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小沢裁判と国民の審判

 政治とカネで強制起訴された小沢一郎元民主党代表の裁判が佳境に入ったとたん白けてしまって、後は4月の判決を待つばかりである。
 なぜ、裁判が白けてしまったのか、それは国民の知りたいこと、政治家の舞台裏の生々しい金の動きにライトを当てて欲しかったことが、あっけなく「知りません」、「忘れました」、「秘書任せです」、「報告書は見たことはない」という小沢本人の逃げで終わったからである。
 どこまで逃げたって、真実は一つだから、人間の法廷をごまかしても、神の法廷を逃げるわけにはゆくまいし、その前に国民の法廷をパスすることはできまい。
 国民の法廷とは何か。選挙である。小沢と小沢派政治家を国民が佳しとする空気はもはや今の世にはない。
 国民は小沢一郎やその元秘書たちの捜査や起訴を通じて政治を食いものにする不潔な膿の存在を目のあたりに見せつけられた。
 4億円もの土地取得のカネが、銀行から借りたとか、親の財産だったとか、毎月の月給を貯めたとか、問われるたびにくるくる変わり、最後には4億円は自宅に持っていたという。自宅に持っていたのに巨額の利子を払ってまで、なぜ銀行から借りたのか。
 いうことと、していたことが国民を納得させないばかりか、その被告人質問のなかで、政治資金報告書は秘書が勝手に作ったもので、相談にも預からぬし、見たことがないという。
 国民に政治資金を明るみにするための法律による制度であり、いとも厳粛、誠実な手続きであらねばならぬが、それを当の報告者の本人が見もしないというのはあり得るはずがない。
 さて、ぼくは法廷をごまかせても神の法廷や国民の法廷はパスしないと書いた。
 平成になって、くるくる総理が変わるようになって、国民は政治への関心を深め、選挙を通じて国民が政治に発信することを学んだ。学んだというよりは、政治の不信に対して、国民の立ち向かうべき道を知ったということに尽きる。
 国民は馬鹿じゃないから、いつまでも既成政治家の汚れた厚顔を見逃しはしない。その国民の政治的開眼が名古屋の河村市長の減税党の勝利であり、大阪の維新の会の橋下市長の府市両選挙の圧勝に象徴された。にも拘わらず、無責任なマスコミの中には、今なお小沢を英雄扱いに報じるし、民主党内の小沢派は110人を超えている。
 小沢政治の発想は彼の師であった田中角栄の生き映しである。カネと力で子分を培養し、子分の数の力で政治を動かし官僚を支配する。
 政治を動かし官僚を支配するとは、国民の税金を囓ることを意味する。
 田中角栄は最後にはロッキード汚職で有罪判決を受けたが、被告人ながらも日本の政治を支配した。文明国、民主国家ではあり得ない政治の汚れであり、倫理の欠乏である。なのに今も一部には日本の指導者像として、角栄の名を出す。同じ流儀で小沢をかつぐのが、彼の子分どもであるが、あれからの年月、国民は徐々に政治開眼した。いつまでも、食いものにされてたまるか、との自覚が、地方から盛り上がってきた。
 ぼくは国民を信じる。信なき政治は立たず。 (敬称略)【押谷盛利】

2012年01月16日 15:17 |


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