滋賀夕刊新聞社は滋賀県長浜を中心に政治、経済、文化の情報をお届けする新聞です。



2012年04月27日

高校再編成の小田原評定

 県教育委員会が進めようとしている県立高校の再編計画について、長浜市議会は白紙撤回の意見書を議決、県議会は一年先延ばしを提案したが、さて、この話、24年度に終着駅へ着くのか。
 さきに長浜市議会の会派・プロジェクト21(北田康隆代表)が独自の再編案を決めたところ、他の会派から批判されたことがあったが、いたずらに反対論を展開して問題をこじらせたり、時の流れに目をくもらせるのは見識の市議会の姿とは思えない。
 長浜市は「長浜の未来を拓く教育検討委員会」というもっともらしい組織を立ち上げ、去る16日、第5回目の会議を開いたが、実りのある提言ができるのか、ぼくは疑問を持っている。
 県教委は1年延期をして今年度に再編計画を策定することにしているが、長浜の検討委員会は、住民の意見を吸い上げるための「地域審議会」の設置を提言することにした。外部からは、問題の先延ばし戦術が見え隠れする。会のなかには「再編」そのものに反対する強硬派がいるから時間をかけてもまとまらないのではないか。ぼくはふと「小田原評定」という言葉を思い出した。
 天正18年(1590)、豊臣秀吉が北条氏の本城、小田原城を包囲して、北条氏政、氏直を滅したが、この戦で、北条方が、和を結ぶか、抗戦するか、会議を開いたが、意見が続出して集約ができず全軍の惨めな敗戦に至った。
 この故事から、会議が長引き、容易に結論の出ないのを小田原評定というようになった。
 県教委が高校再編を持ち出したのは、湖南と湖北に代表される人口の増減と、これに伴う生徒数、さらには高校卒業後の進路などを勘案して、高校の適正学級数、教育内容の見直しなど、言わばこれまでの高校教育の歴史を踏まえ、新しい時代にふさわしい学校現場への改革を志したのであろう。
 さきにあげた「未来を拓く検討委」は「50年後を考えた人材教育」とか「優秀な子どもたちを地元で育て、郷土愛を育むべき」などと、だれもが文句のつけようのない標語のようなものを並べている。
 優秀な子は一流大学を出て、ほとんどが中央や大都市で活躍している。50年後どころか、10年後すら見えにくい不透明な現代である。いま、子を持つ親は、大部分が一流大学、一流職場へと願っており、そのために幼児教育に力を入れ、早くから学習塾に通わせる。
 高校には大学などを目標とする進学校と、卒業後すぐ就職を目的とする実業科高校に大別できるが、結果はともかく、大方は進学を望んでおり、実業科コースの生徒でも卒業後、進学するものもある。
 進学コースを選ぶ以上、何人も有名大学を志すが、そこには激烈な学力試験が立ちはだかっている。受験地獄がこれである。
 ぼくは、いま、4月15日付「サンデー毎日」を見て、複雑な思いにかられている。このなかに、全国2190高校、91大学の合格者数を掲載している。いずれも、この春の合格者である。東大に202名の合格者を出した開成(東京)は別格としても、各都道府県別高校に見る東大、京大の合格数は極めて関心が高く興味をそそられる。ひいきめに見てもわが滋賀県は影が薄い。なんとか、伝統校の強みを発揮しているのは膳所高のみで、彦根東や虎姫高の実績は過去の栄光から比べるとかなりな落差である。ましてや、長浜北は消えゆくばかりで、長浜高に至っては取り上げられてもいない。
 合格者の高校別数字は次回に示すが、東大でいえば、膳所8、彦根東1、守山1、他は0。京大の場合は膳所48、彦根東11、守山9、虎姫3、近江兄弟社1、光泉1、比叡山1。【押谷盛利】

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2012年04月26日

国論を2分する原発政策(見聞録)

 5月5日は国民の祝日「こどもの日」だが、今年は大きな節目の日となりそうだ。というのも、同日深夜、北海道電力の泊原発3号機が定期検査のため運転を停止し、国内で44年ぶりに原発ゼロとなるからだ。
 今、注目されているのは大飯原発の再稼動問題。日本の原発政策の分水嶺となりうる問題に、全国紙の社説も再稼動推進と脱原発に分かれている。
 再稼動推進の論調は電力不足による経済への影響を危惧し、脱原発の論調は安全性の担保と、今夏を原発無稼動で乗り切った際の夢を語る。以下、各紙の社説を紹介する—。
 朝日は脱原発の旗色を鮮明にしている。4月24日の社説では同社の世論調査の結果、「再稼働に反対が近畿2府4県では5割を超えた。夏に電力不足で節電や計画停電になってもいい、という人が電力消費地の近畿で8割近くにのぼる」と紹介。そのうえで、政府の再稼動ありきの姿勢では再稼動は暗礁に乗り上げ、「失われた信頼を夏までに回復するのはむずかしいのが現実だ」と訴え、「原発なき夏」へ節電に備えることが「賢明な道」としている。
 読売は23日付けで「長年原子力政策を進めてきた自民党が、政府に全ての責任を押しつけ、他人事のような態度を取るのは理解しがたい。原発の再稼働に向け、政府を積極的に側面支援すべきではないか」と、大飯原発再稼動へ自民党の尻を叩いている。「太陽光や風力など、再生可能エネルギーの拡大を期待したいが、確かな展望があるわけではない」と述べ、谷垣総裁に「現実的なエネルギー政策の策定に指導力を発揮してもらいたい」と注文を付けた。
 民主党に対しては「無責任な『脱原発』路線と決別するのが筋」と訴えている。
 読売と論調を同じくするのが産経。25日付けで「昨年のような過酷な節電が繰り返されれば、産業界は立ち枯れの危機に直面する」と訴え、「原発の再稼働を含めて安定的な電力供給体制を早期に築くことを最優先すべきだ」と、原発の再稼働を呼びかけている。
 産経は20日付けでも、大飯原発再稼動に8項目の条件を出した大阪市の橋下市長に対し「国や関電に高いハードルを課す内容だ」と指摘し、「大阪市長として、まず果たさねばならないのは市民や市内にある企業、工場などに電力不足という不安を与えないよう努力することではないか」と批判している。
 産経の主張と正反対に、橋下市長の提言を「もっともなものだ」と賛同しているのは毎日。25日付けで「政府や自治体には原発のない夏に備えたリスク対策を求めたい」とし、「経済に与える影響は慎重に評価しなければいけないが(中略)この夏を乗り切ることができれば、脱原発社会の実現に向け、私たちは大きな自信を得ることになる」と締めくくった。
 読売、産経は原発推進、朝日、毎日は脱原発。日経には触れなかったが記すまでもなく推進である。国論を2分する原発再稼動問題、読者の皆さんはどう考える?

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2012年04月25日

政治塾と二番煎じの話

 橋下大阪市長の政治力と発信力が超A級のため中央はもちろん、地方に与える影響は地響きを感じさせるほど大きい。
 大阪維新の会の政治塾が3000人近い人気で政界に衝撃を与えるや、遅れてならじと、これを見習う政治塾が発足した。後発組には悪いが、はっきり言って二番煎じである。一度煎じたものをもう一度煎じることをいい、お客さんを迎えて二番煎じのお茶を出せば失礼に当たる。二番煎じは、前にあったことの模倣で新味のないものとされている。
 大阪の向こうを張りたがるのが中京で、愛知県の大村知事と、名古屋市の河村市長もそれぞれ、この機を逸せずと自分流の政治塾を立ち上げた。滋賀県の嘉田知事も同様、嘉田塾を発足させた。
 大村塾も河村塾も、中央政界へ殴り込みをかける気概を見せているから、それは大阪維新と気脈を通じる改革の炎と受けとることができる。しかし、滋賀県の嘉田塾はそれほどの大志はない。女性知事にふさわしく、大津の越女性市長らと携えて、地方自治への積極的参加型の政治学校的様相が濃い。
 大阪維新の活躍があまりに脚光を浴びているので、なにか手を打たねば世間の風から疎まれてゆくのでは、というジェラシーやあせりが開塾を誘ったきらいがある。だから思いつきの公民教育のおさらいで、天下国家を憂う救国の政治家を育てる夢にはほど遠い。
 嘉田塾の根本的弱みは思想性がないことである。分かりやすく言えば、この政治塾のやろうとしている政治哲学がないことだ。それは現代と将来を見据えた確たるスタンスがないということである。
 大阪維新の場合、橋下市長のこれまでの発信や実績で知る通り、船中八策を示しており、それは、古いしがらみ、古い体質、体制を根本的に変えてゆくという発想であり、憲法、法治体制、教育、文化、税制、社会福祉に至るまで徹底しており、その言動が拍手で迎えられ、信頼されていることが全国レベルの世論調査で明らかである。
 脱原発一つ取り上げても、関西電力の大株主としての大阪市を念頭に株主総会での提言や理事の人事に原子力発電の権威者である維新の会の仲間の学者を送ることを高言している。
 大阪市の行政にとかく癒着してきた職員組合との絶縁を実行したり、各種団体への財政支援の見直しを実践するなど、府政で示した赤字財政の克服など他府県の思いもよらない大胆な政策をつぎつぎ断行した。区長の公募や教育委員会のあり方、学校教育の現場のあり方、学力テストに至るまで維新アイデアは精力的だ。
 これは改革なくして明るい未来はないとする信念からだが、その改革の当面の目標は大阪都の実現とその後に出てくる道州制である。これをやるには中央政局を左右する国会進出が不可欠であるという前提があり、その喫緊の大作業が維新塾の立ち上げだった。目的が明々白々であり、それゆえに各政党への衝撃的影響が超A級となったのである。
 維新の橋下代表は東京の石原知事との盟約のもと次なる政局の要となっており、その一挙手一投足は最早や全国区であり、マスコミの報道は全国紙の1面、2面の政治面と最終頁の社会面。まさにこの国の総理級である。【押谷盛利】

