滋賀夕刊新聞社は滋賀県長浜を中心に政治、経済、文化の情報をお届けする新聞です。



2011年09月30日

悪党どもに神のお怒り

 小沢一郎・民主党元代表の元秘書3人の有罪判決は裁判の正義を奏でるようで、国民は拍手で歓迎した。
 小沢政治資金の本山・陸山会の億単位の政治資金のごまかしやゼネコンから受け取ったワイロ性の裏金までも認定され、小沢権力の陰湿な実態が白日のもとにさらけだされた。賢明な国民は、これを氷山の一角と見なし、泥沼の底の底まで大掃除することを望んでいるが、当の小沢本人やその家来どもは沈黙したまま75日の風のおさまるのを待っている。
 マスコミは一斉に小沢元代表の政治的責任を追及し、衆院議員の辞任を主張している。小沢自身も政治資金の疑惑で強制起訴され、近くその裁判が開始されるが、今回の元秘書3人の有罪は不吉な暗雲というべきか。野党は国会における証人喚問を要求しつつ、その取るべき政治責任として小沢氏と元秘書の石川和裕議員の辞任を要求しているが、民主党はだんまりか、ノータッチでひたすら嵐のおさまるのを待っている。
 ぼくはこれまでに、何回か触れたが、信なき政治は立たずで、国民はもはや民主党に期待することはなく、運命共同体として、この党に国家の将来や国民の幸福を委ねることはあるまい。
 それにしても民主党は公党としての矜持やモラルをいつから失ったのであろうか。
 小沢大明神を守るため会派を離脱したり、党内闘争にエネルギーを発揮する子分どもはもちろんのこと、良識派とされる連中からでさえ、党風刷新の声が上からない。民主主義の政治であり、政党でありながら、小沢大明神のご威光にひれ伏している姿は到底常識では考えられない。
 民主党は国民の期待を泥足で蹴ったが、その罪は深く大きい。野田首相はその清新性と中立性を期待されたが、党と内閣の人事を見て、その期待は裏切られた。なんと、政党の要(かなめ)である幹事長に日教組上がりで、小沢側近の同党参院のドン・輿石東氏を据えた。
 警察の最高のポスト・国家公安委員長にこれまた小沢の家来を用い、その他、党及び各省庁の委員長、大臣、副大臣等に小沢派を続々登用した。政治とカネの暗雲たれこむ疑惑の政治家に支配されているこの民主党のていたらく。この期に及んで党を粛正し、政治を国民の元へ帰す良識派の決起がなければ、国民がアウトの宣告をするしかない。こんな汚れきった信なき与党の手による増税なんか、まっぴらご免である。
 国民の顔に泥を塗る悪党どもに神のお怒りとお裁きあれ。【押谷盛利】

| | トラックバック ( 0 )

2011年09月29日

「サラ川」総選挙を前に(見聞録)

 企業で働くサラリーマンをはじめ、OLや主婦などが仕事や家庭の出来事を面白おかしく、五・七・五で表現する「サラリーマン川柳」。1987年に第一生命保険が始めた企画で、毎年その年の世相や流行を表現するユニークな句が投稿されている。
 今年で25回目を迎えることを記念し、同社は28日、過去の優秀作品60句から優秀賞を選ぶ「サラ川総選挙」を行うことを発表した。その60句についてはまだ発表がないが、これを機に過去に発表された川柳を読み返すと、その当時の日本の世相が垣間見えて懐かしい。
◇バブル崩壊直前の1990年の最優秀作品は「ボディコンを 無理して着たら ボンレスハム」、次点は「一戸建 手が出る土地は 熊も出る」。OLがディスコで遊び、地価高騰によりサラリーマンは田舎でしか一戸建てを持てない時代だった。
 バブル崩壊後は景気低迷で企業を取り巻く環境は厳しく、経費の切り詰めや人員整理は当り前。「コストダウン さけぶあんたが コスト高」(98年)、「『課長いる?』 返ったこたえは 『いりません!』」(03年)がそれぞれの年の最優秀作品に選ばれた。バブル期をノウノウと過ごした管理職に部下の風当たりは強い。
 職場での世代間の意思疎通も課題だ。「『早くやれ』 そういうことは 早く言え」(96年)、「『空気読め!!』 それより部下の 気持ち読め!! 」(07年)。
◇2000年以降はインターネットやデジタル機器が急速に普及し、アナログ世代のオジサン達の戸惑いも川柳になった。
 「ドットコム どこが混むのと 聞く上司」(00年)、「デジカメの エサはなんだと 孫に聞く」(01年)が最優秀作品に選ばれた。
 世の男性陣は亭主関白に憧れながらも、現実は儚い。「いい家内 10年経ったら おっ家内」(92年)、「プロポーズ あの日にかえって ことわりたい」(99年)、「タバコより 体に悪い 妻のグチ」(02年)、「昼食は 妻がセレブで 俺セルフ」(05年)と、サラリーマン川柳らしく、家庭の悲哀をうまく表現している。
◇総選挙は10月3日スタート。同社のホームページでエントリー作品が公開され、懐かしの川柳が並びそう。

| | トラックバック ( 0 )

