滋賀夕刊新聞社は滋賀県長浜を中心に政治、経済、文化の情報をお届けする新聞です。



2011年05月31日

震災報道とぐだぐだ国政(見聞録)

 東日本大震災を地元紙はどう伝えたのか。先日、宮城県を訪れた際、仙台市に本社を置く「河北新報社」に出向き、震災直後の新聞を分けてもらった。
 同紙は東北地方で48万部を発行するブロック紙で、宮城県内ではシェア68%を誇る。地震で新聞制作システムが一時ダウンしたため、11日号外、12日朝刊の紙面制作は新潟日報社に委託し、印刷は予備電源を使い自社で行った。
 震災翌日の3月12日の朝刊は8ページ構成。1面と8面を繋げて「宮城震度7 大津波」の大見出しを上部に配置し、津波によって流される名取市の空撮写真を大きく掲載している。
 以降の朝刊1面の見出しは、「福島第1 建屋爆発」(13日)、「犠牲『万単位に』」(14日)、「核燃料 一時完全露出」(15日)、「高濃度放射能 漏出」(16日)、「福島第1 冷却作業難航」(17日)、「仙台港に救援物資」(18日)、「戦後最悪 死者6911人」(19日)と続く。
 徐々に明らかになる被害の全容と、深刻さを増す原発事故。今、再び紙面に目を通しても絶望感に襲われる。
 そんな中、3月13日朝刊に停電の病院で生まれた赤ちゃんの記事を母子の写真入りで紹介し、読者の心を和ませているのが嬉しい紙面構成。
◇さて、同紙の震災直後の社説は「被災地の一人一人の絶望に近い心情まで理解してほしいとは言わない。私たちが家族と心をつなぎ合わせ、近隣と手を差し伸べあって歩み出そうと、互いに意欲をかき立てるためには、国の力が不可欠である。きょうから行動力を見せてほしい」と訴えていた。
 しかし、今の国政は内閣不信任案をめぐる政争のまっただ中。この国の国会議員は果たして東北地方を、国民を見ているのだろうか。
 菅政権の「行き当たりばったり感」は言うまでもないが、なぜ、この非常事態に挙国一致となれないのだろうか。
 政権奪取間もないヨチヨチ歩きの民主党に課せられた日本復興という超難題。大先輩の自民党は、衆参ねじれを勘案して与党との大連立を模索しても良さそうなのだが、小沢一派と連動した内閣不信任案という愚策では…。
 足を引っ張り合うぐだぐだの政争をいつまで続けるつもりなのか。いっそ福島で青空国会でも開き、被災地の怒りに触れるといい。

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2011年05月30日

菅政権後の政局夜話

 菅さんの評判がすこぶる悪い。いつ倒れてもおかしくない状況である。今年の当初から世論調査の支持率は下がり続け、客観的には再浮上のきかないじり貧状態である。いうなれば「風前の灯火」である。
 墓参りをするたび、みんな経験することだが、ローソクに火を付け、お線香をあげようとすると意地悪く風が来て灯を消してしまう。再び火をつけるが風があるとまた消えてしまう。これが風前の灯火で、危機が迫って今にも滅びそうなことのたとえに登場する。
 じり貧は最後にパンクするが、菅内閣は揺れつつも意外に倒れない。倒れそうで倒れないのは相撲でいう二枚腰の強さだが、皮肉にもそれは菅さんの政治力ではなく、日本全土を悲しみの底に突き落とした東日本大震災による。
 国を挙げて復旧と復興に当たらねばならぬとき、政局騒ぎで時間とカネを浪費する愚は避けねば、とする国民の声が風の力を弱めているのは否めない。
 しかし、そういう何百年に1回という天災であればこそ、国民に支持された強い内閣で災害後の処理と復興に当たらねばならぬ、とする声も真実である。
 風前の灯火は消えるべくして、いまなお消えないのは、菅さんの力でも徳でもなく、与野党に通じる今の政界のレベルの低さによる。いわばその足元の弱さが逆に菅さんの狙いどころとなっている。吹けば飛ぶようなじり貧状の宰相に今日の日本の危機打解を託すのは国民の不幸であり、国家の損失である、とぼくは思う。
 ところが、政界は自己撞着に陥っており、与野党の議員は自己の延命にのみこだわって大局を見失っている。いまの政局が袋小路に入り、菅内閣は事実上アウトの宣言をされたような状況下でなお居座り続けていられるのは、はっきり言って、次の宰相候補がないからである。ポスト菅の存在しないことが菅の寿命を保持させているわけだが、それにもう一つ、政権交替を複雑にしているのが民主党の親小沢勢力である。
 やめろといってもやめないのなら不信任による強制的クビによらねばならない。かくして小沢一家は水面下で同志の誓約書を集めている。
 自民・公明の不信任案に小沢系が同調すれば中間派も加えて可決されようが、その後の総理候補を誰にするのか、一方の自民党は公明党との連携と、他の保守系野党の協力で、民主党の反菅勢力を糾合して政権交替を目論むが、ポスト菅にだれを用意するのか、順序でいえば谷垣総裁説であるが、自民党内の人気は谷垣氏に否定的である。
 不信任案をいいながら、次期総理の看板なしに進むのは暗夜に激流を渡るの愚でしかない。それに一部ではあるが、小沢待望論もある。もってのほかである。
 もし、国会議員に真に救国の大義を持つものがあれば、このさい、与野党を超えて政界再編成すべし。その新党の総裁をポスト菅にして、不信任案を可決し、新総裁、新総理による解散こそ王道である。【押谷盛利】

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2011年05月27日

大地震と大津波のこと

 この9月1日は関東大震災から数えて満88年になる。
 「天災は忘れたころに来る」は、物理学者・寺田寅彦の有名な言葉だが、3月11日の東日本大震災を機に、急に東海地震や南海地震など無気味な予測が現実味を帯びてきた。
 地震につきものの津波については、滋賀県は海洋に面しないため気にもしなかったが、今回のみちのく地震と津波による被害が原子力発電所の安全神話を根底からくつがえしたことで、県民の関心はいっせいに敦賀原発に注がれ始めた。
 長浜市の余呉は13㌔の近さにあり、万一の場合は南、西からの季節風の直撃によって、長浜、高島、米原、湖東方面への放射能汚染が心配される。藤井長浜市長が音頭をとって関係市長と福井県知事、敦賀市長らと原発の安全及び被害防止対策で協議したのは時宜を得たものであり、長浜市が県下初の原発対策室を設けたことも市民の安全を重視する積極姿勢として評価したい。
 ところで、三陸方面から伝えられる今回の災害は想像を絶する残酷さで、25日現在、死者1万5217人、行方不明8666人、避難者は10万3000人を超えている。ちなみに三陸沿岸はリアス式海岸といい、そそり立つ岸壁と奥深く湾入した港、点々と位置する島々など風光明媚な景勝地と豊かな海産物を誘っているが、反面、地震による津波を受けやすく、過去の歴史をさかのぼっても村を全滅させるほどの大きな津波が忘れたころに襲っている。
 今回もそうであるが、津波で村ごと流された地域で、新しい家を高台でと県や市から奨められても「海の見える近くの平地に住みたい」と固執する住民がいる。いっそのこと、津波の心配のない内陸部や他府県へ移住しては、との考えもあるが、賛成する人は少ない。
 やはり、長く先祖代々住みついた故郷は離れられない。日本人の土着性民族の特徴であり、その長い歴史と風土の中で培われてきた文化遺産というべきかもしれない。
 それにしても自然の力は大きく、すさまじい。科学や技術を妄信している人間をあっという間に叩き潰してします恐るべき力を持っている。人間の非力を素直に認めながら、いざというときの災害にどう向きあえばいいのか、一人一人が真剣に考える好機といえよう。
 ぼくは今、昭和45年(1970)に発刊された吉村昭著の「三陸海岸大津波」を読んでいるが、このなかに過去380年間に起った大小43例の三陸沿岸を襲った津波のうち9例はチリ津波と同じように南米に起った地震津波の余波であると記載されている。
 9例は①天正14年(1586)6月、②慶安4年(1651)③貞享4年(1687)9月、④享保15年(1730)5月、⑤宝暦元年(1751)5月、⑥天明年間(1781~89)、⑦天保8年(1837)⑧明治元年(1868)6月、⑨大正11年(1922)。
 以上の9例以外に超A級の大津波が明治から3件、次の通り記されている。
 ▽明治29年の大津波、死者2万6360名、流失家屋9879戸▽昭和8年の大津波、死者2995名、流失家屋4885戸▽昭和35年チリ地震津波死者105名。流失家屋1474戸。著者の吉村昭氏は昭和45年に、岩手県の早野幸太郎氏(当時87歳)に会って津波の経験を聞いている。早野氏は明治29年、昭和8年、昭和35年、昭和43年の大津波を経験している数少ない一人だが、こう語っている。
 「津波は時世が変わってもなくならない。必ず今後も襲ってくる。しかし、今の人たちは色々な方法で十分警戒しているから、死ぬ人はめったにないと思う」。
 吉村氏も早野氏も故人であるが、今回の三陸大津波の死者や行方不明の数の大きさに冥土でびっくりされているにちがいない。【押谷盛利】

