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ああ、祖師は紙衣で90年

高山町の観念寺住職・明石祐暁師から頂いた年賀状に大谷句仏の俳句「勿体なや祖師は紙衣の九十年」が引用されていた。
 句仏は句仏上人と尊称され、湖北地方では特にその名が知られ、俳句や書道の達人だったからその掛軸などは高価だった。
 明治から大正期の東本願寺の23代門主だった。俳句をもって仏徳を讃嘆する、というまさに仏弟子そのものを自負する俳名であろう。
 あらためて、明石師から頂いた句を昧読する。
 「勿体なや祖師は紙衣の九十年」。
 もったいないことではないか。ご開山(親鸞)は冬の寒い日でも紙の着物で90年の生涯を送られたというではないか。
 祖師は真宗の開祖・親鸞(1173〜1262)のことで、真宗の門信徒は「開山聖人」と崇め帰依している。ところで、紙衣(かみこ)とは珍しい言葉である。紙子、紙で作った衣服のことで、律宗の僧が用いはじめ、後に一般化した。軽くて保温性にすぐれ、近世以降安価なところから貧乏人が用いた。転じてみすぼらしい姿や惨めな境遇の形容の言葉にもなった。虚子の句に「纏うて古き紙衣を愛すかな」がある。
 なぜ、ぼくが紙衣を持ち出したのか、親鸞という真宗開祖の生き仏さんが90年の生涯を紙衣で送られたということを「ああ、なんと。もったいないことよ」と句仏さんは感激されたが、それから100年後のわれわれでさえ、「ああ、もったいないことよ、今の世のこのぜいたくは」と痛切に反省させられるからである。
 「今の世は不安の世である」とか「満たされぬ思いにいらいらしている」とか、新聞や雑誌は書き立てているが、なにをふざけたことを、と一喝したくなるではないか。お節料理一つを例にとっても、自分の手や足を使うのではなく、店での仕上がり品でOKとするばかりか、十二分に味わうこともなく平気で残りを捨ててしまう。
 寒いというが、節電どころか、どこの家も暖房器をフル運転するわ、体にはホカホカをくっつけて寒さ知らず。遊び呆けて都市の百貨店は初詣でのような混雑ぶりで、何が入っているか分からぬ福袋を二つも三つも買うあんばい、着るものはセーター、シャツ、ジャケット、コート、いずれも軽くて厚手の高級製品、毛皮ものが幅をきかし、明治、大正のよう蓑や合羽は見たくとも見られぬ。
 何不自由なく、好き勝手に生きて、温かいコタツで、テレビやパソコンに時を送っている図は、何が不足で何が不愉快なのか、どうすれば心が満ちるのか、不安が消えるのか。
 しっかりさらせ、ととくに若ものたちに訴えたいのである。
 ヒマでハラが減らないのなら、一食抜きで、世間さまへ奉仕へのボランティアでもするがよい。
【押谷盛利】

2012年01月06日 16:49 |


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