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2012年04月24日

傍観者ではいられない(見聞録)

 大飯原発再稼動をめぐり、経済産業省の牧野聖修副大臣が23日、滋賀県庁を訪れ、嘉田由紀子知事に再稼動への理解を求めた。これに対し、近畿1450万人の水がめ琵琶湖を守る嘉田知事は慎重姿勢を崩さなかった。
 これに先立って嘉田知事は17日、京都府知事とともに脱原発に向けた工程表の作成など、再稼動の条件となる提言を政府に突きつけている。
 提言は▽エネルギー供給対策や安全対策について、政治的見解ではなく、中立的な第三者機関による専門的な判断を▽福島原発事故のデータ、電力需給資料の完全な情報公開▽福島原発事故の原因追及と、大飯原発の再稼動の問題点の説明▽事故調査が終わらない段階で大飯原発を再稼働させる緊急性の証明▽脱原発の実現に向けた工程表の提示と使用済み核燃料の処理体制の確立▽オフサイトセンターやSPEEDIなどのシステム整備▽原発事故被害者救済—の7項目からなる。
 裏を返せば、原発事故から1年が経過しても、これだけの課題が残っているということ。
 ポイントは、脱原発の道筋の提示と、徹底した情報公開に尽きる。今の民主党政府が経済産業省や電力会社の影響力をかわし、これを達成できるのか。
 他方、23日に開かれた政府の需給検証委員会。今夏、全原発が稼動しないまま2010年並の猛暑となった場合、関西電力は7月に19・3%の電力不足に陥るとの見通しを示したが、委員からは「どんぶり勘定」「(節電や発電の)手段が数多くあるのに、きちんと検討されていない」などの批判が出て、再度、電力の需給を精査することになった。電力会社への不信感がきわまった感がある。
 政府は今、大飯原発を再稼動できなければ計画停電もありうると指摘している。しかし、関電は昨夏と昨冬の2回、電力不足に陥ると試算したが、いずれも停電を回避できた。国民の間では「原発がなくとも…」との期待がくすぶり、政府の指摘を「脅し」と見る向きもある。
 一方、企業からは「生産活動に影響が出る」と原発再稼動を望む声が強い。昨年は採算を度外視して節電や自家発電に協力した企業も少なくない。
 脱原発への試金石ともなる大飯原発の再稼動問題。急速な脱原発が国民生活と経済にどのような影響を与えるのか。今、日本は重い選択を迫られているが、企業も国民もこの問題に傍観者ではいられない。

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2012年04月23日

登校の列に車突っ込む

 北海道の私設動物園で、従業員の女性2人がヒグマに殺された、という珍しい事件があったが、その前には、ペットの蛇に噛まれて飼い主が殺されたというニュースがあった。この蛇は5㍍という大蛇だったらしいが、動物園では、動物による事故は忘れたころに起きている。
 4月に入ってからの暗いニュースは、なぜか型破りの悲劇が多い。なかでも花の京都で起きた暴走事件は、死者7人、負傷者12人というケタ外れの大事故だった。この事件は、運転手が死んでいるから、原因の追究は困難であるが、本人がかねてから「てんかん病」だったというから事件当日、急に病状が出たのではないか、と推測されている。
 人が殺されたり、突然の災害で急死する場合、これを横死というが、昔の人はそういうことが念頭にあるので「死なば畳の上」と、畳の上での病死、それも長寿して、家族の介護のもと安らかに息を引き取ることを願った。
 横死は不慮の死というよりも非業の死の意味が強いから、あまりいい言葉ではない。だが、蛇に殺されたり、熊に殺されたり、というのは非業の死というよりはほかない。
 非業とは、仏教語で、前世の業因によらないこと、前世の善因を受けないことの意味だが、一般には運に恵まれないみじめな死を非業の死という。
 たまたま、京都での暴走事故は、交通安全月間中だったので、あらためて病人の運転や運転免許のあり方などが問われる。
 てんかん病の人が運転免許を持ち、運転していると知れば、いつどこで何が起こるや、その事故が通行人や他の車にどんな危険を及ぼすかを考えれば鳥肌立つ思いである。免許取得の際、本人が隠していれば分からぬことになるが、診察し、治療している医師は、こんな場合、行政や社会にどんな責任を持つのか、あらためて、事故皆無のための反省点から法の整備その他を進める必要があるのではないか。これに似た病気では、心臓発作などの急患発生であるが、ショックが大きく異状であれば運転中に即死することもあり得るわけで。こうした病状の人や現に通院している人は、自分の生命を大切にすることは勿論だが、もしものとき、社会や他人に与える影響を考えて、自重することが望まれるし、医療関係者の指導も徹底すべきであろう。
 神経質に考えると、走る凶器の真ん中を生きている現代人は、物騒で夜もおちおち、昼もおちおち安らかに生きていられない。
 一番新しいニュースでは、23日朝、京都の亀岡市内で登校の列に車が突っ込み、子ども3人が意識不明の重体、7人が重軽傷。突っ込んだのは無免許の少年だった。
 さらに前日の22日の未明に起きた山口県の三井化学工場でのプラント爆発では、火災が発生し、15時間後の午後5時過ぎ鎮火した。この事故で社員1人が死亡し、11人が重軽傷を負ったほか周辺民家で400軒が窓ガラスの破損、11人がケガをしている。
 三井に限らず、化学工場は危険な化学物資を取り扱っており、安全操業には十二分の管理体制が敷かれているはずだが、長期操業における金属疲労や、人間の点検ミスの偶発も皆無ではないから安全の確認はしすぎることはない。
 この日は、東京でバスの運転手が乗客とのトラブルで胸を刺されてケガをしている。京都では住宅団地の4階でレンジの爆発で一室が全焼し、住人の男性が手足や顔にやけどを負って病院に運ばれている。誰もが、災害に遭うと前もって知っているわけではないし、10人が10人「私は大丈夫」と安心している。安心しているからこそ生活できるのであって、毎日が心配の連続なら、ストレスがたまって寝込んでしまうかもしれない。
 かえすがえすも、身を振り返り家事に車の運転に、事故を起こさぬよう巻き込まれぬよう細心の注意を払うこと。【押谷盛利】

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2012年04月21日

有意義に過ごしたいGW(見聞録)

