滋賀夕刊新聞社は滋賀県長浜を中心に政治、経済、文化の情報をお届けする新聞です。



2011年11月30日

歳月人を待たずの自戒

 いよいよ明日から今年の最終盤12月に入る。
 なんだかんだといいながらも歳月は人を待たず。
 今年の正月に、人は何を誓ったか、どんな覚悟で新年を迎えたか、たいていは、けろりと忘れて、その日、その日に追われながら一つ齢を重ねてゆく。一年365日、無事、平穏、めでたし、めでたしと振り返れる人は希有な幸せ人であろうが、生き身の人間、事故もなく病むこともなく、失意にいっさい無縁という人は少ない。
 人の死は悲しいし、まして身内や恩師、友人の死は大変な精神的ショックを受ける。考えれば、生きている以上、どこかで、だれかが必ず死んでゆく。
 死亡欄を見て、90歳100歳の高齢者ならば「順番」という言葉がひそかな安堵感をもたらすが、この世は無慈悲と言うか、順番通りにはゆかない。我が子の死を逆縁というが、順番違いも一種の逆縁かもしれない。順番通りに長寿者から逝けばいたずらに嘆き悲しむこともないが、順番が狂って逆縁となれば涙のかわく間もない悲痛に身が細る。
 人はいつお迎えが来るか分からないから、案外呑気にしているが、「あなたのお迎え日は何年何月何日です」と予め知らされていれば、これは一大事である。知らぬがホトケというが、知らないから道草したりデタラメを漕いだりする。考えればそれでよいのかもしれん。いつかの時評で「あてがい」について書いたが、波乱万乗の生涯もあてがい。憎まれ、そしられ、嫌われて去るのもその人のあてがい。順風満帆の船も嵐の逆境のなかで泣く人生もあてがい。
 だが、善根が善果を生むというから、人にはやさしく、親切、健康なれば、世のため人のために汗をかく。こつこつ気張って一家の暮らしや世間に役立つ人生を送ることが出来ればまずまずのプラス人生といっていいのではないか。それにしても、長寿者が多くなったことは喜ぶべきことといわねばならぬ。ただし、これには条件がある。健康で長寿すること、これである。寝たきりや、スパゲティー状に管を体のあちこちに入れるのはご無用である。
 寿命が来ているのに無理に心臓だけを動かそうとするのは人間を実験台にしているだけで、医療費の無駄はもちろんのこと、家族にとっても幸せとはいえない。しかし、だれも好んで病床にある人はいない。病むのは嫌だけで、結局病んでしまったということだろうが、そういう先例をたくさん見てきているのだから、病まないよう、転ばなぬ先の杖を考えて普段の生活のなかで、病気にならぬ分別や養生法、健康法を学び、実践するしかない。それについて、考えることにする。
 参考になるご意見があれば小生宛へお送り下さい。【押谷盛利】

| | トラックバック ( 0 )

2011年11月29日

株主提案権の行使を(見聞録)

 前大阪府知事の橋下徹氏が27日の市長選で民主、自民、共産党が相乗りした現職を破り、圧勝した。有権者は、閉塞感のある日本・大阪の大改革を橋下氏に託し、その期待感は投票率の低さで知られる大阪市で60%を超えたことが代弁している。
 橋下氏が選挙戦で特に訴えたのは二重行政を廃する大阪都構想、教員と職員の質向上を目標とする教育基本条例、職員基本条例の制定だった。
 いずれも自治体の無駄を省き、効率と質を向上させるための荒療治であり、今の行政システムに胡坐をかく政治家や公務員はこぞって反対した。党派を超え、右も左も打倒・橋下を掲げたが、有権者は橋下新市長を切望した。
 二重行政の解消のお手本として、都構想の実現を見つめたい。
 教育・職員基本条例は、誰もが手を付けられなかった「聖域」に果敢に切り込む歴史的転機となり、その成り行きを全国民が注視するだろう。
 そんな大阪市の橋下氏に、遠く離れた長浜市民として期待するのは原発問題への対応である。
 滋賀県は25日、関西電力美浜原発で福島第1原発事故と同規模の事故が発生した場合の放射性物質拡散予測を公表したが、長浜、高島のみならず、琵琶湖を超えて湖南地域にまで飛散することが明らかになり、滋賀県が原発事故に無縁ではいられないことが、改めて示された。
 今年5月、長浜市議会が原子力安全・保安院の地域原子力安全統括管理官を招いて研修会を行った際の管理官の言葉が今も耳に残っている。「事故が絶対に起きないようにやっているが、科学的に(事故の可能性は)ゼロにならない」。原子力安全・保安院の担当者が、事故が100%起こらないなんてことは保証できないと言っていることにショックを受けた。
 そこで、橋下氏。彼は選挙戦で原発依存からの脱却を掲げていた。対立候補の現職も脱原発を公約にしていたから目立った争点とならなかったが、市長選で訴えたこの公約の意味は大きい。
 というのも、関西電力の筆頭株主は大阪市。そのトップが訴えるのだから、脱原発への足がかりは出来たのではないか。
 原発隣接県に住む者としては、原子力発電の必要性、恩恵を認識しながらも、福島原発事故の惨状を知るにつけ、この湖北地域でも人が住めなくなったり、放射能の数値を測りながら生活を送ったりという可能性が、将来0%ではないという点を恐れる。
 橋下氏には、脱原発依存と自然エネルギーへの転換に向け、関電に対し株主提案権を行使してもらいたい。

| | トラックバック ( 0 )

2011年11月28日

日本のリーダー橋下徹

 2011年11月27日、日本の大阪が世界の大阪へ飛躍するシグナルが高々と輝いた。
 仁徳天皇の難波の都、豊臣秀吉の大阪城を思わせる世紀の大変革が民主主義のルールに沿って華々しく第一歩を踏み出した。
 注目の大阪府知事、大阪市長のダブル選は、地域政党・維新の会が完勝し、前知事の橋下徹氏(42)が市長に、維新幹事長の前府議・松井一郎氏(47)が府知事に当選した。
 まさに橋下旋風が大阪を変え、日本を変える歴史的スタートのセレモニーにふさわしく、全国民の注目を浴び、かつ、その心を沸かした。
 NHKテレビは、国民の視聴率最高の「江姫」最後の番組を予定より半時間早めて放映したが、大阪の選挙結果報道が黄金番組の時間帯を狂わすほどに重視されたことは、これの発信が世紀の大事業と革新したにほかならない。
 NHKは27日夜8時、投票締め切り直後、早々と橋下、松井の市長、知事の当確を流した。当日の出口調査とこれまでの取材結果の総合データによる確かな読みによる。維新勝利のニュースは地響きを打って全国をかけめぐり、大阪では号外が深夜の繁華街や私鉄のターミナルで通行人の足を止めた。
 この選挙結果を松井知事は改革(維新)への第一歩とし、身の引き締まる重みを感じると語った。満面の笑みで報道陣の前に立った橋下新市長は信任された大阪都構想は知事を先頭に推進することを明らかにし、法整備で国会議員の協力が得られぬ場合は国政へ維新の会の候補を立てるとも明言し決意の強さを訴えた。
 また、市議会で否決された維新提案の「教育・職員基本条例案」については市長提案するとし、市政改革に対する選挙の結果について、これまでの職員は市長選を単なる椅子獲得のセレモニーくらいにしか考えていず、民意重視の政治主導が軽んじられてきたが、反対論が出尽くした上での有権者の出した結論(選挙結果)は重い。行政組織は選挙結果をしっかり受け止めないといけない。予算については意味の分からない補助金や市職員の給与体系も見直す。民意を無視する職員は去ってもらう、などと、力強く、改革への抱負を語った。橋下氏は、選挙前から、大阪を変えれば国も変わる。そして大阪が世界の大阪になれるとも語った。
 今回の選挙の意味は民意が政治を変えるという大鉄則を内外に示したことだ。日本の政治は中央も地方も表面は選挙を通じ民主主義の顔を見せているが、実質は官僚主導で、役人政治だった。それに業界が癒着し、国家・国民を思う心が疎んじられてきた。行政改革の一つを取り上げても大きな壁に遮られ、政治が選挙のための政治となって、腐敗の温床となり、利権政治を生み出した。
 橋下改革の叫びはリーダーを求めていた国民の声に応えるものだった。名古屋を変えるべく立ち上がった減税の河村市長、正論と国家意識の上に立って信頼を集めている石原都知事、政党では国政改革へ期待されているみんなの党の渡辺代表。
 ゆくゆくは新しい日本の舵取りとなる政界再編成につながるが、それには垢のついた古い政治家ご無用である。【押谷盛利】

| | トラックバック ( 0 )

