滋賀夕刊新聞社は滋賀県長浜を中心に政治、経済、文化の情報をお届けする新聞です。



2012年01月31日

高齢化率4割への覚悟(見聞録)

 50年後の日本は人口が3分の2に減り、高齢者が4割を占める—。厚生労働省が30日に発表した人口推計は、少子高齢化社会の行く末を具体的数字で示したショッキングなものだった。
 2060年の人口は8674万人。2010年の1億2806万人から約4200万人が減る。これは滋賀県の40倍にあたる人口が消滅することを意味する。
 65歳以上の割合は39・9%にまで上昇し、果たして経済や国民生活が成り立つのだろうかと、漠然とした不安に襲われる。
 加速度的に増える高齢者の年金、医療を支える社会保障制度の維持のため、今、政府は消費税増税を叫び、2014年度に8%、2015年度に10%への引き上げを計画している。
 しかし、である。財務省の試算では、例え増税を行っても、今の財政構造のままでは、とてもではないが増加し続ける歳出を賄うことはできない。
 増税や経済成長で税収増を見込んでも、それ以上に年金、医療などの社会保障費が膨らむためだ。
 例えば消費税を10%に引き上げる2015年度の歳出は101兆4000億円と見込まれるが、税収はたった52兆8000億円しかない。特別会計の余ったお金を繰り入れても、45兆円も足りない。不足分はすべて新規国債という借金で賄うことになるが、この新規国債の発行額は現状とたいして変わらない。増税したところで借金漬けの財政は続く。
 政府の掲げる今の消費税増税は、今後の超高齢化社会の前では「焼け石に水」に過ぎない訳だ。
 それでも消費税増税に取り組むべきなのか。冷静に考えるべき点だろう。
 何より増税の前に、財政構造をゼロから組み直す必要があろう。高速道路、空港、ダムなどの大型公共工事は、国の財政的見地から分析して、どの程度、実施すべきなのか。公務員や国会議員の定数は多すぎないか。税金の無駄遣いの温床となっている天下り解消の道筋は。子ども手当などのバラマキ政策は妥当なのか。国民の「甘え」や「堕落」を誘発する社会保障制度になってはいまいか。
 また、65歳以上を「高齢者」とする政策も改めなければならない。少なくとも60代は現役世代として社会を支える側にならなければ、労働人口の減少を賄えきれないのではないか。医療費の増大に歯止めをかけるには、おのおのが健康に気を配ることが大切だろう。
 50年後の長寿大国に向け、国民が幸せを分かち合える国づくりが求められている今、我々国民がこの問題に無関心で他人事ならば、何も変えられない。

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2012年01月30日

橋下維新と石原新党論

 国民の政治に対する不満や閉塞感が橋下大阪市長の維新の会への期待につながっている、と書いたが、橋下氏は明日の日本のシンボルとも思われるので声援とともに言うべきことは言っておかねばならぬ。
 橋下氏の維新の会は次の解散・総選挙に300名を公認し200名を当選させる、と意気込んでいるが、愛知県の大村知事、河村名古屋市長、松山維新の会、東京都の石原知事らの動き次第では強力な第一党に躍進する可能性を秘めている。
 橋下大阪市長は、もはや大阪の橋下ではなく維新を待望する全国民の星である。
 彼は明治維新をさきがけて、凶刃に倒れた坂本龍馬の故事に見習い、国政への政治公約ともいうべき「船中八策」の起案に取りかかった。
 船中八策は龍馬が船中に筆を採り、維新後の新政権のあるべき姿、民主主義政治に根ざす新しい日本の目標などを8項目に集約したもので、薩長同盟の成功による世論の趨勢を背景に藩主の山内容堂に進言して徳川慶喜の大政奉還に漕ぎつけた経緯がある。
 いま、橋下氏の心を占めているのは、天下の諸制度を改革一新して真の国民のための政府、国家のための新秩序を建設しようとする愛国の熱意であり、幕末の坂本龍馬が鑑であろう。
 橋下氏の動きには一足早く、みんなの党の渡辺喜美代表らが賛意を表しているし、中央政界は政界再編成がらみで揺れ始めた。橋下氏に触発されたごとく、石原新党が3月に結成されるという。国民新党の亀井代表や保守回帰をねらう平沼「たちあがれ日本」代表などの連携によるもので、橋下氏や名古屋市長の河村らも含めた政界再編成をうたっているが、ぼくはこの動きには反対である。
 石原知事はともかく、亀井、平沼氏はこれまでの実績から自分の組織に危機感を持ち、国民の目からもすでに過去の政治家とみられ、新しい日本を拓くにはふさわしくない。
 政治の世界には義理人情があるかもしれないが、坂本龍馬の境地でいえば、国家・国民のために命を捧げることはあっても大切な政局の動向に義理や人情は御法度である。
 賢明な橋下氏や河村氏は、そうした古狸めいた政治家に踊らされることはまずあるまいと思うが、数さえ揃えばよしとして、この石原新党に同調すれば、国民の信は一挙に醒めるであろう。
 石原氏は、毅然として、亀井、平沼氏らとの合同を避け、さらには自民党を飛び出して「改革」だけを寝言のように叫んでいる幾つかの小政党に目もくれず、自民、民主の純粋な若手の先頭に立って、彼らの盟主ともいうべき救国新党を結成するか、もしくは大阪維新、みんなの党、減税名古屋などとの統一新党こそ、目指すべきではないか。【押谷盛利】

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2012年01月27日

日本人よフヌケになるな

 日本のリーダーとして、最もふさわしい人はだれか、の設問に「橋下徹大阪市長」と答えた人がずば抜けて多かった、という産経の世論調査を紹介したが、これは中央、地方を問わず日本の政治の閉塞感に対する国民の声だとぼくは思っている。
 政治の閉塞感とは、分かり易くいえばどんなものか。例えば、政治とカネの問題で国民から強い不信感を持たれている民主党の小沢一郎元代表が、いまだに政治の裏表でマスコミの話題となっていることがあげられる。当の本人は元秘書の衆議院議員が起訴、有罪の判決を受けているにも拘わらず、党内で100人を超す子分どもをつかって民主党を遠隔操作しているが、それをまともな政治と国民は認めるだろうか。彼は民主党から「党籍離脱」の処分を受けているので、民主党への影響力は本来ゼロであるべきだが、事実は全く逆である。
 こんなバカなことがあり得るのか、と反発するのが国民の常識であるが、その常識が永田町では通じない。そういう中央政治の実態と国民の思いとの違いが国民の閉塞感の原因といえよう。
 あるいは選挙を有利に展開するために出来もしない財政改革や国民の喜ぶ甘い予算を約束しながら、そのマニフェストを忘れて消費税の増税を力説するなど野田首相のあり方なども国民の政治に対する閉塞感をあおる原因となっている。
 大阪市の職員組合の脱線など市民感覚と離れた組合役員の勤務ぶりなどが不祥事として表面化したことや、あるいは日本一の生活保護受給者の多いことなど報道されるだびに大阪市民は不愉快な思いをしてきた。だれが市長をやっても良くならない、と半ばあきれ、諦めていた市民が橋下市長の出現でにわかに輝き出した。橋下氏の当選はこれまでの大阪市民の閉塞感を打ち破った革命的事件といっていい。
 政治の閉塞感は人間の肉体でいえば便秘のようなものだ。食事をとりながら、出すべき粕が腸内に滞留すれば気分はよくないし、健康の障害にもなる。悪質な腸閉塞は命に関わる重症ですらある。
 知事や市町長ら地方の首長にしても、会社、団体のトップにしてもその人物の動きや考え方が新鮮味を欠き、鈍くなるとその組織や裾野は閉塞感を問われる。当然ながら向上や発展は期し得られない。
 国民の現在の閉塞感は政治上の問題だけではない。
 例えば、テレビは日本人を遊ばせてくれるよい娯楽だが、このごろは質が落ちてアホな番組が多すぎる。特にひどいのは食べ物に関する番組だ。日本人はみんな飢えているのかと、思うほど「うまい、うまい」の卑しい不作法のオンパレードである。その他、一方通行で「あてがい番組」を見せつけられているが、これによるいらいら現象も一種の閉塞感である。日本人よ、フヌケになるな。
【押谷盛利】

