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2011年10月31日

石蕗の花と11月への季節感

 窓から眼をやると庭の風情が急に明るくなっている。草むらがだらしなくほおけ、手入れをさぼっている狭庭が雑然と暗色を帯び初冬の感じである。
 金木犀が散った後は一雨ごとに秋ゆく思いで、何か特急列車で遠い旅に出かけてゆくような慌ただしい雰囲気である。
 けさは雨後の庭に石蕗が眼の覚めるような明るい灯を灯している。つん、と空に向かって咲くその黄な花は庭全体を黄に染めるかのように、まぶしく鮮やかである。庭全体が暮色めいている季節によるものか、それとも生活そのものに虹色が欠けているのであろうか。そのさんざめく黄色い明かりは身も心も癒してくれる温かさに溢れている。
 黄な花は珍しいことではなく、夏を代表して親しまれているのに向日葵がある。
 ひまわりといえばゴッホの絵を思う人が多いはず。ゴッホのひまわりは、伝統的な静物画でなく、太陽の分身、光と生物の歓びの詩として人々の心に感動を与えてきた。黄な花にぼくが惹かれるのは子供のころからで、小学生のころ祈念祭、村祭など郷社で神事が行われたとき、生徒は全員引率されて参列した。
 長い神事の退屈な時間、いつもぼくの心に焼ついていたのが神主の黄色い装束であった。神官によって、いろんな色の垂衣を着るが、なぜかぼくは黄色が好きだった。そのころは電気が充分普及しなくて、家の中は暗い10燭くらいの電球一つだったから明るさに憧れていたのかもしれない。
 黄な花では春の水仙、やまぶき、たんぽぽ、菜の花。夏は金雀枝が好きである。桜が散ったあとは山も野もみどりを深くしてゆくから、えにしだのように群れて咲く勢いのある花が目に留まるのであろうか。
 ぼくは、5月10日生まれだから、そのころ咲くこの花に特別な親近感を覚えるのかもしれない。ぼくの歌集「乾坤」に金雀枝を2首詠んでいる。
 「わが生れし5月10日よ金雀枝の花新緑の庭を黄金に」
 「金雀枝の黄金の滴浴びにつつ五月み空にいのち翔たしむ」。
 これから菊のシーズンだが、いつまでも咲いてくれるのが小菊であり、それも黄菊がかわいい。花の寿命でいえば、冬の山茶花は別格として石蕗もわりかし長く咲いてくれる。
 暗くかげってゆく季節だから明るい花が、ことに石蕗のような黄色のまざりけのない、それこそ太陽のような光が人の心を吸いよせるのであろう。
 人間の悲喜に関わりなく大自然の時の刻みは正直であり、いよいよ明日から十一月。紅葉とともに野外での行楽のメニューは盛り沢山である。
 元気で充実した勢いそのままに師走へなだれこんでゆくことを祈るが、身の周辺、あるいは国外へ目を転ずれば予期しない災害に泣いている人が多いはず。己の幸せを感謝しつつも、いま、不幸な人々にどんな手をさしのべるべきか、しづかに考え行動に移したい。【押谷盛利】

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2011年10月29日

原発事故の後始末(見聞録)

 東京電力福島第1原発の廃炉には30年以上がかかるという。
 今年中に1〜3号機の冷温停止を達成し、3年以内に使用済み燃料プールから燃料の取り出し、10年以内に原子炉から溶けた燃料の取り出しを開始。それらが完了し、原子炉や建屋を解体・撤去できるのは30年以上先になる。さらに、溶けた核燃料の回収には「世界初とも言える高度な技術」が必要だそうだ。
 以上は国の原子力委員会の専門部会が28日に発表した工程案の中間報告だ。
 被災地では放射能に汚染された土壌の撤去が喫緊の課題となり、土地を追われた被災者への補償も問題となっている。
 安全、安価、効率的な発電手段とされてきた原発は事故を起こして初めて、人間には制御しきれない危険な側面を持つことを露呈させた。
 そして、原発事故の後始末は税金や電気代で賄われ、原発の恩恵に浴してきた国民が結局ツケを支払うことになる。
◇同じく昨日の28日、立命館大学名誉教授の安斎育郎氏が京都市内で講演し、福島第1原発から約60㌔離れた福島市でも1年間で胸部エックス線写真150〜200枚分の放射線量が観測されていることを指摘した。
 放射線を浴びれば浴びるほど、ガンや白血病を引き起こす危険性があることから、「何年かかろうと、放射能が沈着した表土を削り取る除染が大事」と訴えた。
 また、福井県内の原発について「事故があれば琵琶湖などが深刻な事態になる」と語った。
 放射線防護学を専門とする安斎氏の指摘について、福井の原発から50㌔圏内に住む我々長浜市民は深刻に受け止める必要があろう。
 いかに安全対策を強化した原子炉であろうと、人知を超える自然災害を前にして、安全に制御できる可能性は100%ではない。
 湖北の郷土に、近畿の水がめである琵琶湖に、放射能が降りかかる可能性もまた0%ではない。
◇広島、長崎で放射線禍に苦しめられながら、「核の平和利用」という謳い文句で原発を是認してきた日本。脱原発、卒原発への転換を国民の総意とできるのか。国民のエネルギー政策への関心なしには何も始まらない。

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2011年10月28日

医者坊南瓜の話

 大分前の話だが、ぼくの親戚のAさんが癌を患って入院した。おなかを手術して患部のできものをとったはよいが、病状はかんばしくなく、最後は自宅で家族の介護を受けた。退院後、一カ年ほどして手術の傷跡が悪化して病人が苦しみ出した、そうこうするうちに傷口から変なものが顔を出した。家人が心配しながらその異様なものをつまみ出したところ、何とそれは手術の際に取り除いたはずのガーゼだった。
 Aさんはその後、亡くなったが、家人は諦めきれず、病院を相手に抗議したが、証拠がないという理由で、反省の色を見せない。某市議が議会で取り上げたが、病院側は否定するばかりだった。患者側は葬儀も終わったことだし、長い介護生活で疲れ切っていることもあり、弁護士を立てて争うことにも踏み切れず、結局泣き寝入りした。
 出てきたガーゼは腐って悪臭がひどいので家人が直ぐ処分したが、素朴な家人がウソをついてそんな芝居が出来るわけがなく、病院側の非を認めない態度に事情を知る人はみんな激怒したが、肝心の家人が「亡くなったほとけが帰るわけでなし、もう諦めます」と言うばかりだから、患者側は納得のゆかないままに引き下がった。病院はガーゼが持ち出されなかったことをいいことに、弱いものいじめでほっとしたことだ。
 こういう例はしばしば新聞でも報じられる。ひどいのは手術後の際の鋏を忘れたり、ピンセットが残っていたりする。あり得べからざることが現実にはあるわけで、こんな執刀医はどんな人物なのか、とつい不信感が先立つ。
 ぼくは、この件以来、古老から聞いていた「医者坊南瓜」が頭から離れない。若い医者は理屈や機械には強いかもしれんが、医師の倫理や治療上の経験は未熟といっていい。
 体の調子の悪いときは病気かもしれんと予断するが、人間の体ほど複雑なものはないから、体調は人それぞれ。心の状態、天気具合、食べもの、生活のありようなどが複雑にからみあい、遺伝子や外部との接触その他いろんな原因がからみあっているから即断はできない。
 若い医者は検査万能で、コンピューターの画面に現れている像や数字で、白か黒かを判定しがちであるが、機械やレントゲンなどに反応しない部分もあり、病菌といっても種類が多く、クスリなどに頼らなくとも自然治療できるものもあれば、クスリが逆作用する場合もある。Aの部分に効果があるが、Bの部分に害をもたらすというクスリもあり、いちがいに病気といっても千差万別である。注射を打てばなおるとか、点滴すれば回復するとか、民間のクスリ信仰にも関係するが、人間の体を総合的に診て、的確なる診断をするには医学の研究と多年の医療経験がものをいう。
 長い目でみれば良医は患者が判定する。経験豊かで評判のいい医師は老境になっても患者が後を絶たない。若い医師は失敗しながらそれを貴重な経験として腕を伸ばしてゆく。
 坊さんの説教でも老和尚の話はありがたいが、それは人生の長い歩みと説得力による。【押谷盛利】