2011年11月25日

大阪都構想の選挙と改革

 終盤を迎えての大阪市長、府知事選は国政レベルの脚光を浴びている。地方の自立と行政の若返りの側面から国民全体の問題として関心が高まっていることはとてもいいことだ、とぼくは思っている。
 東京都は石原知事が生まれてからその格が上がり、世界の東京として重きが置かれるようになった。日本を二分する大都市は東に東京、西に大阪である以上、大阪が頑張ることで日本がよくなり、発展することにつながると思うし、関西や本県ばかりでなく、大阪以西の中国、四国、九州もまた大阪の飛躍発展に影響されるのではないか、とぼくは大阪に大きな期待をかけている。
 だれがなんと言おうと地方の発言力を大きくし、国民の身近かな諸問題で本音を堂々と発信しているのは橋下前知事である。府民の絶対的信頼感の上に立って、自分の良心と見識に基づいて有限実行のお手並を見せてきた。地方の首長はかくあらねばならない、という見本を彼は全国に示した。
 府知事として目に見える改革と実績を残した彼が地方自治大阪の窮極の目標を大阪都の実現においたのは正論であるが蛮勇でもある。40歳代の若さと知性と行動力の彼をして大大阪都建設への蛮勇を振るわしめているのは政治改革という神の御心であろう。
 大阪都実現で大阪市が潰されたのではたまらん、と平松現市長が再選へと自、民、共の支援を受けているのが今回の市長選。見た目にはがっぷり四つに組んでいる構図だが、大阪市民がアホーでない限り橋下氏が勝つとぼくは見ている。
 その理由を簡単に上げる。
 先ず両者の年齢である。40歳代と60歳代の20歳も違う年齢差は改革を推進する上において見逃すことの許されないポイントである。政治は改革と発信と実行力だが、この3点における2人の対比はあまりにも鮮やかである。
 橋下は風を起こした。彼の手による維新の会は府議員の過半数を握ったばかりか、市議会においても第1党の勢力を占めるに至った。まさに上昇気流に乗った感じだが、これは彼の行政改革と減税への勇猛心にもよるが、小・中学の学力検査の学校別公表とか、朝鮮人高校への補助に対する毅然とした態度とか教育向上と愛国心に対する府民の素朴な共感によるものだろう。
 大阪府・市民の共通の願いは行政の枠のこだわりを払っての徹底した改革と役人減らし及び減税であるはず。水道、下水道、老人福祉、その他、市と府による二重行政の無駄があるが、現職の平松氏はとりでを崩さずこれまで通りの大阪を守るというが、革命期の戦いは古来、攻める側が民衆の支援に勢いづき、守る側がとりでのほころびに苦しむのが歴史の必然となっている。
 今回の大阪市長選は改革か従来路線か、二者択一の戦であるが、それも国政的レベルの大革命か、現状保持かの大戦争である。
 しかも、この大戦争には、至近の距離にある次の国会解散、総選挙の思惑がからんでいるから国民としても目が離せない。国民の多くは大阪の維新に注目している。それは国政における大改革を願っているからであり、橋下流の英雄を待望しているといっていい。それは大阪維新と中央の国会改革派の統一戦線による世直しであり、あらたなる平成の新日本建設である。【押谷盛利】

| | トラックバック ( 0 )

2011年11月24日

「ぼけたらあかん」(見聞録)

 「年をとったら出しゃばらず 憎まれ口に泣き言ごとに 人の陰口愚痴言わず 他人のことはほめなはれ 聞かれりゃ教しえてあげても 知ってることでも知らんふり いつもアホでいるこっちゃ」
 先日、「ぼけたらあかん」とタイトルされた人生訓が近所に配布されていたと、社員が会社に持ってきた。含蓄とユーモアのあるその文句、そのリズムをたちまち気に入り、コピーして手元に置いている。
 「勝ったらあかん負けなはれ いずれお世話になる身なら 若いもんには花持たせ 一歩下がって譲るのが 円満にいくコツですワ いつも感謝忘れずに どんな時でもヘイおおきに」。
 関西弁のこの人生訓は6章まである。
 作者は明治期に大阪市内で古本店「天牛書店」を立ち上げた天牛新一郎翁。
 翁は「高く買って、安く売る」をモットーに良心的経営を行い、若き日の折口信夫、武田麟太郎、長谷川幸延、藤沢桓夫らが「われらが古本大学」と呼んで通い詰めるなど、文学青年のたまり場として愛された。日本橋店の2階に設けた100畳の大広間を演芸会場として開放し、素人浄瑠璃などが演じられた。常連客の織田作之助は出世作「夫婦善哉」で天牛書店を登場させている。
 司馬遼太郎や安藤忠雄も訪れ、永六輔は「僕は大阪に来て『天牛』によると、やっと大阪にいるという感じがしてくるのである」と語っている。
 これほどに文学人に愛された名物店主が94歳で新聞紙上に投稿したのが「ぼけたらあかん」だった。
 講演会や仏事の説法で紹介されたり、亜流が出回ったりと、今でも幅広い世代で共感を呼んでいる。
 「お金の欲は捨てなはれ なんぼゼニカネあってでも 死んだら持っていけまへん あの人はええ人やった そないに人から言われるよう 生きてるうちにばらまいて 山ほど徳を積みなはれ」
 「昔のことはみな忘れ 自慢ばなしはしなはんな わしらの時代はもう過ぎた なんぼ頑張り力んでも 体がいうことききまへん あんたはえらいわしゃあかん そんな気持ちでおりなはれ」
 翁の人生訓が心にこうも響くのはなぜだろうか。

| | トラックバック ( 0 )

2011年11月22日

リニアと滋賀の交通網(見聞録)

