滋賀夕刊新聞社は滋賀県長浜を中心に政治、経済、文化の情報をお届けする新聞です。



2012年02月29日

井の中の蛙になるなかれ

 道州制に乗り遅れるな、とぼくは主張するが、それは目の前に差し迫った今日的課題というよりも5年、10年の先を見通した日本改造案といえるかもしれない。目標が道州制であるならば、今後の視点や政治の方向について、それに逆らう考えや施策は取るべきではない。
 何事も大きな枡で計らねばならぬ、というのがグローバル化の思想だが、これは国際化にも通じるし、「地球市民」なる言葉が台頭している現実を見ても後退することのない趨勢である。
 橋下大阪市長の大阪都構想は大胆ではあるが、余りにも真っ当な行政常識で、むしろ今日まで、議論の出なかったことが政治の貧困であり、これまでの政治家や政党の無能と怠慢を浮き彫りにした。
 橋下市長の大阪都構想は必ず実現するが、それはあくまでも一里塚で、次に転回する道州制こそが、地方を、そして日本を改造する玉手箱である。
 ぼくが乗り遅れてはならないというのは、この玉手箱への至近距離に身を置かなければ、時代の進運についてゆけなくなるからである。
 滋賀県は明治維新に乗り遅れた結果、多くの秀れた人材を落ちこぼれにしたり、花を咲かせなかった。江戸期の近江商人の活躍にのみ目を奪われて世界の中の日本に目を閉じてしまった。一つは、井伊藩が徳川の親藩としてその転落を防止すべく反革命的立場を固執したからである。井伊藩の役人は世界の大勢、日本の直近の政治のうねりに鈍感だった。その結果、薩摩、長州、土佐のリーダーシップによる明治維新に乗り遅れ、人材貧困県の汚名に甘んじることになった。
 最も得意分野であるはずの商業(実業)においてすら、封建的な徒弟制度から抜け得ないまま、工業化社会へのパスポートを握れず仕舞いだった。
 明治維新における滋賀県の最大のミスは教育軽視だった。琵琶湖の鮎ではないが、滋賀県に閉じ籠もる閉鎖性と排他性が日本(世界)という大海の認識を邪魔した。
 いま、滋賀の嘉田知事は、橋下大阪市長の現代版「船中八策」など改革の強風に半ば気遅れしたのか「あれは劇薬、こちらは漢方でゆく」と語ったが、古来、大改革に漢方などはなかった。きしみもあれば、痛みもあるが、それを乗り越えて、あるべき設計図、処方策にのっとり、国家国民のために汗をかくのが、本来のリーダーの覚悟であらねばならぬ。
 地球市民時代の今日、ちっぽけな海川や琵琶湖にこだわって大局を忘れたり、見落としたりすれば、明治以来、滋賀県民が国の中央に位置しながら遅れをとった不幸を平成の世に再現しかねない。これは知事のみならず、各市長、県議、市議諸公にもあえて進言する。井の中の蛙になるなかれ。
【押谷盛利】

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2012年02月28日

悪魔の連鎖と原子力ムラ(見聞録)

 民間の有識者でつくる福島原発事故独立検証委員会が27日公表した報告書。官邸の場当たり的な指示で事故現場が危機的状態を迎えていたことが明らかになったが、「悪魔の連鎖」「最悪のシナリオ」と呼ばれる原子力災害の恐ろしさと、「原子力ムラ」の構造的問題が注目される。
 「悪魔の連鎖」は福島第一原発事故により放射性物質が広がると、福島第二原発や日本原子力発電東海第二原発といった近隣の原発にも近づけなくなり、被害が拡大することを指す。委員会の聴き取りに枝野幸男官房長官は「1(福島第一)がダメになれば2(福島第二)もダメになる。2もダメになったら今度は東海もダメになる、という悪魔の連鎖になる」と証言した。
 また、近藤駿介原子力委員長が作成した「最悪のシナリオ」では、使用済み燃料プールが空だき状態になり、そこから放射性物質が放出された場合、住民の強制移転が半径170㌔以遠に及ぶ可能性が指摘され、東京都民も逃げ出さなければならなくなる。当時の菅直人首相は「放射性物質がどんどん出続けたら、東日本全体がおかしくなる」と話したという。
 官邸アドバイザーは「人間の力ではコントロールできないものと向き合っていた」と当時を振り返っている。
 それほどの危険性をはらむ原発が、なぜ、津波を被っただけで電源を喪失する粗末な防御体制だったのか。
 その背景は「原子力ムラ」に代弁される構造的問題が指摘される。
 原発推進は、産業界と官僚の癒着だけで成り立っているわけではなく、原発事業者は献金を通して国会議員や地方議員に影響力を保持し、新聞やテレビなどのマスコミに積極的に広告を展開することで、国民の意識を原発に肯定的に洗脳。スポンサーという立場からマスコミに批判されにくい土壌をつくった。
 地方では、原子力産業が地元の雇用を支え、自治体には電源3法に基づく交付金、電力事業者の固定資産税や寄付金が潤沢に入った。委員会は、住民が原発を嫌悪するどころか共存を選ぶ構造になったと指摘している。
 つまりは、この構造が外部の批判を寄せ付けず、事故対策に向き合うことを敬遠させた。
 さらに、原発への安心感を演出する施策もあった。例えば、放射性物質の飛散を予測するシステム「SPEEDI」。福島第一原発事故では北西方面に飛散すると予測されたが、住民に伝わることなく、まったく生かされなかった。委員会は「原発を維持し、住民の安心を買うための『見せ玉』にすぎなかった」と記している。
 そういえば、滋賀県の嘉田由紀子知事が昨年5月以降、文科省にSPEEDIの情報提供を再三求めたが、文科省が提供を決めたのは12月になってからだった。事故後もなお、内向きの「原子力ムラ」が機能していることを裏付けている。
 この「原子力ムラ」の解体こそが、新しいエネルギー政策の議論のスタート地点になるのではないだろうか。
 28日の朝刊各紙は官邸が事故現場の混乱を引き起こしたと強調しているが、委員会の報告を読むにつけ、原発を取り巻く歪んだ構造が事故の遠因にあることが分かる。

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2012年02月27日

君は幸せに生きているか

 「寝て起きて食って働く繰り返しチョコも祭もアクセント」。
 これは、ぼくの最近作った短歌である。
 チョコは、バレンタインデーに贈ったりするチョコ。祭は伝統的な村祭でも、近頃流行の各種のイベントでもよい。花火大会でも盆踊りでもよい。
 要するに人生は寝て起きて、食って働くの宿命。延々と何十年同じことを繰り返しながら老化して、最後はサラバとなるが、その間には贈ったり、もらったりの儀式や友情、交際もあれば、いろんな祭や観光、イベントなんかに参加する喜び、疲れの癒し方などもある。
 これらはあってもなくても、参加してもしなくても基本的には生命に関わりはない。いうなれば人生という時間の中のアクセントにすぎない。
 アクセントが分かりにくければ、いろどりと考えてよい。いろどり豊かな人生も、そうでない灰色の人生も落ち行く先は死である。
 琵琶湖の鮎は1月、2月は氷魚といって、透き通るほどに小さく美しいが、寝て起きて食って働いている間にぐんぐん成長して夏の川を遡る。夏を過ぎて9月の風を感じるころは錆鮎といって、これまでの淡い線と白金色に、くろぐろと錆色が浮くようになる。別名「落ち鮎」のことで、力なく川を流れて鷺の餌食になったり、湖に消えてゆく。
 人間、寝て食って働くのは成人で、赤ちゃんや高齢者は働くことはしないが、体は動かす。働くは、傍の者を楽させる、と説く人もあるが、これは当節の言葉でいえば、ボランティアかもしれない。
 無償の労働は尊いが、人間は霞を食っては生きてゆけないので、働いておカネを稼ぐ。いわゆる労働がこれで、学校を出れば定年までは働くのが普通。
 「寝て起きて食って働く繰り返し どれかが狂えばさらばの玄関」。
 これもぼくの最新の短歌で、最初の歌と一対に考えれば、狂わずに喜寿、卒寿、白寿を迎えられた人は幸せである。
 日日の生活を四つに分けたその一つが何であれ、故障したり、狂いがくれば、さあ大変。あの世行きの切符をつかまされたようなもの。
 その一つ、寝られなかったら心の安定を欠き、心臓病その他を併発する。
 その二つ、起きられなかったら運動不足になり、床ずれや寝だこが出来たり、痴呆にも。
 その三つ、食えなくなれば致命的。流動物を無理に流したり、胃ろうの厄介にならねばならぬ。
 その四つ、働かねば収入がなくなるし、赤ちゃんや老人は動かなくては新陳代謝をしなくなる。
 単純な繰り返しの生命の営みであるが、人間が人間であるための輝きや喜びを添えるのが、アクセントであり、生活のいろどりである。
 しかし皮肉なことだが、人は賢明に、そして忠実に、馬力をかけて日日を営んでいるにも拘わらず、齢と共に輝きは失せ、梅干しのように萎んでゆく。この期におよんでの覚悟は?。
 さて、あなたは幸せに生きていますか。【押谷盛利】

