滋賀夕刊新聞社は滋賀県長浜を中心に政治、経済、文化の情報をお届けする新聞です。



2011年07月30日

移民政策と右派台頭(見聞録)

 ノルウェーで発生したテロ事件。犯人の32歳の男は政府の推進する移民政策への反発からテロを実行した。彼を狂気に駆り立てた背景を考えたい。
 西欧では人道上の見地から、中東やアフリカ、東欧からの移民、難民を受け入れてきた。リビアの内戦でイタリアに難民が大量に押し寄せたニュースは記憶に新しい。
 ただし、受け入れの背景には人道上の理由のほか、重労働、低賃金で経済を下支えする労働者確保という政府と企業の都合もある。
◇そんな移民政策の中で、このテロ犯はイスラム教徒との多文化主義に対し、異常な妄想を内包していた。
 イスラム教徒が欧州のキリスト教文明の征服をたくらんでいると批判し、犯行に及んだ自らを「テンプル騎士団」(十字軍の主力として活躍した中世の宗教騎士団)と称している。また、多民族、多宗教の共生を目指す考えを「文化的マルクス主義」と批判している。
 究極的右派思想の持ち主で、これらの飛躍した考えの背景には、移民の流入によって自国の伝統や文化、オリジナリティーが壊されるという脅迫観念があったと推測できる。
 この思想は彼に限ったことではなく、経済の低迷で失業率が高止まりしているヨーロッパ各国では、たびたび若者が「仕事を奪われた」「治安が悪化した」と外国人排斥を訴えて暴動を起している。その声は政治にも反映され、反移民を主張する右派政党が次々と台頭している。
◇島国の日本は政府方針として、移民、難民の受け入れに消極的なため、多民族国家とは言いがたい。南米日系人の出稼ぎや、中国、朝鮮系がいる程度だ。
 少子高齢化が進み、将来、働き手がいなくなるという危機感から、移民政策を訴える政治家もいる。これは安い労働力を確保するための経済界の代弁と言えようが、欧州での政策を分析する限り、周到な配慮が必要であろう。
 若者の就職難や失業が深刻な日本で、移民政策を推進する必要があるのか。それ以上に、移民として受け入れた場合の彼らの生活保障をどうするのか。
 長浜でも多くみられた日系ブラジル人らは景気が悪化すると簡単にクビを切られ、その子ども達は日本の学校になじめず、仕事にも就けなかった。
◇自国の伝統や文化といったアイデンティティーを守ろうという民族主義的気運が、外国文化の流入に相反して、盛り上がるのは自明の理。しかし、「テンプル騎士団」「文化的マルクス主義」などの妄想的主張から排他主義に陥れば、紛争、戦争の火種でしかないのではないか。
 日本政府は移民政策に慎重なため、我々が気をもむ必要はないが、先進国で過激な民族主義や外国人排斥主義が台頭しているとすれば、無関心ではいられない。

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2011年07月29日

副首都構想に賛成

 ノルウェーのテロ事件、中国新幹線の追突事故、突発的集中豪雨による韓国での何十人もの死者。日本は3月11日の東日本大震災から立ち直るどころか、最近は牛肉汚染であらためて放射能危機を身近かなものにした。
 交通事故死、水死、山岳での遭難死、それに強盗、怨恨、男女関係による他殺事件のほか、自殺も増加。
ほんにこの世は住み心地不安なことよ。
 今から800年の前のこと、京都の下鴨神社の神官・鴨長明が、世をはかなんで一冊の随筆集を出した。時代は鎌倉前期で、当時は台風、地震、火災、飢餓などによって社会が混乱し、京の町は死人で溢れた。仏教的無常感を持つ彼は神社を出て、郊外の日野山に、方丈(10尺4方)の粗末な家を建てて閑居した。自然を友として、天気のよい日は食べ物の調達や薪採り、雨の日は読書や執筆に日を送った。その山の中でのおいおいの記が有名な随筆「方丈記」となって後世の日本文学に光彩を放った。
 清少納言の「枕草子」、吉田兼好の「徒然草」とともに日本の古典3大随筆として、いまなお愛読されている。
 なぜ、いま方丈記かと問われれば、平成の今の世は舞台は京都ではなく、遥かに東の奥州であるが、原発被害を計算すれば日本の首都・東京をも巻き添えにした新型大災害が吹き荒れているからである、
 東北の大地震と津波は、鎌倉期の路上の屍るいるい以上に、太平洋の波間に家も人をも藻屑の如く奪い取った。行方不明がいまなお1万人近いから犠牲者は2万人を越えるかもしれない。まさにこの世の生き地獄であり、その後遺症はいつまで続くか、巨大な負の財産をかつぎつつ日本人の難行苦行が展開してゆく。
 大阪府の橋下知事らが関西副首都構想を主張しているが、今後の展開次第では、東京の機能が首都としての完璧な役割を果たし得るか。必ずしも安心できないのではないか。このような起こり得べき日本の首都の困難、かつ危険な立地条件を考えるとき、第2首都論(副首都論)を軽々しく聞き捨てることはできない。むしろ、このさい頭を冷やして、東京への一極集中の危険を回避するため日本の将来の保険的政策こそ喫緊の重大事というべきだろう。
 ぼくがこれを主張するのは日本の政治、経済は2つの大きな視点から大胆に取り組まねばならぬからである。
 1つは東京を基地として、災害復旧に全力を傾注する。いま1つは、大阪を基地として日本の産業、経済の飛躍に総力をあげることである。この2つの達成は容易ではないがやらねば日本丸は沈没する。【押谷盛利】

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2011年07月28日

夏休み、地域・家庭が学校(見聞録)

 小中学校で夏休みがスタートして1週間。勉強にスポーツ、プールにキャンプ、昆虫採集と、子ども達は思い思いに夏を過ごしていることだろう。
 学校が休みのこの時期、教育の舞台は地域や家庭に移る。クーラーの利いた室内でゲームやテレビに興じさせるのではなく、外で友達と遊んだり、苦手な分野の勉強に挑戦したりと、有意義に過ごさせる工夫が欲しいところ。
◇六荘公民館では、地元の地域づくり協議会が中心となって、小学生のために学習と遊びの場「のびのび勉強会」を初めて企画した。
 勉強会は午前9時に始まり、最初の1時間は自主学習でそれぞれが夏休みの宿題や自由研究に打ち込む。10時からは遊びの要素を取り入れた体験活動、そして11時から再び1時間の自主学習。
 自主学習には近所の主婦や塾講師、高校、大学生がボランティアで参加し、子ども達の分からない勉強を教えている。体験活動は火起し、カロム、グラウンドゴルフ、フルート演奏、割り箸鉄砲作りなどを地域の祖父母世代が指導している。
 この六荘地域は新興住宅地が多く、他の地域に比べ核家族の比率が高い。子どもの世話に手が回らない家庭も少なくなく、勉強会に通わせることで、だらだらと過ごしがちな夏休みを有意義にさせることができる。全8回のいずれの日程も申し込み多数でキャンセル待ちの状態。
 協議会の湧口正男さんは「夏休みの子ども達の居場所づくりであり、子ども達の生活のリズムも整い、地域活動にも寄与するのでは」と語る。
 近所の力で子ども達の夏休みを応援するこの手の取り組みが広がれば、子ども達の休日の過ごし方が変わるし、事実、他の地域でもPTAによる体験学習やイベント、自治会の夏祭りやキャンプなどが企画され、学校では体験できない学びの機会が増えつつある。歓迎すべきことだ。

