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台風の恐怖と過去2例

 生きた心地がしない、というのは危機寸前の恐怖の心境だが、古来、日本ではその恐怖の代表例を挙げて、地震、雷、火事、親父と言ってきた。
 今は怖い親父は無くなったが、なぜ台風がここに登場していないのか、少し気になる。
 しかし、日本人は昔から「二百十日」、「二百二十日」を厄日として、その平穏を祈ってきた。
 二百十日は立春から数えて二百十日。暦の上では9月1日ごろで、その10日後が二百二十日。
 なぜ、二百十日が厄日として怖れられたか。それは日本人の食生活に直結していたからである。このころは稲の開花期にあたり、もし暴風雨が襲来したら、その年の稲作は壊滅的な打撃を受ける。いわゆる飢餓によって、日本人の生命の安否が問われるわけだ。
 だから二百十日、二十日の無事を祈るのは、ただに生活がかかっている農民だけでなく、ひろく国民全体の生死にも関わるからである。そういう長い農民の不安と苦しみを解決するため、戦後、いち早く研究されたのが早場米の栽培だった。
 「こしひかり」などに代表される早稲米が主流となって、今では9月に入ると大部分の田が穂ばらみを終えて収穫の季節に入る。稲作技術の進化によって、台風期に花をやられる心配はなくなったが、今回のような暴風雨に遇えば稲の倒壊はまぬがれ得ない。収穫前であれば刈り入れに難渋するし、水に浸かっていれば芽の出る恐れさえあり、いずれにしても厄介なことには違いない。
 今回の台風は四国、近畿、中国など通り筋近辺の被害もさることながら、東海、北陸、関東にまで被害を残し、その大型ぶりと、のろのろによる広範囲な影響が人々の心を恐怖のどん底に落とし入れた。まさに地震、雷、火事、台風というべきである。
 今回の台風で、ぼくは過去の2つの超A級台風を思い出した。一つは昭和9年(1934)9月21日の室戸台風。高知県の室戸岬付近に上陸して京阪神を襲った超大型で、大阪などでは小学校が倒壊して生徒が死んだ。全国の死者・行方不明は3036名に達した。ぼくの家のすぐ前の何百年からの巨大な杉が中央で折れたくらいだから、家々の瓦が吹き飛んだ。京都では鴨川の水が氾濫して、河原町通りを船が浮いたといわれた。琵琶湖周辺の田んぼや集落は水浸きになった。
 それから25年後の昭和34年9月26日にやってきたのが、今も記憶に新しい「伊勢湾台風」だった。和歌山県の潮岬付近に上陸し、伊勢湾を中心に名古屋、東海道方面、関西をひとなめして北コースで富山湾を通り三陸沖へ抜けた。死者・行方不明5101名をいう大被害だった。
 長浜市の市街地は多くが床下浸水し、旧国道は雨水を含んで道の平面が凸凹した。姉川、天野川が決壊し一部で人家が流れた。
 県下の河川や山の土砂崩れなどで交通が支障し、山間部では孤立する村もでた。それでも本県は直撃をまぬがれたが、万一、直撃されていれば多大な死傷者、行方不明の犠牲者が出たはず。
 今回の台風を明日に備える最大の教訓として、あらためて防災を喫緊事として取り上げるべきである。【押谷盛利】

2011年09月05日 14:53 |


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