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2012年02月24日

道州制に乗り遅れるな

 道州制がニュースの仲間入りをするようになった。
 なんとなく「いいんちゃうか」といった体の淡い未来の行政組織だが、橋下徹大阪市長の出現で、にわかに脚光を浴び現実化してきた。
 進化してやまない世相だが、学者や政治家は、高い視野と長期的展望に立って、国の行き先に対する指導性を持たねばならぬ。
 明治維新以来、今日までの日本の政治はいわゆる中央集権制で、その中核に官僚が存在した。中央の求心力によって鳥瞰図的に日本全土をにらみ、国土の開発と産業経済の振興、文化と国民福祉の向上を図ってきたが、21世紀に入り、国の形や国民のなりわいが急速に変化してきた。その急激な変化に即応して、新しい政治の仕組み、行政のあり方が検討され、それが議論の世界から現実の喫緊事として浮上してきた。
 政治の形や行政の仕組みが破綻しつつあり、これまでの中央集約型政治は行き詰まり、国土の疲弊と国民の不幸を招くのではないか、という反省から地方を重く見る地方分権が叫ばれるようになった。
 地方分権は必ずしも今に始まったものではなく、その思想は大平内閣のころから芽生えていた。地方が発展し、発言力を持つようになったからである。地方の発言力がどれくらい強くなったかは、東の石原都知事、西の橋下大阪市長の言動とその影響力を見れば一目瞭然である。まるで天下は、この二人の掌中にある感じで、閉塞感に充ちた、いまのいらいら政局を一刀両断にしごいて、一日も早く平成維新を実現して欲しいと、国民は願っている。
 地方の声が、なぜ大きく、強くなったのか。それが時運、時の流れというもので、その流れを決定的にしたのは、市町合併の推進だった。
 滋賀県でも多くの町が合併し、新しい市政による行政効果が期待されるようになった。それは交通、通信の近代化と情報化産業の副産物でもあるが、一歩目を転ずれば、急激に訪れた少子高齢化社会の到来による。加えて、人口の都市集中化現象が、大都市を核としての府県の枠を超えた広域行政の出現が期待されるようになった。分かりやすく言えば、新しい市町村合併にふさわしい、新しい容れもの(地方行政)、すなわち、地方の統治機構の再編成が望まれるようになった。
 その行き着くところが、道州制であり、府県の壁をなくすることである。例えば、関西を関西州としてまとめるか、名前の通っている大阪州にするようなもので、北海道全土の行政を北海道知事の下、道庁が取り仕切っているのと同じで、大阪も京都も奈良も和歌山も滋賀も府や県はなくなり、長浜市の上に関西州が存在するようなものである。
 あっという間に月に旅行できたり、2、3時間で韓国や中国へゆける時代を背景に、われわれの声は顔をも含めて一瞬のうちに世界と交流できる時代なのである。
 無駄な屋上屋ともいえる府県や庁舎などの旧制を改める方がスピード時代の地方の活性化に役立つのではないか。これは止めようとしても止められない時の流れであり、乗り遅れるものはバカを見る。【押谷盛利】

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2012年02月23日

出会いの季節、笑顔を大切に(見聞録)

 歯磨き製品の大手メーカー「ライオン」が卒園式・入学式シーズンを前に、子どもを持つ20、30代の女性400人に第一印象に関するアンケート調査を実施したところ、身なりよりも、「笑顔の素敵な人」に好印象を抱いていることが分かった。
 「第一印象が良い人の条件」(複数回答)の1位は「笑顔の素敵な人」(89・0%)で、以下、「身なりの整った人」(66・8%)、「言葉遣いがきれいな人」(62・0%)、「受け答えがハッキリしている人」(45・3%)、「オシャレな人」(41・5%)と続いた。
 また、「笑顔の印象を決める顔のパーツはどこだと思いますか?」(複数回答)との質問には「口元」(73・3%)、「目元」(71・0%)、「瞳」(42・3%)と続いた。
 このアンケートの興味深いところは、ファッションにうるさい若い女性でも、第一印象は笑顔がポイントになると考えていること。人と人との交流での表情の大切さを示す材料となったが、人が他人の表情を観察する行為は、猿からの進化の過程で培ったようだ。
 21日付の英科学誌ネイチャー・コミュニケーションズは、京大の研究グループがチンパンジーとの比較実験で、人が他人の表情に注目して行動パターンを学習していることを突き止めたと紹介している。
 研究グループは、乳児30人、成人15人、チンパンジー6頭に、女性がコップにジュースを注ぐ映像を見せ、視線検出装置で、どこを見ているのかを調べた。
 チンパンジーには、あらかじめジュースを注ぐ様子を見せて学習させたところ、注ぐ前に動きを予測して視線をコップに集中させた。
 一方、乳児は動きを予測できず女性の顔とコップを交互に追う特徴があった。成人の多くは女性の顔を見ながら、ジュースを注ぐ行為を予測してコップに視線を移した。
 別の映像に置き換えても、人間は表情に、チンパンジーは物の動きに注目する傾向があった。
 研究を行った大学院教育学研究科・明和政子准教授(発達科学)は、他人の表情を観察する行為について「人間が進化の過程で独自に得た学習能力と考えられる」とし、「複雑な社会環境に適応するため、他者の表情から次の展開を予測する能力を身につけたのではないか」と分析している。
 若い子育てママにとって、これから迎える入園、入学、公園デビューは「複雑な社会環境」であり、第一印象のポイントを笑顔とするのも、進化の過程で培った能力かもしれない。
 アンケート調査やチンパンジーの比較研究を行うまでもなく、笑顔は人間関係をスムーズにさせる。
 春は出会いの季節、笑顔を大切にしたいものだ。