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2011年07月27日

国家の破産を招く危機

 東北大震災と津波による原発事故。3月11日以来、間もなく5カ月になろうとするが、復興の遅れている現地の表情と被災住民の苦悩の声を聞くと悲しくて涙をもよおす。
 肉親を失った人、家も船も、仕事や土地も何もかも失って呆然と避難生活している人の中には虚無感から欝状態になって自殺する人もあるという。脱力感と諦めが支配して生きる気力の失われることが心配である。仕事をしたくとも受け入れる職場がなく、中年ものや女性にとっては見知らぬ他府県で働くことは至難中の至難であろう。避難所の中での共同生活も人間関係のわずらわしさや醜悪さも芽生えて安穏の生活には程遠いかも知れない。困難に耐えながら辛抱強く立ち直ろうとする現地の人々をどう励ませばよいのだろうか。
 全国から愛の支援が続いているが、さしあたっては、地元の人たちの農業、水産業、家業をどう軌道に乗せるか、ならびに失業者の就職問題であろう。政府は国会とともに事故処理対策と復興施策に取り組んでいるが、先立つものは何十兆円もの莫大な予算である。経費の節約や09年解散時の民主党のマニフェストの見直しを含む増税論議も避けて通れぬだろう。
 今後の問題点として注目されるのは、原発被害の補償であるが、風評被害を含め、今回の被曝ワラの牛肉被害の損失補償など計り知れない資金の手当てである。被害や損失の補償は手落ちなく公平にやるべきだが、その調査や査定などには時間と労力を使うし、不届きものの便乗取り込みも油断がならない。
 さらには東電の支払うべき賠償や同社に対する金融機関の支援なども復興に大きなウエイトを示すのではないか。これらの現地対策のほかに心配されているのが、全国的な節電対策である。各地の原発ストップのもたらす電力供給の不足は日本の産業の動脈硬化を招くかもしれない。
 すでに外国への工場分散計画も沙汰されており、一歩誤れば国内産業の萎縮、労働環境の悪化、失業者増、景気不振などの連鎖反応を起こしかねない。まさに国難である。一つ違えば国家の破産を招く危機である。
 地獄を見ることのないよう、政治のリーダーシップの強さと国民の不退転の覚悟が望まれるゆえんである。【押谷盛利】

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2011年07月26日

中国新幹線事故から学ぶこと(見聞録)

 世界の常識では考えられないことが起こる中国。北京五輪の口パクやコンピュータグラフィックスの花火などは記憶に新しいが、地震も発生していないのに橋や建物が突然崩壊したり、緑化運動といって緑の塗料を吹き付けたりと、常識外れの奇想天外な国というイメージが強い。
 今度の中国新幹線事故では、車両を事故現場の土中に埋め、検証もままならないまま運転を再開。救出活動終了後にさらなる生存者が見つかるなど、人命の軽さも相変わらずで、正確な死者数も判明していない。
 中国政府が報道機関に対し、人命救助や献血運動などプラス面のニュースを報じるよう通達を出したのも、いつもの情報統制。
 突っ込みどころ満載の事故処理に、今朝の朝刊各紙は書くことに困らない。
◇中国新幹線の技術的未熟さ、中国政府の相変わらずの隠蔽体質を指摘して盛り上がる世界のメディアだが、少し角度を変え、他国の未熟な政治や技術を「笑う」のではなく、「戒め」として考えてみたい。
 日本のエネルギーの一翼を担う原子力発電。それが内包する放射能の有毒性、危険性は、広島、長崎への原爆投下で世界に示され、第5福竜丸の被曝でも日本国民の心を突き刺した。
 極めつけは1986年のソ連のチェルノブイリ原発事故。現在も原発から半径30㌔の地域への居住が禁じられ、約350㌔離れた地点でも「ホットスポット」と呼ばれる高濃度の汚染地域がある。史上最悪の原発事故は今も終わっていない。
 原子力の危険性は誰もが知り、そのため原発の運転、放射性物質の管理には最大限の技術と努力が傾注されるべきだった。
 しかし、3月11日の東日本大震災では「想定外」としていた津波により、福島第一原発がメルトダウン。放射性物質をまきちらし、滋賀県にいる我々の口にまで届いてしまった。
 1964年に開業した日本の新幹線は今も死亡事故ゼロを更新し、「安全神話」が世界の信用を集めているが、想定外の油断はないのか。
 中国の事故処理を常識外れと笑い、呆れつつも、そこから何かを学ぶ謙虚さが欲しい。

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2011年07月25日

2つの事件から学ぶ

 23日、中国温州市付近で起きた新幹線事故は、日本に追いつけ、追い越せの同国の鉄道政策に衝撃的暗雲をもたらした。死者43人、負傷者数百名と報じられるこの事故、原因は落雷により緊急停止している列車に、後続の列車が追突したことによる、と伝えられているが、詳細は調査待ちの段階。
 中国の高速鉄道は2007年から運行を開始したが、これまでにもしばしばトラブルが発生しており、その信用度は日本の新幹線の優れた安全性に比べるべくもない。
 高速鉄道の事故は一瞬のうちに多くの人命を奪うから速度のみにとらわれて、完全ともいうべき安全性を忘れてはならない。先進国に追いつこうとする焦りが技術上の慎重性を欠いたことも指摘されるが、最も検討されるべきは、設計通りの施工がなされていたか、の疑問である。
 なにしろ最高の鉄道省の大臣が汚職でクビになったこの国であり、施工業者からの賄賂によって、材料の品質や規格を落とすことがあり得るわけで、建設汚職は中国全土で珍しい話ではない。ことは人命に関わることであり、中国政府は軍事施設や兵器の開発にうつつを抜かすより、先は今回の事故を徹底的に検証し、さらには国民の安全と平和のために、思想の弾圧をやめ、食糧の安全供給に政策の大転換を期待したい。
 ところで、その前日の22日、ノルウェーの首都オスロで爆弾テロ、南部のウトヤ島で銃撃事件があり犠牲者は100人近いと報道されている。
 テロは首相官邸が入った政府官舎で起きており、仕掛けた爆弾は早くから準備していたとつたえられている。犯人は政府官舎での爆弾テロの後、オスロ近郊の小島で行われていた政治集会に警察官を装って入り、参加した若者を一時間余も銃撃したという。
 犯人は間もなく逮捕されたが、右翼思想を持つキリスト教原理主義者だと地元警察は発表している。
 移民の増加が失業や福祉社会の崩壊を招くとして反発している欧州の経済混迷が背景にあるのでは、とのうがった見方もあり、犯人の動機に関心がもたれている。
 犯人は32歳の若もので、2つの犯行は単独で行ったと供述している。犯行直前、インターネットに2009年から計画していた、と流していたことでも知られる通り、突発的なものではなく、自己を正当化する確信犯であることを裏付けている。
 弁護士の話によれば「犯行は非道だが、自分の思想信条からは必要なことだった」と犯人は語っている。
 中国とノルウェーでの2つの大事件。われわれはこれから何を学べばよいか。安全安心は言うべくして実にこころもとないというのが率直な感想である。日本人の古い思想に「1日喜び」というのがあるが、健康で生きられたという喜びのほか、災害や突発的事故からもまぬがれた、という喜びの声で、これを裏返せば、この世はいつ何が起こるかも知れない物騒な世であるとの、と戒めにも通じる。
 そのために、数々の保険制度があり、国際規模では国連の平和組織がある。【押谷盛利】