 JR東海は21日、東京—大阪間で2045年に開業予定のリニア中央新幹線について、神奈川、山梨、長野、岐阜、三重、奈良の沿線6県に整備する中間駅の建設費を全額負担することを明らかにした。
 地元負担を前提としていたこれまでの計画から180度の方針転換で、自治体との負担協議で時間がかかることを嫌った判断だ。
 これにより総工費は当初の9兆0300億円から5800億円の負担増になる。
 さて、地方でのJRの駅舎整備などは、地域経済の振興が期待できることから、地元負担が通例だった。
 例えば、5年前の北陸本線直流化。北陸本線の電流方式を「交流」から、関西圏と同じ「直流」にすることで、長浜以北に関西圏からの列車がそのまま乗り入れるようになった。
 地元は琵琶湖環状線構想が実現したと、大喜びだった。鉄道利用者の大幅増、通勤・通学圏の拡大と域内就業機会の上昇で、過疎化に歯止めをかけられ、湖北、湖西地域に経済効果をもたらすと、県は喧伝した。
 総事業費161億円のうち、県と沿線の3市6町が75億円、福井県側が68億円を負担した。
 しかし、蓋を開けるとどうか。県北部の運行ダイヤは便利になったとは言えず、JR米原駅での接続の悪さに、少なくとも従来から長浜駅を利用している市民には不便になった。
 多額の税金を投入した北陸本線直流化は、「ダイヤの充実」という誓紙を書かないまま、自治体に工事費のほとんどを拠出させたJR側の商売上手だった。
 さて、今度のリニアは滋賀県内を通らないため地元負担は発生しないが、滋賀の交通網にどのような影響を与えるのだろうか。
 県の交通政策課に問い合わせたところ、担当者は「新幹線『のぞみ』の役目はリニアが担い、新幹線は『こだま』と『ひかり』中心になるのではないか。新幹線米原駅の使い方を、リニア名古屋駅への接続の観点から考える必要がある」とし、三重県内のリニア駅へのアクセスのため草津線の充実も検討課題になるとした。
 県は目下、2030年を目標とする「滋賀交通ビジョン」を策定中で、その協議の中でリニア開通の影響を検討するという。
 ところで、リニアが開通すれば、東京—大阪間を結ぶ線路は新幹線、在来線を含め3路線になる。
 人口減少が進むこの日本で、少子高齢化、生産年齢人口の減少、企業の海外シフトなどを考えると、輸送量の上昇は見込めない。
 そんな条件下で、JRが将来にわたって3路線を運営し続けるのだろうか。
 関西と東海、北陸を結ぶ交通の要衝である滋賀だからこそ、リニア開通によるマイナス面とその克服方法についても、同時に考える必要がある。

| | トラックバック ( 0 )

2011年11月21日

極楽とありがたや日本

 地獄・極楽はあるのだろうか、と聞かれたら、あなたはどう答えますか。
 あると思えばある、ないと思えばない。と無責任に答えるのが無難なようだが、人生を幸せに意義深く送るのには「ある」と信じた方が賢いようにぼくは思う。
 日本シリーズは、20日の第7戦までもつれたが、パ・リーグ代表のソフトバンクが完勝して日本一の座を射止めた。
 4年前と去年、今年と連続挑戦した中日の3度目の悲願は空しく潰れた。勝者の秋山、敗者の落合両監督の幸福度は月とスッポンである。勝った瞬間の秋山氏は極楽、その逆に落合氏は地獄の心境だったに違いない。
 胴上げされた秋山監督は選手一人一人にねぎらいの言葉をかけ、目に涙を浮かべていた。
 落合監督は無念やるかたなく、憮然として無表情だった。勝負の世界は厳しい。落合中日は、在任8年間で優勝4度、2位3度、3位1度という輝く実績を残したが、球団は契約期限通りに今年で落合を辞任させる。
 無愛想だとか、人気がないとか、世間はいろいろいうが、おれ流で、ここまで中日球団を檜舞台に立たしめた功績は特筆して称賛すべきであろう。
 伝統の巨人・原監督、阪神・真弓監督の不甲斐ない泣きべそ姿と比べれば落合監督の英姿は燦然と球史に残るだろう。
 さて、日本国民、なかでも東北地方の被災地住民に感慨深き癒しの友情を贈ってくれたのはブータンの若き国王夫婦である。
 お二人が新婚旅行に日本を選んだのは、日本の皇室への尊敬と親近感があってのことである。
 ブータン国王のソフトな和やかな表情から幸福度を国是とするこの国のおおらかさ、平和への祈り心が見受けられ日本国民に多大の感銘を与えた。
 日本の国王であらせられる天皇皇后両陛下もまた柔和そのもの。ほとけさまのようにお見受けするが、やはり連綿と続く歴史を伝統に育まれた人徳によるものであろう。皇太子ご夫妻のご表情からも同じくやさしく慈愛に満ちたご人格に魅せられるものがある。
 ブータン国王夫妻の歓迎会は皇室、政府、国会、各界あげての国賓に対する鄭重な挨拶であり、皇太子さんは病状の天皇陛下に代わりそのお言葉を述べられた。
 二度とないこの重要なセレモニーに、日本の法務大臣は、身内の民主党議員のパーティーを優先して欠席した。それもとくとくと、「私はこっちの方が大事と思って、やってきた」と、ふぬけたことをほざいた。こんな大臣をクビに出来ないような野田首相では国民の信は得られまい。中国からのえらいさんの来日に対してはこんな無礼なことをしたり、言ったりはしないだろう。
 ひるがえって、ぼくは自分の幸福度、地獄極楽を考える。
 生きてゆくものの宿命ともいうべき老化はまぬがれず、何もかも鈍くなったが、健康に恵まれ、医薬に縁なく、こうして時評を書くことの有り難さに感謝している。これも神仏と社員、読者のお陰である。それもこれも日本というかけがえのない祖国のふところにあればこそである。ありがたや日本。【押谷盛利】

| | トラックバック ( 0 )

2011年11月19日

婚活戦線、親も援護射撃(見聞録)

 晩婚、非婚化の今、婚活業界は花盛りで、毎週末のようにどこかで出会いを演出するパーティーが開かれている。
 結婚適齢期を迎えた子どもを持つ親にとって、積極的にパーティーに参加し、出会いを求める独身は優等生。しかし、「出会いがない」「いつか素敵な出会いがあるだろう」と消極的だったり、悠長だったりすると、いつまでもずるずると独身貴族を謳歌しかねず、気がかりでしょうがない。
 最近はそんな息子、娘に代わって積極的に出会いを探す親もいる。
 今、京都市の業者が全国各地で開いている親同士の「代理見合い」に、毎回100人前後が参加し、話題を集めている。
 月2〜3回、ホテルなどを会場に交歓会を開き、親同士が子どものプロフィールを交換し合う。1万円程度の参加費で、出会いの場だけを提供し、連絡先の交換やお見合いの日取りなどは、すべて親同士にまかせている。
 そのシステムが分かりやすい。
 参加希望者には事前に申込書を送付し、子どもの職業、学歴、趣味・特技、喫煙の有無、親から見た子どもの性格や長所、相手に望む人柄、交際希望年齢、希望学歴などを書いてもらう。
 全員から申込書を回収し、記された子どものデータを名簿としてまとめ、再度、参加者全員に送付する。
 名簿に記されるのは、例えば▽昭和49年5月生まれ▽長男▽173㌢▽正社員▽大学卒▽初婚▽休日は土・日・祝▽タバコは吸わない▽資格はシステムエンジニア▽趣味はパソコン▽親から見た性格は「思いやりがあり優しい」▽大阪市在住▽希望年齢25〜33歳—など簡単なデータ。名前や詳しい住所、連絡先、年収、写真は掲載されない。
 これらのデータは交歓会の5日程前に参加者に届けられ、「予習」の材料となる。当日は、お目当ての親同士が連絡先や写真の載った「身上書」を交換する。少なくとも10人とは交換するそうだ。
 さて、この交歓会の仕掛け人は旧湖北町出身、虎姫高校卒の脇坂章司さん(78)。非婚、晩婚化を憂い、勤めていた企業を退職後、「良縁親の会」を立ち上げた。その交歓会がテレビや雑誌で取り上げられたことで各地からオファーが寄せられ、今は全国を飛び回っている忙しい身だ。
 同窓会に参加した時、「地元で開いてくれ」との要望を受け、目下、来年1月に彦根市内での開催を企画中。
 なお、交歓会の参加者募集についての詳細は12月初旬に滋賀夕刊の紙面で紹介予定。

| | トラックバック ( 0 )