 ゴールデンウイーク(GW)のスタートまで1週間に迫り、JR6社と航空各社は20日、GW期間中の予約状況を発表した。いずれも前年比2〜4割増と好調で、今年は5月1、2日に休暇を取れれば、最大で9連休となる曜日配列のため、日本人の旅行熱は例年になく高いようだ。
 JR各社の予約の総数は202万席で、東日本大震災の影響で大きく落ち込んだ昨年に比べ、41%増加している。混雑のピークは下りが5月3日、上りが6日。下りは、前半の4月28日も予約が多い。
 航空各社の国内線予約は、前年比23%増の約212万席。座席数に占める予約率は、日本航空グループが60・8%、全日空グループが53・9%と、まだまだ席に余裕がある。北海道や沖縄方面などが好調という。
 さて、海外旅行に目を転じると、国際線予約は前年比22・9%増の約39万席。しかし、国内線同様に席にはまだ余裕があるようだ。
 日本航空グループは28万1921席のうち22万3910席に予約が入り、予約率は79・4%。全日空は23万8244席のうち、17万2391席しか埋まらず、予約率は72・4%にとどまっている。今でもソウル3日間プラン1万9800円などの商品が売れ残っている。
 旅行会社HISの渡航先ランキングによると①ソウル②ホノルル③台北④グアム⑤バンコク⑥香港⑦シンガポール⑧上海⑨パリ⑩バリ島—という順で、アジアやビーチリゾートが人気を集めている。
 ランキングからは見えないが、9連休と対ユーロ円高を背景に、ヨーロッパ方面が昨年より3割増えていることも見逃せない。
 他方、イランを取り巻く国際情勢の不安定さから原油価格が高騰したままで推移している。その価格は燃油代として航空運賃へ転嫁され、長距離飛行に二の足を踏む人も多い。
 例えばGWまで1週間に迫ったきょう21日でもヨーロッパのハブ空港であるオランダ・アムステルダム行きの航空券が10万円を切る価格で販売されている。この時期にしては格安の値段だが、別途燃油代に4万円余りかかるのが渡航を思いとどまらせているのだろう。
 渋滞や混雑を避け、安・近・短と身近で過ごすGWも悪くはない。伊吹山登山や横山、山門湿原ハイキングで自然に触れ、高月のこいのぼりまつり、余呉の山菜まつりなどのイベントをのぞく。市内各所で開かれている戦国大河ふるさと博の会場を巡って地元の歴史に造詣を深めるのもいい。喧騒を嫌って、自宅や図書館で読書を決め込むのも有意義ではないだろうか。
 いずれにせよ、せっかくのGW、無為に過ごしたくはないものだ。

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2012年04月20日

窮すれば通ずるのか

 取り越し苦労ではないが、ものごとを始めるときは、うまくゆくか、失敗したらどうしようと、気をもむことがある。
 現在、日本中、為政者も国民も心配しているのが原子力発電所のことであり、さしあたりは福井県の若狭にある大飯原発の再開である。政府は安全を確認したからと、ゴーサインを出したが、後は福井県民や福井知事の判断による。これに待ったをかけているのが、隣接府県の滋賀と京都の知事である。
 近くの敦賀にも原発があり、このあたりを原発銀座と呼んだのは一昔前の話で、今どきそんなことをいえば「ふざけるでないよ」と怒られるであろう。
 銀座は、日本を代表する東京の繁華街で、この名称にあやかって、全国各地の繁華街が○○銀座と名乗っている。「銀座の柳」「銀ぶら」「銀座の恋」などと歌にも出てくるが、いまの敦賀や若狭湾にのぞむ原発立地の町は、外側からの反対の声と内側からの賛成の声に極めて複雑な立場に立っている。
 敦賀市長の河瀬一治さんは、ぼくも知っているが、県会議員から市長になり、原発賛成の立場で市民の支持を得ている。敦賀の市会議員も全部賛成の立場で当選している。それは敦賀市政が原発企業から多大の寄付を受け、原発施設から莫大な固定資産税が入り、また敦賀の企業や市民が原発産業との関わりあいの中で生きているという現実による。
 いま問題の大飯原発の地元でも民宿が開店休業で、悲鳴を上げている。地元の町財政や住民生活の安否に直結するわけだが、一歩眼を転ずれば「もしも」という、原発事故の不安が県民はもとより、他の府県にも強い。その心配はない、と言い切れぬのが福島原発の災厄だった。
 心配がなくなるのは代替発電が軌道に乗り、原発を廃棄したときで、それまでは、常に「もしも」の心配がついて回る。それは天災がいつくるのか予測がつかぬことと、人災が皆無という保障がなく、それにテロの心配もゼロとは言えないからである。
 この心配を杞憂というが、杞憂は「き」と「ゆう」が一つに組み合わされた言葉で、これを「きゅう」という一音の言葉にすり替えたらどんな解釈が浮き上がるだろうか。
 「及」は及第、「休」は一服、「求」は要求、「究」は研究、「泣」は泣く、「急」は急ぐ、「糾」はただず、「救」は救う、「給」は支給、「鳩」はご用なし。
 結局は「窮」に落ちつくのか。にっちも、さっちもゆかなくなるのが窮であり、動きのとれないことだが、それでは夏の電力需要をどう乗り切るのか。
 古人は「窮すれば通ず」といったが、そこに政治の「知」と「明」と「断」が期待される。一方で「貧すれば鈍する」というこれまた、古人の言葉がある。「鈍」は鈍くなる、バカになる、という意味。
 国民の理解を深めるには「ばらまき」などのぜいたく政策はやめて、代替エネルギーの開発研究に総力を出すこと。電力会社の経営の見直しと改革を直ちに断行することを提言する。【押谷盛利】

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2012年04月19日

早起きは自然の摂理(見聞録)

 「早起きは三文の徳」とのいう諺がある。早起きすればいいことがあるという意味だが、この場合の「三文」は貨幣価値を指すものではなく「わずかばかり」と解釈して良いだろう。「徳」ではなく「得」を用いるほうが、「三文」にマッチしそうだが、小生が使っている「記者ハンドブック」(共同通信社発行)は前者を使うように記している。
 早起きの効用を示した言葉だが、さらに景気の良い言葉に「朝起千両夜起百両」がある。朝、早く起きて働くのは、夜遅くまで仕事するよりも得であることを意味するが、「三文」に比べ「千両」と言われれば、起きるしかない。子ども向けには「早寝早起き朝ごはん」という合言葉もある。
 早起きを訴える諺は他にも多いが、裏を返せば早起きがいかに難しいかを代弁している。
 さて、おととい17日、北ビワコホテルグラツィエで開かれた「びわこ湖北倫理法人会」のセミナーに参加した。同会は倫理や道徳に基づいて会社経営を行っている経営者でつくる組織。定期的にモーニングセミナーを開き、朝礼の大切さなど訴えている。
 この日の講師は社団法人倫理研究所の研究員・内田靖士さん(29)。「朝に活路あり」との演目で、「輝く朝日を浴び、新鮮な空気に触れることで体調や精神が安定し、心身ともに健康な毎日を送れる」と訴えた。
 「何事もスタートが肝心」と語り、早起きすれば仕事が順序よく進み、寝坊すれば何事も後手になると説明した。また、遅い起床は夜更かしを招き、「人が悪いことをするのはたいてい夜である」と指摘。昼夜逆転の生活で悪友と遊び回っていた自身の体験談を交えながら「生活する時間帯が変われば出会う人が変わる」と述べた。
 最近、会社始業前の朝の時間を、勉強や趣味などの活動にあてる「朝活」が流行している。ビジネスマンの自己研鑽の取り組みだが、朝のフレッシュな時間帯は集中力も高いとあって、その効果に注目した企業が早朝会議を設定するなど、朝の効用が見直されている。
 東京に住む内田さんも毎日午前5時12分の電車に乗り、6時には会社に到着しているが、最近、目に見えて早朝の乗客が増えているという。
 野生動物も、野に咲く花も、太陽が昇ると同時に動き出す。寝坊はしない。朝に合わせて1日の活動をスタートするのが自然の摂理なのです—。内田さんはこのように早起きの当たり前を説いていた。

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2012年04月18日

泣き組に落ちゆく心配

 ぼくは、ときどき、日本はこのまま栄えてゆくのだろうか、と心配することがある。
 その心配の一つが需要と供給のバランスの崩れによる日本経済の破綻である。日本の経済が上昇期にあったバブルのころは、大量生産、大量消費という景気のいい言葉が何となく囃し立てられた。
 作れば売れるんだから、工場を大きくし、機械や設備を近代化して生産を増やすという発想と、流通の時間とコストを減らして、消費者の買い気を誘う戦略が相乗して、今日の物余り現象の端緒となった。こういう積極的展開が持続すれば万事めでたしで株価も上がるし、就職浪人はいなくなり、雇用の促進や労働者の所得増、企業の繁栄につながるわけだが、そうはならない。つまり、上向き調子の反動として下向き調子になる心配である。
 作っても作っても売れる世の中だったら、ソニーではないが何千億円もの赤字になるわけがないし、百貨店の統合整備なんか起こり得るはずがない。全国の多くの都市の繁華街を代表していた商店街はガレージを締めていたり、駐車場になったりして、火が消えるようになってから久しい。
 スーパー時代が現れて買いものに革命的変化をもたらしたが、今は、そのスーパーが乱立と競争に災いされて、これまた潰れたり、統合されてゆく。近頃はスーパーの敵としてコンビニが幅をきかすようになり、それも朝から晩まで休みなしの営業とあって、ずぼらな消費者は家で冷蔵庫の必要もなく炊事する手間も省ける。
 それでは衣料品や化粧品はどうか。健康食品は、などと考えると、際限もなく新しい商法が家庭に首を突っ込む。毎日、新聞に入っているチラシ、テレビの宣伝、どこから住所を知ったのか、通信販売のすすめ、旅行や娯楽の通販など眼から耳から、いやというほどの商品情報の洪水である。
 商品の洪水で買い手市場になると、消費者はまさに王さまだが、王さまに好き放題に買える所得があればまだしも、今は税金や健康保険、自動車保険などで、家計費が大きくしわ寄せされるし、それに教育費、医療費も脅威であり、買いものに財布の紐を開けっ放しにはゆかない。むしろ、「断捨離」の呼びかけで、使わないものは捨てなさい、いたずらな欲求心は断ちなさい、浮き世のとらわれから離れなさい、と消費気分にブレーキがかかる。
 日本の商品は質がよいが値が高い、の声と、円高が響いて輸出が振るわない。物余り現象は、結局、買い人気のかげりとなり、今後は生産の縮小、工場閉鎖、人員整理などに響いてくる。それが新卒の就職難にも関わってくる。それらの不景気風は今後、風速を増すことが予測され、それが社会不安を招き、カネにまつわる犯罪が増えてゆく。
 国民一人一人が、自己防衛の意識革命をせねば、泣き組に落ちこぼれてゆく心配なしとしない。
【押谷盛利】