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2012年02月22日

橋下維新旋風と爪の垢

 いま、日本の政界は天変地異の如く大揺れしている。ご存じ、大阪維新の橋下旋風である。
 これまでの日本の政治は政治家による政治だったが、橋下大阪市長の出現によって、国民による政治が色濃く期待されるようになった。橋下旋風は瞬間風速でとらえられる台風でもなく、ある日、突然吹きまくる竜巻きでもなく、いわんや意地の悪いつむじ風でもない。府知事で実績を上げた橋下氏の大阪維新はなだれ現象ともいうべき勢いで、雪だるま式に力を増幅し、風速は募るばかりである。
 正月このかた、その勢いを眺めていると、これは清めの風であり、風の目には日本の危機の突破と国民の幸せが秘められている感じである。
 メディアの中には、さきの小泉純一郎氏を想起して、劇場型と呼ぶものもいるが、橋下維新は脚本、主演はともかく、キャストはオール国民である。
 国民は観客ではなく、出演しているところに、これまでの小泉旋風とは根本的に違う。したがって風のエネルギーも風圧も、もたらす効果も未知数ながら国民を引きつけて離さない。
 橋下旋風は清めの風であり、この風はこれまで醸成されてきた戦後政治の垢とゆがみを打ち払うことに使命感を持っており、旧体制を根本的にくつがえして、明治維新に次ぐ平成維新を成就するところに光があり、国民の眼の輝きは吹けば飛ぶような浅薄なものではない。
 国民は55年体制のごまかしと裏切りに腹を立てて、いったんは細川内閣を誕生させたが、結局、後続内閣とその与党は元のもくあみ同然に古い体質へ先祖返りをした。今日、国民の心に残る自民、民主の両党に対する不信感は、肩の凝りにサロンパスを貼る体の局部的施策や措置でぬぐい切れるものではない。それこそ「うらみ骨髄に徹する」ほどの不信である。
 55年体制は、自民党と社会党(当時)のなれあい政治で、国民を喰いものにしてきた。政治資金をクリーンにして、国民に奉仕をするとウソ八百を並べて歴代内閣は政権を維持し、それに飼い殺された社会党は口先で咆えて、裏では取引して、カネと利権の棍棒をかつぎ、労組のワンマン体制を強化してきた。
 古き自民党よ、さよならで、政権交替した民主党は、国民の自民党への怨嗟による反動で大躍進したが、以来一年ごとの短期首班と内在するカネと政治の陰湿さで急速に国民の信を失ってしまった。票取りのために大嘘をつき、ばらまき政治で国の財政を破綻の方向に導き、その責任を増税にもってくる無能ぶりは、国民の世論調査で鮮明である。
 野田内閣の人気の凋落は危険水域にあり、与党の民主党の支持率は17%、そうかといって自民党の支持率も17%どまりで上向く気配はない。国民は両党を完全に見離したのである。その国民のいらいらと腹立ちが、橋下維新へのなだれ的期待感として膨れあがった。
 政治のからくりを根底から創り直す、とは文字通り国民主権の政治の実現である。滋賀県の県会議員や市会議員も顔を冷やして心を清め橋下維新の爪の垢を煎じて飲むがよい。【押谷盛利】

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2012年02月21日

まずは財政肥満の解消を(見聞録)

 「胴上げ」「騎馬戦」「肩車」と聞いて、新聞やテレビのニュースに敏感な方はピンと来ることだろう。
 日本の少子高齢化社会の行く末を紐解くキーワードだ。
 「胴上げ」は現役世代9人で65歳以上のお年寄り1人を支える社会を指し、約50年前の日本の姿。
 「騎馬戦」は現在の社会を指し、現役世代3人でお年寄り1人を支えている。
 そして40年後が「肩車」。現役世代1人でお年寄り1人を支えなければならない社会が訪れる。
 今、政府は「税と社会保障の一体改革」と銘打って、消費税増税や年金制度の改革を目指している。
 先週には長浜を皮切りに全国で対話集会なる説明会が始まった。安住淳財務大臣ら閣僚が地方に赴き、増税の趣旨を説明しながら国民の声を聞いている。
 対話集会で配られた国の資料を見ると、日本の財政の無茶苦茶ぶりと今後の社会保障費の伸びに、絶望的な思いにさせられる。
 例えば、2012年度の当初予算案は税収が42兆円しかないのに歳出は90兆円もある。諸収入を差し引き、不足分44兆円を借金で賄った。税収より借金の方が大きいという歪んだ予算編成で、うち社会保障費は26兆円にのぼっている。実に国家予算の4分の1を占める規模だが、年間1兆円のペースで増えている。
 借金残高は1000兆円を超える勢いだ。
 この歪んだ財政は、何も民主党政権の責任だけではない。元凶は戦後長らく日本の政治を担当した自民党であり、安易な借金を繰り返し財政規律の「タガ」を緩めて財政運営を行ってきた歴代政治家の責任だ。規律という「タガ」があったのかも怪しいところ。
 さて、消費税増税を導き出す国の理論はというと―。
 高齢化の進展で社会保障費は右肩上がりだが、少子化で現役世代は減り続け、税収は伸びない。財政は歳入の半分を借金で賄っている異常事態だから、これ以上の借金はギリシャ化の恐れがある。現役世代に限らず幅広い国民に負担をお願いするため、消費税増税が最適―、というもの。
 小生は社会保障費の増加に伴う応分の負担は止むを得ない、と考える。しかし、増税の前にやるべきことがあるだろう。高校授業料無料化、子ども手当、農家の所得補償など民主党政策の見直しは言うまでもなく、空港や新幹線、高速道路、ダムなど、税金の使い道が社会資本整備に偏りすぎていまいか、という反省も欠かせない。
 今こそ、少子高齢化に即応した国のカタチ、財政のカタチに改めるべきではないのか。
 消費税増税という小手先の改革では、結局のところ国の財布を太らせるだけだ。悠長なダイエットではなく、緊急手術で国の胃袋を小さくする荒療治こそが、財政肥満の日本に求められている。

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2012年02月20日

内輪もめで日は暮れた

 今の国会の問題点の一つに衆・参議院ねじれ現象がある。法案が衆議院を通過しても参議院で否決される場合があるからである。
 参議院は、もともとは党派性を持ちこまない良識の府を目指したが、民主主義は結局は数の政治ということになり、各党が議席を競い合うことになった。
 このため、名前が売れていれば、人物に関係なしとして、スポーツ界、芸能界、業界、労組、宗教界から候補者がかつぎ出され、当選者は擁立した政党に組み込まれてきた。
 良識の府がいつの間にやら政党の救済機関となって、衆院を落選したものが参院で返り咲いたり、参議院から途中で衆院に乗り換えたりする。それを辛抱強く見てきた国民は、参議院は衆議院より質が落ちると考えるようになり、また、それを実証するように、組閣時も参院から登用する大臣は数が少ない。そればかりか、国会議員は国会の投票によって総理大臣になれるはずだが、実際は衆議院議員しか当選していない。なぜ、そうなったのか、あいまいだが、民意を代表しているのは解散後の衆議院の議席だということらしい。
 今の衆議院の各政党の勢力図は2009(平成21)年の解散総選挙によるもので、民主党の絶対過半数という大勝利による。
 一番近い選挙の結果が今日の衆議院の議席であるから、その絶対多数の民主党の決めたことは、レールの上を走る列車の如く難なく、ほいほいと走ってゆきそうに思われるが、現実はそうはならない。
 あっちで突き当たり、こっちで脱線したり、危くて見てられぬが、綻びはますますひどくなり、天下の大政党が一体どうなってるのか、と国民の不信を買っている。
 まあ、早い話が、民主党は政党としての体をなしていない。政党は幹事長以下、党役員が執行部をつくってそれが一体となって総裁を支えてゆく。今は民主党内閣だから、総裁(代表)の野田さんが政府とその与党である民主党を統括し、リードするわけだが、現実は全くそれに反して、行きつ戻りつの、会議ばかりしながら、ことは運ばず、あげくの果ては組織をいじくり回して、新しい役所の看板づくりに忙しい。その結果、税金を取るのに都合のよいような歳入庁という役所を考える。役所の名前や組織換えで、ものが前進するなら会議や議論は不要であるが、そういう横道をしながら国民の眼をごまかすようなやり方は政権の末期現象である。
 冒頭に述べたように、衆参のねじれ現象による政権の行き詰まりであるならば、一日も早く、現段階の民意は如何にと、解散総選挙すべきではないか。
 もう一つの不思議は民主党は公党としての顔を持ちながら、内部には顔も胴も二つある奇態な政党である。野田首相が与野党会議で頭を低くして、自・公の協力を得る予算案にしても、あるいは消費税アップにしても、肝心の与党内に、堂々と野田政策の反対を打ち出している大きな勢力を抱えていることだ。
 内輪もめも治められずに大事な法案や税の話を野党の協力で進めようとするなら、野田さんは内輪の造反組を追い出してからすべきではないか。どっちにしても日暮れの内閣に仕事を期待するのはムリというもの。八分通り日は暮れた。【押谷盛利】

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2012年02月18日

フード・ファディズム(見聞録)

