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狂いの多い現代の悲劇

 人が人を殺す異常な世相が毎日のように繰り返される。
 ぼくが新聞記者になった新米のころ一番関心のあったのは事件だった。その中でも突出して緊張したのは人の死である。人の命ほど尊いものはないから記者が事件を追い、自殺や他殺の取材に全力投球するのは当然である。
 殺人事件については先輩が取材上の予備知識を教えてくれた。
 殺人は大別して3つのパターンがあり、それは「もの盗り(強盗)」、「痴情(男女間のもつれ)」、「怨恨(うらみ)」であり、どのケースによるものかを察知して、そこから犯人を捜すのが原則だというのである。つまり人を殺すには何らかの因縁があり、犯人は必ず有形無形の足跡を残しているはずで、世にいう完全犯罪などありはしないという事件記者のイロハだった。
 しかし、時代の変化は事件や殺人事件にも過去のデータや捜査上のイロハが通用しなくなり、予想だにできぬ突発事件が起きるようになった。
 突然銃を発射したり、繁華街の通行人をめがけて車を乗り入れたり、いわゆる理由なき殺人事件がこれである。自殺にしてもそうである。半世紀前は子供の自殺はなかった。それが今では「いじめ」による暗い事件が珍しくなくなった。だれでもよいから殺したかった、という男や、面白いからいじめたという生徒がいたりして、ぼくのかけ出し記者のころには思いもよらぬ他殺、自殺がひんぴんである。
 人は本来、人を殺すことはしないし、自ら自分の命を殺めることをしない。世の中が狂っているのは事実だが、ぼくに言わしめれば他殺も自殺も狂いによる。客観的に見て、狂っている証拠はないかもしれぬが、正常な精神状況下で人を殺したり、自分の命を断つ人はない。
 芥川賞の芥川龍之介やノーベル文学賞の川端康成の自殺もあるが、まともでありながら、ある日、ある瞬間、心の狂いが自死につながったとぼくは見る。
 自殺願望もあるではないか、と反論する人もいようが、理由なく自分の命を絶とうと思うこと自体狂っているのである。なぜなれば、人は生まれてこの方、本能的に生きようとし、食べたり、動いたり、働いたりする。だからケガすれば痛いから気をつけたり、手当をする。生きる本能が強いから身を守り、生活を工夫し、クスリや治療法が開発された。そういう意味では死は地獄であり、最大の恐怖である。何としてでも避けたいのが普通の人間である。
 いわんや、他人の生命を傷つけ奪うというのは許せない犯罪であり、犯人は長期の刑務所行きか死刑に処せられる。強盗であれ、色沙汰であれ、うらみであれ、原因は物欲や色欲、名誉欲、自分のエゴがからんでいる。それなのに自分の人生を刑務所暮らしや、死刑にされたのではナンセンスである。わりが合わぬどころの話ではない。ああなれば、こうなる、こうすれば、ああなる、というまともな思考がプツンと切れての発作的衝動が人を殺すのである。殺しの請負という犯罪もあるが、これも精神発作であり、いずれにしても正常な心によるものではなく、その瞬間は狂っている。
 その狂いをただすことよりも助長する空気が広がりつつあるのが現代の悲劇である。【押谷盛利】

2011年11月11日 18:07 |


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