滋賀夕刊新聞社は滋賀県長浜を中心に政治、経済、文化の情報をお届けする新聞です。



2011年06月30日

北陸新幹線 米原接続の是非(見聞録)

 北陸新幹線の敦賀―大阪間のルートについて、近畿など7府県でつくる関西広域連合で、橋下徹知事が米原駅への接続を軸に検討するよう求めている。
 しかし、米原接続が実現すれば、在来線の北陸線がJRから経営分離される可能性が指摘されており、県交通政策課は「嘉田知事は米原ルートを決して容認していない。ほかのルートと同じように検討する。北陸線の経営分離は飲めない」と訴えている。
◇北陸新幹線は東京―大阪を北回りで結ぶ。東京―金沢間の全線開通が2014年に迫っているが、敦賀―大阪間のルートは▽米原駅接続▽福井県小浜市を通る若狭ルート▽琵琶湖の西岸を通る湖西ルート―の3案が検討されてきた。
 米原駅接続は、整備区間が短く、費用も若狭の8000億円に比べ半分の4000億円程度になるとして、橋下大阪府知事が他府県の知事に働きかけている。
 背景には関西経済界の焦りがある。東京―金沢間の開通が3年後に迫り、北陸圏と首都圏の経済的連結の強化が期待されているが、敦賀―大阪間はルートさえ決まらず、北陸経済圏を東京に丸々奪われかねないとの危機感。工期が最短で、工費も安上がりな米原接続を橋下知事が推し進める理由だ。
◇これは、長浜市にとっては深刻な問題だ。
 というのも、JRが新幹線と並行して北陸線を両立運営することは過重な負担となる。万一、JRが北陸線の運営から撤退すれば、地元自治体などによる第3セクター方式での運営となるのが一般的。長浜市の財政圧迫の要因となる。
 藤井勇治市長も昨年の市議会で「米原ルートが採用された場合、北陸本線の利便性が低下する。市の財政に多大な負担を招くであろう第三セクター化されることが懸念される」と指摘していた。
 さらなる問題点は、新幹線のルート決定に地元合意は必要ないこと。国の方針次第なのだ。だが、整備費用の3分の1は地元負担というから、何ともやりきれない。
◇県と沿線自治体が総額75億円を拠出して実現した「北陸本線直流化」から間もなく5年。沿線自治体の期待は裏切られ、ダイヤは充実しないまま。
 関係者は「仮に米原に接続しても、今以上に本数を悪化させないことが最低条件だ」と話しているが、需要と供給にはバランスが付きもの。

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2011年06月29日

虎姫の公営住宅の不正

 「しどろもどろの今の世」を嘆きつつ、死んでも盗泉の水は呑まずといった昔の人の清廉な心がどこへ行ったのか、と、一部であろうが、今の日本人の不法などん欲を嘆かずにはおられない。
 このところ滋賀夕刊を賑わせている旧虎姫町の市営住宅、改良住宅に関わる不正使用問題。長浜市議会の竹内達夫議員らの指摘と住民監査請求によって真相の一部が見えてきたが、問題の根の深さと、これまで黙認状態だった旧役場の反公共精神にあきれ返る思いである。
 監査請求を行ったのは竹内議員のほか、杉本敏隆、浅見信夫の各市議だが、これによると、旧虎姫町の市営住宅の4割、改良住宅の6割が不正使用の疑いあり、とされている。また元助役の又貸しについては特に悪質とし、元助役と息子の高校教師は市から借りている改良住宅を無断改造して10室を設け、派遣会社の寮として賃貸。多いときは10人からそれぞれ月3万円の家賃を徴収していたという。
 元助役と高校教師は別に一戸建てに住んでいながらの不正使用だが、長浜市はこれまで不正使用による法的告発や不正使用の明け渡しの措置をとることなく、言わば知りつつも黙認している形だった。元助役(82)の家族は不正な又貸しは他にもある、と語っているが、なぜ、このようなだらしない不法がまかり通ってきたのか。
 公営住宅は住宅に困っている人たちに極めて低家賃で貸し付けるための福祉的要素を持つ国の制度によるもので、強いもの勝ちというか、ごりがん流というか、でたらめの仕放題を許してきた管理体制の放棄が追及されよう。この住宅制度は1979年から発足しているが、管理のずさんさは旧虎姫町執行部とその職員の責任であり、貸し付けの規則違反や書類上の偽造、所得隠し、その他、法律、条例、規則違反などが問題にされるべきであり、警察当局が「われ知らず」の日和見をしているのも合点がゆかぬ。
 公営住宅の不正入居や、又貸しは公共団体(市、町)に対する損害行為でもあり、法の趣旨を食いものにしたという点で悪質も極まれりといったところ。スピード違反や、かくし撮り、のぞきなどで逮捕される事件と比べて、その社会的重みをどう考えているのか。
 目下、各地で問題にされている生活保護法による援護にしてもそうである。受給資格のないものが不正請求して国や市からの保護を受けるやり方も審査段階に問題があり、制度をうまくごまかす悪徳行為であり、行政の職員や民生委員に問題があったりする。
 まことにもって「しどろもどろの今の世」である。【押谷盛利】

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2011年06月28日

29歳女性の婚活報告(見聞録)

 昨晩、「婚活」中の独身女性から近況報告があった。
 婚活パーティーで出会って2年半付き合った男性と昨年末に別れ、最近は月2回のペースでパーティーに出席し、男性を物色中という。
 「何回もパーティーに参加していると自分の市場価値が分かる」と語る彼女は29歳。20代女性限定のパーティーに出席すると、若い女性に男性のアプローチが集中し、「29歳は売れない」と嘆く。「男って若けりゃいいのかしら」と不満げだった。
 そもそも結婚適齢期なのに、なぜ2年半も付き合った男性と別れたのか、と話を戻したところ、「ケンカしても自分を守ってばかり」「自分の考えを変えず、プライドも高い」と不満を連ねた。相手の性格に受け入れがたい面があったようで、いつしか連絡が減り、彼女から送ったメールに返事がないまま、自然消滅したそうだ。
 以来、独り身なのかと思いきや、その男性と「寄り」を戻しているというから理解しがたい。
◇その経緯について聞くとドラマのようだった。
 別れて落ち込んだ彼女は、友達の誘いで婚活パーティーに。その会場に居たのが、先日、別れたばかり男性だった。
 実はこの男性、別れ話が出ていたころ、「○○さんと結婚できないなら、結婚そのものをあきらめる」とのたまっていたという。
 「結婚をあきらめる」発言はどこへやら。カッと来た彼女は男性の首根っこをつかまえて会場の外に連れ出し、その場は騒然としたという。
 その後は「婚活パーティーを台無しにした責任をとれ」(男性)、「別にあなたのこと嫌いじゃないし」(彼女)という展開で、お付き合い再開となった。
 しかし、彼女曰く「やっぱり違う」らしく、新しい男性を求めて婚活に専念中というから、何とも煮え切らない。
◇一昨日、日曜日の婚活パーティー。「市場価値以上にもてた」そうで、ある男性と良いムードに。パーティーの後、2人で食事し、今後のお付き合いを約束したそうだが、「かっこよくて、話題が幅広く、謙虚。こんないい人がなぜ婚活?」と不思議顔。
 帰宅後、彼の名前をインターネットで検索したら、とある会社の社長であることが判明し、ホームページに顔写真も掲載されている。
 しかし、彼から手渡された名刺にはまったく別の会社の名前…。騙されているのか、何か裏があるのか…。
 「市場価値も体形も下降しているし、もう決着をつけたいんやけど」―。30歳を目前に大いに悩む彼女だった。