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2012年04月17日

脱原発は民主の党是か(見聞録)

 民主党の原発政策はどうなっているのか。「脱原発」を標榜しながら、関西電力大飯原発(福井県おおい町)の再稼動に向けた動きを加速させている。特に枝野幸男経産相の発言は「二枚舌」との批判を受けるほど、定まっていない。
 枝野氏は13日の衆院経済産業委員会で「できるだけ早く原発依存から脱却し、依存をゼロにしたい」と答弁し、脱原発の姿勢を鮮明にさせていた。
 しかし、翌14日に福井県を訪れた際には西川一誠知事に「今後とも引き続き重要な電源として活用することが必要だ」と、正反対のことを述べている。その後、記者団に対しては「1日も早く原発依存から抜け出す方針は揺るがない」と説明した。15日の徳島市内での講演でも「後戻りせず一直線に原発を減らしていく」と話した。
 過去をさかのぼれば、今月2日の予算委では「現時点では今の再稼働には反対」「地元をはじめとする国民の皆さんからの一定の理解が得られなければ再稼働は致しません」と答弁していたが、翌3日には再稼動への理解を示した。
 一方、仙谷由人政調会長代行は16日の講演で「原発全停止なら、日本が集団自殺するようなものになる」と発言するありさま。
 民主党の原発政策は脱原発を党是としているのか、否か、まったくもって不明だ。
 そもそも原発の再稼動はどれほどの喫緊課題なのか。資源エネルギー庁は原発ゼロで猛暑を迎えた場合に最大で19・6%の供給不足になると試算しているが、いったいどれほどの国民がこの数値を信じているのか。国民が求めているのは原発推進勢力のバイアスのかかっていない公平公正なデータであり、原発稼動ゼロの場合、猛暑のピーク時、いったい何時間程度の電力不足が発生するのか。その回避方法は原発稼動以外にないのか、であろう。また、脱原発による燃料コストの上昇が日本経済にどの程度の打撃を与えるのか。
 他方で、脱原発による再生可能エネルギーの技術革新、省エネ技術の進歩が、日本の経済界にどのようなプラスに働くのか。世界トップの技術力を持つ日本が政治・経済をあげて再生可能エネルギーの開発に集中すれば、脱原発の世界的モデルとなりうるかもしれない。
 電力不足の懸念から、原発再稼動を急ぐべしとの理論は理解できるが、脱原発のスケジュールや代替エネルギーの確保策を具体的に示すのが先決であろう。
 なし崩しに再稼動へ突き進めば、福島第一原発事故の教訓が台無しになる。
 福島級の地震、津波に耐える安全性の確保は言うまでも無い。

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2012年04月16日

桜の花と実社会の醜さ

 湖国は今、さくらが満開である。つぼみが開き始めてからの生命力の盛んなさまは、見れば見るほど惚れ惚れする。
 咲き始めてから一週間で満開となる花の勢いに感心するが、実は寒風や雪にさらされている冬の間に生命力を春に向かって集中しているのだ。冬の間は枯れ木のように影が透けて見えるが、木の中を流れる血液は休むことなく地中を呼吸し、常に大空を眺めている。
 「年々歳々花相似たり歳々年々人同じからず」という中国の古詩がある。
 花の姿は毎年変わらず、人々の眼を楽しませてくれるが、さて、人間はどうか。年を経るごとに回りの人々の変化に驚く。元気だった人が入院しているではないか。痴呆になって、家族の手に負えず、施設に入っているとか。さらには、いつも同窓会で目立った男が、もうこの世にはいなくなった、とか。とにかく一年一年、年経るごとに世の中が変わり、人の動きがめまぐるしい。
 ぼくは、彼岸とお盆には必ず古里の墓参りに帰るが、最近つくづく思うことは、墓場で知った人に出会わないことである。知人や親類が都会へ出たり、寝込んでいたり、死亡しているからである。
 古里の墓は少年時代を思わせるが、それなのに思い出だけが鮮明で、現実にはだれ一人知った人に会わない。まるで竜宮城から帰った浦島太郎の心境である。
 毎年、齢を重ねて、平均寿命を超えてゆくわけだが、それは見方を変えれば現実に取り除こされ、おのれの醜い姿を世にさらすことになる。生きている限り、生きているものの娑婆から逃れることはできないが、今、浦島の救いは、芸術や文学、歴史の世界にしばし己を憩うことの楽しさである。
 100年、200年前の名画の前で心をときめかすことがあるし、好きな作家の小説に夜の更けるのを忘れて感動することもある。
 ぼくは、幸せにも俳句や短歌を楽しむ仲間に恵まれているが、花を見、月を仰ぎ、紅葉や雪に、おりおりの心を投影して作品化することの喜びと楽しさは、こたえられない。作る俳句や短歌が必ずしも人の批判にたえ、褒められるわけではないが、心をこめて、生まれた作品は子育ての親の愛情に似て、捨てがたし、言わば自分の旅日記の如きものであろうか。
 「歳々年々人同じからず」の何ともやり切れぬ淋しさが、俳句や短歌を作る喜びと刺激の中で忘れさることができるのである。
 花は、やはり桜である。淋しさも悲しさも癒してくれる桜花。花を賞でる日本人の心のやさしさを思うにつけ、現実社会の醜い争いや欲にまつわる殺人事件、新聞の社会面を賑わす破廉恥事件に心が痛む。
 人間は菩薩の心を持つ反面、鬼の一面をも宿しているのか。所詮は生きてゆく現実の上での矛盾であるが、敗戦を知らず、長く南の島で、日本軍人として一人で戦ってきた小野田さんは「生きることは生きてゆくこと」と名言を吐いた。どんな苦難にぶつかっても、生きてゆかねばならぬ、という積極性がその人を生かすバックボーンになるのだが、このごろの不祥事件を見るたびに、日本人みんな甘え心がしみついたのか、何事も自分の責任にせずに、国や社会が悪いとばかり、責任のなすりあいで、渡世の真実をごまかしている。
 桜の花の真実を見ながら「生きてゆく」ことのすばらしさを味わいたい。【押谷盛利】