 トマトに脂肪燃焼効果のある栄養素が含まれているとかで、スーパーでトマトジュースが品薄となっている。
 京都大学などの研究グループがトマトから、脂肪を燃焼させる遺伝子を活性化する新成分を発見。テレビや新聞が報じ、それを受けての消費者の反応だ。
 学者が肥満マウスを使った研究で明らかにしただけに、科学的根拠は確か。そのうえ、血糖値の低下、中性脂肪濃度の減少、脂肪燃焼効果などが数値で示され、新聞が「人間に換算するとトマトジュースを1日3回、200㍉㍑ずつ飲むのに相当する摂取量」と具体的に紹介したものだから、消費者が飛びついた。
 トマトジュースの売れ行きは通常の3倍以上。カゴメは15日、出荷数が供給可能数量を大きく上回る状況が続いているとして、一部商品の販売を休止。十分な供給体制を整えた上で、2月末を目処に販売を再開すると発表した。
 消費者がダイエットや健康に良いとされる食品に殺到する現象を「フード・ファディズム(food faddism)」と呼ぶそうだ。「fad」は「一時的な熱中」や「気まぐれな熱狂」という意味で、これに「主義」「信仰」「行動」などを意味する「ism」が接尾語として付く。直訳すれば「食品への気まぐれな熱狂・信仰」となる。テレビや新聞、雑誌などで紹介された特定の食品の効用を過剰に評価、崇拝し、バランスを欠いた偏執的で異常な食行動をとることを意味する。
 フード・ファディズムの犠牲になった食品で記憶に新しいのは納豆。バラエティ番組がデータを捏造するなどしてダイエット効果を煽り、一時、スーパー店頭から姿を消した。2007年のことだった。
 その後、「朝からバナナを食べると痩せる」とテレビや雑誌が紹介すれば、今度はバナナが品薄になった。
 バランス良い食生活が大切というのは周知のはずだが、新しい情報に惑わされるのがフード・ファディズムの特徴なのだろうか。
 トマトで痩せられるなら、パスタにスープ、サラダと、年中トマト料理を食しているイタリア人はさぞスレンダーなのだろう。
 国際連合食糧農業機関のデータによると、イタリア人1人当たりのトマト摂取量は日本人の7・5倍になるが、OECD(経済協力開発機構)の調査によると成人肥満人口比率は日本の3・4%に比べ、イタリアは9・9%と3倍。
 さて、フード・ファディズムついては、その研究の第一人者、群馬大学教授・高橋久仁子さんが、3月9日に彦根市内で講演する。主催は県消費生活センター(℡0749−27−2234)。

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2012年02月17日

大阪発の維新版・船中八策

 腰の曲がった老人が寒風にうろたえながら歩みそこねている道を、若者が颯爽と風を切って歩む姿。そんな風景が目に浮かぶ橋下維新の「船中八策」。
 大阪都を突破口に日本を大改造しようという橋下大阪市長のエネルギーが想像以上のスピードで爆発した。好むと好まざるに関わらず、船中八策は国、地方を問わず、日本の政界を激震している。
 船中八策は、明治維新の回天を設計した坂本龍馬が、大政奉還を実現すべく、土佐藩の重臣・後藤象二郎に示した八項目の日本改造計画だった。
 龍馬は間もなく暗殺されたが、船中で起草した政権大綱は、八カ条から成り、王政復古、上下議政局(国会)設置、公論による万機の決定、新大典(憲法)選定などが示されていた。
 14日、発表された維新版「船中八策」は①統治機構の作り直し②財政・行政改革③公務員制度改革④教育改革⑤社会保障制度⑥経済政策・雇用政策・税制⑦外交・防衛⑧憲法改正が詳細に盛られている。
 今の国会議員や官僚、役人が脳震盪を起こしかねない革命的制度改革が随所にみられ、さすがに龍馬命名の船中八策にふさわしい政権大綱である。どの項目一つ取り上げてもこれまでの自民、民主党政治の手の届かない路線がちりばめられており、そのなかの公務員改革や天下り廃止、外郭団体改革などは、早くから言われながら、口先だけで実行伴わぬものだった。
 マスメディアを総動員して一撃しているのは、首相の公選制、参議院の廃止、教育改革、憲法改正などであるが、いまの参議院のねじれ現象といい、労組に頭の上がらない民主党といい、あまりにも鮮明に日本の政治の危機をあぶり出している。
 この世紀の大改革(維新)は、到底、既存の政党や政治家の呑めるものではない。明治維新前に、旧藩臣はみんな大政奉還(徳川の政権離脱)に反対だったし、各藩の武士は身分制がなくなり刀を捨てねばならぬなど思いもしなかった。民主主義政治の象徴である国会開設や憲法制定などは知識のなかにもなかった。
 今回の橋下徹大阪維新の発表した船中八策はまさに命がけでまとめた坂本龍馬の手法と生き写しであり、既成政党への痛打とは裏腹に全国民の絶賛を誘うのではないか。
 既得権にぶら下がっている意味ではマスメディアも同様で、何とかケチをつけようとしているが、まるで歯が立たない。これほどに日本の世論を激震させていることは、いまの政治が根本を見忘れて議論倒れに日を送り、国民に嫌というほどの閉塞感をもたらせているからである。【押谷盛利】

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2012年02月16日

花泥棒は犯罪です(見聞録)

 15日朝、三ツ矢元町の女性読者から「隣人の鉢植えが誰かに盗まれた」と電話があった。
 現地に行き話を聞くと、女性(84)が大切に育てたフリージアの鉢植え3鉢を玄関先に飾っていたところ、朝になって無くなっていたという。
 玄関先の花が通行人に喜ばれていることから、女性は花の季節に合わせて飾っている。
 盗まれたのは昨秋植えたもの。3月上旬にはオレンジや黄、赤色の花を咲かせるはずで、「せっかく育てたのに。もし気があれば、そっと返して欲しい」と犯人に呼びかけている。
 小紙に電話してきた女性(70)によると、近所の鉢植えや花が盗まれる事件は過去にもあったという。
 泥棒を警戒しても、深夜や早朝では防ぎようもない。監視カメラを付けるにはコストもかかる。 さて、犯人。お年寄りが丹精込めて育てた鉢植えを盗んで、何の罪悪感もないのだろうか。自宅の庭に飾って喜んでいるのかもしれないが。
 花泥棒にまつわる狂言に「花盗人」がある。桜の枝を折ろうとして捕えられ、桜の木に縛りつけられた僧が「この春は花の下にて縄つきぬ鳥帽子桜と人や見るらむ」と歌を詠んだところ、感動した一同が僧の罪を許し、一緒に花見の宴を始めたというあらすじ。
 花を愛でる僧の風流さが評価され、無罪放免となったわけだが、それを拡大解釈して、「花泥棒は罪にならない」と思っている輩がいるとしたら、困ったものだ。
 庭に咲く花の美しさに心を奪われることもあろう。しかし、花泥棒は立派な窃盗罪。ましてお年寄りが大切に育てているのを鉢植えごと盗む行為は、風流さの欠片もない下衆の仕業だ。
 盗まれた鉢植えも花を育てる愛情を持ち得ない下衆のもとではかなわん、元の主のところへ返して欲しいと、悲しんでいることだろう。