2011年11月18日

悔いを残さぬ戒めとして

 十一月はさむざむと初冬の感じを深くするが、それに追いうちをかけて淋しい葉書が毎日のように届く。
 喪中につき年末年始の挨拶を遠慮する、という便りである。
 人は老少不定、いつかは死なねばならぬが、身内や親しい人、知人の死には格別な悲しみと思いが残る。
 人生の無常を説く鴨長明の方丈記は冒頭に「河の水は止まることなく流れるが、その水はもとの水ではない。よどんだところに浮かぶ水の泡も消えたかと思うとまたできたりして、いつまでもそのままではいない。世の中の人を見ても住居をみてもやはりこの調子だ」と、いわゆる人間界の無常を訴えている。
 人生の無常観での随筆では、方丈記とともに古くから親しまれているのが吉田兼好の「徒然草」である。その155段に有為転変ともいうべき人間の宿業を書いている。それを兼行は「生・住・異・滅」といっている。物が生じ、存続し、変化し、滅び去ることであるから「生・老・病・死」と同じ意味といってよい。
 そこで彼は、真の大事は、水勢の激しい河が満ち溢れて流れるようなものだ。しばしの間もとどまることなく、滅してゆかねばならぬ。だから、僧であれ、俗人であれ、必ず成し遂げようと思うことは時機を問題にしてはならない。あれこれと準備などせず、足を踏みとどめたりしてはならぬ、思ったことは直ぐ実行にかかりなさい、と、これは呑気に構えているわれわれへの忠告であろう。
 またこんなふうにも言っている。
 生・老・病・死のめぐってくることは春夏秋冬の四季以上に早い。四季には順序があるが、死は時期、順序を待たない。人はみな、死のあることを知っていながらいつのことかと呑気に構えているうちに思いがけずやってくるので大あわてするのだ、と、無常観を説いている。こうして人は、来る年ごとに加齢してゆくが、去年のわれが今年のわれと違うように、来年のわれがどうなるかも未知数である。
 昔から言われているように「年年歳歳花相似たり、歳歳年年人同じからず」である。
 毎年毎年、花は変わることなく咲く。しかし人間はそうはゆかない。年もとるし、病気もするし、はかなくこの世から消えてゆく。大自然に比べての人間のはかなさを言った教訓であるが、いま、年末の挨拶遠慮の葉書を読むと、まさにこの娑婆の有為転変を思わぬわけにはゆかぬ。
 早くも十一月が半ばを過ぎたからいうわけではないが、月日の経つのはまことに早い。その時間の早さを象徴するように、いまの日暮れがまた早い。午後5時になると日が沈みかける。そして、その沈みっぷりがまた早い。つるべ落しの早さとはうまく言ったものだが、人生そのものも後が待ったなし。そして、今年も待ったなしの超特急である。思っていたこと、気がかりなことは、せっせと処理して、くよくよと悔いを残さぬよう。これはぼく自身への戒めである。【押谷盛利】

| | トラックバック ( 0 )

2011年11月17日

近くて遠いブータン(見聞録)

 今、美男美女夫妻が国賓として日本を訪れ、テレビや新聞を賑わせている。
 そう、「国民総幸福量」という概念や禁煙国で知られる南アジアの小国ブータンのジグメ・ケサル・ナムゲル・ワンチュク国王(31)と、ジェツン・ペマ王妃(21)だ。国王夫妻の丁寧な物腰と、やわらかい笑顔に、魅了された国民も多いのではないか。
 ブータンはヒマラヤの麓に位置する仏教国で中国とインドに挟まれている。20世紀後半まで鎖国に近い政策をとっていたため、「ヒマラヤのシャングリラ(桃源郷)」などと呼ばれ、秘境とされてきた。
 資本主義に侵されず、独自の伝統や文化を大切にした自給自足の生活と、手付かずの美しい自然が残っている。
 最近も、ブータンの奥地で日本蝶類学会の調査隊によって約80年ぶりにブータンシボリアゲハが発見され、話題になった。
 21世紀になって資本主義の暴走が先進国に影を落とす中、伝統、文化を大切にするブータンの生活スタイルに、ノスタルジックな感傷を込め、憧れる先進国の人々も多い。
 旅行者からも「ブータンを見ずして海外旅行を語るなかれ」と言われるとか。ただ、鎖国の名残からか、外国人が気軽にふらっと旅行するのは難しい。
 というのも、入国にはブータン政府公認の現地旅行会社を経由して申し込みを行い、政府の取り決める公定料金を支払う必要がある。ビザ(入国許可証)も大使館や領事館では取得できず、現地旅行会社に頼るしかない。
 特にこの公定料金がやっかいで、シーズンによって異なるが1泊185〜220ドルと定められている。これにはガイド、車、ホテル、食事代などが含まれている。また、1、2人の少人数での旅行の場合は1泊当たり30〜40ドルの追加料金が発生してしまう。
 1週間程度、ブータン国内に滞在する旅行では航空運賃を含め30〜50万円程度と、アジア旅行にしては相当な割高に。表立った鎖国政策を取っていなくても、外国旅行者を寄せ付けない。
 国王夫妻の来日で日本人のブータンへの関心は高まっていることだろう。これを機に、日本人への門戸を少し緩めてくれないものかと期待したいが、それでは「秘境」になりえない。近くにあるのに遠い国、それもブータンの魅力か。

| | トラックバック ( 0 )

2011年11月16日

金融危機、日本は安心か

 ギリシアの金融不安がイタリアに飛火した。イタリアがおかしくなればスペインへ…。欧州の金融混乱は世界へ連鎖反応するから各国の首脳や銀行筋の心配はただことではない。
 野田首相がアメリカへ渡って国際外交の舞台で消費税のアップを約束したのは「安心して下さい。日本は赤字をばらまいての財政破綻から他国へご迷惑をおかけしません」という苦衷の誓約であろう。もし、日本が財政に行き詰まり、企業でいう倒産状況になれば日本の発行した国債は紙屑になり、これを買っていた世界の金融界は混乱する。それは日本の株価の下落を誘い、世にいう金融恐慌へと発展する。ギリシア、イタリアの破綻を必死で食い止めているのがEUのヨーロッパ連合の諸国だが、これはアメリカをも含めた世界同時恐慌を恐れての政治の知恵と努力である。
 しかし、ギリシアやイタリアにEUの金融支援策が講じられるには一つの前提というか、約束ごとの実行が担保される。いわば自国の国民の協力のもとに赤字財政を克服する苦難の道が強いられる。
 例えば年金の支給年齢を上げる、税金を上げる、国からの補助や助成政策を圧縮する。この反面、公務員の給料を低くし、定員を大幅に少なくする。国の関わっている福祉事業を見直したり、公共工事のストップ、国の発注する多岐にわたる事業を減らすなど、要するに国民に貧しくとも耐乏の暮らしを迫るのである。
 この結果、警察官が少なくなって治安が物騒になるかもしれない。国民の生活消費水準が落ちるから物が売れず、そのため企業が行き詰まり、失業者が増える。税金は高くなるのに、国民に対する還流、国民サービスがダウンするのであるから、一流国家の暮らしが三流国家並みにみじめになる。教育も医療も十分に手当て出来なくなり、国を捨てて他国へ流れるものもあるかもしれない。生活の不満から暴動が起きるかもしれない。自国の警察や軍隊では秩序が守れないとなると、一時的に外国の軍隊の治安上の助けを受けねばならぬとこさえ考えられる。こうなるとその国の独立や運命にまで関わってくる。
 そういう国際的異変が心配されるのが世界同時恐慌である。日本は円が強いから安心だというが、それはヨーロッパなどとの比較の上での話で、今のように1000兆円の借金を持ちながら、さらにこれからの東北大災害、原発事故の復旧復興に何兆もの莫大な国債を発行すれば収支の健全経営は完全に破綻する。
 平常運転のときでさえ、財源不足を国債に頼ってきたのだから、自主財源(国民の力によるお金)を税金に求めなくては累積赤字の危険状態をまぬがれぬ。
 おそらく、今後は増税と出費(歳出)抑えの二段構えで財政危機を乗り切ろうとするのであろうが、目に見えるのは国民の不満と反発である。
 いずれにしても、国民は生活水準を落とさねばなるまい。その前に、政府も役所も国会の先生にも泣いてもらわねばならぬ。【押谷盛利】

| | トラックバック ( 0 )