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2011年07月22日

国を売る総理と民主党

 菅首相が拉致がらみの政治団体に6250万円もの大金を献金していることが明らかにされ、首相は21日の参院予算委員会で陳謝した。
 驚くべきことに、この原資として国民の税金である政党交付金が民主党から首相の政治団体に寄付されていた。そればかりでなく鳩山由紀夫前首相はじめ多数の民主党国会議員ら民主党側から合計で8740万円が問題の政治団体に流れていた。
 冒頭に「拉致がらみの政治団体」と書いたが、この団体は「政権交代をめざす市民の会」で、国民として深い関心を寄せねばならぬのは、親朝鮮の極左政党である「市民の党」と一体となっているからだ。いわば「めざす会」を隠れみのに北支援の先兵組織に兵糧を送っているようなものだ。
 市民の党は極左や元活動家が集まった団体で、1983年に田英夫元社民連代表や宇都宮徳馬元衆議員らが組織した政治団体「平和と民主運動」がその前身。田、宇都宮両氏は代表的な親北政治家で、89年に、拉致実行犯の辛光洙の釈放を求める要望書を菅首相、江田五月法相らとともに署名している。
 この献金疑惑とは別に21日の参院予算委では菅首相の資金管理団体「草志会」が法で禁じられている外国人から104万円の献金を受けていることが追及され、その領収書の提出をめぐって審議が中断した。外国人からの献金についてはさきに、前原誠司氏が大臣を棒に振った記憶が新しい。
 さて、拉致に関連する市民の党であるが、この党はこの4月の統一地方選で、三鷹市議候補に森大志氏を擁立した。彼はよど号ハイジャック犯リーダーの田宮高麿(故人)を父、欧州で日本人2人を拉致した森順子容疑者を母として83年北朝鮮で生まれ、04年帰国した。彼は他の子供らとともに「日本革命村」での共同生活を通じて、金正日総書記直属の労働党指導の下、日本の革命のため命をかけて闘うという洗脳教育を受けた筋金入りで、日本での地下活動、地下工作が警戒されている。
 市民の党では横浜市議の井上さくら、与那原寛子の両氏の国旗反対の議事妨害による除名処分が話題となった。2人は02年の本会議場で国旗を引き下ろそうとして揉みあい、議長席、事務局長席を占拠し6時間も議事を妨害した。菅首相も国旗・国歌法案の採決に反対した実績があり、市民の党の酒井剛代表とは30年来の友人だという。
 ここまで書いて、あらためて思うことは、国の政治のあり方である。国家の独立と国民の安全こそが政治の最高目標であるはずだ。
 菅総理とこれを支える民主党は国民を拉致する北と北の工作員らと連携する許しがたい親北政治組織といわねばならぬ。また日本近海や沖縄海域における中国艦船や航空機の領土侵害疑惑についての腰抜け外交なども日本を売るのではないか、と心配される。【押谷盛利】

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2011年07月21日

高校再編のギモン(見聞録)

 県教委が2014年度に計画している県立高校の再編。適正な学校規模を6~8学級とし、長浜・長浜北、彦根西・彦根翔陽の統合、長浜北星定時制の廃止などが打ち出された。
 県教委が指摘するように20年前と比較して県内の中学卒業生の数は3割減った。統廃合を含め、高校の今後のあり方を考え直すことに異論はない。
 しかし疑問がある。県教委の主張する6~8学級の基準を満たさない高校は全46校のうち22校にのぼる。なぜ、長浜、彦根だけの統合なのか。「再編」という響きに対して計画が小さすぎるし、他の小規模校はなぜ統廃合の対象から外れたのか。藤井勇治市長が「不公平感がある」と指摘する所以だ。
 「背景に政治力があるのではないか」という憶測もある。藤井市長が今月13日、県教委の青木洋教育次長に再編計画への不満を伝えたとき、「不当な圧力に屈するな」と訴えた。
 「圧力」とは何を意味するのか。発言力の強い政治家のお膝元や出身校が今回の再編原案から外れたことを意味するのか、それとも教育現場に行政サイドの財政論が持ち込まれ、老朽化による建て替えが課題となっている長浜北の廃校が導き出されたことを意味するのか。
◇高校を再編したいが、県内で一斉に行えば猛反発を受ける。地域を限定し、小出しでピンポイントで再編すれば、県議も県民も「総論賛成」に傾くのではないか。県教委はそう見越して、長浜と彦根だけを統廃合のターゲットにしたのではないか。
 実際、県議会では原案を容認する声が多いと側聞する。
◇県教委は長浜・長浜北の統合について▽県南部は人口が増えているが、北部は減っている▽米原を除き、湖北7校はすべて5クラス以下▽地理的な条件のある学校、特色ある学科は残したい▽普通科の統合を模索し、結果として長浜・長浜北となった▽長浜北の校舎は老朽化しており、統合後は長浜高を使う―と説明している。
 その統合理論はさておき、肝心な点が欠落している。新高校がどのような姿なのか、という点だ。彦根東や虎姫と競うような進学校を目指すのか、長浜北の100年の歴史に恥じぬ文武両道の優良高を目指すのか。
 新高校の夢もビジョンも語らない県教委の姿勢は最初から、校舎が老朽化する長浜北の「廃校ありき」ではなかったのか、との疑念を生じさせる。
 これから高校に進学する子ども達のために、湖北地域の高校教育をどうしたいのか。県教委は再編反対派を論破できる程の夢とビジョン、そして熱意を示すべきだ。