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2011年06月27日

しどろもどろの今の世

 「惚れて通えば千里も一里」と、昔の人はうまいことを言った。恋しい相手に会いに行くときは、どんなに遠い道のりも近くに思えて、ちっとも苦にならない、ということ。
 さて、惚れたが実って首尾良く結婚へゴールインできれば、めでためでたの花が咲く。お前100まで、わしゃ99までと、銀婚、金婚、末永く愛し愛されれば至福これに過ぎるものはないが、なかなかそうは問屋が卸さない。意地の悪い向きは「惚れた腫れたは当座のうち」と皮肉ったり、おちょくったりする。
 惚れたの、なんのと甘いことを言っているのは夫婦になりたての初めのうちだけのこと、まもなく熱がさめて所帯じみたり、いや気がさしてきたりする。
 このごろの芸能界はとくにこの傾向が強い。盛大な結婚式が話題になって、そのほとぼりの冷めないころに別居の話が伝わったり、離婚騒ぎがニュースとなる。そして、その理由を訊ねられても決して相手の悪口は言わない。「今も尊敬しています」、「今も愛していますが」という。ならば、なんで分かれるの、と、これは尋ねる方がバカである。
 見込み違いであり、こんなはずではなかった、という失敗物語だが、彼らは決して失敗だったとは認めない。昔の人は惚れた弱みを「あばたも、えくぼ」といった。惚れた欲目で、相手のどんな欠点でも長所に見えるというわけ。だから惚れがひどくなると、「のぼせる」。そして、側のものがやきもき心配する。「惚れた病に薬なし」がこれである。
 戦後はアメリカやフランスなどの華やかな文化が輸入され、それとともに男女の愛もオープンになり、離婚は恥ずべきことではなく、むしろ愛の勲章くらいに大手を振って歩くようになった。
 それはそれでよいのだが、このごろはバカな男がいて、振られた女を諦めずにいつまでもつきまとったり、あるいは片思いで、目的が達せられずにいると暴力で自分の獣欲を満たそうとする。それでも相手が拒否すると、神経が麻痺してしまうのか、殺人行為を犯してしまう。
 日々の殺人事件の中で顕著なのは男女間のもつれであり、たいていは逃げる女に追う男の構図となっている。だらしない男が多くなった証拠だが、そうした愛のトラブルだけでなく、社会的地位のある人がエロチックな犯罪容疑で逮捕されている事件が後を絶たない。それを一口に草食系男子の悲劇と笑ってすませていいものか。
 「痴人の前に夢を説く」は。愚かなものに向かって、夢を語ったり、説法することで、およそナンセンスだが、このごろの恥ずかしい事件を見ると、学校の先生、警察官、役所のえらいさん、市会議員など肩書のある人が被疑者として登場する。どう説けばいいのか、いやはや、しどろもどろの今の世である。【押谷盛利】

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2011年06月24日

政界再編成と国会解散

 国会の延長が70日で可決し、菅総理の「してやったり」の笑顔が想像される。反菅の連中は、菅よ、くたばれ、とのろいつつも打つ手がなくて、犬の遠吠えのようなしらじらさが続く昨今である。
 50日にしようか、120日にしょうか、中を取って70日がよかろう、といい気なもので、国民の側からすれば東北被災地の復旧復興や原子力発電事故の対策など喫緊の問題を尻目に何をふざけた政争よ、と、あきれが怒りを通り越している。
 戦後、資本主義を攻撃する左翼が「働かざるもの食うべからず」といったが、古い中国の故事に由来する言葉に「一日作さざれば一日食わず」ということわざがある。
 日本の国会の費用は平成21年の決算によれば衆議院が642億円、参議院が391億円もの厖大な国費を食っている。国会議員が国のため、国民のため尽くしてくれるように十分な財政的環境をつくっているのに、党利党略や、私怨を含めての政争に無駄な時間を食っているとしたら、「お前さん方、出直してもらいましょう」と国民は怒りの鉾先を向けるであろう。
 正直言って、いまの内閣のありようと、与党である民主党及び野党第一党の自民党は2年前の総選挙のときの国民の心と大きくかけ離れている。09年の衆議選はこれまでの自民党政治にノーを決めつけ、民主党の甘いバラマキ戦術に期待した。圧倒的勝利の民主党は中国の共産党ばりに「党主導」の政治をお披露目したが、その実態は小沢ワンマン政治の推進だった。
 ところが、重箱の隅をつついて無駄なカネを探し出そうとしたが、実際には予算の歳入を助ける程のカネは出てこず、あれもタダ、これもタダ、あれもします、これもします、の甘い国民との約束はみな反故にする始末。あげくの果ては、選挙の神さまと威張っていた小沢幹事長に政治とカネの疑惑が浮上し、鳩山内閣が潰れて裏将軍は幹事長を辞めた。
 引き継いだ菅内閣は脱小沢路線で一時は脚光を浴びたが、外交路線、国防問題、有言不実行などが批判を浴び、そのうちに小沢一派の殴り込みが党内の秩序を乱すようになり、公党の面目は消えた。
 総理大臣は衆議院選で当選した国会議員が選ぶことが憲法で規定されている。それは衆議選の結果がそのまま国民の総意であるからだ。
 ところが、いまの衆議院は前回の解散から間もなく2年を経過することになるが、世論調査でも分かる通り、民主党への評価やその内閣の信頼度は急転直下、新しい政治環境の中での新しい総理が望まれるようになった。分かりやすく言えば2年前の国民の心と完全に相反しているのが今の政府及び民主党のありようである。
 菅さんをやめさせるのはよいが、あとを誰がするのか。この答えは国民しか出せない。2年前とは状況が違っているが、新しく国民の声を聞かないで、野心家どもが取引きして総理を決めるのは天の理が許さない。反菅の政治家たちは政策を中心に大胆に政界再編成すべし、それは今の与野党の枠組を超えてやること。
 国家、国民のため命を投げ出す覚悟の政治家とその政治集団に国民は必ず応えるであろう。その結果の首班による国会解散こそがものの順序であり、憲政の王道である。【押谷盛利】

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2011年06月23日

どう乗り切る?節電の夏(見聞録)

 昨日22日の夏至は今年初めての真夏日となった。長浜では午後1時24分に最高気温30・6℃、彦根では午後4時11分に31℃を記録した。
 湿気を含んでじめじめとし、今年初めてエアコンの冷房スイッチを押した市民も多いのではないだろうか。
 真夏日の定義は日中最高気温が30℃以上の日を指す。35℃を超えた場合は「猛暑日」と言う。25℃以上の場合は「夏日」、25℃以上の夜間のことを「熱帯夜」と呼ぶ。
 関西電力によると、昨日午後3時に今年最高となる2313万㌔ワットを記録したというから、あちこちでエアコンが稼動したのだろう。
 これからの夏本番に、我々は例年以上の節電を果たせるのだろうか。今年初の真夏日を迎え、早くも心配になる。
◇関西電力によると管内の消費電力の内訳は、大規模工場38%、家庭35%、デパート・ホテル・オフィス23%となっている。
 真夏の家庭の消費電力の内訳は、エアコンが53%を占め、以下、冷蔵庫23%、テレビ5%、照明5%、待機電力4%と続く。冷蔵庫のスイッチは切れないことを考えると、エアコンの使用頻度や設定温度を控え目にするのが節電に最も効果的と考えられる。
 そのエアコンの使用だが、室温を28℃に設定することで、電力の10%削減、すだれ、よしずなどで窓からの日差しを和らげることで、さらに10%削減できるという。
◇エアコンの恩恵にどっぷり浸かっている現代だが、電気の無い昔は暑い夏を涼しく過ごすため、様々な工夫があった。
 ▽服の素材に気を使い、通気性のよい服を着る▽窓際やベランダにすだれ、よしずを吊るす▽庭やベランダに打ち水をする▽朝早いうちに用事を済ませる―などがそうだ。
 また、そういう古来の知恵を拝借した新製品も登場している。例えば、旧長浜市街地の博物館通りにある寝具店「眠りのプロショップsawada」(沢田商店、元浜町)は、麻を使用した湖東の伝統織物「近江ちぢみ」と、洗える「麻わた」を使用した布団を開発し、販売を始めた。
 麻は熱がこもらない涼しい素材なので、蒸し暑い日本で古来から重宝されている。
 昨日の真夏日で悲鳴を上げていては、節電の夏を乗り切るのは大変。古来の知恵を借りたいところ。