2011年09月28日

方丈記と9尺2間の家

 日本三大随筆の一つとして知られる「方丈記」は今から800年前の1212年、鎌倉期に書かれたものだが、ぼくはいつも作者・鴨長明(かものちょうめい)の世捨て人のような山籠りの生活にあきれたり、感心したりする。
 方丈記のタイトルが示す通り、この随筆は方丈の庵で晴耕雨読の心境で書いたものである。彼は格式のある神官の家に生まれたが、希望の禰宜(ねぎ)になれず、世をはかなんで、都から離れた山の中に1丈(10尺)四方の小屋のような庵を建て、自然採取の自活をしながら読書や著術に打ち込んだ。
 生活の簡素化と生きざまのモデルとして学ぶべきところが多く、没後800年以上経つもその名を知られ、作品が愛読されているのは、日本人共有の文学の宝といえるかもしれない。
 ぼくは子どものころ、「貧乏したら家を売って、マッチ箱のような小さな家に住まねばならんよ」と親から「働き」と「倹約」を教えられた。
 小さい家って、どんな広さの家をいうのだろうと、子ども心に思ったが、少年のころ、それをたとえて「9尺2間」の家と聞いた。
 尺貫法でいえば、1尺は33㌢、10尺は3・3㍍、1間(けん)は6尺(約2㍍)だから9尺は1間半。家の間口が1間半で、奥行が2間というのは、面積にして3坪。畳の数で六畳間ということになる。
 こんな狭い家で親子一家が住めばどんなにみじめであるか。それでも雨露がしのげれば野宿するよりはましだというのが徹底した知足の思想かもしれない。
 長明は教養もあり、立派な親がありながら、家出同様に、山の中に10尺4方の掘立小屋のようなものを立てたのだから、9尺2間の家とよく似た面積である。
 住めば都というが、小さくてもわが家はわが家。むかしから人間の住む最小限の空間として「立って半畳、寝て1畳」といった。畳半分あれば立っていられるし、畳1枚あれば寝ることができるという意味である。
 今の世の文化生活というのは、道具や備品類に埋まり、どこの家庭も物余りの豊かさを誇っているが、大地震や大水害など災害を考えると恐ろしい。いつ災害がくるか、それが分からないから横着をきめこんでいるだけで、逆にいえば、今は物が支配者で、人間が物にコントロールされているようなものである。
 「ボロは着てても心は錦」は今の世に通じないが、今年のような災害の年は、無事平穏を神様に感謝し、その助かった思いを形にして、不幸な被災者に救援の1灯を捧げたいものである。【押谷盛利】

| | トラックバック ( 0 )

2011年09月27日

カタルーニャの闘牛禁止(見聞録)

 スペインのカタルーニャ地方の州都バルセロナで、25日、最後の闘牛が行われた。動物愛護の観点から州法で来年1月を機に闘牛が禁じられるためだ。
 他の地域では古くからの伝統行事として禁止する気配はないものの、動物愛護団体からの風当たりは強い。
◇過去、スペイン旅行の際、闘牛場を訪れた。闘牛士と雄牛の1対1の命を掛けた戦いを期待していたが、予想を大きく裏切られた。
 トランペットのファンファーレで複数の闘牛士が入場。雄牛が放たれると、馬に乗った槍方が牛を突き刺し、続いて別の闘牛士が飾りの付いた銛を牛の体に食い込ませる。徐々に牛の体力を奪い、血を流し痛々しい姿になったところで、ようやく主役らしきマタドール(正闘牛士)が赤いマントを手に登場した。
 しかし、牛には闘争精神の欠片もなく、マタドールが目の前でマントを揺らして挑発しても、ゆっくりと頭を動かすだけ。
 最後は闘牛士が牛の首の後ろあたりに剣を深々と刺し、ヨロヨロと座り込んだ牛の眉間あたりに、再び剣を刺して絶命させる。その間、1対1ではなく、常に複数の闘牛士が周りを囲んでいた。
 マタドールは会場の歓声と拍手に応えて胸を張り、牛は馬に引きずられ会場を去る。
 たまたま小生が見物した闘牛がこういう具合だったのだろうか。胸が痛んだことを覚えている。
 他国の伝統行事を否定するつもりはないが、見ていて気持ちの良いものではなかった。
◇スペイン国内でも残酷すぎるとの理由で、国営テレビが放送を中止している。スペイン政府が2007年に行った国勢調査でも国民の4人に3人が「闘牛に関心なし」としている。
 バルセロナの闘牛を禁じる州法は昨年7月に制定された。動物愛護の声、国民の無関心が背景にあるとは言え、伝統行事をわざわざ法律で禁じるのは行き過ぎではないか。
 そう考える時、カタルーニャ地方の歴史を紐解けば、なぜ闘牛を禁止したのか、そのヒントが見えるのではないか。
 イベリア半島北東部に位置するカタルーニャ地方は古くから独自の言葉と文化、産業を築き、例えばガウディに代表されるバルセロナの建築物がその代名詞だろう。
 しかし、20世紀中ごろのフランコ独裁政権時代、スペイン同化政策の過程で、公の場でのカタルーニャ語の使用が禁じられるなど、独自文化を厳しく規制された。
 その反動からか、フランコ没後は地方自治、地方分権を確立させ、言語法の制定などで再びカタルーニャ語の普及、定着を成功させた。
 カタルーニャ地方だけが闘牛を禁止した背景には、スペインでありながら、スペインから高度な自治を勝ち取っているという地域主義的な自負があるのではないか、そう推測している。

| | トラックバック ( 0 )