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2011年07月20日

屈辱的な湖北の高校野球

 甲子園を目指す夏の高校野球が熱気を帯びている。
 滋賀代表が決まれば、県民はその代表校の栄冠を期待して声援する。同様に滋賀代表を決める県大会においては地域住民の感情としてその地域の高校を声援する。
 目下、厳しい予選が展開されているが、20日現在、湖北勢は伊吹、米原を残して他は全滅した。情けなくて涙も出ない屈辱的なていたらく。応援の手の下げどころに困っているのが湖北民の偽りのない心情であろう。
 前評判では伊香、長浜はベスト4までゆくのでは、と思われていたし、他にも虎姫、長浜北、北星、長浜農のうち、何校かは1回戦はもちろん、2回戦、3回戦への勝ち抜きを期待されていたが、結果は無惨にも敗退に次ぐ敗退。
 「どうしたの?湖北のチームは」「どうなってしまったの?湖北勢は」という疑問と失望の声を至るところで聞くことになった。地元チームへの熱い思いこそありがたいファン心理だが、そのファンの希望の芽がかくも哀れに萎んでしまっては、ため息が怒りに点火したとて、抑えようもない。
 湖北勢は、かつては伊香、長浜北、長浜が県民の輿望を担って甲子園出場を果たしたことがあり、今回のような県予選で1回戦全滅に近い結果は記録にも記憶にもない。試合は戦である以上、勝者と敗者はつきものであり、実力が伯仲していても運に見放されれば苦杯をなめることもある。それこそ敗者の悲運というべきであろう。
 しかし、今回の1回戦敗退の情況は必ずしも「悲運」などと同情的にひいき見することができないのではないか。なさけない、としか言いようがないが、負けるべくして負けたのではないか。それは抜き差しならぬ実力の差ではなかったか。
 高校野球の裾野は小学野球にありとはだれも異存あるまい。その小学野球では、湖北のレベルは県下トップクラスであり、県大会でも毎年優勝、もしくは準優勝など華々しく活躍している。それなのに、彼らを迎える地元中学野球が驚くほど低調なのである。これは指導者の技術と熱意の不足が指摘されよう。低調な中学野球を母体として高校野球が存在する以上、高校野球の指導にも一定の限界があろう。
 たとえば、中学時代にマスターすべき基本的守備練習を1からやり直すなどがそれであり、さらに言えば、土、日以外にも練習につぐ練習で身心と技術を鍛えねばならぬが、その猛訓練をやっているか、どうか。指導者はそれこそ献身的に選手と一体となって汗をかくべきだが、そのような一途さがあるのかどうか。
 各中学校、高校野球関係者は今回の不名誉を「禍転じて福となす」の言葉通り、今日、只今より猛訓練を開始し、恥を雪いでもらいたい。【押谷盛利】

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2011年07月19日

W杯歓喜と放射線汚染禍(見聞録)

 サッカー女子W杯での日本の優勝は、東日本大震災からの復興を目指す日本国民にとって勇気付けられるニュースとなった。決勝戦は体格もスピードも上回るアメリカを相手に粘りに粘って同点に持ち込み、延長戦を経てPK戦で破った。
 世界のメディアの反応は―。鋭い縦パスでチャンスを作り出した日本の攻撃を「すし職人の包丁さばきのようにピッチを鋭く切り裂いた」(南ドイツ新聞)とユーモラスな分析もあるが、多くが被災地と日本国民に勇気と希望を与えたと報じた。
 「希望と忍耐で数少ない幸運を生かして勝利に酔った日本が被災地を励ました」(ニューヨークタイムズ紙)、「3月の地震と津波でいまだに動揺している国民に、心の安らぎを与えるという偉大な目標に、日本チームは常に動かされていた」(英ガーディアン紙)、「美しいサッカーと美しい奇跡は被災した民族に自信をもたらすだろう」(新華社通信)―などがその例だろう。
◇被災にあえぐ日本の優勝を世界が祝福し、国民が歓喜する中、国内の実情に目を向ければ、福島原発事故による放射線汚染禍に収束の気配は見られない。
 「なでしこ優勝」に沸く18日、放射性セシウムを含む稲わらを与えられた肉牛が全国に出荷されていたことが、各都道府県の調査で明らかになった。
 滋賀県でも2頭の肉が流通し、長浜市内の飲食店で6月3~14日に5・1㌔を提供していた。また、大津市や豊郷町の肉食販売店も計360㌔を販売していた。
 すでに県民の胃袋に収まっているから、汚染がどの程度だったかは不明。県は住民からの相談に応じるため、19日から22日まで相談窓口を設けているが、「汚染の可能性があるだけで基準値を超えた訳ではない」(県食の安全推進室)として、店舗名を公表していない。
 汚染牛肉を習慣的に食べる訳で無し、たった一度なら健康に被害はない、と専門家は説明するが、小さな子どもを持つ親には心配だろう。
◇放射能汚染の全国拡散は牛肉だけにとどまるのか、他の食品は大丈夫なのか、という疑念が生じる。無用な心配を煽る風評は避けたいが、本当のところはどうなのか。
 地震から2カ月も経ってから「メルトダウンしてました」という東電、国民の胃袋に入ってから「汚染の疑いがあります」という厚生労働省。何をか言わんや。

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2011年07月16日

つぶやく菅、孫、堀(見聞録)

 個人の「つぶやき」を携帯電話やパソコンからインターネットの世界に発信できる「ツイッター」は、第三者にはどうでもいいような独り言から、著名人による影響力のある発言まで玉石混交。
 先日の菅首相の「脱原発」の宣言はツイッターではないものの、後者の立場でありながら、前者のような軽い独り言に過ぎなかったようだ。
 日本国のトップが、わざわざ記者会見で脱原発を宣言したのは13日。これは閣内調整を無視した唐突の宣言だったゆえ党内の批判にさらされ、2日後の15日に「私見だった」と言い放った。「思いつき」で言い逃れたことは明々白々だが、会見でわざわざ私見を言う国のトップが他にいようか。
◇そのツイッター上で火花を散らしているのが、ソフトバンク社長の孫正義氏と、経済同友会幹事で国内最大のビジネススクールを経営する堀義人氏。脱原発と自然エネルギーをめぐり、堀氏が孫氏を「政商」と揶揄すれば、孫氏が「原発推進論者ですか?」と反撃している。
 孫氏は脱原発を掲げ、1000億円を投じて太陽光発電事業への参入を打ち出している。長浜市も誘致に名乗りを上げたから、その事業を知る読者も多いことだろう。
 孫氏が菅首相に成立を求めている「再生エネルギー特措法案」は企業や家庭が太陽光や風力などの自然エネルギーで発電した電気の全量を、電力会社に買い取らせるもの。設備導入に補助金が出され、その費用は電気料金に上乗せされる。
 これに対し、堀氏は、現在の技術では太陽光発電による安定的電力供給の可能性は「ゼロ」と指摘。特措法についても▽補助金を設けない▽電力買取価格が適正であること―を訴え、孫氏の「政商」のような振る舞いが日本をマイナスに導いていると批判した。
 孫氏から「あなたは原発推進論者ですか?」と反論を受けると、堀氏はソフトバンクが韓国にデータセンター運営会社を設立することに矛先を変え、原発で電力が安定供給される同国へ「難を逃れる」ことに疑問を呈した。
 「つぶやき」だけでは埒が空かないと、2人は8月5日、1対1の公開討論を行うこととなった。
 脱原発の「政商」と、経済同友会幹事の討論―。誰かのような「思いつき」ではなく、現実的な脱原発の方法論が議論されるのか、そこに注目したい。

