め、すべて、自分の住んでいる土地のもの、旬のものを心がける。疲れは休息でほぐし、夜は熟睡を心がけ、睡眠薬などは用いない。
 こういう生活を実践し、一歩でも近づくようにすれば自然に治癒力は高まり、おのずと病気知らずの体になってゆく。
 先人が書いた本や、この道の大家や経験者の健康をテーマにした雑誌類は本屋にも図書館にも溢れているが、どれも立派であり、いいことを説いているが、読むばかりではつまらない。一つでも二つでも実践することである。実践すれば必ず反応はあり、それも継続すること。
 ただし、人間の体は一人ひとり個性があり、自分の体質にあった健康法を考え模索すること。Aの経験が、だれにでもあてはまるとは限らないから、それぞれが自分に科して、自らの健康法を実践するのが最高であり、医薬に頼らない強い体になってほしい。
 これがぼくの念願である。【押谷盛利】

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2012年06月14日

震災がれき広域処理(見聞録)

 東日本大震災のがれきの広域処理が進まない。環境省によると、5月21日時点で宮城県には1154万㌧、岩手県には525万㌧のがれきが発生し、両県ではそれぞれ127万㌧、120万㌧の広域処理を要請している。
 しかし、これまでに受け入れたのは青森、秋田、山形、群馬、東京、静岡の1都5県の自治体のみ。埼玉、福岡の2県の自治体が受け入れに向けた試験処理を実施している。
 震災直後は多くの国民が被災地の苦難を分かち合おうと誓い、「絆」という言葉が注目されたが、現実は被災地の要請するがれき広域処理に消極的な自治体が多い。震災がれきに放射性物質が含まれるのではないか、という懸念が要因だ。「原子力」や「放射能」に過敏に拒否反応を示す国民、団体の反発もある。
 例えば、受け入れを表明した北九州市は、先月、試験焼却のため震災がれきを搬入したが、反対派がトラックの進入を妨害して逮捕されるなど、大騒ぎになった。
 では、試験焼却の結果はどうだったのか。放射性物質は検出されたのだろうか。5月23日から3日間の試験焼却の結果、焼却前後の大気中の放射線量にほとんど変わりはなかった。「安全」というのが、北九州市の結論だった。放射性物質による危険性が無いことが証明された以上、本格的ながれき処理へと進むことを期待したい。
 では、長浜市はどうか。藤井勇治市長は安全性の担保と市民の理解を条件に、オールジャパンで震災がれき処理に取り組むべき、との姿勢を示している。
 13日の市議会一般質問では竹本直隆議員が「一刻も早い処理が望まれる」と改めて市側の姿勢を質した。
 市民生活部長の答弁は「国の基準と関西広域連合の基準に隔たりがある。焼却灰の受け入れ先である大阪湾フェニックスの受け入れ基準が明らかになっていない」とし、「市民に説明できる情報がない」だった。
 「フェニックス」は大阪湾に浮かぶ最終処分場で、近畿の自治体の焼却灰を埋め立て処理している。現在、震災がれきを受け入れの可能性が模索されており、ここの体制が整わない限り、仮にクリスタルプラザで焼却処分しても焼却灰の持って行きようがない。ゆえに、様子見というのが長浜市の姿勢だった。
 そもそも、広域処理が進まない要因は原子力行政への不信感だ。環境省はがれき1㌔当たりの放射性セシウムが8000ベクレル以下なら処理は問題ないとして都道府県に受け入れを要請しているが、環境省の言い分を信じる国民は果たしてどれほどいるのだろうか。
 受け入れを表明している自治体でも環境省の基準より何十倍もの厳しい独自基準を設けている。北九州市は330ベクレル、群馬県は100ベクレル以下なら受け入れるという独自基準を設けた。
 広域処理をやめて地元で最大限封じ込めるように求める声もある。
 「絆」という精神論だけでなく、試験焼却などの科学的裏づけの積み重ねこそ重要だが、その試験にさえ消極的な自治体に、被災者は何を思うのか。放射性物質の拡散防止は言うまでもないが、震災がれきのスピード感ある処理が急がれる。