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2011年06月22日

政局夜話、ごまかされるな

 菅さんも憂いこっちゃ、やめたくないのに辞めろと言われて―。そんな声が一部から聞かれる。
 カンコールはマスコミが悪のりして、かまびすしいが、永田町では、与野党を通じていろんな思惑が交錯している。
 カッコ良く言えば権力争いだが、皮肉って眺めればカネとポストと利権の陣取り合戦である。問題を一番ややこしくしているのは小沢一郎一派と反小沢勢力の暗闘を抱える民主党そのものである。
 民主党は政権与党であり、政府と党が一体化すれば衆院の絶対過半数の威力で何でもOKとなるはずだが、現実はそうではない。民主党が下り坂となって、選挙ごとに負け戦を重ねているのはその体質に国民の疑惑が消えないからである。いわゆる小沢元代表の政治とカネの問題が浮上するや、国民の信はあっという間に民主党を離れた。
 小沢一派は窮地に立つ親分を助けて数の力で党内のバランスを確保し続けた。親分の小沢は政治家としてのモラルに立ち返り出処進退を明らかにすべきだが、逆に子分を指導してカン叩きに政治エネルギーを燃やし続けている。
 党則違反であろうと、何であろうと、公党の座敷を土足で踏みにじるようなことをしても厳格な処罰ができないというまさに下克上の世界である。
 下克上とは南北朝時代から戦国時代にかけて、農民が領主に反抗して蜂起し、また家臣が主家を滅して守護大名や戦国大名になっていった乱世の社会風潮のこと。いまの菅内閣は存在するが方向は五里霧中で、大臣が総理の悪口を言ったり、執行部が辞任を画策したり、およそ公党としての体をなしていない。
 党内には辞めることを前提に次の総裁争いがくすぶり始めた。そうこうするなかで、小沢抜きの菅司令塔は国民に評価されている部分もある。
 小沢派のねらいは政局のごたごたの中で、政治とカネの問題が空中分解することにあるが、その戦略は党内中間派から自民党内にまで影響しつつあり、目下、国民の一番見落としてはならぬ政局夜話である。
 このままの状況で衆議院が解散すれば、小沢派は壊滅的敗北を喫するに違いない。したがって、なにがなんでも解散は避けねばならず、その戦略上、菅抜きの与野党大連合構想を考えるのは、当面の小沢派と小沢シンパ、小沢寄りの自民党一派であろう。
 この提灯を持つのが自民の森元総理であり、彼は谷垣総理論をぶち上げている。谷垣総理なら自民は一致しておさまると見ているようだが、喜ぶのは小沢と鳩山派で、自民党は分裂するかもしれない。
 なぜ、大連合を急ぐのか。菅おろしなのか。その辺は東北大震災と原発災害及びその復興、安全電力及び自然エネルギーの開発などに関わっている。【押谷盛利】

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2011年06月21日

革新する技術、政治は…(見聞録)

 1964年の東京オリンピックに合わせて開業した東海道新幹線。この半世紀の技術革新でスピードアップが図られ、米原―東京間なら2時間16分で到着する。
 明治期に鉄道が整備されてから1950年代までは、そのスピードは時速100㌔にも満たなかったが、今の新幹線は時速200㌔、300㌔の世界。
 現在は新幹線を上回るリニア中央新幹線の整備が計画されている。時速約500㌔、東京―大阪間をたった1時間で結ぶ。計画通りに運べば2027年に東京―名古屋、2045年に名古屋―大阪間が開業する
◇空の世界でも技術革新が著しい。ライト兄弟が初めて有人飛行を実現したのは1903年。以来、1世紀の間に人類は空を超えて宇宙にまで飛び出した。
 欧州の航空会社「エアバス」の親会社「EADS」は19日、パリ―東京間を2時間半で結ぶ超音速ロケット旅客機を日本と共同開発中であることを明らかにした。
 2020年までに試作機を完成させ、2050年に運用を開始する考えだ。
 通常の旅客機の3倍の高度となる3万2000㍍の成層圏を飛行し、乗客数は50人から100人を見込んでいる。
 離陸時には海藻から抽出したバイオ燃料を使い、その後は水素と酸素を動力源とするロケットエンジンに切り換え、地球環境にも優しい。
 加速時に体にかかる圧力や、料金、運行本数などが気になるところだが、この種の旅客機が日常的に世界の空を飛び回れば、海外旅行も変化するだろう。
 週末にちょっとパリに出掛けてショッピングなんてことも実現するかもしれない。現に、韓国や中国など近隣国は週末旅行の行き先となっている。
◇リニアにしろ、超音速旅客機にしろ、一昔前の夢の話が今は実現化へカウントダウンされている。
 そう考えると日本のエネルギー政策も、原子力発電から自然エネルギーへの転換が可能ではないだろうか。
 ドイツや北欧の国々のように国策として脱原発を推進すれば、技術立国の日本にやれない訳がない。
 しかし、今の政府にそういう決断を期待できるかというとノーであり、まずは政治の革新を求めるしかない。
 かと言って、菅総理に退陣してもらったところで、政治が今より良くなる保障はない。まして国策として原発を推進してきた自民党や小沢一派の連立では、エネルギー政策の転換は夢のままかもしれない。

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2011年06月20日

父の日と国家の発展

 6月19日は第3日曜日だった。娘から「おめでとう」とプレゼントを贈られて、この日が父の日であることを知った。
 母の日の5月第2日曜日は早くからPRなどが盛んなのか、よく知られているが、父の日は知らぬうちに終わっていることが多い。
 父と母で、なんで、こんなに騒がれ方が違うのだろうか、と、ふと考えることがある。
 子どもたちにとって、父と母との親近感が違うのだろうか。「だっこ」と「おっぱい」の威力に父親は引き下がるしかないのだろうか。
 別の見方をすれば、日本の父親はこれまでわりかしワンマンだった。どちらかといえば亭主関白型で、毎日毎日が父の日だった。だから、子どもたちが父と母をてんびんにかけるとき、どうしても母への傾斜が強くなる。
 自分だけご馳走食って、酒飲んで、お母さんを下女のように指図して、と、そんなふうに父を暴君か、なんかのように思って育ってきた子が、昔の家庭にはあった。いまどき、そんな亭主関白は珍しく、むしろ、やさしいパパが圧倒的で、尻の下に敷かれてにやにやしている図が想像される。
 なにもワンマン亭主関白の肩を持つわけではないが、父親像としては家族から尊敬され、信頼され、ある程度の威厳のあるのが望まれよう。母は家庭を守り、子育てには涙ぐましいばかりの献身ぶりを見せるが、父親はむしろ、外に出て仕事に精魂を傾ける。いわば仕事の虫であるが、そのことは一家の生計の主である覚悟による。
 夫婦の分業というが、これは理屈や法律によるものではなく、昔むかしからの両性に与えられた神さまの御心。天地の神のお諭といってもよかろう。だから、男の体と女の体は、体そのもののたちが違う。
 男は頑丈に大きく、強くできているが、これは自然界でものを生産するのに必要な体力であり、遠い先祖は土地争いや生活上のもろもろの争いで生死をかけて戦ってきた。男は一家の主として家族を守ってきたが、それゆえに女は安心して家を守り、わが子を育てることができた。女はやさしく、家事に器用に、そして何よりも子を妊娠し、生む生命力の強さを持っている。
 このごろは、ものの道理を履き違えて、男女同権を性差なき社会と主張する向きもあるが、男と女の性差は人智の及ばない神の知恵であり掟でもある。
 もし、真実これを否定すれば、人類は滅亡に至る。人類の発展にとっていま一番望まれるのは強い男とやさしい女の社会の実現である。強い男は賢い男であり、力と勇気があり、国家と平和のために命を投げ出す。やさしい女は地上楽土の鳥のような花のようなうるおいをこの世にもたらせ、文化の母として慈母の存在となる。
 両性の互いの信頼と尊敬、豊かな愛によって子宝に恵まれ、幸せな家庭とその延長線上に秀れた国家が生々発展する。【押谷盛利】

