滋賀夕刊新聞社は滋賀県長浜を中心に政治、経済、文化の情報をお届けする新聞です。



2011年03月31日

関心持ちたい県議選(見聞録)

 あす4月1日、県議会議員選挙が告示される。47議席をめぐって自民、民主、対話の会、共産を中心に70人余りが立候補を予定している。
 しかし、テレビや新聞は東日本大震災関連ばかりの報道で、争点も見えず、一体誰が立候補するのかも知らない。そんな有権者も少なくないだろう。
◇4年前の県議選は、嘉田由紀子知事が誕生した翌年に行われた。
 当時、新幹線栗東新駅計画の中止を求める嘉田知事は、推進派の自民党県議の反発を受け、議会運営に難儀していた。
 県議選では、知事与党の地域政党「対話の会」が自民を「抵抗勢力」と位置づけ、公認・推薦した19人のうち、12人が当選する大躍進を果たした。自民は16人の当選にとどまり、自民系会派は過半数を割りこんだ。
 びわこ空港や新幹線新駅など、県民感覚とかけ離れた政策を推進する従来の県議会に、県民がノーを突きつけた分かりやすい選挙だった。
◇今回は新幹線新駅のような明確な争点は見られない。
 原発事故が続く中、福井県内の原発が与える滋賀への影響を懸念し、防災計画の見直しなどを訴える声が多いが、どの陣営も大差ない。
 有権者は何を持って候補者を判断すればよいのだろうか。公約か、過去の実績か、人柄か。
 小生は候補者の所属する政党が問われるべき、と考える。県政をより良きものにするために、県議会にどういった政治勢力の躍進が求められるのか、という視点だ。
◇投票率はどうなるのだろうか。
 前回の長浜市東浅井郡選挙区には6人が立候補し、3人が当選。投票率は56・15%で、7030票が当選ラインだった。
 伊香郡選挙区には2人が立候補し、1人が当選。投票率は70・75%で8106票が当選ライン。
 有権者の関心が低い今回は、投票率の低下は避けられそうもない。
 市内のある選挙通は投票率が50%を割り込み、当落ラインを6500票前後と分析している。組織力や固定票を持つ候補に有利に働き、「風頼み」の候補には厳しくなりそう。
 しかし、政策や人柄を抜きに、組織力だけで当選する選挙はいただけない。こういう大震災の時だからこそ、政治の力が必要だと認識し、我々有権者は選挙への関心を高めたい。

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2011年03月30日

 日陰で育つ木は弱い

 「若い時の苦労は買ってでもするがよい」、とは昔からの金言である。
 「日陰で育つ木は弱い」の裏返しの言葉である。木は成長すると用材になるが、日に当たり、風にあたり、ときには日照りや降雪に苦しみつつも適度な雨をもらうから強くて、しっかりした木になる。硬い木か、柔らかい木か、実物の見本は輸入材であろう。輸入材は外材と呼ぶが、安いからどんどん入り、今の住宅は大部分が輸入材に依存している。
 昔の建物のように100年、200年の寿命は求むべくもなく、築後25年もすれば修復の手を入れねばならぬ。
 日陰は木だけの話ではない。農作物も日や風が当たらねば病害虫にやられやすく、味がよくない。
 旬より早く収穫したり、逆に旬よりも遅く収穫するのは「儲かる農業」として採用されるが、これらは建物の中で太陽の光を調整する。
 寒い時期には暖房して、作物そのものの季節感を狂わす。一般にハウス栽培といわれるが、露地栽培ではないから日や雨、雪の自然の影響は受けない。
 水耕農業といって、水に肥料分、その他の化学物質を加えて、それを土壌と思わせて育成する。
 人間は他の生物と同じく自然界の生物だから反自然の食べ物が長い目で見て健康によいとは思えない。しかしハウス栽培は季節外れに食べられるから人気がある。また、野菜がとれない冬季に出荷されるから市場でも人気が出る。
 一般農作物との違いは「ホンマもん」か、「にせもの」の差である。このごろは、農作物だけでなく、食べ物はすべて調味料に至るまで「にせもの」ばかりである。インチキを嫌う人間が、健康の根幹である食べ物まで科学に侵蝕されてしまった。
 「ホンマもん」は強いが、「にせもの」や薄められたものは弱い。人間だってそうである。雨風にさらされて体も心も健全に育てられたものは少々のことでへばらないし、勇気とファイトがある。もちろん体も頑健だが、他人への思いやりの心も深く正義感や負けん気が強い。独立心がある反面、協調性もあり、社会へ出ても安心して世渡りができる。
 だから、先人は雨風に当たることを「苦労」にたとえた。若いときに苦労していない人間は逆境に弱いというのはそれである。失敗したらしょげてしまって立ち上がれない。
 だから「若いときの苦労は買ってでもせよ」と教えた。
 この格言は「若いときの苦労」、という条件付であることに注目したい。
 「若いとき」を何歳に置くかは議論を呼ぶが、戦前は兵隊(入営)体験を一つの目安にした。今は多くが高校や大学へ進むが、昔は小学校を出れば就職するのが普通だった。そこで結婚するまでの間の苦労が問われた。もちろん、この言葉の背景には子育てに関する社会の眼がある。
 よい、悪い、のモラルを子供のころからしつけし、したい放題、好き放題のわがままな子に育ててはならぬ。厳しく育てよ。自分のことは自分でする子に、人にやさしく、といった家庭環境の大切さを踏まえての言葉である。

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2011年03月29日

避難民の受け入れ支援を(見聞録)

 放射性物質が漏れ出している福島原発の事故は、まったく収束の気配がなく、日々、新たな危機が伝えられている。避難した住民が、故郷に帰れる日が来るのだろうか。
 昨日28日、福島県川内村から車で長浜市に避難してきた夫婦から話を聞いた。
 長浜市出身の夫婦は、関東の民間企業で定年まで勤め上げ、退職後、自給自足の田舎暮らしを求め、水と空気がきれいな川内村へ移住。2400坪の土地を買い、家を建て、畑を作って2年半が経過していた。
 川内村は震度6強の揺れに襲われた。自宅にいた夫婦はケガすることなく、電気や水道にも問題はなかった。テレビでは津波が沿岸部を襲う様子を見た。福島原発から半径20㌔圏内に避難指示が出たが、夫婦の住んでいた場所は圏外で、常にテレビから最新情報を得られたので「大丈夫」と思っていた。
 事態が急変したのは地震から4日後の15日。村の防災無線で村議会と全区長へ20分以内に役場に集合するよう、緊急連絡が流れた。「全村避難」の前触れだった。
 翌日、川内村の住民は郡山市に避難し、自治体の機能も仮設役場に移した。
◇夫婦は郡山市ではなく、故郷への避難を選んだ。市営住宅の手配が整い、当面は生活の場を長浜に移すが、家から持ち出せたのは数日の着替えと布団だけ。他はすべて川内村に置いてきた。
 「放射線の影響がなければ家の様子を見に行きたいが、何年先になるか分からない。いったいどれほど汚染されているのか、正確な情報が欲しい」と語っている。
◇当り前の日常生活を奪われ、いつ帰れるのか、半年後、1年後の見通しも分からないまま、不便な生活を強いられているのは、この夫婦だけではない。
 市営住宅だけでも29日までに計3世帯が入居し、他にも親族などを頼って身を寄せる被災者がいるという。
 しかし、市営住宅にはガスコンロや電灯、布団、調理器具、食器も何もない。被災者を温かく迎え入れ、当面の生活に困らない支援が求められる。