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2011年10月27日

通貨価値に思う矛盾(見聞録)

 円相場が1ドル75〜76円台で推移し、異常な「超円高」は収束する気配はない。
 今夏以降、米国の財政・経済への不安感から円相場が1ドル80円を突破するなど、円高が継続している。ギリシャに端を発した欧州金融危機により、対ユーロでも円高が進行し、1ユーロ106円台をつけている。
 きょう27日朝は、政府・日銀の為替介入を警戒して1ドル76円台となったが、いったい、いつまで超円高が続くのだろうか。
◇円高は、我々庶民にとっては、ワインや牛肉などの輸入食材が安くなるし、海外旅行も手軽になる。これを機に海外投資に挑戦するのも一案かもしれない。
 そういう明るい材料はさておき、円高は輸出産業を主体とする日本経済を停滞させ、企業の海外移転などで国内産業の空洞化を招きかねないし、実際に空洞化が進行している。
 特に大手製造業を中心に、これからの需要の増加が期待できるアジアや新興国などへの生産移転を進める動きが強まっている。その実態は日銀レポートでも明らかになっている。取引先や下請け企業の海外シフトで地方経済の空洞化も現実のものとなりつつある。
 日産のカルロスゴーン社長は「異常事態だ。この水準では新規のプロジェクトを国内で実施できず、(産業は)完全に空洞化してしまう」と、先日の会見で訴えていた。
◇急速な円高の進行の背景は、欧米の財政・経済不安に比べ、相対的に安心感のある日本円が市場の投資対象になっているためだ。「ドルもだめ、ユーロもだめ、日本円が一番まし」という理論だ。
 安住淳財務大臣は27日朝、超円高について、「投機筋による動きだ」と断定し、「いきすぎた場合は断固たる措置をとる」としたが、日本一国の政府・日銀による為替介入、金融緩和でどれほどの効果が期待できるというのだろうか。
 日本の輸出産業が円高で低迷するということは、その反面、欧米の輸出産業は通貨安を生かして復調することを意味する。欧米が自国通貨安を解消するために、わざわざ日本の為替介入に協力するとは考えにくい。
 結局、超円高の解消には、欧米の財政・経済の再建、ドルとユーロの復権が欠かせず、欧米諸国の根気のある取り組みに期待するしかない。 
◇大地震、大津波、原発事故に襲われても、日本の円が、国際市場で安全資産として位置づけられるのは、名誉なことではある。
 しかし、自国の通貨が高く評価されるほど産業・経済が苦しくなり、通貨価値が低ければ低いほど産業が発展する現代の経済理論。矛盾を感じるのは、小生だけではあるまい。

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2011年10月26日

自殺者と弱い男の話

 自殺者が増え続けているというので社会問題になっている。警察庁の調べでは21世紀に入ってから毎年3万人以上を記録している。
 男女別に見ると男が圧倒的に多く、女性の倍を示している。長寿者を眺めてもわかる通り、女性の平均寿命は86歳で、男性の79歳を遙かに超えている。
 男性の自殺者のうち、多いのが40代、50代。原因は経済的要因が多いと分析されているが、それにしても40歳、50歳はあぶらの乗りきった人生の真っ盛りではないか。やはりこれは問題である。経済的な悩みもあるだろうが、生きてゆく自信の欠如というか、人生への腹がまえ、足腰の弱さがみえみえである。要するに困難に耐えるとか、困難を乗り切る根性とか、そういう根本的なものが欠けているとしか言いようがない。おそらく体力の方も健康でないかもしれぬが、精神的にも弱々しさが糸を引いているのであろう。それに比べると女性は確かに強い。子を産み育てるという大きなハンディを抱えながらも少々の困難にもめげず、80歳、90歳を超えて生きていくそのバイタリティには頭が下がる。
 女性が弱いというのは体格や体形の話で、健康面とか精神面を考えればその強さは絶大である。造化の神さまは女性を強くしておかねば人類は死滅すると考えられたのかもしれない。
 それにしても、なぜ、いま、自殺者が多いのか、せっかくこの世に得がたき生を受けながらまことにもったいない話である。
 明治になるまでは医療が十分でなかったから、出産そのものが母子の生死に関わった。無事に生まれたとしても生後一年を待たず死亡したり、育っても幼少期で他界する子が多かった。これは明治になっても糸を引き、何人も生まれながらどの家でも赤ちゃんのうちに1人や2人は亡くなっている。
 ことほど左様に人間界に生まれ成長することは大変なことなのに、成人して40歳、50歳になりながら自殺の道をとるのは罰当たりもいいところで一家の不幸のみならず、国家の損失も大きい。
 今の世はもの余りの贅沢な暮らしができるのだから、貧窮で死ぬのは本当はあり得ないはずである。江戸期の飢饉時は草の根や土をかじっても生きようとしたのであり、戦前の貧乏な時代でも生活が苦しくて自殺した人はむしろ少なかった。生きることにがむしゃらだった。これは精神の問題である。いまは、精神力が弱く、自分の思うようにならねば気が滅入って欝におち入ったり、何かの不幸や障害に出くわすと、とたんに自信を失って歩む力を失ってしまう。いわば心の病気が死神にとりつかれるといってよい。
 これはぼくがいつもいうように、現代は甘えの時代、ラクの時代、ノー苦労の時代になったから、ちょっと風が吹くと吹き飛んだり、ベソをかいて引き籠もったり、まあ一人前に成育していないといっていいのではないか。【押谷盛利】

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2011年10月25日

諸行無常の教え(見聞録)