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2011年05月26日

復興特需と被災地(見聞録)

 震災から2カ月以上が経過した被災地を訪れた。新幹線で仙台まで移動し、レンタカーで東松島市、石巻市、女川町などで津波被害を見て回った。
 仙台の市街地は復興特需に沸いている。市内のビジネスホテルはどこも満室で、粗末な部屋に1万円を払わされた。車をレンタルするにも予約がいっぱいで、あちこちに電話を掛けた。
 東北随一の歓楽街・国分町では、名物の牛タン専門店から夜の飲み屋まで、復興事業に携わる建設業者やボランティアで大賑わい。震災直後は電気もガスもなく商売どころではなかったが、今は東北地方の賑わいを一手に集めるような元気さがある。
◇しかし、仙台市街地から車を15分も走らせると、周辺の雰囲気が変わる。津波が流れ込んできたのだろう、道路脇に海水に浸かって使えなくなった家具や電化製品が詰まれている。
 石巻市の海辺の住宅地は完全に破壊されていた。道路だけはかろうじて確保されていたが、住宅街は手付かずの残骸のままの姿。海水の腐った臭いか、それとも魚の腐敗臭、漏れ出した下水なのか、悪臭が鼻を突き、砂埃もひどい。
 さらに車を海岸沿いに北へ走らせると、大津波に襲われた女川町。建物の屋上に自動車が引っかかり、ビルが横倒しになっている。
 高台にある町立病院は被害を免れていたが、それ以外はすべて津波に飲まれていた。写真を撮っていると、被災男性から「何もかも無くなってしまったでしょう。僕の車はあのビルの上に流されました」と声を掛けられた。20㍍に迫る大津波に襲われ、自宅裏の山に登って命は助かったが、家は基礎が残っているのみだった。
 さらに、海岸沿いに車を走らせると、小さな漁村の形跡に出会う。集落自体が消滅していて、いったいそこで何人程が暮らしを営んでいたのか、想像できない。学校は1階、2階ともに津波に流されていた。
 被災地の復興へは「手付かず」という表現が正しく思えるくらい、瓦礫の撤去が進んでいない。あちこちで重機が動いてはいるが、道路の確保がやっと、というところ。
◇1995年、学生時代に神戸市で阪神大震災を経験し、長田区や東灘区などの被災地の光景が今も脳裏に焼きついている。
 しかし、東北の被害は、それと比べようないくらい広範囲で、自然を前にした人間の無力さを物語るには十分だ。
 復興特需に沸く仙台市街地と、海辺の被災地との格差に複雑な思いにさせられると同時に、復興に計り知れない時間と労力が必要であることを痛感した。

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2011年05月25日

古里の思い出と草野川

 ぼくが子供時代の貧しい村の生活を書くと、信じられない思いで同情してくれる人があるが、当時はぼくの家だけでなく、どこの家も貧しかった。谷川を隔てて大きな家屋敷の親類があり、そこの息子と仲良しだったが、食べるものも着ているものもぼくと変わらなかった。
 金持ちの家ほどしまり屋が多く、うらやましいと思ったことはない。そのころは、食べ物でも着るものでも道具類でもすべてにわたり「だだくさにするな」とやかましかった。ものを大事に使って、お膳のものは残さずに食べよ。服や肌着は繕いながらいつまでも着なさい、といった調子である。肉は年に2回か3回。魚は月に1回ぐらいだったろうか。それも日まちした鰯が主で、夏は豊漁期の小鮎がタンパク源だった。
 子は親の作法を見習うというが、ぼくは今もイワシや大鮎は頭から骨のまま内臓まで全部食べる。教えられたわけではないが、カルシウム分をとっていたことになる。
 昭和の初期だから電話は集落に2戸か3戸くらい。新聞は10戸に1戸くらい。ラヂオは20戸に1戸くらいだった。もちろん、雑誌を買っている人は限られていた。都会へ出て働いている人は「キング」とか買っていたが、ぼくの家ではずっと、新聞もラヂオも無縁だった。
 ぼくは金持ちの息子から借りて講談社の文庫本を漁るように読みふけった。「猿飛佐助」「宮本武蔵」「伴団右ヱ門」「百地三太夫」「荒木又右ヱ門」「柳生十兵衛」など片っ端から読んだほか、友人の持っている少年クラブを隅から隅まで目を通しノラクロ漫画の大ファンだった。
 村の中央に草野川が流れていた。この川のおかげでコーチもなく一人前に水泳ができるようになった。橋の下に水深1・5㍍の窪みがあり、そこをダブと呼んでいたが、淵のことかもしれない。高山に観念寺淵、鍛冶屋の伊藤淵が一番よく利用されていた。ぼくは野瀬だぶで、小学校に入る前から水に浸かっていたが、先輩を見よう見まねで、高等科2年ごろには琵琶湖で500㍍ぐらい泳げる力がついていた。
 村の川では男も女も6年生ぐらいまではフリチンだった。水着なんてカッコイイものは都会から遊びに来ている、いいとこの子供ぐらいだった。唇を紫色にして遊んでいると祖母が怒って迎えに来た。
 「いつまでも浸かっているとガータに尻の穴を抜かれるほん」。
 ガータは河太郎のことで河童の異名だが、当時は何かしらぬが川にひそむ恐い生きもののように思っていた。川で覚えた水泳のお陰で、琵琶湖はもちろん、京都の踈水、甲子園、浜寺、東京へ出てからは鎌倉や厨子、江の島などの海水浴場で泳ぐことができた。
 あのころはオゾン層の破壊がなかったのか、夏休みは黒ん坊大会があって男はどこの子も真黒だった。だけど皮膚ガンの話は皆目聞かなかった。【押谷盛利】

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2011年05月24日

ネパールの教育環境(見聞録)