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2011年03月28日

不思議といえば不思議

 人間の生死、浮き沈みは紙一重の不可思議な運に左右される。一瞬のうちに地獄極楽に分かれた東日本大震災の被災者の生死は余りにも生々しい。
 ぼくの孫がこのほど京大を卒業し4月から大学院へ入るが、春休みを利用して卒業生仲間と東北地方へ観光旅行するはずだった。
 気の合う仲間と毎年のようにスキー旅行などを楽しんでいたが、今年は予定が調整できず孫は参加しなかった。彦根東卒の五個荘のA君ら3人は首尾よく東北地方の旅行を終え、3月11日、仙台空港から空路、関西へ帰る予定だった。空港出発前にレンタカーを返すべく疾走中、不幸にも大震災にあい、車は3人を乗せたまま大津波に巻き込まれた。瓦礫の中で無惨にも3人は不帰の客となった。本人たちの口惜しさはもちろん、親の嘆きと悲しみは動転するばかりである。
 今回の被災地には子と親の生死の離別や、いまだに行方の分からぬ人もあり、夫が公務に就いている最中、留守番の妻が津波に流されて亡くなるなど紙一重の生死の不思議が数限りなく人の涙をそそっている。
 太平洋戦争が終わって早くも66年経つが、あの戦は国家権力の発動によるもので何百万という若い生命が国家の柱となった。いわば人災である。ガタルカナルや硫黄島等では何万人という全滅に近い犠牲者を出した。ビルマや比島では白骨街道と呼ばれる死者の山を残してほんの一部が生還した。
 アッツ島の全滅に反し、キスカ島の守備隊は奇跡的に脱出した。
 ぼくの兄は騎兵だったが中国で戦死した。25歳で未婚だった。叔父の子は一人息子だったが、小学校を出るや16歳で満蒙開拓義勇団に入団した。終戦1年前のことである。軍人でもないのに終戦時、ソ連に抑留されて、そのまま生息不明となった。
 帰ることのできた人、祖国や親を念じながら空しく散らねばならなかった人、この幸、不幸、生死の不思議な岐路は神ならぬ身の知るよしもない。
 ぼくは終戦の前年、昭和19年(1944)学徒出陣で伏見の野砲隊に入隊したが、もし微兵猶予されていたらどうなっていたか。おそらく20年3月16日の東京大空襲で大きな被害を受けたはずだ。
 さらに言えば、広島原爆の2週間前まで広島市の中央にある修道中学を宿舎とする暁部隊に所属していた。
 九州は佐賀の唐津近くの山で特攻艇を格納する防空壕掘りの最中、特殊爆弾なる原爆のニュースを聞いたことである。もしあのまま広島に滞在しておればぼくの人生は100㌫22歳で消えている。もちろん結婚はしていなかったから、子も孫も曾孫もいないはず。
 不思議といえば不思議、なきはずの命を頂いたこのありがたさ、「生死を忘れてご恩返しに奔走せよ」、そんな神のみ声を聞くこのごろである。【押谷盛利】

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2011年03月25日

不思議の命と正念場

 人の一生は喜びと悲しみを織ってゆく一枚の布のようだと書いたが、考えてみれば不思議なご利益を頂いている幸せな生きもの、それが人間である。
 なぜ不思議なのか。地球上には数えきれない生物が存在し、生きている。
 わたくしたちは幸いにして人間界に生まれてきたが、もし、そうでなかったらどんな生を生きねばならないか、考えるだけで冷や汗の出る話である。
 親さまはその赤ちゃんが生まれたときは、まっさきに「五体満足か」を気にする。五体そろって健康に生まれれば最高だが、たとえそうでなくとも人間としてこの世に生まれれば「よかったネ」とみなに祝福され、大切に育てられてゆく。
 人間としてのこの世の出発そのものが不思議であり、人知を越えた創造の神のお陰である。
 人間は他の生物を踏み台にし、自然界を征服するかのような横暴をほしいままにしているが、宇宙の創造神の眼から見れば、地球はすべての存在物の共有財産であり、人間が独り占めすべきものでもなく、公平に、みんなが助けあい、いたわり、たててゆくのが本来の神のご意志ではないか。
 それをどうはき違えたのか、人間は他の生物を犠牲にして、この世は人間さまのためにある、と得手勝手な独善に終始してきた。われわれは微生物を細菌とか、バイ菌とか、ひっくるめて悪しざまなイメージを持つが、例えば糀菌のような微生物のお陰で酒や味噌、しょうゆが造られる。
 腐敗菌という、ものを腐敗し、分解する細菌のお陰で地上のゴミや芥はきれいにされてゆく。畑の中のミミズはどんなに人間に役立っているのか。農薬を使わない畑には必ずミミズが住むが、彼は無料の畑の耕作者である。
 いま、文明国では飲み水に大騒ぎしているが、水は本来地下で浄化され、また山から河川を通じて清流となるが、近代産業と人間の生活がこの自然水をワヤにしてしまった。河川の水を飲めなくしてしまったばかりか、地下水までも汚してしまった。
 早い話が、ゴミの分別処分において、もえないゴミをどうしているか。リサイクルできないゴミは埋め立てゴミとして地下に埋没する。まるで薬害の宝庫、有害物質の貯蔵所同然である。
 これを何十年、何百年、何千年続けるとは、一体どんな顔して、人間は地球や他の生きものに真向うのか。それどころではない。いま問題の福島県での原子力発電所の放射能騒ぎ。
 原子力発電でお役目ご免となった使い済みの燃料棒の処分である。どこへ捨てるのか。100年、200年の先を見越して地球に深く埋めるのである。何と恐ろしい罪なことを。世界の核保有国は、みんなこうして、使い済みの原子力発電の燃料棒を地下にゴミ処分するのである。
 われわれは借金を、子や孫に残してはならぬというが、借金どころか、地球を、人類を、この世から壊し、消してゆく危険極まりない化学物質を地下に捨ててゆくのである。
 何十万年前から人間としての幸せに恵まれ、多くの困難や試練に打ちかって今日の繁栄をものにしてきた人間が、どたん場になって核兵器を使う世を迎え、現実には原子力発電所の事故で、水道や食べ物の危険を体験した日本人である。自分たちの安全のために、子や孫のために、さらには世界の仲間たちのためにもどう考え、どう動くのか。これは正念場である。これこそが不思議を頂いた恩返しである。【押谷盛利】

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2011年03月24日

原発事故の影響力(見聞録)

 福島原発の事故の影響で、東京都葛飾区の浄水場で採取された水道水から放射性ヨウ素が検出され、都は乳児に飲まないよう呼びかけている。
 福島県産のホウレンソウ、キャベツなどの葉物野菜やブロッコリーからも放射性物質が検出され、食べないように求める「摂取制限」が発動された。
 水道水も野菜も食品衛生法に定める安全の基準値を上回ったことが理由だ。
 原発が機能しないため、首都圏は電力不足に。「無計画」な停電で、住民の日常生活だけでなく、日本経済の中枢を担う大企業の活動が制限され、地方にまで影響を及ぼしている。
◇福島県での原発事故がこれほど広範囲に影響を与えることは、予想されていたことなのか。
 目に見えない放射能。30㌔圏外では健康に影響がないと政府が発表したところで、国民の不安が解消される訳ではない。
 例えば、東京都の水道水。乳児以外の子どもや大人が飲んでも健康に影響ないというが、首都圏ではペットボトルのミネラルウォーターが軒並み売り切れた。
 国民としては、自身の行動がどのような影響を与えるのかを考え、出所不明の情報に惑わされず、冷静に対処するしかない。ミネラルウォーターの買い占め、野菜の風評被害などが発生しないよう、自身の行動を戒めたい。
◇遠く離れた長浜は放射能に怯えなくてよいが、下請け工場が物資不足でストップしたり、宿泊施設は観光客のキャンセルがあったりと、地元経済にも小さくない打撃を与えている。当面の経済停滞は避けられそうもない。
 それでも震災から2週間も経たないうちに長浜市社会福祉協議会に寄せられた義援金は6000万円にせまる。救援物資も大量に寄せられている。
 今後の被災者支援の活動は長期戦になる。常に冷静に、ありったけの善意で対処したい。
 そして、福井県の原発でも同様の事故が起こりうる可能性を心に置き、エネルギーと防災問題を考えたい。