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2011年06月18日

プール閉鎖を考える(見聞録)

 奥びわスポーツの森のプールが今夏の営業を最後に閉鎖されることは、先日の滋賀夕刊で伝えたとおり。
 年間2万人以上が訪れる人気のプールだが、維持費がかさむことを理由に、県は長浜市への移管を求めていた。長浜市としては神照町に新しい市民プールを整備する計画があり、老朽化したプールを押し付けられるのは、財政の面からもたまったもんじゃない。結局、「長浜市が引き取らないなら閉鎖」となった。
 この問題は以前、市議会でも取り上げられ、杉本敏隆議員が「わずかな赤字で閉鎖するのは道理がいかない。継続して営業できるよう粘り強く交渉を」と求めていた。
 夏を楽しみにしている子ども達には残念なニュースで、保護者からは県や市の感覚を疑問視する声が出ている。この手の公共施設の存廃を、採算性だけで判断して良いのか、と。老朽化して使えなくなるまで、多少の赤字がかさんでも運営すべきとの意見もある。
◇県は借金が1兆円に迫り、各地に抱える公共施設の維持管理が財政を圧迫している。
 そこで、地元自治体への公共施設の移管を次々と進めている。長浜文芸会館も5年前、長浜市に移管されたが、当初は老朽化した施設を修繕することなく譲ろうとしたもんだから、市が反発。県が改修費を補助することで折り合いが付いた経緯がある。
 このほか、県立虎御前山教育キャンプ場も目下、長浜市への移管か、廃止の方針となっている。
◇維持・管理しきれない程の公共施設を整備してきた過去の施策に「問題あり」なのは言うまでもないが、地元自治体への公共施設の押し付けは迷惑な話だ。
 特に1市8町が合併して誕生した長浜市には文化ホール、公民館、図書館など類似公共施設が多々ある。今後、施設の老朽化に伴ってそれらの存廃や統廃合が議論されることになるだろうが、維持管理に費やす税金と、市民福祉のバランスが欠かせない。

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2011年06月17日

生活保護と国民の覚悟

 16日付けの滋賀夕刊の「見聞録」は国の過保護と国民の働く意欲について問題点をあぶり出している。
 ちょっと見逃しがちになるテーマだが、この辺で問題の本質を見極め、野放図な行政のあり方に反省を求め、ブレーキをかける必要があるのではないか。
 見聞録で取り上げた問題は生活保護である。厚労省の発表で驚いたことだが、全国の生活保護受給者はなんと200万人を突破した。保護は生活、教育、住宅、医療、介護など8種類あり、全国平均で63人に1人が受給している。東京都は49人に1人、都道府県ワースト1位の大阪府は33人に1人。大阪市は18人に1人。わが滋賀県は131人に1人。長浜市は106人に1人。
 生活保護は国民の税金で支給されているのだから国民が国民の足を食べている勘定になるが、これは別の見方をすれば人間として自立できぬ人が200万人を超えたということである。
 文明国は国の法のもとに自立できぬ人を保護する制度があるが、発展途上国ではそうもゆかない。日本は明治に入って近代国家の諸制度を取り入れて、生活困窮者に対する救援施策が実施されるようになったが、それ以前は飢餓や災害、流行病などで死の恐怖におびえながらも当時の政権の保護を受けることはなかった。
 江戸時代でいえば藩政のお助け策で救助米を受けたり、年貢の割引を受けたりした程度であった。国民は毎日の生活が死にもの狂いといえるほどの苛酷さのなかで飢餓や災厄から立ち直ってきたが、その間、多くの人が死んでいった。
 いまの国民が個人として生きる権利を尊重されているのは戦後の新憲法による。具体的にいえば憲法13条に「すべての国民は、個人として尊重される。生命、自由、及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で最大の尊重を必要とする」と規定されている。
 憲法はなかなか行き届いており、11条に国民の基本的人権の保護をうたい。12条に憲法の保障する自由、及び権利は国民の不断の努力によって保持しなければならぬ。そして国民はこれを濫用してはいけない。常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負うと規定している。
 そこで問題になるのは、生命・自由及び幸福追求に対する国民の権利だが、その第1は精神的自由、第2は生命などの肉体の自由、第3が人間らしい生活のための生活手段の確保である。この幸福追求に対する国民の権利を守るために例えば生活保護法が制定された。
 ただし12条にあるように濫用してはいけない、と目配りを見せている。権利をいいことに仕事があってもしなかたり、仮病を使ったり、身寄りがありながらないふりをしたり、外車に乗りながらパチンコに日を送ったり、などというインチキ受給者があってはならぬのである。しかし、その審査があまかったり、暴力団まがいの圧力でゆがめられたりすることもあった。
 もらい得、使い得の世となっては、国力の疲弊をまねくだけである。【押谷盛利】

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2011年06月16日

生活保護、滋賀は131人に1人(見聞録)

 厚生労働省の発表で生活保護受給者が200万人を突破したことが明らかになった。
 生活保護は、最低限度の生活を保証する制度で、生活、教育、住宅、医療、介護など8種類の扶助がある。いったいどれほどの割合の人が生活保護を受給しているのか。厚労省の統計データを分析してみた―。
 全国平均は63人に1人の割合。東京都は49人に1人。滋賀県の場合は131人に1人の割合で全国平均よりもかなり低水準。長浜市は106人に1人。
◇では、生活保護の不正受給などでたびたび問題視される大阪はどうか。大阪府全体は33人に1人。これは都道府県ワースト1位。
 少し掘り下げて大阪市に限定すれば18人に1人と飛躍的に伸びる。同じ府下の政令指定都市の堺市が34人に1人の割合だから、大阪市が際立っている。
 これについて大阪市は、失業率や離婚率の高さ、低所得者層や高齢者世帯(とりわけ単身世帯)の多さを理由にし、西成区「あいりん地域」の存在も挙げている。
 そこで西成区に限定して調べると、区民12万1513人のうち、受給者は2万7937人。4人に1人の割合に急上昇する。
 さらにもっと掘り下げ、日雇い労働者が多いあいりん地域をクローズアップすると、推定9000人が受給し(市も明確な人口を把握できていない)、3人に1人の割合という。
 あいりん地域には、全国から職にあぶれた労働者が集まる特殊事情がある。一方で、大阪市は他自治体に比べ生活保護受給のハードルが低いとされ、反社会勢力による貧困ビジネスの温床と指摘されている。
◇生活保護はすべて税金で賄われている。我々納税者としては、病気や怪我、障害、高齢などの理由で所得がなく、身寄りもない貧困者のみに支給してもらいたい。
 問題なのは、20代、30代など働ける世代の受給者が拡大していることだろう。労働者を使い捨てる非正規雇用の拡大など、若者を取り巻く労働環境の悪化が一因であることは否めないが、贅沢を言わなければ職は十分にある。
 あれこれ理由を付けて働かず、生活保護を受給した方が贅沢できるケースもある。「過保護」な政策が国民の自立と労働意欲を削いでいる一因とも言えまいか。