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2012年06月13日

生活を反省し感謝の心

 ぼくが健康にくどい程やかましく筆を執るのは、ひとりひとりの幸せと国の医療費を少しでも減らそうとする公民意識からである。
 反自然が健康を破壊する、というのはぼくの生活実践上の信念でもある。人間は他の生物を犠牲にして自分だけよければと思っているかもしれないが、自然の生態系を破壊すればそのしっぺ返しで人間自身が傷つき病まねばならぬ。
 そのしっぺ返しが例えば公害であり、少子化であり、精神病の多発につながる。病気は医療とクスリで治ると信じているが、病菌と医療はいたちごっこで、昨日効いたクスリが、今日は効かなくなるという耐性菌の問題もあるし、服用し続ける結果、薬害のしっぺ返しに泣くこともある。
 自然に反してはならない、というのは自然を大切にせよ、自然の声に耳を傾けよということになる。
 夜が来れば寝て、朝が来れば起きる。これが自然であるから深夜族や深夜放送、深夜業などは反自然であり、病気の元をつくっている勘定になる。夏の冷房、冬の暖房なども、度を越せば反自然である。
 冬に西瓜や胡瓜、トマトを食うのも反自然。化学物質である添加物を使った食べ物も反自然である。今の日本人で添加物に無縁の人は一人もいないが、これを意識の底に置いて、できるだけ添加食品から遠のく生活を実践すること。
 調味料でいえば、日本古来からの味噌、醤油、酢を使うのが最高。それ以外の調味料はすべて反自然。味噌、醤油、酢は糀などによる発酵食品であり、健康に最適でありながら、年々これを使わぬようになった。
 ついで乍ら、梅干し、らっきょう、紅ショウガ、漬物類も日本古来からの自然食品である。
 いまは、クスリ万能だから、風邪気、頭痛、肩こり、どんな前ぶれにも、すぐクスリを乱用するが、人間には本来(動物も一緒だが)、自然治癒力を神さまから頂いている。自然に逆らわず、生きていれば自然治癒力はますます充実して、外敵が侵入しても、これをやっつけてくれる。
 クスリに依存していれば依存症となり、そのクスリもだんだん効かなくなる。
 近年、運動がやかましく叫ばれ、スポーツ施設へ通う人もあるが、そんなことをしなくとも毎日歩いたり、こまめに手作業すれば運動になる。車の利用を控えめにし、自転車よりも歩く習慣をつけること。
 日本人は古来草食(野菜)を主とする食事が伝統であり、西洋人と比べて腸が長いから、肉食は適さない。日本は年間を通じ湿気が多いから、風を通す家が理想だが、近年は窓ワクがサッシになり、従来の土壁がなくなり通風がきかなくなった。つまり、住居そのものが反自然の構造になっている。
 結婚年齢が上がり、少子化の原因の一つとされているが、男に男らしさが少なくなったり、心を痛む人が多くて、わけの分からぬ他殺事件が頻繁するなどの社会現象も反自然の生活と関係が深い。反自然を少しでもやめようとするには、ものごとへの感謝の心、足るを知る心が大切だが、子を持つ親は、率先して神仏や先祖に合掌すること、食べ物への感謝をしつけにすること。【押谷盛利】

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2012年06月12日

物騒、多難な世の中(見聞録)