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2011年07月15日

組織は40年でダメになる

 新の包丁も使わねば錆びる。親からもらった手足も使わなかったら鈍くなる。頭もそうである。よい脳味噌がいっぱい詰まっているはずなのに有効に使わなかったり、磨くことを惜しめば早くにもうろくする。
 しかし、人間の体でも機械でも使えばいつまでも長持ちし、機能が持続するものではない。今は亡き司馬遼太郎は「組織というものは40年でダメになる。懐中電灯の電池の切れるように」と蘊蓄のある言葉を残している。
 年寄りは耳が遠くなるが、耳だけの話ではない。眼も疎くなるし、歯も悪くなる。ものが呑み込みにくくなったり、手足がさっさと動かない。心臓があやしくなったり、トイレが近くなったり、漏らしたり、寝つきが悪く、物忘れがひどく、と書けば踏んだり蹴ったりの惨状だが、すべては、これ賞味期限が切れかけた証拠である。
 補聴器の専門家に聞いた話だが、人間の耳で一番よく聞こえる年齢は20歳までだという。だから赤ちゃんや幼児の耳は飛びっきりよく聞こえるはず。大人が子供に聞こえぬよう声を落としたり、ひそひそ話をするが、子供の耳にはちゃんと聞こえている。その鋭い聴感覚も20歳を超えるとだんだん鈍くなり、40歳になると、がくんと低下する。別人の耳かと思うほど耳が遠くなる。さらに40年経過して80歳になると信じられないくらい聞こえにくくなる。
 人間のすべての機能は40歳でガタンと落ち、さらに40年後の80歳には情け容赦なくダメになってゆく。修繕しながらおだてたり、ごまかしたりして使うわけで、めがね、入れ歯、補聴器、杖、車椅子が必要となる。外形だけでなく、肉体の中へ入れる多種多様なクスリの厄介にもならねばならぬ。
 賞味期限が過ぎれば、ご用済みとなるわけで、本当は「おやすみ」をもらって、元の天国へ旅立つ勘定になるが、現代医学は「ハイ、サヨナラ」と天国行きの切符を発行しない。だまし使いしている間は、神さまから「もう少し時間をやるから最後のご奉公をしなさい」と特別のご配慮を頂いたようなものである。だから延命医療などというものは邪道であり、もってのほかである。【押谷盛利】

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2011年07月14日

不健康な食生活に課税(見聞録)

 梅雨明けから1週間。連日の真夏の日差しも、節電のためエアコンの設定温度は控えめ。ついペットボトルに手が伸びがちだが、糖分の多いジュースばかりを飲んでいると、急に血糖値が上がる「ペットボトル症候群」に陥る危険性があるという。
 この症候群はジュースなど糖分の多い飲料を大量に摂取することで血糖値が上昇。さらに血糖値を一定に保つホルモンの働きが一時的に低下し、体がだるくなったり、意識がもうろうとしたり、最悪の場合は昏睡状態に陥ることも。
 聞き慣れない病名だが、毎日何本ものジュースを飲む人は注意が必要だ。炭酸飲料などは1㍑に角砂糖20個に相当する糖分が含まれている。
 節電に協力してもジュースのガブ飲みで、健康を損なってはたまらない。お茶や水でさっぱりと夏を乗り切りたい。
◇健康に関する話題をもう1本。
 ハンガリーで、スナック菓子やカロリーの高い清涼飲料水などに課税する新法が成立した。
 国民の肥満防止を目的にし、「ジャンクフード税」とか「ポテトチップス税」と呼ばれている。9月から導入される。
 税の対象は、糖分の多い飲み物やスナック菓子などで、税額はポテトチップスが1㌔当たり200フォリント(約85円)、アイスクリームが100フォリント。
 ハンガリーでも他の先進国同様に、国民の肥満対策が課題になっており、同国政府は税収を健康に関する啓発キャンペーンに充てる予定だという。
 タバコなどと同様に、ポテトチップスや清涼飲料水が健康に悪影響を及ぼすと認定した点が画期的だが、法案成立に至るプロセスで業界からの猛反発があったことは想像に難くなく、ハンバーガーなどファストフードが課税対象から外れたことが、それを物語っている。
◇不健康な食べ物や飲み物を、無分別に胃に流し込み、健康を損なうのは自業自得の極みだが、その乱暴な食生活によって医療費が増大し、我々の保険料が上がるようではたまったものではない。
 不健康な食品を食べる人には、将来の病気への備えとして、税を負担してもらう。タバコばかりを悪者扱いせず、日本で検討してもよさげな税制ではないだろうか。

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2011年07月13日

高校再編とあるべき姿

 県教委が発表した県立高校の再編計画は、それぞれの地元の反発を恐れて当たり障りのない苦肉の策に落ち着いた。
 本当は再編計画を堂々と示すべき時代的、社会的背景があるはずなのに、それをカモフラージュして、もっともらしい小理屈を並べたところがいかにも教委の小役人らしいこざかしさである。
 再編は必要なのか。その大義名分をストレートにあかさずに、教育内容の充実、指導体制の向上、地域社会への貢献、進学指導体制の構築などなど美辞麗句を並べているが、それでは、いままで、これらの問題をいい加減にしてきたのかと反発されればどう答えるのであろうか。
 県教委は県民の理解を得るため「魅力と活力ある高校づくり」を訴えているが、こんなスローガンで高校教育が進歩し、県民の期待に応え得ると考えるなら、そのごまかしのアイデアこそ、叩きのばされるべきであり、むしろ、いま必要なのはこれまでの高校教育の不振と低調さに対する懺悔であろう。
◇いま、なぜ、高校再編なのか。現状は一口に言えば生徒数の減少によって、容れもの(学校)が機能しなくなり、県費の効率的消化の上から、時代の要請であるもったいない思想にふさわしくないからである。
 教育は人間の人格と知的、情操的、体育的養成を目的とするから県費充当にしても一般県政の政策的予算と同一には論ぜられないが、時代の変遷や社会状況の変化のなかで、効率的な対応や思い切った大改革がなされねばならぬ。
 生徒数の減少について言えば、20年前の平成2年3月の中学卒業者数2万0747人に対し、平成22年3月の卒業者は1万4439人。実に3割、6000人の減少である。
 30年前はピーク時の中学生の増加とそれに伴う高校進学希望者の増によって、県下各地で高校新設の地元要求が活発化した。
 県教委は、1学年に6~8学級を適正としており、平成2年度は県下45校のうち、これを下回るのはわずか4校。8・9%だったが、平成23年度は46校のうち22校。47・8%が5学級以下になった。湖北では米原高校を除く7校が5学級以下となっている。
 学校再編については地元や卒業生は感情的にも反対するが、大きな、高い視野に立てば、苦渋の決断をしなければならぬ時がある。
 県民にとって今、一番大事なことは、生徒のレベルアップであり、学力の向上、個性豊かな人間づくりである。さらに言えば入れものや設備以上に指導者の魂と能力が大事なのである。【押谷盛利】

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2011年07月12日

野菜ドロはケモノ以下(見聞録)