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2011年06月15日

長話から龍馬の爪の垢

 電話でも会話でも人の話を聞いていると楽しい。「ほんでどしたの」、「ほやさかい、やめとけというたのに」、「ぼけが回ってきたのとちがうか」。「ほうやがな、きんののことも、もう忘れてるんや」、「きんのことならまだええわな、けさ、飯食ったのに、飯まだかというんやがな」。
 長話で、ああでもない、こうでもないと話しているうちに焼いている魚が真っ黒に焦げてしまったとか、天ぷらの油に火がついたとか、ろくでもないことがニュースになったりするが、そう思えば思うほど、今の世のケータイ時代が物騒である。なにしろ前も横も見ずに、ひたすらメールを見つつ歩く若ものの多いこと。中年ものの長電話なら最終ラウンドで「ほんにゃ、まあ、気をつけていっていらっしゃい」などと別れのきっかけをつくるが、長いメールは「ほんにゃ、まあ」がないと見える。
 むかしは、何かの寄りで話がはずみ、みんなが面白がって時間の経つのを忘れているとき、誰かが音頭を取って、会話をストップして、散開を上手にリードした。そんな時のセリフは大体きまっていた。「さあ、ぼつぼつげいこしょうか」と、やんわりと腰を上げる。それを待っていたとばかり、「ほんまや、夜が明ける、わてらもげいこしょう」。
 「げいこ」はどう書くのだろう。辞書には出ていないから元の言葉が変化して土地特有の話し言葉になったのであろう。よく調べると「下向」という言葉が見つかった。高いところから低いところへおりてゆくこと、都から地方へ行くこと、と説明している。
 そういえば法事の後のご馳走の席では坊さんが一足早く席を立つ。庶民の宴会などでは、途中、中締めの挨拶があるが、あれと似ていて面白い。
 当家の親類の顔ききが、「ごえんさんが、げいこ(下向)されたさかい、みんな、気楽にやって下さい」と酒をすすめる。えらいさんが一足早く席を立つことが下向であり、それを「げいこ」というようになったのかも。
 もう一つ「げこう」に「還向」という文字がある。これも国語辞書、大辞泉によると「神仏に参詣して帰ること、下向、とあり、「その日のうちに還向仕まつらざりしかば」と大鏡の古文の一例をあげている。
 どちらにしても神仏の儀式か参詣に関わる言葉であることが分かる。なのに、一般の会合などで「ぼつぼつ下向しようか」などとなぜいうのか。やはり本来は法事の席の「ほんにゃ、おうきに、ぼつぼつ帰らせて頂きます」の軽い口上といえよう。だから、これを言う人はたいていは長老である。昔人間は律儀固いから、帰りたくとも挨拶がなければ立てぬし、自分が率先して「はい、ありがとう。さようなら」とは決して言わない。半分居眠りしていても、みんなと同一歩調をとるのが先祖以来のエチケットであった。したがって、「おさらば」の立ち上がりの音頭は長老がその任にあたるのが不文律である。
 「大分話が咲いたが、もう日が傾いてきたし(夜も更けてきたから)そろそろ、ここらでげいこさしてもうらおうか」と切り出すと、長老に続いて、みんなが「ほんなら、私らもこの辺で」と尻を上げる。
 「ほんなら、この辺で」と菅さんが尻を上げる前に横から「早よ帰らんせ」、などというから意固地になって、立てぬかもしれない。このあたりの心の微妙さ、言葉の周旋は龍馬の爪の垢でも煎じて飲むがよい。【押谷盛利】

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2011年06月14日

脱原発と節電(見聞録)

 東京電力福島第1原発の事故から3カ月。原発の安全性が問われる中、朝日新聞が11、12日、世論調査を行ったところ、「原子力発電を段階的に減らして将来はやめる」ことに74%が賛成と答えた。反対は14%だった。
 ひとたび事故が起これば、放射線汚染の脅威は避けられず、「脱原発」の世論が高まっていることがうかがえる。
 福島原発事故を機にした「脱原発」はヨーロッパでも進んでいる。ドイツが原発からの脱却を宣言したのは記憶に新しいが、イタリアでも12日から2日間にわたり実施された原発の是非を問う国民投票で反対票が9割を超えた。
 イタリアでは旧ソ連のチェルノブイリ原発事故後の1987年、国民投票で原発廃止が決まり、全4基が廃止された経緯がある。
 しかし、電力の一部を原発大国フランスから輸入していることから、ベルルスコーニ政権が再開を宣言していた。今回の国民投票により、再開の道のりは遠くなったが、原発を否定しながらも原発電力を輸入する矛盾は残る。
 これはドイツも同じで、脱原発を打ち出しながらも、やはりフランスから電力を輸入している。
◇日本では福井県知事が定期検査を終えた原発の稼動再開を認めず、電力の50%を原発に頼る関西圏は今夏、電力不足に陥る可能性が指摘されている。
 関西電力は15%の節電を企業、家庭に呼びかけているが、橋下徹大阪府知事が指摘するように15%の根拠があいまいで「原発停止イコール電力不足」という意識を国民に植え付けようとするコントロールとも受け取れる。
◇先週末、復興チャリティーコンサートのため、東京を訪れた際、建物内の照明が薄暗く、エアコンの設定温度が高めに設定されていることに「節電実施中」を体感した。
 強力な冷房が当り前だったデパートや地下鉄も生温かい空調で、汗が噴き出すことはないものの、肌がベトつく湿度と室温だった。
 ただし、夏に汗ばむのは当り前で、寒いくらいに冷やされ、「夏風邪」をも引き起こすこれまでの屋内環境が異常だったのかもしれない。
◇今後、関西でも夏場に向けた節電対策が家庭と事業所で求められる。
 これを機に家庭では「電気をこまめに消す」「エアコンの設定温度を控えめに」といった省エネに、事業所では「無駄な電力消費はないか」「効率的に仕事を行っているか」という点に気を配りたい。
 電力消費量が最も伸びる盛夏をどう乗り切るか。全国民が当事者意識を持ち、工夫を重ねたい。

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2011年06月13日

野郎の目と女性の魅力

 男は助平と相場が決まっているが、そのせいか、女性は男の見る眼を気にする。いやらしい目付き、気味悪い目付き、助平たらっしい目付き、わけありそうな目付き、意味ありげな目付きとか、いろいろ気にする。
 エスカレータの下から女性のスカートの中を盗み撮りするヤツはどんな目付きだろうか。犯罪心理の上からも興味のあるテーマである。
 こころみに世の男どもは、町でパッと女性に会った時、女性のどこに関心を持つか、眼がゆくか、と聞かれれば答えはかなり微妙であり、単純ではない。
 一般に「顔」と答える人が圧倒的に多いと思い勝ちだが、必ずしもそうではない。胸やヒップに眼をやる人は情熱的、あるいは肉欲的感性を持つといえる。このほかに脚、ウエスト、髪に眼の向く人も多い。プロポーションへの審美感ともいえよう。
 このごろはプロポーションを気にする女性が多いからウエストへの関心が高い。このため極端に食事制限をしたり、涙ぐましい努力をする。顔は化粧によって引き立つが、なかでも印象を強くするため、目の美容には日進月歩の技術開発がされている。このごろの若い女性にめがねをかけるのが流行しているが、めがね屋の提灯持ちをするわけではなく、そこには涙ぐましい彼女たちの計算が働いている。彼女たちのめがねは形も大きさも線も大胆で自身の顔が隠れるほどのものさえ出回っている。もう一つ面白いのは、肝心の目玉(レンズ)がないことである。めがねにレンズはつきものだが、彼女たちはなぜレンズのない、ツルだけのめがねをつけるのだろうか。答えは簡単である。長いつけまつげがレンズに障るからである。つまり、つけまつげの流行がレンズぬきのめがねを必要としたわけ。必要は発明の母というが、顔美人、眼美人の切ない願いが時代を物語る。
 同時に髪の工夫もこのごろはエレガントになってきた。ひところのどぎつい茶髪が影をひそめ、日本美人にふさわしく、黒髪をややソフトに、そして風にそよぐように肩のあたりまで伸ばして、一部は耳から頬の部分に揺らせている。
 問題はウエストであるが、昔から「細腰」とか「柳腰」とか、やさしさをこめて形容するが、戦前は健康的でないとされてきた。一つは和服時代だったので、美容上目立つこともなかった。むしろお産のためには歓迎しなかった。
 今は露出度の高い、線と流れに美容の方向が変わった。野郎どもの眼にまぶしさがつのる夏到来であり、大いにクールビズの美を発揮するがよい。【押谷盛利】

