滋賀夕刊新聞社は滋賀県長浜を中心に政治、経済、文化の情報をお届けする新聞です。



2011年08月31日

庇貸して母屋とられる

 政局転換という国を挙げての大騒動が、国民の目から見れば、あほらしやの鐘の鳴る茶番劇に終始した。
 30日の国会における首相指名選挙で野田佳彦氏が新総理に選ばれた。ポスト菅を争う今回の民主党代表選はそのまま首班選びに直結するので、国家の将来や国民の幸せなど政策面の真剣な論議を期待したが、もっぱら親小沢、反小沢の陣取り合戦に終始した。
 国防や外交、教育、福祉など国政の要(かなめ)については、ほおかむりして、挙党一致とか、ふざけた言辞の中味は1にも2にも小沢参りと、そのご機嫌奉伺だった。
 これを一言で総括すれば小沢脚本、小沢主演の茶番劇そのものである。なにも真相を知らない国民は、野田の勝利によって、小沢傀儡(かいらい)の海江田が潰れたことを絶賛しているが、小沢戦術はそれほど単純なものではない。彼は、代表選について、第1回で決められない場合を想定して、2位争いの野田に保険をかけた。小沢の戦術はベストが親小沢の海江田、ベターが容小沢の野田だった。
 さて、野田丸は出航に先立ち、取り敢えず民主党の本丸を構築。アッと驚くタメゴローではないが、幹事長に輿石東・党参院議員会長を指名した。
 彼は小沢の代弁者として衆知の間柄であり、極言すれば小沢そのものである。党員資格を停止され、政治とカネで起訴されている彼を陰で支えてきた。小沢がいかに彼を信頼しているかは、さきの代表選で輿石をかつごうとした点にもうかがえる。
 小沢の党規違反をめぐり岡田前幹事長が再三、再四、結論を急いだが、そのたびに役員会で反対し続けてきたのが輿石だった。
 野田首相は、このほか国会運営を一手に握る大役・国会対策委員長に、鳩山の子分・平野博文元官房長官を据えた。何のことはない、党という城を全部小沢に明け渡したのである。幹事長は、党首に代わって、党務一切を取りしきる要職で、江戸幕府の大老と同じである。
 党の資金を掌中にし、選挙の公認を決めるのも幹事長である。そればかりか、国会審議を丸まかせするポスト、国会対策委員長までが小沢鳩山直系の平野とは。
 今回の代表選と首班選びは、一番大切な東北大震災の復旧、復興をそっちのけに、すべてのエネルギーを結集して小沢復権に手を貸した。いかに茶番劇が国益を無視したかの一例をあげる。
 代表選の最中、辞任前の菅首相が29日、どさくさに紛れて朝鮮学校への無償化に踏み切った。朝鮮学校は北朝鮮や朝鮮総連の影響下にあり、その教科書は金日成前主席、金総書記を称える記述のほか、日本人拉致事件を認めず、かつての大韓航空機爆破事件を韓国政府のでっちあげとするなど反日的要素が強く、その運営や教員人事なども朝鮮総連の影響下にあり、これへの無償化は日本の国益を傷つけるばかりである。こんな大問題や拉致事件をさきの代表選は触れずじまいだった。
 野田内閣は小沢に「庇を貸して、母屋をとられる」の愚を犯すが、この愚策に一点の光を覚えるのは、党人事の政調会長に前原を起用したことだ。
 しかし、小沢は鳩山内閣の幹事長当時、政調会長不要論を展開した実績があり、名前だけのポストに封じ込める可能性もあり、今後の動向が注目される。(敬称略)【押谷盛利】

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2011年08月30日

トロイカ脱却なるか、民主党政治(見聞録)

 ちょうど2年前のきょう8月30日、総選挙の投開票が行われ、民主党が悲願の政権交代を実現させた。
 あれから3人目となる民主党代表(総理大臣)に野田佳彦氏が選ばれた。しかし、野田新政権は国民の期待を一心に集めている訳ではなく、小沢派と反小沢派の民主党内の政治抗争の末に生まれた副産物であろう。
 「野田って誰?」というのが、国民の本音であり、期待も信頼もしていない。それは野田氏個人の資質によるところではなく、政権交代から2年間の民主党政治に、すでに国民が絶望しているからである。「菅よりはまし」「小沢傀儡の海江田よりはまし」といった程度の評価であろう。
 小沢、鳩山、菅のトロイカ体制からの脱却なくしては、民主党、そして日本は立ち行かない。党内抗争と混乱の元凶である3人の影響力を排除することが国民の信頼を取り戻す最低条件であり、他党との協力の必須条件であろう。
 野田氏が古い民主党政治を刷新できるのか、否か、ここ数日に行われる役員、組閣人事で明らかになる。
◇さて、その野田新代表を新聞各紙は30日朝刊でどう報じたのか。
 朝日は「最大の勝因は『野田氏らしさ』ではないか。それは候補者の中でただひとり、復興増税に賛成し、税と社会保障の一体改革でも、政府の消費増税の方針の堅持を明確に唱えたことだ。ぶれずに増税の必要性を訴えた姿勢に、一定の共感が広がったのは間違いない」と評価している。
 読売は「民主党政権で初めて地に足のついた政策と手法を語ることができるリーダーの登場である」と持ち上げる一方で、野田氏の語る「怨念を超えた政治」が「小沢氏の党員資格停止処分の解除であってはならない」と釘を刺す。
 毎日は「民主党内をまとめられるかどうかにかかる」とし、小沢、鳩山、菅の「トロイカ体制」を自らの力で乗り越える必要性を説いた。そして、「3次補正予算案が成立し、被災地で選挙が可能になれば解散・総選挙で民意を問い直すべきであろう」とした。
 産経は「やはり早期解散こそ筋だ」の見出しで、マニフェストを練り直して「国民の信を問うことが野田氏の最大の責務」と早期の総選挙を訴える。「自らの権力を維持するためだけの古い政治家たちを復活させるなら、国民の信頼は完全に失墜するだろう」と、トロイカ体制との決別を求めている。
◇興味深いのは中国や韓国マスコミの反応。野田氏を「対外強硬派」「極右」「親米派」「タカ派」と位置づけ、警戒感をあらわにしている。
 民主党のイメージは左翼であり、親中、親韓、靖国神社参拝反対、外国人参政権推進。しかし、その代表が隣国に「右翼」と評されているのはなぜか。
 野田氏は過去、靖国神社参拝をめぐって「A級戦犯は戦争犯罪人ではない」として、戦争犯罪人の合祀を理由に靖国神社参拝に反対する論理は破綻していると訴えた。民主党が推進する外国人参政権にも反対で、尖閣諸島に中国人活動家が上陸した際は国会に日本の領土であることを確認する決議案を提案している。
 そういう過去を分析すると、民主党内では「右派」として目立つ存在かもしれない。左傾化する民主党を、いかにしてまっとうな日本の政党に仕立て直すのか。そういった視点でも野田氏の手腕に注目したい。

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2011年08月29日

小沢傀儡政権か?