 今朝の朝刊、社会面は物騒なニュースであふれている。
 大阪ミナミの繁華街では「自殺しようと思ったが、死にきれなかった」「誰でもよかった」「人を殺せば死刑になると思った」と自暴自棄の男が、見知らぬ通行人2人を刃物で刺し殺した。
 物騒というより、狂気の極みであり、大阪府の松井一郎知事の「死にたい言うんやったら自分で死ね。人を巻き込まずに自己完結してほしい」と、吐き捨てる気持ちはみんな一緒だ。
 この男は覚せい剤で2度、刑務所に入り、5月下旬に出所したばかりだった。仕事も住む場所もなく、自暴自棄になった挙句の凶行だった。
 この男のように出所後、職が見つからず再犯に走るケースが多い。法務省によると、出所後に罪を犯し、再び刑務所行きとなった人は約1万5000人(2010年)。定職がない人が7割を占めるという。
 刑務所で更生しても、職が無いからといって犯罪に走れば元の木阿弥。出所後の元受刑者をサポートし、社会復帰を果たせる仕組みを整備することが欠かせないだろう。
 ミナミのような凄惨な通り魔事件は特殊として、滋賀県内や長浜でも気がかりな事件や事故が多々ある。新聞で紹介されるのはその一部だが、警察や自治体では県民生活に関わりの深い防犯や消費生活情報などをきめ細かにメールで提供している。小生もメール登録をしているが、最近、件数が増えている気がしてならない。
 例えば6月のメール。1日は、痴漢多発警報と、高齢者・女性を狙ったひったくりの多発警報を知らせる内容。女性や高齢者に外出時の注意を呼びかけるものだった。
 4日のメールは近年ヒラメの刺身や寿司による食中毒が発生しているとの情報。ヒラメの寄生虫クドア・セプテンプンクタータが原因であり、マイナス15~20℃で4時間以上凍結するか、75℃で5分以上加熱するよう求めていた。
 6日は振り込め詐欺の情報。彦根市内で息子や夫を騙る詐欺未遂事件が発生し、注意を促した。
 8日は水周りの工事を巡るトラブル。「緊急対応」「24時間対応」との広告を見て頼んだ業者がいきなり便器を外して交換を迫ったり、説明無しで作業し威圧的態度で高額料金を請求するトラブルを紹介し、「いざというときのために信頼できる業者を探しておきましょう」と呼びかけている。
 8日は愛荘町の飲食店が提供した仕出し弁当で11人がノロウイルスによる食中毒となったことを伝えている。
 そして、きのう11日は旧浅井町内で3件連続して発生した文化財盗難事件。「犯人は何度も下見を繰り返している」として、不審な人物や車を見たら、用心するよう呼びかけている―。
 以上のように事件や食中毒、悪質業者など様々なトラブル情報が届く。物騒とまではいかないが、「水と安全はただ」と呼ばれた時代からは想像もつかない。困った世の中になったものだ。

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2012年06月11日

反自然による健康破壊

 読者は新聞やテレビのニュース、コマーシャルで溢れているテーマは何か、考えられたことがあるだろうか。
 新聞を例に取り上げるならば、鳥インフルや牛の奇病、人間の太り過ぎ、心のいらいら、病気克服法と、とにかく、明けても暮れても健康に関する記事が満載されている。
 広告欄は雑誌類を筆頭に買い手に訴える宣伝の多くが、これまた健康やクスリ、長寿法などがぎっしり詰まっている。
 言わば、情報合戦の先端をゆくマスコミの全部が全部、健康問題をテーマにして存在しているのだ。これは国民総病人、総クスリ漬けを証明しているようなものである。
 日本人の生活と環境の憂うべき病状は取り返しのつかないところまで進んでいる。この現象は、一口でいえば科学盲信の超近代化社会のもたらした反自然性による。ゆきつくところは地球破壊であり、その前ぶれは世界各地で起きている。
 日本人の今日の病根は「反自然による」と、ぼくはこれまでにも指摘し続けたが、去る2日京都で開かれた伝統宗教のシンポジウムは「自然破壊と生活の見直し」がテーマだった。
 この集会で、東大・山本良一名誉教授は「科学は客観的な多くの事実を証明してきた。しかし、これから先の地球環境保全は、科学技術だけではできない。宗教的信仰に裏打ちされた環境倫理によってしか救われない事態にある」と訴えている。
 高野山真言宗の村上保寿・教学部長は「この世界に生まれているあらゆるものは互いに依存しあっている」、との弘法大師の説を紹介し、自然環境との調和した共生を説いた。
 天台宗の小林祖承師は仏教用語の「脚下照顧」「少欲・知足」に触れ、現役世代があくことなく浪費を続ければ地球上の宝を失うことになる。今、手に入るもので満足する、そういう生活の大切さを強調した。(7日付、読売参照)
 近代文明のもたらした健康上の矛盾は、終局は宗教的信仰に裏打ちされた環境倫理によってのみ救われるとしたこのシンポジウムは、極めて意義深く感銘したが、問題はその実践である。
 実践は国民的規模で、早ければ早いほど有効である。そのためには国の環境行政の根本的改革と政治家や役人の思想改造から手をつけねばならない。
 それは環境教育、健康教育、社会教育の一体推進であり、医療や医薬との関わりにおいても大胆な方針の転換が要求されるであろう。
 もちろん大量消費にうつつをぬかしてきたわれわれ国民も反省と生活の切り換えに真摯に立ち向かわねばならぬ。【押谷盛利】