2011年09月26日

糖尿病の生活と恐怖

 僕の友人から、その息子さんについて相談を受けた。「息子は40歳代で独身だが、結婚してもいいだろうか。実は糖尿病なのだが…」。
 「する気があれば、結婚はできるが、糖尿病の病気持ちならばやめた方がいい。いま何より優先するのは糖尿病を克服することだ」。
 ぼくは、若いとき、アルバイト先の工場で、結核を病んでいるAさん(30)が恋人と結婚して喜びも束の間、3カ月後亡くなったことを忘れない。Aさんはまじめで温厚、職場では人気があり、女遊びなどをしない堅物だった。みなに祝福されたのは当然であるが、結婚後の生活の変化が彼の体を急速にむしばんだのではなかろうか。性生活と病気の矛盾を考え非常にショックな思い出となっている。
 糖尿病は運動不足と美食による、と言われているが、結婚による生活の変化は体力の消耗を招き病気克服の障害になるのでは、と思ったから、さきのような返事をしたまでで、たとい結婚話が進んだとしても先ずは病気治療が先決だろう。たとえ自覚症状がなくとも糖尿病は軽々しく考えてはならない、というのがぼくの今の見解である。
 実は周辺を見渡すと生活習慣病というべきか、血糖値の高い人が増えている。医者から血糖値を下げるクスリを処方されている人が案外多いのに驚くが、その人たちに共通しているのは肥満型であり、心臓が弱く、血圧も高く、歩くことが少ない。食生活はあぶらっこいものや動物性タンパク質のものを好み、そして甘党である。
 血糖値を下げるクスリを飲みながら甘いものを欠かさないのだから、健康第一の生活コントロールはゼロに近い。これでは動脈硬化や心臓病、糖尿病の危険を自ら招いているようなものである。厚労省の統計では早くから糖尿病とその予備群は1370万人を超えるといわれている。40歳以上の10人に1人ともいわれ、国民病といえるかもしれない。この病気、発病のはじめは自覚症状がないから検診のさいの血糖値によって生活をコントロールしなければならぬ。
 糖尿病の原因は①食べすぎ、肥満②運動不足③身体的、精神的ストレスによるインスリン作用の低下④薬剤による作用⑤遺伝⑥妊娠などが指摘されている。厄介なのは合併症を併発することで、腎臓障害による人工透析、視覚障害、心臓病、動脈硬化、神経障害、壊疽などになることもある。失明や両脚切断などのほか、インフルエンザにかかればなおりにくいとされる。
 早期発見のための検査や、たとえ病気にかからなくとも、運動と食生活のコントロールは健康と長寿の秘訣である。【押谷盛利】

| | トラックバック ( 0 )

2011年09月20日

イラク、デノミ政策の余波(見聞録)

 きのう19日、モデルの道端ジェシカさんがイスタンブールやカッパドキアなど、トルコの名所をランニングする紀行番組を見たが、そこに登場したトルコリラの桁数が小さくなっていて、従来からのインフレ国家というイメージを抱いていた小生に違和感を覚えさせた。
 トルコ通貨は「トルコリラ」で、「0」が無数に並んだのが記憶に残っている。7、8年前だっただろうか、イスタンブールを訪れた際は、1円が1万4000トルコリラだった。
 食事するにも、観光施設に入るにも、ゼロが6個も7個も並ぶ紙幣とにらめっこして金額を確認したが、現地人はあらかじめゼロを6個取り払った数字でのやり取りが主流だった。例えば「2」と言えば、200万トルコリラのことだった。
 そのトルコでは2005年に通貨単位を100万分の1に切り替えた。市民が日常生活の中で切り捨てていた下6桁の表示を、そのまま切り捨て、桁数の少ない通貨に生まれ変わった訳だ。
 世界を旅していると、発展途上国にインフレの国が多いことに気付く。ウズベキスタンを訪れた際でも数万円を現地紙幣に交換したら、いくつもの札束をドンと渡され、リュックに入れるのに苦労したものだった。
◇ある国がインフレに見舞われ、通貨の桁が膨れ上がった時、桁を切り下げる措置を「デノミ」という。
 記憶に新しいのは、2008年のジンバブエ。100億分の1のデノミを行った。当時、100億ジンバブエドルはたった2円の価値しか持たず、それを1新ジンバブエドルとした。しかし、その半年後、さらに1兆分の1のデノミを行ったから、半年前の紙幣はわずか1年で紙くずとなった。テレビニュースでも何千枚もの札束で買い物している現地の様子がレポートされ、この国の経済崩壊の様子を如実に伝えていた。
◇さて、そのデノミが戦後復興のイラクでも行われる。進行するインフレ対策のためだ。
 このデノミの余波を受ける日本人が少なくないという。将来必ず値上がりするとして、両替業者が「20万円が1億円以上になる」と宣伝し、勧誘していたからだ。
 国民生活センターによると、分かっているだけで投資額は27億円にのぼり、中には1億3000万円分を購入した高齢者もいるという。
 イラク政府は1000分の1の通貨切り下げを準備しているが、両替業者の勧誘に乗って投資した彼らの紙幣はどうなることやら。紙くずとなるのか。そもそも、イラクには公式レートが存在せず、交換レートは、両替商の言い値となっている。
◇余談だが、インフレ国家で行われる通貨単位の切り下げを、日本では「デノミ」いうが、正しくは「デノミネーション」。さらに正しく言えば、デノミネーションとは「通貨単位」の意味で、通貨単位の切り下げは「デノミネーションの切り下げ」とするのが正しい。

| | トラックバック ( 0 )

2011年09月17日

今こそ幼児教育を(見聞録)

 保育園、幼稚園、認定こども園の所管部署を一元化して「幼児課」を新設する長浜市の方針は、ただの組織改編ではない。家庭や地域に対する幼児教育への警鐘と、子育て改革の始まりだと断言したい。
 まず、保育園と幼稚園の所管は、従来から健康福祉部と教育委員会に住み分けしていた。それは育児を担当する保育園と、就学前の教育を担う幼稚園の役割分担からだ。
 元々は国が保育は厚生労働省、幼児教育は文部科学省と、所管を分けているからである。
 しかし、保護者の保育ニーズの高まりで、保育園と幼稚園の機能を併せ持つ「認定こども園」が創設されるなど、「幼保一元化」が住み分けを難しくしてきた。
 そこで、長浜市は保育園、幼稚園の所管を一元化することにしたが、保育を教育委員会が担当することの意味は大きい。
◇長浜市に限らず、全国の小学校では、▽授業に集中できずに教室内を歩き回る▽突然大声をあげる▽順番を守るなどの集団ルールが欠如している▽他人への思いや痛みが理解できない―など、特別支援が必要なケースが増えている。授業も担任教諭1人では対応できないこともある。
 長浜市の伊藤宏太郎教育長は「今は15%程にのぼるのではないか」と、特別支援を必要とする児童の急増に危機感を抱いている。
 なぜ、授業に集中できずに歩き回ったり、集団ルールを守れない児童が増えているのか。
 その原因について、教育関係者は、核家族家庭の共働きによる教育力の後退、地域での子育て環境の低下などを挙げ、子ども達が外で遊ばなくなったこと、食生活が乱れていることも心身の健全な成長に悪影響を及ぼしていると指摘している。
 要は、小学校に入学する前に済ませておくべき幼児期のしつけがなおざりになっていることが、小学校から先の教育に支障を来たしている訳だ。
 今回の市教委の決断は、これからの子ども達のしつけを、家庭や地域だけには任せて置けないという「焦り」ではないかと小生は推測する。このまま放っておけば、子ども達の将来、日本の将来が危ういとの危機感とも分析できよう。
◇保育園を教育委員会が所管するとの今回の市の発表に際し、各家庭は教育への姿勢を問い直すべきかもしれない。
 携帯ゲームで遊び、テレビを見て、室内でおとなしくしている子どもは、手がかからず、「おりこうさん」かもしれない。外で不審者に声を掛けられる心配もない。
 しかし、「三つ子の魂百まで」と言うように、幼児期の人間形成ほど大切なものはない。
 今、なぜ、特別支援の対象となる児童が増えているのか。真剣に考える必要がある。