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2012年04月13日

壁の塗り替えではダメ

 政界は一寸先は闇。衆議院は、いつ解散するのか、そのキーを握っているのは野田佳彦首相の胸先3寸。
 気の早い報道関係者や政治評論家は解散が今にもありそうと煽り立ててきた。3月説、6月説がそれであり、それを信じ込ませる如く、野田首相は党内の内紛に身じろぎもせず、断固として貫く、と増税一辺倒のかたくなさを見せている。
 ぼくは、解散は遠いとみている。
 野田首相が増税への片意地を見せているのは、解散を脅しの手に利用しているだけで、だれよりも解散の恐いのは民主党内の代議士、とりわけ小沢派は深刻である。解散後の衆議院選は見るも哀れな討死の悲劇到来となるからである。
 4月10日付の読売によると、同社が6日〜8日に実施した全国世論調査で、野田内閣の支持率は哀れも哀れ28%に下落した。前回の3月調査の35%を下回る、この急降下は救いようのない危険水域といえる。政府が国会に提出した消費税法案は賛成35%、反対57%。政党支持率は民主17%、自民16%、無党派層は56%。
 大阪維新の会の国政の進出を期待するは60%、東京都の石原知事を中心とする新党結成の動きに期待するは41%。
 以上の結果が示すように、現時点での野田内閣の運命はまさに風前の灯である。人気下落の最中に解散すれば、その風をまともに受けて大惨敗するのは過去の歴史が証明している。
 民主党が政権を奪取した2009年8月30日の総選挙は、麻生内閣の任期満了前の解散によるが、この当時の世論調査による麻生内閣の支持率は10%台というひどさであった。任期満了が9月10日だったから、ほぼ任期いっぱい持続したわけだが、結果からいえば、解散の時機を間違ったといえる。いずれにしても、解散権を持つ首相が、人気の悪い時を選んで解散するバカはいない。したがって、今の世論の低調段階で、解散することは100%あり得ない。
 ところで、今の衆議院議員の任期は何時までなのか。憲法は任期を4年と定めている。今の議員は2009年8月30日に当選しているから4年後の2013年8月30日が任期満了となる。解散をしなければ、来年の8月末まで、首はつながる。
 問題は、解散権をいつ執行するか、である。それは野田内閣の評判が上がり、民主党が国民の信頼を回復したときだが、待てば海路の日和という甘い見通しはない。このまま党内抗争にあけくれし、ここ、かしこにぼろを出して、じり貧に追い込まれる可能性無しとしない。
 自民党の石原伸晃幹事長は、民主党に対して、小沢を切れば協力しようと持ちかけたが、小沢といい、亀井(前国民新党代表)といい、一昔前の古い役者の登場に国民はへきえきしており、政治のからくり、体制を根本的に改革しなくては、新しい近代的政治は生まれない。小手先のつくろいや、壁の塗り替えなど目先のごまかしで国民を釣ることは最早や不可能である。【押谷盛利】

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2012年04月12日

さあ開幕、長浜曳山まつり(見聞録)

 長浜曳山まつりは、あす13日、開幕する。この日は御幣迎え、神輿渡御、くじ取り式があり、夕刻には出番山の地元で歌舞伎が初披露される。14日は登り山、夕渡り、そして15日の本日を迎える。
 今年は本日が日曜のため、市民だけでなく大勢の観光客が大挙することが予想される。八幡宮を埋め尽くす観衆を前に、絢爛豪華な曳山の舞台で子ども役者が華麗に歌舞伎を披露する姿が目に浮かぶ。
 あす13日発行予定の小紙「曳山まつり特集号」の取材のため、先週末から今年の出番山の壽山、鳳凰山、高砂山、猩々丸の各稽古場を見学した。
 毎年恒例の取材とはいえ、いつもながらに感心するは子ども役者の集中力と吸収力。歌舞伎の演目には忠義や情愛、武家社会の美徳など、子ども達には難しいテーマが少なくない。春休の稽古だけで、そういった心理を理解し、歌舞伎独特の台詞と言い回し、動作を覚える。
 まつりが始まっても公演を重ねるごとに芸に磨きがかかる。15日夕刻、お旅所で演じる頃には最高の演技を見せることだろう。
 さて、今年の歌舞伎演目(曳山まつりでは「外題」と呼ぶ)は涙を誘う物語が多い。
 壽山の「小磯原雪柵—お静と礼三郎」は旗本の次男が武士を嫌って町人となり、妻子に恵まれるも、兄の急死にともなって武士の社会に戻る物語。妻子との別れと再会が胸を打つ。
 鳳凰山の「奥州安達原袖萩祭文」は、源氏に滅ぼされた奥州安倍氏の遺児兄弟による復讐劇。家族より、忠義や仇討ちを優先する武家社会の非情さを伝える。
 高砂山の「一谷嫩軍記—須磨浦の段組討の場」は恩義に報いるため我が子の首を身代りとして差し出す物語。猩々丸の「御所桜堀川夜討—弁慶上使の段」も弁慶が主の義経のため、初めて会った我が子に父親と名乗ることもなく、手にかける。両山組とも義理や主君のために我が子の命をも差し出す武士の美徳を表現する。
 今年も子ども役者がどんな熱演を見せてくれるのか、楽しみだ。

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2012年04月11日

政局をにらむ国民の眼

 「週刊文春」4月12日号の衆院解散、総選挙の当落予想図は消費税で大荒れしている政局を痛打しており、現職の衆議員先生は夜もおちおち眠れそうもない。
 いまのうちに首をしっかり洗って、いざというときの覚悟を誤らぬよう望んでおく。
 世間では、みんなの党や大阪維新の会が国民の人気を集めているから、それが反比例して、民主と自民の暴落が見えてきた、と考えているようだが、事実はこの逆である。自民や民主の裏切りや国民無視の堕落的傾向に愛想をつかしたからこそ、両党を葬れの国民感情の台頭になった。
 いわば国民の既成政党への不信感と怒りが、正直一筋、頑固一徹の渡辺喜美の「みんなの党」や橋下徹の「大阪維新の会」に出番の道を開けたということができる。これまでの政界は難局というか危機状況を迎えると、申し合わせたように離合集散を繰り返したが、それには必ずといっていいほど利権やポストが陰で動いた。
 そういう陰湿な国民不在の駆け引きの中で、派バツのボスが政治を仕切った。まるで商人のような取引ぶりだった。国民はお人好しだったのか、おバカさんだったのか、あるいは権力に弱かったのか、地盤、カバン、看板の3ばんに流されてきた。
 一つはマスコミの権力迎合のだらしなさと、野党の無気力のせいでもあった。自民党政治の末期的退廃と民主党政治のインチキ性に、お人好しの国民が怒り始めたのは偶然ではない。
 いい加減にしろ、と腹を立てるにはわけがある。自民も民主も赤字財政の尻ぬぐいに、いともやすやすと公債政策に手を染め、片方で無駄をなくするための歳出カットをさぼって、逆に増税路線に舵を切り換えた。
 赤字国債をじゃんじゃん発行すればカネは生まれる。増税すればなおしかり。こんな簡単なことはアホでも分かるし、これを財務官僚は自民、民主の幹部にレクチャーしてきた。
 いま、自民、民主は手を携え、沈む泥船のなかで、運命共同体的あがきを見せている。この2大政党のほかにも名前と実態がピンとこない少数党がわんさとあり、いずれも国から多額の政治資金を受けている。政治を遊びか、なんかのように、はき違えているのかと、国民はいぶがり気味だが、今回の文春情報で、彼らの前途が真っ暗であることは、神様のお見通しと思えるほど世間の目の厳しさを感じさせる。
 長い間、行われてきた自民、民主のいい加減な政治に、今こそ国民は、何ものにもとらわれず、いいたいこと、思ったことを大胆に表明する時機を迎えた。
 この機運を先頭に立って切り開いてきたのは「みんなの党」と、「大阪維新の会」であり、だれが何と言おうとその功は賞賛されてよい。このほか、石原東京知事と河村名古屋市長の存在と発進力も重い。【押谷盛利】

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政局をにらむ国民の眼

 「週刊文春」4月12日号の衆院解散、総選挙の当落予想図は消費税で大荒れしている政局を痛打しており、現職の衆議員先生は夜もおちおち眠れそうもない。
 いまのうちに首をしっかり洗って、いざというときの覚悟を誤らぬよう望んでおく。
 世間では、みんなの党や大阪維新の会が国民の人気を集めているから、それが反比例して、民主と自民の暴落が見えてきた、と考えているようだが、事実はこの逆である。自民や民主の裏切りや国民無視の堕落的傾向に愛想をつかしたからこそ、両党を葬れの国民感情の台頭になった。
 いわば国民の既成政党への不信感と怒りが、正直一筋、頑固一徹の渡辺喜美の「みんなの党」や橋下徹の「大阪維新の会」に出番の道を開けたということができる。これまでの政界は難局というか危機状況を迎えると、申し合わせたように離合集散を繰り返したが、それには必ずといっていいほど利権やポストが陰で動いた。
 そういう陰湿な国民不在の駆け引きの中で、派バツのボスが政治を仕切った。まるで商人のような取引ぶりだった。国民はお人好しだったのか、おバカさんだったのか、あるいは権力に弱かったのか、地盤、カバン、看板の3ばんに流されてきた。
 一つはマスコミの権力迎合のだらしなさと、野党の無気力のせいでもあった。自民党政治の末期的退廃と民主党政治のインチキ性に、お人好しの国民が怒り始めたのは偶然ではない。
 いい加減にしろ、と腹を立てるにはわけがある。自民も民主も赤字財政の尻ぬぐいに、いともやすやすと公債政策に手を染め、片方で無駄をなくするための歳出カットをさぼって、逆に増税路線に舵を切り換えた。
 赤字国債をじゃんじゃん発行すればカネは生まれる。増税すればなおしかり。こんな簡単なことはアホでも分かるし、これを財務官僚は自民、民主の幹部にレクチャーしてきた。
 いま、自民、民主は手を携え、沈む泥船のなかで、運命共同体的あがきを見せている。この2大政党のほかにも名前と実態がピンとこない少数党がわんさとあり、いずれも国から多額の政治資金を受けている。政治を遊びか、なんかのように、はき違えているのかと、国民はいぶがり気味だが、今回の文春情報で、彼らの前途が真っ暗であることは、神様のお見通しと思えるほど世間の目の厳しさを感じさせる。
 長い間、行われてきた自民、民主のいい加減な政治に、今こそ国民は、何ものにもとらわれず、いいたいこと、思ったことを大胆に表明する時機を迎えた。
 この機運を先頭に立って切り開いてきたのは「みんなの党」と、「大阪維新の会」であり、だれが何と言おうとその功は賞賛されてよい。このほか、石原東京知事と河村名古屋市長の存在と発進力も重い。【押谷盛利】