 民主党代表選の茶番劇は、あほらしやの鐘の鳴る風景だが、それでも新代表は総理に選ばれる確率が100%近いから後日の証言のためにも論評しないわけにはゆくまい。
 今回の代表選、マスコミ情報によれば海江田が先行し、野田、前原の順で2、3位。4、5位が鹿野、馬渕と予想している。
 代表選は同党所属の国会議員(衆院292、参院106人)の投票で決まるが、一回目で過半数を制しない場合は、上位2位の決選投票となる。2位が、3位以下の陣営を固めれば1位といわれる海江田が破れる可能性もあり、どたん場の2位争いが注目される。
 それはともかく、党代表を決める党内選挙に、党員資格を停止され、したがって選挙権もない小沢一郎元代表が表を通じ裏を通じて取り仕切っている図は全く理解に苦しむ。これは、国民をバカにしている見下げた茶番劇で、小学生の公民教育の場で説明のしょうもない。
 もはや、民主党に政治倫理などを求めるのは木に魚を求むるの愚かもしれない。
 民主党は国民の声を逆撫でしている、と世論がきめつけているがこの国民の声に馬耳東風でいくのか、ぎりぎりのところでかそかに良心が作用するのか、結果は29日午後の両院議員総会で明らかになる。
 民主党の国会議員は国民の声を無視している、というのは、最も新しいフジテレビと共同通信の世論調査(8月25日)による。
 これによると「次の首相にふさわしい人」では、前原誠司候補が53%で、圧倒的人気を呼んでいる。続く4候補は海江田6・2%、野田5・0%、馬渕3・4%、鹿野1・0%の順となっている。共同通信が実施した47都道府県連の幹部対象の調査でもこれと一致して前原人気が断トツだった。
 「誰が次期代表にふさわしいか」の問いに、前原と答えたのは16府県でトップ。海江田、野田、馬渕はそれぞれ2県、鹿野1県。半数の24都道県は候補名を挙げていなかった。
 29日付、朝日は、民主党の滋賀県選出の国会議員6人の動向を伝えている。参院の徳永久志、林久美子は前原の推薦人。衆院2区の田島一成は前原。1区の川端達夫は未定。3区の三日月大造は未定。4区の奥村展三氏は海江田支持の小沢の側近だが、2回目を頭に入れて決める、という。党内では海江田票がダントツといわれるのに、国民の声は圧倒的に前原総理論である。
 この背景を分析すれば、国民は決して「政治とカネ」の疑惑と不信を忘れていないことを物語る。
 例えば、前原出馬が明らかとなったとたん、前原人気は決定的に上昇気流に乗った。その彼が、小沢と会見して協力を求めたとたん、人気は冷え始めた。しかし、いまなお前原人気は他の4候補を寄せ付けない。それは小沢の党員資格停止について、菅執行部の方針を支持し、解除に反対の姿勢であることが好感されているからである。他の4人は小沢にすり寄るばかりで、海江田に至っては小沢の「傀儡」。名前が万里だから「小沢万里」と皮肉られている。
 今回の代表選、過半数獲得による一発決定は無理だから、小沢戦術はどの候補に2位になってほしいか。
 1位が勝っても2位が勝っても小沢の言うことに従う総理。すなわち実質小沢政権並びに小沢執行部がねらいなのである。【押谷盛利】

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2011年08月26日

代表選どころではない

 「WILL」という月刊誌の8月26日発売の10月躍進号に「菅直人を召し捕れ」という厳しい見出しがあり、辞任直前とはいえ、政界に与える影響は大きい。
 この記事は、ジャーナリストの堤堯氏と同じく久保紘之氏の対談で、新聞に出ている広告には「総理を辞めたからといって、市民の会への献金疑惑は終わらない」。このなかで堤氏は「総理大臣が拉致実行犯一味をサポートしている。政治資金規制法違反で有罪になれば総理どころか議員も辞職だ。お遍路どころじゃないぞ」。久保氏は「ポスト菅を争う海江田も野田も馬渕も前原も菅の献金問題について何も言及しない。民主党総ぐるみの国家的犯罪だ」と語っている。
 市民の会への菅首相側からの政治献金は民主党の他の数名の議員も含め6000万円を超える巨額だが、その不当性と疑惑については、サンケイのほかの他紙はあまり大きく報道していない。
 なぜ、大々的に報道しないのかも大きな疑問だが、一番気がかりなのは火の粉をかぶっているはずの民主党から何らのメッセージも反響もないことである。
 この「市民の会」なる政治団体への献金がなぜ国民の関心を集めているかといえば、市民の党は北朝鮮による日本人の拉致実行犯の一味を支援し、民主党を通じ日本の政界にくさびを打ちつつあるからだ。
 はっきり言えば、北朝鮮とも、在日朝鮮総連ともツーカーの間柄である酒井剛なる代表と菅氏の仲はずっと前から続いており、この政治団体は東京や横浜で所属の地方議員を抱えて、政界の情報を把握し、影響力を強めているのだ。現に、民主党の国会議員のうち6人の秘書が酒井代表の推薦で就職していた。
 これらの事実は、拉致実行犯と関係ある一味を通じ、日本への闇ルートによる北朝鮮の工作が極めて巧妙に展開されていることを意味し、あまつさえ、その政治団体への献金資金が日本国民の税金である政党交付金から出ていることに注目しなくてはならない。
 日本人の拉致被害は100人を超すともいわれるが、驚くべきことは、日本の政治家で、拉致のご本家である北朝鮮びいきが多いこと、マスコミの中にさえ北を賛美した記事がかつて報道された。
 かつて土居たか子社会党委員長は「拉致はない」と否定し続けたし、菅総理や前の千葉法務大臣は、韓国で逮捕された拉致実行犯の釈放運動の署名をした事実もある。
 自民党の中にもかつて金丸なる副総裁が当時の社会党の田辺委員長と仲良く北朝鮮参りし、金の延べ棒を土産にもらったとか。あるいは北朝鮮に顔がきくという大阪出身の中山なる元大臣がことあるごとに北朝鮮を弁護して、結局国会議員を辞める仕儀となったことも記憶に新しい。
 国の独立は外国からの侵略や恥づかしめを受けないこと。国民の安全を守ることが基本であり、いまの民主党にはこの独立の心、国民の安全を守る心がないのではないか。代表選どころではない。党の本質を糾明せよ。【押谷盛利】

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2011年08月25日

真剣さ感じられぬ県教委(見聞録)

 高校再編に関する説明会を何度か長浜市内で開いている県教育委員会。しかし、原案に示された以上の具体的な説明はなく、毎回、出席者をがっかりさせている。
 昨晩(24日)の説明会は、対象が小中学校PTA役員とあって、再編計画そのものに反対するのではなく、「今後、長浜、長浜北高校の学校生活はどうなるのか」「統合された新しい高校はどんな姿なのか」「長浜北星高校に設ける予定の『まちづくり系列』とは何なのか」「長浜北星高校の定時制廃止の影響をどう考えるのか」など、高校進学に直面している中学3年生の声を代弁する場となった。
 しかし、県教委は出席者を納得させるような説明がまったくできなかった。
◇例えば、統廃合の対象となっている長浜、長浜北高では2014年度から生徒募集を停止するため、今の中学3年生が高校3年生になった時には1年生は不在となる。今の中学2年生が高校3年生になると、後輩が一切いなくなる。果たして、こんなことで、部活や学校行事ができるのだろうか。PTAからはそんな疑問の声が出た。
 対して、県教委は「学校同士で(部活、行事を)合同でするとか、いち早く支援策を考えなければならない」「しっかり取り組みたい」と説明するだけ。こんなにも単純で素朴な疑問に対しても、県教委は出席者を納得させる回答を準備しておらず、再編計画をどれほど真剣に考えているのが大きな疑問符が付く。
◇学校現場では、この9月から中学3年生の進路希望調査を実施する。
 しかし、再編計画は未だに「原案」のままで、県教委は「今年度中(来年3月31日まで)に決める」と言うだけ。
 先述したように今の中学3年生は高校再編の影響を良くも悪くも受ける。なのに、計画が確定していない。生徒も現場の教師もたまったものではない。
 県教委のあまりの無策ぶりに、傍聴席にいた長浜市の伊藤宏太郎教育長が「こんなことでは現場は進路指導できない。(再編計画決定の)リミットをしっかり示すべきだ。これでは中学3年生が可哀そうだ」と割って入り、県教委に迫る一幕もあった。
◇高校再編に向けた具体策も、熱意のかけらも持ち合わせていない県教委。こんなことでは、再編賛成論者の心も離れる。市民の間でも「時期尚早。白紙化して、もう一度練り直すべき」との声が広がるのではないか。