 「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり、沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす―」は、平家物語の冒頭だが、日ごろからこの「諸行無常」という響きに、命の散る潔さ、儚さを感じ、気に入っている。
 善人も悪人も、金持ちも貧乏人も、等しく命を尽かせる。災害や交通事故によって突然終わりを告げたり、病気で長患いした挙句に苦しみから解放されたり、家族に見守られ眠るように最後を迎えたり、命の散らせ方は様々だが、誰にも同じように終わりが来る。
 世の中のものは常に生滅を繰り返し、永久不変なものは無い、というのが無常の理。
◇先日、長浜で母の13回忌が営まれ、久々に家族が集った。命日は平成11年11月1日の1並び。日ごろから仏縁を疎んじている我々家族に「命日を覚えやすいように」との母の優しい計らいなのだろう。
 「親孝行したい時に親はなし」とは言ったもので、小生が大学を卒業してようやく独り立ちした矢先に病に倒れた。結局、息子として何も恩返しができなかった。
 法事で母の思い出話で盛り上がると救われるのだろうが、涙もろい父の手前、その話題は露にも出なかった。
 さて、法事の席で住職はこの世は「諸行無常」であると説かれた。誰しもが何らかの形で人生の終焉を迎え、それは地球上の生命の自然の姿であり、どんな形で最後を迎えるのか、分からないと。
 肉親の死も無常である自然摂理の一部でしかないのだ。
◇先日亡くなった米アップル社の創業者スティーブ・ジョブズ氏は「毎日を人生最期の日であるかのように生きていれば、必ずひとかどの人物になれる」との言葉に出会い、人生の指針としたという。この根本も無常観であろう。
 ただ、小生ら凡人が諸行無常を達観していられるかというと、「明日がある」「明後日もある」といつまでも生が続くとばかり、未来を夢見る。
 東日本大震災しかり、トルコ大地震しかり、地球の摂理の前では人の命は必滅の儚い存在、無常である。きょうの1日1日をいかに大切に生きるのか、母の命日を前に自問したい。

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2011年10月24日

新米と食うだけの娑婆

 新米の季節である。去年の米に比べて、艶とねばりと味に格段の違いがある。
 うまいものに目がない人間のこと、新米だけでも食欲がそそるのに、その上、栗飯や松茸飯、むかご飯、鱒飯などを食べたがる。
 新米は喜ばれるが、昔の人は古米をありがたがった。新米はうますぎるから食べ過ぎる。いきおい米屋への支払いが多くなる。新米は腹に持ちが良い上に、量を多く食べるから胃にもたれて体調を崩す。飯を炊くとき、新米は水を少なくしなければならぬが、逆に古米は水を多くする。でき上がった飯は古米の方が量が多いから米代が始末できる…などと家計の算段から古米党に与する人が多かった。
 いうなれば古米は貧乏人用のブランドだった。
 米は常食するから、その値段は家計に響く。家計に響くからといっても食べぬわけにはゆかぬから、安くて量のある古米が喜ばれた。戦前の貧乏な時代は、古米より、さらに安上がりの外米(外国からの輸入米、南米米など)や払い下げ米といって、政府は飢饉用に備蓄した2年も3年も前の古古米の倉出しを買った。
 今は値段よりおいしさが強調され、こしひかり、姫小町、ひとめぼれ、などと楽しい名前で銘柄が競い合っている。
 人間のバカさ加減にはあきれるばかりで、片方で味自慢というか、美食に走りながら他方で健康食とか、スリム化といってドッグフードのようなものを食べたり、食事制限したりする。
 食うに困らないのが今の日本であり、スーパー、コンビニをはじめ、至るところの外食店に豊富な品数の食べものが並ぶ。食べるために生きているのか、と思われるほど豊かな食環境にありながら、それでも、なお、お腹が満足しないのか、土・日、祭日などの各地のイベントの主役は食べ物売り場である。子供も大人も即席もののタコ焼、ラーメン、ウドンなどなど行儀もカッコもありはしない。今、食べないと、命が危ないとばかり、口を動かしているが、一体、この人達は飢えているのだろうか。さながら戦後の焼跡の闇屋風景を思わせる。
 こんなことを言うぼくを「お前はアホか、昔からいうではないか、花より団子じゃ」と笑う人がいるだろう。
 もともと人間はいやしいのが本性で、それは他の動物や虫けらと本質的には変わらない。食べもので戦ったり、けんかしたり、他の動物たちと違う点は作法やエチケットをわきまえている点だ。
 人間がイベントを喜び、祭りに観光客が殺到するのは、一つは人混みが好きなこと、今一つはハメを外してものを食べることの楽しみだろう。そんな思いで、長浜の黒壁周辺の賑わいを見ると面白い。群れて歩く人たちの顔の表情は明るい。たいていはものを食い食いしているし、人の出入りするところは食べ物売り場や食品関係である。
 「食うだけの娑婆」「食うは生き甲斐」、そんな縮図である。【押谷盛利】

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2011年10月21日

ギリシアの危機と日本

 さきに「内憂外患と金融不安」について触れたが、ヨーロッパのギリシア発の金融不安の嵐はアメリカ・日本を含め世界の深刻な不安材料になっている。
 ぼくの胸には金融恐慌なる言葉がゆれ始めている。
 国の財政が破綻し、金融機関の資金繰りが不能になった場合、一体世の中はどうなるだろうか。
 取付騒ぎから銀行が潰れることだってあり得るし、安心して買っておいた国債や社債、あるいは株式がただの紙片(かみきれ)になる恐れさえある。日本が、今抱えている難問は70円代という超円高と株安であるが、ヨーロッパの金融不安を念頭に世界の関心は円に傾斜する。政府がてこ入れしようとも円を買う世界の動きはおさまるどころか、当分は円高が続くだろう。
 円高が続けば国内の輸出産業は立ちゆかなくなる。日本の経済は輸出によって繁栄してきたが、輸出が企業の損失を招く事態が続けば国内産業は合理化と国外への工場転出、失業者増、国内需要の減少など不況のもたらす国家財政への影響は計りしれない。
 デフレが続き、金とものがあふれ、生産したものが売れず、失業者が増え、社会福祉費が増高してゆけば国の台所はもたない。国は台所の破綻を阻止するため増税と国債に舵を切ることになるが、増税は直接的に景気に水を差すし、当然ながら購買力のマイナス要因となる。
 国債の依存は財政の健全化を損なうし、生産の減少は国家財政の健全な血の流れを悪くし、それらが金融不安を招くようになれば転じて社会不安を助長する
 いま、アメリカを先頭に世界各国で格差是正などを合い言葉に市民デモが急速に広がりつつあるが、この市民デモこそ社会不安の象徴そのものである。
 ギリシアではこのほど、10万人のデモがアテネの町を埋めたが、これこそギリシア市民の最大の政治闘争といっていい。ギリシアは2010年末、約34兆円の政府債務を抱え、ギリシア国債が紙屑になれば欧州の銀行はパンクしかねぬという危機に立ち至った。そこでEU(欧州連合)がギリシアの救済策に乗り出し、緊急支援の融資を決めた。融資と支援の条件に国内の緊縮政策、公務員の3割減。国民生活の切りつめ、増税などを約束ささせた。
 ギリシアの市民デモ10万人の決起は、政府への不満と反発によるものだが、この危機を乗り越えなかったら、ギリシアは国家としての機能を失うであろうし、その負の連鎖反応はイタリア、ポルトガル、スペインなどに波及し、各国の財政破綻と国内の混乱を招くこと必至である。
 ローマの15日のデモでは、一部が暴徒化し、70人以上が負傷したと伝えられている。世界の先進地をかけめぐる格差是正のデモは、国内の不況と増税、緊縮政策に対する政府への反発であるが、こういう国家財政の厳しさはアメリカや日本とて同じである。安易に財政を国債に依存したつけともいえるが、日本では早くから「公務員改革」「天下り廃止」が叫ばれたのは、やはり国家財政の危機を予想したからである。
 東北大震災の復旧、復興という大事業に当面している日本は、まず政府が短期、長期の両面から将来の設計図を国民に示し、くれぐれも甘い虹のような幻像を与えてはならない。【押谷盛利】

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2011年10月20日

震災後の結婚意識(見聞録)