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2011年03月23日

喜びと悲しみを織って

 人間の一生は長いか短いか。人それぞれに思いはあるが、大切な親がいつの間にか鬼籍に入っているところを見ると案外短いのかもしれない。
 学校を出て、社会へ出て、夢をふくらませつつ、これまたいつの間にか定年となり、そのうち介護や介助に老いの嘆きを重ねることになる。振り返ればアッという間の短い人生ではないか。
 その短い人生にも拘わらず通り一遍の「静かで幸せな生涯だった」と喜びと感謝の心でさよならできる人は少ないのではないか。
 人の一生は喜びの糸と悲しみの糸とを縦横に織ってゆく一枚の布にたとえられるかもしれぬ。布のなかには喜びの柄も怒りの柄も染められているにちがいない。
 喜びが悲しみに取って替わることもあれば、その反対に喜びの船が転覆して悲しみの奈落に突き落ちることもある。
 不思議といえば不思議、不可解といえば不可解なのが人生であり、日々の舞台の娑婆のありようである。
 人間は賢いと思い上がっているところがある。科学の力で万能を生きている、という横着さがある。
 この世は仮りの世界、と観念的に思うことはあっても、あくことのない欲をほしいままに生きようとする。昔から「持っては死ねぬ」と言われるが、物欲のため兄弟姉妹が仲違いすることは珍しいことではない。苦境にあえば他人さまからの援助や好意を身にしみてありがたがるが、苦境から脱出すれば忘れやすい。
 自分自身の健康だってそうである。入院の辛さや手術の苦しみは、療養中こそ骨の髄にまでしみこんでいるが、再び健康を回復すると病気のころの悩みや不安、苦しみを忘れてしまう。
 人は一生の間で、多くの人との関わりやその助けに支えられているが、これは人間界のみならず、自然界の動物や植物、鉱物、気象から受けている恩恵についても言えることである。
 だから、われわれの一生は人間界と自然界のご恩におんぶされているわけで、それを忘れれば恩知らずの人以下の人間ということで、それこそ節分の豆まきではないが、「鬼は外」と人間界からおっぽり出されるのではなか。
 人間界のご恩でいえば、第一番が親のご恩である。それは己の一切の原点である。親さまには、そのまた親、さらにその親、際限もなく血は続いているが、その先々の見えないところに神さまや仏さまがおわす。したがって親を忘れず親を大切にすることは先祖を大切にし、神仏を大切にすることにつながってゆく。
 不安な人生、喜びと悲しみの織りなす一生だが、ご先祖や神仏に加護されていると確信するとき、雲の影から日の光が射すように心の豊かさと穏やかさを実感することになる。
 そして一人でも多くの人を支える側、愛の発信を心がけてゆきたい。東日本大震災で、そんなことを感じる日々である。【押谷盛利】

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2011年03月22日

長浜へも避難民が(見聞録)

 東日本大震災による福島原発の事故は、まだ収束の気配がみられない。半径20㌔圏内に避難指示、30㌔圏内に屋内退避指示が出ているが、現実は30㌔圏内を含め、周辺地域から避難する住民が後を絶たない。現地はゴーストタウンと化していることだろう。
 農畜産物から食品衛生法の暫定規制値を超える放射性物質が検出されたとして、政府は21日、福島、茨城、栃木、群馬の4県で採れたホウレンソウ、カキナ、福島県産の牛の原乳の出荷停止を指示した。「人体に影響を及ぼす数値ではなく、健康に影響を与えるものではない」と、国民に過剰反応しないよう呼びかけているが、乳幼児など小さな子どもを持つ家庭などは過敏にならざるをえない。
 原発禍はどこまで広がるのか。
◇滋賀県は被災者・避難民のために県営住宅を確保している。すでに多くの問い合わせがきている。
 長浜市内でも複数人が親族宅などに身を寄せているが、総数は把握できていない。
 この連休中、滋賀夕刊新聞社にも「福島県から避難して来ましたが、どこに相談すればいいですか」との電話が入った。身を寄せている長浜市内の親族宅が、小紙をひいていたのが縁だ。
 長浜市に対応を依頼し、最終的に県営住宅に入居することになった。
 聞けば、福島県の川内村から避難してきたという。川内村は、村の東半分が原発からの半径20㌔、村の全体が30㌔圏内にあり、村民は16日から圏外の郡山市に向けて「全村避難」を始めていた。今は村民がバラバラの状態という。
◇東日本大震災では沿岸部が広範囲に破壊されたうえ、放射能漏れで故郷を追われた住民は少なくない。
 全国規模で長期的な支援体制が求められる中、義援金活動や支援物資提供の輪は、ますます広がっている。3連休はあちこちで募金が行われた。市議会有志はびわ中学校体育館で救援物資を受け付け、中学生が物資の仕分け作業などを買って出た。
 一方の自治体は、この3連休で動きがストップしていた感がある。被災者・避難民の受け入れ、支援体制の制度化が急がれる。

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2011年03月19日

見せよう 長浜市民の力(見聞録)

 東日本大震災から1週間を経過した。被災地のうち大船渡市三陸町は最大で23㍍の津波に襲われたことが調査で明らかになった。我々は自然の無慈悲な鉄槌を畏れるしかない。
 福島原発周辺をはじめ、多くの沿岸部で不明者の捜索が進まず、被害の全容はまだ不明だ。何万人という住民が生死すら分かっていない。
 東北地方の復興に国民が団結して取り組まねばならないが、長期戦は避けられそうにない。避難民が現地で生活を送るには、あまりにも生活基盤が破壊されてしまった。隣県の受け入れも限界になろう。
 全国の自治体が避難、移住を呼びかける。滋賀県の災害支援本部も18日、被災者を受け入れるため大型バスを現地に派遣することを決めた。民間の賃貸住宅への斡旋のためのネットワークも立ち上げる。
 長浜市も市営住宅の開放、民間賃貸住宅の借り上げ、家賃補助、敷金減免など、被災者の受け入れ体制を早急に整えたい。
◇未曾有の危機に被災者への支援が求められる中、福岡県職員が「お役所仕事」のお手本を披露した。
 福島第1原発周辺から避難し、18日夜に福岡県内の県営住宅に入る予定だった2つの家族に対し、勤務時間外であることを理由に3連休明けまで部屋の鍵を渡せないと説明していたという。
 被災者に連休など関係あろうはずもない。このお役所仕事をメディアが批判的に報じた結果、県幹部が謝罪、撤回し、無事、鍵を渡すことになったが…。
◇きょう19日からの3連休、長浜市内のあちこちで義援金の募集活動に出会う。
 びわ中学校体育館ではあす20日から市議会有志による支援物資の受付が行われる。水、缶詰、紙おむつ(赤ちゃん用)、ウェットティッシュ、トイレットペーパー、ティッシュペーパー、ごみ袋、生理用品、洗面セット(歯ブラシ、歯磨き粉、石けん)、下着、靴下、乾電池、使い捨てカイロを募る。10㌧トラック3台に積み込むため、ダンボール2500箱分になるという。
 被災地を応援する長浜市民の力を見せたい。