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2012年02月15日

顔の美醜と人間の慢心

 顔に関して好きなことを書いたところ、読者のAさんから、面白いからもっと書くようにと、電話を頂いた。
 顔は親さまからもらったものだから傷つけたりしたらいかん、と教えられてきた。今は美顔術などが流行り、整形外科の範疇に入るのか、顔に刃物を入れるのが職業にさえなった。
 限りなく美しくありたい、と願うのは神代の昔からの女性の執念であり、アマテラス大神を生んだイザナミのみことは「伊邪那美命」と漢字で書かれるが、名は体を表わすで、神さまだって美しくありたいと願ったはずである。
 整形して顔が美しくなっても心が伴わなければ人の好意は得られない。美人薄命が、本当か、どうかはともかく、美人はとかく人のそねみや、ねたみの対象になりやすい。世間では顔より心というが、顔は人前にさらすので、十人が十人、顔を気にするし、化粧に苦心する。そうした女性の心をつかんでの商売が盛んなのはタレントや俳優、歌手、モデルなどのテレビの影響であろう。若い子が美顔術のお陰でシンデレラの幸運にありつくだろうという夢を売る商売だから廃ることはない。顔に刃物を入れるのは極論だが、降鼻術、二重まぶたなどの手術は珍しいことではない。
 そのほかに食べもの、飲みもの、化粧品のくさぐさ、ダンス、体操教室、おしなべて顔の手入れの本舗・ご本尊は女性に夢を売る、近代的な一つの産業である。
 美しく咲いたばかりに変な虫がついて、大切な娘ざかりがワヤになった、という話はよく聞くが、いずれにしても人生は何事もほどほどがよい。酒が好きだからといって、酒に浸かっていたら体を壊すに決まっているし、人に勝る特技があるからといって、うぬぼれていると、いつの間にか特技が凡技になって世間から忘れられてゆく。のど自慢で歌唱力が秀れているからといって、その人が歌手としてプロで活躍できるのは千人に一人もいないだろう。
 それでも人間は慢心の心があるから、背伸びして自己評価をする。
 顔は美醜よりも表情が命である。表情とは明暗であり、鬼顔か、ほとけ顔。怒り顔か、笑い顔。晴れた顔か、曇った顔、湿り顔などの違いである。
 心が顔に反映する以上、やさしい心、喜びの心、感謝の心と、そうでない心との差は大きい。いやな顔はだれが見ても不快だし、剣のある顔は鬼が潜んでいるのかと思うくらいである。
 早い話が朝、出勤の際、女房とケンカしてきた男は笑顔を見せたくともそうはならない。同様に留守番の女房が夫のいやな話を聞いたら、素直に愛想良く「お帰り」とは言えない。人間の所作はすべて心に反映するし、見たもの、聞いたもの、あらゆる事象が心にひびく。
 よい響きを心に与えるため、音楽や芸術、芸能があるので、自分が穏やかな心でありたいと願うなら、ヤクザの出てくる映画や、品のない落語、漫才は遠ざけるのがよい。ましてや心の敏感な子どもに品のよくないテレビ番組を見せたり、子の前で夫婦げんかは禁物である。子どもに与える心の影響だけでなく、ケンカした夫婦の顔もインケンとなる。
 にこにことやさしい顔をすればひそんでいる鬼も逃げてゆくし、飾らなくとも、ひとりでによい顔になる。【押谷盛利】

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2012年02月14日

オコナイを取材して(見聞録)

 湖北地域で盛んに行われている伝統行事「オコナイ」。起源や由来、そしてどのような祈りを込めて今日まで継承されてきたのか、はっきりとはしない。
 湖北地域など限られた地域にしか伝わっておらず、その起源についても▽彦根藩が湖北地域に富が集積するのを防ぎ、散財を促すために始めさせた▽京都の鬼門にあたるため始まった—など諸説ある。
 餅を神仏に供え、五穀豊穣を願うというのが一般的なスタイルだろう。
 先日、取材した木之本町杉野。雪深い集落で連綿と継承されてきたそのオコナイは、一つの村に当人が2軒あり、薬師さんと八幡さん、つまり仏様と神様に同時に餅を奉納するという点が異色だった。また、夜明け前の薬師堂内を、松明を手にぐるぐると回るのも他に聞かない。
 宮参りの前日から集落に入り、集会所で住民から話を聞くにつけ、オコナイという伝統行事に「なぜ」という謎が深まった。
 オコナイの目的は間もなく訪れる春を待ちわび、五穀豊穣を祈願するものであろうことは理解できる。しかし、その過程で行われる数々の儀式の由来や理由は、当事者に聞いてもはっきりしない。ただ、祖先からそのように継承してきたという。
 さて、杉野は山村集落の宿命か、過疎化でオコナイを担う「当人」のなり手に困っていた。そこで、4年前から大改革を行った。儀式の場を当人の個人宅から集会所に移し、村全体でオコナイを執行することによって個人の負担を限りなく減らした。村という共同体で支え合うスタイルに改革したわけだ。
 一人暮らしの年寄りはこれまで「当人」の大役を担えず、辞退することもあったが、その心配もなくなった。
 集会所で行うようになって5年目だが、それまでにも少しずつ変化があった。例えば、宮参りの前夜に行われる接待は、昔は鯖寿司や鰊などが出たが、いつの頃からかカマボコや酢ダコになった。日取りも薬師さんの命日の8日から、週末に移行した。
 オコナイのスタイルが集落によって異なるのも、時の流れの中で、集落それぞれが自己改革してきた証左ではなかろうか。川道町のように大きな鏡餅を作ったり、宮司町のように餅花を飾ったり、供え物だけでも多種多様だ。
 カタチは違えど、どの集落でもオコナイは住民の心の拠り所となる行事であり、その根底には祖先から連綿と継承されてきた信仰心が息づいている。
 今のオコナイに小生なりの解釈と意味を見つけるとすれば、オコナイという行事を通して村を離れた若者を呼び寄せ、村の老若男女が結束することで、「おらが村」的アイデンティティを再確認しているのではないか。

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2012年02月13日

日本の危機を救う顔

 顔はその人のシンボルである、と書いたが、ついでながら顔についてもう少し突っ込んで考えたい。
 いまの日本で一番売れている顔は誰だろうか。
 売れているというのは、一番よくマスメディアに登場している顔だが、一般的には人気があるというファン気質が内在している。マスメディアに登場するということは、その日、その日のニュースによく取り上げられることを意味する。
 毎日といっていいくらいニュースに出てくる顔は民主党の野田総理であるが、だからといって、日本で一番売れている顔というわけではない。売れている顔というのはマスメディアに登場する機会もさることながら、その人に対する信頼や尊敬、期待感などがミックスしているので、プロ野球の選手や芸能人の人気とは質もレベルも違う。
 過日行われた産経ほか1社の共同世論調査で、日本のリーダーとして最も望ましい人は誰かの設問に対し、ずば抜けて多かったのは、1位、橋下大阪市長。これに次ぐ2位が石原東京都知事で、後は与野党ともに影が薄かった。野田総理に至っては無視されているくらいにひどい不人気だった。
 なぜ、橋下さんと石原さんがずば抜けて人気があるのか。
 売れ筋超一級の2人の顔は明日の日本を託し得るあこがれの顔であるが、残念ながら現職の国会議員でないから、今、野田さんが退陣しても、代わりに総理になるというわけにはゆかぬ。世論調査の結果、いまの与野党の中で、国民の人気を担う、言わば日本のリーダーとして期待される顔がないということは、日本の不幸であり、日本の政治の貧困そのものというべきである。
 その政治の貧困が、議論ばかりに日を送り、役所の新設や機構いじりに終止して、国民の失望をかっているのである。
 では、なぜ、橋下市長や石原都知事への人気度が高いのか。要約すれば、過去及び現在の内閣の手の届かない事業や政策にこの人たちなら「やってくれるであろう」というこれまでの実績に基づく政策能力と実行力に期待するからである。
 2人に共通しているのは高い教養と見識、自己を度外視した国家・国民への傾倒精神である。自己犠牲型の愛国的情熱と果断なる実行力こそ、いま国民が切実に求めている理想のリーダーである。
 石原さんには年齢的に危惧する部分もあるが、橋下さんには若さという豊かな前途が広がっている。
 橋下大阪維新代表は、明治以来続いてきた社会システムや統治機構を変えない限り、複雑多様化した日本全体を動かすことはできないといい、日本の政治を根本から変えてゆくには既存政党には任せられないとして、国政参加に立ち上がった。
 維新の会は3月に政治塾を開校し、次期衆議院選に備えるが、当初の予想を遙かに超えて3000人近い人が申し込んでいる。大阪発の一人の人間の顔が日本全国へ普及するという前代未聞のこの大事業。この顔はただの顔ではない。日本の危機を救うべく神が降下した世紀の顔である。【押谷盛利】