2011年11月15日

TPP参加と日本の将来像(見聞録)

 いま、TPPへの参加を巡り、日本の国論を2分する議論が行われている。
 TPPはTrans-Pacific(太平洋横断)Partnership(提携)の頭文字で、日本語で表記すれば「環太平洋経済連携協定」となる。
 太平洋を囲む国々で貿易の自由化を目指す枠組みのこと。これに参加すれば、関税や規制を撤廃することで、工業、農業、金融、医療、保険などあらゆるモノとサービスが国境に隔てられることなく、自由に行き来することになる。
 2006年、シンガポール、ブルネイ、チリ、ニュージーランドの4か国が協定を結んだ。そこにアメリカ、オーストラリア、ペルー、ベトナム、マレーシアの5か国が加盟交渉を行っている。
 その枠組みに、日本が参加するのかが焦点になっていたのだが、先日、野田首相が交渉参加を表明した。
 あらゆるモノ、サービスの行き来に、各国の壁が取り払われることで、日本経済はどのような影響を受けるのか。
 車や電気製品などの輸出産業は関税が撤廃されることで売上がのびるだろう。一方、農業、とくに稲作は大打撃を受ける。広大な大地で大規模経営を行うアメリカに価格面で張り合うのは不可能で、稲作が何らかの形で保護されない限り、日本の主食である米はアメリカ産に取って替わられるだろう。
 車・電気製品と、稲作がTPPのメリット、デメリットを端的に示す材料となっているが、これらと同様にあらゆる分野でメリット、デメリットが出るゆえ、国論が2分される。
 読売新聞が最近実施した全国世論調査でも、野田首相がTPP交渉への参加方針を決めたことについて、51%が「評価する」としたものの、「評価しない」も35%を占めた。
 「自由化」と聞けば、響きは良いが、無秩序な関税、規制の撤廃は、日本の行く末を危うくしまいかと危惧する。ようは日本独自の保護政策や規制が機能しない中で、日本の将来はどうなるのか、という漠然とした不安感でもある。
 例えば、輸出産業がTPPの恩恵に授かったとしよう。車や電気製品などの大手輸出企業が各地に工場を造り、その下請け企業も潤う。内需も拡大し、GDPは前年比で○○%の伸びを記録―。他方、農業は壊滅的打撃を受け、食卓は外国産で埋め尽くされる。田んぼは放置され、雑草が生い茂る。農業を継ぐ若者もなく、日本の田園風景は失われる―。これもTPP参加の行く末に見られる、日本のひとつの姿かもしれない。
 9カ国による交渉が進もうとする中、「乗り遅れるな」とばかり野田首相が交渉参加を表明したが、行き先も分からないまま慌ててバスに乗り込めば、どこに連れて行かれるか分からない。
 交渉のテーブルでは、アメリカの顔色ばかりをうかがうのではなく、また、投資家や経済団体の圧力に屈することなく、日本の将来像をイメージしてハンドルを握るべきだろう。

| | トラックバック ( 0 )

2011年11月14日

社会が病み人が狂う世

 不可解な殺人事件や自死を取り上げるたび悲しくなり腹が立つが、今の世の異常さはただごとではない。このまま手を拱いていては、この傾向がますます流行するのではないか、と、これが心配である。
 今の世は平和を口にし、物の豊かさと快適な生活を謳歌するが、社会が病み、人が狂いつつあるのに案外無頓着である。
 社会がどう病んでいるのか、どんなふうにまともでないのか。
 例えば飲料水の重要さが指摘されるが、昔のように地下水や河川の水が飲めなくなった。極端なのは山の水までが忌避される。空気や土壌の汚染が清浄であるべき水をも飲めなくしてしまった現代社会の科であるが、このため、魚も野菜も汚染が心配される。今の人間は空気、水、食料を通じて健康を慢性的に傷つけているがその反省と改善について政治も社会もほお冠りしているのはなぜか。いわば汚染の垂れ流しが、肉体的、精神的両面から健康の障害となり、心の狂いの原因となっていることに気がつかない。気づいていても見てみぬふりをしているのではないか。
 人は便利な世の中、スピードと快適さに酔っているが、そのことは手足や頭脳を使わず楽して生きることを幸せと勘違いする。車社会になって歩くことを忘れてしまった。電化製品の発達と普及で、生活上、考えたり、労働することをしなくなり、何から何まで指で押すか、自分の影を動かせばドアは勝手に開閉し、洗濯、炊事も省エネである。
 ケータイやパソコンが人間の目や耳、口の代弁をしてくれる。お金を払うにも切符を買うにもいちいち財布から出さなくてもいいシステムに乗り、時間があり余るのではないかと思われるのに、だれもが時計を気にしながらいらいらして、せっかちな日暮らしを続けている。
 いらいらというストレスは現代人の特徴であるが、これが諸病の因となり、とりわけ心臓や内臓によくない。精神病の欝は特にストレスと関係が深い。幸せであるべき豊かさと高度な文化社会が、結果として人を病気と薬漬けにし、それが心の病気にまで作用し、あげくは人を殺したり、自分を殺めることになる。
 社会の変革に目を転じよう。家族制度はなくなり、家族の心が子の成長とともにばらばらになった。家を守り、先祖を崇める古来からの伝統が消えた。集落内の親類、知己、隣人を通じての助け合いの美風も消えた。村を町をみんなの共同体として愛し守る気風がなくなり、路上や河川に平気で物を捨てる。地域の道や河川の管理は役所の仕事として、文句は役所にいうが、自分が清掃したり、汚さないという公共心はいつからか消え失せた。
 個々の人間の家庭や生活、服装は文化的で、きれいかもしれぬが、一歩外へ出れば地上を汚し、物を捨て、騒音、臭気、不快指数の高まる環境に追い込んでゆく。
 近代的な建物、施設のかげで、自然が破壊され、みどりが少なくなり、そこに住む人間関係が希薄になってゆく。人の心が物質的になり温かみがなくなってゆくから、人は孤立感を深め、逆境になればうらんだり、滅入ったり、絶望したり、ときには反社会的行動をとる。あらゆる意味での汚染社会に生きる必然の結果として、いらいらや精神疾患、自己喪失などの負の部分を醸成してゆく。
 社会のありよう、生活のありようを根本から見つめ直すことが他殺、自殺をなくする一つの大切な方向であろう。【押谷盛利】

| | トラックバック ( 0 )