 教育後進国として知られるネパールは、学校運営を外国のODAやNGOに依存している。
 日本も官民挙げて教育支援に取り組んでいる。宝塚市の詩人・岸本康弘さん(73)もその1人。脳性麻痺による重度障害で左手足が動かない。家庭の事情で満足な教育を受けられなかったが、通信教育で高校、大学を卒業し、印刷業の傍ら詩人として活動している。
 ネパールを訪れた際、文字を読めない子どもの実態を知り、1997年、ネパール第2の都市ポカラに恵まれない子ども達のための授業料無料の学校を建設。岸本氏自身の稼ぎのほか、日本国内の支援者の手で、運営してきた。
 滋賀夕刊でも10年程前、岸本氏の支援活動に協力する長浜市民の姿を何度か取り上げた。
◇今、学校はどうなっているのだろうか。大阪市内にある支援団体の事務局に問い合せたところ、岸本氏の高齢化に伴って活動を縮小することになり、在籍していた生徒を周辺の学校に編入させ、授業料提供などの側面支援を行っているという。幸い、この10年余りの間にポカラにも学校が増えた。
 学校運営はあくまで岸本氏による「個人事業」であり、今後の事業の継続はないそうだ。「店じまい」の準備中というわけだ。
◇さて、小生が湖のほとりにあるポカラの街を訪れた際、自転車をレンタルして湖周辺をサイクリングした。舗装されているのは部分的で、未舗装のデコボコ道にお尻を痛めながら約1時間半、学校らしき建物が見えてきた。
 どんな授業が行われているのかと、覗いていると、先生が招き入れてくれた。エンジ色の袈裟を身に付けた子ども達の姿に、ここが仏教徒の小学校であることが分かった。
 子ども達は突然の来訪者を「ナマステ」と歓迎してくれ、写真を撮ったり、折り紙で鶴を折ったり、カロムに似たボードゲームで遊んだ。
 校内には寮があり、給食も出されていた。子ども達はひと通りの英語を話せ、教育環境に恵まれていることがうかがえた。しかし、ここも、外国の支援によって運営されている学校だった。
 貧富の格差、都市と地方の格差、身分格差などが教育レベルに直結する同国にあって、教育機会に恵まれない子ども達を救っているのは、外国の支援だ。
 ネパール第2の都市のポカラでさえ、学校運営に外国の手を借りなければならない。それほど、同国の教育財政は乏しいのだが、外国の支援に頼り切ることで、自立を妨げてはいまいか、とも危惧した。
◇同国は10年前に国王一家が暗殺され、今ようやく混迷期から抜け出しつつある。外国人観光客も戻ってきた。経済発展への道を「駆け上る」までは行かないが、豊かな生活を夢見て、国民は勉強と労働に励んでいる。
 ヒマラヤ山脈を畏怖し、ヒンズーと仏の教えを守り、隣人への温かさを大切にする。そしてハングリー精神あふれる勤勉さ。
 日本人が高度経済発展と共に置き忘れてきた大切な宝物を彼らは持っていると感じた。

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2011年05月23日

医者と薬と砂糖に無縁

 ぼくは昔人間だから日本の貧しい時代を知っている。それは昭和の初期で、80歳以上の人は、みんなそうであろうと思うが、特に農村や山村、漁村の暮らしは貧しかった。
 そのころの貧しさをいいながら、今の物余りのぜいたくな、便利な、電化時代について、「もったいなさすぎる」とこぼすことがある。若いものはそれを聞いて、「世の中が変わったんや、それについてゆけんと、もうろくする」と、はなから気にもしない。
 例えば、肉や魚や、油っこいものばかり食べるが、食べなければ栄養がとれないという。普段は番茶しか飲まなかったぼくの経験からは、今のような多彩な飲みものの洪水は信じられない。
 右を向いても左を向いても、ちょっとゆきすぎではないかと思うほど世間全体がぜいたく三昧になってしまった。甘いものは頭の働きによい。疲れをほぐす、ものをおいしく食べられる、といった調子で日々の食事からパンや飲み物に至るまでふんだんに砂糖や甘みを使う。菓子類に至ってはまるでだれが食うのか、どこぞにほかすのではないかと思われるほど店頭の至るところに目がつくし、新製品が開発されてゆく。
 ぼくの子供のころは、戸棚の奥に箱に入った白砂糖があった。大人達が「さんぼじろ」といっていた。普通は赤砂糖だったから上等なのだろうと思っていたが、その赤砂糖すらなめた記憶がないし、母が料理に使ったこともなかった。さんぼじろ「三盆白」は、赤砂糖を精白したもの。
 正月や祭の餅や団子に小豆を使ってアンをつくるが、そのときにどんな砂糖を使ったのか記憶がないが、ぼくが唯一、砂糖を覚えているのは、夏の暑い日、裏の山から出る冷たいしようず(清水)をヤカン(薬罐)に汲んできて、家族がそれに白砂糖を入れて飲んだことである・
 そのころはパンはなかったし、菓子類を買ってもらうことは一度もなかった。天長節(4月29日)に学校でもらった紅白の饅頭もすぐ食べずにアンを竹の皮に包んだりして、たもって食べた。煎餅や駄菓子を祖母がくれたが、おそらく親類からもらったものだろう。初めてビスケットを食べたときは、「おいしい」と強く印象づけられ今に思い出す。
 祖母が高熱を出して臥していたとき、京都から叔父が見舞いにきてパイナップルの缶詰をくれた。おしょんばん(お相伴)にそれを食べたときのうまさは忘れられない。ぼくは10歳前後のころ親父や母を助けて山仕事をしたことがある。炭山のしんどさは、後々、どんなことがあってもこれだけはしたくないと思ったほどである。朝飯と昼飯の間か、昼と夕暮れの間か、小昼という中間食をとるが、たいていは梅干、漬け物、飯で、食後のデザートなんてしゃれたものはなく、菓子や果物もなかった。そんな生活だから肉や魚を平日食べることは夢にだに思うことはなかった。
 それでも今のように健康な体を授かったし、一人前以上に学問する機会にも恵まれた。ぼくの親しい同級生(みな故人)は、ぼくの印象を次のようにのべていた。着物の袖がペカペカに光って、よう、鼻を垂れていた、と。袖で鼻汁をふくからその部分が乾いて光っていたのであろう。
 祖母は79歳、母(養母)は74歳で亡くなったが、長病みはしなかった。医者とクスリ、砂糖と美食に縁のない生涯だった。【押谷盛利】

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2011年05月21日

停電大国ネパール(見聞録)

 福島県の原発事故、静岡県の浜岡原発停止の影響で、今夏は全国で節電が求められている。東北や関東では計画停電も行われる気配で、企業活動や家庭生活に大きな影響を与えそうだ。
 先日訪れたネパールでは慢性的な電力不足から、毎日、計画停電が行われていた。
 同国の発電は、ほぼすべてがヒマラヤ山脈を利用した水力発電。その発電量は乏しく、天候に左右されやすい。
 計画停電は首都カトマンズも例外なく、地域を7グループに分けて実施していた。
 政府の発表する「パワー・カット・スケジュール」によると、例えば、きょう5月21日は、グループ1が午前5時から同9時までと、午後3時から同8時までの計9時間の停電。グループ5の場合は、午前9時から午後4時まで、午後8時から同11時までの計10時間になり、それこそ、日中は電気無しで過ごさなければならない。
 ただし、乾期の真っ只中の12月や1月には毎日12時間を超える停電が続く。
 加えて、計画にない突然の停電も日常的に発生する。
◇窓のない室内や通路は日中でも真っ暗になるから、対策が欠かせない。
 ホテルの室内には、停電時に自動でライトが点灯する電池式の照明が置いてあったり、ロウソクとマッチを用意している。
 外国人を相手にするような中級以上のホテルやレストランでは、発電機を備えているので、停電の心配はない。
 もっとも停電が生活の一部となっているネパール人は、突然、照明が落ちたところで、誰1人、右往左往することない。
◇ひるがえって日本は、エアコン、冷蔵庫、電子レンジ、テレビ、パソコンと生活のほとんどを電気に依存しながら、停電を想定した対策が一切とられていない。万一、停電すればニュースになる程だ。
 これまで電気エネルギーが無尽蔵だと勘違いしてきた日本人には、この夏の停電、節電は、電気の有難さと、エネルギー問題を考える良い機会となるのではないか。