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2012年06月08日

病気減らしに立ち上がれ

 人間は病んでいるが、病んでいるのは人間だけでなく、他の動物も植物も、魚や鳥や蝶や虫までも病んでいる、と先に書いた。
 人間は極悪非道にも地球破壊と生物死滅の加害者であり、同時にその悪因縁によって被害者として病苦にさらされている。
 読者はすでに承知の通り、小鳥たちは滅法減った。つばめも少ないが、雀も他の鳥も少ない。田んぼや小川にドジョウやタニシがいなくなったのは随分前からである。どこの田にも川にもホタルがいたが、みんな昔の夢物語である。
 このごろは蛇も姿を見せなくなった。蛙も減った。琵琶湖の魚も最盛期に比べれば3分の1以下かもしれない。川でウナギ釣りをした話など今では信じる人も少ない。
 工場廃水から魚介類がやられ、それを食った人間が病気になり、死んでゆく。あの恐ろしい水俣病は日本の公害の原点であるが、実に今から60年も前、昭和28年(1953)ごろから始まった。
 人間や生物の命に鈍感だった政府が「公害病」と認めたのは、15年も後の昭和43年のことである。
 琵琶湖の汚染もひどく、湖魚は変形し、死滅していった。茨城県の霞ヶ浦は琵琶湖に次ぐ広さだが、汚染によって死の湖とされたほどだった。
 環境の汚染は工場廃液や排煙に始まるが、それが農業の近代化と車社会、生活の電化時代を迎えるようになって、国土全体が公害の薄けむりの中に存立するようになった。病害虫防除や除草の農薬は自然の生きものだけでなく、人間の生命にも危機をもたらした。
 車社会の排ガスは尼崎や川崎病の原因ともなった。
 食生活の変化は、手作り料理を避け、外食産業の躍進と加工食品全盛期を招いた。テレビの影響や深夜産業の普及で、夜型市民が増え、国民生活の洋風化が日本の伝統食や生活のありようを根本的にくつがえした。その結果による過食、美食、栄養過多、糖質のとりすぎが運動不足と連動して国民の健康を不安化し、病人予備軍が溢れるようになった。
 とくに食生活全般に影響している化学物質の洪水は危険水域を超えているにも拘わらず、無関心、無反省に推移している。
 識者は早くから農薬と化学物質の危険性を訴え、タバコの弊害を警告しているが、日本の政府や地方の役所、その他民間団体がこれらに正面から対応して国民生活に正しい指針を与えないのは職務怠慢である。
 病気や病人減らし、医療費減らしに無関心であるのは許し難い。【押谷盛利】

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2012年06月07日

結婚観と出生事情(見聞録)

