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新藤兼人監督99歳の遺言

 ぼくは人間の生死は神さまのご意志によるものだ、と考えている。若くて死ぬ人、長寿する人、人それぞれに神さまは何らかの荷物を背負わして、世の中をよくするよう配慮されている。
 今年99歳を迎えた映画監督の新藤兼人さんは、最後の作品ともいうべき映画「一枚のハガキ」を昨年完成し、自分の不思議な運命について「文芸春秋」9月号に「日本人への遺言」と題して語っている。
 映画「一枚のハガキ」は、兵隊にとられた召集兵の妻が夫に差し出したもので、文面には「今日はお祭りですが、あなたがいらっしゃらないので、何の風情もありません」と書かれていた。その兵隊は返事を出す暇もないので、そのハガキを持って戦死した。
 以下は新藤さん自身の兵隊物語。
 新藤さんは体が小さいから兵隊検査は丙種合格だった。召集令状が来るわけがないのに赤紙が来て、昭和19年3月、撮影所仲間に見送られて広島県呉の海兵団に入った。31歳だった。1週間後、配属されていた100人の部隊は夜中に奈良の天理教の施設へ派遣された。海軍予科練の兵隊の入る施設を掃除するのが任務だった。仕事が1カ月で終わると、100人のうち、くじ引きで60人がフィリッピンの陸戦隊へ行くことになったが、到着前に敵の潜水艦に撃沈されて全員戦死。残り40人のうち30人が、再びくじで潜水部隊に配属されたが、これまた全員戦死。新藤さんを含む残り10人は兵庫県の宝塚に送られ、歌劇団の建物の掃除をしていたが、また、くじで4人が海防艦の機関士になったが、これまた戦死。100人のうち6人だけが、宝塚の番兵として残った。
 復員後、松竹大船の脚本部で仕事に没頭したが、シナリオを書いているうちに、書くことができるのは生き残ったからだ、という思いがわいてきて、94人は俺たちの代わりに死んだんだ、と思うようになり、「私はなぜ生きているのだというところから私のシナリオや映画が始まった」と語っている。
 新藤監督は福島の原発事故について言及している。
 あやふやなことを言っているな、という感じ。広島では原爆投下でその年のうちに14万人ほど死んでおり、さらに10万人が放射能でだんだん死んだ。だからもっと放射能のことをちゃんといわなきゃいけない。
 人体に影響は無いとか、致死量に至っていないなどというが、放射能は重なっていくので、今、被曝し続けている人は何年か経つうちに健康被害をもたらしかねない量に近づいていくことは関係者みんなが知っている。今まで大丈夫だといってきて、今も大丈夫と言っている専門家は首にならなきゃいけないんじゃないか。【押谷盛利】

2011年09月02日 19:40 |


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