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2011年05月20日

マゴワヤサシイ食事法

 ぼくが読んでいる「ビタミン・ミネラル革命」のなかで、著者の山田豊文杏林予防医学研究所長は、正しい食事の基本的な方法の一つとして「有害な疑いがあるものは口に入れない。基本的には化学物質が含まれた加工食品はすべて好ましくない」と認識すべきだと説いている。
 ここで参考になるのはアメリカ農務省が正しい食事の方法として提唱した七つの栄養学的ガイドラインが日本食にぴったりということである。
 七つの基本は「マゴワヤサシイ」でこれまでにも紹介されたことがあるが分かりやすいのでこれを実践することを奨める。
 マゴワヤサシイは食物の名の頭文字をとっており、その内容は以下の通り。
 「マ」―豆類。
 味噌、納豆、豆腐が代表的豆製品であるが、豆は十分な量のタンパク質を含んでいるから煮てもよし、焼いてもよし、脳にもよい。
 「ゴ」―ゴマ。
 ゴマやナッツには不飽和脂肪酸やビタミンE、レシチン、タンパク質が含まれる。ゴマに含まれるセサシンは強力な抗酸化物質である。
 「ワ」―ワカメ。
 ワカメ、昆布、のり、ひじきなどの海藻類は貴重なヨードの摂取源。海藻にはヨードのほか、カルシウム、マグネシウム、カリウム、鉄、ビタミンB群、その他が含まれているがとりすぎを避ける。
 「ヤ」―野菜類。
 日本では緑黄色野菜、淡色野菜、根菜などさまざまな調理法がある。ほうれん草など濃い緑の野菜や、にんじん、かぼちゃに含まれるベーターカロチンは汚染物質の害をなくし、肺ガンを予防する。コンニャク、にら、ねぎには重金属の害を減らす硫黄化合物が含まれている。キャベツやブロッコリーにはビタミンやフリーラジカルから体を守る植物化合物が含まれている。野菜は体をきれいにしたり、免疫力を高める物質が豊富に含まれ、野菜を多く食べる人にはガンや心臓病は無縁。
 「サ」―魚類。
 魚と貝類は必須アミノサンを含む良質のタンパク質源、ビタミンB群、亜鉛、鉄、セレニウム、銅も豊富。まるごと食べれば、骨に含まれているカルシウムや肝臓に含まれているビタミンAやDもとれる。魚は脳にもいいし、いわし、さば、さんまなど青魚に含まれる成分は学習能力を高めたり老人性痴呆症を予防する。
 「シ」―椎茸など茸類。
 きのこ類には免疫を高めたり、ガン細胞の増殖を制御する働きがありビタミンB群や食物繊維が含まれ脳の状態をよくする。
 「イ」―いも類。
 じゃがいも、さつまいも、さといも、ながいもなど種類は多い。じゃがいもにはビタミン、さつまいもにはカロチン、いも類は繊維が豊富に含まれる。
 「マゴワヤサシイ」の反対に望ましくない食品の語呂合わせは「オカハサンヤスメ」。
 「オ」はオムライス、「カ」はカレーライス、「ハ」はハンバーグ、「サン」はサンドイッチ、「ヤ」はヤキソバ、「ス」はスパゲティ、「メ」は目玉焼き。いずれも高脂肪、高カロリーで必要なビタミンとミネラルが不足する。(総合法令出版社刊・山田豊文著「ビタミン・ミネラル革命」参照)。【押谷盛利】

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2011年05月19日

ヒマラヤの展望台(見聞録)

 ヒマラヤ山脈を頂くネパールには、世界中から登山客が訪れる。
 経由地のタイ・バンコク空港からネパール・カトマンズ空港までの飛行機は、乗客の半数以上が日本人で、日本語のアナウンスまで流れた。それほど、日常的に日本人の利用が多いのだろう。
 ネパール政府は、大切な観光資源であり、国民が神聖視するヒマラヤ山脈を守るため、規制を設けている。
 例えば「登山」と「トレッキング」(山歩き)を区別し、登山は標高6000㍍以上の山々を、トレッキングはそれ以下を登ることを意味する。「登山」は神聖な山々を汚す行為であり、地元ではあまり歓迎されない。高額の入山料、許可証が必要となる。
 トレッキングは一般旅行者が気軽に楽しめ、観光振興の面から推奨されている。日本アルプスをはるかに上回る壮大なスケールの山歩きを満喫できるとあって、ネパールを訪れるほとんどの観光客がトレッキングを体験する。
 ゆえに、カトマンズ市内の旅行業者はツアー客の呼び込みに忙しく、外国人を見ると「トレッキング?」と声をかける。
 現地ではガイドやポーター付きの様々なツアーを企画し、1人からでも申し込める。日本国内であらかじめ頼めば10万円を超えるようなコースでも、現地の旅行業者で交渉すれば格段に安くなる。
◇小生は、旅行日数が限られていたことから、ヒマラヤ山脈の「展望台」として知られる高台の村、ナガルコットを訪れた。標高2100㍍に位置し、チョモランマ(英名エベレスト)など8000㍍級の山々を眺められるとあって、有数の観光スポットとなっている。
 首都カトマンズからは東へ35㌔の距離。路線バスに乗り、レンガと木で造られた古都バクタプルで乗り換えて、同地を目指す。
 バスはネパール庶民の生活の足。一応、バス停はあるが、どこにでも停まる。車掌が乗降口から体を乗り出して、行き先を連呼し、反応のあった客を乗せてゆく。ゆえに、市街地を走る場合、急発進、急ブレーキの連続となる。
 バクタプルで、バスに乗り換えようとしたところすでに満席で、屋根の上に乗るはめに。屋根には鉄格子が取り付けてあるので、それに手や足を引っ掛けて、体を固定する。のんびりとした山道と風が気持ちいい。
 屋根の乗客と片言の英語やデジタルカメラの画像でコミュニケーションしながら1時間半、ナガルコットの村に到着する。ヒマラヤ山脈の雄姿は雲に遮られ、その眺望を楽しむことはできなかった。しかし、眼下に広がる段々畑の牧歌的風景が心に残った。

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2011年05月18日

病人だらけの今の日本

 日本は病人だらけで、国民はクスリ漬けとなっている、とよく言われる。それを証拠立てるように薬局がわんさと増え、病院や開業医のほかに接骨、整体、療育、マッサージ関係の民間業者も多い。なにしろ子供には関係ないと思われていた歯科や耳鼻科まで幼児の患者が目立つご時世である。
 われわれの周辺を眺めても病気ではないはずなのに、肩こり、いらいら、不眠、頭痛、腰痛、鬱、疲労感などで、すっきりしない日が続くと悩んでいる人が多い。
 厚労省の平成20年度の国民医療費の統計によると、国民医療費は34兆8084億円で、10年前の平成10年度の29兆5823億円と比べ、約5兆円の増で一年に5000億円ずつ増えている。さらに逆上れば平成元年度は19兆7000万円。この20年間で実に15兆円も増えた勘定になる。
 当然ながら人口一人当たりの国民医療費もうなぎ上りに増えている。平成元年度の16万円が、10年度には約23万円。20年度は27万円で、一人当たり11万円も増えている。昭和30年の2万7000円に比べれば、実に10倍もの上昇である。
 文化や衛生思想が進み、保健教育や保健環境の向上に国の政治がシフトされているにも拘らず、数字の上では明らかに病人国家の実態が証明されている。
 いったいこれはどういうことか。心ある医療関係者は警告し、評論家やメディアのなかにも憂いを訴えている人が多いが、馬耳東風といっていいのか、政治も国民も無関心すぎる。
 ぼくがしつこいほど健康について書くのは、国民医療費を減らすという悲願もさることながら、少しでも読んでもらって健康で幸せ生活を願っているからである。
 予防医学研究の権威、山田豊文博士はその著「ビタミン・ミネラル革命」のなかで、ホルモン分泌、血液の流れ、免疫、神経の伝達など生命維持に必要な働きを「生命現象」と呼び、その働きが悪くなったときに体調が悪くなる、と説き、生命現象が最高に働いている理想的な健康状態をスーパーヘルスと名づけている。これは糖尿病や慢性胃炎のような病気を予防できるだけでなく、疲れなどの状態のない本当の健康を実現できるという。
 同博士は、スーパーヘルスの実現のため、また何の病気にせよ、その病気を克服するためには最低次のことが必要と訴えている。
 ①規則的な生活②嗜好品や食品に沈溺しない(たばこは吸わない)③適度な運動④ストレスに対処するため気持ちの持ち方を前向きに⑤きれいな水を飲む⑥食生活を健全な状態に⑦不足した栄養素を補助する⑧体内中の有害物質の排除⑨個人の特性に合わせた栄養プログラム⑩体質改善のために必要な副作用のない処置。【押谷盛利】