 けさ、長浜市高橋町の藤居泰造さん(78)から突然の電話。「畑で育てていたスイカが盗まれた。これで2回目だ」と訴えてきた。
 藤居さんは湖岸道路に面した畑で夏野菜などを育てている。きのう夕方、畑を見回ったときには異常なかったが、今朝7時に畑を見回るとスイカが7個無くなっていた。実は今月8日にも食べ頃を迎えたスイカを7個盗まれている。
 過去にはカボチャ、ジャガイモ、トマトなどを盗まれ、「ここ2、3年、特にひどくなっている。丹精込めて作った野菜を盗むのは許せない」と憤り、警察に届けた。
 「野菜ドロボウはゲリラ的に発生している。露地ものを自然に出来ていると勘違いしているのだろうか。モラルの低下が嘆かわしい」と話していた。
◇野菜ドロボウは藤居さんの畑に限ったことではなく、あちこちで発生している。特に道路沿いの露地栽培は、車で乗り付けてむしり採ってゆくから被害が大きい。
 トラックに何百個、何千個の野菜を積み込む組織的な犯行は、新聞やテレビで報じられるが、藤居さんのような小規模の被害は表に出ない。しかし、実際は小規模被害が多発しているとみられ、農家にとって深刻だ。
 過去、長浜では盗んだスイカやトマトを行商で売っていた男が逮捕されたことがあった。市価より安いと喜んで買った市民は逮捕のニュースを聞いて、さぞ複雑な思いをしたことだろう。
◇炎天の日も、雨風の日も、その成長を気にかけ、大切に育て上げた野菜が、市場や食卓に並ぶことなく何者かに奪われることは、金銭的損失もさることながら、これまでの苦労が台無しになるという心のダメージが大きい。
 野菜を育てる大変さ、実る喜びに心を至らせず、農家の努力を踏みにじる輩は、ヒトの心を知らずに田畑を荒す猿やイノシシなどのケモノに比べ、それ以下だ。

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2011年07月11日

夕涼みと男野郎の話

 「夕涼み、よくぞ男に生まれけり」。
 このごろは、どの家にもクーラーがあり、扇風機が回っているから、戸外へ出て夕涼みすることがなくなった。
 クーラーや扇風機のないころは、行水を使って汗を流し、夕食後は外へ出て、外の風にあたりながら汗を沈めた。男は褌一つで、うちわをかざしながら隣人と世間話に花を咲かせた。子どもは浴衣を着せられるが、男の子はパンツ一つで手花火などに打ち興じた。女性は男のような明け透けルックで振る舞うわけにはゆかず、きちんと浴衣姿で行儀良く風に身をさらした。風のある日は気分がいいが、風がなければ外にいても汗がにじみ出て、まこと炎暑は昼夜の別なく息苦しい。中年ものでもアップアップしそうな暑さだから、高齢者はさぞかし身の置きどころもなかったにちがいない。その点、子どもや若ものは寒暖に関係なく元気がよい。
 戦前の湖北では養蚕が盛んで、姉川や高時川の河川敷は桑園が生い繁った。伊香の木之本の大音や西山、浅井の鍛冶屋、野瀬方面では繭から生糸を紡ぐ生糸業が活況を見せていた。
 だるま糸という手工業的発想の糸取り機があって、真夏でもカマドに湯を沸騰させ、釜の中の繭を紡いで糸に捲き上げてゆく。糸とり娘はたいてい一家の嫁や娘、他所から住み込みで雇入れた若い女性だが、地獄の沙汰ではないが、30度を超す炎熱下、炭火の熾るカマドを両足で囲みつつ熱湯に指を入れて繭を糸に紡いでゆく。
 この汗まみれの地獄の作業から解放されるのは日の落ちた夕暮れからである。入浴と夕食のあとは彼女らの自由時間である。家の前で夕涼みしていると村の若い衆がお目当ての女性を目指して訪れる。若い衆は若い衆連れ、娘たちは娘連れで、夕涼みは表向きのこと。真実はラブラブゲームのような感覚で、お気に入りの相手をハントするのが目的。結果が上首尾となって、岐阜や福井県あたりから、湖北の寒村に花嫁として居付く人も少なくなかった。
 夕涼みのお陰であるが、夜の語らいの楽しさが昼の地獄の釜の苦しさを耐えさせたのかもしれない。そのころの生糸生産地では、糸引きのできぬ娘はお嫁にゆけない、とまで言われたが、家内工業時代の遠い記憶である。
 このごろはバカな男が増え続け、ストーカー行為が常識を越えて殺人事件になるケースがある。拒否されて、なおもしつこくつきまとう男らしからぬ男が多くなったのは、性風俗の文化的発展によるものだろうか。
 男野郎に褌文化の復活をすすめたい。野郎が指輪をはめたり、イヤリングをつけたりするからおかしくなってしまう。フンドシルックで男らしさを発揮するくらいの気概で炎帝に立ち向うがよい。【押谷盛利】

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2011年07月08日

驕る平家は内より崩る

 政治家や政府の高官はえらい人かもしれないが、そのえらさは徳の高さによるものではなく、言わば権力を傘にきたものであり、地位の高さによる。トラの威を借る狐のそれである。
 昔の代官の横暴はバックに将軍や藩主、家老がいたからである。徳がないままに部下や一般からちやほやされ、最敬礼されるから天狗になりやすい。鼻持ちならぬからどやしてやりたいときがある。それが昔の百姓一揆である。
 いまは選挙という洗礼の場があって、住民がノーと叫べば苦もなくクビにすることができる。面白いといえば面白いが、権力を傘に威張っているヤツは、ひょんなところで人間の弱さを暴落し、反面教師として国民の話題となる。例えば国会の赤い恋は、女性代議士に抱きついて大臣の椅子を棒に振った泉山三六以来あとを経たぬが、孔子は今から2500年も前に人間の色好みの弱点を嘆いている。
 「論語」子罕第9に出ている次の言葉は余りにも有名である。
 「われ、いまだ徳を好むこと色を好むが如くなる者を見ず」
 自分はまだ美人を愛するほどの熱烈さで道徳を愛する人に出会ったことがない。
 政府の高官が、大事な東日本大震災の復旧事業を急がねばならぬとき、職場の美人を誘い出して飲み屋でいちゃつくなどの写真が週刊誌に出て更迭されたというのはつい最近のニュースだった。
 えらいさんになったとて、威張ったらアカンぜよ、という教えは、今から280年前に勝田祐義が「金言童子教」のなかで書いている。
 「われ貴しとて人をあなどるなかれ、われ智ありとて諌めを拒むことなかれ」。
 自分の位が高いからといって他人を見下ろしてはいけない。自分の知恵がすぐれているからといって他人の忠告を拒んではいけない。
 これも最新ニュースだが、震災の復興担当の松本龍大臣が岩手と宮城県を訪れて、知事に部下を叱るような横着な口をきき、被災地の感情を逆なでして世論の反発を招き、発令して9日間の短期で辞任した。被災地の知事へのねぎらいや、いたわりの心などさらさらなく「知恵出さなんだら面倒見たらんぞ」といったふうのヤクザめいた発言の品のなさは到底人の頭に立つ人の言動とは信じ難い。一体自分はなに様だと思っているのか。こういうえらいさんには次のような言葉が昔からある。
 「空飛ぶ鳥も落ちる」。
 「驕る平家は内より崩る」。
 「驕る代官、末遂げず」。【押谷盛利】

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2011年07月07日

なぜ騙される?(見聞録)

