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悔いを残さぬ戒めとして

 十一月はさむざむと初冬の感じを深くするが、それに追いうちをかけて淋しい葉書が毎日のように届く。
 喪中につき年末年始の挨拶を遠慮する、という便りである。
 人は老少不定、いつかは死なねばならぬが、身内や親しい人、知人の死には格別な悲しみと思いが残る。
 人生の無常を説く鴨長明の方丈記は冒頭に「河の水は止まることなく流れるが、その水はもとの水ではない。よどんだところに浮かぶ水の泡も消えたかと思うとまたできたりして、いつまでもそのままではいない。世の中の人を見ても住居をみてもやはりこの調子だ」と、いわゆる人間界の無常を訴えている。
 人生の無常観での随筆では、方丈記とともに古くから親しまれているのが吉田兼好の「徒然草」である。その155段に有為転変ともいうべき人間の宿業を書いている。それを兼行は「生・住・異・滅」といっている。物が生じ、存続し、変化し、滅び去ることであるから「生・老・病・死」と同じ意味といってよい。
 そこで彼は、真の大事は、水勢の激しい河が満ち溢れて流れるようなものだ。しばしの間もとどまることなく、滅してゆかねばならぬ。だから、僧であれ、俗人であれ、必ず成し遂げようと思うことは時機を問題にしてはならない。あれこれと準備などせず、足を踏みとどめたりしてはならぬ、思ったことは直ぐ実行にかかりなさい、と、これは呑気に構えているわれわれへの忠告であろう。
 またこんなふうにも言っている。
 生・老・病・死のめぐってくることは春夏秋冬の四季以上に早い。四季には順序があるが、死は時期、順序を待たない。人はみな、死のあることを知っていながらいつのことかと呑気に構えているうちに思いがけずやってくるので大あわてするのだ、と、無常観を説いている。こうして人は、来る年ごとに加齢してゆくが、去年のわれが今年のわれと違うように、来年のわれがどうなるかも未知数である。
 昔から言われているように「年年歳歳花相似たり、歳歳年年人同じからず」である。
 毎年毎年、花は変わることなく咲く。しかし人間はそうはゆかない。年もとるし、病気もするし、はかなくこの世から消えてゆく。大自然に比べての人間のはかなさを言った教訓であるが、いま、年末の挨拶遠慮の葉書を読むと、まさにこの娑婆の有為転変を思わぬわけにはゆかぬ。
 早くも十一月が半ばを過ぎたからいうわけではないが、月日の経つのはまことに早い。その時間の早さを象徴するように、いまの日暮れがまた早い。午後5時になると日が沈みかける。そして、その沈みっぷりがまた早い。つるべ落しの早さとはうまく言ったものだが、人生そのものも後が待ったなし。そして、今年も待ったなしの超特急である。思っていたこと、気がかりなことは、せっせと処理して、くよくよと悔いを残さぬよう。これはぼく自身への戒めである。【押谷盛利】

2011年11月18日 10:37 |


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