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2012年01月26日

雪で発揮、ボランティア精神(見聞録)

 「ようやく」だろう。湖北地域は25日夜から本格的に降雪し、今朝は一面、銀世界となった。
 待ちわびたように除雪車が走り、スコップを手に雪かきに勤しむ市民の姿に、湖北の冬を見た。
 雪かきをする身にとって雪が降らないのにこしたことはないが、近畿の水がめである琵琶湖を潤し、春からの農業に向けた水資源の確保のためにも、降らないのは困る。
 小生は配達員宅にその日の滋賀夕刊を届けるため、毎日、東浅井地域へ車を走らせているが、それぞれの地域の結束力やパワーが除雪の進み具合に代弁されていると感じる。
 県道や国道など大きな道は自治体の除雪車や融雪装置が機能するとして、集落や団地内の生活道路の除雪のでき具合に、地域力の差が見て取れる。
 若者世帯が多いにもかかわらず自宅前さえ除雪が出来ていない新興住宅地。「結い」の力を発揮し、子ども達の通学路をきれいに空ける農村の集落—。
 昨冬は大雪に見舞われ、山間部の過疎化地域では生活機能がマヒする程の深刻な状況に陥った。このため、長浜市社会福祉協議会が除雪ボランティアを募り、木之本や余呉に派遣した。
 今冬、派遣が必要なほど雪が降るのかは知るすべを持たないが、大雪に見舞われてからボランティアを募集していては心もとない。
 今後の大雪を想定して、東北、北陸地方の自治体や社会福祉協議会が取り組むように、除雪ボランティアの登録制度を設けてはどうだろうか。
 富山市では2006年にボランティア登録制度を設け、この冬は450人余りが登録している。登録の8割以上が社会貢献の一環と受け止める企業だというが、学生も増えている。新潟市では高校生がボランティア隊を組織し、通学路の除雪に取り組んでいる。
 合併で面積も人口も増えた長浜市。山村部など過疎化の進む地域の除雪を市民ボランティアが担う仕組づくりが欲しいところだ。
 家でごろごろして、テレビやケータイ、インターネットで時間を持て余しているならば、除雪で汗を流したほうがよほど得るものがあろう。
 小紙も除雪に困って手助けを求める集落と、ボランティア希望者を結ぶため、どういう役割を果たせるのか考えたい。

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2012年01月25日

日本のリーダー橋下徹論

 産経新聞社とフジネットワークがこのほど実施した世論調査によると、日本のリーダーとして最もふさわしい人は今の国会議員の中には一人もいないことになる。
 国民の政治不信がいかに深刻であるかをあらためて知らされた。この世論調査は政党の支持率、野田政権の支持率、消費税その他各般に分かれているが、ここでは日本のリーダーについて考えたい。
 設問では与野党のなかの実力者や国会議員ではないが影響力のある大物政治家の名前をあげて、だれがリーダーとして最もふさわしいと思うかを問うている。以下名前の上げられた政治家(数字は%)。
 枝野幸男4・9、岡田克也8・3、小沢一郎4・4、菅直人0・3、仙石由人0・5、野田佳彦3・6、鳩山由紀夫0・2、前原誠司6・2、安倍晋三4・2、石原伸晃3・1、石破茂5・8、谷垣禎一1・0、渡辺喜美3・2、舛添要一1・9、石原慎太郎9・6、橋下徹21・4、このなかにいない18・5。
 現職総理の3・6%もみじめな姿だが、野党第1党の自民党総裁が1・0%とは恥を天下にさらしたようなものだ。東京都の石原慎太郎知事がナンバー2の9・6%は、老齢ながらも日本人のあこがれの側面を見せて頼もしい。
 この調査で彗星の如く輝いたのは橋下徹大阪市長の21・4%である。他を寄せつけず、圧倒的な信頼と期待で最もふさわしいリーダーに名指しされている。
 国の政治が行き詰まり、舵取り役が無能の場合は国家の危機であり、国民の不幸である。そうした国家国民の危機に際しては古今の世界史が語るように「英雄待望論」が出る。左右の独裁政権や市民革命が起きて、ときには果てしない国内争乱にもなる。
 リーダーが国家、国民のために命を投げ出すほどの誠実さと愛国心を持ち、秀れた感性で力強く号令し政策を進めなければ、政局は烏合の衆で、議論ばかりしながら、利権集団に陥る危険性がある。橋下氏に大阪市長を委ねた大阪市民は、同氏が大阪府知事としての一期におけるさまざまな改革とスピーディーな行動力を評価したからである。
 橋下氏のいう大阪都構想こそ二重行政の弊を打破するもので、上下水道、医療、地下鉄、教育、福祉各般における能率化と低コストにつながる。それはそのまま行政経費を減らしながら住民の減税や産業界の振興を展望してゆく。
 東京と比肩する大阪都が国際的に日本を代表する位置を占めれば、それは全関西と中国、四国方面を含む関西連合の地盤隆起に作用するであろうし、英知を集めての新鮮な改革が国家の繁栄を呼び起こす因子ともなるだろう。
 橋下氏の改革は行政職員の定数減や給与削減に止まらず、地方公務員の規律そのものの見直しにまで及んでいる。例えば議場や目のつくところに国旗を掲揚し、これに敬礼すること、卒業式などの儀式における君が代斉唱と起立などの条例化は、国民の国家に忠実なる原点に関わるもので、中央、地方を通じ、組合に魂を抜かれているこれまでの癒着を断つ心意気が全国から期待されていることを知らねばならぬ。
 大阪から日本を変える。その第一歩は次の総選挙における維新の会の国会進出であろう。国民の待望する英雄、新リーダーに輝きあれ。【押谷盛利】

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2012年01月24日

古代ローマの大衆浴場(見聞録)

