滋賀夕刊新聞社は滋賀県長浜を中心に政治、経済、文化の情報をお届けする新聞です。



2012年05月31日

この国を蝕む「働かない」者たち(見聞録)

 何千万円もの年収を得ている芸能人の母親が生活保護を受給していたとして、テレビのワイドショーや週刊誌などを賑わせ、他の芸能人の親族も受給していたとして、さらに、この話題が膨らんでいる。
 生活保護は「国民に健康で文化的な最低限度の生活」を保障する制度で、高齢や疾患などの特殊事情で労働に就けず、資産や頼るべき親族を持たない者が対象となる。
 しかし、近年問題となっているのが、働ける世代が精神疾患などを理由に安易に生活保護を申請するケースだ。「働けない」のではなく、「働かない」のである。
 労働と納税はこの国で生きてゆくうえでの義務だが、自身を社会的弱者と吹聴し、権利ばかりを主張し、生活保護をATMくらいにしか思っていない輩が、この国の将来を危うくする。
 ホームレスを施設に入れて生活保護を申請し、そのほとんどをピンハネする、福祉制度を食い物にする業者もいる。
 制度上の不具合もある。生活保護の手厚すぎる給付だ。生活保護の給付水準が最低賃金で働いた場合の収入を上回るという歪みが、京都、大阪、東京など7都府県で生じている。
 例えば、東京23区内では20〜40歳の現役世代が生活保護を受けると、最低生活費として月額13万7400円を受給できる。そのうえ、税金や医療費が免除される。最低賃金で働くよりも生活保護を受給した方が楽と考える不届き者が続出しても不思議ではない。
 何年か前には、親族を頼って来日した中国人48人が入国直後に大阪で生活保護を申請し、問題になったことがあった。
 今、日本の生活保護受給者は209万人。国民の2%に過ぎないが、他の先進国では10%を超え、深刻な財政圧迫を招いている。
 そのため、様々な対策がとられている。アメリカでは生活保護の受給期間に制限を設けている。また、「フードスタンプ」と呼ばれる食料品限定の金券を支給し、ギャンブルやアルコールに浪費されることなく最低限の食費を保障している。イギリスでは社会保障制度への過度の依存からの脱却を目指し、「福祉から雇用へ」を合言葉に職業訓練、職業紹介を強化している。
 少子高齢化で日本の社会保障費の拡大は止まる気配がない。そのうえ、働ける者が働かず、国の税金を食いつぶしているようでは、お先は真っ暗。子ども、孫たちの借金を少しでも膨らませないよう、生活保護先進国の轍を踏まないよう、国は社会保障制度を練り直し、国民は労働の価値を改めて知るべきだろう。

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2012年05月30日

文明の進化と健康の矛盾

 文明の進化と人間の健康は相容れないものだろうか。人間の生活の基本は衣食住にあるが、縄文時代の5000年、1万年もの昔の人間の生活と今の時代を比較すれば、その質のレベルは月とスッポンである。多くは穴ぐらや掘ったて小屋生活だった。
 弥生時代のような農耕生活を知らないから、山や野や河川、海などでの自然採取で食べ物を確保した。火は知っていたが、暖房技術は知らず、衣類も織る技術や加工技術も知らず、枯葉をふとん代わりに利用した。
 今と原始的人間とを比較するのは愚かであるかもしれないから、それでは明治以来の日本人の生活はどうだろうか。遅れながらも海外から文明の風が吹き、衣食住全体に生活のあり姿が激変した。その文明の進歩を支えたのは産業の近代化と国民の富の向上であった。
 それでもなお、戦前には貧富の格差は大きかったし、生活レベルも欧米諸国より劣っていた。
 日本が世界の先進国と肩を並べて文明国面をするようになったのは、戦後も10年以上経ってからである。 したがって、団塊世代以後に生まれた人は、古い時代の貧しい日本人の生活実態を知らない。
 健康に一点をしぼって戦前と戦後を比べれば、驚くべき違いは、野蛮から文明への開花である。
 具体的に言えば枚挙にいとまがない。
 飲み水は、水道ではなく、川、井戸、湖の自然水だった。家は木造、土壁、農村では茅葺き、葦葺き、わら葺きの屋根があり、風呂は五右衛門風呂が主流だった。
 無医村は珍しくなく、湖北全体に病院は、長浜病院と日赤だけで、それでも入院患者は少なかった。
 村や町にはクスリ屋はあったが、薬局というような国の制度下の店ではなく、漢方に中心を置くお家流が主流だった。大部分の国民は富山、その他の特産医薬品を「置き薬」制度で利用した。
 衣料、生活用品、はどうか。木綿を主体に着物と下駄、草履。農村では「わらじ」が地下足袋代わりだった。
 食物に栄養などという知識はなく、みそ汁と漬物、煮付が普通で、牛乳、豆腐、鮮魚、肉などは病人や客人のある日だけで、今でいえば野菜中心の素食だった。布団は木綿、お客があれば絹布団。毎年の布団の綿の打直しは主婦の仕事であり、洗濯はすべて手で行い、掃除機、洗濯機、冷蔵庫、冷暖房機具はなし。
 どこへ行くにも徒歩か自転車、日常の飲みものは日本茶、それも番茶で、サイダー、ラムネは高級品。その他の今のような多彩な飲みものはなく、菓子類もチョコレートをはじめ洋菓子はなく、多くは自家製のカキモチ、団子。
 農業の機械化は戦後のことで、それ以前は、耕しも田植えも収穫も全部、手作業で、湖北では、養蚕も盛んであった。病害虫の防除に苦労したが、除草剤、防虫剤、その他の農薬は開発されていなかった。
 戦前、戦後の生活の対比は80歳以上の老人から聞くのが手っ取り早いが、ぼくが言いたいのは、これほどまでに文明の恩恵を受けている今の時代に、異常と思えるほどの病人だらけ、クスリ漬け社会が生まれたこと。
 医療費高騰時代の止まらない矛盾である。【押谷盛利】

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2012年05月29日

日本に最も近いヨーロッパ(見聞録)

 北欧フィンランドはスカンジナビア半島の内側、バルト海の一番奥に位置する。平面地図では分からないが、地球儀で確認すると日本に最も近いヨーロッパの国ということが分かる。それゆえにヨーロッパ旅行の玄関として利用価値が高く、同国の航空会社「フィンエアー」は成田、名古屋、関西の3空港から毎日、ヘルシンキ行きの飛行機を飛ばし、50以上のヨーロッパの都市と結んでいる。
 バルト3国の北端エストニアの首都タリンからフィンランドの首都ヘルシンキまでの距離はわずか80㌔。小生はフェリーでヘルシンキに移動した。フェリーは10階建てで、レストランやカフェ、スーパーマーケット、カジノ、ディスコがある。ゆっくりとバルト海を北上する船内で、乗客がそれぞれの時間を満喫していた。出入国審査はなく、乗船チケットを買う際にパスポートのチェックがあっただけ。
 到着したヘルシンキの気候は対岸のタリンと大差なく、空がどんよりと曇り、冬の気配を残す寒さ。面白いのは日照時間。緯度が高いため、日の出は午前4時半、日没は午後10時ごろだった。フィンランド北部に行けば6月は日が沈むことがない「白夜」にもなるが、ヘルシンキでは最短でも5時間は日が沈む。
 さて、フェリーで到着した港から街の中心までは2㌔程度で、路面電車を利用する。街は鉄道の中央駅を中心にコンパクトにまとまり、観光スポットやホテル、レストラン、デパートなどはいずれも徒歩圏内。
 ヘルシンキ観光は主にショッピングになりそうだ。というのも、街のあちこちにインテリアや雑貨の店があるからだ。北欧デザインの王道ともいえる「マリメッコ」の本店のほか、陶器の「アラビア」、キッチン用品の「ハックマン」、ガラス製品の「イッタラ」など、北欧ブランド店があちこちにある。そういったブランド以外に、新旧デザイナーの雑貨を並べたセレクトショップや家具店が並ぶ。
 北欧デザイン以上にフィンランド産として有名なのがトーヴェ・ヤンソン作の「ムーミン」だろう。同国語で「トロール」と呼ばれる妖怪・妖精の一種であるムーミンは世界中で愛され、ヘルシンキの街を歩けば、あちこちで関連グッズに出会える。
 また、ヘルシンキを舞台にした日本映画「かもめ食堂」のロケ地巡りも、観光コースのひとつとして楽しい。
 以上のようにヘルシンキの魅力は街歩きだが、閉口したのは物価の高さ。ホテルは最低でも1万円以上になるし、レストランでの食事なら安くても2000円を見積もる必要がある。米飯が恋しくなって入った中華料理店ではチャーハンとマーボー豆腐、ビールで29ユーロ(約3000円)にもなった。
 ポーランドやバルト3国と比較すると倍程の物価だ。フィンランドに限らず北欧各国は、そういう物価の高さがネックとなって、自ずと観光客を遠ざけてしまう嫌いがある。
 なお、フィンランドではヘルシンキしか訪れなかったが、北部に行けばサンタクロースの住むロヴァニエミという町があるし、さらに北へ進めばオーロラも見られる。ラップランドと呼ばれるこれら北極圏には大自然が残り、春夏秋冬さまざまな景色を見せてくれる。機会があれば是非訪れたい地である。