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2011年08月24日

信無き政治は国を滅ぼす

 民主党の代表選に関して「信無くば立たず」と書いた時評に読者から多くの反響を頂いた。その中の一人は「よくぞ言ってくれました。政治は政治家の私物ではない」と正論を開陳されていた。
 読者のなかには、「信無くば立たず」をもっと分かり易く説明して欲しいとの意見もあった。分かり易く言えば「信」は信用の信、信頼の信であり、「まこと」の意味を持つ。信用金庫、信用組合は、組合員の信用の上に立って組合員みんながその発展と経営に寄与する金融機関といえよう。
 民主主義は個人主義が徹底してゆくとき契約社会化される。これは信用が不安な社会を担保するため、なにから何まですべて契約し、万事法律で解決し、そのために専門家の弁護士が脚光を浴びる。まさに、今のアメリカなどがその典型である。
 しかし、人間というものには心があり、温かみや優しさがあって、何も理屈っぽい法律や約束ごとを持ち出す冷たい社会を望むものではない。できることなら国を信じ、役所を信じ、会社を信じ友人を信じてまろやかに、朗らかに、持ちつ持たれつの社会が望ましい。
 ちょい借りといって、友人にちょっと入用があるので貸してもらえまいか、と頼まれれば、「ちょっとくらいなら」といって応じるのが真の友の関係だが、世相があやしくなって、人が簡単に信じられなくなれば、持っていても断ることになる。銀行へ借金を申し込めば担保があればよし、たいていは保証人を要求される。全くの信用貸しは客に絶対的な安心感がある場合だけである。
 卑近な例ををあげたが、これは人間として一人前に通るか、通らないかは一にも二にも信用次第である。だからこそ人は、幼少のころから人にはウソをつくな、借りたものは返せ、人には親切、世の中のためには利害を超えて尽くせ、などと教えられてきた。つまり、われわれの住む世は信用の世界であり、信用がなければ生きることに苦労し、困る。
 今の政治は民主主義であるから、国民の投票によって当選者が決まり、その当選者の選挙によって、総理大臣が決まる。その意味では間接ながら国民の声が総理を決める。
 しかし、今の民主党のようにできもしないマニフェストをぶら下げて、犬の肉を羊の肉とごまかされては信用ががた落ちになる。信用ががた落ちの民主党ではだれが内閣を組織しても国民の協力は得られず常に政局の不安を繰り返す。
 いわんや、その総理候補ともいうべき人が、カネと政治の疑惑で起訴されたり、党活動禁止の処分を受けている元代表にお百度参りして票をかせごうとする卑しさに至ってはつばをかけてやりたいくらいに虫ずが走るのではないか。
 各候補のがんくびを並べて、勝てると思った人に自派の票をまとめて、当選の勝ち馬に乗ろうとする魂胆であるが、この闇将軍、かつて鳩山内閣のとき幹事長となって党と内閣を支配したことは記憶に新しい。陳情はすべて県連を通じ党本部へ集約すべし、と、これは幹事長のワンマン・独裁に近い権力政治そのものであり、始めは党内で政策論争すら避けて、オレについてこい式の横暴で、鳩山なんかは尻の下に敷かれっ放しだった。
 その闇将軍こと小沢一郎氏は、政治資金を億単位で動かして私有地財産化の疑惑を招き、その政治責任を明らかにせよとの声に耳を貸さないばかりか、部下の元秘書らが政治献金疑惑で逮捕され、起訴されても親方としての責任に蛙に小便の面の厚さで今日に至っている。
 小沢の力は何か、カネと数である。数とは子分の数である。かつての田中角栄はロッキード事件の金脈にからんで第一線を退いたが、その豊富なカネにものを言わせて多くの子分を抱え、自分の思うようになる総理を出してきた。そこに権力と官僚と財界の癒着が生じ、諸悪の根源となった。
 今、歴史は繰り返すのか、そのことを憂う勇気のある議員が今の民主党には存在しないし、そのことを国民に知らすマスコミの努力も足りない。これでは国家のまつりごとは、国民の信頼を得られない。国民に信用のない政治は国を破滅させる。
 信無き政治は立たず、はそういう深い意味を持つと理解してほしい。【押谷盛利】

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2011年08月23日

医大生の闘病記文庫(見聞録)

 滋賀医大付属病院の院内図書館にこの4月、闘病記を集めたコーナー「闘病記文庫」が誕生した。滋賀医大5回生の犬飼公一さん(24)=大津市=が開設し、同病院の患者が書き下ろしたオリジナル闘病記も今月22日、新たに並べだ。
 犬飼さんは奈良や大阪の病院内の図書館に、闘病記文庫があることを知り、私費で図書を購入したり、賛同者から寄贈を受け、約30冊で開設した。インターネットで話題の作品を調べ、映画にもなった「余命1ヶ月の花嫁」など人気作を揃えた。
 また、診療実習中に知り合った患者に依頼するなどして、患者2人に闘病記を書いてもらい、犬飼さん自身の手で編集、出版し、文庫に並べた。
 執筆者の1人、「聴神経腫瘍」と診断された女性は、病気の進行で味覚障害、めまい、字が書けないなど、症状を悪化させながらも、闘病生活を通して人生を見つめ直したことを綴り、「病気によって一歩足を止めることができたのは私の人生の中で最も大切な時であったかもしれません」と結んだ。
 患者が病気とどう向き合い、何を思っているのか、読者にストレートに伝わってくる。
 犬飼さんは「患者さんにとって、闘病記を書くことで、自分を見直し、病気についてじっくりと考えられる。医療従事者はそんな患者さんの気持ちを知ることができる」と意義を語る。
◇名古屋市出身の犬飼さんは、祖父がボランティア活動に熱心で、幼少の頃からボランティアに憧れていた。地元高校を卒業後、滋賀医大に進学した。入学3カ月目で仲間に呼びかけてボランティアサークル「アトラス」を結成した。貧しくて塾に通う余裕の無い中学生に、受験勉強を教える活動を大津市内2カ所で取り組んでいる。
 2回生の時、体調不良で1カ月弱入院。「入院している時、こんなにも暇なのか。時間を有効に活用できないものか」との実体験が、闘病記文庫の開設を後押しすることになった。
◇闘病記文庫を開設し、オリジナル闘病記を発行した今、この取り組みを滋賀全域に広めたいと願っているが、想定していなかった課題に直面している。
 滋賀医大病院には児童書や漫画、小説など約3000冊を備えた院内図書館があり、闘病記文庫を開設する素地が整っていた。
 しかし、県内には図書館のない病院も多い。例えば、市立長浜病院は医師や看護師など医療関係者が利用する図書館を設置しているが、患者向けの貸出は行っていない。
 同病院は患者向け図書館の開設に向け、これまで約300冊を集めた。ただ、場所や予算が決まらず、開設は未定のままだ。
◇闘病記文庫の開設どころか、どうすれば県内の病院に図書館が整備されるのか。医大生1人の取り組みには限界があり、闘病記文庫の輪を広げるためにも賛同者の協力が不可欠。

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2011年08月22日

信無くば立たず、民主党

 「信無くば立たず」。ぼくはこれまでの時評で何回これを言ったことか。
 いま、国民注視のポスト菅をめぐる民主党の次期代表選に関して、急にぼくの頭に浮かんだのはこの言葉である。
 「信無くば立たず」は、社会生活を営む人間共通の道義であるかもしれないが、とくに国民の信託に応えて国政に関与する国会議員や政府要人にとっては天の声ともいうべき必携の政治信条というべきである。
 国会の赤じゅうたんを踏みながら私利私欲に走っている議員があれば、国民は黙視しないであろう。国民は無原則に、丸まかせで、国会議員に日本の政治を委ねているわけではない。
 いま、次期総理ともいうべき民主党代表選に国民の関心が集まっているが、「これは異なこと」、「歴史の過去のあやまちを繰り返すのか」、「民主党よ狂っているのか」…といった切実な、そして怒りをこめた国民の声が表へ出ないのをぼくは悲しむ。
 これは中央紙、地方紙を含め、多くのマスコミの共通の怠惰ともいうべき現象で、マスコミの報道倫理からも許し難いので、あえてぼくは取り上げる。
 多くの新聞は近づく民主党の代表選を取り上げ、その顔ぶれの政策や言動をレポートしているが、国民が目をきょろきょろして眺めているのは各候補(と見られる人)の小沢一郎参りである。
 「おかしい」、「おかしい」、これは国民の良識を逆撫でしているのではないか、という声が報道のかげから消えているのである。むしろ、小沢参りを奨励し、これが当選のキーポイントの如く報じて恥じないのである。
 バカヤロー、ぼくはいまの中央紙や地方紙に、そんなだらしない態度だから、かつての新聞が戦争を阻止できなかったのだ、と怒りをこめて叫びたい。
 辞めるか、辞めないか、信用ゼロに近い菅総理がどうやら8月中に辞任し、月末に次の総裁選が必至という現段階で、マスコミが国民世論をリードしようとするなれば、「信無くば立たず」の大法則、大哲理を堂々とつらぬくべきであり、民主党のヘナチョコ議員の反国民性を徹底的に追及すべきであろう。
 小沢参りをすれば、小沢・鳩山派の100票ほどがまとまり当確間違いなしとするドロボーまがいのソロバン勘定だが、そもそもこういう数合わせの離合集散が日本の政治をどれほど暗く、悪くしたかは近々半世紀の歴史ですべての国民・政治家が学んできたはずではないか。
 小沢一郎氏自身、かつて自民党を飛び出したのは、田中角栄政治の数とカネの支配に反発し、政治改革を志したからではないか。いま問題の氏は、政治とカネの疑惑のただなかにあって検察審査会の決議のもと「政治資金疑惑」で強制起訴されている身ではないか。
 それのみではない。民主党の長い党内議論を経て「党員資格停止」の処分を受けている身ではないか。法廷に起訴され、かつ、政党活動を党規で拘束されている身が、天下の政治を動かすこと自体不謹慎をまぬがれ得ないが、その黒い政治家にお百度参りして政権をつかもうとは、ああ、なんたる姑息、なんたる厚顔無恥だろう。
 あえていう、「信無くば立たず」。人にカネを貸すとき、返してくれないと分っていれば、だれも貸さないはずだ。信用とは経済でも政治でもそのものの働く根底の最大条件である。【押谷盛利】