 国民主権の民主主義国家の宿命なのか、政治家は国民の支持や人気を集めるため、ムチを隠してアメを使う。
 最近の例では民主党が自民党政権を追い落とした2009年の総選挙。「政権交代で無駄を省きます」と宣伝し、「子ども手当」「高速道路無料化」「農業所得補償」などを訴えた。
 国民の支持を取り付け、政権交代を果たしたが、人気取りのために富をばら撒いたのは現代政治だけでない。古代ローマでは、皇帝が民衆の不満を抑え、人気を集めるためにパンを配り、闘技場で決闘などの見世物を開催した。
 支配下に置く周辺属国から富を搾取し、ローマに運び入れ、市民にばらまいたわけだ。ローマ市民は喰うに困らず、闘技場という娯楽も与えられ、堕落していった。民衆の堕落と衆愚政治の代名詞として「パンとサーカス」と言われるゆえんだ。
 ここで書きたいのはそんな衆愚政治についてではなく、古代ローマで民衆の心をつかんだのは何もパンや闘技場だけではない、ということ。地中海沿岸に残る数々の遺跡に見られるように、公衆浴場もまた民衆の人気取りの道具だった。
 その公衆浴場を描いた漫画「テルマエ・ロマエ」が人気を集め、今年映画化されることになった。衆愚の古代ローマにおける公衆浴場というテーマが気になり、先日、読んでみた。
 主人公の浴場設計技師が現代日本にタイムスリップし、民衆の心をつかむ公衆浴場のヒントを得る物語。フィクションなのだが、古代ローマの支配者層が民衆受けと、自身の見栄、欲のために浴場整備を行う点が、今の人気取り政治と重なった。
 この漫画では浴場をローマ市民の憩いの場として描き、現代日本に通じるのが面白い。しかし、不思議なのが、今のローマにはこういった公衆浴場は残っていないし、そういう文化も継承されていない。なのに、ユーラシア大陸の東の果ての日本に古代ローマ人が愛した公衆浴場文化が生きている。そこを結んだのがこの漫画の面白さであり、日本の浴場や温泉文化の奥深さを世界に誇りたくなる。
 なお、「テルマエ」はラテン語で浴場、「ロマエ」はローマを意味する。

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2012年01月23日

自民党は出直すがよい

 注目の大津市長選は無名の新人・越直美氏(36)が現職で3選を目指した目片信氏(70)を破り初当選した。
 越氏は無名とは言え、大津市出身であり、膳所高から北海道大学へ進み、弁護士になった。米国のハーバード大学で学ぶなど国際感覚も十分であり、大津市民の求めていた本格的政治家の素質十分である。
 全国最年少の女性市長として、早くも脚光を浴び、知事の嘉田由紀子氏と2人3脚で新しい滋賀が発信されるであろうことを思うと痛快である。
 越氏の勝利は早くからささやかれていた。自民と公明は変な仲よしぶりを見せて早くから国会議員の経験もある現職の目片氏を推薦した。出発時点において、大津市民の感覚と大きくずれていた。
 いま、全国的に大きなうねりとなって政治改革を求めているのは中央、地方を通じての政治の閉塞感である。
 国民はいらいらして、政治不信に陥っているが、この国民の閉息感は旧来の流れを断ち切って、自由にして、新鮮、大胆な政策転換を求めているのであり、従来路線の改良や延長を否定している。その政治路線の革命的転換で国民の拍手喝采を浴びているのが橋下徹大阪市長率いる維新の会である。
 維新の会は橋下氏の若さと卓越した政治行動力で、大阪府政と市政の大改革を進めているが、その政策の明快さと実現へのスピード感が関西どころか全国各地へ信頼と夢を拡大させている。
 大津市民が越氏に寄せる期待感は橋下大阪市長へ寄せる国民の声と均質のものである。
 にも拘わらず、自民と公明は次の解散選挙における滋賀1区の互いの党内事情を反映させながら無難な目片候補への道をとった。ここに旧態依然の古い政治流儀を知ることができ、大阪旋風が国の政治を改革するという今日、政治家としては峠を越えている70歳の現職を市民に奨めた。
 たまたま大津市長選の行われた22日は、中央で自民党の全国大会が開かれた。谷垣総裁は、民主党の不手際や公約破りを追及して、掛け声勇ましく、解散総選挙を訴えたが、犬の遠吠えの如く、パンチが欠けていた。
 客観的に国民が大いなる政治改革を求めているにも拘わらず、この党の現実の対応は、大津市長選と同様に国民の声に耳を傾けることなく、スピーディーにことを運ぶ若さと行動力に欠けている。
 いわば党運営は半世紀前の古風な派バツバランスの上に立っているだけで、国民の心に根ざす政策本位の大衆性を持たないことが致命的である。
 いま、国民は民主党政権に大いなる不満を持っているが、だからといって、柱時計の振り子のようにその国民の不満が自民党への期待感として表へ出てこない。
 これは何を意味するか。自民党は謙虚に反省すべきで、本当をいえば、解散を本気でいうならば、今日の自民党のていたらくの責任を反省して、党役員は頭を丸めて総辞職するべきであった。新しい役員に希望を託し、国民の前に生まれ変わる決意を、死に物狂いの国難打開の道筋を説明すべきだった。
 これがない限り、民主党がいかにヘボ将棋をやろうとそれに代わる自民党政権への道は遠い。【押谷盛利】

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2012年01月21日

鉄道唱歌にみる湖北(見聞録)

 きのう20日、長浜鉄道スクエアで始まった長浜駅開業130周年記念展。全長36㍍のパネルには新橋から神戸までの開業当初の駅舎の写真をずらりと並べている。その取材中、目に止まったのが鉄道唱歌だった。
 鉄道唱歌は鉄道の駅と風物を歌いこんだもので、第1集の「東海道編」は明治33年に出され、その後、山陽・九州、東北・北関東、信越・北陸、関西なども順次、発表された。
 20世紀初頭の唱歌のため今では知る人は少なく、相当の年配の方でないと知りはしないだろう、と鉄道スクエアのスタッフは説明してくれた。
 さて、その鉄道唱歌を調べてみると、上野—直江津(上越市)—米原の信越・北陸線で湖北地域をいくつか歌っている。
 北から順番に紹介すると、「疋田柳瀬中ノ郷 すぎゆく窓に仰ぎみる 山は近江の賤ヶ岳 七本鎗の名も高し」に続き、「豊太閤の名をとめし 轡の森は木之本の 地蔵と共に人ぞしる 汽車の進みよ待てしばし」とある。
 ここにある「轡の森」は、木ノ本駅を降りて地蔵坂を上ると右手にある。イヌザクラの古木があり、秀吉が木之本に駆けつけた際、馬が疲れて死んだのを哀れんで、この地に埋葬し、愛用の鞭を墓標として刺しておいたところ芽を出し、今の大木になったと伝わる。「轡の森」の名の由来は、北国街道の牛馬市の名残りと言われている。
 木ノ本の次に歌われているのが長浜駅。「縮緬産地の長浜に いでて見渡す琵琶の海 大津にかよう小蒸気は 煙ふきたて人をまつ」。
 「小蒸気」は蒸気船のことで、長浜港は大津への湖上輸送の拠点となっていた。
 次は終点の米原。「駅夫の声におどろけば 眠はさめて米原に つきたる汽車の速かさ みかえる伊吹雲ふかし」。
 米原駅に到着後の北陸線最後の歌は「おもえば汽車のできてより 狭くなりたる国の内 いでし上野の道かえて いざやかえらん新橋に」。海外文化がどっと流入してきた明治期、鉄道の敷設で「日本が狭くなった」と感じた日本人が多かったのだろう。
 今や鉄道は電化、高速化され、新幹線は東京—大阪間をわずか2時間半で結んでしまう。さらに、近い将来に開通するリニア線は1時間余りに短縮する。
 速さと時間短縮を至上とする今の鉄道に比べ、戦前の汽車は単なる移動手段ではなく、車窓からの眺めや各駅の名物を楽しむ憧れの乗り物であったに違いない。鉄道唱歌からは汽車に揺られ、まだ見ぬ地に思いを馳せる魅力がある。
 なお、この鉄道唱歌、現在、鉄道スクエアで流しているので、興味のある方は足を運んではどうだろうか。