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2012年05月28日

刺青の追放と橋下市長

 橋下大阪市長の旗振りで、これまでタブー視されていた「いれずみ」批判が茶の間の話題に供されるようになった。
 「いれずみ」は刺青と書く。皮膚に針、骨片、小刀などで傷をつけ、墨汁などを入れて文字や絵を描いたもの。酸化鉄や朱などを入れて着色するものもあり、元は、中国の刑罰の一つだった。日本では江戸時代、遊び人や博徒の世界で行われた。
 広く国民に知られるようになったのは、映画の影響で、いわゆるヤクザの世界を象徴していた。
 いれずみを粋なものとして家出人や極道の若ものにこれを施して、暴力団や博徒が組織を強化した。
 映画の影響やヤクザの縄張りで、不良少年が愚連隊化し、これに憧れる風潮すら生まれ、国民の不快感はおおうべくもなかった。このため、公衆浴場や温泉などには「いれずみの方は入浴禁止」の札を掲げるほどだった。
 「ヤクザ」といえば「刺青」を連想するし、刺青を見れば暴力団が頭に響く。まともな人間の常識に反する「いれずみ」は裏世界、闇世界の通行証のようなもので、およそ公務員の勤務する役所でまかり通るものではない。
 世間の風評に敏感な橋下市長は就任間もなく旧弊をつぎつぎ刷新して首長の指導力の高さと勇気と実践力を評価されているが、「いれずみ」追放の旗はだれもがなし得ない画期的一弾である。にも拘わらず、世の中にはバカというのか、ヤクザ好きというのか、橋下市長の方針をけなしたり、こきおろすヤツがいる。
 大阪市が教職員を除く職員3万余名から自主申告させたところ、110名もの「いれずみ」職員が判明した。市長の方針に反対して、大阪市教委はこの調査をしていないが、教育現場はどうなのか、すこぶる関心の高まるべきところである。なんとなれば、教育現場で、いれずみ教師が大きな面をしているようであれば、市民はわが子の将来に対して不安感を持つからである。
 橋下市長は、いれずみ職員は市民の目にふれる職場から離すとか、その対策を毅然としてすすめるだろうが、世間には屁理屈をいって、いれずみを「文化」と称し、これを否定することを差別とかほざくが、市長ではないが、いれずみを誇らしげに思うものは、役所から去って、別の職場で好きなようにすればいい。
 しかし、暴力団ならいざ知らず、他のまともな職場で、いれずみを歓迎するところはまずなかろう。
 そもそも、と、ぼくは声を大にして叫びたい。
 今回の大阪市長の断固たるいれずみ追放の姿勢は国民が大声を上げて拍手して応援すべき大英断である。これは、そのまま暴力団追放の国民運動に発展すべく日本社会の国家改造につながるべき大テーマであるからである。
 これまでの日本の政治は、口では暴力を否定しながら、裏では暴力組織とつるんだりして、これらの温存や発展に力を貸してきた。
 この結果どれだけ多くの市民が泣いたか、暗い犯罪を助長したことか。【押谷盛利】

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2012年05月25日

寒気のする子どもの話

 少子高齢化時代というから、今の子どもは宝のような存在だが、その宝が体格は親の世代を上回っていながら、跳んだり、走ったり、投げるなどの運動能力は低下している、と、ありがたくない警告を文科省が発表している。
 さらに悲しくさせるのは、体格の成長は立派だが、頭の方はそれについていっていないことである。
 数学や英語などで中国や韓国の学生と比較すると、日本が一番落ちる、というから、いやはや先が心配される。
 長浜の文化スポーツ振興事業団が、その名の通り、どんな活躍でスポーツを振興させているのか、知るよしもなかったが、子どもの運動能力を高めるため器械体操塾を開いた。
 24日付けの滋賀夕刊によると、23日の3回目の塾のジュニア部門(小学1、2年)は24人が参加した、というが、同じことなら、もっと枠を広げて多くの子を鍛えればいいのに、と思う。
 記事によると、うまく走れない、転んだときに手をつかない、スキップができない、逆上がりができない、ものを遠くへ投げられない…など身体能力の低下を指摘しているが、さもありなん、と、国の将来が心配になる。
 昔から「子どもは風の子」というが、いまは家や学校に閉じこもって、風に当たらない日陰の子が多いようだ。
 ぼくの住む米原の小、中学校にしても、長浜小、西中においても同様だが、いつ近くを通ってもグラウンドで遊び興じている子どもが少ない。学校で遊ばないだけでなく、家へ帰っても外へ出て山や野で遊ぶことをしない。
 今の子は、学校の授業時間以外に一日をどんなふうに費やしているのだろうか。なかには学習塾へ通う子もあるだろうし、習いごとに精を出す子もいるだろう。スポーツクラブに入って、練習に汗をかく子もいるだろうが、全体的に見るとテレビゲームに走ったり、ケータイで遊んだり、なかには読書する子もあるが多くは家の中に閉じこもるか、友達と遊んでいる。
 人間は子どもに限らず、大人でもそうであるが、体は使わねば運動機能が向上しないし、力がついてこない。もちろん、肉体だけでなく頭の方も使わねば遅滞する。ことに大事なのは発育盛りの小、中学生時代である。激しい運動後も一夜の眠りで疲労は回復するし、知能の方は記憶力といい、理解力といい大人の遠く及ばない能力があって、磨けば磨くほど光彩を放つ。
 したがって、小、中学生のころこそ、訓練に訓練、ダウン寸前まで鍛えることが望ましいが、不幸にも今はそういう環境にない。
 家庭も甘やかすが、学校も甘やかす。ことに学校は安全第一主義で、冒険を避け、危険な体操や激しい運動を課することをしない。夏のプールをあまり利用しない。
 家庭においては、学用品やケータイ、パソコン、ゲーム機など、子どものほしがるものは何でも買い与えるが、子どもが戸外へ出て自然の山野で遊ぶことをさせない。
 雨が降れば、親が車で学校への送り迎えをするし、危ないからといって、自転車で遠くへ遊びにやらせない。
 大人の健康に足腰の大切さが言われるが、その足腰の強さは子どものころからの延長線上にあり、子どものころから足腰が弱くて、跳んだり、跳ねたりが苦手とあっては、将来が心配だ。
 そんな弱い体力の子に将来の日本を委ねねば、と思えば寒気がするではないか。【押谷盛利】

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2012年05月24日

タリンのスシ・キャット(見聞録)