 このところ、高齢者から現金を騙し取ろうとする詐欺電話が長浜市内で多発している。息子を騙って「交際相手・不倫相手を妊娠させてしまった。手術費用を振り込んで欲しい」、市役所職員になりすまし「医療控除分が還付されるので、銀行ATMで手続きを」という「劇場型」の手口が主流だ。
 例えば、米原市の60代女性が6日、165万円を騙し取られた事件。前日の夜に女性宅に「おれや」と息子を騙る電話があり、携帯電話が壊れたため電話番号を変えたと伝える。翌朝、再び電話があり「付き合っている女性を妊娠させてしまった。子どもをおろすのに165万円を用立てて欲しい」と懇願。女性は指示された銀行口座に現金を振り込んでしまった。
 また、長浜市内の70代女性が146万円を騙し取られた事件の犯人は、きのう6日に逮捕された。犯人は千葉県に住む20歳と24歳の男だった。
 警察官を装って電話をかけ、「中国人の詐欺グループが捕まり、名簿にあなたの名前が載っていました。キャッシュカードの暗証番号を変更したほうがよいです。これからキャッシュカードと通帳を預かりに行きますので、渡してください」などとウソを言い、警察官を装った男が女性からカード1枚、通帳2通を騙し取った。その後、あらかじめ聞き出していた暗証番号で、ATMから現金を引き出した。
◇犯人の手口を活字で紹介すると「何でこんな簡単に騙されるのか?」と不思議に思うだろうが、犯人の演技力は相当のようだ。
 被害者の多くが振り込め詐欺の手口を知っていながら、犯人の演技を見破れず、騙されている。
 警視庁のホームページでは、実際に犯人がかけた電話のやり取りを録音、公開しているが、演技が真に迫り、言葉巧みだ。「振り込め詐欺に気をつけて」なんて気遣いまであり、犯人グループはマニュアルはもちろん、言葉遣いなどに研究に研究を重ねている。
 ▽通帳やキャッシュカードは渡さない▽暗証番号は教えない▽電話で誘導されてATMに行かない―といった最低限の原則をしっかり認識し、自己防衛力を高めたいところだ。
 一方、犯人グループは他人名義の携帯電話と通帳が仕事道具。インターネット上で違法に売買されるこれらを、いかにして取り締まるのか。それが詐欺撲滅の近道だろう。

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2011年07月06日

天神さんと梅干のこと

 梅雨も上がったようで、厨ごとにまめな女性は梅干づくりやらっきょ漬けに忙しい。
 知人が本場の三方(敦賀の西)まで足を運んで梅を買ってきたが、1㌔800円もしたとこぼしていた。もう最盛期を過ぎたというが、梅干ファンの根強い伝統で、この辺りでは紀州の梅と双璧の人気ものである。
 最近、わが家の古い納屋を整理していたら30年程前に漬けた梅干が出てきた。しわしわに萎んで、真っ白に塩を吹いていたが、梅干そのものはしゃんとして食べられる。まるで漢方のクスリのような年季もので、宝の発見とばかり重宝することにした。
 その隣り合わせに、これまた30年程前に漬けたと思われる梅酢が出てきた。どろどろになって液体はかなり減っているが、口にふふめば、すっとアマカラピンの芳しい味がして、食前酒に用いれば食欲が進みそうである。それにしても、梅の酸味のすごさというべきか、健康食品としてむかし昔から日本人の健康を守ってきた威力には敬服するばかりである。
 子どものころ、雪の日などは梅干茶を飲んで雪掻きをしたものだが、どういうわけか、梅の種を割ってその中の芽の部分を食べるのが好きだった。固いから割るのは面倒だが、子どもの歯は丈夫なのか、苦もなく割って中を食べた。祖母がそれを見て、「天神さんが泣かあるで…」とたしなめたが、左の耳で聞いて右の耳へ聞き流した。
 大きくなって知ったことだが、天神さんは菅原道真のことで、その霊を神格化して祀ったのが天満宮であり、その祭神が天神さんこと道真である。
 道真は903年に58歳で没しているが、文章博士や遣唐大使など、詩や学問の上で功績を挙げ右大臣、従二位にまで出世したが、藤原時平のざん訴にあって九州の大宰府に流された。梅を愛し、「東風吹かば 匂ひをこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ」と詠んだ歌は今も愛唱されている。
 不遇な最後から死後、天神信仰の対象となり、学問の神さまとして広く崇敬されるようになった。いまも全国の神社には天満宮があり、京都の北野の天満宮は年間参詣者が堪えず、受験者は家族ぐるみで祈願する。
 長浜市の旧余呉町の山奥に菅山寺がある。道真伝説の寺で中之郷へ行く途中の坂口から山手へ1㌔余歩めば山の中にあり、無住であるが参拝者は途切れない。道真が子どものころ、この寺で修業したという寺伝があり、紅葉の秋は登山家の穴場である。
 梅にあやかって、天神さんに知恵を授かりたいものである。【押谷盛利】

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2011年07月05日

口は禍の門と言うが…(見聞録)

 うっかり言い放った言葉が思わぬ災難を招くことがあるので言葉は慎むべきという戒めに「口は禍の門」がある。
 辞書には範例として「彼は軽率な発言で議員辞職したが、口は禍の門ということだよ」と紹介され、今回の松本龍復興対策担当大臣に贈りたい、ぴったりのことわざだろう。
 彼は6月27日に東日本大震災の復興対策担当大臣に就任したばかりだった。
 しかし、岩手、宮城両県知事との会談で「~しろ」と命令したり、マスコミに対し「今の部分はオフレコな。書いた社はこれで終わりだから」と恫喝したりで、その発言と不遜な態度が国民の怒りを買った。
 百歩譲って、大臣職への気負いや九州男児の気骨が背景にあったとしても、就任したばかりで何の仕事もしていない彼の発言を快く思う国民があろうはずもない。
 さらに、権限・財源を握る大臣が、震災で苦しむ知事への不遜な態度は、正義の味方、義侠の心得「弱きを助け強きを挫く」とは真逆の、「強いものには弱く、弱いものには強い」という悪役そのものだった。
◇発言や態度に不遜な面があっても、最終的に国民が認める良い仕事をしてくれれば結構と考えていたが、仕事をする暇さえなかったようだ。
 ただ、この手の発言は野党の追及で国会審議の貴重な時間が浪費されるから、早期辞任は歓迎されるだろう。
◇我々は言葉で互いの意思を伝え合う。理路整然とした物腰柔らかな言葉なら、相手に真意が好意的に伝わるし、彼のような横柄な物言いは不信感、不快感を生む。
 彼を反面教師として、言葉に携わる者として、自戒したい。