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2012年02月10日

人間の幸、不幸と顔の色

 目は心の窓という。では顔は?。
 顔が立つ、顔がきく、顔が広い、という具合に、その人の全体像を思わせる言葉づかいが幾つもあるので、それらをまとめれば顔はその人のシンボルといえるのではないか。
 顔向けできない不義理があれば「顔を合わせられない」というし、その人の顔いろを見て「今日は機嫌がよいか、悪いか」を判断するし、ときには健康かどうかまで知ることができる。
 「おれの顔に泥を塗るのか」とはヤクザのせりふだが、大事な話の仲介をして、顔を潰された、とすごむのは品のある人のすることではない。
 政治家は票を稼がねばならぬから常に顔を売ることに心を配る。だから何処へでも顔を出すし、腹が立っても顔に出すことをしない。腹で怒って、顔で笑うという器用な生き方をする。しかし、腹で怒って、顔を抑えるのは精神上、無理があるので、こんな生き方を長く続ければストレスが貯まって病気になるかもしれない。そのためにはストレスや心の疲れはときどきほぐしてやらねばならぬ。
 田中角栄は一の子分の竹下登が創政会をつくって派バツを割ったことに腹を立て、毎日ウイスキーをがぶ飲みして、ある日突然、脳梗塞で倒れた。腹の虫をおさめるため、アルコールは一時的に効果があるかも知れないが、続けると癖になり飲酒の量も深くなる。
 滋賀県の政治家でいえば、小西哲という元警察のえらいさんが2区から出て、武村正義(さきがけ)に挑戦し、1回戦は負けたが、2回戦は勝った。負けた1回戦のあと、初心貫くべく、懸命の努力をして、地を這っての地盤ごしらえに命を燃やした。その努力が報われて、初当選したのはよいが、浪人時の自粛ぶりの反動で、先生となってからは、あちこちからの招待や会合で好きな酒の抑えがきかず、言わばうま酒に酔い痴れた。政治家としての激務とストレス、そしてそれを癒す酒。不幸にもその酒が体に災いし、彼もまた脳梗塞で2期目に挑戦することなく、はやばやと旅立った。
 正月は京の南座で歌舞伎役者の顔見世が話題を誘うが、ひいき筋が役者の顔に胸をときめかすくらいだから、顔は顔でもわれわれの顔とは格が違う。
 いま、プロ野球は冬のキャンプの最中で、間もなくオープン戦も始まるが、新聞のスポーツ欄は有名選手にスポットを当てている。有名選手の顔を売りものにファンの目を新聞販売に利用する。
 顔には笑い顔、怒り顔、尖り顔、泣き顔、エン魔顔、福顔、ゑびす顔、さまざまで、その日、その日によって表情の違いもあるし、ある一瞬、晴れた空が曇ったり、雷が鳴るように、外界の刺激に反応する。
 賢い母親は子供の顔を見て、その日、学校で何があったかを直感する。子供の顔いろで、体の健康ばかりか、心の揺れや不安感すら把握する。
 健康を思う人は、朝、鏡を見て、しげしげと自分の顔を眺める習慣をつけるがよい。顔が健康かどうかを知らせてくれるから。(敬称略)【押谷盛利】

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2012年02月09日

お酒の損失4兆円(見聞録)

 酒の飲みすぎで、年間4兆円を超える社会的損失が発生しているというデータを、厚生労働省の研究班がまとめたと、9日付け読売が報じている。
 肝硬変の40%、浴槽での溺死の34%がアルコールに起因するとした米国の研究データを参考に推計した。飲み過ぎによる病気やけがの患者が年間24万6000人、死者が3万5000人、治療費に1兆0226億円かかっているとした。さらに、69歳まで生きた場合に受け取れるはずだった賃金1兆0762億円を失ったと見積もった。
 また、働いている男性の5・9%、女性の1・7%が「人間関係にひびが入った」「二日酔いで仕事を休む」など飲酒による問題を抱えている。これにより労働生産性が21%低下し、その損失を1兆9700億円とした。
 このほか、飲酒による交通事故なども含めると総額が4兆1483億円になるという。 
 酒が過ぎれば、いずれアルコール依存症に陥る。自身の体と精神を壊すだけでなく、家族や職場に迷惑をかける。しかし、依存症患者のうち、医者にかかって依存症と診断されるのは少数派で、多くが依存症に陥っていることさえ知らずにアルコール漬けの生活を送っている。
 小紙にも時々、酔っ払った読者から電話がかかってくる。滋賀夕刊への感想や身近なニュースを上機嫌に話すのは可愛いが、自慢話や要領の得ない話を延々としたり、「酔っ払っているなら電話を切りますよ」と話すと怒り出したりするのには、閉口する。
 昼間から酒を飲んで酔っ払い、新聞社に電話してくるのだから、おせっかいながら家庭や生活環境を心配してしまう。
 たばこの健康被害の注意喚起は喧しいが、アルコールは酒酔い運転での交通事故で騒がれる程度。しかし、現実は依存症患者があちこちにいて、たばこ以上に社会的損失を生んでいるのではないかと危惧している。
 適量のアルコールは心身をリラックスさせ、人間関係の潤滑油にもなるが、医療費を押し上げ、生産性を下げる程の飲酒はもはや社会問題だ。
 もし、アルコールの飲みすぎで家庭や職場に迷惑をかけているなら、一度、病院を訪れた方がいい。アルコール依存症は、とても恐ろしい病気なのだから。

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2012年02月08日

野田政権は糞詰まり

 野田首相は窮鼠猫を噛むの心境か、口を開けば消費税を上げると威勢がいい。
 上げるまでには、国民に納得させる根拠を示さねばなるまいが、今の姿は、なりふり構わず、増税一点張りだ。
 増税は、政治家にとっては本来鬼門で、分かっていても、それを言えば選挙に響くから、いろいろカモフラージュしたり、いうべきチャンスをうかがう。消費税を導入したのは竹下内閣の末期だった。
 ときの総理・竹下登は世論の反対を押し切って消費税を上げたが、国民の目をそらすため内閣を総辞職し後任に外相・宇野宗佑を指名した。
 宇野は総理就任早々の参議院選で敗北した。竹下内閣の消費税導入の推進役は、政府税制調査会長の山中貞則だった。彼は中曽根康弘に次ぐ自民党切っての長老で、宇野の先輩でもあった。その山中が、その後の衆議院選で、消費税がたたって落選した。
 そういう過去の消費税の険しさを百も承知の野田が臆面もなく、鬼の首でもとるかのように消費税をいうのは、本心愛国の至情からの雄叫びであろうか。
 ぼくにはそうは思えない。消費税がからまなくとも、いまの民主党では次の選挙に勝てない。
 それは、ごまかしのマニフェストが票取りのために国民にウソをついたことが明々白々になったからである。どの道、負けるのであれば、世紀の大政治家として、日本の財政再建の捨て石となるべく、消費税を上げようというのが本音であろう。
 消費税を上げるには、現在の予算の総括をして、徹底的な無駄の排除を断行せねばならないが、この内閣はこれには及び腰である。むしろ間口を広げたばらまき政策の綻びに腐心し、歳出をそのままにして、消費税以外にも増税を考え、さらには圧縮すべき国債も減らす気配は一切ない。
 いま、増税前に手をつけねばならぬのは政府系の各種の財団法人の整理と官僚の天下り廃止であるが、国家公務員の労組の強い民主党では出来っこないし、これと連動する公務員の定数減と給料ダウンもできない。肝心の国会議員減らしも口先だけである。
 こんな時機に堂々と信念的に消費税増税をいうのは、実は「解散」のおどしで、自分の内閣が風前の灯なので、一日も長く寿命を延ばしたいからである。
 野田首相は増税が通らねば、衆議院を解散するといっているが、その脅しがきいているから、出来の悪い大臣が何人も辞めさせられたり、さらしものにされていても内閣は保っているのだ。
 第一、消費税を上げるといったって、小沢一郎派の100以上反対派をどうするのか。できっこないことを言いふらしているのは権力にしがみつく末期現象で、国策として、なすべき施策は糞詰まりである。早くやめて政界を再編成せよ。【押谷盛利】