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2011年06月10日

残りもの休んでもらう

 残りもの「休んでもらふ」といひながら頭を垂れて捨つ峡の媼は。
 これは、ぼくの歌友の最近作の短歌である。
 「好日」という短歌誌の会員大会の分科会の席上、問題になった。この歌から何を想像するか、時代背景は?、などと議論しても、初句と2句が分らなくては話にならない。
 ぼくは、だれにでも分かる、と一人合点をしていたが、残りものの意味、休んでもらうが何を言っているのか、さっぱり分からんという人が案外多かったのでびっくりした。
 作者は旧伊吹村・板並区の室谷八重乃さんで、峡の媼とあるから自画像であろう。一寒村の年とった女性が、残りものを休んでもらおうとお辞儀して捨てたというのであるから、実情を知らなくとも、おおよそのことは分かるはずと思ったが、やはり生活環境や地域の違い、慣習やもの言いの違いなどあるから狭いようでも日本は広い。ぼくは室谷さんの住む村から山一つ西の旧上草野村出身だから、一首を詠んだとたん子供のころ聞いた親の言葉を思い出した。
 「残りもの」は、衣類や生活用具などの残りものではなく、食べものの残りもの。「休んでもらう」は、捨てること。食べものは命の源泉であるからそれを尊んでこう言った。せっかくの食べ物を捨てるのはもったいないが、日まちして、味が変わり、食べるには抵抗があるので「休んでもらいましょう」となるが、それにしても気が引ける。申しわけないという気持ちと、天からの授かりものである食べ物への感謝の心が入り交じったなんともいえない素朴な日本人の原風景が見られるようでなつかしかった。
 ご飯粒一つを粗末にしても「目が潰れるぞ、ご飯には菩薩さまが宿っておられる」と親からさとされたものである。
 夏になるとご飯が酸っぱくなるときがある。少しくらいは我慢するが糸を引くようになると食べられぬ。ぼくの母は水に漬けて臭いを消し、石臼で引いて糊にして、洗濯物の仕上げに使っていた。
 食べ物を捨てることはもってのほかというのが昔人間の気質だが、戦後の経済発展が消費ムードを起こして以来、捨てることが美徳とされる変な世の中になった。その延長線上に、あらゆるものの量産化時代と電力需要の革命的伸びが出現した。
 その意味では原発災害は人災といえるかもしれないし、花粉症もBSE(ウシ海綿状脳症)も人間による人間の被害である。
 大地と水と太陽の恵みによる農産物への心からなる感謝がいつごろからかなくなり、自然を畏敬する謙虚さを忘れてしまった。そう思えば思うほど「もったいない」の心と「休んでもらう」の尊い民俗的言葉をかみしめたい。【押谷盛利】

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2011年06月09日

長浜市議会を傍聴して(見聞録)

 昨8日、長浜市議会一般質問を傍聴した。気になるやり取りを二つ紹介したい。
 一つは、伊吹正弘議員と西尾孝之議員の発言。
 西尾議員は東日本大震災直後から被災地に入り支援活動を続けている。小紙でも何回かその活動を伝えた。幾度も被災者に手を差し伸べるその行動力に賛意を示す市民も多いはず。
 しかし、である。昨日の一般質問で、伊吹議員が浅井三姉妹博覧会の収益金を義援金として扱うのは「ナンセンス」と発言したことに、西尾議員が激高したのは残念だった。
 伊吹議員の言葉の真意は、博覧会の収益を安易に「義援金」として処分するのではなく、観光施策やまちづくりへの活用を訴えるものだった。
 「ナンセンス」発言に異論あり、との指摘は理解できる。しかし、伊吹議員に対し「お前はもう質問するな」と怒鳴り、議長の制止にも耳を貸さず、議場で大声を上げる直情的言動は許されて良いのか。
 市議の中で誰よりも熱心に被災地支援に取り組んできた西尾議員だけに「カチン」ときたのだろうが、伊吹議員の「ナンセンス」発言も政治家としての一つの考え方ではないか。
 結局、伊吹議員は「誤解を招いた」と発言を取り消したが、万一、市議会という公の場で議員個人の発言が、威圧的言動によってかき消されたとしたら、そこに議論の自由があるとは言いがたい。
◇もう一つは、旧虎姫町の市営住宅・改良住宅をめぐる問題。174戸に「不正入居の疑いあり」というのだから、その根は深そうだ。
 さらに深刻なのは、市当局から緊迫感がうかがえない点だ。3月の調査で不正入居の実態が明らかになったのに何の手も打たず、6月議会で「再度、調査する」との悠長な答弁。
 市のずさんな管理に付け込んで、市民財産を不正使用するルール違反者には、法的手段など強い姿勢で臨むことを願う。
 さらに、不正入居が旧虎姫町だけの問題なのか、藤井勇治市長を先頭に全市域での徹底調査を一市民として提言したい。

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2011年06月08日

母と子の恩愛のきずな

 母の日は過ぎたが、2人の娘が妻に贈った花が今も枯れずにいい香りを放っている。
 男の子は社会へ出ると家を忘れてしまうが、女の子は結婚してもせっせと親元へ顔を出す。女親の幸せは男の子より女の子にある、と世間ではいう。女は平安期の妻訪ひ婚を持ち出すまでもなく、もともと帰巣本能が強いが、男は逆に遊猟一途に生家を忘れ離れてゆく。
 ぼくの家の近くに保育園があるので子を送り迎えする若いお母さんの姿がたのもしい。子と手をつないだり、自転車に乗せたり、まるで母親のふところに抱かれている感じであり、いきいきと目が輝いている。父親は仕事の関係で構っていられぬのかもしれぬが男親の送り迎えは滅多にみられぬ。
 子はこの世に産まれるや、だれよりも先に母親に抱かれ、毎日おっぱいを飲んで育てられる。話のできない乳呑み児のころから母の意志や感情を知るのは触れあいの強さによる本能的叡智というべきかもしれない。体の抱擁はそのまま心の抱擁に昇化して母性の温みが全身的に子の成長を促してゆく。
 男はもともと巣作りには無縁で、子をもうける役割は全うしても子育ての一切は妻まかせである。7人の敵がいるという外界で奮戦苦闘するから子を抱く暇もゆとりもないのだろう。せっせと餌を運べば合格というのが一般家庭の父親だろう。
 そういう育ち方のなかで母との恩愛のきずなが山よりも高く、海よりも深くなってゆくのは当然である。ぼくの見渡す世間の若い夫婦をみれば、これは明らかに平成型と呼ばれるべき新家族風景が展開している。
 若い夫婦がマンションなどで一家を独立するのは極めて普通のことだが、その夫婦が男の実家へなびくか、女の実家へなびくかが問題である。見渡す限り、どこの若嫁もダンナの親元へは足を向けず、なんだかんだと自分の実家へ足を運ぶ。子ができたら孫を見せに一層里帰りが繁くなる。つられて若い夫も女房の親元へ顔を出す。
 夫は公務員であれ、会社員であれ、職業に関係なく自分の親のところへは無沙汰がちとなる。家の法事や親類の慶弔などで、女房に同行を促しても「私は行きません、貴方一人で行っていらっしゃい」と浩然と言い放つ。
 母という文字は、乳首をつけに女性を描いた象形文字で、子を産み育てる意味を含む。
 ぼくは短歌や俳句を趣味としているが、だれの作品にも必ず親が登場する。一番多いのは亡き親であるが、そのなかでも圧倒的に詠まれているのが母である。生きている間はもちろん、死後も母親を思い続けてゆく。魂胆あっての子育てではなく、真実一路の愛なればこそである。【押谷盛利】