| | トラックバック ( 0 )

2011年09月16日

知足は感謝、幸福を招く

 「錆鮎を焼く一刻の知足かな」。これは最近作ったぼくの俳句である。
 錆鮎は落鮎ともいう。地蔵盆過ぎの産卵期の鮎をいい、夏の鮎のような艶のあるあおあおとした美しさがなく、全身が黒みを帯びた茶褐色になる。魚類は繁殖期とその終わりは余りにも見た目の肌の違いがあられである、
 例えば、繁殖期のウグイは派手に朱色の線ができてこれを花ウグイという。川ムツやハヨ(ハエ)類もそれとなく判る。
 鮎は年魚で、産卵期に錆色になり、川下へ流れて白鷺に食われたり、死んでゆく。はかない一生であるが、その末期の鮎を焼く一刻に、ふと自分を顧みて「ああ幸せだな。元気で今年の最後の鮎が食べられるんだ」、という感慨。そのささやかな幸せ感に「足るを知る」喜びを再認識した、というのが作句の発想である。
 ぼくが、こと新しく「足るを知る」を俳句にしたのは、現代人の飽くことのない貪欲について警鐘を発したいからである。現代は経済成長が著しく、衣食住、余暇を含めて生活のすべてが豊かになり、物質文明に浸り切っている。その豊かさによるひずみが国土にも国民の生活にも現われて国家の安寧や国民の幸せに危機感をもたらしていることを指摘したいのである。
 ぼくは、かつて長野の善光寺へ参詣したことがあり、、その塔頭で休憩したとき、そこにある掲額に「知足者幸」と書いていたのでいたく感動して、いまに記憶している。
 足るを知る者は幸せなり、という意味だが、今日の社会ほど、この言葉の重みを感じるときはあるまい。
 人間は欲のかたまりだから、これで満足ということをしない。満足とは、足りている。十分である。結構であります。ありがたいことです、という感謝の心に根ざしている。したがって、おカネがあっても物があっても、仕事があっても、あるいはいいポストや、いい家庭に恵まれても、それで満足せず、まだまだ、まだまだと欲の皮から逃げられないものは感謝の反対に愚痴や不満が心を支配する。
 ときには隣人や仲間をねたんだり、うらんだりもする。欲ぼけで、足るを知らない生きざまは、心に平穏もゆとりもなく、常にいらいらして人生を窮屈にしてしまう。われわれは地域社会に住みながら、多くの人との絆や連帯で生きている。したがって、人は人々とのつながりのなかで明るく前向きに生きる良い習慣を身につけているはずである。
 例えば、たまたま道で、何年ぶりか、久しぶりに友人や知人に会ったとする。どちらからともなく、「やあ。ごきげんさん。元気か」とか、「ああ、珍しい、お変りございませんか」などと声をかける。「おおきに、まあまあ、なんとかやっています」、「お陰さまで、まめに暮らしてます」などと答える。このときの「お陰さまで」というのが知足の声であり感謝の思いである。
 この世は修羅の世界とか、地獄とか、苦の娑婆とか言うが、所詮は自分の心の中に鬼を住まわせているにすぎない。知足は感謝であり、愛と祈りの心でもあり、それはそのまま人の幸せに通じるのではないか。
【押谷盛利】

| | トラックバック ( 0 )

2011年09月09日

重陽の日と一休和尚

 今日、9月9日は重陽の日。正確には陰暦の9月9日だから1カ月後のことだが、いずれにしても菊の節句で、平安時代には宮中の年中行事として菊の宴が催された。
 9と9が重なるから九九八十一となり、一休さんで知られる一休宗純は「重陽の日に九九八十一に題す」と2首の詩を作っている。一部を意訳すると、「重陽とは今日九月九日である。九九八十一はもともと人間世界のものだ。そこで思い出すのは中国の昔の詩人・陶淵明のことだ。東の垣根に咲く菊を摘んで彼の住んでいる中国の南山に供へよう」。
 一休が尊敬し傾倒していた陶淵明(365~427)は若いころ父を失い、家が貧しかったので官吏となったが41歳で辞職し、有名な「帰去来辞」の本を著した。以後自然を友とし、土を耕し、書を読み、詩を作り、琴を弾き、酒をたしなみ天命のままに日を送り、世俗を離れた詩人として余生を送った。菊を愛し、酒を好んだことで知られ、その詩には酒を詠じないものはない、とまでいわれ逸話が多い。
 その詩は平易で、淡白で、そのなかに無限の滋味がにおうといわれている。文章にも優れ「帰去来辞」や「桃花源記」は人々に親しまれた名文とされる(富士書房・世界人名事典)。
 ぼくは一休さんに魅せられて、河出書房新社から出ている「一休和尚大全(上・下巻)」を読んでいるが興味津々。読めば読むほど味が深い。この本は一休の詩や文章を編集したものだが、ほとんどが漢文調だから難解ではあるが、石井恭三氏(現代思潮社顧問)が訓読、訳文、解読しているので、その助けによって、今から500年も前の一休さんの言動や心、詩文に触れることができる。一休さんは堕落腐敗した寺院仏教を批判しつつ、81歳のとき、大徳寺の住持になるまでほとんど寺に住むことなく、行雲流水にまかせ、小庵や民家を仮の住まいとして布教した。
 自ら告白しているように酒と女性が好きで、型破りの頑固な僧であったが民衆に人気があり、多くの弟子を指導した。一休「狂雲集・雑」の中に「地獄」という詩がある。
 「三界(この世)は安らかな場所ではなく、火に包まれた家(火宅)のようなものだ。一人の目覚めた人物・瑞岩師彦はいつも、はい、といっていた」。
 瑞岩和尚は、毎日、自分に主人公と呼びかけ、自分で、はい、と返事をしては、よしよし、眼を醒ましておれよ、はい。これから人にだまされるなよ、はい。はい、と言っていたといわれる。【押谷盛利】