2011年11月11日

狂いの多い現代の悲劇

 人が人を殺す異常な世相が毎日のように繰り返される。
 ぼくが新聞記者になった新米のころ一番関心のあったのは事件だった。その中でも突出して緊張したのは人の死である。人の命ほど尊いものはないから記者が事件を追い、自殺や他殺の取材に全力投球するのは当然である。
 殺人事件については先輩が取材上の予備知識を教えてくれた。
 殺人は大別して3つのパターンがあり、それは「もの盗り(強盗)」、「痴情(男女間のもつれ)」、「怨恨(うらみ)」であり、どのケースによるものかを察知して、そこから犯人を捜すのが原則だというのである。つまり人を殺すには何らかの因縁があり、犯人は必ず有形無形の足跡を残しているはずで、世にいう完全犯罪などありはしないという事件記者のイロハだった。
 しかし、時代の変化は事件や殺人事件にも過去のデータや捜査上のイロハが通用しなくなり、予想だにできぬ突発事件が起きるようになった。
 突然銃を発射したり、繁華街の通行人をめがけて車を乗り入れたり、いわゆる理由なき殺人事件がこれである。自殺にしてもそうである。半世紀前は子供の自殺はなかった。それが今では「いじめ」による暗い事件が珍しくなくなった。だれでもよいから殺したかった、という男や、面白いからいじめたという生徒がいたりして、ぼくのかけ出し記者のころには思いもよらぬ他殺、自殺がひんぴんである。
 人は本来、人を殺すことはしないし、自ら自分の命を殺めることをしない。世の中が狂っているのは事実だが、ぼくに言わしめれば他殺も自殺も狂いによる。客観的に見て、狂っている証拠はないかもしれぬが、正常な精神状況下で人を殺したり、自分の命を断つ人はない。
 芥川賞の芥川龍之介やノーベル文学賞の川端康成の自殺もあるが、まともでありながら、ある日、ある瞬間、心の狂いが自死につながったとぼくは見る。
 自殺願望もあるではないか、と反論する人もいようが、理由なく自分の命を絶とうと思うこと自体狂っているのである。なぜなれば、人は生まれてこの方、本能的に生きようとし、食べたり、動いたり、働いたりする。だからケガすれば痛いから気をつけたり、手当をする。生きる本能が強いから身を守り、生活を工夫し、クスリや治療法が開発された。そういう意味では死は地獄であり、最大の恐怖である。何としてでも避けたいのが普通の人間である。
 いわんや、他人の生命を傷つけ奪うというのは許せない犯罪であり、犯人は長期の刑務所行きか死刑に処せられる。強盗であれ、色沙汰であれ、うらみであれ、原因は物欲や色欲、名誉欲、自分のエゴがからんでいる。それなのに自分の人生を刑務所暮らしや、死刑にされたのではナンセンスである。わりが合わぬどころの話ではない。ああなれば、こうなる、こうすれば、ああなる、というまともな思考がプツンと切れての発作的衝動が人を殺すのである。殺しの請負という犯罪もあるが、これも精神発作であり、いずれにしても正常な心によるものではなく、その瞬間は狂っている。
 その狂いをただすことよりも助長する空気が広がりつつあるのが現代の悲劇である。【押谷盛利】

| | トラックバック ( 0 )

2011年11月10日

定年退職後の生きがいは何?(見聞録)

 長浜市街地、大手門通り商店街の「まちづくり役場」で9日夜、市長と市民が意見を交わす「座ぶとん会議」があった。
 市民の声を市政に生かそうと、藤井勇治市長がスタートさせた取り組みで、市内各地で様々な団体と意見交換している。
 28回目となるこの日の相手は、定年退職した男性で組織するボランティア団体「一休会」と「だんき会」だった。
 この2団体が組織された経緯を簡単に紹介すると―。
 定年退職を迎えると▽仕事がなくなる▽職場の人間関係がなくなる▽規則正しい生活リズムがなくなる▽時間を持て余す―と、これまでの仕事優先の生活から一変する。
 家にこもってゴロゴロしていれば心身ともに不健康になり、ゆくゆくは病院のお世話に。第2の人生を、健康で生きがいを持って過ごすにはどうすれば良いのか?
 その答えが、仲間を作り、地域活動やボランティアに参加することだった。
 そこで、長浜市が団塊世代の男性に呼びかけて「仲間づくり講座」を開催し、この2団体が誕生した。
 まちづくり役場で行われる「まち役寄席」の企画・運営、図書館での葉刈り、学童保育支援、福祉施設でのひょうたん栽培などと活動は幅広い。
 この日の座ぶとん会議では両団体のこれまでの活動、会員それぞれの地域活動への思いが話題となった。
 その中で気になったのが、一休会、だんき会を生んだ長浜市の「仲間づくり講座」がたった2年で終了したということ。担当していた市職員が人事異動で他の部署に移ったことで、講座が引き継がれなかったためらしい。
 会員からは「我々は仲間が欲しい。しかし、男は家にこもりがち。誘い出す手段が欲しい」「毎年、定年退職する方がいる。呼び水の取り組みをお願いしたい」と、市に仲間づくり講座の復活を求めた。
 藤井市長は「地域のために皆さんが持つエネルギーを行政がどう生かすのか。宿題にしたい」とした。
 日本人の平均寿命は90歳に迫っている。仮に60歳で定年退職すれば、人生の3分の1が残っている。家でゴロゴロし、趣味に打ち込むだけでは、人生の浪費でしかない。
 これまで生活を支えてもらった地域社会への恩返しと、心身の健康維持のためにも、仲間をつくり、地域活動やボランティアに参加したいものだ。
 そのきっかけ作りをどこが担うのか。将来的には市民グループが自主自立して取り組むべきだろうが、当面は市や社会福祉協議会など公的機関のサポートが欠かせないのではないか。

| | トラックバック ( 0 )

2011年11月09日

ボランティアのつながり方(見聞録)

 宮城県陸前高田市高田町の海岸に2㌔にわって並ぶ松林「高田松原」は国の名勝に指定されている。
 松林は江戸時代初期に仙台藩の豪商が「防潮林」として地元住民に協力して植えたのが起源。その後も植栽が繰り返され7万本にまで増え、岩手県を代表する景勝となっていた。
 その景勝は3月11日の大津波で失われた。たった1本だけが残り、「奇跡の一本松」「復興のシンボル」として脚光を浴びたが、地震による地盤沈下で根元に海水が侵入し、樹勢は衰えつつあると聞く。
 復興への支援、松原の復活への願いを込めて、津波に倒れた松原の松材を使うプロジェクトが各地で行われている。
 京都・五山の送り火で薪として利用する計画は二転三転したあげく松材から放射性物質が検出されて中止となったが、寺院の護摩供養に用いられたり、仏像作りに生かされたりと、多くの人々が松材を利用することで被災地復興の願いを込めている。
◇6日の日曜日、琵琶湖岸170カ所で県民が手をつなぐ「抱きしめてBIWAKO」が開かれた。会場の一つとなった豊公園では、岩手県立大学の女子大生グループ「復興ガールズ」が高田松原の松材を加工したキーホルダーを売っていた。
 学生がデザインを手掛け、キーホルダーを入れる袋も一つ一つ丁寧に自作した。売上の一部を被災地支援に活用している。
 他にもほおずきジャムなどを販売し、被災地支援のための学生発のアイデアを、企業やボランティアが応援して、製品化していた。
◇なぜ、女子大生5人が、岩手県からわざわざ滋賀の長浜へ来たのか。
 その縁を取り持ったのはインターネットの交流サイト「FACE BOOK」だった。
 このサイトを活用して被災地復興支援グループの一つに「ワ(和・輪)プロジェクト」がある。メンバーは日本のみならず全世界にいるそうで、滋賀出身者が「抱きしめてBIWAKO」の会場に「復興ガールズ」を招いたそうだ。
 豊公園には、兵庫県出身で、都内で会社勤めするメンバーの女性が応援に駆けつけ、女子大生らをサポート。自らも被災地のポストカードなどを販売していた。この女性、中学生の頃に阪神大震災を経験し、全国から寄せられる支援をまのあたりにした。それが、今回の被災地復興支援への原動力の一つになったという。
 それにしても、女子大生も、女性会社員も次の日は、それぞれ講義、仕事があるというのに、縁もゆかりもなかった一地方に駆けつけた。インターネットが結ぶ人と人の縁に世界の小ささを感じると同時に、復興支援に熱心な彼女らから学ぶべきものは多いのではと自問した。

| | トラックバック ( 0 )

