国家国民の危機と政治
政治家は、いとも簡単に政局を論じ、国家国民の危機、などとほざくが、本当の危機はどんなものか。自分の命を投げるほどの使命感を持っているか、どうか、極めてあやしい。彼らの関心は次の選挙であり、然るべきポストについて、利権にあやかりたい、などというおぞましい私欲が見え見えである。
国家の危機とは国家存亡の危機であり、かいつまんでいえば、国土の保全と独立がゆらぐことであり、国民の生活や安全がおびやかされることを意味する。
こうした意味を踏まえて、今の国際社会における日本と、日本が抱えている諸問題を考えれば、確かに今は国家の存亡を憂うべき危機にあるといえよう。
目を国外に転ずれば、EUのギリシアに発したヨーロッパの金融危機は、EUの崩壊を招きかねない不安を醸しており、その不安はドイツ、フランスのような指導的金融安定国家にすらしのびよりつつある。
日本の円高がどう改変されるか。このまま欧州の金融危機が続けば、円高不安は高まることこそあれ、解消する見通しは立たない。当然ながら輸出不振や国内企業の海外転出が進み、国内の雇用や製造業界への深刻なパンチは避けられない。
他方外交方面を考えれば、尖閣諸島周辺で起きた中国の威圧は沖縄海域にも及び、日本叩きの高姿勢は国辱すら感じるが、これまでの民主党総理はまるで従属国家のような遠慮ぶりで言うべきことすら言い得ない体たらくである。
民主党を陰で支配するといわれる小沢一郎元代表は数百名の中国訪問団を組織し、100名を超える子分の国会議員を彼の国の支配者に握手させて、それを次の選挙に活用しようとしたが、まさに奴隷のような惨めな醜態である。
聖徳太子が遣隋使を通じて「日出づる国の天子、日没する国の国王へ申し上げる。恙なきや」としたためた対等外交の故事を思えば悲しくて涙が出るではないか。
国内問題である靖国神社についても先方からつべこべいわれるわけはないのに、歴代総理や大臣は、参拝しないのが正しいかのような卑屈さで終止した。
朝鮮半島はどうか。北朝鮮は日本人を拉致しながら、今なお拉致被害者を解放しないばかりか、この問題は解決ずみだと、うそぶている。
国家が国民の安全を守るためにどう外交を転回するか。現状はむしろ、北朝鮮にしてもロシアの占拠している北方領土にしても「あなた任せ」のことなかれ外交で、国家の権威はさらさら見られない。菅内閣のごときは辞任のどさくさまぎれに、国内の朝鮮学校に対する補助金凍結を解除してしまったではないか。
国政より、むしろ地方の政治家が頼りになるではないか。例えば、東京都の石原慎太郎知事は朝鮮学校への補助金を平成24年度に計上しないことを決めた。これが国民の声である。反日教育をすすめ、金王朝を神様の如く帰依する北の教育機関に国費を投じる滑稽さは世界の物笑いでしかない。かく考えれば、国家の危機は政治家と政府自身の責任であるが、彼らにはそのような使命感がない。
【押谷盛利】
2012年01月20日 15:02 | パーマリンク
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