 結婚情報誌「ゼクシィ」を発行するリクルートが行った結婚意識調査の結果が興味深い。
 意識調査の項目は多岐にわたるが、東日本大震災後の結婚意識の変化について、未婚、婚約中の女性181人を対象に調査したところ、36%が「震災前より結婚したいという思いが強くなった」「震災後、結婚したいと思うようになった」と回答した。
 子どもをつくりたい、自分の家族を守りたい、などを理由に挙げ、大震災を機に改めて夫婦や家族の絆を見直す傾向にあるようだ。「震災をきっかけに結婚を決めた」と回答した女性も12%いた。
◇このほか、披露宴のスタイルに意味を求める傾向も。
 こちらは6336人の回答をまとめたもので、披露宴開催の理由として「親・親族に感謝の気持ちを伝えるため」との回答が、5年前の62・4%から69・9%に増え、「友人など親・親族以外の方に感謝の気持ちを伝えるため」との回答も39・4%から 55・7%へと大幅に増えた。
 また、親やゲストとの関係を深める演出が増加しており、「親からベールダウンをしてもらう」(18・8%↓29・5%)、「生い立ち紹介などを映像演出で行う」(68・4%↓71・8%)などが代表例。
 大震災で家族や友人との絆を大切にする傾向が、披露宴からも垣間見える。
◇このほか、お金にまつわるデータも興味深い。
 関西での挙式、披露宴の総額は平均309万円。ここ5年で44万円増加しているが、首都圏356万円、九州353万円、四国350万円、東海337万円に比べると、目立って低い。関西の節約志向が改めて浮き彫りになっている。

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2011年10月19日

大臣を棒に振る憂いやつ

 平野達男復興担当大臣の失言が19日の中央紙を賑わせている。
 「津波で逃げなかったバカなやつがいる」。
 福島県の二本松市で行われた民主党の研修会での発言だが、本人が隣県の岩手出身の参院議員だけに、東北地方の住民の怒りの声が目に浮かぶ。
 おそらく責任をとって大臣を辞めるだろうが、さきにも担当大臣・松本龍議員が宮城県の知事に向かって「知恵を働かさないと応援したらんぞ」と威張りちらして大臣を棒に振ったことがある。平野大臣は、高校の同級生の死をいたむ気持ちがあるのか、ないのか「私の高校の同級生みたいに、逃げなかったバカなやつがいる」と語った。
 逃げる途中に流された人も多勢いただろうし、仕事や立場上、人々の避難を指導し、呼びかけながら逃げ遅れた人もあるはず。家族や従業員、生徒らをいち早く逃げさせて、最後に自身が流された人もあるだろう。
 そういう被災地の残酷な津波禍をどう思っているのか、「逃げなかったのはバカだ」とばかり、同級生の犠牲を持ち出した大臣の無神経さが問われよう。下世話に「憂いやつ」という。困ったやつ、という意味で、何かに失敗して落ち込んでいる者を上司があきれたりしてもらす言葉が「憂いやつ」である。
 どうにもならぬ不幸な出来事を世間が心配して「憂いこっちゃ」と同情することがあるが、この場合の「憂い」には偶然というか、避け難い不幸に対する素朴な隣人愛の香りがする。
 しかし、今回の失言問題で、平野氏がクビになっても民主党内で「憂いこっちゃ」と同情するものはなかろう。東北地方の人は「憂いやつ」と見下げるどころか、「こん畜生」、「大バカ者め」と怒りの声がおさまらないだろう。
 民主党は長い間の野党生活の癖が出て、言葉づかいが乱暴なため往々にして失言が問題になる。野党時代は相手を誹謗し、ケチをつけたり、文句を言っていればすんだかもしれないが、政権党になり、政治の責任のある立場になれば、おのずから言論の重みが違ってくる。大臣や与党の幹部の発言はストレートに政策や行政に影響するからである。国会は言論の府といい、その言論が尊重、保証されるのは国家、国民のために責任のある発言が期待されるからである。それなのに、大臣になって有頂天になるのか、威張ってみたいのか、後にベソをかくような失言をする。
 これは必ずしも政治家だけに求められる言葉づかいのありようではない。
 人は言葉によって思いを伝達し、言葉によって心が交流するのであるから、言葉の重みを忘れてはならない。軽はずみなもの言いで、友情が壊れたり、人を傷つける場合があるからである。
 その一言によって救われたり、心が癒されることもあるし、天下国家を動かすことだってある、と銘記しておこう。【押谷盛利】

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2011年10月18日

革新進む蓄電技術(見聞録)

 長浜市が電気自動車を導入してから3週間。「乗り心地、使い勝手はどうですか」と尋ねると、「とても静かで、加速も十分」という。市長公務で西浅井町大浦までを往復しても問題なしだそうだが、大津市への出張となると、走行距離に心配がある。当面は市内での運行に限定する予定だ。
 現行の電気自動車の走行可能距離はフル充電で200㌔程度。遠出に利用するには難しく、300万円を超える車体価格も、一般家庭に普及させる段階にあるとは言いがたい。
◇電気自動車の抱える課題は、蓄電技術に尽きる。電気エネルギーをいかに効率良く蓄え、放出する電池を開発するのか。
 今の電気自動車がフル充電に8時間かかるのも、最大200㌔しか走れないのも、蓄電技術が成熟していないゆえだ。
 今、トヨタやマツダ、NECが次々と新しい技術を開発している。17日の日経新聞が紹介していた。
 トヨタと東京工業大学、高エネルギー加速器研究機構が試作した次世代蓄電池を自動車に用いれば、走行距離は現行の200㌔から1000㌔台に延ばせるという。さらなる改良を重ね、実用化は2015〜20年を見込んでいる。
 マツダと広島大学は新しい電極材料を開発。こちらを用いれば、走行距離を今の2倍程度まで増やせ、5年程で実用化が可能という。
 NECは従来品に比べ大幅に寿命を強化した蓄電技術を開発。寿命20年の蓄電池を5年後に実用化させる。
◇この調子で高度の蓄電技術の開発が進めば、電気自動車が移動手段の主流になろう。
 ただし、蓄電技術の向上の恩恵は自動車だけにとどまらない。家庭での蓄電システムが普及すれば、深夜に浪費されている電力を蓄え、昼間に使うこともできる。さらには太陽光発電など家庭で生産した電力を無駄なく蓄え利用することでもできる。自然エネルギーの発電技術が高まれば、各家庭で電力を自給自足することも夢ではない。
◇あす19日から3日間、長浜ドームで環境産業の見本市「環境ビジネスメッセ」が開かれる。
 自然環境に優しい製品や技術が集結し、最先端の自然エネルギーや蓄電技術も紹介される。
 企業向けだが、一般市民でも楽しめ、勉強になる。時間に余裕がある方は、足を運んではどうだろうか。