| | トラックバック ( 0 )

2011年09月08日

サッカーに見るイスラム教(見聞録)

 女子サッカーの日本代表「なでしこジャパン」はきょう8日午後4時半からの北朝鮮戦に勝利すると、2012年のロンドン五輪の出場が決まる。滋賀夕刊が読者の手元に届く頃は試合の真っ最中かもしれない。
 五輪予選をテレビ局が生中継するなど、8月のワールドカップで、なでしこが優勝して以降、注目度が高い。
◇しかし、世界には、国策や宗教の影響で、満足にスポーツできない女性もいることを忘れてはならない。
 なでしこジャパンと同じくロンドン五輪を目指した女子サッカーのイラン代表チーム。6月3日、ヨルダンの首都アンマンのスタジアムでヨルダン戦に臨んだ。
 女性が頭髪や肌をあらわにすることを法律で禁じているイランは、スポーツも例外でない。選手のユニホームは、長袖、長ズボンに加え、頭からすっぽりとヒジャーブ(スカーフ)を覆っている。
 そんな彼女らに宣告されたのは「失格」。スタジアムで国歌演奏が終わり、いよいよ試合開始というタイミングだった。
 理由はユニホームが国際サッカー連盟の規定に違反していることだった。連盟は接触プレーの際に首が絞まる危険性からヒジャーブを禁止したのだった。
 この瞬間、イランの五輪出場は夢に終わった。茫然とした表情でピッチに膝をつき、涙する選手の姿を「NEWS WEEK紙」が伝えている。
 連盟の非寛容さが非難されるべきか、イランの女性に対する非寛容さが非難されるべきか、意見は分かれるところだろう。
◇イスラム教国は、女性への制約が多く、我々の目からは「男尊女卑」と映る。例えばアフガニスタンの旧タリバン政権は就学を禁じ、聖地メッカのあるサウジアラビアは車の運転や近親者の付き添い無しでの外出を禁止している。
 頭から体まですっぽりと黒い布で覆うのは、当り前だ。
 一方、エジプトやトルコは世俗主義が進み、若い女性にはジーンズやスカート姿が見られる。
 保守的なイランは宗教的締め付けの厳しさが目立つ。常に宗教警察が目を光らせ、頭髪や肌を見せることはおろか、体のラインが分かるような服装を禁じている。
 同国は、過去の親米政権時代は自由な気風があった。しかし、宗教指導者ホメイニ氏の主導でイラン革命が成立して以降は、保守回帰路線がとられ、今では公衆の面前で女性がスポーツすることさえ、歓迎されていない。
◇イランでサッカーを続けてきた女子選手に対する世間の風当たりはいかほどか、想像に難くない。2005年にようやく女子サッカー代表チームが結成されたが、ある宗教指導者は女子選手がメダルを取るのは「恥」だとまで言っている。
 サッカーに限らず、イスラム教国では女性の服装が制限される結果、競技できないスポーツが少なくない。
 宗教の制約を受けることなく、服装、スポーツに限らず恋愛や結婚など、あらゆる自由を謳歌している日本に居ては、理解できない風習や文化が世界にはある。

| | トラックバック ( 0 )

2011年09月07日

豪雨が滋賀を襲うとき

 今回の台風12号は全国的規模で手荒い爪痕を残したが、とりわけ和歌山、奈良の山間部の河川の氾濫や土砂崩れの被害は惨憺たるものだった。
 和歌山県では死者25人、行方不明32人、2200世帯、5000人が孤立。奈良県では死者4人、行方不明20人、2300世帯、4400人が孤立した。豪雨のため河川は決壊するわ、山間部は崖崩れ、土砂崩れ、土石流で道路は埋まり、ガス、水道、電気はストップし、住民は生き地獄に泣いた。今後、災害復旧の工事にあたり、豪雨と人間の関わり、豪雨と山、豪雨と河川について、地域と人間の安全について学問的研究を進めねばならぬと思う。
 このことは、琵琶湖の周囲を山で固める滋賀県にとっても同様である。今回は雨量が少なかったが、もしも和歌山、奈良を襲ったような集中豪雨に襲われたらその被害は想像を絶するであろう。
 その心配は、同じ山村といっても和歌山、奈良の山岳地帯と違って、本県の山間部は奥行きが浅くて平地に近いからである。豪雨による河川の氾濫はたちまち琵琶湖を満水し、水位の上昇はそのまま周辺河川の流出を妨ぎ、逃げ場を失った河川の水は堤防を超えて、もしくは堤防を崩して流域の平地部を泥水で埋めるであろう。
 事実、過去の姉川の氾濫はこれまでの水路を土砂で埋めて、低地部へ新しい水路をつけて、その流域を変えてしまった歴史がある。
 例えば旧虎姫町の酢は姉川以北とみられているが、現実には旧大郷村の曽根の北部に地籍として酢区が残っている。このことは、上流の長浜市の今、国友方面と虎姫の宮部等の区の領域にいえることで、遠い昔の姉川の洪水が村の境界線を分断している証拠といえる。
 長い雨期の後、バケツの水を天からぶっかけたような豪雨が数時間以上も降り続いたら、どんな状況が起こるのか、詳しくは気象学、地質学、土木工学等の学術的研究により、被害とその防御対策を講じねばならぬが、ことは緊急を要するのではないか。
 なぜなれば、災害は忘れたころに来るし、われわれが経験した恐怖の伊勢湾台風(昭和34年9月26日)から、今年は半世紀をすでに2年も経過しているではないか。
 これまで、大きな地震や台風をまぬがれてきたが、絶対安全という保証はない。大きな雨台風にダムはどんな働きをするのか、現在の堤防は濁流に砕かれる心配はないか、精密な検査や研究が待たれる。
 というのは、過去の洪水と比べて、現代は情況が著しく変化しているからである。
 都市化の波で、田んぼが宅地化し、田畑の持つ湛水能力が減っていること。道路や宅地がコンクリート化し、屋根が茅葺きから瓦屋根になり、降りつぐ豪雨は一気に川のように道路や農地、住宅、市街地を襲い、しかも、その水の逃げ場のない開発状況を呈しているのである。
 住民の避難対策を含めて、豪雨対策に取り組んでもらいたい。
 ぼくは名指しはしないが、米原市にも長浜市にも、山崩れの心配なところが幾箇所かあり、決して油断はできない、と予言しておく。【押谷盛利】