2011年11月07日

結婚促進は刻下の急務

 「棚から牡丹餅」という。思いがけない幸運が舞い込んだことをいう。労せずして幸運をつかんだ、とのたとえで俗に「棚ぼた」という。
 苦労して、努力を積み重ねてもなかなか結果の出ないのが人間の生存競争のありようだが、にも拘わらず、ある日、突然、驚くような幸せをつかむことがある。例えば年末に買っておいた宝くじが翌年、何億の賞金に化けていたとか。しかし、少額といえども買っておいたから夢が実ったのであり、何の計らいもなしに大金が舞い込むことはまずない。
 望まぬ天下はとれぬ、というのがこれで、どんな才腕や知略、物量に恵まれても、彼自身が天下に野心がなければ権力を握ることはない。
 女房の稼ぎをいいことに自分は亭主顔して昼から酒を飲んだり、博打を打っていてはうだつの上がるわけがない。人間は、勤勉で向上心がある反面、遊び心に迷うことがある。遊び心の代表は酒と女と博打であるが、不思議なのは、そういう世界に迷い込むのはいなせな若い衆に多く、また、こんな若ものに美人がくっついたりする。
 いずれにしても労せずして幸せをつかもうなんて考えること自体、極道に近い歩みというべきで、本来、棚から牡丹餅が落ちてくるなんて話はあり得ない架空のたわごとである。
 人生は皮肉というか、面白いというか、才能があり、努力してもそれが報われず、世にいう当て外れに泣くことがある。
 目標を立てて、それを達成すべく順を追って懸命に努力しても計算通りの結果に恵まれず、ベソをかいて横道に走ったり、その不運をきっかけに自分の人生をワヤにする人がいる。
 昔の武士は自分の月給は「あてがい扶持」だった。雇い主が適当に与える給金がそれで、それがいやなら辞めて浪人するしかなかった。
 「当て」という言葉は含みのある妙なる言葉で大辞泉には①目当て、目標②将来に対する見通し、見込み③借金のかたのほか、「ひじ当て」「すね当て」などの用法を説明している。
 例えば「あてがいの服」はきめられた制服、もしくは兄が使っていたお古の服。あてつけ、あてこすり、あてこむ、あて字、あてずっぽう、あて推量など、いろいろある。
 あてを使った言葉で哀れを誘うのは「当て馬」である。牝馬に発情を促すため本番前に牡馬を目の前にさらすことをいう。選挙などでも様子見に、本命を隠して、当て馬が瀬踏みする。先の民主党代表選では小沢派が当て馬を使った感じが濃厚だった。
 いまの日本で一番大事なのは少子化対策である。適齢期にありながら結婚しない男や女が多い。要は男に女を、女に男をいかにうまく「あてがう」かである。老人社会で、子供のいない将来を見通せば、年金はどうなる。国債の償還はどうなる。国の経営は。それを深刻に考えれば結婚促進に国をあげて取り組まねばならぬ。【押谷盛利】

| | トラックバック ( 0 )

2011年11月05日

迫る新酒の解禁日(見聞録)

 ボジョレ・ヌーボーの解禁日が17日に迫っている。
 フランス南東部のボジョレでその年の8月に収穫したブドウを醸造して作られ、毎年11月の第3木曜に解禁される新酒ワイン。
 「ヌーボー」はフランス語で「新しい」という意味。ちなみに芸術様式の「アール・ヌーボー」は「新しい芸術」となる。
 フランスの一地方で作られる新酒に過ぎないが、世界中でその解禁日を大々的に祝う商売方法が定着している。
 日本の場合、日付変更線が太平洋にあるおかげで、先進国の中で最も早くボジョレ・ヌーボーにあり付ける。日付の変わる深夜0時きっかりにレストランやバーで提供を始め、コンビニで販売されるなど、一つのイベントとなっている。
 1980年のバブル期に大ブームが起き、一気に名前を知られたが、バブル崩壊後は下火になった。今では他の赤ワインと同様に親しまれ、解禁日だけ異様な盛り上がりを見せる。
◇さて、この解禁日はフランス政府が1951年に設定したそうだ。
 というのも、ワインメーカーが「今年の新酒」を少しでも早く売り出そうと製造を急ぎ、粗悪品が出回ったためだ。
 過剰な新酒競争に歯止めを掛けるべく、政府が解禁日を設定したところ、パリのレストランで大ブームが起き、世界に広がったという。
 そもそも、解禁日はなぜ第3木曜なのだろうか。週末に設定したほうが、盛り上がるのではないのか?
 フランス政府は当初、解禁日を「聖人の日」にあたる11月11日(後に15日に変更)に定めたそうだ。しかし、土曜や日曜に重なった場合、レストランやワイン店はお休みなので、ボジョレ・ヌーボーの売れ行きが大きく落ち込んでしまう。
 革命で労働者が権利を勝ち取ったお国柄、休日を返上してまでボジョレ・ヌーボーを売る気はなかったようだ。
 メーカーからの要望を受けた政府が「11月の第3木曜」との変動制度を取り入れたことで落ち着いた。
◇小生はボジョレ・ヌーボーに無縁だった。「バブル期のバカ騒ぎの道具にされた哀れなワイン」として敬遠していた。しかし、昨年、友人の勧めで初めて飲んだところ、新鮮な果実味、抑制された渋み、口当たりの軽さから、たちまち虜になってしまった。とても飲みやすく、バブル期、ワインに初めて触れた日本人が熱狂したのもうなずける。
 価格もワインの中では手ごろな部類。おまけに今年は対ユーロでも超円高。ボジョレ・ヌーボーも例年より2~3割安く手に入るかもしれない。

| | トラックバック ( 0 )

