鉄道唱歌にみる湖北(見聞録)
きのう20日、長浜鉄道スクエアで始まった長浜駅開業130周年記念展。全長36㍍のパネルには新橋から神戸までの開業当初の駅舎の写真をずらりと並べている。その取材中、目に止まったのが鉄道唱歌だった。
鉄道唱歌は鉄道の駅と風物を歌いこんだもので、第1集の「東海道編」は明治33年に出され、その後、山陽・九州、東北・北関東、信越・北陸、関西なども順次、発表された。
20世紀初頭の唱歌のため今では知る人は少なく、相当の年配の方でないと知りはしないだろう、と鉄道スクエアのスタッフは説明してくれた。
さて、その鉄道唱歌を調べてみると、上野—直江津(上越市)—米原の信越・北陸線で湖北地域をいくつか歌っている。
北から順番に紹介すると、「疋田柳瀬中ノ郷 すぎゆく窓に仰ぎみる 山は近江の賤ヶ岳 七本鎗の名も高し」に続き、「豊太閤の名をとめし 轡の森は木之本の 地蔵と共に人ぞしる 汽車の進みよ待てしばし」とある。
ここにある「轡の森」は、木ノ本駅を降りて地蔵坂を上ると右手にある。イヌザクラの古木があり、秀吉が木之本に駆けつけた際、馬が疲れて死んだのを哀れんで、この地に埋葬し、愛用の鞭を墓標として刺しておいたところ芽を出し、今の大木になったと伝わる。「轡の森」の名の由来は、北国街道の牛馬市の名残りと言われている。
木ノ本の次に歌われているのが長浜駅。「縮緬産地の長浜に いでて見渡す琵琶の海 大津にかよう小蒸気は 煙ふきたて人をまつ」。
「小蒸気」は蒸気船のことで、長浜港は大津への湖上輸送の拠点となっていた。
次は終点の米原。「駅夫の声におどろけば 眠はさめて米原に つきたる汽車の速かさ みかえる伊吹雲ふかし」。
米原駅に到着後の北陸線最後の歌は「おもえば汽車のできてより 狭くなりたる国の内 いでし上野の道かえて いざやかえらん新橋に」。海外文化がどっと流入してきた明治期、鉄道の敷設で「日本が狭くなった」と感じた日本人が多かったのだろう。
今や鉄道は電化、高速化され、新幹線は東京—大阪間をわずか2時間半で結んでしまう。さらに、近い将来に開通するリニア線は1時間余りに短縮する。
速さと時間短縮を至上とする今の鉄道に比べ、戦前の汽車は単なる移動手段ではなく、車窓からの眺めや各駅の名物を楽しむ憧れの乗り物であったに違いない。鉄道唱歌からは汽車に揺られ、まだ見ぬ地に思いを馳せる魅力がある。
なお、この鉄道唱歌、現在、鉄道スクエアで流しているので、興味のある方は足を運んではどうだろうか。
2012年01月21日 15:08 | パーマリンク
このエントリーのトラックバックURL:
http://www.shigayukan.com/cgi-bin/mt/mt-tb.cgi/5393

- 01月 23日 自民党は出直すがよい
- 01月 21日 鉄道唱歌にみる湖北(見聞録)
- 01月 20日 国家国民の危機と政治
- 01月 19日 エネルギーの安全保障(見聞録)
- 01月 18日 政界再編成で解散せよ
