滋賀夕刊新聞社は滋賀県長浜を中心に政治、経済、文化の情報をお届けする新聞です。



味噌つき豆とおやつの話

 読者は有り難い。普段は何の反応もない、と思っていると、さにあらず。めいめいが気に入った時評は切り抜きして残してくれているし、遠く神戸や大阪方面の知人にそれを送って感動を共感してくれている方もある。
 ぼくの時評を必ず読んでくれている歌人のNさんは、自分一人が楽しんでいてはもったいない、と、これをコピーして、仲間の歌会に持参して歌仲間に一枚ずつプレゼントしてくれている。
 涙が出るほど嬉しいが、そういう裏話を聞くにつけ、一言半句もおろそかにせず、正月の年賀状の誓いのように「入魂」一筋、真剣勝負の心境でペンを持つ。
 このほど一通の手紙を読者から頂いた。封を開くと、出てきたのは手紙ではなく、今から11年前の2001年(平成13年)11月29日付の滋賀夕刊の時評だった。それに付け足したように、味噌豆に使ったと思われる大豆の煮たものを糸で通して、干しあげたものが数珠のように一巻き入れてあった。
 時評のテーマは「山から冬が降りる」。
 ぼくは、なぜ、この時評が送られてきたのか。始めはその意図が分からず、しばらく、糸につながっている干し大豆を眺めていた。その瞬間、これは味噌豆だと分かり、あわてて、その送られてきた時評を読んだ。
 11年も前のことだから、どんなことを書いたのか、直感で思い出すことができなかったが、しばらく読むうちに、季節の移りと自然の変化、家庭における親の生活や子と孫のふれあい、自然の恩恵のなかでの子どもの学習などの大切さを訴えたもので、読者のAさんが、わざわざ残していたものをコピーして送ってくださった好意が身にしみた。
 実は、その時評のなかで、正月の餅つき、自然薯のとろろ汁、味噌つきなどの楽しさが取り上げられており、今のインスタント汁や市販の手抜き食品を批判している内容に共感しつつ、飽食の今の世に警鐘を発せられたのではなかろうか。ぼくはそう感じて、数珠つなぎに一個ずつ糸に通した干し大豆を手にして、子どものころのわが家の味噌搗きを思い出した。
 味噌搗きは一家あげての冬の年中行事で、事前に大豆をこってり煮上げねばならぬ。それを味噌豆と呼ぶが、子どもたちは煮上げた柔らかい豆を針糸で一個ずつ通して、一連30個か40個ぐらいで何連も干しておく。後日、干し上げたものを「おやつ」代わりに食べるわけで、今の子がパンや菓子を食べるような感覚である。
 素朴な親子のふれあいは家の手伝いや食事ごしらえ、祭や運動会、村の行事など、いろんな形で体験的学習となるが、それがしつけであり、人間形成の源泉でもある。
 Aさんから頂いた11年前の時評のコピー、たまたま立春前日だったから、旧正月を前に「がんばれ盛利」との一喝であると感謝する次第。【押谷盛利】

2012年02月06日 14:37 |


過去の時評


しが彦根新聞
滋賀夕刊電子版
滋賀夕刊宅配版
滋賀夕刊デジタルトライアル
“新聞広告の資料請求、ご案内はこちらから"
 
長浜市
長浜市議会