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2011年10月17日

人間虫けら論と人生保険

 人間は虫類を侮辱して「虫けら」というが、人間に人権があるように虫類にも虫権があると言えないこともない。
 人間の傲慢は地球規模の話で、宇宙から見れば人間も虫けら並みかもしれない。
 人間は知恵を神さまに貰ったから他の動物や植物の優位に立って、言わば彼らの犠牲のもとに発展してきた。虫けらよりも「ありがたい」人間に生まれたことを感謝して生きるだけで充分なのに、底知れぬ欲とエゴで、民族が争ったり、国家と国家が戦ったりする。所詮は人間の傲慢から出発する。その傲慢な人間が畏怖するのは自然の猛威である。地震、暴風、豪雨、津波、雷、旱魃。虫けらを笑うように、宇宙人は人間のあわてふためきを笑っているかもしれぬ。
 人間はバカといえばバカ、おめでたい生きものといえよう。この世は何時、何処で、何が起こるや分からない。何も起こらず、平穏無事である、ということはあり得ない。あり得ないにも拘わらず、人間は横着をきめこんで、青い鳥を無限に追い求める。限りない欲の業火に身を苛まれつつ。
 大自然の中の虫けら同様の人間にとっては、今日の安全無事が明日の安全無事を保証するとは限らない。日本の国内の自然災害や狂気じみた犯罪には目を向けるが、世界的視野に立てば、地球のあちこちで大災害が発生しているし、テロ、その他、安全を損なうトラブルや争いが絶えない。鈍感というのか、めでたいというのか、「おれ(私)は心配ない。おれは幸せだ」とみんなひとりよがりの大平楽を決めこんでいるに過ぎない。
 人間の八苦の一つに「求不得苦」というのがある。求めても得られない苦と訳することができる。
 欲の皮の厚い人間どもは寝ても覚めても「ああもしたい」、「こうもありたい」、それこそ多種多様の夢や欲の中に生きている。しかし、いかに求めても得心するような成果が得られないのが人間の娑婆である。
 恋愛、進学、就職、結婚、健康。人生の過程では、人それぞれ、目標や夢を持ち、明るく前向きに進むが、必ずしも思うようにはならない。
 人間は、万一を考えて、生命保険や災害保険をかけるが、人生そのものの保険を考えたことがあるだろうか。
 ぼくのいう人生の保険は掛け金のいらないのが特徴である。それは、いつ何が起きようが、自分の身にどんな災厄がやってこようが、あわてないという不退転の哲学で武装することである。宗教的人生観といってもいい。
 生きている今を幸せと感謝する反面、身に何が降りかかろうと、それもまた可なり、どうせ虫けらではないか。地の中へ、水の中へ消えてゆき、大自然の中へ帰るのもまた幸せ、という生き方である。【押谷盛利】

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2011年10月15日

被災地からの手紙(見聞録)

 東日本大震災の被災地で続くボランティア活動。先月には長浜曳山まつりの山組「月宮殿」の若衆(村居弘之筆頭)らが福島県へ赴き、会津若松まつりに参加した。被災者が暮らす仮設住宅3カ所も慰問し、しゃぎりの演奏や、「ヨイサ、ヨイサ」の掛け声で、被災者を元気付けた。
 若衆のほか江州音頭普及会、日野町手作り甲冑事業委員会なども参加した。その様子は9月27日付けの滋賀夕刊で伝えたとおり。
 滋賀からの応援に対し、先日、仮設住宅の住民からお礼の手紙が届いたというので、若衆の中村豊さんに見せてもらった。
 手紙には「毎日を暗い気持ちで過ごしているところにこうして突然来ていただき、本当に心が温かくなりました」「私どもを楽しませていただき、長生きしなければと思いました」と謝意が記されていた。
 「原発のために何もかも失いました」と悔しさをにじませながらも、「これからのため、頑張る気持ちになれました。生きていれば、こうして、面白く楽しく—。私も滋賀に行く気持ちを持って頑張ります」と綴っていた。
◇被災地でのボランティア活動は、津波の被害を受けた沿岸部でのがれき撤去や遺留品捜索にとどまらず、仮設住宅で暮らす被災者への物心両面での支援が欠かせない。
 1995年の阪神大震災でも住む場所を失った被災者が仮設住宅に入り、他の住民と交流のないまま孤独死するケースが相次いだ。震災でこれまで築いて井きた近所付き合いを失って孤立化し、心身をすり減らした結果だった。
 月宮殿の若衆らが会津市内の仮設住宅を慰問した際も、住宅の中にこもったままの住民も少なくなかったと聞いた。
 手紙に記されていた「毎日を暗い気持ちで—」とのくだりが、仮設住宅で暮らす被災者の心の内を代弁している。
 彼らの傷ついた心をいかに温め、和ませるのか。放射能汚染で故郷を追われ、仮設住宅で暮らす人々の孤独感や悩みに寄り添う支援に積極的に取り組みたい。

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2011年10月14日

自民党県議団への批判

 12日の県議会で、嘉田知事が提案した脱原発への一里塚ともいうべき「再生エネルギーの調査費」が自民党の反対で否決された。
 エネルギーの原発依存を徐々に減らしてゆき、窮極は「原発よ、さよなら」というのが天の声であり、世界共通の良識となっているが、敦賀原発に近い滋賀県にあって脱原発発想の知事の政策にノーを叫んで、これへの予算を否決に追い込んだ自民党県議の責任は大きい。これは明らかに知事いじめの数の暴力であり、県民感情からいえば大ペケである。
 考え方の違いから施策が激突するのは当たり前のことだが、今回のケースは政策の激突というよりも単なるいやがらせにすぎない。再生エネルギー調査とはいかにも大仰だが、自民党は、基本的には反対ではなく、時期尚早だというのである。
 アホかいな、と言いたくなるではないか。再生エネルギーを模索し、その導入に情熱を傾けるのは早ければ早い方がよいのである。全国のトップを切って道筋をつけ、国の方針にまで影響を与える施策こそ環境先進を自負する本県のスタンスでなければならぬ。
 しかし、今回葬られた調査費は秋の蚊の羽音にも及ばないメメンカスである。聞いてあきれるが何と360万円である。専任事務費の1人分にも及ばない。当初は560万円だったが、内部の調整段階でひとまずパスしやすいように減らしたという。どっちに転んでもみみっちい話で、時が時であるだけに、再生エネルギーであれ、代替エネルギーであれ、それへの転進政策は大胆にして急がねばなるまい。ノミのタマキンにも及ばない微少予算で何を期待し得ようか。
 所管課はびわこ環境部温暖化対策課というが、ぼくに言わせれば「県民の命を守る課」のやるべき大仕事である。
 自民党の中には嘉田知事の「もったいない」政策を不景気招来の根源として批判するが、いま世間の方向は「断捨離」であり、借金政策より堅実路線であり、世界の命運もこれにかかっている。【押谷盛利】

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2011年10月13日

高校再編、地元の声伝えたい(見聞録)