2011年11月04日

えらいこっちゃの国難

 生きるか死ぬか困難な状況に立ち至ったとき人は血相を変えて「えらいこっちゃ」とあわてふためく。
 国の場合は非常時という。文永11年(1274)と弘安4年(1281)に、日本は元のフビライ軍の襲撃を受けて大騒ぎとなった。歴史上は蒙古襲来というが、弘安の役ではたまたま暴風が吹き荒れて敵の船舶は雲散した。助かった日本は神風が吹いたと天に感謝した。
 明治維新前夜、幕府がえらいこっちゃと大騒ぎしたのは米国の東インド艦隊司令長官として浦賀に来航したペリー将軍の軍艦4隻と開港要求だった。たった4杯で夜も眠れず、と落書されたほどだが、これが発端で、和親条約、開国、尊皇攘夷、安政の大獄、井伊直弼暗殺などの政変から龍馬時代へと国の大転換が迫る。日本のさらなるえらいこっちゃは、太平洋戦争と広島原爆、敗戦となるが、国家の非常時は必ずしも戦ばかりではない。
 いま、世界に眼を転ずればギリシアの非常事態は世界に響く深刻極まりない困難であろう。
 この国の金融不安を欧州EUがこぞって担保しているが、それの裏書にギリシアは歳出を大幅にカットし、生存レベルを急ダウンしなければならぬが国民の不満は大々的なデモとなり国民投票の帰趨も定かではない。万一、ギリシアがつまずけばイタリア、スペインなども連鎖反応を起こす危険があり、ヨーロッパの銀行は持っている外債が紙屑同様の最悪すら予想される。
 何としてもギリシアの破綻は防がねばならぬ。これが欧米アジア各国共通の願いであるが、ときを同じくして日本の円高は沈む気配がない。むしろ客観的には信用のある円に世界の投資が注がれ、政府の円高干渉策にも拘わらず、円高は続く。
 円高は日本の輸出産業を閉め出す結果になるが、逆に輸入が好条件とばかり、日本に上陸すれば国内産業は冷え、雇用市場を狭くし、景気の後退は必至である。
 かてて加えて、日本の困難はさきの東北大震災、大津波、福島原発の復旧復興に直面している。政府は本年度第3次補正予算で莫大な国費を投じるが、そのカネの出所は国債である。
 大震災を特定した国債ではあるが、いずれにしても国民からの借金である以上、返さねばならぬ。この結果、増税は避けられぬが、国民は所得の減少と増税の二重苦に耐え、困難を打破する非常時の覚悟はあるか。
 公務員ばかりでなく、あらゆる職場でも賃金カットやダウンの事態が起こるやも知れぬ。追いうちをかけるのは節電苦。これまでのように上昇景気に鼻歌まじりで消費にあけくれすることは許されまい。
 「えらいこっちゃ」。心して身も心も引き締めねばならぬ。【押谷盛利】

| | トラックバック ( 0 )

2011年11月02日

世界人口70億と日本

 世界の人口が70億人になった、というニュース。嬉しいのか嬉しくないのか、さだかには判じかねるが、日本の人口減に反して世界の人口が増えているのは薄気味の悪さを感じる。
 世界の人口はまだまだ増え続けてゆくというが、必ずしもめでたいと思えないのはその多くの人口を養う食糧や資源が有限であるからだ。
 中国は戦後、共産党が政権を握ってから一人っ子政策を推進したが、これはこの国の人口爆発を政治権力によってストップさせる遠謀による。
 自然のおもむくままに手を拱いていたら、幼稚園、小、中学校など教育施設は増設に増設を迫られるし、雪だるま式に殖える国民のための食糧確保が大変である。食糧だけではない。生活物資、エネルギー、その他国民の最低の生活を保障するだけの産業を興さねばならぬが、人口増に追われて国の財政がパンクする。そういう政治判断から一夫婦一子制を貫いて今日に至っている。そうまでしても、なお都市部と農村部の生活の格差が大きく、表へは出ていないが、各地で不満が爆発し、役所への抗議デモが後を絶たない。
 いま、世界の人口の王者は中国であり、これに次ぐのが印度である。
 世界人口の顕著な伸びはアフリカと南米、それに印度であるが、これらの国が人口の爆発的増加を喜んでいるかといえば決してそうではない。伸びてほしくないと思いつつも自然にどんどん増えてゆくのは教育の遅れによって産児制限ができぬからである。これは明治から昭和20年までの日本でも同じだった。貧乏人の子沢山という言葉があったが、欲しいと思わなくとも結婚したら子が産まれる。富裕層は避妊したり、中絶したり、工夫を凝らして少子化を計ったが、一般貧乏人は殖えるにまかせるしかなかった。
 当時は今と違って、余暇を楽しむことや、文化・娯楽に生き甲斐を求めることも不可能であり、昼は働き蜂、夜は電気代を惜しんで寝るばかり。娯楽といえば盆・正月と村の祭くらいで、他に心を癒すような旅行もなければ、芝居や映画、興業も限られていた。一つは国の軍事政策で男は兵隊用員でもあり、生めよ増やせよが国是であった。アフリカなどの開発途上国は所得も少なく、学校もなく、文字も知らず、最低の暮らしを余儀なくされているにも拘わらず、国内で内乱が絶えず、子沢山でありながらその増加する人口を国の産業発展に転じる政治外交、経済能力が弱い。内乱などで国民の自活力が伸びず、政府は国連の援助にすがるが、独立国家の体をなさず、いわば国連のお荷物といった感じすらある。
 エネルギー資源にしたって、食糧にしたって、限界があり、人口が膨れれば膨れるほど生きてゆく人間の貧困化を招くのが正直な見通しである。それやこれやを思うとき70億人突破をめでたいと喜んでいられない。そうかといって、日本の現在のあり姿、少子・高齢化社会を肯定するわけにもゆかぬ。
 ではどうするか。50年、100年後を思いつつ、この国の繁栄に知恵をしぼらねばならぬ。【押谷盛利】

| | トラックバック ( 0 )

2011年11月01日

円高と企業努力(見聞録)

 きょう11月1日付けの朝刊各紙の1面はパナソニックの赤字の話題一色となっている。薄型テレビ事業の失敗などで、3月期決算で4200億円の損失を計上する見込みだ。
 薄型テレビは、主要部品を組み立てるだけで高品質な商品を作れる技術的難易度の低さから、新規参入が容易で、過当競争に陥っている。
 一時は「1インチ1万円」と言われていた価格は下降一直線で、今では46インチが10万円を切る安さ。2台目、3台目を買う家庭も増えたが、メーカーは「作れば作るほど損をする」と言われていた。
 テレビ事業の失敗でパナソニックは36万人のグループ従業員のうち1万人以上を解雇する予定だ。
 巻き返し戦略は、ハイブリッド車向けの電池など環境エネルギー事業。家電重視から方向転換を図る。
◇パナソニックの赤字はテレビ事業の失敗が主な要因だが、今の超円高も一因とされる。
 その超円高の解消について日本国単体での金融緩和、市場介入の効果は小さいとみていたが、政府・日銀はきのう31日、円売り、ドル買いの為替介入に踏み切った。
 これにより円相場は1㌦75円台から一気に79円台に急降下したが、結局は77円台にまで戻った。
 今の円高は、世界規模で莫大な資金が動き、ドルやユーロに比べて安心感のある円が買われる投機的動きによる。一国の為替介入の効果は限定的、短期的であり、円高を解消するには▽欧米の財政、経済の建て直しよるドル、ユーロの信頼回復▽世界の金余り状態の解消▽無秩序的な投機マネーの規制―が必要とみている。
 いずれも、日本国単体では手の付けようのない問題だ。
 ゆえに、この超円高を即座に解消するような妙案はなく、かといって円高に無策でいれば、パナソニックのような日本を代表する企業が次々と打撃を受けかねない。
 過去の円相場を振り返ると、戦後しばらくは1㌦360円に固定されていた。今の相場と比較すると超円安だったが、1973年から市場原理に委ねる変動相場制に切り替わった。
 以降、今日に至るまで徐々に円高ドル安が進行し、ついに今年は1㌦80円の壁を突破し、史上最高値を更新した。
 この円高一直線の歩みの中で、日本経済を支えてきた輸出企業は血のにじむような努力を重ねてきたのは想像に難くない。品質を高めながら、価格を抑制し、世界に日本ブランドを広めた先人達の努力を思うとき、今の超円高も、企業努力で乗り越えられると信じている。
 強い円を背景に将来性のある企業、成長分野にある企業を買収・合併するなど、海外資産の取得のチャンスと受け止める必要があろう。

| | トラックバック ( 0 )


しが彦根新聞
滋賀夕刊電子版
滋賀夕刊宅配版
滋賀夕刊デジタルトライアル
“新聞広告の資料請求、ご案内はこちらから"
 
長浜市
長浜市議会