 50歳までに一度も結婚したことのない「生涯未婚率」の割合が男性20%、女性11%にのぼることが、2012年度の「子ども・子育て白書」から分かった。30年前に比べ、男性は7倍、女性は2倍になったというから深刻な事態だ。
 晩婚化も進んでいる。平均初婚年齢は夫が30・5歳、妻が28・8歳。30年前は夫27・8歳、妻25・2歳だったので、この30年間で3歳程上昇していることが分かる。
 18〜34歳の未婚男女を対象に結婚の意思を聞いたところ、「いずれするつもり」が男女とも8割以上に達している。「一生するつもりはない」は男性が9%、女性は6%と低い。
 にもかかわらず、未婚者が独身にとどまっている理由は何なのか。
 例えば18〜24歳は「まだ若すぎる」(男性47%、女性41%)、「まだ必要性を感じない」(男性39%、女性40%)、「仕事(学業)にうちこみたい」(男性35%、女性39%)など、結婚するための積極的な動機がない。言わば「結婚しない理由」が多く挙がっている。
 しかし、25〜34歳は「適当な相手にめぐり会わない」(男性46%、女性51%)との意見が突出し、「結婚できない理由」へと変化している。
 では、「適当な相手」とはどんな人物なのだろうか。調査では「人柄」を最も重視する点は、男女に共通している。人柄以外に、男性が女性に求めるのは「家事の能力」「仕事への理解」「容姿」など。
 他方、女性が男性に求めるのは「家事の能力」「経済力」「仕事への理解」「職業」などが挙げられ、仕事も家事もできる男性が理想とされているが、果たして男性側はこの期待に応えられているのか。
 女性が産む子どもの数も減っている。女性1人が生涯に生む子どもの人数を示す「合計特殊出生率」は1・39人だった。
 夫婦が望む理想的な子どもの数は平均2・42人だが、現実は「子育てや教育にお金がかかりすぎるから」との理由で子どもをもうけていない。
 子育て世代にあたる30代の収入を分析すると、1997年には年収が500〜699万円の雇用者の割合が最も多かったが、2007年には300万円台の雇用者が最も多くなっている。この10年間で30代が低所得層にシフトしていることがうかがえる。背景には非正規や派遣など不安定な雇用形態のまん延がある。
 少子化の進展は国内需要の後退と経済低迷を招くうえ、年金や医療など社会保障制度の土台を揺るがすことになる。国や自治体が抱える莫大な借金を返すあてもなくなる。
 急激な非婚・晩婚化、少子化の流れをいかに食い止めるのか。若者の持つ将来への漠然とした不安と、不安定な就労環境の解消が不可欠だ。これらの構造的問題の解決には政府と大企業の責任が重いはずだが、現実は目先の政局や利益に目を奪われているような気がしてならない。

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2012年06月06日

生命の加害者と被害者

 長寿社会と言っても健康寿命が80歳を超えればめでたいが、今のような70歳では不幸である。病みながら死ねない不幸。人間の尊厳がゼロになって心臓だけが動いている姿をよしとする人は一人もいない。
 人間は横着だから、心臓だけが動いているのを「植物人間」とたとえるが、これは植物にとっては心外なことである。植物は根から水分を摂り、葉から酸素を出し、炭素を吸収して、人間はもちろん、地球のために大変な活躍をしてくれている。心もあり、声も発しているはずだが、人間にその声が聞こえぬだけであり、重篤なしかばね同様の人間をたとえるのは筋違いである。
 人間、だれもが死を避けられないのだから、自らの終末に備える覚悟と、危機到来の節、願わくば人格の尊厳を傷つけることなく幸せな別れをしたい。このことは大変大事なことであり、健康な人でもいつどこで事故や天災にあうかもしれぬし、予期せぬ急病に襲われる心配も皆無でない以上、元気な間にリビング・ウィル(生前の意志)を用意したいものである。
 同時に、われわれは、今の病人だらけ社会の実態を反省し、その悪魔の手から解放される知恵を学ばねばならない。
 病苦という悪魔の手から解放されるには、国の政治の指導性もさることながら、国民ひとり一人が自覚し、知恵を出し、学び、健康な身心をつくることにつとめるよりほかはない。身の回りの不幸な病人を思うにつけ、そうした病から身を守ることは、だれのためでもない。自分自身の幸せのためである。
 人間は病んでいる、と深刻にぼくは訴えているが、実は病んでいるのは人間だけではなく、他の動物も、植物も、魚や鳥や蝶や虫までも病んでいるのだ。
 人間を含めて、あらゆる地上の生きものが病んでいるのは、特に戦後の事象である。人間が心して反省しなくてはならないのは、あらゆる地上の生きものの病苦と死滅の加害者が人間自身であるということである。
 われわれは極悪非道にも地球破壊と生物死滅の加害者であり、同時に被害者としての不幸を知らないのである。加害者としては神の裁きを受けねばなるまいが、被害者としては、今からでも遅くないから加害の真相を知り、被害を少なくするため、生活環境の変革に取り組まねばならぬ。もはやかんかん、がくがくの論ではなく、直ちに実行、実践の悪魔祓いである。
 それは、かいつまんでいえば、「自然に還れ」、「自然を大切に」の実践であり、今後のわれわれの生活の原点でなければならぬ。
 去る2日、京都で、天台宗・比叡山延暦寺、高野山真言宗・総本山金剛峯寺、神社本庁主催の自然保護のシンポジウムが開かれた。注目すべきは採択した次の共同提言である。「天地万物に神仏が宿るという教えを持つ天台・真言の両宗、神社神道が宗派を超えて協力し、世界に向け自然破壊の阻止と日常生活の根本的な見直しを働きかけたい」(3日付、読売参照)。
 自然破壊とは何か、日常生活の根本的見直しは何を意味するのか、引き続き考察したい。【押谷盛利】