 滋賀県議会はきのう12日の本会議で、議員から提案された高校再編の延期を求める決議案を全会一致で可決した。
 この決議に拘束力はないものの、地元を納得させる説明責任を果たせ、とのメッセージが込められている。
 県教育委員会がこの決議を受けて、再編計画のスケジュールを延期するのか、そのまま強行するのかが、当面の焦点となりそうだ。
◇県教委のスケジュールでは、今の中学3年生が高校3年生となる平成26年度に、再編が始まる。統合の対象となっている長浜、長浜北の両高校では新入生の募集がストップし、2、3年生だけの高校となる。
 一方、統合校は1年生のみの学校となる。校舎は長浜高校を利用するため、26、27年度は、校舎内に長浜高校の生徒と、新高校の生徒が混在することになりそうだ。また、教室の数が足りないため、建て増しを求められるが、隣接地を新たに購入するのか、それともグラウンドなどを潰して校舎を建てるのだろうか。
 それ以上に、統合校がどのような高校になるのかが見えてこない。
 彦根東や虎姫に肩を並べる進学校なのか、それとも幅広い学力の生徒が集う学校なのか。県教育委員会は将来像を示していない。
◇県教委は少子化で学校規模が小さくなっていることを再編の理由に掲げ、社会性を身に付けるためには6~8学級が望ましいとしている。
 県教委の指摘するように、中学校の卒業生は平成2年の2万0747人をピークに減少を続け、平成22 年には1万4439人となっている。この20年で実に3割も減った。
 少子化に伴い、それぞれの学校規模は小さくなった。
 再編計画に対しては、教職員関係者やPTA、市議会などが白紙撤回を求めているが、高校再編そのものへの賛成意見は決して少なくない。
 滋賀夕刊にも「反対意見ばかりが載るが、賛成の声も取り上げて欲しい。『母校を守れ』『歴史を守れ』という理論では、子ども達のためにより良い教育環境をつくれない」との電話が寄せられている。
 白紙撤回を決議した市議会も、1年以上の延期を求めた県議会も、高校再編自体には理解を示している。
 しかし、そういう再編賛成者の思いに、県教委が具体的将来像を示して応えられているかというと、「否」だろう。
 ならば、地元から再編案を県教育委員会に提案してはどうだろうか。
 新しい高校はこういう姿にして欲しいとか、統合スケジュールはこうあるべきとか、湖北地域に定時制を残すべきとか、せっかくの再編チャンスを生かすため、地元から声を挙げたい。

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2011年10月12日

内憂外患と金融不安

 内憂外患という言葉がある。今の日本がこれに当てはまるのではないか。東日本大震災と福島原発事故、その半年後に和歌山、奈良方面を襲った台風禍。多くの人が死亡し、家と土地を失い、住むべき集落が潰滅し、産業は崩壊した。
 国民の温かく強い助け合いと連帯はその復興にゆるぎない期待感を持たせるが、復興への道程は険しく、増税その他の国民負担は容易ではない。
 今日の日本の国難にも比すべき、この実態はまさしく内憂そのものである。
 外患とは何か。中国やロシア、北朝鮮の軍事的脅威もさることながら、いまぼくが声高に警告しようとするのが国際的金融不安である。
 10日の朝日によれば、フランスとベルギーに経営基盤を置く金融大手のデクシアが経営に行き詰まり、破綻処理に入るという。いま、世界はアメリカ、ヨーロッパ、中国に至るまで経済危機が言われ、国境を越えて押し寄せる金融不安に各国とも手を焼いている。
 世界の金融不安の発信地はギリシアであるが、今回のデクシア破綻情報はフランスとベルギーへの影響のみならず、直接的には欧州連合(EU)の不安感を世界に拡散する。
 EU参加のヨーロッパ各国は目下、ギリシア金融の立て直しに深刻な対応を迫られている。ギリシア政府の国債が債務不履行になる懸念を持つからで、いまのところ、ドイツ、フランスなど金融安定国家をリーダーにEU各国はギリシア支援策を続けているが、国際的金融不安の嵐はいつどこから竜巻のように発生するか分からない。ギリシアの経済的立ち直りは欧州の金融機関の最大の関心事であり、その不安はポルトガル、イタリア、スペインにも及ぶと懸念され、一刻も目が離せない。
 たまたま、こうした欧州の金融不安を目のあたりにして、世界のドルの本山、アメリカにおいて、大規模な市民デモがワシントン、ニューヨークから全国に波及しているのは決して偶然でもなければ偶発でもない。このアメリカデモは富者と貧者との格差是正を合い言葉にしているが、自然発生的に広がりを見せるこの市民デモ、決して対岸の火災視することは許されない。
 格差是正の声の意味する背景は集約すれば生活不安である。9%という失業者が町に溢れ、大学を出ても就職できず、大企業はヨーロッパや中国の競争下に業績の低下や社業の縮小。景気の後退からくる国民所得の低迷、その他の諸原因による国民の貧困意識などが、税制改革を求め「大金持ちより国民のための政治を」と騒ぎ始めた。
 自然発生的とはいえ、何千、何万人の国民が、あちこち全土にデモをすること自体、幸せと自由を求める国民の声が並々ならぬものであり、この海外からの金融不安と生活不安の声が日本へ上陸したらどうなるか。外患とはこの心配をいうのである。【押谷盛利】

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2011年10月11日

足りないボランティア(見聞録)

 天候に恵まれたこの3連休、各地の行楽地は大いに賑わった。湖北地域でも豊公まつり、虎姫の大道芸フェスタなどの催しに市民や観光客が大挙した。テレビは番組改編の時期に合わせて特番が組まれ、お笑い芸人や韓国アーティストが出づっぱりだった。
 一方、東日本大震災の被災地。福島第一原発事故に伴う緊急時避難準備区域(原発から半径20〜30㌔)の指定がようやく解除され、避難先から戻る人や再開する学校も出始めた。
 きょう11日で震災から7カ月を迎えた。原子炉の冷却作業は着実に進んでいるが、放射能に汚染された表土を取り除く「除染」には莫大な予算と時間がかかる。被災地の復興は程遠い。
 毎日のように新たな遺体の身元が判明し、新聞の片隅で報じられている。津波で流された家財道具などの撤去も現在進行形で、全国から集まるボランティアが貴重な戦力となっている。
 震災直後のように、そのボランティア活動が新聞で紹介される機会は減っているが、湖北地域からも各種団体が被災地に赴き、地道に支援活動を続けている。
◇きのう10日、神照町のバー「ワンコイン」の主催で、豊公園で「お月見パーティー」が開かれた。そこに参加していた30代の男性も最近4泊5日でボランティアのために気仙沼に行ったと明かしてくれた。
 気仙沼は津波と火災で甚大な被害を受け、当初から注目を集めた被災地だけに、がれきの撤去など最低限の処置は済んでいると思っていたが、まだまだ手付かずの場所があるようだ。
 彼は津波で流されたものを拾い集める作業に従事した。広大な田んぼの中で、冷蔵庫などの家電や、家族の写真などが泥にまみれていた。
 震災から半年以上が経過しての、この現状に「まだまだボランティアの手が必要」と、再度、東北に行きたいと語っていた。
◇岩手、宮城、福島の3県でボランティア活動に取り組んだ人数は、4月に14万8200人、5月に16万8000人を数えたが、8月には9万6300人、9月には5万8600人と激減している。
 しかし、被災地、特に沿岸部ではボランティアが足りていない。
 東北地方ではすでに秋が深まりを見せつつあり、朝晩の冷え込みは厳しい。積雪の時期が到来すれば、ボランティア活動にも支障を来すだろう。できうる限り機会をつくり、被災地応援に行きたいものだ。
 ボランティアに関する問い合わせは長浜市社会福祉協議会のボランティアセンター℡(74)8200へ。