 リトアニア・カウナスの杉原記念館を訪れた後、再び首都ヴィリニュスに戻って市街地を散策。午後7時、夜行バスに乗ってエストニアを目指す。夜行バスによる移動は、ホテル代と移動時間を節約できるので個人旅行では重宝する。
 バスはラトビアの首都リーガを経由して、一路、エストニアの首都タリンを目指す。
 エストニアはバルト3国の北端にあり、周辺国同様にナチス・ドイツとソ連の侵略を受け、1991年になってようやく独立した。首都タリンはバルト海・フィンランド湾に面する。午前6時、タリン港のターミナル前でバスを降りる。空がどんよりと曇り、肌寒く、北欧が近いことを思い知らされる。
 港から徒歩10分。「ふとっちょマルガレータ」と呼ばれる塔の脇を通って旧市街地に入れば、中世にタイムスリップしたかのような町並みが続く。城壁にぐるりと囲まれたこの歴史地区には教会や市庁舎、商人の住居や倉庫などが中世そのままの姿で保存され、世界遺産になっている。
 そういった町並みに加え、観光客を出迎える演出が嬉しい。例えば屋台でアーモンド菓子を売る娘さんは民族衣装に身を包んで菓子作りを実演し、観光客の写真撮影を歓迎する。街の中心にあるレストランは照明を落として薄暗さを演出し、ろうそくの明かりで食べる。店員はもちろん民族衣装。観光客が何を求めてタリンにやって来るのか、とても良く理解していて、観光地のお手本になりそうだ。
 さて、旧市街地の町並みと演出に感心しながらも、最も印象に残ったのは「スシ・キャット」だった。市街地から外れて徒歩5分程の距離にある寿司バーだ。
 ピンク色の内装に、壁にはアニメ絵、モニターには宮崎駿監督の「魔女の宅急便」が流れる。そして「猫耳」を付けた女性板前が寿司を握り、セーラー服やメイド服のコスプレ女性店員が運ぶ。
 寿司、アニメという日本を象徴する2大文化を大胆にも融合させた店だった。周辺には高級ブランド店やオフィスが並び、エストニア人が次々と寿司をテイクアウトする繁盛店だった。
 恥ずかしさを押し殺して店に入り、サーモン(2貫)、卵(1貫)、パプリカやきゅうりを巻いたサラダ巻き(4つ)のセットを注文する。値段は3・9ユーロ(400円程度)と手ごろ。酢飯の味付けはいまいちだが、サーモンは美味だった。
 寿司は健康でお洒落な食文化として世界中で人気を集め、ヨーロッパでは街中のほか、駅のターミナルや国際空港で寿司バーに出会える。
 スーパーの惣菜コーナーにも色とりどりの寿司が並び、日本食コーナーには米酢、のり、わさび、しょうが、しょうゆなどが売られている。入門者用には材料や巻き簾をセットにした「寿司キット」が6カ国語の解説入りで用意されている。
 寿司文化の世界的普及は大歓迎だが、アニメと同列に扱う「スシ・キャット」は日本人として違和感を抱く。それでも「クール」「カワイイ」と評判なら、あり?

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2012年05月23日

旅は道づれ世はなさけ

 このごろは全国どこへ行っても町おこし、村おこしのイベントや長期的観光プランが花ざかりである。
 昨年の長浜の「江・三姉妹」のにぎわいは一過性だったが、それでも全国に近江、琵琶湖、小谷山、信長、お市、浅井三代の歴史などを発信した。
 このほど加入している団体の伊勢旅行で知ったことだが、海女のOBたち自慢のさざえのあばれ食いの味が今も忘れられない。
 バスのガイドが「昼食は尼さんがサービスしてくれますから期待してくださいよ」と、もったいをつけるものだから、昼飯と尼さんとのつながりがピンとこなかっただけに目的地の伊勢志摩のひなびた集落に入るや、白い装束で白い頭巾のような女性が何人もえびす顔で迎えてくれたので、「あまさん」違いのかんちがいが恥ずかしかった。
 「あまさん」のあまは坊さんの尼ではなく「海女」と書く。一年中、白い作業衣と白い頭巾のような格好で海に潜りながらさざえ、その他の貝を採る。「寒くないのか」と問えば、女性は脂肪が多いから男性より水には強いという。さらに水中で呼吸を止めながら作業をするだけに心臓も男性より強いので、むかし昔から海辺の女性の伝統的な稼業として息づいているという。
 ぼくたちの目の前で、大きな囲炉裏に炭火をかっかとおこらせながら、さざえなど海の幸を焼く。彼女たちの中にはOBもいるが現役もいるに違いない。
 ぼくが関心を持ったのは、彼女たちも旅好きで、お江を見学に長浜へ行ったとか、黒壁で買い物もしたという。
 彼女たちは4、5歳のころから母に抱かれて海へ入ったという。結婚して赤ちゃんが生まれても、海から上がっての束の間におっぱいを吸わせて再び潜ったという。出産後2カ月は安静にするが、そのあとは年中、海へ入り、その間田畑もつくっている。
 黒壁の話が出たが、ぼくは長浜駅から滋賀夕刊へ歩くとき、必ず黒壁周辺を通るのだが、いつも感心するのは客足の落ちないことで、大部分は観光目的の団体旅行客である。
 お隣りの彦根へ行けば土、日の彦根城付近は渋滞で車が動かぬし、京都まで足を伸ばせば、新幹線駅の構内や待合室は修学旅行生がぎっしりと待機している。
 シーズンには、四条、河原町、東大路通は車より歩いた方が早いかもしれないくらい交通渋滞であり、観光客の中には外国人も多い。
 旅をすれば旅の花も咲くし、新しい発見もあれば、いのちの洗濯もできる。趣味の人は写真、絵、詩、俳諧で幸せ感を記録することもできよう。旅は道づれ世はなさけ。【押谷盛利】

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2012年05月22日

カウナスの杉原記念館(見聞録)

 ポーランドでナチス・ドイツの強制収容所アウシュビッツを訪れた翌日、首都ワルシャワに戻り、夜行バスでリトアニアへと移動した。
 リトアニアは南北3つに並ぶバルト3国の南端の国。面積は北海道の4分の3程で、人口は325万人。14世紀には当時のヨーロッパで最大の国家となり、隣接のポーランドと合同国家を築くなどして繁栄を極めた。しかし、17世紀以降は周辺国に侵略、分割された。第1次世界大戦後に一時的に独立を果たすが、ソ連とナチス・ドイツに侵略され、第2次世界大戦後はソ連の共和国に組み込まれた。ポーランドと同じく周辺の列強に苦しめられた歴史を持ち、1990年にようやく独立できた。
 今ではEUの一員としてシェンゲン協定に加盟し、国境審査はない。ポーランドからの夜行バスをノンストップで受け入れてくれた。
 午前6時、リトアニアの首都ヴィリニュスに到着。バスターミナルの向かいに鉄道駅があるが、駅の規模は長浜駅より少し大きい程度で、一国の首都の鉄道駅としては寂しい。
 列車で1時間余りの距離に同国第2の都市カウナスがある。歴史的街並みの観光のほか、日本外交官・杉原千畝の領事館があったことで、日本人にはゆかりの深い場所でもある。
 千畝はナチス・ドイツの迫害からユダヤ人約6000人を救ったことで知られる。ポーランドのクラクフで多くのユダヤ人を救ったオスカー・シンドラーになぞらえ、「東洋のシンドラー」とも呼ばれる。
 ナチス・ドイツの迫害から逃れようとヨーロッパを移動するユダヤ人が命からがら到着したのがリトアニアのカウナスだった。これから先、ソ連、日本を経てアメリカを目指すユダヤ人にとって、最後の望みがリトアニアで千畝が発給する日本のビザ(入国査証)だった。ソ連はユダヤ人が第3国に出国する保証があるなら、国内通過を認めていた。ゆえにユダヤ人は日本のビザさえ手に入れば、ソ連を経由して日本へ逃れることができた。
 しかし、ユダヤ人の持つ書類はビザ発給条件を満たさないどころか、パスポートさえ持たない者も多くいた。さらに、ナチス・ドイツと軍事同盟を結んでいた日本の外務省は、千畝に対しビザ発給を不可とした。
 千畝は大使館前に殺到し、懇願するユダヤ人を前に悩み抜いた挙句、命令違反のビザ発給を決意した。「私には頼ってきた何千人もの人を見殺しにはできなかった。当然のことをしただけです」。そう手記に残している。
 寝食を惜しみ約40日間にわたってビザを書き続けたが、その間、リトアニアはソ連の支配下に入り、千畝は国外退去命令を受ける。同国をあとにするカウナス駅でもビザを発給し続け、最後の1枚は車窓から手渡したという。
 カウナスには今も千畝の領事館が残り、杉原記念館として彼の偉業を紹介している。カウナス駅から徒歩15分くらいの高台にあるが、場所が分かりにくいので近所の住民に聞くとよい。
 なお、千畝が救ったユダヤ人はソ連極東のウラジオストックから敦賀港へと渡り、ここ長浜を通って神戸や横浜を経由し、アメリカへ逃げのびた。