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2011年08月20日

地蔵盆の昔と今(見聞録)

 地蔵盆は8月23、24日に地蔵尊をまつる行事だが、近年は大人の仕事の都合上、週末に行うことが多い。この20、21日にも多くの地域で地蔵盆が催され、地蔵堂は提灯飾りなどで賑やかに彩られている。
 地蔵盆は西日本のみの風習で、特に湖北地域は盛ん。集落によっては通りごとに地蔵盆を行う熱心さだ。隣の岐阜県に入ると地蔵盆を見る機会は少ない。
 子ども達が町内の各家庭から篤志を集めて地蔵さんに供え、その前に設けられたテントや宿で遊ぶ。そして、近くの寺院の僧侶にお経をあげてもらう、というのが地蔵盆の定番スタイルだろう。
◇米原市醒井の地蔵盆(23、24日)は「つくりもん」と呼ばれる人形を飾ることで知られる。話題の政治家やスポーツ選手、タレントの人形を展示したり、童話の一場面を再現したり、興味深く、面白い。
 「つくりもん」の起源は中世以降に高揚した美意識「風流」による。人々の注目を集めるため華美で趣向を凝らした「モノ」を展示したのが始まりとされる。
 祭事を盛り上げるための「仕掛け」であり、湖北地域では古くから地蔵盆に合わせて「つくりもん」を展示する風習があった。市街地でも昭和初期までは各商店の出す「つくりもん」が地蔵盆の目玉だったという。鍋や釜、日用品など、それぞれの店が扱う商品で、人や怪獣、動物などを作ったそうだ。
 「元祖堅ボーロ本舗」(朝日町)の清水宏さん(67)によると、町内では昭和20代ごろまで地蔵盆に合わせて「つくりもん」を展示していたというので、当時のアルバムを見せてもらった。
 同店の名物「堅ボーロ」で石垣を表現した城門の「つくりもん」が店先に展示され、近所の子ども達が珍しそうに見ている様子が写真に残っている。アルバムには当時行われた相撲大会、盆踊りの写真もあり、地域が大いに盛り上がっていたことがうかがえる。
◇今の地蔵盆は、祭事というよりもイベント色が強く、例えば分木町では子ども達が地元の会館にお化け屋敷を作り、大人は屋台で飲食を提供している。今年は住職の説教の代わりに紙芝居の上演があるそうだ。
 他の地域でもカラオケ大会や大道芸など工夫を凝らした催しを企画し、住民が力を合わせる機会となっている。
 地蔵盆は単なる祭事にとどまらず、地域住民の結びつきを強める重要な行事であると考える。少子化や近所付き合いの希薄化が課題となる現代社会では、あえて地蔵盆に力を注ぎ、地域の絆を深める機会としたい。

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2011年08月19日

夏の食事と生活習慣

 日本人は、海と山に囲まれた自然環境を生かして春夏秋冬を気分良く過ごす才能を持つ。
 生活習慣もさることながら言葉そのものもうまく季節感を導入して、さながら詩人というべきである。
 「うちわ」と「すだれ」は夏の代表的必携品だったが、今は扇子を持ち歩く人は滅多にいない。団扇は家内の扇子だが、同時にコンロなどの火おこし用の器でもあった。簾は葦製が最高だが、日除けのため、筵を吊すこともあった。
 夏を涼しく生きるため先祖はいろいろ知恵を働かせたが、クーラーや扇風機、冷蔵庫の普及で生活のありようが一変した。
 蚊取り線香や蚊帳、蚊ふすべも縁が遠くなり、行水や夕涼みも年寄りの昔話の領域に入った。近い隣が文化生活という近代化の波で遠い隣になってしまった。
 それぞれの家が密封状態で、外出するときは家から車を使うので、近所同士が挨拶したり世間話に興じることがなくなった。ましてや、「無調法なもんですが、一ついかがですか」などと団子やおかずを遣り取りすることもない。
 夏は暑さのせいで食欲が進まないが、そこで昔の人は、あっさりとした淡白な酸料理を工夫した。このごろは「どぼ漬け」と言わず、糠づけというが、あの自然発酵のやや酸っぱい味は夏の味覚の代表と称えたい。
 しかし、今は匂いが嫌われて家で糠づけする人は少数派となった。胡瓜を薄く刻んで酢で和えて、チリメンジャコなどを入れればおいしく食欲をそそるが、そういう面倒なことはしたがらぬ。いきおい今の食卓の主流は「てんやもの」で、スーパーやコンビニの大事なお客さんとなった。
 だが、困ったことに、このごろは、どこで取れたのか、作られたのかがひどく気になり、その上、添加物は?、賞味期限は?、などと疑いの目で商品を選るのが習慣となってしまった。
 そもそもの始まりは中国のギョウザであり、そのうち、牛の病気、農薬、その他インチキ商品の被害などが消費者の心を冷やすようになり、安全のレッテルを見ながらもなお、どこで、いつ作られたのかなどと、いちいち目配りしなければ菜っ葉一束も買えぬご時世となった。食べ物でいえば、いまは何でも刺し身というが、昔は「なます」といった。酢を用いるからだが、野菜や魚肉を酢で和えた。冷や奴など聞くだけで涼感を呼ぶが、同じ冷たさでも冷蔵庫で冷やしたのと、地下水で冷やしたのとでは、ビール一本の味ですら天地の差である。
 熱中症になっては困るから水をどんどん飲むべしというが、昔の人は生水を避けた。生水の中の雑菌を本能的に恐れたのであろう。習慣は恐ろしいもので、ぼくは今も熱い番茶が一番好き。常時熱いのは無理だから冷やしたのを飲むが、番茶の効用は再評価すべきと考えている。
 これから秋を感じさせるやや冷やりとした風を俳句では「雁渡し」というが、梅雨が上がった後の風を「白南風」という。白は涼しさを呼ぶのか、夏の装束は白が基調である。同じく季語によれば夕立を白雨という。
 わが家では木槿が咲きしずみかけ、代わりに芙蓉が咲き始めた。天の移ろいは正確で、汗の季節は間もなく終わる。【押谷盛利】

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2011年08月18日

山ガール、森ガール(見聞録)

 先週の土曜、伊吹山に登った。上野の登山口から山頂まで2時間半。久しぶりの登山に、運動不足の体は悲鳴を挙げていた。シャツは汗でぐっしょり。ヘトヘトで高山植物を観察する気力も起こらない。山頂で着替え、生ビールをあおって体をクールダウンする。
 お盆前ということもあり、家族連れが目立ち、祖父母と一緒に元気に登る5歳児も。「今度は剱岳(標高2999㍍)に登りたい」と話していたから、子どもの元気さと冒険心に脱帽する。
◇登山中に気になったのは、若い女性が多いこと。「山ガール」と呼ばれる彼女達の存在は知っていたが、これほど多いとは思わなかった。登山といえば中高年に人気で、若い女性はどこかの高校、大学の山岳部、ワンダーフォーゲル部と相場が決まっていたはずなのに。
 服装が華やかだ。機能性はもちろん、色やデザインがオシャレ。カラフルな「山スカート」に「レギンス」(タイツのようなもの)、靴下を合わせ、着こなしを楽しんでいる。
 彼女らを登山に導くのは何か。健康志向か、自然志向か。それともファッションであろうか。
 少なくとも、オシャレな服装や装備が揃わなければ、若い女性を登山に振り向かせるのは難しいだろう。
 気がかりなのは、登山ではなく「山遊び感覚」の女性がいること。化粧をばっちり決めて喜々として歩み始め、少し登ると汗だく、無口になっていた。早速1合目で腰を下ろしてジュースを飲んでいた。リュックではなく、ショルダーバッグの女性もいて、果たして無事に山頂にたどり着けたのだろうか。
◇「山ガール」に似て、「森ガール」もいる。「森の中にいそうな少女」のファッションを希求する女性を指し、こちらは森林浴やハイキングを楽しむ訳ではない。
 ファッションは自然の中にある淡い色彩を基調とした色合いを好み、花柄ワンピースにタイツ、ヒールのない、ぺったんこの靴を合わせるのが定番だろうか。カラフル全開の「山ガール」とは正反対。