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2011年10月07日

立小便を笑う天心の月 

 今年2月亡くなった歌人・石田比呂志に次のような立小便の歌がある。
 「立小便している爺(じい)を天心の月が笑いを怺(こら)えてみおり」。
 このごろは行儀がよくなったのか、公衆トイレが行き届いているのか、立小便を見ることがなくなった。小便という言葉が不潔なニュアンスを持つせいか、「立ちション」なる言葉が定着した。何人かが宴会帰りの畑でいっせいに放水することがあった。あれを石田は「連れション」と呼んで歌にした。
 溜まっているものを我慢し切れず出すのは生理的所作であるが、衛生面と公衆道徳の上からトイレ以外での行為は御法度である。
 ぼくは子供のころ父に連れられて外に出たとき、父と一緒に連れションしたことを思い出す。ぼくが、さっと切り上げるのに父はいつもぼくより遅れる。このごろになって大人のションと子供のそれとの体の相違が分かるようになった。
 例えば、子供は夜は熟睡して夜中にトイレに行くことはないが、大人はそうはゆかぬ。なかでも老人は何回か行く。頻尿の言葉そのままに何回となく行かねばならぬ人もある。前立腺肥大の人はその傾向が顕著だが、一つは溜めておく容れ物が小さくなったり、我慢する弁の効きが悪くなったりするからだ。
 有名な女優さんが、病気の関係で「持ち時間」が少ないため、旅行など家を出たときは必ず1時間ごとにトイレに行くと語っていた。
 催す、催さないは別に、とにかく先回りして処理しておかないと、いつ、どこで、あわてたり、失敗したりするからだ。ぼくも残念ながらそういう方向へ流れつつある。
 ぼくは、みんなに注意していることが一つある。それは駅や集会所やホテルなど、人の混み合うときのトイレ待ちの知恵である。
 何人もの人が列をなして順番を待つが、こんなとき老人の跡に続くのは避けるのが賢明である。若い人が3人済ましても1人の老人がまだ終わっていないことがあるからだ。放尿の時間が長いだけでなく、切れがなかなか終わらないからである。いつまで続くのかと、ご本人はいらいらするが、しずくがおさまらない限り離れられない。
 これが苦の種というので茶や水を抑える人があるが、これは禁物で、人間の体は70%も80%も水分であるから水分の補給をしなければ病気になる。とくに夏季は熱中症などの危険があるからセーブすることは避けたい。
 ぼくの母は晩年、夜は茶を飲まなかった。トイレに行くのがいやだからだと言っていたが、今になって、母の苦が分かる。しかし、出るから困ると愚痴ることは禁物である。逆に出なかったらそれこそ大変である。だから、昔から漢方であれ、何であれ「利尿」のクスリや食事法が広く伝わっているのだ。
 大でもそうだが、出るべきものは出さなくてはいけない。そう思いながら気のつくことは、駅でもホールでも女性用のトイレが少ないことだ。至急に拡大すべきであろう。【押谷盛利】

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2011年10月06日

ジョブズ氏の死去(見聞録)

 米アップル社の携帯電話「アイフォン」が日本の市場で猛威を振るっている。
 これまでは、ソフトバンクのみが取り扱っていたが、KDDIも14日から販売を始める。アイフォンの普及に一層の拍車がかかることだろう。国内メーカーの善戦に期待したいところだ。
 アイフォンの魅力はその徹底された使いやすさと、デザイン性にあると評価されている。アップル社はアイフォンのほか、パソコン、携帯音楽プレーヤーでもシンプルなデザイン性と高機能性で消費者を魅了し、特に今の若い世代には欠かせないアイテムとなっている。
◇そのアップルの成長を主導した元CEO(最高経営責任者)のスティーブ・ジョブズ氏が5日、56歳で死去した。
 アップル社の創業者であり、世界一(株価時価総額)の大企業に成長させたジョブズ氏とは—。
 大学中退後、世界初とされるパソコンを友人と一緒に開発し、自宅のガレージを拠点に「アップルコンピュータ」を創業した。20歳前後の頃だった。
 その後、開発したパソコン「マッキントッシュ」が「マック」の愛称で親しまれるまでに世界的に流通し、一流企業の仲間入りに。
 一時、社内の経営紛争に敗れて追放されたものの、経営悪化で苦しむ同社の立て直しのため復帰。2000年、CEOに就任した。
 パソコン、携帯音楽プレーヤー、携帯電話などを次々と世に送り出し、インターネット網を活用したデジタル事業で、世界を席巻する大企業として復活させた。
 しかし、04年にすい臓がんが発覚。今年8月にはCEOを辞任していた。
◇今やどこにでもアップル社製品が溢れている。滋賀夕刊の社内でも、アイフォン利用者が4人、アイパッド(携帯型パソコン)が2人、マック3台という具合に、同社製品が幅を利かせている。
 お店に行かなくても、いつでも、どこででも、音楽を聞いたり、地図を見たり、本を読んだり、映画を見たり、写真を撮ったり、メールを送ったりできる便利な世の中となった。
 インターネット網の発達と、ジョブズ氏のような革新的経営者、企業の飽くなき挑戦のおかげであろう。
 その世界の変革を加速させたジョブズ氏が17歳で出会った言葉がある。
 「毎日を人生最期の日であるかのように生きていれば、必ずひとかどの人物になれる」。

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2011年10月05日

論語と天命を知る謙虚さ

 ぼくの座右の書の一つに論語がある。味わえば味わうほど味の出る倫理や哲学がちりばめられている。
 論語読みの論語知らずというが、論語は江戸時代の教養書であり、寺子屋などでは4、5歳の子供のころからこれを教えた。読み書きの国語と道徳の勉強を兼ねたようなものだが、その深淵な内容は到底子供には理解できないだろう。
 しかし、声を上げて音読するうちにリズム感宜しく、各項の幾つかを暗譜したであろうし、秀才はその多くをそら読みすることが出来たのかもしれない。中国の古典であるから当然漢字ばかりだが、送りがなや返り点などをつけて読みやすくした日本人向けの本や解説書が出ているから、それらを参照に読めば2500年も前の孔子の生き方やその教えが偲ばれる。
 ぼくがいつも気にする言葉は「為政」第二に出てくる次の文言である。
 「吾れ十有五にして学に志し、三十にして立つ。四十にして惑れず、五十にして天命を知る。六十にして耳順い、七十にして心の欲するところに従いて矩を踰えず」。
 「私は十五のころに学問を志し、三十歳になって、しっかりと両足を踏まえて自立した。四十歳になって狭いわくにとらわれず、五十歳にして天のあたえたまう使命を知った。六十歳になると、ひとのことばをすなおに聞いてその心を察するようになり、七十ともなればしたいと思う気持ちのままに任せても、わくを越えぬようになった」(学習研究社の「論語」藤堂明保訳)。
 四十にして惑れずは、四十にしてまどわず、とも読まれ「不惑」なる言葉が40を意味するようになった。六十の耳したがうは「耳順」と読まれて、60歳を意味する。七十にして心の欲するところに従いて矩を越えずの矩は「のり」と読まれ、「法則、範」と同義語である。要するにしたいことをしながらそれが道に外れたり、道徳や法、掟などに反することがない、というのである。まさに理想の心境であり、日本の快僧でいえば一休禅師を思う。
 四十にして、とらわれずは、惑わずと一般に理解されているが、人生途上、人間としての勉強や体験の集積から確固たる人生観に立ち迷いがないということ。五十にして天命を知るは、論語のなかでも孔子が特に重きを置いているとされており、小説「論語」で、著者の井上靖は「天、何をか言うや、四時行われ、百物生ず、天、何をか言うや」の孔子の言葉を取り上げて説明している。
 四季の運行は滞りなく行われ、万物は生長する。しかし、天は何も申しません。天命を知るとか、天命を畏るとか、天とか命とか、今もわれわれは簡単に使うが、孔子が五十歳になって知ったという天命の深さはわれわれ凡人にはなかなか分からない。分からないけれども、われわれは朝起きれば天を拝み、月が皓々と照らせば合掌し祈る。天を恐れ敬う、祈りの心のなかにわれに与えられた天の意志を感じることをいうのであろうか。天を神といいかえてもいいのではないか。天命とあらば成否、毀誉褒貶を超えて誠心一到、己が所信殉ずる心が大事だろう。
 日本人自身が静かに深く天命を知るの謙虚さが望まれるのではないか。【押谷盛利】