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2012年05月21日

年寄りをこけにするな

 「お年寄りよ怒り給へ」と、ぼくが叫ぶのは政府や政治屋が国民を虚仮にして税金をふんだくろうとしている魂胆に腹が立つからである。
 戦後、今日に至るまで、日本の政治は保守と革新がつるみあって組織の維持と利権に走ってきた。日本の50年後、100年後を見通すことなく、その日暮らしの出たとこ勝負で日を重ねてきた。
 たまたま戦後復興の投資とインフレ景気で散財予算を切りもりしてきたが、その積年の弊が癌となって、カネがなくなれば増税と国債(借金)の悪循環を繰り返してきた。税金を重くし、国債というその場のしのぎの金つくりをすれば帳面上の国の歳入は増えるに決まっている。
 企業でもそうであるが儲かっているときは、借金返済は苦にならぬ。だが、景気の低迷で赤字になれば借金の返済どころではない。ひどくなれば夜逃げしなければならぬ。
 国の台所をあずかる政府やこれに関わる政治屋が、政権赤字をごまかすために安易に国債を発行し、増税するのは能なしのあんぽんたんとぼくはいう。国を亡ぼしかねないからである。
 われわれ国民だって同じである。借金すれば家も建つし、ものも買えるし、どんなぜいたくもできる。しかし借金は返さなかったら首をくくらねばならぬから、辛抱したり、始末したり、生活を切りつめてゆくのである。
 今日までの日本の政治と財政は、実質、利権政治で、無駄なおカネの使い道を切ることをしてこなかった。逆にいえば、各省庁ごとにカネの奪りあい、カネのふっかけ取りに精力を使い、政治屋を応援団に組み込んできた。この結果、ぞっとするほどおカネの無駄づかいを続けてきた。その頂上の無駄づかいと浪費に切り込むのは「公務員改革」だが、10年経っても100年経っても現状ではできっこない。
 国家公務員は表面は政治屋にペコついているが心の底では舌を出して笑っている。強大な国の組織のがんじがらめを明治以来保持発展し続け、公務員一家、役人天国の竜宮城を築いてきた。
 彼らの組織は二重、三重に担保され、現役を退いても死ぬまでハナ歌まじりで暮らせる同族社会を形成してきた。高級官僚は政治屋と結ぶし、財界に基盤を伸ばす。一般公務員はいわゆる組合が陰に陽にガードし、末端行政のカネの使い途に直接権限と情報を持つから、いわば、建築物でいえば土台のような位置を占める。
 徹底的なる公務員改革は今の政治屋では与野党を通じて出来っこない。それをやれるのは、大阪維新の会の橋下徹氏くらいのものである。
 大阪市職員のデタラメや大阪市の教師の反国家的モラルに改革の刃を入れたのも彼であり、暴力団まがいのいれずみ摘発に蛮勇を振るうのも彼ならではの実力であり、大阪府知事以来赤字の解消に徹底的なる無駄排除を断行し続けてきた。
 野田内閣や与野党は老人にカネがかかるから消費税を上げるとうそぶいているが、バカタレとぼくは怒るのだ。
 日本の行政の隅から隅まで徹底的に財政を洗い直しして、無駄という無駄をいっさい削って、そのしぼり粕で、原点復帰、つつましく生きる道を講ずるべきで、今は東日本の大災害も含めて、非常時そのものである。政府を、公務員をハダカにして、明治維新の1から出直せ。それがぼくの主張である。【押谷盛利)

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2012年05月19日

美女の誘惑、危うきに近寄らず?(見聞録)

 勝手の違う海外旅行では大小トラブルに出会う。気を張っていれば防げるトラブルから、不可抗力なものまで様々だ。
 例えばオシフィエンチム(アウシュビッツ)からクラクフへの列車。発車時刻が迫っているのに、切符売り場の駅員は近所のおばさんとおしゃべりに夢中。結局、切符を買えないまま列車が出発し、1時間ほど駅で待つ羽目になった。
 その後、乗り込んだ列車では、途中で赤いユニフォームを着た若者集団が乗り込んできた。どうやら地元のサッカーチームの応援に行くようだ。車内でビールを飲み、大声で応援歌を合唱し、大騒ぎ。賑やかな道中となったが、スタジアムの駅に到着すると、小生が昼食に食べようとテーブルに置いていたピザをかっぱらっていった。若者は皆、同じユニフォーム。誰が盗んだのか分からない。
 ポーランドへの経由地として立ち寄ったオランダ・アムステルダム。この街は「飾り窓」でも有名だ。路地に並んだ小部屋の窓越しに、下着姿の妖艶な女性が体をくねらせ、道行く男性を魅了する。写真に残そうとカメラを向けると、女性たちはカーテンを閉め、窓を叩いて猛抗議。「まずい」とカメラをカバンにしまい、足早にその場を去るが、男性に声を掛けられた。「ここでカメラ撮影は危険。トラブルのもと」との注意で済んだ。この男性、実は麻薬の売人で、親切にも道案内を買って出てくれたが、しつこく大麻や覚せい剤を勧め、最後は「道案内をしただろ」とチップをねだってきた。
 中欧、東欧の主流であるスラブ系民族は美男美女しかいない。若者は全員、ファッションモデルかと錯覚する程だ。観光地では夜になると、そんな美女のストリップバーがあちこちで開店する。夜、街角で観光客にビラを配って店に誘うが、ぼったくりの被害に遭う危険性もあるので、カネにも時間にも余裕の無い旅では、敬遠するのが無難だった。
 旅行中に親しげに声を掛けてくる人物には注意を払う必要がある。男性にとってそれが美女ならなおさらだ。リトアニアの首都ヴィリュニスの歴史地区。写真を撮っていると「ニーハオ」の声。振り向くと中国人美女が立っていた。リトアニアに留学中で、1人で観光中に小生を見かけ、中国人と思って声を掛けたという。流暢な英語と素敵な笑顔で「1人旅?」「どれくらい滞在するの?」「職業は?」「家族は?」などの質問。そして「良かったら一緒に観光しませんか」との誘い。この先に素敵な「アート・ギャラリー」があるという。
 美女が男性を誘惑してギャラリーに連れて行き、二束三文の絵画を高額で買わせる詐欺なのだろうか。直感的に胡散臭さを抱き、丁寧に断った。その後、1人寂しくランチをとりながら、ため息をついた。

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2012年05月18日

お年寄りたち 怒り給へ

 5月16日付の時評は「人間の余生と生活の質」だった。そのなかの末尾に、人間の「とう立ち」を遅らせる秘訣は身心の健康であるとし、さらに「政府は口ではあからさまに言わないが、消費税を上げるのは老人社会に対応するためだと本心から思っているのだ」と書いた。そして、最後の詰めに「それでよいのか」と読者の胸に問いかけて、時評を結んだ。
 少し分かりにくい部分もあるので、説明するが、消費税を上げるのは、老人の医療費や介護など福祉にカネがかかるからだ、というのが政府の本音であるが、そう言われて、「その通り」とすまなさそうに引き下がってよいのか、と、ぼくは国民の自尊心に訴えたかったのである。
 少子高齢化が当今の国家の重要問題とされているが、ここに至るまでの経緯を考察すれば、日本には政治家がいなくて、政治屋だけがのさぼっていた、と反省しなければならぬ。
 政治家とは50年、100年の将来を見据える政策を持ち、それに対応する行動力のある人。政治屋は明けても暮れても選挙と利権のみに関心を持つタイプの人。
 文化が進み、衛生思想が普及し、医薬が進歩し、食べ物が十分であれば、若死にするものはなく、平均寿命は延びるに決まっている。
 政治の重要さは、長寿ではなく、国民の健康なのである。健康であれば、力を入れなくとも長寿するに決まっている。それなのに、日本の今日までの政治は「健康」について何らの政策も法整備もしていない。
 例えばである。喫煙は健康によくない、と知りつつも禁煙法を制定していないではないか。
 例えばである。農薬は健康や環境に悪いと知りながら、これを制限せず、野放図に放置してきたではないか。
 食べ物は肉体の保持と発育、健康と不可分だが、これに対する法的指導はなく、食生活の破綻による健康障害は目をおおいたくなるほどひどい。にも拘わらず、この分野で発信しているのは前参議院副議長・山東昭子氏提案の食育に関する法律制定くらいである。
 少子化の問題でもそうである。環境と食生活が子供の成長や赤ん坊の出生に関わるところが大きいとは早くから欧米の情報で明らかであるにも拘わらず、日本の政治屋は役人任せで対処することを避けてきた。
 精神科医の銀谷翠さんは、大阪の産婦人科医の無作為による男性60人の精子調査を正論6月誌上に発表しているが、これによると精子のほとんどに奇形が多く混じっていた。
 また、同氏は、食生活の影響についても言及し、パン食と牛乳の因果関係を指摘している。妊娠中の牛の乳には女性ホルモンが大量に含まれ、過剰に摂取すれば子供の成長に悪い影響が出る。若ものがハンバーガーばかり食べるのは身体の健康に悪いだけでなく、脳や精神に変調を来すケースもある、と警告している。
 以上はほんの一部の指摘だが、日本の高齢化と医療費、福祉費、少子化問題は政治屋の怠慢と無能のつけであり、それを忘れて、年寄りにカネがかかるから消費税を上げるとはもってのほかの大ペケである。【押谷盛利】