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2011年03月18日

紙一重の地獄と極楽

 どこへ行っても、だれと会っても地震の話、津波の話、原子力発電所の話である。
 日本国民を不幸のどん底に落としめた東日本大震災は、国際的にも救援の手が差し伸べられている。
 お通夜の様な冷えた気分はテレビを見ていても分かる。いつも識者から批判されているアホ番組は消えたし、プロ野球の報道も鳴りを潜めた。NHKの大河ドラマ・浅井の江3姫も中断した。
 すべては被災地からの情報と広汎な救援活動、原子力発電所の危機打解策にしぼられている。被災地から離れているわれわれはおろおろしてニュースを見、あまりの痛々しさに涙するばかりだが、とりあえずは物心両面での救援に「貧者の一灯」を市民の隅々にまで呼びかけたい。
 滋賀県はいいとこだ。伊勢湾台風以来、災害らしい災害からまぬがれ、平穏無事、この幸せのありがたさ。話の果てはみんなが自分の身をかえりみて、感謝の気持ちをかみしめる。
 昔から「のど元過ぎれば熱さ忘れる」という。「お天気になると傘を忘れる」ともいう。どん底の苦しみ、不幸を経験することは生き身の人間の避けられぬ宿命であり、業といえぬこともない。
 そのどん底の苦しみや不幸から立ち上がるとき一番大切なのは死にもの狂いの努力であり、それが自力である。それに加えて大きな力となるのが周辺の助け合いであり、励ましである。
 今回の被災地からの情報によっても知り得るのだが、「助かる」のと「助からぬ」は紙一重の差である。出ていた漁師が「津波には陸から遠く離れること」という親の話を思い出して、全速力で船を沖の方へ急いだ。その結果、災害から逃れた。
 海岸の集落では非常用の半鐘が何カ所も設けられていて、津波はこれを合図に逃げることになっていたが、今回の場合、結局、鳴らすものがなく、逃げられずに大惨事を招いた。地震の大揺れに自分を守ることに集中して、誰もが半鐘を鳴らして集落に訴えることに気づかなかった。
 ある老人は壊れた建物と建物の隙間に閉じこめられて2日後に助けられたが、周りの人はみな帰らぬ人となった。Aさん夫婦は山手へ逃げたが途中、忘れものを思い出し引き返した。その遅れで津波に襲われた。Aさんは海に流されたが、漂流物につかまり2日余り海に浮いていたところを助けられた。夫人は流されたまま行方が分からなくなった。
 わが社の社員の娘は、震災の直前、研修のため被災地の福島県に滞在していたが、震災当日の11日、予定を終えて帰郷の列車に乗り込んだ。列車の中で大震災を聞いて青くなったという。
 紙一重の人間の浮き沈みの不可思議であり、この世にござる地獄極楽の厳しさである。人は「人事を尽くして天命を待つ」という教訓を頂くが、「貧すれば鈍する」で、危機に立つとうろたえて前後を忘れたり、ミスを犯す。だから、つい「かなわぬ時の神頼み」になって、「神さまお助け下さい」と祈るのだが、同時に「災害は忘れたころくる」を肝に銘じ、普段から心の用意、守りの用意を忘れないこと。
 この際、各市、各自治会に望まれるのは、もし、わが市、わが町が災害を受けたら、どう対処するのか。そのときの避難場所、最小限の生活物資の確保、老人や弱者の救出活動、外部との情報連絡、その他をあらためて再検討し、住民ともども問題提起すべきであろう。ことに河川の氾濫と敦賀原発の事故が心配のタネである。【押谷盛利】

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2011年03月17日

買いだめ、自粛を(見聞録)

 東日本大震災からあす18日で1週間を迎える。不明者の捜索が引き続き行われる一方で、福島原発の事故は深刻だ。チェルノブイリ級の惨事は免れそうな気配だが、いったいどれほど周辺を汚染したのだろか。
 関東圏でも放射能の濃度が通常よりも多く観測されている。人体に影響ない数値のため、無用な混乱を避けたいところだが、現地の心境はいかほどか。
 今後、日本のエネルギーについて、調達コストとリスクを天秤にかけ、見直すことが求められよう。ともかく、一刻も早い危機克服を期待したい。
◇被災地の映像に、遠く離れた我々に出来ることは何か。日々、自問している。
 長浜市社会福祉協議会に寄せられた義援金は3日間で1200万円を超えた。地元の中学校や高校でも義援金を募っている。取材先でも「寄付したい」「物資を送りたい」「現場にボランティアに行きたい。居ても立ってもいられない」との声を聞く。みんなの被災地を思う気持ちが温かい。
 我々は、情報を正確に認識したい。いつ起こるか予測できない大地震、目に見えない放射能。ともすればインターネットなどで飛び交う出所不明の情報やデマ、流言に惑わされはしまいか。
 震災への備えから、水や食料、電池などの物資を各家庭で備蓄する動きが全国規模で発生している。しかし、過剰な買いだめが物資不足を招いている。過去の「米騒動」から何も学んでいないのか。
◇いずれ、何万人という被災者を全国の自治体が受け入れることになるだろう。長浜市も例外でない。被災地に心を砕き、惜しみない援助に汗を流し、冷静に、落ち着いて、日々の生活を重ねたい。
 そして、政府には子ども手当、高速道路無料化、高校授業料無料化などのばらまきを即座に中止し、その財源を被災地の支援に充てることを提言したい。

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2011年03月16日

石原発言と東日本大震災

 日本がひっくり返るほどの大天災。被災地は何万人もの死者、行方不明。50万人以上といわれる避難者は寒さと飢えに泣きつつ助けを求めている。
 目下国民の最大の関心事は原子力発電所の爆発による放射能もれとこれに対する安全対策である。
 電力不足は停電を招き、停電は電車や工場の操業を拒み、日本経済を痛打する。人も物も動かず、言いしれぬ不安の中に国民はさながら通夜のような悲しい気分に陥っている。
 こんな緊急な国難ともいうべき時に、石原東京都知事の発した一言は発言の気持ちはともかく不適切であり、あえて言えば暴言である。
 「日本人のアイデンティティーは我欲。この津波をうまく利用して我欲を1回洗い落とす必要がある。やっぱり天罰だと思う」。
 被災地はもとより、広く国民からひんしゅくを買ったこの天罰発言、その後、記者会見で発言を取り消し、「言葉が足りなかった。撤回し、深くお詫びする」と謝罪した。
 当然である。取り込みの最中に、門外漢のような顔して説教めいたことを言えば「なにぬかすか」とだれもが怒るにきまっている。
 災害には天災と人災がある。人災は工事の手抜きで橋が傾いたり、ビルが壊れたり、運転ミスで列車が脱線転覆したり、危険なクスリで薬害が人命を傷つけたりすることをいい、人間の横着さや欲、科学の過信などが教訓として取り上げられる。これに反して天災はおろおろするばかりで、だれが悪いということではなく、一刻も早く被災者を助け、事故現場の改修に当たらねばならぬ。
 人災は人間が注意をすれば避けられるが、天災は避けようがない。ことに日本のような火山地帯は古来、地震が忘れたころに起きている。
 近年は地震に対する科学が進み、学者は近い将来、東海地震や南海地震を予報しているくらいである。それでも、何年の何月ごろ起きるのか、事前に予測することはできない。観測技術の進歩や集積したデータを基礎に起こり得る時期や規模については想定できるが、社会への影響もあって断定的な情報公開には至っていない。
 伊豆方面や東海・山梨・静岡方面の地震についても20年程前から言われていたが、生活や社会秩序の上から住居変更などできるはずがない。
 人間のできる限界は、いざというときの避難対策や最小限の生活物資の準備であり、自治体にあっては避難先、救助対策、ガス、水道、電気の故障に対する対応や心構え、警察、消防の緊急体制などであろうか。
 今回の場合、われわれのなすべきことは被災地への物心の救援であり、助け合いの発動である。【押谷盛利】