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2011年08月17日

八商の健闘と政局刷新

 一服の清涼剤なる言葉がある。
 猛暑日の16日、甲子園で、滋賀代表の八幡商業が惜しくも敗退した。1回戦での山梨代表戦では専門家の予想に反して圧勝、2回戦では優勝といわれた帝京にどたん場で満塁ホームランで逆転した底力は無名の滋賀勢を一躍全国候補にアピールした。
 3回戦の作新はさすがに伝統を誇る強豪だった。投手力、守備力、打撃いずれも一枚上だったが、それでも八商は最後まで諦めず、9回裏遠藤のホームランで貴重な追加点を上げて6―3と追い上げたが、後続空しく涙を呑んだ。球場の観衆はみんな八商の敢闘を称えた。テレビで応援のファンは「よくやった」とわがことのように満足した。それにしても遠藤の2回戦での満塁ホームランは球史に残る劇的一発だった。ファンはみんな感泣したが、その清涼感は忘れ得ぬ誇りとなるだろう。八商の甲子園の活躍にはもう一人、長浜出身の高森健太選手の健闘を賞賛したい。一番打者としてしばしばチャンスつくった好打ぶりが印象に残る。
 さて、政局に眼を転じるとポスト菅をめぐって何名かの名が取り沙汰されている。
 結論から言えば民主党内閣は誰が組織しても国民の信は得られまい。民主党は一体、国家、国民の党なのか。左翼革命勢力に国を売り渡し、中国、韓国、北朝鮮の属国への道を歩まんとするのか。余りにも疑問が多く黒い霧におおわれている。
 なかでも15日の敗戦忌に、菅総理はもとよりすべての大臣が靖国神社へ参拝しなかった。国家、国民のため尊い命を投げ出した護国の英霊に対して何たる非礼であるか。尖閣諸島近辺での中国漁船の侵入とわが海上警備船への体当たり事件をめぐる犯人釈放や不起訴処分などの弱腰外交はとても独立国の対応とは言えない。
 最近の情報では、北朝鮮の日本人拉致の実行犯の身内が関係している日本の極左政治団体へ菅首相や複数の民主党議員が6000万円を越える政治献金をしている事実、あるいは北朝鮮系の朝鮮総連の演劇団体の公演の広告に民主党北海道支部が協力している点などあまりにも露骨な民主党の北朝鮮寄りの実態に国民の怒りは溜まっている。しかも民主党からの献金や広告費は国民の血税である「政党交付金」から出ていることを考えれば許し難い裏切行為といえよう。民主党はいま、ひそかに2つの重要法案を目指して画策している。
 1つは外国人に対する地方参政権の付与である。
 今1つは、「人権侵害法」である。一体、今の世で、だれの人権を守ろうというのか。人権の名で、まともな日本人がその人権をおびやかされている事実が過去にもあった。
 「人権」とか「平和」の名においてどれだけ国民が、迷惑していることか。それらを考えると人権法ほど物騒な発想はない。こういう思想の推進勢力である民主党は夫婦別姓派でもあり、日本の国柄と伝統、歴史をも否定するのであり、国民はこの際、早期解散、新しい衆議院構成を要求すべきである。【押谷盛利】

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2011年08月12日

 墓参りと護国神社と絆

 お盆が近づくと、どこの墓地も急に明るく活気を見せる。
 墓掃除をかねてお参りする人もあれば、里帰りの都合で一足早く墓参する人もある。普通、墓は集落ごとに一定の区域の中に建てられており、墓場、墓所、墓原と呼ぶ。聞きなれない言葉に「奥つ城」がある。下界から隔離して奥まった領域の墓所という意味である。
 このほか「さんまい」ともいうが、これは「三昧」と書く。墓地に堂が設けられていて、葬儀のとき、その堂の前に棺が置かれ、僧侶がお経三昧に死者の霊を弔うのが古い集落の習わしでもあった。それが語源で、墓場を「さんまい」と呼ぶ。
 墓は生きている人間にとってはとても大事な財産だが、人間の勝手というか、死の直後こそ涙を流し、霊の弔いに真心を見せるが、ひとたび墓場に納骨するや月日とともに疎遠となり、草ぼうぼうのていたらくになる、それではならじと、春秋の彼岸やお盆に参詣するのが最低の親孝行であり、先祖供養であると、これは一種の村の不文律であるが、それさえも今は無視されている。
 墓へ参ってもあの世からの声が聞けるわけでなし、「去るものは日日に疎し」の人間の薄情がここにも現われる。
 太平洋戦争が終わって今年66周年になるが、戦死した人は第一線の砲火のなかで「靖国で会おう」を合い言葉に仲間たちと誓いあった。その靖国は神社とはいうものの霊のやすらぎの聖地である。奥つ城は神道では神霊の祀ってある宮居であり、そういう意味からすれば靖国は英霊の奥つ城である。
 その靖国への関心も今の民主党や菅総理には期待すべくもない。菅総理や民主党の一部には、靖国参詣どころか、靖国潰しや日本の民主主義、自由主義の敵である北朝鮮の拉致組織の一味と手を結ぶ極左政党へ6000万円を超える資金提供をしているのである。
 国家、国民のため命を投げ出した英霊は靖国のほか、各地の護国神社に祀られている。滋賀県の護国神社は彦根市民会館の隣り、彦根城の入口近くにあるが、春の桜は見ても、どれほどの人が参詣しているのか。いまの流行語でいえば日本人として「絆」をどう考えているのか、お盆を前に反省したいところである。【押谷盛利】

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2011年08月11日

予科練習生の寄せ書き・下(見聞録)

 秋田県上大野村(現北秋田市)の大野台で、グライダーによる体当たり訓練に励んだ特攻要員の海軍予科練習生が終戦直後に教官・島田浩一さん(87)=京都市北区=に手渡した寄せ書きノート。
 小紙に持ち込んだのは、戦後、島田さんの勤務する博多大丸百貨店で、上司と部下の関係にあった歯科医・松橋洋一さん(69)=近江八幡市=だった。
 松橋さんは島田さんからノートを見せてもらった際、そこに記された当時の若者の文章力と感性に驚き、今の若者に知ってもらいたい、と小紙に寄せた。
 松橋さんは「10代後半の若者でありながら、当時の学生の学力の高さ、教養が偲ばれる。上官に対する、恩師に対する礼節が非常に行き届いている」と語り、今の若者に▽国語力を身に付けること▽精神力を高く、強化すること▽国を思う感性を身に付けること▽恩師の恩を思うこと―が求められると、訴えている。
◇寄せ書きノートからいくつか紹介すると―。
 「会ふが別れの始まりにて別れても広くて狭い浮世故、亦会へる日を楽しみにして居ります。大野台で色々有難う御座いました」(住所不明、中西裕)。
 「教官、短いとは云へ炎天下我々未熟者を熱心に御指導下され誠に有難う御座います」(岡山県公文村、清水信男)。
 「我々に立派な死花を咲かせて下さるべく御指導下されありがとうございました。此からは予科練の頑張精神とこの特攻魂により起挙します」(千葉県千歳村、菅谷寛)。
 「忍び難きを忍んで立派に生き抜きます」(山口県下関市、福岡敬允)。
 また、予科練らしく、「アゴ計四個戴きましたが、誠に有難う御座いました」「アゴのお陰で…」との文言もある。島田さんによると「アゴ」は「アゴを殴って指導することです。私も500発以上は戴きました」と振り返っている。
◇さて、ノートの中で最も印象に残ったのは上海出身の練習生の文章。島田さんによると、この若者が寄せ書きの発案者で「骨っぽい奴だったが、寄せ書きをもらうまで上海出身とは知らなかった」と振り返っている。
 次はその一文。「光陰矢の如く、二ヶ月間はまるで夢の様でした。其の間色々と親身も及ばぬ御指導にあづかり何とも御礼の言葉も有りません。別れても決して教官の御姿は一生私の頭から離れません(中略)。ゴイラゴイラ、ブンナグられましたっけ。教官の姿を見ると私は何だか実兄に会った様な気がしました。而し今後は別れ別れに…。教官何時何時迄も御元気で。私も思い出の古巣上海に舞い戻りテロ團を組織し、團長をやり大いに頑張ります」(大分県中津市、久恒眞佐夫)。
 文中の「ゴイラゴイラ」はこの文脈の場合「ひどく」とか「何発も」という意味のようだ。
 上海でのテロ宣言が本気か冗談かは不明だが、血気盛んな若者らしさが潔い。
◇特攻要員として死を覚悟しながら、思いもかけずあの戦争を生き抜いた予科練習生らは、今の日本人をどう思っているのだろうか。
 先人の莫大な犠牲の上で、我々は高度経済と平和を享受しているが、松橋さんが指摘するように、教養や礼節、先人への感謝の念を忘れてはいまいか。彼らのノートから、学ぶべきことは多い。