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2011年06月07日

懐かしの南仏料理(見聞録)

 週末は仕事の息抜きの意味を込めて、月に2、3回、何かしら料理する。手の込んだのは苦手なので、煮込み料理など手軽なものがいい。
 先週末はブイヤベースを作った。フランスの地中海沿いの街マルセイユの名物で、日本で言う「魚すき」のようなものであろうか。
 魚介類と野菜、香草などを煮込むだけで、どう作っても美味しくできるのが嬉しいところ。
 たまねぎ、人参、パプリカ、セロリなどの野菜を細かく刻んでオリーブオイルで炒め、トマトと水を加えて煮込む。味付けは塩とコショウ。サフランで香りと色づけ。
 そこに焼き色を付けた白身魚やイカ、エビなどの魚介類を加え、火が通ったら、貝を加える。貝が開いたら完成だ。
 魚介と野菜のエキスたっぷりで、食欲をそそる夏料理。アイオリソース(ニンニクのすりおろしとマヨネーズと混ぜたもの)を付けたフランスパンをスープに浸して食べる。
◇1998年、南仏の街アルルでブイヤベースに出会った。古代ローマの劇場が残る田舎の古都で、ゴッホの「跳ね橋」やビゼーの組曲でも知られる。
 大学の卒業旅行を兼ねて単身同地を訪れた際、家族で切り盛りしている小さなレストランを訪れた。海に近いということもあり「魚のスープ」を注文したところ、出てきたのがブイヤベースだった。
 その新しい味覚との出会いに感動し、アルルの次に訪れた南仏の要塞都市カルカッソンヌでも、旅先の仲間とともにブイヤベースを楽しみ、プロヴァンス料理の味覚を分かち合った。
◇13年前の旅日記に目を通していると、ヨーロッパ各地で出会った料理について感想と共にレポートしていて、その新鮮な感動が懐かしい。
 今度の週末は何を作ろうかと、「男の週末クッキング」なる料理本をペラペラめくる。いろんな食文化に触れたいとの探究心からか、それとも人一倍食い意地が張っているからか。
 ただ、今までに出会った最高の味覚は湖北の「なれ寿司」。あの独特の味覚と香りは、どんなに疲れていても、食欲を呼び起してくれる。

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2011年06月06日

菅の完勝と小沢の敗北

 6月2日の菅おろし茶番劇は名優・小沢一郎と鳩山由紀夫が舞台で転け、首を狙われた敵役の菅が「お前さん方、道踏み外したらアカンぜよ」と心で笑って、ちゃんちゃん、と幕をおろして、ハイさようなら。
 これまで、ずるカン、アホカン、アカンたれ、と、くそみそに言われていたのにイタチの最後っぺではないが、今回は政治家の本領そのままに菅のカン勝が目立った。敵を思い切り懐にまで引き寄せ、どたん場で降参するように見せかけて、あっという間に包囲網を破ってしまった。2日の朝まで不信任案可決を本気で信じ、次期政権の段取りまでしていた反菅の武将どもは与野党を問わず、トンビに油揚をさらわれたようにけろっとして泣き顔をさらすていたらく。
 こんな菅の正体をつかみ得なかった小沢陣営と自民党の執行部は国民の前に欲に曇った頭の悪さをさらけ出した。ウソから出たマコトで、国民のため、被災地のため、といいカッコをしたが、本心は災害復旧と復興の巨大なカネがお目当てだった。
 今回の菅おろし劇は脚本も監督も主演も小沢一郎で、谷垣自民党はうまく乗せられて公明党まで巻き添えにした。大連合を匂わされて、しばらく遠ざかっていた政権への欲にまっとうな信条に泥を塗ってしまった。
 そもそも小沢の指示で菅おろしに気勢をあげていた連中は途中で解散風に風邪を引いていた。えらそうに永田町でタンカを切り、自分の党の党首をアホ扱いにしていた小沢グループと親小沢派は、何が何でも解散は避けたかった。不信任案が可決されれば、解散する、と菅の声はドスがきいていた。解散したら最大の被害者は小沢一派とその仲良しグループで、国民の「カネと政治」への痛憤は選挙を話にならぬくらい不利にするであろう。彼らは永田町では威張っているが、だれよりも選挙地盤でびびっていた。だから片手で菅包囲網を強化しつつ、別の手で、みちのくの災害を理由に選挙はできませんと手を打ってきた。
 今回の茶番劇はアホらしやの鐘が鳴ったが、このくだらない芝居に声援をしたマスコミの責任も問われよう。マスコミは新聞にテレビに、連日、小沢一郎を英雄扱いにして、彼の魂胆を外部から補佐するがごとく反カン記事をたれ流した。こういう報道を国民は何と見ていたか。実に苦々しく、永田町と国民の眼の段差にあきれ返っていたのではないか。
 かつての小沢の師・田中角栄の闇将軍ぶりをほうふつさせる扱いである。国民は「なんで?」と疑問に思い、次は、バカタレと怒りの心で茶番劇を見ていた。小沢一郎はカネと政治の疑惑で強制起訴されている身であり、いわば被告である。彼はかつての民主党代表であり、鳩山内閣での幹事長だった。
 しかし、検察から追われる立場になって、その政治姿勢や行動が批判され、遂に民主党から「党活動停止」の処分を受けている。党活動停止処分の身が党内の子分どもを動かして、倒閣運動を進めているという民主党の無秩序ぶりはお笑いぐさだが、けしからんのは起訴されている被告が政界をリードしている闇の部分である。
 共同通信社が2日、3日行った全国世論調査の結果を発表した。このうち首相や民主党執行部と対立してきた小沢一郎支持派議員の行動に対して「評価しない」の回答が89・4%も占めていた。これが国民の声であろう(敬称略)。【押谷盛利】

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2011年06月04日

公務員の給与削減(見聞録)

 地位と給与、福利厚生が安定している公務員はいつの間にか人気の就職口。加えて天下りの横行で、国民から「税金ドロボウ」の誹りを受けるなど風当たりは強い。
 そんな中、政府は震災復興財源とするため、3日、国家公務員の月給を役職に応じて5~10%削減する法案を国会に提出した。削減幅は課長級以上10%、課長補佐・係長級8%、係員級5%とし、25年度末まで実施する方針。自衛官については震災の復旧作業などを考慮し半年遅れで実施となる。
 ただ、野党が反対しており、法案が可決されるかは、微妙だ。
 もし、国家公務員の給与削減が実現すれば、地方公務員への影響も無視できない。地方公務員、例えば、滋賀県職員や長浜市職員、学校の先生などの給与は、県や市が決定権を持つが、国家公務員に準じた削減が求められることになるだろう。
 疑問なのは今回の法案に国会議員の報酬削減が含まれていないこと。閣僚や政務官は減額するが、それ以外の国会議員は従来の禄を食むようだが、国会議員も報酬カットで公務員と痛みを分かち合うべきではないのか。
 まして、この非常時に、大切な国会審議の場で政争を繰り返しているのだから。
◇いずれにせよ、公務員の給与削減が実現すれば、日ごろからその厚遇を批判している国民はいくらか溜飲を下げるだろう。
 しかし、政府は消費税10%案も着々と進めている。増税分を年金、医療、介護、子育ての社会保障に充てる方針で、こちらは公務員給与削減のような期限付きでなく、恒久増税だ。
 少子高齢化の進む日本で、社会保障制度の建て直しが緊急課題であるのは理解できる。だが、消費税増税の前に取り組むべき節税対策はあろうだろう、というのが国民の声だ。
 子ども手当、高校無料化、農家への戸別補償という散財の見直し、天下り規制はどうなっているのか。
 赤字を増やして、孫子に負担を押し付ける今の浪費政治を改めるのが先決問題だ。増税はそれからだろう。
◇国会議員は報酬を維持、国家公務員の給与削減は期限付き。節税など考えず、その挙句の消費税増税。震災復興そっちのけの政争。
 この政治災害はいったいいつ終息するのか。