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2011年03月15日

被災地を思い…(見聞録)

 東日本大震災は、未曾有の被害をもたらしているが、余りにも大きすぎてその全容はまだ掴めない。
 テレビから流れる凄惨な映像に何度も胸を潰した。
◇遠く離れた我々に何が出来るのか。消防や警察、病院、水道関係者は支援のため、現地に赴いている。スーパーや商店はいち早く店頭で義援金を募った。プロバスケットボールチームの滋賀レイクスターズが12日から14日まで行った募金活動では、5690人から522万8312円の善意が集まり、支援の心が溢れた。
 本紙にも市民やスポンサーから「義援金を送りたいが、どうすれば良いのか」との問い合わせが複数寄せられた。
 官公庁の休み明けの14日になって、ようやく長浜市社会福祉協議会が義援金の受け付けを発表し、長浜市も支援の問い合わせ窓口を総務課防災危機管理室に設けた。
 今後、長浜市での支援の受け付けは、社会福祉協議会が主軸となる。
◇市民が今、出来ることは義援金を送ることくらい。窓口が整ったことで、支援の輪を広げたい。今後、企業をはじめ、ボランティア団体なども募金活動を始めるだろう。
 湖北地域消防本部の救援隊の報告にあるように、現地では食料、水、毛布、燃料がなく、救援物資の集中投下が求められている。しかし、被災地域が広すぎるうえ、交通網の寸断で物資の搬送、受け入れ態勢が整っていない。
 被災地からの要請があれば、水や粉ミルク、オムツなどの救援物資、ボランティアも募るであろう。惜しみなく、出来うる限りの協力を尽くしたい。停電の関東地方を思い、節電の心も持ちたい。
 そして、家族のいる家に帰り、電気の灯る暖房の中で食卓を囲める当り前に感謝したい。

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2011年03月14日

東日本大震災と救済

 春の希望を一瞬のうちに粉砕した東日本大震災。死者1万人以上と推測されている被害者の調査はまだ終わるどころか、現地では避難先で多くの住民が寒さにふるえながら腹を空かして余震におびえている。鉄道も道路もずたずたとなり、未だに水没のままとなっている役場や公共施設もあり、水不足、電話の不通、停電、ガス停止、さながらこの世の生き地獄。
 それに追い打ちかけるように原子力発電所の爆発が報じられた。「神さま、もうこの辺でストップしてください」と祈ると同時に、亡くなった犠牲者の冥福を祈り、被害者の方々への深い同情と復旧の1日も早いことを願うばかりである。
 今回の大地震はM9と修正され、1923年の関東大震災の約45倍、95年の阪神大震災の約1450倍(気象庁)と言われるからその規模の大きさは想像の世界を遥かに超える。
 今回の地震は、10㍍を越す大津波によって災害を阿修羅化した。太平洋岸の町は田も畑も住宅も学校も一切を丸呑みにして跡かたもなくなったところもあり、瓦礫や倒壊住宅、自動車などがまるでゴミの集積場の如くあちこちに無惨な状況を示し、救出作業の困難に輪をかけている。水が引かないため救出作業中に事故死する自衛隊員もあり、孤立の被害者を救出しているヘリコプターの活躍も痛々しい。
 原子力発電のストップで電力不足は避けようもなく、東京電力では、きょう14日から計画的に3時間ずつの輪番停電を実施する。
 電気もガスも食料も水もなく暗闇の中で救出を待っている被災地を思えば、時間制の停電くらいは辛抱して国の復旧活動に協力するのは当然だが、治にいて乱を忘れている東京都近辺の間接的不安は他人事ではない。もし、原子力発電所の放射能もれが最悪の場合になれば風向き次第によっては太平洋岸の関東地方はそれこそ被爆を恐れての対策や、不安からくる精神的おびえが人々にさらなる2次、3次の不幸を招きかねない。
 いま、全国的に被災地救援の義援金や物資が集められつつあるが、一度に全国から集められても運ぶ能力や集積する場所もなく、逆に雨ざらしのままゴミ化して捨てることも過去にはあり、各地ともボランティアの気持ちは尊いが、とりあえずは、県や日赤の方針、指示を待つことを提言する。
 とにかく、現地の混乱は足の踏み場もない状況で、どうして、物資を届けるのか、まず最優先しているのは人命救助であり、自衛隊や警察などが全力を傾注しているが、むやみにボランティアが殺到してもその受け入れ整備にこと欠く場合もあり、とりあえず冷静に計画的に、現地の対策本部の指示中心の活動を期待したい。【押谷盛利】

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2011年03月11日

一葉落ちて天下の秋を

 「一葉落ちて天下の秋を知る」。だれもが口ずさむ有名な言葉である。ほかの樹木にさきがけて、青桐の葉が一葉落ちるのを見て、すでに秋のやって来ている気配を知るという意味。転じて、わずかな前兆を見ることで、やがてやってくるであろう大事ななりゆきをいち早く察知することのたとえに用いる。
 中国前漢時代の哲学者・淮南子の本によるとされているが、出典はともかく、何回も繰り返していると、今の日本の菅政権の行方をそのまま予言しているようで、響きは痛烈である。菅内閣は出発点からもたもたしていたし、国民の期待に反して「アカン」になるのでは、と思う人も多かった。
 政治とカネの問題で小沢処分をあいまいにして国民世論に背を向けたことが秋風の第一陣。
 続いて吹いた風が仙谷前官房長官の「自衛隊は暴力組織」。
 第三弾は次期総理の声まで上がっていた前原外相の辞任。在日韓国人からの政治献金問題。
 だんだん嵐は大きくなって今度は菅首相の身内といわれる土肥隆一衆議員の「竹島領有権放棄」の宣言文署名ときた。まさに政権を吹っ飛ばす横綱級の大暴風である。
 この4つの風に共通しているのは日本国の独立と国土の防衛、国民の安全平和に関わっており、菅内閣の体質が国家の名誉と尊厳を傷つけているところが許せない。
 自衛隊をバカにし、国民にソッポを向かしめるような発言は、国を防衛することの意味の重要性を全く考えていないことの現れで、かつての社会党の無防備平和論の焼き直しである。
 外務大臣は外交の最高ポストであるが、国が法律で外国人からの政治献金を禁止しているのはワイロによって外交上の政策がゆがめられてはならぬからである。
 尖閣や竹島、さらには国土の上空や領海を侵す外国の航空機や潜水艦に対して毅然とした態度を保持するのは、領土保全と国家の独立を守るためのもので、そうした外交上の重大案件に外国人との利権が影響してはならぬからである。
 今回の竹島の領有権放棄宣言は土肥議員自ら韓国へ出向き、韓国での政治的集会に出て演出されたもので、まるで菅内閣そのものが竹島の領有権を放棄したかの如き印象を内外に与えてしまった。
 この罪、万死に値することこそあれ、役職辞任でお茶を濁すような安っぽいことではない。
 ところで、これらの4人の共通している国益破壊は、偶然にも民主党の政策をそのまま裏返したような見えすいた作為のあることを国民は忘れない。
 菅内閣の民主党政治は永住外国人の地方選挙権付与を政策としている。小沢元代表や有力議員は韓国を訪問、あるいは在日韓国人居留団の総会に出席して、これの実現を約束してきた。またこの政権は外国人居留民の子弟に対する子ども手当て、外国人高校の学費無償化を政策として地方の財政悪化の素因とすすめている。
 日本固有の領土に対する防衛への無関心は遂に竹島放棄宣言に発展した。なんのことはない。この4人は右総代で、民主党の反国民的、反国家的本質を暴き出したのだ。
 もはや、いうべき言葉はない。一刻も早く退陣して国民の納得し得る救国政権こそ望ましい。【押谷盛利】