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2011年08月10日

初代文泉堂と豊公園

 長浜市議会の役員改選で、新議長に吉田豊議員(大宮)が選出された。
 市街地から議長が出るのは、戦後にさかのぼれば、中野忠吉氏(南呉服・故人)、高田宏員氏(高田)、佐藤啓太郎氏(宮前)、藤田勝清氏(殿・故人)以来のことである。
 長浜市民はもとより、湖北では吉田豊を知らなくとも文泉堂といえば知らないものはない。ぼくは新聞にも雑誌にも本にも無縁の非文化的環境の貧しい家で育ったが、それでも新学期に入ると先輩に依頼するか、直接長浜へ出て、参考書などを文泉堂で買った。大全科参考書など今も記憶に新しいが、勉強が進むというので父が奮発してくれた。
 文泉堂は今の豊氏の4代前の吉田作平が明治19年(1886)23歳のときの創業による。江戸時代は「ぜに作」の屋号による両替所を経営しており、古くからの実力経済人だが、作平は先見の明があるというのか、家業を切り換えて新聞販売、書籍、文房具の文泉堂を創業した。
 同社は今から25年前の昭和61年、創立100周年で長浜商議所から表彰されたが、実は4代前の吉田作平が長浜の文化産業の功労者であることが以外に知られていない。
 彼は明治42年10月、10代目の長浜町長となって間もなく、その12月議会で長浜豊公園建設案を提案したが、「必要なし」と否決された。彼は長浜城の史跡を顕彰し、市民の憩いの場の必要性を説き翌43年3月議会で再提案し可決されている。さらには後の長浜高女(現北高)の前身である町立実科高女の創立をすすめ、大正12年(1923)長浜信用組合を設立し組合長に就任している。
 作平の功績を称える顕彰碑が豊公園に建設されたのは30年前だが、今、長浜城が再現し、湖岸道路周辺に高層ビルやホテルなどが建っている姿を思うとき、遠い町政時代の為政者の先見性に頭が下がる。
 現在の長浜は伊香、東浅井を合併して大津、草津に次ぐ人口規模の都市となったが、産業、教育、文化面での課題は多い。議員諸氏は自己の名利を離れて20年、30年後の長浜を見越して建設的、開明的政策や提言を期待したい。また、地域の福祉と発展の先頭に立って活躍してほしいと思う。【押谷盛利】

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2011年08月09日

予科練習生の寄せ書き・上(見聞録)

 「教官と慕ひ上大野で共に帝国の為に訓練したものは皆水泡に帰したが教官のお心は何時何時迄も忘れず、帝国再建の日迄頑張ります。教官も御身大切に」―。
 これは終戦直後、特攻要員の海軍予科練習生が教官・島田浩一さん(87)=京都市北区=に宛てた寄せ書きノートの一文。
 今、そのノートは、めぐりめぐって小生の手元にある。
 終戦から66年。ノートは変色し赤茶けたが、教官への感謝と日本再建を誓った言葉は鮮明に力強く残っている。
 日本国家のため、家族のため、死を覚悟し訓練に励んだ若者達が突然迎えた終戦をどう受け止めたのか。寄せ書きノートからたどりたい。
◇昭和20年6月、秋田県上大野村(現北秋田市)の大野台に、海軍航空隊の「グライダー特攻」の訓練基地が設けられ、10代後半の練習生約1000人が全国から集まった。
 訓練は有人ロケット戦闘機「秋水」の完成に備えたものだった。秋水は体当たりの自爆兵器で、高度上空を飛ぶB29や敵戦艦の迎撃用に開発が進められていた。
 戦争末期の当時、戦闘機不足のため、訓練は爆弾に見立てた砂袋を取り付けたグライダーを用い、体当たりを想定して飛行訓練を続けていた。しかし、成果を見る間もなく、開始からわずか2カ月で終戦を迎え、予科練は解散となった。
 教官の島田さんは土浦の海軍航空隊を経て教官に抜擢され、22歳で大野台に赴任。特攻要員に志願した全国の18、19歳の練習生約50人を指導した。
 予科練習生は島田さんを兄のように慕ったのだろう。解散時、寄せ書きを受け取ったのは数多くの教官の中で島田さんだけだったという。
◇さて、そのノート。練習生の多くは「訓練半ばにして中止され、此處に別離せねばならぬ誠に残念至極です」「実に残念で仕方ありません。訓練中途にして別れなければならない運命、娑婆へ帰ったとしても必ず新日本再興の為万苦と戦ひ頑張ります」などと、決死の訓練が敗戦で中止となったことへの無念と国家再建の誓いを記し、「我々は何處の里に散りぬとも春の都は靖国の宮」「若櫻捨てる命は惜しまねど国を想って散るに散られず」とそれぞれの心境を詠んだ。
 終戦で迎える平穏な生活を夢見る練習生もいた。「大野台の空中滑り台に於いては色々と御世話になりました。どうやらこうやら滑れる様になったと喜んだのもあっと云ふ間、電信柱の様な私も今度はうんと太りますよ。岡山にも色々と美味しい物があります。白桃、二十一世紀梨、果物も澤山あります。西の方へ来られた時にはぜひよって行ってください。幾年か後に来るべき春を迎える為しばしの間故郷でゴロ寝をきめます」。戦争が終わり、帰郷できる喜びが滲みでている。(つづく)

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2011年08月08日

原爆投下と15日の敗戦

 間もなく8月15日。8月15日は何の日か、あらためて考えてみたいが、お盆の日、お墓参りの日と答える人はあっても、敗戦の日と答える人は少なくなっているのではないか。
 日本人はプライドが高いのか、やせがまんなのか、戦争は完敗だったのに敗戦と言わずに終戦と言う。俳句の歳時記にも「終戦忌」として取り上げている。ようやく、このごろになって敗戦という活字を見るようになったが、終戦と敗戦では意味が大違いである。
 室町時代中期、足利将軍の威令届かず、有力守護職・山名宗全と細川勝元の対立による応仁の乱は京都の街を破壊し、長期にわたる戦のあと、どちらが勝つということなく終わって戦国下克上の織田信長の時代に移るが、ああいう戦乱こそ「終戦」という言葉がふさわしい。
 日本は1941年12月8日、米英を向うに回し太平洋戦争を起こしたが、4年後の45年(昭和20年)8月15日、無条件降伏した。
 8月15日、天皇のお言葉がラジオを通じ全土に放送されて国民は敗戦を知った。勝つまでは辛抱します、と耐乏生活を強いられた国民は一瞬頭を殴られたようなショックで泣いたが、すぐ立ち直って、引き続く占領下の中、再建日本を目指して奮発した。
 歴史に「もし」はないが、もし天皇のお言葉がなく、陸軍の無謀の作戦のおもむくまま時日を経ていたらどんな結果を招いたことだろう。それこそ一億国民みな殺しに近い犠牲に泣かねばならなかった。それを考えると断腸の思いをするのだが、8月6日の広島原爆と同9日の長崎原爆の犠牲者とその被害者にこそ国民は永遠に感謝せねばならぬ。何十万人の尊い死者や原爆後遺症で苦しむ被害者のこの世の地獄を思うとき、国民は8月15日の敗戦の日を新たな思いで哀悼しなければならぬ。
 8月6日の広島原爆は、当時、新型爆弾の名で新聞は報じたが、その恐るべき破壊力は日本の政府や戦争指導者に沈鬱な打撃を与えた。
 このような火の玉が国土を襲えば日本全土は火の海となり国民は死滅するに違いない。しかも敵は、なおも戦意を高めようとする軍を木端微塵に粉砕すべく、第2の原爆を長崎に投下した。実に広島から3日後のことである。
 ここに至って、政府の降伏の気運は一気に高まり、軍のクーデター計画に先行して天皇の勅語発信の急転回となった。当時の内閣や上層部は、如何にしてメンツを保持しつつ、国体を護持して戦を終えようかと苦心していた。
 それが相手を選ぶに貧して鈍して、こともあろうにソビエト連邦(当時)のスターリンに仲介を依頼した。彼は時間を稼ぎつつ、中立条約を破って満州の日本軍を攻撃し、千島を占領した。
 原爆投下の犠牲という世界史に永遠の記録を残したが、それは全日本の焦土化と日本人の死滅を回避する無慈悲な選択であったともいえよう。【押谷盛利】