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2012年06月05日

天安門事件を振り返る(見聞録)

 「天安門事件のようにデモ隊を叩き潰す」と息巻いたリビアの大佐は葬られたが、本場・中国の独裁体制が排除されるのは、いつのことだろう。
 民主化を求めるデモを中国共産党政府が武力鎮圧した天安門事件から4日で23年目を迎えた。
 普段は市民や観光客で賑わう北京の天安門広場は警察官や私服の公安当局者が目を光らせ、海外メディアの記者は強制的に排除された。インターネットも特定の言葉が検索できないように規制されるなど、23年前に国民が求めた民主化は未だ実現せず、事件そのものが風化しつつある。
 今一度、天安門事件を振り返りたい。事件に至る民主化を求める潮流はソ連から始まった。
 1985年、ソ連のゴルバチョフ共産党書記長は一党独裁制による弊害(言論弾圧、思想・信条の規制、官僚の腐敗)で硬直化した同国を立て直すためには大改革が必要だとして、「ペレストロイカ」(ロシア語で「再構築」の意味)を表明。民主化へと急激に舵を切った。
 これに呼応して翌年、中国でも胡耀邦・共産党中央委員会総書記が「百家争鳴」をスローガンにした政治改革を提唱した。「百家」はたくさんの学者や専門家を意味し、「争鳴」は自由、活発に議論することを指す。「中国共産党に対する批判を歓迎する」という意味で用いられた。しかし、この大胆な方針転換は保守派や長老の反発で実現せず、翌年、胡耀邦は失脚した。
 言論の自由を認めようとした胡耀邦は国民の支持を集めたが、1989年4月8日に心筋梗塞で死去。学生や民主化運動家は天安門広場で追悼集会を開いた。これが後に民主化デモへと発展し、天安門事件へと至った。
 中国政府は人民解放軍を動員してデモ排除を指示。軍は学生や一般市民に発砲し、装甲車でひき殺すなどして鎮圧した。当局は死者319人と発表しているが、信じる者はいない。
 あれから23年、政府は当時の弾圧を正当化したままで「再評価」する動きはない。それどころか、事件を風化させるべく、事件に関連するあらゆる情報をシャットアウトしている。既存メディアの新聞、テレビは言うまでもないが、インターネットの規制も度を越している。
 インターネットでは「天安門」という言葉を検索しても結果は表示されない。比較的自由に発言できる短文投稿サイトでも「6月4日」「広場」「戦車」「運動」など、事件を連想させる言葉を検索できないうえ、「ろうそく」「黙祷」などの言葉についても「関連の法律や政策に基づき、結果を表示できません」と出る。事件犠牲者の追悼を想起させるとして、当局が規制したのだった。
 徹底した情報の操作・規制・検閲は国内では効果的で、天安門事件そのものを知らない若者が多いという。事件を知る世代も被害者遺族を除き、口を閉ざしている。
 香港での追悼集会に過去最大規模の18万人以上が参加したというニュースが、唯一の光だろうか。
 米国外務省は「罪のない命が失われた悲劇を忘れない」との声明を出し、投獄中の民主化活動家の釈放を中国に求めた。台湾の馬英九総統は「中国大陸の人権をめぐる国際社会の印象は、事件の年のままにとどまっている」と指摘し、事件の再評価を「政治改革の一歩」とするよう呼びかけた。日本政府からは何も聞こえてこない。