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2012年02月07日

エネルギーの地産地消を(見聞録)

 福島第一原発事故を契機に、再生可能エネルギーに注目が集まっている。6日付け滋賀夕刊で伝えた通り、千葉大・倉阪秀史教授の分析では小水力発電が日本のエネルギー生産の一翼を担うことになりそうだ。
 小水力以外に地熱も大きなポテンシャルを秘めており、太陽光、風力、バイオマスと合わせ、再生可能エネルギーが原発の代わりとなることは可能だ。
 ただし、原発の発電量を再生可能エネルギーで賄うには各分野の設備投資に莫大な事業費を計上することが条件となる。倉阪教授の試算では年平均2兆3612億円を投資し続ける必要がある。しかし、社会保障費100兆円、民間投資100兆円の日本で達成不可能な数字ではないと訴える。
 また、民間企業はその利益追求のため、価格の安い火力や原子力を重宝しがちだが、発電した電気を電力会社などが一定価格で買い取る「固定価格買取制度」を設けて、民間企業を再生可能エネルギーに誘導すれば、2兆円を超える事業費を全額、税金で賄うことはなくなる。
 再生可能エネルギーの生産を大企業に任せる必要はない。雨が多く、小川や農業用水などあらゆる場所に水路がある日本では、エネルギーの「地産地消」が可能だ。現在、全国500カ所で小水力発電が稼動している。設置者は自治体や市民団体だ。
 現在のように電力を大企業が独占する戦前、1920〜30年代は山間部では村が電力事業を営んだ。37年には全国244の電力組合があったというから、エネルギーの地産地消は今より根付いていた。
 海外の石油や天然ガスという安価なエネルギーを仕入れ、経済発展を謳歌してきたこれまでの歩みは、それはそれで正解だったのかもしれない。しかし、今のエネルギー構造のままでは、化石燃料の枯渇が日本経済の破綻を招く。原発の材料となるウランもまた枯渇燃料だ。「遺産(化石燃料)に頼らず、そろそろ畑(再生可能エネルギー)を耕そう」との倉阪教授の指摘はもっともだ。
 原発を夢のエネルギーと重宝し、安価な石油や天然ガスに頼ってきた日本のエネルギー。今、未来志向での大転換が求められ、そのためには政治家の変革が欠かせない。6日の講演会に環境問題に敏感な市民活動家だけでなく、川島隆二、大橋通伸両県議、長浜市議会の原子力等防災・新エネルギー調査特別委員会(東野司委員長)のメンバーらが出席していたのは嬉しい限り。
 隣県に原発銀座を抱える滋賀県だからこそ、県、市を挙げて再生可能エネルギーの地産地消を推進したい。

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2012年02月06日

味噌つき豆とおやつの話

 読者は有り難い。普段は何の反応もない、と思っていると、さにあらず。めいめいが気に入った時評は切り抜きして残してくれているし、遠く神戸や大阪方面の知人にそれを送って感動を共感してくれている方もある。
 ぼくの時評を必ず読んでくれている歌人のNさんは、自分一人が楽しんでいてはもったいない、と、これをコピーして、仲間の歌会に持参して歌仲間に一枚ずつプレゼントしてくれている。
 涙が出るほど嬉しいが、そういう裏話を聞くにつけ、一言半句もおろそかにせず、正月の年賀状の誓いのように「入魂」一筋、真剣勝負の心境でペンを持つ。
 このほど一通の手紙を読者から頂いた。封を開くと、出てきたのは手紙ではなく、今から11年前の2001年(平成13年)11月29日付の滋賀夕刊の時評だった。それに付け足したように、味噌豆に使ったと思われる大豆の煮たものを糸で通して、干しあげたものが数珠のように一巻き入れてあった。
 時評のテーマは「山から冬が降りる」。
 ぼくは、なぜ、この時評が送られてきたのか。始めはその意図が分からず、しばらく、糸につながっている干し大豆を眺めていた。その瞬間、これは味噌豆だと分かり、あわてて、その送られてきた時評を読んだ。
 11年も前のことだから、どんなことを書いたのか、直感で思い出すことができなかったが、しばらく読むうちに、季節の移りと自然の変化、家庭における親の生活や子と孫のふれあい、自然の恩恵のなかでの子どもの学習などの大切さを訴えたもので、読者のAさんが、わざわざ残していたものをコピーして送ってくださった好意が身にしみた。
 実は、その時評のなかで、正月の餅つき、自然薯のとろろ汁、味噌つきなどの楽しさが取り上げられており、今のインスタント汁や市販の手抜き食品を批判している内容に共感しつつ、飽食の今の世に警鐘を発せられたのではなかろうか。ぼくはそう感じて、数珠つなぎに一個ずつ糸に通した干し大豆を手にして、子どものころのわが家の味噌搗きを思い出した。
 味噌搗きは一家あげての冬の年中行事で、事前に大豆をこってり煮上げねばならぬ。それを味噌豆と呼ぶが、子どもたちは煮上げた柔らかい豆を針糸で一個ずつ通して、一連30個か40個ぐらいで何連も干しておく。後日、干し上げたものを「おやつ」代わりに食べるわけで、今の子がパンや菓子を食べるような感覚である。
 素朴な親子のふれあいは家の手伝いや食事ごしらえ、祭や運動会、村の行事など、いろんな形で体験的学習となるが、それがしつけであり、人間形成の源泉でもある。
 Aさんから頂いた11年前の時評のコピー、たまたま立春前日だったから、旧正月を前に「がんばれ盛利」との一喝であると感謝する次第。【押谷盛利】

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2012年02月04日

除雪と配達、読者の声(見聞録)

 1月31日からの寒波で日本列島は近年まれにみる大雪に襲われた。
 湖北地域では北陸自動車道が閉鎖され、JR北陸本線が運休。幹線道路は雪で動けなくなったトラックなどで、大渋滞と立ち往生。どこに移動するにも時間がかかった。
 除雪中の死者やけが人も出て、車のガレージが雪の重みでつぶれているのを見た。
 高島市では積雪2・7㍍のマキノ町などで集落が孤立。県が「五六豪雪」以来、31年ぶりに自衛隊に災害派遣を要請するほどの深刻さだった。
 さて、その高島市長は、派遣要請が自衛隊に伝わるまで3時間もかかったとして、要請権限を県から市町に移譲すべきと訴えている。市長が2日午後2時40分に派遣を要請するよう県知事と県防災危機管理監に電話をかけたが連絡をとれなかった。結局、午後5時前になって知事と電話がつながり、同5時40分、県知事が自衛隊に派遣要請を行った。
 この大雪の中、県と市の連絡がスムーズに取れなかったことは課題だった。
 滋賀夕刊には読者から除雪の苦情や指摘を頂いた。
 「お年寄りばかりで除雪できない。市にお願いしたら(除雪対象)地域外と言われた。同じように税金を払っているのに…」というもの。市によると除雪車はフル稼働状態で、とても市全域をカバーすることはできないという。さらに、大雪に加えて極度の低温に見舞われ、踏み固められた雪がカチカチに凍り、特定の除雪車でないと除雪できないという特殊事情も重なった。
 これだけの大雪になると自治体も手が回らない。近所の力を結集し、肉親、血縁者の協力を頼むしかないということか…。
 さらに国道の除雪の遅さを指摘する電話もあった。「県は大津市を中心に考えているのではないか。いっそ県庁を彦根市にあたりにもってきたら、雪の大変さが分かるのに」というもの。
 確かに県の動きは鈍いとしか言いようがない。2日午後3時になって「交通を緊急に確保するため迅速かつ適切な除雪活動を実施する」として道路雪害対策本部を設置した。この時すでに国道8号線や21号線では立ち往生の車列が出来ていた。そして、きのう3日午後5時になって「天候が回復し、降雪の見込みがなく、道路交通も確保されている」として通常の除雪対策本部に移行した。2日に立ち上げた雪害対策本部はいったい何だったのか、大津目線で湖北地域を統括するのは勘弁して欲しいものだ。
 配達について苦情も頂いた。一部地域で2日付けの滋賀夕刊が届かず、3日付けの夕刊配達も遅れたことから、「夕刊が届かないのはどういうことか」と電話が鳴った。
 こういう道路事情のため新聞配達に苦慮したが、近年まれにみる大雪の中で地域情報を知りたいという読者の要望に即座に応えられないのは、新聞発行人として反省すべき点だった。