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2011年05月17日

ネパール発、食文化考(見聞録)

 先日訪れたネパールでは、どこかにお邪魔した際、あいさつ替わりに紅茶「チャー」でもてなしてくれた。この習慣は、ホテル、旅行代理店、土産屋だけでなく、一般家庭でも。もちろん、美味しく頂くだけで、「飲んだら契約しろ」「土産を買え」「代金を払え」なんてことはない。
 香辛料の入った「マサラ・ティー」を、牛乳で煮出したミルクティーが特に美味しい。
 ネパール庶民の食べる定番料理は「ダルバート・タルカリ」と呼ばれる定食。「ダル」は豆スープ、「バート」はご飯、「タルカリ」はおかずを意味する。
 お皿にご飯がこんもりと盛られ、ダル、漬物、野菜、カレーなどが添えられる。食べ方はご飯にダルをかけ、おかずと混ぜ合わせる。香辛料が味のアクセントとなる。
 「不浄」とされる左手を使わず、右手の指先だけを器用に使って食べるのがネパール流だが、外国人にはフォークやスプーンを出してくれる。安い店では100円あれば食べられる。
 ビールはネパールの物価で比較すると安くはなく200~300円程度。
◇さて、この庶民の味ダルバートをレストランで注文すると、必ず「ベジ?」「ノン・ベジ?」と尋ねられる。
 「ベジ」はベジタリアン定食を指し、「ノン・ベジ」はベジタリアンではない、肉入り定食を意味し、「どちらにしますか?」と客に聞くわけだ。
 「ベジタリアン」なんて表現は、健康志向の欧米人しか使わないと考えていたので、アジアの奥地で出会ったことに、最初は違和感を感じた。
 ヒンズー教や仏教の色濃いネパールでは、殺生が禁じられているゆえ、肉料理を日常的に食べる習慣はないという。年に何回か、お祝いの際に食べるそうだ。
 食生活に無頓着で、「美味しい」と聞けば生肉でも平気で食べる美食大国の日本とは大違い。
◇食生活が宗教によって規制されるのは、世界では一般的だ。
 例えば、ヒンズー教では神聖な牛を、イスラム教では不浄なブタを食さず、飲酒もしない。ユダヤ教では脊椎やウロコのない生物、例えばカニやエビ、タコ、ウナギは禁じられている。ウナギについては近年の研究で微量ながらウロコがあることが判明したため、今後、どうなるか。
 仏教にも「不殺生戒」があり、肉食を避けて精進料理を食すのが、敬虔な仏教徒の姿なのかもしれない。
◇「4本足は机以外、羽の生えたものは飛行機以外、水中なら潜水艦以外」とのジョークがあるほど、豊かな食文化を持つ中国には一歩譲るとして、それでも日本人はあらゆる物を食す。生肉、生魚、生卵を食べる習慣も世界では珍しい。
 寛容すぎる食文化が日本人にとって良いのか悪いのかは別にして、乱れた食生活が生活習慣病の原因となる昨今、宗教にあるような指針が欲しいところではある。

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2011年05月16日

胴の長い日本人の体質

 ユッケの食中毒が死をもたらすほど重症化している点が問題視されている。
 これまでのO157の菌よりも毒性が強いわけだが、ユッケ中毒についていえば、なぜ、本場の韓国では事故が発生しないのだろうか、という疑問がある。簡単に言えば韓国と日本の食事生活の違いとそれが遺伝子や体質に影響している。
 極端な例を上げれば人間と犬の違いが分かりやすい。犬は生食で、なんでも食べる。腐敗しているものでも平気で食うが、中毒症を知らない。何万年、何十万年の長い彼らの食生活の中で自然を生きる強い体質の遺伝子を持ったといえよう。
 杏林予防医学研究所長・山田豊文博士は、その著書「ビタミン・ミネラル革命」のなかで、日本人の体質の変化は自然の適応を忘れた食生活の欧米化によると指摘している。
 具体的には、この60年間に米の供給量が2分の1も減っているのに対して、小麦、果実、鶏卵、魚介類などが倍近くか、倍以上に増えており、肉類16倍、乳製品28倍、油脂類19倍という伸びを示している。
 アメリカでは70年代に高脂肪の食事がアメリカ人を成人病に追い込んでいるという調査結果のレポートにより、脂肪を減らし、魚や野菜を食べることを食生活上の指針としたが、日本では何の問題視もされず、逆に食生活は欧米型に向かっている。
 山田博士は「自然の適応という法則を守っていれば、健康と長寿を約束されている」と説く。以下、博士の説を紹介する。
 人間の体の仕組みは人類の誕生以来変わっていない。人類は寒いところや暑いところに分布し、それぞれの環境に適応する肌や顔、骨格、臓器などを作る遺伝子を獲得してきた。また、生まれた土地を離れることはほとんどないから、その土地でとれる食物を効果的に利用できる代謝の仕組みを変えていった。
 近年オゾン層の破壊が進み皮膚ガンが増えている。移住によりオーストラリアやカリフォルニアなど日射量の多い地に住むようになった白人は、もともとそこに住んでいた人よりも何倍も高い確率で皮膚ガンになる。オーストラリアやアメリカの社会構造は現代では白人主流だが、白人がもともとその土地に適応しにくい体質だったことに原因がある。
 黒人の皮膚は強い紫外線に耐えられるようにメラニン色素が多く、基礎代謝が高いため酵素を取り入れられるよう鼻孔が大きく開いている。白人は寒いところでも紫外線を吸収してビタミンDを作るのに都合の良い白い皮膚と金髪をしている。また冷気を通さないため鼻孔は狭く閉じている。スウェーデンなど北欧での日光浴は、くる病(骨が弱くなる病気)を防ぐための健康法だが、オーストラリアでの日光浴は自殺行為となる。
 それと同じく、もともと米、野菜、豆、小魚主体の食事をしていた日本人が、肉や牛乳、バターなどを以前の何倍も食べはじめるということは、遺伝子の仕組みや適応性を無視した自殺行為といえる。
 日本人は戦前まで動物性食品をほとんどとることがなかったため、タンパク質分解能力が弱く、高タンパク質をとると腸内に未消化のタンパク質が残る。これは人間にとって毒であり、胴の短い欧米人はそれを速く排出できるが、日本人は植物性食品を消化するのに適した長い胴をしているため、それだけ長い時間、腸内に腐敗産物がとどまる、したがって肉や脂肪分をとる量が多く、便秘がちになる人ほど大腸ガンになる確率も高くなる。(山田豊文著「ビタミン・ミネラルに革命」―総合法令出版社発行参照)【押谷盛利】