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2011年03月10日

西尾議員のカジノ構想(見聞録)

 長浜市議会の一般質問で、会派「みらい」を代表して質問に立った西尾孝之議員は財政難を打破するためのカンフル剤として、カジノ特区の整備などを提案した。
 副市長は「青少年への悪影響、市民感情、法制度の整備から、多方面の議論が必要」と、行政マンらしい「模範回答」で返した。
◇競馬、競輪、競艇、オートなどの公営ギャンブルに加え、パチンコ店が365日朝から晩まで開いている日本は、世界でも稀有なギャンブル大国だ。
 カジノだけ存在しないのは違和感があるが、既存ギャンブルの利権など、背景には薄暗いものがあるのだろう。
 カジノ構想は大阪府の橋下徹知事をはじめ複数の自治体が掲げ、国に制度化を求めている。
 滋賀県議会でも2年前に取り上げられた。奥村芳正県議(草津市)が、遊びの要素を加えながら、雇用創出や外貨獲得といった地域経済の起爆剤になるとして、琵琶湖に大型カジノ船を浮かべるプランを嘉田知事に提案した。
 知事は「誘客手法の一つとして考えられるが、観光振興の目的のみでカジノ導入の議論を行っていいのか、多方面からの議論、検討も今後必要がある」と肯定も否定もしなかった。
◇カジノ構想は、自治体の財源確保の観点から浮上したが、西尾議員は他に放射性廃棄物埋設施設の誘致も提案した。
 過去、旧余呉町で持ち上がり、各方面の反対で消し飛んだ経緯がある。それでも、あえて取り上げたのは、隣接する福井県が原発施設を抱えることで、財政的に潤っている「現実」を直視してのことだ。
 合併後の長浜市が抱える借金は総額1400億円にのぼる。この問題が市議会で取り上げられても、市は「企業誘致」や「行財政改革」で財政再建するとの模範回答しか示さない。
 しかし、市民は「そんなことで本当に1400億円もの借金を返せるの?」と疑問視している。歳入増を目指した財政再建論議の活性化を期待したい。

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2011年03月09日

もったいない県政と政治

 「もったいない」は「勿体ない」ともいう。滋賀県の嘉田知事が最初の知事選でアピールしたから嘉田さんと結びついて一時は流行語となった。
 しかし「もったいない」は嘉田さんの専売特許ではない。日本人の心の中には昔から伝統的に住みついていた。ものを大切にする思想だが、急激な経済成長に酔って、いつの間にか「お蔵入り」していた言葉である。もったいないの向こうを張って威張っていた言葉が「消費」であり、ひところはバカを通り越して「消費は美徳」とまで言いつのった。
 消費の美徳時代は経済界は調子に乗って「拡大再生産」などと踊らされて、工場を建て替え、機械その他の設備投資に資本を投じた。その投資景気を煽ったのが金融資本であり、金利が上昇した。
 経済がつまずき始め、売れ行きが落ちてくると借金の返済が苦しくなり、企業は経営規模を縮小するようになった。
 民間は利に賢いから、局面の展開に迷うことはないが、国や地方の役所の感覚は急速に舵を切れない。いわゆる税金で台所を動かしているから民間のように身を切る辛さが分からない。
 それどころか、夢よもう一度とばかり、公共事業を掘り起こして景気上昇を図る。その考えの甘さと無責任体質が国と言わず地方と言わず今日の借金王国を形成してしまった。
 つまり、国債や地方債で国も地方も行きづまり、自分の手足を食いながら生きねばならなくなった。
 「子孫のために美田を買わず」は西郷隆盛の言葉だが、今は「子孫のために借金を残す」体質だから心ある政治家が「もったいない」を合い言葉に金の使途に勇気を振るうようになった。
 嘉田知事の「もったいない」県政は新幹線の栗東新駅や河川ダムのストップなどに波及したが、これに反対する消費美徳派は「もったいない行政は公共事業を筆頭に、ものの生産や流通に水をぶっかけるもので、商工業の発展を阻害する」という。
 ご馳走づくしで、遊びや旅行、ブランドものを身につけてのぜいたく三昧の暮らしは悪かろうはずはないが、その結果、借金が募って身動きできなくなれば、一家の悲劇がしのびよる。
 いまの日本は、そういう段階の厳しい局面を迎えているのに、相変わらず、選挙前のマニフェスト(公約)にこだわって、ばらまき政治をやろうとしている。
 民主党は片方で政治とカネの問題で国民の信を失っているのに、他方で金もないくせに長者のようなぜいたくをしようと目論んでいる。家計の困難も国の財政の困難も対処方針はただ一つ。ぜいたくをやめて「もったいない精神」の具現化である。
 大阪府や名古屋市が議員数減、議員の月給減らしなどを進めているのはまさしく時勢の声に応じているもので、今回、橋下大阪府知事が在日・朝鮮高等学校への補助禁止を宣言したのも同様、賢明な判断であり、賞賛したい。【押谷盛利】

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2011年03月08日

世界寺子屋運動(見聞録)

 7日の滋賀夕刊に掲載した長浜ユネスコ協会による書き損じはがき回収キャンペーンで、「世界寺子屋運動」を紹介したが、読者からもう少し詳しく教えて欲しいとの声があったので、加筆したい。
◇「寺子屋」は14世紀から19世紀にかけて日本で独自に発達した教育施設で、学識者や侍、僧侶が庶民の子弟のために読み書き、そろばんを教えた。
 江戸時代後期には全国に1万6000軒も存在し、庶民の教育レベルは高かったとされる。寺子屋は明治期の学制整備と日本の世界への飛躍への素地となった。
 しかし、世界には21世紀になっても教育を受けられない人々がいる。2010年度のユネスコの調査によると、文字の読み書きができない大人は世界で推計7億5900万人。▽日々の生活のために子どもの頃から働かされた▽貧しくて学校に行かせてもらえななかった▽戦争や内乱の犠牲になった難民だった―など理由は様々で、地域の習慣・伝統によって教育を受ける機会を与えられない女性も多い。
 教育を受けられないと、読み書きや計算ができず、安定した職業に就けない。収入が安定しないから、その子どもも学校に行かせてもらえない―という負のサイクルが続く。
◇世界寺子屋運動は、そういった負のサイクルから子ども達を救うため、「すべての人に教育を」を合言葉に、貧困国で識字教育を行うNGO(非政府組織)や教育機関の活動を支援している。
 その原資は、先進国の恵まれた人々の寄付金が頼り。書き損じはがき回収キャンペーンは、集めたはがきを郵便局で切手に交換し、支援企業に買い取ってもらうことで現金化し、活動資源としている。
◇長浜市内では小学校の児童会、中学校の生徒会など子ども達が回収キャンペーンに協力している。この善意が学校の整備、教育備品の購入、教師の賃金などとして貧困国に届けられる。
 長浜の子ども達が教育環境に恵まれない貧困国の子ども達に思いをめぐらせ、学校で勉強できる幸福を再認識する機会ともなれば、この取り組みの意義はより大きい。