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2011年07月04日

70歳は古希なのか

 厚労省の発表による10年度の国勢調査によると、日本人の高齢率は23%となった。人口の23%を老人が占めている計算。この場合の老人は65歳以上を対象としている。
 平均寿命が世界1といわれる日本だから、65歳以上を老人ときめつけるにはかなり抵抗がある。
 65歳を洟垂れとは言わないが、どこから見てもまだ若々しく、元気もりもりで、機械を操作して田起こしや、代掻き、植え付け、刈り取りなど農作業をしている人が普通である。
 77歳を「喜」の草書体から連想して喜寿というが、この年代が現代の老人の入口かもしれない。なかには70歳を古希(こき)というから、この齢が老人界の入口だと説く人もいよう。なぜ、70歳が古希なのか。中国の昔の詩人・杜甫が「曲江詩」という詩の中に「人生70古来稀」と書いているのにちなみ、後世の人が古希を一般化した。
 滅多に70歳までは生きられぬ、として、長寿の目標をこれにおいたのは昔むかしのことで、今は毎日の滋賀夕刊の死亡記事を見ても分かる通り、80歳代、90歳代の死亡が普通である。
 実に驚くべき長寿社会が実現したが、反面、老人の医療や福祉に国家の財政が悲鳴を上げだした。
 長寿はめでたいが、元気でね、という声が聞こえてきそうである。
 お年寄りが俳句や短歌などを作るとき自分の残された時間を「余生」と表現することが多いが、余生とはだだくさな言いぐさである。神さまから頂いたこの身、余生などと軽々しく言うものではない。生きている以上は、必要として生かされているのであるから、成果はともかくとして、感謝しながら全力で生きねばならぬ。
 ついでに言えば、年とってからの学習を「晩学」というが、学びの道に早い、晩いはない。やるか、やらぬか、志の違いである。昔の人は謙遜して70の手習いといったが、人生は学んで奥義を深めるという単純なものではない。死ぬまでこれを勉強である。
 さらに老人たちが、よく使う言葉に「至福」がある。幸福の極地ともいうべき心境をいうのであるが、人間は解脱に程遠い欲の固まりであり、至福という「ほとけ」の境地には望むべくして至り得ない。願望するのは夢と同じだが、乱用することは避けたい。それは驕りに通じるからである。
 年寄りが、自分を過信して、まだまだ若いもんには負けへン、と力んでも所詮は肉体。年を経れば力は弱まり、足腰、頭脳、なにもかも鈍くなる。したがって「老骨に鞭打つ」のもほどほどが宜しい。さりながら、生死、寿命は、不思議な世界で、何人も予言できぬし、コントロールもできっこない。
 仏教の教えではないが、まさしく「老少不定」である。年寄りが先に死ぬとは限らぬし、若ものが長生きするとも限らない。ということは朝起きたら「ありがとうございます」、夜寝るときも「ありがとうございます」と、感謝する心が幸せなのである。

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2011年07月02日

クールビズ 相手も快適に(見聞録)

 「節電の夏」は仕事も涼しくと、ノーネクタイの軽装勤務「クール・ビズ」を取り入れる役所や企業が相次いでいる。環境省はクールビズをさらに進化させた「スーパークールビズ」なるものを推進し、ポロシャツやアロハシャツでの勤務も推奨している。
 毎日、長浜市役所に顔を出すが、市職員によって服装のセンスに幅があり、興味深い。
 特に男性の場合、普段はスーツにネクタイ姿だから似たり寄ったりの格好だが、クールビズになると、シャツやパンツ(ズボン)にセンスが際立つ。
 Yシャツのネクタイを外しただけというシンプル派から、お洒落な柄や色のシャツ、ポロシャツに細身のパンツというスタイルまで様々。
 一方、女性の場合は男性以上に服装に自由があり、涼しげな色のワンピースやスカート姿が暑苦しい職場に涼風を送る。
◇インターネット調査会社のマクロミルは勤務先でクールビズを実施している会社員、公務員を対象に身だしなみについて意識調査を行い、1日、結果を発表した。
 ポロシャツやアロハシャツでの勤務も可とする環境省の「スーパークールビズ」については、56%が「やりすぎ」と答え、「人によってはだらしない印象になってしまっている。センスの差が出やすい」「アロハなどはビジネスと日常を混在させすぎ」といった厳しい意見も。
 営業先を相手にする外勤担当に対し、内勤の服装は比較的、自由度が高いが、マナー違反も少なくなさそう。
 内勤女性のマナー違反と思う服装は「お腹が見える」(72%)、「ローライズ(腰履き)」(47%)、「胸元が開いた服」(41%)という順で、一定の節度が求められそう。
 一方、女性は男性の身だしなみについてどう思っているのか。服装以外に気になっているのは「体臭」(88%)、「わきの下の汗ジミ」(64%)、「顔のテカリ」(52%)という順。さらに「髪のべとつき」「すね毛や胸毛が見える」「香水のつけすぎ」などを気にする女性も多く、マクロミル社では「自分の快適さだけではなく、相手の快適さを思いやるクールビズが求められそう」と締めくくっている。

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2011年07月01日

どぼ漬け胡瓜の丸囓り

 飛びきりの暑さだから猛暑というらしい。猛烈な暑さ、猛々しい暑さ、38度という人間の体温以上のところもあるが、どこにいたって、30度を超せば放っておいても汗がにじむし、扇風機の風は涼しいというよりも生温い感じ。
 暑いと口にしても、それで暑さがひくわけではないが、つい口がすべってしまう。間もなく梅雨が上がるだろうが、これから7月いっぱいが夏の最高峰だろう。いまどきの暑さは漢名でいう炎帝、朱夏がぴったりである。
 炎帝は夏を司る神、炎の帝王と思えばいいが、日中に日傘や笠もかぶらず長時間働いたり、歩けば、たいていのものはくたばってしまう。たっぷりと水分を補給し、休み休み体を動かせばいいが、まんが悪いと熱中症にやられてしまう。
 暑いのは今に限ったわけではなく、むかし昔から夏は暑いに決まっている。いまの人間は文明症にかかっているから、暑さに弱いだけで、戦前の日本を知る人は、クーラーや冷蔵、冷凍の恩恵を知らない。それゆえに夏の過ごし方は経験重視の自然流だった。
 ご飯やおかずは一日で腐るから主婦のお勝手流は並々ならぬ苦労が伴った。ご飯は腐らぬように炊くときに酢を入れた。豆腐などはその日に食べて翌日に残さない。魚類は塩気の強い調理で日を保たすが、野菜類はその日、その日、新鮮なものを食べた。
 毎日欠かさないものが糠漬け、沢庵、梅干、らっきょの類。酢の料理は夏の専売特許だった。
 蚊は蚊ふすべか、蚊取り線香、蝿は蝿取り紙か、蝿叩き。どの家にも蚊帳があって、夜はそれを吊して寝た。
 子どもたちは夏休みに入る前から湖や川へ入って泳いだ。衛生にやかましかったから生水を飲むなと教えられ、家では熱い番茶をたくさん用意して、のどが渇いたらこれを飲んだ。甘いものを欲しくなったら箱詰めのアメや砂糖水を飲んだ。
 ご馳走が食べられるほど、お金がないから主婦は安価な「みがきにしん」や「だしじゃこ」をうまく利用しておかずにアクセントをつけた。なにがおいしいかといったら、お腹の空いたときが最高のご馳走である。
 どぼ漬けの黄色く漬かりすぎたビイドロ色の胡瓜を丸っぽ囓るのがおいしかった。うなぎなんかは、匂いも嗅ぐことはなかった。【押谷盛利】

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