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2011年05月13日

森鴎外と脚気の話

 脚気を知っているか、と問うても若い人は知らない。
 病気かなと漠然と答えたA君は病院で椅子に腰掛けて膝の上を軽く叩かれたのを思い出したが、それが病気と、どう関係するのか、分からないと答えた。B君は、足を右から左へ組んで膝の上を叩くと組んだ足がぴょんと上がるので、それが面白くて小学校時代に友人とよく遊んだ。あれを脚気というのか、よく分からないが、なぜか名前だけは記憶している、という。
 今からペンを進めるのは脚気が目的ではないが、明治時代の陸軍軍医総監・森鴎外(作家)と脚気にまつわる面白い話を知ったので、それを紹介しつつ食べ物と病気について考えたい。
 ぼくが読んでいる本に杏林予防医学研究所長・山田豊文博士の著書「ビタミン・ミネラル革命」がある。同氏は分子栄養学の権威で、予防医学の面から「クスリに頼るな。病気になるのは食事から。病気を治すのも食事から…」と耳の痛い話や、子や孫に教えたい内容が書かれている。
 脚気はビタミンB1の欠乏により起こる病気で、倦怠感、手足のしびれ、むくみなどから始まり、末梢神経の麻痺や心臓衰弱になり、命を落とすことがある。かつて日本で国民病とされた(大辞泉参照)。
 明治時代の軍隊で白米を1日6合を給するようになってから、脚気という病気が蔓延し、死者があとを絶たなかった。海軍では高木兼寛、陸軍では森鴎外の2人の軍医が脚気の治療と対策を担当した。
 ドイツで医学を学んだ鴎外は、脚気の原因を細菌だと考え、抗菌剤の研究に没頭した。一方、イギリスで実用的な医学を学んだ高木兼寛は白米に不足した栄養素を補うため兵士たちに麦飯の食事を出した。
 森鴎外は麦飯なんかで病気が治るかと、せせら笑ったが、日露戦争が始まり、陸軍では2万7000人も脚気による死者を出した。しかし麦飯を食べた海軍では死者をわずかにとどめることができ、軍の最高司令により軍隊では麦飯を支給するよう義務づけられた。
 脚気は玄米の糠の部分に含まれるビタミンB1の不足で起きることが明らかになったのは昭和の初めで、すでに両軍医は他界していた。
 山田博士は、一昔前と比べるとわれわれの周りはあまりにも異常が増えていると嘆く。
 小学校や中学に通っていたときには同級生でアレルギーの子はいなかった。老人性痴呆症も一つの村に1人しかいなかったぐらいだったが、今は7戸に1件の家庭にいるという。プロ野球の世界でも昭和30年ごろの投手、金田、稲尾、半田などはいまでは信じられないくらい連投を続けることができたが、いまの投手は中4~5日空けないと肩を壊してしまう。
 わずか20数年ほどの間に何が起こったのか、なぜ、私たちの体はこんなに弱くなったのか、家庭や職場、学校などの社会環境は、快適になり、プロ野球の現場でも優れた設備が整っている。トレーニング法や技術、医療が低下したのではなく、私たちの体が弱くなってしまったのだ。こうなってしまったのも、この20数年間に起こった食べ物の変化、有害物質の増加などによって、体が正常に機能できなくなったからだ。
 食事により栄養素を充実しているかどうかは、その日の体調に最も顕著に現れる。食事の内容が悪いことで昼間眠たくなったり、意欲的になれなかったりするし、体調のよしあしは仕事の能率に影響する。多くの人は栄養素が十分とれていなかったり、自分の体調をよくする方法を知らないだけで大変損をしている。
 食べ物は栄養として取り入れ、体を作り、また体を動かすためのエネルギーを生産する。食べ物には栄養に富んだものもあれば、ただおいしいだけで、栄養が含まれていないのもあり、ご飯、パン、肉、魚、野菜などのありふれた食べ物も、それをいつ食べるのか、またどのような組み合わせで食べるかによって体が受ける影響は違ってくる。(つづく)【押谷盛利】

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2011年05月12日

ヒンズー教の神様と死生観(見聞録)

 キリスト教、イスラム教に次ぎ、世界で3番目に信者の多いヒンズー教は、主にネパールとインドで信仰されている。ネパールでは国民の8割がその信者だ。
 多神教ゆえに神様は多様で、街角にはあちこちに像や祠があり、神様を祀っている。いったい、いつからそこにあるのか、参拝者の手によって磨り減り、形が分からない像も少なくない。
◇ヒンズー教の神様は日本人に馴染みのないように思えるが、意外に接点がある。
 最も有名な神様は「シヴァ神」だろう。宇宙の破壊と創造を司る。シヴァ神の乗り物が牛ゆえに、ヒンズー教徒は牛を神聖視し、食することもない。街中を野良牛が闊歩する原因だ。
 このシヴァ神に、宇宙維持の「ヴィシュヌ神」、宇宙創造の「ブラフマー神」を加えたのが3大神。このほか、鳥に似た「ガルーダ」、象の顔を持つ「ガネーシャ」が有名だろう。
 神様はそれぞれ化身を持ち、例えばシヴァの化身「マハーカーラ」は日本語名で大黒天。
 仏教の開祖で、ネパール生まれの釈迦は、ヴィシュヌ神の化身だ。また、ブラフマー神の妃「サラスワティー」は日本名で弁才天。
 七福神の大黒天、弁才天だけでなく、毘沙門天もヒンズーの神様。
 ヒンズーの神様と、仏教の仏様の世界が重なりながら、日本の神様に深い影響を与えている。日本の宗教伝来のルーツを探るヒントがたくさん隠されていそうだ。
◇ヒンズー教の特徴に、川を神聖視する河川崇拝がある。
 カトマンズにあるネパール最大のヒンズー教寺院「パシュパティナート」もガンジス川の支流に立つ。シヴァ神を祀り、1500年以上も昔から巡礼地となっている。川のほとりには火葬台が並び、ヒンズー教徒にとって神聖な川に遺灰を流すことが死の迎え方のひとつとなっている。
 積み上げた薪の上に黄色の布で包まれた遺体が運ばれ、上から藁をかけて火を付ける。故人を灰に帰すと、そのまま川に落とす。
 遺族が火葬台のそばで様子を見守り、対岸では地元ネパール人や観光客らが見物。川では子ども達が遊び、火葬直前に投げ込まれた故人の衣服を拾い集める子どももいた。
 衆人監視の火葬というスタイルに、遺族が部外者の目を気にする様子は皆無だった。輪廻転生の教えがあるヒンズー教徒にとって、人の死は永遠の生命の一部であり、死者の数だけ新しい誕生があると信じている。ゆえに死は忌諱するものではないようだ。
 幾筋にも立ち上る煙と異臭のパシュパティナートで、ヒンズーの宗教観に触れた気がした。