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2012年06月04日

健康寿命と平均寿命

 厚生労働省は1日、国民の健康寿命の調査結果を発表した。
 ぼくは先に、「長寿社会は病人だらけ」と書いたが、今回の発表の平均健康寿命によって、70歳以上の老人は統計的には、みんな病人ということになる。
 健康寿命とは、日常生活において、健康上の影響を受けていない長寿のこと。分かりやすくいえば、病むことなく長寿している平均寿命のことである。
 これによると、2010年の健康寿命の平均は男性が70・42歳、女性が73・62歳。
 男性の平均寿命は79歳だが、健康寿命との差は9歳。女性は86歳に対して73歳だから13歳の差がある。
 これで知る通り、平均寿命を超えたからとて「おめでとう」とは言えないのである。
 まずは、男女とも健康で70歳代を超えることである。平均寿命と健康寿命の差が大きければ、大きいほど病気で苦しむ期間が長くなるから、医療費も増高するし、家族や社会の負担も大きくなる。
 ついでながら、滋賀県の健康寿命は男性70・67歳で全国18位。女性は72・37歳で全国最低。
 ぼくのこの記事を読む人は本人も含め自分の家族、親類、隣近所、知人の健康状態を考えてほしい。60歳で還暦となるが、そのころから、ぼつぼつ体の調子に不安がしのびよる。風邪をひきやすい。頭痛がする。肩がよくこる。胃がときどきつかえる。血圧が高い。便通がよくない。夜、眠れない。少し動くと心臓がどきどきする。足がはれる。水分を異常に欲しくなる。睡眠中にこむらがえりがひどくなる。異常に汗をかく。足の冷えがひどすぎる。
 以上にような自覚症状のほかに、目に見えぬ衰えややる気の喪失、なんとなくくる憂鬱、家に籠もりがち、疲れがひどいなどが重なり、健康食品や薬局のくすりに目がゆく。
 何かの拍子に、自信を失ったり、健康診断で、チェックされて、医療の門をくぐることになる。
 統計的には分からないが、65歳をすぎると、大部分の人はクスリを服用している。市販のもの、病院での処方によるもの。風邪薬や胃腸系のクスリが一番多いが、これが70歳代、80歳代と、長寿につれて飲む種類が多くなる。病院で山ほどクスリをあてがわれている人を見るが、なかには飲みきれず、捨てている人も多いはず。100%といっていいほどクスリ漬けの生活であり、横から見れば病人社会である。
 国家予算に現れる医療費の年々の増高はとどまるところをしらない。この現実を正視して、正しい健康生活についての自覚と指導、実践に行政が勇気を振るって立ち上がらねばなるまい。個人も、その幸せのために、生活を反省し、思い切った改革をしなくてはならない。
 この稿を進めるにあたり、識者や健康長寿者の意見や体験談などを聞きたいと思う。【押谷盛利】

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2012年06月02日

脱原発から遠ざかるのか(見聞録)