| | トラックバック ( 0 )

2011年09月06日

花盛りの「婚活」(見聞録)

 東日本大震災を契機に未婚者の間で結婚願望が強まっている。頼りになるパートナーに居て欲しい。そんな安心感を求めて「婚活」が盛んだ。
 震災直後には、多くの人が家族や恋人の安否を気遣った。1人では不安、誰かと絆を結んでいたい、との思いが背景にあるようだ。同様の現象は、阪神淡路大震災やアメリカ同時多発テロの直後にもあった。
◇先日、20代の独身女性に近況を聞いたところ、婚活パーティーで良い出会いに恵まれたと報告してくれた。
 これまでもパーティーで何人かの男性と出会い、デートを重ねながらも、なかなか結婚に踏み切れなかった彼女。「今度こそ」なのか、吉報が待たれるところ。
 「出会いがない」と、あきらめムードを漂わせる未婚者が少なくない中で、結婚という目標に向かって積極的にパーティーに参加する行動力は、見習うべきなのかもしれない。
◇一昔前は、近所の世話好きおばさんが、お見合いを手配してくれたが、今はそれに代わって婚活ビジネスが花盛りだ。
 県内でも毎週末、どこかしらでパーティーが催され、出会いはあちこちに転がっている。
 例えば、業界大手が開く婚活パーティー。▽1人参加限定▽30代限定▽ボーリングパーティー▽26歳から38歳を対象にした適齢期応援編▽キャンプ場でバーベキューなどを楽しむバスツアー▽大卒で年収600万円以上の男性限定のエグゼクティブ編―など、滋賀でも様々な企画があり、直近のパーティーはどれも「ほぼ満員」の状態。
 このほか、もっと気軽に参加できる「合コン」を企画している企業も。あるインターネットの婚活サイトで20、30代の合コン相手を探すと、滋賀県内で男性59グループ、女性49グループが見つかる。
 グループの職業、学歴、趣味、PR文、相手グループへの希望、条件などが記され、気になるグループがあれば、簡単に合コンを申し込める。
◇婚活ビジネスの隆盛で、多種多様な異性と簡単に出会える現代社会だが、果たして、結婚への近道と成り得ているのか、疑問にも思う。
 次から次へと異性との出会いが量産されれば、一期一会の運命的な「ときめき」を忘れ、無感動になりはしまいか。職業、年齢、年収、趣味などの条件でふるいにかけ、内面など人の本質を見過ごしてはいまいか。
 そうも危惧しているが、本来、恋愛に積極的であるはずの男性が及び腰の昨今では、未婚女性はそうも言ってられない?

| | トラックバック ( 0 )

2011年09月05日

台風の恐怖と過去2例

 生きた心地がしない、というのは危機寸前の恐怖の心境だが、古来、日本ではその恐怖の代表例を挙げて、地震、雷、火事、親父と言ってきた。
 今は怖い親父は無くなったが、なぜ台風がここに登場していないのか、少し気になる。
 しかし、日本人は昔から「二百十日」、「二百二十日」を厄日として、その平穏を祈ってきた。
 二百十日は立春から数えて二百十日。暦の上では9月1日ごろで、その10日後が二百二十日。
 なぜ、二百十日が厄日として怖れられたか。それは日本人の食生活に直結していたからである。このころは稲の開花期にあたり、もし暴風雨が襲来したら、その年の稲作は壊滅的な打撃を受ける。いわゆる飢餓によって、日本人の生命の安否が問われるわけだ。
 だから二百十日、二十日の無事を祈るのは、ただに生活がかかっている農民だけでなく、ひろく国民全体の生死にも関わるからである。そういう長い農民の不安と苦しみを解決するため、戦後、いち早く研究されたのが早場米の栽培だった。
 「こしひかり」などに代表される早稲米が主流となって、今では9月に入ると大部分の田が穂ばらみを終えて収穫の季節に入る。稲作技術の進化によって、台風期に花をやられる心配はなくなったが、今回のような暴風雨に遇えば稲の倒壊はまぬがれ得ない。収穫前であれば刈り入れに難渋するし、水に浸かっていれば芽の出る恐れさえあり、いずれにしても厄介なことには違いない。
 今回の台風は四国、近畿、中国など通り筋近辺の被害もさることながら、東海、北陸、関東にまで被害を残し、その大型ぶりと、のろのろによる広範囲な影響が人々の心を恐怖のどん底に落とし入れた。まさに地震、雷、火事、台風というべきである。
 今回の台風で、ぼくは過去の2つの超A級台風を思い出した。一つは昭和9年(1934)9月21日の室戸台風。高知県の室戸岬付近に上陸して京阪神を襲った超大型で、大阪などでは小学校が倒壊して生徒が死んだ。全国の死者・行方不明は3036名に達した。ぼくの家のすぐ前の何百年からの巨大な杉が中央で折れたくらいだから、家々の瓦が吹き飛んだ。京都では鴨川の水が氾濫して、河原町通りを船が浮いたといわれた。琵琶湖周辺の田んぼや集落は水浸きになった。
 それから25年後の昭和34年9月26日にやってきたのが、今も記憶に新しい「伊勢湾台風」だった。和歌山県の潮岬付近に上陸し、伊勢湾を中心に名古屋、東海道方面、関西をひとなめして北コースで富山湾を通り三陸沖へ抜けた。死者・行方不明5101名をいう大被害だった。
 長浜市の市街地は多くが床下浸水し、旧国道は雨水を含んで道の平面が凸凹した。姉川、天野川が決壊し一部で人家が流れた。
 県下の河川や山の土砂崩れなどで交通が支障し、山間部では孤立する村もでた。それでも本県は直撃をまぬがれたが、万一、直撃されていれば多大な死傷者、行方不明の犠牲者が出たはず。
 今回の台風を明日に備える最大の教訓として、あらためて防災を喫緊事として取り上げるべきである。【押谷盛利】