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2011年03月07日

深夜遊びの少年たち

 夜の大阪城公園で女性連れの少年(17)がアルバイトの少年店員と男子高校生に殴られ、はさみで刺されるという事件が起きた。
 6日午前零時ごろのことだから真夜中である。そんな深夜を女性と歩いているのも物騒な話だが、何のゆかりもない2人連れを見て殴ったり、刺したりの行為はどうひいきめに見ても正常ではない。まともでない奴がうろうろしている世だからお互い、心の防犯の扉をきちっと閉め「君子危うきに近寄らず」を実践したい。
 2人の少年は逮捕されたが、「腹がたったのでやった」と警察の調べに答えている。他人のデートを見て腹が立つというのはもてない自分を自虐し、その反動で目撃したデート少年をやっつけたようなものである。「ざま、みろ」と溜飲を下げたのかもしれないが、こういう心境や行為に走ること自体がまともではない。
 被害者の少年が抵抗しなかったからケガ程度ですんだが、もし腕っぷしに自信のある負けん気の少年だったら2人組に闘いを挑み、ことによっては双方に死傷者の出る乱闘劇に発展したかもしれない。
 いずれにしても、16歳や17歳の少年である。アルバイトにしろ、高校生にしろ深夜に公園をうろつくほどの余裕はないはずだが、少年たちの家庭は彼らを保護、監督する責任をどう考えているのだろうか。野良犬や野良猫のようにしたい放題、やりたい放題にさせておくのだろうか。
 前日、熊本市内スーパーで起きた3歳の女児殺しの犯人は大学生だった。その後の聞き取りや調査で大学生がどんな男だったのか浮かび上がってきた。
 仲間の学生たちの評判では、初めは真面目に通学していたが、後半から欠席が目立ち始めたという。つまりは学問に熱が入らなくなった。
 女子学生の評判によると、恋愛の対象などの話題には、成人女性よりは幼女に関心があったらしい。かわいいからだというが、抵抗しないから狼の牙をむくには都合がよいのかもしれない。
 密室のようなトイレの中で殺して、リュックに入れて用水路に捨てたというからぞっとするような魔性の持ち主である。
 高校生であれ、大学生であれ、社会の常識や人間のモラルのかけらもない狼のようなのがうろうろしている世を思えば、うっかり夜道も歩けないし、幼い子を遣いにもやれない。
 暴力犯罪や婦女暴行、幼児誘拐などは昔から「夜中」「暗闇」「密室」と相場が決まっているが、さらに現代は人が遊びに集中する「催し場」なども舞台になる。
 夜の独り歩きは物騒だというので、最近は市街地は防犯灯で明るくしているが、まだまだ不十分である。夜の歓楽街は大人の世界だが、最近はスーパー、コンビニ、外食店などが各所に林立し、夜の遊び場にこと欠かない。
 中学生や高校生などがこうした夜の店で遊ぶこと自体、好ましくないのに、それが集団になり、夜遅くまでうろつくというのは犯罪の落とし穴に自ら身を寄せるようなものである。
 社会の眼も大切だが、なんといっても家庭の監督、保護の責任である。
 親がたるんでいるから、子に注意できないものもあろうし、夫婦共働きで監督の責任が全うできない人もあるだろうが、自分の息子、娘が被害者になる恐れもあれば、加害者の仲間入りする危険もあり、夜10時過ぎの外出は許してはなるまい。【押谷盛利】

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2011年03月05日

問題は道徳心(見聞録)

 携帯電話とインターネットを使った大学入試のカンニング事件は、予備校生の単独犯という結果で幕引きしそうな気配。
 カンニング程度での逮捕に賛否はあろうが、試験中にネット上に問題が投稿され、善意の利用者に回答してもらうという特異性が、社会に与えた衝撃は小さくない。
 携帯電話の個体識別番号とインターネットへの接続記録から、警察があっさりと犯人を割り出した。
 そういえば、大相撲の八百長も警視庁が携帯電話の記録を復元し、明らかになった。
 匿名性、機密性の濃いネットの世界も、捜査機関が乗り出せば、たちまち丸裸にされることが改めて証明された。
 しかし、今回のカンニング、闇社会で出回る不正な携帯電話を使っていた場合、犯人を特定できたのだろうか。少なくともインターネットの接続記録からは割り出せなかっただろう。
 そういう点を考えると、今後の試験会場の監視体制が問われよう。
◇いつでも、どこでも、誰でも、恩恵を受けることができる環境や技術を、ラテン語で「ユビキタス」という。
 インターネットと携帯電話の普及で、いつでも、どこでも、誰でも、世界中と連絡を取り合い、情報を調べたり、買い物したり、映画を鑑賞できる。映像や音楽を世界に発信することだってできる。
 空間や時間の制約を受けないユビキタス社会、そういう便利な世界を手に入れたが、その世界に合わせたルールやマナーが利用者に求められている。
 大学入試の監視体制が従来の手法では通じないことは、予備校生が明らかにしてくれた。
◇結婚相談や出会い系に名を借りた詐欺や売春、違法薬物の売買、他人の写真を勝手にネット上で公開するプライバシー侵害など、ネット上には多くの「悪意」が存在する。
 本屋で立ち読みしながら情報を携帯電話のカメラで撮影し保存する「デジタル万引き」、学校の読書感想文や大学のレポートをインターネットから引用する不届き者もいる。
 便利なユビキタス社会を、いかにして次代の子ども達にバトンタッチするのか。明確なルール作り、法整備は欠かせないが、問題の根底はネットを利用する個人の道徳心に行き着く。家庭や地域がお手本を見せたい。

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2011年03月04日

インチキ受験と裏口入学

 京大の入試中、ケータイを使ってのカンニング容疑で19歳の予備校生が逮捕された。いつの世も悪知恵が働くのは人間の業苦の一つかもしれない。
 不正やごまかし、インチキは社会の公正ばかりではなく、人間の良心まで麻痺させるが、事実は非難されつつも浜の真砂と同じで尽きることがない。
 就職や大学入試に替玉を使う手もあったが、ひどい話のなかには結婚の相手を替玉見合いで決めるのもあった。昔の大名のアホ息子に、淑女めいた女を同衾させ、その実、手練手管で男を夢中にさせ、本番の結婚は別の女性をあてがうというやり方。
 裏口入学、袖の下、カンニング、引き、裏道。嫌な言葉が頭に浮かぶが、その由来は競争社会の副産物である。正々堂々と競わせ、優劣を決めるのが組織本来の秩序と発展につながるのだが、世の中には目的のためには、手段を選ばず、あらゆる不正を操作して競争に打ち勝ってゆこうとする。
 早い話が、人間の生死に関わる尊い医業についても、大金を積んでの裏口入学が巧妙に編み出された。
 徳川時代は役人のポストが賄賂によって左右されたというが、明治以降は旧藩の力関係が左右した。いわゆる薩長土なる薩摩、長州、土佐藩出身が官員さんの出世ポストを牛耳った。
 大学は旧帝大が威張っていたが、教授には学閥がものをいった。インチキによって、雑魚が大魚に混じることもあるが、本来、雑魚は雑魚だから、ボロが出るし、それによって組織が伸びたり発展することはあり得ない。
 もっとも試験なんていうのはペーパーテストが重きを置くから受験技術の得意なものや、ヤマを張ってのまぐれ当たりもあるからパス組がオール良しというわけでもない。積み残しや、選り残しなどはあるのが普通で、本当に優秀なものは学校へ行かなくとも人に注目される成果を上げたり、世のため人のため脚光を浴びることもまれではない。
 今は教育制度が充実し、国や社会が教育に力を入れているし、国民の所得水準も上がっているから駅弁大学といわれるほど大学の数が増え、その気があるならば大学に入るのに不自由しないが、戦前までの日本はそうではなかった。
 義務教育を終えて中学(今の高校)へ進学できるのはクラスのうち10%くらいか、それ以下だった。ましてや大学は手の届かぬ世界だった。
 それでも優秀な人は日本の指導者となった。田中角栄は今でいう工業高校出身。社会党で戦後片山内閣の官房長官となった西尾末広は小学校高等科卒だった。
 今も昔も受験子は苦労するが、昔は電灯がないから夜の勉強が大変だった。受験雑誌に「蛍雪時代」という月刊誌がある。
 蛍の光、月の光をたよりに勉強するという意味であるが、努力をいとう人間は楽をしようとするから裏口やその他のインチキを考える。
 不正はたださねばならぬし、声を大にして邪道を一掃せねばならぬが、そういうことを論じること自体、悲しい人間の業苦である。【押谷盛利】