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2012年04月10日

斜陽化する日本のお家芸(見聞録)

 ソニーは全従業員の6%に当たる1万人を削減する方針という。テレビ事業の不振などで、2012年3月期決算で2200億円の赤字を出すなど、4期連続の赤字を計上した。
 従業員削減は新聞各紙が伝えているが、詳細は12日、同社の経営方針説明会で明らかになるだろう。
 同社はリーマン・ショック後の08年、世界で1万6000人を削減。世界9カ所のテレビ工場を4カ所に再編・統合し、競争力を強化していたが、韓国企業の追い上げ、円高、東日本大震災、タイ洪水が重なった。
 ソニーのほかにも、パナソニックが7800億円、シャープが2900億円の赤字を計上している。パナソニックはこれまでに3万人を超える人員削減を進め、シャープも労組に賃金カットを提案している。
 以上3社の赤字の要因はテレビ事業の失敗に尽きる。薄型テレビ市場を見込んで集中的に投資したが、韓国勢などとの価格競争の激化で作れば作るほど、売れば売るほど赤字になった。
 韓国勢の躍進の遠因にあるのが、ITバブル崩壊後、リーマン・ショック後に日本で吹き荒れた人員整理の嵐と言われる。日本企業から韓国企業へ人材・技術が流出したとの指摘だ。
 今度のソニーの人員削減についても、次の覇権を狙う中国企業が日本の技術者に照準を定めているとの報道もある。
 さて、テレビ事業の失敗で赤字を抱えるこれら3社に対し、堅調な利益を計上した家電メーカーもある。日立製作所2800億円、三菱電機1000億円、東芝650億円だ。
 明暗を分けたのは「製品」の違い。この3社は一般的な家電に加え、鉄道、上下水道、ガス、そして原発など我々の生活基盤を支える社会インフラも扱っている。
 テレビは客に売ればそれで商売は終了するが、社会インフラの場合は売ってからも「メンテナンス」というビジネスが続く。同じ商品で、継続して売上を見込める訳だ。
 携帯電話やインターネット、プリンターなどもメンテナンス事業と同様に、回線使用料やトナー(インク)代として継続的収入が見込める。
 テレビのような売り切り型の製品は、人件費の安い国に拠点を置く企業が技術的価値を高めれば、円高に苦しむ日本企業が劣勢に立たされるのは想像に難くない。
 売り切り型ビジネスで日本企業が世界をリードするには、環境分野などで技術革新を進め、他国に真似のできない付加価値を見いだすしかない。
 「日本のお家芸」と呼ばれた家電企業が斜陽化している今、日本を代表するトップ企業として大胆な方針転換に期待したい。

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2012年04月09日

衆院解散後の選挙予想図

 政局不安定のなか、気の早い週刊誌は、衆院解散後の全選挙区の当落予想を発表している。いつ解散されるのか、定かではないが、内外ともに目の離せない重大案件を前にしての予想記事であるから国民の関心度は高い。
 「週刊文春」4月12日号は、政治広報システム研究の代表者と週刊文春の取材班の共同執筆で、近い将来行われる衆院選の緊急予測を公開した。
 見出しは「さらば民主党政権」「小沢叛逆」「橋下は天下を奪えるか」と、興味をそそのかす。さらに記事の冒頭、全記事を集約して、次の5項目をあげ、興味の核心に迫っている。
 ▽民主144VS自民209VS維新+みんな76
 ▽維新の会 大阪19選挙区のうち17を制圧
 ▽鳩山、菅、野田歴代首相落選危機
 ▽副大臣、不気味な予言「首相は暴発する」
 ▽自民懲りずに山拓、井脇ノブ子、船田元が出馬
 党派別獲得議席予測も発表しているが、予測の正確度を知るため、後日の本番に備えこれも紹介しておく(カッコ内は現有)。
 ▽小選挙区=民主党99(215)、自民党160(64)、公明党3(0)、共産党0(0)、新党きづな0(2)、社民党1(2)、みんなの党9(2)、国民新党1(4)、新党大地・真民主0(2)、たちあがれ日本2(2)、新党日本1(1)、減税日本1(1)、新党改革0(0)、幸福実現党0(0)、大阪維新の会17(0)、与党系無所属0(0)、野党系無所属6(5)。
 ▽比例区=民主45(77)、自民49(54)、公明24(21)、共産7(9)、新党きづな0(7)、社民3(4)、みんな31(3)、国民新0(0)、新党大地1(1)、たちあがれ0(0)、新党日本1(1)、減税日本1(1)、新党改革0(0)、幸福0(0)、大阪維新19(0)与党系無0(1)、野党系無0(2)。
 さて、問題は党派別の議席獲得予想だが、一見して分かる通り、これまで政権の指定席だった自民党も、前回自民党を破った民主党も単独で政権を取れなくなり、新しい政局は、みんなの党と大阪維新の会を中心に政界再編成の中で展望される様相が濃い。
 今一つの顕著な傾向は、改革とか、新党とか、国民の名を用いる多くの小世帯政党が、ものの見事に清算されて消えてゆく運命を暗示していることである。
 この記事は、今世評で、かまびすしい石原新党については触れていないが、もし石原新党が実現していれば、民主、自民はさらに厳しく追い込まれるに違いない。あくまでも予測記事だから、まるごと信じるわけにはゆかぬし、かといって一笑にするほどいい加減なものとは思いたくない。
 ぼくは、次の解散時の総選挙の結果で、国民の公民的レベルが決まると思う。はっきり言えば、国民はかしこくなったか、度し難いおバカさんかが分かると思っている。
 05年の小泉解散は、国民が小泉さんの改革の実行力と歯切れのよさに惚れ込んで、自民の圧倒的勝利をもたらした。09年の麻生解散は、小泉後の自民の福田、安倍、麻生の一年一首相のたらい回し政権に国民は反発し、自民よ、さよなら、民主よ今日は、で、野党第一党を歓迎した。もちろん、これには民主党の歯の浮くようなばらまき政策や手品師のようなインチキマニフェストが国民の目をごまかしたことが原因している。その結果、圧倒的差で、民主党が天下を握ったが開けてびっくり玉手箱、ここ3年の間に首相が3人、なんのことはない、自民党とそっくりの体質で、むしろ悪いのは、外交や防衛で、国の将来に不安を感じさせたことと、公務員改革が進まなくなったことであろう。
 国民世論は、自民もダメ、民主もダメ、腹の底から強い不信感を抱いているにちがいない。自民も民主もダメなら、さて。国民はどの政党に期待するのか。少数政党に力がなく、国民の目に魅力を無くした今、国民が最大の期待を持っているのは、改革がほんものと思われる「みんな」と、大阪から全国へ怒濤のように響いている大阪維新の実践力である。【押谷盛利】

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2012年04月07日

電力ビジネス占う原発再稼動問題(見聞録)