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2012年01月20日

国家国民の危機と政治

 政治家は、いとも簡単に政局を論じ、国家国民の危機、などとほざくが、本当の危機はどんなものか。自分の命を投げるほどの使命感を持っているか、どうか、極めてあやしい。彼らの関心は次の選挙であり、然るべきポストについて、利権にあやかりたい、などというおぞましい私欲が見え見えである。
 国家の危機とは国家存亡の危機であり、かいつまんでいえば、国土の保全と独立がゆらぐことであり、国民の生活や安全がおびやかされることを意味する。
 こうした意味を踏まえて、今の国際社会における日本と、日本が抱えている諸問題を考えれば、確かに今は国家の存亡を憂うべき危機にあるといえよう。
 目を国外に転ずれば、EUのギリシアに発したヨーロッパの金融危機は、EUの崩壊を招きかねない不安を醸しており、その不安はドイツ、フランスのような指導的金融安定国家にすらしのびよりつつある。
 日本の円高がどう改変されるか。このまま欧州の金融危機が続けば、円高不安は高まることこそあれ、解消する見通しは立たない。当然ながら輸出不振や国内企業の海外転出が進み、国内の雇用や製造業界への深刻なパンチは避けられない。
 他方外交方面を考えれば、尖閣諸島周辺で起きた中国の威圧は沖縄海域にも及び、日本叩きの高姿勢は国辱すら感じるが、これまでの民主党総理はまるで従属国家のような遠慮ぶりで言うべきことすら言い得ない体たらくである。
 民主党を陰で支配するといわれる小沢一郎元代表は数百名の中国訪問団を組織し、100名を超える子分の国会議員を彼の国の支配者に握手させて、それを次の選挙に活用しようとしたが、まさに奴隷のような惨めな醜態である。
 聖徳太子が遣隋使を通じて「日出づる国の天子、日没する国の国王へ申し上げる。恙なきや」としたためた対等外交の故事を思えば悲しくて涙が出るではないか。
 国内問題である靖国神社についても先方からつべこべいわれるわけはないのに、歴代総理や大臣は、参拝しないのが正しいかのような卑屈さで終止した。
 朝鮮半島はどうか。北朝鮮は日本人を拉致しながら、今なお拉致被害者を解放しないばかりか、この問題は解決ずみだと、うそぶている。
 国家が国民の安全を守るためにどう外交を転回するか。現状はむしろ、北朝鮮にしてもロシアの占拠している北方領土にしても「あなた任せ」のことなかれ外交で、国家の権威はさらさら見られない。菅内閣のごときは辞任のどさくさまぎれに、国内の朝鮮学校に対する補助金凍結を解除してしまったではないか。
 国政より、むしろ地方の政治家が頼りになるではないか。例えば、東京都の石原慎太郎知事は朝鮮学校への補助金を平成24年度に計上しないことを決めた。これが国民の声である。反日教育をすすめ、金王朝を神様の如く帰依する北の教育機関に国費を投じる滑稽さは世界の物笑いでしかない。かく考えれば、国家の危機は政治家と政府自身の責任であるが、彼らにはそのような使命感がない。
【押谷盛利】

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2012年01月19日

エネルギーの安全保障(見聞録)

 イランの核開発疑惑をめぐり、欧米とイランの対立が先鋭化している。欧米による経済制裁の強化に対抗し、イランは中東の石油供給ルート「ホルムズ海峡」を封鎖すると鼻息が荒い。
 世界有数の供給ルートであるホルムズ海峡が万一、封鎖されれば、世界経済の混乱は必至。オイルショックの再来となろう。日本に輸入される石油の8割もここを通っており、封鎖の打撃は計り知れない。
 封鎖に対して、欧米が武力攻撃に踏み切る可能性は限りなく高く、それ以前にイスラエルが先制攻撃する可能性もある。すでにイスラエルの特殊部隊と見られる仕業でイランの核開発者が殺害されている。
 ゆえに、専門家はイランが封鎖という暴挙に踏み切ることはないとみるが、経済制裁の強化は国を破綻させかねない。かといってせっかくの核開発を放棄するとも考えられない。
 さて、欧米による経済制裁に対し、日本はやや距離を置いてきた。というのも日本が輸入する石油の1割をイラン産が占めているからだ。
 しかし、政府は欧米の制裁に追従し輸入量を計画的に削減する方針を打ち出した。アメリカがイランと取引を続ける日本に対し金融機関への制裁をチラつかせたからだ。
 福島第一原発事故を受け、原発を再稼動できない日本は、火力発電のフル稼働で震災後の急場をしのいでいる。イラン産石油の輸入削減は、脱「原発依存」に走り出しつつある日本にとって頭の痛い問題だ。
 中東戦争におけるオイルショックのように、常に不安定な地勢にある中東は、ひとたび紛争が起これば、石油価格の高騰を引き起こす。
 そういうリスクを避けるため、日本はオイルショック後、エネルギーの自給自足をうたって原発を推進してきた経緯がある。
 日本は今、放射能汚染というリスクから国土を守るための脱「原発依存」に舵を切ったばかり。小生が危惧するのはイラン発の「オイルショック」を機に原発推進の亡霊が復活し、なし崩し的に原発の再稼動や新設に走り出さないか、という点だ。
 今やエネルギーの安全保障は「原発か石油か」という二者択一であってはならない。太陽光や水力、風力など自然の恵みを活用する新技術にこそ光を当てるべきなのだから。

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2012年01月18日

政界再編成で解散せよ

 野田首相は、消費税が通らなければ衆議院を解散すると公言している。言わば消費税と心中するというのだ。
 彼の言をまともに信じるバカがいて、早くも3月解散説、6月解散説まで出ている。
 バカも休み休みに言え、とぼくは大新聞のおろかな報道に噛みつきたい気持ちである。
 野田首相は本気で解散する信念や行動力があるのか。ノーと明言しておく。彼は小泉元首相の郵政改革解散にならって、大見得を切ったつもりだが、小泉と野田では政治家の質と器量が天地ほどの差がある。
 野田は反対勢力の小沢とその子分の動きに一喜一憂し、極力そのご機嫌を立てている。今回の改造内閣にしても小沢派の大臣待望組を迎え入れただけで新鮮味は何一つなく、実質的には小沢の代弁である輿石幹事長の描いた絵である。
 小泉は、たとえば党風刷新と党の若返りのため大胆にも70歳定年制を決めた。郵政解散に当たり、中曽根康弘と宮澤喜一という元総理の大物が公認を申請したが、小泉は例外によって規定を骨抜きにしてはならぬと、両御所の公認を許さなかった。結果、両人とも再びの政界復帰は実らなかった。
 所信を断固貫くという小泉と、右にふらふら、左にふらふらというような野田流とは政治家の質が違う。
 それにしても民主党はだらしがないばかりか、頭の悪いことでは最低である。こんな政党に日本の政治を任せては、まさに日本丸沈没である。国民の怒りは広く深く沈潜しつつあるが、こんな不人気最悪の野田内閣で解散なんかできっこないのは3歳の童児だって知っているかもしれない。
 彼が解散を豪語するのは、実は政治局面への達観からではなく、党内の小沢派鎮めの手段なのである。小沢は、党員資格を奪われているにも拘わらず、その子分百余名を動かして野田内閣を揺さぶり続けているが、これは誰の目から見ても異常であり、政党の体をなしていない。
 マスコミは、このおろかな、権力亡者たちの動きに日本の発展と国民の幸福を期待するというのか。貴重な紙面を費やして大きく報道している。
 例えば16日の民主党大会で、国家国民のために消費税を増税する、と大見得を切ったその直後、小沢派のグループは決起集会を開いて109人の子分たちが気勢を上げた。増税反対をむき出しにしたこの集会は、国民の目に民主党の分裂を印象づけた。
 だれよりも解散の怖いのが小沢派議員であり、もし選挙になれば、彼らはなだれをうって討ち死にするだろう。小沢一味は消費税反対ののろしをあげることによって解散を封じようとしているのであり、もし野田首相や岡田副総理が本気で日本と国民を思うなら、この際、小沢一派を切るがよい。
 いまの日本には旧態の頭も体もおんぼろの政治家があまりにも多すぎるから、この際、民主党のお家騒動を契機に政界を再編成し、新たな指導者で解散するのが本筋である。(敬称略)【押谷盛利】