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2012年05月17日

古都クラクフ、そして収容所(見聞録)

 ポーランドの首都・ワルシャワから電車に揺られること2時間半。ポーランド王国の全盛期に都が置かれたクラクフに到着する。
 クラクフは川のほとりに建つヴァヴェル城を中心に市街地が形成された。第2次世界大戦中、ポーランド全域がナチス・ドイツにより破壊されたが、ここクラクフは戦災を免れ、中世の町並みがそのまま残っている。1978年には旧市街地全体がユネスコの世界遺産に登録された。
 巨大なショッピングセンターが併設された駅から、歩いて5分程で旧市街地に着く。古めかしい町並みが続き、聖マリア教会や織物会館のある中央市場広場は、中世から残る広場としてはヨーロッパ最大という。レストランやカフェが並び、地元住民や観光客で賑わっている。
 さて、クラクフ旅行の目玉は、中世の歴史的町並み散策のほかに、ふたつある。
 ひとつは「ヴィエリチカ岩塩坑」。クラクフから電車で30分ほどの距離にある13世紀から20世紀まで稼動した岩塩坑。深さは327㍍で、全長は300㌔にも及ぶ。観光客向けに開放され、塩がにじみ出る坑道を探検できる。坑道は迷路のように入り組み、途中、塩の結晶でできたシャンデリアを飾った巨大な礼拝堂や、地底湖などに出会える。ただし、観光客で溢れかえっていたため、神秘的地下迷路というより、テーマパークの印象が残った。
 もうひとつの目玉はナチス・ドイツの強制収容所「アウシュビッツ」。ポーランド語では「オシフィエンチム」と呼び、クラクフから列車で1時間程の距離。150万人以上が殺害されたとも言われる収容所は、その悲劇を後世に伝えるため博物館として公開され、観光客だけでなく学生やユダヤ人が姿を見せる。
 建物の壁には収容者の証明写真が貼られ、展示室には衣服、トランク、靴、髪の毛のほか、遺体から取り外された義足や義手が山のように積み上げられている。そのひとつひとつが犠牲者の遺品だと思うと、暗澹たる気持ちにさせられる。
 ここに収容されたのはナチスが敵対視したユダヤ人だけではない。共産主義者、反ナチス活動家、流浪の民である「ロマ人」、障害者、同性愛者も含まれる。
 ナチスは、支配下に置いたヨーロッパ全土からユダヤ人らを集めた。収容所の門に「働けば自由になる」とのスローガンが掲げられているのが、気味悪い。
 アウシュビッツ博物館から2㌔程離れた場所には第2の収容所がある。地名は「ビルケナウ」。第2アウシュビッツと呼ばれ、収容者を運ぶための鉄道が敷設されている。線路が吸い込まれるように続く先に「死の門」と呼ばれるゲートがあり、そこをくぐると、広大な野原に無数のバラックが並ぶ。
 野原には草花が咲き、蝶が飛び、風が静かに吹く。そこに整然と並ぶ無言のバラックだけが、こののどかな地で史上最悪の殺戮劇があったことを伝えている。
 アウシュビッツでの惨劇はユダヤ人映画監督スティーブン・スピルバーグ氏の映画「シンドラーのリスト」が詳しい。私財を投げ打ってユダヤ人を救った実業家オスカー・シンドラーの工場は、今もクラクフに残っている。

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2012年05月16日

人間の余生と生活の質

 蕗の薹は食えるが、薹の立った人間は食えない。食えない、というのは役立たずという意味である。
 60歳定年を決めたのは、この年齢をとう立ちの時期と見立てたからであるが、人間は十人十色、若年寄りもいれば、老青年もいる。
 とうが立って役立たずでは家族も困るし、国のためにももったいない。第一、自分自身がかわいそうである。
 今は長寿社会だから60歳のとう立ちは早すぎるので、70歳くらいに伸ばしてもよさそうであるが、それは一人一人の生き方次第であり、親の遺伝子にもよるだろう。
 人間のとうの立つ時期は一人一人違うが、だれもが長寿を願うこそすれ、とうの立つ立たぬはあまり考えていないようである。だが、長寿で、健康で社会に役立つ人は尊い。
 動物の世界はとうが立ったら世代交代し、ボスといえども淋しく消えてゆく。植物の世界はタネを残して一代目は亡びてゆく。
 人間は万物の霊長だから高齢になっても役立つ限り世間は現役として待遇し、尊敬する。役立たなくなった後は家族が面倒を見たり、国や社会が保護してゆく。地域社会は共存共栄の伝統が支配し、「おば捨て山」思想もあって、「明日はわが身」と、人生を肯定的に諦めた。
 現代は福祉社会であるから、弱者への法のいたわりはきめこまかである。
 ぼくの友人は毎週デイサービスの恩恵を受けているが、知人も多く、楽しく通っている、と語っている。なかには半分痴呆がかった人もいれば、全くの痴呆状態の人もあるらしいが、家庭で介護できない人は施設に頼らざるを得ないし、老化がひどくなると自分で自分の意志表示ができない。
 人間は百人が百人、必ず老化するし、自分のことを自分で出来なくなる。その悲しむべき現実を一日延ばしに延ばしてゆくのが余生への覚悟である。
 言葉を換えれば、とうの立つ日を一日延ばしに先送りする努力である。どんな努力をするのか、その努力の一つが老人会活動であり、趣味の世界である。個人の場合、日々の生活のありようすべてが余命との真剣勝負である。
 そういうことは考えるだけでも面倒くさい、と好きなよう、したいように生きる人もあるが、つまづいてベソをかくことのないよう、やはり知恵を働かせるにこしたことはない。
 クスリがただであるからといっても、それを飲む生活よりも飲まないで暮らせる方が生活の質が高いのである。つまり、心身の健康がとう立ちを遅らせる秘訣である。政府は口ではあからさまに言わないが、消費税を上げるのは老人社会に対応するためだと本心から思っているのだ。それでよいのか。【押谷盛利】

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2012年05月15日

中欧・バルトの旅(見聞録)