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2011年03月03日

勤務時間短縮の効果(見聞録)

 せっかちな日本人は夕食はともかく、朝食や昼食をゆっくりと食べる習慣がない。医学上、30分以上かけて食事を取ることが、肥満などの生活習慣病予防にも効果的と言われているが、特に社会人は何かと時間に追われて、食事の時間に気を配る余裕はないのではないか。
 そんな労働者の昼食環境を憂えてか、定かではないが、国や自治体では2009年から、職員の勤務時間を従来の8時間から7時間45分に短縮し、浮いた15分を昼休みに回して、昼食に1時間を確保している。
 公務員の勤務時間の短縮は、民間企業の労働時間が短くなっているとの人事院の勧告を受たのがきっかけ。
 全国の自治体がすぐさま短縮に乗り出す中、県内で唯一、長浜市だけが市民サービスの低下や時間外勤務コストの増加を懸念し、2年連続で見送ってきた。
 しかし、長浜市もこの4月から、労働組合の要望や総務省の通達に応じ、勤務時間を7時間45分に短縮して昼休みを1時間確保することにし、条例改正案を今議会に提案している。
◇年間勤務日数を250日と仮定すると、250×15分で年間3750分、62時間程の勤務時間が減る計算となる。
 昼食をゆっくり取ることで、職員の健康増進、仕事効率の向上につながるのなら言うこと無しだが、万一、市民サービスがおろそかになったり、残業コストが増えれば、市民の厳しい目にさらされよう。

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2011年03月02日

人は自然治癒力がある

 就職活動の悩みから乗車中の高速バスの運転を妨害し、横転させたとして逮捕された大学生を心の病者とぼくは推測している。この大学生、知識もあり、勉強もできたと思うが、肝心な脳が健康でなかった。
 同じことはこのごろの国民一般の体格と体力、健康についてもいい得ることで、確かに戦前に比べると格段の相違で体格はよくなった。しかし長距離を歩くとへばってしまうし、ものを持つ力、担う力も弱っている。理屈は言うし、物知りではあるが、頭の方、つまり精神面では健康に程遠い。なにかに頼らねば自立できない。
 高度な文化生活を生きながら、精神の弱い人や心を病む人が多いという矛盾を率直に認めるならば、人は何よりもその原因をただし、身心ともども健康を図らねばならぬ。
 精神の病は一見して分かるものではなく、ある日、突然発症することもあり、予備軍ともいうべき鬱や燥の人もあり、季節に関係することもあれば人間関係、あるいは自分の仕事や趣味の面での悩みから平常心を欠くこともある。
 おしなべて言えることは体も心も健康でないのに、見たところはみな正常であり、医師の診断を仰いでも「異状なし、健康」と判断される。
 しかし、現実の実社会は病人だらけであり、十人が十人クスリ漬けといっていいくらい何種類ものクスリを服用している。国民の何%が精神を病んでいるのか。おそらく政府といえども、その数は捕捉できないだろう。
 軽い鬱や燥の人をも入れるならばこれまた心の病人だらけということになる。正直、怖い世の中、物騒な世の中となった。
 道を歩いていて、いつ変な奴が通りがけに刃物で切りつけるやら、狂った男が運転しながら歩道へ突っ込んでこないとも限らない。
 こころみに、毎日の凶悪事件をみると、若いママが子を殺したり、逆に子が親を殺したり、金のもつれか三角関係か、恋人を殺したり、そうかと思うと、カネをねらって知らぬ家に入り、見つかって家人を殺すといったいやな事件の起こらぬ日がない。
 生きている鶏や魚を料理することだって仕事以外の人にはできないほどむごいことなのに、人間が人間を殺すなんて、どう考えても正気の沙汰ではない。
 良心というか、モラルというか、人間の脳を支配する「人の道」が麻痺しているとしか言いようがない。その良心の麻痺はどこからきているのか。
 複雑なそして高度な近代的文化生活に由来することはまぎれもないが、いまさら野蛮な生活へ後退するわけにはゆくまい。
 だとすれば、われわれの生活の中にできるだけ自然を取り入れることである。
 いちいちこれを丁寧に説明するには紙幅が足らぬが、昔の人のように手足をよく使う。なるべく乗り物を利用しない。野菜を中心に、美食をしない。甘いものに走らない。季節の旬のものを、その土地でとれるものを食べる。
 夜は寝るための時間で、夜ふかしはダメ。教養や情操のための読書、音楽、映画等は大切だが、犯罪をテーマにしたスリル性の高いテレビや映画は麻薬に似て有害である。
 夜、眠れない人はどこかに心身の欠陥があるはず。人間はもともと自然治癒力があるからクスリは用いない。
 赤ん坊は3歳までは家で育てる。しつけをしっかりして甘やかせてはならぬ。【押谷盛利】

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2011年03月01日

ランク付けあれこれ(見聞録)

 長浜市は「住みよさランキング」(東洋経済)で1995年から3年連続で全国1位となり、その後も上位の常連だった。しかし、調査指標が変化した今、滋賀の上位は守山(10位)、栗東(21位)、草津(24位)の3市=2010年度=。いずれも京阪神への交通の便の良さから、開発が相次ぐ湖南地域だ。
 このランク付けは安心度、利便度、富裕度などを数値化して弾き出し、そこに住む市民の主観や感情は廃されているだけに、客観的データとして面白い。
◇3週間程前の日経新聞では「地域ブランド力」のランク付けが公表されていた。
 調査会社「日経リサーチ」が地域を、愛着度、訪問意向、居住意向など5つの視点から測定したもの。都道府県別で①北海道②京都③沖縄④東京⑤神奈川⑥大阪⑦福岡⑧兵庫⑨長崎県⑩鹿児島―という順番だった。「竜馬伝」の舞台となった高知は前回調査(2年前)の32位から大きく順位を上げて20位になり、NHK大河ドラマの影響力を見せ付けた。滋賀は36位で前回の29位から下がった。
 名産品のランキングは①讃岐うどん②博多辛子明太子③紀州南高梅④夕張メロン⑤白い恋人⑥丹波黒大豆⑦京都八ツ橋⑧山形さくらんぼ、長崎カステラ⑩大間まぐろ。
 滋賀の名物は上位にない。
◇都市別ブランド力は、近畿に限ると、京都1位、神戸4位、大阪20位、奈良28位、姫路30位、宇治42位、宝塚59位、芦屋85位、明石85位。
 上位100市に滋賀13市の名はなく、101番目にようやく「ひこにゃん」効果の彦根が登場する。
 黒壁を中心とした商店街活性化の成功例として全国的に知られているはずの長浜はいったい何位なのか。続きを知るには日経リサーチから7万8750円で資料を取り寄せるしかない。
◇最後は政治家のランキング。産経新聞が「首相にふさわしい政治家は?」と世論調査したところ、①前原誠司(民主)②岡田克也(民主)③石破茂(自民)④舛添要一(新党改革)⑤渡辺喜美(みんな)⑥小沢一郎(民主)⑦菅直人(民主)⑧谷垣禎一(自民)―という順。保守系新聞の調査なのに、民主が先行し、自民が振るわなかった点が興味深い。
 「ふさわしい人はいない」との回答も3割あり、国民の政治不信を改めて印象付けた。

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