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2011年08月06日

8月6日の朝日と産経(見聞録)

 きょうは8月6日。アメリカが広島市民の頭上に史上最悪の爆弾を投下してから66年が経過した。
 今年、日本は再び放射線禍に襲われ、日本国民はこの8月6日をどのような気持ちを迎えたのだろうか。東日本大震災による福島第1原発事故と、放射線汚染に苦しんだ広島の惨状とを重ね合わせたのではないのだろうか。
 この8月6日、大新聞はどのような社説で何を読者に訴えかけたのか。「左」代表の朝日と、「右」代表の産経を読み比べた―。
◇朝日新聞は、原爆という「悪」と原発という「善」を使い分け、核兵器の根絶を世界に訴えながら、核エネルギーの平和利用を掲げる日本の姿勢に疑問を投げかけた。
 「広島、長崎、第五福竜丸、そして福島。ヒバク体験を重ねた日本は、核とのつきあい方を考え直す時に来ている。それは軍事、民生用にかかわらない」と訴える。安全性の欠如が明白になった以上、原発から脱却する道を選ばなければならないという論調だ。
 「原発の安全性を徹底検証し、将来的にゼロにしていく道を模索する。それは広島、長崎の犠牲者や福島の被災者、そして次の世代に対する私たちの責任である」とし、「核との共存ではなく、決別への一歩を先頭を切って踏み出すことが、ヒバクの体験を重ねた日本の針路」と締めくくっている。
 朝日新聞の論調は、菅首相が先月、唐突に打ち出した脱原発と同じだが、福島第1原発事故に悩まされる今の日本国民に響くだろう。
◇脱原発論と対極して論陣を張る産経新聞は、あえて8月6日に「世界一安全な原発めざせ」のタイトルで原発推進を掲げた。
 「原発」と「原爆」を結びつけ、国民の忌避感や不安感をあおる行為は禁物だと、朝日新聞の理論を牽制し、資源小国の日本が「衝動的」な脱原発に駆られれば、エネルギーの不足、価格高騰から、産業の海外移転で国内の経済活動が停滞し、アジアにおける国際的地位が危うくなると訴えている。
 「原子力は、日本の基幹電源であり、生命線であるだけでなく世界が必要としているエネルギーでもある」「太陽光や風力、地熱発電に代表される再生エネルギーの利用開発も必要だが、本流を読み誤ると将来が危うい」と、国内に漂う脱原発、嫌原発の世論に冷静さを求めている。
 最後は「『世界一安全』と胸をはれる原発を目指そう」と締めくくっている。
◇日本の大新聞が、原爆投下の6日に正反対の論調を繰り出していることに、物の見方の多面性を学ぶことができる。
 両紙の理論は共に整っているが、追求するベクトルは異なっている。朝日は国民の安全と健康を、産経は日本経済の安定と成長を、理論のスタート地点としている。
 原発を無くせば放射線による国土汚染の心配は無用だが、脱原発でエネルギー不足を招けば国際競争での敗北を意味する。日本は原発を進めるべきか、否か。将来の日本を左右する重いテーマである。

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2011年08月05日

友と巧言令色について

 論語に「朋有り、遠方より来る、亦た楽しからずや」という有名な一句がある。
 互いに助け合い、信頼しあい、尊敬しあう友がいて、それが遠くから訪ねて来る。にぎにぎしく楽しいことではないか。
 友は大事であるが、素敵な友を得ることは難しい。人は生まれたときから父母の恩愛に抱かれて、一家あげての甘やかしの雰囲気のなかで育てられる。三つ子の魂百までの通り、その甘えの根性が身について回るから、お上手を言われたり、誉められると喜ぶが、その反対に注意されたり、批判されると食ってかかったり、腹を立てたり、ときには憎むことさえする。
 本当の友は、思いやりをこめて、良い方向へ、伸びてもらおう、いい結果を、と、意見を言ったり、批判めいた注意をする。その真意を有り難く受け取って、立ち止まったり、反省したり、考え直すことによって、新しい発見やさらなる発展につながる。ただし、友の言葉が100%正しいとは限らないから大いに議論したり、研究することはお互いのため、とてもよいことといわねばならぬ。
 同じく論語のなかに「巧言令色すくなし仁」というこれまた有名な教えがある。
 巧言とは言葉巧みなお上手口。令色は相手によく思わせようと顔いろをつくろうこと。つくり笑いや、やさしそうな、いかにも好意を示すかのような表情や振る舞いをいう。
 お上手口で、にこにこ顔のやさしそうな人は、思いやりや親切心がないものだ、という意味である。
 そうはいうものの、人間は生まれたときから「ちやほや」されているから、言葉巧みに、やさしそうに近づく人に心を開く。初対面の人でも、心を許し調子に乗って、つけ入らせることもある。
 保険の外交員や物売りの人は、つっけんどんな顔をしたり、しかめつらしい表情をしていると相手にしてもらえず、ときには門前でお払いとなるから、その家の犬や庭を誉めたり、せいいっぱいのお愛想をいう。売り買いは、商品の質や信用の問題であり、誠意が通じれば目的は達せられるが、人生の長い道中にあっては人と人とのふれあいがその人の消長にも影響するから友人はもちろんだが、出遇いほど大事なものはない。
 われわれは出遇いによって友、師、先輩、それどころか、人生の伴侶をも得るのである。よき師、よき友、よき先輩に恵まれることは本人の徳ともいうべき果報だが、これとて、対応する本人の誠実さが第一である。
 芸術家は成長過程において、何人か師を変えることがあるが、それは本人のレベルや思想性、表現上の歩みのなかで、本人自らがふさわしい師を求めてゆくことで、師を超える水準になればさらなるレベルの師が必然的に現われる。
 友人は互いに切磋琢磨するところに価値があり、相手の進歩こそ望むべきであり、かりそめにも敵意を抱くことがあってはならない。お互いが作品を批評しあい、相手の心を喜ばせるべくほめ言葉を第一とするのは、論語のいう「すくなし仁」である。
 むしろ、欠点は欠点として指摘し、大胆率直に批判するのが望ましく、それを素直に受け止めず、反発したり、反感を抱くものには、批判に耐える向上心のなきものとして、相手にしないことである。逆にいえば批判を拒む人は成長への芽を自ら潰しているといえよう。
 古来、独裁国家が成長せず、あるいは続かないのは内部に批判勢力を許さないからである。【押谷盛利】

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2011年08月04日

今、なぜ円高なのか(見聞録)

 円高ドル安の進行できのう3日は1ドル76円台となるなど、急激な円高が進行。政府・日銀は4日午前、円売り・ドル買いの為替介入に踏み切った。これにより円が急落し、株式指数も上昇している模様だ。
 円高は円が買われることにより進行する。この国の経済安定性が国際的に評価されている証左とも言えるが、今の円高は「ドルもだめ」「ユーロもだめ」と投資家が円に照準を合わせた結果だろう。
 アメリカでは国債の債務不履行が回避されたものの、国債格下げの警戒感がくすぶり、ヨーロッパではギリシャに代表される財政問題が投資家の危機感に火を付けている。
 それら危険な資産を売り払って、新たな投資先を探し、行き着いたところが日本円だった。他にも金や穀物(トウモロコシ、大豆、小麦)も投資の対象になっている。
 リーマンショックによる証券市場の混乱から逃げ出した投資家が原油に目を付けた結果、ガソリン価格が急上昇した時と原理は同じだ。
◇4日朝の新聞各紙は円高による輸出産業への打撃など危機感をあおる論調が目立った。
 輸出産業を主力とする日本企業は、円高により車や家電などの製品が海外で売れなくなる。民間調査会社の帝国データバンクが行った意識調査でも、回答企業の約5割が企業の海外流出が加速する要因に円高を挙げ、急激な為替変動を警戒している。「円高が落ち着かなければ企業の海外流出による国内空洞化は避けられない」「輸出産業主体の日本の産業構造からみて、企業を発展させるには円高解消以外に道はない」といった声が主流だった。
◇デメリットばかりが強調されるが、メリットはどうか。
 海外から原料を輸入して国内で消費するような産業、例えば食品製造業は原料コストが圧縮される。ビールメーカーの幹部は円高で数億円のメリットがあると語っている。
 我々一般市民もメリットを享受したい。円が高ければ輸入品や海外旅行は割安になる。大手スーパーは円高還元セールに力を入れ、輸入牛肉などを値下げしている。海外旅行業者はツアー料金を割り引いたり、金額据え置きでホテルの部屋をグレードアップしたりと、お得感を演出している。
 また、高くなり過ぎた原油先物市場からは投資マネーが逃げ出しており、円高との相乗効果で、近い将来、ガソリンの値下がりも期待できる。
◇アメリカ国債不安、ヨーロッパの財政問題から、新たな投資先が求められるのは理解できるが、なぜ、東日本大震災で産業が大打撃を受け、放射線禍にさらされている日本の円が選ばれるのか。
 そこは、日本の財政力、経済力の強さ、国際的な信頼性が背景にあると、好意的に解釈したい。