 ゴールデンウイークを利用してヨーロッパへ出かけた。オランダ経由でポーランドへ入り、鉄道、バス、フェリーを乗り継いで、バルト3国(エストニア、ラトビア、リトアニア)を通って、フィンランドまで移動した。ちょうどバルト海沿いに中欧を北上するコースだ。
 いずれの国もEU(ヨーロッパ連合)に所属し、国境審査を廃止する「シェンゲン協定」を結んでいるため、経由地オランダ・アムステルダムでの入国審査以降は、国境で何の手続きをすることもなく、各国を自由に移動できた。
 最初に訪れたポーランドは中欧に位置し、ドイツ、ロシアなど7カ国と国境を接する。北にはバルト海を臨む。
 中世はポーランド王国として大国を形成したが、18世紀以降は国土を隣国に分割されるなど苦難の道を歩んだ。第1次世界大戦後の1918年に独立を果たすが、第2次世界大戦でナチス・ドイツとソ連の侵略を受けて、国土が分割された。終戦後、主権を取り戻したものの、ソ連の影響下による共産主義政権の支配で、東側陣営に組み込まれた。
 今は民主主義を謳歌し、EUに加盟しているが、共通通貨ユーロは導入せず、独自通貨ズオティを守っている。このため、物価はEU諸国に比べて安く、ワルシャワ駅前の高級ホテルが1泊6000円。観光客向けのレストランで名物のスモークサーモン、ポークカツ、ビール2杯で2000円を切った。
 ポーランドの首都ワルシャワは、第2次世界大戦でナチス・ドイツに徹底的に破壊された。しかし、旧市街地エリアには往時の町並みが復活し、世界中からの観光客で溢れている。国家と国民が力を合わせ、古き良き日の景観を取り戻そうと、「レンガのヒビに至るまで」と形容されるほど、緻密、忠実に復元した。今は「ワルシャワ歴史地区」として世界遺産にも登録され、市民の誇りとなっている。
 広場にはレストランやカフェのテーブルが並べられ、真夏を思わせる太陽の下、観光客がランチやおしゃべりを楽しんでいた。
 一方、ワルシャワ駅前には共産主義政権の遺物だろうか、高層の文化科学宮殿が建ち、景観とのミスマッチから市民に嫌われているとか。
 さて、同国出身者で最も有名な1人はフレデリック・フランソワ・ショパンだろう。貴族の家庭に生まれた彼は幼少からピアノを学び、わずか7歳で「ポロネーズト短調」を作曲、出版した。20歳でポーランドを去り、活躍の舞台をフランス・パリに移した。その後、ポーランドに戻ることはなかったが、ワルシャワには彼の偉業をたたえるため、17世紀の宮殿を改修した博物館があり、自筆の楽譜、手紙、スケッチ、ピアノなどを展示している。最新のデジタル技術を駆使した近未来的な博物館で、ショパンファンならずとも必見。

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2012年05月14日

蕗の薹と人間のとう

 「雪の上に膝ついて得し蕗の薹」という稲垣陶石の俳句がある。梶俳句のぼくの仲間は「三日見ぬ間の蕗の薹」と詠んで、その成長の早さに感嘆した。
 まだ、雪の残っている庭に蕗の薹を見た喜びは「春到来」の感激でもある。しかし、感激して迎えられた蕗の薹もとうが立てばかえりみるものはない。
 いま、どこの畑にも葱坊主が鮮やかである。葱は食卓に欠かせないが、とうが立てば食べられない。葱坊主は、とうが立った証であり、とうが熟成すれば種ができる。大根や蕪は春になると、とうが立ち、花が咲く。食用には向かないが、種をとるには花を咲かさねばならぬ。
 蕗の薹や野菜のとう、葱坊主からふと、人間について考えてみた。人間にも薹があるのだろうか。
 60歳定年制は、60歳という年齢を「とう」に見立てたのかもしれない。普通の職場が60歳で、とうが立つと考えるならば政治家も60歳でとうが立つのだろうか。さにあらず、この世界は化け物の棲息するところで、60歳は鼻垂れ小僧、70、80歳代が大きな面してのさばっている。70、80歳代が大きな顔する政界という化け物の世界は、地盤、カバン、看板という古い時代の慣性によって熟成した、という意味では旧体制の遺物といえるのではないか。議会の会議に出なくとも、選挙区へ顔を見せなくとも「3ばん」の威力で当選できるというのは確かに不合理であり、いま各地で、その旧体制が葬られようとしている。
 ぼくは最近、所要があって、長浜市役所へ藤井勇治市長を訪問した。市長室は3階にあるので、足の弱いものは途中で、ひと休み、ふた休みしなければならない。市の職員のような働き盛りのものには適当な足の運動で、1日に何回上がり下りしても苦にはならないが、70歳以上にもなれば、ことに足や腰に自信のないものは、若い人のようにさっさと上がることは困難であろう。その話をしながら、「市長は、いま、やっと還暦だから平気でしょう」というと、笑いながら「私は1日に5回も10回も上がり下りしていますよ。中休みなんか、するひまがありません」と元気そのもの。
 階段の上り下りばかりでなく、会議や出張、各種の催しや式典、会合などを、ときには休日も犠牲にして、こなさねばならぬ首長の激職は「とう」の立ったものには到底不可能な領域である。
 しかし、と、ぼくはここで、人間の能力や寿命を考える。政治家の多忙さでいえば、東京都の石原慎太郎知事の上をゆくものは少ない。彼は今年80歳だが、大東京の行政を仕切る以外に政界刷新だの、尖閣諸島買収だのと、超A級の政治的発信を続け、最近までは芥川賞の選考委員までこなしてきた。とうが立つどころか、かくしゃくとして壮者をしのぐ勢いである。
 石原さんには失礼だが、彼の場合は例外であり、多くの政治家にはとうの立っている人が多い。そういう古い体質の政治家にノーといえる橋下大阪維新の会の人気は半端じゃない。政治の根本ばかりではなく、とうの立った政治家では明るい将来がひらけぬという政治哲学が国民の共感を呼ぶ。
【押谷盛利】

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2012年05月11日

あいさつと人のうわさ

 挨拶は、人と人との潤滑油だが、これがなかなかできない。ひところ、小学校で「あいさつ」運動が流行したことがあったが、時が経つと忘れ去られて元のもくあみになる。
 日本人は社交下手なのか、知らない人には声をかけたがらない。記念式か、何かの祝いごとで懇親のパーティーが催されるとき、両隣りが知らない人の場合、沈黙したまま箸を手にする人が多い。
 気を利かした人が隣りの人へ、ビールを注ぎながら話しかけて、それがきっかけで、周りの緊張がやわらぐことは、しばしば経験するが、こんな場合、話の糸口に名刺を差し出す人もある。
 名刺は便利なもので、一枚の小さな印刷物に過ぎないが、そのなかに、その人の大事な情報が集約されている。
 どこの席でも気軽に、かつ積極的に名刺を配る人は議員や首長に多いが、これは選ばれる、という職業意識から常に目の前の人を票(お客)に見立てるからである。
 あの人は気さくな方で、私にまで挨拶をしてくださった、と喜ぶ人がいるから、その一枚の効果は計り知れない。
 昔は、大阪人の挨拶は「もうかってますか」だったが、このごろはどんなふうな言い回しをするのだろうか。
 年配の人は、知人や友人に久しぶりに会うと「やや、珍しい、どないしている。元気でやってるか」というのが平均的挨拶であろう。なかには探求心旺盛というか、「ご主人はお元気ですか」、「息子さんはどこの大学へ」、「お嬢さんがいらしたんですね。もう結婚されましたか」、と深追いする。「ほっといて」と思いつつも、適当に答える人もあるが、なかには相手が聞きもしないのに、こちらから、ああだ、こうだ、と自分の家庭や仕事の自慢話をする人もいる。
 平均して、挨拶の場がおしゃべりの社交場になるのは女性が多い。身近な情報で時間稼ぎを喜ぶというのは、はしたないと言えば、はしたないし、ひまを持て余しているのかもしれない。
 それにつけても老人の挨拶は淋しい。必ず登場する話題は体の調子、それにクスリ。悲しいのは自分たちだけの情報伝達だけでなく、お互いの共通の友人とか、学校の同窓生などの消息を話題にすることである。
 「Aさんは施設に入っている」、「Bさんは痴呆で訪ねてもだれがだれだか分からない」、「Cさんは風邪が元で正月過ぎに亡くなった」などの話から、お互いの肩こり、血圧、歩行困難、家庭内の不満などが登場するから、その会話中は幸せ感に浸かっているのかもしれない。
 「はしたない」などと顔をしかめる人もあるが、たまに会った知人や友人と、あけっ広げて、自分をさらし、他人の噂をしながら、束の間のやすらぎを感じるのも終末近い人生のおまけかもしれない。
 ともあれ「どうしている?」と聞くのは、深い意味があるのではなく、単なる社交的儀礼なので、「おかげさまで」、「まあまあです」で、パイプが通じるからおもしろい。【押谷盛利】

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2012年05月10日

ラシュカレ・トイバ(見聞録)