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2012年01月17日

詐欺あれこれ(見聞録)

 「風邪をひいた。おかゆの作り方を教えて欲しい」—そんな電話が息子からかかってきたら。心配して話を聞くと、女性問題を相談され、最終的に現金を振り込ませようとする詐欺の手口だ。
 先週、長浜や米原にこの手の不審電話が相次いだ。今のところ現金を振り込んだという被害は報告されていないが、「オレオレ詐欺」に始まった「振り込め詐欺」は日々進化し、あの手この手で金儲けをたくらんでいる。
 最近、詐欺的手口で話題になったのが、インターネットの口コミサイト「食べログ」。飲食店を訪れた客が料理の味や店の雰囲気を評価してそれぞれの店に点数を付けるシステムで、「ログ」は通信用語で「記録」との意味を持つ。
 このシステムで金儲けを企んだ悪徳業者が飲食店に話を持ちかけ、金をもらって嘘の「良い評価」を書き込んでいた。善意の口コミを台無しにするデマの宣伝だが、この手のウソはネット上にたくさん出回っている。
 東日本大震災の被災地復興に乗じた詐欺も相次いでいる。先日は被災地に中古車を販売すると偽って資金を集めた東京の中古車販売会社の経営者らが逮捕されたが、放射線を分解する水を販売したり、被災者と偽って公営住宅へ入居したり、義援金や寄付金を金儲けに利用したりと、全国で不届き者が報告されている。
 詐欺といえば、今の民主党政権もその誹りを免れない。政権交代を果たした2009年の総選挙の公約「マニフェスト」はどうだったのか。予算の組み替え、無駄の削減で17兆円の財源を捻出し、子ども手当の支給、公立高校無償化、ガソリン暫定税率の廃止、高速道路無料化などを訴えた。
 現実はどうか。十分な財源が捻出できないまま、バラマキ政策を続け、そのあげくに消費税増税を既定路線に乗せようとしている。「国民の生活が第一」の掛け声は偽りか。
 総理大臣は民主党政権になってから、はや3人目。前自民党政権のコロコロ変わる首相を批判しておいてである。さらに先週には内閣改造を行うなど、地に足を着けた政治を行っているとは言いがたい。
 詐欺の誹り、汚名を返上するためにも、国民の期待にかなう政治を望みたい。それは野党にも言えることではあるが。

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2012年01月16日

小沢裁判と国民の審判

 政治とカネで強制起訴された小沢一郎元民主党代表の裁判が佳境に入ったとたん白けてしまって、後は4月の判決を待つばかりである。
 なぜ、裁判が白けてしまったのか、それは国民の知りたいこと、政治家の舞台裏の生々しい金の動きにライトを当てて欲しかったことが、あっけなく「知りません」、「忘れました」、「秘書任せです」、「報告書は見たことはない」という小沢本人の逃げで終わったからである。
 どこまで逃げたって、真実は一つだから、人間の法廷をごまかしても、神の法廷を逃げるわけにはゆくまいし、その前に国民の法廷をパスすることはできまい。
 国民の法廷とは何か。選挙である。小沢と小沢派政治家を国民が佳しとする空気はもはや今の世にはない。
 国民は小沢一郎やその元秘書たちの捜査や起訴を通じて政治を食いものにする不潔な膿の存在を目のあたりに見せつけられた。
 4億円もの土地取得のカネが、銀行から借りたとか、親の財産だったとか、毎月の月給を貯めたとか、問われるたびにくるくる変わり、最後には4億円は自宅に持っていたという。自宅に持っていたのに巨額の利子を払ってまで、なぜ銀行から借りたのか。
 いうことと、していたことが国民を納得させないばかりか、その被告人質問のなかで、政治資金報告書は秘書が勝手に作ったもので、相談にも預からぬし、見たことがないという。
 国民に政治資金を明るみにするための法律による制度であり、いとも厳粛、誠実な手続きであらねばならぬが、それを当の報告者の本人が見もしないというのはあり得るはずがない。
 さて、ぼくは法廷をごまかせても神の法廷や国民の法廷はパスしないと書いた。
 平成になって、くるくる総理が変わるようになって、国民は政治への関心を深め、選挙を通じて国民が政治に発信することを学んだ。学んだというよりは、政治の不信に対して、国民の立ち向かうべき道を知ったということに尽きる。
 国民は馬鹿じゃないから、いつまでも既成政治家の汚れた厚顔を見逃しはしない。その国民の政治的開眼が名古屋の河村市長の減税党の勝利であり、大阪の維新の会の橋下市長の府市両選挙の圧勝に象徴された。にも拘わらず、無責任なマスコミの中には、今なお小沢を英雄扱いに報じるし、民主党内の小沢派は110人を超えている。
 小沢政治の発想は彼の師であった田中角栄の生き映しである。カネと力で子分を培養し、子分の数の力で政治を動かし官僚を支配する。
 政治を動かし官僚を支配するとは、国民の税金を囓ることを意味する。
 田中角栄は最後にはロッキード汚職で有罪判決を受けたが、被告人ながらも日本の政治を支配した。文明国、民主国家ではあり得ない政治の汚れであり、倫理の欠乏である。なのに今も一部には日本の指導者像として、角栄の名を出す。同じ流儀で小沢をかつぐのが、彼の子分どもであるが、あれからの年月、国民は徐々に政治開眼した。いつまでも、食いものにされてたまるか、との自覚が、地方から盛り上がってきた。
 ぼくは国民を信じる。信なき政治は立たず。 (敬称略)【押谷盛利】