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2011年10月04日

増税を前にして…(見聞録)

 復興増税が徐々に現実味を帯びる中、国民から「公務員厚遇」との批判をかわすため、野田首相は3日、東京・朝霞の公務員住宅の建設を5年間凍結することを発表した。
 震災で住む場所を失い仮設住宅で暮らす被災者に思いを巡らしてのことらしいが、元々、2年前に行った「事業仕分け」で無駄遣いとして「凍結」と判定されていた。ところが昨年12月、建設予算が盛り込まれた。当時、財務大臣だった野田首相は「真に必要な施設」として、建設を訴えていた。
 整備を主導する財務省は古い宿舎の廃止・売却で120〜130億円を確保でき、朝霞の住宅建設費110億円を差し引いても10〜20億円を復興財源に回せると説明。そして先月、着工していた。
◇そもそも国が公務員宿舎を所有する必要性はあるのか。
 宿舎が必要であれば、民間から借り上げれば良いのではないか。少なくとも「公」が整備・管理するよりは、「民」の方がよほど効率的であろう。
 民間企業のように家賃補助でもかまわないはずだ。「民間にできることは民間に」という方針の中で、100億円以上もの税金を費やして宿舎を整備する必要はない。
◇さて、今回の野田首相による朝霞住宅建設凍結は、増税を控えた国民の溜飲をいくらか下げることができたのだろうか。
 否であろう。増税の前に取り組むべき一つの課題に過ぎない。民主党が政権交代の公約に掲げていた公務員人件費2割カット、天下り規制はどうなったのか。高校授業料無償化、農家所得補償などのバラマキ政策の見直しも欠かせない。
 本当のところ、国が本気になれば、増税の前にいったい何兆円の税金を節約できるのだろうか。
 例えば東京電力。今後10年間のコスト削減で2兆5000億円を工面できるという。政府の第三者委員会が調べたところ、料金設定の前提となる原価計算で6000億円も「サバを読む」などしていた。どれほど私腹を肥やしていたのか。これが競争原理の働かない独占企業の姿なのだろう。
 そう考えると、国も公的サービスを行う超巨大独占企業。いったいどれほどサバを読んで税金を値上げし、私腹を肥やし、無駄遣いをしているのか。こちらは白日のもとに晒されることなく電気代値上げよろしく、増税へ一直線。

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2011年10月03日

覚悟はよいか、みなの衆

 暑さ寒さも彼岸まで、と昔の人はよい言葉を残してくれた。
 残暑に悲鳴を上げていたが、彼岸が過ぎ、台風が過ぎたとたん、急に朝夕の冷えを感じるようになった。季節の移りの正確さにはたまげるばかりで、彼岸花が枯れたと思うや金木犀が香りだした。
 これから菊、紅葉、娑婆は運動会、各種の展覧会シーズン。野や山の果実や海の魚がおいしくなり、天高く、馬肥ゆる好季というべきだが、原発や地震、台風の被災地の救援、復興を考えると、決して浮かれ気分になれない。それどころか、復興予算の何十兆円の調達や増税、円高のもたらす国内企業の不況、金融不安など数えあげれば危機感の重圧にひしゃげる思いである。
 日本の長い歴史と伝統にかんがみ、民族の団結と友愛が必ず危機を突破するであろうが、今、一番心を痛めるのは原発の可否であろう。
 歓迎は出来ないが、廃止するわけにはゆかないという肯定派と、国家と国民の存亡のため廃止しなくては、とする否定派の両論がかまびすしい。
 電力の多くを原発に頼り、電気と生活、電気と産業を念頭におけば、ストップといえないし、かといって、ずるずると現状を引きずっていれば第2の福島の心配の種が消えない。それよりも不安なのは世界的徴候ともいうべきテロであろう。
 原発テロが発生すればお手上げというほかはない。事故の未然防止は安全策の上にも安全策がとられるが、悲しいかな、窮極はすべてこれ人間が関わり、完全といえる科学的装置といえども100%信じるわけにはゆかない。
 それは原発の安全神話が、福島原発でもろくも崩れたことで立証された。そう考えれば、国民の生活や産業の維持発展にマイナス要因となろうとも思い切って原発廃止に方向を転じねばなるまい。原発に頼れば、事故が絶無でない限り、国民は生涯、さらには次の世へもその負を申し送ることになるが、それはまさに日本の末期であり、国民を奈落の底へ落としめる地獄図そのものである。否定論は勇気がいるが、学者総動員による代替エネルギーの開発と技術革新に集中すべきであろう。繁栄と幸せの背中合わせのなかで、苦しまねばならないのが刻下の国民の運命である。
 覚悟はよいか、その声を政治家も言論人も言いそびれているのではないか。【押谷盛利】

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2011年10月01日

電気自動車がお目見え(見聞録)

 次世代の乗り物、電気自動車が長浜市内でも走り出している。
 八幡中山町の機械工具商社「山久」がいち早く営業車に電気自動車を配備し、充電設備を設けているが、長浜市もきのう30日、「日産リーフ」1台を配備した。リチウムイオン電池を搭載し、100%電気の力だけで動く。
 早速、見せてもらったが、驚くべきはその静かさ。起動しているのかどうか分からず、発車の際も無音。ガソリン車と比べるとその存在感は別次元で、クルマというよりは巨大な電化製品という印象だった。
 排気ガスを一切出さないので地球環境に優しく、夜間に充電すれば、これまで浪費されていた夜間電力の有効活用にもつながる。
 ただ、運転手はもちろんのこと、歩行者や自転車はその無音に気を付ける必要がありそうだ。今までのようにエンジン音を頼りに安全確認していては交通事故の引き金となるだろう。
◇電気自動車の普及にはいくつかハードルがある。まずは価格だろう。日産リーフの場合は400万円前後。国から78万円の補助金が出るが、それでも300万円を超える車は、一般市民には手が届きにくい。
 1回の充電で走行できるのは200㌔。市内を移動するには問題ないが、県外へは心もとない。フル充電には8時間を要す。急速充電なら30分だが、電池の80%までしか回復しない。
◇以上のように、価格、距離、充電時間に課題があるが、性能向上は時間の問題であろう。
 ただし、電気自動車が普及すれば、電力需要は増える。原発の安全性が問われ、節電を余儀なくされている今の日本で、新たな電力需要が生まれることは、電力供給の面で課題だ。
 そうは言っても、ガソリンという、地球が何億年もかけて蓄積してきた化石燃料に頼らず、強いて言えば不安定な中東地域に左右されずに、走らせることができる電気自動車は魅力的だ。エネルギーの変換効率もガソリン車より高い。
 自給自足が可能な電気エネルギーだけで動く車の普及は、エネルギー独立国への礎となりはしまいか。
 ガソリン車の騒音と排気ガスが遺物となるのか。電気自動車の性能向上と普及が待ち遠しい。

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