 大飯原発の再稼動に慎重で「計画停電も止む無し」との姿勢を見せていた関西の知事たちが一転して再稼動を容認した。これを受けて野田佳彦首相は近く、再稼動へ「決断」を下す見通しだ。
 今夏を原発ゼロで過ごすという社会実験に挑戦することなく、日本の脱原発の可能性を占う砦は陥落した。
 関西広域連合の当初の姿勢は、滋賀県民の多くが支持していた。県が5月に県政モニターを対象に実施した大飯原発再稼動を問うアンケート調査では回答者288人のうち8割が「再稼動すべきでない」と答え、安全対策、放射性物質拡散による健康被害、琵琶湖の汚染などを理由に挙げていた。
 嘉田由紀子知事もこれまで「(福島原発の)事故原因がはっきりしていないのに、大飯原発の事故対策がとれるのか」「再稼動は『被害地元』(滋賀)の切り捨て見切り発車」「電気を使いたい放題の生活を見直し新しい仕組みを考える必要がある」などと、脱原発を鮮明に訴えていた。
 しかし、関西広域連合は5月30日、「限定的」との条件付きで再稼動を容認する声明を発表した。嘉田知事は「計画停電が起きては経営が成り立たない」との経済界からの要望を受けての判断だったと明かしている。他府県の知事も同様に経済界からの強い要望が背景にあったことを説明している。
 電力会社と蜜月関係にある政府が「安全対策はしっかり行っている」「原発がなければ経済が立ち行かない」といったところで国民は信じていない。関西広域連合の知事たちこそが「頼みの綱」であった。関西電力にデータを開示させるなどの成果はあったが、今度の手のひら返しに国民は大いにがっかりしたことだろう。
 しかも、関西広域連合の主張する限定的稼動を政府が受け入れる保証などはない。これを機に全国で停止している原発がなし崩し的に再稼動し、脱原発の流れがストップしまいか、危惧する。
 福島原発事故の根本的な問題は、経済や国民生活に不可欠なエネルギーの生産・供給を一民間企業が競争原理を働かせることなく独占し、その莫大な利益を背景に政治家や霞ヶ関、そして大企業の経営陣を手中に収め、自分たちの都合の良いように意のままにしてきたことにある。
 今度の関西広域連合はその轍を踏まされたのか。
 忘れてはならないのは、原発銀座に隣接する滋賀に住む我々は常に原発事故のリスクと隣合わせということ。

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2012年06月01日

長寿社会は病人だらけ

 文明の進化と人間の健康は相容れないものだろうか。この大問題を追究するため、前回の時評で、戦前と戦後の日本人の生活環境と暮らしのレベルを比較した。
 さらに思いを致すならば、昭和30年ぐらいまでは日本人の平均寿命は男女とも60歳だったが、今は女性で85歳、男性で79歳。世界トップレベルの長寿国となった。
 ところが矛盾していることがある。健康だから長寿社会が実現したというのなら、医療費は横ばいか、減ってよいはずだが、事実は逆で、国民総医療費は年々うなぎ上りに増えている。
 厚労省発表の統計によると、昭和40年度の国民医療費は1兆1千万円だったが、10年後の50年度は6兆4千万円。平成元年度は19兆7千万円、同10年度は29兆5千万円、同21年度は36兆円。この増高現象はストップすることがないのだろうか。
 実に憂うべきことだが、これは、裏返せば、病人がだんだん増え、医者通いとクスリ漬け社会になっていることを意味するのではないか。さらに分析すれば、0歳から65歳未満の医療費16兆円に対し、65歳以上の医療費は3兆円も多く、19兆9千万円。しかも頭に置くべきことは、年齢別人口である。65歳未満の人口は9800万人に対し、65歳以上は2900万人である。
 つまり、長寿社会実現の背景に多額の医療費が出ていることを立証している。
 このことは理屈抜きに、日本人は長寿しているが、その多くは身心を病んでいるということになる。このことから、ぼくは文明社会の進化は長寿をもたらすが逆に健康にとってはマイナスになっているのではないか、と思う。もちろん文明の進化の中には医薬、医療の進歩も含む。
 ぼくの友人の母親が80歳代後半で、目下、老人施設に入っている。友人が週に何回か訪ねると、涙を流さんばかりに「よう、きとくなはった」と何回も喜ぶが、さて、本人は息子ということが分からない。
 専門家の話によると、現在85歳以上の方の4人に1人は認知症という。しかも認知症で亡くなる人はいないから大変な問題を抱えていることになる。
 高齢化社会の問題の一つに延命技術がある。天命が尽きているけれども、人工呼吸や胃ろうによる栄養補給で植物人間のまま生命を維持しているやり方が、これである。本人や家族がそれで、幸せなのだろうかという疑問と同時に、文明社会のもたらした長寿が実は健康と矛盾しているのではないかという反省である。
 あらためて人間の生活の質について考えたい。【押谷盛利】

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