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2011年05月11日

医食同源と国民の健康

 「医食同源」という言葉がある。
 医は医療の医で病気をなおすこと。食は食べ物のこと。分かりやすく言えば、医療と食べ物の根は一つ、という意味。もっと分かりやすく言えば食べ物はクスリでもあり、毒でもあるということ。
 国民みんなが医食同源の真の意味を理解し、自らの健康を大切にすれば今日のような病人国家にはならなかったはず。
 文明の先走りで、おちょこちょいの日本人は、好きなものに目がくらみ、倦きることを知らないから次から次へと新しい食品文化を考える。
 いっさいを「うまいもの」に集約するから美食が美徳となり、飽食が国民性になってしまった。その結果は健康上の破産だが、そこにまやかしの医療神話が流れ始めた。
 「病気は医師と薬で治る」。これが日本人を不幸のどん底におとし入れている医療神話である。
 それは、麻薬を思わせるほどの実に恐ろしい思い込みで、日本国中、病院、診療所、保健所、福祉施設を含め病人を相手とする産業が乱立することになった。そして、その病人用のクスリ屋がまた至るところに店を張るようになった。
 なんのことはない。「悪くなったって平気、病院があるから、クスリがあるから」、といった医薬盲信の国民的風土が形成されてしまった。本来は、食べ物のなかに栄養やクスリ分が存在しているはずなのに、その食べ物の健康的知恵や伝統をないがしろにして、美食一辺倒、外食依存、調理放棄の手抜きメニューが大勢を占めるようになり、たちまち病人およびその予備軍を溢れさせる結果を招来した。
 例えば野菜は天の恵み、地の恵みを受けて人間の生命に役立つ栄養分をもたらしてくれるのに、このごろは露地栽培ならぬ、ハウス栽培ものが盛んで、冬や春に夏作のトマト、キュウリ、ナスなどを食べる。極端なのは土を用いることのない水耕栽培で、水とクスリで作物を育ててゆく。
 他方、病害虫を防ぐべく農薬をフルに使用し、水産物においては養殖の魚介類に抗生物質や成育剤、色素剤などを用いて反自然の好ましからざる食品を市場に出す。
 日本国内にどれだけ多くの化学肥料、農薬類が使われているのか。あえて消費庁が数字でもって警鐘を打つことをしないが、これら化学産業の食品に与えるマイナス効果は恐ろしいほどで、そのしわよせが全国に満ち溢れる病人とその予備軍になってゆく。
 それどころか、体に悪いといわれながらもタバコをやめなかったり、今回問題を起した生肉ユッケ騒動にもつながり、さらにその病根をさかのぼれば官僚と政治家、ご用学者、製薬会社の癒着にまでつながってゆく。
 いつもぼくがいうように健康は最大の幸福の因である。自分の体は自分で守る。医食同源を自らのものとしてクスリや医の呪詛から解放されることを望む。【押谷盛利】

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2011年05月10日

ヒマラヤ山脈の麓で(見聞録)

 先日、ネパールに出掛けた。日本からの直行便は無く、タイ・バンコク経由で5泊6日の小旅行。
 ネパールはインドと中国チベット自治区に挟まれた東西に細長い国。ヒマラヤ山脈が連なり、世界中から登山客が集結する。
 世界最貧国の一つとしても知られ、教育の遅れ、識字率の低さなどから、日本ではNGO、NPOによる支援活動が盛んだ。
◇在ネパール日本国大使館のデータによると、面積は14・7万平方㌔で、北海道の約1・8倍。人口は推計で2643万人。正確な数値を出せず「推計」とするところが、この国の実情を側面から示している。国家予算は37・19億ドル(2975億円)に過ぎない。
 労働人口の約7割が農業に従事し、米、麦、トウモロコシなどを栽培している。都市部を除くと、自給自足の生活者も多く、平均年収は1000㌦(1㌦=80円)を下回る。
◇登山の入り口となる風光明媚な街ポカラで出会った男性(32)。6人兄弟姉妹の末っ子で、トレッキングのガイドと簡素な土産屋で生計を立てている。兄2人は中東とヨーロッパへ出稼ぎ。これといった産業がないため、農地を持たない者は、外国へ出稼ぎに行くしかないという。
 彼は日本人相手の登山ガイドを目指し、日本人観光客を見つけては語学勉強中。いつか日本に行きたいと話すが、資金面や日本側での受け入れから難度は高い。
 同国の出稼ぎ労働者は20万人を超え、送金額は国内総生産の2割を超えるというから、出稼ぎが一大産業となっている。
 日本でもインド料理店やアジア料理店で働いている出稼ぎネパール人をよく見かける。
◇ヒマラヤを抱える同国には年間50万人を超える観光客が訪れる。
 それゆえだろうか、首都カトマンズやポカラでは、英語が通じないことが無かった。
 「識字率」という聞き慣れない言葉が持ち出される程、教育環境の整備が遅れていながらも、同国では小学1年生から英語教育が必須となっており、小さな子どもでも英語を話す。ただし、これは教育環境に恵まれた都市部に限られていると推測する。
 英語以上に驚かされたのは、日本語を話せるネパール人が多いこと。世界の観光地では当り前のことだが、ネパール人は流暢。日本から訪れる年間2万人の観光客に、裕福な生活を夢見て、語学勉強に励む若者が多いそうだ。
◇国民は8割がヒンズー教徒。華やかなサリーを身に付けた女性が街中を彩り、野良牛が路地に捨てられた残飯をあさる。一方で、釈迦の生誕地を抱える同国には、チベット系を中心に仏教徒も1割を占め、ヒンズー寺院と仏塔が混在する。
 南アジアの混沌としたエキスに溢れながらも優しく人懐っこいネパールの風土をレポートしたい。

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2011年05月09日

ユッケ騒動と食習慣

 いま、ユッケ騒動が注目されている。焼肉店でユッケを食べた客が食中毒で死亡したり、重症になっている事件である。
 富山、福井、神奈川などで8日現在患者数は100人、うち重症が24人。すでに4人が死亡しているが、これからは気温が上がり、食中毒の季節に入るから、お互い、食べ物の衛生については慎重の上にも慎重、神経過ぎるくらいの用心にこしたことはない。
 突然、ニュースに躍り出たから、焼き肉はともかく、生肉に無縁の人は「ユッケ」と聞いても、それが何を意味しているのか、言葉自体を知らぬ人がいる。念のため大辞泉を引くと「ユッケ(朝鮮語)、朝鮮料理の一つ。牛肉の赤身を細かくたたき、醤油、ごま油、砂糖、ニンニクなどで調味して盛り、中央に卵黄をのせたもの」、と説明している。
 どういうわけか、子供が喜ぶ。本場の朝鮮料理ではこってりと唐辛子を使うが子供用に辛味はつけない。生魚、生肉、生野菜など火を通さずに食べるのを好む人があるが、日本人の多くは伝統的に生食を避けている。例外としては刺し身を喜ぶが、これも昔は「なます」と言って酢で和えて食べた。
 農家が自家用に飼っている鶏を料理するとき、抱き身といってモモ肉の柔らかい部分を切り取って、それを刺し身のように食べる習慣があるが市販の鶏肉を生食することはない。「馬刺し」といって馬肉を生食するメニューがあり、一般にだれもが喜ぶものではなく、一種の「げてもの食い」に類する。
 韓国でユッケ騒動の起こらないのを不思議に思う人があるかもしれないが、これは食習慣による遺伝子によるものといえよう。
 寒い国は平均して油っこいものや肉食を摂る率が高いが、さらにニンニクや唐辛子をふんだんに使う。ニンニクや唐辛子が食中毒を起こす菌(微生物)を殺菌する効果があるのだ。日本人の喜ぶ「山椒」の実は毒消しとして重宝され、体内の回虫を殺す。
 ぼくは大学時代に、学生街の飯屋を利用したが、その都度強烈な唐辛子に辟易したことを思い出す。界隈には朝鮮人学生が多く、その影響で若もの向きにニンニクや唐辛子が調味されていた。そういう民族的な食習慣の伝統が食中毒に強い体質を長年月の間に形成したのではないか。いわば食中毒に強い遺伝子を持っているのであろう。
 日本人は、とおく縄文時代は河川や、野や山、海からの自然そのものを摂取して、それを食べてきたが、弥生期以後は稲作文化が入り、生食習慣を取り入れることはなかった。
 しかし、食べ物は調理によって美味にもなり、健康にも役立つので、長い年月の間に日本人は日本人らしい食文化を育てた。
 それは日本の風土とも関係し、日本の自然環境、生物とも調和し、日本人向けの日本人にぴったりの食文化といっていい。その土台を忘れて、いたずらに洋風化したり、韓国料理、その他に走りすぎると、今回のような思わぬ落とし穴に泣くことになる。
 世間には昔から「げてもの食い」といって、人の食わないものを喜ぶ人もあり、ついでながら「河豚は食いたし、命は惜しし」の言葉も吟味したい。【押谷盛利】