| | トラックバック ( 0 )

2011年09月03日

W杯予選と帰化選手(見聞録)

 2014年サッカーワールドカップのアジア3次予選が2日開幕し、日本代表は埼玉スタジアムで北朝鮮と対戦した。終始ゲームを支配しながらも決定力に欠ける日本は、後半ロスタイムでようやくゴールを決め、1対0の薄氷を踏む勝利を収めた。
 3次予選は来年2月まで続き、ウズベキスタン、タジキスタン、北朝鮮とそれぞれ2回ずつ対戦。上位2チームがアジア最終予選へ進む。
 最終予選には3次予選を勝ち抜いた10チームが2組に分かれて総当たり戦を行い、各組上位2チームが本大会の出場権を得る。
◇さて、3次予選で日本と対戦するタジキスタンは、実は「たなぼた」の出場。というのも、当初は2次予選で同国を破ったシリアが出場する予定だったが、規約違反により出場資格を剥奪されたからだ。
 その規約違反というのは、2次予選の際に出場したシリアの選手が過去、スウェーデンの五輪代表でプレーしていたということ。
 国の代表が出場するW杯では、一度でも他国の代表となった選手を自国代表とすることができないという規約がある。国の威信とプライドをかけた大会にあって、代表選手が各国を渡り歩いては困るのであろう。
◇昨晩の日本代表の北朝鮮戦では、日本に帰化した李忠成、ハーフナーマイクが出場した。
 李忠成は在日韓国人4世として東京で生まれ、2007年に日本に帰化した。韓国も祖国としており、何かと感情的対立のある日韓の間で葛藤しながらも、日本代表として堂々と活躍している。
 ハーフナーマイクはこの日が代表初出場。オランダ人の父と母のもと、広島で生まれた。オランダ語、英語、日本語を話す「トライリンガル」で、1994年に帰化している。北朝鮮戦では194㌢の長身がゴール前での存在感を発揮した。
 過去の日本代表を紐解けば、ラモス瑠偉、呂比須ワグナー、三都主アレサンドロ、田中マルクス闘莉王(いずれもブラジル出身)らが帰化選手として知られる。
◇帰化には日本に住んだ期間や日本語能力が問われるが、W杯という大舞台で人種や祖国が異なる選手が出場することに、「生粋の日本人だけで戦うべき」といった否定的意見もある。
 ただ、日本人として生きてゆく決意を示し、認められた彼らは、我々のような元来の日本人より、よほど日本を愛し、尊敬しているのではないか。試合前、日の丸を見上げて国歌を斉唱する彼らの姿に、いつもそう感じている。
 一方、昨日発足した野田新内閣。外国人参政権賛成派のメンバーが8人も含まれていることに、不気味さを覚える。

| | トラックバック ( 0 )

W杯予選と帰化選手(見聞録)

 2014年サッカーワールドカップのアジア3次予選が2日開幕し、日本代表は埼玉スタジアムで北朝鮮と対戦した。終始ゲームを支配しながらも決定力に欠ける日本は、後半ロスタイムでようやくゴールを決め、1対0の薄氷を踏む勝利を収めた。
 3次予選は来年2月まで続き、ウズベキスタン、タジキスタン、北朝鮮とそれぞれ2回ずつ対戦。上位2チームがアジア最終予選へ進む。
 最終予選には3次予選を勝ち抜いた10チームが2組に分かれて総当たり戦を行い、各組上位2チームが本大会の出場権を得る。
◇さて、3次予選で日本と対戦するタジキスタンは、実は「たなぼた」の出場。というのも、当初は2次予選で同国を破ったシリアが出場する予定だったが、規約違反により出場資格を剥奪されたからだ。
 その規約違反というのは、2次予選の際に出場したシリアの選手が過去、スウェーデンの五輪代表でプレーしていたということ。
 国の代表が出場するW杯では、一度でも他国の代表となった選手を自国代表とすることができないという規約がある。国の威信とプライドをかけた大会にあって、代表選手が各国を渡り歩いては困るのであろう。
◇昨晩の日本代表の北朝鮮戦では、日本に帰化した李忠成、ハーフナーマイクが出場した。
 李忠成は在日韓国人4世として東京で生まれ、2007年に日本に帰化した。韓国も祖国としており、何かと感情的対立のある日韓の間で葛藤しながらも、日本代表として堂々と活躍している。
 ハーフナーマイクはこの日が代表初出場。オランダ人の父と母のもと、広島で生まれた。オランダ語、英語、日本語を話す「トライリンガル」で、1994年に帰化している。北朝鮮戦では194㌢の長身がゴール前での存在感を発揮した。
 過去の日本代表を紐解けば、ラモス瑠偉、呂比須ワグナー、三都主アレサンドロ、田中マルクス闘莉王(いずれもブラジル出身)らが帰化選手として知られる。
◇帰化には日本に住んだ期間や日本語能力が問われるが、W杯という大舞台で人種や祖国が異なる選手が出場することに、「生粋の日本人だけで戦うべき」といった否定的意見もある。
 ただ、日本人として生きてゆく決意を示し、認められた彼らは、我々のような元来の日本人より、よほど日本を愛し、尊敬しているのではないか。試合前、日の丸を見上げて国歌を斉唱する彼らの姿に、いつもそう感じている。
 一方、昨日発足した野田新内閣。外国人参政権賛成派のメンバーが8人も含まれていることに、不気味さを覚える。

| | トラックバック ( 0 )