 長浜出身の国際ジャーナリスト山田敏弘氏(37)執筆のノンフィクション「モンスター」は、1500日に及ぶ取材を通して、パキスタンを拠点に置くテロ組織「ラシュカレ・トイバ」の脅威に警鐘を鳴らしている。
 プロローグ、同氏がパキスタンの情報機関工作員に「ウサマが本当に死んだなら、世界は平和になる?」と尋ねたところ「何も変わらないさ」と返ってきた。
 2001年9月11日、アメリカのワールド・トレード・センターにハイジャックした飛行機で体当たりするという凄惨なテロを実行した「アルカイダ」は、復讐に燃える米軍の掃討で弱体化し、その指導者ウサマ・ビンラディンも昨年5月に米軍に殺害された。
 同書ではアルカイダの弱体化、ビンラディンの殺害で世界がテロの脅威から解放され平和になるのかと問い、結論を「否」としている。新たな脅威ラシュカレ・トイバに注目しているからだ。
 ラシュカレ・トイバはパキスタンの情報機関の支援の下で、反インド、反欧米のテロを繰り返しているとされる。
 その名を世界に響かせたのは2008年にインド最大の都市ムンバイで実行した同時多発テロ。テロ犯10人が駅や高級ホテル、レストラン、病院などを銃や手榴弾で襲い、インド人、外国人合わせ174人を殺害した。
 同氏はそのテロ現場の訪ね、関係者にインタビューし、テロの真相とその背景、そして実行組織ラシュカレ・トイバの実像に迫っている。
 ラシュカレ・トイバは資金力、軍事力、組織力ともにアルカイダを超える力を身につけているという。そして仕事やカネがなく、社会的に居場所をなくした若者を洗脳し、殺人マシンに仕立て上げている。
 ムンバイのテロで唯一、逮捕された犯人(他9人は死亡)は仕事にあぶれ、カネに困り、強盗するための武器を得るため、ラシュカレ・トイバに参加した。テロ訓練を受け、反イスラム勢力へのジハード(聖戦)の戦士として養成された。2カ月と1週間の訓練後、故郷の村に一時帰宅すると、「誰からも尊敬される存在になっていた」という。強盗を計画するほど落ちぶれていた若者がだ。ただ、崇高な使命感を秘めていた訳ではない。殺人マシンとして養成され、神が殉教を迎え入れると洗脳されただけだ。
 ラシュカレ・トイバはパキスタンとインドが領有権を主張するカシミール地域での紛争が生み出した数多のテロ組織のひとつだが、組織を巨大化させた今、その矛先はインドだけでなく、ユダヤ国家のイスラエルをはじめ、反イスラム的な国へと拡大しつつあるという。
 自身の思想・信条を汲み入れない者には血を見せる。その思考回路を持つテロ首謀者こそ捕らえなければならないが、現実は洗脳された若者が市民を巻き込んで死んでゆくだけだ。テロ撲滅の困難さが同書から読み取れる。
 なお、パキスタンではテロの実態を取材するジャーナリストが相次いで殺害されている。過去2年連続でジャーナリストの死者が世界で最も多い国だった。

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2012年05月09日

小沢一郎氏は過去の人

 民主党は8日、小沢一郎元代表の党員資格停止処分を解除した。
 小沢氏は政治資金規正法違反で起訴されたが、このほど無罪判決が出た。しかし、国民は白と思っていないし、新聞など報道陣の評価も厳しい。
 彼の無罪判決後、野党の自民、公明両党は国会で、彼を喚問し、証言を求めることを決めている。自民党の石原幹事長は、判決文を読めば99%クロである。小沢氏が潔白を主張するなら国会で堂々と証言すべきである、むね語っている。
 9日付、産経は社説で、小沢氏処分解除に関し「民主党に公党の資格なし」と論評している。そのなかで、彼が昨年2月に処分されたことは、彼の元秘書3人の逮捕、有罪や、小沢氏が国会で説明責任を果たさなかったことも理由にあげられていた、と論じている。
 野田内閣を揺さぶり続けている小沢氏だが、子分どもは早くも9月に予定されている党代表選に親分をかつぎ上げる雲行きすら見せている。
 民主党は国民にウソをついて、政権をとったのだから、国民の支持は消えたし、小沢問題を抱える不明朗な動きは、かつての自民党の派バツ争い以上の醜さを示し、泥船の中の権力争いそのものであり、瓦解は必然であろう。
 大阪維新の会の橋下大阪市長の橋下語録に「民主党が言ったことが実現しなければ、ことあるごとにウソつき、ウソつき、とメッセージを発する」と述べている。
 週刊文春の5月17日号は「野田首相よ、今こそ小沢を大往生させよ」と生々しい記事を発信している。
 他方、「週刊新潮」は同日付で、特大記事「民主党空中分解、解散0%の永田町竜巻」とこれまた厳しい。
 ぼくが昭和50年に県会に出馬する前、長浜市民会館で、評論家・藤原弘達氏を招いて決起集会を開いたことがある。当時、藤原氏はテレビの時事評論で、茶の間の人気ものだったし、その愛国の毒説は政治家に対する清涼剤でもあった。このころは、田中角栄元首相の金脈事件で、同氏の逮捕など政界が荒れ、政治浄化が叫ばれていた。
 ぼくを支援すべく演壇に立った藤原氏は、田中元首相を厳しく論難し、最後は「越後へ帰って肥たごでもかつぎなさい」と会場を笑わせた。肥たごは「田桶」の音変化だろうか、人糞を桶に入れて、農家は肥料として田畑に使った。
 ぼくは小沢問題について、何回となく取り上げたが、今の段階では、彼の歩んできた道が王道であったか、邪道であったかは歴史が審判する。彼が今後も政界に重きを置くことについて国民の多くは疑問視、もしくは反対するだろう。彼の抱えている「政治とカネ」の疑惑はあまりにも深刻であり、前時代的であり、財政赤字で苦しむ国の会計などを考え、政界一新、平成維新を期待する国民は、藤原弘達流に言えば、「岩手へ帰って肥たごでもかつぎなさい」となるのではないか。
【押谷盛利】

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2012年05月08日

自然の厳しさに畏怖を(見聞録)

 長野県白馬村の北アルプス・白馬岳で北九州市の男性6人が遺体で発見された。ゴールデンウイークにもたらされた悲劇のひとつだった。
 中高年の医師ら6人のパーティーの不幸は、山小屋から白馬岳山荘へ向かった4日に発生した。標高は3000㍍近く。朝の出発時は青空の見える好天だったが、天気予報では午後から崩れる気配だった。同じコースの他のパーティーは中止したり、ルートを変更していた。
 5月初旬の北アルプスは雪に包まれ、天候が悪化すれば吹雪の厳しさを見せることは、この地の登山者には周知のことであり、余裕のある計画と充分な装備が求められる。
 白馬村の山岳遭難防止対策協会のメンバーが7日、遺留品を回収したところ、春・夏山用の羽毛ジャケット、冬山用ズボン、保温機能付きの登山用下着、手袋、簡易コンロなどがあった。また、簡易テントも携行しており、装備が特別に不足していた訳ではなかった。
 しかし、6人は発見時、雨具やTシャツなどの薄着だった。専門家は急激な気温変化による低体温症で判断能力が鈍り、吹雪になって着替える余裕もなかったのではと推測している。
 装備を生かせないままの事故死に山岳天候の厳しさを思い知らされる。
 事故の遠因は、遠路、北九州市から訪れたことにあるのではないかと、小生は推測する。山頂を目の前に登頂を断念するのは悔しい。まして九州という遠方からの登山では、なおさらではなかったのか。他のパーティーのように登頂を断念する勇気が、鈍ったのかもしれない。
 3年前の7月、北海道の大雪山系で登山客が亡くなる事故が発生した。ガイドに連れられたツアーで荒天の中、登山を強行した。余りの悪天候に参加者の体力が奪われ、テントを張って救助を待つも、一行18人のうち10人が低体温症で死亡した。装備やガイドだけでは御し得ない自然の厳しさを見せ付けた事故だったが、ツアーという決められた行程をこなすための強行軍が招いた人災でもあった。
 GWは竜巻、落雷の被害もあった。自然の前では人間は無力であるという謙虚さが常に必要なことを認識させられる。これからの季節、山へ、海へ、川へ、と自然に身を投げ出す機会が増えるが、驕りを捨て自然の恐ろしさを畏怖する心を養いたい。