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2012年01月13日

リンゴの唄と並木路子

 歌は世につれ、世は歌につれ、というが、歌は唄っても楽しいし、聞いていても楽しい。年齢に関係なく、誰もが好きな歌、好きな歌手がいるはず。
 プロ野球の新人が毎年期待され、高嶺の夢をみるが、そのうちの何人が一軍のレギュラーに定着するか、道の険しさは人生の険しさそのものである。
 歌謡曲の世界だって同じである。美空ひばりのような不世出の天才は別格としても、長く名を留め、死後もなお愛され歌われる歌手はそう多くはない。
 歌謡曲は作詞、作曲に恵まれることが大きな条件だが、なんといっても歌手の持つ人格と雰囲気、歌唱力が世に出るか出ないかのキーポイントであろう。その点でぼくが感心するのは戦争に負けた昭和20年、日本人の心に明るい灯を点した並木路子の「リンゴの唄」である。
 敗戦の混乱に日本人の心は打ちひしがれていた。都市は焼野原になり、外地からの引揚兵、食糧難、闇市、占領軍にチョコレートをねだる子どもたち。そうした暗い世相を吹っ飛ばすごとく歌われたのがリンゴの唄だった。
 「赤いリンゴに、唇よせて、だまってみている青い空。リンゴはなんにもいわないけれど、リンゴの気持ちはよく分かる。リンゴ可愛いや、可愛いやリンゴ」。
 この歌は、戦後の日本映画の第一号になった「そよかぜ」の主題歌だが、作詞のサトウハチロー、作曲の万城目正が当時、松竹少女歌劇で歌ったり、踊ったりしていた新人の並木路子を抜擢した。
 彼女は10年前の2001年4月、79歳で他界したが、70歳を超えてもリンゴの唄で全国を駆け巡り、晩年は各地の施設を慰問し、多くのファンを泣かせた。
 彼女は歌手として登用されたとき、悲嘆のどん底にいたという。東京大空襲によって母を亡くし、父と兄を戦地からの帰還船の撃沈によって失った矢先である。監督から「明るく歌え、明るく演じろ」といわれても家庭的不幸からなかなか思うようにならなかったが、「リンゴの唄」のもつ生命感に勇気づけられるような不思議な力に少しずつ癒され、この歌によって希望を持つようになり救われたと、生前に述懐している。
 映画はヒットしなかったが、歌は爆発的にヒットし、戦後最も寿命の長いレコードをつくり、「戦後50年スペシャル、究極の昭和歌謡史」のステージでナンバーワンにランクされた。
 「いい歌というものは、すべて人を勇気づけ、元気にさせる力を持っている」、とは彼女の信念で、老人施設を慰問する場合、歌を通じて記憶を蘇らす効果や痴呆行動がある程度の期間少なくなったともいう。
 車いすの人が彼女の歌を聴いて立ち上がり、数日間歩いたとか。拍手や手拍子ばかりでなく、立ち上がって指揮をとる真似、女性では歌に合わせてスキップを踏む人もあるとか。施設側の反応が歌の寿命の秘訣を物語っている。
 この歌には一般には知られていないが、一番の歌詞が幻となり、改作されている。
 最初の一番は「リンゴ畑の香りにむせて、泣けてくるよな喜びを、若さに濡れてるリンゴの瞳」だったが、「泣けて」という暗さや悲しみの言葉のないようにと作詞のサトウハチローが削除した、という。これは裏話であるが、作曲ともども「明るく、明るく」が歌の命に宿ったといえよう(禅と念仏社刊、季刊誌・禅と念仏創刊号参照)。【押谷盛利】

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2012年01月12日

官民一体の文化発信(見聞録)

 「テレビをつけると、ドラマやCM、バラエティ番組、歌番組に韓流スターが続々と登場してくる。街なかでもK—POPの軽快なリズムが流れている。今や、一部のファンが支える一過性のブームではなく、日常生活に浸透した韓国ブランド品になりつつある」—。
 これは在日韓国人団体「民団」が発行する民団新聞の1月1日付け特集記事。「止まらぬK—POP人気」「韓国ブランド押し上げ」との見出しで、「スタイルよし、ダンスよし」の韓流スターが日本の音楽界、テレビ界で大活躍していると報じている。
 韓流スターの活躍の背景には、世界への文化発信を目指す韓国政府と、海外戦略を狙う韓国企業が一致してブランド化を推進していることにある。
 韓国は自国市場がそれほど大きくないことから、海外に活路を見出している。文化芸術振興予算は1兆4000億ウォン(約1000億円)を超し、国家予算比では日本の7倍以上になる。さらに、世界20カ所にある韓国文化院などの予算も年々拡大している。
 ウォン安を背景にヒュンダイやサムソンなどの大手メーカーが世界規模で輸出を伸ばしているのも国策のたまものだ。
 官民一体の文化発信が実り、今ではショッピング、グルメ、美容の国として認知され、年間300万人もの日本人が大挙して韓国を訪れている。滋賀県民全員が年間3回も同国を訪れている数だ。
 小生も年末、ソウルに出掛けた。日本人の多さは予想していたが、驚いたのはどこでも日本語が通じ、旅の最初から最後まで日本語しか話さなかったこと。ホテルはもちろん、ソウルの繁華街を歩けば日本語の呼び込みに、日本語の看板。コーヒーショップやコンビニの店員までカタコトの日本語を話せた。
 街中は日本人観光客で大賑わい。デパートの高級ブランド店には行列ができ、化粧品店では話題の「カタツムリクリーム」に殺到していた。
 「安いですよ」「今だけ割引」「見て行って下さい」との呼び込みに加え、「完璧なニセモノあります」との怪しい声。
 こうも日本語に溢れるソウルの街を歩くと、時折、ニュースで伝えられる反日デモや反日運動はいったいどれほどの規模で起こっているのか、怪しく思う。ひょっとして左派メディアが過大に伝えているのではないのか、そういう錯覚を抱かせた。

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2012年01月11日

ふるさとの山に向ひて

 車を運転中、ラジオから流れてくる古い歌謡曲に思わず、聞き惚れることがある。
 いつの世も愛唱されている一つに「誰か故郷を思わざる」がある。西条八十作詞、古賀政雄作曲のこの歌は霧島昇が唄って大ヒットした。昭和15年の歌であるからもう70年以上も歌い続けられているのだから、その寿命は長い。この歌詞のどこが人の心をとらえているのだろうか。
 「花摘む野辺に、日は落ちて、みんなで肩をくみながら、唄をうたった帰りみち、幼馴染のあの友この友、ああ、誰か故郷を想わざる」。
 日本の平和な、のどかな農村の原風景であり、だれもが、懐かしさを覚えて涙ぐみたくなるような情緒が漂う。
 故郷は古里であり、生まれ育った悲喜の織りなす不思議な夢の世界でもある。思い出はおぼろげであるが常に甘酸っぽく、ときには虹の如く、いつ、どこでもふんわりと胸をさわがせ、少年や少女に返らせる。
 故郷といえば、だれの心にもなつかしく響くのは石川啄木の歌である。
 「ふるさとの山に向ひて言ふことなしふるさとの山はありがたきかな」。
 故郷は山であり、川であり、兎を追い、小鮒を釣り、薪をし、山菜を摘み、蛍狩りした思い出が詰まっている。
 啄木の歌にはこんなのもある。心浮かぬ思いで故郷に帰る列車の中での歌。
 「汽車の窓はるかに北にふるさとの山見え来れば襟を正すも」。
 古里の山が見え始めたら、つい心がときめいて思わず襟を正したという素朴な故郷賛歌。
 直接、古里には関係ないが古里の甘いノスタルジアを背景にした次の歌は特に有名である。
 「東海の小島の磯の白砂にわれ泣きぬれて蟹とたはむる」。
 啄木の「悲しき玩具」には次のような悲痛な歌もある。
 「今日もまた胸に痛みあり、死ぬならば、ふるさとに行きて死なむと思ふ」。
 自分の死と古里を詠んだ歌には昭和55年に発表した山崎方代の「骨壷」が忘れられぬ。
 「ふるさとの右左口邨は骨壷の底にゆられてわがかえる村」。
 あちこちさまよって歌一筋に生きてきたが、最期は骨となって骨壷の底にゆられながら古里に帰ってゆくのだ。彼は生きているうちに自分の墓を整備し、寺の住職に骨はここへ納めてほしいと遺言している。
 「江口きち」という歌人が昭和11年に出した歌集「武尊の麓」にも切ない故郷が歌われている。
 「武尊根は吾が生れどころ小さきいのちいのち終わらば眠らむところ」。
 江口きちは大正2年群馬県生まれ。家庭運悪く、若いころ母を亡くし、知的障害の兄を看ながら、人生に絶望し、昭和13年、26歳で兄と心中している。死の直前、書き残した次の2首はふるさとに想いを残す感動の秀歌である。
 「睡たらひて夜は明けにけりうつそみに聴きをさめなる雀鳴き初む」
 「大いなるこの寂けさや天地の時刻あやまたず夜は明けにける」。【押谷盛利】