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2011年08月03日

信長、秀吉、長政の夢と江

 「江・浅井三姉妹」のNHKドラマはこれからが山場である。歴史の不思議は主役たちの興亡と、そのとき、そのときの投じた一石の流れによる。関ヶ原の戦は西軍の完敗で、石田三成の死は大坂城と豊臣家の滅亡を象徴し、天下分け目の戦といわれたゆえんである。
 秀吉の子・秀頼は1603年、10歳で徳川秀忠(家康の子)の子・千姫と政略結婚したが、大坂の陣で、1615年、母の淀とともに自殺した。千姫は徳川方に救助されたが、彼女の母が今、話題の「江」であり、父が2代将軍・徳川秀忠。3代将軍・家光も江の息子であり、将軍家に対しても、また大奥の支配についても絶大な力を発揮した。また娘・和子が皇室に嫁ぎその血が天皇家に入った。振り返れば「江」は浅井三姉妹の末っ子であるが、その華やかにして波乱の人生は、姉の茶々が秀吉に見染められて、その側室となり、その縁で江も中央政界の裏表のなかで成長した。
 不思議といえば、不思議だが、淀と秀頼の死で豊臣が亡びたのと逆に、江の徳川入りで、織田信長と浅井長政の血が徳川家ばかりか皇室にまで及んでいるという事実である。浅井長政やお市が泉下で感泣していたかもしれないし、豪毅な信長が姪っ子の出世に「でかしたぞ」と本能寺の草むらから声援していたことだろう。
 それにしても戦国時代の各地の実力者の天下を競う覇権争いは血も涙もない権謀術数で、生きるためには自分の母や妻、子どもまでも犠牲にした。
 将軍が見染めたら部下の嫁でも問答無用で献上させた。秀吉の命で殺された秀次の側室など39名のなかにはまだ手もつけていない駒姫という少女がいた。彼女は奥州・山形の領主・最上義光の娘だが、美人というので指名された。
 古来、日本の戦は男と男との対決だから、婦女子までを巻き添えにすることは禁じ手というべきであるが、わが子かわいさに狂った秀吉は全く関係のない女性をも一つ屋根に暮らしたというだけで殺してしまった。
 それにしても人間のすること、浮き世のことは冬の蚊の鳴き声ほどのものである。秀次の死の3年後、秀吉は没し、その2年後、石田三成が関ヶ原で敗れて殺される。信長と天下を争った武田信玄は1573年病没したが、その9年後の82年、信長は本能寺で明智光秀に殺される。
 強者どもの夢のあとを探索すれば興味は尽きないが、戦乱のたびに田畑を荒らされ、食糧を徴用された百姓衆の困苦はいかばかりだったろうか。ことに近江は中央(京都)の前進基地だけに鎌倉、室町時代以来、戦乱の絶え間なしだった。その代表的戦場が賤ヶ岳、小谷城、佐和山城、観音寺城、瀬田川、坂本、膳所等であった。
 荒らされても耐えて立ち上がってきた百姓衆のど根性こそ見習うべきというべきか。【押谷盛利】

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2011年08月02日

高校再編は行財政改革(見聞録)

 31日の日曜日に長浜市民交流センターで行われた県教委による高校再編計画の説明会。事前の参加申し込みは低調だったが、当日は再編に反対する教職員らで会場は満杯。
 出席者からは計画原案への反対意見や批判が相次ぎ、県教委に対し計画の撤回を迫った。県教委担当者の説明の際には、怒号や野次が飛び、説明会というよりは、糾弾会だった。
 計画反対のポイントは▽今後10年、子どもの数は減らない▽なぜ、県北部(長浜、彦根)だけが対象なのか▽長浜・長浜北を統合し、長浜高の校舎を利用すると、校舎は手狭になる▽長浜北星・彦根東定時制の廃止で、県北部から定時制がなくなる▽「小規模校では子ども達が切磋琢磨できない」「6~8学級が最適な規模」という県教委の理論に根拠はない―など。
 対する末松史彦教育長以下、県教委の説明は、魅力と活力ある教育環境のためには6~8学級が望ましいと訴え、「白紙撤回はない」と返した。
 再編計画について、反対の声に応えうる何かしら新しい情報が示されるのかと期待したが、県教委は「ゼロ回答」に等しいものだった。
 長浜・長浜北の統合についても、ビジョンや夢を語ることなく、熱意の欠片もなかった。
 説明会は県民の意見を聴いたという県教委のアリバイ作りでしかないのでは、という疑念が強くなった。
◇一方、説明会場の熱気が県民の間で共有されているのかというと「ノー」だろう。長浜・長浜北の統合についても、地元長浜市民の関心は高くない。
 長浜市は「広報ながはま」に高校再編の白紙撤回を求めるチラシを折り込んだが、いったいどれほどの市民の関心を呼び起こせるのか。
◇再編計画を議論するとき、まず第一に念頭に置かなくてはならないことは、我々が将来、いかなる教育、いかなる高校を望むかということ。
 今日にある教育環境、施設が普遍的にあり続けるのか、そしてその維持を望むのなら、それを支える財源、必要とされる生徒数をいかに確保するかという冷静な分析が必要になろう。
 もし、再編が必要というなら、何を基準とするのか。学級数か、子どもの数か、立地場所か、伝統か、校風か、偏差値か、進学率か。それとも財政の効率性なのか。
 県教委は再編の基準を学級数とし、財政は「第一義的なものではない」と説明しているが、真実はどうか。
 実質的に高校再編の采配を振るう青木洋教育次長は県の財政課長、総務部次長を経て、昨年、今のポジションについた。果たしてこれは何を意味しているのか。
 高校再編が行財政改革の一環であることは間違いない。県教委は「魅力と活力ある県立高等学校づくり」という美辞麗句だけではなく、財政的見地からも県民に訴えるのが筋であろう。

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2011年08月01日

大河ドラマと秀次の死

 日曜日のNHKテレビ大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」は、フルスピードで、信長―秀吉―家康への覇権争いを追ってゆく。
 生臭い殺風景な武門の陣取り合戦のなかで、つややかな女性が取引きの材料にされたり、時には主家の存亡の隠密役を果たしたり、あるいはたまさかの平和時に竜宮城の乙姫役に酔ったり、史実はともかく興味しんしんの人生縮図である。
 去る22日、ドラマの名優2人が長浜入りして話題をまいた。1人は石田三成役の萩原聖人さん、もう1人は秀吉によって切腹させられた関白秀次役の北村有起哉さん。2人ともいい男だが、秀次役は先々週の24日のドラマで消えてゆく。謀反説などから太閤の不興を買った秀次は関白の位を奪われ、罪人同様の形で、高野山に追放され、切腹させられた。
 秀次追放の修羅は1595年の夏真っ盛りの7月だった。
 8日、秀次の住む聚楽第が包囲され、多くの使用人の退散を命じ、愛児、側室、愛妾、侍女、乳母ら女性39名を奉行所へ連行した。伏見城へ呼び出された秀次は石田三成、増田長盛によって太閤の沙汰書を受ける。これには豊臣追放、関白の官位剥奪、聚楽第取り上げ、領地没収、高野山入りが書かれていた。
 13日、秀次、高野山入り、切腹命令伝達。検死見届け、首級持ち帰り役に正使・福島正則他3名。15日、秀次切腹、殉死者5名。
 8月2日、秀次の愛児、側妾、侍女等39名が京都の三条河原で斬首される。
 秀吉は淀との間に生まれた長男の鶴松の死後、甥の秀次を養子にして関白を譲ったが、その後2男の秀頼が生まれておかしくなった。
 秀頼を自分の後継者とするには秀次が邪魔だった。彼は秀次を殺したあと、その3年後の1598年に病死するが、最後まで秀頼のことが気がかり、有力大名や側近に契約書まで書かせるほどだった。
 しかし、その死から2年後の1600年、関ヶ原の戦で西軍は敗れ、秀吉の最も信頼していた石田三成が逮捕され、今度は自分が三条河原で首を切られる。
 皮肉といえば皮肉である。【押谷盛利】

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