 福島第一原発事故後、全国の原発が定期点検などを理由に運転を停止し、全国54基(もんじゅ除く)のうち、稼動しているのは北海道電力の泊原発1基のみとなっている。泊原発も5月には定期点検で停止する予定で、国内の原発稼動はゼロとなる。
 昨夏と今冬は電力不足による停電が懸念されたが、火力発電などで対応した結果、事なきを得た。国民の間で「原発がなくとも何とかなるのではないか」との気運が漂う中、東電は4月から企業向けの電気料金の強行値上げに踏み切った。火力発電の燃料費増大の負担としているが、脱原発へのけん制とも受け取れる。
 野田首相は6日、原発の安全性を確認する新たな判断基準を決定した。福島第一原発を襲った地震や津波に遭っても、原子炉の冷却が継続できる対策などを求めている。
 新基準は原発の再稼動の可否を判断するため、福井県などの立地自治体が国に求めていた。そこに盛り込まれた基準については、すでに多くの原発が対策を済ませており、大飯原発の「再稼動ありき」のアリバイ作りとの指摘もある。
 再稼動にあたっては、野田首相や枝野経済産業相がたびたび「政治判断」という言葉を掲げるが、電力業界から有形無形の支援を受ける政界に、公正な判断など期待できるのだろうか。
 政治判断ではなく、科学的根拠に基づく安全性と、前首相の打ち出した「脱原発」の方針に照らし合わせ、再稼動の可否を判断するのが道筋であろう。
 しかし、安全性の確保とは別次元の事情もある。ひとつは、原発に代わる低コストの発電技術が確立、普及していないこと。もうひとつは、三菱重工業、日立製作所、東芝といった世界トップの原発技術を持つ日本が脱原発へと急進的に舵を切れば、国際的原発ビジネスの足かせになる、ということ。
 ゆえに大飯原発の再稼動の可否は、日本の電力政策と原発ビジネスの行方を占う「政治判断」が不可欠となる。
 さて、滋賀県の嘉田由紀子知事は、政府が新しい安全基準をわずか3日で作り上げたことを「見切り発車」と批判している。近畿の水がめを預かる滋賀県知事としての当然の見解であろう。
 嘉田知事は4月1日付けの京都新聞に「災害の記憶と時間の力」という寄稿を寄せている。「災害が多発する不安定な国土に住むからこそ、神や仏への信仰により、自然への畏敬の念を深めたのではないか」と、日本の精神文化を取り上げ、「いっときの経済利益を求めるハイリスクな原子力発電所は似つかわしくない、と思うのは私だけだろうか」と締めくくっている。

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2012年04月06日

日本のインフレの歴史

 日本の景気の低迷をデフレのせいにする人がいるが、デフレでもなく、インフレでもなく、物価が安定しているのが理想である。
 需要が供給を上回り、消費意欲が盛んなときは、投資が活気づき、金融が緩和する。生産性が向上し国民が衣食住ともに満足している欧米の近代国家ではインフレにはならないし、物価は安定している。日本もこの分類に入る。
 これに反し、物価が年々上昇してゆくのは中国をはじめアジア、アフリカ、南米の低開発国に多い。
 日本もかつてはインフレ国であった。今の日本の通貨はインフレ時代の傷跡と思えばよい。
 ぼくが子供のころ(昭和初期)は、春祭りに母のくれた小遣いは10銭だった。好きなピーナツは1銭で6、7個買えたし、アメ玉もそのくらい買えた。ニッキ水を買ったり、ゲームをしたり、クジを引いたり、友達と遊び呆けたが10銭は子供の遊びとしては充分満足できる額だった。
 小学校の高等科2年のとき先生の手助けをしてお礼を50銭頂いた。それを母に見せたらびっくりして、落としたらアカンというので、母に預けたことがある。
 親類の青年が戦争に召集されると、父は「のし袋」に入れて、餞別を届けたが、中身は50銭銀貨だった。いまのおカネなら3000円から5000円ぐらいの値打かと思う。そのころはハガキが1銭5厘だった。お酒が1升80銭か90銭、日雇いの一日の手当が1円。商業学校出のサラリーマンで30円〜35円。小学校の校長で50円〜80円くらいだった。
 それが戦後、一変してインフレになり、1銭や50銭で買えるものはなくなり、けた違いに物価が上がってしまった。
 それはなぜか。一つはアメリカの占領政策によるものだが、農民が小作農から自作農に変わり、裕福になったこと。労働者が労働条件の改善で収入が多くなり、生活のレベルが向上してきたこと。いま一つは、戦争中、勝つまでは辛抱します、と欲しいものを我慢してきたから、その枠が外れて、欲しいものを競って手に入れようとした。ところがその欲しいものが市場に出回らないので買い手殺到の法則で値がうなぎ上りに上がってゆく。極端な「もの不足」の時代だから、なんでも造ったら売れる時代だった。工場が建ち、企業が生まれ、機械や設備が進み、投資環境が活性化し、銀行にお百度参りする金融緩和時代を招いた。そこで、展開されたのが、生産の向上、流通産業の活況、需要の爆発、物価の上昇。つまりインフレ経済に突入した。
 サラリーマンの月給も戦前の30円、40円前後から2000円、3000円代に、そして、それが1万円〜3万円時代、さらに15万円〜30万円時代とここ半世紀のうちに上がってきた。この間の日本の所得の向上と、生活のレベルの高まりに寄与したのが電化商品であり、車であった。
 この経緯はごく簡単に述べたが、これで分かる通り、インフレというのは、物を欲しい、買いたいという国民のニーズが高まり、それが上げ潮となって、工場の生産が上昇し、投資と金融が脚光を浴びることになる。
 中国で、年々物価が上がっているのは、中国民の所得が年々上昇してゆくにつれ、貧しいころの欲しいものへの買い意欲に火がついたからである。
 いまの日本は、着るものはタンスに一杯、食べ物は溢れ、そして持ち家生活、完全電化、パソコン、ケータイ、遊びの時代に突入した。物が売れなくなくて当たり前、物価が上がりインフレになる条件は一つもない。【押谷盛利】

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2012年04月05日

食文化、萎縮しまいか(見聞録)

 昨年、焼き肉チェーン店「焼肉酒家えびす」で発生した集団食中毒事件を受け、生牛肉、生レバーの規制が強まっている。
 厚生労働省の薬事・食品衛生審議会の部会はこのほど、飲食店での生レバーの提供を禁止する方針をまとめた。早ければ6月にも食品衛生法に基づく企画基準を作り、レバ刺しなどの提供を禁じる方針。違反すれば2年以下の懲役、200万円以下の罰金が科せられるという。
 事件以降、生肉は処理環境の整備や、表面の加熱などが義務付けられ、その基準をクリアした飲食店が提供している。
 しかし、生レバーの場合、部会の調査段階で肉の内部から腸管出血性大腸菌「O157」が発見され、表面の加熱では菌を完全に取り除くことができなかった。このため「安全に生で食べるための有効な予防対策は見い出せていない」と、禁止を決めた。
 しかし、食中毒事件ひとつを取り上げて、これまでの食文化を禁止する国の方針は正しいのか。
 厚労省によると、昨年1年間に発生した牛の生レバーによる食中毒は12件。フグやカキによる食中毒、餅をのどに詰まらせる窒息事故と比較して多発しているとは言えないが、なぜ禁止にまで踏み込むのか。業界からも「食べ物には何でもリスクはある。厚労省は規制することしか頭にない」と反発は大きい。
 近年では、窒息死事故を起こした「こんにゃくゼリー」が槍玉に上がったのが記憶に新しい。
 食品を扱う業者や飲食店に安全の徹底を求めるのは当然だが、レバ刺しにしろ、刺身にしろ、カキ、フグにしろ、「生食文化」に食中毒のリスクは付き物ではないか。国が一定の安全基準を設けることに異論はないが、禁止にまで踏み込むのは横暴だろう。
 昨年の食中毒事件は「えびす」と、生食には向かない粗悪な肉を卸していた「大和屋商店」が断罪されるべきであって、生レバーを一律に禁止するのは愚策だ。国は注意喚起にとどめ、業界の自助努力と消費者の自己判断に任せるべきではないか。
 リスクを恐れるあまり規制ばかりしていれば、食文化が萎縮する。