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2012年01月10日

「日本を変えたい」(見聞録)

 成人式が8、9日、全国で行われた。長浜市内では8日、長浜ロイヤルホテルなど3会場で開かれた。
 旧友との再会を喜ぶ同窓会気分なのだろう、式典中は終始ざわついていたが、トラブルは無く、無事に式が済んだ。式辞、祝辞、来賓紹介、新成人の誓いなど、淡々とこなして約30分。堅苦しい式典は軽く流して、あとは有志が企画する交歓会で恩師のビデオレターの上映や抽選会で、同窓会気分を盛り上げた。
 他の自治体では数年前から学級崩壊さながらの「荒れる成人式」がニュースになった。今年も会場で飲酒し、ステージに上がっての式の妨害や、バイクの暴走で逮捕者が出た。新成人らしからぬ恒例のバカ騒ぎがすっかり定着し、日本人として恥ずかしい限りだが、これはごく一部に限った話。多くは日本の将来の行く末に不安を抱きながらも、夢や期待を胸に秘めている。
 インターネット調査会社「マクロミル」が行った意識調査によると、新成人の8割が日本の未来について「暗いと思う」と回答しながらも、同じく8割近くが「自分たちの世代が日本を変えてゆきたい」とポジティブに考えていることが明らかになった。
 調査は昨年末、インターネットで全国の新成人500人を対象に行った。
 日本を変える方法として「個人個人が社会貢献する」「一人一人が国民年金をしっかり払う」「日本をもっと海外にアピールする」「国民にもっと情報開示する」などと、具体的に回答している。
 また、「将来の夢がある」との回答も65%あり、「医師になって、人の役に立つ」「人の気持ちに寄り添える看護師に」「結婚して子どもを授かり、家族で幸せな家庭を築く」「教育系の大学に通っており、子どもと関わる仕事に就きたい」など具体的な目標や夢を語っている。
 理想の大人は、父親(42%)、母親(36%)、教師や教授(32%)、学校の先輩(12%)、祖父母(11%)の順番。残念ながら政治家を理想とするのはわずか0・7%だった。
 20 歳になって嬉しいことは「お酒が飲める」(54%)、「選挙で投票できる」(29%)、「一人前の大人として見てもらえる」(25%)と続く。
 男女観については、「デートの支払いは男性が多く出す」との考えは男性65%、女性50%が肯定しているが、「告白は男性がするもの」との考えは男性54%、女性62%で、男性はやや控え目だった。
 人生観についてはほぼ全員が「マナーや一般常識は大切にしたい」「貯蓄は重要だ」と回答し、8 割以上が「何事も、堅実な方法が一番」と考えている。同社は「長期の不況下で培ってきた『真面目さ』をうかがい知ることができる」と締めくくっている。

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2012年01月07日

この20年間の歩み(見聞録)

 あす8日、全国各地で成人式が行われる。「成人の日」は1月の第2月曜と制定されているが、新成人の帰省を考慮して、ほとんどの自治体が3連休の真ん中に当たるあすの日曜日に行う。
 長浜市内でも長浜ロイヤルホテル、湖北文化ホール、木之本スティックホールの3会場で成人式が行われ、1273人が対象となっている。
 滋賀夕刊では長浜、東浅井の新成人のうち、交歓会「新成人を祝うつどい」を企画する実行委員会の何人かに声を掛け、成人式を迎えるにあたっての気持ちや決意を綴ってもらった。詳しくは2、3面で紹介しているが、いずれの新成人もしっかりとした書きっぷりで、特に親への感謝の念がにじみ出ている。
 さて、今年の成人式は1991年4月2日から1992年4月1日に生まれた新成人が対象。当時の日本、世界の世相はどうだったのか、振り返ってみると—。
 1991年は、今は亡き独裁者サダム・フセイン率いるイラク軍のクエート侵略に端を発した湾岸戦争が勃発した。米軍を中心とする多国籍軍が圧倒し、地上戦はわずか100時間で終了した。夜空を裂く砲弾の嵐がテレビで生中継されたのが衝撃的だった。また、アメリカと経済・軍事力を競ったソビエト連邦が解体したのもこの年だった。
 国内はバブル景気が崩壊し始めた頃だった。一時は3万8000円を超えていた日経平均株価2万5000円前後を推移。それでもきのう6日の8390円と比べるとまだ3倍あった。
 そんな中、約3000億円の資金が不正取引のあげく闇社会に消えたイトマン事件が発覚した。翌年1992年の東京佐川急便事件では自民党副総裁の金丸信氏が5億円の闇献金を受けていたことが明らかになった。他の大物議員、闇資金のルートは解明されないまま事件は終結した。当時は他にも大企業の不正取引が発覚し、多くの資金が政治家や闇社会に消えた。
 新たな自然の脅威も見せつけられた。雲仙普賢岳で大規模な火砕流が発生し、警戒にあたっていた消防関係者や、報道関係者ら43人が死亡・行方不明となった。
 また、42人が亡くなった信楽高原鉄道事故も1991年のことだった。
 相撲界では若花田、貴花田による若貴ブームで盛り上がる一方、千代の富士が引退し、世代交代を印象付けた。テレビは「東京ラブストーリー」や「101回目のプロポーズ」などの恋愛ドラマが注目された。
 こう振り返ると、ちょうど20年前は、景気は上昇するものと思い込んでいた戦後日本人が初めて不景気の足音を聞いた年であった。そして、ソ連解体で東西冷戦に終止符が打たれ、世界平和への期待が高まっていた。
 この20年間で世の中はどう変わったのだろう。企業と政治家、闇社会との癒着はなくなったか。自然の力を畏れ、過去の災害を教訓にしてきたか。世界は平和になったのか。
 そして何より、我々の心はどうだろうか。豊かになったのか、貧しくなったのか。「成人の日」を機会に、新成人ではなくともこの20年間の自身の歩みを振り返ってはどうだろうか。