2011年09月02日

新藤兼人監督99歳の遺言

 ぼくは人間の生死は神さまのご意志によるものだ、と考えている。若くて死ぬ人、長寿する人、人それぞれに神さまは何らかの荷物を背負わして、世の中をよくするよう配慮されている。
 今年99歳を迎えた映画監督の新藤兼人さんは、最後の作品ともいうべき映画「一枚のハガキ」を昨年完成し、自分の不思議な運命について「文芸春秋」9月号に「日本人への遺言」と題して語っている。
 映画「一枚のハガキ」は、兵隊にとられた召集兵の妻が夫に差し出したもので、文面には「今日はお祭りですが、あなたがいらっしゃらないので、何の風情もありません」と書かれていた。その兵隊は返事を出す暇もないので、そのハガキを持って戦死した。
 以下は新藤さん自身の兵隊物語。
 新藤さんは体が小さいから兵隊検査は丙種合格だった。召集令状が来るわけがないのに赤紙が来て、昭和19年3月、撮影所仲間に見送られて広島県呉の海兵団に入った。31歳だった。1週間後、配属されていた100人の部隊は夜中に奈良の天理教の施設へ派遣された。海軍予科練の兵隊の入る施設を掃除するのが任務だった。仕事が1カ月で終わると、100人のうち、くじ引きで60人がフィリッピンの陸戦隊へ行くことになったが、到着前に敵の潜水艦に撃沈されて全員戦死。残り40人のうち30人が、再びくじで潜水部隊に配属されたが、これまた全員戦死。新藤さんを含む残り10人は兵庫県の宝塚に送られ、歌劇団の建物の掃除をしていたが、また、くじで4人が海防艦の機関士になったが、これまた戦死。100人のうち6人だけが、宝塚の番兵として残った。
 復員後、松竹大船の脚本部で仕事に没頭したが、シナリオを書いているうちに、書くことができるのは生き残ったからだ、という思いがわいてきて、94人は俺たちの代わりに死んだんだ、と思うようになり、「私はなぜ生きているのだというところから私のシナリオや映画が始まった」と語っている。
 新藤監督は福島の原発事故について言及している。
 あやふやなことを言っているな、という感じ。広島では原爆投下でその年のうちに14万人ほど死んでおり、さらに10万人が放射能でだんだん死んだ。だからもっと放射能のことをちゃんといわなきゃいけない。
 人体に影響は無いとか、致死量に至っていないなどというが、放射能は重なっていくので、今、被曝し続けている人は何年か経つうちに健康被害をもたらしかねない量に近づいていくことは関係者みんなが知っている。今まで大丈夫だといってきて、今も大丈夫と言っている専門家は首にならなきゃいけないんじゃないか。【押谷盛利】

| | トラックバック ( 0 )

2011年09月01日

自助、共助、そして公助(見聞録)

 3月11日の東日本大震災で、津波が三陸の町々を飲み込む映像に、自然の前の人間の無力さを痛感した。
 絶対安全と妄信していた原発は津波を被って電源を失い、放射性物質を撒き散らし、津波とは別次元の災禍を招いた。いつ、人が住める状態に落ち着くのか。
 全国からの義援金や支援物資、ボランティアの輪の広がりに、心強さを感じた。がれきの撤去もほぼ終了した。
 この震災から我々は何を学ぶべきなのか。きょう9月1日の「防災の日」に改めて考えたい。
◇大地震などの災害にどう備えるのか。
 まずは、自分の命を自分で守る「自助」が原点であるということ。国や自治体、他人任せでは、自分や家族の命を守ることはできまい。
 家具が倒れないように壁や天井に固定したり、自宅の耐震性を確認したり、万一の非常品を備蓄したり、地域の防災訓練に参加したり、というのが当てはまるであろう。また、避難所や連絡の取り方を家族会議で事前に決めておきたい。
 自助に次いで「共助」も欠かせない。これは近所との助け合いを意味する。阪神淡路大震災で倒壊した住宅から被災者を助け出したのは消防でも警察でもない。近所の住民だった。
 どこにどういった家族が住み、1人で避難できないお年寄り、障害者はいるのか、などの情報を日ごろから近所で共有したい。大災害では消防も警察も被災者となる。地域の救助活動は地域で行う覚悟が必要だ。
 自助、共助では及ばない防災対策を、国や自治体に委ねるのが「公助」だ。橋や道路の補強、学校の耐震化、防災計画の策定などが挙げられよう。
 防災の日にあたり、まずは、国や自治体任せでない、自ら取り組める対策を家族で話し合ってはどうだろうか。
◇他方、原発事故に対し、住民がいかに無力なのかは、福島が証明した。
 万一、福井県内で福島第一原発のような事故が発生すれば、長浜市が放射性物質で汚染されるのは明らかだ。いかにして事故を防ぐのか。根本の原発を絶つのか、原発施設のさらなる安全対策を求めるのか。
 今の福島の惨状を「明日は我が身」と受け止め、あの汚染区域が今後どのような経緯をたどるのか観察し、原発隣接市の長浜市民として、近畿の水がめを抱える滋賀県民として、原発と安全、電気の問題を考えたい。

| | トラックバック ( 0 )


しが彦根新聞
滋賀夕刊電子版
滋賀夕刊宅配版
滋賀夕刊デジタルトライアル
 
長浜市
長浜市議会
長浜観光協会