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2011年06月03日

茶番劇の脚本と発想

 バカバカしい「政局茶番劇」は2日終わった。政界は一寸先は闇と言われるが、それは言葉を替えれば政治家の言葉はウソだらけというに尽きる。ウソから出たマコトという言葉があるが、今回のドラマで、政治家のギラギラした権力欲があぶり出された。
 このドラマ、最初からウサン臭い煙が立っていた。この際、国民は冷静にそのウサン臭さに注目し、ヤクザな政治を一新するほどの批判力を高めてもらいたい。ウサン臭い話を幾つか羅列しながら、今回のドタバタドラマの真相に迫りたい。
 ①東日本大震災を契機に菅おろしが竜巻のように風速を早めた。
 ②菅では復興できぬと自民党がいきり立ち始めた。
 ③復興のために民と自の大連合政権が当たるべきだの声が出始める。
 ④自民党の倒閣路線の鈍さが急激に菅おろしにハンドルを切り換え、党内で人気のない谷垣総裁を尻押しして、本気で大連合政権を夢見る派バツの親分衆の裏舞台が目立ち始めた。
 ⑤政治家や学者のなかで、原発事故を人災か天災かで対立する議論が出た。
 ⑥原発事故の被害や補償を東電の責任と、原発を推進した国の責任を問う両論がみられ、例えば枝野官房長官が「銀行は貸金を帳消しに」と東電責任論を言うや、これに反対する意見が続出する。
 ⑦東電は原発発足当時より財界に大きな地歩を占め、その莫大な資金力にものを言わせ政界の実力者に献金を続けてきた。
 ⑧政治家のなかで突出して深い関係のあったのは小沢一郎だった。
 ⑨今回のドラマの後段に登場した鳩山邦夫(無所属)、新党改革の舛添要一代表は菅おろし後の権力奪取で小沢路線と気脈が通じていた。
 ⑩小沢の最初の戦略は党内世論と野党の風圧による菅の自爆だったが、菅のねばり腰のため、実力打倒の「不信任案」に切りかえた。
 ⑪今回のドラマは終盤で監督や主役、脇役などを浮き上らせ、丸秘の脚本をばらしてしまった。
 ぼくがここまで書けば、賢明なる国民は脚本、監督、主役、脇役などドラマに参加のキャストを思い浮かべるであろう。筋書き通り進まず、菅おろし劇は国民の失笑のうちに幕をおろしたが、そもそもドラマ発想の震源は何か。「カネ」である。極めて抽象的表現だが、要するに災害対策、復旧復興の何十兆円という巨額のカネなのだ。
 「国家のため」なんて、ちゃんちゃらおかしいセリフはまっぴらごめんだよ。(敬称略)【押谷盛利】

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2011年06月02日

縄文人も津波を想定?(見聞録)

 仙台を訪れた際に手に入れた「河北新報」。その5月14日朝刊に興味深い記事があった。
 ほとんどの浜が大津波の被害を受けた東松島市宮古で、縄文時代の貝塚が密集する「里浜」が津波の直撃を免れたというもの。
 里浜は内湾に面したやや高台にあるため、被害は比較的小さかった。記事では、縄文人もその地の利を知っていた可能性があると指摘していた。
 というのも、里浜以外の周辺の浜にも縄文人が住んでいた遺構が見つかっているが、その遺構の分析から縄文人が周辺の浜から里浜に移り住んだことが分かっている。
 なぜ、貝を獲って暮らしていた縄文人がわざわざ高台にある里浜に移り住んだのか。
 専門家は縄文人が津波の危険性、里浜の安全性を認識していたとして、過去の歴史に学ぶ大切さを示唆した。
◇「原発銀座」と呼ばれる福井県の若狭湾は1586年の「天正大地震」で大津波に襲われ、多数の死者が発生していた―。最近の調査でこんな事実が明らかになった。
 これまで若狭湾では大きな津波は発生しないと言われ続け、電力会社も過去に大津波が発生した記録がないと説明してきた。
 そのため、各原発では発生するであろう津波の高さを、高浜原発で1・3㍍、美浜原発で1・6㍍としか想定してこなかった。
 福島原発事故後、津波の想定を9・5㍍上乗せし、水密扉への取り替えなど緊急的な浸水防止対策に取り組んでいるが、付け焼刃的処置とも受け取れ、いったいどれほどの効果があるのか。
 若狭湾で津波が発生した史実を踏まえ、原発銀座の危険性が問われるべきだろう。
◇科学技術は日々進歩しているが事故のリスクはゼロにはならない―。原子力安全・保安院の森下泰・地域原子力安全統括管理官は先日の長浜市議会研修でこう話した。
 その事故は、施設内の汚染にとどまる軽微なものか、それとも福島原発のような広大な大地を放射線で汚染するものなのか。万一、若狭湾で福島並みの原発事故が発生した場合、湖北地域に人は住めるのだろうか。

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2011年06月01日

大阪府知事と国歌・国旗

 大阪の橋下徹知事が教職員に君が代の起立斉唱を義務化する条例の成立をめざしているとき、偶然にも最高裁で「君が代の起立命令は思想・良心の自由に反しない」と判決した。
 ことの起こりは2004年(平成16年)の卒業式で、東京都立高校に勤めていた元教諭のS氏が校長の命に反して起立しなかったことから戒告処分された。07年に定年退職を前に嘱託として再雇用を申請したが採用されなかったため、校長の命令は憲法19条の思想・良心の自由に違反するとして訴えていた。
 最高裁は、「学校の式典での起立斉唱は慣例上の儀礼的な所作であり、国旗・国歌への敬意の表明である。国旗・国歌は法律で定められ、その扱いは学校指導要領に示されている。したがってS氏は公務員として職務命令に従わねばならぬ。命令は教育上の秩序を確保し、式典の円滑な進行を図るもの」、と合憲判決を下した。
 日の丸、君が代をめぐっては、過去にもしばしば校長の職務命令に反して処分されたり、処分取り消しの裁判を起こして係争中のものもあり、今回の最高裁の判断は極めて重く受け止められよう。
 それにしても橋下大阪府知事は信念と良識と実行力のまれにみるリーダーである。教育のあり方を憂い、「日本国民」の一人として、かつ、府政をあずかる責任ある地位の人間として当然のことながら、いままでだれも口にし、行動し得なかった条例化を宣言した。反対の府議が何人いるか、今後が注目されるが、与党の維新の会が過半数を占めている以上、可決されるにちがいない。国歌・国旗が法制化されたのは安倍内閣の功績であるが、本来は法律などによらず、国民こぞって祝意と敬意を表わすのが国民道徳ではないか。
 どこの国にも独立国としての誇りや愛国心はあるはず。「君が代」や「日の丸」はいわば日本の独立と日本人の誇り、あこがれの象徴である。強制されるべきものではなく、進んで掲揚し、斉唱するのが国民の倫理であるとぼくは思っている。ましてや、学校での儀式で、その尊厳を冒涜するような国旗降ろしや君が代反対をするような行為は教師として全くふさわしくない。そういう教師による反国家的教育が許されるなら、将来の日本の運命はどうなるのか。あくまでも反国歌、反国旗を思想・信条の自由として国民にアピールしようとするならば、教育界や公務員などの職を捨てて、政党なり、その他の結社、団体に属したり、自ら単独で広く国民に訴えればよい。言論も結社も政治活動もすべて自由なのがわが日本のありがたさである。
 それとも日本がいやならどこの国へ帰化してもいいのだから……。【押谷盛利】

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