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2012年01月06日

ああ、祖師は紙衣で90年

高山町の観念寺住職・明石祐暁師から頂いた年賀状に大谷句仏の俳句「勿体なや祖師は紙衣の九十年」が引用されていた。
 句仏は句仏上人と尊称され、湖北地方では特にその名が知られ、俳句や書道の達人だったからその掛軸などは高価だった。
 明治から大正期の東本願寺の23代門主だった。俳句をもって仏徳を讃嘆する、というまさに仏弟子そのものを自負する俳名であろう。
 あらためて、明石師から頂いた句を昧読する。
 「勿体なや祖師は紙衣の九十年」。
 もったいないことではないか。ご開山(親鸞)は冬の寒い日でも紙の着物で90年の生涯を送られたというではないか。
 祖師は真宗の開祖・親鸞(1173〜1262)のことで、真宗の門信徒は「開山聖人」と崇め帰依している。ところで、紙衣(かみこ)とは珍しい言葉である。紙子、紙で作った衣服のことで、律宗の僧が用いはじめ、後に一般化した。軽くて保温性にすぐれ、近世以降安価なところから貧乏人が用いた。転じてみすぼらしい姿や惨めな境遇の形容の言葉にもなった。虚子の句に「纏うて古き紙衣を愛すかな」がある。
 なぜ、ぼくが紙衣を持ち出したのか、親鸞という真宗開祖の生き仏さんが90年の生涯を紙衣で送られたということを「ああ、なんと。もったいないことよ」と句仏さんは感激されたが、それから100年後のわれわれでさえ、「ああ、もったいないことよ、今の世のこのぜいたくは」と痛切に反省させられるからである。
 「今の世は不安の世である」とか「満たされぬ思いにいらいらしている」とか、新聞や雑誌は書き立てているが、なにをふざけたことを、と一喝したくなるではないか。お節料理一つを例にとっても、自分の手や足を使うのではなく、店での仕上がり品でOKとするばかりか、十二分に味わうこともなく平気で残りを捨ててしまう。
 寒いというが、節電どころか、どこの家も暖房器をフル運転するわ、体にはホカホカをくっつけて寒さ知らず。遊び呆けて都市の百貨店は初詣でのような混雑ぶりで、何が入っているか分からぬ福袋を二つも三つも買うあんばい、着るものはセーター、シャツ、ジャケット、コート、いずれも軽くて厚手の高級製品、毛皮ものが幅をきかし、明治、大正のよう蓑や合羽は見たくとも見られぬ。
 何不自由なく、好き勝手に生きて、温かいコタツで、テレビやパソコンに時を送っている図は、何が不足で何が不愉快なのか、どうすれば心が満ちるのか、不安が消えるのか。
 しっかりさらせ、ととくに若ものたちに訴えたいのである。
 ヒマでハラが減らないのなら、一食抜きで、世間さまへ奉仕へのボランティアでもするがよい。
【押谷盛利】

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2012年01月05日

2012年の宿題(見聞録)

 2012年の幕が明けた。読者の皆さんは、新春をどのように迎え、どのような志を立てたことだろう。
 2011年の東日本大震災は、自然災害を克服できると自負していた我々人間の慢心を打ち砕いた。いや、打ち砕いてくれたと感謝すべきかもしれない。
 原子力発電という核の火に頼っていた我々に、改めて危険性を認識させてくれたと—。
 この正月、フィンランドの核廃棄物最終処分場「オンカロ」を取り上げたドキュメント映画「100000年後の安全」を見た。
 オンカロは高濃度の放射線を撒き散らす核廃棄物を10万年にわたって保管し続ける施設。地下500㍍に設けられた坑道に2100年まで廃棄物を貯留し続け、最後は坑道を埋め戻して完全に封鎖してしまうもの。
 使用済み核燃料に含まれるプルトニウムは生物にとって安全なレベルまで放射能が下がるのに10万年を要するとされ、それまで封じ込めておくわけだ。
 50年先にフィンランドという国やEUが存在するかも分からないのに10万年とは恐れ入った。
 映画は今の文明が滅亡し、新たな文明が誕生したときに備え、地中奥深くに眠る廃棄物を「掘り起こすな」との警告をいかにして残すのか、という点にも触れていた。また、人類の好奇心、探究心から警告は意味をなさず、掘り起こす可能性は否定できない。ならば、すべてを記録と記憶から消し、森や住宅街にすればよいとの指摘も紹介していた。
 この映画は、未来の人間に向け「今の人間はとんでもなく猛毒のゴミを作り、埋めている。君達はそれに近寄ってはいけない」というメッセージを、皮肉を込めて伝えている。
 昨日4日の滋賀県庁の仕事始め式では、「卒原発」を掲げる嘉田由紀子知事が2012年を「新エネルギー元年」と位置づけた。太陽光パネルや地中熱、バイオマスの利用促進を示し、エネルギーの構造転換を訴えた。頼もしい知事ではないか。
 一方、今の政府はどうか。民主党・野田政権は消費税増税に政治生命を掛ける決意で解散総選挙もいとわない姿勢だ。
 増税は少子高齢化社会でも持続できる社会保障制度の構築のためであり、孫子の負担を軽減させるためでもある。しかし、増税の前にするべきことは沢山ある。衆院選挙で公約に掲げていた公務員制度改革や議員定数の削減に手を付けず、バラマキ政策を改めず…。何より原発依存からの脱却の道筋はどうつけるのか。
 なにも増税だけに、政治生命をかける必要はあるまい。
 早ければ今年4月にも解散総選挙が訪れるであろう。争点は社会保障制度改革、増税、エネルギー政策など我々の生活に直結する課題だが、いずれも孫子、そして未来への宿題でもある。便利すぎる生活を安穏と貪ってきたツケを払うため、痛みを伴う決断が迫られる。
 2011年に与えられた教訓を生かし、我々は意識を変化させることができるのか。それが2012年の宿題だろう。

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2012年01月01日

何に追われる短い娑婆ぞ

 明日、明日といっているうちに1週間はあっという間に過ぎてゆく。1週間どころか1年の早いこと、昔の人は光陰矢のごとしと形容した。
 人それぞれが正月を夢み、年の初めを花飾りするが、夢は先細り、花は萎れて枯れてゆく。なんでこんなに日が早いのだろうと考えると、不本意なことながら木枯らしに飛ばされる散り葉のように、川を流れる菜屑のように追われ追われて消えてゆく。これは宿命。それにしても超大忙しの現代である。
 なんで追われるのか、時間がないからである。原始時代も一日は24時間、農業社会も24時間、工業化社会も24時間。なのに今の情報化時代は時間がないという。
 超スピード時代を生きているわけだから、時間にゆとりがあって当然ではないか。歩く時間、作業する時間、家事労働、みな時間が短縮されているはずだから、時間が余り、ゆとりがなくてはならないのに、おかしいではないか。その疑問に答えるヒントはコンピューターにあるのかもしれない。
 国民はみんなパソコンの奴隷になりケータイに拘束されている。読書すること、思索すること、自然に触れ、あるいは美を鑑賞する習慣さえ奪われて情報化の波間に漂っている図が現代人の大忙しの背景になっているのではないか。逆にいえば、手や足や頭を動かす労を省くための省力産業のお陰で人間の体は楽ができるようになり、その分食べたり、だべったり、遊ぶ産業がその空いた時間や楽な体を吸収するようになった。国民総遊び化現象は身近な例では長浜の黒壁周辺や彦根のお城遊覧の人出、あるいは江・三姉妹の小谷山城跡の賑わいで知ることができた。
 パソコンやケータイにうつつをぬかしていると時間を忘れるが、テレビやラジオは深夜をつきあってくれるし、必要なものは夜中でもコンビニが待ってくれている。
 うまいものを食い漁り、腹の肉が出てきたというので体操やマッサージ業のご厄介になり、体調がおかしいといっては薬漬けになったり、眠れないといっては睡眠薬を、といった調子で、現代を諷刺すれば「いらいら社会」というべきだろう。いらいらはストレスの元凶であり、ストレスが病院をはやらせ、医療費を増高する。
 なんてことはない。便利で快適、スピーディな現代の高文明社会を生きながら、みんながいらいらのストレスを抱えて、そのうちの何%、何10%かは知らないが、濃い薄いの差はあっても鬱などの精神症に関わっている。自覚するしないは別に、ある日突然婦女子や幼児を襲ったりする。もの盗りをしては人を殺す。蛙をひねるようにいとも簡単に人を殺める。隣人が、「おとなしい人」、「朝夕の挨拶もするし、おかしなことをする人とは思えないし」と語っているのに。ちんぷんかんぷん分からない下卑な犯罪や痴漢まがいの事件が頻発しているのは現代の大忙し社会の裏返しではないか。
 時間に追われているアホーな生き方を反省してゆっくり、楽しく、創造的な人生を新年の目標と人にも自分にも奨めたい。【押谷盛利】

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