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2012年02月03日

雪国の今昔と芭蕉の句

 「をりをりに伊吹を見てや冬籠」
 これは俳聖・松尾芭蕉の俳句である。
 長浜八幡宮の境内にこの句碑があるが、俳句に興味のない人は関心がないかもしれぬ。
 冬籠は冬ごもりと読む。深い雪に閉ざされて、雪除け以外にすることがなく、仕方なく家に籠もることをいう。
 家に籠もって何をするのか。男は縄ないや藁仕事。女は縫いものなど、日頃は多忙でかまっていられぬ衣服の修復などに精を出した。
 「をりをりに」は文語表現で、口語調。現代風では「おりおりに」。ときどきは、といった軽い調子は豪雪への「うらみ節」ではなく、はれた日の伊吹山を眺めて、「やれやれ、この雪もこれで少しは溶けるであろう」。あるいは「ああ、ありがたや、今日は畑へ出かけて大根でも掘りましょう」。といった淡い希望が裏打ちされている。
 雪国の人の雪をのろう声ではなく、雪を肯定し、雪と生活を共にする心境、言わば、先祖以来の大自然の掟に頭を垂れ、白魔というよりも、天の恵みとして半ば諦めの心境がこの一句に集約されている。
 これはどこにもある雪国風景で、この句の場合、芭蕉が弟子の家に招かれて句会を催したさい、たまたまの豪雪の体験を詠んだもので、近江の方から見た伊吹なのか、岐阜の方から見ての伊吹山かが、しばしば問題とされるが、豪雪の本場は関ヶ原方面、つまりは美濃の垂井や大垣方面の冬籠りと解釈する方が自然ではないか、と、ぼくは鑑賞するが、長浜八幡宮の境内の句碑を重く見る人は、これは湖北地方から眺めた伊吹山に違いない、と意地を張るだろう。
 ものの見方は、ひいき筋の主観に左右されることが多いが、文学はそういうところに屁理屈をこねるのではなく、作品がどんな環境で、どんな風景、どんな人心を表現しているのか、といった点が評価されるべきである。この句の場合、長浜で詠んでも、大垣で詠んでも、そんなことはどちらでもよい。大事なのは「冬籠」という運命的は環境と、信仰の如く崇められている伊吹山なのである。
 同様に京都方面の人は比叡山を眺めては季節を問わず、ある種の感慨に打たれるのである。それは比叡山と京都の歴史の関わりであり、比叡山の尊宗される仏教のメッカ性によるものである。
 あるいは和歌山、奈良方面の人が大峯山や吉野山に特別な思いやあこがれを抱くのも同様である。
 問題は今と違って、除雪の近代化のない、そして暮らしそのものが農に根ざす江戸期という時代の大雪と住民の姿の文学的短詩形表現の価値である。
 今日、このごろの北陸や湖北の大雪と晴れた日の伊吹を思うとき、昔日のわれわれの祖先の生き姿が想像され、今の世に生きる幸せをかみしめる思いである。【押谷盛利】

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2012年02月02日

雪かきに追われて(見聞録)

 1日夜から降った雪は勢いを衰えさせることなく降り続き、2日朝は驚く程の積雪量となっていた。
 おそらくほとんどの市民が早朝から雪かきに追われたことだろう。通勤時間には道路が混雑し、定刻通りに出社、登校できなかった市民も少なくなかっただろう。
 小生もアパート駐車場から車を出すのに1時間弱、事務所に到着してから駐車場確保のため、さらなる雪かきに追われた。今、このコラムを書く手に握力が入らない。
 近年まれに見るこの大雪を機に、豪雪への心構え、マナーを考えたい。
 積雪の際はいつもより早起きし、近所同士で力を合わせて除雪に汗を流すのがマナーだろう。お年寄り世帯の除雪にも助け合い精神を発揮したい。
 道路への雪出しをよく見かけるが、これはNGのようだ。道路法、道路交通法で直接的な言及はないが、交通に支障をおよぼす恐れのある行為について「何人も、交通の妨害となるような方法で物件をみだりに道路に置いてはならない」と禁じている。
 これらの法律を根拠にして、道路への雪出しを条例で明確に禁じている自治体もあり、マナー違反というより、ルール違反となるようだ。
 除雪で注意したいのは、排水溝などに雪を捨てる行為。まれに雪が詰まって一帯が床下浸水に見舞われることもある。
 除雪車の運行に支障を来たすような路上駐車はご法度だ。渋滞を引き起こす原因にもなり迷惑極まる。また、車を走らせる際はいつ何時大渋滞に巻き込まれるか分からない。ガソリンの残量に余裕を持ちたい。
 一昔前に比べると、除雪車が走り、道路には融雪装置がついていて雪の苦労は減っている。それでもこれだけ積もると、市民が団結して汗を流すしかない。
 小生も、そろそろ筆を置き、またスコップを持つとしよう。

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2012年02月01日

嘉田知事の発信力批判

 いまの世は100年に一度の激動の最中にあるといえる。
 情報通信網の王座を占めるNTTドコモがパンクするほどケータイの利用者と利用率が急増したという事実はまさに激動の現代を象徴している。
 改革をスローガンに若さと行動力で日本の新しいリーダーとして期待されている橋下徹大阪市長は大阪府知事一期弱で、昨秋、市長に当選したばかりであるにも拘わらず、府知事時代の実績といい、市長就任後の区長の公募や教育改革、市職員の規律、国旗掲揚など、次から次へと市民の声に応え、まるで10年を1年のごとく超スピードでこなしている。政治に経験のなかった彼が大阪維新を立ち上げるや、たちまちその精神は全国に伝播した。
 日本の政治の閉塞感に風穴を入れるべき彼の卓見と情熱は、彼を一介の地方政治家から国家のリーダーに迎え入れようとする土壌となり、まさに激動の世そのものである。
 このような激しい変化の世にあっては、政治も経済もリーダーがそれにふさわしく、若さと行動力を持たねばならぬ。ひるがえって、わが滋賀県の現状と展望を考えてみたい。
 嘉田知事は、大阪維新の橋下流を批判して、彼は劇薬、こちらは漢方とたとえた。改革があまりにも急で激しいものだから、分かりやすく劇薬説を用いたが、激動期であるからこそ、決断、実行力が問われるのであって、烏合の衆で、議論ばかりしていては日が暮れ、時代に取り残されてしまう。嘉田知事は、橋下氏の旋風にたじろに、その風圧に恐れをなしているのではないか。
 地方の時代が叫ばれてからすでに4半期が過ぎているが、これまで、地方が中央を動かしたことがあったか。部分的には河村名古屋市長の住民減税、嘉田知事のびわこ空港、新幹線栗東新駅ストップなど評価されるが、目下の橋下氏の中央政界へ及ぼすなだれ現象には比すべくもない。
 橋下氏の発信力の強さは大阪という西日本を代表する経済力を背景とする地勢と、これに基づく政治力学によるものだが、橋下氏の主張する道州制こそ、オール関西の取るべき喫緊の政策といえるのではないか。
 嘉田知事は、100年を1年で走るスピード感あるこの時期こそ、将来の滋賀がどうあるべきか。虚心に考察し、積極的に橋下氏らと協力し、道州制の実現に全国へ発信することを望みたい。
 滋賀県は京阪神の水がめ、琵琶湖を持つプラス面を有効なカードとして、地勢的には名古屋、岐阜、福井、金沢の玄関口でもあり、大阪州構想のなかで、西日本でのあるべき姿を展望し、実現化してゆくべきではないか。【押谷盛利】

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