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2011年05月07日

GW観光と食の安全(見聞録)

 大震災から、間もなく2カ月を迎えようとしている。GWは自粛ムードを漂わせながらも、各地の行楽地は賑わっている。
 長浜市で開かれている浅井三姉妹博覧会には4月29日から5月5日までの1週間で5万人を超える観光客が訪れた。駐車場には関東ナンバーの車が目立ち、東日本を避けて西日本に訪れているようだ。
◇GW期間中の海外旅行客は例年に比べ2割減にとどまっているが、連休以外は激減し、航空会社や旅行業者の痛手となっている。
 例えばタイ国際航空はGWこそ満席に近い搭乗率だったが、震災以降、月間6億バーツ(1バーツ=2・65円)程度の減収で、日本路線を週7便減らして52便にした。それでも「客席が半分も埋まっていない」(同社社長)という。
 GW後に再び下降線をたどるのは必至で、同社では料金値下げを検討している。
◇また、GWに発行されたタイ日本語紙「バンコク週報」によると、福島原発事故の影響で日本食レストランの売上に被害が出ている。日本食材の安全性が問われ、輸入手続きに時間がかかっているうえ、日本人観光客の減少が直撃している。
 日本大使館と日本貿易振興機構(ジェトロ)は4月下旬に現地で説明会を開いた。出席した日本食材輸入業者やマスコミからは食品の安全性や輸入手続きの効率化などが問われ、大鷹公使は「食の安全に厳しい日本人が食べているものがタイに輸入される。安全でない訳がありません」と、力説した。
 しかし、GWのさなか、日本では生肉食中毒事件が発生し、死者4人を出した。安さだけを追求し、安全性を無視したゆえの結末で、日本の食の信頼を大きく損なった。
 安全、安心の日本ブランドの地位をいかにして取り戻すのか。これも日本復興の課題の一つだろう。

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2011年05月06日

「花より団子」「犬も歩けば」

 「花より団子」は、古いイロハかるたに出てくるが、人情の機微をうまく捉えて今も新鮮である。
 ぼくは、ときおり、黒壁界隈を歩きつつ世間勉強するのだが、刻々と変わりゆく街のたたずまいが面白い。変化してゆく店の姿も目を引くが歩く観光客のしぐさも面白い。
 観光客の主流は中年から高年層の女性だが、手当たり次第に店の品物に触れてゆく。興味がそそるからだろうが気に入ったものがあれば買うという積極的な消費傾向が見え見えでグループのだれかが買えば、つられて何人かが衝動買いする。何を買うのか、たいていは土産というよりも立ち食いしたり、バスの中で食べる菓子類が多い。
 歩きながら口にものを入れる人、食べながらあっちの店、こっちの店へと眺め歩きする人、あまり行儀の良い姿とは思えないが、そこが観光の楽しみか、心の解放なのだろう。みな、にこにこの笑顔よし、おしゃべり党である。
 一方、客の相手をする店だが、いつの間にか店の経営内容が変わっていたり、店の構えや装飾、看板までも変わって、これまでは何の店だったのか、思い出せないくらい新店や改造店舗がデビューしている。
 店は地元資本、外部からの資本まちまちだが、販売の多くは土産を中心に食べもの関係が圧倒的に多い。今の日本は美食、飲食の限りを尽くしているが、それでもなお食べ足りないのか、それとも見れば食欲をそそるのか、とにかく食べ物屋や食品売り場に人だかりが目立つ。
 駅前のウドン屋ばかりでなく、大手通りでも行列が出来るほどの盛況だが、おやつ代わりの饅頭、おかき、せんべい類のほか、飲みもの類の店も大繁昌で、口以外の店は影が薄い。
 長浜観光でどれだけの勉強ができたのか、歴史遺産や文化遺産で教養を深めたことは間違いなかろうが、多くは「見て」「食べて」、時間を潰して、旅の解放感に浸る遊び派であろう。
 貧乏時代の日本でも、経済大国の日本でも一貫しての真実が「花より団子」とは少し淋しいが、角度を変えて評価すれば「よう入る胃袋よ」ということになる。見たら欲しくなるのは子どもだけと思っていたら大間違い。旅に出ると人間の胃袋は膨れるのかもしれん。あるいは「甘いもの」は入る箇所が違うのかもしれぬ。
 市内の菓子屋さんは子供の日にほくほく顔だったが、どの家にもカビが生えるほど菓子の買いだめがあり、それかあらぬか、米の消費が低迷したままである。米飯よりパン食というのは、やはり菓子感覚なのだろう。
 飽食の時代はそれなりに、菓子党の時代も同様、生きている人間の好みを象徴するが、それで幸せと思える人はめでたいことだが、それが間接的に作用してお腹の調子や健康に支障を来せばおだやかでない。病院や医師、薬局を忙しくするのは自由だが、ご当人が痛い思いや苦しい思いをして医療費を支出するのは不具合である。
 ぼくは「花より団子」は結構と推奨するが、同時にこれも古いイロハかるたの「犬も歩けば棒に当たる」をお奨めしたい。歩け歩けの運動によって、余計な脂肪分を減らし、体をスリム化すると同時に世間を見て歩いて心の栄養を摂取する二重効果が得られるからである。【押谷盛利】

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2011年05月02日

連休の5月よ今日は

 花の4月よ、さようなら。連休の5月よ、こんにちは。農家は田んぼが忙しいかもしれないが、サラリーマンには遊びの季節。
 4月は陰暦では「うづき」という。漢字で「卯月」と書く。卯の花の咲く月。卯の花は「空木(卯木)」のことで、ユキノシタ科の落葉低木。山野に自生し、初夏、白い花を咲かせるが、なぜ空木というのか。幹の内部が空っぽなのだ。用材としては役立たずで、つま楊枝になるくらいだが、枝分かれの多い木で、枝の先に華やかな花が群がり咲くので初夏の庭を引き立てる。
 おろかものを「うつけ(空け)」または「うつけもの」というが、うつけは中のうつろなこと、からっぽのこと。うつは、空、虚と書き、うつろ、空虚の意味を持つが、これと似た内容で、「うつお」、「うつろ」がある。中が空になっていること、うろともいう。樹木にできる空洞、ほら穴。
 偶然であるが、英語で4月をエイプリル、4月1日をエイプリル・フールという。日本語で4月馬鹿と呼び俳句の歳時記にも載っている。4月1日に罪のないうそついて人をかつぐ西洋の風習。満愚節とも呼ぶ。
 日本のエイプリルは卯月。すなわち、空っぽの月。脳味噌が空っぽで、お馬鹿さんの月とは彼我相似て面白い。
 さて、連休の5月は秋の11月と張り合う行楽シーズン。海へ山へ野へ、どこへ行っても心を癒してくれる。若葉から吹く風は、ほのあまくやさしい。若葉風そのものである。芽ぶき初めたころの風は木の芽風。神社やお寺の境内で、花や緑や鳥の声を聞くのも楽しいが、湖岸の宿で、新鮮な鮎や湖魚で季節を味あうのも一興。家族連れで近くの山へ出かけ、わらびや山蕗など山菜摘みも心に残る。
 5月の山は山つつじ、山桜、やまぶきの花、萌える若葉が心の底まで洗ってくれる。うぐいすや鳥たちの恋の歌声も地上天国の極楽節といえよう。
 家に籠もらずにせいぜい戸外へ、歩け、歩けを奨めたい。【押谷盛利】

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