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2012年04月04日

国民よ、ごまかされるな

 いまの日本はデフレ経済だから、これをインフレ経済に方向転換しないと危機からの脱出ができない、と説く人がいる。学者や評論家が机上の論争をして出口が発見できるほどことは簡単ではない。
 むかしから、株の変動の予測ほど難しいものはない、と言われてきた。だから「株のことは株に聞け」、と分かったような分からないオチになる。安いときに買って、高いときに売れば儲かる、とはだれにも分かる話だが、思惑違い、計算違いが株式の世界で、安いと思ったら、さらに安くなったり、相場の世界は下手に手を出して大やけどをする。
 物価の問題も似たところがある。安くて、良い品を買うこともあれば、2流品でも高く出さねば買えないときもある。物価は株式ほど動きが激しくはないが、国民生活そのものに直結するから上がり下がりが不安定であれば国民経済は萎縮する。
 したがって国民経済を考えるとき、物価の安定が国家の安泰につながる。経済は生きものであるから健康な経済は物価の安定をもたらす。いまの日本は、後期高齢化社会に突入し、少子化による人口漸減が医療費、社会福祉費、年金支払いなど財政の赤信号を点し始めた。カンフル剤に消費増税などをすすめる一方、インフレ経済に切り換えねば、と説く人がいる。
 インフレとは、インフレーションの略で、一般的物価水準が継続的に上昇し続ける現象をいう。これに対するデフレは、デフレーションと呼び、一般的物価水準が継続的に下落し続ける現象をいう。
 現在の日本は、ものによっては下落気味だが、一般的には上がり下がりの少ない安定的状況にあるといえる。ものを消費する国民の立場になれば物価は安い方がよいに決まっている。給料が高くとも、米代、おかず代、電気代、水代、ガソリン代、衣料、医薬品がどんどん上がれば、その給料で食えなくなるのが、インフレであるから、インフレ社会は国民を貧困にする。
 本当のインフレを知っている人は昭和一ケタ生まれか、大正生まれの人だろう。
 戦争が終わったとき、これまでお国のためにと買わされてきた国債が、いざ債還されるや、ただの紙切れ同様になった。戦争中、50円、100円の国債は当時の国民所得1カ月分か2カ月分に相当する大金だったが、戦後のインフレでおカネの値打ちが急降下し、100円でズボン1着しか買えないことになった。50円の国債を債還してもらっても菓子1袋も買えないありさまだった。
 今もし、日本がインフレ経済になったら、日本の国債は債還時の60年後は100分の1以下に下落するだろう。そんな長い年月を考えずとも、貯金したおカネの値打ちがだんだん減ってゆくと考えたら、銀行へ貯金するバカはいなくなるだろう。
 インフレというのは、国民の消費意欲が盛んにも抱らず、物が少ないので、手に入りにくく、その結果、物価が高くなるから景気を刺激して、物を造る工場や設備が進み、生産を増やすようになる。当然ながら新しい雇用が生まれ、工場拡張や増産体制に金融が出動する。こうしてある段階になって、国民需要がほどほどに満たされると、国民のいらいら買いや、衝動買いが収まり、需要(国民)と供給(工場)のバランスが保たれる。
 日本の現在はまさに需要と供給のバランスがとれており、輸出の落ち込みで供給過多の傾向にある。物価は安定しつつ一部では下落しているのが実情である。物価が安定しているからこそ、日本の経済は世界から安心して信頼されているのであり、その意味では円高こそ日本経済の信用の証しである。
 インフレを思う人は、物価上昇期のバブル時代、とくに土地取引の甘みを知る人だろう。銀行は今も当時の抵当に高い土地をつかまされ塩漬けにして、見えない大損をしているところがある。
 国民よ、ごまかされるなかれ。【押谷盛利】

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2012年04月03日

自給率向上は学校給食法から(見聞録)

 長浜市はこのほど市民の健康づくりの指針「健康ながはま21」を策定した。初めて「食育推進」を盛り込んだのが特徴で、策定にあたって小中学生に実施した食生活アンケートの結果が興味深い。
 小学生に朝、昼、夜、それぞれの主食をたずねたところ、朝は、米飯が48%、米飯以外(パン、麺類、シリアルなど)が45%と拮抗し(無回答7%)、小学生の半数が朝食で米を食べていない実態が浮き彫りになった。
 昼は米飯72%、米飯以外18%、夜は米飯85%、米飯以外7%だった。
 夜は米飯が主流だが、それでも7%の米飯以外と、「米離れ」は深刻化しているようだ。
 農林水産省の統計によると、国民1人当たりの米の消費量は1962年には118㌔あったが、92年には70㌔を切り、2007年には57㌔にまで減った。
 その原因は、日本人がパンや麺、肉類、乳製品などを多く食べるようになったからだが、米消費量の減少は日本の食料自給率の低下に直結する深刻な問題だ。
 日本の食糧自給率は現在40%程だが、今より2倍の量の米を消費していた1962年には76%もあった。
 食料が世界規模で流通する今、食料自給率に大きな意味は無いと見る向きもあるが、不作の年には原産国が穀物の輸出を制限したり、穀物価格が急騰したり、という過去があった。近年は増え続ける自国の人口を養うため、世界規模で農地争奪戦が起こっている。
 エネルギー問題と同様に食料の国内生産に本腰を入れる必要があろう。
 その食料自給率の向上手段の一つは、言うまでもなく米の消費量を増やすことにあるが、果たして今の日本に、国策として米食推進に取り組む知恵があるか、どうか。
 例えば学校給食。旧長浜市内の小中学校に提供している長浜学校給食センターは週5日の給食うち、木曜と金曜の2日間をパン食にしている。
 学校給食のパン食は戦後に普及したが、これは小麦の輸出拡大を狙う米国がGHQを通じて画策した「陰謀」との説もある。
 その真偽は置いて、昭和29年に施行された学校給食法施行規則に「完全給食とは、給食内容がパン又は米飯(これらに準ずる小麦粉食品、米加工食品その他の食品を含む。)、ミルク及びおかずである給食をいう」とある。パンや小麦粉食品が先に紹介され、米を後回しにした表現に違和感を覚えずにはいられない。
 農業振興と食料自給率の向上を掲げるならば、まずは子どもの頃から米飯の大切さを教えることが欠かせないと考えるが、それ以前に学校給食法施行規則の改正が必要だろう。

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2012年04月02日

増税とインフレ反対

 日本の景気はよいのか、悪いのか。この質問に対し多くの国民は「悪い」と答えるにちがいない。一歩譲っても「低迷」というだろう。
 景気の悪いときや落ち込み時の政治の処方箋は、国民所得の向上と減税である。
 ふところが豊かになれば、消費意欲が盛んになり、生産が拡大し、投資景気が金融を活性化させるからである。この処方箋にしたがえば、今、政局を騒がせている消費税の増税は景気を冷やす効果はあっても、よくするふうには考えられない。そこで、ちらほら出ているのがデフレ克服とインフレ策であるが、これは日本の前途を危うくするものとしてぼくは賛成しない。
 政治家や評論家のなかにはいかにも知ったかぶりしてインフレ論を説く人がいるが、彼らは本当にインフレを知っているのだろうか。
 インフレは分かりやすくいえば通貨の洪水である。ときどきテレビが低開国の市場風景を現地観光ルポとして報道するがあれをよく観察している人は気がつくはずである。
 穀類、果物、魚類などを買う客が、カバンから手に持ちきれないほどの紙幣を出して、一枚一枚時間をかけて数えている。物価が毎日のように上がっているから、それに対応して、おカネをたくさん抱えているわけだが、昨日は20枚の紙幣で買えたものが今日は30枚なければ買えない状況となる。これがインフレ経済である。
 インフレになるには、条件がある。国民の消費意欲が高まり始めたのに、それを充たす商品が不足していることが第1。商品不足の原因は、生産工場が少なく、1次産業(農業・水産・林業)が主体で、2次産業(加工・製造業)が遅れている。第2は、金融引き締めで、カネが回らない(銀行融資の厳しさなど)。このインフレ条件を考えると、東南アジアやアフリカ、南アメリカなどで工業化の進んでない国は現に深刻なインフレ下にあり、インフレ阻止が重大な政策になっている。
 いまの日本はどうか。もの余り現象といわれるほど、物は洪水のように溢れて、捨てることが美徳となった。工場は生産設備の充実と、秀れた技術で生産力を誇るが、国内需要は先細りであり、外国へ輸出は円高で不利となっている。
 国内産業は冷えの方向にあるから新規雇用は抑え気味で、パートのカット、新卒の採用ストップなど世論の景気感にマイナス条件を発信するばかりである。
 国民は貧しいのか、金を持っていないのかと問えば、そうではない。ある程度の所得があり、文化生活を維持しているが、税や保険料、医療費が高いからおカネを使わなくなり、金融不安の関係もあってタンス貯金に走る傾向にある。
 ものが不足して、買い手が殺到するときは、ものの値がつり上がってゆくが、逆に売れない場合は投げ売りするから安くなる。
 現代の日本はこれにあてはまる。これまで15万、20万円もしたテレビが5万円、あるいはそれ以下に下がっているし、パソコンやケータイも同様である。
 しかし、国全体から見れば、生産と消費、物価はいずれもバランスをとっており、国の財政が放漫政策でない限り、国民生活は安定している。いわば働けば文化生活を享受できる幸せ社会といえる。
 もし、国がインフレ策へと切り替えれば、日銀のサイフをゆるめ、紙幣をどんどん流せばよいが、その洪水のように流れるカネは一体どう使われるのか。ばらまきして、国民を怠けものにするのか。公共工事に流してゆくのか。そして、日銀の発行したカネの担保ともいうべき国債のふくれをどう手当てするのか。子孫が返すが、その子孫がどんどん減るばかりか、所得のない老人社会になってゆくのは統計上明らかである。
 インフレなどもってのほかである。【押谷盛利】

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