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2012年05月07日

橋下大阪市長と小沢論

 このところ、新聞を読んでいても、テレビを見ても話題の主として登場しているのが平成維新の会長・橋下徹大阪市長と元民主党代表の小沢一郎衆議院議員である。
 両者とも世論を動かす点においては超A級の政治家だが、国民の視点で言えば両者には天地の隔たりがある。
 小沢氏は田中角栄直系の実力者で、1993年、自民党を出て以来、幾つかの政党をつくり、かつ潰し、現在は民主党にありながら、カネと政治の疑惑から党活動を停止させられている。
 政治資金規正法違反の裁判では、このほど無罪判決を受けたが、全くの白さというよりも「疑わしきは罰せず」の灰色である。
 彼は野田内閣を潰すために党内に温存する彼の子分100名を動かして、政権を揺さぶり続けている。その、揺さぶり戦術に、消費税反対を主張するが、彼は本来消費税増税派であるから、その言動のぶれは政局仕掛人のお家流といえるもので、国民の多くは横を向いている。
 無罪判決だからといって、信用している国民はいない。金権政治体質を持つ彼は、これまでしばしば国会で、国民の前に政治とカネの疑惑に関し、説明すべきであると言われ続けてきたが、断固として口を閉ざしてきた。
 国民は証拠不十分で無罪になったからといって、その政治的、道義的責任を白だとは思っていない。彼の元秘書はすでに有罪判決を受けており、不動産屋と思われるほどに多くの土地を持ち、建設業界との癒着や政党助成金に関する疑惑など底知れぬ暗部が国民の不信をかっている。
 かてて加えて、彼はこの5月満70歳を迎えた。世論調査は約70%のものが彼の政治行動を評価していない。評論家の屋山太郎氏は、無罪を花道に引退せよ、とすすめている。もはや、彼は国政にプラスするどころか、政治を暗く汚す意味で国民に陰から「ノー」をつきつけられている、というべきである。
 言わば用なき政治家、薹のたった政治家、たそがれ期の政治家といっていい。
 彼に比べたら大阪市長の橋下氏は、40歳代の働き盛り、知恵盛りで、改革を叫び実践する行動派政治家としての本領は過去1期・大阪府知事時代の活躍があまりにも鮮明である。
 彼は就任以来、膨大な府の赤字を克服するため、行政改革を職員の給与、退職金減額のほか、自身の給与や退職金も率先して大幅にカットした。
 無駄な建物や施設の廃止や補助金の削減、さらには組合との激突をも避けず、教育改革や職員のモラル向上に厳しい姿勢でのぞんだ。
 君が代や国旗に関する遵法精神の条例化など、その鮮やかな切り口は、昨秋、大阪市長になっても変わることなく、今や彼の政治公約ともいうべき「船中八策」は明治維新前夜の坂本龍馬を思わせ、国民の関心と支持は高まるばかりである。
 国会を目指すための大阪維新塾には3000名からの志願者があり、彼の政策である大阪都、道州制、憲法改正、教育改革、地方分権など国民の世論調査では60%もの支持を得ている。
 まさに昇り龍そのものであり、英雄待望の国民の心の星となっている。【押谷盛利】

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2012年05月02日

主権回復60周年記念日

 世論調査による民主党・野田政権の支持率は20%台に落ち込み、危険水域に達しているが、上昇の気配が見られないからそのうち野垂れ死にするかもしれない。民主党内閣では内政ばかりでなく、対外政策や国防など国家の威信に関わるマイナス面も多く、国家・国民のためには一日も早く退陣するのが望ましく、それがいやなら衆院を解散して信を国民に問うべきであろう。
 いまのマスメディアは、一部を除き、日本の真の独立にふさわしい60年前のサンフランシスコ平和条約締結の記念日について鈍感であるが、これは民主党内閣の方針に追随しているのかもしれない。
 去る4月28日は、60年前の1952年(S25)に、連合国側と日本が平和条約を結び、GHQ(連合国総司令部)の占領下から解放された、言わば独立記念日にあたる。
 政府主催の記念行事は実施されていないが、自民党は党本部で、国民集会を開き、昨年8月に国会提出した「主権回復記念日」の祝日法改正案の国会議決を決議した。
 主権回復60周年に伴い、日本の外交的立場や国際正義観を内外にアピールするためにも首相談話を出すべきだったが、それもしなかった。多くマスメディアは、60周年の意義や、日本の今後のあり方などについて国民に訴えることもしなかった。
 自民党が昨年8月に提出した記念日による祝日法改正法案は民主党の反対で棚ざらしのままとなっているが、これはサンフランシスコ条約締結に、旧社会党が「全面講和」を主張して、反対したからで、今の民主党内には旧社会党の思想や伝統を引きずっている勢力の存在が明らかである。
 自民党本部の国民集会で「たちあがれ日本」の園田博之幹事長は「自民党は間もなく政権を奪還するはずだ。今度こそ自主憲法を制定できるように」と、エールをおくっている。主権回復記念日を設ける意義については、自民党きっての政策通、かつ論客の衆院議員(弁護士)の稲田朋美氏は「主権回復記念日を祝うということは、安倍晋三元首相が掲げた戦後レジームからの脱却を今一度わが党の旗にすることであり、その中核に据えるべきは東京裁判史観からの決別である」と説いている。稲田氏は、自民党が政権奪還した暁には首相として堂々と靖国神社に参拝し、村山談話や河野談話を撤回することを国民に約束し、東京裁判の不当性を教科書にも記載すべきである、と主張している。
 さて、5月3日は憲法記念日である。占領軍から押しつけられたアメリカ製憲法にいつまでもしばられていては、国際的に自立する日本にはほど遠い。国家の元首、国防、集団的自衛権などについて、改正する必要があり、という国民世論は高まりつつある。そうした角度から国民は祖国と祖国の将来を見据える見識と覚悟が求められる。【押谷盛利】

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2012年05月01日

北欧インテリアの魅力(見聞録)

 手ごろな値段で北欧家具を購入できることから欧米や日本で人気を集めている家具専門店「IKEA(イケア)」。日本国内では神戸や大阪など7店舗を構え、先月11日にオープンした福岡では、開店初日は入店に2時間待ちというから、テーマパーク並みの混雑ぶりだった。
 そんなIKEAが今度はテレビ内蔵の家具を商品化した。テレビ裏のごちゃごちゃとした配線を家具と一体化することで隠し、ブルーレイとDVD、サラウンド機能も付く。この商品、6月から、ストックホルム、ミラノ、パリなどで販売され、今秋にはヨーロッパ全体で売り出される。日本での登場は来年以降になるそうだ。
 ソニーやパナソニックをはじめ、国内家電メーカーが薄型テレビ市場で大赤字を計上し、戦略転換を余儀なくされている今、テレビまでを家具の一部として商品化するアイデアに、IKEAの勢いを感じる。最近ではアメリカで家具付きの一戸建ての販売を始めたことでも話題を集めた。
 IKEAはスウェーデン発祥の企業だが、他にもフィンランドのブランド「マリメッコ」などが比較的手に入れやすい価格帯のインテリアや雑貨を揃えて世界で人気を集めている。北欧の家具やインテリアは、なぜこうも世界で愛されるのか。
 そこには地理的条件や生活スタイルにヒントがあるようだ。
 北欧と呼ばれる地域はノルウェー、スウェーデン、フィンランド、デンマークなどを指すが、高緯度のため、夏場は「白夜」と呼ばれるように深夜まで明るい。今の時期でも日の入りが午後9時をまわる地域もある。
 逆に冬は夜が長く、寒さも厳しい。そんな長く厳しい冬の期間は、どうしても家の中で過ごす時間が長くなる。このため、家具やインテリアなど室内を飾るものに対して技術が培われ、シンプルでありながらも、素材を生かし、温かみのあるデザインを生み出したそうだ。
 もうひとつは家具の材料となる木材。北欧の天然木は木が固く締まり、耐久性が抜群という。高緯度の地で育つ木は、日照時間の少なさから成長が遅く、木の幹の詰まるからだという。逆に温かい地域、例えば熱帯にあるような木々は成長が早い分、もろい。
 家の中で過ごしがちな生活スタイルと、厳冬に鍛えられた丈夫な木材が、北欧の家具、インテリア文化を生み出した訳だ。
 日本人にとって北欧はなじみの薄い場所で、足を運ぶ機会はなかなかないが、日本国内の家具店や雑貨店を見るにつけ、北欧から学ぶべきものは多いと感じる。

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